早期教育の光と影 ―英語早期教育は是か非か?― 企 画: 司 会: 話題提供者: 指定討論者: 内田 伸子 今井 むつみ 子安 増生 内田 伸子 今井 むつみ 松井 智子 大津 由紀雄# 仲 真紀子 (筑波大学) (慶應義塾大学 環境情報学部) (京都大学大学院 教育学研究科) (筑波大学) (慶應義塾大学 環境情報学部) (東京学芸大学 国際教育センター) (明海大学大学院 応用言語学研究科) (北海道大学大学院 文学研究科) 【企画趣旨】 企画趣旨】 安倍政権のもとで設置された教育再生実行会議では小学校 3 年生から英語を教科として導入すると いう方針が打ち出された。また大学入試での英語力重視、TOEIC などの英語検定試験の導入案なども出 された。さらに企業での英語公用語化の話題にも後押しされ、乳幼児初期から子どもに英語を学ばせ ようという親もいる。思考力の発達にどのような影響があるのか、英語教育はいつから始めるのが良 いのか、小学校に教科として英語教育を導入することの弊害は何かをめぐり、発達言語心理学、認知 学習論、国際理解教育、さらに認知科学・言語学の知見を踏まえて、子どもの早期英語教育の導入の 是非について討論し、我が国の外国語教育の在り方について提言したい。 「早期英語教育は母語習得を遅らせ思考力低下も 響をもたらし、考えることばの教育をやり損なう たらす」内田伸子( リスクを背負い込むことになりかねない。 たらす」内田伸子(筑波大学) 筑波大学) 言語習得には敏感期があり、早期に外国語の学 習を始めないと、外国語が習得できないという 「外国語学習を成功させるのは外国語早期教育で 「言語敏感期説」が幼児期、児童期の英語教育導 はなく母語の言語力」今井むつみ( 今井むつみ(慶應義塾大学) 慶應義塾大学) 入の根拠になっている。しかし、早期に外国語教 言語には敏感(臨界)期があり、早くに英語の 育を始めることが母語の言語力の発達や認知の 学習を始めないとネイティヴ話者のように英語 発達にどのような影響を与えるのかという最も を習得することができない、というのが英語早期 大事なことが、早期外国語教育推進者の間ではき 教育導入の主張を支える背景にある。しかし、そ ちんと議論されていない。言語習得の敏感期は言 の議論において、「ネイティヴ話者の言語力」が 語能力全般ではなく、年齢が早いほど有利なのは、 どういうもので、その言語力を習得するために子 音韻規則の習得と形態素の習得に限られている どもはどのように母語を学習しているのかとい (Johnson&Newport,1989;0yama,1976;Butler,1996 )。 うことはまったく考えられていない。子どもは母 日本語と英語では音声構造、文法構造、表記法な 語を学習する時、文法や語彙を直接教えられるこ ど表層面での違いは大きいが、抽象的なレベルで とはない。自分で発見し、推論し、それを繰り返 の構造では関連しあっている。移民の子どもにお し運用しながら体で覚えていく。この過程が言語 いて、母語力は学力と関係深い言語能力「読書力 を自在に操るための言語力を支えているのであ 偏差値」に影響を与え、学業成績にも影響する る。例えば可算・不可算文法の場合、外国語学習 (Cummins・中島,1985;李,2005)。幼児期の母語力 者は最初に「きまり」(文法)を教えられるが、 (語彙力)は小学校になってからの学力テストに きまりだけを覚えても、名詞の形態に自動的な注 影響する(内田,2012 他)。母語習得が不十分な段 意を向けることを体で覚えておらず、母語の感覚 階で外国語環境に入れると子どもの言語発達や で可算・不可算の判断をするため、誤運用に陥る。 認知発達が遅れる。(内田・早津, 2004)。乳児期 ノン・ネイティヴ話者でも十分な質と量のインプ に DVD で語学学習をさせた子どもたちの言語発 ットがあれば、それぞれの言語での文法や語彙の 達や認知発達が遅れ、悪影響は小学校入学時まで 仕組みを自分で発見できる。しかし、この「発見、 持続する(Zimmerman 他,2007)。以上から学習内 推論、繰り返しの運用」の過程を経ずに、文法や 容や教授法の検討がなされぬままに早期から英 単語の意味を教え込み、それを暗記させようとし 語教育を導入することは思考力や学力にも悪影 ても、「使える英語」は身につかない。母語での 言語力が子どもの思考力を支え、それが学力につ ながることを考えれば、幼少期には外国語の中途 半端な導入よりも母語の力をつけることのほう が大事である。外国語は成人になってから始めて も、十分に時間をかけ、適切な方法で学習すれば、 母語で培った言語に対する感性を土台にして自 由に運用する外国語能力をつけることができる。 みの成果と課題を検討しながら、乳幼児期の母語 によるコミュニケーションが子どもの感性や思 考の発達を支える言葉の獲得に不可欠であるこ とを確認したい。 「公立小学校での英語教育が学校英語教育を破壊 する」大津由紀雄( する」大津由紀雄(明海大学) 明海大学) 公立小学校での英語教育は教育政策の問題で あるので、発達心理学や言語学などの科学だけで 「感性と思考の言葉としての母語―多言語多文化 「感性と思考の言葉としての母語―多言語多文化 児童の言語発達から考える」松井智子( 論じきることはできない。今回は視点を言語学お 児童の言語発達から考える」松井智子(東京学芸 大学) よび認知科学の観点に限定して「公立小学校での 大学) 母語は、乳幼児期の家庭での言語コミュニケー 英語教育が学校英語教育を破壊する」と考える。 A 外国語環境で ションを通して獲得される。この時期の母子間の その理由は以下のとおりである。○ の英語学習には意図的・意識的な文法学習が不可 コミュニケーションは、言語獲得に不可欠である 欠であるが、メタ言語意識(「ことばへの気づき」) とともに、自己と他者の感情や知識、思考の理解 が十分に発達していない小学校段階においては や伝達のための基盤ともなる。言語能力が自己や B○ A にも関わらず、小学 文法学習が成立しない。○ 他者の心を理解する力を予測すること(Milligan 校での英語学習を強行すると、現在の英語活動の 2007)、また語彙力が高い子どもほど感情を理解 ように《歌と踊りと定型表現》という「3種の神 することができることがわかっている。また、何 器」に頼らざるを得なくなる。しかし、それでは らかの理由で、乳幼児期の母語でのコミュニケー 言語使用の創造性が保証されず、児童の多くは飽 ションが十分にとれなかった子どもは、のちに自 きてしまったり、英語嫌いになったりしてしまう。 己や他者の思考を理解することが困難になるこ C 中学校入学時に、 ○ 小学校での英語活動と中学校 とも報告されている(Peterson & Siegal 1995)。近 での英語教育の間の落差に戸惑い、新たに英語嫌 年外国に長期滞在する児童生徒、すなわち「多言 D 堅固な基礎が形成されな いになる生徒がいる。○ 語多文化児童生徒」が増加している。この傾向は いまま、高等学校、大学での英語教育が施される。 日本を含めたグローバル社会の特徴である。現在 すでに大学での英語教育はかなりの程度、就職率 わが国の教育現場では「会話はできても学習言語 を少しでも上げるための TOEIC 対策講座化に堕 が育たない」、母語喪失と現地語獲得の困難から E TOEIC での高スコアは必ずしも英 「家庭でも学校でもコミュニケーションが難しい」 している。○ 語の熟達度を示すものではないので、高スコア獲 といった多言語多文化児童生徒の問題が深刻化 得者を採用した企業はこんなはずではなかった している(中島 2011)。このような問題を抱える と絶望感が広がる。結局のところ、学校英語教育 児童生徒の多くは、社会言語である日本語の会話 の外での努力を惜しまなかった少数の卒業生だ は流暢にできる。しかし母語の保持伸長ができて けが英語を使いこなせるという状況が生じる。以 いないために、小学校中学年以降の教科学習に必 上を踏まえて私が提案する代案はつぎのとおり 要な日本語の学習言語がうまく育たず、授業につ である。(1)小学校段階ではことばとして日本語 いていけなくなる。さらに、乳幼児期の家庭での を学ぶ機会を確保する。それを行うのは、国語の コミュニケーションが不十分であったために、自 時間でも、ことば活動と変身させた外国語活動の 己の感情や思考を的確に表現することや他者の 時間でも、総合的な学習の時間でもよい。(2)学 心を理解することも困難になる可能性が高い。 校英語教育については中学校の英語教育につい 乳幼児期のほとんどを日本で過ごすことになっ て格段の充実を図る。具体的には、時間数の増加、 た多言語多文化児童が増える中、就学前の母語発 クラスサイズの小規模化、教員の研修の充実(英 達も視野に入れながら、第二言語である日本語を 語運用能力、英語教授能力)を実現させる。 獲得させようという取り組みは我が国では希少 である。本発表では、数少ないそのような取り組 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------※このシンポジウムは、一般社団法人日本発達心理学会と日本学術会議の心理学・教育学委員会傘下 の発達心理学分科会(委員長・子安増生、副委員長・仲真紀子)との共催で公開シンポジウムとして 開催される。発達心理学分科会では、早期外国語教育の問題点をはじめとした、発達心理学からの社 会への提言をまとめて、子安増生・仲真紀子(編)『心が育つ環境をつくる:発達心理学からの提言』 (新曜社)を刊行する予定である。
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