山陰地方の二 ・ 三の弥生遺跡に見る 管玉石材 と しての糸田来立老疑灰

島根大学教育学部紀要(自然科学)第24巻一第1号 1頁∼10頁 平成2年7月
山陰地方の二1三の弥生遺跡に見る
管玉石材としての細粒凝灰岩の共通性
三浦 清*1内田
律雄**1渡辺
貞幸***
K1yosh1MIURA,R1tsuo UcHIDA and Sadayuk1WATANABE
Sm11ar1ty of F1ne Tuff as Host Rock of?{Kudatama”
from Some Yay01Re11cs1n Sanln D1str1ct
Abstract:Them1nera1assemb1ages ofhostrock of{一Kudatama”from N1sh1kawatsu and
Nunoden Yay01re11cs m Matsue c1ty,Sh1mane prefecture,are qu1te s1m11ar to that of
Nagase TakahamaYay01re11cs1n Hawa1Cho,Tottor1prefecture The assemb1ages are
character1zed by the presence of zeo11te,c11nopt11o11te and anac1me These rocks are
greemsh homogeneous f1ne tuff Na−zeo11tes such as c11nopt11o11te and ana1c1me are
co㎜onald1agenet1ca1terat1onproduct1ofCenozo1c1ed1mentl1nJapan
Neogene strata conta1nmg1arge amounts刈f vo1can1c mater1a1s as we11as marme
c1ast1c sedments are d1str1buted m g耐een tuff reg1on of Sh1mane prefecture m Japan
These vo1camc mater1a1s have been subjected to a1terat1on,1nc1ud1ng d1agenes1s and
hydrotherma1act1Y1ty A1though zeo11tes such as c11nopt11o11te,morden1te,ana1c1me and
1aumont1teareco㎜onasa1terat1onmmera1s1nth1sd1str1ct,thesem1nera1assemb1age
are d1fferent from host rocks oゼKudatama”from these Yay01re11cs
Therefore f1netuffashostrock oポ?Kudatama”seemtobebr1ng1nto th1sd1str1ctfrom
other one.
に示す。
1.はじめに
西川津遺跡からは碧玉の原石とそれから製作された管
玉製品が多数発見され,三浦ら(1989)はその鉱物学的
松江市西川津遺跡ならびに布田遺跡は弥生時代前期∼
研究から,玉湯町花仙山産のものではない事を見出した。
中期の遺跡で,西川津遺跡の方が両者の中ではやや古い
しかし,その碧玉の原産地が何処のものであるかについ
ものである。その位置については図一1に示す。
ては今日なお明らかではない。
一方,鳥取県羽合町にも,ほぼ同期と考えられる長瀬
一方,西川津遺跡からは碧玉を原材料とする管玉のほ
高浜遺跡が発見されている。その位置については図一2
か,細粒凝灰岩を使用した管玉も発見されており,同時
にその原石も多数発掘されている。
*島根大学教育学部地学研究室
**島根県文化課
***島根大学法文学部考古学研究室
また,最近になって国道9号線バイパスの通路にあ
たっている布田遺跡の調査が進み,すでに,その調査報
2
山陰地方の二。三の弥生遺跡に見る管玉石材としての細粒凝灰岩の共通性
図一2 鳥取県羽合町長瀬高浜遺跡の位置図
図一1 松江市西川津遺跡およひ布田遺跡の位置図
尾:西川津遺跡
〃:布田遺跡
告書が建設省松江国道工事事務所・島根県教育委員会
(1990)で出されている。ここでも,細粒凝灰岩の原石
種の沸石を含む岩石である。含石英クリノプチロライト,
方沸石凝灰岩と呼んでおこう。
とそれから製作された管玉が,かなり発見された。
図一3a,bに示す如く,使用した試料は出土地点を
同じような原石と管玉についても鳥取県羽合町長瀬高
異にする10点であって,相互に同じようなX輝回折パタ
浜遺跡から発見されている。
ンを示している。なお,粘土鉱物としてイライトを含む。
この山陰地方のほぼ同時代の三つの遺跡から発見され
た管玉とその原石は,見掛上,極めて均質の細粒凝灰岩
(b)布田遺跡出土の凝灰石製管玉の原石について
で,相互に区別出来ない。また,共にこの地方の野外で
見掛上,西川津遺跡のそれと極めてよく類似する。
は見なれない岩石でもある。
極めて均質な組織を持つ凝灰岩であって,そのX線回
今回,これら三遺跡のこの種の岩石について,その原
折図を図一4a,bに示す。
産地をつきとめるべく,詳細な岩石学的研究を行った。
出土地点の異る13試料についてのX線回折図ではある
ここに,その成果を公表し,その原産地探査の資料とし
が相互に同じようなX線回折パタンを示す。
たい。
石英を多量に含み,クリノプチロノレ沸石と方沸石の両
種の沸石を含むことや,その回折パタンは,全く西川津
2 西川津,布田,長瀬高浜各遺跡出土の
管玉原石としての細粒凝灰岩
遺跡のものとかわらない。
(C)鳥取県羽合町長瀬高浜遺跡出土の凝灰岩製管玉の
以上において述べたように,管玉原石としての細粒凝
原石について
灰岩は均一さにおいて特異なものであり,管玉原石とし
見掛上,西川津,布田両遺跡のそれと区別は出来ない。
て納得のいくもののようである。次に,それぞれ三遺跡
図一5はそのX線回折図である。
ごとに研究結果を記述する。
多量の石英を含み,クリノプチロノレ沸石,方沸石両種
の沸石を含むこと,さらには,そのX線パタンについて
(a)酉川津遺跡出土の凝灰岩製管玉の原石について
も,前二者の遺跡と区別出来ない。
すでに三浦ら(1989)によって発表された本遺跡の碧
以上の研究結果から,この三つの遺跡から出土する凝
玉製管玉やその原石とは全く別の異った管玉やその原石
灰岩製管玉の原石は,いずれも含石英クリノプチロル沸
が出土する。
石方沸石凝灰岩で,酸性火山岩起源の全く同種の岩石と
均質な細粒凝灰岩で,そのX線回折図を図一3a,b
判定される。恐らくは同じ原石山から採取されたもので
に示す。
あろう。
石英を多量に含み,クリノプチロル沸石と方沸石の二
しからば,この岩石が何処に産出するのか,当時の交
o
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o。㎝ミ8︵理輩◎。①︶
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〇一軸海。o・一、に\\斗o守誰耐
印一、斗ミヰヘ>一 ︷一人“ヘプ
印一ぺ斗守ヰヘト一 ︷一へ“へ7
4
山陰地方の二・三の弥生遺跡に見る管玉石材としての細粒凝灰岩の共通性
磁独議義1
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1
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20 15 10 5 40 35
29Cu Kd
図一4a 布田薄跡出土の凝灰岩のX線回折図
1 布田II区 SD−09③第5群890725
2 布田I1I区 砂礫層 881114
3 布田III区 南北トレンチ下部砂層 881128
4 布田II区SD−09第4群890808
5 布田II区SD−09第5群8900726
6 布田II区SD−09第4群890725
7 布田II区 SD−08880711
q:石英。C:クリノプチロル沸石
a:アナルサイム,i:イライト
c 13
q q ・
30 25
20 15
20Cu Kd
10 5
図一4b 布田遺跡出土の凝灰岩のX線回折図
8 布田I区SD−04第2群890518
9 布田II区SD−09第2層 890705
10
11
12
13
布田I区SD−01第2層
布田II区SD−09第1層880707
布田II区SD−09第1群890725
布田II区第4群890808
q:石英,C:クリノプチロル沸石
a:アナルサイム。i:イライト
三浦 清・内田律雄・渡辺貞幸
5
S工一6
SI−1O
0
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20Cu胴
217.40
N.S.
4点
図一5 鳥取県羽合町長瀬高浜遺跡出土の凝灰岩の
M,I.Mor
o
C,I
X線回折図
q:石英,C:クリノプチロノレ沸石
M,工.C.Mor
Gy割脈
M,二M。。
a:アナルサイム,i:イライト
M.L C.Mor
M.LMor
300
M.I.C,Mor
黒
M,I.C.A
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M,C,Mor
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、
帖、
一
鯛
ベさ
600
図一7
SI−6,SI−10号ボーリングの地質柱状図
M:モンモリロナイト,I:イライト
C:緑泥石,Mor:モルデナイト
A:アナルサイム,M/I:モンモリロナイト,イ
図一6 S卜6,SI−10号ボーリングの位置(島根
県大田市久利町)
ライト混合層粘土,Gy:石膏
6
山陰地方の二・三の弥生遺跡に見る管玉石材としての細粒凝灰岩の共通性
c
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3 25 20 15 10 5
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… 5
m g而
図一8 石見新第二系大田湾入部SI−10号ボーリン
グコア久利累層酸性凝灰岩類のX線回折図
1:ボーリング SI−1O号 39m(久利累層)
2:ボーリング S卜10号 103m(久利累層)
3:ポーリング SI−10号 132m(久利累層)
/㌫ノ㌫㌔㌧ナ㌧:トニ㌔イ:ら英〕
9
1 6
㎜t 7
1
m0杣
1 8
流や流通問題などを考えるのに大切な問題である。いま,
これを検討するに際して,島根県内の新第二系の熱水変
1
質岩との関係について見てみよう。
3 島根県の新第二系熱水変質帯の酸性凝灰岩
と=遺跡出土の含石英クリノプチロル沸石方
沸石凝灰岩の比較検討
1
10
三つの遺跡から出土した含石英クリノプチロル沸石方
30 25 20 15 10 5
沸石凝灰岩が果して島根県産のものであるかどうかを検
2◎cu kd
討するために,島根県における新第二系熱水変質帯の酸
図一9 石見新第三系大田湾入部SI−6号ボーリン
グコア久利累層;波多累層酸性凝灰岩類のX
性凝灰岩の岩石学的性質と比較検討する。
そのために,新第二系堆積盆としての大田湾入部,宍
道湖南部の新第二系分布地帯およひ島根半島地域につい
て,それぞれ各層準ごとに凝灰岩について吟味した。
(a)大田湾入部新第二系酸性凝灰岩の性格
この材料を検討するために,金属事業団によるこの地
域のボーリングコアについてX線回折実験を行った。そ
のボーリング位置は図一6に示す如く大田市久利町に
あって,特に,SI−6地点は松代鉱山地内で行われたも
のである。その地質柱状図は図一7に示すとおりである。
線回折図
1:ボーリング S卜6号 16.8m(久利累層)
2;ボーリングSI−6号174.8m(波多累層)
3:ボーリングSI−6号196.5m(波多累層)
4:ボーリングSI−6号280.4m(波多累層)
5:ボーリングS卜6号327m(波多累層)
6:ボーリングSI−6号335m(波多累層)
7:ボーリングSI−6号367m(波多累層)
・8:ボーリングSI−6号391.8m(波多累層)
9:ボーリングSI−6号424.9m(波多累層)
1O:ボーリングSI一.6号486m(波多累層)
a:アナノレサイムm:モルデナイト
9:石膏■ah:硬石膏 P:斜長石
q 石英 mOntモンモリロナイト
7
三浦 清・内田律雄・渡辺貞幸
頬
本
一院舳
外㌶
クψ抑,6
榊 6
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酬司 十六舳 甲 ハ
C
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祭
・ 1
m寺c『iデ
」1
m m㎝t2
ペノ
、_ 幽!
m c・
c p q
q 111C
図一11
SH−1,SH−7号ポーリンク位置図
(島根県平田市奥宇賀町光尾上(SH−7)お
よひ平田市河下町)
P P
3
P c11
二地点のボーリングは共に久利層凝灰岩から掘さくさ
1
I
p ch
I
。 4
れ,川合層から,その下位の波多層内までコアの採取が
行われた。SI−10に対して,SI−6の方がより深い層準
まで達している。この両ボーリングコアについてのX線
回折図を図一8,9に示す。SI−1αについては深さ132
30 25 20 15 10 5
メートルの久利層凝灰岩までモルデナイト沸石を含み,
2◎Cu Kd
それと共生する粘土鉱物はSI−10の39メートル深のもの
図一10宍道湖南方新第三系酸性凝灰岩類のX線回
ではモンモリロナイト。103メートルのコアではアルカリ
折図
モンモリロナイトであるが132メートル深のコアではイ
1:玉湯町温泉街東側の久利層凝灰岩
ライトに変化する。一方,SI−6については,16.8メー
2:宍道町佐倉の久利層凝灰岩
3:八雲村熊野の波多層凝灰岩
4:八雲村熊野の波多層凝灰岩
C:クリノプチロル沸石,m:モノレデナイト
トル深の久利層のボーリングコアから,深さ280メートル
の波多層のコアまでモノレデナイト沸石が出現するが,327
CriSt:クリストバライト,q:石英
メートル深の波多層のボーリングコアではこれにアナル
P 斜長石,montモンモリロナイト
サイムが共生し,石膏を伴っている。さらに,335メート
s:セリサイト,ch1緑泥石,z:沸石
ル,367メートルのボーリングコアではアナノレサイムのみ
となってモルテナイトは消滅する。かつ,粘土鉱物とし
てはアルカリモンモリロナイトが共生する。しかし,391
メートルのコアでは,このアナルサイムも消失されて,
モンモリロナイトのみが残る。424,9メートルのコアで
は,このモンモリロナイトも次第に量を減じ486メートノレ
のコアでは消滅する。SI−6号ボーリングについては
280.4メートルまでのコアの熱水変質はUtada(1980)の
a1ka1me zoneにおけるNa−Ser1esのMorden1te zoneに
8
山陰地方の二・三の弥生遺跡に見る管玉石材としての細粒凝灰岩の共通性
SH−1 SH−7
O
UTr
UC.
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(貨入)
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25 2 15 10 5
図一13 島根半島西部新第二系酸性凝灰岩類のX線
回折図
N.’S
』D.
v
〈 v
』A
(?〕.
v ^
V』O,
600
v
』T。〔ハ
1:ボーリングSH−1号
75.30m(牛切層=大
森層)
2:ボーリングSH−7号
96.70m(牛切層=大
森層)
3:ボーリングSH−7号
158.7m(牛切層=大
森層)
4:ボーリングSH−7号 185m(成相寺層=久
利層)
図一12SH−1,SH−7号ボーリングの地質柱状
図
5:ボーリングSH−7号
204.3m(成相寺層;
久利層)
6:ボーリングSH−7号
263.8m(成相寺層=
7:ボーリングSH−7号
328.35m(成相寺層=
久利層)
久利層)
Z:沸石,m:モノレデナイト
C:クリノプチロノレ沸石,i :濁沸石
P1斜長石,q1石英
三浦 清・内田律雄・渡辺貞幸
9
P.q
q
P
9
・
I p l
p P
1
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l l
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P
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p P
P
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mo■ch
P
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pP
q a
P
m m
m
30 25 20 15 10 5
2θCu Kd
am
m
P q
図一15島根半島東部新第二系の酸性凝灰岩およひ
細粒砂岩のX線回折図
9
P
P
P
P
P
P
1:古浦層酸性凝灰岩(七類峠附近)
3
1P
30 25、. 20 15 10 5
2◎Cu Kd
図一14島根半島中部新第三系酸性凝灰岩類のX線
2:古浦層砂岩(七類峠附近)
i:濁沸石,a:アナルサイム,q:石英
P:斜長石,mo/ch:モンモリロナイトー緑泥
石混合層粘土
ルデナイトが共生する。後者はクリストバライトを含み,
多量のモルデナイトが生成し,クリノプチロル沸石が微
回折図
量ながら共生する。
1:平田市上岡田中の牛切層凝灰岩(大森層相当)
2:平田市野石谷町上寄の成相寺層凝灰岩最上部
3 平田市上岡田上二津峠南側成相寺層凝灰岩
また,波多層の酸性凝灰岩として,熊野附近のものを
/ξ1基ノレ苫て倉長署:モノレデナイト〕
検討したが図一10に示すように,微量の沸石を含むもの
か存在する程度である。
久利層についてはUtadaのNa−Ser1esにおけるMoト
den1tezoneに属し,波多層についてはA1b1te帯に属する
属し,335メートル,367メートル附近は同じSeriesの
模様である。
Ana1c1mezoneに一致する。327メートルのコアは両者の
結果的には,この地帯の新第三系酸性凝灰岩の性格は
移行帯として位置んけられる。391.8メートル以下のコア
さきの三遺跡出土の凝灰岩とは異っている。
は,同じSer1esのA1b1te帯に属す。
ともかく,この大田湾入の新第二系酸性凝灰岩ではア
(C)島根半島酉部の新第二系酸性凝灰岩の性格
ナルサイムは出現するものの,クリノプチロライトかそ
久利層相当層としての成相寺層の酸性凝灰岩および大
れと共生せず,また,共存する粘土鉱物も異っている。
森層相当層としての牛切層の酸性凝灰岩を検討した。材
つまり,大田附近には遺跡から出土したような凝灰岩の
料は,金属事業団によるSH−1号およひSH−7号の
産出はなさそうである。
ボーリングコアを使用した。ボーリング地点は図一11に,
また,そのボーリング柱状図は図一12に示してある。そ
(b)宍道湖南部新第二系酸性凝灰岩の性格
れぞれの深度におけるボーリングコアのX線回折図を図
久利層の酸性凝灰岩として玉造温泉街東側のバイパス
一13に示す。SH−7における深度96.7メートル,158.7
沿いのものと宍道町来待の佐倉のものを検討材料とし
メートルのボーリングコアについては,モノレデナイトと
た。前者は図一10に示すようにクリストバライトを含み,
クリノプチロノレ沸石が共生し,深度185メートルのボーリ
多量のクリノプチロル沸石を生成する。これに微量のモ
ングコアでは濁沸石に変る。さらに,204メートノレのコア
10
山陰地方の二。三の弥生遺跡に見る管玉石材としての細粒凝灰岩の共通性
では逆にグレードが下って再びモノレデナイトが出現す
る。それには多量のモンモリロナイトが含まれ,少量の
4.おわりに
イライトも認められる。深度263.8メートル以深のもので
は沸石が含まれず,粘土鉱物としてイライト,緑泥石と
西川津遺跡から出土する管玉とその原材料としての酸
モンモリロナイトの混合層粘土が含まれる。
性凝灰岩は,すでにこの遺跡から出土する碧玉製の管玉
しかしながら,この堆積盆における酸性凝灰岩の変質
とは別のものである。碧玉製の管玉とその原材料として
上の性格は三遺跡出土のそれとは全く異っている。
の碧玉も他地域から運こび込まれて来たものであること
はすでに明らかにしたが,それと共存する酸性凝灰岩製
(d)島根半島中部の新第三系酸性凝灰岩の性格
の碧玉の原石も,また地元産のものではないことが明ら
平田市上岡田附近の牛切層(大森層)の酸性凝灰岩と
かになった。同時に,布田,長瀬高浜の両遺跡における
成相寺層(久利層)の酸性凝灰岩についても同じように
管玉原石も,全く西川津遺跡と一致するので,この両遺
検討した。それらのX線回折図を図一14に示す。
牛切層の酸性凝灰暑の薄層に,方沸石が生成している
跡のものを含めた流通問題となる。
方法論的に,その原産地を推定しようとすれば,以上
ことがわかる。さらにその下部に相当する成相寺層最上
のような手法が最低限必要な方法であって,考古学への
部の酸性凝灰岩では微量の方沸石にモルデナイトがやや
寄与も,このような岩石学的手法でなされねばならない
多量に生成している。そのさらに下部ではすでに沸石は
だろう。
消減する。
いずれにしても,その原産地の発見は今後に残された
ここでも,酸性凝灰岩の性格は遺跡出土のそれとは
重要な課題であり,一層の努力が必要であろう。
異っている。
文 献
(e)島根半島東部の新第二系酸性凝灰岩ならびに細粒
砂岩の性格
建設省松江国道事務所・島根県教育委員会(1990)埋蔵
最後に島根半島東部における新第二系酸性凝灰岩とし
文化財発掘調査報告書V皿(布田遺跡).
て古浦層(波多層)のものを検討した。その結果は図一
三浦 清。内田律雄・渡辺貞幸(1989):松江市西川津遺
15に示すように,濁沸石カミ顕著に生成しているものであ
跡弥生層準から出土した碧石について,山陰地域研
ることがわかる。それに,粘土鉱物としてモンモリロナ
究(伝統文化),第5号,17−24.
イトと緑泥石の混合層粘土が含まれる。この附近には極
Utada,M.,(1980):Hydrotherma1A1terat1onsRe1ated
めて細粒の砂岩も分布しており,参考までに,これにつ
to1gneous Act1v1ty m Cretaceous and Negene
いても検討した。少量のアナルサイムが生成し,粘土鉱
Fomat1onsofJapan,MmmgGeo1Speh1ssue
物としてもモンモリロナイト・と緑泥石の混合層粘土が含
まれている。
これらの岩石についても遺跡出土のものとは異ってい
る。
以上,県内の新第三系の酸性凝灰岩の殆んどすべての
層準のものと比較検討したことになるが,その結果,三
つの遺跡出土の酸性凝灰岩の岩石学的な性格とは一致す
るものを見出すことは出来なかった。つまり,遺跡から
出土した管玉原材料としての酸性凝灰岩は全く地元産で
はなく,他地域から運こび込まれたものであると云えよ
う。
そこで他地域とは何処であるのか,現状では解決し得
ないが,兵庫県北蔀か,あるいは福井県あたりのものと
考えて,先ず調査する性要があろう。
8,67−83.