ミュリエル・スパークの 独身者 と T.S.エリオット 本 真 治 1. 独身者 と 荒地 ミュリエル・スパークが T.S.エリオットとは少なからぬ関わりがあること は、あらためて指摘するまでもないだろう。小説家としてのキャリアをはじめ る前にスパークはエリオットに関するいくつかの文章を書いており、それらは エリオットの三つの劇作品 岩 (The Rock) 、 寺院の殺人 ( Murder in 、 一族再会 (The Family Reunion)を紹介した短いエッセ the Cathedral) イ、 文化の定義のための覚書 (Notes Towards the Definition of Culture) の書評、エディンバラ・フェスティバルで初演された 秘書 (The Confidential Clerk)の劇評である(1)。またスパークは晩年に発表した 現実と夢 (Reality and Dreams)では、エリオットの J. アルフレッド・プルーフロ ックの恋歌 ( The Love Song ofJ.Alfred Prufrock )の冒頭の三行を引用 している(67) 。スパークの代表作 ミス・ジーン・ブロディの青春 (The Prime of Miss Jean Brodie)には、オーデンとともにエリオットの名前が見 られる(35) 。スパーク自身のお気に入りである 運転席 (The Driver s Seat)には、エリオットの未完の詩劇 闘技士スウィーニー (Sweeney Agonistes)が響いている(2)。 この二人の関わりを えれば、スパークの 独身者 (The Bachelors)か らエリオットの 荒地 (The Waste Land)を連想することはそれほど難し いことではない。たとえば、ピーター・ケンプ(Peter Kemp)は 独身者 には 境遇に左右される隠 者の群がる大都会の荒れ地( a metropolitan ― 17 ― wasteland swarming with hermits of circumstance )(69)が描かれてい ると言う。ケンプは 独身者 とエリオットの 荒地 との関係について直接 触れているわけではないが、ケンプの念頭には 荒地 のことがあったはずで あろう。 独身者 が 荒地 と結びついていくところは多 にある。 独身者 では 結婚に関して、アイルランド人でカトリック教徒のマシュー・フィンチ (M atthew Finch)が次のように述べる。 独身でいることは正当化されない ( theres no justification for being a bachelor )(375)し、 結婚はわれわ れ全員の義務( It s the duty of us all to marry )(382)で、 聖職か世俗 か、それぞれの召命に従って実り多く繁殖するのがすべての人の義務( It s everyones duty to be fruitful and multiply according to his calling either spiritual or temporal, as the case may be. )(375)であり、 叙階と婚姻 ( Holy Orders and Holy M atrimony )(382)のいずれかを選択しなけれ ばならないのであると(なお、スパーク自身もカトリックであるが、このマシ ューの言葉が作品全体を支配するものではない) 。 荒地 第二部 チェス遊 び ( A Game ofChess )のパブの場面では、リル(Lil)の女友だちの 子 供が欲しくないなら、なんで結婚なんかするのよ( What you get married for if you don t want children? )(164)というせりふが見られるが(3)、 独 身者 で結婚も子供も望まない人物が、主要人物の一人であるパトリック・シ ートン(Patrick Seton)である。パトリックには妊娠中のアリス・ドーズ (Alice Dawes)という愛人がいる。アリスは結婚してほしいとせがみ、それ に対してパトリックは現在離婚調停中であるという言い訳をし続けるが、実の ところ、はじめから結婚などはしていなかったのである。パトリックはアリス に子供を堕ろしてくれと頼むが、アリスはそれを頑として拒否する。そこでパ トリックは、アリスが糖尿病を患っていることを利用し、彼女をオーストリア の人里離れた山小屋(シャレー)へ連れて行き、そこでインシュリン注射の量 を調整してお腹の中の子供とともにアリスを殺してしまおうと密かに企むので ある。 独身者 の独身者たちが不毛であるのは、必ずしも婚姻を拒否しているか ― 18 ― ミュリエル・スパークの 独身者 と T. S. エリオット らということだけに収斂されるわけではない。 荒地 第五部 雷の言ったこ と ( What the Thunder Said )の終わりには、雷鳴が 与えよ、同情せよ、 自制せよ( Datta, dayadhvam, damyata (Give, sympathise, control) ) (Eliot s Notes on the Waste Land )という 荒地 に救いをもたらす神 の声として聞こえてくるが、パトリックはこの雷鳴の教えのいずれからもほど 遠い存在である。心霊術(spiritualism)の霊媒であるパトリックがフリー ダ・フラワー(Freda Flower)という未亡人から金を騙し取ったのか、それ とも彼女が自発的にパトリックに金を贈与したのかを裁く裁判が小説のクライ マックスになる。結局パトリックは有罪となるが、実はそれ以前にも詐欺行為 を繰り返していた前科者であり、パトリックは搾取することはあっても、 与 える ということはない。しかしながら、アリスに関しては、パトリックは金 銭的な詐欺行為をはたらいてはいない。 He[Patrick]has not taken any money from her[Alice] .He has given her money,has supported her for nearlya year.She has agreed to trust him,it is a pact.She is mine,he is thinking.The others were not mine but this one is mine.I have loved her,I still love her.I don t take anything from Alice.I give.And I will release her spirit from this gross body.He looks with justification at the syringe by her bedside, and is perfectly convinced about how things will go in Austria (all being well),since a man has to protect his bread and butter,and Alice has agreed to die,though not in so many words. (453) 確かにパトリックはアリスから金を騙し取るどころか、逆に金銭的に彼女を支 援してきたのである。しかしながら、パトリックはアリスに対して 同情せ よ 自制せよ という行為ができているであろうか。結婚して子供を産みた いというアリスの思いにパトリックは同情するどころか、アリスをインシュリ ン注射で殺そうと本気で え、そのことに対するいささかのためらいもない。 もちろん罪の意識も感じておらず、パトリックにとって殺害はあくまでも で ― 19 ― ぶでぶの体から彼女の霊魂を解放してやる 行為なのである。パトリックはア リスのことを愛しており、それは 彼女が亡くなったあとでさえも( Even unto her passing over. )(364)続くものであると言う。なぜなら 霊魂は 命を与える( The spirit giveth life. )(364)ものであるからだ。また、殺 害に関してはアリス自身も了承していることだとパトリックは勝手に解釈して いるが、あくまでもアリスがオーストリア行きに同意しているのは、それが二 人の新婚旅行だと信じているからにすぎない。このようにパトリックの独善的 な えは留まるところを知らず、己を律することができないのである。 では、殺されようとするアリスはパトリックとは対照的な存在であるかと言 えば、そういうわけでもない。アリスは周囲の忠告に一切耳を傾けず、離婚調 停の片がつけば結婚できるであるとか、フリーダから金を騙し取ったのではな く贈与されたのだというパトリックの言葉を信じて疑うことはない。さらにア リスはパトリックが裁判で無罪になることを確信していながらも、彼が刑務所 に入れられないように神に祈りをささげていると言う。そしてアリスは祈りの 理由として 神様を試しているのよ( It s a test of God )(479)とまで言 ってのけるのである。実際、傍聴席にいたアリスはパトリックが有罪判決を受 け る と、す ぐ さ ま 神 様 な ん て 信 じ な い わ。控 訴 し な く ち ゃ( I don t believe in God[...] .There will have to be an appeal. )(504)と口にする のである。 2. 独身者 と 直立したスウィーニー の枠組み 独身者 には男性だけではなく女性も含め、どこか独善的で他者との関わ りを拒否する人たちが描かれ、彼らの精神的な不毛さにはエリオットの 荒 地 と通じるところが見られる。しかしながら、作品の構成という点を えて みた場合、 荒地 が壮大なスケールの展開を見せるのに対して、 独身者 で はパトリックの詐欺行為に対する裁判がストーリーの中心であるにすぎず、そ のスケールは小さいと言わざるを得ない。かつてエリオットは、 荒地 を単 行本として出版する際に自らつけた注( 原注 )の中で、 荒地 の全体的構 ― 20 ― ミュリエル・スパークの 独身者 と T. S. エリオット 想は聖杯伝説から着想を得ていると自ら手の内を明かしている。 独身者 の 構想をどこから得ているのか、その手の内をスパークは明かしてくれているわ けではない。スパークが 荒地 から何らかの示唆を受けていることは想像が つくが、作品の枠組みとしては、 荒地 ではなく、別のエリオットの詩から 着想を得ているのではないかということも 独身者 には読み取ることができ るのである。 独身 者 の 主 人 で あ る ロ ナ ル ド・ブ リ ッ ジ ズ(Ronald Bridges)が癲癇患者であるという設定を えると、そこからはエリオットの 直立したスウィーニー ( Sweeney Erect )を連想することができるだろ う。スウィーニーは 荒地 にも登場するペルソナであり、 直立したスウィ ーニー で描かれる世界は 荒地 へと結びついていくものである。この詩の 中でエリオットはスウィーニーの相手役となる女を ベッドの上の癲癇患者 ( The epileptic on the bed )(31)というように表現しており、その点では ロナルドは異なる役回りをしているとも言える。しかしながらロナルド、パト リック、アリスの三人の関係に焦点を当てるならば、 直立したスウィーニー の構図を 独身者 の中に重ね合わせることもできるのである。 直立したスウィーニー の構図を簡単に見ておこう(4)。基本的な枠組みは エピグラフや第一連と第二連で語られるように、女が男に捨てられるというも のである。エピグラフはフランシス・ボーモント(Francis Beaumont)とジ ョン・フレッチャー(John Fletcher)による 乙女の悲劇 (The Maid s Tragedy)の第二幕第二場からの引用で、この場面では恋人に捨てられて悲し んでいるアスペイシア(Aspatia)が侍女の作っている刺繡の中に、ギリシャ 神話のテセウスによって島に置き去りにされたアリアドネの姿を見る。第一連 で言及されるキクラデス諸島(the Cyclades)の最大の島が、アリアドネが 置き去りにされるナクソス島である。第三連以降で語られるのは、スウィーニ ーが売春宿と思しき場所にいて(5)、朝、ベッドから起き上がり髭を剃ってい るが、その一方で相手の女はベッドの上で癲癇の発作を起こしているというも のである。スウィーニーによってベッドに置き去りにされている女の姿が、ア スペイシアやアリアドネと重なり合っていく。相手の女とスウィーニーの二人 は (ナウシカアとポリュペーモス) ( (Nausicaa and Polypheme) )(10) ― 21 ― と括弧書きで形容されているが、ナウシカアもまた男に捨てられる女の一人と 見なすことができる。 オデュッセイアー では、ナウシカアはパイエーケス 人の国の美しい王女で、大嵐で遭難して島にたどり着いたオデュッセウスを助 ける。 王は娘ナウシカアをオデュッセウスに嫁がせたいと思うが、オデュッ セウスはその申し出を断り、島から立ち去ることになる。このような女が男に 捨てられる枠組みに加えて、もう一点押さえておかなければならないのが、最 終連でドリス(Doris)が気付け薬の炭酸アンモニウムとストレートのブラン デーを持って、癲癇の発作を起こしている女の介抱にやって来ることである。 この場面は、ナクソス島に置き去りにされたアリアドネを、酒の神であるディ オニューソス(またはバッカス)が救いにやって来ることと重なり合うのであ る。 直立したスウィーニー のスウィーニー、癲癇の女、ドリスの三人の構図 は、形を変えて 独身者 のパトリック、アリス、ロナルドの三人に重ね合わ せることができる。具体的には、スウィーニー役をパトリック、癲癇の女の役 をアリス、そしてドリスの役をロナルドが演じるという構図となる。パトリッ クは詐欺行為でフリーダから訴えられているが、裁判で無罪となれば、新婚旅 行と称してアリスをオーストリアの山小屋へと連れて行き、そこでアリスを殺 そうと計画している。パトリックが無罪を勝ち取るための切り札となるのが、 フリーダからの署名入りの手紙である。その手紙には2,000ポンドの小切手を 同封するので、その金を心霊術活動のために自由に ってもらいたいと書かれ てあるが、実はその手紙はパトリックが偽造したものであった。警察はこの手 紙の筆跡鑑定をロナルドに依頼し、ロナルドは裁判で証言する。最終的にロナ ルドの証言が決め手となったのかどうかは定かではないが、パトリックには有 罪判決が下され、結果的にアリスはパトリックの殺害計画から救われることに なる。これが 独身者 のメインプロットであり、かつ 直立したスウィーニ ー と枠組みを共有するものである。 ― 22 ― ミュリエル・スパークの 独身者 と T. S. エリオット 3.スウィーニーとパトリック 個々の人物の対応を詳しく見ておこう。スウィーニーとパトリックであるが、 スウィーニー> とはアイルランド由来の姓であり、 パトリック> は言うまで もなくアイルランドの守護聖人の名である。また実際作品中でもパトリックは アイルランド人の血が半 流れている( half Irish )(415)と言われる。 スウィーニーはエリオットのペルソナの中でも人間の獣性を象徴するものであ り、パトリックはと言えば、悪魔的な人物であり、その姓 Seton には Satan の響きがあると言われる(Page 35 ;Cheyette 49) 。両者の重要な共通点とし ては、いずれもが 女を捨てる> 方法として殺害という残忍な行動を取ろうと することである。 直立したスウィーニー ではスウィーニーは剃刀を手にし ているが、果たして女を殺そうとしているのかどうかは定かではない。しかし ながら、オランウータンとも形容されるスウィーニーの行動は、エドガー・ア ラン・ポー(Edgar Allan Poe)の モルグ街の殺人事件 ( The Murders in the Rue Morgue )を下敷きにしているとすれば、殺害という可能性も否 定できなくはない。モルグ街で起きた殺人事件の顚末とは、オランウータンが 老婦人の顔のあたりで散髪屋のまねをして剃刀を振りまわしていたところ、こ の老婦人が悲鳴を上げ、じたばたしたためにその首を剃刀の一振りで切り離し てしまったということである(6)。なお、スウィーニーは 闘技士スウィーニ ー では、ドリスを相手に どんな男でも女を殺すかもしれない╱どんな男で も、一生に一度は女を殺さなければならないし、殺す必要があるし、╱殺した いと思っているんだ( Anyman might do a girl in /Anyman has to,needs to,wants to /Once in a lifetime,do a girl in )(124)という不気味な話を している。スウィーニーがこのように語るのは、この詩劇につけられたエピグ ラフの一つ、十字架の聖ヨハネ(St.John of the Cross)の 従って、被造物 への愛を捨て去らない限り、霊魂は神との一致に達することはできない ( Hence the soul cannot be possessed of the divine union, until it has divested itself of the love of created beings. )(115)を悪魔的に曲解し、 ― 23 ― 被造物への愛 を捨て去ることとは女を殺すことだと えているのだと解釈 できよう(7)。もう一点スウィーニーとパトリックが結びつく点は、女の気持 ちが理解できているのかという点である。スウィーニーについては 女の気質 を知っている( Knows the female temperament )(23)と言われるが、 本当にわかっているのかは疑わしい。なぜなら、エリオットは癲癇の女の内面 には一切立ち入ることはせず、癲癇発作の悲鳴を上げさせることを除けば、彼 女には一言も喋らせないからである(8)。もし本当にわかっているのであれば、 なぜスウィーニーは 自 の脛で剃刀の切れ味を試しながら╱女の悲鳴がおさ まるのを待つ( Tests the razor on his leg / Waiting until the shriek subsides. (29-30)のであろうか。ポーのオランウータンが騒ぎ出した老婦 人を殺したことを思い起こせば、スウィーニーの行動はきわめて不気味なもの であると言わざるを得ない。 女の気質を知っている というのは語り手( いてはエリオット自身)のきわめて独善的な解釈ではあるまいか。エリオット とは対照的に、スパークはパトリックがアリスの気持ちをとても理解している とは言い難いということを明らかにしているのだ。 4.癲癇の女とアリス スウィーニーの相手をしている女は癲癇を患っており、アリスは糖尿病を患 っているが、いずれもがその病気のために命を落としかねない状況に置かれて いる。スウィーニーはポーのオランウータンのように、癲癇の発作のために女 を殺してしまうかもしれないし、パトリックはインシュリン注射でアリスを殺 そうと えているのだ。さらにこの二人を結びつけるものとして、彼女らの周 囲にいる人々が彼女らの置かれている状況を知らずに、もしくは知ろうともせ ずに、ただ自 たちのことだけを えて行動するため、その結果として彼女ら の命が危険にさらされてしまうということが指摘できる。癲癇の発作を起こし ている女に対し、部屋の外にいる女たちは次のような反応を示す。 The ladies of the corridor ― 24 ― ミュリエル・スパークの 独身者 と T. S. エリオット Find themselves involved,disgraced, Call witness to their principles And deprecate the lack of taste Observing that hysteria Might easily be misunderstood; M rs.Turner intimates It does the house no sort of good. (33-40) 廊下にいる婦人たち(おそらく prostitutes)やターナー婦人(おそらく経営 者)が気にするのは自 たちやこの売春宿の品位であり、癲癇発作の女の無節 操さを非難することしか えていない。また、部屋の中の女が癲癇発作を起こ しているにもかかわらず、それを ヒステリー という言葉で片付けてしまっ ている。癲癇は脳の疾患であり、外的な刺激に反応するヒステリーとは異なる。 この違いは 独身者 で描かれるロナルドの癲癇発作を見るとわかりやすい。 ロナルドは友人のティム・レイモンド(Tim Raymond)に連れられて、ティ ムの伯母マーリーン・クーパー(Marlene Cooper)のフラットへ昼食に行く。 マーリーンは心霊術の会を自宅で主催している(その会の霊媒がパトリック) 。 食事を終えたあと、当然発作がロナルドを襲いはじめるが、ロナルドはそれを 抑えるためにすぐ薬を飲み込み、大事には至らなかった。ティムはロナルドの 癲癇のことを知っているので、すぐにそれが発作だと気付く。しかしながらロ ナルドの癲癇のことを知らないマーリーンには、ロナルドの異変の本当の意味 を理解できず、その代わりに次のように解釈する。 I do believe, she said, that you are sensitive to the atmosphere of this flat.For a moment,just now,I thought you were going into a trance. I am psychic, you know. I m certain you would make an excellent medium,if properly trained. (358) ― 25 ― マーリーンがこのような発言をするのは、彼女のフラットでパトリックが霊媒 として霊と 信するトランス状態に入った時に、彼が癲癇の発作に似た状態に なるのを何度も見ているからである。実はパトリックがそのような状態になる のは、自然に生じるものではなく、実験目的でラットに癲癇の痙攣の症状を引 き起こすという新薬を密かに手に入れているからであり、そのことをマーリー ンは知る由もない。マーリーンがロナルドの癲癇に気付かなかったとしても、 それは仕方のないことであろう。同様にターナー夫人らが癲癇発作を起こして いる女の症状を誤解していたとしても、無理からぬことであるかもしれない。 しかしながら、マーリーンの場合とは異なり、ターナー夫人らが自 たちのこ とだけを え、ドリスのように積極的に部屋の中の女の救出に向かわないとい うことは、彼女の生命を進んで危険にさらすことにつながり、その意味ではタ ーナー夫人らの行動は不作為にあたる。 アリスも周囲の不作為によって生命が危険にさらされていることは、 直立 したスウィーニー の場合よりもはるかに明白である。パトリックの殺害計画 も知らずにマーリーンは、甥のティムを含め、心霊術の会のメンバーに対して 裁判でパトリックが無罪になるように協力すべきだと執拗に要求する。もっと も裁判がはじまる土壇場になって、偽証教唆で告発されるかもしれないという ティムからの忠告もあり、マーリーンは裁判での証言を取りやめ、呼び出され たことにしてスコットランドへと逃げて行くことにする。 I m verysorry,Patrick, shehad said,standing at thedoor ofher flat, her baggage packed and visible in the hall behind her, keeping him out. Very sorry indeed. But on consideration I simply must safeguard my reputation for the sake of the Circle. Nothing has changed,my feelings are the same,but on consideration I can t give evidence.And as it happens I ve been called awayurgently.You have Father Socket.I am no loss. (480) (心霊術の)会のためには、どうしても私の評判を落とすわけにはいかないん ― 26 ― ミュリエル・スパークの 独身者 と T. S. エリオット です というあたりは、売春宿の評判を気にするターナー夫人を思わせる。証 言の取りやめはあくまでも保身のためであり、たとえ自 は証言できなくても ソケット神 が証言(実は偽証)するので何の問題もないという態度を取り続 ける以上、マーリーンのアリスに対する不作為は続く。 裁判絡みではないところでも、アリスに対する不作為は生じている。パトリ ックに癲癇の痙攣を生じさせる薬を渡していたのがシリル・ライト医師(Dr Cyril Lyte)であり、弱みを握られているため、パトリックの頼みを断ること ができない。パトリックがアリスを連れて行こうとしているオーストリアの山 小屋にしても、このライト医師から借用するものである。ライト医師は、人里 離れた山小屋での二人だけの生活に備えてインシュリン注射や糖尿病に関する 注意事項をパトリック宛ての手紙に書くのだが、その途中でふとパトリックが アリスを殺害するのではないかとの疑いを抱きはじめる。手紙を書き終えたラ イト医師は あの娘に対するパトリックの意図に関して私が何らかの疑いを抱 いていれば、この手紙でそれがばれてしまうのは明らかだ( Clearly if he had any suspicions of Patrick s intentions towards the girl, this letter betrayed it. )(398)と える。パトリックを恐れるライト医師は、結局は、 パトリックを疑うに足る確固たる証拠はないと自 を納得させて手紙を燃やし てしまうのである。ライト医師は診療所を後にしたのち、行きつけのクラブで 親友に会うと、 裁判になれば、パトリック・シートンは詐欺で有罪になるか もしれないという楽しい えが浮かんできた( The cheerful thought occurred to him that Patrick Seton might even be convicted of fraud if it came to a trial. )(401)という始末であり、ライト医師もアリスに対する不作為 に加担しているのである。 5.ドリスとロナルド スウィーニーとパトリック、癲癇の女とアリスという対応に比べて、ドリス とロナルドの共通点は少なく、あくまでも救出者という役割を与えられている 点に限られている。 闘技士スウィーニー とは異なり、 直立したスウィーニ ― 27 ― ー ではドリスはきわめて限られた役割しか果たしていない。 直立したスウ ィーニー という詩の構成を見ても、ドリスの登場で締めくくられる形となっ ているが、全体的にはアンチクライマックスな展開になっていると言わざるを 得ない。それに対して、ロナルドは 独身者 の中心人物であり、しかもアリ ス救出劇が物語のクライマックスとなっているという点で、 直立したスウィ ーニー の枠組みを利用しながらも、まったく異なる展開をさせているところ にスパークの意図が感じられる。 エリオットは癲癇を哀れな犠牲者となる女に結びつけただけであるが、スパ ークはこの癲癇を用いてロナルドに特別な役割を与え、他の登場人物、とりわ けパトリック、とは異なる人物に仕上げている。このロナルドこそが、 荒地 の雷の教えを体現している唯一の存在なのである。ロナルドは癲癇という病気 と向き合うことから、 自制せよ という教えを体現することになる。マシュ ー・フィンチは、人々は 叙階か婚姻 のいずれかを選択しなければならない と言っていたが、ロナルドは23歳の時、聖職者を志してから三か月後に、は じめて癲癇の発作に襲われるのだが、老司祭の次のような言葉で聖職者への道 は絶たれてしまう。 A vocation to the priesthood is the will of God. Nothing can change God s will.You are an epileptic.No epileptic can be a priest. Ergo you never had a vocation.But you can do something else. I could never be first-rate. That is sheer vanity ― it was an old priest speaking ― you were never meant to be a first-rate careerist. Only a first-rate epileptic? Indeed,yes.Quite seriously,yes, the old priest said. (325) その後、カリフォルニアの研究所で新薬の臨床試験に参加するが、抗痙攣や鎮 静効果はロナルドには見られない。新薬の効果が見られないのはロナルドが感 情的に抵抗しているためだと指摘するフライシャー博士(Dr Fleischer)に向 ― 28 ― ミュリエル・スパークの 独身者 と T. S. エリオット かって、ロナルドは 多 、僕は一流の癲癇患者になります。それが僕の職業 です ( Perhaps[...]I ll be a first-rate epileptic and that will be my (327)と言う。ここではただ 職業( career ) という言葉を career. ) っているだけで、司祭の言葉通りに 一流の癲癇患者 なることに対して、カ トリック教徒であるロナルドが 神のお召し、天職( vocation ) を意識し ているかどうかについては直接語られることはない(そのように書かないとこ ろが、自らもカトリック教徒であるスパークらしいところでもある) 。ロナル ドはスパークが他の小説にもよく登場させている、旧約聖書のヨブ的な人物で あり、自ら進んで癲癇という苦難を受け入れていこうとすることでロナルドは 神の意志に従おうとしていると見なすことができる(Edgecombe 10-11) 。こ のようなロナルドの姿に、雷神の 自制せよ という教えが体現されているこ とを見て取ることができよう。また、ロナルドは癲癇の発作自体を肉体的にコ ントロールすることはできないにしても、 けいれんの最中にも意識を保つ秘 密の方法( his secret method of retaining some self-awareness during his convulsions )(329)を知っており、その意味でも自己を制御することがで きている(この秘密の方法は 天賦の才能( gift )(329)と呼ばれる) 。 与えよ という教えに関して言えば、ロナルドが物質的に何かを誰かに与 えたということはない。しかしながら、ロナルドはアリスの友人エルシー・フ ォレスト(Elsie Forrest)に対して無償の愛について説く。ロナルドが警察 から預かり保管していたパトリックによる偽造の手紙が、エルシーによって盗 まれるという事件が起こる。ロナルドはエルシーに手紙の返却を求めるが、エ ルシーはその見返りを要求する。ロナルドはあくまでも 好意で返してくださ い( Give it to me for love. )(461)と繰り返し、 与えるべき最上の愛と は自らを犠牲にするものなのです( The best type of love to give is sacrificial. )(461)と言う。 手紙を取り戻す目的だけのために、無償の愛のことをロナルドが軽々しく口 にしているわけではないことは、エルシーとの会話から読み取れる。エルシー は 今晩泊っていって。朝には手紙を渡すわ( Stay the night[...]and I ll give you the letter in the morning. )(458)と言うが、それをロナルドは拒 ― 29 ― 否する。また 手紙を渡せば、またここに来てあたしと話をしてくれる ( IfI give you the letter willyou promiseto comeand talk to meagain? ) (460)という要求でさえロナルドは拒否してしまうのだ。結果的にはエルシ ーは何の見返りもなしにロナルドに手紙を渡してしまうのだが、それはロナル ドがエルシーから搾取しようとするのではなく、エルシーに対する共感を示す ことできたが故のことであろう。エルシーはそれまでの男との関係について、 次のようにロナルドに語る。 They[the men Elsie knows]don t want intelligence.Theydon t come if there s no sex. I m a sexy type, I get excited about it. And that s what they like.But it only leaves me lonely. Don t you enjoy it at the time? No. But I can t do without it, and these men know it. They fumble about with their french letters or theytear open their horrible little packets of contraceptives like kids with sweets,or they expect me to have a rubber stop-gap all ready fitted.All the time I want to be in love with the man and conceive his child,but I keep thinking of the birthcontrol and something inside me turns in its grave.You can t enjoy sex in that frame of mind. I know the feeling, Ronald said, it s like contemplating suicide. (459) エルシー自身も男との肉体関係を求めているが、男たちがエルシーに求めるも のは単にセックスのみで、それ以上でもそれ以下でもないというところにエル シーとの大きな感情的なずれがある。エルシーの男との関係は、まさに自 で 自 の首を める行為であろう。 運転席 の主人 リーザ(Lise)は、セッ クスに関して その最中もその前も大 夫よ。でも問題はその後よ。動物でな い限りね。たいてい、その後がとても悲しいのよ( It s all right at the time and it s all right before[...],but the problem is afterwards.[...]M ost of ― 30 ― ミュリエル・スパークの 独身者 と T. S. エリオット the time,afterwards is prettysad. )(488)と言うが、リーザとエルシーに は通じるところが見られる。ちなみにリーザは、行きずりの男に自 で購入し たペーパーナイフを渡して自 を刺し殺すようにしむけ、そして実際殺される。 テクストには書かれていないが、リーズはバカンス旅行の間中、このような形 で自殺を遂げることを えていたようにも思われる。エルシーにとってロナル ドは彼が自ら言っているように 他人( stranger )(458)でしかなく、エ ルシーの望むものを与えることは決してできないとわかっているからこそ、ロ ナルドはあえて無償で手紙を返してもらうことにこだわっているのであろう。 このエルシーへの共感こそが彼女の心を動かしたはずであり、この点でロナル ドに雷神の 同情せよ という教えの体現を見ることができよう。 ロナルドがパトリックをはじめとする 独身者 の登場人物とは異なる性格 付けがなされていることは確認できたわけだが、ではロナルドにはドリス以上 のどのような役割が与えられているのであろうか。 直立したスウィーニー の最終連でドリスがディオニューソス神のごとく癲癇の女の救出にやって来る わけであるが、その先はわからない。このような展開は 荒地 についても指 摘することができる。雷鳴が 与えよ、同情せよ、自制せよ という三つの教 えに聞こえ、救いの道が示されたわけであるが、それはあくまでも啓示された にすぎない。エリオットの詩とは異なり、 独身者 ではパトリックの有罪判 決とともにアリスの救出劇は見事に成就する。ただここで問題にしておかなけ ればいけないのは、アリス救出劇がロナルド一人の力によって成し遂げられた かどうかということである。 エルシーから手紙を取り戻したロナルドは、フリーダが書いた手紙とされて いるものは、筆跡鑑定の結果、偽造されたものだと結論できると法 で証言す る。その一方でパトリックの弁護側は、ロナルドの同僚である老筆跡鑑定家フ ェアリー(Fairley)を証人として召喚する。 You are saying, said the barrister, that the letter which the Crown alleges to be a forged document, need not necessarily be so merely on the evidence afforded by the microscope? ― 31 ― Yes, said Fairley. (496) フェアリーはその名前が示すように(fairly) 、ロナルドの判断が間違ってい るとは言わないが、必ずしも絶対的なものではないとの 平な証言をする。ロ ナルドの証言を全否定ではなく部 否定することによって、ロナルドの鑑定結 果の妥当性は、筆跡鑑定という方法論そのものの議論へと委ねられてしまうこ とになり、それは裁判官や陪審員による判断の領域を超えてしまうことになる。 この後、ソケット神 がパトリックにとって有利となる証言をするが、これに 対し、証人として予定されていなかったエルシーが突然ソケット神 の証言が 嘘であると言い出す。しかしながら、ソケット神 に対して悪意を抱いている ことをエルシーが正直に認めてしまったために、いずれの証言が正しいのかが 決め難い状況となったまま、判決が下されることになる。すでに述べたように 判決は有罪であったが、ではなぜ有罪判決が下されたのか、何が決め手となっ たのかは一切語られない。陪審員の間でどのような議論が展開されていたのか がわかれば は簡単に解けるのだが、そのような書き方をしないのがスパーク の特徴である。読者には見えないブラックボックスを一箇所作って、その部 をどのように判断するかは読者に委ねてしまうのだ。ある読者は、詳しくはわ からないがあくまでも陪審員が決めたことにすぎないという現実的な解釈をす るかもしれないし、別の読者はそこに何らかの神秘性を感じるかもしれない。 このように解釈の幅を持たせるのがスパークの手法であるが、エリオットの詩 のコンテクストとの関わりにおいて解釈すれば、次のように結論できるであろ う。スパークは 直立したスウィーニー の枠組みを援用しながら、救済者で あるロナルドを雷鳴の 与えよ、同情せよ、自制せよ という教えにかなう人 物として設定し、さらにドリス以上の役割を与えている。その役割とは、 荒 地 では啓示されるにすぎない救済を、パトリックの有罪判決という形でもた らすことである。もっともその救済がロナルド一人の力でもたらされたかどう かは定かではない。神の摂理(Providence)を信奉するスパークにすれば(9)、 救済は人間の力だけでもたらされるのではない、そこには何らかの神の意志が はたらいていると言いたいのであろう。その意味ではエリオットの 荒地 に ― 32 ― ミュリエル・スパークの 独身者 と T. S. エリオット 救いがもたらされないのは、スパーク的にはごく当然のことであろう。スパー クは 直立したスウィーニー の枠組みを用いて、エリオットの 荒地 とは 異なるスパークの荒れ地を描いてみせているのだ。 注 ⑴ それぞれ The Dramatic Works ofT.S.Eliot (スコットランド国立図書館 、 The Poet in Mr.Eliot s Ideal State 、 EdinMuriel Spark Archive所蔵) burgh Festival Diary:The Wisdom of T.S.Eliot である。 ⑵ 拙論 T. S. エリオットとミュリエル・スパーク 女を殺す理由と女が殺さ れる理由 参照。 ⑶ エリオットの詩および詩劇の引用はすべて The Complete Poems and Plays からのものである。詩の場合、括弧内は行数を示し、詩劇の場合は頁数を示す。 ⑷ 詳しくは拙論 たスウィーニー Nausicaa and Polypheme 参照。 T.S.エリオットの 直立し ⑸ スウィーニーは ナイチンゲールに囲まれたスウィーニー ( Sweeney Among theNightingales )にも登場するが、nightingales とは prostitutes の 俗語でもある(Southam 121) 。またスウィーニーは 荒地 第三部 火の説 教 ( The Fire Sermon )ではポーター夫人(Mrs. Porter)のところへ赴く が、実在のポーター夫人とはカイロの売春宿の経営者である(Southam 168) 。 ⑹ 拙論 ⑺ Nausicaa and Polypheme 参照。 独身者 の中では、ソケット神 (Father Socket)は弟子のガーランド博 士(Dr Garland)に向かって 決して女に触れるな。なぜなら、女は御国に入 れないからだ。女と関係を持てば、お前の徳が消えてしまうのだ( Never touch a woman[...]for a woman cannot enter the Kingdom.Have dealings with a woman and the virtue departs from you. )(448)と諭している。 ⑻ この女には名前すら与えられていない。なお 闘技士スウィーニー ではドリ スとともに登場する女性がダスティ(Dusty)であり、この癲癇の発作を起こし ている女はダスティかもしれない。しかし 闘技士スウィーニー にはターナー 夫人は登場せず、ポーター夫人が登場する。 ⑼ M y Conversion (63) および Frank Kermodeとのインタビューを参照。 引用文献 Cheyette,Bryan. Muriel Spark.Tavistock,Devon:Northcote,2000. Edgecombe,Rodney Stenning.Vocation and Identity in the Fiction of Muriel Spark.Columbia,M O:University of Missouri Press,1990. ― 33 ― Kemp,Peter. Muriel Spark.London:Elek,1974. Kermode, Frank. The House of Fiction: Interviews with Seven English Novelists. Partisan Review 30 (Spring 1963):61-82. Eliot,T.S.The Complete Poems and Plays.London:Faber,1969. Page,Norman. Muriel Spark.London:Macmillan,1990. Spark,M uriel.The Bachelors.1960. Muriel Spark Omnibus 2.London:Constable,1994.319 -506. -----. The Dramatic Works of T.S.Eliot. Women s Review 5 (1949):2-4. -----.The Driver s Seat.1970. Muriel Spark Omnibus 1. London:Constable, 1993.423-490. -----. Edinburgh Festival Diary:The Wisdom ofT.S.Eliot. The Church of England Newspaper (11 September 1953):5. -----. M y Conversion. Twentieth Century 170 (Autumn 1961):58-63. -----. The Poet in Mr Eliot s Ideal State. Outposts 14 (1949):26-28. -----.The Prime of Miss Jean Brodie.1961. Muriel Spark Omnibus 1.London: Constable,1993.9 -111. -----.Reality and Dreams.1996.London:Penguin,1997. Southam,B.C.A Student s Guide to the Selected Poems of T. S. Eliot.6th ed. London:Faber,1994. 本真治 Nausicaa and Polypheme T.S.エリオットの 直立したスウィ ーニー 文学と評論 第2集第 11号 文学と評論社 1994年 11-22 頁 -----. T.S. エリオットとミュリエル・スパーク る理由 ポッサムに贈る 13のトリビュート 女を殺す理由と女が殺され T.S. エリオット論集 田栄一他編 英潮社 2004年 296-322頁 ※本稿は平成 24年度佛教大学教育職員研修(海外)の成果の一部である。 ― 34 ― 池
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