『印度學 佛教學研 究』第54号 原稿 (96) 大 谷 大 学 所 蔵 貝 葉 写 本:Aditajatakaに ビ ル マ(Zimme)版 お よ び 北 タ イ(Lanna)版 村 パ ー リ聖 典 に属 さ な い Feerで 西 弘 行 称 す る)と あ る.彼 は,1875年 に 論 文"Les が 存 在 す る と伝 え た.そ オ ス,ビ ル マ,カ お い て,こ ンボ ジ ア の 三 つ の版 の写 本 ら ビ ル マ 版 校 訂 本"Pannasa-jataka or Zimme Pannasa" を 公 刊 し,PJは チ ェ ン マ イ 大 学 は,北 ラ ー ン ナ ー 文 字PJ貝 葉 写 本56話 題 し 出 版 し た. 谷 大 学 図 書 館 が 所 蔵 す る ク メ ー ル 文 字 貝 葉 写 本 の 中 にPJ27話 れ て い る こ とが 判 明 し,1998年 始 さ れ た.ま た す で に1980年 にPJに が 所 蔵 す る 貝 葉 写 本 か らPJ25話 関 す る 日本 で の 最 初 の 論 稿 を 発 表 し た 東 方 のromanizationが )"が 発 表 さ れ た 本 は,現 本 稿 は,大 タ イ 王 室 版PJ写 谷 大 学 所 蔵PJ写 一 話 で あ る ビ ル マ 版(Zimme ern Thai Version)の が含 ま 大 谷 大 学 吉元 信 行 教 授 を中 心 に本 格 的 な研 究 が 開 学 院 田 辺 和 子 博 士 と の 共 同 研 究 も成 立 し研 究 は 進 捗 し た.2004年3月 す るPJ写 広 く タ イ に 流 布 す るNis- を 中 央 タ イ 文 字 に 変 換 し て"A Critical Study of Northern Thai Version of Panyasa Jataka"と ,大 れ ら は イ ン ドシ の 後 し ぼ ら く研 究 は 中 断 す る が3),1981年P.S.Jainiが 世 に 知 ら れ る こ と と な っ た.1998年 saya 形 式4)の 国立図 が あ り,そ れ はPannasajataka(以 sur la litteraturelaotienne2)"に ナ 半 島 で は ポ ピ ュ ラ ー な も の で,ラ 一方 Jatakasl)"で,仏 呼 ぼ れ る 外 典 の ジ ャ ー タ カ 集 成 で あ る と 述 べ た.1917年, Louis Finot は"Recherches PTSか 呼 ぼれ 南 ア ジ ア に存 在 す る こ とを初 め て 指 摘 した の は フ ラ 書 館 に シ ャ ム 将 来 の カ ン ボ ジ ア 文 字 貝 葉 写 本2種 下,PJと との 比 較 「 パ ン ニ ャ ー サ ・ジ ャ ー タ カ 」(Pannasajataka)と る 別 種 の ジ ャ ー タ カ 集 が,東 ン ス の 学 者Leon つ い て 本(タ .な に大 谷 大 学 完 成 し"Pannasajataka お,研 kept in the Otani Universit 究 の途 上 で大 谷 大 学 が所 蔵 本6)と 内 容 が 一 致 す る こ と が 確 認 さ れ た. イ 版)か Pannasa)の ら第13話:Aditajatakaを 第1話:Adittarajajatakaと 第43話:Adittarajajatakaと を 互 い に 比 較 し,こ 取 上 げ,同 北 タ イ 版(Northれ ら三 つ の版 の 特 色 を 解 明 し よ う とす る も の で あ る. 物 語 の あ ら す じ は,あ 食 物 を 乞 う夢 を 見 る.王 る 明 け 方,Adita王 は 夢 か ら 覚 め て,乞 457 は一 人 の 老 い た 婆 羅 門 が や って 来 て 求 者 が 来 て 外 面 的(bahira ;食 物 な ど) 大 谷 大 学 所 蔵 貝 葉 写 本:Aditajatakaに な 布 施 を 乞 う で あ ろ う が,内 と考 え る.王 面 的(ajjhattika ;眼,手 は,妃 る こ と を 望 ん で 妃 を 婆 羅 門 に 布 施 す る.そ の 王 法(dasarajadhamma)に (97) 布 施 を乞 うが よ い 作 品 で あ る.以 下 に,例 谷 所 蔵 本(タ 釈 なたの妃 を よ り も 百 倍 も百 千 倍 も 一 切 智 を 得 こ で 帝 釈 は 王 を ほ め た た え,妃 励 む よ う勧 め て,天 れ はVessantarajataka[No.547]の き 出 し,大 足 な ど)な ら を 婆 羅 門 に 化 作 し都 に 入 り,「 大 王 よ .そ わ た し の 妻 に い た だ き た い 」 と乞 う.王 あ る.こ 西〉 が こ の よ う に 考 え た と き大 地 は 震 動 し帝 釈 の 座 所 が 熱 く な る .帝 は そ の 原 因 を 知 っ て,自 て,十 つ い て(村 を返 し の 住 処 に戻 る と い う も の で 王 妃 マ ッデ ィ ー を 布 施 す る場 面 を 模 した 文 と し て 王 が 夢 か ら覚 め て 内 面 的 な 布 施 を 思 う 場 面 を 抜 イ 版),北 santarajatakaの 該 当 部 分 を 比 較 し,各 タ イ 版,ビ ル マ 版,そ し て 借 用 さ れ たVes- 版 の 特 色 を 見 比 べ る こ と に す る. [北 タ イ 版] so raja pabujjhitva vicaretva supinam cintetva yacako agantva pato va ajja yacissati bahiradanam yacako yaceyya ajjhattikadanam yo yacako yaceyya sisam marn aham chinditva sisam dadeyyam tassa yo yacako sace yaceyya hadayam aham chinditva uram niharitva gahetva hadayam paggharanta lohitabindu dadeyyam tassa 彼 の 王 は 眼 を覚 ま し夢 を 思 って 考 え た.乞 求 者 が今 日 の朝 ま さ に来 て 外 面 的 な布 施 を 乞 うで あ ろ う.乞 求 者 は 内面 的 な 布 施 を乞 う が よい.そ 私 は 頭 を切 っ て彼 に与 え よ う.も の 乞 求 者 が 私 の 頭 を乞 う な らぼ, しそ の 乞 求 者 が 心 臓 を乞 うな ら ぼ,私 は胸 を切 っ て 心 臓 を取 り出 し掴 み上 げ て,血 の滴 が流 れ る ま ま に彼 に与 え よ う. [大 谷 所 蔵 本(タ イ 版)] raja pabujjhitva supinam vicaretva aj (j) apato yacako agamissati ti natva danam datukamo cintesi sace koci mam yacako hadayam yaceyya mama uram bhinditva hadayam ni (i) haritva tassa dadeyyam sace me si(i) sam yaceyya si (i) sam bhinditva tassa dadeyyam 王 は夢 か ら覚 め て,夢 の こ と を よ く考 えて,今 朝 早 く乞 求 者 が 来 る だ ろ う と知 っ て,布 施 を し よ う と考 えた.も し誰 か 乞 求 者 が 私 に心 臓 を 乞 い求 め るな らぼ,私 の 胸 を裂 い て 心 臓 を取 り出 し,彼 に与 え よ う.も し誰 か 乞 求 者 が 私 の頭 を乞 い求 め る な ら ぼ,頭 を切 っ て 私 は彼 に与 え よ う. 「ビル マ 版 ]amaccehi saddhim amantetva attana ditthasupinam vicaretva Adittaraja samam cintesi. ajj' eva pato koci yacako mama santikam agantva mam bahirakam eva danam yacissati. sace koci mam ajjhattikadanam yaceyya tassaham tam dadeyyam. sace mam koci sisam yaceyya, tassaham me sisam chinditva danam dassami. sace mam koci hadayam yaceyya, tassaham mama uram bhinditva hadayam niharitva danam dassami. 大 臣 た ち と共 に相 談 して,自 ら見 た夢 を 考 察 し,ア ー デ ィ ッタ 王 は 自分 で 考 え た.今 日 早 朝 に,誰 か 乞 求者 が 私 の側 に きて ま さに 外 面 的 な も の を私 に 乞 い 求 め るで あ ろ う.も 456 (98) 大 谷 大 学 所 蔵 貝 葉 写 本:Aditajatakaに つ い て(村 し誰 か 私 に 内 面 的 な布 施 を 乞 い求 め るな らぼ,私 西) は彼 に そ れ を与 え よ う.も 頭 を 乞 い求 め るな ら ぼ,私 は 彼 に私 の 頭 を切 っ て 布 施 を与 え よ う.も し誰 か 私 に し誰 か 私 に 心 臓 を 乞 い 求 め る な らぼ,私 は彼 に私 の胸 を裂 い て心 臓 を取 り出 して布 施 を しよ う. [Vessantarajataka] atthavassikakale pana sayanapitthe nissino cintesi: aham bahiradanam eva demi tam mam na paritoseti, ajjhattikadanam datukamo'mhi, sace mam koci hadayam yaceyya uram bhinditva hadayam niharitva dadeyyam 八 歳 の と き,ソ フ ァー に す わ っ て か れ は 考 え た1ぼ れ で は 満 足 で き な い.よ くは,も の ぼ か り与 え て き た が,そ し,こ の か らだ を さ しだ そ う.も し心 臓 が ほ しい とい う人 が い た ら,胸 を切 っ て心 臓 を取 りだ し与 え よ う.(辛 島静 志 訳 『ジ ャ ー タ カ全 集10』 春 秋 社) こ の 四 つ の 版 を 比 較 し特 徴 を 手 短 に 述 べ る と次 の 通 り と な る.北 タ イ 版 は,パ リ語 の 語 順 がS+V+Oと た,外 施(bahiradanam)で santarajatakaの タ イ 語 の 語 順 に 近 い こ と が 目 に 付 く.ま は な く 内 面 的 な 布 施(ajjhattilcadanam)を 文 章 が 下 敷 き とな っ て い る.大 最 も 重 要 な 外 面 的,内 損 と 思 わ れ る.心 で い て,他 ま た,頭 谷 所 蔵 本(タ 面 的 の 考 え が 言 及 さ れ て い な い.こ 臓 の 布 施 で は,表 はVessantaraに イ 版)は,こ 言 葉 を引 き継 い よ っ て い る が パ ー リ 語 の 語 順 は 混 乱 して 読 み に く い. ル マ 版 は,冒 し か し,tassahamは,北 以 上 を 踏 ま え,こ dassamiと 臓 の布 施 で や わ ら か い 響 き に 変 え る な ど の 工 夫 が 伺 え る. タ イ 版 の 言 葉 を 引 き 継 い で い る. こ で は 一 つ の 例 示 を 行 っ た に 過 ぎ な い が,筆 読 み 解 き も加 え て,三 頭 に 面 的 な 布 施 と い う 表 現 も,bahirakam い っ た 原 文 に と ら わ れ な い 自 由 な 表 現 を 用 い て い る.心 を danam の物語で れ は伝 承 上 の 重大 な 欠 と心 臓 の 布 施 が 他 版 に 比 し逆 の 順 番 と な っ て い る.ビ は,dadeyyam 面 的な布 し た い と い うVes- 現 が 北 タ イ 版 か ら はyacakoの 「 大 臣 と相 談 し て 」 と い っ た 付 加 が あ り,内 eva danamと ー 者 の他 の 物 語 の つ の 版 の 伝 承 に つ き 次 の よ う な 仮 説 を 提 示 し て お き た い. ① 北 タ イ 版 に 用 い ら れ て い る 語 句 が 大 谷 所 蔵 本(タ れ て い る と 思 わ れ る 場 面 が 多 くあ り,北 イ 版)や ビル マ版 に 引 き継 が タ イ 版 が そ の 写 本 の 由 来7)も 含 みPJが 編 纂 さ れ た 初 期 の 作 品 に 近 い 姿 を 保 っ て い る と考 え る. ② ビ ル マ 版 は,北 る.早 タ イ 版 と比 べ る と,変 い 時 期 に 伝 承 が あ り,そ ③ 大 谷 所 蔵 本(タ れ る.ア イ 版)は,他 容 が 大 き く 内 容 が よ り説 明 的 と な っ て い の 後 孤 立 し 独 自 の 磨 き が 掛 か っ た か に 見 え る. の 版 と 見 比 べ る と き,内 容 の脱落や矛盾 が散見 さ ユ タ ヤ 朝 が ビ ル マ 軍 に よ り徹 底 し た 破 壊 を 受 け 滅 亡 した(1756年)あ 現 バ ン コ ッ ク 王 朝 は 取 り急 ぎ 仏 典 や 文 芸 の 復 興 を 行 っ た 史 実 が 存 在 す る.そ 乱 が,伝 承 に 欠 損 を 残 した の で は な い か と疑 わ れ る. 455 と, の混 大 谷 大 学 所 蔵 貝 葉 写 本:Aditajatakaに つ い て(村 (99) 西) こ こにPJと 呼 ぼ れ る聖 典 に属 さ な い独 自の ジ ャ ー タ カ は,お よ そ14世 紀 か ら 16世 紀 の300年 間 に北 タ イ で 作 られ た も の と言 わ れ て い る8).こ の 時期 は,チ ェ ン マ イ を 中 心 に ラ ーン ナ ー 王 国 が 栄 え,西 は ビル マ北 部(シ ャン)か ら,東 は ラ オ ス北 部(ル ァ ンプラバ ン)に 至 る一 大 地 域 が 同一 文化 圏 を構 成 し上 座 仏 教 が 篤 く 尊 崇 され た の で あ っ た.当 時,物 語 を語 る こ とは ジ ャー タ カ を 語 る こ とで あ り, vernacularの 説 話9)を 通 算 す れ ぼ500前 後 の民 話 的 ジ ャー タカ を数 え上 げ る こ とが で き る.か く して か の地 に ジ ャ ー タ カ の一 大 創 作 運 動 が花 開 い た の で あ る. 東 南 ア ジ ア に流 布 す るPJの 物 語 は,聖 典 ジ ャ ー タカ と同 じ よ うに 物 語 の ど こ .か で布 施 の 功 徳 を説 い て 止 まな い .戒 律 の厳 しい 上 座 仏 教 は,在 家 の布 施 な し に , は僧 伽 は 存 続 し得 な い.日 々 の 村 々 の 集 い で僧 が語 っ た で あ ろ うジ ャ ー タ カ に耳 を傾 け る善 男 女 の姿 が 見 え て くる.在 家 は来 世 の た め に徳 を積 み,僧 は布 施 を 受 け る に相 応 しい 戒 律 の人 で な けれ ぼ な らな い.僧 と俗 の 間 に存 す る この 緊 張 関 係 が この地 に独 自の ジ ャ ー タ カ を生 み 出 し,人 々 の布 施 す る心 を育 ん だ の で あ ろ う. (本稿 は平成17年 度科学研究費補助金基盤研究C〈 研 究代 表者 茨田通俊 〉に よる研 究成果 の一部で ある) 1) 2) L. Feer: "Les Jataka" Journal Asiatique, Mai-Juin 1857.p. 417-422. L. Finot: "Recherches sur la litterature Iaotienne" Bulletin de l 'Ecole Francaise d 'ExtremeOrient, XLVIII, 5, p. 44-49. 3)単 発 的 に1956年GinetteTerral,"Samuddaghosajataka"BEFEO,XLVII,1,PP249-351.と 1978年DrothyHelenFickel,"AnHistoricalandStructuralStudyofThePannasaJataka",A DissertationfortheDegreeofPh.D.,TheUniv.ofPennsylvaniaの 4)逐 語 釈 の 形 式 で,パ 5)"Pannasajataka kept in the Otani Universit Library"大 6)田 辺 和 子 ・清 水 洋 平 論 究 が あ る. ー リ語 句 を 一 つ あ げ て 直 後 に 現 地 語 で そ の 言 葉 を 釈 す 書 法. 谷 大 学 真 宗 総 合 研 究 所 刊2004. 「 パ ン ニ ャ ー サ ジ ャ ー タ カ 貝 葉 写 本 タ イ 王 室 コ レ ク シ ョ ン報 告 」 『パ ー リ 学 仏 教 文 化 学 』 第17号2003. 7)底 本 は,タ イ ・フ.レ ー 県 ワ ッ ト ・ス ン メ ン が 所 蔵 す る ラ ン ナ ー 文 字 貝 葉 写 本.1835 年 に ラ オ ス ・ル ア ン パ バ ー ン に あ る ワ ッ ト ・ウ ィ チ ュ ン の 原 本 か ら 書 写 さ れ た. 8)"Panyat chadok 9)Anatole-Roger 〈キ ー ワ ー ド〉 chabap hong samut haeng chat"1925∼39,ダ Peltier:"Tai Khoeun Literaure"1987,Editions 東 南 ア ジ ア,pannasajataka, ム ロ ン王 子 の 序 文 参 照 Duang Kamol, Bangkok. vessantarajataka (大 谷 大 学 大 学 院) 454 (168) Abstracts try to establish the relationship between the MMT and the Devimahatmya (abbr.DM),a basic Hindu text of worship of the Goddess, through the analysis of the word "brahmanda" in the MMT (chap.1, verse 4) and in the DM and of some adjectives used to describe the deity, Mahamaya (MMTchap. 1, verse 4-6). According to my hypothesis, the MMT was composed between the eighth and eleventh centuries. 80. On the Aditajataka from Palm Leaf Manuscripts kept in Otani University: A comparative study with the Burmese (Zimme) and Northern Thai (Lanna) recensions Hiroyuki MURANISHI There exist at least three recensions (Burmese,Laotian& Cambodian)of the Pannasajataka, which is a collection of 50 non-canonical jatakas unique to South East Asia. The Burmese recension was published first in 1981by P. S. Jaini in the PTS series (No.172)as "Pannasa-Jataka or ZimmePannasa". In 1998, Chiang Mai University edited and published "A Critical Study of Northern Thai Version of Panyasa Jataka". Otani University has long held many palm-leaf manuscripts in Khmer script, in which we found 27 stories originated from Pannasajataka. Here, I make a comparative study of the Otani version of the Aditajatakawith the equivalent story in the Burmese recension: Adittarajajataka(No.1)and the Northern Thai version: Adittarajajataka (No.43).The Aditajataka is a story of gift-giving (dana).The king Adita gives his beloved queen to a Brahman hoping that he will be a buddha in future. The author seems to have composed this story based on the famous Vessantarajataka (No.547).Comparing these four texts, I conclude that the Northern Thai version seems to show the oldest style and image of the Pannasajataka. 81. The Relationship between vastu and nimitta in the Yogacarabhumi Taiki MOTOMURA 1280
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