代名詞itとthatの選択 ―漫画『スヌーピー』

代名詞 it と that の選択
ー漫画『スヌーピー』を用いた考察ー
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宮
﨑
麻
衣
1. はじめに
英語の指示代名詞 it と that は、その名の通りさまざまなものを「指示」する。it は話し手から見てす
でに話題に現れたものを指示し、that は話し手から離れたものを指示すると一般的に言われている。it
と that は(1)のようにすでに文脈に現れたものを指示するように思われるが、必ずしもそうではない。
(2)のように、後方にあるものを指示することもあれば、(3)のように文脈に現れず、その場にあるもの
を指示することもある。
(1)
A: Mr. Harrison, congratulations! You got promoted!
B: Oh, really? I’m very pleased to hear it/that.
(2)
That is the Statue of Liberty over there.
(3)
How’s that throat?
(1)や(2)のように、it と that が文や談話内にある事柄を指示する用法は、文脈指示用法と呼ばれ、(3)のよ
うに、その場にないものを指示する用法は現場指示用法と呼ばれる。佐藤(1993)によると、目の前にあ
るものに対して、話し手から見た際に心理的に遠ざけたいものであれば、that を用いることができると
いう。
本稿では、英語の代名詞 it と that の選択について、その指示対象との心理的距離が優先される場合に
どのような特徴があるかを明らかにし、漫画 A PEANUTS BOOK featuring SNOOPY 1 以下『スヌーピー』
を題材とした考察を行う。
2. it と that の指示対象
it と that の選択について考察した高橋(2002)らの先行研究を概観し、it と that は既知性の高低、共通
の認識の有無、文脈における照応範囲、記憶の長短の観点に基づいて、選択されることを見た。表 1 は
それをまとめたものである。
it
that
既知性の高低
高
低
共通の認識の有無
有
無
文脈における照応範囲
直前、前文を飛び超えた内容
直前の内容
記憶の長短
短期
即時
表 1:さまざまな観点による it と that の特徴
表 1 より、it は that と比べて、直前の内容であろうとそれよりも以前に取り上げた内容を指示し得ると
いう点から、既知性が高いと分かる。さらに、it は発話内で指示物が話し手と聞き手の共通の認識とし
て確立していれば、すでに話題として取り上げられていない事柄であっても用いることができる。した
がって、it は会話に先立って所有する知識を指すことが可能となる。それに対して、発話内で指示物が
共通の認識として確立していない場合、that を用いることができない。that は直前の内容しか指し示す
ことができないからである。表 1 の記憶の長短の観点から、it が短期であるのに対し that は即時である。
したがって、that が発話してから間もない事柄や会話に先立って所有する知識を指示することはできな
い。話し手の近くを指す that について考察した佐藤(1993)によると、that において、心理的に遠ざけた
い事柄を指す際、その that は嫌悪感を表し、過去の記憶に照応し話し手と聞き手の共有の領域である事
柄を指す際、その that は親近感を表しているという。(4)は嫌悪感を表し、(5)は親近感を表す例である。
(4)
Here is that awful Jones and those children of his.
(5)
That left front tire is pretty worn.
3. 『スヌーピー』を用いた考察
本稿では、漫画『スヌーピー』を題材とした考察を行った。さまざまな it と that の用例について、
それぞれが文脈指示あるいは現場指示なのかを分類し、it と that の指示対象には、どのような特徴が見
られるのかを考察した。
『スヌーピー』における it の生起数は、37 であった。文脈指示として用いられた it は 27 例であり、
そのうち、直前の内容を照応するものが、17 例で最も多く、続いて、共通の認識として確立したものが
4 例、会話に先立ち所有する知識を指すものが 5 例、前文を飛び越えて内容を照応するものが 1 例であ
った。一方で、現場指示として用いられた it の生起数は 10 例であり、直前の内容を照応するものが 6
例で最も多く、次に共通の認識として確立したものが 4 例であった。
『スヌーピー』における that の生起数は、25 であった。文脈指示として用いられた that は 3 例あり、
すべての場面において直前の内容を照応していた。一方、現場指示として用いられた that は、22 例あり、
心理的な距離が置かれずに共通の認識として確立している that は 2 例であった。一方、心理的な距離が
置かれる that は 20 例あり、嫌悪や忌避を表す that と親近感を表す that がともに 8 例で、続いて完了し
た行為や状況を表す that が 4 例あった。
文脈指示用法では it が多く観察され、現場指示用法では that が多く観察された。話し手から近くに
ある事柄を that で指す際、嫌悪感・親近感以外に好意や関心を表す that も見られた。現場指示において
話し手の近くにあるものを指す it は見られたが、心理的な距離は置かず、話し手の内容を指すものが大
半であった。文脈指示において、会話に先立ち所有する知識を指す it は見られたが、指示物に対して後
悔する気持ちを表すものが観察された。この it の用例は、文脈内において話し手がしてしまった行為を
心理的に遠ざけたい場面であった。一方、that は話し手の近くにある事柄を心理的に遠ざけたいもので
あると捉える際、嫌悪感や親近感、好意を表すと確認できた。この that の用例は、現場内において、話
し手の近くにあるものに対し心理的に遠ざけたい場面であった。
4. まとめ
本稿では、it と that に関する先行研究を概観し『スヌーピー』を題材とした考察を行った結果、以下
のことが明らかとなった。話し手が指示する内容に対して、嫌悪感や親近感、好意などの感情が込めら
れている場合 that が用いられ、心理的距離が優先されると分かった。一方、文脈内において心理的に遠
ざけたいものを指示する場合 it が用いられ、心理的距離が優先されると分かった。
【参考文献】
安藤貞雄(1986)「日英語のダイクシス(上)
」,
『英語教育』2,70-75
柏野健二(2010)『英語語法レファレンス』,三省堂.
佐藤恭子(1993)「話し手の近くにあるものをさす指示詞 that について」,『プール学院短期大学研究紀要』33,89-102.
高橋英光(2002)「it と that について」,
『北海道大学文学研究科紀要』108,101-121.
Lakoff, Robin (1974) “Remarks on This and That,” CLS 10, 345-356.