1 第 7 章の補足資料 市場の失敗とは 経済学で言う「市場の失敗」は

第 7 章の補足資料
市場の失敗とは
経済学で言う「市場の失敗」は、英語の market failure の訳語である。これは「市場
が間違いを犯す」という意味ではなく、何らかの理由により、市場が成立しなくなっ
たり上手く機能しなくなったりする状況を指している。
市場の失敗が生じる原因は、
1.
規模の経済(平均費用の逓減)
2.
外部経済・不経済
3.
公共財
4.
情報の非対称性
の 4 つに限られる。このことは数学的に厳密に証明されている。
個々の企業のレベルで規模の経済が働く場合、必然的に第 6 章で取り扱った独占が
生じてしまう。外部経済・不経済に関してはこの章で学ぶ。公共財とは、海岸の灯台
のように、誰かが利用したからといって他の人の利用の障害になることがなく、特定
の人々だけに利用を限定することもできない財を意味している。この種の財では利用
者に課金することができず、それが社会的に望ましくても、民間部門の自由な取引の
下では生産されなくなってしまう。売り手と買い手の間に情報の非対称性が存在する
場合にもさまざまな問題が発生するが、これに関しては第 8 章で検討する。
ピグー税の厚生効果
テキスト 192 ページによると、ピグー税とは、外部効果(外部性)に起因する市場
の失敗を是正するための税金である。ピグー税によって社会的限界費用と私的限界費
用のギャップを埋めることができれば、最適な資源配分を実現することができる。テ
キストの図 7-2 にその例が示されているが、ここでもっと単純な例を考えてみよう。
ある企業が川上で汚水を排出しながら生産活動を行っているとする。この企業の生
産物は完全競争市場において取引されているので、1 単位当たり P 円でいくらでも販
売することができる。この企業の私的限界費用曲線(通常の意味での限界費用曲線)
は右上がりで、商品 1 単位を生産する度に排出される汚水の浄化費用は a 円だとする。
現時点では環境規制が存在しないため、この企業は浄化費用を負担していない。
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図表 1
ピグー税
価
格
社会的限界費用曲線
供給曲線=
J
私的限界費用曲線
F
④
需要曲線=
P
①
③
E
限界収入曲線
②
a
0
x*
x
需給量
図表 1 は上記の状態を作図したものである。右上がりの実線はこの企業の私的限界
費用曲線を表し、点線が社会的限界費用曲線を表している。この企業の利潤(生産者
余剰)が最大化されるのは x 単位の商品を販売する時である(私的限界費用=限界収
入となる点)。その時の企業の生産者余剰は①+②+③だが、汚染費用②+③+④が
別所で負担されているため1、社会的余剰(総余剰)は生産者余剰から汚染費用を引
いた①-④である(ここでは消費者余剰は存在しない)。この値は正かも知れないが
負かも知れない。負の場合、この企業の社会的価値はマイナスである。
ここで政府がピグー税を導入し、この企業に生産物 1 単位当たり a 円の納税を命じ
たとしよう。すると私的限界費用曲線と社会的限界費用曲線が一致し、この企業は x*
まで生産量を削減する。この時、この企業の生産者余剰は①、汚染費用が②、政府の
税収が②だから、社会的余剰は①-②+②=①となる。すなわち、ピグー税を導入す
ることにより、社会的余剰が④だけ増加する。
上記の例は、環境汚染企業に操業停止を命じることが必ずしも最適な政策でないこ
とを示している。汚水等の負の外部性が存在していても、それを内部化して社会的限
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川下で誰かが実際に汚水を洗浄している場合、②+③+④は浄化費用である。汚水が垂れ
流されたままになっている場合、②+③+④は環境に対する負荷やそれによって生じる周囲
の住人の精神的苦痛を金銭換算した値である。
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界費用と私的限界費用を一致させることができれば、企業は自ら最適な資源配分を選
択する。そのような状態において社会的価値が負となる企業は自主的に廃業し、社会
的価値が正の企業は上記のように生産規模を縮小して操業を続ける。
ピグー税とピグー減産補助金
上記の例において、汚水排出企業にピグー税を課すのは適切かつ公平な政策である
ように見える。しかし何が「公平」かは価値観の問題だとも言える。公害を減らして
社会的余剰を最大化することを目的とした場合、ピグー税とはまったく異なる性質を
持つ政策を利用することも可能である。
ここで政府が上記の企業に対して、生産量を現行の x から 1 単位減らすごとに a 円
の減産補助金を与えると伝えたとしよう。このように負の外部性を削減する目的で支
給される補助金はピグー減産補助金と呼ばれている。
図表 2
ピグー減産補助金
価
格
社会的限界費用曲線
供給曲線=
私的限界費用曲線
(c)
需要曲線=
P
(b)
E
限界収入
(a)
a
0
x**
x*
x
需給量
図表 2 には、この企業が生産量を x**単位まで削減した時の収入が描かれている。
この企業が x**単位を生産する時、生産物の販売から得られる利潤は(a)の台形の面
積で、減産補助金による収入は(b)の平行四辺形、すなわち a×(x-x**)円である。
しかしすぐに気づくように、この企業が x**から生産量を 1 単位増やすことによって
得られる利潤の増加分は減産補助金の減少分の a 円を上回っている。したがってこの
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企業にとって x**単位まで減産することは賢明でなく、破線と需要曲線が交わる x*単
位まで削減するのが最適な選択である。そうすることにより、
(c)の三角形の分だけ
生産者余剰を増加させることができる。
さて、ここで図表 1 に戻ってみよう。ピグー減産補助金の下でこの企業が x*まで生
産量を削減した場合、生産者余剰は①+②+③+④である。ただし②の汚染費用が別
所で負担され、かつ、政府が補助金③+④を負担しているので、社会的余剰は①とな
る。すなわち、生産量の点でも社会的余剰の点でも、先のピグー税とまったく同一の
効果が得られたことになる2。
ただしピグー税の場合とピグー減産補助金の場合とでは、この企業の収益は大きく
異なる。もともとこの企業は図表 1 の①+②+③の利潤を得ていた。ピグー税導入後
の利潤は①となり、ピグー減産補助金導入後の利潤は①+②+③+④となる。この企
業はピグー減産補助金を歓迎するだろうが、ピグー税には激しく反発するだろう。
ここまで読んだ人は、環境汚染企業を罰するピグー税こそが正当な政策で、汚染企
業の利益を増やすピグー減産補助金は筋違いの悪い政策だと考えるかも知れない。し
かし本当にそうだろうか。
この企業が最近になって川上で操業を開始した大企業だとして、もともと経営が苦
しかった川下の零細業者が汚水洗浄の費用まで負担せざるをえなくなったとしよう。
この場合、確かにピグー税が公平な政策で、ピグー減産補助金は理不尽な政策である
ように思える。しかし逆にこの企業がずっと以前から川上で細々と操業している零細
業者で、これまで汚水に関して苦情を言われたことはなかったとしよう。そして最近
になって川下に富裕層専用の住宅地が建設され、川上に企業がいることを承知で移り
住んできた金持ちたちが一斉に苦情を言い出したとしよう。それでもピグー税が正し
くピグー減産補助金は間違っていると自信を持って言えるだろうか。
経済学の余剰分析は、何が社会的に最適な状態か、それを達成するためにどうした
らよいかに関しては明瞭な回答を示すことができるが、利害関係者の間で社会的余剰
をどのように配分すべきかに関しては回答を持たない。誰が強者で誰が弱者か、何が
正義で何が不正義かは価値観の(すなわち主観的な)問題だからである。ただしひと
たび望ましい配分のあり方に関して社会的合意が得られ、どのようにすればそれを効
率的に実現することができるかを考える段になると、経済学が再び威力を発揮する。
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ピグー税とピグー減産補助金の効果が同一である理由は、以下のように考えると理解しや
すい。ピグー減産補助金は、最初にこの企業に a×x 円の補助金を与えていったん生産量を 0
にさせ、その後にふたたび 1 単位生産するごとに a 円のピグー税を徴収する政策と同等であ
る。最初に与えられる補助金はこの企業の最終的な生産量の決定に影響を与えないので、補
助金なしの単純なピグー税の場合と同じ生産量が選択される。
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炭素税と排出権取引
上記のピグー税とピグー減産補助金の分析からは、他にも有用な知見を得ることが
できる。図表 1 の例の場合、どのような手段をとるにせよ、生産量を x*まで削減させ
ることによって④だけ社会的余剰が増加することが分かっている。ということは、政
府が関与せず、この企業と被害者の間で話をつけることも不可能でなさそうである。
この企業が x*まで生産量を削減すると生産者余剰が③だけ減少するが、それによって
被害者の洗浄費用は③+④だけ節約される。したがって被害者がこの企業に③+α円
を支払えば、この企業は喜んで減産に応じ、被害者は④-α円だけ洗浄費用を節約す
ることができるだろう。
利害関係者の数が少ない場合、上記のような交渉は成立しやすい。たとえば、汚染
企業が一社で被害者も一企業の場合、あえて裁判所や行政機関が関与するより、自分
たちで話をつけた方が早いかも知れない。テキスト 199 ページのコースの定理とは、
上記のケースにおいて裁判所が汚染企業と被害者のどちらに有利な判断を下しても、
その後に自分たちで合理的な利害調整が行われた場合、同一の結果がもたらされるこ
とを主張するものである。
しかし加害者や被害者の数が増加すると、示談によって最適な解決策に達すること
は難しくなる。たとえば被害者が広域に拡散している場合、これらの人々が集まるの
にもコストがかかり、なかなか話がまとまらないだろう。また、生産者が一社でなく
多数の事業者である場合、それぞれ責任のがれして費用負担に応じないかも知れない。
テキスト 206 ページの炭素税と排出権取引の選択の問題も上記の問題の例として解
釈することができる。地球温暖化は人類にとってきわめて深刻な問題だが、通常の排
気ガスなどと比べて実感しにくい上に、加害者と被害者が世界中に拡散している。こ
のような問題を当事者に任せておいて解決されるはずはなく、政府が強い姿勢を示す
必要がある。ただし温暖化問題は全地球的な問題であり、ただ乗りする国が現れる。
ため、国家間で協約を結んで政策を調整する必要が生じる。
炭素税は図表 1 のピグー税の一種であり、簡素かつ効率的な温暖化対策である。し
かし化石燃料のヘビーユーザーである国や企業が強く反発するため、なかなか導入す
ることができない。国民の環境意識が高い国の政府が単独で炭素税を導入しようとし
ても、効果が限られるだけでなく、その国の企業が国際競争力の低下を根拠にいっそ
う反発の声を強める結果になってしまだろう。
一方、排出権取引とは、事前にさまざまな事業者に一定量の温暖化ガスの排出権を
与え、事業者間でそれを自由に取引させるものである。このような制度の下では排出
量の削減コストが低い事業者から高い事業者に排出量が販売され、事業者全体の省エ
ネコストが節約されるだけでなく、省エネ技術への投資を喚起する効果も期待できる。
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国境を越えてこのような取引が行われれば、すでに省エネが進みさらなる削減が難し
い先進国の企業が開発途上国の企業から排出権を購入し、後者の企業が排出権販売代
金を用いて省エネ技術への投資を行うことも可能になる。
しかし排出権取引のために各企業に温暖化ガス排出権を割り当てる際、一律の排出
量を与えることは現実的でも効率的でもなく、何らかの形で既存の排出量を反映させ
ることになるだろう。したがって排出権取引にはどうしても既得権が関与せざるを得
ない。先のピグー減産補助金も汚染企業に既得権を認め、それを放棄することに対し
て報酬を与える制度だった。先のケースでは汚染企業が一社ないし数社に限られてい
たから、地方政府や地域住民さえ納得すれば、こうした補助金を支給することは不可
能でない。しかし排出権取引には無数の事業者が関与するため、既得権の配分が政治
的な問題となる。実際、1997 年に京都議定書(気候変動に関する国際連合枠組条約の
京都議定書)が採択され、各国が 2012 年までに温暖化ガスの排出量を一定量削減す
ることが決められたが、その割り当てをめぐる交渉は紛糾した。現在、2012 年以降の
対策に関して交渉が行われているが、それがまとまる目途は立っていない。
再生可能資源と市場の失敗
テキスト 191 ページでは共有地の悲劇と呼ばれる現象が説明されている。共有地の
悲劇は資源に所有権が付されていないために発生する。たとえば、先の例において川
上で汚水を流す企業と川下で浄水コストを負担する企業が合併すれば、ピグー税やピ
グー減産補助金などなくても、自ら進んで x*まで生産量を削減するだろう。これは合
併によって水流が実質的にこの企業の所有物となり(=環境汚染という負の外部性が
内部化され)、それを適切に使用する動機が生まれるからである。
共有地の悲劇は再生可能資源に関して最も深刻な問題となる。再生可能資源とは、
水産資源や森林などのように、乱獲しなければ自然の力で資源量が回復され、永続的
に利用できる資源のことである。これに対して、鉱物資源などは再生不可能資源と呼
ばれている。
テキストには、「共有地の悲劇を防ぐためには、結局、漁師の行動を規制するしか
ありません。
(..)こうした管理を可能にするため、漁業組合やそのメンバーに漁業権
という権利が与えられます」と書かれている。この漁業権は上記の所有権の一種であ
り、共有地の悲劇を回避する上で不可欠な制度である。しかし日本では漁業権の制度
設計が不適切であるために、漁業と水産資源が危機的な状況に陥っている。
図表 3 にはある再生可能資源の年初のストック(資源の総量)とその年の増加量の
関係が示されている。例としてある湖に生息する魚の量を考えてみよう。魚の数が一
定量に達するまでは環境の制約が働かないため、当初の魚の数が多いほどその後一年
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間に生まれる魚の数は増加する。しかし当初の魚数が一定量を超えると、餌の不足な
どの混雑効果が発生し、新たに生まれる魚の数が減少し始める。
図表 3 の再生可能資源の最適資源量は X*であり、その時の持続可能な捕獲量は x*
である。乱獲によってストックが X まで低下してしまっている場合、その後に毎年 x
を捕獲すると資源量は X のままにとどまる。x 以上を捕獲するといっそう資源量が減
少し、x 未満に抑えれば資源量が増加してゆく。したがって資源量が X*の左側の領域
にある場合、x を超える捕獲をすることは望ましくなく、できれば x 未満の捕獲量に
とどめ、ストックの増加を目指すべきである。
図表 3
年
末
ま
で
の
自
然
な
増
分
再生可能資源のストックと増加量
x*
x
0
0
X
X*
年初資源量
日本の場合、漁船を利用しない沿岸漁業や養殖業に関しては、漁業権(特定の水面
において漁業を営む権利)を免許の形で付与することによって管理している。一方、
漁船を利用する沖合・遠洋漁業に関しては、許可制度によって漁獲高が規制されてい
る。漁船漁業では漁場が広域に渡り、多数の漁業者が出入りするため、許可制度の具
体的な設計が重要となる。漁船漁業の捕獲規制は、オリンピック方式と IQ(個別割
当、individual quota)方式の二種に大別される。IQ の応用型として、ITQ(譲渡可能
個別割当、individual transferable quota)と呼ばれる方式もある。
オリンピック方式とは、魚種ごとに毎年の TAC(Total Allowable Catch、総漁獲可能
量)を決めておき、それに達するまで個々の漁業者に自由に捕獲させる方法である。
この方式では早い者勝ちになるため、稚魚の乱獲や過剰設備投資、エネルギー資源の
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無駄遣いなどの問題が生じる。
一方、IQ 方式とは、漁業者ごとに捕獲量を割り当てる方法である。この方法の下
では漁業者が販売単価を上げるために成魚だけを捕獲しようとするため、資源の再生
産が行われやすくなる。また、品薄で価格が高騰する時を狙って水揚げ量を増やそう
とするインセンティブが生まれ、市場価格の安定にも寄与する。
ただし IQ 方式では割当が一種の既得権となる。そこで ITQ 方式では漁業者間で割
当量を売却ないし貸与できるようにする。その結果、非効率な漁業者から効率的な漁
業者に捕獲権が販売ないし貸与され、一国の漁業全体の効率性が改善される。ITQ は
排出権取引と似た性質を備えている。
図表 4
国名
アイスランド
ノルウェー
イギリス
スペイン
ニュージーランド
オーストラリア
アメリカ
日本
主要漁業国における漁獲管理制度
IQ
ITQ
オリンピック
●
●
●
●
●
●
●
●
(出所)八田達夫・高田眞(2011)『日本の農林水産業』223ページ。
図表 4 を見ると分かるように、主要漁業国の大半が最も優れた ITQ 方式を採用して
いるのに対し、日本だけがオリンピック方式を採用している。また、日本ではそもそ
も TAC が定められていない魚種が多く、資源量が図表 3 の X のような状態にあるに
も関わらず x を上回る TAC が設定されているケースもある。
日本において合理的な漁業規制が行われていない最大の理由は、水産資源の最終的
な管理責任者である水産庁が、国民の利益より既存の漁業者の希望を優先しているた
めである。これは農林水産省が既存の農家の利益を優先し、耕作地の放棄や商業地へ
の転売を放置しているのと似ている。本来、行政官庁は一国全体の利益を考えて行動
すべきだが、日本の官庁の多くは主管分野の事業主の代弁者になってしまっている。
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