KーFA Party 200ー 和やか離

Ka‐ magaya
intornatiOnal FriendShil・ AssOciatiOn
第44号
2002年 (平 成 14年 )3月 5日
発行 :鎌 ケ谷市 国際交流協 会
〒
2F311'i鎌 ケ谷 市初富928-744
TEL 047 445 1141 1内 550)
Fl1 017′ 141-9400
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第 14回 を迎 えたKIFA Partyが
市総 合福祉保健 セ ンター にお い て 開催 された。21世 紀初
めてのパ ー テ イは、夕1年 とは違 ってKIFAの 会員 は もと
2001年 11月 18日
(日
)、
よ リー般 市民 の方 たちの参加 が 目立 ち、更 に多 くの外国
人も加わ って、昨年 の266人 を大幅 に上 回る400人 もの方 々
が集 う盛大 な もの となった。会場 一杯 に張 りi巡 らされた
色 と りど りの万 国旗 もまた、国際色豊か な雰囲気 に彩 り
をそえるc総 合司会 は吉川重清 ・ 吉川秀子 さんのお二 人。
田澤KIFA会 長 の挨拶 は英語 でス ター トし日本語 で締 め
くくつた。来賓 の方か らの ご祝辞をいただ くと、早速 「乾
杯Jし 、パ ーテ イの催 しは進 む。
KIFA独 特 のア トラクシ ョンは、あづ まや会や若風会
による 日本舞踊 の 「津軽 じょんが らJや 「勝 海舟」 か
ら賑 やか に始 まった。そ して鎌 ケ谷 二胡愛好会 の皆 さん
による中国や 日本歌 曲の演奏が さわやか に奏 で られる。
民族衣装 をまとった イラ ンの方 たちによる ダ ンスが始 ま
る と、会場 の皆 さんが ドッと舞台 に上が って 一緒 に踊 り
だ した。陽気 な外 国 人 と一緒 になって 日本 人 も踊 る
子 どもたち も踊 る ! もう収拾が つ かない ほ どで あ つた。
!
中国武技 は、楊彩霞 さん と皆川道子 さんによって 「木
蘭拳Jや 「太極拳Jが 優雅 に演 じられる。何 としなやか
な動 きが出来 る ものだ。太 極拳 な どは、お年 をめす ほ ど
に身体 を柔 らか くさせ るのか もしれない。 一 方、少数派
の ガーナの男性 お二人は巨体 を九 めて、少 し恥ずか しそ
うに小 さな太鼓 を叩 い てエ コヤ カには しゃ ぐ。そんな中、
ハ プニ ングが起 きた。昨 年 のパ ー テ イで知 り合 ったス リ
ラ ンカの青年 と日本 の女性が結婚衣装 で 舞台 に登場 し、
本年結婚 した旨の宣言 を行 った。 なかなか似合 いの カ ッ
プ ルだ。 こん な ところに も、それぞれ の レベ ルで 、着 々
と国際交流 が進 んで い る ことを感 じさせ られ る光景 の一
こ まが見受 け られた。
今回 の パー テ ィで 際立 った ことは、初 めて参加 された
人 々がた くさんお られた ことで あ る。 これか らの時代 を
どもたちの姿 も多 く日に付 い た一 日で
担 う若 い 人 々や ∫´
もあ った。そ して共 に集 まった皆 さんがそれぞれに L界
各国 の文化や言語 に触 れ、弾 んだ楽 しい会話。それ はま
た、次 のパー テ ィヘ の期待感 を高める もの となったに違
い ない。
K週‐
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毎黎
波多野敬雄氏講演会
日本の常識、世界の非常識
元 国連大使 の波多野敬雄氏 による講演会が 12月 9日 市
総合福祉保健 セ ン ター にて 開かれた。
外交官 としての経験 か ら、長 い外国生活 を通
考 え方 をなん とか 世界 の常識 として受 け入れ られるよう
に と努力 されて い た、 とい うことを話 の 中か ら察す るこ
とがで きる。
日本人固有 の価値観 のため 、国際化が進 まず、
世界 の常識 か ら掛 け離 れて い る と指摘 され、わ
また、会場 か ら16通 の 質問が よせ られたが、そ
の 中か らい くつ かに答 えて い ただ いた。
た したちの考 えかたの不思議 さを話 された。
中国 の勢 い 、農作物 の保護政策 の あ りか た、
日本 は 自衛隊 をどの よ うに理 解 して戦地 にお く
日本 はお金 は出すがその先は関知 しない。
危 ない事 は しない。
外国人 を受 け入れない。
るのかな ど、 わた したちの生 活 に密着 した 質問
の数 々 に答 えて くだ さった。男性 の 出席 も多 く
質問 の内容 にも深 い ものがめだ った。
これ らの ことは 日本人にはあた り前 の考 え
今、世界 が大 きくゆれ動 い て い る中で も新 聞
に こや か に話 され る
の外交 に関す る紙面 の 少 な い こ と、 もっ と皆 が 外
波多野氏
だ と思 うがタト国人 には不思議 に うつ る。
ヽ
い
い
を持 ってほ しい 、 な ど外交 の専 門家
亡
国 の 出来事 に関′
日本 は各地 の紛争後 の掃 除 に努力 して る と う考 え
方が政策 の根本 にある よ うに思 う。 この よ うな 日本 的 な
に よる講演 は実 の あ る もので した。
国際政治 の 話・ フル ー トコ ンサ ー ト
日本としてめざすものは……
「 雨 、 や つぱ りや め よ
うかJ「 せ っか くの いい
技術 を注 い だ方 が よい。等 々……。
アメリカ、 ヨーロ ッパ 、中国、 ロ シア とタト交官 として
企画なのだか ら、行 こう」
家 に引 きこ もって読書
の実体験 をふ まえなが らの多角的 な世界観。 日本が国際
社会 か らどう見 られて い るか 。世界 の 中で ど う生 きて い
った ら良 いの か。 日本 の未来 は ど うあ るべ きか。世界 の
三 味 の夫 に促 されて、小
雨降 る 中、 三橋記念館 へ 。
会場 は人で いっぱ い 、立
ち見 まで出るあ りさま。
人寄せ パ ンダの妻の神
熱 唱 す る神 崎 さん
崎 のおか げ と講師宮本先
生 はご謙遜。 もちろん神
崎愛 さんの フル ー ト演奏
中の 日本 を強 く強 く意識 したひとときで した。
日本 と してめ ざす もの は「安全 (楯 )、 豊 か さ (科 学
技術 )、 品格 (徳 、文化 )で す J、
、
と最後 の言葉が い ま も′
に残 っ
し
てい ます。
(林 み どりさんよ り投稿 )
及 び歌 は、心地 よ く感動
的な もので した。 しか し、国益 を考 えない元 田中外務大
臣、政 を しない外務省 とい う “号^外 "で 始 まった60分 間
の世界 の旅 も、元外務省 の役人 らしさのでた楽 しい もの
で した。
講演 される宮本氏
特 に中国 との 関係 では、 日本 に も反省すべ き点がある
こと。 こ ういった歴史問題があ るか ら、 日本 は腰 が引 け
てる し、江沢民 は 日本 の反省 をち らつ かせ て い る。従 っ
て 日中は対等 の 関係 が もてない。
一 方 ロ シアは 自分 の安全 を200%守 りた い 国。北方領
土 問題 も歴史的 には 4島 日本 の もの。 しか し現実問題 と
しては ロ シアの民族性 を考 える と、譲歩 して、 3島 返還
とした い。 で 、友好 を深 め、 ロ シアの資源開発 に 日本 の
リハ ーサ ル も真剣 に
K,11‐
交流会「クイDAY」 を開催
国日」
12月 2日 の 日曜 日、 まなび ぃプラザ にお い て 「ほほえ
みの 国 タイに生 活 して、そ の歴 史 と文化」 と題す る講演
とタイ出 身 で鎌 ケ谷 在住 の主 婦 の方 々 を囲 む催 しが行 わ
れた。KIFAと してはブラジル、 フ ィリ ピン、 中国DAY
に続 く、国別交流会 の 4回 日。講演 は、 タイ在住経験 が
さんが担 当。遠藤 さんは タ
豊富 なKIFA会 員 の遠藤 尚了‐
イ滞 在 中に、バ ンコ クの 国立博物館 で 口本語 ボラ ンテ ィ
アガイ ドを務めてお り、私 たちに数 多 くの新鮮 な知識 と
刺激 を与 える ものだった。
タイは、 19世 紀 に入 つて欧米列強 の東南 アジア進 出の
際 に も唯 一 植民地化 をまぬがれ独 立 を維持 した。20世 紀 、
専制君 主制か ら立憲君主制 に変 わる 中で何度 もクー デ タ
ーが起 きたが、軍部や国民 の王 室 に対す る敬意 は失 われ
なか った。 この ことは青 、自、赤 の 3色 の タイト1旗 に女Π
実 に示 されて い る。青 は 中心 となるFI王 を、 白は仏 教 の
潔 白さを、そ して赤 は国民 の熱情 を表 して い る。一 方、
タイ人の90パ ーセ ン ト以上 は ll座 仏教 を信佃lし 、男性 は
一生 に一度 は出家す る義務 がある。 タイの首都 はバ ンコ
ク。 だが実 はこれは古 い地名。正式名 は クル ンテ ー プ・
マハ ナ コー ン。 タイ人は略 してクルンテー プ
(天 人の都)
と呼 んで い る。
フ リー トー キ ン グではKIFA通 訳 ボラ ンテ ィアの桑野
弘子 さん も加 わつて 、 タイのお 茶 やお菓子 を味 わいつつ 、
タイの歴 史 を語 る遠藤 尚子 さん
そ の魅力 を存分 に楽 しんだ。お茶 はバ イ トウー イとタッ
クラー イ。葉 を煮 立 てる とレモ ン色 にな り芳 しく香 る。
それに砂糖 を入れて飲 む。 お菓子 は、 もち米や コヨナ ッ
ツ、 ドライフルーツな どが 原材料。世界 の三大 スープは、
タイの「 トムヤ ム ク ンJと 中国 の「 フカヒレス ー プJ、 フ
ラ ンスの「 オニ オ ングラタ ンスー プJと のお話 もあ つた。
後半 はチ ヤナ ンヤ 関野 さんが タイ語 で話 し、 ソムマー
イ徳田 さんが通訳 をす る タイ語 の挨拶 や簡単 な会話練習。
サ ワデ ィー カー (男 性 はサ ワデ イー クラ ップ =お は よ う、
こんに ちは、 こんばんは、全 てに共通 )、 コー プク ンカ
(コ
ー プク ンクラ ップ =さ よ うな ら)な どの挨拶 をH昌 和
し、 タイ語の片鱗 を学 んだ。
金田 もDず 0『 零自翻□田習合』
KIFAで は毎年各 国の家庭料理 を取 り上 げ請習会 を開
ぎるか も知れない との懸念 か ら、 日本人向けに調理 した
もの も別途準備 される気 の配 り様 .
料理 の 出来上が り時間に少 しば らつ きが出たが、最 も
催 してお ります。
今年 は 1月 27日 南部公民館 で行 なわれ ま した。選択 さ
れた料理 はス リラ ンカ、韓国、 カナ ダ及 びイ ン ドネシア
楽 しみ に してい る別室 での試食会 になった。
KIFA会 員提供 の飲み物 や、出来 たばか りの料理 に参
加者持参 の 日本食 も加 わ り、豪華 なテ ー ブ ル になった。
の 4カ 国 で指導す る講 師 はそれぞれの 国 の 出身者。各講
師や担 当者 は何度 も会合 を開 き、料理 の種類や組 み合 わ
せ を決 めた。味付 け も出来 るだけ本場 の もの に近 づ け る
本 日料理 を作 った 国 々の民謡や歌、 ダ ンス を した りの楽
しい時間 は非常 に短 く感 じられ、予 定 の 2時 間 はたちま
為 に、材料 や調味料 もそれぞれ の専 門店 まで出向 い て調
達 され、 レシピが準備 された。 イ ン ドネシア料理 は辛す
今 回初 めて参加 された方 の 中 には「KIFAは もっ と難
しい事 を してい る と思 つたが 、 こん な楽 しい事 もして い
「食 は文化 な りJ。 料理 を理解す る事 は国際交流 の原点
で もあ ります。
ち過 ぎた。
!Jと か 「英語が話せ な くて も国際交流 は出来 る
事 がわか り、早速 KIFAに 入 りたい IJな どの感想 もき
るのだ
かれ、雨上が りの午後そ れぞれ の満足感 で家路 につい た。
この 「家庭料理講習会Jは 、KIFAの 呼 び物 の一 つ に
な ってお り、今年 も多 くの方 々の 申 し込み を受 け たが 、
調理台 の 関係 か ら参加 人員 を制限せ ざるを得ず、 お断 り
した方が出た ことをお詫 び します。当 日参加 で きなか っ
た方 々で 、 レシピだ けで も希望 される方 には差 し上 げ ま
す ので事務局 までお 申 し出下 さい。
調理 を楽 しむ参加者たち
K,I・
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日本 語 講 座 の 誕 生
立 当初 か ら外国語の講座
皆様 ご存知 の通 りKIFAで は倉」
を開講 してきま した。外国語 に親 しみ外国人 と交流 する
人の輪 を広 げたい とい う願 いか らで した。 こ う した語学
講座 には外国人のための 日本語学習のサポ ー トも必 要 で
はないか とい う考 えにいた りま した。
1990年 中央公民館主催 の7回 の外 国人 のための 日本語
講座 が企 画 されKIFAも 協 力致 しま した。
そ して試行錯誤 しなが らKIFAで は1992年 専 門 の講 師
による10回 の 日本語講座 をスター トさせ ま した。翌年 か
ら年間30回 にな り、県の養成講座 を受 けた 日本語 ボラン
テ ィアがサポー トに加 わるようにな りま した。
1994年 か らはKIFA自 身 で 日本語 ボ ランテ ィア養成講
座 を開講 し、ボ ラ ンテ ィアのみで講座の指導 に当 ってき
ま した。 1995年 か らは年間40回 の講座 にな りま した。
現在活動 している皆 さん
毎 週 火 曜 日の夜 、 7時 半 か ら9時 まで 、 中央 公 民館 で 日′
方 が い ら っ しゃい ま した ら、 KIFA事 務 局 へ 連 絡 して い た え
日本語ボランティアをやっていて思 うこと
私 が 日本語ボラ ンテ ィアを始 めたのは、外国人の為 に
なる事 をや りたか ったか らです。勉強 を始めた時は、 日
◎
本語 を見直す事が とて も新鮮 で した。今で も、毎国が見
直 しの連続 で、情けな くなる時 もあ りますが、多 くの外
国人 とも仲良 くなれ、充実 した毎 日を楽 しんでい ます。
現在 までの 日本語受講生の出身国 は30数 力国に及び ま
す。 そ して受講生 に もボ ランテ ィアの役割 が理 解 される
よ うにな り、KIFA事 業 へ の参加 や協 力、また学校授業協
力のボランテ ィア を行 な うなど活動範囲 も広 が って来 て
います。
◎ ボランテ ィア 5年 目を迎えて
“
外国人 と親 しく話 したい"、 “そうだ 日本語教師になろ
う"と 会社勤 めのかたわらこわ ごわ講座 に参加 して以来、
「困 つていることを楽 しく教え よう」 をモ ッ トー にして
い ます。最近は以前 にも増 して日本語 に興味 を持 ち、パ
ソコンで補助教材 を自作するの も楽 しみです。
私の気持ち
一緒 に日本語 を使 って話なが らコ ミュニ ケー ションを
とることのお手伝 い に私が い る。そう思 って楽 しんでボ
ランテ ィアをしています。 「教えるJよ り「教えられるJ
ことの なんと多いこ とか しら。新 しいこ とを知 るよろこ
びをわか ちあえる ことが一番 の楽 しみです。
◎
嬉 しくもあり、悲 しくもあり
色 々な国の人との出会いがあ り、言葉が通 じた時の嬉
しさは格別ですが、出会い には別 れがつ きもの。身振 り、
手振 り、絵 の助 けを借 りての会話 が単語 か ら文になって、
・
・。で も笑
意志 の疎通が出来たと思 ったら、別れる時が・
顔 に出会いた くて今 日も講座へ足 は向か う。
◎
◎
はじめに生徒ありき
暑 い時 も寒 い時 も体 まず来 て くれる人や、仕事 の都合
で来 られなかった りする人や様 々ですが、それ らの人達
に応 えられたらと思 い ます。 ボラ ンテ ィアをすると言 う
事 はみんなが楽 しくなければ続 きません。時間の積み重
ね と共に仲間が増えてい くの も楽 しい事 のひとつです。
たの しい日本語ボランティア
外国人 にとって 日本語は外国語です。例えば 「今 日は
冷 たいですか、寒 いですか。
」 と聞かれ た とき「この質
問がなぜ出て きたのか」 とい うことを考 えつつ、答 えを
◎
導 き出 してい くことです。ボラ ンテ ィア活動 を通 して、
そんな日本語 の楽 しさを味 わってい ます。
K十
◎ 外国語としての日本語
日本の子供達 に教 える国語 と、外 国人の方達 に教 える
日本語 とでは、教 え方 に大 きな違 いが必 要 で ある とい う
事 が初めてわか りま した。何気 な く使 っている変化形 や
表現法 な ど自分 で もきちん と見直す切 っか け とな りまし
た。外 国人の方 か ら学 ぶ事 も多 く、世界が広が ります。
の声を集めてみました。
語 講座 を行 って い ます 。外 国 の 方 で 日本 語 を勉 強 した い
く か 、直 接 中央 公 民 館 へ お い で下 さ い 。
明 日の準備
明 日は火曜 日。 日本語講座 の準備 をする。「だんだん
ヽな りました」 の導 入。 さて授業 をどう展開 しようか。
切 り回は ?風 船 を使 ってみては、 どうだろ う。百円 シ ョ
ップで風船 を購入。「○○ さん、風船に′
を入れて 下さいJ
自、
「風1合 がだんだん大 きくな りましたJ。 うまくい くかな ?
◎
思いや りの心
近所づ きあい もボラ ンテ イアも同 じ。思 いや りを忘れ
ず 自己中心的 にならない。文法的に正 しい会話 で も言 い
方 一つ で慇懃無礼 に。「外国人が求めてい る正 しい 日本
語 つて心 を伝 える事 ではないか しら ?Jな ―んて 自分 の
力 の無 さを棚にあげ、言い訳 ばか り…それが私です。
特別 学 習会 ・ 七 夕 まつ り
◎
日本語ボランテ ィアで得 た幸 せ
日本語養成講座 を千葉県国際交流協会で受けてか ら、
9年 になろうとしてい ます。 日本語だけで導入する と言
う事 は最初大変な事 だと思 い ましたが、その反面導入の
◎
ための文型 に没頭出来る準備の楽 しさがあ ります。41徒
さんが理解 して くれた時 は、喜 びも倍増 します。
自分発見 の場
現在 は月 に一度 しか担当 してお りませんが、 自分 の教
え方がぴった り合 って、生徒 さんが しっか り受け取 って
くれたのが分 つた時 の喜 びが忘 れ られず、やめ られませ
ん。 どこかで 自分にも役立 つ場 があると言う事があ りが
◎
たい と思ってい ます。
■1111,11レ ││
『 日本田田自 で餞 0の 自』
占 志強
日本 にい る間、 ここでた くさんの友 だちに出会 い ま し
た。時 々、各国 の 人が 自分 の 国 のお菓子 な どを持 って き
てみんなで食 べ る事 もあ り、楽 しくす ご しま した。特 に
イラ ンの友人が勤 め先 か らわけて もらった 一箱 の魚 をみ
んなに配 って くれ て 、 とて もお い しく食 べ ま した。そ こ
で私 も帰 国す る とき、餃子 をた くさんつ くり持 ってい き
ました。妻 とふた りで朝 か ら準備 し、160個 用意 しました。
また、お礼 の気持 ちに私 たちの IJの 詩 を書 きま した。 日
本 で も有名 な詩 だ とい うことで喜 んで もらい ました。
この 国 ではボランテ
イアは 自分 の楽 しみで
や っているとい う人 も
い る と聞 きましたが、
わた しは人 とひ とが,と 、
か ら友情 を結 べ る こと
がボラ ンテ ィアの意 味
だ と思 い ます。 日本語
を教 えて くれ た り、バ
ス旅行 では、 自分 の車
で送 つて くれた り、 ガ
イ ドを して くれ た りと
いつ もわた したちが楽
しく安全 で ある よ うに
気 を配 つて くれ てい ま
した。
半年間一緒に勉強 した中国の占志強 さんから上記の メッセ
ージと墨書をいただきま した。(要 訳 :通 訳 ボラ ンテ ィア
)
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ア ンニ ョンハ セ ヨ
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日本か ら一番近 い外国 と言えば、まちが い な くわが国 ・
韓国なのではないで しょうか。 ほんの 少 しだけ紹介 させ
`'tl,1111羊
て いただ きます。
わが 国 は三方 を海 に囲 まれた半 島で北 と南 にわかれた
朝鮮 8道 と、韓国 で一番大 きな島 ・済州道 とで 9つ の道
があ ります。 ご存知 で しょうが、韓 国 は小 さい 国 で 日本
本 島 の約 1/4の in積 です 。私 の生 まれ育 った ソウル市 は
総面積 が 600k請 有 ります。そ の面積 の 中には約 1000万 人
の人々をささえるす ば らしい産業が さまざまな形 で行 わ
れてい ます。 ソウル市 を歩 い て見 る と外 国人 をた くさん
︲
ノ
見 かけ国際的 な都市 になった と思 う事 もあ ります。私 は、
去年 3月 主人 と一緒 に 5年 ぶ りに帰 って来 ま した。あ ま
りに も変化 してお りびつ くりす る事 ばか りで した。私 は
日本 に住 んで20年 余 りにな り、韓国へ 帰 る となぜ か異 国
に来た よ うな気分 になるのは私 だけなのか しら、 と不思
議 な気分 になる自分 を発 見 しま した。私 は買 い物 が大 好
きで す。 日本 の観光客 に知 られて い る南大 門市場 な どで
は朝早 くか ら買 い物 に出かけ、夕方 まであ っ と言 う間 に
時 間が たつて しまい ます。活気溢 れる色 々 な所 を歩 きな
が ら韓国のお い しい空気 をいっぱい吸 つて 、 日本 に帰 っ
て来 るのです。韓 国 に 5日 間い るあ い だ、主人 と共 に私
は本当 に、我が国 とは い え、すば らしい 国 で生 まれ育 っ
た事 を誇 りに思 い ま した。 こん なにすば らしい 国民 が、
この 国 を支 えて くれて い るのだ と思 い 、安心感 が体 か ら
湧 い て来 ま した。町 を歩 くと笑顔 が絶 えない し、 いつ も
力 の ある声が響 き、笑 い声 が どことな く聞 こえて きて、
す ば らしい我 が 国、大好 き、バ ンザ イと思 わず叫 びた く
なる気分で した。
韓国 と日本 の習慣 の ちが いの ひ とつ に、 日本で は、お
茶碗 を手 で持 ってご飯 をいただ きますが、韓国 で はテ ー
ブルに置 い た ままでない と行儀 が悪 い と言われ ます。そ
れか ら韓国 では、親や年配者 を敬 い ます。親の誕生 日に
は どんなに遠 くに住 んで い て も親元 に帰 つてお祝 い を し
1
0
1
ます。
2002年 、今年 は ワ ール ドカ ップサ ッカ ー が あ ります。
韓国 は本 当 に町 中が ひ とつ になった よ うな勢 い で 、頑張
る姿 が見受 け られ ま したc私 も応援 して い ます。 日本
韓国 !頑 張 れ ∼ !ど うぞ一 緒 に応援 しま しょう !日 本 が
│
優勝 、韓 FIが 準優勝 、 いや韓国が優勝か も知れないです
ね。私 は正 直 に言 えば、 日本で も韓国で もどちらで もか
まわない です。 これか らも仲良 く世界 に向か って前進 の
みです 。皆様 どうぞ一 度 は韓国へ 行 って見 て下 さい。
(恵 さんか ら日本語 で い
ただきま した)
1:鶴塚 ml
│● :1
1脇
││
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農村 の踊 り
ヽ
お待ち│し てし
ます
キ│フ ,│プ ラ│ず1投 稿欄
ー
ー ーー
・ンゴマキャ ンプの1子 ども達│と
ザンビア
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0●
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●
間活動。環境教育活動 のかたわ ら、全国電力関連産業労働組合総連合 か らの寄付 で任地 にあるンゴマ
小中学校寮改善 のプロジェク トに参加 し、完成 させた。
● ● ● ● ● ● ●
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●
初代環境教育隊員 と して 1998年 7月 か ら2001年 7月 までザ ンビア最大 の カフェ国立公園 ンゴマ キ ャ
ンプ環境教育・ 情報 ユニ ッ トにて、学校教師 。公園職員 と共 に野生生物・ 自然保護 を主 な目的に 3年
0●
●
●
配属先 :ザ ンビア野生生物局
プロジェク ト実施地 :カ フェ国立公 園南部 ンゴマキ ャンプ
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
●
●
青年海外協力隊平成 10年 度 1次 隊
職種 :環 境教育
ぬぎ山在住)。
●
●
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●
0
j燿
。
・ プ ロ フ ィ ール・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●0● ′ 予 美 砂
◎ ンゴマ小 。中学校寮改善プ ロジ ェク ト
この学校 の生徒数 は小学 1年 か ら中学 3年 まで約400名 。
その 中の約 1割 が 寮 生 活 を して い ます。生徒 は主 に ンゴ
マ キ ャ ンプ公 園南部 に点 在す る職員駐在所 か ら集 まって
い ます。そ の寮 の状態 は財源不足 のため ドア と鍵がない
居室 が半分以上 を占め、ベ ッ ド、 マ ッ トレス もない為 生
徒 は床 に持 ち込 んだ毛 布 を敷 い て しのいでいる もので し
た。世帯数、 また公 園職員 の給料 か らい って寮 の改善 に
かか るすべ ての資 金 を住民 か ら集 めるのは とて も厳 しく
気 の遠 くな る話 で した。育 ち盛 りの生徒達 が 自立 して楽
しく共同生活 を した り、 自分 で工 夫 して生活 を豊か に し
た り、学校 で学 んだことを活 かせ る よ うに、 コ ミュニ テ
イで考 えた末、 ドア・蝶番 ・鍵 。マ ッ トレス ・ベ ッ ド、
ベ ンキを買 う資金 を住民 か ら集 め始 める一 方 で この小 さ
筆者 と子供達
◎カフ王国立公園ンゴマキャンプ
レ /
なハー トプ ロジ ェ ク トに申 し込 む ことになったのです。
このプロジェク ト中、学校 に通 う生徒達 はペ ンキ塗 り
日本で言 う と
四国の大 きさに
あた り、未開発 で
原生状態 の 自然環
を手伝 った り、学校 で何 か変化 が起 きて い ることに興味
津 々で した。各家族 1万 クワチ ャ (約 3米 ドル)と い う
ザ ンビアの物価か ら考 えて決 して小 さい額 ではない寄付
が次 々 に集 まったの も住民 の理 解 と熱意 があって こそで
した。生徒 は居室 に ドアがあ り、ベ ッ ドとマ ッ トレスで
模索 中です 。
ヽ
境 が 多 く残 る国立
1公 園です。象 な ど
カ フ ェ国 立 公 園
寝 られる生 活 をとて も喜 んで寮 生活 を楽 しんで い ます。
住民 もなんなで このプロジェク トを完成 させ た ことで 自
信 を持 ち、 さらに自分達でで きる小 さなプ ロ ジェク トを
タンザニア
ます。
ノ 立公 園 の南部 を管理区域 とす る
ノ
ア フ リカ大 陸南部
公 園 職 員 と 、 そ の 家 族 約 2500
名 か らなる住居 地域 で 野生 生 物
局 オフ イス ・ クリニ ック ・学校 ・
教 会が あ ります。
※青年 海外 1協 力隊 は開発途 国 の人 々のため に、 自分 の持 ってい る技術 や経験 を生 か してみ た い とい う人 々に、活躍 の場 を提 供す る事 業
で ltl際 協 力事業 団 (」 ICA)の 中 の一 事業 です 。最近脚光 をあ びてい る「 シエ アボ ラ ンテ ィアJも この組織 の 中 にあ ります。 KIFA
では 市在住 の 隊員達 をいつ も応援 して い ますc
l二
inform‐ atio‐ n
KIFA総 会
平成 14年 5月 19日
(日
K:ト
日本語ボランティア
養成講座開催について
語学研修講座
のお矢口らせ
)
市総合福祉 保健 セ ン ター
時間 は13:30∼
2002年 度総会が 開催 されます。
みなさん参加 しま しょう。
2002年 度語学研修講座 は
5月 中旬 よ り英語
(A、 B、 C、
来 年 度 日本 語 ボ ラ ン テ ィ
アに興味 の ある方 々のために、
)
ス ペ イ ン語 、 中 国 語 の 5ク
ラ ス (定 員 各 30名
養成講座 を開 きます。
日程 は 、 5月 中旬 ∼ 8
)を 予 定
してい ますc
月
L旬 を予 定。
生 徒達 も自分 の得意技
を披 露 して い る。 アメ
浦安市国際交流協会
ミニ セミナー に一役
リカ人 講師 よ り「 ダッ
ク ・ ダ ック ・ グース」
な どの遊 びが 紹介 され
た。子供 の遊 びは洋 の
東西 を聞 わず似 て い る
ので生 徒達 もす ぐに覚
講師 と一緒 に楽 しそうな顔 、顔 、顔
え、講 師 を交 えて楽 しく遊 び、予定 の時間 は終 った。
給食 を一緒 に摂 った後、 クラス全員がお礼 に 「 ソー
ラ ン節 Jを 力強 く踊 つて くれ た。本当 に楽 しか った。
語学講座合同閉講式
1 続 い て 岡本 さんの鎌 ケ谷市 とワカタネとの姉妹都市提
2月 17日 市総合福祉保健 セ ン ターで英語 ABCク ラ
ス、 スペ イ ン語、中卜1語 、 日本語、 フレン ドリー各講
携 に至 った経 緯 、交流状 況 、 ワカ タネの 紹 介、課題 点
座 を終了 した受講 生 たちによる クラス発表があ りま し
な どの 話 。締 め括 りにKIFA創 設 に浦安 市国際交 流協
会 を参考 に し、助 言 をい ただ い た事 へ のお 礼 をのべ 、
た。歌あ り芝居あ り、踊 りあ りと先 生 方 を囲 んだ愉快
なひ とときで した。
響
1嬌デ
ン1鷲 事
他市 との交流 、人の輪 の広 が りを感 じて来 ま した。又、
当 日の ボ ラ ンテ ィアi重 訳 の対 応 もほの ぼの と温 か い 雰
囲気が感 じられ る もので した。
`
一 昔遊 び を楽 しもう 一
道 野辺小 学 校
3年 生
は 日本 に伝 わ る遊 び を
学習 して い る。 そ こで
外 国 の ^供 は どん な遊
i′
び を して い るか 疑 間が
出 て くる。 KIFAに 外
国 人講 師 の 派遣 要請 が
か るたあ そび
あ り、希望 者 を募 った
ところアメリカ、 フ イリピン、 タイ、 イ ン ドネシア及
び 中国か ら計 10名 が′
映 く応 じて くれた。
2月 5日 、3年 生の 3ク ラス全 員が待 っている体育
館 に案 内 され、講 師 も 3組 に分かれて参加。先ず、 日
ち もんめ」等 で
本 の伝統 的遊戯 「通 りゃんせ J、 「イト ヽ
いの
ことか
お互
ら始 まった。他 にもコマ、
気分 をほ ぐす
お手玉、 メンコ、竹馬等 の小道具 も用意 されてお り、
クラス発表
ミー テ ィング風 景
通訳ボランティア &外 国人ボランティア講師
ミーティング開かれる
外国人ボラ ンティアを含め、21名 の方 々
が参加 され、
初 めての試 み として ミー テ ィングが 開かれ
2月 17日
(日
)、
ま したι今年度 の活動状況、
地域 で進める子 ども外 卜1語
ヽ
亡
な話合 いが持 たれました。
学習 の推進等 について、熱′
お詫び と訂正
第 43り 3ベ ー ジに誤 りが あ りま したので、 お 詫 び して訂
正 します c 3ベ ー ジ 占志強 さん→ 占海慶 さん
編 集 後 記
KIFA Plaza
第 44号 をお届 け します 。 KIFA行 事 の 一部 を
い
紹 介 して ます が 、 これ らはKIFA会 員 に よ り企 画 実 行 され
て い ます 。来 年 度 の 新 規 KIFA会 員 を募 集 中で す。 (TS)