単一分子エレクトロニクス ∼ようやくここまで、まだここまで∼

生 産 と 技 術 第67巻 第1号(2015)
単一分子エレクトロニクス
∼ようやくここまで、まだここまで∼
夛 田 博 一*
技術解説
Recent Progress in Single Molecule Electronics
Key Words:Single molecule, Carrier Transport, Break Junction, Interface
1個の分子の電気伝導度を計測する
1974 年に Aviram と Ratner が提唱したドナー分
子とアクセプター分子の接合による分子整流器の概
念 [1] は,多くの研究者の興味をひき,分子の設計
および合成技術と電極 - 分子 - 電極システムの作製
技術および電気特性計測技術,さらには,単一分子
システムにおけるキャリアの輸送機構に関する理論
的取り扱いに大きな進展をもたらした。2000 年ま
では技術的な難しさから,有機単分子膜を用いた擬
似的な単分子計測が中心であったが,Reed ら [2]
および Tao ら [3] によって提案されたブレークジャ
ンクション(BJ)法の発展により,単一分子の電
気伝導度の定量的な計測が活発に行われるようにな
った。
BJ 法には,大きく分けて,図 1 (a) に示す走査ト
ンネル顕微鏡(STM)を用いた STM-BJ 法と,図
1 (b) に示すリン青銅などの板バネ状の材料を基板
に用いたメカニカルコントローラブル -BJ(MC-BJ)
法がある。
STM-BJ を例に,図 1 (c) に電気伝導度の変化を
示す。金属電極が十分に離れているとき,電極間に
電流は流れない(①)。電極を近づけて接触させる
と電流は急激に上昇する(②)。その後,電極対を
引き離すと,金属原子数個ないし 1 個の太さからな
る接点(ポイントコンタクト)が形成される。この
*Hirokazu
TADA
1962年5月生
東京大学大学院理学系研究科化学専攻
博士課程中退(1989年)
現在、大阪大学 基礎工学研究科 教授
博士(理学) 分子エレクトロニクス
FAX:06-6850-6433
E-mail:[email protected]
図 1.(a) STM-BJ 法,(b) MC-BJ 法の概略,
(c) ストレッチ曲線。
時の電気伝導度は量子化コンダクタンス G0 = 2e2 / h
( =77.4 μS ) の倍数をとる(③)
。さらに電極間隔を
広げるとポイントコンタクトが破断される。このと
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き,運良く分子が架橋されると電流値が一定の値を
とる(④)。このようにして得られた電流変化をス
トレッチング曲線とよぶ。MC-BJ 法では,プッシ
ングロッドを制御よく上下させることにより,電極
間距離を精密に変化させる。数百回から数千回の計
測を繰り返し行い,電気伝導度のヒストグラムを作
成することにより,信頼性および再現性のある測定
値を導出する。
BJ 法を用いて,分子の種類や長さ,電極との接
合部の化学種を系統的に変化させて,電気伝導度と
の関係を詳細に調べることが可能になっている。
一例として,我々のグループで取り組んだオリゴ
図 2.分子ワイヤーの構造。
5 員環の数と分子鎖長は,上から順に,5 個(2.1nm)
,
8 個(3.3 nm)
,11 個(4.4 nm)
,14 個(5.7 nm)
。図には
示していないが,5 員環 23 個,分子鎖長 9 nm の分子
まで計測している。
チオフェン分子ワイヤーの STM-BJ 法による電気伝
導度の鎖長依存性および温度依存性の測定結果を紹
介する。
図 2 には用いた分子ワイヤーの構造を示した。合
成は,分子科学研究所・田中彰治博士による。すで
に,5 員環 74 個,分子鎖長 166 nm にも達する分子
ワイヤーが合成,単離されている。電気伝導を担う
チオフェンワイヤー部に対し,その外側を,あたか
もビニールで被覆された導線のように,シリコン骨
格で覆う構造をとる工夫がされている。実際,この
分子の電気伝導度は,大気中でも 1 週間以上安定で
ある。
図 3 は,分子ワイヤーの電気伝導度の値を分子鎖
長(5 員環数)に対してプロットしたものである。
探針および基板は金を用いている。5 員環 14 個以
下の短い分子では,電気伝導度は長さに対して指数
関数的に減少しているのに対し,17 個以上の長さ
では,減少が緩やかになっており,伝導機構に違い
があることを示唆している。一般に,トンネル伝導
図 3.オリゴチオフェン分子ワイヤーの
電気伝導の分子鎖長依存性。
が支配的となる長さでの分子の電気伝導度(G)は,
長さ(L)に対して指数関数的に減少し,
G = Gi exp(-βL)
LUMO ギャップの小さなπ共役系では,分子鎖長
と表されることが知られている [4]。Gi は分子長を
の変化に対する電気伝導度の減少が緩やかであるこ
ゼロに外挿したときの電気伝導度に相当するため,
とを示している [5, 6]。
接触部分の電気伝導の大きさに関する情報を含んで
図 4 に,3 種類の分子ワイヤーの電気伝導度の温
いる。βはトンネル減衰定数で分子内のトンネル障
度依存性を示す [7]。長さの短い分子(5 員環数 =5)
壁の高さを表し,主として分子の最高被占有軌道
では,温度依存性がほとんどなく,トンネル伝導が
(Highest Occupied Molecular Orbital: HOMO)と
支配的であるのに対し,長い分子(5 員環数 = 17)
最低空軌道(Lowest Unoccupied MO: LUMO)の
では,熱活性化型の伝導を示していることがわかる。
-1
差で決まる。本実験で得られたβの値(0.14 Å )は,
活性化エネルギーはおよそ 300 meV で,分子のね
これまで計測された分子の値より小さく,HOMO-
じれ運動がその起源と考えている。5 員環数 14 個
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以下では,STM-BJ 法を用い,探針 - 分子 - 基板構
造において,探針と基板の間に温度差をつけた時に
生じる電圧,すなわち熱起電力の計測について紹介
する [12]。図 5 に,測定システムの概要を示した
[12, 13]。ペルチェ素子を用いて,基板の温度を制
御している。
図 4.オリゴチオフェン分子ワイヤー
(5 員環数 5,14, および 17)の電気
伝導度の温度依存性。
図 5.STM を用いた単一分子のゼーベック係数測定
システムの概要。
STM 探針と基板間に分子を架橋し,温度差を
与えて熱起電力を計測する。アルゴン雰囲気
で計測している。
の分子では,低温領域ではトンネル伝導を,高温領
域では,熱活性化型の伝導を示しており,両伝導型
のクロスオーバーが確認される。
図 6 は,図 2 の長さ 2.1 nm の分子(5 員環数 5 個)
単一分子エレクトロニクスの進展
の熱起電力の値を温度差によってプロットしたもの
このように,BJ 法により,金属 - 分子 - 金属接合
である。温度差とともに電圧が大きくなり,このこ
のキャリア輸送機構に関する研究は飛躍的に進展し,
とより正孔がキャリアであることがわかる。ピーク
整流特性 [8] や,電界効果トランジスター特性 [9]
に広がりが生じており,これは,分子の接合様式が
も確認されている。これらの結果は,単一分子を用
多様であることに起因していると考えている。
いた新しいスイッチング素子の可能性を期待させる。
しかしながら,金属 - 分子 - 金属のエレクトロニ
クスにおいては,無機半導体ナノ構造や,有機薄膜
素子に比べ,性能面で画期的に優れた点は見いださ
れておらず,応用を見据えた新しい戦略の必要性を
指摘されている。すでに,電気伝導における「ゆら
ぎ」や「ノイズ」を分子の組織化と協調動作によっ
て積極的に利用し,新しい演算機能を持たせようと
する研究もはじまっている。
一方で,スピントロニクスやサーモエレクトロニ
クスに目を向けると,金属 - 分子 - 金属接合の性能(ス
ピントロニクスでは磁気抵抗比,サーモエレクトロ
ニクスでは無次元性能指数)が,理論計算では,バ
ルク材料のそれを上回ることが予測されており [10,
図 6.オリゴチオフェン分子ワイヤー
(2.1nm)の熱起電力計測。
11],技術的にも実現可能なレベルに達しているこ
とを考えると,素子の作製および特性計測に挑戦す
ることの意義は大きい。
図 7 は,電極として金およびニッケルを用いてベ
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ンゼンジチオール(BDT)の熱起電力を計測した
向を変えて計算を行い,熱起電力が Ni 電極では Au
結果である。金を電極とした場合は,ゼーベック係
電極の場合よりも表面の粗さに敏感に変化すること,
数は正の値をとり,ニッケルを用いた場合は,負の
電極の磁化の平行・反平行で 20%程度変化するこ
値を示すことが判る。これは,キャリアとして,前
とを明らかにした。この結果は,分子と電極の接続
者が正孔であるのに対して,後者は電子であること
界面が,物性に極めて大きな影響を与えることを示
を示している。C60 やオリゴチオフェンでは,大き
している。
な変化は起こらなかったので,BDT 分子に見られ
このように,電極間に挿入された分子の電気特性
た変化は,分子と電極との相互作用の強さに起因し
に関する計測は,ここ 10 年で飛躍的に進歩した。
ていると考えられる。このことは,界面制御により
同時に,これまでは測定上のノイズと考えられてい
ゼーベック係数の増大をもたらすことが可能である
た信号が,分子あるいは分子と電極の接続界面の構
ことを意味している。
造的なゆらぎに起因することも明らかになってきた。
今後は,こうした「ゆらぎ」を積極的に活用した素
子を目指した研究が新しい展開をもたらすと期待さ
れる [14]。
参考文献
[1] A. Aviram and M. Ratner, Chem. Phys. Lett. 29,
277(1974).
[2] M. A. Reed et al., Science 278, 252(1997).
[3] B. Xu and N. J. Tao, Science 301,1221(2003).
[4] A. Salomon et al., Adv. Mater. 15, 1881 (2003).
[5] R. Yamada et al., Nano Lett. 8, 1237(2008).
[6] R. Yamada et al., Appl. Phys. Express 2, 025002
(2009).
図 7.Au-BDT-Au および Ni-BDT-NI 接合の
熱起電力測定結果。
ゼーベック係数は,それぞれ +7.4μV
および -12.1μV。
[7] S. K. Lee et al., ACS Nano 6, 5078 (2012).
[8] L. Diez Perez et al., Nature Chem. 1, 635 (2009).
[9] H. Song et al., Nature 462, 1039 (2009).
[10] S. Sanvito, Nature Phys. 6, 562 (2010).
第一原理計算を用いて考察したところ,Ni 表面
[11] D. Nozaki et al., Phys. Rev. B 81, 235406 (2010).
と BDT のスピンに依存した相互作用により,
[12] S. K. Lee et al., Nano Lett. 14, 5276(2014).
HOMO が,フェルミ準位をまたいで分裂し,状態
[13] P. Reddy et al., Science 315, 1568(2007).
密度(透過係数)の微分係数が反転することが示さ
[14] http://www.molarch.jp
れた。さらに,接合表面の粗さや Ni 電極の磁化方
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