蘇我~渡り鳥と皆の笑顔が集うハーバーシティ!~(PDF

港
出初め
出初
初め式
め式
出初め式
マ
マリ
マリントレーニング
リ
リン
ントレ
ント
ントレ
トレー
ーニ
ニ
ニン
ング
ン
グ レジャー
レジ
レジ
ジャ
ャー
ャー
練習場
練習
習場
練習場
古くは鎌倉時代からその名を残す
“寒川港”
は、今も昔も、夢の航路へ人々を誘う船着き場
渡り鳥と皆の笑顔が集うハーバーシティ!
駐車場
そ
ごぞんじですか? 長い歴史を持つ
“寒川港”
身障者用WC
が
蘇我
小型船
釣り船
ジェットスキー
守山明春さん
ご夫妻と
金子輝人さん
無料
沿岸部に大規模な工場群が建ち並び、重厚で、躍動感 れる雰囲気が漂っていた寒川港の周辺。2005年、
「ハーバーシティ
蘇我」が誕生し、ショッピングやレジャーを目的に、多くの人々が楽しめるエリアになりました。その後も急ピッチで開発
が進められ、商業施設がますます充実。そして近年、
「ハーバーシティ蘇我」とほぼ同時期に開業した、
「フクダ電子アリーナ」
のある「蘇我スポーツ公園」に、テニスコートや多目的広場など、スポーツ関連施設が次々とオープン。
潮風と海鳥が出迎えてくれる千葉市の新たな名所に、ぜひ、足を運んでみませんか。
昭和30年代 網の中に入っているのは魚ではなくカモ。
当時、海で働く多くの人が、カモ猟をしていました。
昭和20年代の寒川港
(写真提供:守山釣船店)
明治時代に創業した「守山釣船店」。
3代目となる昭和7年生まれの守山明春
のの、守山さんは店の看板を守り通し
てきました。
さ ん に よ る と、昔 の 寒 川 港 は 遠 浅 で、
海苔、ハマグリ、アオヤギ、アサリな
どの漁が盛んで、たくさんの漁師と漁
船で賑わっていたそうです。守山さん
そして現在、店の名を冠した釣船「守
山丸」の舵を握っているのは、4代目と
なる金子輝人さんです。「3代目に雇わ
れて船長をしていた父が亡くなった時、
も 全 盛 期 に は 約20 も の 船 を 持 ち、
10名以上の船員を雇っていたとのこと。
しかしその後、海の埋め立てや工場の
誘 致 な ど、大 き な 転 機 が 次 々 と 訪 れ、
漁師や漁船の数が徐々に減り続けたも
乗っていた船を処分するという話が出
て、それはあまりに悲しいと、自分が
船長をやると名乗り出たんです」。そし
て今日も「守山丸」は、大勢の釣人を
乗せ漁場へ向かいます。
問い合わせ先 〈千葉港 守山丸〉☎080-5898-2385(代表:金子照人)
フェスティバルウォーク蘇我 ショッピングに食事、映画鑑賞に日帰り入浴のできる施設もある、まる一日いても飽きないエンターテインメント空間です。
「フェスティ
バルウォーク蘇我」の裏側の水辺は、ジェットスキーの練習場としても利用されています。
遊具広場(多目的広場内)
ジャンボスライダーや
ロープウェイなど、カラ
フルな遊具が設置してあ
る、広い芝生の広場です。
フクダ電子アリーナ 蘇我スポーツ公園内にある、全国でも数少ない屋根付きの
サッカー専用スタジアム。Jリーグに加盟するプロサッカークラブ、ジェフユナイ
テッド市原・千葉のホームグラウンドでもあります。
ハーバーウォーク
フェスティバルウォーク
蘇我の裏側に設置されて
いる海上展望デッキ。海
面近くにいる魚や、天候
に恵まれた日は富士山も
望めます。
ちばの海辺の
七不思議 7
「フェスティバルウォーク蘇我」のすぐ傍にある
底面をさらった土で、周辺を埋め立て開発を進め
のが、日本一の面積を誇る千葉港の原点ともいえ
みやこがわ
る「寒川港」。鎌倉時代、都川の河口にあった原
始的な船着場は、すでにその名で呼ばれており、
視され、
江戸時代には、佐倉藩の御用港として重視され、
を江 戸へ
たくさんの五 大 力船が、米や大 豆などを江
の河口の
運んでいました。明治時代の末に、都川の河口の
たことが、現在の千葉港へとつながっています。
民間会社や個人所有の船、そして釣り船などが
佇み、穏やかな表情を見せる、現在の寒川港。な
んともいえない懐かしさを感じられるのは、長い
歴史を持つ所以でしょうか。往時に思いを馳せな
がら、散策してみてはいかがでしょうか。
r より
BlueMaste
き船、
、曳
では ない ため
寒 川 港は 漁 港
作業 船な ど
ーン 船、潜水
警戒 船、クレ
ることが
を見
の船
々な種類
といった、色
と一緒に、陸
泊している船
できます。停
影で き
を撮
電車
京葉 線の
橋の 上を 走る
も人気です。
写真愛好家に
るため、鉄道
士・機関 長 会社 一等 航海
栗原 海運 株式
さん
航 高久 田 大輝
港湾 監視 艇運
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高炉モニュメント
製鉄所で実際に使用されていた高炉を、鉄の造形作家である
倉田光吾郎氏の手でモニュメントに。
「蘇我スポーツ公園」の
「遊具広場」
近くに展示されています。
なぜ、寒川港の船溜まりに、
たくさんの船が停まっているの?
寒川港の船溜まり
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