30巻 4号 (1999年3月発行) - 東京大学 大学院理学系研究科・理学部

30巻
4号
平 成 H年 3月
一
示
学
舅‖
。1`:
表
紙
の
説
明
微小立 方体 (ボ クセル )の 相 互 作用 で生成 された 画像
コンピュータグラフィックスを用いて光の反射や拡散を計算 し、画像 を生成す る際、 (1)物 体の面
に関 して形状 を記述するサーフェスグラフイックスと―
、 (2)物体形状を微小な立方体
(ボ
クセル)の 集
。
合で記述 す るボリュームグラフ ィックスの二種類ある。後者は、気体など、物体 に面が定義できない
場合や、 CTに よる断層画像のように、物体内部の情報 も計算できるという利点を持 つが、まだ発展
途上であり、形状 を変形する方法がなく、照明を計算するにも時間がかかった。 そ.こ で、ボタセルの
間の相互作用 として、変形や照明 を計算す る手法を開発 した この画像は、その出力例であ リー
、すべ
.。
ての物体や空間はボクセルの集合で記述 されている。
●
(情 報科学専攻)
‐
[email protected]■ tokyo.a“ p
品 川
嘉
久
●
-2-
次 彗聯 蠅 螂 孵 珊 輔 離 椰
目
表紙 [微 小立方体 (ポ クセル)の 相互作用 で生成 された画 像 ]
表紙 の説明 ………………………………………………………………………………品川
《退官者 の挨拶・ 退官者 を送 る》
…………………………………………………………………………尾崎
理学部での40年
尾崎先生送別 の辞 ………1… ………… …… ………………… ………… … ……… …………柴橋
東大理学部 での40年 ……………………………………………………………………矢崎
・………………大塚
・
矢崎紘一先生 を送 る …………………………………………………。
退官 にあたって …………………………………………………………………………関 口
関 口雅行先生 を送 る ……………………………………………………………………片山
思 い 出 と提言 … …………………… ……………………………………………………遠 山
遠 山濶志先生 を送 る …………… ………………………………………………………高瀬
おせわにな りました …… ………………………………………………………………今西
今西 さんを送 る …………………………………………………………………………丸 山
い ろい ろあった40年 ……………………………………………………………………青山
青山 さんを送 る …………………………………………………………………………西田
《
新任教官紹介》
着任 にあたって一これまで 。これから一
嘉久 ………
2
洋二 ………
博資 …………
紘―・………
孝治 ………
4
6
7
8
9
雅行 ………
武司 ………
潤志 ………
10
11
一………
13
雄
章 ……… 14
浩―・……… 14
惇彦 ……… 16
生郎 ……… 17
………・……………………………………星野
《
研究紹介》
リアルな CG画 像生成 の追求 ……………………・…………………………………………・西田 友是 ………。 19
極限状態 の宇宙 をガ ンマ線 で探 る :GLAST衛 星計画 …………………………釜江 常好 ……… 21
相対論的 な膜 の量子論 ……… ……………・…………………… …… … …… ……………藤川 和男 ………・ 22
生物活性物質 の生理適合化学選択性 を評価す る分子 セ ンシング ………・…………梅澤 喜夫 ……… 23
理 ………・ 24
酸素 の “2重 ふ るい "基 質選択機構 ………… …… …… …… ………… … …… ………濡木
生 き物 はどうやつて機械的刺激 を感 じるか―単細 胞生物 の場合 … … …… ………吉村建 二郎 ………… 26
酸素呼吸 を支 える分子装置 の分子進化 とユニ ークな蛋 白機能 ……………………茂木 立志 ……… 27
晩 。後氷期 の海面変化 とサ ンゴ礁形成 ……………………………………・…………米倉 伸 之 … …… 29
受精時 に見 られる Ca2+上 昇 のメカニ ズム と役害1 …………………………………吉田
学 ……… 30
火山ガスの火山体 か らの拡散放出 …………・… …… ……・…………………………・野津 憲治 ……… 31
国境 を越 え赤道 を越 え ………………………・…… ……………・……………………・半田 利弘……… 32
《受賞関係》
小林昭子先生の結晶学会賞受賞 を祝 して
英夫 ………
33
紅 花 … ……
ヨンク ン… ……
34
……………… ………・……………………井本
《
留学生 よ り》
東京 での随想
東大 人 の心
35
《その他 》
平成 10年 度理学部・ 理 学系研究科技術職員集合研修 「 コンピュータ関係」実施 され る …………… 36
理学系研究科 。理学部職員 と留学生 。外国人研究員 との懇談会開かれ る …………………………… 36
理学系研究科長 (理 学部長 )と 理学部職員組合 との交渉 ……………………………………………… 38
東大木 曽観測所 が「 ふ るさ と切手」 に … ………………………・………・………………………………・ 39
人事異動報告 ……………………………………………………・…………・………………………………・ 40
博士 (理 学 )学 位授与者
…………………………………………………………………………・………… 41
《
名誉教授 よ り》
国立 大 の独立法人 化 はあまりにも短絡的だ
42
編集後記
-3-
退官者の挨拶 0退 官者を送る
理学部 での40年
尾
崎
洋
二
(天 文学専攻)
osaki(D astron.s.u‐ tokyo.actip
る。また助手時代 は、海外 へ も出やす く、
実際私 の場合 、助教授の時 を含 めると、
アメ リカの コロンビア大学 に 2年 、 コロ
ラ ド大学 に 1年 、 フラ ンス のニ ース天文
台に 1年 、 ドイ ツのマ ックスプラ ンク天
体物理研究所 に 1年 と合計 5年 間 の長期
海外研究生活 を送 らせて頂 いた。
私 は理 学博 士の学位 を取った後、 1967年
か ら69年 まで の 2年 間、 コロンビア大学
天文学教室 に博 士研究員 として滞在 した。
当時 アメ リカは、アポ ロ計画 の影 響 で科
学予算 も豊富であ り、私が滞在 した コロ
ンビア大 学 のボスも極 めて鷹 揚 で、天文
私 は、 1959年 に駒場 か ら本郷 の理学部物 理学科天文 コー
スヘ進学 した。 それ以来、40年 間にわた り、最初 は学生
として、その後 は教官 として、東大理学部 にお世話 になっ
た。 この間、数 え切 れない ほ ど多 くの人々か ら暖か い ご
支援 を頂 き、感謝 の念 でいっぱいで ある。特 に天文学教
3fの
室の教官、事務 の方 々に本当 にお世話 にな り、感
気
持 ちは とて も言葉 では言 い表 せ ない ほ どである。
であればどんな研究 で もいいとの ことで、
なんの義務 もな く、 2年 間のニ ューヨー クの生活 を楽 し
んだ。また、 この期間は東大紛争が起 った時であったの
で、大変な時期 に私は海外 に難を逃れた形になり、当時
の同僚 の方々には申し訳なく思つてい る。しかし当時 は、
世界中で大学紛争が吹 き荒れていて、 コロンビア大学 も
内閣の所得倍増計画 の前 で、 日本全体 も貧 し く文字通 り
「天文 なんかやった ら食 えない よ」 とい う脅 しをいわれ
ご多分 に もれず大学紛争があ り、大学本部の建物が学生
に占拠 された。 コロンビア大学 の紛争 は、アメリカの学
園紛争 で は最 も大 きなものの一 つで、『いちご白書』 と
い うベ ス トセラーで知 られて い る。 この 2年 間、私 は
ニ ューヨーク生活 を満喫 したが、 コロンビア大学での研
究はあまり大きな成果が上がった とは言い難 い。しかし、
私 のライフワークとなる『恒星の非動径振動の研究』お
よび 『矮新星爆発メカニズムの研究』 とい う二つの研究
テーマは、 いずれもコロンビア大学 に滞在中に手を付 け
る と、本当に心配 で あった。私 は幸 い に も、大学院博士
課程 2年 生 の 7月 に、天文学教室 の助手 に採用 された。
始 めた仕事 である。いわば、 この 2年 間はその後の研究
の孵化期 間で あった。
理学部天文 へ進学 を決意 す る際、私 が一番心配 だった の
は、将来 天文学で生計 を立ててい けるか どうかであつた。
現在 も天文 学 を専攻 した場合、専門を生か した職 につ く
のは、なかなか大変であるが、当時 はまだ いわゆる池田
当時の教室主任 の藤 田 良雄先生か ら、助手 に採用 します
と言われた時が、今 までで最 もうれしかった ことの一つ
で はなセヽ
か と思 う。
私 は25歳 の時 に助 手 に採用 され、助教授 に昇任 したのが
39歳 である。従 って、助手 を14年 間や った ことになる。
私 が助手 であった 当時 は、天文学教室では助手 は特 に演
習 な どの義務 もな く、研究 に専心 していればよかった。
助手 か らなかなか昇進 で きない の もつ らい ものがあった
が、研究 に専心出来たのは、逆 に幸せ であった とも言 え
-4-
私が永年追求 してきた研究 テーマ は、太陽 を含めた恒星
の活動機構 を明 らかにすることである。その中で も研究
生活前半に取 り組んだテーマ は、『恒星の非動径振動の
研究』であった。 このテーマ については、私が手 を付 け
始めた70年 代初 めでは、 まだ この分野の研究者はほとん
どいない状態であった。 しか し、その後大きな発展 を遂
げて、現在 では振動 を使 って太 陽や恒星の内部構造 を探
る『日震学』および『星震学』 として、天体物理学の重
要な研究分野 になっている。 この研究は、私が コロラド
退官者の挨拶・ 退官者 を送 る
大学 か ら帰国後の1970年 代 中 ごろ、当時大学院生 であっ
た安藤裕 康 さん (現 国立天文 台教授 )や 柴橋博 資 さん
れ東大 の柴橋教授、京大 の嶺重助教授 らによって引 き継
がれ、 その後 さらに大 き く発展 して い る。 これ ら目覚 し
(現 天文学専攻教授 )ら と一緒 に行 った もので、 これ ら
い発展 を目にす る ことは、大変 うれ しく私 自身大 きな満
足 を感 じる。 それ とともに、す でに私 の役 害1は 終わ り、
の研究で我々東大天文学教室 は、当時 この分野 で世界 を
リー ドしていた と自負 している。 これ らの研究成果 は、
次世代 の人たちの舞台 になっていることを痛感 している。
海野和 三郎先生 を筆頭著者 とす る同名 の英文専門書 とし
て東大出版会 か ら1979年 に初版、 1989年 に改訂版 を出版
す ることが出来 た。
また次 に取 り組 んだテーマ は矮 新星爆発 メカニ ズムの研
最後 に研究 に伴 う私的な喜びの一端 をつ け加 えた い。私
は、 4回 にわた る海 外赴任 で、 いず れの場 合 も家族 を同
伴 した。 そのため、家族 を通 じてその国を知 るとい う貴
重 な体験 をさせて いただ いた。 なかで も、家内のアメ リ
カでの出産、子供 たちをフラ ンス、 ドイツの学校 へ入れ
究 で、 これ は1980年 代 か ら現 在 まで続 けて きた研究であ
る。すでに述 べた ように、 このテーマは私 が コロ ンビア
た ことな どが思い 出深 い。 フランスお よび ドイツの学校
大学 に滞在 中か ら手が けた ものであるが、初期 の段階 で
はほ とん ど霧 がかかつた ような状態 であった。 しか しそ
については、 それぞれ帰国後 に東大学内広報 に体験談 を
載 せて頂 いた。家族共々、海 外生活 で色 々なすば らしい
方々 と知 り合 う ことがで き、家族一緒 にいろい ろな国の
の後観測面 で も大 きな進 展 があ り、現在 では私 が 1974年
に提案 した 『円盤不安定 モ デル』 に沿 った線 で、矮新星
爆発の基本的なメカニ ズムはほ とん ど完全 に解明 された
と思 って い る。私 が 1974年 に提案 した モ デル はいわゆる
現象論的 モ デルで、円盤不安定性 の物理機構 は不明の ま
文化や生活 に触れる ことができたの も楽 しい思い出 になっ
てい る。 もう一 つ、学生時代以来、趣味 らしい ものを持
たなか った私 が、50の 手習 いで始 めた ものに、『お絵描
まであった。 その後、 1980年 代 に、降着円盤の不安定性
の物理的 メカニズムが明 らかにな り、 それ を使 って矮新
き』 と称す るパ ステル画 がある。 なかなか思 い通 りに描
けない もどか しさはあるが、私 の性 にあったのか、すで
に10年 近 く続 いてお り、研究会 な どへ 出かける際 は、パ
星 の爆発現象 を数値 シ ミュレーシ ョンで きるようになっ
た。 これ らの研究 は、やは り当時大学院生であった嶺重
ステル の道具 を持参 し、 その地の風景 を描 くの も密かな
楽 しみに加わ った。 (写 真 は、パ ステル 画 の写生風景 で
慎 さん (現京大助教授 )等 と行 った ものである。昨年 10
月京都 で、嶺重 さんが 中心 になって、私 の提案 した 『円
ある。)
盤不安定 モ デル』 の25周 年記念 の国際 ワークショップを
開催 して下 さった。出席者 の約半数 の28名 が海外 か らの
私 に とって理学部 での40年 間 は、 よき師、 よき先輩、 よ
き同僚、よき後輩 に恵 まれた しあわせな40年 間であつた。
参加者 で、海外 か らの友人 を含 めて多 くの方 々か ら祝福
を頂 き、「天 文学 の研究 を して きて よか った」 としみ じ
東大理学部 を去 るにあた り、理学部、理学系研究科 のさ
らなる発展 を祈念 して、私 の退 官 の ご挨拶 とさせていた
み幸せ を噛 み締 めた。
だ きます。
私 のライフワークであった以上 2つ のテーマ は、それぞ
どうも長 い間、有難 うござい ました。
-5-
退官者の挨拶・ 退官者を送る
尾崎先生送別の辞
柴
橋
博
資
(天 文学専攻)
[email protected]_tOkyO.acJp
尾崎洋 二先生 は、恒星 の動的現象の理論的研究 を中心
に、多岐 にわた る研究 を行 って こ られ ました。その中で
も、激変星 等 における降着円盤 の不安定性理論、 それに
太陽や恒星の脈動理論 におけるご功績 は輝 か しい もので
あ り、 これ らの分野 における第 一人者 として先生 のご名
声 は世界 に広 く知 られてお られ ます。私 は、激変星 に関
しては、先生 の ご研究 を脇 で見聞 させていただいたのみ
なのですが、 しか し、 これが謂わ ば特等席 で舞台 を楽 し
ませて いただ くような贅沢 で したので、是非 ここで ご紹
シ ョンの結果 として、円盤 の形状 が大 きく歪む ことが見
出された ことで した。先生 は、直 ちに、 これが赤色星 の
潮汐力 による新種 の不安定性である ことを見抜 かれ、 そ
の性質 を明 らかにされ ました。 と同時 に、先 に述 べ た熱
的不安定性 とこの潮汐不安定性 を組 み合 わせ ることで、
問題 の矮 新星 を見事 に説明 され ました。複雑 な増光 の特
性 を解明 され る先生 の論理 の進 め方 は、 まるで名探偵 の
鮮や かな謎解 きを眺めるよ うで、知的興奮 をそそ らずに
はい られない、 それは見事 な もので した。
介 した い と思 い ます。
激変星 とい うのは、ある日突然 明 る く輝 き出す一連 の
先生の激変星 の理論研究 は更 に進展 します。激変星 に
分類 される様 々な型 の星 の特性 を、熱的不安 定性 と潮汐
星々で、増光の度合や頻度 な どにより、現象論的 に幾 つ
かの型 に分類 されて い ます。先生が学究生活 をお始 めに
不安定性 を組 み合わせ ることによって、降着円盤の不安
定性 とい うパ ラダイムで統 一 的 に説明 しようとい うので
なった1960年 代 は、 これ らの星 は太陽に似 た赤色 の星 と
自色矮星のペ アか ら成 る連星 系 で、赤色星 が 自身の重力
す。個々の激変星 の特性 です ら複雑 なうえ、増光 の時間
尺度 も、星の種類 によ り様 々で、短 い方 は数時 間 か ら、
長 い方 は数十年、 い え観測 もなされて いない程長 い とい
圏一杯 にまで広 が り、温れたガスが 自色矮星 へ流出 して
い る系 である、 とい う描像が 固 まった頃で した。激変星
の内で矮新星 と呼ばれている星の爆発的増光の原 因 には、
このよ うな連星系の性質が本質的役割 を果 しているとは
うスケ ールに まで及 んでいて、 しか も主たる観測情報 は
明 るさの時間変化 だけ とい うのですか ら、統一 理論構想
考 えられ るようになっていたのですが、 それが どの よう
にであるかは判 っていませんで した。 1970年 代 になって、
を初 めて聞 かれた方 は誰 で も、なん と野心的な、 と思わ
れたに違いあ りません。 しか し、先生 は、赤色星 か ら白
色矮星 へ の質量降着率 と連星 の公転周期 とい う2つ のパ
赤色星か ら流 出す るガスの量が何 らかの理 由で突 然増 え
る ことが原因だ とい う説が出されたのに対 し、先生 は、
ラメーターで全ての激変星 を見事に説明 されたのでした。
一旦 、 この理論 を聞 いて しまうと、混沌 とした観演1現 象
赤色星 か らのガスの流出量 は一定だが、ガスは自色矮星
の周 りに円盤 を形成 し、その円盤 が時 々不安定 になって、
そ こか ら自色矮星 へ の降着量 が増 えて増光 になるのだ と
が一気 に明瞭 に、 しか も無理 な く説明出来て しまい、一
い う、降着円盤不安定性説 を出 され ました。先生が この
説 を唱 え られた時点 では、実 は未 だ降着円盤の不安定性
のメカニ ズム 自身 は知 られてお らず、謂わば仮説だった
のですが、先生 は、一定 の水が定常的 に流入 していて も
竹筒 に溜 まってい った水が或 る量 まで達す ると突如筒が
反転 して 中の水 を流 出 させ るプ ロセ スを繰 り返す、 日本
庭 園 にあ る「添水」 (鹿 威 )に 問題 の本質 を見抜 かれ、
矮新星 を論 じられたので した。 この 2つ の説 はそれか ら
長 い間世界 中の研 究者 を 2分 する論争になったのですが、
円盤 が熱的 に不安定 となることが理論的に示 され、先生
の理論が予 言す る現象 の観測的証拠 も揃 って、1990年 代
には、先生 の物理的直感 の見事 さを証明す る結果 となっ
たので した。
1980年 代後半 には、先生 は、一段 と目覚 しい成果 を挙
げ始められました。切掛 は、降着円盤の計算機 シミュレー
-6-
体何故 それ まで長 い間問題 だったのか、 とい う気 になっ
て しまい ます。 それ は、必死で考 えて も判 らなかった幾
何 の問題 を補助線一本 ですっ と解 いて見せ られたような、
爽快 な驚 きの感覚 です。現在、 この統 一理論 の証拠固め
は着実 に進んで い るように見 えます。
先生の数多 い研究 の ご功績 の中で も、激変星 の理論的
研究 は、矮新星 の増光機構 についての最初 の提唱 か ら激
変星の統一理論の構築 まで、 学究 生活 をお始 めの頃か ら
停年 をお迎 えす るまでの長年 にわたって、常 に先駆的に
行 って こ られた、正 に先生 のライフワーク と位置付 ける
に相応 しい ものです。先生 か らは、 多 くの ご指導 を頂 き
ましたが 、先生が、長編 の作品 を書 き上 げるかの如 くに、
息の長 い、しか も切れ味の鋭 い、ご研究 をなさるのを日々
間近 に拝見 させていただ いた ことが、何 にもまして贅沢
なお教 えを授かった ことで ある と、感謝す る次第 です。
4月 か らは、先生 は本学 を離れ られ ますが、先生 の更 な
るご活躍 を楽 しみにさせていただきた く思 ってお ります。
●
退官者 の挨拶・ 退官者を送る
「東大理学部での40年 」
矢
崎
紘
― (物 理学専攻 )
[email protected]‐ tokyO.ac.jp
が次 々 と出 て きた時代 で、パ イ中間子 と原子核 との相 互
作用 を中心 に、 いわゆる中間 エ ネル ギー核物理が急速 に
進歩 して い た。 MITは この分野 の研究者 が集 まって い
て、私 もその仲間入 りをしたのである。有馬先生 はち ょ
うどその頃、 財目互作用す るボゾ ン模型 Jを 提唱 され、原
子核構造、特 に原子核 の集団運動 に関す る輝 か しい業績
へ の第 1歩 を踏み出された ところであったが、私 はそれ
1959年 4月 に理学部物理学科 へ進学 し、本郷 キャ ンパ
スに来 てか ら、ち ょうど40年 になる。それ以来、駒場 キャ
ンパ スで過 ごした大学院生、助手 の時期 と、海外 へ でか
けた時期 を除 けば、ほぼ30年 間、 これ までの人生の半分
を、 この本郷 キャンパ スで過 ごした ことになる。最近話
とは相補的 な、中間エ ネル ギー核物理、ハ ドロン物 理 を
選 んだ。物理教室 は「講座制 」 ではな く「研究室制」 を
とって い るので、有馬研究室 と私 の研究室 とは一応独立
していたが、実質的には原子核理論研究室 として、研究
活動 を一緒 に行 い、 これは1989年 、有馬先生 が総長 とな
られて物理教室 をお去 りになるまで続 いた。原子核物理
につ いて多 くの ことを教 えて いただいたの は勿論 で あ る
題 となっている大学問 の人事交流 とい う面 か ら見れば、
悪 い見本 といえよう。それ にして もこの長 い年月、大変
居心地良 く過 ごさせていただいた ことに、深 く感謝 したい。
物理学科 での私 たちの学年 は、大学院 へ の進 学率 が 当
時 としては高 く、その後 も研究教育職 に就 いた人が多 かっ
た。同級生 には、大学、研究所 で活躍 して い る人が大勢
い るが、特 に市村宗武現副学長 とは大学院 で 同 じ研究室
に所属 し、研究 もさる ことなが ら、テニ ス、山歩 き、 ス
キー、囲碁 と遊 びにも熱 中 して、忙 しくも楽 しく充実 し
た学生生活 をともにしてきた ことを思 い出す。市村 さん
にはそれ以来、何 か困 った ことが あると相談 に乗 つて頂
き、ご迷惑 をおか けして い る。
私 た ちの指導教官 は、 当時教養学部物理教室 にい ら
しゃった野上茂吉郎先生 で、 その学者 らしい風格 に憧 れ
た ものであった。残念 なが ら14年 前 にお亡 くな りになっ
て しまったが、 お好 きだったパ イプを くゆ らせなが ら、
セ ミナーを取 り仕切 ってい らっしゃった姿 が、心 に焼 き
付 いてい る。先生 は自由放任主義 で、私 たちは全 く気 ま
まに研究 させて頂 いた。 よ く遊 び、 よ く (?)学 んだ駒
が、 それに加 え、研究 の進 め方、研究室の運営、大学院
生のま
旨導のお手本 を見せて頂 けたのは、幸 いであった。
この10年 で最 も印象 に残 っているのは、何 といって も、
1993年 1月 に行われ た物 理学教室 の外部評価 である。総
長 として任期 を終 えようとして いた有馬先生の提案で、
南部陽一 郎 シカゴ大教授 を委員長 とし、他 に外国人 3名 、
日本人 4名 の計 8名 の委員 は、国際的 にも著名 な鈴々た
るメンバ ーであった。当時たまたま教室主任 を仰せつかっ
て いた私 は、 どのような準備 をしてよいのか分か らず、
多 くの方々 に助 けて頂 いた。特 に実務、予算 については、
事務 の方々 に大変 お世話 になった。改 めて御礼 申 し上 げ
る。評価委員会 か らは多 くの助言 を頂 き、物理学教室 も
それに応 えて学生 による授業評価 を始める等 の改善策 を
講 じたが、指摘 された外国人 スタ ッフ、女性 ス タッフの
不足 は、今後 の課題 として残 っている。
最後 に、 この ところ少 し気 になっていることを申 し上
げて、結び としたい。大学院重点化、研究所、施設 の改
場 での 8年 間 は、 その後 の理 学部 での研究 と教育 の基盤
組、柏新研究科 の設 置な ど、大学 の運命 を左右す るよう
な重要な問題 が、 この数年、次々 と生 じ、教授会 で議論
を作 った期間 であった。
され、結論が出 されて きた。 しか し、 その決 まり方に、
1969年 の秋 に、理学部 へ講師 として移 つてか らは、当
時助教授で い らっしゃった有馬朗人先生の お手伝 い をし
だんだん行政指導 の傾 向が強 くなってきた ように思われ
る。極端 にい えば、教授会 では大学本部 の考 えが紹介 さ
て、原子核理論研究室 (通 称「有馬研 J)で 研究 と教育
を進 める ことになった。有馬先生 の研究テーマは、主 と
れ、それを承認 しているだ けのように見 える。重大 な意
思決定 に十分 な時 間が与 えられない のが、 その原 因 のひ
して「原子核 構造 の理論」 であったが、私 の方 は有馬先
生が「飛んで い る物理 は性 に合わ ん」 とおっしゃ ってい
とつ といえるか もしれない。 しか し、それで納得 して し
た原子核反応 に興味 を持 っていた。 その後、 1973年 か ら
75年 にかけて、ア メ リカ、 ニ ュー ジャージー州 のラ トガ
ス大学 と MITと に 1年 ず つ滞在 させ て頂 き、核反応 で
もエ ネル ギーの高 い領域 に 目を向け ることになった。当
時 は、
「 申間子 工 場 Jと よばれ るパ イ中間子 の 2次 ビー
ムを生産す る実験施設 が世界各地 で完成 し、実験 データ
-7-
まうのには危険 を感 じる。少 な くとも教授会 は拒否権 を
持 つ ことを確認 するべ きだ と思 う。議論 を積み上 げて意
思決定す るのは効 率 が悪 く、臨機応変の対応が出来 ない
のは確 かである。また、教授会 メンバ ーの大多数 は研究、
教育 以外 の ことに時間 を費やすのは惜 しいに違 い ない。
しか し、 このままで は、研究者側 に立 った意思決定 がな
されな くなって しまうのではないか と危惧す る。効 率 は
退官者 の挨拶・ 退官者 を送 る
良 くて も、誤 った方向に進むのでは大変である。研究者
の意思が十分 に反映 され るような、効率の良 い制度 が作
さて、 はじめにも申 し上 げましたが、学部か ら40年 、
教師 として30年 、長 い年月 を楽 し く過 ごさせていただ き
られるまでは、せめて上で述 べ た拒否権 を手放 さないで
欲 しい。
ました。本当 にあ りが とうござい ました。
矢崎紘― 先生 を送 る
大
塚
孝
治 (物 理 学専攻)
otsuka(Dphys.s.u― tokyo.ac.jp
矢崎紘 一先生 に初 めてお 目にかかったのは私 が駒場 の
2年 生で 4学 期 の講義 を受 けた時で した。 1971年 の こと
です。矢崎先生 は講師 として物理学教室 に着任 して 2年
たった時 で した。 まった く無駄 のない、 きび きび とした
解析力学 の講義 で した し、何 よりも先生 の若々 しさにびっ
くりしたのを今で も覚 えて い ます。
矢崎先生 は日本 で分野 としての原子核物理学が成立 し
た頃にアカデ ミックなキャリアを始 め られ ました。本郷
の物理学教室 に有馬朗人先生の研究室 ができ大学院生 を
採 るようになったのは矢崎先生が大学院 に入 学 された翌
年 か ら、 とい うようにまさに原子核物 理学 の揺笙期 で し
た。同時 に駒場 の野上茂吉郎先生の研究室 に入 られたの
が、現冨1学 長の市村宗武先生です。お二人 は学部生 の頃
か ら今 日に至 るまでの友人 です。実際、大学院では御 一
す。矢 崎先生 は大学院時代 か ら既 に原子核 中で 中間子 の
果たす役割 に興味 をお持 ちで、磁気 モー メン トの研究 も
中間子 の効果 に関す るもので した。 それが、 この時期 に
大 きく発展 し、パ イ 中間子 に関す る様 々な研究 を次々 と
始 め られ ました。
1980年 代 に近づいて くる と陽子や中性子 をさらに細 か
く見 て、 クォークの視点 か ら原子核 を考 える物理がち ら
ほらと出始めま した。矢崎先生 はこの分野 にもいち早 く
進 まれて、 クォー ク模型 による核力 (中 性子や陽子 に働
く力 )や クォーク・ クラスター模型、 カラー・ トラ ンス
ペ ア レンシー、最近 で は NJL模 型 な ど今 日の研究活動
につなが るテー マ を始 め られて い ます。 このよ うな分野
はハ ドロン物理 と呼 ばれ る分野です。 このように、核反
緒 に原子核 の磁気 モー メン トや芯偏極効果の研究 をなさ
応 の分野 か ら始 め られ、中間 エ ネル ギー物理 の誕生 か ら
そのハ ドロン物理 へ の発展的解消、 という大 きな流れそ
いました。 しか し、 お二人の交友で後 々 まで最 も影響 を
与 えたのは市村先生 が矢崎先生 に教 えた と言われ る碁 か
のもの と矢崎先生のキャリアは大 きくオーバ ーラ ップし、
常 に先進的な研究 をされてきました。 そして現在 はハ ド
もしれ ませ ん。私 が学生 だった頃、先輩 か ら矢崎先生 の
「伝説」を幾 つ も聞かされ ました。その内最 も衝撃的だっ
ロン物理 の発展 に努 め られて い ます。
矢崎先生 は何事 につ け、始 め られ るとある満足すべ き
たのは、矢崎先生 は大学院生時代、研究室 に来 る とほ と
ん ど碁 ばか り打 っていて一体 いつ あんなに多 くの ことを
段階 に至 るまで はとことん進 まれ る方で、それは様 々な
Jl■ 味 の進 め方 にもよ く現れ て い らっしゃい ます。水泳が
勉強 していたのだろう、 とい うもので した。
学位論文 の頃 か ら駒場での 3年 半 の助手、 そして既 に
お好 きなのですが、助手 にな られ るまでは泳 げなかった
触れ ました ように本郷 に講師 として移 られた頃 までは、
主に原子核 の反応 について色 々な面 か ら研究 されました。
原子核 は陽子や 中性子 の集 まりですか ら、原子 核 どうし
が衝突 した り近 づいた りす ると、 た とえば、中性子 が一
方 の原子核 か ら他方 に乗 り移 った りと、色 々な動的な現
象 が起 こ ります。 この核反応 に関 して実 に多岐 に渡 る業
績 を残 されてい ます。
そうです。 それが精進 されてついには文部省職員の大会
に東大代表 で 出場 され るまで になったそ うです。
また、学問上 は矢崎先 生 は常 に厳 正 な、そして「最終
的な」判断 をされ る最高裁半J所 長官 の ような方 である、
と広 く認 められてい ます。実際、御本人 のやって い る分
野以外 の事柄 にまで、原子核物理の範囲内 とは言 え、先
生のように的確 に理解、判断 で きる方 は世界 中探 して も
1973年 か ら MITな どに 2年 間滞在 され ました。 この
見 つか らないのではないか と言われて い ます。 そうい う
方 に本学 を去 られ るのはつ らい気持 ちで一杯 ですが、 こ
頃 が矢崎先生 の原子核物理学の表面上のターニ ングポイ
ン トだった ように私 には思われ ます。 ち ょう どこの時期
れ を節 目に何 か新 しい方向を見 つ け、 さっさと進 まれ る
ので はないか と思い ます。春か らは東京の私立大学 に移
に中間子 と原子核の関わ りにウエ イ トを置 いた 中間 エ ネ
ル ギー物理学 とい う分野が急速 に勃 興 して きました。中
間子 をメ ソンといい ますが 、メソンの比 較的強 い ビーム
られ るとお聞 きしてお りますが、 これ までの御指導、御
激励 に感謝 し、 また教室主任、専攻主任 な どの職務 にも
御礼申 し上 げなが ら、 ます ますの御研究の発展 と、御健
を出すメ ソンフ ァク トリーが数箇所 で建 設 された時期 で
康 をお祈 り申しあげます。
-8-
退官者の挨拶・ 退官者を送る
退官 にあたって
関
回
雅
行
(原 子核科学研究センター)
[email protected],u‐ tokyo.acip
して よい ものではない。 もう数年前 になるが、核研 のカロ
こに所属 していた)に 研究生 として外国
人がやってきた。 日本 の或 る大型加速器施設で博 士論文
速器研究部
(そ
の仕事 をするために、米国 の大学 か ら日本 に 3年 間留学
した後 の ことで あった。或 る時、米国 の指導教官 が博 士
論文 を可 とした とい って喜 んでいたので、彼 の研究 につ
いてい ろい ろと聞 いて みた。彼 の研究 といって も、大 き
平成 9年 4月 に、旧原子核研究所 (核研 )の 改組 に伴 つ
て原子核科学研究 センターが発足 した際、核研 か ら理 学
系研究科 に移 ってきた。それか ら 2年 間、新 しいセンター
を作 り上 げて行 くとい う ことを意識 しつつ、理学系研究
科 の一員 として、新 しい環境 で新 しい経験 をしなが ら楽
しく仕事 が 出来た と思 う。
な実験 グループでの研究 の一部 なのであろう。 デー タは
され いだ し、外国 の他所 の研究所 で得 られた多数のデー
タのち ょうど真中になって、理論 曲線 ともよ く一 致 して
いて、立 派 な 仕事 の よ うに思 えた。 最後 に、 "What's
newP" と聞 いて みた ら、彼の答 えは "Nothing new!"
であった。
この 2年 間 はセンターに とって過渡期 であった。実際、
第 二 は、イオ ン・ ビームの実験手段 としての可能性 であ
る。イオ ン・ ビーム は今や基礎研究 。応用研究 を問わず、
発足時 に組織 が変わ った とはい え、研究場所や実験 装置
は核研 より引 き継 いだ ものだ し、高 エ ネル ギーカロ
速器研
広 く手段 として使われ ているので、広 い分野の研究 に使
う ことを試みる ことも必要か と思 う。実際、 セ ンターに
究機構 (KⅨ )の 人員構成 も核研 時代 と大 き く違 った
わけではないので、見 かけ上 はほとんど変化 はなか った。
なってか らも、ECRイ オ ン源 か らの多価 イオ ン を用 い
て、孤立特異系 としての多価 イオ ンの性質 や、 多価 イオ
ンの団体 との相互作用の研究 を行 ってきた。 また、ガヽ
型
その上 、発足時 の KEKと の約束 で、 この 2年 間 は全国
共同利用研究所 であった核研 のサイクロ トロンの共同利
用 を KEKが 引 き続 き運 営 してきたので、 センター とし
ECRイ オ ン源 を半導体 製造用イ オ ン・ イ ンプランター
ての独 自性 を出す のには制約 が大 きかった。
った。
核研改組 の際に、小型の重 イオ ン加速器 を中心施設 とす
る このセ ンター を理学系研究科附属 にすることは次 の二
セ ンターが核研 か ら引 き継 いだサイク ロ トロン施設 は、
1970年 代前半 (高 度経済成長 の初期、オイルシ ョックの
点 でメ リッ トが ある と考 えた。
前後 )に 建設 された もので、今 では大型施設 には入 らな
いが、建設以来長 い問核研 の主力装置 として全 国共同利
第一 は、原子核・ 素粒子研究 の基本的実験手法 である加
速器 か らの ビーム を用 いた実験研究 (イ オ ンの発生、加
のイオ ン源 として、工場 の製造工 程 に応用す る試 み も行
用 に供 されて きた。 その間、社会情勢 や原子核分野 の環
速、標的へ の照射、発生粒子 の検 出)を 数人 で実行 で き
るか ら、 この分野 の教育 に適 している点である。大型、
境 が変化 し、それをセ ンターが比較的小人数 で活用 して
行 くのは、 また別 の困難 が伴 う。 一つ は人員である。建
あるい は超大型の施設 を使 った研究 では、数十人、時 に
は数百人 の研究者 がグループを形成 して一つの研究 を遂
設 当初、建設予算 とともに運転要員 が何人 か (4-5人
と聞 いて い る。当然、関係者 の多大 な努力があっだに違
い ない)増 員 された………その ような時代 であつた。それ
行 して行 くが 、 そのような場 合 には一人 の研究者 は必然
的 に研究 の一部 を分担す るに過 ぎない。す でに経験豊 か
で、省力化、省 エ ネル ギー化 とい う観点 は設計ではほ と
ん ど考慮 されず、 いかに少ない建設費で良 い性能 の もの
な研究者 はどのような分担 で も得意 な分野 を担当すれば
良 いが、若 い研究者 は 自分 の分担 に埋 没する危険がある。
を作 るか とい う点 に最大の努力 が払われた ように思 う。
それ を、今の時代 に合 わせて、 このセ ンターが運用す る
研究者 としての早 い段階 で、実験 の企 画、実行や基本的
手法 を数人のグループで行 う実験か ら会得 して行 くこと
は、後 に大 きなグループで仕事 をす る場 合 にも、有益 に
には何 らかの工夫が必要 となろう。新 しい装置 に更新 で
きればそれに越 した ことはないのだが。
なる ことで あろう。
もう一 つはイ ンフラス トラクチ ャーで あ る。例 え小型 と
はい え、サイクロ トロン施設 には電 力・ 冷却水・ 放射線
教育や研究 が重要だか らといって、費用対効率 を度外視
管理 の設備 が不可欠 である。核研時代 には、古 くなった
-9-
退官者の挨拶・ 退官者 を送
とはいえ長年 の蓄積 も有 つて、空気の ように既存 の もの
として一応忘れ ていて も事 が済 んで いた。 センターが 田
無 キャ ンパ スに残 るとすれば、 これか らは 自前 で運用す
ることになる。
うにまだ残された課題 も多 い。最初 に考えた このセンター
のメ リッ トが生かされ るには程遠 い状態で センターを去
ることには心残 りもあるが、 これ らの課題 を解決 し、 セ
ンターが理学系研究科附属 の機関 として研究 と教育 に成
果 をあげて行 くことを期待 した い。
原子核科学研究 セ ンターは 2年 間 の助 走期間 を終 え、 こ
れか ら理 学系研究科附属 のセ ンター としての独 自の道 を
最後 にこの二 年間 い ろい ろお世話 になったセンターの同
歩 む ことになる。 そうなる こ とは当初 か らわかって いた
ことなので、 この 2年 間 にその基 礎 を作 り上 げようと努
僚諸氏、理学系研究科の先生方、事務 の方々 に感謝 いた
します。
力 したつ もりではあるが、外的要 因 も絡 んで、上記 の よ
関 口雅行先生 を送 る
片
山
武
司
(原 子核科学研究 センター)
[email protected]‐ tokyo.ac.jp
関 口先生 は我が国のサイク ロ トロンカ日
速器お よびイオ
ン源 の研究分野 の第 一線 で長年活躍 して こられた。 1972
を継 続 的 に 実施 す る と共 に 、 SFサ イ ク ロ トロ ンの
3Heビ ーム を用 いて、坂井光夫先生が始 め られた 原子
年、 旧原子核研究所 (核 研 )時 代 に我 が 国最初 の AVF
サイク ロ トロンを完成 させ 、全国 の原子核実験 グル ープ
核 内の深 い空子L状 態の研究 を実験チ ームの中心 となって
推進 し、 この研究 で博 士の学位 を取得 された。 また、宇
が核研 で共同利用実験 を行 う貴重な礎 をつ くられた。 ま
たその後電子サイク ロ トロン共鳴 を用 いた重イオ ン源 を
開発 し、同サイク ロ トロンの性能 を飛躍的 に向上 したグ
宙航空研究所の西村純教授 と共 に「宇宙空間 における大
容量 メモ リー素子 の ソフ トエ ラー」、 また教養学部藤本
ループの 中核的存在 として活躍 された。
●
文範教授 とともに「結晶チャネ リングによるオ コロコフ
励起現象」の研究等 を行 い、イオ ンビームの応用研究 に
も先駆的貢献 をはたされた。
先生 は1961年 、東京大学理学部物理学科 を卒業後、大
学院核反応物理学講座、野上研究室 に入 られた。 タ ンデ
ム・ ヴア ンデグラーフによ る微細 な原子核構造・ 反応実
験研究 が世界的 に も注 目されはじめた時期 にあた り、同
研究室では我が 国初 のタンデム加速器 の建設 を開始 した。
しか し、同加速器 の建設 。調整 は困難 をきわめ、大学院
学生 も研究の大半の時間 を運転 。調整作業 に費や した。
関 口先生 はタンデム加速器 の建 設 に参加 した大学院生 と
しては最 上級生 にあたる。大学院 5年 が終わ った時点 で
は無論 の こと、約 2年 ほ どの研究生や 1年 更新 の任期付
き助手 ポス トにあった時期 において もタンデムか らは研
究論文 になるよ うな実験成果が ほ とん ど出なかった、 と
い う苦闘生活 を送 られた。
1968年 、核研 の低 エ ネル ギー研究部、 サイク ロ トロン
グループ に助手 として参加 され、 当初 は FMサ イク ロ
トロンの回転式 コ ンデ ンサ ー の改良、 3 He加 速試験等
に寄与 された。同時 に、科研費「 サイクロ トロン初期状
態研究用電磁石」の設計、製作 にあた り、 これによる我
が 国最初 の AVF型 サイク ロ トロンである INS‐ SFサ イ
ク ロ トロンのモ デル研究 を開始 された。 その研究成果 に
基 づ き、 サイク ロ トロン本体 の建設 にあたっては、関口
先生 は、イオ ン源、垂直入射系、高周波加速系、な ど主
要部分 を担当 して SFサ イク ロ トロンの建 設 の成功 に大
き く寄与 された。
1972年 、SFサ イク ロ トロ ン完成後、 その運転 、改善
1970年 代後半、助教授昇任後、 サイクロ トロン責任者
として技官 グループ を指導 し30年 に渉 る SFサ イクロ ト
ロンの長期稼働 を維持 し続 け、核研全国共同利用 を支 え
られた。その間、開発研究 の面 で も、垂 直入射系 の改良、
ECR型 重イオ ン源 の開発 の中心 とな り国際ワークショッ
プを主催す る等 の活躍 をされた。オラ ンダ、グ ローニ ン
ゲ ン大学 における長期在外研究の際 には、核物理研究の
面 で も重要な貢献 をされた。
1997年 に、原子核研究所 の改組 に伴 い新 しく発足 した
理学系研究科附属原子核科学研究 セ ンター の教授 とな ら
れ、発足 まもな いセンターの運営の基礎固めを石原 セ ン
ター長 とともに行 い、今 日停年 を迎 え られた。 この間 の
事情、 また考 えについては先生 自らお書 きになって い る
「退官 にあたって」 に詳 し くかかれて い る。
先生 は生粋 の江戸 っ子であ り、 ポンポンとぶ っきらぼ
うに話 をされ る。 またず いぶ ん と照れ屋 で もある。 した
がって正確 に先生 の意図が伝わ らず、誤解 を招 くことも
多 々 あるが、おっしゃるところは極 めて論理的に厳格で
あ り、 また優 しいお人柄 である。 スポーツを愛 し、大 学
時代 か ら野球の ピ ッチ ャー をされ、研究所 の対抗戦 では
エー スで あった。最近 は江 夏 の ように腹部 の大 きさに邪
魔 されて快投 もままな らない御様子ではあるが、時折昼
休 みな どには若手 を相手 にキ ャッチボール を楽 しんでお
られ る。退 官後 も先生 の ご健康 と、加速器物理 。工 学研
究分野 での益々の御活躍 を心か らお祈 りいた します。
-10-―
●
退官者 の挨拶・ 退官者 を送 る
思 い 出 と提言
遠
山 濶
志
(物 理学専攻)
toyama(Dphys.s.u― tokyo.ac.ip
せた。 その被害者 の 中 には牧島先生 もい る。大抵 の人 は
1回 で止める。私 は走 るプロではな く、マ ラソンは伊豆・
戸 田マ ラ ソン レース しか走 らない。普段 テニ ス を楽 しむ
だけで レースー ケ月前 に走 りこむ程度 である。一万人規
模 の市民 マ ラソンと較 べ、伊豆・ 戸 田マ ラソンは実 に恵
まれた、家族 的雰囲気 にあふれた レースだ。前夜戸 田寮
に泊 まるので、参加者 は120人 程度 に制限 され、 お医者
下加茂寮の トイ レではしゃがめないほどの疲労困億だっ
た。帰 りの東京駅の階段 を一段一段 ようや くの思 い で上
が った。昭和 50年 6月 8日 、戸 田寮か らバ スでスー
ター ト
地点 まで南下 し、下加茂 寮 をゴール とす る伊豆半島縦断
さん、看護婦 さん、学生課 の方 々、運動会 の理 事長 が車
で伴走 して くれ、何箇所 かのチェックポイン トでは運 動
会役員がお握 り、飲 み物、果物 を用意 して くれ る。尊敬
している西島先生が偶 々運動会理事長 をされて いた とき
レー スに参加 した ときの ことだ。 それ まで走 った最長距
には伴走車 か ら何度 も応援 していただ いた。帰 りの戸 田
―沼津 までの船 の中でお話 を伺 った。 つい昨 日の ように
離 は13km、 フルマラソンを走 るのは初 めてだったので、
ペース配分 は無茶苦茶だった。峠 を越 えて下 りをバ ンバ
思 い出す。還暦 を過 ぎた昨年 11月 は これで打 ち止 め と宣
言 して走 った。運動会理事長、工 学系研究科長 の中島先
ン飛 ばした ら、膝 がや られ平地で走れな くな り、悲惨 な
状態 に陥 った。 で もこの ときは120∼ 130人 中13位 で、有
生 に伴走車 か ら応援 していただいた。 108人 参加 の中で6
9位 (4時 間55分 )程 度 の記録 なが ら参加 して い るのは、
光敏彦君、落合勲君 と組 んだ理学部物理学科チームは堂々
団体 3位 に入賞 した。今 で も居室 に賞状 が飾 られてい る。
このよ うに恵 まれた マ ラソンレース と毎年一 回七夕 と同
翌年、戸 田寮 を起点 とし、真城峠、古宇、大瀬、井田を
通って戸田寮に戻 って くる第一回伊豆・ 戸田マ ラソンレー
スに、10位 以内入賞 を 目指 して参加 したが、前年の苦 し
さが頭 にこび りついていて用心 し過 ぎ、30位 ぐらいに終
わってしまった。伊 豆西海岸沿 い に富士山を眺めなが ら
走 る素晴 らしいコースだが、 なんで こん な苦 しい思 い を
しなが ら走 るのか、 もう来年 は走 らない ぞ と心 に決めな
が ら、次の年には苦 しみを忘れ、 10回 以上 も走 って しまっ
た。 なぜ こん な ものに取 りつかれたのか ?
大学院 で宮
本梧楼先生 の研究室 に入れて もらった。修士課程 一 年生
の とき、変 な ことをす るのが大好 きな先輩 の鈴木 さん、
じように昔馴染 みの人た ち と戸田で会 える楽 しみか らな
のか も知れない。停年 で最後 のマ ラソンレース と宣言 し
たのに も拘ず、気持 ちが揺れ る昨今 で あ る。
1967年 に物理学専攻 を卒業 し、名古屋大学 プラズマ研
究所 の助手 にな り 6年 が過 ぎた、 1973年 、吉川庄 一先生
がプ リンス トン大学か ら東大 に戻 られ、助手 にな らない
か と誘 われた。核融合研究 の世界 で吉川庄 一先生 は大河
千弘先生 と並 んで、神様 のような存在だ ったか ら、喜ん
で東大 に戻 った。 しか しなが ら、以 来停年 まで26年 の長
きにわた り東大 にお世話 になるとは思わなかった。最初
の仕事 は非円形断面 の トカマクを作 ることだった。吉川
庄 一 先 生 は原研 の大 きな装置 」T60を 作 る ことに奔走
久保 さん と、昭和 37年 7月 10日 伊 豆 東海岸、宇佐美寮 か
ら西海岸、戸田寮 までの伊 豆 半島横断徒歩 レース に参加
ルショックに運悪 くぶつか り、製作 すると口約束 をして
したのが、 きっか けだ。 この レー スは 3人 1組 が常 に一
いた 日立 に投 げ出された。翌年、町工場 二 つを使 い、 5
緒 に走 り、途中修善寺では強制 的 に20分 休憩を取 らされ、
楽 な レースだった。翌年 は逆 に戸 田寮か ら宇佐美 までの
レースで、 この ときは、玉 野 さん、岡林 さん と参加 し、
分 の 1の 費 用 で 非 円形 断面 トカ マ ク
最後 に 1チ ーム を追 いぬいて 3位 に入 った。大学院 を卒
業 し、名古屋大学 に 6年 間 いた。東大 に戻 り 2年 後、伊
豆地 震 で 中断 されていた レースが再開 された。 この とき
か らレース は前 2回 と様相 をが らりと変 え、一人一人が
全力疾走 す るマ ラソンとなった。 このマラソンは物理 学
教室 に縁 が深い。西島先生門下 で素粒子論専攻の佐 々木
建昭 さんが第 13回 まで 7連 覇 し、昨年 は小林孝嘉研 出身
の大井 さんが優勝 している。伊豆 。戸 田マ ラソンを走 る
と人生観 が変わる と物理学教室の多 くの人 を唆 し、走 ら
―-11-
されていたか ら、東大 の仕事 は全 面的 に任 された。 オイ
:TNT(Tbkyo
Noncircular Tokamak)を 作 り上 げた。当時、非円形
断面 トカマ クがプラズマ閉 じ込めの性能 を上げられるか、
全 く未知 の状態 で、東大、米国 の GA、 英国 のカラム研
究所、 ロ シアでほぼ同規模 の実験が行われていた。 国際
熱核融合 (ITER)も 含 め、現在 ほ とん どの装置 が非 円
形断面である。当時大学院生 7人 、技官 1人 と私 の超零
細企業 で も十分貢献 出来 た ことは幸運であった。1983年
か ら約十年間工学部原子力工学科 との共同研究 で逆転磁
場 ピンチ REPUTEの 実験 を行 った。非 円形断面 トカマ
クの ときと違 い、 この計画 は、理学部 :教 授 1、 助教授
1、
助手
2、
技官
1、
工 学部原子力工学科 もほぼ同規模
退官者の挨拶・ 退官者を送る
の陣容、予算 :約 4億 5千 万 円でスター トしたが、完全
に失敗 した。中国人留学生の吉君が揺動 による熱輸送の
の ような新 しいプ ラズ マ 閉 じ込 め方式 の研究 を行 う。
[2]の
α粒 子物 理学 の実験 を行 うには大学 で は持 て
い
な 大型 トカマ クが必要であるが、 [1][3]の テー マ
は大 学規模 で も十分実験出来 る。 Next Step(ITER)、
実験結果 を世界 に先駆 けて発表 し、逆転磁場 ピンチの輸
送問題 に貢献 で きたのが唯一の救 い である。 1993年 か ら
球状 トカマ ク TST(Tokyo Spherical Tokamak)の 実
DEMO(実 証炉 )を 経 て核 融合炉 が 実用 に供 され るに
験 を始 めた。 この テー マ は20年 前 の非円形断面 トカマ ク
:TNTを 始 めた ときと同 じような状況 にあ り、零細企
は50年 かかるといわれている。 このよ うな長期研究 で最
も大事 な ことは人 材養成 である。核融合研究が Science
業 で も世界 に貢 献 出来 る可能性 を持 つ。幸 い高瀬 さん、
江尻 さんが柏 で発展 させて くれ る予定 なので、大 い に期
で あるためには複数 の装置 で実験 を行 い、現象 を確認 し、
待 してい る。
また競争 が行わればな らない。 このよ うな観点か らみる
と、世界 で一つの国際熱核融合炉 (ITER)を 作 った り、
核融合研究 において、今後十年間で最 も重要な研究課
題 ば二つある ;[1]乱 流による熱・ 粒子輸送 の機構 を
物理学 の第一原理か ら解明 し、 プラズマ閉 じ込めの物理
大学の研究 を土 岐市 の核融合研究所 に集中 した りす る こ
学 を確立 し、将来 の核融合炉 に対する指針を作 る。最近
新 しい計演J技 術 の開発が進み、 プラズマ閉 じ込めの物理
は今最 も面 白い収穫期 にある。 [2]D‐ T反 応 により発
生する α粒子 の閉 じ込め、加熱、不安定の実験 を行 う。
現在核融合炉 は α粒子 による 自己点火 を考 えて い るの
で、 この研究 なしには先 に進めない。 [3]国 際熱核融
合炉 (ITER)に 取 って代わ る可能性のある球状 トカマ ク
円の予算規模で 日本各地 に10箇 所程度の研究拠点 をつ く
り、若手研究者 を育成 し、 プラズマ閉 じ込 めの物理学 を
との愚 か さは自明であろう。 日本の核融合研究 を進 める
ために必要な ことは国分寺構想 の実現 で ある :10∼ 50億
確立す ることである。
核融合研究 を含 め、 い ろい ろな分野 で現在大活躍 し、
リー ダーシップを取 ってい る優秀 な若手研究者 と仕事 を
す る機会 を与 えて くれた物 理学教室 に感謝 し、物理学教
室の更 なる発展 を祈 りつつ、大学 を去 ります。
●
●
―-12-―
退官者の挨拶・ 退官者を送る
遠 山先生 を送 る
高
瀬
雄
―
(物 理学専攻)
[email protected]― tokyo.acip
な りました。私 は学部卒業直後 に MITの 大学院 に移 り、
遠山先生 は本学 理 学部物 理学科 を卒業後、大学院 は活
発 にプラズマ実験 を推 しすすめ られていた宮本梧楼先 生
の研究室 に進 まれ、昭和42年 に理学博 士 を取 得 され まし
た。 その後、名古屋大学 プラズマ研究所 の助手 として活
躍 されてい ましたが、 プ リンス トン大学 よ り吉川庄 一先
生が物理学科教授 として着任 された昭和 48年 に、吉川先
生の助手 として物理学科 に戻 って来 られ ました。その後、
講師、助教授 を経 て教授 とな り今 日に至 るわ けですが、
その間プラズマ物理 における数々の新 しい分野 の開拓 に
貢献 され ました。先生 の代表的な業績 は、不均 一磁場 と
高周波電場 を組 み合わせた新 プラズマ加速方式 の開発、
イオ ンサ イクロ トン周波数帯 における二成分 イオ ンによ
る混成波共鳴 の世界初 の検証、TNT非 円形断面 トカマ
クを用 いた世界 に先駆 けた D型 断面 プラズマ の優れ た安
定性 の実 証、REPUTE-1装 置 での測 定 に基づいた、逆
転磁場 ピンチにおける熱輸送 が静電揺動 でな く磁場揺動
によることの解明、 そして最近 ではやは り世界 に先駆 け
た球状 トカマ ク装置 TSTに おける低 アスペ ク ト比 トカ
マ クの熱輸送、電流駆動の実験 な どです。 この間、遠 山
先生 のお教 えを受 けた学生諸君 は、現在核融合研究 の各
分野 にお いて指導的 な役割 を果た してお り、他 の分野 に
進 まれた方 々 もそれぞれ立派 に活躍 されて い ます。
遠 山先生 に私 が初 めてお世話 になったのは、遠 山先生
が吉川先生 のプラズ マ実験研究室 を引 き継 がれて間 も無
い ころで した。 私 は学 部 4年 生 の後期 に、A/1inimakと
い う小型 トカマ ク装置で静電 プ ローブや磁気 プ ローブを
学位取得後 も研究者 として MITに 残 ることになったた
め、遠 山先生 との密接 なつ なが りが あったわけでないの
ですが、機会 のあるごとにご連絡 をいただ いた り、 こち
らも帰国 のお りには研究室 にお邪魔す る とい う具合で連
絡 を保 つてい ました。 そのようなお つ きあい を通 して私
が強 く印象 を受 けたのは先生の行動力 です。先生 はサ ン
デ ィエゴ にある Gё neral Atottcs社 の Dotlblet装 置 や
プ リンス トン大学 の PLT装 置、 ウィス コンシン大学 の
MST装 置 を使 った共 同研究 のため、ア メ リカに長期滞
在 された こともあ ります。 これ らの研究所での研究成果
はもちろんですが、 そのほかにも個人的にい ろいろな実
績 を残 してお られ ます。 なかで も小型飛行機の操縦免許
を取得 されたのは特記 に値 す るものです。
さて、 その遠山先生 も平成 11年 3月 をもちまして ご退
官 され るわけですが、現在 で も朝早 くか ら大学 に来 られ
(御 茶 の水か らの始発 の学 バ スを待 つのがいやなので歩
いて来 られ ることが 多 い そうです)、 昼休 みにはテニ ス
をされ、毎年戸 田マ ラソンに出場 され るほか、冬 はニ セ
コでスキーをされ ます。相変わ らずの活動力には感心す
るばか りです。最近 はウィ ン ドサー フ ィン も始 め られた
そうです。 また、先生 は料 理がお好 きで、朝 は研究室 に
来 てか ら朝食 をとり、昼 も必ず 自炊 されて い ます。遠 山
研 で宴会 があるときには、持 ち回 りで研究室のメ ンバ ー
が料 理 を作 るとい う伝統が あ ります。遠山先生 の持 論 は
「料 理がで きない ような者 はよい実験家 にはなれない」
使 った実験 をする ことにな りました。 この ときの遠 山先
生 との接触 は 1学 期間だけで したので、詳 しく理解 して
い る とは とて も言 い難 いのですが、 エ ネル ギーに満 ち温
とい う ことで、遠山研 のパ ーテ ィーは何時 も実 に和気 あ
い あいで楽 しい もの となっています。
れ、実験 には情熱 をもって接 してお られた とい う印象が
強 く残 って い ます。 これが きっか けで、私 も以 後約 21年
けられ、東大での様 々 な思 い出 を忘れず、 いつ まで もお
元気で ご活躍 ください。
遠 山先生、 これか らも今 まで どお り活発 なご活動 を続
間 トカマ ク型装置 を使 った核融合研究 に従事す ることと
―-13-―
退官者の挨拶・ 退官者 を送る
おせわになりました
今
西
章 (原 子核 科学 セ ンター)
[email protected]
術者 は結果的にせ よ戦争 に加担 した。研究者 には社会的
責任 がある。等、思 って もみなかった課題 をだされて、
安保闘争 に参加 す ることになった。 これ らの過 程 で、社
会的存在 としての、 自分 の行 き方の柱 のような ものが作
られたように思 い ます。
真空管 → トラ ンジス ター→ ICと 、 それぞれ新 しい経
験 をさせていただ き、測定回路 の作成 に取 り組 んで きま
した。 いつ も自分 の未熟 さに不安 をかかえ、実験 に役立
つお手伝 いが 出来たのだ ろうか ? 自問 しなが ら、 いつ
の まにか定年 をむかえました。 この間、沢山 の技術者仲
独立 をめざして、工 業高校 へ。昭和32年原子核研究所
に入所 しました。職場 は「回路室」で した。平凡 に生活
で きれば とだ け考 えて いた 自分 に とって、 ショッキ ング
間、研究者、事務 を含 めサポー トスタッフにおせわにな
な ことが らが幾 つか あ りました。当時 の田無 は、新 しい
りました。 あ りが とうございました。感謝 しています。
●
研究所 を作 るんだ とい う、気概 にあふれてい ました。技
今 西 さん を送 る
丸
山 '告
― (原 子核科学研究 セ ンター)
[email protected]
今西 さんは昭和 32年 原子核研究所 (核 研 )に 技官 として
入所、本年助手 として退 官 され ます。平成 9年 核研廃止
の後原子核科学研究 セ ンターに移 られ、東大 で42年 間 ご
深夜 まで仕事 をし、椅子 2脚 で器用 に寝 る術 を身 につけ
られたのは この時期のようです。多忙な仕事の合間を縫 っ
活躍 にな りました。 この間、原子核・ 素粒子物理の実験
』 ]奄 ∫
研究 を電子 回路製作の面か ら支 える と共 に、論理回路の
技術者 としてご業績 を挙 げられ ました。
部 で勉強 さ 、国家公務員試験上級 に合格 され
彎
加速器完成後の各研究部 には電子回路グループが作 られ、
今西 さんは請 われて高 エ ネル ギ ー部 に移 り、ESの 検 出
昭和 30年 発足 の核 研 は、 日本の原子核研究 に必要なサイ
ク ロ トロンや電子 シンク ロ トロン (ES)等 の大型加速
器用論理回路 を担当され ました。初期 の トランジスター
で計数 回路 を組 み、 ニ キシー管表示のスケーラを製作 し
器施設 を有す る共同利用研 究所 として重要 な使命 を果 た
た り、独 自の「標準」筐体・ 論理 回路各種 を開発 し、規
格化 された標準 モジュールが 出回るまでの ES共 同利用
しました。当初 は国 内の電 子回路技術 の水 準 が低 く、検
出器用回路 は全て核研 で 開発 せ ざるを得 ませ んで した。
このた め物理研究者 を中心 に回路室 を作 り、採用 した工
業高校 出身者 を専門技術者集団 として養成 して 回路 の国
産化 を図 りました。今西 さんはこの 回路室の初期か らの
メンバ ーで した。
回路室 では電子部品の信頼性・ 耐久性 を試験 して標準品
を選定 した り、標準 回路 の設計・ 製作 を行 い ました。 ト
ランジスター登場前 で、回路 は全て真空管式であったの
で、 19イ ンチ ラ ックを上下 い っぱい に詰 めて も現在 の
CAMAC(カ マ ック)モ ジュールー枚以下 の能力で した。
-14-
実験 を支 えられ ました。
実験精度の向上が求 め られ るようになると測定装置 の大
型化・ データ収集 の高速化 へ の要求 が 高 まり、 データ収
集 に計算機 を使用 す る必要性 が認識 され ました。昭和 46
年、東芝 の TOSBAC-3400を 中央計算機 とし、PDPを
端末 とす る我国初 の本格的なオ ンライン・ リアル タイム
のデータ収集 シス テム 開発 では、端末側 の ソフ トウエ ア
を担当 され成功 に導 かれ ました。 それ以 降、計算機 の大
型化 。高速化 に伴 う更新時にはオ ンライ ン・ リアル タイ
ム装置 に欠かせぬ人材 とな られ ました。
●
官者 の挨拶・ 退官者を送 る
市販 の電子 回路 が増 えるに従 い、実験 に依存 した特殊 回
路等 の開発 に進 まれ、今西 さんの名前 を冠 して呼 ばれ る
ミニ コン・ イ ンター フェース を製作 され ました。現在 は
出器用ディスク リミネータ等各種 モ ジュール を大量 に製
ショッキ ング ピンクやハ ワ
作 され ました。 そのパ ネルに―
イア ンブルー な どの色 を選定 し、測定室 の雰囲気 を変 え
原子 核 実験 以外 の 分 野 で も標 準 的 に使 1用 され て い る
たのはお人柄 です。原子核 セ ンター在任中 は不安 定原子
CAMACは 、核研 で使 用開始 した当初、 国内 メー カー
核用線形加速器 の制御回路 を設計・ 製作 され ました
は知識 もない状態 で した。 その後、高 エ ネル ギー物理学
研究所や大阪大学核物理研究 センターで も採用 され、今
西 さん設計 のユニバ ーサル基板 は研究者 が 回路 を 自作 す
今西 さんは発起人 として本格派 な山の会 (エ ベ レス ト)
を設 立 された事 もあ り、ゲ レンデに立 つ と、普段少 し猫
る際 に広 く使 用 され ました。鉄 MACの 普及 に果 た さ
れた今西 さんのご功績 は高 く評価 されてい ます。
世界最高 エ ネル ギー の電子・ 陽電子衝突型加速器 トリス
タ ンでの実験 は昭和 62年 開始 で した。今西 さんは核研チー
ムの論理 回路 を引受 けられ、大型実験装置 トパ ーズの ト
リガ ー回路 を設計、チ ップをカスケ ー ドに接続す るゲー
トア レー を製作 して荷電粒子数 を高速 で数 える方式 を成
功 させ ました。新提 案 の フイ ド規格
CAMACで 飛跡検
-15-
.。
背 で歩 く姿が一変 して上級 の腕前 です。冨貴子夫人 の ご
実家のある長野県戸隠 で 4人 のお子様 とスキーを楽 しま
れ るのが恒例 と伺 い ました。昨秋、育児問題 にご造詣が
深 く東京都 の保健婦 としてお勤 めの奥様 を若く して亡 く
され ました。
今西 さんのような良 い腕 を持 つ玄人 が現役 か ら退かれ る
のは残 念 な限 りですが、今 後 もお知 恵 を拝借 させて頂 け
ると期待 してお ります。御多幸 を祈 ります。
退官者の挨拶・ 退官者を送る
いろいろあった40年
青
山 惇
彦
(生 物科学専攻)
aoyama(Duts 2.s.u― tokyo.ac.ip
れ までの経験が生かせ る生態学研究室 に配属 された。当
時、植物 の物質生産 を研究 していたので、光合成 と無機
栄養の関係 を仕事 のテ ーマに した。 まず光合成 の研究論
文 を参考 に研究者 の希望す る装置 を作 った。装置 は手作
りなので 自在 に改良す ることで きるので多 くの研究者 に
対応で きた。私 自身 も生態学会、研 究会、 シンポジュム
で発表す る機会 を得 た。
みっつめ は1991年 にカ リフォルニ ア州立大 学 のデ ービ
植物学教室 に勤 めた 間、私 に とって大 きな出来事 が 3
度 あった。そのひ とつ は1996年 、 1971年 、 1975年 のシッ
キム・ ヒマ ラヤ植物調査隊の採取 した植物 を栽培 した こ
ス・ バ ーク レイ両校 とスタンホー ドのカーネギ研究所 を
訪問 した こと。各所 で技術者 が活発 に且つ慎重 に研究 を
サポー トして い るところを見 て末J激 になった。
と。 この植物調査隊 は東大 の植物分類研究室 を中心 に組
織 された。現地 で採取 した植物 を鉢植 えにして花 を咲か
退官す るに当たって
せ、種 子 を とることが 目的のひ とつにあ りました。 シ ッ
技術官 は専門 の優れ た技術力、多 くの知識、高 い見識
キムや ヒマ ラヤの植物 を栽培す るための教本 はな く経験
をもって仕事 に励 めば自ずか ら道 は開 けると思 う。研究
室付 き技術官 は教授 の退 官 に伴 つて研究内容 が変わ ると
者 もいなかったので手探 り状態 で始 めた。温度、湿度、
土壌、 日照 な どが東京 と大 き く異な るので うま く育 て ら
れなかった。現地 の気象条件 に合わせ るようにした り、
植 える土、植木鉢 を工夫 して育 てた結果、花 が咲 いた と
きな どは嬉 し くて自慢 した り、種子 が取れ た りす ると苦
労の しが いが あったなあ と思 った。 これ まで培 ってきた
栽培技術 の神髄 を発揮で きた と今 で も確信 している。約
200種 、800鉢 位栽培管理 した。今 で も桜、カエ デ、 モ ク
レン、ハ ナ ミョウガ、ツル ソバ 、シ ャガなどが元気 に育 っ
ている。
ふたつめは1978年 に植物学教室の研究対象が分子生物
学 に移行す るに伴 って 1研 究室 1技 官 になった。私 は こ
―-16-
●
ゆうような厳 しい状況 がある。私事 ですが55歳 の時 にボ
スの定年 による交代 が あ りました。光合成 か ら分子生物
に変わった時 は55の 手習 いで した。 その時 の勉強 の成果
で遺伝子 に関す るニ ュースな どの解説 ぐらいは素人 に出
来 るようになった。
技術官 はい ちに努力、 にに努力、 さんしがな くて ごに
努力。
今後 は日本 の伝統文化 (芸術 )の ひ とつ古流 い けばな
の研究 をします。
で は皆 さん長 い問あ りが とうござい ました。
●
退官者の挨拶・ 退官者 を送る
青 山 さんを送 る
西
田
生
自F(生 物科学専攻 )
[email protected]‐ tokyo ac.jp
生物科学専攻 。植物生態学研究室 の技術官 。青山惇彦
さんが平成 11年 3月 をもって無事本学 を停年退官 され る
運 び とな りました。 ここに、同 じ研究室 でお世話 になっ
た者 として、 ご退官 をお祝 い 申 し上 げるとともに、送 る
言葉 を述 べ させて いただ きます。
青山 さんは、昭和 32年 10月 に東京大学理学部植物学教
室 に技術官 として採用 され ました。当時 の植物学教室 に
は、和 田文吾、服部静夫、小倉謙、前川文夫、原寛 とい っ
た、当時 の日本植物学会 を代表的す る鈴々たる面 々が揃 っ
てお られ、面接 では大変緊張 された と伺 ってお ります。
昭和 58年 4月 か らは生態学研究室の所属 とな り、以来、
佐伯敏郎、加藤 栄、渡邊 昭 の 3人 の教授 とともに、
研究・ 教育 に努 めて こ られ ました。 この間、研究室 の研
青山 さんは、教育面 で も惜 しみな く努 め られ、特 に、
研究室 の学生実習 では常 に中心人物 のひ とりして活躍 さ
れ ました。生態学研究室では、通 常 の実験室内での実習
の他 に、 2つ の野外実習 を担当 してお ります。野外実習
では、一通 りの植物観察 の後、 自由研究 の時間が設 け ら
れて い ます。 学生 は、オ リジナルの発想 で、洞察力 のあ
る、 奇抜 な、 そ して ときには、“みむめ も"な 仮説 を立
てることが許 され、その実証 に 1日 の猶予 が与 えられ ま
す。青山さんは、 この 自由研究 の間、学 生の行 く先 々 を
追 い なが ら (野 外 なので、学生 は どこに 自由研究 に行 く
かわか らない
!)、
適切 なア ドバ イ スをして こ られ まし
た。 また、翌 日の成果発表会 で は、“成果評価 委員 "の
一 人 として活発 に議論 に加わ り、学生 を励 まし続 けて こ
究 テー マ は、「植物 の物質生産 (光 合成 )と 栄養塩類 に
関す る生態学的研究」、「生物化学的手法 による植物 の光
られ ました。 このよ うな青山さんの教育 に対す る情熱 を
支 えた ものは、欧米 に較 べ て狭除な実験環境 に もかかわ
利用特性 の解析 J、 「分子生物学的手法 による環境生理学
的研究 Jと 変遷 をみ ましたが、青山 さんの視点 は常 に個
体 レベル か らみた植物 の生態・ 生理 の理 解 にあった と思
らず着々 と成果 を上げて行 く当教室 の大学院生 の姿を常々
われ ます。 そ して、 それ は、加藤研究室時代 の、 “
個葉
光合成測定 シス テ ム"の 完成 で具現化 されて い ます。 こ
見 ていたか らだ とうかがってい ます。 昨今 はや りの、個
人主義的傾 向に毒 された院生 。研究者 にだ けはなって く
れ るな と言 う青山さんの言葉 は、われわれ を含めたす べ
の装置 は、温度域 (3℃ の低温 か ら50° Cの 高温 まで)、
ての教室員が肝 に銘ず るところです。
青山 さんは、 また、プライベー トな時間には、 70年 の
光 エ ネル ギー強度 (暗黒か ら日中 の太 陽光以上 に匹敵す
る2,300 μ mol m 2s lま で)、 ガス環境 (炭 酸ガス、
歴史 を誇 る古流生 け花会の第 6代 日会長 として、研究 と
は別 の形で植物 と関わ っています。学内 には、延 べ25名
窒素、酸素、窒素酸化物 な ど)の 設定 が 自在 で、 自然環
のお弟子 さんがお られ ると聞 いてお ります。定年後 には、
研究・ プライベ ー ト両面 で培 って きた植 物 の栽培技術 に
境下 での植物個葉 の光合成 を実験室で再現す ることがで
きる画期的装置 です。当時 の大学院生の学位論文データ
の一部 は、本装置 を用 いて測定 された ものであ ります。
関す る知識 を少 しで も社会還元す る ことを考 え、養護施
設等 を対象 に花 を育 てる技術 の指導 をボラ ンティアで行
また、平成 3年 には、当時、助手 として勤務 して いた寺
島一 郎氏 (現・ 阪大教授 )と ともに米国 ゴー ドンコンファ
うつ もりであると伺 ってお ります。 どうぞ、 ご健康 に留
意 され、益 々 ご健勝 であ られ る ことをお祈 り申 し上 げま
レンス に参加 し、 自らの研究成果 を発表 され ました。
す。長 い間、あ りが とうございました。
-17-
着任 にあたって
一 これ まで・ これ か ら一
星
野
真
弘
(地 球惑星物理学専攻)
hoshino(Dgeoph.s.u― tokyo.acip
シンクロ トロン輻射 に応用す る問題 に取 り組 みましたが、
その研究 を非常 に楽 しめたことが大 きな理 由です。地球 。
惑星周辺 の宇宙空間で理解 が進 んで きた無衝突衝撃波の
基礎過程 を、相対論的流速 の系 に応用す る ことによ り、
新 しい視点 の粒子加速 の理解 が得 られ ました。遠 くの天
体現象で は、
「 その場 」観演Iが 不可能ですが、地球 。惑
星磁気 圏 の「その場」観測 を用 いた研究成果 は、宇宙 の
私 の研究 について紹介 させて頂 こうと思 い ます。私 は大
学卒業後、宇宙航空研究所で大学院時代 を過 ごし、学位
様 々な階層構造や進化 の問題 を理解する有効な「実験室」
として大 きな役割 を果 た します。
取得後、 NASAゴ ダー ド飛行 セ ンタ ー、 ロー レンス・
リバモ ア国立研究所、理化 学研究所、宇宙科学研究所 を
また、最近 の観測技術 の進 歩 が、 このよ うな学際領域研
究 へ弾 みをつけるので はないか と思 い ます。例 えば、私
経 て 1月 よ り東大 に移 つて きました。 これまで何故か研
究所 と呼 ばれ る所 しか縁 がなかっただ けに、大学 とい う
の研究 テー マ のひ とつである「磁気 リコネクシ ョン」 と
い うプラズマ過程 の関連で言 えば、 これ は地球磁気圏だ
所 に新鮮 さを感 じています。
けでな く、太陽 コロナのダイナ ミックに変動す る現象 を
●
理解す るのに重要 な役割 を果 た します。 そして最近 は太
私 は「宇宙空間物理学」 と呼 ばれ る分野 の研究 に携わっ
てい ますが、そのきっかけは、専門課程 で何 を学ぶか迷 っ
ていた学生 の時出会 った一冊 の本、「宇宙空間へ の招待」
(岩 波新書 )だ
と言 ってよいか と思 い ます。 その啓蒙書
で は、人 工 衛星観測 によ り地球周辺 のプラズマ現象 が次
第 に明 らか になって きた様子 が書 かれてい ました。無衝
突衝撃波 の存在 が確認 された こと、 また太 陽 コロナが太
陽風 となって惑星間空間 を満 た し、 そのエ ネル ギーの一
部 が地球磁気圏 に取 り込 まれ、極域 地方でのオ ーロラ現
象 となっていることな どが書 かれていた と思い ます。地
陽 を観測 す る YOHKOH衛 星 や地球磁 気圏 を観測す る
GEOTAIL衛 星 の観測 デー タに基 い て、現象 や そ こに
潜 む物 理 の類 似性や相違性 が「実証」で きるようになっ
て きてい ます。太陽物理衛星 は、速 度分布関数な どの ミ
クロ過程 を直接測定す る事 は出来 ませんが、様 々 な波長
を用 いて大規模構造 の発展 を捉 える事が出来 き、 また一
方、地球磁気圏衛星 で は、巨視的磁 気圏構造 な どと併 せ
て「その場」観測 を活か した ミク ロ過程 を理解す ること
が可能 です。 このよ うな分野で は相補的 にそれぞれの研
上お よび衛星観測 によ り、現象 が起 きてい る「その場所」
のプラズマ状態 を直接観測す ることで、巨視的構造発展
究 の発展 を取 り入れた実証可能 な学際研究 の発展 が多 い
に期待 され る時代 になったので はないで しょうか。 また
磁気 リコネク シ ョンに限 らず、様 々な 自然現象 が昔 とは
や微視的 プラズ マ過程 の理解 が深 まって きている内容 に
引 かれ るものがあ りました。 そして、 このよ うな地球 。
違 って より実証的 な議論 が展開で きるようになって きて
お り、 もっ と広 くプラズマ物 理 の概念 を、広大な宇宙現
惑星周辺の身近 な宇宙空間 を主な研究対象 とす る宇宙空
象 のなかで議論すれば、 これ まで以上 に 自然 現 象 の理解
が深 まるので はないで し ょうか。若 い学生諸君 と共 に新
間物理 の研究 をして きました。
学位取得後米国 でポス ドクをして い た頃 か ら、少 し視点
を広 げて天体 プラズマ現象 に も興 味 を持 ってお ります。
それ は当時、相対論的衝撃波での粒子加速 をかに星雲の
-18-
しい宇宙空間物理 の研究 が展開で きた らと思 い ます。今
後 とも皆様 のご指導 。ご鞭撻程 よ ろし くお願 いい たしま
す。
●
リアル な CG画 像生成 の追求
西
田
友
是 (情報科学専攻)
[email protected]― tokyo.ac.jp
コ ンピュータグラフ ィクス (以 下 CG)の 研究 は1960
年代前半 か ら始 ま り30年 が過 ぎた。CGは 、当初 3次 元
物体 の隠面消去や各種表示技法 を含む リアルな画像 の生
成法 の研究 が主であったが、CADシ ステムヘ の応用、
科学計算結果 の可視 化 (ビ ジュアライゼー シ ョン)、 医
療 へ の応 用、 パ ー チ ャル リア リテ ィ (仮 想現実感 )、 ハ
リウッ ドの映画 で代表 され るエ ンターテイメ ン ト分野 へ
の応用 と多岐 に亘 り応用 され るようになって きた。 さら
に、 」ava,VRML等 の普及 に も伴 い、ネ ッ トワー ク コ
くの研究論文が発表されているが、この手法は筆者 によっ
て最初 に提案 されたものである。
CGの 応用 として、照明 シミュレーシ ョン、景観評価、
曲面 を含 む幾何形状 CADシ ステム、毛筆 フォ ン ト (墨
絵 )、 モー フ ィ ン グな どの研究 も行 つた。照明 の予測計
算 においては、影 が重 要 であ り、大 きさをもつ光源 に対
する影 を考慮 した照 度計算法 を提案 した、 これにより境
界 の柔 らか い影 が表現で きるリアル な画像表示法 が実現
した。
ンテ ンツ としての拡 が りは目を見張 るものがある。 こう
した時代背景 に伴 い CGの 研究、教育 のあ り方 も変化 し
自然景観 の表示 にも CGは 有効 なツールで ある。 した
がって、CG画 像 と写真 との合成法 をはじめ、水、空、
つつ あ り、 マルチメディアな どの他 の技術 との融合 の時
雲等 を考慮す る ことに よるリアル な画像 の生成法 を提案
した。すなわち、建築物 の CG画 像 の場 合、背景 になる
代 に入 りつつ ある。
著者 は、 まだ CGと い う言葉 がない時代 の 1972年 か
ら、CGの 研究 を開始 し基礎 か ら応用 まで広範囲 に研究
して い る。CGの 研究分野 として は、形 状 モ デ リング、
隠面消去、陰影表示、アニ メーションな どがある。 これ
らを広 く研究 しているが、特 に リアル な画像生成 に関 し
て は先駆的研究 を行 って きた。
リアル な画像 を得 るには、高精度 の形状表現、忠実 な
の
面 陰影表 示が不可欠である。前者 にお いては、一般 に
行われ て い る多角形近似 による曲面表示 の場合、表示誤
差 を生 じる。近似 しない場合、視線 と曲面 との交点 の直
接算 出 に高次式 の解法 が必要 であるが、 これ を 1次 式 の
空の色、雲、建物 を照 らす天空光 の色、霞の効果 を無視
で きない。 さらに、水 の色、煙 、雪 とさまざまな 自然現
象 も重要 な役割 をはたす。 これ らは大気 や水 中 な どの粒
子 による光 の散乱・ 吸収効果 によるものである。散乱 特
性 は粒子 の大 きさに依存す る。粒径 の小 さい ものは レー
リー散乱、大 きい ものは ミー散乱理論 に準 じた特性 を示
す。物体 (地 表、海面 な ど)か らの反射光、天空光 の影
響 な ど、種 々の光学的効果 を効慮す る必要が あ る。従来、
粒子 の 1次 散乱 までのみ考慮 した画像表示法 が使用 され
ていたが、雲や雪 のようにアルベ ドが高 い ものは、多重
散乱 を無視 で きない ので、 これを考慮 して可視化す る方
反復計算で安定 に算出で きる方法 を提案 した。 この方法
法 を開発 した。
は Bezi∝ Clipping法 と呼 ばれ 、曲線同士の交差判定
な ど種 々の幾何学的計算等 にも適用 され、 その広範 な有
図 1に 曲面 を多角形近似 しないで高精度表示す ること
によるリアルな画像生成例 を示す。図 2は 雲の粒子 によ
効性 が立証 された。
後者 の陰影表示 について は、照明計算 のモ デル をいか
る光 の多重散乱 まで考慮す ることによる リアル な画像生
に物理則 に近づ けるかが重要である。そのための代表的
技法 として Raytracing(光 線 追跡 )法 とRadiosity法
がある。前者 は、反射・ 屈折 が表現で きる。 それに対 し
後者 は、光 の相 互反射 による間接光や柔 らか い影が リア
ル さを増す。近年 は、Radiosity法 の研究 が 注 目 され 多
-19-
成 の表示例 である。
他 の研 究 に つ い て は著 者 の ホ ー ム ペ ー ジ
(http://― W.iS.S.u.‐ tokyo.ac.jp/∼ nis/)を 参 照 されたい。
今後 は、イ ンター ネ ッ トを介 したイ ンタ ラクティブ性 の
よい CGシ ステムお よび複雑 な自然現象の可視化 につい
て研究 を進 めて行 きた い。
研究紹介
0
図1
レイ トレーシング法による曲面の高精度表示例
一●
図2
多重散乱 まで考慮 した雲 の表示例
-20-
研究紹介
極限状 態 の宇宙 をガ ンマ線 で探 る
:GLAS丁
釜
江
衛星計画
常 好 物 理学専攻
)
[email protected]‐ tokyO.ac.Jp
定年近 い教官 の研究室 で はあるが、新 しい分野 を切
り開 こうと、意欲的 な計画 と取 り組 んで い る。今回 は、
極限状態 の宇宙 をガ ンマ線 で探 ることを 目的 に準備 中
の、GLAST衛 星計画 について報告す る。
1.GLAST衛 星計画 の 目指す ところ
宇宙 には、地 上 で考 え られ な い ような極 限状態 が 、
あち こちで実現 されて い る。 この ような状態 での現象
が、物理学 の本質 を見極 め る上 で極 めて重要 になる。
ここで は、 ガ ンマ線 や X線 、 さ らにはニ ュー トリノや
重力波がプ ロー ブ となる。
天体 か ら来 る高 エ ネ ル ギ ーのガ ンマ線 (数 100MeV
―数 100GeV)の 検 出で大 きな成果 を上 げた衛星搭載検
出器 が、NASAと Stanford大 学 な どに よ る EGRET
(1990年 打 ち上 げ)で あ る。我 々 は EGRETチ ームや
SLACの 研 究者 と共 に、EGRETの 性 能 を50100倍 上
回 る計 画 (Gフ ST)を 提 案 して い る。 この計 画 は、
2005年 の打 ち上 げ を目指 して準備 が進 んで い る。私 た
ち は、広島大学 の研究者 と協力 し、 その 中心 となるシ
リコン検 出器 の開発 を担当 してい る口]。
tlに 比例 して暗 くな って行 く事 実 を説 明す るだ けで も
容 易 で はな い。 1998年 に起 きた GRB980425は 、 その一
日以 内 に、 ほ とん ど同 じ位 置 に極 め て 強 力 な超 新 星 爆
発 が起 きた こ とで 大 きな注 目 を浴 び た。 野 本 の グ ル ー
プ は、 この超 新星爆 発 を詳 細 に分析 し、放 出 エ ネル ギ ー
が 大 きさな どか ら、 GRBと 同起 源 で あ る可能 性 を指摘
し、 注 目 さ れ て い る脇]。 ま た 本 年 1月 に 起 き た
GRB990123は 、 超 遠 方 (Z=1.6)に も関 わ らず ガ ン
マ 線 で 明 るか っ た上 、 可 視 光 で 発 生 後 47秒 に 9等 星 に
達 した こ とな どか ら、 放 出 エ ネ ル ギ ー が超 新 星爆 発 の
1万 倍 で あ っ た と推 測 され、 大 議 論 を巻 き起 こ して い
4]。
るこ
GLASTは
どの瞬 間 に も仝天 の20%が 観測 して い る
上、全天の85%を 100分 周期 でスキャンする。 このため、
発生 したバ ース トの約 20%は 発生 の瞬 間 か ら観測 され、
85%は 100分 以 内に観測 され る ことにな る。 このよ うな
広 視 野 と角 分 解 能 30秒 角 以 下、 さ らに は数 10Mev‐
100GeVな る広 エ ネル ギー域 を併 せ持 つ検 出器 は例 を見
ない [1]。
4.量 子重力理論 と GLAST
GυiSTは 、数 1000か ら 1万 に もお よぶ 極 限状 態 の
2.我 々が開発 した シ リコン・マイクロス トリップ検出器
シ リコン・ マ イ ク ロス トリップ検 出器 (SSD)は 、
量子重力理論 のエ ネ ル ギ ー に依存 して、光速 が揺 ら
ぐと予言 して い る卜 しか し大 部分 の研究者 は、 それ
が実験 的 に検証 で きる日が くる とは考 えなか っただ ろ
う。 ガ ンマ線 バ ース トが 宇宙論 的な距離 で数 10ミ リ秒
のパル スを発生 し KeVか ら、GeVを 越 えるエ ネル ギー
まで、大 量 の光 子 が地 球 に 到来 して い る こ とか ら、
GIASTで 検 証 す る 可 能 性 が 提 案 さ れ て い る。
Gν∬ Tで は、数 10マ イ ク ロ秒 の時間分解能 で、 ガ ン
マ線 の到来時間 を記録するが、数 10GeVの ガ ンマ線 は、
高 エ ネル ギ ー素粒子実験 で 開発 され、永年 にわ た り、
粒子 の衝突点近傍 で動作 し続 けて きた実績 を もって い
る。 この業界 にお ける世界 の リーダで あ る浜 松 ホ トニ
クス と広島大学理学部 の大 杉研究室 との協力 で、世界
で 初 めて 6イ ンチ ウ エハ ー を使 った した大 面積 SSD
(108mm× 6411ull)の 試作 に成功 した。 これによ り、総面
積 100平 方米 に もお よぶ検 出器 の製作 の 目処 がついた と
数 Mevの ガ ンマ線 か ら数 10ミ リ秒遅れ て到着す ること
にな る。 この ような遅 れが検 出 され れ ば、 一 挙 にプラ
ンクスケールに追 る ことが可能 となる。
[1]計 画の内容 は、Webペ ージ (www‐ glast.stanford
eduお よび www mipd.gsfc.nasa/glast/glasthtm)
言 える。
に公開 されている。
[2]吉 田篤 正 、河合誠 之 :科 学 ,67,891(1997)
村 上敏夫 :パ リテ ィ,12(11),38(1997)
[3]岩 本弘一 、野本憲 一 :科 学 ,68,854(1998)
[4]ガ ンマ線 バー ス ト関係 の観演1結 果 は、 まさに秒単位
で公開 されてい る。
す べ て、http://gcn.gSfC.nasa/gCn/で フ ォ ロー で
天体 や超 高 エ ネ ル ギ ー宇宙加速現場 を発見 し、 ガ ンマ
線 バ ース トの約 20%を 発生前 か ら最後 まで幅広 い波長
域 で捉 え、宇宙線 がつ くるパ イ中間子 によ り銀河系 内
のバ リオ ン分布 を精度良 く測定 す る画期 的な もの とな
る。 その 5-10年 にわ た る観 測結果 は、 デー タベ ース
として、多 くの研究者 に公 開 され る予定であるい]。
3.ガ ンマ線バ ース トとGLAST
ガ ンマ線バ ース ト (GRB:γ ray bllrst)は 、数 MeV
か ら数 GeV程 度 のエ ネル ギー を もったガ ンマ線 が、数
ミリ秒 か ら数秒 のタイムスケールで一気 に放 出 される、
爆発 的 な現 象 で ある閉。発見以来 30年 経 った今、 よう
や く、GRBが 宇宙論 的な距離 (>数 10億 光年 )で 起 き
て い る ことが 明 らか になった。 しか しそのメカニ ズム
について は、 ほ とん ど解 明 されて いない。超新星爆発
の10-100倍 程度 のエ ネル ギーが数秒 の間 にガ ンマ線 と
して放 出 され てい る事実、 X線 で 見 られ る残光現象 が
]。
5。
文献
きる。
[5]G.Amelino‐ Camelia,」 oh12 Ellis et al Nature,393,
763(1998)お よび 」.I.Latotte,P.Pascual,and R
Tarrach:Nuclear Phys.B437,60(1995)
―-21-一
研究紹介
相対論的な膜の量子論
藤
通常 の場 の理論 は、理想化 された質点 とい う概念 を基
礎 に構成 されて い る。 このよ うな点粒子の理論で基本的
にな るの は、 4次 元 時空 間 に描 か れ た世界線 (world
Hne)と い う概念であ り、 その長 さに極値 を与 える とい
う条件か ら自由な点粒子 の運 動 を記述す る方程式が得 ら
れ る。点粒子でな く一 次元的に拡が った物体 を基礎 に構
成 された理 論 が弦 の理論 で あ り、基本的 なラグランジュ
ア ンは弦 が時空間 をスイープす る世界面 (world sheet)
の面積 で与 えられ る。 この弦理論 を、時空 間 の座標 が実
数 の組 Xμ だ けで はな く (互 い に反 交換 す る)Gra∬ ‐
θαを含 む一般 化 された超空 間 (X″ 、 θα)に
拡張 した ものが超 弦理論 と呼 ばれ、基本的 には10次 元 の
mallll tt
時空間で定義 されている。
最近 の超弦理論 の非摂動論的な研究 か ら、弦 の理論 は一
般 には11次 元 の時空間 Xμ ,μ =0,1,2,… ,10へ の拡 が り
を持 ち、そ こで は 2次 元的に拡が った超膜 の理論 が基本
的な構成要素の一つ となっていることが明 らかになった。
このような超膜 の理論 の基本的 なラグランジ ュア ン は膜
(ハ
川
禾口 男
(物 理学専攻)
た ものである。
これ まで知 られていた超膜 の量 子論 は、無限大 の速度
で Lorentz変 換 した座 標 (光 円錐座標 )を 用 い た形式
であった。われわれ は最近 この超膜 の理論 を一般 の任意
の座 標 系 で LOrentz共 変 に どの程度 まで定式化 で きる
か、 またそのよ うな定式化で座標 の行列化 が どの程度可
能 で あるかの研究 を行 った。結果 としては、超対称性 を
持 たな い通常の膜 の場 合 には、Lorentz共 変 な行列理論
としての定式化 が (一 部技術 的 な問題 を除 いて)可 能 で
ある ことが わかった。超膜 の理論 の場合 には、 (Bose粒
子 と Fermi粒 子 の間 の)超 対称性 を保証 す る (カ ッパ
変換 と呼 ばれ る)特 殊 な変換 が現れ るために、完全 に11
│
次元 的 な Lorentz対 称 性 を満 たす ことがで きな いが、
過去 に知 られていた光 円錐座標 の定式化 に比 して、 よ り
Lorentz対 称性 の高 い定式化 が可能である ことが わかっ
た。 この ような新 しい定式化 が、 (超膜 を含 む)超 弦理
論 の行列座標 を用 い た定式化 の中で どのような重 要性 を
持 つか は、今後 の研究課題 である。
ンカチのような ものを想起 して)が 時空 の中を時間
軸 方向 へ動 い て描 く世 界体積 (world volume)で 与 え
られ る。 さ らに最 近 の超 弦 理 論 の研 究 か ら、超 座 標
(X″ 、 θα)の X″ とか θ″をNttN列 の行列 で表 した
K.FuiikaWa and K.Okuyalna,
理論が重要であることが明確 になった。 この ような行列
B510(1998)175;Nucl.Phys.B521(1998)401
「参考文献」
Phys.Lett.B411(19971261;Nucl.Phys.
座標 は、実 は以 前 か ら相対論的 な膜 の理論 で知 られて い
│
-22-―
研究紹介
生物活性物質の生理適合化学選択性を評価する分子センシング
梅
澤
喜
夫
(化 学専攻)
[email protected]― tokyo ac.ip
従来 の分 析法 において は、 目的物質 (analyte)と そ
の妨害物 質 とのin_択 性 は、初段 の分子認識試薬 (分 析試
薬 )の analyteに 対する結合力の強 さの序列 によって決っ
目的物質 とリセプター との結合 と、 それに続 く初段 の情
報変換、 さらには後段 のシグナル を込み にした検 出法 が
必要 で あろう。
我 々 は最近、 リセプ ターヘ の結合 の強 さでな く、引 き
てい る。 つ ま り、analtteに 対 す る選 択性 は、例外 な く
分子認識試薬 (分 析 試薬 )と analyte間 の結合 の強 さに
続 く情報変換 の程度 を指標 にして化学選択性 を評価で き
る分析法 を作製 している。例 えば、図 2に 示す ような、
基 づいている。生体 中で、他 の妨害 イオ ン・ 分子 との競
争 に打ち勝 って高 い選択 性を獲得する典型例がイムノアッ
イオ ンチ ャンネル型膜蛋 白質 を介 した情報伝達、 チ ロシ
ンキナーゼ型膜蛋 白質 を介 した情報伝達、 お よび、細胞
セ イをはじめ とす る billding a%ayで あ り、生物関連
物質な どの何 が どれ ぐらい の量存在す るか とい う定性、
●
内 Ca2+情 報伝達機構 な どのシステムそれぞれ に基づ く
ア ゴニ ス ト・ ア ンタゴニス ト選択 ′
性を評価 で きる生理活
定量分析 に用 い られてい る (図 1)。 しか し生体 におい
て、生理活性物質 はリセプター と結合後情報変換・ 増幅
を経て伝わって い くので、生理活性 の尺度 としての選択
性物質検 出定量法 を作製 した。
さらに、現在多 くの細胞 内情報伝達 に共通す る蛋 白質
性 は binding assayと 必ず しも一致 しな い。
このような生理活性化学選択性 を評価する方法 として、
リン酸化 、蛋自質問の相互作用、 お よび小胞体輸送 を単
一細胞 レベル で蛍光共鳴 エ ネル ギー移動 な どによ り“
可
しば しば、bioassayと い う生体 丸 ご と或 い は組織 の一
部 を用 い、生理応答 か らその活性 を調 べ る ことが行われ
視化 "、 in宙 vo 定量分析 して、その過程 を経 るア ゴニ
ス ト・ ア ンタ ゴニ ス トの評価 をす ることを、同様 の 目的
に加 える ことも行 っている。
てい るが (例 えば ブテナ ン トのフェロモ ンの実験 で は、
抽出 した候補物質 を雄 のカイ コ蛾 の触角 に近づ け、雄 の
この ような生物活性物質 の定量分析 にお け るア ゴニ ス
ト間 の化学選択性 の評価 は、基礎研 究 のほか、新薬開発
のスク リーニ ングや最近 の内分泌撹乱物質 の標的分子 の
反 応 よ リフェ ロモ ンの有無 を判断 してい る )、 これ は分
子 レベル での基礎 が無 いので定量的評価 は難 しい。
同定 な どに役立 つ もの と期待 され る。
生物活性の尺度を定量的に評価で きる分析のためには、
中の
務襟 ○
+ 、今 Y ==== 区
〕
抗原抗体錯体
苫0
右
錯
脚
勇
含
芸
よ
F`
、,)ヽ
Z倉
●
図
1
====
イ ム ノア ッセイ (binding assay)の 概 念図
°
合
重
聰
図2
<lntercellular Signaling>
dl菫
])標
的
蛋
自
質
→
欲 □
生物活性物質 の生理 適合化学選択性 を評価 す る分 子セ ンシン グの概 念図
―-23-
研究紹介
、
ヽ
るい "基 質選択機構
酵素 の “2重 し
木
濡
理 (生 物化学専攻 )
nureki@y― sun.biochem.s.u‐ tokyO.ac.jp
遺伝子 の複製、転写、翻訳 といった遺 伝情報変換 の過
程 で は、極 めて高 い精度 の酵素反応 の集積 により、生命
の維持 に必要 な遺伝子産物 がプ ログラム通 り作 られ る。
Rossmann fold domain上 に存在 し、イ ソロイ シンお よ
これ らの酵素反応過程 で は、主反応 の誤 りを校正反応が
修 正することにより高精度 の情報変換が維持 されてい る。
正 ドメイン
DNAの 鎖 を、DNAポ
た とえ ば遺 伝 子 の複 製 過 程 で は、誤 って 合 成 され た
リメラーゼの校 正 ドメイ ンが加
IleRS変 異体 を作成 した ところ、校正反応活性 が 完全 に
喪失 し、L― バ リンを L― イ ソロイ シンの 1/4の 効率でア
水分解す る ことで、正確 に鋳型 と同 じコピーが合成 され
る。 一 方、遺伝 暗号 の翻訳 の過 程 で は、 ア ミノアシル
IleRSは 2つ の活 性部位 を持 ち、最初 の活性部位 で L―
tRNA合 成酵素 (aaRS)が 、校 正機構 を持 ち、正確 な
蛋 自質合成 を保証 している。aaRSは 、翻訳 の最初 の段
階 で、 ア ミノ酸 を トラ ンス フ ァーRNA(tRNA)に 結
合 させ るア ミノアシル化反応 を触 媒 す る酵素 で、 まず 1
びバ リン を同様 に認識 していたのに対 して、"第 2の ふ
るい"は この Rossmann fold domainに 挿入 された校
バ ンル構造 )上 に存在 し、バ リンを選択
的 に認 識 して い た (図 1)。 この校 正 ドメイ ン を欠 く
(β
ミノアシル化す る ことが 明 らかになった。 したが って、
イ ソ ロイシ ン も L‐ バ リン も区別 な く活性化 した後、第
2の 活性部位 でバ リン産物 のみを加水分解す ることによ
り、L‐ イ ソロイ シンと L― バ リンを識別 して いたのであ
る。 これ は、酵素 が 2段 階 の過 程 を経て基質 を識別選択
段階 目の反応 でア ミノ酸 を ATPに よ り活性化 してア ミ
ノアシル AMPを 合成 し、 2段 階 目の反応でそのア ミノ
して い る最初 の例 であ り、DNAポ リメラーゼに見 られ
るような誤 りを修正す る校正反応 とは本質的 に異 なるも
ア シル基 を tRNAの 3'末 端 のアデノシン残基 に転移 す
ので あ る。 さ らに、 この IleRSの 校 正 ドメイ ンの活性
部位 に は、 あ らゆる生物種 の IleRsで 保存 され てい る
る。aaRSは 生体 内 の20種 類 のア ミノ酸 ごとに対応 して
存在 し、1種 類 のア ミノ酸 とそれ に対応す る数 種類 の
tRNAを 厳密 に認 識 しな けれ ばな らな い。 ところが ア
ミノ酸の中 には、互 い に識別す るのが極 めて難 しい もの
が ある。 た とえば Lイ ソロイ シンと L― バ リン は、共 に
疎水性 の側鎖 を持 ち、わずか 1メ チ レン基の違 い しかな
い。 1957年 に L.Paulil■ gは 、 1メ チ レン基 に起 因す る
230,His319,Asn237が 近接 して存在 し、 セ リンプ
ロテアーゼな どで見 られ る "catalytic triad"を 形成 し
ていた (図 2)。 これ らのうち、Thr230と Asn237を そ
Thl・
れぞれ Alaに 置換 した変異体 で は、校 正反応活 性 が 完
全 に消失 した。興 味深 い ことに、 この校 正 ドメイ ンの ト
ポ ロ ジー は、human immunodefficiency vir嶋 (HIV)
てお り、 これによる と L‐ イ ソ ロイ シンを認識す る酵素
は 4回 に 1回 の割 り合 いで L― バ リンを誤 って認 識 して
や Ro嶋 sarcoma宙 rus(RSV)の プ ロテアーゼのそれ
と良 く似 てい る。この ことは、IleRSが 進化す る過程 で、
L― イ ソロイシ ン と L― バ リン を識別す る必要が生 じた際
しまうことにな る。実際、 イ ソ ロイ シル tRNA合 成酵
素 (HeRS)は 、L‐ バ リン を誤 って認識 し、Val‐ AMP
に、プロテアーゼ ドメインを角
虫媒 ドメインに取 り込んで、
校 正 反応活性 を獲得 した とも考 えられ る。 目下残 された
やVal‐ tRNAmeを 合成 して しまうが、 一 方 でtRNAI腱
の結合 に依存 して、 これ らの誤産 物 を加水分解す る こと
最後 の問題 は、ア ミノアシル化 の活性部位 と校 正反応 の
活性部位 が 30Å も離 れて い る ことで ある。IleRSは 、
どのようにしてバ リン産物 をもれな く加水分解 して い る
のだ ろうか。 また tRNAは どのよ うなメカニ ズムで、
van der Waalsエ ネル ギー を l kca10mollと 見積 もっ
により、ア ミノアシル化反応 の誤 りを校正す る。 これに
より、生体 内でイソロイ シンの コ ドンがバ リンに読 まれ
る確率 は、1/40000程 度 まで抑 えられている。 1977年 に
英国の A.Fershtは 、IleRSの 持 つ校正反応 に関 して"
2重 ふ るいモ デ ル"を 提唱 した。 これ による と、IleRS
は"第 1の ふ るい"で L‐ イ ソロイ シン以下の大 きさのア
ミノ酸 を認識 してア ミノアシル AMPを 合成 し、"第 2
のふ るい"で L‐ バ リン以下 のア ミノ酸 を認識 して加水
分解 す る ことによ り、L‐ イ ソロ イ シンのみをア ミノア
シル化 す る。我 々 は、 この"2重 ふ るいモ デル"の 実体
│
この酵素 の校正 反応 を活性化す るのであろうか。現在、
IleRS、 tRNA、 ア ミノ酸 の 3重 複合体 の結晶構造解析
を急 いで い るところで ある。
参考文献
[1]A.FershtE"η %ι S″ %θ 勉″
απ″″ιιttπ お%,1‐ 475
(Freeman,New York,1985)
[2]0.Nureki
を明 らか にす るために、高度好熱菌 由来 の IleRS(分 子
量 12万 )と L‐ イ ソロイ シンお よび L‐ バ リンの複合体
の結晶構造 を 25Å 分解能 で解明 した。 その結果、"第 1
のふ る い"は 、 ア ミノア シル 化 の触媒 ドメイ ンで あ る
―-24-―
ι′αス
Enzyme Structure with two
catalytic sites for double― sieve selection of sub―
strate.Sθ グ
ιπ
`ι
280:578-582(1998).
│
研究紹介
校 正 ドメイ ン
F
I
I
I
IL
ン
触媒
ドメイ
第 2の ふ るい
L― バ リン
第 1の ふ るい
0
L― バ リ
図1
"第 1の 。 るい"で イソロイシンと
イソElイ シル tRNA合 成酵素 の 2つ の活性部位。
"第 2の お、
バ リンの両方 を活性化 した後、
るい"で バ リン副‐
産物のみ を加水分解する。
S、
●
L― バ リン
図 2
るい)。
校正 ドメインに存在する加水分解反応の活性部位 (第 2の 、
セ リンプロテアーゼに見られる "catalytに triad"を 持つ。
v〕
―-25-―
研究紹介
生 き物 はど うや って機械的刺激 を感 じるか ―単細胞生物 の場合
吉
村
建二郎
(生 物科学専攻)
keniirO@biol s.u‐ tokyo.ac.jp
生 き物 が物 に触れた とい う事 を感 じた り (触 覚)、 空
気の振動 を感 じた り (聴 覚 )す る刺激 の受容 を総称 して、
機械的刺激受容 とい う。機械的刺激受容 のメカニ ズム は
感覚器 の細胞 に限 らずす べ ての細胞 に普遍的 にあると考
えられて い る。例 えば、低浸透圧 にさらされ細胞 が膨 ら
む ことを感 じた り、血管 の内皮細胞 で血圧 を知 るのに使
わ れてい る。筆者 は単細胞 生物 のクラ ミドモナスを材料
にして機械 的刺激受容 を調 べ て きた。 単細胞生物 を用 い
ると、単離 の手間がい らず、細胞 がそれほ ど小 さ くない
ので、細胞 一個 での実験 が可能 であるとい うメ リッ トが
械的刺激 に対す る反応 が起 こる ことで ある。生物 の感覚
器 の細胞 には、機械的刺激受容器 に限 らず光受容器 で も
味覚受容器 で も鞭毛 (あ るい は繊毛 )の 構造 があること
が知 られて い る。 しか し、その鞭毛 は運動能力 は失 われ
ている。 クラ ミドモナスの鞭毛 が運動能力 を残 しなが ら
感覚器 として機能することは進化 を考える上で興味深 い。
機械的刺激受容 は細胞膜 にかか る張力 によって開 くイ
オ ンチャ ンネル (mechanOsemitive channel、 以下 MS
チャ ンネル)に よって引 き起 こされて い る。 しか し、鞭
ある。
毛か らそのチャンネル の活動 を測定す ることは困難 であ
る。 そ こで、細胞体 (直 径 67μ m)の 細胞膜 をパ ッチ
クラ ミドモナスな どの鞭毛 を持 つ単細胞真核生物 が機
械的刺激 に対 して どのような反応 をす るか は思 いが けず
電極で吸 い付 け、陰圧 を与 え細胞膜 に張力 をかけた とこ
ろ、 1個 のチャンネルが 開 い た り閉 じた りして、電流が
明 らかになった。 クラ ミドモ ナスの光受容 の実験 をして
い る最中 に鞭毛 (長 さ約 10μ m、 太 さ約 0.2μ m)を ガ
オ ンオ フ的 に流れ るチ ャ ンネ ル電流 (約 2pA)が 測定
で きた。 それ まで に単細胞生物 で MSチ ャ ンネ ル の単
ラス ピペ ッ トの電極 (先 端 の内径約 lμ m)に 吸 い込 む
となにか奇妙 な電流が発生す ることに気 が付 いた (図 )。
一チ ャンネル電流 を測 定 で きた例 はな く、多細胞生物 で
も機械的刺激受容器か ら涸1定 された報告 はほとんどない。
最初 は何 かの artifactか と思 って いたが、何 回 も遭遇す
るうちに、電極 の ピペ ッ トを通 じて細胞 に陰圧 をか ける
細胞 レベルでの反応 と、分子 レベルでの反応の両方が生
理学的手法で解析 で きるとい う他 にないメ リッ トが クラ
と発生す るとい う因果関係 に思い当 たった。実験 を重ね
た結果、鞭毛 が機械的刺激感受性 を持 ち、周期的なカル
ミドモ ナスにある ことが 明 らか になった。
シウム電流 (約 10pA)を 発生す る ことが分 かった。 ま
た、鞭毛 の長 さを半分 にす ると電流の大 きさも半分 にな
ること、光刺激 で発生す る鞭毛 での活動電位 とも異なる
ことが明 らかになった。一 方、行動 としての反応 として
は、鞭毛 の細胞膜 でカル シウム電流が起 こると鞭毛 内 の
カル シウム濃度 が上が り、鞭毛 の打ち方が変わ り泳 ぎ方
が変わる と期待 され る。 はた して、機械的刺激 を与 えた
細胞 を顕微鏡下で観察 した ところ、周期的 に方向転換 し
なが ら泳 いで い た。
この発見 の興味深 い点 の一つ は、鞭毛 で このよ うな機
次 に は MSチ ャ ンネ ル を遺 伝子 レベ ル で明 らか に し
た い と考 えて い るが、MSチ ャ ンネル はクラ ミドモナス
を含む真核生物 で はまだ同定 されていない。一 方、原核
生物 の MSチ ャ ンネ ル は遺 伝子 も決 まって いて、機能
の解明 も進んで い る。筆者 が ウィス コンシン大学で行 っ
た大腸菌 を用 いた実験 によ り、サ ブユニ ッ ト間 の疎水的
な相互作用 がチャンネル を閉 じた状態 に保 ち、張力 によ
りその相互作用が切れチャ ンネルが 開 くらしい ことが分
か った。真核生物 の MSチ ャ ンネ ル は原 核生物 の とは
異 なると想像 されているが、遺伝子 レベルで の解明 が期
待 され る。
A
図
│
専
B
クラ ミ ドモナ スの細胞 を吸 引電極 に吸 い付 けた ところの写真 (A)と その模式 図 (B)。 鞭毛 (FL、 矢 印)を 電極 (EL)に 吸 い
込 んでいる。先端 にあ る球形 の物体 は細胞 体 (CB)。 電極 に面 す る細胞膜 で発生する電流 を測 定す る。 スケールバ ー は 5μ m。
―-26-―
0
研究紹介
酸素呼吸 を支 える分 子装置 の分子進化 とユニー クな蛋 白機能
茂
木
立
志 (生 物科学専攻 )
[email protected]― tokyo.ac.jp
体 内 に取 り込 まれた酸 素分子 の約 9割 は %θ 型 チ ト
ク ロム θ酸化酵素 によって水 に変 えられ、その過程 で放
出され るエ ネル ギー は ヒ トの活動や成長 な どに用 い られ
る。チ トクロム θ酸化酵素 は、真核生物 の ミ トコン ドリ
ア内膜 のみな らず多 くの細菌の細胞膜 に存在す る呼吸鎖
電子伝達系の末端酸化酵素で、ポ ンプ機構 による膜 を介
す るプ ロ トンのベ ク トル輸送 によって酸素呼吸 を支 えて
い る。40年 ほ ど前 に江上不士夫 は、発酵 →硝酸発酵 →硝
●
見以降70年 が経過 したが不明 であった。
われわれ は、Molecular Bloenergeticsの 視点 で、遺
伝子操作 を駆使 で きる大腸菌 ろο型 ユ ビキノー ル酸化酵
素 をヘ ム・ 銅末端酸化酵素 のモデル系 として研究 を進め
て きた。系統的 に構造修飾 したキノ ンアナ ログを用 いた
基質認識機構 の解析 か ら、本酵素の基 質酸化部位 は光合
成反応 中心 な どのキノン酸化還元部位 とは異 なるユニー
酸呼吸→酸素呼吸 へ とエ ネル ギー代謝 は嫌気的反応系 か
ら進化 し、 その過程 で可溶性 チ トク ロムが膜系 に組 み込
クな性質 を持 つ ことを示 した。 また、CuAを 欠 く本酵
素 は、水溶性 1電 子伝達体 のチ トクロム ιではな くて脂
まれ るようになった と考 えた。 1994年 以降、チ トク ロム
θ酸化酵素 の反応 中心 であるサブユニ ッ トIは 脱窒菌硝
溶性 2電 子伝達体 のユ ビキノール を呼吸基 質 として利用
ιι型一酸化窒素還元 酵素 の NorB蛋 白 に、
酸呼吸系の θ
ユニ
サブ
ッ トⅡ の基 質酸化部位 CiAは 亜酸化窒素還元
酵素 の銅複核 中心 Aド メイ ンに、サ ブ ユニ ッ トHIは
NorE蛋 白 に由来す ることが 次々 と明 らかにされ、江上
の仮説 が確 かめ られた。すなわち、嫌気呼吸系酵素蛋 白
の再編成 と触媒機能 の改変 とい うダイナ ミックな分子進
化 によって酸素呼吸系のチ トクロム θ酸化酵素 が成立 し
た と考 えられる。 プ ロ トンポンプ能 は末端酸化酵素 が備
えるユニ ー クな蛋 白機能 で、微酸素条件下で働 き、一 酸
化窒素還元酵素 とω θ型チ トクロム θ酸化酵素 の間 を橋
化酵素 において獲得 さ
渡 しする ι
θ型 チ トク ロム
`酸
`ι
れた。両 酵素 は共 にチ トク ロム ιを電子供与体 として用
い るが、 ヘ ム 。鉄複核 中心 か らヘ ム・ 銅複核 中心 へ のサ
ブユニ ッ トIの 反応中心 の改 変 によって触媒機能 の変換
●
みが利用 して い るが 、その生 合成機構 は末端酸化酵素発
が生 じている。
さて、大腸菌 は好気 的呼吸鎖 にチ トクロム θとチ トク
ロム ι
θ
ノ複合体 を欠 き、酸素 が豊富 な条件下 で増殖す る
場合、 プロ トンポンプ能 を持 つ み
θ型 ユ ビキノー ル酸化
酵素 を末端 酸化酵素 として用 い る。キ ノール酵素 とチ ト
クロム θ酸化酵素 は、サ ブユニ ッ トI∼ IⅡ 蛋 白およびサ
ブユニ ッ トIに 結合す る酸 化還元金属中心 (高 ス ピンヘ
ム と CuBか らな るヘ ム・ 銅複核 中心 と低 ス ピンヘ ム)
の相 同性 か らヘ ム・ 銅末端酸化酵素 スーパ ーフ ァミリー
に分類 され る。サ ブ ユニ ッ トIと IIの 分子系統 と遺伝
子構造 か ら、枯草菌型 のチ トクロム θ酸化酵素オペ ロン
す るために、低親和性基質酸化部位 QLに 加 えて基質か
ら取 り出 した 2電 子 を一時的に貯 蔵 し、 ヘ ムに逐次的に
1電 子伝達す るための高親和性 キノ ン結合部位 QHを 備
えてい る ことを発見 した。更 に、基質 アナ ログ耐性変異
の研究 か ら、 キノール酸化酵素 はチ トクロム ι酸化酵素
のサ ブ ユニ ッ トⅡ の親水性 ドメイ ンの部分的 な構造改
変 によって新 たな触 媒機能 を獲 得 して分化 して きた こと
を明 らかにした。
本酵素 は 4サ ブユニ ッ ト酵素 であるが 、非触媒サ ブユ
ニ ッ トIVは 酵素複合体形成 時 にサ ブユニ ッ トIの CuB
ドメインに特異的 な分子 シ ャペ ロン として機能 して い る
ことを見 い出 した。 また、本酵素オペ ロンの最後 の読み
枠 の産物 は、大腸菌で本酵素 のみが用いる補欠分子族 ヘ
ム 0を 合成す る新規 の酵素 であることを発見 し、 ヘ ム B
の 2位 のファルネシル化 によって生 じたヘ ム 0か ら 8メチル基の酸化 によってヘ ム Aが 生 合成 され ることを示
した。
従来、末端酸化酵素 の物理化学的研究 は容易 に大量の
精製標 品を調製 で きるウシ心筋 のチ トクロム ι酸化酵素
を中心 として展開 されて きた。われわれ は、同 レベル の
大量調製系 を確立 し、ア ミノ酸置換変異 を利用 して初 め
て酸化還元金属中心の軸配位子 を同定 し、 プロ トン輸送
や反応 中心 の分子場 の構築 に関与す るア ミノ酸残基 を明
らか にす る ことに成功 した。最近、ααθ型 チ トク ロム ι
θ型 ユ ビキノール酸化酵素 の X線 結晶構造
酸化酵素 とみ
の遺 伝子重複 の後 に基質酸化能の変換 によってキノール
が解 かれた。 これを契機 として、今後、反応素過程 に関
与す る各 ア ミノ酸残基 の動態 を時間分解 フー リエ変換赤
酸化酵素 が分化 して きた と考 えられ るが、その分子基盤
は明 らかでなかった。また、ポルフ ィリン環 の 2位 にフ ァ
ル ネ シル基 が付加 したヘ ム 0や ヘ ム Aは 、 ヘ ム蛋 自 の
外分光法等 を用 いて解析す ることにより、分子内電子移
動 によって駆動 され るプ ロ トンポンプの作動機構 を原子
レベル で理 解 で きるもの と期待 して い る。
中 で高酸素分圧下で酸 素分子還元 を行 う末端酸化 酵素 の
―-27-―
研究紹介
ヘム ・鉄
N20+2H●
複核 申心
●み 一
.
.3
亜酸化窒素
還元酵素
■■■●日 1
う
.︱ . 一
NosZ型
NorB鰤 効)型
―酸化窒素
還 元酵 素
N20+H20
独
│)
ヘム・ 銅
申心
FixN ebち )型
:‐
‐ ●
N
チ トクロムc
醐朧
[微 好気的]
タ
レl
[i
2H2002+4H●
SoxM oの 型
SOXB ChttD型
チ トク ロムc
醐朧
[好 気的]
+
2H2O O2+4W
佃
場
2
0
0伊
チ トクロムc
闘朧
[好 気的]
2Q8+411t
2QJ2
│:│イ
:
│●
Jl lib
(図
)
SOXM(bο )型
キノール
醐朧
歯 気的]
ヘ ム・銅末端酸化酵素の分子進化 (T Mo」 et al(199鋤 J.BiOChem.Mol.Biol Bioiphys.2,79-│10)
-28-―
0,
研究紹介
晩 0後 氷期 の海面変化 とサ ンゴ礁形成
米
倉
伸
之
(地 理学専攻)
[email protected]‐ tokyo.acjp
の地球規模 の温暖化 によ り大陸氷床 が融解 して、融解 し
た水 は最終的 には海洋へ戻 り、世界 の海水量 が増加 して、
はじまった世界的な海面上昇の前半期 (約 1万 5千 年前
か ら 1万 年前 まで)に はサ ンゴ礁 は不活発 で、約 1万 年
前頃 に海面が水深60メ ー トル ぐらい まで上昇 して以降 の
海面上昇の後半期 (約 1万 年前か ら 6千 年前 まで)に 、
サンゴ礁が上方 に成長で きる環境が整った こと、熱帯地
約 120メ ー トルに も達する世界的な海面上昇が起 こった。
約 6千 年前 には北半球 の高緯度地方 に分布 していた大 陸
域 に比 べ て琉球列島海域 におけるサ ンゴ礁形成環境 の成
立が遅れて い る ことが明 らか となった。
氷床 はほぼ融 け終わつたので、世界的な海水量 の増加 と
海面上昇 もほぼ終燎 した。
熱帯海域 に分布 しているサンゴ礁 は この時期 (晩氷期・
中部太平洋各地 に分布す るサ ンゴ礁 の島々 を詳 しく見
ると、現在 の海岸付近 に海面 よりわずかに (1∼ 2メ ー
トル)高 い ところに年代 の新 しいサ ンゴ礁 の離水地形 や
後氷期 )の 世界的 な海 面上昇 によ り、水深 120メ ー トル
付近 の海底 か ら上方に成長 して形成 されて きた。 サ ンゴ
サ ンゴ礁堆積物 が保存 されて い るところが多 い。 これ ら
礁 の上方成長速度 と海面上昇速度 は微妙 な関係 にあ り、
サ ンゴ礁 の上方成長速度 が海面上昇速度 に近 ければ、
海
面上昇 に追 い付 きなが ら成長 を続 ける ことがで きるが 、
前 か ら 2千 年前 にか けての海面付近 で形成 され、 その後
の海面 の相対的 な低下 によ り海岸付近 に残 された ことが
約 2万 5千 年前 か ら 1万 5千 年前 にかけて、地球 の気
候 は寒冷で、高緯度地方 には大陸規模 の氷河 (大 陸氷床 )
が分布 していた。約 1万 5千 年前 か ら 6千 年前 にか けて
●
海面上昇速度 が速す ぎる とサ ンゴ礁 は海面上昇 に追 い付
かず途 中で溺れて しまい、海面下 に取 り残 され、 より浅
●
の地形 と堆積物 は、放射性炭素年代測定 によ り約 4千 年
明 らか になった。 この ことか ら、西経 140度 付近 か ら東
経 140度 付近 にか け、赤道 をはさむ南北30度 にお よぶ海
域 に分布す るハ ワイ諸島、 マ リアナ諸島、 フレン トポ リ
く陸側 に近 い海底 か らサ ンゴ礁 の新 たな成長 がはじま り、
現在 の海面 に到達 して い る。
琉球列島のサ ンゴ礁 は西太平洋 におけるサ ンゴ礁分布
の北限地域 にあた り、種子島のサ ンゴ礁地形 がその分布
ネ シアの多 くの島 々、 ニ ューカン ドニ ア島にか けての中
部太平洋地域 で は、約 4千 年前 か ら 2千 年前 にかけて海
北限 で、 その位 置 は冬季 の表面海水温 18度 線 にほぼ一致
して い る。琉球列島周辺 でサ ンゴ礁 の沖合 を調査 した音
波探査 の記録か ら、サ ンゴ礁 の海倶1に つづ く礁斜面 は水
おける海面 の この時期 の相対的 な低下現象 に は様 々な要
因 が関与 して い ると考 えられるが、大陸氷床 か ら融解 し
深 50∼ 60メ ー トル付近 まで続 き、60メ ー トル より深 い海
底 は平滑 にな り、サ ンゴ礁 が見 られない ことが 明 らか と
底面 が変形 し、島々が相対 的 に隆起 した可能性 が高 い と
考 えられてい る。
面 は現在 より約 1∼ 2メ ー トル位高 く、 その後現在 の位
置 まで海面が低下 した ことが実証 された。中部太平洋 に
て海洋 に戻 った海水量 の増加 (荷 重 の増加 )に よって海
なった。 この ことか ら琉球列島で は約 1万 5千 年前 か ら
―-29-―
研究紹介
受精時 にみ られ るCa2■■ 昇 の メカ ニズム と役割
吉
田
学
(臨 海実験所)
yoshida@― bsis.u― tokyo.ac.ip
現在調 べ られてい るほ とん ど全ての動物 において、受
精後 に卵細胞質内 の Ca2+が _過 的、 もし くは周期的な
期 で減数分裂 を停止 している。減数分裂 は受精後 に再開
され、 まず一 過的 な Ca2+上 昇 が見 られた後 に、第 1極
シレーシ ョン)を 起 こす ことが古 くより知 られ
ている。 これ らの卵 内 Ca2+の 変動 は多精拒否や表層顆
体 を放 出 し、 その後 Ca2+ォ シレー ションが観察 された
後 に第 2極 体 の放 出を行 う。 ところが、IP3受 容体 の活
粒 の崩壊 な どの現象 に関わってい ることが解 かってお り、
ま こそれ以外 にも卵 の賦活や細胞周期 に重要な役割 を果
た してい る と考 えられてい る。 このよ うな細胞 内 Ca2+
性 を阻害す る抗体 を用 いて卵 内 での ⅡCRの 1形 成 を阻害
すると、受精後 の極体形成や卵割が阻害 され る。 この こ
とは IICRと 減数分裂 が 関連 してい ることを示 している。
の動員機構 として は、細胞外 よ り Ca2+を 取 り入 れ る方
法 と、細胞 内の Ca2+貯 蔵器官 で ある小胞体 な どの内膜
また、IP3を 未受精卵 に注入 し人工 的 に卵 内で ⅡCRを
誘導す ると、受精 な しで も減数分裂が再開 し、第 1極 体
系よ り動員す る方法 の 2通 りが あ り、 さらに内膜 系 か ら
の細胞 内 Ca2+の 動員機 構 として、IP3受 容体 を介す る
の放 出を経て第 2分 裂 中期 まで進行す る。 この場合 はそ
れ以上 の減数分裂 の進行 は見 られな い。 しか し第 2分 裂
上昇
(オ
D(IP3 induced Ca2+release:Ⅱ
もθ
CR)
と ryanodine
受容体 を介す るもの (Ca2+^inducedCa2+release:CICR)
の 2種 類 あ る。受精・ 卵賦活時 の卵 内 Ca2+動 員機構 と
中期 に達 した後、IP3の 再注入す るとさらに減 数分裂 が
進行 し、第 2極 体放 出が観察 され る。 従 って ⅡCRに よ
る卵内 Ca2+の 上昇 は、減数分裂 の進 行 にお いて 中期 か
ら後期 へ の移行 に関与 していることを強 く示唆 してい る
しては、 これ までの研究 より、ホヤ、 カエル、 マ ウスな
どで は主 に ⅡCRが 関与 してお り、 ウエ な どの刺皮動物
とい える。
で は ⅡCRと CICRの 両 方が働 いてい る。細胞外 よ りの
ca2+動 員 は卵 おおいて はあま リー般 的 でな く、わずか
減数分裂 の 中期 か ら後期 へ の移行 に際 し、Ca2+が どの
よ うな分子 メカニ ズムで関与 しているか はまだ未解明 な
にしモムシ と二 枚貝 において知 られて い るのみである。
で は、 この卵 内 Ca2+の 1変 動 は卵賦活 に どのように関与
してい るので あ ろうか。私 は原 索動物 で あ るホヤを実験
分野 で あ る。最近 、 中期離脱 に見 られ るMPFの 活性
消 失 がIP3注 入卵 で も見 られ る こ とが 報告 され (Mc―
材料 に用 い、特 に ⅡCRと 減数分裂 の関連 に着 目して こ
のテー マ に取 り組 んでい る。ホヤ未受精卵 は第 1分 裂中
図
Dougallら 、1998)、 解 明 の糸 口が示 された。今後 は こ
の分子 メカニ ズムの解明が大 きな課題 であるといえる。
ユ ウ レイボヤ卵 にお ける受精直後の卵内 Ca2+ の動態。Ca2+濃 度蛍光指示薬を用いて 5秒 おきに卵内の Ca2+濃 度を
画像化 したもの。受精点よ り波状 に卵内 Ca2+ が上昇する様子が見られる。
―-30-―
研究紹介
火山ガ スの火 山体 か らの拡散放 出
野
津
治 (地 殻化学実験施設 )
憲
notsu@equchem,s.u― tokyo.ac.jp
火山ガ スは、爆発的な噴火時に団体粒子の噴煙 ととも
に火 日か ら放出され、 まれに起 きる巨大 噴火 で は成層圏
可能性があ り、火山活動 を理解す る上で重要な観測量 に
な りつつ ある。なお、火 山ガスの「拡散放 出」 は、火山
にまで達す る。一方、活動的な火山で は、非噴火時 に も
体 を覆 っている土 壌中に含 まれる火山ガス成分の定量 と、
土壌層 を通 って大気 へ移動す る火山ガス成分 のフラック
山頂や山腹 の火 口や噴気孔 か ら火山ガスが定常的 に大気
に放出 されてお り、 日に見 える火山ガスの放 出は観光名
所 になっている所 も多 い。火 山ガスは、 マ グマ に溶 け込
んでいた揮発性成分 が、 マ グマか ら分 離 したのち、火山
体 内で化学変化 を受 けつつ地表 へ現れた気相であ り、噴
火 にいたるマグマの変化 を敏感 に反映す ると考 えられて
い る。
●
大部分 の火山ガスは、火山体 内 に存在す る火道 な どガ
スの通 り道 を通 って火口や噴気孔か ら放出 され る。 しか
し、 1991年 にイタ リア、 エ トナ火山で、噴気孔 を通 らず
火山体全体 か ら大 気 へ放出 され る量が噴気孔 か らの放出
ス (単 位時間あた りの放出量 )演 ]定 を火山体 をカバ ーす
る多数点 で行 な う ことか ら調 べ られ る。
三宅島火山は、最近 で は1873、
1940、
1962、
1983年 に
噴火 が起 きてお り、次の噴火が取 り沙汰 され る時期 にき
ている。そ こで、昨年夏、三宅島火山を対象 に火山ガス
の拡散放 出の調査研究 を進 め、島内150点 で火 山 ガス起
源の C02の フラ ックス と土 壌中の C02濃 度 を測定 した。
その結果、拡散放 出 による C02フ ラ ックス は島全体 で
約 4,000ト ン/日 であ り、 この うち720ト ン/日 は山頂火
口域 か らであった。 また、土壌 ガス 中 の C02は 、 山頂
量 に匹敵す るほど多 い ことが示 されて以来、 このよ うな
火 口域以 外 にも、山頂 か ら南西方向 に高濃度域 が存在 し
「拡散放出」 に注 目が集 まっている。噴気孔か らの放 出
は点源 で あるのに対 し、面 的な放 出 は単位面積 あた りで
1983年 の側噴火 の火 口か らの供給 が示 唆
される。火山ガスの拡散放 出 のパ ター ンと総量 が来 るべ
は少量 で も積 算す ると大 きくなるので ある。「拡散放出J
の空 間分布か ら、火山体内の弱線 (将 来 マ グマが上がっ
て来 る ところか もしれない)分 布 が分 か るし、時間変化
き噴火 に向かって どのように変化す るかはこれか らの課
題 であ り、噴火 に至 るまでの諸現象 の解明 に役立 つ こと
(下 図参照 )、
が期待 され る。
はマ グマ か ら分離 した火 山ガス相 の圧力変化 をみてい る
1lTI NIII
●
SOil C02(ppm)
(Septelnber 1998)
BackgrOund=470 ppm
● Slln〕 P‖ ng
Site
E BaCkgroulld
匡
]>3,ackgrOu:ld
国国 >5
l■
■│>15
土 壌 ガス 中 の C02濃 度測定 (三 宅島全体 )
-31-
3ackground
>10 Background
3ackttund
研究紹介
国境 を越 え赤道 を越 え
半 田 利 弘 (天文学教育研究 セ ンター)
[email protected].― tokyo.ac.jp
南米 チ リ共和国北部 の乾燥地帯 は、沿岸 を寒流が流れ
てお り、海抜4000m級 の高山が居 並ぶ、世界的 にも天体
観測 に最 も適 した地点で ある。我 々 は波長 1.3mllの 電波
輝線 による天の川全域 の観測 を行 っているが、 日本か ら
は観預」
不可能 な南天 の観浪1は 、チ リか ら行 っている。
波長 1.3111mの 電波輝線 は星 間 ガスに含 まれ る一酸化炭
素分子 が発す るものである。一 酸化炭素分子 は、この他、
波長 2.611ullに も輝線 を持 つが、両者 は異 なった量子準位
間 の遷 移 によって放射 され る。 したが って、 この 2つ の
電波輝線強度 を上ヒ
較す ることで、統計的 な「温度Jを 知
ることがで きる。 しか し、 ことはそ う単純で はない。星
間空間で分子 ガスが存在す る温 度・ 密度 で は分子 は衝突
によって励起 され ると考 えられて い る。衝突頻度 は温度
だけでな く密度 にも依存す る。実際 にモデル計算 を行 う
と、星間ガスで は、 この 2つ の遷 移 での強度比 は温度 よ
のプ ロジ ェ ク トのメイ ンテーマ である。
チ リか らの観測 によって、天 の川銀河 の中心 か ら南倶1
半分 を調 べ る ことがで きた。結果 は、北側半分 で得 られ
たの と同様、全体 として 中心 か ら周辺部 に向か って平均
密度 が落 ちてゆ くことが わかった。天の川銀河 はほぼ軸
対称 な円盤銀河 と考 えられて い るので、 このことは予想
された ことで はある。強度比 が主にガス密度 を反映 して
い る傍証 として、強度 と強度比 とに正相関が あ ることも
明瞭 に見 いだされた。 ところが、南側半分 は北側半分 に
比 べて、全体 として平均密度が系統的 に高 いことが分 かっ
た。強度分布 が ある程度 は非対称 で あ る ことは知 られて
いたが、密度分布 も非対称 だつたのである。 これ は天 の
川銀河の大規模 な非軸対称構造 を反映 して い るのであろ
うか。
それな らば、我 々の太陽を含 む天 の川銀河 を理解 す る
りも密度 に対す る依存性 の方が高 い。 つ まり、衝突励起
を起 こす分子の熱運動で定義 され る温度 に比 べ て、各準
上 で、チ リか らの観測 は欠かす ことがで きない もの と考
えるべ きである。 さらに、人工衛星軌道上か らの観測 で
位 とも少 な目なので あ る。比 を知 ることは、 この少 な 目
度合 い を見積 もる ことにな り、 それ に よって、密度 を知
は南 も北 もない とい う こともある。地上か らの天文観測
も国境 を越 え、赤道 を越 えて行 うことを積極的に考 えね
ばなるまい。
ることになる。天 の川銀河の場所 ごとに、星間空間が ど
のように異なってい るのかを描 き出 そうとい うのが、 こ
Radial Distributions
0.0
0
2
4
6
8
10
12
GralactocentFiC diStance rKkpc)
銀河 中心 か らの距離 に対 す る一酸 化炭 素分 子輝線強度比。今 回、チ リか らの観測 で得 られ た第 4象 限 (4th Quard:図 中太線 )だ
けのデー タによる もの は、以前、 日本 か ら観測 した第 1象 限 (lst Quard:図 中太線 )の デー タか ら求 め られ た もの (SakamOtO et
al.1997)と 、 中心 か ら周辺 へ 向か つて低下 す る とい う傾 向 は同 じものの、 系統 的 に高 めの値 を示 す。 比の高低 は、平均 的 な星間
分子 ガス密度 の高低 を示 して いる と考 えて良 い。
-32-―
0
《受賞関係》
小林昭子先生 の結晶学会賞受賞 を祝 して
ヒ学専攻)
井 本 英 夫
[email protected]― tokyo.ac.jp
“
すが、中性分子でそのような ことを実現す るのは難 しい
わけで、分子 の形や配列 を制御 す ることによって これに
挑戦 してお られ ます。
小林先生 は岡崎 の分子研 にお られ る御夫君 の小林速男
先生 とともに分子性超伝導体 の分野で数多 くの先導的論
文 を発表 して こられ ました。 これ らの論文 は、結晶構造
を詳 し く調 べ ることによ り分子性伝導体 の示す物性現象
●
化学教室の小林昭子助教授 が 日本結晶学会 の平成 10年
度学会賞 を受賞 され ました。受賞理 由は「遷移金属錯体
伝導体結晶 の構造 と転移機構 に関す る研究Jで す。
小林先生 は、物性研究所 の斉藤喜彦先生 の研究室の御
出身 で、博士課程 をおえられた1972年以来、ず つ と理 学
部化学科 のスタッフでお られ ます。今回の受賞対象 となっ
な構造 を持 ち、構造決定 がで きて もそ こか ら物性現象 と
結 びつ くパ ラメータを見出す ことは容易 ではあ りません。
複雑 な構造 の中か らいったい何が本質的 なのかを見出 し、
さらにその知識 を土台 として新 しい物質 の開発 を行 って
こ られた ところに」ヽ
林先生 の真骨頂 があるので はないか
と思 い ます。 これ らの御仕事 は物理 と化学の両方 にまた
た伝導性 の遷移金属錯体 の研究 は20年 余 り前 にスター ト
され、 その最初 の研究 は一 次元的 に並んだハ ロゲ ン架橋
白金錯体 の構造 に関す るもので した。 その後、 ニ ッケル
が るもので、物理教室 や、物性研究所 で も御存 じの方 は
にイオウを含 む有機配位子が結合 した錯体 を用 いて多 く
の分子性結晶 を合成 され、構造決定、電気伝導度 な どの
物性測定 を行われ ました。 この研究 の過程 で、 ニ ッケル
錯体 やパ ラジウム錯体 か らなる分子性伝導体 で超 伝導転
木研究室 に入 った時 か ら、小林先生 は多 くの X線 装置 の
面倒 をみて きて下 さってい ます。 また、私 も含 め、化学
移 を発見 され ましたが、 これ は金属錯体 だけが超 伝導 を
担 う最初 の例 であ りました。最近 は、金属錯体 を用 いて
●
の本質 を明 らかにす るものであ り、国際的 に高 く評価 さ
れてい ます。分子性伝導体 は数多 くの原子 を含んだ複雑
単一 の中性分子 か らなる金 属伝導性物質 の開発 を手 が け
てお られ ます。電気伝導が起 こるためにはそれ を担 う分
た くさんお られ ることと思 い ます。
化学教室 で はじめての単結晶 X線構造解析装置 が佐佐
教室 で単結晶 X線 構造解析 を行 つた人 のほ とん どが小林
先生 に、構造解析 の手 ほ どきを受 けて きました。 その御
尽力 に感謝 いた します とともに、今回の受賞 を機 に分子
性伝導体 の研究 をます ます発展 させ られ ます よう、お祈
り申 し上 げます。
子 が電子 を容易 に とった り、出 した りす る ことが必要で
INi(ptdt)21
-33-
留学生より》
《
東京での随想
黄
紅 花
ヒ
学専攻 修士:新呈1年 中国
)
“
あっ とい う間 に日本 に来 て もう10ヶ 月た った。初 めて
の外国生活 だか ら自分 自身 もうま く行 けるかず いぶ ん心
殻 をどこにも勝手 に捨 てる若 い人が常 に見 える。多分、
どこの国 に行 って もいい側面 もた くさん見 えるが、悪 い
配 したが、思 った とお りよ りす ぐ慣れ て うれ しかった。
面 はあんまり少な くて もす ぐ目に立 つか ら、悪 い影響 を
与 えて強 く感 じられ るか ら心 に残 りやす い らしい。 日本
東大駒場 campusの 銀杏道 は、私 の前 の清華大学 の銀 杏
道 とす ご く似 て る。 だか ら、 あ る日、駒場 の銀 杏道 を
渡 って13号 館 の教室 に入 って :「 なんて、 この教室 の
テ レ ビ は 国産 の長 虹 とか じゃな くで、全 部 日本 製 の
Panaso面 cな の ?」 と、 ここが清華大学 だ と勘違 い した。
最初、来 たばか りの時 は去年、 日本 のいわゆる一 番 き
れ い な桜 シーズンで あった。中国で知 り合 った 日本人 の
は、発展国 だか らか もしれないが、町 で よ く見 える東京
のカラス は中国 のよ りとって も大 きくて、栄養 をちゃん
と取 って (?)と って も太 ってる。 そんなカラス達が町の
ゴ ミを散 らして町を汚 くす るのは仕方ない けど、若 い人
たちはルールを守 ってきれいな東京 の環境 をきちん と守 っ
てほしい。もう一つは、電車の中で何 も考 えずにシルバー
友達 と井 の頭公 園 にお花見 に行 って、 きれいな桜 の ピン
ク と真 っ 自のハ ーモ ニーに感動 した。 その、素敵 な景色
シー トに座れる若 い人が、年上 の人 に席 を譲 つてほしい。
よ りもっ と感動 した ことが ある。電車で ピークの時の人
口密度 よりもっと密集 してい る人々を見 てびっ くりした。
習 った 日本 と今 の 日本 はち ょっ と違 ってやっぱ り実見 と
経験 が重 要 だ ことを分かった。 マ ラ リア疾病専攻 の私 の
なぜな ら、私 には今 だに中国 にい る時 に雑誌 か ら読 んだ
日本 のイメージが残 って い るか らだ。 つ ま り、 日本 の国
ルーム メイ トも ここに来 て こそ、「 パ チ ンコ」 が そんな
とは、人 と人 の接触 よりも人 と機械 との接触 が多 くて、
あんまりにも便利す ぎて人 と人 の コ ミュニ ケーションが
かな り寂 しい ん じゃないか と思ったか ら、井 の頭公園 で
そうい うことで、私 は ここに来 て こそ、前 に教科書 で
に「怖 い疾病」で はない ことを知 った らしい。なぜな ら、
前 に若 いお母 さんがパチ ンコに入って子供が酸素不足 (?)
で死 んで しまったニ ュースが何度 も海外 で も放送 された
か らだ。
人が いっ ぱい集 まって一 緒 に食事 しなが ら歌 った り、飲
んだ りす るシー ンを見 て もちろん驚 くべ きだった。
もちろん、 これ は第 一 印象 としての感想 を書 いただ け
で、 い まか らも、専門分野 での 目標 を目指 して走 りなが
日本語 を初 めて習 う時 には、 日本語 は平仮名、 カタカ
ら、大学以外 の 日本 の素晴 らしい面 をた くさん見て、勉
強 したい。
ナ と漢字 をうま く利用 して日本特有 の文字体系 を構成 し
ていて とて も素 晴 らしい と思 ったが、 ここで、私 は「氾
濫 してい る」 カタカナのショックを受 けなければな らな
かった。専 Fi分 野 とか元々アメ リカの単語 は、なん とな
く納得 で きるが 、 日常で多 くの場合で も使われ、それ も
元 は非常 にいい 日本 語 の固有 の文字 が あるにもかかわ ら
ず、現代 のアメ リカ式カタカナを使 うのを見て「 い ま、
カタカナ英語 が はや って る ?」 と思 った。「パ ー フェク
トJを 見 て何回 も何回 も何 の意 味 か と当 てて見 たが、結
局 に は聞 いて「完璧」 を意味す るのが 分 か った。元 の
「完壁 」 が もっ ときれいな日本語 なのに、な んて、 カタ
カナ英語 を使わなければな らない ?「 こころJを 「ハ ー
トJに す るとか「母 」 を「 マザーJに す る とか前 の日本
式単語が もっ とツー ンと心 に当 たって暖 か くなるのに、
硬 いカ タカナ英語 を使 うのが どうして も私 には不思議 だ
った。
「 日本語で敬語が一番難 しい」多分、外国人 だった ら
みんなそう思 うか も知 らない けど、私 はそうだった。 そ
の ときは、 日本 は礼儀多 くて礼儀正 しい国 だ と思 った。
実際 日本 に来 て、 そんな事 は少 な くとも今 の若 い世代 に
は限 らない ことだ、 とやっ と分 かった。駅 でタバ コの吸
―-34-一
理学部留学生パーテ ィーで
留学生 よ り
東大人の心
ミン・ ヨン ク ン
(化 学専攻
博士課程 2年 韓国)
[email protected]― tokyo.ac.ip
私 は文 学 には門外漢 だ。詩、小説、随筆等 の本 もあま
り多 く読 んだ方 ではない。 ただ、大学 3年 生の頃 には、
学校 の中央図書館 で約 1年 間書架整理 のアルバ イ トをや
●
ためにいつ も一生懸 命 に研究 に励 んでい く姿 は本 当 に素
晴 しい。 ただひ とつ、念 のため考 えてお きたい ことが あ
る。 自身 の 目的 が単 に知識 の所有や新 しい現象 の発見だ
けで はな い ということだ。 日標 が達成 され相応 な立場 に
る機会 があって、整理中 に見 つか った面 白そうな本 を必
ず読 もうとした ことがある。そのバ イ トが きっかけになっ
立 った とき、 自ず か ら現われ て くる他者 の幸福や 自由 に
て今 で も忘れ る事 が 出来 ない一冊 の本 と出会 った。それ
はバ イ トが終わ る頃に図書館 の司書か ら頂 いた本なのだ。
関わ る自分 自身 の影響力 を忘れてはい けない。そ うす る
と初 めて名実共 に実力 と人間美 を兼備 した尊敬 され る東
その本 はそんなに厚 くない し、す ぐ飽 きる ぐらい長 い も
ので はない物語 が集 まって い たので、私 が い ままで覚 え
ている事 が 出来 たか もしれな い。 で も、その中のひ とつ
大人 になるので はない だ ろうか。安 田講堂の建物 にある
歴史の痕跡 を覧 じなが ら、三 四郎池の心 を一周歩 きなが
は本当 に私 の心の深 い ところまで滲 み こんでいた。先述
したように文学的才能 がないので、私 が感 じた感動 をそ
のまま伝 える事 は不可能 だが敢 えて紹介 してみようと思
ら東大人 の心 を吟味 してみたい。
今 まさに、私 は日本 で `無 所有 'の 自由 と幸福 を満喫 し
ている。一 日を過 ごすのに必要な もの しかない留学生活
う。
だか ら、全然気 を配 るものは持 っていないのだ。但 し、
今 も十分感 じなが ら持 ってい る力`
、 もっ ともっ と欲 しい
著者 は韓国で有名 な僧侶文学者 の 『法頂』で、題 目は
『無所有』 だ。 話 の筋 は次 の ような ものだ。“いつ もの
かい心"な のだ。
ものが あ る。 それ は、 “温 かい心の東大人、東大人 の温
ように山寺 で暮 らしていた ある日、知人か ら高雅 な美 し
い蘭 をもらった。 日々水 を掛 けた り、 日当 りが良 い とこ
ろに移 しなが ら清風 を十分 あてた りする間、本当に蘭 の
美 しさに魅了 された。蘭 を鑑賞す る事 こそ至 高 の幸福 で、
もう離 れ る ことがで きない 日常の同伴者 になった。 その
ようなある日、山か ら降 りて町にいか なければな らな い
仕事 が 出来 た。 しか し、蘭 の世話 が 出来な い事 か ら凄 く
不安 になった。 それで、町には行 った ものの、仕事 を済
ませない まま急 いで山寺 に帰 って来 ざるを得 なかった。
そんなに心 の安 らぎと幸福感 をたっぷ りもた らして くれ
た蘭 だったが、それ と同時 に以前 は全然なかった負担感
や責任感、 さらに不安感 さえ生 まれて来 たのだ。結局 そ
の蘭 を人 にあげることを決心 した。 その時 になってやっ
と心 の完全 な平静 が戻 って来 た。"と い う話 だ。人 間 は
何 かを所有す る ことによって欲求 を満たす ことがで きる
反面t必 ず代償 を支払わなければな らない。寧 ろ、所有
しない方が真実な幸福 を味 わ う ことがで きるし、完全 な
自由を得 ることがで きるか もしれな い。
で も、今 も人 間 は絶 えずに何か を自分 の ものにす るこ
とに熱心だ。 それ は際限な い ようだ。 そんな所有欲 か ら
始 まった不幸や騒 ぎに接す るのは、珍 しいこ とで はない。
毎 日、新聞やテ レビを飾 ってい る。例 えば、 `Ю C委 員
の○○ … `○ ○公務員 の汚職 … `保 険金○○ … `○
'、
'、
'、
○ での万 引 き… 等 々。 そのなかで 学殖 の豊 かな人 や
社会的 な影響力のある人達 の所有欲 こそ大 きな波紋 を起
こし、数 えきれない程 の物質的或 い は精神的な被害 を大
'、
勢 の人 々に及 ぼして しまう。
東大人 は皆優秀だ。 そして 日本 は勿論 の こと、世界 に
向けて必ず影響力 を広 げて い くだ ろう。 それ をかなえる
-35-―
国際交流室主宰 の Year End Pattyで
平成10年 度理学1部・ 理学系研究科技術職員集合研修「コンピュー
夕関係」実施 される。
平成 0年 度理学部■ 理学系研究 科技術職員集合研修
「 コンピュータ関係」がヽ 11月 30日 か ら12月 3日 まで 3
日間実施 され た。
受講者 は技術職員15名 の他、図書職潰 から 名 の参加
・
があ り、総受講者 は17名 ‐
であ った。
,理
は、平成 7年 から毎年技術職
理学部
学系研究料 で―
の
がおこなわれている
員 集合研修
。
「 コンピユータ関係」
1‐
2‐
は毎年行われ、今 回で 4回 目になる。今回は コンピュー
タに関 す る講義 の他、windmsソ フ トウ ェ アの使 われ
方 に関す る講義 と演習 が行われ た。 ソフ トウエア として
は、 計 測 制 御 用 グ ラ フ ィ カ ル プ ロ グ ラ ミ ン グ
(LabVEW)と
ドロー 系 ソフ トウ ェ ア (AutoiCAD)
が用 い られた。
研 修終了後、研修会場 において懇談会 が行われ た。
理学系研究科・ 理学部教職員 と留学生
外国人研究員 との懇談会開かれる
去る.1月 25日 (月 )午 後 6時 か ら山上会館 1階 談話ホー
ルおおいて、理学系研究科・ 理学部 の教職員 と留学生・
外国人研究員 との懇談会が開催 された。
参加者 は留学生、客員研究員、教職員 を含め計80名 。
会 は壽榮松研究科長の挨拶 に始 ま り、守1国 際交流委員長
による乾杯の音頭の後、料理 や飲 み物 を手に歓談が始め
られた。外 はあいにくの雨であつたが、会場 の中は暖か
で参加者 はリラ ックスした雰囲気 で料理 と会話 を楽 しん
だ。
い
会半ばに大園留学生センター長 より挨拶があり、続‐
て留学生 3人 のスピーチが行われた。生物科学専攻の研
究生 シン・ ナング・ バハ ドゥーラさん (ネ パール、男性)
は日本 についての印象や東京大学 に1入 つた喜 びを体‐杯
に表現 し、化学専攻 の修± 1年 黄紅花 さん (中 国、女性)
は1日 本での生活 で感 じたことや中国との違いについて流
暢 な日本語 で話をした。 また、同じく化学専攻 の博± 2
0
年間栄根さん (韓 国、男性)は 東大で研究生活を送る傍
ら日本での厳 しい生活状況についてい くつかの新聞取材
を受けた経験等 を挙げ、経済的 には大変で―
あるが、精神
ていること
豊かな
を
的には
、誰 とも話せな
留学生活 送つ
い日が一番つらくもっ と学生 と話す機会を持ちたいとの
希望を述べた。
最後 に理学系研究科国際交流委員会である地球惑星物
理学専攻のグラー助教授 による.閉 会の辞があった後、全
員記念写真を撮影 し、午後 8時 に盛況のうち閉会 した
留学生たちは、自国の経済危機や日本の不況のため民FHl
奨学金 を得 ることも困難な状況 の下、毎日一生懸命研究
に打ち込んでいる。普段は実験等で忙しく他の研究室の
学生 との1交流 も難 しいがヽ年 に一度の このパーティでは
いろいろな人に出会い、美味 しい食事 と:共 に楽 しいひと
ときを過ごすことができたようで、お世話した側にも有
意義な催 しであった
―-36二 一
.。
.。
そ の 他
●
●
歓談する教職員 と留学生たち
―-37-―
そ の 他
理学系研究科長 (理 学部長)と 理学部職員組合 との交渉
1998年 11月 16日 及 び12月 21日 に壽榮松研究科長、小林
事務長 と理 学部職員組合 (理 職 )と の間 で定例研究科長
交渉 が行われ た。主な内容 は以下 の通 りである。
1.昇 級 0昇 格
11月 の交渉で理職 は、今年度 の特昇者 の名簿 と、特昇
の基準 となる人事委員会 の内規 を明 らかにす るよう要望
した。事務長 は承知 した と答 えた。
事務職員
11月 の交渉 で理 職 は、来年度 で定年3年 前 となる事務
主任 の 6級 昇格 と、行 (二 )か ら行 (一 )に 振替わ って
3年 が経 過す る掛員 の掛主任発令 について、 1999年 4月
1日 付 での発令 を要望 した。理職 は、 4級 高位号俸者 が
ス トが職員数 の割 に少な く、現場職員 の待遇が悪 くなっ
て い ることを主張 し、待遇改善 へ の努力 を要求 した。事
務長 は、検討す ると回答 した。
技術職員
11月 の交渉で理職 は、2000年 3月 定年予定 で未 だ 4級
の技術職員 がお り、他 の技術職員 との均衡 を著 し く欠 い
ていることを指摘 し、 1999年 の 4月 が最後 の機会 である
ので、 5級 昇格 を実現す るよう要求 した。事務長 は、 年
齢、号俸 は 5級 昇格基準 に足 りて い る、在級年数 が不足
す るが努力す る と回答 した。理職 は、今年度 の 7,8級
上 申手続 きはどの様 になってい るかを質 した。事務長 は、
年内 に書類 が来 る、該 当者 は 5名 である、通知 が来 た ら
専攻長 の推薦文 と資料 を出す、 12月 再確認す るが まだ書
類 は来 ていない と答 えた。
12月 の交渉で理職 は、2000年 3月 定年予定者 の 5級 昇
溜 まってい る現状があ り、理学部 には専門職員 が少ない
ので個別 に獲得 して昇格 を改善 して欲 しい と要求 した。
これに対 して事務長 は、専門職員 は事務 組織化 や事務 一
格 について尋ね た。事務長 は、良 い方向 に進んで い ると
回答 した。理職 は、5,6,7,8級 昇格要望書 を提出 した。
元化 との関係 で考 えてい るが、違 う方向があればそうし
たい、事務局 と相談 して検討 したい と述 べ た。
2.勤 勉手当
12月 の交渉 で理職 は、昇格 に関する要望事項 について、
本部 の反応 を尋ねた。事務長 は、 6級 昇格 につ いて は定
年 2年 前 が 最短 である と答 えた。理職 は、5,6級 の専門
職員 を部局 に増 や して欲 しい と要望 した。現場 に任 され
て い る業務 が増 えて繁雑化 してお り、迅速 な対応や高度
11月 の交渉で理職 は、今年度 12月 期 の勤勉手当 につい
て、0,7該 当者 を具体 的 に推薦 しているか、順番制 で あ
るか を尋ねた。事務長 は、事務官・ 技官 について は順 番
制 であると回答 した。
な知識が要求 されて い るので、業務 を円滑 に進 めるため
にも事務機構 の充実 を図 るよう要望 した。事務長 は、現
場 の大変 さは理解 して い ると答 えた。理職 は、増大す る
3.研 修旅費
事務 に対 して体告llaS応 じきれて い ない こと、 かつては学
部 で行 って い た法律 と現場 の穴埋 めが学科 に降 りて きて
お り、事務主任 が そのギャップを埋 めてい る現状 を説明
技術職員
11月 の交渉で理職 は、技官の旅費等 に関す る要望書 を
ことが必要 で あ り、重ねて専門職員 を増やす よう要望 し
提出 した。理職 は、技術部 の旅費等 を賄 ってい る委任経
理金利息の不足 について、来年度 も今 まで通 りの技術部
活動 が 出来 るよう、配慮 して貰 い たい と要望 した。研究
た。研究科長 は専門職員 の数 が 少ない ことは承知 してい
ると述 べ た。理職 は強 く改善 を要求 した。
科長 は、利子財源 がな くなった、研修旅費 の中身 の種分
けが必要、技術 の水準 を上 げるのに必要な ものは何 らか
した。多 くの課題 を処理す るには事務 を合理的に進 める
図書職員
11月 の交渉 で理職 は、行 (二 )か ら行 (一 )に 振替 に
な り、年齢 と号俸 の条件 は満た して いて、1999年 4月 で
4級 在級 が丸 5年 となる図書職員 の 5級 昇格 を要望 した。
の予算 で賄 いたい、 シンポや他 か ら人 を呼ぶ経費等、個
人 的 でない旅費 については何 か財源 を確保 したい、 しか
し学会 出席 は研 究 の一 環 であ り、全体が負担す るには無
理がある、何れ も会計委員会 で議論す るので、技術部 に
は予算表 を出 して貰 いたい、この要望書 も委員会 へ 出す、
事務長 は、在級 の基準 をク リアして いないので、個別 に
考 えなければな らない だろうと答 えた。
12月 の交渉 で理 職 は、図書職員 の 5,6級 昇格 につ い
ての要望書 を提出 し、該当者 の昇格 を要望 した。図書職
員 の昇格 について は、基準で 5級 昇格 した人がす ぐ 6級
昇格 の有資格者 となる位、5級 昇格 が遅い現状 を指摘 し、
専門職員導入 による昇格改善 を要望 した。理職 は、全国
と答 えた。
図書職員
11月 の交渉で理職 は、研修旅費 につ いて の要望書 を提
出 し、今年度 の追加配分が決 まつたか尋ねた。事務長 は、
追加配分 はまだ決定 して い ないが可能性 はある、来年度
か らは会計委員会で、専攻 へ配分する時点 で予算 を回す
的 に見 て東大 のように大規模 な大 学 で は、図書職員 のポ
―-38-―
ことを検討 して もらう ことになるだろうと回答 した。理
そ の 他
職 は、研修 は益々必要 になって い るが、理学部 の旅費 の
財源 を増やす ことはで きない のか質問 した。事務長 は、
11月 及び12月 の交渉 で理職 は、図書 の組織化 につい て
質問 した。事務長 は、その後 の進展 はない と回答 した。
新 しい事業 の一環 として概算要求 しなければ無理である
と答 えた。研究科長 は、特定 の 目的 に絞 って旅費 を出す
ことは考 えられ ると述 べ た。理職 は、す ぐに結果が現わ
れ る研修 ばか りで はない、学部 として職員の教育 とい う
観点 を持 つてほしい と要望 した。
12月 の交渉で理職 は、旅費 の追 加配分 について尋 ねた。
5.定 員削減
12月 の交渉で理職 は、平成 11年 度 の定員削減 につ いて
どのように考 えてい るかを尋ねた。事務長 は、 ユニ ッ ト
制 のプラスの数字 を見て人事委員会で考 えてお り、定年
事務長 は、全体 の追加配分が まだ来 ない と答 えた。理職
退職以外の定員肖1減 は、異動・ 辞職 の後 を埋 めない と回
は引 き続 き、旅費 の確保 を要望 した。
答 した。研究科長 は、異動 は本人 の了解 な しで は行わ な
い と述 べ た。
4.事 務―元化
6。
その他
11月 の交渉で理職 は、理 学部 の合 同事務部化 の形態 に
ついて尋ねた。事務長 は、現在、遺伝子、素粒子 も理学
部事務 でや ってい るが、概算要求で はそ こに環境安全 セ
11月 の交渉で理職 は、新領域創成科学研究科 の図書 に
ついて どう考 えて い るか質 問 した。研究科長 は、柏 の図
ンターが増 えた形 とな り、環境安全 センター本来 の業務
であるサー ビス部門 は 1つ 掛 をつ くり、一般部門 は各々
書室 につ い ては検討 されているが 、柏 に移 るまでの こと
は聞 いて いな い と答 えた。 12月 の交渉 で理職 は、新研究
の掛 でや ると答 えた。
12月 の交渉 で理職 は、合同事務部 は概算要求 に伴 い実
科 の図書 について、4月 か ら学 生が入って来 るが どうなっ
ているか問 い ただ した。研究科長 は、 まだ新研究科 か ら
現す るのか確認 した。研究科長 は、平成 11年 度 か らそう
なる と回答 した。理職 は、事務部長制 について どうなっ
何 も言われ て いないが、当面今 までの専攻 の図書室 を使
わせて もらうしかないので はないか、 と答 えた6
ているかを質問 した。事務長 は、平成 12年 度以降再編成
を考 えなければな らない、平成 11年度 は事務 だけが環境
安全 セ ンター と一緒 になると答 えた。
12月 の交渉で理職 は、独立行政法人化 について、東大
として何 か検討 してい るか尋ね た。研究科長 は、検討 は
して い ない と答 えた。
るさと切手」に
東大木曽観測所が 「 、
.ζ
長野県木 曽郡 三岳村 の東京 大学理学系研 究科 。理学部
木 曽観測所 (吉 井譲所長 )は この 4月 で25周 年 を迎 えま
す。 これ を記念 して、天文学 を通 じて地域 との交流 が さ
らに発 展す る ことを願 って、木 曽観測所 と御嶽山をデザ
イ ンした郵政省 のふ るさと切手 (80円 切手 )が 信越郵政
局管内の長野、新潟両県の郵便局 を中心 に 4月 9日 発売
することになりました。木 曽観測所の シンボルのシュミッ
ト望遠鏡 ドーム と木 曽の御嶽 山 の景観 が赤 く美 しいばら
星雲 を背景 に描 かれて い ます。地元 の三岳郵便局 は、発
売当 日に全 国の郵使局 で唯一 、同切手 に「初 日印」 とい
う記念 ス タ ンプ を押すサー ビスを行 い ます。興味のある
方 は、三 岳郵便局 (〒 3970199 長野 県木 曽郡│三 岳村
64572、 電話 o264-462042)へ お問 い合わせ下 さい。
(東 大学 内広報Nol155
1999.3.8号 に掲載済 )
―-39-―
涯〕 理民 重邸籠憂 東大木嘗観測所と御青山 長野県
そ の他
人‐
事 異1動 1報 告
麒
貯 高
曹 磯
民1
名
地
疑
騨攣
物
理
教 授‐ 福 山 秀 敏
働
疇 職
鮨
構 原
物
聾
麟 手
地
惑
み
理
物
・
.″
孵
科
1.16
昇 肇
JL 2. 1
輻
締
欲
考
鋤雷球:り
ヘ
名
浩
月1風
襲.
1. 116
杉 皿 精 司
響 畑 幸‐俊
1■ ‐21_
1■
2.郵
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瑾醸
軋
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自 水 徹 也
1■
佳‐藤 慮 碁
lL 3.1
P
直 遺
採 用
』
1
〃
3.l
辞 職
3. 1∼ム 2.躙
晰
1■
体 職
lL D。
鳳欄
異動囃奇
備
2.1
併 儀│
1-l■ ‐31.129
鍾
官 職
畿 捜
氏
名
稿 仙 霧 懺
1雛
ユ
副
所 轟
事務部
1職
冒
鷹雛糧盤
氏
欝 木
颯
日
鑢 鶴 F椰十
鋤 幡
トヨ子 ‐ ユ :2.10辞
― 硼 一
職
:聰
考
:翻鱚 鰤
¨
嗜¨
購
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備
鞭
p
輌 湧
物
肇
掘
勤
所 属
韮
地藝
翻
そ の 他
博 士 (理 学 )学 位授与者
平成 10年 11月
別
種
論文博士
攻
専
球惑
是
楊
16日 付学位授与者
申 請 者 名
藤
田 英 輔
論
(1名 )
文
題
目
流体溜 り共鳴 による火山性微動 の発生機構
平成 10年 12月 14日 付学位授与者 (3名 )
種
別
専
攻
申 請 者 名
課程博士
物 理 学
井
野
恒
洋
〃
〃
岡
田
京
子
〃
天 文 学
奥
村
健
市
論
文
題
目
C“ アルカ リ金属化合物 の高圧下 における相転移
近傍渦巻銀河 の空 間分解 された X線 スペ ク トルの研究
IRTSに
よる星 間塵輻射 の観浪I的研究
平成10年 12月 31日 付学位授与者 (3名 )
種
別
攻
申 請
者
名
課程博 士
物 理 学
杉之原
真
紀
宇宙 マ イクロ波背景放射 にお ける構造形成 の痕跡
〃
〃
中
嶋
孝
之
弦理論に関す る行列模型 の数値的研究
杉
山
徹
準平行衝撃 波 の近 傍 にお け るイオ ンの加速
〃
専
楊
球惑
量
論
文
題
目
平成 11年 1月 25日 付学位授与者 (4名 )
種
別
専
攻
申 請 者 名
論文博士
情報科学
増
原
英
〃
〃
小
林
″
物 理 学
村
上
修
〃
生物科学
山 本
直
論
文
券肇費 ぞ露 二免 占夕臭房霧 後繰
聡
計算の観点 か ら見 たモナ ドと様相
之
1次
目
ける自己反映 アー キテクチャの設 計 と部
彦
-
題
元ハバ ー ド模型 お よび関連 した模型 の可積分性
脊椎動物 中枢神経系 の複数 の GnRH系 :形 態、機能、発生学的起源
平成 11年 1月 31日 付学位授 与者 (1名 )
種
別
課程博士
専
攻
物 理 学
申 請 者 名
牟
田
淳
論
文
題
目
ドリップライ ン付近及 びそれ を越 えた不安定核 の 1粒 子的性質
―-41-―
名誉教授 より》
《
国立大 の独立法人化 はあ まりに も短 絡的 だ
海
野
和三郎
(名 誉教拗
人類 は平和 と自由・ 平等な世界 を希求 し努力 を重ねて
きた。 しか し、他方 で は、思想 。信条 の対 立 による戦争
価値観 にも大別 して歴史的価値観、美的価値観、知的
価値観 の 3通 りがあ り、 ご く荒 っぽ く脳 の機能 に対応 さ
や民族 間 や内外 の利害関係 のために紛争 が絶 えない。貧
富 の差 は拡大 し、不平等 は世界的 に進 んで い る。 また、
せ れば生命 を司 る反射脳、心 を司 る情動脳、知性 を司 る
論理脳 の機能 とい う ことになる。国の機関 として、歴史
人間精神 の荒廃 とともに倫理観 が衰 え、社会 における共
同体意識 は希薄 となって きた。最近 の日本 における教育
的価値観 の創生 をし国の生命 を司 る役 目を担 うのは議会
であ り、政府であ り、行政官庁 である。国立大学 の機関
の荒廃 はみす ごす ことので きない状況 にある。
人類 は、今、 その生存 に関わ る大 きな課題 に直面 して
い る。石油資源 は10年 毎 に 1割 減 りお よそ100年 で枯渇
としての予算や運営の権限 を握 るのは文部省 であ り政府
であるが、多少 の例外 はあるが次の時代 に重 要な知的価
値観 の倉1生 は大学 における研究 と教育 による以外 に無 い。
す る。大量生産大量消費文明の終焉 は近 い。化石燃料 の
浪費 は、一 方で は地球 環境破壊 につなが り、人 口問題 と
美的価値観 が主 として働 く音楽や美術 であれば、 もとも
と個人的な資質 に負 う所が大 きいか ら、国立 の機関がな
共 に人類 の将来 を危機 に陥れて い る。新 しい世紀 の幕開
けを目の前 にして、老若男女 を問わず志 を同 じ くす る者
が い まここで立 ち上が って この危機 を好機 に転ず るので
くて もあるい は私 立だけでや っていけるか もしれないが、
芸術が国是 の一 つである文化国家で は国立 の機関が無 い
なければ、緑 なす美 しい平和 な地球 を子孫 に残す機会 は
永遠 に失われ るであろう。人類 と自然 との共生 を希求 し
なければな らない。
長期的視野 に立つ な らば、すべ ての人が価値観 と人生
観 の転機 によって生活 ス タイル を変 えねばな らない。 そ
ことは考 えられない。 ましてや、 21世 紀 の人類 の危機 に
対処す る ことを我が国の国是 とす るな らば、独立法人化
が 国立大学の知的価値観 の創生 という本来 の役割 にどう
影響す るかの具体的な検討 な しに、当事者 に図 らずに政
府 の都合 で一 方的 に財政改革 の一環 として決 めて よい も
ので はない。大学 は業務 を行 う官庁 とは違 うのである。
れには、それに適合 した教 育改革 が不可欠 である。国立
業務 を主 とす る官庁 は、内臓諸器官 の如 く主 として反射
大学 の独立法人化 がその方向 にあるな らば これ以上 言 う
事 はない。 しか し、事実 は全 く逆 である。国立大学 の長
脳 (政 府 )の コン トロールで動 くが、大学 はむしろ主 と
して知 性脳 の領域 に属す るか ら、運営のサポー ト以外 に
期的全人類的使命 は、新 しい価値観 の創生 とそれ を担 う
人材 の養成 にある。 その役割 は勿論国立大学 に限 らず私
政府 が口出 しをす ると、血行が阻害 された脳 の場合 のよ
うに本来 の機能 が動 かな くな り、 ひい ては国運 の衰退 を
立大学 にもまた大学以外 の諸機関 に もあるが、国の機関
招 く恐れがある。一代 で滅 んだ秦 の始皇帝 の焚書坑儒 の
短絡 に等 しい愚 を行 ってはな らない のである。
とした中心的 な役割 を担 うのは歴史的 にも国立大学 で あ
り、その機能 は一朝二 夕 に築 き上 げられ るもので もない。
―-42-―
編集後記
この 1年 間理学部広報 の編集長 を務 めて い ましたが、
実際 の仕事 はほ とん ど庶務掛 におんぶ してやって頂 いて
職員 に関す るものだ と思い ます。長 く理学部 に務 め られ
た方々の想 い出が詰 まった文章 には感慨 に打 たれ る方が
い ると言 うのが実 情 です。我 々 の乏 しい人的資源 とファ
多 いのではないで しょうか。 また、 ここ 2∼ 3年 は理学
部広報 に載 る研究紹介 の記事 が少 し長め にな り面 白い読
み物 になって来 て い るので はな いか とも思い ます。
ン ドで どこまでの広報活動 が 出来 るか と言 う ことにな り
ますが、理学部広報 は学部 内部 の人間 をターゲ ッ トにし
て、情報交換 や人 的交流 を図 るため最小限の機能 は果 た
せているので はないか と思 ってい ます。現在東京大学全
体 の新 しい対外的広報誌 を発行す る事 が議論 されて い ま
すが、色 々な形 の広報活動 が これ まで よ りももっ と必要
な時代 になってきて い るのは確かな様 です。
今後 も理学部広報 は こうした最 も基本 的な情報 交換の
場 を提供で きれば良 いので はな いか と思います。 この場
を借 りてお忙 しい中、理学部広報 に寄稿 して くださった
方 々、 また編集の実務 をほ とん ど全 て引 き受 けて下 さつ
た庶務 の皆 さんに感謝 の気持 を表 したい と思 い ます。
理学部広報 の内容 は、退 官教 官 の挨拶、新任教官 の紹
介、様々な研究活動 の紹介 な どが 中心 にな りますが、な
かで も最 も多 く読 まれ る記事 はや はり退官 され る教官、
―-43-―
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(物 理学専攻)
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