28巻 4号 (1997年3月発行) - 東京大学 大学院理学系研究科・理学部

平 成 9年 3月
東
京
大
学
大学院理学系研究科・理学部
′ヽ
轟干
28巻 4号
表
紙
の
明
説
ハ ロ イ サ イ ト (halloysite)の 高 分 解 能 電 顕 観 察
ハ ロイサイ トlhal10ysite,A12Si205(OH)4・
nH20)は 長石やその他のアル ミノケイ酸塩鉱物 の風化生
成物 として、 ご く一般的 に見 られ る含水粘土鉱物である。 その研究対象 として興味深 い点 のひ とつは特
徴的 なチューブ状 の外形 である。図 aは 高分解能 SEM像 によつて得 られた米国ネバ ダ州 Eureka産 の
試料 であるが、不完全 に巻かれたチ ュー ブの形状 が とらえられてい る。 このよう形状の成因は、 その結
晶構造 にお いて若干平面方向 のサイズの異なる Si四 面体層 と Al八 面体層 がつなが るときにその ミス
フ ィッ トを解消す るために起 こると言われてい る。 ところで今 までにもこの鉱物 に関する多 くの研究 が
報告 されてい るが、その微細構造 に関 しては多 くの疑 問点が残 されてい る。 その原因のひ とつは、 この
鉱物 が真空 中で極端 に電子線照射 に弱 く、高分解能電顕観察
(High‐ res01ution transmission electron
microscopy:HRTEM)力 Sほ とんどできないことにあった。今回示 した ものは最近開発 された高分解
能イ メージングプ レー トを用 いて非常 に微弱 な電子線量 によって記録 された HRTEM像 で あ る
(図
b,
C,d)。 図 bは [100]方 向 より観察 した格子像 であ り、対角線方向 に走 るチ ュー ブの中心軸 の周 りの
ハ ロイサイ ト層が とらえ られ てお り、刃状転位や予想 されなかった積層構造 がわか る。 さらに図 Cで は
ハ ロイサイ ト単位層中 の Si四 面体層 (黒 い点列)と Al八 面体層
直接判別 で きる
(図 中右上の小 さい矢印)。
(黒
い線)が 識別 され、積層構造 が
また図 中の大 きな矢印 は、刃状転位 の位置 を示 してい る。
さらに図 dは このハ ロイサイ トチ ューブの断面 ([010]方 向)の 格子像 で あ るが、20nm程 度 の厚 さの
ハロイサイ トのシー トが “渦巻 き"と なって い ることがわか る。 なお今回 の一連 の電顕観察 は理学部鉱
物学教室 の電子線分析実験室 の装置 により行 ったものである。
J.F.バ ンフ ィール ド (鉱 物学専攻)
jill@n■ in.s.u― tokyO.ac.jp
小暮敏博
(鉱 物学専攻)
kogure()min.s.u‐ tokyO.ac.jp
-2-
次
表紙 [ハ ロイサイ ト (hallo"ite)の 高分解能電顕観察 ]
表紙 の説明 … ……………… ………………………………………バンフィールド
・ジリアン・ 小暮
敏博 …… 2
《退官者の挨拶・ 退官者 を送 る》
さらば 欅の館 ― 残心の記 ― ………………………………………………………・……安楽 泰宏 …… 4
… … ……… ……………………………………………… …………・大矢 禎 ―…… 6
安楽泰宏先生 を送 る
研究者 として『生 涯現役』 を目指す ………………………………………………………・井野 正三 …… 7
……………………・…………・……………………………… ……・長谷川修司 …… 8
井野正三 先生 を送 る
………・………… …………… … ………… … …………………… ………… …。
雑感 1997年
近藤
保 ……… 10
…………… …… …・…………・……………………………… …・岩澤 康裕 …… 11
近藤保先生 を送 る言葉
…………………………………………………………鈴木 増雄 …… 12
東大 での二十数年 を振 り返 って
…… …………………………………… ……………………………和達 三樹 … … 13
鈴木増雄先生 を送 る
…………・…・………………………………・……………………脇 田
「地殻化学 Jと ともに
宏 …… 14
……………・……・…… ………………………………………………・野津 憲治 …… 15
脇 田宏先生 を送 る
・…………・……………… ………………………………………………・田隅 三生 …… 16
さらば我 が東大
………………………………………………………………・…・…・古川 行夫 …… 17
田隅三生先生 を送 る
………………・……… ………………・………・……………………………長澤 勝明 … … 18
思 い出す こと
………:… …・…………………・…………………………………………・遠山 潤志 …… 19
長澤 さんを送 る
…………………………………………………………………・齋藤 保男 …… 20
植物園 を去 るにあたって
……………………………………
さんを
る
………………………………………小嶋 壮介 …… 20
齋藤
送
《
新任教官紹介》
着任 にあた り
20世 紀最 大 の大 天文 台
ISO
…… … … … … … … … … … … … … … … … … 平 良
(赤 外線宇宙天文台
)
… ………………………… ……川良
《
研究紹介》
…… …… ………… ……… ………………… … … …… … … …… …・楠 岡 成雄 ……… 24
数理 ファイナンス
論理関数処理 とネ ッ トワー ク・ 結 び 目・ 統計物理 の不変多項式の計算
――― 計算の本質の解明 ――一 … ……………………今井
浩 …… 24
…… … … …… ……………………… …… …… ……… …… … ………………柳 田
超対称性理論
勉 …… 25
…… ……………………・………………Ⅲ
量子可積分粒子系 の研究
……………………・和逹 三樹 …… 26
………………………………Ⅲ
地球型惑星の比較 テク トニ クス
……・…………………。
阿部
豊・…… 27
有機分子 と固体表面の相互作用 ―表面 XAFSに よる研究
……・………………………太田 俊明 … … 28
……………………………………………………深 田 吉孝 …… 29
脳 の光受容体 ピノプシンと生物時計
エ チオ ピアにおける古人類学調査
・……………………・…… ……・……………………諏訪
元 …… 30
ヒ トゲノム多様性保存 システム としての民族の細胞銀行
…・…………………………石田 貴文 …… 31
… … …… …… …… ……… … … … …… …… …… 遠藤 一佳 ……… 32
動物硬 組織 の結晶内タ ンパ ク質
………………・………・…………………………………… …・池田 安隆 …… 33
活断層の地下構造 を探 る
環境変化 へ の適 応過程 における情報伝達機構 のはた らき
……………・……・…… …・岡
良隆 …… 34
・… …Ⅲ
ミュオ ン触媒核融合実験 の進展
………………・ ………………………………・永嶺 謙忠 …… 35
………………・…・………・………………五十嵐丈二…… 36
地震の傷跡 はどのよ うに癒 されてい くのか
…・…・…… …… ……………………………………・片坐 宏一・…… 37
地上望遠鏡か らの中間赤外線観測
1・
《受賞関係》
日本植物学会奨励賞 に寄 せて
…・…… Ⅲ
…………………………………………………・西田 生郎 … … 38
《留学生か ら》
……………… …………… …・…・…… …………………・表
「お もしろい」、「面 白い」 H
泰秀 …… 38
………………………………・………・…………・………………… アン トニ ー・ プール …… 40
科学 の未来
《その他》
………………・…・………………………………………………・ 41
木 曽観測所でヘ ールボ ップ彗星 を撮影
…・… ………………………・………………………・ 42
東京大学情報学 リエ ゾン推進室発足式開催 され る
理学系研究科・ 理学部職員 と留学生 。外国人研究員 との懇談会開かれ る
…・…………………・……・ 43
理学系研究科長 (理 学部長 )と 理学部職員組合 との交渉
………・…… …・……………………………・ 44
・……………………………………・……………………………… …………………………・ 46
人事異動報告
…………………………………………………………………………………… 47
博 士 (理 学 )学 位授与者
……………………………………・………・…………・……………………………………………・ 48
編集後記
-3-
退官者 の挨拶・ 退官者 を送 る》
《
さらば 欅 の館
一残 心 の記 ―
安
楽 泰
宏
(生 物科学専攻)
anraku(Duts2.s.u.― tokyo.ac.ip
迎 え入れ、広域理学大講座 の研究環境 を整備するための
工事 が急 ピッチで進捗 してい る。長年の懸案 であつた生
物科学の大同が成 る時 に会 えた ことを喜び、誇 りを覚 え
る。思 い返 せ ば、就任 当時、動物、植物、人類学教室 の
伝統、歴史、文化、学問 のあ りようの違 い に戸惑 つた こ
とがあった。爾来、 18人 の教授 をお見送 りし、今 は盛 り
のゲノム学 を共通言語 とす る若 い教官団が温れ満 ちてい
理 2号 館 は本郷 キャ ンパ スの南西 の地 に建 つ。風格 の
あつた この建物 はケヤキの大樹 に囲 まれ、ひっそ りと作
る。時の流れ と新 しい人 々の集 いのなかか ら、理学部 生
物学 は共生 し、躍進す る意志 を表明 した。それにして も、
この建物 は老化 し、 その余命 は尽 きようとして い る。到
んで い る。今年、欅 の館 は竣工63年 目を迎 えようとして
い る。
底、 21世 紀 の生物学 の牙城 とな り得 ないであろう。輝 か
しい伝統 と新 しい 巨歩 を この建物 にのみ埋 め残す ことを
1976年 3月 、私 が植物学教室 に着任 した とき、 ここは
容認 してはな らない と思 う。新たな化石 を胚胎 させ る鮮
新 の知恵 と方策 が求 め られてい る。
生物学科 3教 室 と地学科 3教 室の教育・ 研究 の拠点であっ
た。当時、地質学教室 が 1階 中央廊下 の両側 にあ り、薄
9年 前、藤田学部長 の頃 か ら、私 は、企画委員会や理
暗 い通路 には岩石標本が天丼 に届 く高 さに山積み され、
ひ と 1人 がやっ と通れ る空間が残 されて い るような状況
であった。 1977年 、理 5号 館の新築 にともない、地質学 。
学院計画委員会委員 の役 を仰 せつか り、新理学院構想 の
策定、大学院重点化 の議論 に参画 させて頂 いた。 1993年 、
大学院重点化 の最初 のターニ ングポイ ン トを廻 り、い ま、
鉱物学教室 が移転 し、老朽化 の一途 をた どる建 物 の大改
修 が行 われた。 2年 度 にわた る工事期間 に、 [生 体制御 ]
理学系研究科は漸進か ら渾身の前進への時を迎えている。
特 に、生物学科 は生物科学専攻 へ の改組、進化多様性大
の看板 を掲 げた新研究室 は 4度 の館 内移転 を余儀 な くさ
れ、 ス タッフと院生 は新 しい実験室・ 居室 の計画・ 設計
こ'lt殺 された。2階 か ら 1階 へ 、さらには 3階 へ と移 り、
セ
講座の新設 の過程 で理 学部 全教官・ 職員 のかたがたの多
大 のご支援 を頂 いてきた。 これを貴 し、理学系研究科 の
地階 にも臨時 の実験場所が用意 された。
この慌 ただ しかった月 日とその後 の静 かな歳月 のなか
全面的発展におおいに協力 し、尽 力 を惜 しまない ことを
願 って い る。
さて、柏 問題 がある。 奔馬 は放 たれた。見 えない乗 り
手 は姿 を現 し、 日輪 を目指 して、一路 の疾走 を始 めて欲
にあって、私 は、異なる窓辺、違 った視角 か ら見 る四季
折 お りのケヤキの風姿風情 を楽 しんで きた。 とりわ け、
しい。草原 を疾駆 して 山 を見 なければ、地 を穿 って山を
浅春 の とき、芽立ち の ころの ケヤキを美 しい と感 じてい
た。槍 のそ こか し こに羽毛 の ような塊 が現れ、一朝 一 夕
造 り、河 を止めて水路 を拓 き、湖 を養 えばよいで はない
か。柏 キャンパ スの構想 と実現 は東大 にのみ許 され る最
の瞬 きの間 に早緑 の小葉 が芽吹 き、柔 らか く淡 あわ とし
た緑の延 を拡 げて い く。新緑 に薫風 がわた り、爽緑 が深
後 の知 的冒険 であろう。われわれの知力 と知的強靭性 が
そこに問われ ている。 その成功不成功の埒 を越 えて、議
すべ きことを決 し、試すべ ことを験 して頂 きた い。 さま
緑 に変わ るころ、樹幹 は梅雨の滴 りに濡れて鈍色 に光 る。
緑蔭 に熱気 が立 ち こもる夏、 ケヤキの森 は賑 やかなセ ミ
の宿 となる。 うた かた の蝉声 は秋 を招 き、中秋 の月下、
密やかに黄葉 へ の兆 しが訪れ る。公孫樹 と華 を競 うよう
に、樹葉 は日々 に黄 ばみ、色 を溜 め枯 れ、初冬 の空 を朽
葉色 に染 めあげてい く。寒霜の立 つ朝、槍 を射 る光 の下
の枯葉 の褥 はかそけき音 をたて、靴裏 に再 びの春 の訪 れ
を告 げるようだ。
定年 の年 の この春、欅 の館 に三度の槌音が響 いている。
地理学教室 の転 出をうけて、理 2号 館 の改修 が始 まって
い る。待 ち望 んで いた進化多様性大講座 の教官・ 院生 を
-4-
ざまの思惑 を退 けつつ、特例定年制、学融合 カ リキ ュラ
ム、協調的研究 プログラムな どの諸問題 に光 をあて、敢
然 として これ らの難間 に取 り組 むための、学内外の輿論
をさらに鼓舞 して頂 きた い。
21世 紀、教育 の重要性 はます ます高 まるであろう。人
間 の教育、科学技術 の教授 にさい し、法文 。理学 の教官
の責務 は一層重大視 され ると思われる。純粋 理学 は長 ら
く科学の中枢 として精緻化 し発展 してきた。今後 は、 自
然 の摂理、寓意 に対す る重層的理解 を求 められ る ことと
なる。理学者の意識の変革、総合的思念の拡張 へ の努力
ヽ
―
、
_、 、
、ヽ
=
よ り身 に余 るご厚誼 を黍 な くいた しました。私 は、一生
が必要 となろう。それ を愉 しい ことと思 いた い。とまれ、
駒場、本郷、柏の それぞれの地で、 このよ うな知的実践
が豊かに行われ、教官学 生あ い ともに百 花斉放、千樹平
ひ とつの生 きざまを求 めて きました。乾坤 に万里 の眼 を
馳 せ 、 ただ一石 を投 じました。瞑 目 してその飛跡 を見 つ
成 の時 を迎 え られ ることを念願 してい る。
めてい ます。残心、それ を私 は爽快 な虚 と捉 えて い ます。
長 い間、誠 にあ りが とうござい ました。心よ り御ネL申 し
さて も、 さて も、私 は充実 した歳月 を楽 しみ、皆 さま
-5-
あげます。
欄筆合掌
安楽泰宏先生 を送 る
大
矢
禎
― (生 物科学専攻 )
ohya(D uts2.su.‐ tokyo.ac.jp
安楽泰宏先生 は、昭和 51年 に薬学部 か ら理学部植物学
教室 に移 られ、生体制御 とい う新 しい名前 を冠 した講座
導者、教育者であ りました。先生 が何 にもまして大切 に
された研究室のセ ミナー は、 いつ もピリピ リとした緊迫
を担 当 され ました。柴田桂太名誉教授以来 の植物学教室
感 が漂 い、学生の新 しい発見 に厳 しさと愛情 を持 って接
の伝統 であった、生化学の復刻 であ ります。大学院重点
し続 けられ ました。研究 のオ リジナ リテ ィ とい う表現 を
よ く使 われ、研究 に対 する姿勢 について学生 の背筋 を正
化後 も、生物科学専攻植物科学大講座 の生体制御研究室
を引 き続 き主宰 され、本年停年 を迎 えられ ることとな り
ました。 その間、理学部 。大学院理学系研究科の企画委
す ことは もとよ り、大局的な観点 か ら幅広 い分野 の研究
員 長、評議員 を務 め られ、本学 の教 育 。研究活動 の推進
に大 き く貢献 して こられ ました。学外 においては、現在
に対 して多 くの指針を与 えて下 さいました。先生は、個 々
の学生 の隠れ た長所 をす ぐに見抜かれて、 また学 生の個
性 を伸 ばす ことを学 問 の発展 と同 じレベル で重 要視 され
日 本 生 化 学 会 会 長、FAOBMB(Federation of Asian
て い ました。 その一 方 で、学生 と野球な どのスポーツを
and Oceanian Biochemists and 1/1olecular Biologists)
行 な う ことも楽 しみの一つにされていま した。 スポーツ
の時 も真剣で、「俺 たちは遊 びでやってい るん じゃないJ
会長等の要職 を務 められてお り、わが国だ けでな く、広
く世界 の生化学の発展 に大 き く寄与 して こ られ ました。
先生の ご専門 は、生化学 の中で も特 に細胞生化学 と呼
ばれ る分野で、生体 エ ネル ギー代謝、イオ ン・ 物質輸送
な どに関す る研究 で多 くの業績 を残 されてきました。 ま
ず、Anrakuペ プチ ドとい う名前が つ けられた結合 タン
パ ク質 を介す る能動輸送過程 の発見 は、 ノーベル賞学者
P.ミ ッチ ェル の化 学浸透説 に新 しい生物学的な意 味 づ
けを与 え、世界中か らの高 い評価 を受 けました。その後、
細胞膜 を生命 のゆ りか ごと捉 え、生体膜 タンパ ク質の機
能 に関す るパ イオニ ア的研究 を国内でスター トさせ まし
た。 39才 で研究室 を立 ち上 げて以来、研究室 に参画 した
若 い人 々 とともに、イオ ン・ 物質輸送 を掌 るタ ンパ ク質、
呼吸鎖の成分であるタ ンパ ク質複合体、 エ ネル ギー転換
系 としてのH+‐ 輸送性 ATP分 解酵素、細胞小器官 の
構成成分 であるタンパ ク質の合成過程 の研究に至 るまで、
幅広 く膜 タ ンパ ク質 の研究 を行 なって こ られ、 この領域
と、や る気のない相手 チーム を激怒 した ことも語録 の一
つ としての こっています。
研究室の外 での ご活動 については、以前 はほ とん どお
話 にな りませんで したが、私 が教授会 メンバ ーになって
か ら多 くの ことを学 ばせていただ きました。かけが えの
ない、貴重 な体験 ができた ことに感謝 いた してお ります。
先生 は会議、学会 で直接 お見受 けす る時 はいつ も、凛 と
して い らっしゃい ました。流暢な演説 と筋 を曲げな い鉄
壁 さは、私 な らず とも感服 した方が い らっしゃったので
か と思い ます。
はなセゝ
先生 は、 よ く難解 な言葉 でお話 され、卓越 した 語意力
を駆使 した文章 をお書 きにな ります。その深 い味わ い は、
今 で も私 は辞書 を引 きなが ら読 まなければよ く理解で き
ませ ん。 この ことを例 にあげるまで もな く、先生 の風格
と品位 は私 を初 め として どの門下生 もまだ まだお よび も
つ きません。皆 それぞれに手のかか る学生だった ことと
の研究 をリー ドしてまい りました。 そのような研究 の流
れの中か ら、最近 ではタンパ ク質の自飾的切断 と再結合
思 い ますが、今 までそれぞれの個性 を伸 ばしていただい
た ことに対 して、私共 は大変感謝 してお ります。 そして
を伴 うプ ロテイ ン・ スプライシングを発見 し、今なおタ
ンパ ク質の持 つロマンを探 り続 けてい らっしゃい ます。
先生 がそれぞれに示 された学問 の道 も21世 紀 に向かって
益々発展 されてい くつ もりです。
今 か ら15年 前 に研究室の一員 として加わ って以 来、私
が研究室の中でお身受 けす る先生 は、素晴 らしい研究指
-6-
先生、 これか らを楽 しみにして いて ください。
研究者 として 「生涯現役 」 を目指 す
s‐
正
野
井
in。
三
(物 理学専攻)
@phys.s.u― tokyo.ac.ip
たが、井野研究室 で開発・ 改良 。発展 させて きた トラッ
クス法 に関す る レビュー を書 くことを依頼 され、 その作
業 に没頭するようにな りまた もや実験時間が取れな くなっ
て しまった。 レビュー と言 って も殆 どの結果 が井野研 で
行われた ものであるか ら、実験的な側面 か らまとめるの
は容易 であった。 その内容 は、以 下 の様 な ものである。
(1)実 験 方法 の原理、電子銃 の構造、機能及 び X線 の検
名人、巨匠、文豪 と呼 ばれ る人 は年 を取 って も自分 の
頭や体 を動か し仕事 をして、優 れた成 果 を挙 げる。即 ち、
創造的な活動 においては、年齢制限は無 く、「生涯現役 J
であると思 う。私 もこの様 な姿勢 を持 ちた い と若 い時か
ら考 えていた。
私 は東北大学金研 よ り東大理学部 に転任 して15年 弱 に
なるが、新 しい「表面物理学研究室Jを 開設 し、研究体
制 を整 え、学生 を迎 え、何か しかの成果 を上 げるには、
余 りに も短 く、忙 しい毎 日であった。私 は実験装置 を自
作 し、新 しい実験 データを出す ことは多少 の 自信 があっ
たので、私 自身 で実験装置 を動か して研究 を行 う こと、
即 ち「生涯現役Jで ある ことを最大 の 目標 にした。 しか
しなが ら、 この精神 は必ず しも全 うす る ことが 出来ず、
誠 に残念 に思 っている。 それは次の様 な事情 による。井
野研 では表面構造や薄膜 のエ ピタク シー現象 の研究 が 目
出方法等 の説明。
(2)放 射 X線 の取 り出 し角
(α
)を 変 える と表面 か ら放
射 され るX線 の強度 が著 し く変化 し、 αをX線 の全
反射角 (α 。)近 辺 に設定す ると、高感度 の表面元素
分析 が可能 となること (α 依存性 :高 感度表面元素
分析法 :特 許取得 )。
(3)電 子線 の視射 角 (θ
)を 変 える と、放射 X線 の強 度
が変化 し、 これ を解析 す る と表面か らの元素 の深 さ
の分 析 が測定 出来 る こと (θ 依存性 :表 面元素 の深
さ分析法 )。
Ge等 の結晶表面 に Au、
Ga等 の金 属 を 1∼ 数原子層 ごとに1買
(4)上 記 の性質 を不U用 して、Si、
Ag、 Sn、
In、
次 に成長 させ、表面 における元 素 の挙動 を解析 す る
ことによ り、種 々の新 しいエ ピタクシャル成長様式
を発見 した こと等 である。
標 である。東北大 か らは反射高速電子回折 (RHEED)
装置 一 台 を持 って きたが 、 この装置 で助手 と数人 の学生
実験 的 にはこの様 に見事 に体系的 になってきたが、 こ
れ らの解説 をまとめなが ら痛感 した ことは、理論的 な面
が実験 を行 えば、 これに私が入 り込むのは無理で、無理
に私 が実験 を行 えば学生 の実験 時間 を犠牲 にす ることに
が全 く欠 けてお り、是非追加 した い と考 えるに到つた。
なる。 やがて実験装置 も徐 々に増 えたが、 同様 に学生 の
読 み始 めたが、非常 に解 りに くい ものばか りで、最初 は
閉 回した。徐 々に論文 を遡 ると1930年 代 か らは ドイツ語
数 も累積的に増 えたので、 やは り私 の割 当時間は殆 ど無
かった。 もちろん、新入生 へ の実験 のや り方 の指導、装
置 が故障 した場 合 の対 策、新 しい実験装置の設計等 は私
が行 った。やがて、助手 。学生 の研究成果 が 出始 め論文
修正の仕事が急激 に増 え、当然の ことなが ら他 の雑用 も
増 えたので、定年の 2年 程前 までは 自分 で実験 を行 って
データ も取 ることは遂 に出来 なかった。 しか しなが ら、
優秀な学生が多かったので、やや不満 の実験デー タもあっ
たが 、多 くの興味深 い論文 を書 くことは出来 た。例 えば、
RHEED法 、電子線励 起 X線 全 反射 角分光 (RHEED‐
T]υ Ⅸ S:ト ラ ック ス :特 許 )法 、超 高真空走査電子
顕微 鏡 (UHV‐ SEM)法 、 2次 元表示新型電子分光器
そこで X線 の全反射 現象 に関連 した従来 の論文や解説 を
の論文 が大多数 とな り、 X線 の全反射現象の発見者であ
るコンブ トン (1923)に 辿 りついた。 これ らの論文 を読
んで い る内 に、 その理論 的 な内容 も徐 々 に解 るようにな
り、問題点が見 えて きた。 そして遂 に理 論の不十分 な点
に気付 き、 X線 の全反射現象 に関す る新 しい厳密解 を発
見 した。 この理論では、 X線 の屈折率 (n)を n=1_
δ― iβ (δ ∼ 105、 βは線 吸収係 数)、 X線 の視射 角
(θ
)、
全反射角
(θ c)、
X=θ /θ
c、
g=1-X2と
置 くとき、 X線 の全反射角付近 にお いては、 X線 の透過
波 (エ バ ネ ッセ ン ト波 )の 角度依存性 に置 ける ピーク位
(特 許 )等 の開発 や エ ピタクシー過程 における電気伝導
置 は、 gの 3次 方程式 (Xの 6次 方程式 )で 表 されるこ
とが発見 された。 この理論 によれば、井野研 が研究 して
に新 しい現象の発見、多重双 晶粒子 (MTP)に アル カ
ンチオ ール をイガ栗状 に結合 させた MTPミ セルの発見
きた様 々な実験結果 をほぼ首尾一貫 して説明 で きること
が解 ってきた。 この理論 は現 在 さらに発展する見通 しも
(特 許 出願中)等 の好運 に恵 まれた。
立 って きた。 この理論 に刺激 されて、 トラックス法 は実
約 2年 程前 よ り学生が減 りはじめ、多少の時間が出来
-7-
験的 に もさらに大 きな発展 が期待 で きることも判明 し、
現在 その新 しい実験の準備 を意欲的に進 めている。
研究内容 の説明がやや長 くなったが、 この様 な成 りゆ
題点を納得がゆ くまで追求する ことが 出来 るようにな り、
良 い成果 が得 られた と思 ってい る。 自分 自身で深 く研究
きを見 て思 う ことは、や は り最初 に書 いた様 に、研究者
は生涯 現役 でなければな らない ことで ある。芸術家、小
に取 り組 むようにな り、実験面 にお いて も最近様々な新
しいアイデアが湧 き出 してきた。例 えば、 2年 前 か ら新
説家、名人、匠 と呼ばれ る方 は生涯現役 で あ り続 ける。
それに比 べ て大学の先生方 は生涯現役 の人 は少ない。従 つ
しい機能 を持 った電 子銃や トラックス法 にお けるX線 分
光 の超精密化 の装置な ど、学生 の手 を借 りずに、私 自身
て大学教授 は研究面 においては本来 の能力 を発揮 して い
ない様 に見 える。東大 の多 くの教授 は、雑用が多す ぎる
が設計 し作製 して きた。 とい うのは、学生 にはすでに別
のテーマ を与 えてあ り、研究が集束段階 になっていたの
ために、生涯現役であ り続 ける ことは困難 なのか も知れ
ない。教授 になる前 には現役 の研究者 として本来の能力
で、 さらに別 の新 しいアイデアが 出たか ら と言 って急 に
を発揮 していた人で も、教授 になると見 て る間に雑用掛
か りになってゆ くのは何 ん とも惜 しい ことで ある。 もち
ろん人 によっては、自 らその道 を選 んでいる人 も居 るよ
うに も見 える。 というのは皮肉な ことにその方 が大型予
算 が通 り易 いか らで もある。
研究 テー マ を変更す る訳 にはゆか なかった こ ともある。
私 は、 4月 の定年 よ リー 足早 く、 3月 1日 より宇都宮
大学工 学部電気電子 工 学科 に転任 になる予定 であるが、
これ らの新 しい実験 を遂行 し、 トラックス法 をよ り使 い
やす い、 よ り有効 な方法 に完成 させたい と意気込んでい
この様 に、大学 の教授が生涯現役 であ り続 ける ことは
容易ではないのか も知れない。定年 に成 り、学生 とい う
手足 をもぎ取 られて初 めて 自分 の本来の姿 にな り、その
能力 が発揮出来 るのか も知れない。私 の場合 は定年の近
づいた 2年 前 よ り学生数 が少 な くな り、 自分 自身 で考 え
て 自分 で実行 せ ざるを得 な くなって きた。 その結果、間
る。 さらに、 トラックス法 を半導体、超伝導体、磁性体
薄膜等 の新物質の作製やその評価 を行 うための方法 とし
て装置 の改良、開発 をも行 い、 この方法 をよ リー般的 な
ものにす ることを 目標 にしている。 その他、種 々の金属
セルの開発 な ど、 い くつか の別 の新 しい研究 も
MTPミ
計画 してい る。やや取 らぬタヌキの皮 算用 になってしまっ
たが、「生涯現役 Jが 私 のモ ッ トーで ある。
井野 正 三先生 を送 る
長谷川
修
司
(物 理学専攻)
[email protected].‐ tokyo.ac.」
p
井野先生 が東北大学 か ら転 任 されて 当物理教室 に研究
室 を開かれた時、私 はタイ ミングよ く第 1期 生 として井
「君達 はシ ュレデ ィ ンガ ー 方程式 に毒 されてい る。」 こ
の言葉 か ら想像 され るように、先生 の研究姿勢 は非常 に
野研究室 に入 れて い ただ きました。 それか ら約 13年 間
素朴な疑問 か ら出発 し、実験装置 も素朴 で、 しか し、世
界 で唯一 の ものを手作 りされて、数 々の独倉」
的な ご研究
(途 中 5年 間 は外 にで ましたが)、 学生 として、そ して
一緒 に学 生 を指導す る立場 になってか らも色々 とご指導
頂 きました。私 の日か ら見 た先 生の教育方針 は、学生 の
自主性 と個性 を最優先 して大切 にす るとい う ことです。
そして、学生 に対 して非常 にフランクに接 し、常 にエ ン
カレ ッジす ることしかおっしゃらない とい うことです。
先生 の口癖 の一つに、「 これ は大蛇 の シ ッポか もしれな
い ぞ」 とい うのがあ ります。 つ まり、実験 をして いて、
おや変 だぞ、 と思った ことは、ひ ょっ とすると大発見 へ
の糸 日か もしれないので、 しつ こ く追 っ掛 けて行 きなさ
を生み出 して来 られたわけです。井野研究室の学生達 は、
先生の このような考 え方やお人柄 に知 らず知 らずの うち
に多大 な影響 を受 けて卒業 してい きました。そ して、 そ
れぞれの分野、職場 に入 ってか ら丼野研 究室 の良さ、井
野先生の言葉の意味 を改 めて認識 した、 とい う声 をほ と
ん ど全ての卒業 生か ら聞 きます。
強 いて挙 げるとす ると、先生 の数 々のご研究 か ら三 つ
の ヒ ッ ト作 を挙 げ られ ます。 年代順 に、(a)真 空労開法
の 開発 とそれによるエ ピタキ シー の研究、(b)多 重双晶
い、 とい う教 えなので す。 (も ちろん、大半 は「 トカゲ
の シ ッポ」 に終わ るのですが。)し か し、東大 の優秀 な
粒子 の発見、(C)RHEED(反 射 高速電子 回析 法)の 開
発 とそれ による表面物理 での数 々の発見、 であ ります。
学生 には (昔 の私 も含めて)な かなか この言葉 の重 要性
が理解 で きないのです。高尚な理論 によって予言 された
前の二つ は 1960∼ 70年 代 の ご研究で、その当時 も高 く
評価 されて数 々の賞 を受賞 されていましたが、実 は、 そ
現象以外 はつ まらない もの、 とい う先入観が強 いわ けで
す。 それに関連 して先生 の別 の口癖 を思 い出 しました。
れ らの古 い論文の引用件数が、最近数年間 に再 びおびた
だ しい数 にのぼって きて い るのです。 エ ピキタシーや微
-8-
粒子 の研究の最近 の流行 の影響 もあ りますが、 それにし
て も先生 のご研究 の先見性 には驚 かされ ます。真空労開
を リー ドし、科研費 による研究会 な ども主宰 されて きま
した (お かげで私たち に雑用 もふ って きましたが)。 一
装置 お よび RHEED装 置 は全 くの手作 りで、 しか も現
在 で もメーカー品 よ り性能 が優れ ているものです。 この
方、先生 の開発 され た RHEIDは 今 や表 面研究 の最 も
基礎的な ツール として普及 し、同時 に反射 電子顕 微鏡法
な どへ の応用 にもつ なが るな ど、井野先生 のご研究 の影
工作 には、先生が少年時代、天体望遠鏡 を手作 りす るた
めに レンズ を自分で磨 いた とい う経験 も生 きてい るとい
響力 は計 り知れない ものがあ ります。先生 は現在 で も表
面物理の新 しい問題 を次々 と発掘 されてお り、東大 か ら
宇都宮大学 に移 られた後 にも新 しい ご研究 を計画 されて
うか ら驚 きです。
私 が井野研究室の学生だった ころには、RHEEDの 研
究 に焦点 を絞 つて研究 が進 められて い ました。当時の物
理学会の表面・ 界面分科会 では、 シ リコ ン表面構造 の解
い ます。先生が次々に見 いだす新 しい問題 を解 くだ けで
も独創的な研究 になるわ けで、その意味で も先生が近 く
にお られな くなるのは寂 しい限 りです。先生の新天地 か
明 を中心課題 にして様 々な研究手法 が提案 され、活発 な
議論 が戦わ されて異様 な熱気 を感 じるほ どで した。 その
らの情報発信 を心か らお待 ち 申 し上 げて い ます。
なかで、RHEEDを 引 つ提 げ られて井野先生が常 に議論
-9-
雑 感 1997年
ヒ学専攻 )
近 藤
保
kondow@chem,s.u.‐ tokyo.ac.jp
“
お腹 が す いている自分 に とって大変苦痛 であった。 その
ような時、あ まり金持 ちで もなさそうな中国人 が 目の前
に現れ、売 り物 の餅菓子 を 4個 かって くれた。 その菓子
を私 の手 に握 らせ、 お腹 がすいてい るだろう食 べ なさい
と言 つて くれた。 この 中国人 に対す る感謝の気持 ちが こ
の とき以来 心 に残 り、今 で も忘れ られない出来事 である。
今 にな って考 えてみ ると、敗戦後の奉天 における この
ような経験 が以後 の運命 を決 したのか も知れない。学校
も何 もな いので、勉強 をしたければ 自分 で工夫 してその
我 々の世代 が育 って きた時代 は、 日本の歴史の中で も
大変な激動期 で あった と考 えられる。 その ころ小学校 は
国民学校 と言われていた。私 が 国民学校 3年 生 の時 日本
は敗戦 となった。螢 回、奉天 (今 の活陽)を へ て終戦 か
最適 であ り、 自然 に科学者 としての訓練 をされたのか も
しれない。 また、学生 を育てる方法 もその中か ら自然 に
ら数年 の後 ようや く日本 にた どり着 くまで、混乱の中を
かの地で過 ごした。奉天 で は秋 か ら冬 に向かって寒 さが
教 えられたのか もしれない と思 うようになって きた。外
国の人 達 とどの ように接 しなければな らないか とい う こ
日に日に厳 しくな り、暖 をとるための木 の切 れ端 を探 し
て濠1場 の 中 に入 った。中は宅 り取 られた ように椅子 もな
く、床 に紙切れ が散乱 しているだけであった。 その 中 に
とも、餅菓子 を買つて くれた中国人 の心か ら教 えられた
ものではないか。勉強な どは好 きでなければす るもので
もない。 ましてや、勉強仕方 マニ ュアル を頭 に叩 き込 ま
地図帖の 1ペ ージを見 つ け思わず拾 って持 ち帰 った。同
時 に拾 って きた細長 い木 に lm(と 信 じる)間 隔の目盛
れ、好 きで もない勉強 をして大 学 にはいるような事 はあ
ま り感 ソ
いしない。 む しろ、誰 に言われな くとも自然 に体
りを付 けて物差 を作成 した。 この物差 しを使 って広 い紙
の上 に経線 と緯線 を引 き、同時 に地 図 の上 にも経線 と緯
が 向 くような事 を選ぶ事が最 も賢明 であろうと考 えるよ
線 を勝手 に引 いた。 これ らの線 を頼 りに、 自紙 の上 に地
図を書 き移す作業 に熱中 した。 この ような 自分 の思 い付
その時 に比較すれば、現在 の社会 は安 定 で平穏 のよう
に見 える。しかし、社会 の底流は常 に変化 してお り、我 々
はその方向を敏感 に捉 える必 要 がある。特 に、21世 紀 に
きに興奮 し、沢山 の山や川 、町や村 の名前 を覚 えた。学
校な どに行 ってはおられず真 っ当な教育 は受 けられなかっ
方法 を探す しかない とい う状況 は、科学者 を育 てるのに
うになった。
たので、 この様 な方法で勉強す るしかなかつた。 この と
向かって、情報技術 や移動手段の革新的な進 歩 が もた ら
され、 そのため大 きな社会的変動 が起 こ りつつ ある。 こ
き、奉天 には多 くの日本人居留民 (日 本人 は居留民 とよ
ばれていた)が 、 まだ残 留 してお りその生活 は悲惨 な も
れまで築 いて きた 日本的な社会 システムが通用 しな くな
るような事態 に直面 してい る。大 学 にお ける教育や研究
のであった。父 と姉 は このよ うな混乱の うちに病死 した
ので、母 と直 ぐ上 の姉 だ けで食 べ てい く必要 があった。
もその例外 ではない。 これ までの成 り行 きに とらわれ る
ことな く激動の時代 に得 た感覚 と経験 を生か して抜本的
私 自身 も、紙巻煙 草 を作 る中国人経営 の町工場で働 いて
みたがあまり足 しにはな らず、 この ような時 には食 べ物
でかつ革新的な考 えの もとのに、未来 を切 り開 いてゆか
れ ることを祈念 している。
最後 になってしまったが、これ まで長 い間お世話 になっ
た東京大学理 学部 。大学院理学系研究科 の皆様 に感謝 し
を売 るのが一番確実 と思 い、 自分 で 中国人 か ら食 べ物 を
仕入れ て机 の引 き出しに入れ、売 って歩 いた。食 べ物 を
人 には売 るが 自分 では食 べ られない とい う事 は、 いつ も
その健闘 をお祈 りしつつ この拙文 を終 わ りにした い。
-10-―
近藤保先生 を送 る言葉
岩
澤
康
裕
ヒ学専攻
)
[email protected]―
“tokyo acip
近藤保先生 とは同 じ恩 師 (田 丸謙 二 東大名誉教授、現
山口東京理科大学教授 )を 持 つ、あ る意 味 で 同門 とい う
ター科学 の展望Jを 主催するな ど、学会等 の活動 におい
て も大 きな役割 と先導的地位 を築 いて きた といえます。
立場で この送 る言葉 を書かせて頂 くことにな りました。
近藤保先生 を一 口で言 う ことは とて もで きない ほど奥
の深 い、男Jの 表現 を借 りれば捉 えどころのない、 それで
もっ とも、同門 といって も近藤保先生 の場合 は、幾 つか
所属研究室 が変わ ってい ますので先輩後輩 とい う位置 づ
けとは少 し違 い ますが、多 くの指導 を受 けた ことは紛れ
もない事実 です。
近藤保先生 との最初 の出会 い は、私 が 当時の田丸研 の
卒業研究 を行 っていた学部 4年 生の時です。確か昭和43
年 の 1月 頃の ことだった と思 うのですが、見知 らぬ人が
研究室 に現れ て馴れ馴れ しく皆 と話 しだ し、私 に も声 を
か けてきて、君、何 を実験 して い るの、 とか何 とかい き
な り近 づいて くるので誰 なんだろう、外股 で微妙 に膝 を
曲げて奇妙 に歩 く人だなあ という記憶だけが残 ったわけ
ですが、その時はその日だけで見 えな くなったのですが、
突然 4月 初 めに田丸先生か ら今度助手 になる近藤先生 で
す との紹介 が あ り、初 めて素性 が分 かった次第です。そ
の後 は近藤保先生 が助手、私 は修 士課程 の院生 という立
場 で、研究テーマ は直接的関連 はなかったのですが、実
にいろいろご指導 を頂 きました。 その博識 さ、興味の広
さ、アイデアの新鮮 さ、解析 テクニ ック、面倒味の よさ、
人の良 さなど、近藤先生 に対す るその時の印象 は今 で も
かな り鮮明 に残 ってい ます。
近藤保先生 は、物性研 の井 口研究室 で博 士号 を取得 さ
れて後、前述のように昭和 43年 4月 か ら理 学部化学科 の
助手 に着任 されたわけで すが、助教授 (昭 和 54年 )か ら
は同 じ化学教室の朽津研究室 へ移 られ、朽津研で丁度始
め られて いた構造化学 と量 子化学 を基礎 にした反応素過
程 の研究 の中心的役割 を担 う ことになった と記憶 してお
ります。 その後、分子科学研究所助教授 を併 任 され、昭
和 63年 か らは教授 に昇任 されて朽津研 を文字 どお り引継
ぎ活 発 な研究活動 を展開 し、現 在多 くの研究者 に注 目 さ
れて い る分子 クラスター研究領域 を切 り拓 いてきてい ま
いて意外 と繊細 で保守的であって、外観 か らは想像が容
易でない一面 を持 ってい ると感 じます。中国東北部 で育 っ
たせ いか、大人的 で もあ り、 また佐渡 での生活 か ら部落
の親分的で もあ り、私が知 る東大教授 の 中で もかな り異
質 な才 能 を持 つ研究者だ ろうと思われ ます。研究 と同時
に教育 にも熱心 であ り、長 い こと駒場 で の第 4学 期 の量
子化学 Iを 担当 されかな り力 をいれて講義 をされてお ら
れた ようです。入れ込 みす ぎたせいか、近藤先生特有の
行動パ ター ンなのか、ダ ブルの背広 に色物 のフイシャツ
を着込 んで 出掛 けて行 って いた と記憶 して い ます。近藤
先生 の特異 な才能の一つに他人 とす ぐ仲良 しになって し
まう ことが あ り、これ は外国人 とで も同 じで、かな り昔、
近藤先生が触媒研究の分野では著名 な PrOf.Sachtler
のパ ンツ を借 りて返 さず にはいた まま日本 に帰国 して し
まって いた ところ、何年 か後 になって Prof.Sachtler
が 日本 に来 られた時、貸 したパ ンツはどうなったのだ と
聞 いた とい う、この種 の話 は結構間 くところです。また、
オー デ ィオ制作 は少な くとも昔 は相 当のマニ アであ り専
門家以上の知識 もあって、25年 程前 にな りますが 1セ ッ
ト買 いた い といった ところ、す ぐ秋葉原 の ご自分 の馴染
みの店 に私 をつれて行 きこの部分 はイギ リス製、 この部
分 はアメ リカ製、 ここは 日本製で もいい とか何 とか、そ
の当時のお金で20万 円 (買 値 )ほ どのオーデ ィオ セ ッ ト
を買 う ことをほ とん ど勝手 に決 めて下 さ り、 自分 が来 た
か ら定価の半値 で買 えたのだ と (秋 葉原 では普通 の よう
な気 もしたのですが)満 足 して いた ことも鮮明 に言
己隠 し
てお ります。
近藤保先生 は当化学教室 において長年 にわた り研究 と
す。 この間、昭和 62年 には「電荷移動性 をもつ物質系の
己隠 に残 る足跡 を残 されたわ けですが、今
教育の両面で言
後私立大学 に移 られ ほぼ同 じ研究テーマ を続 けられ ると
反応性 と物性 に関す る研 究」 によ り日本化学会学術賞 を
受賞 してお られ ます。 また、
「微粒子 と無機 クラスター
伺 ってお りますので、現在の成果 をます ます発展 されて
いか れ るもの と思われ ます。近藤先生の特 に化学教室 へ
に関す る国際 シンポジウム」 の国際会議諮問委員 として
その 開催、企画 に尽力 し、一 方 で「第 XLIⅡ 回山田 コ
ンフ ァレンス「クラスターの構造 とダイナ ミックス」 な
のご貢献 に対 し、 また教室の我々 へ のご指導 に対 し感謝
申 し上 げます と共 に、今後 の ご活躍 とご健勝 を心 よ りお
どの国際会議 を主催 し、 また理研 シンポジ ウム「 クラス
-11-
祈 り申 し上 げてお ります。
東大での三十数年間を振 り返 って
鈴
木
増
雄 lla理 学専攻)
[email protected] s.u― tokyO.ac.jp
グ理論」、「量子 モ ンテカル ロ法」、「 スピングラスの現象
論」 はこの間 の研究 である。研究場所 が変わるのは良 い
刺激 になる。幸 い にして、上の最初 の研 究 は、第 16回 ソ
ルベ イ会議 (1978年 )の 招待講演 とな り、その後 の研究
の励 み となった。 1986年 には相転移 。臨界現象 の一般論
であるコヒー レン ト異常法 を発見 した。 これはウィル ソ
ンの くりこみ群 の理論 とは逆の発想法 に基づ くもので、
いわばそれ までの平均場近似 の復権 を果た した ことにな
私 が東大物 理学教室 に進学 してきた当時 は、久保の線
形応答の理論が学部学生 にまですでに評 判 になっていた。
物理の授業 は、今 のアー トコー ヒー の場所 にあったプ レ
ハ ブ教室で行 なわれて いたが、先生方 の顔ぶれは、山内
る。 こうい う一般的 な方法論 の開発 は大学院生の時か ら
目標 にして きたのであるが、理 学部 とい う極 めて自由な
雰囲気 のなかで生 まれた もので あ る ことを強調 した い。
1989年 に「指数演算子 の高次分解 の一般論 」に気 づいた。
恭彦先 生、小谷正雄先生、今井功先生、久保亮五先生、
高橋秀俊先生、梅沢博 臣先生 … とい った著名 な学者揃 い
これは、物理だ けでな く、天文、応用数学、 カオス等 い
ろい ろな分野 に適 用 で きるので、他分野の研究会 な ど今
で、講義 は難解 な ものが 多 かつた。 それで も我 々学生 は
まで とは異 なる会合 に出席 で きるようにな り、多 くの人
と知 り合 う機会 を持 つ ことになった。
熱心 にノー トをとって いた。 い ち ばん難解 な講義 は久保
先生 と高橋先 生の ものだったが、 どち らも極 めて魅力的
で あ った。大学院 は理論 を選 び久保研究 室 に入 り、統計
物理学 を研究する ことに した。入 って早速、久保先生の
輸送係数 の一般論 の論文 を読 んでみると、 それは極 めて
論理的 で明解 な論文 であ り大変感激 した。 その影響 を受
けて、私自身 も一般的な研究 を目指す ようになってい った。
大学院卒業後 2年 足 らずの間、久保研の助手を務めた。
その後、物性研 の助教授 とな り、幸運 にも大学紛争 の渦
中か ら遠 ざか る ことが 出来 た。 しか も、その間物性研 を
訪問 された コーネル大学 の M.E.Fisher教 授 の招待 に
より、 同大学 で 1年 間相転移 に関す る研究 に没頭す る こ
とが 出来 た。 この 1年 間 の海外 での研究生活 は、その後
これ らの指数積公式の研究が きっかけになって、最近
「量子解析 Jと い う数学 の分野 を開拓 しつつある。
この間、少 しずつ行政的 な仕事が増 えてきた。昭和 61
年 か ら平成 2年 まで文部省科学官 をしていた時期 は他教
室や他大学の教官 と知 り合 う機会 に恵 まれた。 その後、
理学部評議員 になって大学改革 に加わ った際 には、科学
官 の経験 が少 しは役 に立 った ように思われ る。
教育 に関 して い えば、講義 には特 に力 を入れた。 よ く
質問を受 け、活気のある授業 になるよう務 めたせ いか、
授業中、私語 や居眠 りはほ とん ど無 かった と思 う。研究
のエ ピソー ドにふれると、学生達 が益々耳 を傾 けてきて、
講義 へ の 関心 が高 まってい った。統計力学 の授業 は物理
である。
学科 の学生 だ けでな く、地惑 や天文、 その他合 わせ て
150人 以上 にもな るので、試験 の採点 が毎年大変 で あ っ
た。 しか し、彼等 がその後 い ろい ろな分野で活躍 して い
海外生活 か ら帰国 して間 もな く、1973年 に物性研究所
か ら理学部 に移 り、再 び久保先生 と一 緒 に研究・ 教育 を
行 う機会 に恵 まれた。久保先生が退官 されたのがつい最
ではな いが、意外 な所で声 をか けられ、「統計力学 の授
業 は難 しかったが、印象深 い もだったJと よ く言われ る
東大 での研究 に大 きな影響 を与 えた。最近、理学系の若
い教官 も海 外研修 の機会 が多 くなったのは喜 ばしい こと
近の ように思 い出され るのに、 もう自分の番 になったか
と思 うと感慨無量 である。月並 みか もしれな いが、「光
陰矢 の如 しJと い う言葉 をつ くづ くと実感す る今 日 この
頃である。
理学部 に移 ってか らの2,3年 間 は、私 に とって研究 の
ピー クの一 つで あった。「巨視 的秩序形成 の スケー リン
るのを見 るのは楽 しみである。学生 を全部覚 えて い る訳
のは嬉 しい ものである。
趣味の将棋 では、東大 の団体戦 に はここ数年理学部の
メンバ ー として毎回出て い る。 これは理学部での楽 しい
思 い出の一つである。仲間の諸兄 には、 これか らもぜひ
優勝 目指 して頑張 って欲 しい。
最後 に理学系研究科 の今後 の発展 を期待 した い。
―-12-―
鈴木増雄先生 を送 る
和
達
三
樹 (物 理学専攻 )
wadati@monet phys.s.u‐ tokyo.ac.jp
鈴木増雄先 生 は、本学理学部物理学科 をご卒業後、数
物系大学院 に進学 され、 1966年 に理学博 士号 を取得 され
ます。
少 し個人的な思 い出を書 いて みた い と思 い ます。鈴木
ました。 そ して、直 ちに物理学教室の助手 にな られ まし
た。物性研究所 に助教授 として 6年 間在籍 された後、 19
先生 が助手 にな られた年 に、私 は物理学科 の 4年 生 にな
りました。 まだ 4号 館 はな く、数学科 と物理学科 が 1号
73年 よ り物理学教室に 勤務 され ました。先生 の ご専門 は
館 を使 っていた時代 です。 その頃の理論 特別演習 は物理
学科 30名 (当 時 の定員 )の 学生が 3グ ループに分 けられ、
輪講形式 で議論 を進めました。私 は久保亮五先生のグルー
統計力学 で、国内外 で高 く評価 される業績 を挙 げて こら
れたのは広 く知 られてい る所です。 その功績 に対 して、
松永賞、仁科記念賞、井上 学術賞、東 レ科学技術賞、 フ
ンボル ト賞 が授与 され ました。
鈴木増雄先生の統計力学 における業績 は広範囲にわた
ります。 1)相 転移理論 の発展。一般的相関等式 (キ ャレ
ン・ 鈴木 の等式)の 発見、 リー・ ヤ ンの円定理の量子 ス
ピン系 へ の拡張、臨界指数 の「弱 い普遍性」 の提唱、新
しい臨界緩和指数の導入、繰 り込 み群 の定式化 と応用、
な ど相転移・ 臨界現象 に関す る多 くの先駆的研究 があ り
ます。2)秩 序形成 のスケー リング理論。揺 らぎ と非線形
プで、N.Bloembergenの 書 い た レー ザー と非線形光学
に関す る講義録 を勉強 しました。今 か ら考 えてみます と、
非線形、非平衡、動的臨界現象、 といった新 しい課題 が
多 く含 まれ、 それ以後の研究生活 にも大変役立 ったセ ミ
ナーで した。 あ る週、久保先生が出張 との ことで、代わ
りに鈴木先生が参加 されたのが初 めてお会 い した時です。
「久保先生 と似 てい るなあ」が、第 1印 象 です。 3年 後、
ワシン トン DCで の米 国物 理学会 でお会 い し、私 が運転
性 の相乗効果 を詳細 に解析 して、巨視的秩序形成 の時 間
発展 がスケー リング則 の視点 か ら統 一 的 に理 解 で きる こ
手 をつ とめ、郊外 の NBS研 究所 を訪 間 したのは楽 しい
思 い出です。鈴木先生 が コー ネル大学 のフィッシャー教
授 の研究室 に居 られた時の ことで す。 1977年 にはカナダ
とを明 らかにしました。 3)量 子 モ ンテカルロ法。指数関
数型演算子 を無限積で表わす公式 は、 しばしば鈴木 。ト
のアルバ ー タ大学理論物理研究所 に客員教授 として滞在
され、家族 ぐるみのお付 き合 い をさせていただきました。
ロ ッター公式 と呼ばれ ます。 鈴木 。トロ ッター公式 に基
づ く量子 モンテカルロ法 は、量子多体系 を古典統計力学
先生 の研究 の進め方 を日々見聞す る貴 重な体験 を持 つ こ
とがで きました。
的 に扱 う ことを可能 にする強力な方法 で多 くの分野の研
究者 に用 い られて い ます。4)ス ピングラス。 スピングラ
鈴木増雄先生の学会や学術行政の面での ご活躍 として
は、IUPAPの 熱力学・ 統計力学専門委員、国内外 の学
スの非線形帯磁率 が転移温度 で負 に発散す ることを予 言
し (後 に実験 で確認 され る)、 相転移 の視点 か らス ピン
グラス現象 を特徴 づ けられ る ことを示 しました。 5)相 転
術雑誌 の編集委員、文部省科学官、学位授与機構審 査委
員、仁科財団常務理事、本田財団評議員等々、 また、学
内では1989年 か ら 3年 間 にわたって評議員 として、研究・
移 の一般論 。平均場近似 に コヒー レン ト異常 とい う視点
を導入 して、非古典的臨界現象 も取 り扱 えるように平均
教育 の発展 に貢献 して こられ ました。 この ような御多忙
の中、研究活動 がほ とん ど影響 を受 けなかった ように思
場近似 を系統的に拡張 しました。
まだ まだ書 き残 して い る ことが あるのですが 、紙面 に
は限 りがあるので省略 いた します。 1960年 代後半 か ら一
大発展 を遂 げた臨界現象理論 を中心 に、熱的揺 らぎ、量
子論的揺 らぎ、力学的揺 らぎ、の競 合効果 。相乗効果 を
基礎 か ら見直 し続 けた一連の研究 は独創性 にあふれて い
―-13-
えることは驚 くばか りです。近年の「量子解析 Jの 提唱
のように、 ます ます精力的にご研究 を進めてお られ る先
生 には、本学 の ご退官 も 1つ の通過 点 にす ぎない と思わ
れ ます。今後 とも健康 にご留意 の上、活躍 され ます こと
を心か らお祈 り申 し上 げます。
「地殻化学」 とともに
脇 田
宏 (地 殻化学実験施設 )
[email protected]‐ tokyo ac.jp
み ました。 こうした費用 はすべ て研究費か ら捻出 しなけ
ればな りませんで した。
廃墟 の体 を呈 していた旧地震研究所の建 物 も使わせて
もらい ました。 この建物が取 り壊 され、化学新館 が建 て
られ、 ようや く居場所 が確保 されたのです。その後、地
殻化学実験施設 には定員増 があ り、学生 を加 えて人数は
多 くな りましたが、面積 をふやす ことができないまま苦
私 が理 学部 に着任 したのは1971年 10月 で、 それか ら25
年余 りにな ります。
その前 にな りますが、私 は学習院大学大学院修 士課 程
を修了後、就職 した 日本原子力研究所 を辞 めてアメ リカ
に渡 り、月の石の分析 をしてい ました。再 び日本 で職 に
つ けるだ ろうか と不安 な思 いで暮 らして い ましたが、ア
メ リカ行 きを世話 して くだ さった化学教室 の濱 口博教授
が理 学部放射線管理室 の助手 のポス トを探 して くださっ
たのです。喜 び勇んで帰 国 した ものの、東大紛争 の名残
で学内 は騒然 として い ました。 こん な状態では、アメ リ
カで して いた ような研究 をす るのは困難 で、何 か全 く新
しい研究 を始 めたい と思 ってい ました。 そうした時、地
球物理学教室 の浅田敏教授 が地 震予知 を化 学的 な方法で
試 みる人 を探 してお られたのです。 うま くで きる成算 な
どな く、失敗 した らお しまい とい う覚悟で この研究 に着
手 しました。
普通 の人 な らや らない ような先 の見 えない研究 をつづ
けて い るうち、当時 の学部長 田丸謙二 先生 の 目に とまり
1978年 4月 地殻化学実験施設が新設 され ました。助教授
と助手だけの小 さな施設で した。学部 の付属施設 は大抵
どこかの教室 に付 いてい るのですが、研究 の 内容 が地球
物理学、化学、地質学、 の境界領域 にあるためt施 設 の
運営 はこの 3教 室か ら等距離 に置 かれることにな りまし
た。研究 の主体性 は得 られ ましたが、親元 をつ くらなかっ
労 が続 いてい ます。次々 と新 しく就任 された教官 には申
し訳 ない と感 じてあ ります。
小 さな組織 であつて もすべ ての事務処理 は独 自で しな
ければな りません。 3年 毎 にアルバ イ トの女性 を探 し、
出勤簿 の管理 か ら給料 の受取、出張旅費 の精算、物品購
入、支払伝票作成、図書の管理、郵便物 の受 取 りや発送、
その他 の細 かい仕事 をお願 い しなければな りません。
ここで、少 しばか り研究面 にもふれた い と思います。
マ イノ リティであったため、組織 の運 営 には苦労 があ り
ましたが、研究面 では大 変 に得 をしました。他 に競争者
が少 なかった こともあって、 ほ とん どの重要な国際会議
に参力日させて いただ き、 さらに研究 を発展 させ ることが
で きました。地震予知 の研 究 は到底個人 の力 で続 けられ
るものではあ りません。研究室 の優秀 なスタッフや元気
の いい学生 さん と一緒 に、面 白い ように仕事 がで きまし
た。 この中で思い出す のは、1978年 の伊 豆大 島近海地震
と1995年 の神戸 の大地震です。観測 を始 めて間 もな くお
きた伊 豆の地震では、幸運 にも地下水 のラ ドン濃度 が地
震前 に変化 した ことを見 つ ける ことがで きました。神戸
の地震では、地震 がお きて しまった後で、神戸 で生産 さ
れたボ トル入 りの飲料水 を集 め、化学分析 をして地震前
に地下水 の組成が変化 した ことを知 ることができました。
また、地震や火山の研究 に重 要な役割 を果たすヘ リウム
たため想像 もしない苦労 を招 くことにな りました。
最初 に直面 したのが部屋 の確保 で、 この苦労 は今 だに
同位体比の研究 からも多 くの面 白い結果が得 られました。
地震予知の研究 を始 めた時 には、 まっ とうなジャーナル
には論文 を出す こともない と覚悟 を決めていたのですが、
海外 か らも注 目され る研究 をす る ことがで きたのです。
続 いてい ます。 どこかの教室 に付 いていれば、 こん な こ
ともなかった と思いますが、何 より組織 の 自立が大事 だっ
たのです。空 い ているようで も、関係 のない施設 に貸す
退官 を前 に昨年 の春 には、研究 の集大成 ともい える「地
球化学 と地下水 による地 震 と火 山噴火 の予知研究」 と題
す る国際学術 シンポジウムを開 くことがで きた ことは嬉
部屋 な どどこの教室 にもあろう筈 があ りません。理学部
周辺 の空 間 を くまな く探 し、見 つ けたのが 4号 館 の ピロ
ティで した。今 は部屋 でいっぱいですが、 その頃は全 面
が吹 き抜 けになって い ました。号館長だつた桑原先生 に
日参 して、南側 の一部 を仕切 って部屋 にす る許可 をいた
国内や海外 の研究者 を多数お迎 えして、最新 の成果 を議
論 し合 えた ことは研究者冥利 に尽 きることで した。
今 や年 をとり、近 くを見 るには老眼鏡が離 せ ません。
だ きました。 これだけでは とて も足 りません。次 には、
化学教室 の許可 を得て RIサ ブセンターの屋上 にプ レハ
ブを載 せ ました。飯場の ような建 物 で したが、施設部 の
指導 で H銅 の重 い土台 をつ けなければな らず、金額 も嵩
しい ことで した。研究 を始 めて以 来 お世話 になっている
しか し、遠 くの ものは良 く見 えます。 これか らはこの利
点 を活か し、遠 くを見 るような仕事 をした い と思 ってい
ます。教 官 や事務 の皆様、長 い間、 ほん とうにお世話 に
な りました。
―-14-―
●
脇 田宏先生 を送 る
野
津
憲
治 (地 殻化学実験施設 )
no協[email protected].‐ tokyo.ac.jp
脇 田先生、 ご退官 お 目出 とうございます。地殻化学実
験施設 を零か ら今 日まで育 て上 げてきた ご苦労 を思 い起
こします と、労 いの言葉 を申すべ きか と思 い ますが、 ま
脇 田先生の研究 に対 す る情熱 は、 自分 の成果 が正 当 に
評価 され るためにあ らゆる努力 を惜 しまない ことにもあ
ず最初 に、 これ までお世話 いただ いた ことに対 して厚 く
感謝の意 を表 した い と思 い ます。
らわれてお り、 自分 の成果 を誰 にで も熱 っぼ く語 り、そ
の批判的評価 をつねに求めつつ、前 へ進 んで いかれ まし
脇 田先生 はいつ もその時代 の先 を行 くところに身 を置
かれてい ました。理学部 では、地下水 を用 いた地 震予知
た。研究成果 は研究論文 に凝縮 され るとい う考 えが徹底
してお り、論文 を書 く際 には内容 はもちろんであるが 、
研究 で知 られてお り、大 きな地 震 が起 きると挨 拶変わ り
に「何 か面 白い結果 はで ましたか」 と聞 かれ るのが常 で
すが、東大 へ来 る前 は今 とは違 う研究分野の世界の最前
表現の一字一 句 まで細心の注意 を払 い、書 き上がったあ
線 で活躍 されて い ました。 日本の職 を辞 してアメ リカに
渡 り、今ではもう昔話 になっているアポ ロ計画の11号 か
脇 田先生 は国際性豊 かな先生 です。研究 の性格上、学
会や シンポジウム以外 にも海外 の調査研究 で外国へ 出 か
ら月 の石の分析 に携わ ってお られた ことを知 る人 はもう
きことで あ ります。
とは、1時 間 で も 1分 で も早 く編集者 に受理 され るよう
に努力す ることがす べ てに優先 していました。
わずかです。放射 化分析 を武器 にした微量元素 の地球化
ける機会 は多 いのですが、常 に誰 か国外 の研究 者 が研究
室 を訪れて い るとい って も過言でない くらい海外 か らの
学 は1960年 代 か ら始 まり、当時 は最 も脚光 を浴びる分野
だったのです。
客 が多 く、 この分野 の世界 の 中心 であることを物語 って
い ます。 どんなに忙 しくとも海外 の友人 を手厚 くもてな
脇 田先生 は、放射化分析 の腕 を買われ、当時化 学教室
の濱 口博教授 のお世話 で、放射性 同位元素研究室 に昭和
す ことが常 となってお り、人 の和 を大切 にす ることを身
46年 10月 着任 され ましたが、惑星化学 を続 ける ことはさ
大学 か ら歩 いて10分 足 らずの ご邸宅 に、研究室 の人 ばか
りでな く、その時 々にいろいろな方を招かれ、ホームパ ー
れず、その頃最 も話題 性 に富 んでいた地 震予知の分野 ヘ
転身 され ました。当時地球物理学教室 の浅 田敏教 授 との
出会 いが運 命 を変 えたのですが、殆 ど未知 の分野 へ飛び
込むのは相 当な決断 であった ろうと想像 され ます。脇 田
先生37歳 の秋 の決断 で した。
脇 田先生 のその後 のご活躍 は理 学部 の皆様 ご存 じの通
りで、持 ち前の努力 と馬力 で地殻化学実験施設 を作 り、
今 日の姿 まで育て上 げました。盆 も暮れ も休 日も返上で、
朝早 くか ら夜遅 くまで、研究や研究 を進 めるためのあ ら
ゆる雑用 をこな し、 日本の高度成長期 を支 えた企業戦 士
をもって実践 されていました。人の和 を重ん じることは、
テ ィをたびたび開かれて いた ことか らも伺 えます。 いつ
も夜遅 くまでお じゃまして楽 しい ときを過 ごす ことがで
きましたが、奥様 が ず いぶんたいへんだったろ うと思っ
て い ます。 この様 な ところか ら人 の和 が広 が り、生涯の
伴侶 をみつ けた人 も出た と聞 い てい ます。
脇 田先生 は、 東大退官後 は、月 の石で もな く、地震予
知で もな い、新 しい世界 へ足 を踏 み入れ ると伺 ってい ま
す。地震予知か ら少 し距離 をおかれ る ことになるのは寂
しい気 もしますが、新 しい世界 はこれか らきっと伸びて
になぞれば、研究戦士 の ようで した。当時の社会状況 が
地震予知 に追い風 であった こと、学内外 のよき支援者 に
い く時代 の先端 の分野 であるに違いあ りません。 これか
め ぐまれた ことな どにも助 けられ ましたが 、脇田先生 が
祈念 してお ります。
脇 田先生、長 い間 ご苦労 さまで した。本当 に有難 うご
ご自分 の研究 を信念 をもって行 ない、 まわ り皆 が認 める
研究成果 を出 し続 けて きた ことが地殻化学発展の原動力
であることは間違 いな く、 あ とに続 く者 として範 とすべ
らも、 ご健康 に留意 され今 まで以上 に活躍 され ることを
ざい ました。
―-15-―
さらば我 が東大
田
隅
三
生
(化 学専攻)
mtぉ [email protected]― tOkyo.ac.jp
学生時代 か ら数 えて42年 間東大 に在籍 し、定年でよう
や く東大 か ら離れ ることになった。 しか し、 おそ らく名
誉教授 に して もらえそうなので、今後 もまつた く離れ て
しまうわけではない のか もしれない。 そんなに永 くいた
のだか ら、東大離れ難 く御座候 の思 い を押 えかねて い る
か というと、案外 そうで もない。
昨今 の東大 は余 りにも多事 で、若 い方々 にはどうなの
か分 か らないが 、定年 に近 い人達 には疲れ るところで は
ないだ ろうか。私 は昨年 4月 か ら埼玉大 学教授 が本務 に
な り、東大教授 を併任 させ て頂 いてい る。 これ をよい こ
とに、東大 の教授会 は昨年 6月 以降全部欠席 した。また、
化学教室内も含 めて東大関係 の委 員会等 か らは全 部解放
された。一 方、埼玉大学 では新入 りなので、少 な くとも
この 1年 間 はい ろい ろな雑務か らはずれている。 二つの
大学問を往来す ることは、 それだけで相 当時間のかか る
ことなので、忙 しくはあ るのだが、 い ろい ろな会合 に出
ないで済 む とい うことは実 に有 り難 い ことで ある。 この
状態 が続 くのな らば、 いつ までで も東大 にいたい ぐらい
である。私 は、過去 10年 間 ばか り、次々 に定年 で辞 めて
ゆかれ る先輩 の方々 に「先生 はい い ときに辞 められ るの
-16-
ではないですか」 と言 い続 けてきたが、今は自分 もいい
ときに辞 めることができると思ってい る。
10年 ほどまえに理学部 が唱 えた理学院構想 (の ちに理
学院計画)に 関わつた とき、私のなかにあった理想 的な
大学像 は、雑用が少 な くて研究・ 教育 に専念できる時間
が多 いところとい うものであったが、残念なが ら理想 と
現実 とは常 に乖離す るものらしい。
自分の ことだけについて言えば、いろいろな ことがあっ
たが、 い ま振 り返れば充実 した学生生活に続 いて、結構
楽 しい研究生活 を送ってきた と思 う。 これは、水島三一
郎先生、島内武彦先生、宮澤辰雄先生 とい う二人の先達
をはじめ、通算34年 間在籍 した化学教室 と助教授時代 に
約6年 間在籍 した生物化学教室の先生方、先輩、 同輩、
後輩、事務官や技官の方々のお蔭であり、心か ら感謝 し
てい る。
い ま私 は自分 の研究生活 を回顧 して研究私記 ともいう
べ きものを書 いてみてい る。書 くにしたがって、次か ら
次へ と思い出すことが多 く、いろいろな場合 に如何 に大
勢 の方々に助 けて頂 いたかに改めて驚 くとともに、感謝
の念 を新たにしてい る。 このメモヮール は他人が読 んで
面白い ものか どうかは分か らないが、書 くことによって
自分 が 自然 に謙虚 な気持になれた とい う点で、私は書い
てよかった と思っている。現役 の方々にも、いまか ら日
記な どをつけておかれて とくに何か重要な仕事 をされ
ているときなど)、 そのうちに何 らかの形で書 いた もの
を残 されては如何 かと思 う。 ご活躍 を祈 りつつ。
(1997年 2月 15日 記)
(‐
●
田隅 三 生先生 を送 る
古
川
行
夫
ヒ学専攻 )
[email protected]―
“tOkyo.ac.jp
田隅三生先生 は、昭和52年 か ら化 学教室物理化学第 一
お こなった際 には、先生 ご自身 か ら力場 の指示 をいた だ
講座 (大 学院重点化 による改組後 は物理化学大講座構造
化学研究室)を 担任 され、本年 3月 で定年退職 され ます。
きました。 その とき、先生 は一見眠 ってお られ るように
見 えるのですが、時々的確 な指示 をされ、起 きて い るの
先生 は、「物 理化 学 は本来化学 の基 本原理 を研究 す る学
問 であるか ら、何事で も研 究対象 にな り得 るし、 またで
か寝 ているのか分 か らないのが 印象 に残 ってい ます。近
年発表 された最先端 の分子軌道法 を用 いて求めた力場 が
きなければな らない」 とい う基本姿勢の もとに、お もに
分光法 によ り生体高分子・ 合成高分子 か ら小 さな分子 ま
当時の値 とほ とん ど同 じであった ことは私 に とって驚 き
で あ り、 また、分子内力場 における先生の直感力のす る
で広範 な分野 にお い て多 くの業績 を残 され ました。 その
業績 は国内 。国外 で高 い評価 を得 ていることは広 く知 ら
どさを実感 しました。 また、先生 が若 い ときに発表 され
た高分子 の基準振動計算 の論文や共鳴ラマ ン散乱 の論文
れて い るところで、昭和 46年 には「分光法 による高分子
の規則・ 不規則構造 の研究」 によ り高分子学会賞 を、平
成 6年 には「振動 スペ ク トル解析 による合成 。生体 高分
も大変束J激 にな りました。
子及 び関連分子 の構造・ ダイナ ミックス・ 機能 に関す る
研究 Jで 日本化学会賞 を受賞 され ました。学内 において
は、総長補佐、東京大学低温 センター長、理学部附属 ス
ペ ク トル化学研究 セ ンター長 な どを歴任 され、理学部選
出の評議員 として理 学部 か ら大学院理学系研究科 へ の改
組 に際 して中心的 な役割 を果た され ました。学外 におい
ては、 日本学術会議化学研究連絡委員会委員、文部省 お
よび 日本学術振興会の各種委員会委員、分子科学研究所
運営協議員、 日本化学会理事 な どを歴任 され、現在 も、
分子科学研究所評議員会副会長、IIl本 分光学会副会長 の
要務 についてお られ ます。国際的 には、IUPAC物 理化
学記号 。術語 。単位委員会 正委 員、 コデータ本部 理事、
Journa1 0f Ⅳlolecular Structure、
Spectrochim.Acta、
Journa1 0f Raman Spectroscopy他 二誌 の編集顧間、
Blospectroscopyの アジア地域 編集委員、多 くの国際会
議の組織委員・ プ ログ ラム委員な どとして活躍 され まし
た。先生 は英 語 に堪 能 でお られ、国際学会 において も流
暢な英語 で活躍 され、 また、研究室 に外国人 の研究者 が
訪問 した折 りにも多彩な話題で もてなしてお られました。
私 は、学生時代 の 3年 半 と研究室 の職員 (助 手・ 講師・
助教授 )と しての 9年 の間、田隅研究室 で先生 の ご指導
を受 けました。それ は私 の大 きな財産 となっています。
田隅先生 はいつ もきちん とした身だ しなみで厳 しい表情
を くず さず、学生時代 には近づ きがた い存在 で したが、
先生 から直接指導をしていただ いた ことは今 も記憶に残 っ
てい ます。私 が 4年 生 の時、 β―カ ロチ ンの KBr錠 剤 の
赤外吸収 スペ ク トル を測定 しようとして い るところに先
生が通 りかか り、KBr錠 剤 の作 り方 と赤外 スペ ク トル
の測定法 を教 えていただ きました。 その時、錠剤 の作 り
方がへ た くそで透過率が低 く、参照側 の光量 を絞 るよう
田隅研究室の職員 となってか らは、私 も大人 になった
せいか先生の考 えてお られ ることやお人柄 が少 しは理解
で きるようになった気が しました。先生 は、研究 の流れ
の 中で重 要な ものを見極 める能 力 に秀 でてお られ、新 し
い手法をいち早 く開拓 され、研究 に用いて こられ ました。
共鳴 ラマ ン効果、時間分解 ラマ ン測定、 フー リエ変換赤
外分光演1定 、非経験的分子軌道法 を用 いた基準振動計算、
フー リエ変換 ラマ ン分光涸I定 な ど数 え上 げればき りがあ
りません。先生 は親 しい友人 が研究室 に来 られた折 りな
どは会話 が はずみ長時間 に及ぶ ことが しばしばあ り、一
見近 づ きがた い先生 のイメージ とは対照的 に、先生の本
来 のお姿 を垣間みる気が しました。先生 は日頃、学生 の
指導 には心 を砕 いてお られ、人材 の育成 を常 に念頭 にお
かれていた ように思 い ます。学生 。職員 ひ とりひ とりの
性格・ 適性・ 能力 を考 え、その個性 をのばせ るように指
導 して来 られ ました。先生 はあま り多 くを語 らず、お世
辞 を言わず、自分の考 えを歯に衣着せずズバ リとおっしゃ
られ ます。 また、感心す ることは、私たちが先生 ご自身
と違 う考 えをもってい る場 合、それをつぶすのではな く、
見守 って くだ さった とい う点です。言 ってみれば、母親
の愛情 ではな く、父親 の愛情 です。田隅先生 はつねに私
たちの二歩先 を考 えてお られ、個性 の強 いメンバーの個
性 を生か しつつ、大局 を見失 う ことな く研究室 を運営 さ
れて こられた ように思 い ます。 これは化 学教室 の教授 の
よき伝統 なのか もしれ ません。 また、先生 は大学 の組織
や運 営 に関す る能力 に秀でて お られ ますが 、 もうその能
力を東京大学 で生か していただけないことは残念 であ り、
理学部だけではな く東京大学 の損失 であると思 い ます。
先生 と共 に過 ごさせていただ いた時間 を振 り返 ってみ
ると、先生 は科学 だ けでな く人間 が好 きであると私 には
に との指導 をうけ、紙 を楔形 にきって減光 した ところ、
感 じられ ました。 それは、先生 が歴史 に大変興味 をもっ
てお られ、東京大学 や化学教室 の歴 史 にも詳 しい ことと
通 じてい るように思われます。田隅先生 はまさに「化学
楔形 に切 った点 を誉 め られ、嬉 しい思 い出 となってい ま
す。 また、経験的な方法 でブタジエ ンの基準振動計算 を
教室 の教授 Jら しい教授 であ られた ように思われ ます。
先生、長 い間 ご指導 いただ きあ りが とうございました。
-17-
思 い 出す こ と
長
澤
勝
明 (物 理学専攻 )
在 り、物理学会の部屋等 も在 りました。
'60年 代 頃で気が付 く事 に、職員 の レク リエー シ ョン
があ ります。行楽地 へ のハ イキ ング等 で、那須、 日光、
昇仙峡、箱根等 へ の一泊旅行、そ して湯沢 でのスキー。
日帰 りでは高尾山、鋸 山へ のハ イキ ング、油壺、江 ノ島
な どへ の海水浴、湯河原での蜜柑狩 り、更 に東京湾 での
ハ ゼ釣 り等 が在 りました。大方、係 の殆 どで、工 場 4、
ガ ラス 2、 配電 2、 回路 2、 雑品 1、 図書 1-2、 物理
1958年 3月 末、高橋研究室助手・ 蒲生先生のお世話 で、
先輩 が働 いてい る現在 の物理教室 の回路工 室 に勤 め、今
ここに、定年 を迎 える ことにな りました。
振 り返 ってみ る と、 当時実験系 の研 究室 は、百々 田
(野 上 )、
茅 (飯 田)、 平田、宮本、小穴、高橋、霜田、
伴野、桑原、学生実験 の各研究室 だ けで した。小穴 、高
橋、霜田の 3研 究室 か らの機器製作等 の依頼 は殆 ど無 かっ
たが、他 の研究室 か らの ものは非常 に多 く、猛烈な多忙
事務室 2、 そ して二 、三 の研究室 か ら 5-6名 程、合計
では20名 前後 の参加者 が在 つた様 です。尚、此 の費用 は
雇員会費 と教室 か らの厚生費 の様 な ものだったか と思 い
ます。
この頃 (1958'64頃 )の 製作す る機器 は、直流安定化
電源が最 も多 く、 中 で も、 普通 の電 子管用 で、200v∼
300v・ 70nlA、 6v/12v・ 3A。 クライス トロン用の 450v∼
光電子倍増管用 の 700v∼ 1500vで 5∼ 2011■ A、 そ
して、3/5吋 のオ ッシロスコー プのキ ッ トの製作等 も多
600v、
さで した。
私 は、正 門前 の森川町 に問借 りして い ました。朝 8時
に出て、生協 の第 一食堂で食事 し、昼 はグラウン ド下 に
在 った生協売店 で半斤 の食 パ ンと牛乳 を買 うか、又 は15
円の もりそばを正 門前 のそば屋 さんに頼 んで い ました。
仕事の終わるのはまちまちで、6時 か ら10時 頃で したが、
9時 に閉門 しますか ら、正 門の横 の低 い所 を、 よ く乗 り
越 えた もので した。
当時 は、南東 に二 階建 ての地 震研究所 が在 り、南側 に
は建 物 が あ りませんで した。居室の244号 室 には、安 田
講堂 の時計 が時 を知 らせ、春 には、 さつきの花 が、そ し
て秋 には銀杏の黄葉 が、通 りを通 る人 に季節 を与 えて く
れ ます。通 りの下 は煉瓦混 じりの崖 になっていて、野の
草 が はえ、その手 前 が一応 中庭 になってい ました。 コの
●
か った様 です。
'60年 代 も中頃 になる と、 トラ ンジス ター を使 う様 に
成 り、後半 で は ICを 使 った機器 の製作 が 殆 どとな りま
した。更 に'70年 代 にな る と、アナ ログ、 デジタル共 に
ICの 機能・ 性能 が 良 くな り、安 価 で、使 い易 くなって
来 ました。 この頃になると、研究室 では ミニ コン ピュー
ター を使われ る様 にな り、 この イ ンターフェースをアー
トワー クか ら行 った もので した。 これ らは、 ほんの一部
分ですが、取 り留 め も無 い事なので、此の位 に致 します。
40年 近 く、長 い間本 当 にお世話 に成 りました。心か ら
御礼 申 し上 げます。
有 り難 う御座 い ました。
字形 の三 階建 てが理学部 一号館 で、三 階 には数学教室 も
―-18-―
1997.3.10
●
長澤 さん を送 る
遠
山
濶
志 (物 理学専攻 )
toyarna(Dphys.s.u‐ tokyo.ac.jp
長澤 さんは昭和 32年 に物理学教室 の高橋研究室 に奉職
され ました。その後、回路室 に移 られ ましたが、40年 間、
ニ コ ン 2100Aイ ン タ ラ プ トカ ー ド及 び デ ー タ入 力
ADCイ ンターフェース装置 (和 田研 )、 ロ ックイ ン・ ア
一貫 して、物理学教室 に於 ける実験研究用 エ レク トロニ
ンプ (小 林研 )、 7イ ンチ FDD駆 動装置 (小 林研 )、 マ
グネ ッ ト用 20A安 定化定電流装置 (霜 田研 )、 掃引定電
圧安定化電源 (霜 田研 )、 高分解能 フラ ィ ングスポ ッ ト
クス装置 の開発・ 設計・ 製作 をされてきました。製作 さ
れた主な ものを挙 げます と、
CRT制 御装置
19574F-19664F
(江 橋研 )、
御 装 置 (霜 田 研 )、
PDPll用 レー ザー ミラー制
Ratio/Gated Amp(三
,Sample/Hold付 き差動 増幅器
主 に真空管 を用 いた装置 を製作 され、当時 の物理学教
室の殆 どの研究室 (平 田、高橋、霜田、宮本、伴野、飯
田、桑原の各研究室及び学生実験 )の 回路、電源 を製作
須 研)
(三 須研 )、 光電子増
倍管用高圧制御 回路 (三 須研 )、 TIミ ニ コン980に よる
ステ ッピングモー タ駆動用プ リセ ッ トパ ル サー回路 (江
橋研 )、 ハ ロゲ ン ランプ用 高安定化定電流電源装置 (江
され ました。例 えば、200V∼ 300V,60mAの 直流安定
化定電圧電源、 6V/12V, 2∼ 3Aの 直流安定化定電
圧電源、450V∼ 600V,700V∼ 1500Vの クライス トロ
橋研 )、 パ ルス NMR実 験用パ ル ス発生器、及 びデー タ
入力装 置 (鈴 木研 )、 ェ コー 浪1定 用 高周 波電 力増 幅器
ン電源、光電子増倍管用直流安定化 定電圧電源、真空管
28ビ ッ トGP‐ IBア ダプタ ー装置 (小 林研 )、
式直流増幅器、低周波電力増幅器 (桑 原研、飯 田研 )、
キ セ ノ ン管 同期 回路 (平 田研 )、 パ ルサ ー (桑 原研 )、
ンバ ー タ装 置、 マ イ ク ロ デ ン シ トメ ー タ MDM6の
(鈴 木研 )、
HP4202マ ル チチ ャ ンネルア ナラ ィザ ー 用
1/Vコ
PC98に よる駆動制御装置
」JY電 波受信用受信機 な ど枚挙 にい とまがあ りません。
(若 林研 )な ど多岐 にわた り、
物理学教室の殆 どの実験研究室 の 回路製作 に携わ って こ
られ ました。
また毎年開かれ る回路 セ ミナー/回 路実習 を通 じ、学
生の指導 もなされて きました。
1967年 ∼ 現在
FET高 入カイ ンピー ダンス増幅器
(飯 田研 )、 低雑音
ロン
・ コン トロール
直流増幅器 (桑 原研 )、 イグナイ ト
回路 (桑 原研 )、 積分器 (飯 田研 )、 パ ルスホー ミング回
路 (飯 田研 )、 メスバ ウアー 効 果測 定 用温度制御装 置
(飯 田研 )、 IC化 ロ ックイ ンア ンプ (飯 田研 )、 マ グネ
トロン2M53用 安定化定電圧電源装置 (宮 本研 )、 マ グネ ッ
ト用 75V/22A安 定化定電流電源 (宮 本研 )、 HPミ
その他、共通測定器 の管理、回路室 ス トックの回路部
品の管理 な どをなされ、物理学教室の研究室 は大変 にお
世話 を頂 いて きました。
長澤 さん、長 い間 ほん とうにお世話 にな りました。 こ
れか らは健康 に留意 され、 ます ますのご活躍 を期待 して
い ます。
-19-―
植物園 を去 るにあたって
齋 藤 保 男 (植 物園)
植物園 にお世話 にな り19年 間、 その問 い ろい ろな こと
があ りました。 しか し、今振 り返 って見 ると長 いよ うで
短 くあっ とい う間に過 ぎ去 った ように思 い ます。
この期間、未熟な私 が、大事 な く職務 を終わ る ことが
で きたのは、歴代 の植物園長 を始 め研究部、育生部、事
務部 の皆様の ご援助 と尽力 のお蔭 であ り、改 めて厚 く御
礼 申し上 げます。
筆 を置 くにあた り、お世話 になった理 学部・ 植物 園
(分 園含 む。
)の 皆様 の ご健勝 と益々の ご発展 をお祈 り
しお別れ の言葉 とさせていただ きます。
●
齋藤 さんを送 る
小
4月 の小石川植物園 は、上旬 は、 ソメイ ヨシノ・ ヤマ
ザクラ・ オオ シマザクラ・ エニ シダ・ カ リン・ イカ リソ
ウ・ ミツバ ツツジ・ カタク リ、下旬 には、 ヒノデキ リシ
マ・ ヤマ ブキウ コ ンザクラ 。ボタン・ ドウダ ンツツジ・
クルメツツジ・ オオ リキ ュウバ イの花が咲 き誇 り、 この
季節小石川植物園は、1年 で一番光 り輝 く時期 を迎 えます。
この花 々 を後 に、昭和 53年 2月 か ら植物 園 の正 門受付
を担当 して こ られた齋藤保男 さんが 、平成 9年 3月 31日
嶋
lll
介 (植 物園)
務 でな く時 には、身 に危険 さえ生 じるような場面 に遭遇
す る大変 な職務である ことが ご理解 いただ けた ことと思
い ます。
昨年 の夏の終わ り、台風 が関東地方 を襲 い ましたが例
年 の ことなが ら、植物園に とって台風 は大敵 です。
台風の進路規模状況 をテ レビ等 で収集 し素早 く休園 日
でなければ、開園 。休園の判断を しなければな りません。
休園 した として も当 日の体制 はどうす るか ?
付 けを持 ち まして定年 により植物園 を去 られ ます。
理学部の皆様方には、 ご理解 しに くい と思いますが、
塀 が倒壊 しないか ?
倒木等 で近 隣へ の影響 はないか ?
植物園 の正門受付 の業務 は地味ですが大変 な仕事 です。
1人 の場合 トイ レに行 く暇 さえない時 があ ります。 ま
公開温室のガラスが 飛散 しないか ?
火災・ 盗難事故が発生 しないか ?
た、通勤途 中で事故 に遭遇す る と開園時間の関係 で、通
勤電車 の中で油汗 をか くシー ンも度 々です。 こうい う苦
幸 いベ テラ ンの齋藤 さんの的確な判断 にね り本 日まで
は ことな きを得 ていますが、齋藤 さんが去 られた後、園
労 はで きれば体験 なさらないほ うが いい と思い ます。
次 に、小石川植物園 の ロケー ションについて ご説明す
の管理 も一段 と厳 しさが要求 されそうです。
齋藤 さん も4月 か らは、土 。日・ 祝祭 日や早朝か ら出
ると本植物園 は、文京区 の礫川出張所 と大原出張所管内
に位 置 し、江戸時代の名残 をとどめる地名 (東 御殿町会・
勤 した り植物園 の ことを心配す る必要がな くな り、 ほっ
とされ る ことと思 い ます。
上御殿 自治会 )が 残 ってお り、「小石川 薬園」 に源 を発
また、植物園 の教 職員一 同齋藤 さん とお別れす ること
は、大変残念 な ことで すが、 これ も定 めなのでやむを得
ません。
した 日本最古の植物園 と日本 の近代植物学発祥 の地 とい
う歴史性 を秘 めた植物園であ り、植物園近隣 の人々 も親
しみを持 ってお り植物園へ種 々の要望 を寄 ぜ ます。
こうい う条件下 にある植物園 の正 門受付業務 は、一般
の入 園者 の苦情・ 要望 と併 せて親切 に対応せ ざるを得な
いため、大変骨 の折れ る職務であると云 えます。
以上述 べ た ことで も分か るとお り、正 Fi受 付業務 はた
なお、 これで植物園 と齋藤 さん との繋 が りが切れた訳
ではあ りませんので、今後 もた まには植物園 に顔 を見せ
ていただ き後輩 にご指導 いただければ幸 い と存 じます。
だ単純 に入 園券 の半券 を受 け取ればいい とい う簡単 な職
―-20-―
最後 にあた り、齋藤 さんの今後 のご健康 と幸 せ を祈念
してお別れの言葉 とさせていただ きます。
●
《
新任教官紹介》
着任 にあた り
平
良
員 規
(生 物科学専攻)
[email protected]‐ tokyo.ac.ip
学 ぶためで、当時の 日本では非常 に限 られた ところで し
かや られて い なかった。 それ以来、分子生物学 が私 の一
つ の研究領域 と言 えるが、 これ らの研究室 の遍歴の中で
「 自分 の研 究 テ ーマJと い える もの を見 い 出 せ たの は
NIHで である。 これ は単 に NIHで 良 いテー マ を与 えら
れた とい う訳ではない。 そ こで はアフ リカツメガエル の
シュペーマンオーガナイザー に発現する新規のホメオボッ
ここ本郷 の理 学部 2号 館 に通 うのは15年 ぶ りである。
現在 の 自分 の部屋 か ら見 る中庭 の眺めは大学院当時 とほ
とん ど変わ らず、周 りを歩 いて も日に付 くものは慣れ親
しんだ ものばか りであるが、懐か しい と感傷 に浸 るには
15年 は短す ぎるようである。一 方、生物科学科 の教室
内に は旧知 の人 はわずか しか残 ってお らず、戻 つて きた
と感 じるにはこの15年 は長す ぎた ようである。 この間 の
クス遺 伝子 Xlim-1を 見 い 出 したのであ るが、 その後
の機能解析 は非常 に困難 を伴 った。 それで も長 い暗中模
索 の末 ようや く自力で解析 の糸 口を見 い出せた ことで、
初 めて 自分 のテーマ と成 り得 た と感 じられた。 一 方、発
生現象が遺伝子 レベル で解析可能 とな り、分子発生学 と
して この領域 が大 き く発展 し始 める前 に NIHに 行 けた
ことは幸運 であった。 このよ うに「自分の研究 テーマJ
とい えるものを見 い出す までに紆余 曲折 があったが、 そ
大 きな出来事 としては、東大 が大学院大学 とな り、以前
の動物学教室、植物学教室、人類学教室 が生物科学専攻
れまでの様々な経験があったか らこそ得 られた もの と思っ
て い る。 NIHに いた 6年 半 は、 自分 に とって最 も充実
として一つにまとまり、且 つ それに進化 多様性生 物学 が
新設 され加わった ことで ある。生物科学専攻教授会 に動
した研究期間 で あった。
研究室 の遍歴で得 た ものは研究テーマ ばか りではない。
物、植物、人類、進化多様性 の面 々が顔 をそろえるのは
実 に壮観 である。初 めて本郷 に来 たのは生物学科植物学
先 に揚 げた 5つ の研 究室 では、大学院時代 の寺 山宏先生、
癌研究会癌研究所 の小池 克郎先生、 国立がんセ ンター研
課程の学生 としてで、学部 2年 間 は植物 学教室 のお世話
になった。大学院 は動物学教室 の発 生生理学講座 (現 在
の細胞 生理化学研究室 )に 入 り、 5年 間 の大学院生活 と
究所 の寺田雅昭先生、千葉大学医学部の橘正道先生、そ
して NIHの Igor Dawid先 生か ら多 くの ものを学び取
1年 間 の奨励研究員生活 を送 った。従 って当時 の植物 と
ることができた。 これ らの先生方 はそれぞれに個性的で
あ り、研究テーマの選 び方、実験 の進め方、考 え方、論
動物 の各教室 の雰囲気 を共 に味わ う ことがで き、 またそ
の こともあ り現在生物科学専攻 として一つにまとまった
文の書 き方、研究室内 の研究発表 や抄読会 の仕方、大学
院生 や postdocと の接 し方、等 々 5人 5色 で あった。
ことには特別感慨深 い ものがある。
東大 を出てか らは癌研究会癌研究所 、国立がんセンター
これ らの先生方の研究室か ら得 た経験 が順次 自分 の中 に
蓄積 されて来 ている。 またそれぞれの場所での いろいろ
研究所、千葉大学医学部、 そ して米 国国 立衛生 研究所
(NIH)と 4つ の研究 室 を経験 したので、 この度着任
した分子発生学研究室 (前 の動物学第二講座 )は 私 に とっ
な研究者 との共同研究 や交流 も大 きな糧 となって い る。
それ以 外 に学 んだ もの としては大学 と研究所 の違 い、研
て 6番 目の研究室である。この間自分なが ら良 く動 き回つ
た と思 っている。何故 これだ け動 いたか といえば、千葉
大学医学部の助手 になるまでなかなか就職 で きなかった
ということや、米国 NIHか らは日本 にす ぐに戻れなかっ
た ということもあるが、一方で 自分 が本 当 に研究 したい
究室間 の交流 の大切 さ、定期的 な質の高 いセ ミナーの重
要性、大学院 で学 ぶ べ き ことや postdocと して 学 ぶ こ
とは何 か等 々が揚 げ られる。
学生 の ころは、一つのテーマをじっ くりと研究 し発展
させて い くことが研究者 としての「 美Jで あ り、 また評
価 され るべ きことと聞 か されていた ような気 がす る。 そ
と思 うことになかなか巡 り会わなかったためで もある。
の観 点 か らす る と、 自分 の研究 はその時々で変わ り、
理 由 はともか く、結果的に ここに来 るまでに 5つ の研究
室で様 々な ことを学 び、 5つ のテー マ と出会 う ことがで
「理想的研究者像」 か らなん とかけ離れ ているのだろう
'し
か、 と思 った り た こともあった。 それで も強 いて一貫
と
きた とい うことは今 の私 にとっては非常 に貴重な財産 ‐
なって い る。
性 を持たせ ようとす る と、大学院 の ときか らの興味の対
象は「細胞 の増殖 と分化」 であ り、 また大学院 を出てか
15年 前 に癌研究所 に行 った理 由の一つは遺伝子操作 を
らは「分子 生物学」一筋 とも言 えるので、 自 ら納 得 した
-21-
りして いた時 もあった。 しか し今 は、 もし自分が一つの
れか らここで 自分 は何 を得 ることがで きるか、 また本学
研究室 に留 まって一つのテーマ に専念 した として、 どれ
だけものを得 られたか と考 えると、そのようにならなかっ
の大 学院生、学部学生 にこれ まで 自分 が得 た ものをどれ
た 自分 の巡 り会わせ に感謝 している。一 方「分子生物学 J
だけ伝 えることがで きるか、大変楽 しみである。最後 に
なるが私 の研 究 テーマ は NIHか らの継続 で「 シュペー
とは様 々な領域 に分子生物学的手法 を用 い果敢 に入 り込
んで行 ける学問 とも言 えるので、テー マ の変更 にも柔軟
に対応 で きたのか もしれない。科学研究 に対す る価値観
マ ンオ ーガ ナイザーの分子基盤 Jで あるが、 これをさ ら
は人 それぞれであるが 、私 としては、 自分 のテーマ を見
つけて 自分 の研究室 を持 つまで、少な くとも 3ヵ 所以上
現在 は大急ぎで研究室 の体制 を整 えているところである。
そ して ここが NIHで 得 られた以上 の充実 した研究期間
の研究室 を経験す る ことを人 には薦めている。
先 に述 べ た ように今回 の研究室 は 6番 目であるが、 こ
願 っている。
20世 紀最後 の大天文台
に発展 させ ると共 に、 これ まで心の中 に暖めて きた新 し
いテー マ も模索 してみたい と思 っている。何 は ともあれ
とな り、 またそれを研究室の人達 と分かち合 える ことを
iSO(赤 外線宇宙天文台
川
良
公
)
│
明 (天 文学教育研究 センター)
kkawara@nltk loa.s.u― tokyo.ac.jp
2地 上局がアメ リカに設 置 され、1日 16時 間以上 の観瀬
が可能 になった。第 1地 上局 としては、 スペ イ ンのマ ド
リッ ド近郊 の ESA衛 星追跡局 (通 称 Vilspa)が 使 われ
1
てい る。Vilspaに は、衛星制御 セ ンターSCC(Satellite
Control Centrelと 科学運用 センター SOC(Science Op‐
eration Centre)が ある。
ISO(赤 外線宇宙天文台)と の観浪1を 紹介する ことで
新任教官のあいさつ とさせていただ きた い。
ISOは ESA(欧 州宇宙機構 )に よって1996年 11月 に
近地点 1000km、 遠地点70600km、 周期 24時 間 の楕 円軌道
に打 ち上 げられた。 リッチク レチ ェン型直径 60cm、 望遠
鏡 が2300リ ッ トルの液体 ヘ リウムで冷却 され、測定装置
や望遠鏡 (散 舌L光 よけのバ ッフル も含 め)は 絶対温度 2
-8度 に維持 されてい る。重量 は25ト ン外形寸法 は長
さ5.3m、 幅 2.3mと 望遠鏡 の直径の割 りに大 きいのは液
体 ヘ リウム容器 が 巨大 なためである。
ISOは 地上望遠鏡 による観測 が困難 あるい は不可能 な
波長領域 2.5240ミ ク ロンを観測す る、最初 の汎用型赤
外線宇宙望遠鏡 であ り、測光、分光 (波 長分解能 50300
00)、 偏光観測 が可能 である。
4つ の測 定装置 であ る測 光偏光器、中間赤外線 カメラ、
SOCは 約45人 の PhDと ほぼ同数 の技術者 の集団であ
り、SOCを 含 めた Vilspaの 総数 は約 200人 で あ る。参
加各国 には測定器支援チームや観測者支援 セ ンターが置
かれてお り、20世 紀最後 の大計画 にふさわしい陣容 となっ
てい る。
液体 ヘ リウムが尽 きる と ISOは 死 ぬ。打 ち上 げ前 に
は寿命 は18ヶ 月 と評価 されていたが、最近の実測値 によ
ると寿命 は24ヶ 月以上 となっている。
SOC、 測定器 を製作 したチーム、 あるい は ISOに 特
別 の貢献 をして い るグループに は観測時間が保証 されて
い る (guaranteed time).宇 宙研 と NASAも guranteed
timeを 所有 し、国内の研究者グループに分配 している。
観測時間全体 の うちの 3分 の 2は 一般公募であ り (Open
time)、 ESA力 日
盟国、 日本、アメ リカの研究者 に応募資
格 が与 えられてい る。余談ではあるが、筆者 は宇宙研支
援 の ISO‐ SOC常 任研究員 (resident astronomer)と し
て 日本人研究者 と緊密 に連携 しなが ら ISOの 科学運用
短波長分光器、長波長分光器 は ドイツ、 フランス、オラ
ンダ、イギ リスを中心 にした大学、研究所、企業の国際
を担当 して きた。
天文 セ ンター ヘ の着任以降 は、 三 鷹 に常駐 し ISOを
協力 によって製作 され ESAに 提供 された。 1周 回 (あ
るい は 1日 )あ た りの観測可能時間 は衛星 と地上局 との
用 いた天文研究 をす る ことになる。
有名 なスペ ーステレコー プ との違 い は、観測波長 が違
交信時間 によって制約 され る。
うとは言 うまで もないが、ISOは 寿命 がわずか 2年 の汎
用天文台 であることであろう。 この間 には多種多様 な観
日本宇宙科学研究所お よび NASAの 参加 によって第
―-22-―
●
剛毛―ドの性質を警解しその校正を犠 .な輔 ればなら
―
ヽ
なャ
。1魃 から1螂 論まqttQ瘍
鰊
詢も0を 難 しなければならなヤ、
ヽ
ミラメ‐‐
打ち上げ前蝙
デ■夕に嚢羹鑢醐躙
夕等が設定│さ れて1卜たが、│は り
に打たれ続け
る検出鶏の振舞い0曇営さは予想を上回るものであり、
すべての観側が大幅颯修正されること,と なった..褒 在 も
ゝうSOCス タッ
鰹
猾
麟
錮握する≧ヤ
いる
,と
フQ薔身的な努力が続いて
。装置mと
もに観測も易しい (明 るい)天 俸か靱雛│しい (階 ■ 箇
'学
諭鞠)天体へと躍管 しつつある。
―
lulQ罰も,論ょぅ半年後に開か饉 シンポジ ゥム
ヘ0寄 与は昨年 lll月 に1靭 という鋏
特集号とし
,ュ
て刊隋され猷
議爾きれた│レ ンリ,‐審籍岸鶏鋳鐘対難は
実 に凱編であり鷹Юl(赤 外銀鷲鐸鋤 の多震性を示すも
のとなってい る。本年 2月 に餘
,で開催された「 徹
光天体検糧J7-タ シヨツプで麟宰輻
測の種果が
― llSOが
つい
き
発表 れ
銀測準化形歯に
てすでに重要な寄
与をしていること蝠
され,た 。
連 センタ‐
を申心とした我警鍮論
グループゆデータが量質において他国のそ記を副 │し た
こ―
とを行機加│え てお書│たい。
1郎 ―
《
研究紹介》
数理 フ ァイナ ンス
楠
岡
成
雄 (数 学科 )
私 が現在、専門 として最 も力 をいれて い る研究分野が
数理 フ ァイナ ンスで ある。数理 フ ァイナ ンス を研究 して
法 がない ことを nO arbitrage(無 裁定 )と い う。 この
考 え方 は 1973年 に Blackと Sch61esに よ り導入 され、
い ると聞 くと妙 な顔 をす る人達がいる。数学 はしばしば
純粋数学 と応用数学 の二つ に分 けられ るが、お まえのやっ
て い るのは不純数学 ではないか と言 う人 もい る。 これは
現代 の 数理 フ ァイ ナ ンスの 基 とな った。nO arbitrage
の考 えに基づ けば「株価 はマル チ ンゲ ール」 という結論
に達す る。 マル チ ンゲ ール とはランダム ウォークを一般
全 くの誤解 なのだが、数理 フ ァイナ ンス と聞 けば、金儲
化 した もので、要す るに株価 は予演1不 能 となる。 この結
けの数理 と連想するのは無理 もない。では現在 の数理 フ ァ
イナ ンス とはい ったい どの ような ものであるのか、 ここ
で述 べ させて頂 く。
論 は一部 の株価予想 の研究者の受 け入れ られるものでな
く、大論争 が行われてい る。今 日ではこのマル チ ンゲ ー
経済現象 の説明 に、あ りとあ らゆる概念が 自然科学や
数学か ら借用 されて きた。古 くはカタス トロ フィーや本
目
ルモ デル を基 にデ リバ ティブ (派 生証 券 )の 価格 を計 算
する ということが実際に金融機関で真剣 に行われている。
私 は現在、 (1)取 引費用 のデ リバ テ ィブの価格 へ の影
転移現象 で経済恐慌 を説明 しようとした し、最近 では株
価 を説 明す るのに、 フラクタル、 カオス、複雑系な どを
響 の研究、 (2)長 短金利 の期間構造 の確率偏微分方程式
モ デル の研究 といった ことを行 っている。現在の所、研
用 い る人 達 もい る。 そういった説明 は経済現象のある側
面 をうま くついてはいるのだが、当然 ではあるがそれで
究の結論 は複雑 で、金融機関で実務 に用 い られ るような
代物 ではないが、実務 で も役 にた つ形 にまで もってい き
た い と考 えて研究 している。
すべ てが説明 で きるわけではない。 しか も、ひ とたび あ
る理論 で株価 が予見で きるとなると、裏 をか いて儲 けよ
│
数理 フ ァイナ ンスが理 学 の範疇 に入 るのか どうか はわ
か らない。 しか し、その基礎 となる数学 は高度 で、東大
うとす る人達が 出て きて、その人達 の行動 によ り、理論
は結局 はずれ るようになってい く。
株価 や有価証券 の価格 に関す る理論 は、すべ ての人 が
知識が必要 となる。 これ も理学 部の果 たすべ き役割 か と
その理論 を信 じて儲 けようと行動 して も、儲 ける方法が
思 っている。
で はおそ らく理学部数学科 でのみ講義 されている数学的
存在 しない場合 に限 って、安定 な理論 となる。儲 ける方
●
=人
面開
理関数処理 とネッ トワーク0結 び目0統 計物理の不変多
の計算
一 計算の本質の解明 一
今
井
情報科学専攻 )
浩 ぐ
imai@iss u― tokyo.ac.jp
自然科学 の諸問題 を一度 「計算Jと い う観点か ら眺め
ると、そこには多 くの情報科学的諸 問題 が実在 してお り、
情報科学的方法論 が幅広 く適用で きる。 この稿 では、 こ
の広 さを同時 に伝 えることのできる話 しを紹介す る。
コンピュー タの基本的動作原理 は 0と 1で 記述 され 1+
0=1× 1=1と か 1+1=1× 0=0と かの演算 に従 つ
て動 いている。論理関数 は、 0か 1が 並んだ長 い入力列
が与 えられた とき、 0か 1を 出力す る関数 で、 この動作
原理の根幹 をなしてい る。一 見、論理関数 は簡単 か もし
れな いが、 100個 の 0か 1が 並ぶ列全 てに対す る出力 を
表 で覚 える とす る と、 2の 100乗 (約 10の 30乗 )の サイ
ズの表 を扱 う ことにな り、たかが100入 力 で手 に負 えな
くな る。 1990年 代 に入 って 2分 決定 グラフ (BDDと 呼
ばれ る)と い う表現法が提案 されて、 この分野 でブ レー
クスルーが あった。BDDの 精神 は、表での「 同 じ部分
構造 を共有」す る ことによ り、実用的関数 を コンパ ク ト
―-24-―
に処理す る ことで ある。研究室で は、 これ までに BDD
の理論的解析 。並列実装 な どの研究成果 を上 げて きた。
の計算問題 について、 これ まで解 けなかったサイズ の間
題 を解 くことがで きるようになる (一 方、 これ ら計 算間
BDDの 研究 は、 その精神 の「 同 じ部分構造 の共有」 が
題の本質的難 しさも示 されている)。 ここで面 白いのは、
情報科学 の基礎 としての論理関数処理 に対す るH】 )と い
計算 に関す る幅広 い問題 での有効 な解決手法 であること
か ら、それ を拡 張 して、 とて も関係 があるとは思 えな い
色 々な問題 を解 くことがで きる。 どの地 図 も 4色 で塗れ
るとい うグラ フ 4色 定理、ネ ッ トワーク耐故障信頼度、
ひ もが結 ばれて い るか とい った結 び 目理論 の Jones多
項式、統計物 理でのスピ ンや浸透のモ デルの不変量 な ど
う方法論が、他の種 々の計算 に絡 んだ問題 の計算部分 の
本質 をついていることで ある。研究室の研究 テーマ は、
まさしく計算 の背後 に潜 む本質 を見抜 くことで あ り、 こ
れはその一 つの典型例 で あ る。他 のテー マ も含 めて、研
究室 ホームペ ージを参照 して頂 ければ幸 いで ある。
超対称性理論
柳
田
勉 (物 理学専攻
)
yanagida(Dphys s u― tokyo.ac.jp
超対称性 とは、一 口で言 うな らばボーズ粒子 とフェル
ミ粒子 をいれか える対称 性 である。 ボーズ粒子 とフェル
ミ粒子 は統計性 が異なるため、互 い にまった く異質 な も
の と考 えられてきた。 そのため、 ボーズ粒子 とフェル ミ
粒子 を対等 に扱 う超対称性理論が相対論的場の理論 とし
て発見 されたのは、わず か二十数年前 の ことで ある。当
時 この理論 は、数学的 に コンシステン トな もの として定
式化 されただけで物理 へ の応用はあまり真剣 には考 えら
れなかった。しか し最近 になって、この超対称性理論 は、
素粒子物理 のより基本的理論 として注 目されてい る。 こ
G
超対称性理論 は、上記の困難 を見事 に解決す る。量子
力学的効果 の うちボソン粒子 によるもの とフェル ミ粒子
によるものが互 いに相殺 し、 ヒ ッグス粒子 の質量 に現わ
れた無限大の発散が消 え去 る。 これが現在、素粒子物理
で超 対称性理論 が大 きく取 り上げられてい る理 由である。
素粒子の標準理論 を超対 称化す るのは容易 なことである。
そればか りではない。超対称化 した標準理論ではじめて、
弱 い相 互作用、電磁相互作用、強 い相 互作 用 の三 つの相
互作用 の結合定数 の高 エ ネル ギーでの統 一が可能 である
ことが わかった。 つ まり、超対称 性 理論 は素粒子 の大統
こで は、その理由につ いて説明 した い。
一理論 には欠かせぬ考 えとなって い る。
自然 の極微 の世界 の解明 を 目指 して進展 してきた素粒
子物理学 は、標準理論 の予 言す るほぼ全ての素粒子が発
見 され、新 しい時代 をむかえようとして い る。未発見 の
さて、超対称化 した標準 理論では、知 られて い る粒子
には必 ず超対称変換 により結ばれ る相棒 がいる。例 えば、
素粒子 はヒ ッグスと呼 ばれ るスカラー粒子 のみとなった。
この ヒ ッグス粒子 には理論的なパ ズルが存在す る。 ヒ ッ
グス粒子 のようなスカラー場 は、一般 に量子 力学 の効果
によ り無限大 の質量 を持 つ。 ところが、標準理論 によれ
電子 にはその相棒 のスカラーの電子が いる。超対称性 が
成 り立 っていれば、 スカラー電子の質量 は電子の質量 と
等 しい はずである。 もちろん、 スカラー電子 はまだ見 つ
かっていないので、超対称性 は破れてなければならない。
ば この ヒッグス粒子 の質量 は高 々 数 100GeV程 度 で な
ければな らない。 この│よ うな無限大の質量 は、す でに発
破 れ の大 き さは、数 100GeV程 度 で あ ろ う。 さ もな く
ば、 ヒ ッグ ス 粒 子 の 質 量 を標 準 理 論 の要 請 す る数
100GeVに とどめておけない。 この考 えが正 しければ、
見 されてい るクオークや レプ トンの ようなフェル ミ粒子
やゲージ粒子 には現われ ない。そ こで まず思 いつ くのは、
ヒッグス粒子 を基本粒子ではな くフェル ミ粒子 か ら作 ら
多 くの超対称性 の粒 子 が数 100GeVの 領 域 に存在 す る
はずである。また最近、理論の詳細 を調 べ ることによ り、
最 も軽 い ヒ ッグ ス粒子 の質量 が 150GeV以 下 で ある こ
れ る複合系 とす る考 えであろう。 そうすれば、 ヒ ッグス
とが分 かった。私 は、 この ヒ ッグス粒子 を含 め超対称性
理論が予言す る多 くの新 しい素粒子が発見 され る日が、
粒子 の質量 に無限大 は現われず、標準理論 の要請 を満足
で きる。 しか し、 この考 えは、近 年 の大型加速器 を用 い
近 い将来 にや って来 ると信 じて い る。
た精密実験 により否定 された。
―-25-―
量子可積分粒子 系 の研究
和
達
三
樹
(物 理学専攻)
[email protected]‐ tokyo.acip
調和振動子の運動方程式や波動方程式 は、与 えられた
初期条件 に対 して解 くことがで きる。 このよ うな力学系
テ ンシ ャルが加 え られ た場 合 も可 積 分 系 で あ る こ とがわ
か っ た 。
を、完全積 分可能系、略 して可積分系 とい う。上の 2例
は線形方程式であるか ら、可積分系である ことを示すの
ハ ミル トニ ア ン系 が可積分であるか どうか、 とい ぅ問
題 は、天体力学か ら始 まる最 も古 い歴史 をもつ基本的な
は容易 で ある。非線形 波 動の研究 にお い て発見 された ソ
リトンは、粒子の ように振舞 う波のかた まりであ り、互
問題 である。量子論 に舞台 を移 したのが、今回の研究紹
介で あ り、物性物理学・ 素粒子物理学の基礎 問題 と密接
いの衝突 に対 して安定 であるとい う驚 くべ き性質 を持 っ
な関連 を持つ とともに、多 くの興 味深 い数理科学的課題
ている。 なぜ ソリトンが安定 に伝播 し続 けるのか といえ
ば、それ はソ リトン方程式が可積分系であるか らである。
を提供 している。
この ように、可積分系 は秩序 ある規則的な運動 を記述す
0
る。一 方、 この対極 にあるのがカオス系 で あ り、初期 条
件 に敏感 に依存 する不規則 な運動 を示す。
量子論的な粒子系 に対 して、 こうした非線形科学 の視
点 か らの研究 が本格的 になったのは、 この10年 といって
よいで あろう。古典 ハ ミル トニ ア ン系 が可積分 で あるた
めの条件 は、 1)自 由度の数だけ独立 な保存量 がある、2)
それ らの保存量 は包 含的 (ポ ア ソンかっ こが交換す るこ
と)で ある、の 2条 件 であることが知 られてい る。 これ
を、 リュー ビル の定理 とい う。保存量 を保存演算子、 ポ
ア ソンかっ こを交換子 と読 みかえて、量子論 における可
積分性 を定義す る。我 々 は、1次 元量子粒子系にお いて、
逆 2乗 型長距 離相互作用系 (カ ロジェロ 。モーザー模型
図
1
可積分 系で の 3粒 子散乱行 列がみたす関係式 (ヤ ン・
バ クス ター関係 式
)
やサザーラン ド模型 とよばれる)や それ らが 内部 自由度
(ス ピン)を 持 った系が量子可積分系 であることを証明
した。それ らの固有関数 は、 ジャック多項式な どの直交
対称多項式である ことが わかった。量子力学で よ く知 ら
│
れた古典直交多項式 を多変数 に一般化 した もの となって
い る。物理学的には、 これ らの量子 多体系 は、朝永・ ラ
ティンジャー流体や排 他統計 (ボ ゾ ンで もフェル ミオ ン
で もない)を 持 つ粒子系 を実現 した ものである。
量子可積分系 は多数 の保存演算子 を持 っている。 この
ような場合、保存則 に対応 して対称性 が ある、 と考 える
のが理論物 理学の常套手段 である。実際、 これ らの量子
可積分系では、カ レン ト代数、量子\ヽ 数、 ヤンギアン
等 の興 味深 い対称性 が背後 に存在す ることがわかった。
最近 の話題 の 1つ に、境界条件の問題がある。無限系
や周期的境界条件 に他 に、系の可積分性 を壊 さない境界
条件 には どのような ものがあるであ ろうか。可積分系 に
おける 3粒 子散乱 は、粒子衝突の順序 に依 らない とい う
関係式 で特徴 づ け られ る (図 1)。 一 方、境界 のある可
積分系 については、境界 (壁 )に 衝突す る 2粒 子の振 舞
い に対 して、壁 へ の衝突 と 2粒 子の衝突が順序 によらな
い とい う関係式が必 要 になる (図 2)。 この 2つ の関係
式 をみたす量 子可積分系が構成 で きる。例 えば、1次 元
ハバ ー ド模型 は可積分系 で あるが、両端 に磁場や化学 ポ
―-26-
図2
境界が系の可積分性 を保 つ ための関係式
(境 界 ヤ ン・バ クス ター関係式 )
地球型惑星 の比較 テ ク トニ クス
阿
部
豊
(地 球惑星物理学専攻)
ayutaka(Dgeoph.s.u― tokyo.ac.jp
地球ではプ レー ト運動 が様 々な地学現象 を支配 してい
ることは良 く知 られてい る。 しか し、 プレー ト運動が起
その結果、金星 の 円形割れ 日は、 マ ン トル深部か ら上昇
してきたプ リュームが地下 10∼ 20kmの 深度 とい う上し
較的
こっている惑星 は地球以外 には他 に知 られて いない。 ま
た、 どのような条件 が満 たされればプ レー ト運動 が生 じ
浅 い ところにまで進入 し、地殻 に大 きな応力 を加 えると
発達す ることがわかつた。地球 では「プ レー ト」 の下面
るか も明 らかにされていない。 プ レー ト運動発生の条件
に相 当す る、深 さ100kmほ どの ところに大 きな粘性率 の
を明 らかにす ることは地球 とい う惑星 をよ りよ く理解す
る上で重要である。
変化 があ り、 それ よ りも浅 い部分 は深 い部分 に比 べ てけ
た違 いに堅 い。地球 の場 合、 この深度で プ リュームの上
この問題 を考 える上で は大 きさが殆 ど地球 と同 じであ
昇 が止 まるので地殻 にはあま り大 きな力 が加わ らない。
逆 に言 えば、金星で比較的浅 い ところまでプ リュームが
進入す ることは、金星 では地球 の「プ レー ト」 に対応す
る金星 との比較 が有効 であろう。 とりわ け、地球で「プ
レー トJに 相 当す る地表か ら数百 キ ロメー トルの深 さま
での比較 が重 要 と思われ る。 この問題 に関連 して、金星
と地 球 で は地表 付近 100hほ どの範 囲 の粘性率分布 が大
きく異なっていることが示されたので、これを紹介 したい。
探査機 による観測 によって金星 の表 面 には コロナやア
ラクノイ ドとよばれ る地形が多数見出された。 これは数
百キロメー トルサイズの 円形 の割 れ 目を伴 う地形 で あ り、
マ ン トルか ら上昇 して きた暖 か くて軽 いプ リュームが、
地表付近の比較的堅 い層 に浮力 を力日える ことによって生
じた と考 えられてい る。地球のマ ン トルで も同様の暖 か
くて軽 いプ リュームの上 昇 はお こってい る。 しか し、地
球ではこのようなサイズの 円形 の割 れ 日は見あた らない。
あるとい う報告 もないわ けではないが 、少 な くとも金星
の場合 のように顕著 ではない。 そ こで 円形割れ 目が発 生
する条件 を粘弾性体・ 弾性体 のモデル を用いて検討 した。
るような粘性率構造 がな い ことを意味す る。要す るに、
金星では「プ レー トJに 相 当す る堅 い部分 がそ もそ もな
いか、あるいは極 めて薄 い と考 えられ る。
粘性率分布 の違いの一 因 は金星 と地球 の地表温度の違
いにあろう。 これに加 えて、金星 マ ン トルに水 がない こ
とも関係 して い るか もしれない。地表温度 を規定 して い
る要因 として、大気 はもちろん重要である。 ここでは詳
しく述 べ る余裕がないが、地表温度 にも大気 を介 して微
「 プ レー
妙 な ところで水の存在量 が影響 して い る。一 方、
ト」 に相当す る粘性率構造 の有無 と、 プ レー ト「運動 J
が起 こることの間 には大 きな開 きがある。今後、
「 プレー
ト」構造 の成因 とともに、「動 く」 ための条件 を明 らか
にしてい く必要 がある。
―-27-―
有機分子 と固体表面の相互作用―表面 XAFSに よる研究
大
田
俊
明
(化 学専攻)
[email protected]― tokyo.acip
有機分子 が清浄な金属や半導体 の表面 に降 って きた と
き、表面で どのよ うな振 る舞 い をす るだ ろうか。十分低
子 の構造変化、基板原子 との距離 がわか る。電子線 を用
い る方法 に比 べ て吸着分子 の脱 離や解離 は起 こ りに くい
温 では多層 に物理吸着 し、温度 を上 げて い くと多 くは脱
こと、回折手法 に比 べ て長周期 の規則性 が必要 ない こと
な どの長所 を持 って い る。
離 して化 学吸着 した単分子層 のみが表面 に残 る。 さらに
温度 を上 げてい くとその まま脱離す るか、あるい は、解
離 した り表面で様々な化学反応 を起 こす。 このよ うな原
子分子 と固体表面 の相互作用 は、化学 における長 くか ら
最近、我 々 は、 くの字型 の S02を Ni基 板 に吸 着 さ
せ た とき、寝 た 構造 を とるが、Pd基 板 上 で は一 つ の
S‐ 0が 基板 と平行 に、 もう一つが基板 に立 つた構造 をと
の研 究主題 であった。 これ まで も この表面現象 はい ろい
ろな方法で調 べ られてきたが、新 しい手法 の開発 によ り、
る こ とを見 いだ した。 そ して、Ni基 板 上 に 1原 子 層
Pdを 蒸着 した表面 に S02を 吸着 させ る と、 ち よう ど中
また別 の側面 か ら分子吸着 の問題 を見 ることがで きるよ
うになる。我 々 は この56年 、放射光 を光源 にした表面
間 の吸着構造 を とる。 このよ うな基板金属の電子状態や
構造 の違 いによる分子 の吸着状態 の変化 は金属 と分子の
相互作用 を調 べ る上で非常 に重 要な知見 を提供 して くれ
XAFSと 呼 ばれ る手法 を中心 に して、様 々 な有機分子
の金属表面 での吸着、解離、脱離、化学反応 な どの詳細
を調 べ て きて い る。表面 XAFSは 内核 吸収端 近傍 の吸
それ よ り高 エ ネル ギ ー側 の幅
収微細構造 (NEXAFS)と
広 い吸収 に見 られ る波打 ち構造 (EXAFS)と にわ け られ
るが 、直線偏光性 を持 った放射光 の偏光依存性 を用 い る
│
る。 さらに、 この方法 を用 いて金属表面上での熱化学反
応 の追 跡 を行 っているが、基板 の状態 によって、単 な る
解離反応や、2S02→
S+S04や 3S02→ S+2S03の
よ
と、前者 か らは吸着分子の配向性 や基板か らの電荷移動
うな不均化反応が観測 されてい る。今後 の課題 として、
表面 XAFSを プ ローブ とし、放射光 のエネル ギー可変
性、偏光性 を利用 したサイ ト選別化学反応 による特異 な
量がわか り、後者か らは吸収原子 の吸着 サイ トや吸着分
表面新物質相の開発な どに取 り組 む予定 である。
│
―-28-―
脳 の光受容体 ピノプシ ンと生物時計
深
田
吉
孝 (生 物化学専攻 )
[email protected]― tokyo ac.jp
私 たちの睡眠・覚醒のように、約 一 日の周期 をもつ生
物 リズム を概 日リズム (サ ーカディア ン リズム)と 呼 ぶ。
を コー ドす る遺伝子 をクローニ ング し、 これが松果体 に
特異的 に発現 して い ることを突 きとめた。 この遺伝子産
動物 の概 日リズムは体 内 に存在す る生物時計 (概 日時計 )
によって支配 されてお り、時計細胞 で発生 した時刻 シグ
ナル にしたがつて、多 くの生理現象が制御 されて い る。
例 えば、脳の松果体 はメラ トニ ンとい うホルモンを夜 間
に活発 に合成 。分泌す る。「概 日Jと い う名 の通 り、 こ
物 は11シ ス型 レチナール と結合 して青色感受性 を示 した
が、そのア ミノ酸配列 はロ ドプシ ンな どの網膜光受容体
とは大 き く異 な り、進化 のかな り初期 の過程 で ロ ドプ シ
ンな どと分岐 した もの と推定 された。 そ こで、松果体細
胞 (pttea10Cyte)に 発現す る光受容蛋 白質 (opsin)と
い う意味 か ら、 この光受容体 を ピノプシン (pinopsin)
と名付 けた。全体 のア ミノ酸配列 はかな り異なるが 、 ピ
の生物時計 は 自分 自身 で「おおよそ一 日」の リズム を刻
○
んで発振 して い るが、 これ を正確 に24時 間 に同調 させて
い るのが、外界 の明暗 シグナルで ある。哺乳類 において
は、概 日リズム発現 に必要な 3要 素、 つ ま り光入力系・
発振系 。メラ トニ ン出力系 は 3つ の異なる組織 (そ れぞ
ノプシンは ロ ドプシ ンと同様、 7回 膜貫通型 の典型的な
G蛋 白質共役受容体 である。 したがって松果体 において
ピノプシンが受容 した光情報 は、 G蛋 自質 を介 して生物
れ網膜 。視交叉上核・ 松果体)に わかれて存在 してい る。
一 方、鳥類 な ど哺予L類 以外のある種の脊椎動物 の松果体
には、 メラ トニ ン出力系のみ な らず光入力系 と発振系が
時計 の発振系 へ流れ込み、その位相 を調節 して い ると推
定 で きる。 この光情報 の伝達経路 を探 る ことによ り、概
日時計 の発振系 の分子 メカニ ズムーつ まり生物が時 を刻
共存 して い る (図 を参照 )。
私共 は、 ニ フ トリ松果体 の cDNAラ イブラ リーか ら
む仕組 み ― を知 ることがで きるのではないか と期待 して
い る。
新 しい タイプの光受容体 (351ア ミノ酸残基 か らな る)
概 日時計 の光入力系
⑩
光 入力系
発振系
出力系
セロ トニン
困医コ↓
アセチルセロ トニン
H%.
松果体
視交又上核
→0→ 頭正 ン
H%
拗
iニ
墜
図 の説 明
哺乳 類 において は、概 日時計 の発振 系は視床下部 の視交叉
上核 に存在 す る。 ここで発生 した時刻情報 はニ ユー ロン を介
して、例 えば松果体 に伝 え られ、 メラ トニ ン合成 系 の酵素活
性 が夜 間 に急上 昇 す る。 NATは セ ロ トニ ン N― ア セチ ル転
移酵 素、 H10MTは ヒ ドロキ シイ ン ドー ル ー0-メ チ ル転 移
酵素 の 略。 この うち、特 に NAT活 性 が夜 間 に上 昇す るため、
メラ トニ ン合成量 が 日周変動 す る。松果体 で合成 され たメラ
トニ ンは血 液 中 に分泌 され、夜 間 に全 身 にゆ きわ たる。 また、
網膜 で受容 した光情報 によつて発振 系 の位相 は外界 の 明暗サ
イ クル と同調 す る。 これが光 入力系である。一方、 ニ ワ トリ
な ど、哺乳類 以外 の ある種 の動物 で は、光 入力系 。発振 系・
メラ トニ ン出力系 とい う 3要 素が一つの松 果体細胞 に共 存 し、
優 れ た実験材料 となる。
―-29-―
エチオ ピアにおける古人類学調査
諏
訪
su、va Outs2.s.u‐
古人 類 学 とは英語 の paleoanthFOp010gyの 訳語 で あ
るが、時 々 間違 えられ るように「古 い」人類学 もしくは
元
(生 物科学専攻)
tokyO.ac.ip
ラ ミグス として1994095年 に発表 した。当時 は歯牙形態
特徴 を中心 に結論 を導 いたが、以後 、追加標本 が相当数
出土 してお り、より全 身 レベルの解明 を 目下進めている。
コンソ遺 跡群 は、日本・ エチオピアの共同調 査 として、
「古 い人類」 の学 を意 味す るのではな く、化石記録 を活
用 し人類進化 の実体 を可能 な限 り解明す る ことを目指す
研究分野 である。狭義 には化石人類 そのものに関す る研
究 を意 味 し、広義 には先史学、年代学、古生物学、古環
1993年 よ り継続中 である。約 140か ら190万 年前 の遺 跡 で
あ り、人類化石 としてはアウス トラロ ピテクス・ ボイセ
イとホモ・ エレク トスが 出土 してい る。本調査地 の層序 。
境学 な どの側面 をも包括す る。当分野 の発展 には「発見」
といつた、研究者側 が コン トロールできない面 もあるが、
年代・ 古地形 の大枠 が 目下整理 されつつ あ り、今後 は出
世界各地 で年々 、質、量 ともに充実 して きて い る化石標
土す る動物相、先史遺物 な どの解釈 をよ り詳細 に進 める
本 の蓄積 は偶然 によるもので はな く、的 を絞 った学術調
査 によるもので ある。
予定 で あ る。 哺乳動物化石 として は 同定可能 な もの約
7000点 ほ どを採集 。発掘 し、 この うち16点 が人類化石で
我 々 の研究グルー プは10年 前か らエ チオ ピアで野外調
ある。標本 のキ ュレーションな らびに研究 は全 てエ チオ
ピア国立博物館 にて調査隊員 が行 うため進行 には ままな
査 を継続 している。調査活動 は様 々で あるが、地溝帯 に
おける系統 だ った遺跡・ 化石産 出地 の分布・ 性状調査、
特定調査地 の再評価、特定調査地の重点調査などを含む。
主だった成果 はアフ ァール三 角地帯 のアワッシュ川中流
域調査 お よびエ チォ ピァ地濤帯南西端 の コンソ遺跡群調
査 によって得 られて い る。前者 の一環 として、類人猿 と
││
らない ものがあるが、古生物標本 の一 次同定作業 にを終
え、オル ドヴァイ渓谷、 トゥルカナ湖周辺の同時代動物
相 とは予想外 に異 なる面 が多 い ことが判明 し、 日下、 こ
れ をさらに分析 中である。 コン ソのボイセ ィ猿人標本 は
世界 で も第二 級の ものを含 む。 目下、既存 の他地域標本
ア ウス トラ ロピテクスの特徴 が混 在 す る440万 年前 の人
類祖先 を発見 し、 これを新属新種 のアルディピテクス・
との比較研究を進 めて い るが、や は り独特な形態特徴が
目立 ち、同種 の多型性 を強 く示 唆 してい る。
Q
コンソ遺跡群 か ら出土 したア ウス トラ ロ ピテ クス :ボ イセ イ
の頭蓋骨化石 、 142万 年前 の推定年代 をもつ。
-30-―
ヒ トゲ ノム多様性保存 システム としての民族の細胞銀行
石
tぉ
と特異性を土台 として研究がす
人類学のように多様性 ‐
―
の個体 に関する
すめられる分野では、多 くの集団、多 く
データーが必要です。 そこで、血液 を中心 として生体試
料を得 るフィール ドワークが多数な されてきましたが、
生命科学 の技術 の進歩に,と もない遺伝子 を、 しかも、生
きた.状 態で将来 に残す ことが重要 になってきました。折
しも、人類の遺伝的多様性 を保存する、すなわち、世界
の民族を対象 とした細胞銀行 をellる とい う動 きが、アメ
リカ主導型の事業 として計画 されました。 その計画 では
数百万 ドルかけて、世界の却0民 族か ら 1万 人規模のバ
ンクを倉1る とい うものでした。 日本においても早急 な体
制作 りの必要性 を感 じたのですが、先立つ ものが不如意
であるため思うにまかせ ませんで した。
そこで「 フィール ドか らラボヘ」 。「安 い 。易い」を
目指 して、古 い試料や少ない試料か ら簡便 で安全な方法
で細胞株 をつ くる技術改良 に取 り組 むことにしました 。
その結果、採血後 3日 以内 と言われていた ものが、10日
経 つた lccの 血液か らで も効率 よく細胞株化 できるよう
にな りました。 また、費用 に関 して言 えば、欧米 で 1検
‐
田
貴
)
文 (生物科学専攻‐
nda@u虚 .s.u,tokyo.acJp
体当た り200ド ルかかる ころが、我々の技術 では現在
6,000円 代 まで軽減されました。経費の点から未だ この
領域 に参入 していない国内外 の研究者 にとつては福音 と
.と
なるでしょう。過去14年 にわた リアジアの色々な民族 の
調査 とラボワークをしてきた経験 を活かして、 これまで
に20民族 800検 体、す なわち、 ヒ トゲノム多様性計画 の
1割 近 くが達成 されてしまいました。
本研究遂行の過程 で得 られるヒ ト細1胞 株 は、 もちろん
倫理的な問題 は これか らも検討 していかな くてはな らな
や変異
いのですが、遺伝的変異研究、1遺 伝性疾患の研究‐
原検索等、多研究分野で利用可能 な人類の共 有 しうる知
的資産 として期待 され ます。現在 ヒ ヽゲノム多様 陸計画
は HUGOの 企画にも盛‐
り込 まれてい ますが進んでい ま
せん。私たちの研究 は立ちはだかる障壁 を低 くし、 ヒト
ゲノム多様 性計画にお ける情報発信基地 として ヒ トゲノ
ム計画 にも貢献できるで しょう。実際、イ ンドネシア・
シンガポール・マレーシア・ タイの研究者への講習 もお
こない、国際交流 も含 めた技術移転 にもお役 に立てたよ
うです。
マ レー半島 の先住民マニ族 と共 に (1989年 の調査時 に撮影。 さて、 この写真 の中に日本人は何人 いるで しょうか ?)
-31-
動物硬組織 の結晶内タ ンパ ク質
返
藤
―
佳
(地 質学専攻)
[email protected]― tokyo.acip
もし20世 紀 の科学 の成果 をただの一文 しか21世 紀 に伝
えられな い とした ら、「物質 は原子 か らで きて い る」 と
れて い ると予想で きる。 しか も単 に系統推定 の指標 とし
て使 うのであれば、 その情報量 において DNAと 遜色が
な い。 さ らにタ ンパ ク質 は、無脊椎動物 の硬 い分泌物
い う文章 を伝 える、と述 べた有名な科学者 がいるらしい。
異論 もあろうが、先 の文意か ら敷 衛 され る微視的な (原
子、分子 レベル の)も のの見方が今世紀 の科学 に多大 な
(貝 殻やサ ンゴな ど)と
い うご く普通 に産 出す る化石 に
も含 まれ る。特 に、 これ ら動物硬組織 を構成す る個々の
鉱物結晶の「中」 に存在 が知 られるもの (結 晶内タ ンパ
ク質 )は 、化石中 に保存 され る可台旨性が高 い。ア ミノ酸
のラセ ミ化率 を利用 した地 層 の年代測定 も、 こうした結
晶内タ ンパ ク質 に着 目す ることによって精度 が高 まると
影響 を及ぼ した ことは確 かだ。意外 に思われ るか もしれ
ないが、 そのような影響 を受 けた分野の一 つに古生物学
も含 まれ る。 1950年 代 か ら60年 代 にか けて、化石や地 層
中 に残 された有機分子 の研究 を行 う分野 として分子古生
物学 は誕生 した。
当時 は、炭化水素やア ミノ酸な どの低分子化合物 が研
究対象 の 中心 であったが、その後、タ ンパ ク質 (ペ プチ
予想 され る。
また これ らの動物の硬組織 は、例 えば幾 多 の貝殻 を想
像すればわか るように、美 し くも多様 な姿 を見 せ る。 こ
のきわめて精巧 なセラ ミックスを生物 は常温常圧 で合成
ド)が 分子化石 として知 られるようにな り、80年 代 に入っ
て DNAが その リス トに力日
わ つた。低分子の分子化石の
│
しているが 、 それには硬組織 に含 まれ る有機物 (特 にタ
ンパ ク質 )が 重要な働 きをして い るとされ る。 また、進
研究 は特 に過 去の環境 の指標 としてその地歩 を固め、一
方化石 DNAの 研究 は一 世 を風靡 し、少な くとも過去 5
万年 の絶滅生物の系統関係の推定 において市民権 を得 た。
その中 にあって、化石 タ ンパ ク質 は置 き去 りにされた感
化史的 に、動物 における硬組織形成 は、約 5億 5千 万年
前 の「カンブ リア紀の爆 発」 に端 を発す る。 しか し、 そ
がある。
しか し、化石 タ ンパ ク質 も捨てた ものではない と私 は
れが どのよ うな過程で成立 したのか まだ説明 がついてい
ない。 もしか した ら、硬 組織 に含 まれるタンパ ク質 にそ
の謎 を解 く鍵 があるか もしれない。 そんな ことを考 えな
が ら、現 在結 晶内タ ンパ ク質 の一 つ (ICP-1)を コー
ドす る遺伝子 のクローニ ングを行 っている。
思 う。 その理由の一つは、潜在的な保存量の豊富 さであ
る。ペ プチ ド結合 の強度 か ら考 えて、DNAが 保存 され
てい る特殊 な化石 においては、必ずタ ンパ ク質 も保存 さ
●
AneLrtl●
d:lll●
●
●(1な 〕
Antlserun dilutlo■
(1た )
図 :絶 滅 した腕 足 動物 の 貝殻化 石 (1:8万 年 前、 2:100万 年 前 )か ら検 出 され た タ ンパ ク質 。 現 生 2種 の 結 晶 内 タ ンパ ク質
に対 す る抗 体 を用 いた結果 をそれ ぞれ示 す (横 軸 抗 血 清 の 濃 度 、 縦 軸 :反 応 の 強 さ)。 形 態 学 的 に近 縁 と され る種 に対 す る抗
血 清 は 100万 年前 の化石抽 出物 とも反応 す る (下 段 )。 コ ン トロー ル は同 じ地 層 か ら採 集 した 二 枚 貝化 石 の 抽 出物 。
:
一-32-―
活断層 の地下構造 を探 る
池
田
安
隆 (地 理学専攻 )
ikeda(Dgeogr.s.u‐ tokyo.ac.jp
日本列島は、年間数伽 か ら10cmの 速 さで動 く海 のプ レー
トによって圧縮 されて変形す る一種 の造山帯 である。 プ
最初 の実験 は、昨年 7∼ 8月 に秋 田県 の千屋断層 を横
切 る長 さ6.5kmの 測線 で行 った。 この断層 は1896年 の陸
レー トの収東運動 によって生 じる応 力 は、地殻 の上 部
(15 20km以 浅 )で は主 として無 数 に存在 す る断層 が ず
羽地震 の震源断層 であ り、我々の実験 は図 らず も震災 10
0周 年 目に行 われた。 三 度 目の実験 は、中部地方 を南北
れ る ことによって解消 され る。 日本列島の活断層 は数千
に横切 る大断層 である糸魚川静岡構造線 の北部、神城盆
地で昨年 10月 に実施 した。 両実験 とも、全国 の大学 か ら
年 か ら数万年 に一度 の割合 で くり返 し活動 し、その際地
震 を発生 して大 きな被害 をもた らす。一 方、下部地殻 と
15名 を越 える研究者 (学 生 を含む)が 参加 した。参加者
それ以深では地震 を起 こす ような急激 な破壊が発生 しな
いので、粘性流動 が生 じて い る もの と考 えられて い る。
の専門 は、地形学・ 地質学 。地震学 と多岐 にわた り、 ま
さに学際的な研究チーム となった。実験 で得た膨大なデー
変形様式の全 く異 なる上 部 地殻 と下部地殻 の境界 には、
ほぼ水平 に横 たわ る大規模 なすべ り面 (デ コルマ ンと呼
ぶ)が 存在 し、上部地殻内 に発達す る無数の活 断層 は こ
のすべ り面 に収叙 してい る と予想 される。地形 。地質学
タは現在解析中で あるが、予備的な解析 の結果、千屋断
層 は地下 l hnぐ らいで低角のデ コルマ ンに移行 し、ずれ
的 に観測 され る地表変形 のパ ター ンか ら見 ると、東北 や
中部 。近畿地方の地下 には、 この ようなデ コルマ ンが上
評価 に資す るばか りでな く、今後続 々 と蓄積 されるであ
ろう GPSに よる地殻歪 みデー タや欄密地震観測網 によ
る微小地震 デー タ とあわせて、断層 を駆動す るメカニ ズ
部地殻 の もっと浅 い部分 にも何層か ある と推定 されるが、
その実体 はほ とん ど分 かって いな い。我 々が空 中写真判
読 や地表踏査 でマ ッピング した活断層 も、ひ と皮ふた皮
の総量 が 2 kmを 越 えるらしい ことが分 かった。
活断層 の地下構造 の解明 は、内陸直下型地震の危険度
ムや 日本列島の現在 のテク トニ クスを理解す る上で重要
な役割 を果たす と考 えられ る。
と地 層 を剥 いでい けば、恐 らく様相 は一変 して しまうに
違 い ない。
我 々 は、平成 8年 度 に地 震研究所 に導入 された反射法
地震探査 システムを用 いて、活断層 の地下構造 を解 明す
る研究 を始めた。反射法地震探査 とは、人工的に発生 さ
せた地震波 を用 いて地下の地質構造 を探 る調査技術 であ
り、石油資源の探査 を目的 として高度 に発達 した。地震
研究所 に導入 された システムは、広帯域 のスイープ震源
とデジタルテ レメ トリー方式の受信/記 録装置か らな り、
最大 2 km程 度 までの深度の地下構造 を高分解能で探査で
きる。さらに高エネルギーの震源 を用 いれば、地殻 スケー
ルの探査 にまで対応で きる本格的な システムで ある。
写真 :震 源 車。荷 台 中央 の白い箱 は油圧発生装置。荷 台最後
部 に付 い て い る油圧 バ イブ レー ターで路面 を揺 す る。
長野 県神城盆地 にて。
西
東
図 : 千屋断層 (秋 田県)で の反 射記録 (shot gather)の 一 lJl。 横軸 は探査測線 に沿 う距離 i縦 軸 は時 間 (往 復走時 )。 10m間 隔
で 180チ ヤ ンネ ル分 配置 した地 震計 の波 形記録 を沢1線 に沿 つて並 べ てあ る。発信 点 の位 置 は図 の 中央 やや右 よ り。地下 の地 層境
界 か らの明瞭 な反射波が とらえ られて いる。
―-33-―
環境変化 へ の適応過程 にお け る情報伝達機構 の はた ら き
岡
良
okay@n■ mbs
イオ ンチャンネルは神経細胞 に存在 して脳内の電気的
信号 の生成 に関 っているだ けでな く、内分泌細胞や卵細
胞・ 精子等 にも広 く存在 して細胞外環境が細胞内情報伝
達系の トリガーを引 く際 に有効 に使われている。私たち
は、環境 の変化 に適応す るために動物 が進化 の過程 で獲
得 した情報伝達機構 の重 要な担 い手 としてのイオ ンチ ャ
て常 に一 定 した応答 を示すので はな く、環境の変化 を的
確 に受 け止 め、 これに対 して適 応的 かつ合 目的的に柔軟
な応答 をす る能力 を備 えて い る。 これ を可能 にしている
のが情報 の伝達系 としての神経系 。内分泌系である。私
たちは、環境変化の受容系 と行動 。内分泌的適応 の仲介
をす る重要 な役割 を演 じて い る ものの 1つ がペ プチ ド
ニ ューロン系 であると考 えてい る。本研究 で主な対象 と
す るゴナ ドトロピン (生 殖腺刺激 ホルモン)放 出 ホルモ
ン (GnRH)は 、視索前野で産生 され、外的 。内的環境
の変化 に応 じて正 中隆起 に投射す る軸索終末 か ら分泌 さ
れて下垂体 か らの ゴナ ド トロピン放 出を調節す る「 向下
垂体 ペ プチ ドホル モン」 として従来 か ら知 られてきた。
(臨 海実験所)
この際 GnRHニ ュー ロン は感覚情報 か らホルモ ン分泌
へ の情報変換 の役割 を担 っている。私たちは これに加 え
て、正中隆起 ではな く脳 内に広 く投射 して各脳部位 の機
能 の調節 にかかわ る神経修飾物質 として働 くと考 えられ
る終神経 GnRH系 お よび中脳 GnRH系 の存在 を証明 し
て きた。 この、構造的・ 機能的 に多様 な GnRH神 経系
ンネル と細胞 内情報伝達系 に注 目 して主 に 2つ のテーマ
について研究 を進 めている。
ペ プチ ドニ ューロン系 動物 は外界 か らの入力 に対 し
隆
s.u‐ tokyO.acip
の存在 の証明 は私 たちが魚類脳 の特性 を生か して、世界
に先駆 けて証 明 した。本研究 で は、脊椎動物 の GnRH
神経系 を主な題 材 として、脊椎動物 が環境変化 に対応 し
て柔軟 な生理 的応答 をする基礎 としてのネ
申経系 。内分泌
系 における細胞 内情報伝達機構 の しくみを、主 に生理 学
における最先端的手法 を用 いて、 また、生化学的・ 分子
0
生物学的手法 も取 り入れなが ら解明 しようとしてい る。
卵細胞・ 精子 卵細胞・ 精子 の活性化等 については従
来主 に生理化学的な手法 で研究 されてお り、活性化 に必
要な細胞 内情報伝達系 をイオ ンチャ ンネルが トリガーす
る ことが示唆 されて きた。私 たちはそのメカニズムをよ
り直接的に探 るため、従来 この分野 ではあま り用 い られ
て こなかった電気生理学や分子生物 学 の手法 を用 いた研
究 を始 めている。
ホルモ ン・神経伝 達物質
0
σ ″ R物
解
Na+
●
奉
IN4rtor)
kol
神
糧
堀
胞J」LL
興 奮性
●
興奮性
0
●
神燿 堀 胞 興奮性 ●
終神経 GnRH系 の神経修飾作 用 に関するモデル。
―-34-―
中
0
ミュオ ン触媒核融合実験 の進展
水
嶺
謙
忠 (中 間子科学砒
nagamine‐ @nlslaxp.kё kjp
センター・ 理研 )
松崎禎市郎・ 石田勝彦・ 中村哲 (理 研 )
坂元 員一・ 河村成肇 (中 間子科学研究 セ ンター)、 他
i)T濃 度 30%の 液体 D― Tで ,
重 い電子 と考 えられ る素粒子負 ミュオ ンが触媒 し、寿
合中性子発生数 は140∼ 200個 にな り、 T濃 度 の最適化
によ り、科学的 ブレー クイーブに対応す る300個 /ミ ュ
命百万分の 2秒 の間に連鎖的 に誘発する 2重 水素 (D)と
3重 水素 (T)と の間 の核融合現象 の研究 が、理研 。東大
理 。原研 ア イ ソ トー プ 部・ 電 総研 ・ RAL(英 、 ラザ
フォー ドア ップル トン研 )の 共同研究チームによって大
オ ンに近 づ く条件 が得 られ る ことが期待 され る。
ii)X線 スペ ク トル
きな進展 をみた。 この実験 は、 14MeV核 融合中性子 と、
反応生成物 4 Heに ミュオ ンが 付着 し連鎖反応 の終止 に
対応する特 陛X線 とを、同時 に測 ることを行 っている。
10年 程前 に中間子科学研究 セ ンターKEK分 室において
始 め られた実験 手法 を、理研が RALに つ くった ミュオ
ン施設で得 られる大 強度 パル ス状 ミュオ ンビーム とTが
崩壊す ることに よって生 ず る 3 He不 純物 を完全 に除去
してい る高純度標的系 とを駆使 し、最先端 の実験 が進行
して い る。 次 の ことが判 つた。
ミュオ ン 1個 当 りの融
(図
1)か ら得 られ る4 Heへ の ミュ
オ ン付着率 は0.4%以 下 であ り、理論 の予演10.6%と 異
なっている。
ili)4 Heに 付着 した ミュオ ンか らの原子 X線 は、 Kα
(全 量 子数 n=2→ n=1)が 主体 で、Kβ (n=3
→ n=1)が 理論予測 に比 べ非常 に弱 く、興味 ある未
知 の原子過程 を示唆 してい る。
iv)団 体 D― Tで は 3 Heの 累積 に よる核融合 回数 の著
しい減少 が 観浪1さ れていて、 3 Heの その場除去の重
要性 を示 して い る。
この実験 は、本年夏頃 に完結す る予定 である。
DT Liquid(80-2080n3)
¨
¨
師
山
X-ray
810
x-roy Encrqy (kcv)
図
1
強 力 なパ ルス状 ミュオ ン と高 純度液体 D― T(T濃 度 28%)標 的 をもち いて得 られ た ミュオ ン・ アル ファ付着現象 による
X線 のスペ ク トル。 Tの ベ ー タ崩壊 の制動輻射 バ ックグラ ウン ドの上 に8 2KeVの Kα X線 が きれ いに見 えて い る。
―-35-―
地 震 の傷跡 は どの ように癒 されて い くのか
五 十嵐
丈
二 (地 殻化学実験施設 )
[email protected]‐ tokyo.ac.jp
今 や、「活 断層」 とい う言葉 は広 く人 々 に知 られ るよ
うになった。活断層 は、地震 の傷跡 である。地震 によっ
深部 の間隙水圧変化 が 断層破砕帯 とその周辺 にどのよう
な影響 を及ぼすかを調 べ るのが 目的 である。期待 され る
て 出来 た傷跡 は、長 い年月をか けて癒 されて い くが、や
変化 は、地下水の流動電位 による地電位変化、誘発地震、
そして隣接す る深度 500mと 800mの 観測井 の水位 と湧出
量変化 な どである。我 々が担当 して い る水位 と湧出量 の
がて地 殻応力 がその破壊限界強度 に達す ると、再 び地震
が発生す る。地震が一 度発生 してか ら同 じところで再 び
発 生す るまでの一 サイクル は、 内陸のマ グニ チ ュー ド7
クラスの地震 の場合、平均 して数千年 とされて い る。
兵庫県南部地震 で淡路島の北西部 に現れた地 震断層 は、
淡路島の地下深 くで開始 した地殻 の破壊 が 巨大 な活 断層
に沿 つて約 17mも 上昇 して地表 まで達 した ことを物語 っ
てい る。 この ような、出来立てのホヤホヤの巨大 な傷跡
は、内陸地震発生 に至 るメカニ ズムを理解す るうえでき
観測 によ り、地下深部 の断層破砕帯 における平均的 な透
水率が推定 できる。
ところで、兵庫県南部地震 に伴 って淡路島北部 の広 い
地域で地下水や温泉の異常な湧出がみ られた。 これは地
震 によって地殻 に微小 な亀裂 が形成 され るな どの変化 が
起 こ り、帯水層 の透水 率 が高 くなつたため と考 えられる。 O
地表で観察 され る異常湧水 は徐 々に地震前の状態 に戻 り
わめて貴重な研究対象である。 この傷跡 を、地表 だけで
つつ あるが、深部 の断層破砕帯 では地震 発生後 2年 以上
な く地下深部 まで調査す るために、「断層解剖計画Jが
経過 した現在 で も、高 い透水率 が維持 されて い る ことが
期待 で きる。やがて地下水 に溶 けて い るミネラルの析出
な どにより亀裂が塞がれて い き、 それに伴 って帯水層 の
国立大学や国立 の研究機関 の共 同研究 として開始 された。
断層破砕帯 を縦、横、斜 めに切 るように、深度 500m,
800m,1800mの 3本 の井戸 が掘 削 され,様 々な分析 が
行われ て い る。地殻化学実験施設 では,掘 削 された井戸
の地下水 の水位 と湧出量 の連続観測や,井 戸 の掘削時 に
採取 された深部断層岩中 に含 まれ るガスの同位体比測定
な どを行 い、断層解剖計画 に寄与 して きて い る。
1997年 2月 9日 か ら13日 の 5日 間 にわた り、深度 1800
m観 測井 にお いて注水試験 が行われた。注水 による地 下
透水率 も低下 して い くだ ろう。 しか し、地震直後 の地殻
の癒 着過程 を実際 に観測 した例 はな く、 ほ とん どわかっ
ていない と言 って よい。 (数 千年 とい う内陸地震サイク
ルの タイ ムスケール と比較すれ ば、地震後 2年 経過 した
とはいえ、「地 震直後」 である。)同 様 な注水試験 を5年
後、10年後 と繰 り返 して調査 を続 けて い く予定である。
淡路 島の野 島断層 における斜 めボー リングの様子
―-36-―
地上望遠鏡からの中間赤外線観測
片 n■A 宏
―
(天 文学教育研究センター)
[email protected]‐ tokyo.ac.jp
天文学の新 しい発展 をもた らす もののひ とつに観測技
術 の進歩 がある。 そして今 では γ線 か ら電波 にわた る電
る。
一 口に観測装置 の開発 と言 って もす るべ きことは実 に
磁波での観測 がなされ、 それぞれの波長域で さらなる高
多岐 にわたって い る。 その中には観測装置本体 の設計 と
その実現 に必要な技術開発 は当然で あ るが、 それだけで
はない要素 もある。
感度、高波長分解能、高空間分解能 をめざして観測技術
が進 展 してい る。
私 が今 とりくんでいるのは中間赤外 とよばれ る波長が
10か ら20ミ クロン程度の波長域 である。 この あた りでは
我 々の観測 にとって邪魔 な存在 である大 気 の吸収 の少な
い、 したがって地上か らで も観測で きる波長域 が ある。
│●
そして、 そのような大気 の窓 とよばれ る観測可能 な波長
域の中に、宇宙空間 に存在す る個体微粒子 か らの放射帯
や、比 較 的高 い励 起状 態 にあ る原子 の輝 線 を多 く含 んで
特 にこの中間赤外 とい う波長域では、望遠鏡 はもとよ
り大気 も透過率が比較的高 い といつて も残 りの放射率の
部分 で熱輻射 を出 して い る。 この熱放射 に取 り囲 まれた
状態 の 中での観測 を実現す るために必要な観測手法 を調
べ る こ とも重要 な開発要素である。
この 4年 間程 の間 に私 は、本番 の観測装置 の設計だけ
で な く、 この観測手法 を調 べ るためにプ ロ トタイプの観
上 げ る こ とが期 待 で きる。 それ は、望遠鏡 が 今世代 交替
測装置 を製作 し、観測 を行 って来 た。 その結果、望遠鏡
の副鏡 を振動 させ て 3Hz程 度 の周 波数 で観演1点 を変 え
ることが必要であるとい う こと、副鏡振動 では光学系 の
の 時期 にあ り、 これ まで の 口径 4メ ー トル 級 の倍 の8メ ー
わずかな違 いに起因す るオ フセ ッ トがのるので これ を補
トル 級 の ものが建 設 中 で あ る こ と と、 この波 長 域 で の2
正す るために数分お きに望遠鏡全体 のみる方 向を変 える
次元 ア レイ検 出器 が 開発 され たた めで あ る。
必要がある ことな どが はっきりして来た。
これ らの結果 は今建設 中の望遠 鏡 の副鏡制御 システム
い る。
この波長域 で の観 測 は これ か ら大 き く観 測 限界 を引 き
日本 で も国立 天 文 台 が 中心 にな ってハ ワイの マ ウナケ
ア山頂 に 口径
8mの 望 遠鏡 を建 設 中 で あ る。 私 は この望
等 にも反映 しつつ、あ と 2年 以 内 に迫 った本番装置 での
遠鏡 に取 り付 ける観測 装 置 の一 つ として 中間赤外 で の長
ス リッ ト分光 と撮像 ので きる観 測 装置 の 開発 を行 って い
観測 のスター トにむけて準備 を進 めてい る。
―-37-―
《
受賞関係》
日本植 物学会奨励 賞受賞 に寄 せて
西
田
生
貞5(生 物科学専攻
)
[email protected]― tokyo acip
化学系 Ⅱであ り、 もう一つは、光化学系で生産 された電
子 の エ ネ ル ギ ー を生 体 内 で 利 用 可 能 な還元 力 で あ る
NADPHに 変換 す る光化学系 Iで す。光合成 は、 エ ネ
ル ギー変換 のバ ランスが重 要で、 これを乱す ような要 因
に対 して阻害 をうけ、 た とえば強光条件下では電子 エ ネ
ル ギー過剰 による光阻害 をうけます。 また、低温 は、光
生物 科学専攻・ 植物 生態学研究室の園池公毅助手 (35
歳 )が 平成 8年 度の 日本植物学会 の奨励賞 を受賞 されま
した。園池 さんは、東京大学教 養学部・ 基礎科学科 の出
身で、大学院理学系研究科相関理化学専門課程 に進 まれ、
以来、光合成 の光化学系反応中心の研究 を続 けられて き
ました。 今回 の受賞 の対象 となった研 究 は、「光化学系
Iと その低温光阻害のメカニ ズムJと い うものです。
植物 が光 エ ネル ギー を化学 エ ネル ギーに変換 で きる唯
一の生物で あ る ことは、 よ く知 られていることですが、
この光 エネルギー変換 に直接たずさわるのが光化学系で、
これ には 2種 類存在 します。 ひ とつは、光 エ ネル ギーで
水 を分解 し、酸素 と膨大 な還元力 (電 子 )を 生 み出す光
合成 の光阻害 を促進 す るので、 これ を低温光阻害 と呼 び
ます。低温光阻害 は、植物 の低温感受性 とも関連 し、 そ
のメカニ ズムの解明 には、多 くの研究者 の努力 が注 がれ
て きました。 その結果、光化学系 Ⅱが低温・ 強光条件下
で損傷 をうけることが 明 らかになってい ます。 しか し、
園池 さんは、 自然界 でお こる植物 の低温傷害 は光の弱 い
明 け方 に もみ られ ることに注 目 し、弱光条件での低温光
阻害 のメカニズムについて研究 した結果、 その阻害部位
は、光化学系 Ⅱで はな く光化学系 Iで ある ことをつ きと
めました。 この ことが、今回の受賞 につなが る、大 きな
研究成果ひ とつので ある ことは間違 い あ りません。今後
の、園池 さんの研究の発展が、光合成基礎研究お よび植
物 の低温傷害の問題解決 に大 き く貢献す る ことをお祈 り
いた します。
《
留学生 か ら》
「おもしろい」
、「面白い」 !!
表
泰
秀
(天 文学専攻 。
修± 2年 ・韓国)
私 が 日本 に来 て もう 2年 が過 ぎました。私 として 日本
は初 めての外国で した。考 えてみると、最初 は何 にも分
国語 は文法的 に似 ているし、同 じ漢字文化圏であるか ら
と考 えて い ます。そのため、韓国 では日本語 の「助詞」
か らず大変 だった と思い ます。生活のためにも、研究の
ために も、一番問題 だったのは、何 より言語の問題、 日
だけ勉強 し、漢字 は韓国式 で読 み取 りなが ら、 日本の本
を読む人 もい ます。私 も日本 に来 て始 めの頃は、その方
本語 で した。
ここで は、今 まで 日本語 を勉強 しなが ら感 じた ことを
法 で本 や資料 か ら大体 の情報 を得 ることがで きました。
しか し、他 の人 との コ ミュニ ケー ションの場合、特 に何
い くつか述 べ たい と思 い ます。
かに対 して議論す る場 合 とか打 ち合わせの場合 について
は、上 の方法 は全 く困 る方法 で あ りました。
韓国人 として、 日本語 は他 の外国語 に比 べ ると勉強 し
やす い と言われ てい ます。 その原因 として、 日本語 と韓
他 の国 の外国人 も同 じだ と思い ますが、 日本語 を学ぶ
時 に一 番難 しい ことは漢字 ではないか と思 い ます。特 に
-38-
私 としては漢字 の発音 が 問題 で した。韓国語 では、 い く
つかの漢字 だけを例外 にして、一つ一つ の漢字 に対 して
何時 も発音が 同 じです。 したが って、漢字 で書 いてある
単 なる私 の推測 に従 うものですが、「面 白い」とい う単語
に対 しては日本 の伝統的な歌舞伎 が思い付 きました。昔々、
い ろんな町で歌 舞伎 が 開かれ ると人 々が大変喜ぶ ことか
場合す ぐ発音が分か ります。しか し、日本語の場合では、
同 じ漢字 が一つの文字 で書 いて ある場合 、二つ以上が結
ら
「面 白い」とい う言葉が生 まれたん じゃないかな と。「
大丈夫」に関 しては、男 らし く我慢 で きるか とい う意味
合 している場合、人 の名前 と地名 の場合等、発音が違 う
時 が多 いので難 しかったです。完全 に漢字 を表意文字 と
が含 まれて い るん じゃないかな と。「おめで とう(御 目出
度 う)」 の場合 は、意外 に成功す るとか良 い とがあると、
してつかっているん じゃないか と思います。
人の目が大 きくなる表情 のそのものを表現 してい るんじゃ
ないか な と。
日本 に来 て始めの頃、研究室の学生たち と夜食事 に行 っ
た時 に、 ほうれん草 サ ラダを注文 したい と思いました。
「 ほ うれん」 はひ らかなであ り、
「草」 は漢 字 で あるの
で、私 は、「ほ うれん くさサラダ くだ さい。」 と言 って し
●
当然 とも考 えますが 、言葉 (言 語 )に はその言語 を使 っ
ている人々の歴史や考 えを現 して い るとい う事実 をもう
一 度確認す ることにな りました。 そ して、 日本語 を勉 強
まったんです。 その時、隣の人が、「違 い ます。 ほ うれ
ん そうです よ。Jと 教 えて くれ ました。私 は、「なんで ?
これは単独 で書 いて あ るん じゃな い ですか。Jと 聞 きま
漢字以外 には、尊敬語 に関 してですが、韓国は儒教の
国 とも言われ ているように もっ と厳 しい と思います。特
したが、 その人 の説明 で は、「ほ うれん」 の漢字が難 し
いか ら、 ひ らかなで書 いてい るだけだ と答 えました。 こ
に学生 が 先生 を呼ぶ 時 には
「 OOO son_sen8inim」 と呼
び ます。 日本語では
「先生」に対応 しますが、韓 国 で は
「
厖 馘
魔 器
謀 鷲 力F懇 ぅ読 むのか
いが
か
らな
くて読 み間違
分
あるらしいですね。 それ を外
峻
国人 が読 み間違 って も不思議 ではない と思 い ますが、一
方、地名 に関 しては、漢字 で書 いて ある ことが難 しい こ
しなが ら新 しく面 白い ものを探 してい る気 が しました。
先生 (son_seng)」 だ けで は尊敬語 に はな りませ ん。 さ ら
に、 日本 に来 て普通 に学生 が先生 を
「○○○ さん」と呼ぶ
ことをよ く聞 きました。勿論、それは単 なる文化の差異
であるのは分 か ります。しか し、私 が使 うと思 うとち ょっ
と変な気持ち になって、 よ く使 えませんで した。
とで あ つて、その地方に住 んでいる人々のそのままの呼
び方 が生ていることは良 い ことで はないか と感 じていま
す。
先 に漢字 を見 て意味 を判断す ると言 い ましたが、次 に
言葉 を聞 いた らその単語 の漢字 を考 えてみ ました。 そこ
で、漢字だけでは意味が分 か らない ことも見 つ けました。
日本語の勉強 は、言語 とい うものに対 して い ろんな こ
とを考 える機会 にな りました。今の韓国では、ハ ングル
専用 の本 や新聞 が増 えてい るため、漢字 を読 めな い若者
たちが多 くなって い ます。 したがって、 日本語 を学 ぶ時
の大 きな一つの興味 がな くなる ことにな ります。 それは
「面」を顔 の意 味 で
「面 白い」 とい う単語、 もし
例 えば、
考 えると、顔 が 自い とい う意味 にな ります。韓国で、顔
残念 であることですが 、人 々が 自分 の考 えや意見 を述 べ
ることが、文字 の第一の 目的 であ り、漢字がな くて も不
が 自 くなった とい うのは恐 ろしい時 とか病気 の時 にそ う
言 い ますか ら、漢字 を見た時 に本 当 に面 白 くて不思議で
便 は感 じないので、悪 い こととは思 い ません。 日本 も自
した。他 の例 としては、「大丈夫」 とい う単語、 これの
分の言葉 を表すためには、漢 字 だ けでは不 十分 なのでひ
らがな とカタカナが作 られたん じゃないで しょうか。
韓国語 の意味 は
「男 らしい男」の意味 です。 したがって、
「あなた、男 らしい
「 あなた、大丈夫 ですか。」と言 うと
男ですか。Jと 考 えられ ます。「 おめで とう (御 目出度 う)」
は、 口が 出る程度 (?)、 何故 このよ うに書 い て
「祝 う」の
意味 になったんで しょうか。
私 の 日本語の実力 に関 しては、 まだ まだ足 りない と感
じて い ます。多分、博士 までの留学生活 が終わ るまでに
は上手 になろ うと思 い ますが、 その間 も隠れた宝物 を探
す気持 ちで 日本語 の勉強 を続 けた い と思 い ます。
上の例 に対 して、 その 由来 に関 して考 えてみました。
平成 8年 2月
理学部主催 のパ ーテ ィーでス ピーチする表 さん
―-39-―
科 学 の未来
生。
究
ニー
・プール∈警
アント
些
多
3≡う
雫
)
「人間の未来 は科学 にある」とよ く聞 きます。科学 は、
特 に20世 紀 に色々な人 間 の活動 のために必要 にな りまし
ぞれの分野 で伝 えてい る ことは情報 の氾濫 になってい る
のです。 こうなる と進歩 もしな くなると思 い ます。一つ
た。も し科学 が な くなった ら、商業、国 々の経済、地球
環境 もな くな り、健康問題や食糧 な どの問題 が世界中 に
増 えて くると思い ます。私 の意 見 はた しかに極端 ですが、
の分野 に集中 して も他 の分野 に関係す る研究者 が発見 し
た こ とをうま く伝 えなかった ら、 また、事実的に他の分
実 は私 たちの生活 には科学 と工 業 は絶対 に必要なのです。
そ して、現代 では科学 は人 間 の 中心 にあ ります。 そう考
野 の発見 や議論や理論な どをち ゃん と批判 で きなかった
ら、科学 の 目的 は哲学的でな くなって しまうと思 い ます。
えると、科学の原則 を守 ることも現代人間 の中心 である
と思い ます。
私 の考 えで は科学 は世界中 で変わ らなければな らない
と思います 。科学 の未来 について、ここで特 に二つのテ ー
マ に分 けて伝 えた い と思います。商業的な科学、情報時
代 、 それか ら事実的な科学 と言 った ら、内容が分か る と
思 い ます。
一つの大 きな問題 は、科学 がだんだん商業的な手段 に
な る可能性 が あ るとい う ことで す。 すでにある程度 この
ような現 象 は進 んで い ます。会社か らお金 をもらう こと
世界 中で多 くの科学者 によってデータがた くさん集 め
られて い ますが、 お金 は減 って きて い る状況 で、なるべ
くholisticな や り方で科学 を進 めていか なければい けな
い と私 は思 い ます。T.S.kulmと い う哲学者 の考 えは、
科学 のそれぞれの分野 につ いては反乱的 に進 化す るとい
う ことです。すべ ての科学 はそうい うふ うに進化 してい
るか もしれ ません。科学 の基本的な原則 は変わ らない の
に、科学 のや る方 法や approachは 進化 で きます。 そ し
て reductionist理 論 が 色 々 な理 由 で進 まな い場合、ho‐
listicな 考 えはちゃん とうまく使 える とい う可能性 が あ
るか もしれ ません。 もちろんその反対 もそうです。
は必要ですが、その会社 の 目的 と科学 の哲学 が違 う場合、
会社 が望 んで い る研究 をしなければな りません。 また、
その研究 の成果が会社 の 目的 と一致 しない場 合 も、科学
科学 の目的 とい うのは色 々な哲学 の問題 を事実的 に解
答す ることです。 この目的 を守 るため、科学 はどの通 り
者 は会社 との契約 のため、研究 の結果 を自由 に発表す る
ことがで きな くなるとい う状況 にもなって い ます。
学 の原貝Jを 守れば、哲学的な進歩、 それか ら自由な理論
しなが ら、商業、環境、社会 を絶対積極的に進 ませ られ
ると思 い ます。
次 に説明 したい ことは情報時代、 つ ま り情報 の氾濫で
す。生物学 を例 にとる と、 コン ピュー ター テ クノ ロジー
やゲノムテクノロジーな どの技術 が進歩す るにつれてデー
に行 ってるか ということを考 えなければな りませ ん。科
タは急速 に増 えてい きます。情報 の氾濫 はた い した問題
ではない と思われるか もしれませんが、問題 はただのデー
タは何 の役 にもたたない とい うことです。 もちろんその
データを作 つて い る研究者 の 目的 はそれだ けではあ りま
せ ん。 しか し現代 の科学のための予算 は全世界的 に少な
くなって い ます。そのため、次の段階に進 もうと思 って
も、お金の問題 でせ っか く作 つてお いたデータはデータ
ベ ースの まま残 って しまい、続 ける ことがで きな くなっ
て しま うような可能性 が あるのです。 このよ うな状況で
は、今 までのや り方 をそのまま続 けるわけにはい きませ
ん。 つ ま りあふれ るデータを少な い予算で どう生か して
い けばいいのか を考 えなけれ ばな らない と思います。
近代 の科学 はだんだん狭 い分野 を深 くほ り下 げるよう
な reductionist methodologyの 方向へ行 ってい ます。
それは もちろん必要であると思 い ます。 しか しそれだ け
で はな く、広 い視野 または色々な分野の科学者がお互 い
に意見 を交換 し、科学 を行わなければな らない と思 い ま
す。例 えば1図 の分野で、生物学者、医者、コンピュー ター
な どの工学者、心理学者 な どの関係す る科学者 が一 緒 に
研究 す ることが必 要 であると思 い ます。現在科学 のそれ
―-40-
平成 9年 1月 28日
理 学部主催留学生 パ ーテ ィーでス ピー チす るプール さん
0
《その他》
木 曽観測所 でヘ ールボ ップ彗星 を撮影
写真 は木 曽観測所 105cmシ ュ ミッ ト望遠鏡 を用 いて1997年 3月 6日 未明 5時 1分 ごろに青 い光 に感度 のある36帥 画乾板 にて撮影。
露 出時 間 5分 、写真 は乾板 か らの密着焼 きポ ジ。画面 の 角度 は 6度 × 6度 四方。彗星 までの,巨 離 は約 1億 5千 万 キ ロメー トル。
巨大 な コマ (先 頭 の 明 るい芯 )か ら、 プラズマテールが 北西 (右 上 )に 、 ダス トの テールが西 北西 (右 側 )に むか つてのびて い
る様 子 がわ か る。 プ ラズマテー ル は彗星 か らの電離 したイオ ンのガスが太 陽 系空 間 の磁 場や プラズマ (太 陽風 )に よ つて太 陽 と
反対側 にむか つて吹 き流 され た もので、磁 力線 の無数 の筋 が見 える、 ダス トテール は彗星核 か 弓吹 き出 した塵 の粒子 が太 陽 の光
の圧 力 を受 けなが ら軌道運動 を している もの。
祖父江 義 明 (天 文学教育研究センター)
[email protected],s.u‐ tokyo.acip
吉
井
譲
(天 文学教育研究センター)
yOshii@nltk loa s.u‐ tokyO.ac.jp
―-41-
東京大学情報学 リエゾ ン推進室発足式開催 される
東京大学情報学 リエ ゾン推進室は、昨年10月 に「情報
学教育 に関する懇談会」中間報告 (平 成 8年 5月 21日 評
議会)の 趣 旨に基づき、総長 の管理 の下 に、主 として東
京大学 にお ける多岐多部局 にわたる情報学 の教育研究体
制 を有機的 に結合 し、更 に創造 。発展するための教育研
究体制 の調査検討 を行 うことを目的 として設置 された。
これを記 して、 1月 17日 0午 後 6時 か ら山上会館 にお
いて、学内の関係者 の出席を得 て発足式が行われた。同
推進室の合原一幸助教授 の司会 によ り、吉川弘之総長 か
ら挨拶があ り、引 き続 いて、益田隆司理学系研究科長
(推 進室長)か
ら推進室の概要説明、武市正人教授 (工
学系研究科計数工学専攻長)か ら「情報学が 目指すもの」
と題 して、今後、推進室 の進むべ き方向 について説明が
あった後、鈴木昭憲副学長か ら祝辞 をいただいた。
式終了ののち:懇 談会 に移 り、蓮賞重彦副学長か ら祝辞
をいただき、岡村 甫工学系研究科長 による乾杯 の音頭
で祝宴 に入つた。祝宴は、 リエ ゾン推進室の出発 を祝っ
て終始和 やかな雰囲気 の中ですすめられ、午後 7時 50分
盛会裡 に終了 した。
発足式 にて挨 拶 をされる吉川総長
―-42-―
理学系研究科 1理 学部教職員 と留学生・外国人研究員 との懇談会開かれる
去 る、 1月 270午 後 6時 か ら山上会館 1階 談話 ホール
において、教職員 と留学生・ 外国人研究員 との懇談会が
開催 された。
現在、 理学系研究科・ 理学部 には、大学院留学生131
名 (男 性101名 、女性30名 )、 学部留学生 5名 (男 性 のみ)
及び25名 の外国人客員研 究員が在籍 してい る。今回の懇
談会 には、教職員 。チ ュー ター を含 め約120名 の参加 が
あった。
会は益田理学系研究科長の挨拶で始 まり、小間評議員‐
による.乾 杯の音頭の後、会場は和 やかな雰囲気 のなかで
歓談が続けらな 各所に活発 な国際交流の場が広 が った。
司会は国際交流室の都河講師 により行われた。
会半ばで、川回留学生センター長からの挨拶がぁり、
いて
留学生 2人 のスピーチが行われた 地質学専攻の
続
研究生謝冠園さん (台 湾、女′
l■ lは 日本の印象 と自分の
.。
●
-48-―
研究 について愛嬌たっぶ りに話 し、生物化学専攻 の研究
生アンソニー・ プールさん (ニ ュージーラン ド、男性)
は科学の未来について自分の考 えを述べ、その内容の濃
いスピーチには惜 しみない拍手が送 られた。
次 に、地質学専攻の研究生劉先文さん (男 性 )を はじ
め とする中国人留学生が集 まつて即席に「 ふるさとの春」
を合唱 し、 また、飛び入 りで客員研究員のお嬢 さん張美
中さんも可愛 い歌声を披露 して くれた。最後に、物理学
専攻の博± 1年 孫珍永さん (男 性)を 中│い に結成 された
韓国人留学生の合唱団が歌 を 2曲 披露 し、 とりわけ韓国
語 と日本語 で歌った 『釜山港へ かえれ』 は大きな喝朱を
あびた。
‐
最後に、理学系研究科国際交流委員会委員のグラー助
教授 (地球惑星物理学専攻)に │よ る閉会 の辞 があ り、全員
で記念写真を撮影後、午後 8時 に成功裡の うちに散会 した。
理 学系研究科長 と理 学部職員組合 との交渉
1996年 11月 25日 、 12月 24日 および1997年 1月 27日 に益
もらうと答 えた。 また、事務改善要望 のアンケー トの理
田研究科長、柚原事務長 と理職 との間 で定例研究科長交
渉が行われた。主な内容 は以下 の通 りである。
学部 での取 り扱 い を間 うた ところ、事務長 は専攻長 に教
官 のアンケー トはまとめて もらい、 い っさい手 を加 えず
本部 に提 出 した こと、理学部内で改善 で きるものについ
1.職 員の昇級 0昇 格等の待遇改善に関わる問題について
1)技 術職員
ては専攻長会議 にフ ィー ドバ ックし検討 して い く考 えで
ある ことを回答 した。
11月 の交渉で理職 は、技術部組織図 の主任 ポス トにつ
いて選考 の結果 お よび主任 ポス トを 4名 しか埋 めない理
由を質 した。 これに対 し事務長 は、 12月 1日 付 けで発令
の上 申を した と答 え、 4名 である理 由 は 1系 統 15人 で45
12月 の交渉 で理職 は、生物科学教室事務主任 の 6級 昇
格 を要求 した。 これに対 し、事務長 は 1月 の交渉 で、過
去 に退職 2年前 に 6級 昇格 した例 は係長歴が 10年 以上あっ
たためであ り、 これが一つの 目安 であると答 えた。 さら
に、平成 9年 度 は無理であろ うが、 10年 につ いて は可能
名 の組織 に対 しては、 3系 統相 当 のポス トしか うめ られ
ないためであると回答 した。 これについては、文部省 や
性 はあると回答 した。
東大本部 の指導をうけていると説明 した。 12月 の交渉 で
理職 は、局長交渉 で は先任技術専門職員 は部局 が要望す
3)図 書職員
れば何人で も認 めるとい う本部 の説明 があった ことを指
摘 し、理学部技術職員 の年齢構成 が50代 に山があ り、昇
格 をスムーズに行 うため先任技術専門職員 を増やす よう
要望 した。事務長 は、組織 のバ ランスを考 えると、専門
職員 を無制限 に増やす ことはで きな い と回答 した。組織
図は12月 の交渉後 に理職 に手交 された。
12月 の交渉 で理職 は、技術職員 の 6級 昇格 につ いて、
理学部 か ら本部 へ の推薦順位付 けの基準 を質 した。事務
長 は技術部長 を含 めて総合的 に判断 し、号俸 の他 に経験
年数、職務内容、採用基準、資格 な ども判断基準 として
い ると回答 した。 これに対 して理職 は、技術職員 の職務
その ものを正 しく判断すべ きで、学位 や資格 を判断基準
とす るのはおか しい と主 張 した。事務長 は職務内容 はも
1月 の交渉 で 、理職 は昇格 基準 を満 た して い る職 員 の
5・
6級 昇格要望書 を手交 した。 これに対 して、事務長
は 2月 に要望 をだす と答 えた。
4)行
(二 )職 員
理職 は毎月の交渉 にお いて、行 (二 )職 員 の処遇 改善
について要請 した。事務長 は、東大本部 で も理学部か ら
の要望 は承知 しているが、他部局 に年齢的 にも号俸 も上
の人が いてむずか しい と答 えた。 また、当該職員 の勤務
ぶ りは理解 してい るが、行 (二 )業 務以外 の ことは評価
対象 にな らない こと、具体的な数字 はわか らないがす ぐ
に順番 が来 ることはない ことを説明 した。理職 は引 き続
き昇格実現 に努力 して もらいた い と要望 した。
ちろん重要であ り、研究科長 も教授会で支援 を受 けた技
術職員 の名前 を論文等 に書 くことを教官 に求 めて い ると
2。
第 9次 定員削減 について
11月 と12月 の交渉 において理職 は、第
9次 の定員削減
説明 した うえで、 しか し学位 は技術職員 の向上 をはか る
もの として適切であると答 えた。
の理学部 へ の割当 にっ いて質 し、それ を返上す るように
1月 の交渉 で理職 は、昇格基準 を満た している職員 の
4・ 5・ 6・ 7級 の昇格要望書 を手交 して上 申を要望 し
要請 した。 さらに理職 は、定員削減 は教室系職員 とりわ
け技術職員 に集中す る結果 となってお り、定年者か ら定
た。 これに対 し事務長 は、 2月 に要望 を上 申す ると回答
した。
削 に割 り当てる ことを引 き続 き行 ってい くと技術職員 の
数 が ます ます減少 して しまうので、技術部長 である研究
技術職員 の専門行政職移行問題 について、11月 の交渉
で理職 は、国大協 の総会 における議論の 内容 と今後 の見
科長 は技 官 を定削 にまわすのは望 ましくないと外 に向かっ
て主張 して欲 しい と12月 と1月 の交渉 で要望 した。 12月
通 しについて質 した。研究科長 は、総会 では人事院等の
抵抗 があ り、現在 の枠組 みの 中で工 夫 して処遇改善 を図
の交渉 で、研究科長 は部局長会議 で受 けてきたので、割
当を返上す るような ことはで きない、 しか し、定員削減
る必要があると答 えた。理職 は文部省 は全大教 との会見
で官職 の設定 は困難 であ り、専門員・ 専門職員 な ど実現
はきび しい と述 べ、1月 の交渉で、理学部 へ の割当は平
成 9年 か ら13年 の 5年 間 で職員 は14人 助手 は 2人 である
と説明 した。技術職員 へ の定削 の集 中 について、研究科
可能 な ものを要望す るとい う非常 に後退 した形 になって
い ることを指摘 した。理職 は当局の対応 を質 し、事務長
は東大内部 では今 の ところ動 きはない と答 えた。
長 は技術職員 が定削 に関 しては一番弱 い立場 にある上、
さらに専行職移行 も困難 とな り、 これでは良 い人材 は来
2)事 務職員
ないので もっ と良 い処遇 がで きるように変 えてい く必要
があると述 べ た。理職 は、技術職員 へ の定削 の集中 に対
11月 の交渉で、理職 が今年 の昇格 に関す る方針 を質 し
たのに対 し、事務長 は事務 の活性化 をはか るとい う立場
か ら、 5年 以上同 じ場所 にいる人 に は積極的 に異動 して
●
す る理学部 の対応が理学部支援組織 の今後 にとって非常
に重 要 であ り、 この問題 について現状分析 を行 ってほし
い と要望 した。 1月 の交渉で、第 9次 定員削減 に対す る
―-44-―
●
壽榮松委員長 に話す と答 えた。
理学の対応 の方針 を質 したのに対 し、事務長 は、 2月 の
人事委員会 で検討す る ことになってい ると回答 した。
4.理 学部新一号館・ 理学部図書館の建設問題 について
3.教 室事務・ 図書職員 の組織化問題 について
12月 の交渉 で、事務 お よび図書職員の組織化 に関す る
の交渉 において理職 は理 学部 図書館建設の可能性
を質 した。研究科長 は新 1号 館 2期 工事 には含 まれて い
検討委員会 がで きた こと、 またその委 員会の メンバ ーが
明 らか となった。理職 は 1月 の交渉 で教室事務 お よび図
ない と答 えた。 これに対 し、理職 は理 学部図書館 が 2期
工事 に含 まれ ることは過去の科長交渉 において確認 して
書職員 の組織化 に関す る第一 回 の検討委員会 の内容 と、
今後 の予 定 を質 した。事務長 は、第一 回は現状 の勉強会
をや った と述 べ、 5月 頃 までにはまとめて、平成 10年 度
きた ことを指摘 し、無責任 な回答 をであると問題 とした。
の概算要求 に間 に合わせたい と答 えた。 また、職員 に対
する説明会 をし、教室の意 見 も反映 させ るつ もりである
部屋 について は確保 されていると説明 した。
と回答 した。 これに対 し理職 は、内容的 に重大であ り、
時間 をかけて十分 な検討 が必要 であるにもかかわ らず、
5.柏 キャンパス問題 について
平成 10年 度 の概算要求 に出す理由を質 した。事務長 は、
図書職員 の組織 についてはすでに 5回 くらい話 し合 いの
組織 の 内容 を質 したのに対 し、研究科長 は、理学部 の中
にワーキンググループ を二つ作 リアカデ ミックプラ ンを
場 を持 ち、組織化 に伴 うメ リッ ト・ デメ リッ トを検討 し
てお り、実施が遅れれば待遇改善 が遅れ る事 になると回
検討中であること、 また、柏 の研究組織 の構造 が決定 し
てい ないため職員 につ いては、 まった く検討 して い ない
ことを 回答 した。 12月 の交渉 では、東大 としてのプ ロ
12月
さらに、理職 は今後 の交渉 における責任 ある回答 を要請
し、科長 は同意 した。事務長 は、理学部休養室 と理職 の
11月 の交渉で理職 は、柏キャ ンパ スの進捗状況、職員
答 した。理職 は組織化 による待遇改善 の具体的可能性 を
質 した。事務長 は、現状 では教室 に専門職員 はおけない
が、組織化 によ りそれが可能 とな り 6・ 7級 へ の道 も開
デ ュー サー とア ドバ イザーが決 まり、アカデ ミックプラ
ンを作成 してお り、来年の概算要求 に出す予定 で まとめ
ける こと、図書職員 は現状 では停年時 6級 であるが、組
織化 して係長 や専門職員 をお くことによ り、待遇 は改善
ている と述 べ た。
いこより定員削
す る ことにな りうる こと、 さらに、組織イ
減 に対応可能 で あ ることを回答 した。理職 が教室事 務職
6.教 官任期制 について
員 の組織化後 の所属 を質 したのに対 して、事務長 は中央
所属 となると答 えた。理職 は拙速 に事 を進 めるのは問題
であ り、職員 との話 し合 いの場 を持 つ こと、研究科長 が
を問 うたの に対 し、研究科長 は教授会で正式 に決 まって
はいないが、将来計画委員会 な どでは理学部 には好 まし
委員会 に内容公開を指示す るよう要請 した。研究科長 は、
理職 は、教官任期制導入の問題 に関す る研究科の考 え
くない という結論 になってお り、 きわめて慎重 な態度で
望 む とい うのが現在 の立場であると答 えた。
―-45-―
人事異動報告
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椰
│
」
氏
鋤 鰊
考
期 昨 聯 鰺
恵猷 よ勁
博 士 (理 学 )学 位授与者
平成 8年 12月 16日 付学位授与者 (4名 )
種
別
専
攻
申 請 者 名
題
目
コンパ イル時 メタオブジェク ト・ プ ロ トコル に関 す る研究
志
自然言語処 理 にお ける推論の制御 に関す る研究
谷
聡
超伝導 トンネル分光 の実験及 び理論研究
上
努
アルゴンクラス ター イオ ンの断熱・ 非断熱過程 の理論的研究
情報科学
千
葉
〃
情報科学
宮
田
論文博士
物 理 学
柏
化
池
学
文
滋
課程博士
〃
論
高
平成 8年 12月 27日 付学位授与者 (1名 )
種
別
課程博士
専
攻
楊電瘍曇
申 請 者 名
宮
崎
明
子
論
文
題
目
窒素 と希 ガスの シ リケイ トメル トヘ の溶解度の研究
平成 9年 1月 20日 付学位授与者 (5名 )
種
別
専
攻
申 請 者 名
論文博士
情報科学
吉
〃
情報科学
タイ チュウ ラン
〃
物 理 学
樋
上
〃
物 理 学
武
〃
生物科学
出
浦
裕
論
文
題
目
不完全表現か らの意味 の復元 モ デル を用 いた理解方式の研究
モ デルす るための レーブグラフに基づ く位相幾何 モ デル と
据警 雫害更 畠面法
弘
可積分系および長距離相互作用 をもつ模型 の研究
田
靖
回転 クエ ッ ト体系 での流れの遷移
田 立
郎
雰量轟 省轟新借富掌ξ屏勇
和
および男性 ホルモ ン・ レセ プター関連遺伝子
平成 9年 1月 31日 付学位授与者 (1名 )
種
別
課程博士
専
攻
楊電拶曇
申 請 者 名
羽
鳥
友
平成
種
別
専
彦
申 請 者 名
課程博 士
地 質 学
阿波根 直 一
〃
物 理 学
佐
化
飯 塚 泰 雄
学
蟹3曹 諄更芳島用
9年 2月
攻
論文博 士
論
甲 博 之
〃
地 質 学
金
〃
物 理 学
中 山 一 昭
聖 烈
文
題
目
いた DSMに よ る理論地 震波形計算 とその波形 イ ンバ
17日 付 学 位 授 与 者
論
(5名 )
文
題
目
北西太平洋 における過去12万 年間の生物起源粒子の堆積過程
11.7AGeV/Cに おける Au+Au衝 突か らの反陽子生成
二酸化モ リブデン表面の活性酸素の挙動 とCOお よび H2の 酸化反応機構
落進醤ゐ善響る こ
ナ 映像資料処理による韓国東南海域迎 日湾における
非線形力学系の幾何学的な方法による解析
-47-―
編集後記
弄 ホ 襲 夫‐
刺嘲
遍 鑢 舅 嗜 鋤 職
u鰤
:∝書
1平
成 8年度理学部広報の最繹号鋪蓬号をお届峨いたします。今年度最初で最後のこの幅築後記
,た だきました選犠方に1御 札申し上げます.令奪疲はk年 間 4号糠術の計
で、この 1斜聞ご寄続し
,
1画 が久しぶりに実現でき、また、内容的 にも留学生の書様からの文章躍掲載し、研究 ニユース欄
‐
とができました。 こ瀑は、1黎
を大き くするなど、充実したもの とするこ―
│
部の輛
のお陰によるものであり、編集委員¬同深 く感謝いたしますЪ
ま
,あ る.と 恩〉
ます。 しか「
憎糠廻多のいわれるこ,の ごる、読 ま:ず 瞳捨てられる.理学部広報 も数多 く
´
し、す 0館でど・
れな人がどんな撤 をしているのかは1と んどわからなくなって採てい.遮 こ輔
に、理学部広報はきヽ
しろ右相になブてきている│よ うに賤います
=
―
1理学部腰報の原稿や菱紙の写真贖ぬつでも募集しております詳内容、形式につし
ヽ
ては特に親姫
はあ)ま せ.ん ので、各号館の編集委員 (1広 報0未 足にリス トが│あ ります)ま 贅ぱ理学部庶務掛ま
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