KN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル)

2014 年 7 月 28 日
横浜市 市長 林
横浜市教育委員会
文 子 殿
教育長 岡 田
優 子
殿
一般社団法人 日本建築学会関東支部
支部長 長谷見 雄二
KN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル)および旧三井物産横浜支店倉庫の
保存活用に関する要望書
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
平素より、本会の活動につきましてご理解とご協力を賜り、厚く御礼を申し上げます。
さて、今般、横浜市中区日本大通り所在のKN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル。
以下、事務所ビル)及び旧三井物産横浜支店倉庫(以下、倉庫)について、新たな活用計
画があり、とりわけ倉庫に関しては、取り壊しを検討されている旨、伺っております。
両建物は、本会によるわが国の近代建築の調査研究をまとめた『日本近代建築総覧』
(1980
[昭和 55]年刊行)において、特に価値の高い近代建築として掲載されている他、貴市都
市デザイン室企画『都市の記憶 横浜の近代建築Ⅰ』
(1991 年)にも詳細に取り上げられる
など、価値ある建物として広く周知されていること、ご高承のことと存じます。
1910(明治 43)年 7 月の倉庫竣工に続き、1911(明治 44)年 8 月の事務所ビル竣工、
1927(昭和 2)年の事務所ビル増築を経て今日に至る両建物は、日本の鉄筋コンクリート
造の先駆者、遠藤於菟により設計されました。倉庫には、屋根・柱を鉄筋コンクリート造、
壁を煉瓦造、床を木造とするユニークな混構造が用いられており、事務所ビルにおいて全
面的に採用された鉄筋コンクリート造を、倉庫にて試験的に導入した遠藤の創意が看て取
れます。すなわち、この事務所ビルが日本最初の全鉄筋コンクリート造のオフィスビルで
あることを鑑みれば、両建物は、日本における鉄筋コンクリート造の成立過程を示すきわ
めて貴重な建物群として位置づけられます。また倉庫は、新港埠頭煉瓦倉庫(通称赤レン
ガ倉庫)より古く、横浜に現存する最古の倉庫建築としても、高い歴史的価値を有します。
さらに、両建物は日本屈指の生糸貿易商社の横浜における拠点建物であり、事務所ビル
のみならず倉庫ともに、明治期の創建のまま現存するきわめて希有な例として、日本の近
代史上高い価値を有するだけでなく、横浜開港の歴史を象徴する日本大通りの都市景観を
構成する貴重な建築としても、広く市民に親しまれてきたことは言うまでもありません。
貴下におかれましては、この建物の持つ高い文化的意義と歴史的価値についてあらため
てご理解いただき、このかけがえのない文化遺産が保存活用されつつ、永く後世に継承さ
れますよう、格別のご配慮を賜りたくお願い申し上げる次第です。
なお、日本建築学会関東支部といたしましては、この建物の保存活用に関して、学術的
観点からの相談をお受けいたします。
敬具
2014 年 7 月 28 日
KN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル)及び旧三井物産横浜支店倉庫
についての見解
一般社団法人 日本建築学会関東支部
歴史意匠専門研究委員会
主査 藤 田 康 仁
1)建物の概要
横浜市中区日本大通 14 番地に所在するKN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル。
以下、
事務所ビル)は、明治 44 年(1911 年)8 月、三井物産株式会社横浜支店の事務所棟として
竣工した。起工は前年の明治 43 年(1910 年)8 月である。一方、当ビルに隣接して、明治
42 年(1909 年)に起工した旧三井物産横浜支店倉庫(以下、倉庫)が同 43 年(1910 年)
7 月に竣工している。事務所ビルは昭和 2 年(1927 年)に、創建時と同じスタイルで増築さ
れ、ほぼ二倍の規模となって、今日に至っている。つまり日本大通りから見て左側部分が
明治創建時のもので、中央部および右側部分が昭和増築時のものということになる。なお、
倉庫を1号倉庫と呼ぶことがあるのは、かつてこの倉庫の背後に2号倉庫があったためで
ある。
設計及び監督は、明治創建当初も昭和の増築時も日本の鉄筋コンクリート造の先駆者と
して知られる遠藤於菟(1866-1943)による。ただし、創建時には鉄筋コンクリート構造のス
ペシャリストとして酒井祐之助(1874-1935)が加わり、二人の共同設計となっている。施
工は、創建時の両建物の概要を掲載した『建築雑誌』(305 号、明治 45 年 5 月)が「分業
請負」としているから、いわゆる直営といえる。なお、昭和の増築時の施工は不詳である。
建物の現状の規模は、事務所ビルが 4 階建て地下 1 階で建築面積約 733 ㎡、延床面積約
3898 ㎡、倉庫が 3 階建て地下 1 階、建築面積約 549 ㎡、延床面積 2194 ㎡であり、外壁仕
上げについては、事務所ビルが化粧煉瓦タイル張りで腰部は花崗岩張り、庇および窓廻り
は人造石洗出し仕上げ、倉庫は道路側ファサードが化粧煉瓦タイル張りで、その他は煉瓦
壁の露出、庇および開口部周りは人造石洗出し仕上げとなっている。
両建物は、基本的には創建以来、三井物産横浜支店の事務所ビルおよび倉庫として知ら
れてきたが、昭和 34 年(1959 年)から、倉庫は日東倉庫株式会社の使用するところとな
り、日東倉庫日本大通倉庫としても記憶されている。平成 25 年(2013 年)には、両建物
とも株式会社ケン・コーポ―レーションの所有するところとなり、今日に至っている。ち
なみに、関東大震災の被害状況としては、事務所ビルは火災を被るなど若干の損壊はあっ
た模様である一方、倉庫はまったくの無傷であったとされている。
2)歴史的価値
先述の『建築雑誌』(305 号、明治 45 年 5 月)は、事務所ビルを「全部鉄筋コンクリー
ト造り・・・地形、柱、壁、天井兼床、階段及屋根に至る迄総て内部に軟鋼鉄の鉄筋を縦
横に入れ之を包む上等のセメントコンクリートを以てなしたるものしして之に使用したる
セメント約二千樽鋼鉄約百噸也」と記している他、
『横浜貿易新報』紙(明治 44 年 9 月 14
日)も「全部鉄筋コンクリート造りとなし」と報じている通り、この建物は最初の全鉄筋
コンクリート造のオフィスビルとしてあまりにも名高い。倉庫については、同誌が「壁は
煉瓦造にして屋根及柱は鉄筋コンクリート造りとし床は木製にして」と記しているように、
煉瓦と鉄筋コンクリートに木造を加えた、いわゆる混構造である。当時はまだ新しい技術
であった鉄筋コンクリートの性能を試験的に倉庫で使用することで確かめた上で、事務所
ビルにおいて全面的に鉄筋コンクリートを展開したとされることを踏まえると、この倉庫
は鉄筋コンクリート造建築のプロトタイプのひとつとして捉えることもできる。一方、見
方を変えれば、この煉瓦・鉄筋コンクリート・木からなる、倉庫におけるユニークな混構
造は、結果として一種の柔構造として機能し、それが故に関東大震災にも無傷で耐えたと
も考えられる。なお、明治創建時の事務所ビルは柱梁構造であるが、昭和増築部ではフラ
ットスラブが採用されており、これも日本のフラットスラブの最初期の試みと言える。
事務所ビルは、最初の全鉄筋コンクリート造という構造面からの重要性のみならず、意
匠的にも注目される。すなわち、突出したコーニスとその持ち送りを除いて、当時、通常
用いられていた様式建築の細部を備えておらず、驚くほどモダンでシンプルであり、日本
の近代オフィスビルの先駆的な作品でもある。それはまた、セセッション(ゼツェッショ
ン)の最初期の現われとも見なされるが、アール・ヌーヴォーのパイオニアとしても知ら
れる遠藤於菟の会心の意匠作品とも捉えられる。加うるにこの建物は、創建当初からエレ
ベーターを備え、屋上には水洗便所に用いるコンクリート製の水槽が設けられており、設
備面においても先駆的な作品であった。もちろん、この建物は日本大通りの旧居留地に進
出した日本の商社の建物の先駆けをなす貿易の最前線基地であり、この倉庫に置かれた生
糸の量が一時期の日本の国家経済を左右するほどだったと言われる通り、日本近代史にお
ける重要性はいうまでもない。
以上のように、当事務所ビル及び倉庫は、日本最初の全鉄筋コンクリート造の建物であ
り、最初期の鉄筋コンクリート造建物の現存最古の遺構である。世界的に見ても、最初期
の全鉄筋コンクリート造として貴重な遺構の一つであろう。日本の鉄筋コンクリート造の
パイオニア、遠藤於菟が、倉庫において煉瓦造、木造と組み合わせた混構造として鉄筋コ
ンクリートによる建築を試み、事務所ビルにおける全鉄筋コンクリート造の全面的な導入
を経て、昭和増築時においてフラットスラブの使用へと至ったという、日本の鉄筋コンク
リート造成立の歴史的展開が包含されているという点において、現存するかけがえのない
技術史的サンプルであり、両建物のもつ建築史的、近代史的価値は極めて高い。
2014 年 7 月 29 日
ケン・コーポレーション株式会社
代表取締役社長 佐 藤
繁 殿
一般社団法人 日本建築学会関東支部
支部長 長谷見 雄二
KN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル)および旧三井物産横浜支店倉庫の
保存活用に関する要望書
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
平素より、本会の活動につきましてご理解とご協力を賜り、厚く御礼を申し上げます。
さて、今般、横浜市中区日本大通り所在のKN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル。
以下、事務所ビル)及び旧三井物産横浜支店倉庫(以下、倉庫)について、新たな活用計
画があり、とりわけ倉庫に関しては、取り壊しを検討されている旨、伺っております。
両建物は、本会によるわが国の近代建築の調査研究をまとめた『日本近代建築総覧』
(1980
[昭和 55]年刊行)において、特に価値の高い近代建築として掲載されている他、貴市都
市デザイン室企画『都市の記憶 横浜の近代建築Ⅰ』
(1991 年)にも詳細に取り上げられる
など、価値ある建物として広く周知されていること、ご高承のことと存じます。
1910(明治 43)年 7 月の倉庫竣工に続き、1911(明治 44)年 8 月の事務所ビル竣工、
1927(昭和 2)年の事務所ビル増築を経て今日に至る両建物は、日本の鉄筋コンクリート
造の先駆者、遠藤於菟により設計されました。倉庫には、屋根・柱を鉄筋コンクリート造、
壁を煉瓦造、床を木造とするユニークな混構造が用いられており、事務所ビルにおいて全
面的に採用された鉄筋コンクリート造を、倉庫にて試験的に導入した遠藤の創意が看て取
れます。すなわち、この事務所ビルが日本最初の全鉄筋コンクリート造のオフィスビルで
あることを鑑みれば、両建物は、日本における鉄筋コンクリート造の成立過程を示すきわ
めて貴重な建物群として位置づけられます。また倉庫は、新港埠頭煉瓦倉庫(通称赤レン
ガ倉庫)より古く、横浜に現存する最古の倉庫建築としても、高い歴史的価値を有します。
さらに、両建物は日本屈指の生糸貿易商社の横浜における拠点建物であり、事務所ビル
のみならず倉庫ともに、明治期の創建のまま現存するきわめて希有な例として、日本の近
代史上高い価値を有するだけでなく、横浜開港の歴史を象徴する日本大通りの都市景観を
構成する貴重な建築としても、広く市民に親しまれてきたことは言うまでもありません。
貴下におかれましては、この建物の持つ高い文化的意義と歴史的価値についてあらため
てご理解いただき、このかけがえのない文化遺産が保存活用されつつ、永く後世に継承さ
れますよう、格別のご配慮を賜りたくお願い申し上げる次第です。
なお、日本建築学会関東支部といたしましては、この建物の保存活用に関して、学術的
観点からの相談をお受けいたします。
敬具
2014 年 7 月 29 日
KN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル)及び旧三井物産横浜支店倉庫
についての見解
一般社団法人 日本建築学会関東支部
歴史意匠専門研究委員会
主査 藤 田 康 仁
1)建物の概要
横浜市中区日本大通 14 番地に所在するKN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル。
以下、
事務所ビル)は、明治 44 年(1911 年)8 月、三井物産株式会社横浜支店の事務所棟として
竣工した。起工は前年の明治 43 年(1910 年)8 月である。一方、当ビルに隣接して、明治
42 年(1909 年)に起工した旧三井物産横浜支店倉庫(以下、倉庫)が同 43 年(1910 年)
7 月に竣工している。事務所ビルは昭和 2 年(1927 年)に、創建時と同じスタイルで増築さ
れ、ほぼ二倍の規模となって、今日に至っている。つまり日本大通りから見て左側部分が
明治創建時のもので、中央部および右側部分が昭和増築時のものということになる。なお、
倉庫を1号倉庫と呼ぶことがあるのは、かつてこの倉庫の背後に2号倉庫があったためで
ある。
設計及び監督は、明治創建当初も昭和の増築時も日本の鉄筋コンクリート造の先駆者と
して知られる遠藤於菟(1866-1943)による。ただし、創建時には鉄筋コンクリート構造のス
ペシャリストとして酒井祐之助(1874-1935)が加わり、二人の共同設計となっている。施
工は、創建時の両建物の概要を掲載した『建築雑誌』(305 号、明治 45 年 5 月)が「分業
請負」としているから、いわゆる直営といえる。なお、昭和の増築時の施工は不詳である。
建物の現状の規模は、事務所ビルが 4 階建て地下 1 階で建築面積約 733 ㎡、延床面積約
3898 ㎡、倉庫が 3 階建て地下 1 階、建築面積約 549 ㎡、延床面積 2194 ㎡であり、外壁仕
上げについては、事務所ビルが化粧煉瓦タイル張りで腰部は花崗岩張り、庇および窓廻り
は人造石洗出し仕上げ、倉庫は道路側ファサードが化粧煉瓦タイル張りで、その他は煉瓦
壁の露出、庇および開口部周りは人造石洗出し仕上げとなっている。
両建物は、基本的には創建以来、三井物産横浜支店の事務所ビルおよび倉庫として知ら
れてきたが、昭和 34 年(1959 年)から、倉庫は日東倉庫株式会社の使用するところとな
り、日東倉庫日本大通倉庫としても記憶されている。平成 25 年(2013 年)には、両建物
とも株式会社ケン・コーポ―レーションの所有するところとなり、今日に至っている。ち
なみに、関東大震災の被害状況としては、事務所ビルは火災を被るなど若干の損壊はあっ
た模様である一方、倉庫はまったくの無傷であったとされている。
2)歴史的価値
先述の『建築雑誌』(305 号、明治 45 年 5 月)は、事務所ビルを「全部鉄筋コンクリー
ト造り・・・地形、柱、壁、天井兼床、階段及屋根に至る迄総て内部に軟鋼鉄の鉄筋を縦
横に入れ之を包む上等のセメントコンクリートを以てなしたるものしして之に使用したる
セメント約二千樽鋼鉄約百噸也」と記している他、
『横浜貿易新報』紙(明治 44 年 9 月 14
日)も「全部鉄筋コンクリート造りとなし」と報じている通り、この建物は最初の全鉄筋
コンクリート造のオフィスビルとしてあまりにも名高い。倉庫については、同誌が「壁は
煉瓦造にして屋根及柱は鉄筋コンクリート造りとし床は木製にして」と記しているように、
煉瓦と鉄筋コンクリートに木造を加えた、いわゆる混構造である。当時はまだ新しい技術
であった鉄筋コンクリートの性能を試験的に倉庫で使用することで確かめた上で、事務所
ビルにおいて全面的に鉄筋コンクリートを展開したとされることを踏まえると、この倉庫
は鉄筋コンクリート造建築のプロトタイプのひとつとして捉えることもできる。一方、見
方を変えれば、この煉瓦・鉄筋コンクリート・木からなる、倉庫におけるユニークな混構
造は、結果として一種の柔構造として機能し、それが故に関東大震災にも無傷で耐えたと
も考えられる。なお、明治創建時の事務所ビルは柱梁構造であるが、昭和増築部ではフラ
ットスラブが採用されており、これも日本のフラットスラブの最初期の試みと言える。
事務所ビルは、最初の全鉄筋コンクリート造という構造面からの重要性のみならず、意
匠的にも注目される。すなわち、突出したコーニスとその持ち送りを除いて、当時、通常
用いられていた様式建築の細部を備えておらず、驚くほどモダンでシンプルであり、日本
の近代オフィスビルの先駆的な作品でもある。それはまた、セセッション(ゼツェッショ
ン)の最初期の現われとも見なされるが、アール・ヌーヴォーのパイオニアとしても知ら
れる遠藤於菟の会心の意匠作品とも捉えられる。加うるにこの建物は、創建当初からエレ
ベーターを備え、屋上には水洗便所に用いるコンクリート製の水槽が設けられており、設
備面においても先駆的な作品であった。もちろん、この建物は日本大通りの旧居留地に進
出した日本の商社の建物の先駆けをなす貿易の最前線基地であり、この倉庫に置かれた生
糸の量が一時期の日本の国家経済を左右するほどだったと言われる通り、日本近代史にお
ける重要性はいうまでもない。
以上のように、当事務所ビル及び倉庫は、日本最初の全鉄筋コンクリート造の建物であ
り、最初期の鉄筋コンクリート造建物の現存最古の遺構である。世界的に見ても、最初期
の全鉄筋コンクリート造として貴重な遺構の一つであろう。日本の鉄筋コンクリート造の
パイオニア、遠藤於菟が、倉庫において煉瓦造、木造と組み合わせた混構造として鉄筋コ
ンクリートによる建築を試み、事務所ビルにおける全鉄筋コンクリート造の全面的な導入
を経て、昭和増築時においてフラットスラブの使用へと至ったという、日本の鉄筋コンク
リート造成立の歴史的展開が包含されているという点において、現存するかけがえのない
技術史的サンプルであり、両建物のもつ建築史的、近代史的価値は極めて高い。
旧三井物産横浜ビル倉庫棟 海側側面
旧三井物産横浜ビル・倉庫棟 日本大通り側から
3 階 全景
3 階 RC 柱と屋根スラブ
2 階 間仕切壁における床組架構と吊り建具
2 階 RC 柱と柱頂部の床組構造
1階 全景
地下1階 柱と床組
撮影:大野敏(横浜国立大学)
鉄筋コンクリート造屋根スラブ
3階柱と一体
仕様要確認
軒
飾
り
要
確
認
開口部は省略
3階床
鉄 3
筋 階
コ 柱
ン
ク
リ
石
仕
様
要
確
認
ー
ト
開 口 部は 省 略
2階床
床板
根太
石
根太
大引
床梁
石
鉄
筋 2
コ 階
ン 柱
ク
リ
大引
床梁
ー
鉄
筋
が
入
っ
て
い
る
か
表
面
タ
イ
ル
張
り
の
レ
ン
ガ
壁
開口部は省略
ト
1階床
(
1
階
具柱
体と
的2
な階
お柱
さは
まそ
りれ
にぞ
つれ
い管
て柱
どの
う可
な能
っ性
てが
いあ
るる
か
大上
変下
興ホ
味ゾ
深か
い
GL
鉄1
筋階
コ柱
ン
ク
リ
石
柱 押 さ え 木(仮 称 )
床 梁 で 挟 ん でボ ー ル ト 締 め
)
ー
腰 コ ン ク リ ート
ト
仕様要確認
地下1階床
コ ンク リ ー ト 土 間
水 垂 勾配 有 り
石製 盤
仕 様 要確 認
仕様要確認
鉄 筋 コ ン ク リー ト か
レンガ造柱
仕様要確認
鉄 筋 が 入っ て い る か
北
足元 コ ン ク リ ート
仕様要確認
鉄 筋コ ン ク リ ー トか
参考図1 旧三井物産横浜支店倉庫 構造説明模式図
作 図: 大 野 敏 (横 浜 国立 大 学 ) 140708 今 後 修 正 が あり 得 る
本 建物 は K N 日 本 大 通ビ ル ( 旧 三 井 物産 横 浜 支 店 ) と共 通 す る 外 観 意 匠を 有 す る点 と 共に そ の 構 造 手 法 にお い て 極 め て 特徴 的 で あ る 。
す な わ ち レン ガ 造 ( 壁 体 およ び 地 下 1 階 柱 )・ 木 造 ( 床 組 )・ 鉄 筋 コ ン ク リ ート造 (1 階 柱 ・ 2階 柱 ・ 3 階 柱 およ び 屋 根 ス ラ ブ )を 組 み 合 わ せ た 混構 造 を 示 し 、
明治 末 期 に ど の よう に レ ン ガ 造 ・木 造 ・ 鉄 筋 コ ン クリ ー ト 構 造 を 捉え て い た の かを 考え る 上 で 示 唆 に富 む
特 に 技 術史 的 視 点 か ら 見て 日 本 近 代 建 築史 上 極 め て 重 要 な遺 構 と い え る 。
ま た 、 上 図 は 構造 模 式 図 の た め、 軒 飾 り や 外 装タ イ ル 等 の 装 飾 細部 、 扉 や 建 具 等の 柱 間 装 置 な ど の図 は 省 略 し て いる が 、 こ れ ら の 部位 も 詳 細 図 作 成を 行 い
部 材保 存 を 図 る 必 要 があ る 。 し た が っ て 上図 に 示 し た 各 部位 に つ い て は 詳細 な仕 様 調 査 を 実施 し 、 典 型 的 な部 位 の 保 存 に 務 める 必 要 が あ る 。
な お 、 鉄 筋コンクリート柱 は 1 階~ 3 階 ま で 一 体 成形 の 可 能 性 と 1階 ・ 2 階 ・ 3 階 とも 個 別 成 形 の 可能 性 が 考 え ら れる が (参 考 図 2 、こ の 図 は 後 者 の 想定 で 描 い た
鉄筋コンクリート造屋根スラブ
鉄筋コンクリート造屋根スラブ
一
連
の
鉄
筋
コ
ン
ク
リ
ー
ト
製
と
想
定
GL
GL
石製盤
石製盤
腰 コン ク リ ー ト
床
組
木
材
と
の
取
合
部
の
詳
細
は
要
確
認
事
項
3
階
柱
は
一
連
の
鉄
筋
コ
ン
ク
リ
ー
床
組
木
材
と
の
取
合
部
の
詳
細
は
要
確
認
事
項
表
面
タ
イ
ル
張
り
の
レ
ン
ガ
壁
~
ト
製
と
想
定
~
表
面
タ
イ
ル
張
り
の
レ
ン
ガ
壁
3
階
柱
は
一
連
の
鉄
筋
コ
ン
ク
リ
1
階
柱
ー
1
階
柱
3
階
柱
は
屋
根
ス
ラ
ブ
も
ト
製
と
想
定
腰 コン ク リ ー ト
仕 様要 確 認
仕 様要 確 認
コ ン ク リー ト 土 間
水 垂 勾 配 有り
仕 様要 確 認
石
製
盤
鉄筋 コ ン ク リ ー ト か
コ ン ク リー ト 土 間
水垂勾配有り
石製盤
仕 様要 確 認
鉄 筋コ ン ク リ ー ト か
レ ン ガ造 柱
仕 様 要確 認
レ ン ガ造 柱
仕 様 要確 認
鉄 筋 が 入 っ て いる か
鉄 筋 が 入 っ て いる か
足元 コ ン ク リ ー ト
仕 様 要確 認
鉄 筋 コ ン ク リ ート か
足 元 コ ン クリ ー ト
仕様要確認
鉄 筋 コ ン ク リ ート か
北
柱を1階から3階まで一体成形していると考えた場合
北
柱を1階・2階・3階とも別個に成形していると考えた場合
参 考 図 2 旧 三 井 物 産 横 浜 支 店 倉 庫 構 造 説 明 模 式 図 (お も に 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 部 分 に 注 目 し て )
作 図 : 大 野敏 ( 横 浜 国 立 大 学) 140708 今後 修 正 が あ り 得 る