決める力

たいにん
(福岡市)が、リーマンショックや東日本
総合機械商社「南陽」
大震災による不況を乗り越え、好調な業績を続けている。 年
月期に過去最高益を達成したのに続き、 年 月期には創業来
初めて当期純利益が 億円を超す見通しとなっている。社長就任
早々、難局に直面した武内氏が不良債権、不良在庫の処理を徹底
きょうじん
し、財務体質を強化することで「安定的に利益を上げられる強靭
な企業体質づくり」に取り組んだ成果である。
武内 英一郎氏
南陽 社長
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3
14
くだ
ある人に重大な任務を与えようと
する時には、さまざまな困難をも
また与えるものである。それは天
が与えた試練だと考え、困難を乗
り越えよ」といったことであろう。
武内氏が社長に就任したのが
2008年 月。その年の秋口、
あのリーマンショックが襲った。海
外向けの中古建設機械はまったく
売れず、産業機械の取引先の半
導体工場は操業を止めた。リスト
ラも進めなければならない。自ら
考える企業体質をどう築き上げ
ていくか─その端緒に就いたばか
りの新社長を襲った、まさに難局
ある父・徳夫氏の励ましのメッセ
れは孟子の言を借りた創業者で
出し、よくよく考えてみると、こ
一冊が孟子だった。そのことも思い
れを読んでみよ」と渡してくれた
道を思い悩んでいた際、
父親が「こ
子の言である。学生時代、自らの
脳裏によみがえったのが、先の孟
である。その時、ふっと武内氏の
況によく似ている。だから心の準
ていったわけですが、その頃の状
長期化し、世界大戦へとつながっ
これに行き当たった。その影響は
1929年に始まった世界大恐慌、
ことは 多いです から ね。する と
「それで近代史を読み返してみ
たんです。歴 史が教 えてくれる
予兆〟を感じとっていたのだという。
加えて、武内氏はリーマンショ
ックが現実化する前から〝危険な
である。
「リーマンショックが起きてから
、 カ月後にはもう非常態勢
それへの対処は迅速だった。
糧に難局へ立ち向かっていったの
の孟子の、あるいは父の励ましを
ージであったのかもしれない。こ
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備はある程度あったわけです」
心に備えがあり、危機に対する
強い意志が構えられていたことで、
「リーマンショック、
大震災を乗り
越え、
収益重視の強靭な体質に」
社長就任早々のリーマン
ショック─天の試練襲う
まさ
に大任を是の人に降
天の将
ま
ず其の
、其の筋 骨を労
心志を苦しため
い ふ
う
とするや、必ず先
さしん
んし
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3
体 膚 を餓 やし、其の
し、そくの
うぼう
乏し、行ひ其の為すと
身 を空 ふ つ ら ん
ころに払乱せしむ 孟子にこんな言がある。あえて
注釈の要もないと思うが、
「天が
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ら、そうなる前に手を打っていっ
から本格化すると見ていましたか
を敷きました。しかも危機は翌年
ると
ならない。当然のことである。す
332億2900万円、経常利益
ね返し、見事に回復した。売上高
績はリーマンショックの影響を跳
億4700万円─
った。そして
月期
の決算(連結)は過去最高益とな
年
億4500万円、当 期 純利 益
「安定的に利益を上げられる強
靭な企業体質を持つ会社」
たわけです」
という結論になるのである。
とはいえ普通であれば、こうし
たことを実現するには相応の時間
とも頼もしいことであろう。
自分探しの旅─やっと
経営という本来の道へ
そんな武内氏であるが、学生時
代には何年も「自分探しの旅」を
武内氏には社長に就任した際、
思い描いた「南陽」の会社像があ
企業体質を持つ会社」づくりに着
定的に利益を上げられる強靭な
えてはいられない。ここで一気に
「安
クという危機である。悠長には構
は確かですが、でもそれがあった
本大震災などに苦労させられたの
います。リーマンショックや東日
しくない決算ができると確信して
らに少なくとも 年までは恥ずか
「 年 月期で当期純利益が初
めて 億円を超える見通しで、さ
の創業者・井村荒喜氏。この井村
父は機械メーカー・不二越(富山)
幅広く活躍した。一方、母方の祖
鉱を取りまとめる役目を担うなど
するかたわら、筑豊地区の中小炭
するなど思い悩んだ時期もあった。
った。それは一言で言えば
手したのである。
からこそ、私が目指す会社像に数
産機営業本部長、管理本部長な
の 割まで落ち込みはしたが、黒
果、売上高はリーマンショック前
との思いが強いですね」
なった叔父・禮次氏(現会長)が
れに父の跡を継いで第二代社長と
とがない。武内氏にすれば父、そ
は創業以来一度も赤字になったこ
きたのである。実を言えば、南陽
の長・短所を見つけ出すことがで
あったのだが、それによって会社
それは社長になるための準備でも
倍 政 権 によるア
でいるうちに、安
ショックをしのい
こうしてリーマン
を実施していった。
ど 前 向 きの施 策
強 化、M& A な
タル部 門の 拠 点
を図る一方でレン
ことで、武内禮蔵氏の子息・徳夫
婿にはぜひ九州男児を」と望んだ
氏と縁を結んだのである。この徳
見 え る。 実 際、 夫氏が 年に設立したのが「西日
どを歴 任、南 陽という 会 社をあ
守り抜いてきたものを自分の代で
ベノミクスという
ここで家系を伺う。まず父方の
祖父・禮蔵氏は自ら炭鉱を経 営
「安定的に利益を上げられる強
靭な企業体質を持つ会社」
何をしたか。徹 底して不良債
権、不良在庫の処理を進め財 務
がかかる。ところがリーマンショッ
3
ということである。 年に南
陽に入社 後、社 長 室長、総 務 部
安定的に利益を上げる
強靭な体質持つ会社に
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氏は長 崎 県 島 原 市の出 身で「娘
3
倍もの早さで近づくことができた
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長、経理部長、総合経営企画室長、 体質の強化を図ったのだ。その結
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難局を見事に乗り切った武内
氏には自信があふれているように
消すわけにはいかない、という思
追い風 も 吹いて
らゆる角度から見、分析してきた。 字は確保できた。加えて財務強化
いも強かったろう。そして、長所
きたのである。業
武内氏自身
ベアリング」は、正確には武内鉱
本ベアリング」
。これが南陽の前身
疲れません」
面白い。だから
(昭和 )年とする。やがて炭鉱
いる。だから、南陽グループの創
九州地区代理店として設立されて
業年は武内鉱業所設立の1950
社 員 にす れ
ば実 績 も示し
非常に楽しいし、 業所の事業多角化のため不二越の
になる。もっとも、この「西日本
「一つ一つ決断
していくことが
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は伸ばし、短所はなくさなければ
長 とあれ ば何
る気も満々の社
てくれるし、や
みを始め、今日の南陽へと発展し
「西日本ベアリング」が独自の歩
の衰退とともに武内鉱業所は消え、
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南陽本社ビル
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った九州への思いを娘婿である徳
の名付け親は井村氏で、生まれ育
てきたわけだ。ちなみに「南陽」
意気込んでいる。私にはそんな覚
絶対に良い建物を建ててやる』と
は、
『大工の棟梁である親父より
ったく違う。たとえば親友の一人
に対する同級生と私の本気度がま
ここでの
ト大学へ留学したのである。
ことになり、本格的に経
営学を学ぶため米ベルモン
だ』と思い至った」
という本来の道に戻るべき
尾を巻いてしまいました」
わずかな慰めは、日本を思
寝る間も惜しみ、胃潰瘍を
とうりょう
夫氏へ託したことになる。
悟はなく、こりゃかなわないと尻
年間は、まさに
このように2人の祖父、それに
父も会社経営者。
それで芸工大は 年の終わり
頃 に 休 学 し、
「 自 分 探 しの 旅 」
学芸術工学部)へ進んだ。
は九州芸術工科大学(現・九州大
が次々と出てくるのである。大学
だろうか」自らの道に対する疑念
る自分なりの道があるのではない
てきた。
「自分には周囲とは異な
だが長ずるにつれ、周囲のそん
な視線を重荷に感じるようになっ
私をそんな目で見ていました」
とだったんです。もちろん周囲も
になるのは、私にすれば当然のこ
いずれ父の跡を継いで南陽の社長
は、労働者に良い環境を作ってや
紀の社会改革思想家ロバート・オ
に一冊の本がそっと背を…。 世
湧き出るようになってきた。さら
れている」との思いがふつふつと
はカエル。経営者としての血が流
うするうちに「やはりカエルの子
を探し出す手掛かりを求めた。そ
いろんな本を読みあさり、
「道」
介した孟子だったのだが、自らも
父から渡された本の一冊が冒頭紹
ていた。
品、それからFAシステムや環境
こうしてベルモント大学を卒業。
南陽に入社した時には 歳になっ プラント関連商品などを扱 う 産
る。
見つけては寄席にも足を運んでい
席分以上もあり、もちろん機会を
を過ごしたのである。そういう時、 集した落語のCDなどは1000
やむなく帰 国し、悶々とした時
なのか」を述べなければならない。 に利益を上げられる強靭な企業
話の順序がまったく逆になって
しまった。
「南陽とはどんな会社
体質を持つ会社」を目指したのも、
つを据えている。一つが各種半導
会に貢献すべく事業の柱として二
とある。国内外にマーケットを
広げる総合機械商社であり、社
マーケットは無尽蔵─そ
の強みを自らのものに
れたことは一度もありません。で
思います。父から跡を継げと言わ
う。
経営の面白さ」を感じたのだとい
り、
社会に貢献する事であります」
に寄与する機器を提供する事によ
も、やはり重圧を感じていたんで
「ここで、やっと『 自分は経 営
ーウェンの自叙伝である。この本
いう趣味は現在も続いており、収
「建築をかじってみようとの思い
だったのですが、正直なところ(社
り、それで品質、生産性を上げる
会社のホームページには
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すね。しかも大学に入ると、建築
「ハイテク機器や建設機械、そ
れらに使用される部品など取り
それ故に違いない。一方で武内氏
映り、おそらく武内氏が「安定的
事業分野だけ見ると、いかにも
景気の波に左右されやすい業種に
ある。
商品などを扱う建設機械事業で
設機械、産業用車両、環境関連
業機器事業。それともう一つが建
体製造装置を中心とする機械部
長にならなけれ ばならないとい
といったような内容で、武内氏は
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う)現実からの逃避だったのだと
この本によって「人に光を当てた
最大の海外拠点・中国上海の「南央国際貿易有限
公司」入居ビル
はこんなふうにも言う。
た。この「落語を聞く」と
患うほど勉学に打ち込んだ。
になるということは社長になるこ
にカナダへと飛び立ったのである。 い出させてくれる落語だっ
「周りは皆経営者という環境の
中で育ったわけです。だから大人
となのだ、小さい頃はそんなふう
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「南陽の使命は、世界の産業界
の技術の発展や社会資本の充実
もんもん
に思い込んでいましたね。だから、 それでも「道」は見つからない。
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扱う商品、分野は多種 多様です。 掛け、中国国内に カ所のブラン
うな存在です。日本においても終
チを広げている。中国には他に
代の変化の一つである。これに対応
グローバル化への流れ、これも時
ていくことも欠かせない。急速な
あろう。時代の変化に常に対応し
しなければならないということで
戦国時代、世界を相手に活躍
した神屋宗湛や島井宗室といった
えです」
さらに海外事業を伸ばしていく考
イへの進出も視野に入れており、
リアアップをし、それをやりがい
を立てながらスキルアップ、キャ
ん。会社としては社員が人生設計
強し、成長していかねばなりませ
め、本当にお役に立つには常に勉
機械事業は、好調なレンタル部門
さらに拡大を図る考えです。建設
現地優良企業の開拓などにより、
いる日系企業との取り引き強化、
進めるとともに、海外に進出して
「産業機器事業につきましては、
タイ進出など海外拠点の強化を
営業強化に取り組みたいと思って
「少
先述したように武内氏は、
なくとも 年までは恥ずかしくな
いかなければなりません」
の開拓と拡販、ここにも注力して
値商品が求められるはずです。そ
て、それらに利用される高付加価
備、補修は増えるでしょう。伴っ
るのです」
につなげられるよう社内環境づく
のである。
博 多商人を例に挙 げ、武内氏は
年に台
するには、海外のマーケットにも
号として
南陽の使命として掲 げる「社
会への貢献」は、経営理念の一つ
「会社成長の源泉は社員に
あり」
との考えに徹する
部品、半導体製造装置などを販
としても据えているのだが、もう
います。今後も社会インフラの整
の拠点強化、それから沖縄地区の
外拠点の第
湾・台北市に「建南和股份有限公
司」を設立。主に東南アジア向け
に半導体製造装置などの販売・メ
ンテナンスに乗り出した。次いで
売する「NANYO EN
一つの理念が「働き甲斐のある職
2000年にはマレーシアに電子
GINEERING」を
場作り」である。
材を確保し、育てていくのが経営
い
設立した。現在、同社最
に設立した「南央国際貿
者の仕事」という考え方に徹して
が
大の海外拠点となってい
るのが 年に中国・上海
易有限公司」である。工
いる。だから今も社員採用の最終
そして、こうも付け加える。
「会社にとって社員は家族のよ
りに努力する。私はそう考えてい
最後に今後の取り組みについて
聞いておこう。
います」
が、私は入社してもらった社員に
て優秀な人材を採用したら、いか
加えて技術革新によって新商品や
年に大連に設立した「大連老虎重
身雇用制度が崩壊しつつあります
先端産業が次々と誕生する。マー
工販売有限公司」がある。
に育てていくかである。
ケットはまさに無尽蔵と言ってい
は長く働いてもらいたいと思って
いでしょう。それが当社の強みで
「やはり中国は最大の海外市場
に立てるようにならねばならない
です。台湾やマレーシアも合わせ、 ということです。当社は新たな市
「詰まるところ、当社の社員が
お取引先の皆様方にしっかりお役
あり、大きな魅力です」
億
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自らを、そして社員をも鼓舞する
成り立っています。お取引先のた
場、商品を開 拓し続ける仕事で
〜 億円程度になっています。タ
現在海外子会社の売上高は
要は、その強み、魅力を確実に
自らのものにすべく努力し、奮闘
4
目を向ける必要がある。同社は海
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作 機 械、電 子 部 品、半
(編集委員 川口 武雄)
させる。
くましい会社になったことを感じ
武内氏の言動は、南陽がさらにた
本大震災を乗り越えてきた南陽。
と語る。リーマンショックや東日
い決算ができると確信している」
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面接には自身も臨んでいる。そし
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導 体 機 械 装 置などを手
「働き甲斐のある職場づくり」
にも心を砕く
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「 会 社 成 長の 源 泉 は 社 員 に あ
り」とする武内氏は、
「優秀な人
南陽 社長
武内 英一郎氏