天野 郁夫 東京大学名誉教授

超有識者場外ヒアリングシリーズ 46
超有識者
場外ヒアリング
シリーズ
大学改革編
金融庁参事官
東京大学名誉教授
【46】
天野 郁夫
神田 眞人
天 野 郁 夫 先生
(元東京大学教育学部長)
Amano Ikuo
1936年神奈川県生まれ。一橋大学経済学部・東京大学教育学部卒業。
東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。教育学博士。国立教育
研究所、名古屋大学教育学部を経て東京大学教育学部教授・学部長・
研究科長、国立大学財務経営センター研究部長。2006年退職、現
在は東京大学名誉教授。 この間、日本学術会議会員、日本教育社
会学会会長、日本高等教育学会会長、文部科学省大学審議会・中央
教育審議会委員、一橋・横浜国立・佐賀・香川・神戸の各大学経営
協議会外部委員等を歴任。
神田 眞人
Kanda Masato
超有識者
ヒアリング
▶神田参事官(以下、神田)
本日はご多忙にも
連載
金融庁参事官。東京大学法学部卒業、オックスフォード大学経済学
修士(M.Phil)
。世界銀行審議役、財務省主計局主査(運輸、郵政
等予算を担当)
、国際局為替市場課補佐、大臣官房秘書課企画官、
世界銀行理事代理、主計局給与共済課長、主計官(文部科学、経済
産業、環境、司法・警察、財務予算を担当)
、国際局総務課長等を
経て現職。元オックスフォード日本協会会長、浩志会代表幹事など。
右:天野郁夫 東京大学名誉教授
(大学のレゾンデートル)
かかわらず、誠に有難うございます。高等教育の
▶神田 私自身、先生の『日本の高等教育システ
初代東大教授、大御所として、歴史研究・社会学
ム』での整理を使えば、ヘルムート・シェルスキ
的分析に則った政策提言をされてきた先生には、
ーのいう「孤独と自由」や菊池大麗の修養教育主
以前より貴重なお話を何度も拝聴させて頂いて参
義へのノスタルジアを胸に秘めてきました。しか
りました。
『大学の誕生』において、現代的問題
し、国際競争激化、人口減少、財政危機化にもか
と見える問題の多くが、実は歴史的問題ではない
かわらず、閉鎖性とモラルハザードで停滞を続け
のか、と喝破されていますが、実務家として実感
る大学が死に至る病となり、
「競争と評価」
、そし
する次第です。マーチン・トローのいうユニバー
てそのファンディング・インセンティヴ導入の先
サル時代の普遍的課題に対応すべく、我が国も、
頭に立った次第です。納税者に国費投入の理解を
漸く、大学改革が動き出していますが、やはり、
得るためにも、大学に改革の推進力を与えるため
歴史的要因が制約となっており、また、過去の経
にも選択肢はありませんでした。クラーク・カー
験から学ぶところも多々あり、内外の歴史を謙虚
が92年に整理した「12の発展動向」が日本でもほ
に学んだ上で、革新的な政策を大胆に推進すべき
ぼ完全に現象しており、先生は98年にこの分析枠
と考えています。今日は国大第三期中期目標策定
組も活用して『変貌する高等教育』の中で、否応
といった節目を迎え、豊富な研究成果を踏まえた
なく強まっていく市場の力のもとで、ひとつの組
政策観を幅広い読者に共有して頂ければ幸いで
織体・経営体として主体的な選択と意思決定を迫
す。
られる大学の姿を予言しています。まさに今、
我々
は、大学に経営力を、学長に経営を求めており、
その先見性は卓越しています。まず、先生の歴史
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観の中で、大学の存在意義は現代的にどう定義さ
トローは、高等教育はエリート、マス、ユニバ
れるべきとお考えでしょうか。
ーサルと段階移行するとしましたが、単に移行す
るのではなく、エリート段階の大学はそのまま存
▶天野先生(以下、天野)
まず、大学問題を考
続し、マス段階になるとそれに対応する新しいタ
える場合にいくつか前提とすべき認識がありま
イプの大学が、さらにユニバーサル段階になると
す。
それに適応的な高等教育機関が加わってくる、即
第一に世界的にメガトレンドとして高等教育の
ち、三層構造的になると見ていました。社会の機
ユニバーサル化、市場化、グローバリゼーション
能が多様化し、大学に対する期待が多様化すれば
が進行しています。第二に、私学セクターが非常
するほど、大学も多様化する。機能においても、
に大きいという日本の独自性を確認しておく必要
研究だけではなく教育、教育も人材の養成、市民
があります。7、8割を私立が占めている国と地
の育成に加え、機会の平等化も重要になっていま
域は日本の他は韓国と台湾だけ、私立の国とされ
すし、社会貢献も期待されるようになってきてい
る米国でも7割は公立です。
ます。
第3に、グローバル化でも、ユニバーサル化、
日本では、米国とは逆に、巨大な私立セクター
市場化でも、アメリカは最も先端的で成功してい
がマス化、ユニバーサル化の担い手になっていま
るため、モデルとされる場合が多いのですが、ア
すが、そのマス化は市場化の過程と重なっていま
メリカというモデルがユニークな存在だとうこと
す。その意味で大学は知の共同体から知の企業体・
連載
も認識しておくべきです。社会学者のマーチン・
経営体にならざるを得ません。その市場化は大学
トローは、アメリカの大学の独自性を強調して、
内部の問題もありますが、研究面では、研究費の
超有識者
ヒアリング
ヨーロッパはアメリカのようにはなれないと言っ
獲得競争という形の市場化が全世界的に進展して
ていますが、日本もそうだと思います。大学は教
おり、教育では、学生と授業料の獲得競争も進展
育システム全体の中で、そして、経済や社会や政
し、そういう中で学長のリーダーシップが問われ
治や行政のシステムと有機的に関連しあって存立
るようになっています。私立大学は早くから経営
しており、大学のある部分だけの改革をめざして
体だったわけですが、国立大学も資本主義社会で
もなかなか成功しないのです。
は経営体化をさけることはできません。
その改革ですが、1970年代に入る頃、大学紛争
を契機に大学のあり方が厳しく問われ、中教審が
▶神田 大学の機能論で繰り返されるのが、教育
『四六答申』を出し、OECDの訪日調査団が『日本
と研究の関係です。先生の『大学改革のゆくえ』
の教育政策』を出しました。この二つとも日本の
でも『大学改革を問い直す』でも、戦後日本特有
教育の最大の問題は高等教育だとしています。大
の研究重視、研究が教育に上位する文化が、マス
学進学率が急激に上昇し、マス高等教育段階を迎
化の中で矛盾を拡大したと憂えておられます。確
えた時代で構造転換の必要性が指摘されました。
かに日本も戦前は、海外同様、研究が期待された
しかし、大学側の強い抵抗があり、改革は徐々に
教授はほんの一握りであり、殆どの教授が教育に
しか進みませんでした。それから半世紀経ち、今
専念しています。競争的資金シフトが研究偏重を
やまさにユニバーサル化の段階に来ています。大
悪化させているという批判も聞こえます。国際競
学は800近く、短大を入れると1000を超え、同年
争に耐える研究を一層、集中支援する私の考えは
齢人口の50%以上が進学するようになりました。
変わりませんが、日本の教員に教育の誇りと義務
このユニバーサル段階では、大学とは何かを一
感をもって頂くことには賛成です。しかし、教育
義的に定義することはできません。資本主義社会
こそデシプリンが欠如しています。米国では、シ
が大学を必要としていることは明らかですが、多
ラバス、FD、トランスファー等々、教育したがら
様化した大学の存在意義について一般論はもう成
ない教員や勉強したがらない学生を否応なく勉強
り立ちません。
させ教育させる仕組みが発達しましたが、日本で
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超有識者場外ヒアリングシリーズ 46
はなかなか定着せず、教育情報公開の義務化や、
的です。アメリカモデルの教育方法ばかり輸入し
GP予算等も、一定の成果にとどまるところ、先生
ようと考えないで、もう一度日本的な伝統をリバ
はどうすればよいとお考えでしょうか。
イズし、活用することも検討してはどうかと思い
ます。
▶天野 1991年に大学審議会が、大学設置基準の
もう一つは大学院教育の見直しです。日本の大
大綱化答申を出しましたが、その中で始めて、教
学の教員が研究志向なのは、大学院で学ぶのは研
育改革の必要性を強調しました。重視されたのは
究者となるためであって、大学教員になるためで
カリキュラム編成の自由化でしたが、シラバス、
はないと思っているからではないのか。教えてい
授業評価、教授法、ティーチング・アシスタント
る先生方も、研究者の養成を重視しています。そ
の導入といった様々な教育改革を提言していま
のため、優秀な大学教員が育ちません。基盤的経
す。しかし、当時は、カリキュラム改革にエネル
費が削減され、競争的研究費が増額されています
ギーが集中して、教育方法の改革には大きな進展
が、これでは大学院の研究者養成重視がさらに強
がなかったのです。
化されてしまう危険性があります。大学教員の養
当時、広島大学の高等教育研究センターが大学
成にも中核的な役割を果たしている、特定の研究
教員の国際比較調査をやったところ、教育よりも
大学に研究費が集中投資され、院生達が研究補助
研究が重要だと答える大学教員が日本では7割を
の方に引っ張られ、ますます研究中心の大学教員
超え、アメリカは4割を切っているという対照的
が育つようになる危険性を感じます。
『大学に教育革命を』という文章を新聞に書き、
連載
な結果が出ました。
(大学改革の方向)
▶神田 先生は読売新聞の松本美奈さんとの昨年
育は改善されないと主張したのを思い出します。
4月のインタビューで、中教審71年(四六)答申
その後、教員の意識は随分変わってきたと思い
の大学種別化の失敗の後、87年答申の個性化・多
ます。変わらざるを得ない、抵抗してられない状
様化路線で、大学の自由選択を促したのに、文科
況が生まれてきたからです。一つは学生の質が変
省が昨年、ミッションの再定義を打ち出したのは
わり、主体的に勉強する意欲のない学生もどんど
矛盾をしていると示唆しています。実は、その方
ん入ってくる。学問の世界自体が大きく変化し、
向には自分も責任がありますが、少子化、財政危
伝統的な19世紀的な学問の枠では捉えられない新
機等で環境が厳しくなる中、独自性を喪失して小
しい学問分野が次々にでてきました。また、卒業
東大化した国大の使命がみえにくくなり、大学が
後の職業の世界も大きく変わり、それに対応せざ
サバイブして、社会に貢献するためには、比較優
るを得なくなってきたわけです。
位に応じた優先順位を踏まえたミッションを自ら
最近のアクティブラーニングまで含め、アメリ
定義して、そこに資源を集中投入するしかないと
カ生まれの勉強したくない学生を勉強させるさま
考えます。それを大学が自律的にオーナーシップ
ざまな方法を導入する大学が増えてきたのはその
をもってやって欲しいと思ったのですが、残念な
ためですがその中で依然として重要なのはカリキ
がら、自主的な取組みが余り起こらず、寧ろ各大
ュラムの問題、基本的に何を教えるべきかという
学で将来を真面目に考える改革派が鎖国的抵抗勢
ことです。日本の大学はその点で遅れていると思
力に妨害される状況が散見されたため、再定義の
います。
宿題を出すと共に、資金誘因の強化を打出さざる
他方、日本の大学教育はそんなにだめなのか議
を得なかったのです。しかし、その結果、文科省
論をする必要があるとも感じています。日本の教
も私も期待した以上の革新的なアイデアが多々、
育的な財産を見直すと、アメリカになくて日本に
出現し、これを尊重しつつ、大学が主体性をもっ
あるものとして、文系の学部段階でのゼミや卒業
た自律的なメカニズムが動き出したと感じており
論文制度、理系の実験実習や研究室制度等は特徴
ますが、先生は、どう評価しておられますか。
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超有識者
ヒアリング
革命的な意識変化を起こさなければ日本の大学教
▶天野 ミッション再定義の問題はなによりも地
た千葉・金沢・岡山などの大学に、総合大学化志
方国立大学の問題です。地方国立大学に対する
「ミ
向が強かったのですが、文部省は旧帝大型の全学
ニ東大化」という批判がありますが、昔は確かに
部講座制の国立総合大学は増やしませんでした。
そうでした。しかしもうそういう時代は過ぎてい
他方で、文部省は、地方国立大学に理工系中心
ると思います。今は国立大学の3タイプ選択の中
に学部の新設や、大学院の修士・博士課程設置を
で、地域貢献を志向する大学が50校近くあること
認めて研究機能強化につとめてきたわけですか
をみても、自己認識が変わってきていることがわ
ら、ミニ東大化志向といっても、文科省のポリシ
かります。
ーもそうであったし、そのことが、日本の大学の
地方国立大学は戦後改革の過程で、高等学校、
研究機能全体の基盤強化に大きな役割を果たして
専門学校、官立医科大学、師範学校といった種々
きました。70年近く経ち、ミッションの見直しは
雑多な異質の高等教育機関を再編・統合して発足
必要ですが、過去を否定的にばかり見るべきでは
しました。昭和23年に、国立大学再編の11原則を
ないと思います。
文部省が決めますが、それは大学を基本的に二つ
のタイプに分ける考え方でした。一つは、
「国立
▶神田 先生の『大学改革を問い直す』における、
総合大学」を、各ブロックに一校ずつ配置し、全
新自由主義的風潮の中での大綱化・自由化の結果、
ての学問分野を網羅して、ブロックの文教の中心
文部省が規模のコントロール能力を喪失し、現在
にするということです。旧制帝大は7校ありまし
の需給ミスマッチ、学力低下を招いたという分析
連載
たが、これを「国立総合大学」と言い換え、その
はその通りだと思います。事前規制から事後評価、
7校が変わらず現在まで来ています。もう一つの
直接規制からインセンティブ導入という政策手法
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ヒアリング
タイプは「国立複合大学」で、県の文教の中心に
は、行政の情報非対称性やリソース制約等により
すべく、必ず学芸学部と文理学部を置き、学芸学
プリンシンパル・エイジェント論からも支持され、
部には教員養成の機能を持たせる、なければ教育
私は継続、深化させていかざるをえないと考えま
学部を新設するというものです。アメリカの州立
す。他方、法科大学院の悲劇は自由放任にありま
大学をモデルに、教員養成とリベラルアーツ・市
したし、人口減少の中、私学が経営を維持するた
民育成の機能を一番重要だとしたわけです。それ
めに入学数を維持すべく学力水準を不問にする質
から、地域産業関連の工・農等の専門学部を置き、
の低下状況を作り出したのも、学校経営の持続可
医学部も可能な限り地域医療のセンターとして各
能性がなくなり、定員割れだと私学助成を一層削
県に置いていくとしました。こうして「一県一大
減することを続けざるを得ないのも、
『高等教育
学原則」のもと、各県1校の地方国立大学が誕生
システムの変動』で詳述された97年「将来構想」
することになったわけです。
以来の規制緩和に原因があるようです。先生は、
ただこの時期はまだ高等教育のエリート段階で
行政当局と大学法人の責任分担、規制の範囲はど
あり、進学率が10%程度、国立大学には4~5%
うあるのが理想的とお考えでしょうか。
でした。最大の使命は教員養成で、入学定員の4
割から5割が教員養成学部であり、それを除くと
▶天野 法科大学院問題は、文部省の責任だとは
同年齢人口の2%程度を入れるだけの国立大学
思っていません。私は最初からこの制度は問題だ
は、エリート高等教育機関だったといえます。で
と考え、発言してきました。当時は新自由主義的
すからそうした地方国立大学の中に、研究機能を
な政策が強調され、大学院は設置自由でどんどん
強化して、旧帝大並みに研究大学化、国立総合大
認めろということでした。しかし、司法試験の合
学化したいという志向を持つ大学が多かったとし
格者数は司法研修があるから3千人が上限とすれ
ても、不思議はなかったわけです。広島文理大を
ば、当然浪人が出て合格率は年々下がり、予備校
中心にした広島大学、神戸商業大を中心にした神
も蔓延り、大学院間で競争が激しくなって脱落が
戸大学、それから官立の医科大学を中心に発足し
出てきます。そこまで踏み込んだ想定をして、制
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超有識者場外ヒアリングシリーズ 46
▶神田 私は、濱田前東大総長の勇気ある秋入学
悟がなかったわけです。
イニシアティヴを、その問題点も理解した上で、
法科大学院問題に象徴されるように、
「事前規
賛同致しました。これ自体は実現しませんでした
制から事後チェックへ」というのが文部行政でも
が、日本社会を覚醒させる大きな効果がありまし
キーワードとなって急進展しましたが、それは日
たし、五神総長が極めて上手に現実的なセミスタ
本の高等教育行政にとって基本的な大転換でし
ー制に着地させて下さり、有意義であったと考え
た。ただ、それは文部省が主体的に選んだもので
ています。
『高等教育の時代』を拝読していると、
はなく、当時の政権政党の求によったわけで、大
東京帝大が秋入学に固執した経緯の詳述があり、
学側も文部省側もどれだけ、大転換の意味わかっ
歴史の皮肉に笑ってしまいました。とまれ、この
ていたのかという気がします。
ような学長のリーダーシップを私は支持し、最近
高等教育の規制緩和は、市場化の進んだアメリ
の学長権限強化も、今般の大学の経営力概念もこ
カがモデルですが、そのアメリカは国による規制
れに期待するものですが、最近の一部の学長選挙
が弱く、州による高等教育システムが分立し、私
をみていると、なかなか容易ではありません。現
立・公立とも多様な大学・高等教育機関が生まれ
場が改革のオーナーシップをもつべきですが、そ
ました。初めから弱い国家規制、質的な多様化と
うでない時は、学長の調整コストや政治リスクが
いう前提のもと、
「質の維持装置」をボランタリ
高いのが実態です。先生は学内の意思決定を時代
ーに作るということで、アクレディテーションの
の変化に間に合うように効果的に行うようにする
制度ができ、それで認定された大学に学生の奨学
にはどうすればいいとお考えでしょうか。
連載
度を作ったはずだと思うのですが、それだけの覚
金受給資格を認めたり、研究者の研究資金受給資
▶天野 学長権限が極めて強いのはアメリカで
うになったわけです。同時に市場メカニズムが質
す。他の国はそうではなく、アメリカが例外的で
の維持装置として機能し、質的に低い大学は学生
す。1900年代の初めにマックス・ウェーバーが訪
もお金も得られなくなって退出し、大学が絶えず
米した際、アメリカの大学の激しい競争と学長権
できたり潰れたりする状況になっているわけで
限が強いことが印象的だったと帰国後の講演で言
す。
っていますが、大学内の保守的な勢力に対抗する
ところが日本は全く違うシステムで、明治以来、
ために若い世代の教員の意見を学長が入れて闘っ
文部省の設置認可行政が最大の質の維持・保証装
ているという話で、ドイツの大学が教授支配で若
置になってきました。もし、その行政による規制
手の声が反映されない現実を批判したかったのだ
を緩和し放棄するとなれば、それに変わる質の維
と思われます
持・保証装置が必要になるのですが、それを作り
アメリカの学長権限が強いのは、アメリカの大
上げるための時間のないまま、緩和だけが進み、
学が教育機関であるカレッジから出発しており、
さまざまな問題を生んでいるわけです。
学長は校長として学生を徹底的に教育・訓練する
先ほどふれたように、日本は私立セクターが非
責任を負い、教員達も自治など認められず、まさ
常に大きな比率を占めている国です。その私立が
に教師として、ティーチャーとして雇われていた
自由を要求するのを認めざるを得ないとなれば、
ためです。しかも強力な理事会があって、理事会
規制をかけるのはどうしても国立中心になってし
が学長を任命していました。
まいます。アメリカでも公立セクターは州政府に
しかしアメリカでも変化が起こります。大学院
よる規制が厳しい。私立は自由にしておけば質の
が19世紀末頃から作られますが、ドイツの大学に
低下は免れず、質の向上のために行政介入するの
留学して帰ってきた教員達が、研究を重視するよ
か、自主努力に委ねるのかが課題ですが、日本で
うになり、研究機能を強化するためには学問の自
は市場メカニズムが働かず、退出が余りみられな
由や自治が必要だということで、教授会の力が
いのが現実です。
段々強くなります。1960年代末、大学紛争の時代
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超有識者
ヒアリング
格を与えるといった形で、行政の側も利用するよ
に、デイビット・リースマンが書いた『大学革命』
る方向に行く必要があります。
という本が日本でベストセラーになりましたが、
変わらないといわれますが、法人化から12年た
原題は『アカデミック・レボリューション』で、
って、やはり変化がみられます。まず学長の直接
学生の革命ではなく教員の革命、即ち、大学の先
選挙から意向投票に変わったのだということが、
生達が20世紀に入るころから着実に力を増し、自
なかなか理解されませんでしたが、今では投票で
治や自由を獲得するようになったことを書いた本
2位だった人を学長にしても、裁判沙汰などの騒
です。これによってアメリカの大学は、理事会・
動は起きません。また、理事や副学長の中から学
学長を中心とする執行部・教授会という三者の力
長が選任される例が、特に地方国立大学で増えて
関係を中心に運営されるようになるのですが、そ
きています。独立採算の経営体である付属病院の
の力関係は大学によって様々です。
院長経験者が選任される例も増え、経営能力の重
ところが日本は全く異なり、帝国大学総長は最
要性が認識されるようになりました。
初は文部大臣任命でしたが、これに教授会が反発
むしろ問題は、国立大学が部外者による理事会
し、総長の選任権を含めて、教員・学部長・学長
を持たないで、学長が理事長と執行部も兼ねると
の人事権を自分達に認めろというのが大学自治の
いう教学と経営一体のやり方にあるのかもしれま
最大の焦点でした。学部教授会に教授と学部長の
せん。軽々に分けない方がいいかもしれないし、
選任権を認め、総長についても直接選挙を認めろ
学長がだんだん自分達のリーダーシップで改革出
と主張したわけです。法的に明記されることはあ
来るようになっていくかもしれませんが。
連載
りませんでしたが、大正期に慣行として認められ、
超有識者
ヒアリング
教授たちによる直接選挙の結果を文部大臣が追認
▶神田 仰った法人執行部の強化策についてはど
して、任命するという形でずっと来ました。
うお考えでしょうか。
ただ戦前期の私立大学では、アメリカ同様、理
事会が強く、学長の任免も理事会がやり、教授会
▶天野 理事は、当初の制度設計では大学の教育
も存在しない大学が殆どでした。しかし戦後にな
研究から離れて専念する大学経営の専任職のはず
って、国立大学の方式に段々対応せざるを得なく
でしたが、実際は、数年間の執行部への出向のよ
なり、学長の選任に教授会投票を取り入れる大学
うな形になっており、教育研究に戻りたいから短
が、特に大学紛争の前後に増えました。慶応、早
い方が良いということで、2年とか4年の任期に
稲田といった伝統的な大学ほど、直接選挙で選任
なってしまっています。しかも、専門分担がある
された学長が理事長を兼ねるという、アメリカの
わけですが、特に財務と人事は専門性が要求され
私立大学からすれば奇妙な例も少なくありません。
るにもかかわらず、専門性を育てる仕組みがあり
その後、国立大学は法人化して学長権限を強め
ません。国立大学法人の財務関係の規定は外部者
る方向に変わりました。ただ、国立大学法人法に
にも内部者にも非常にわかりにくく、ジャーゴン
理事長という言葉はなく、学長自身にも教員側に
の世界で、財務担当理事も十分にわかっていると
も、学長は同時に理事長であり、教学の代表であ
はいえないし、経営協議会委員も大部分わかって
ると同時に、経営の代表だという意識が弱いので
いないのではないかと思われます。
はないかと思われます。
専門性を持った理事を育てる仕組みを考えない
国立大学法人というのは、国立・大学・法人の
といけないのですが、誰もその研修の責任も持っ
三つの部分から成り立ち、そのバランスに微妙な
ていない。国大協自体が本格的にやっているとは
問題があると思っています。国立の部分は文部科
いえません。財務センターにいた時に、研修制度
学省が、大学は教授会が、法人は執行部が代表す
を作って、財務担当理事の初任者研修や情報交流、
るなか、法人の部分が依然として弱く、国立の側
財務のあり方の議論をしてもらおうと考えていま
と大学の側の間で板挟みになっているわけです。
したが、当時の文部省や財務省に潰されてしまい
その意味では学長というより、法人の権限を強め
ました。職員を含めて人的なリソースの体系的な
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ファイナンス 2016.1
超有識者場外ヒアリングシリーズ 46
育成を考えるべきだと思います。
戦前期には法学部や経済学部では過半数が学位を
持たない教授だったのです。市場がない、競争と
価システムが必須です。
『大学改革のゆくえ』で
ったわけです。学術雑誌自体が、各大学それぞれ
も記されているように、アカデミックエリートへ
に卒業者を主体に学会を作っている分野が多かっ
の信頼が失墜し、市場的競争にレジティマシ―を
たから、各大学学部の機関誌にすぎず、国公私を
見出さざるをえなくなっています。特に、国庫資
通じたアカデミック・コミュニティが形成される
金を大量投入する時代となり、公平で効率的な資
ことはなく、学閥が縦割りでつくられてきたので
源配分のためにも、納税者の納得にも目標と成果
す。大分、崩れてはきましたが、それがいまも残
のアカウンタブルな評価が必要です。しかし、も
っている学問領域が少なくありません。
ともとアクレディテーションシステムのもと重層
大学間の評価にも問題があります。戦後の学制
的で多様な評価の歴史と仕組みのある米国のよう
改革はアメリカ的システムを入れるということで
にはいきません。
『日本の高等教育システム』で
したから、昭和22年にアクレディテーションのた
日本に特徴的とされたインブリーディング(同系
めの大学基準協会が創設されましたが、全く育ち
繁殖が再生産する学閥)が大学のみならず領域・
ませんでした。アメリカ占領軍は、文部省の解体
講座でも再生産された結果、各封土で硬直的なハ
や弱体化をはかったのですが、結局大学設置認可
イアラーキーを形成しつつ、封土間の競争はせず
の権限を文部省が握り、大学設置審議会で設置審
相互領土安堵する封建秩序となり、ピアプレッシ
査をすることになりました。ボランタリーに大学
ャーや全体的横串視座が不在となってしまったと
が集まった大学基準協会が大学基準を作成して
思います。これが学問の細分化で、パロッキアル
も、国家の設置基準の方が権威になり、大学基準
というか、より酷くなっており、科学技術予算の
協会の基準による評価をもう一度受ける必要はな
科学的な優先順位付けもできていないと批判が絶
いという考え方が、強かったわけです。アメリカ
えません。先生は、我が国にどうすれば適切な評
には国家による設置認可制度はなく、届出制に近
価システムを育成できるとお考えでしょうか。
くて自由に大学を設置できます。そのために質を
維持するための、アクレディテーション制度を大
▶天野 研究者間での評価システムが弱いのは、
学が集まって作ったのですが、日本はその経緯を
アカデミック・コミュニティの問題で、その成り
理解せず、旧制大学中心のエリート大学団体にな
立ちが、帝国大学、特に東京帝大中心に作られ、
ってしまいました。大学基準を通ったらメンバー
しかもその帝国大学も、十年おきくらいに一校ず
にしてあげるという意識が強かったので、新制大
つ増えてきたため、昭和の初めまで帝大卒業生の
学の側が、文部省の設置認可を受けているんだか
半数以上が東京帝大卒でしめられ、いわゆる赤門
ら余計なお世話と拒否反応を起こし、メリットも
閥が形成されていたというのが根源です。
義務もない中、定着するに到りませんでした。
昭和30年代になっても、大学教授の出身大学の
その後、1998年の大学審答申で、大学に自己点
調査結果を見ると、東京大学が全体の約30%、京
検評価と第三者評価のシステムを入れることにな
都大学が15%、帝国大学全体で6割近いシェアで
り、多くの大学が自己点検評価を始め、国大協も
した。そして、その帝国大学は後継者養成のシス
自前で評価機構を作ったわけです。国立大学の質
テムとして機能する、一講座一教授の「講座制」
の向上のためにボランンタリーな団体として評価
をとってきました。つまり、初めから、大学教授
活動をしていくという話でしたが、2004年に認証
間の評価とか競争とはあまり縁のない世界だった
評価制度を文科省が決め、全ての大学が文科省の
のです。しかも、欧米諸国だと、大学教授になる
認定を受けた評価機関の評価を受けなければいけ
には、まず博士学位を取っていることが大前提で
ないことになりました。このアクレディテーショ
すが、日本では帝大教授ですら学位不要で、昭和
ンの制度は、アメリカでは何十年もかかって作り
ファイナンス 2016.1
36
超有識者
ヒアリング
か流動性もないから学位の有無も問題にならなか
連載
▶神田 資源と権威の効果的な分配には適切な評
あげてきたものですが、日本では、ヒト・モノ・
カネの投入が殆どないまま、1~2年でつくりあ
げられました。大学基準協会は私大連関係の大学
中心に拡充し、国大協は先の評価機構、私大協も
別に評価機関を作り、三つが並立し、それぞれが
特定のクライアントを持つ形になり、お手盛り評
価の批判も出ています。また、国立大学は、認証
評価制度と同時に法人化したことによって、実績
評価制度が入って6年の中期計画と毎年の実績評
価が加わり、自己点検評価・法人の実績評価・認
証評価の3つになってしまいました。手間がかか
るので、自己点検評価を止めてしまい、認証評価
は基準がそれほど高くなく5年に1回ですから、
結局法人の実績評価のところにエネルギーが集約
化されてしまいました。実績評価は行政的な手続
きで、特に問題がない限りパスする、実績報告を
見るだけという評価の形骸化が起こりました。ア
連載
カデミック・コミュニティに問題がある分、新た
超有識者
ヒアリング
なく、さらに悪いことに、国立大学の評価機構が
な資源の投入が必要だったのにしなかっただけで
学位授与機構と統合され、国立大学財務・経営セ
ンターまで加わりました。評価の重要性とか専門
性が、ますます軽視されるようになったわけです。
▶神田 『大学改革のゆくえ』において地方大学
の地域交流への期待が論じられています。政府と
しても、地域創生の観点からも地域での産学連携
や地域社会貢献を推進すると共に、大都市私大定
員超過へのディスインセンティヴの導入を図って
います。蓋し、地域格差や人口問題に対応するに
は、地方大学の質の高い労働力と健全な主権者を
再生産する教育機能は重要と考えており、今般の
三類型でも地域の人材育成のための教育に正統性
を与えています。また、地方大学にも、領域によ
っては、東大を超える世界トップクラスの研究機
能を有しているところがあり、これは守りたいと
思います。しかし、人口減少の中で選択と集中、
統合再編しない限り、共倒れになるのは確実です
し、私の所管する金融機関を含め他の産業でも、
行政でも大合併を推進してきている中、大学も生
き残りをかけて、再編統合をもっと真剣に考えな
いと、学力低下と人気低迷の悪循環の中で、募集
37
ファイナンス 2016.1
停止に追い込まれていくだけだと思いますが、先
生の御考えをお聞かせ下さい。特に、
『大学改革
を問い直す』で業界団体も評価組織も設置者別の
縦割であることを日本の弱みと指摘されています
が、同感であり、国公私を超えた連携は当たり前
で、ましてや、過疎化で更に厳しい環境にある地
方の大学は、留学生や生涯教育の需要だけでは追
いつかず、国公私を超えた統合再編が必要になる
と思われますが、いかがでしょうか。
▶天野 国公私立の間には移管の議論はあって
も、相互の連携の話はあまりされてきませんでし
た。ただ地域には、国私を超えて、単位互換や共
通カリキュラムといった、大学連合体的な色々な
動きがあります。京都のコンソーシアムは、その
先進例でしょう。
ただ、国家政策も重要です。実は敗戦直後、大
学間連携の様々な動きがあり、例えば四国では、
四国4大学の「連合大学」構想があり、四国総合
大学を作り、経済学部は高松高商のある高松に、
愛媛には、松山高校があるから文理学部を置くと
いった話でした。南九州でも熊本が中心になる話、
東京では、千葉の医科大学と一橋や他の旧帝大以
外の旧制大学で新しい総合大学を作る話等もあり
ましたが、結局、文部省の一県一大学原則で、県
域を越えた統合や連合はまかりならんと言うこと
になったのです。
ですから、今の国立大学セクターの構造は政府
の政策の結果であり、一県一大学原則を否定する
のであれば、政府も、それなりの議論をして、国
立大学の再編を考えるべきなのです。ただ、これ
は、道州制や地方主権の問題とも関係しており、
超有識者場外ヒアリングシリーズ 46
今はそれぞれの府県が強い行政権限を持っている
正しいものの、先生が指摘されるように短期高等
ことが課題となります。
教育の多様な発展を阻害した可能性もあります。
1970年に東大で「国立大学と地域社会」という
先生は、高等教育の多様性をどう扱うべき、また、
調査をしましたが、当時国立大学は確かにミニ東
生涯学習の中核ともなるコミュニティ・カレッジ
大志向、全国志向が非常に強かったのです。地域
的機能はどのように担われるべきとお考えでしょ
の有識者の調査でも、学生を全国から集めて、全
うか。
国に卒業生を送り出せという考え方が多数でし
立大学と地域交流」という調査を、地方の7大学
教育であり、17歳で入学して20歳で卒業していま
対象に実施しました。それによって様々な形で地
した。旧制高校や予科を含めて大学が23歳までの
方の国立大学が行政、産業、教育、福祉、文化と
6年制で、お金もかかるため、卒業生比率では大
結びつき、交流し貢献しているにもかかわらず、
学3割、専門学校7割でした。
個々の教員が関わっているだけで、大学として地
ところが、戦後の学校教育法では、短期高等教
域に貢献しているという自覚がないし、地域の方
育に対する目配りがなく、アメリカに押し付けら
も大学に貢献してもらっているという自覚がない
れた形で、全部が4年制大学になりました。しか
ことが判りました。ただ、約40%の先生達は地域
し、直ちに移行できない学校への救済措置が必要
貢献が重要だと答えており、その時点で既に大き
になって、結局、暫定措置として2年制の短期大
な変化が起こっていたわけです。
学を設けました。実際、200校くらいが短大にな
今は県の側が非常に積極的で、大学は入学定員
ったので、受け皿としては有効だったわけですが、
を減らさず、地域貢献に役立つための教育をして
そこから大学に、特に男子系が次々に大学に昇格
くれと強く言ってきます。再編問題が浮上してく
する一方、女子系の短大が、どんどん増えていき
ると、県の側から統合反対運動が起こることが予
ました。戦前期の高等女学校が大学の仲間入りを
想されます。
したいというので、流れ込んできたためで、日本
私は、連携・再編・統合の必要性があると思い
の短期高等教育は女子教育中心になりました。文
ます。それぞれが小規模で、しかもミニ東大志向
部省は、短期の職業教育機関も必要だと考えまし
できただけに、全部が地盤沈下する危険性がある
たが、短大側が女子中心で職業系短大を作ること
わけで、特色を打ち出して、生きるために何をし
に消極的だったことから、短大制度を恒常化する
ていくか考えていかないといけない。そのために
と同時に、別枠として高専制度を作り、短大制度
もお互いに連携して、強い大学を作っていく努力
と抵触しない5年制としました。その高専は評価
が求められます。
の高い職業教育ができているのですが、国立主体
で小規模のため、高コストであり、工業主体で他
▶神田 教育というものは多様でシームレスで、
の職業領域に拡がらず、アメリカのコミュニティ・
上下関係がなく、互いに流動性の高いシステムが
カレッジのようにユニバーサル化の受け皿にはな
好ましいと考えます。米国ではマス化の中でコミ
りえていないわけです。公立で、授業料も安く、
ュニティカレッジが社会の学力維持の中核として
オープンアドミッションで誰でも入れ、大学に転
機能しつつ、多様で階層的なシステムが育ったと
学もできるが、卒業率は低いコミュニティ・カレ
分析しておられますが、日本では、短大が4年制
ッジと、日本の短大や高専は全く違うのです。
に組織替えしていき、大学は名前だけ看板をかえ
では、何がコミュニティ・カレッジ的な機能を
多様化しつつも内容は均質化する傾向にあり、専
果たしているかというと、日本では、専修学校・
門学校も大学化したいと要望される有様で、逆方
各種学校です。ここに、18歳人口の20%前後が入
向にあります。61年に発足した高専(高等専門学
っており、短大の4%より遥かに大きい規模です。
校)が高就職率等から高く評価されていることは
法律的には(学校教育法の)一条校にするかしな
ファイナンス 2016.1
38
超有識者
ヒアリング
▶天野 戦前の専門学校はいわば全てが短期高等
連載
た。その後、
2000年に国立大学財務センターで「国
いかという議論がありますが、文科省はご都合主
大学のデグリーは世界で認知されないことを、私
義で、統計上高等教育の中に入れたり入れなかっ
が世界銀行職員の採用をやっていた時も痛感させ
たりしています。国際比較の際には入れないため、
られました。先生は日本の卒業ポリシーについて
コミュニティ・カレッジを入れているアメリカや、
どのようにお考えでしょうか。
生涯教育的な機関まで入れている欧州と比べて、
高等教育進学率が低く見えるのです。
▶天野 文部省がある時期からアドミッション、
その専修学校は非常に多様性があり、学校間の
カリキュラムー、ディプロマの3つのポリシー、
競争も激しい、高等教育の中で一番市場化してい
言いかえれば大学の入口と教育のプロセスと出口
る部分で、社会的なニーズに対応して発展してき
の三つを有機的に結びつけて、質の向上を図ろう
ました。大学の設置認可基準が緩くなって、専修
という政策を打ち出しました。入口は入学者選抜、
学校から大学に次々移行してきており、大学の多
教育のプロセスは教育成果の評価、卒業は卒業資
様化の一つの手段になる一方、混乱も生じてきて
格・学位の問題ですが、これらの関係は、国によ
います。ここでも私立が圧倒的多数ですから教育
っても、発展段階によっても、国立と私立でも違
費が高く、ユニバーサル化の受け皿よりも制約条
っています。
件になっている可能性もあり、専修学校を高等教
戦前期の国立大学の特徴は学力主義でした。必
育システムの中にどう位置付けるかがこれからの
修主体のカリキュラムを全科目履修させる、厳格
大きな課題だと思います。
な科目主義を取り、教育も進級制度が厳しく、入
連載
口も入学者選抜が厳しかったわけです。平均点60
超有識者
ヒアリング
▶神田 『大学改革を問い直す』でもリマインド
点以上取らないと進級させず、一科目でも50点以
されたように昔の旧制高校、帝大の道は極めて厳
下があれば落第、留年は一年しか認めない、二年
しい選別を経ています。入り口を厳しくして、高
になれば即退学というきびしい制度でした。出口
校教育を強化すべきですが、私の持論ですが、企
も、最初は、帝大は卒業試験をやっていました。
業は大学を、大学は高校を、高校は義務教育を、
法科大学は一科目でも落とせば進級できず、卒業
小学校は家庭を批判し、教員も親も教育システム
試験があり、その後に高等文官試験もありました。
が生み出す再生産ループにあるので、どこが悪い
学生が試験漬けになっているという批判が強くな
といっても悪循環が治りません。まさに、今、最
ったため、卒業試験は明治末に撤廃されましたが、
も悩ましいアーテキュレーション(高大接続)問
教育の厳しさは残りました。それは官立の高等学
題の背景です。そして、更に子供の数が半減する
校・専門学校でも同様でした。
とすれば入口の厳格化には限界があると思われま
私立の方は入口が緩く、大正期までは、慶応、
す。やはり、世界標準的な出口の厳格化も必要で、
早稲田、それに慈恵医大のような医科大学を除け
そうすれば、法科大学院同様、単に入学するだけ
ば、殆どは無試験入学でした。しかし、入学後は
では無意味となり、進学前にも在学中も正しいイ
ここでも科目制で進級制を取り、中途退学率が年
ンセンティヴが働くでしょう。私が修了したオッ
間15%前後という時期が続きました。入口が緩く、
クスフォード大学院のM.Philは、入学が難関で有
入った後は厳しいという形だったわけで、今のよ
名ですが、入学後も三分の一の仲間が修了できず
うになったのは戦後の話です。
途中で消えました。退学もいれば、下級の修士に
戦後は学力主義ではなく、履修主義になり、単
編入したり、他大学に移ったり、様々なクーリン
位制度が導入されました。科目制で一定のカリキ
グアウトでしたが、社会制度の厚みも感じました。
ュラムを履修していなければ進級・卒業できない
東大も優が一桁では進級させず、最後も三分の一
というのではなく、124単位をとれば卒業できる
は卒業させないことを進言したことがあります
ようになり、選択制度が大幅に入り、評価は点数
が、それでは教官が学生や保護者に殺されるとい
主義ではなくなり、卒業試験もなくなりました。
って相手にされませんでした。その結果、日本の
日本の場合、学士号が長い間学位ではなく、卒
39
ファイナンス 2016.1
超有識者場外ヒアリングシリーズ 46
業者の称号だったことも重要です。1991年の設置
イツは低く、アメリカでは手取り足取りの私大は
基準の改定の時に学位になったのですが、ずっと
高く、オープンアドミッションの公立は非常に低
デグリーでなかったことが、出口の緩さと関係し
いというのが実状です。
ているのかもしれません。
日本は、学位を各大学が勝手に出せるため、名
マス化の過程で、私立は進学希望者が年々増え
称が多様化して五百を超え、何を学んできたかの
るなか、入学者選抜が厳しくなり、国立私立とも
証明にならないという問題もあります。学位の種
に入学試験に質の維持を依存する時代が続きまし
類を整理・統合すべきですし、職業関連の学位は
た。
別枠にして、カリキュラムの履修要件を整備して
しかし、私立の場合には入った後、高い授業料
いくべきです。大学の種別化よりも学位の種別化
を取っているのに卒業させないのはおかしいとい
の方が効果的ではないかと思います。人文社会系
う世論に押され、4年経ったら卒業させる仕組み
については元々企業の側がそういうものを要求し
に移行していきます。大学紛争後はそれが加速さ
ていないので、一般的な能力を高めるためのカリ
れて、授業よりもクラブ・サークル活動の方にウ
キュラム改革を進め、専門性の高い部分について
エイトが移ってしまう状態になり、教育軽視が広
は大学院なり生涯学習の部分を強化していく方が
がって今日に至っています
望ましく、生涯学習型のカリキュラムの開発が急
同時に企業の人事政策の影響も強いと思いま
がれます。
す。戦前期は卒業した学校によって学士号の値段
もありましたが、戦後は全部同一化されたと同時
Education)の世界大学ランキングにおいて、東
に新卒の一括採用が広がりました。企業の側は企
大が23位からシンガポール国立大や北京大に抜か
業内訓練に自信を持っており、基礎学力さえあれ
れる43位、京大も59位から88位に転落し、200位
ば、専門性は企業の方で身に付けさせるという考
以内のこの2校だけとなりました。私としては、
えなので、ますます学力、専門性軽視になってい
英語圏や理系が論文引用や国際度指数で有利とい
きました。
ったバイアスはあり、それ自体、究極の目標では
そこで出口評価の問題になりますが、卒業試験
なく、あくまで国際競争力を認知してもらうと共
制度は明治期におこなわれていましたが、その後、
に、国内を強化する手段と考えておりますが、留
廃止された経緯があり、今これだけ緩くなってし
学、寄付、国際共同研究等で基準となっているの
まうと再導入は難しいでしょう。ただ、資格職業、
は事実であり、新たな土俵を作る前に、この土俵
国家資格と関連している部分については、予備テ
で勝たなくてはなりません。そのため、国際化の
スト的なことが実施されるようになっており、学
ための資金的インセンティヴを導入したり、教員
力判定に合格しないと受験資格を認めないところ
の給与、定員等の自由化を進めてきましたが、残
も出てきているわけで、質のコントロールを外側
念ながら、現場の教授会が鎖国論、競争忌避で動
の国家試験との関係で行っている部分がありま
かなかった部分があります。国際ランキングは必
す。職業と関連する資格制度があればそれと連携
ずしも公平ではありませんが、国際共著論文、留
すればいいわけですが、人文社会系は特定の職業
学生、企業資金といった日本が低ランクにある分
資格と結びついていないわけですから、カリキュ
野はいずれもどのみち強化すべきものです。寧ろ
ラムを強化して教育プロセスでの評価システムを
改革推進の手段として活用すべきだし、無視する
きちんとする必要があります。欧米では教育プロ
選択肢はないと思いますが、先生はいかがお考え
セスでの評価が厳しいため、卒業率が5割程度し
でしょうか。
かありませんが、日本で同じことはなかなかでき
ません。イギリスは丁寧な教育をしているので卒
▶天野 ランキングは、
『US ニューズ&ワールド・
業率が高く、教育に無関心で放任のフランス、ド
レポート』がアメリカの大学を対象に評価したの
ファイナンス 2016.1
40
超有識者
ヒアリング
▶ 神 田 先 月 公 表 さ れ たTHE(Times Higher
連載
に差があり、帝大と他の大学とでは初任給の違い
が起源ですが、当時から、ランキングゲームに陥
う。それは、一つには、日本が教育と研究の「自
っているという批判がありました。同じ基準、同
国化」に最初に短期間で成功した国だからです。
じ対象で毎年やっても、ランキングの変動は短期
他の開発途上国はまだ自立できていません。シン
間には起こらないはずです。しかし、毎年同じだ
ガポール国立大学にシンガポール出身の教授は殆
とランキングを載せた雑誌が売れないので、変化
どおらず、中国の大学もアメリカの大学に研究者
させるために評価の指標を変えることをやりま
養成を依存してきました。日本は自前の研究者の
す。それについて大学側から色々と文句が出て、
養成ができて、国際水準の研究ができる国に戦前
指標について一種のバーゲニングも生じ、信頼性
期に既になっていました。ただ、その成功のジレ
に疑問が呈されました。その後、世界的なランキ
ンマからどうやって抜け出すかを考えるべき段階
ングが3つ生まれましたが、同じことやっていた
に来ていることも確かです。優秀な外国人を雇う
のでは話題になりませんから、指標に差異をつけ、
ことは重要ですが、そのためには給与その他待遇
しかも毎年同じだと困るから、時々指標を変えま
の問題を変えないとなりません。なぜ自由が制約
す。それに大学が振り回されるようになったので
されて住みにくいとされるシンガポールに、優秀
す。
な外国人研究者がいくかといえば待遇がいいから
ランキングは一体誰のためにやっているのかが
です。しっかりした待遇ができずに、外国人の教
重要です。まず学生については、留学生がグロー
員数を単に増やすことだけに執着すれば、日本人
バル化の進んだ大学を選ぶ場合です。研究者は研
にくらべ質の低い人たちを雇うことになりかねま
連載
究で評価の高いところに行きたいので関心があり
せん。
ますし、大学自体も経営者ですから、ランクが高
もう一つは、優秀な日本人の研究者をきちんと
超有識者
ヒアリング
くならないといい学生が来ないかもしれないと注
養成するために、若手研究者に希望と機会を与え
目します。さらに、政府にとっても、特に後発国
ることです。研究費の重点的な配分に反対するわ
の場合、国家の威信にかかわる問題です。メディ
けではありませんが、若手研究者の養成の観点か
アや社会一般も情報として面白いから注目しま
ら反省が必要だと思います。重点配分をするほど
す。
優秀な若手を、一握りの大学が多数抱え込み、海
しかし、本来は大学という組織体にとってのラ
外の大学に出て行く機会を奪うことになりかねな
ンキングとして見るべきであり、ご指摘の通り教
いからです。また、ランキング百位に入る大学を
育研究活動の反省材料として活用すべきだと思い
十大学出すと、政府は言っていますが、それには
ます。一体なぜ自分の大学のランクが低いのか、
裾野が必要です。低迷している一因に、研究費重
あるいは指標は同じなのに毎年下がるとしたらそ
点投入政策がプロジェクト型で、短期に結果を出
れは何故なのか、といった自己反省の材料として
さないといけないため、研究基盤を逆に弱めてい
使うことが大切です。日本は開発途上国型でノー
る可能性すらあります。
ベル賞と同じく、ランキングを国家威信の問題に
していますが、もしそれを気にするのなら、どう
(高等教育論を超えて)
したらランクが上がるのかを深堀して考えてみる
▶神田 『大学の誕生』を読んでいて、よく考え
必要があります。外国人の教授や留学生を増やせ
させられた部分に、久米事件、戸水事件、沢柳事
ばいいのか、サイテーションに代表される論文の
件や、大正期の江木千之委員(後に文部大臣)の
質を高めるべきではないのか、といった議論なし
問題提起等にかかる大学自治の歴史があります。
に騒ぐのはナンセンスです。
小生の専攻のひとつは憲法学であり、死守すべき
なぜ日本がノーベル賞の受賞者をこれだけたく
学問の自由を守る手段として必要なところがあり
さん出しているのに、そうでない北京大学や清華
ますが、それが濫用されると、社会を誤った方向
大学やあるいはシンガポール国立大学より、東大
に導くと共に、競争のない閉鎖的な墓場にキャン
や京大が下なのかと思っている方も多いでしょ
パスに堕落します。他方、政府が過度に介入する
41
ファイナンス 2016.1
超有識者場外ヒアリングシリーズ 46
ことは極めて危険であるだけでなく、不完全情報
テストとエグザマンの違いを含めて、試験という
や政治的バイアスから最適の管理は不可能であ
ものをきっちり原理的に考える必要があります。
り、やはり、学者の自浄作用が求められるところ
単なる学力評価のテストであれば、至るところで
です。現実には、大学の自治が学部や領域、講座、
行われていますが、今度の入試改革はエグザマン
個々の教官の既得権益を守るモラルハザードとし
であり、テストで捕らえられないものを評価しよ
て機能しているとみられてしまっており、まさに
うとしています。それは人格を含む様々な問題に
学者が自ら、我々が守ろうとしている学問の自由
関わりますが、そこで評価の対象になるのは客観
を破壊する逆説的状況に陥っていることを先生は
的なテストでは計れない、社会学者のブルデュー
どうみておられますか。
の言う文化資本や社会資本といった、人間関係・
社会関係の中で培われてくるものです。そうした
ない階層があるところで、エグザマンを強化して
ません。学問の自由は十分に保障されています。
いけば、弱者を排除して強者をすくい上げるシス
その一方で、大学の教員の多くが研究者志向が強
テムになりかねません。全人格的評価につながる
く、教育者としての自覚が不足していることは、
エグザマンはそういった問題を含んでいます。テ
先ほどもふれたとおりです。教育をするために当
ストは客観的に一定の知識・学力を身につけたか
然、研究が必要です。同時にそれとは別に、大学
を計るのものですから、そういう問題は小さいの
の教員は自分の好きなテーマで研究する自由も持
ですが、それでも学力に階層差があることはよく
っています。その費用はできる限り自分で獲得す
知られています。理想としては個々人の全人的な、
る必要があります。研究者としての知的な好奇心
将来のポテンシャルを見抜ければいいのですが、
や社会的必要性と関連して、自分がどういう研究
それはどんなに有能な人間にも困難でしょう。
「神
テーマを選ぶかに学問の自由の基本的な問題があ
の領域」に立ち入らないほうがいいのではないか
ると思います。社会から見れば、なぜあんな役に
という気がします。
立たないことを研究しているのかという批判もあ
るでしょうがが、そこまで介入すべきではありま
▶神田 私は公僕であり、メリトクラシーの結果
せん。しかし、教育のための研究活動は、職業的
的存在です。その観点から、
『学歴の社会史』に
に必要とされている部分であり、学生に何を教え
おける、官僚の官公立、就中、帝大優位の差別的
るべきかということから研究のテーマが決まって
任用が、歪んだ学歴社会の現況の一つという適切
いく部分がなければなりません。
な分析は他人事ではありません。しかし、私が財
務省人事に携わった経験からは、今は逆で、我々
▶神田 『試験の社会史』で、私の学生時代に流
は多様性を求めています。政治パフォーマンスや
行したミッシェル・フーコーの『監獄の誕生』に
アファーマティヴアクションではなく、この乱世
おける個人性の記述の支配方法への転化という概
において新たなダイナミズムと進化の触媒を組織
念装置を工夫されたところも興味深く拝読させて
に取り入れるべく、東大ばかりよりも私学や地方、
頂いたのですが、IT化による情報処理の幾何級数
法学部ばかりより理系も欲しいなといった感じで
的増大と遺伝子や脳等の科学研究の進展による能
す。引き続き、東大法学部の優秀な学生にも来て
力の要素記述的還元により、エグザマンの機能と
もらいますが、多様性がないと時代の激変に勝て
手法は大きく変化する可能性を感じます。先生は
ないのです。ビルゲイツもスティーブジョブズも
将来の試験なるものがどうなる、或いはどうなる
大学を卒業していませんし、戦後最強の宰相のひ
べきかとお考えでしょうか。
とり田中角栄も高等小学校(乃至、中央工学校)
卒業であり、現在も政界、財界をみると巷にいう
▶天野 正直なところ、答えはありません。ただ、
学歴ハイアラーキーと乖離した姿です。つまり、
ファイナンス 2016.1
42
超有識者
ヒアリング
文化・社会資本にめぐまれた豊かな階層とそうで
ギー絡みの問題でしたが、今はそれは問題になり
連載
▶天野 学問の自由は、過去には殆どがイデオロ
地で学歴社会を貫徹しているフランスのような国
▶神田 戦後の革命の多くは、最近の東欧、中東
と違い、日本の学歴は、官僚や大企業サラリーマ
でも、理念よりもパンのための革命、とりわけ、
ンを育成するものであっても、必ずしもリーダー
知識階級の失業が大きな動因と分析されており、
を生み出すものではなく、多くの親はローリスク
中国の最大のリスクの一つにもなっています。先
ローリターンの教育をしているようにも思われま
生の『高等教育の時代』が興味深くその問題に触
すが、いかがでしょうか。
れています。さて、世界において、勿論、初中教
育の全人類への普遍化が最重要課題ですが、高等
▶天野 人材養成自体が、役に立つ人を育てると
教育も開発における優先順位が高まり、我が国も
いうことですから、意図的、目的志向的です。そ
様々な支援を展開しています。その際、高等教育
のためのテストなりエグザマンなのですから、や
からの供給と労働市場の需要にミスマッチが生じ
ればやるほど、仰るように、一定のノームを設け
ると却って社会不安を齎します。先生は、
『日本
ることになります。フーコーが近代社会の病弊と
の高等教育システム』の中で、マス化の担い手を
して指摘したのは、テストもエグザマンもとどま
私立セクター中心としてきたことをアジアの弱点
ることを知らず自己増殖し、人間を拘束していく
とされていますが、未だ人口オーナスがあり、発
ということです。日本も夥しい数の試験を受けさ
展段階にある低所得国に対する教育支援は悩まし
せる試験漬け社会ですが、それでいいのかという
いところです。
問題です。人が学び成長していく過程でもっと自
連載
由度があった方がいいと考えのるか、早くからポ
▶天野 グローバル化というとすぐに、留学生を
テンシャルを見つけて意図的に育てあげるべきだ
何割入れるといった目標設定の話が出てきます
超有識者
ヒアリング
と考えるのかです。人材育成という目的的思考は
が、留学生はどのような理由で日本に来るのかを
後者に立っており、とくに日本ではテストもエグ
見る必要があります。国籍では中国が圧倒的に多
ザマンも人材養成に奉仕するための技術として使
く、私立には学部段階、国立には大学院で来る学
われています。教養教育の理想はヒューマニティ
生が多い。東大だといま学部で300人、大学院が
ー、人間としてのものの考え方の基礎をきちんと
2600人です。留学生を学部で2割にするというこ
作ろうという考ことですから全く違います。他の
とになれば、入学定員のうち600人、全体で2400
国ではエリート養成のシステムがきちんとしてお
人になりますが、その分日本人の入学定員を削る
り、フランスのグランゼコールのように、早くか
ことができるでしょうか。逆に留学生定員を枠外
ら特権的な地位を約束するやり方もあります。例
で認めれば、質が維持できないでしょう。学部は
えばENAやエコールポリテクニクは百人前後のエ
無理しない方がいいが、大学院はもっと開放的に
リート養成機構として、将来のリーダーとしての
して、外国人を受け入れるべきです。理系は、日
資質が身につくような空間を作っているわけで
本の自然科学系の研究水準が高いから留学して来
す。毎年三千人の学生を入学させる東京大学は、
るし、人社系は日本を勉強したくて来るという志
そうした意味でのエリートの選別機関にはなって
向の違いもあります。ターゲットを絞った国際化
いません。アメリカの一流私立大学は学部教育段
の検討が必要だと思います。
階ではリベラルアーツを主体としており、職業関
例えば、食糧問題は世界中で深刻化しています
連の教育をしておらず、そこから幅の広いリーダ
が、世界でこれほど多くの農学部を持つ先進国は
ーが育ちますが、日本は東大・京大のような大学
ありません。研究水準も高く、留学生も多い。四
でも、専門学部制に見るように学部段階から職業
国の四国立大学は農学系が連携して、留学生をお
を念頭においた人材養成をしているのですから、
互いの大学の間で、一番相応しい専門分野を持つ
無理なのです。職業人養成は必要ですが、これと
大学に行かせるといった、取り組みをしていると
リーダー養成とは異なるということが理解されて
聞いています。このようにターゲットを絞った国
いないと思います。
際協力が有効です。
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ファイナンス 2016.1
超有識者場外ヒアリングシリーズ 46
つまり、グローバル化の一般論はもう不要で、
き段階に来ているのではないかと思います。
それぞれの大学がターゲットを絞っていくべきで
す。政府も、闇雲に留学生三十万人といった目標
▶神田 本日は長時間にわたり幅広く貴重なお話
を掲げるのではなく、どういう留学生をどこに受
を拝聴させて頂き、誠に有難うございました。
け入れようというのか、一流が英米に行き、残り
が日本に来るということでいいのか、じっくり考
(この対談は平成27年11月5日に記録された。
)
えて、どこにターゲットを絞るのかを打ち出すべ
東京大学総長(国立大学協会会長)
理化学研究所理事長(ノーベル化学賞)
慶應義塾塾長(日本私立大学連盟会長)
京都大学教授(京都大学iPS細胞研究所長、後にノーベル生理学・医学賞)
東京学芸大学客員教授(大阪府知事特別顧問)
東京藝術大学学長(金工作家)
政策研究大学院大学学長(総合科学技術会議議員)
ピアニスト
日本オリンピック委員会副会長(日本レスリング協会会長)
オックスフォード大学教授
新日本製鐵会長(中央教育審議会会長、前日本経団連副会長)
日本学術振興会学術システム研究センター所長(ノーベル物理学賞)
落語家
早稲田大学総長(法科大学院協会理事長)
JR東海代表取締役会長(後に旭日大綬章)
大阪府教育委員会委員長(立命館大学教授)
日本科学未来館館長(宇宙飛行士)
文化学園理事長(日本私立大学協会会長)
京都大学総長(後に国立大学協会会長、理化学研究所理事長)
東海大学副学長(オリンピック金メダリスト)
作詞家(AKB48総合プロデューサー)
日本弁護士連合会会長
東北大学総長(後に国立大学協会会長)
住友商事相談役(規制改革会議議長)
渋谷教育学園理事長(日本ユネスコ国内委員会会長)
名古屋大学名誉教授(元日本教育社会学会会長)
歌舞伎俳優(文化功労者)
元国連難民高等弁務官(前国際協力機構理事長、文化勲章)
名古屋大学総長(国立大学協会副会長)
日本芸術文化振興会理事長(元キッコーマン副会長)
中部大学理事長兼総長(核融合科学研究所初代所長)
コマツ相談役(元日本経済団体連合会副会長)
熊本大学学長(国立大学協会副会長)
自然科学研究機構機構長(東京大学名誉教授、後に文化功労者)
慶應義塾大学環境情報学部長・教授(「インターネットの殿堂」入り)
武田薬品工業会長(経済同友会代表幹事)
理化学研究所 脳科学総合研究センター長(ノーベル生理学・医学賞)
漫画家
日立製作所相談役(前日本経済団体連合会副会長)
金沢工業大学総長(日本私立大学協会副会長)
新国立劇場バレエ研修所長(元新国立劇場舞踊芸術監督、文化功労者)
国際協力ジャーナル社会長・主筆
東京大学 総長
音楽家(東京音楽大学客員教授/ 上海音楽学院名誉教授)
三菱ケミカルホールディングス 取締役会長(経済同友会 代表幹事)
超有識者
ヒアリング
ファイナンス 2016.1
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