PDF形式 - 世田谷区役所

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映画を通して平和の大切さを伝え続けている大林宣彦さん。
次世代に平和のバトンをつなげたいと願う保坂区長。
ふ る さ と
お二人に、平和への熱い思いや古 里 世田谷の魅力について語っていただきました。
区長 あけましておめでとうございます。今
て生きなきゃいけない、新しい日本の子ども
くるということは、素晴らしい資料館のあり方
日は新春対談ということで、素晴らしいゲス
だ」と。1月9日で78歳になりますけれども、
ですよね。過去から学んで未来の平和を創る。
トをお招きしています。映画作家の大林宣彦
まあ、じいさんが今もそうやって励んでいる
さんです。よろしくお願いします。
という気概なんですよね(笑)
。
大林さん よろしくお願いします。世田谷区
区長 私は、戦後10年目の昭和 30年(1955
の皆さん、あけましておめでとうございます。
年)生まれで、その時代ですと家族で食卓を
区長 大林さんは、世田谷区に住まわれるよ
区長 さて、ここは戦後 70年を記念して、昨
囲んで必ず空襲や戦争の話をしていました。
うになって、だいぶ長いですか。
年の8月15日にオープンした平和資料館、世
体験はしていないけれど、戦争の重みは受け
大林さん はい。55年目になります。私は広
田谷公園の一角に建つ施設です。大林さん、
継いだ気がしています。この資料館を準備し
島県尾道の出身で、18歳の時に思いきって東
ご覧になった感想をお聞かせ下さい。
ながら、はたと気づいたことは、子どもに戦
京に出てきまして、一等先に銀座に行きまし
大林さん ここには、子どもだった頃の“昨
争のことをほんの少ししか話せていない、と。
た。
「文明都市とはこういうことか」と思いま
日”がありますね。 当時使っていたお金と
大林さん そうですか。
した。日本は復興中、壊して作れで、ホコリ
か、私が体験した学童疎開とか、戦地の父親
区長 この資料館には区民の方から寄贈され
が多かったです。自転車を一台買いまして、
に出した手紙とか。忘れちゃいけない、明日
た3000点の収蔵物があって、その一部を展示
東京中の映画館を巡っているうちに、はるか
のために学ばなきゃならない重要な歴史遺産
しています。
向こうに聞くところの武蔵野の雑木林が見え
だと思います。
大林さん 私も見せていただきましたが、大
る。そちらに向かって一所懸命こいで、今の
区長 8月15日のあの時、小学生でしたか。
層貴重なものでしたね。
成城学園のグラウンドの方から入ったんですよ。
大林さん はい。正しく言うと国民学校の2年
区長 まだ公開していないスクラップブック
区長 当時の印象はいかがでしたか?
生、8歳です。
帳もあって、真珠湾攻撃以降の新聞記事が
大林さん 雑木林の中を抜けると木造の校舎
区長 子ども心に、戦争が終わったというこ
載っています。
「破竹の勢いで勝っている」
があって、ああ、いい大学だなあと思って。
とを、どんな風に受け止められましたか。
と。その後は「転進」とか「玉砕」とか。
そこを抜けると成城のまちに出るんです。き
大林さん 私は、純粋な軍国少年でして、お
大林さん 「転進」は退却という意味ですね。
れいなペーブメント(石を敷き詰めた舗道)を、
国のために大人になったら命を捧げようと決め
区長 区民の方が、多分、灯火管制のなかで残
コツッ、コツッと靴音をさせて歩いている人
ていましたし、戦争に負ければ当然殺される。
した、そういうものって貴重だなと思いました。
がいる。イチョウの並木がある。そしてどこ
だから母と自決をする覚悟までしていました。
大林さん そうですよね。灯火管制というの
からかパンを焼くにおいがしてくる……。これ
区長 そうですか。
は、夜、灯りがあると敵に攻められるからと
は、文化のまちだなと思ったんです。修理修
大林さん それなのに戦後、急に「平和ニッ
暗くして……。そういった資料を解読してい
復して、貯蓄をするまち。文明都市は消費し
ポン」になりましてね、大人たちがころっと変
くと、日本がどのように戦争に陥って負け、
てむなしい感じがするし、消費は戦争だけで
わっちゃって。日本の大人を信じられなくなり
本当の敗戦を体験しないまま急に平和ニッポ
もういいと思っていましたから。成城には、貯
まして、自分たちが「平和というものを背負っ
ンになっちゃったか。その、曖昧な軌跡がよ
蓄していく知恵と工夫と人の汗とがあって、
くわかるんじゃないでしょうか。
区長 おじいちゃんやおばあちゃんの遺した
“生”の記録を、ぜひこの資料館へ届けていた
だけたら、また次の世代に伝わる、というこ
とにできると思います。
大林さん みんなが過去から学んで明日をつ
大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)さん
映画作家。NPO日本民家再生協会会長。1938年広島
県尾道市生まれ。3歳の時に自宅の納戸で出合った活
動写真機で映画製作を始める。 尾道3部作 と親しま
れている
「転校生」
(’
81)「時をかける少女」
(’
83)「さび
しんぼう」
(’
85)に始まり、
全国の古里に残る古き良き
暮らしの文化を訪ねて映画を作り、
日本の敗戦後の物・
金重視の復興のあり方に危惧を表明してきた。東日本
大震災を経た後の古里映画
「この空の花∼長岡花火物
語」
(’
11) 「野のなななのか」
(’
14)を中心に、
現在は世界
中の各都市で上映とトークの会、
27年11月にはニュー
ヨークで尾道3部作を含め特集上映。エール大学、
ハー
バード大学などで映画の平和作りについて講演を行う。
2004年春の紫綬褒章、
2009年秋の旭日小綬章受章。
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世 田谷との出会い