機能性タンパク質シルクエラスチン を用いた新規医療 - 三洋化成工業

活躍する三洋化成グループのパフォーマンス・ケミカルス
113
機能性タンパク質シルクエラスチン
を用いた新規医療材料の開発
川端慎吾
当社バイオ・メディカル製品研究部
ユニットチーフ
[ 紹介製品のお問い合わせ先 ]
当社総務本部広報部
褥瘡(床ずれ)や熱傷(やけど)を
はじめとする創傷の治療方法とし
て、保存的治療(創傷被覆材や外
用剤の使用など)と外科的治療(皮
膚移植など)がある。通常の治療
では、まず保存的治療を、治療が
シルクフィブロイン
(GAGAGS配列) エラスチン
(GVGVP配列)
困難な場合に外科的治療を施して
いく。生体親和性が高いタンパク
質であるシルクエラスチンは、こ
COOH
H2N
れまで外科的治療が必要であった
創傷に対して、保存的治療のみに
13
図1●シルクエラスチンのアミノ酸配列
よる治癒やその後の外科的治療の
成績向上の可能性を秘めている。
エラスチン
(GVGVP配列)
そこで、当社ではシルクエラスチ
ンを利用した患者の心理的・身体
シルクフィブロイン(GAGAGS配列)
的・経済的負担を軽減できる新規
医療材料の開発を進めている。
本稿では、シルクエラスチンの
特長や創傷治療材としての開発状
況、そして今後の展望を紹介する。
シルクエラスチンの特長
水素結合
図2●シルクエラスチンの構造
2009年に当社は米国バイオベ
5 ンチャーのプロテイン・ポリマー・
テクノロジー社とライセンス契約
シルクエラスチンの粘度測定 ■:37℃ ●:23℃ ▲:4℃
A
4 を締結し、同社から細胞親和性が
粘度
よく創傷の治療に高い効果が期待
ラスチンの技術導入を行った。シ
ルクエラスチンは、ヒト皮膚の構
成成分であるエラスチンと絹の構
成成分であるシルクフィブロイン
からなる、遺伝子組み換えによっ
37℃ 120分
できる機能性タンパク質シルクエ
3 (Pa・s)
2 1 0 0 500 1,000 経過時間(分)
1,500
て作製された人工タンパク質であ
[図1]
。
る
Journal of controlled release 53(1998)105-117より
図3●シルクエラスチンの粘度変化
三洋化成ニュース ❶ 2015 新春 No.488
分類(表皮に至る創傷、真皮に至
1×107
シルクエラスチンゲル
6
1×10
貯蔵弾性率
G
(Pa)
る創傷、皮下組織に至る創傷、筋
・骨に至る創傷)
されている。
1×105
一般的な創傷治癒過程は、まず
4
1×10
1×103
血小板が凝集し血管収縮によって
(参考)
エラスチン配列の含有率が低い
シルクエラスチンゲル
2
1×10
止血され、その後炎症細胞(マク
1×101
ロファージなど)によりえ死組織
1
の取り込みや菌の除去が起こる
1×10-1
0 1,500 3,000 経過時間(分)
4,500
維芽細胞(肉芽組織の基となるコ
貯蔵弾性率G ’
(Pa) シルクエラスチンゲル
軟組織
(炎症期)
。炎症期が収まると、線
ラーゲンを産生)
が創傷面に遊走・
6
1×10 0.2∼0.6×106
Molecular phamaceutics
2(2005)139-150より
増殖して、肉芽組織が形成される
(増殖期)
。肉芽組織が形成される
図4●シルクエラスチンゲルの貯蔵弾性率測定
と表皮となる上皮細胞が伸展して、
体毛
表皮層 肉芽組織は瘢痕組織(傷あとの組
織化)へと変化していく(成熟期)
。
コラーゲン
エラスチン
真皮層 そして上皮化が完了すると完全治
癒となる。
表皮・真皮に至る創傷は、ばん
皮下組織 筋肉
骨
そうこうなどもしくは自然治癒力
によって、欠損した真皮層に肉芽
組織が再生され、上皮化(表皮再
図5●皮膚構造
シルクエラスチンは、構造面に
ン配列に起因して皮膚を含む軟組
生)が完了する。一方、皮下組織
おいて分子内にエラスチン配列を
。ま
織に近い弾性を有する[図4]
や筋・骨に至る創傷は、自然治癒
多く含むため細胞親和性(炎症を
たゲル化に要する時間は、加温す
力だけでは治癒完了は難しいため、
起こさずに皮膚になじむ特性)が
る温度やシルクエラスチン濃度、
保存的治療と外科的治療を組み合
高く、かつ弾性(皮膚に張りを与
pH、塩濃度などによってコント
わせて治療していく。
える特性)に富むことから創傷治
ロール可能である。
従来の創傷治癒に用いる医療機
療に適していると考える。また、
創傷治療材の開発
器は、皮膚欠損用創傷被覆材とそ
物性面ではシルクエラスチン水溶
人の体全体を覆う皮膚は、体重
の他の類似医療機器に大別するこ
液は温度を上昇させるとゲル化す
の16%を占めており、①水分の
とができる。皮膚欠損用創傷被覆
る。このゲル化現象は、温度変化
保持・透過を防止、②体温調節、
材は「創傷の保護」や「湿潤環境の
による構造変化で起こる。シルク
③外的刺激からの防衛、④感覚器
維持」を目的とした医療機器であ
エラスチンは、低温ではシルクフ
など、さまざまな機能を有してい
る。素材としては、アルギン酸や
ィブロイン配列の水素結合により
る。その皮膚構造は筋肉や骨の上
キチン、カルボキシメチルセルロ
凝集しているが、温度上昇により
に皮下組織、真皮層、最表面に表
ース
(CMC)
など多岐にわたる。一
水素結合が弱まり親水性の高いエ
[図5]
。
皮層を形成している
方、その他の類似医療機器として
ラスチン配列が水分を構造内部に
褥瘡や熱傷に代表される創傷は、
は、皮膚欠損用真皮グラフトであ
抱き込んだまま膨潤することによ
圧迫や熱によって皮膚組織がえ死
るコラーゲンスポンジやえ死組織
[図2、3]
。一度ゲ
ってゲル化する
することで生じる。また、擦り傷
除去材である高分子吸収材デキス
ル化したシルクエラスチンは、低
や切り傷に代表される創傷は、物
トラノマーが挙げられる。この両
温にしても水溶液に戻ることのな
理的に皮膚組織が破壊され生じる。
者は皮膚の再生を積極的に促す
い不可逆なゲル化物で、エラスチ
生じた創傷は深さによって4つに
三洋化成ニュース ❷ 2015 新春 No.488
「肉芽組織形成促進効果」を目的と
活躍する三洋化成グループのパフォーマンス・ケミカルス
機能性タンパク質シルクエラスチンを用いた新規医療材料の開発
実験方法 ①マウス線維芽細胞(L929 細胞)を培養シャーレ全面に増殖するまで培養する
②マイクロチップにて細胞を剥離する
③シルクエラスチン含有培地に培地交換後、引き続き培養する
④培養0、6、12、72 時間後に顕微鏡観察する
培養 0 時間
培養 6 時間
培養 12 時間
培養 72 時間
無 添 加 添加濃度(10 -7g/ml)
図6●シルクエラスチンの線維芽細胞に対する細胞遊走能
した材であり、前者の皮膚欠損用
後、シルクエラスチンを加えた培
与できると考える。
創傷被覆材とは使用目的が異なる。
地条件では、加えていない場合と
[菌感染の拡大抑制]
シルクエラスチンの特長
比較して、線状にかき取った部分
従来の医療機器(特にCMCなど
創傷治療材としてのシルクエラ
に再度両端から細胞がより多く遊
のゲル製剤)では、浸出液などを
スチンの特長は、皮膚が欠損した
走している様子が認められた。さ
吸収することで、創傷部とゲルと
患部に注入したシルクエラスチン
らに72時間後には、再び線維芽
の密着性がなくなり、菌増殖が抑
水溶液が体温によってゲル化し、
細胞が一面に増殖している様子を
制できず皮膚再生に悪影響を及ぼ
複雑な創傷部において高い密着性
確認できた。
す場合がある。一方、シルクエラ
と追随性を発揮できる点である。
シルクエラスチンは「肉芽組織
スチンゲルは創傷部と密着するこ
そのため、患部で形成させた含水
形成促進効果」に加えて、ゲル特
とで、創傷周辺からの菌の侵入を
ゲルは密着性が非常に高く、皮膚
性に起因した「創部の収縮抑制」や
防ぐこと、ならびに存在している
欠損用創傷被覆材が有する「創傷
「菌感染の拡大抑制、患部への皮
菌を物理的に封じこめて菌増殖を
の保護」や「湿潤環境の維持」機能
膚弾性付与、医薬品との併用によ
も発揮する。さらに、シルクエラ
る組み合わせ治療」の効果も期待
スチンは細胞親和性が高いタンパ
できる。
ク質であり、皮膚再生を司る線維
[創部の収縮抑制]
抑制できる。
[患部への皮膚弾性付与]
シルクエラスチン中に含まれて
いるエラスチンが有する皮膚弾性
芽細胞の遊走や増殖を促進させる
一般に関節などの可動部位にて
ため「肉芽組織形成促進効果」も持
瘢痕拘縮(ひきつれ)が生じると、
ち合わせている。
可動域の縮小などにより運動制限
図6はシルクエラスチンの線維
が生じる場合がある。瘢痕拘縮は、
わせ治療]
芽細胞に対する細胞遊走能を示し
外科的治療(瘢痕切除術など)でし
シルクエラスチンが有するゲル
た結果である。実験方法は、細胞
か根治できず、創傷治癒が完了し
特性によって、細胞成長因子など
培養シャーレ上にマウス線維芽細
ても患者に負担をかけてしまう。
の薬理・薬効を有する医薬品がシ
胞を一面に増殖させた後、マイク
シルクエラスチンが有する拘縮抑
ルクエラスチンゲル中に内包され
ロチップを使用して線状に細胞を
制機能が、関節部周辺などの創閉
るため、シルクエラスチンゲルの
かき取り、その後シルクエラスチ
鎖において、過度の瘢痕拘縮を抑
分解とともに物質の徐放が可能と
ンを加えた培地に置き換えて、細
制できるため、治癒完了後の可動
なる。一般に細胞成長因子などは
胞の様子を観察した。培養6時間
域縮小の軽減やひきつれ防止に寄
生体物質(特に酵素)によって、分
三洋化成ニュース ❸ 2015 新春 No.488
付与機能が、褥瘡の再発防止や整
容的な向上につながる。
[医薬品との併用による組み合
活躍する三洋化成グループのパフォーマンス・ケミカルス
機能性タンパク質シルクエラスチンを用いた新規医療材料の開発
シルクエラスチン
創傷部
左:シルクエラスチン 右:従来品(CMCゲル品)
肉芽形成
(創傷治癒部)
350 治療2週間後の HE 染色
300 菌体数
従来品︵CMCゲル品︶
創傷部
106cfu/1創傷
200 150 100 細菌コロニー
肉芽形成
250 ガス囊胞
50 0 シルクエラスチン 従来品(CMCゲル品)
治療2週間後の HE 染色
図7●シルクエラスチンの肉芽組織形成促進効果
図8●シルクエラスチンの「菌感染の拡大抑制」に関する検証実験
解や不活性化が生じるため、半減
クエラスチン投与群では、肉眼所
保存的治療法を提供し、保存的治
期が短い物質である。そのため、
見より創傷面の治癒が明らかに進
療の幅を広げる可能性を持った新
シルクエラスチンゲル中に内包さ
んでいることがわかる。さらに、
規の医療材料になると考えている。
れることで、細胞成長因子などの
組織学的評価においても、肉芽組
今後は生物学的安全性試験実施を
分解や不活性化を回避でき有効で
織形成が創傷面全体で認められ、
経て、臨床治験ならびに薬事申
ある。
シルクエラスチンの高い肉芽組織
請・承認に向けて開発を加速させ
促進効果を裏付けている。
ていく。先進国が高齢化社会を迎
実際の動物実験において、シル
「菌感染の拡大抑制」に関する検
えるにあたり、高齢者の褥瘡や糖
クエラスチンの「肉芽組織形成促
証実験においても、シルクエラス
尿病性皮膚潰瘍などの難治性皮膚
進効果」が認められている。実験
チンの有効性が認められている。
潰瘍の増加が危惧されるなか、シ
方法は、まず、遺伝的糖尿病性マ
実験方法は、健常モルモットの背
ルクエラスチンがこれら創傷の治
ウスの大腿部に筋・骨に至る創傷
部に皮下組織に至る創傷(全層欠
癒促進をもたらし、高齢者のQOL
を作製し、シルクエラスチン水溶
損創)を作製する。その後、緑膿
(quality of life)向上に貢献でき
動物実験における効果
6
液を投与する。マウスの体温によ
菌を10 cfu/1創傷となるように
ると考える。
って、シルクエラスチン水溶液が
創傷面には種し、シルクエラスチ
なお、本開発は独立行政法人科
ゲル化して創傷面を覆う。その後、
ン水溶液もしくは従来品(CMCゲ
学技術振興機構(JST)の平成25年
ポリウレタンフィルムを貼付して、
ル品)を投与して、ポリウレタン
度研究成果最適展開支援プログラ
治療2週間後に肉眼所見ならびに
フィルムを貼付した。治療3日目
「フィージビリティ
ム(A-STEP*)
組織学的評価(HE染色)を実施し
に創傷面を摘出し、細菌コロニー
スタディ(FS)ステージ シーズ
て、肉芽組織形成を評価した。図
法を用いて創傷面の存在する菌数
顕在化タイプ」に支援いただき、
7のとおり、従来品
(CMCゲル品)
。その結果、従
を測定した[図8]
京都大学大学院形成外科学・河合
投与群では、組織学的評価におい
来品(CMCゲル品)では菌増殖を
勝也准教授と共に推進している。
て、肉芽組織形成が十分に進んで
抑制することはできなかったが、
おらず、創傷面の一部分のみにと
シルクエラスチンでは菌増殖を抑
どまっている。また、肉芽組織形
制することができた。
成が進んでいない創傷面はガス嚢
これらの結果から、創傷治療材
胞や細菌コロニー(細菌による菌
としてのシルクエラスチンは、従
感染)が認められる。一方、シル
来の医療機器とは異なり、新しい
三洋化成ニュース ❹ 2015 新春 No.488
A-STEP:国民経済上重要な科学技術に関す
る大学・公的研究機関などで生まれた研究
成果をもとにした実用化を目指すための研
究開発フェーズを対象とする技術移転支援
プログラムである。