Department of Zool - 生物多様性を規範とする革新的材料技術

昆虫の微細構造の観察からバイオミメティクス研究基盤の創成へ
国立科学博物館
野村周平
[緒言] バイオミメティクス(日本語では生物規範工学)とは、地球上の生物多様性をあらゆる側面から
再検討し、その成果から導き出された原理に基づいて、これまでに生み出されたことのない工学技術、工業
製品を創成し、より持続可能な未来の社会に寄与することである。いうまでもなくその入り口は、地球上に
繁栄するさまざまな生物の構造と機能をつぶさに研究することにある。地球上の生物の中には、人類が手に
したことのない、驚くべき構造と機能を実現して、自らの生存のために人知れず活用しているものがある。
そのような生物の秘められた構造と機能をあらためて科学の俎上に載せることから、
バイオミメティクスは
始まる。
節足動物の一群である昆虫は、種数がきわめて多く、さまざまな陸上の環境に適応し、その進化の歴史が
きわめて長い点で、さまざまな生物群の中でも、非常に良いモデルとなる可能性を備えている。昆虫の観察
はこれまで多くが低倍率の拡大鏡か、せいぜい実体顕微鏡、光学顕微鏡で行われることが多かったが、数十
年前から走査型電子顕微鏡(Scanning Electric Microscope: SEM)が積極的に導入されるようになり、昆
虫体の表面観察の精度は飛躍的に高まった。SEMの登場によって、昆虫体を形成する細胞の表面に生じる、
細胞未満の構造、
すなわちサブセルラー構造の観察が可能になった。
しかし、
サブセルラー構造を多く含む、
おおよそ1ミクロン内外の領域に関する昆虫微細構造の知識の集積は決して十分ではなく、
そのことがバイ
オミメティクスの推進において、大きな障壁となっている。
このような見地から演者は、
材料工学や情報工学の専門家と連携し、
バイオミメティクスの推進に役立つ、
生物の表面微細構造のSEM画像を基本素材としたデータベースの構築プロジェクトに従事し、昆虫微細構造
の画像データ収集を担当している。具体的には、科研費新学術領域「生物規範工学」の計画研究の一つとし
て、
「バイオミメティクス・データベース構築」を推進している(http://biomimetics.es.hokudai.ac.jp/)
。
本講演では、このプロジェクトの概略を紹介するとともに、その独自性や将来展望について解説する。
From observations of insect ultrastructures to creation of the platform of biomimetic studies
Shûhei NOMURA
(Department of Zoology, National Museum of Nature and Science, Amakubo 4-1-1, Tsukubashi, Ibaraki,
305-0005 JAPAN)
TEL: ;+81-29-853-8357, FAX: +81-29-853-8998, e-mail: [email protected]
Key Word: biomimetics / insect ultrastructure / biodiversity / database / scanning electric microscope (SEM)
Abstract:
The diversity of insect surfaces in structure and function is huge. The speaker and his
collaborators are trying to construct a database on the basis of the integrated SEM images of insect
ultrastructures including many subcellular structures together with the biological text data of the
examined samples. The biological data includes not only taxonomical and ecological data, but also
the relating technological terms like as “moth-eye”. Comparing with the biological data, the
similarity of the images of ultrastructures induce novel imaginations tending to biomimetics. The
database should be constructed to be a platform of biomimetic studies combining with ontology, which
is a systematization of biological and technological terms.
[材料と方法] 本講演で取り扱う企画は、以下の手順によってデータベース構築に用いられる。1)博物
館の所蔵標本中に含まれる昆虫標本から切り出した試料についてSEM写真を撮影する、2)それぞれの標本
には採集データがついているので、これに基づいてテキストデータを作成する、3)昆虫標本を同定(種を
決定)し、その昆虫種に関する生物学的情報を取りまとめてテキストデータに含める、4)画像データとテ
キストデータが完全に対応する形でデータベース構築の基本データとする。データベースの構築は、SEM画
像の比較によって類似した構造を導き、生物学的データを照合して、新たな工学的発想を導く「発想支援型
データベース」として構築する。
[結果] 本企画では、すでに昆虫標本74点につき、約8,000枚の画像データ+テキストデータを作成し、画
像検索機能を実装する情報系グループに提出した。
テキストデータは1点のサンプルおよび1枚の画像につ
いて、次のような情報を含むこととなった。シート1(サンプルベース)
:1) サンプル番号、2) 所蔵場所、
3) 大分類、4) 目、5) 科、6) 種和名、7) 種学名:属名、8) 同種小名、9) 同亜種名、10) 性別、11) 採
集場所、12) 採集日付、13) 採集者、14) 採集環境、15) 採集方法、16) 生態キーワード、17) サイズ、18)
部位、19) 撮影機器名、20) 蒸着の有無、21) 取扱責任者、22) 写真撮影者、23) 画像ファイル番号(範囲)
、
24) 備考;シート2(画像ベース)
:上記の1)~24)に加えて、25) 画像ファイル番号、26) 倍率、27) 撮影
部位(個別画像の)
、28) 画像種別;シート3:分類群(種、科)ごとのテキスト情報―昆虫では未入力。
以上のうち、特に16番の生態キーワードについては、本データベースにオントロジーとして組み込むことを
意識して、純粋な生態情報だけでなく、
「モスアイ」のような工学関連用語も含めることとした。例えば、
東京都市部にも普通に見られるミンミンゼミ(カメムシ目セミ科)の場合には以下のとおりである。
「セミ
やや大型 ♂は鳴く ミーンミーン 落葉広葉樹林 幹にとまる 前翅 透明 後翅 透明 モスアイ
撥水」
。このようなテキストデータをすべての画像データに付帯させた形で、情報系グループに提出した。
情報系グループでは、同様に作成され提出された鳥類および魚類のデータと統合し、その中から約1,800
件を用いて、画像検索システムを構築し、現在担当者間で試験的に使用できるようにして、更なる改善を図
っている。
[考察]演者とその協同研究者は、昆虫SEM画像をもとに、生物学的データや関連する用語をすべてのサン
プル、すべての画像に付帯させる形で、バイオミメティクス(生物規範工学)に寄与できるデータベースの
開発を行っている。SEM画像に記録された昆虫微細構造の類似性と、その構造をもつ昆虫の生態および機能
を照合することによって、新たな工学的発想を生み出し、生物学的データによって支援する、発想支援型デ
ータベースの基礎を構築し、現在試験運用中である。本データベースを、工学研究者にとって、また生物学
研究者に対してもフィードバックできるよう改善するために、オントロジー(各科学分野での専門用語の意
味と関係性を整理し体系化したもの)を援用するとともに、画像データの拡充と生物学的データの充実を図
っている。