博士論文 トルーマン・カポーティと文学の伝統

博士論文
トルーマン・カポーティと文学の伝統
藤倉
ひとみ
2013 年
目次
序 論 .................................................................................................................................... 2
第1章
恐 怖 と 滑 稽 の 共 存 ─ ゴ シ ッ ク 小 説 と し て の 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』 ............. 13
1
ゴ シ ッ ク 小 説 の モ チ ー フ .................................................................................. 14
2
悪 人 の パ ロ デ ィ と し て の ラ ン ド ル フ ............................................................... 18
3
カ ポ ー テ ィ と ア ー ヴ ィ ン .................................................................................. 26
第2章
死 者 を 悼 む ─ パ ス ト ラ ル ・ エ レ ジ ー と し て の 『 草 の 竪 琴 』 ........................ 28
1
パ ス ト ラ ル ・ エ レ ジ ー の モ チ ー フ ................................................................... 28
2
田 園 と 死 の イ メ ー ジ ......................................................................................... 35
3
カ ポ ー テ ィ と ミ ス ・ ス ッ ク .............................................................................. 39
第3章「聖なる放浪者」が憧れるもの
― ピ カ レ ス ク 小 説 と し て の 『 テ ィ フ ァ ニ ー で 朝 食 を 』 ................. 43
1
ピ カ レ ス ク 小 説 の モ チ ー フ .............................................................................. 43
2
ピ カ ロ と し て の 娼 婦 ホ リ ー .............................................................................. 45
3
リ リ ー ・ メ イ と ル ー ラ ・ メ イ .......................................................................... 52
第4章
カ ポ ー テ ィ 文 学 の 集 大 成 ― ノ ン フ ィ ク シ ョ ン ・ ノ ヴ ェ ル 『 冷 血 』 ............. 54
1
ノ ン フ ィ ク シ ョ ン ・ ノ ヴ ェ ル と は ................................................................... 55
2
ゴ シ ッ ク 小 説 の モ チ ー フ .................................................................................. 59
3
パ ス ト ラ ル ・ エ レ ジ ー の モ チ ー フ ................................................................... 72
4
ピ カ レ ス ク 小 説 の モ チ ー フ .............................................................................. 82
5
カ ポ ー テ ィ と ペ リ ー ......................................................................................... 90
結 論 .................................................................................................................................. 93
注 ..................................................................................................................................... 96
参 考 文 献 ........................................................................................................................ 112
1
序論
ト ル ー マ ン・カ ポ ー テ ィ( Truman Capote, 1924-84)は 、
『マドモワゼル』
( Mademoiselle)
誌 に 掲 載 し た 短 編 小 説 「 ミ リ ア ム 」 ( “Miriam,” 1945) で オ ー ・ ヘ ン リ ー 賞 ( O. Henry
Memorial Award Prize) を 受 賞 す る と 、 一 躍 早 熟 な 天 才 と も て は や さ れ 、 当 時 の ア メ リ
アンファン・テリブル
カ 文 学 界 に 「 恐 る べ き 子 供 」 ( enfant terrible) と し て 熱 狂 的 に 迎 え ら れ た 1 。 そ の 後 、
小説、短編小説、ルポルタージュ、旅行記、戯曲、映画の脚本、随筆、書評などを精
力的に執筆し、その傍ら社交界の名士と交際したり、テレビなどに積極的に出演した
り な ど し て 、 多 方 面 に 活 躍 し た 2。 そ の た め 、 カ ポ ー テ ィ は 、 才 能 に 任 せ て 一 気 に 書 き
流す作家のように誤解されがちである。しかし、精巧で研ぎ澄まされた文体と華麗な
隠喩を駆使した詩的な作風は、一朝一夕のものではない。彼は幼少の頃から古今東西
の 文 学 作 品 を 幅 広 く 読 み 込 み 3、 様 々 な 文 学 技 法 や 表 現 形 式 を 習 得 し 、 自 分 の ス タ イ ル
を確立することに力を注いだ。カポーティ自身、「本質的に僕は文体や様式を気にす
る タ イ プ だ と 思 い ま す 」 4と 述 べ て い る 。 彼 は ま た 、 文 学 の 伝 統 に も 敏 感 で あ り 、 様 々
な 文 学 ジ ャ ン ル の 技 法 に 彼 な り の 変 容 を 加 え た り 、時 に は パ ロ デ ィ に し た り し て い る 。
本 論 文 で は 、 ま ず カ ポ ー テ ィ が ゴ シ ッ ク 小 説 ( gothic romance) 、 パ ス ト ラ ル ・ エ レ
ジ ー( 牧 歌 的 哀 歌 、pastoral elegy)、ピ カ レ ス ク 小 説( 悪 漢 小 説 、picaresque novel)な
どの様々な文学の伝統を利用した作家であるということを跡付ける。具体的には、カ
ポ ー テ ィ の 代 表 的 な 作 品『 遠 い 声 、遠 い 部 屋 』( Other Voices, Other Rooms, 1948)、『 草
の竪琴』
( The Grass Harp, 1951)、
『ティファニーで朝食を』
( Breakfast at Tiffany’s, 1958)
を取り上げ、この三作品がそれぞれゴシック小説、パストラル・エレジー、ピカレス
ク小説の枠組み、テーマ、構造などを利用して構築された作品であることを論じる。
次 い で 、カ ポ ー テ ィ 自 ら が「 ノ ン フ ィ ク シ ョ ン・ノ ヴ ェ ル 」( nonfiction novel)と 名 付
け た 『 冷 血 ─ あ る 大 量 殺 人 に 関 す る 真 実 の 報 告 と そ の 結 果 』 ( In Cold Blood: A True
Account of a Multiple Murder and Its Consequences, 1965、以 下『 冷 血 』と 略 記 )の 中 に 、
三作品で用いられた文学技法が集約されていることを検証する。
これまでのカポーティ研究の主流は、小説に潜んでいるイメージや象徴、隠喩など
の 分 析 で あ る 。 稲 澤 秀 夫 は 、 『 ト ル ー マ ン ・ カ ポ ー テ ィ 研 究 』 ( 1970) に お い て 、 鏡
の イ メ ー ジ や 自 画 像 の モ チ ー フ を 詳 細 に 分 析 し て い る 。ジ ョ ン・W・オ ル ド リ ッ ジ( John
W. Aldridge) の 『 ロ ス ト ・ ジ ェ ネ レ ー シ ョ ン 以 後 』 ( After the Lost Generation, 1958)
2
も 隠 喩 に 焦 点 を 当 て 、作 品 に お け る 意 義 を 丁 寧 に 分 析 し て い る 。ま た 、ア ー ヴ ィ ン グ ・
マ リ ン( Irving Malin)は 、『 新 ア メ リ カ の ゴ シ ッ ク 』( New American Gothic, 1962)に
おいて、象徴の意味するものを考察している。内田豊の『トルーマン・カポーティの
作 品 論 集 』 ( 2006) は 、 作 品 に 潜 む グ ロ テ ス ク な 側 面 を あ ぶ り 出 し 、 そ の 象 徴 的 な 意
味を解明している。
カ ポ ー テ ィ 研 究 に お い て 、カ ポ ー テ ィ 作 品 と ゴ シ ッ ク 小 説 、パ ス ト ラ ル・エ レ ジ ー 、
ピカレスク小説などの西欧文学の伝統との関連を包括的に扱った論考はほとんどない。
た だ 、 ゴ シ ッ ク 小 説 と 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』 の 関 係 を 扱 っ た も の は 、 J・ ダ グ ラ ス ・ ペ
リ ー ・ ジ ュ ニ ア ( J. Douglas Perry, Jr.) の 論 文 を は じ め い く つ か あ る 。 パ ス ト ラ ル ・ エ
レジーやピカレスク小説に関しては、時に言及されはするが、詳細に論じられたこと
はほとんどない。また、文学ジャンルに的を絞って『冷血』を考察した論考はほとん
ど見当たらない。
『 冷 血 』を 様 々 な 角 度 か ら 論 じ て い る ラ ル フ・F・ヴ ォ ス( Ralph F. Voss)
は 、『 ト ル ー マ ン・カ ポ ー テ ィ と「 冷 血 」が 受 け 継 い だ も の 』( Truman Capote and the
Legacy of In Cold Blood, 2011)に お い て 、『 冷 血 』へ の ゴ シ ッ ク 小 説 の 影 響 は 指 摘 し て
いるが、パストラル・エレジー、ピカレスク小説に関しては触れていない。
第1章では、カポーティの処女長編小説『遠い声、遠い部屋』を取り上げる。カポ
ー テ ィ の 初 期 作 品 は 、南 部 ゴ シ ッ ク 小 説( southern gothic)の 系 譜 に 属 す る も の が 多 く 5 、
恐怖や戦慄を与えるために作品中に様々なゴシック的な要素を取り入れたことでよく
知られている。本章では『遠い声、遠い部屋』がゴシック小説のテーマ、枠組み、構
造などを用いて構築された小説であることを確認する。『遠い声、遠い部屋』に潜む
同性愛を想起させるイメージやエピソードに着目することによって、カポーティが伝
統 的 な ゴ シ ッ ク 小 説 を い か に 利 用 し 修 正 し 、か つ パ ロ デ ィ に し た の か を 明 ら か に す る 。
第 1 節 で は 、 エ デ ィ ス ・ バ ー ク ヘ ッ ド ( Edith Birkhead) や フ レ ッ ド ・ ボ ッ テ ィ ン グ
( Fred Botting) の ゴ シ ッ ク 論 を 援 用 し て 、 ゴ シ ッ ク 小 説 の 定 義 を 行 う 。 ゴ シ ッ ク 小 説
は、怪奇的で閉ざされた空間を舞台に、盗賊や幽霊などを悪の化身として登場させ、
殺戮や復讐など残虐な行為を波乱万丈の筋立ての中で描く。恐怖とスリルを基調とし
ており、超自然的恐怖、怪奇的な雰囲気、迫害、同性愛などのエピソードが組み込ま
れる。具体的に言えば、感性豊かで無知で無邪気な主人公が荒廃した屋敷を訪れ、恐
怖に満ちた体験をすることによって、自己のアイデンティティを見出す。
続いて、『遠い声、遠い部屋』に見られるゴシック小説特有の舞台設定や登場人物
3
を確認する。『遠い声、遠い部屋』はゴシック小説につきものの、無垢な主人公が荒
廃した屋敷を訪れ、恐怖に満ちた体験をすることによって自己のアイデンティティを
見出すというプロットをそのまま踏襲している。具体的には、幽霊の出没する不気味
な崩れかかった屋敷を舞台にして、感受性豊かで無垢な主人公ジョエル・ハリソン・
ノ ッ ク ス( Joel Harrison Knox)が 、不 気 味 な 悪 人 と 思 わ し き ラ ン ド ル フ( Randolph)や
ジ ョ エ ル の 父 エ ド ワ ー ド ・ サ ン ソ ム ( Edward Sansom) 、 召 使 い の ズ ー ( Zoo) 、 御 者
の ジ ー ザ ス・フ ィ ー ヴ ァ ー( Jesus Fever)な ど の グ ロ テ ス ク な 人 物 と 出 会 う 。ラ ン ド ル
フが恐怖の対象であるとわかったジョエルは、彼と真っ向から対峙する。
舞台設定であるが、ジョエルが訪れる場所は、あたり一面沼と森と野原の荒涼たる
風景が広がっている不気味な地であり、ゴシック小説に相応しい設定となっている。
ジョエルが暮らすことになる屋敷は、さらに奥地の「頭蓋骨」という意味を持つスカ
リ イ ズ・ラ ン デ ィ ン グ( Skully’s Landing)と い う 邸 宅 で あ り 、周 辺 に は 溺 れ 沼( drowning
pond) や ク ラ ウ ド ・ ホ テ ル ( Cloud Hotel) な ど 怪 奇 的 な 場 所 が あ り 、 不 吉 な 雰 囲 気 が
漂っている。超自然的怪奇現象や幽霊の存在もゴシック小説には欠かせない道具立て
である。スカリイズ・ランディング屋敷には、幽霊を思わせるような「謎の女」が登
場する。ジョエルにとってこの女は物語の最後まで謎であり、恐怖の対象となるが、
ゴシック小説の約束事により、最後には種明かしがなされ、謎は解明される。「謎の
女」の正体は、屋敷の当主でジョエルの従兄弟のランドルフである。
第2節では、そのランドルフに着目し、ジョエルとの関係から、ゴシック小説のプ
ロットにつきものの、追う者と追われる者の逆転、恐怖の対象との対峙、アイデンテ
ィティの獲得、同性愛などを考察する。ジョエルをランディングに呼び寄せたのはラ
ンドルフである。ランドルフは、女性のような雰囲気を漂わせ、密かに女装し、ジョ
エルを同性愛の道に誘う。ランドルフは、ゴシック小説の極悪非道な悪人のパロディ
であることを検証する。
ジョエルとランドルフとの関係は、追われる者と追う者、ダブル(分身)やオルタ
ー・エゴのモチーフを踏襲している。ジョエルは、得体の知れない恐怖を感じ、何度
となく屋敷から逃げ出そうとする。ジョエルが恐怖と対峙し、解放される様子は、風
に舞って纏わりつく煙草のポスターの比喩を用いて語られる。ジョエルはランディン
グから逃亡する際、風に舞う煙草のポスターに突然襲われる。ポスターから逃れよう
ともがけばもがくほど、纏わりついてくる。しかし、いざ逃げるのを諦めると、意外
4
にも簡単に解放される。恐れるものがなくなったと感じたジョエルはランディングへ
と戻り、恐怖の正体を突き止める。ジョエルにとっての恐怖の対象は、半身不随で寝
たきりの生きる屍の父であり、自分を捨てたボクサーの恋人を忘れることができない
ラ ン ド ル フ で あ る 。 こ の 父 親 像 の 滑 稽 な 転 覆 6も 、 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』 が ゴ シ ッ ク 小
説のパロディであることを示唆している。
作品の最終章で、ジョエルがランドルフの手を引いて連れて帰る場面がある。この
場面は、ランドルフがランディングの屋敷から一歩でも外に出ると実に無力な人間で
あることが明らかになる。このプロット展開もゴシック小説のパロディである。この
場面は、さらには、追う者と追われる者の関係が逆転する瞬間であり、ジョエルが強
者へとランドルフが弱者へと立場が逆転する瞬間でもある。ジョエルは同性愛者ラン
ドルフと対峙した結果、同性愛者としての自己を認識する。作品の結末で、追う側と
なったジョエルに対し、追われる側となったランドルフは微笑み、手招きする。精神
的な成長を遂げたジョエルはランドルフの手招きに応じて、怖れず、躊躇せず挑んで
いく。ジョエルは、同性愛者という自己のアイデンティティを見出し、ランドルフを
受け入れたのである。
第3節では、作品に隠された同性愛について考え、当時のアメリカ社会における同
性愛への反応に着目する。ランドルフは作者カポーティの代弁者である。カポーティ
自身は「僕はこれまで同性愛者であることで悩んだことはない。僕はいつも正直に自
分 の こ と を 明 ら か に し て い た 」7 と 語 る 。し か し『 遠 い 声 、遠 い 部 屋 』が 刊 行 さ れ た 1940
年代は、同性愛的傾向を明らかにすることが憚かられる時代であった。リアリズム小
説という形式を用いて同性愛的関係をリアルに描くのは難しいことであり、小説の売
れ行きにも悪影響を及ぼすことをカポーティはよく知っていた。「口には出せないも
の」として同性愛的関係が頻出するゴシック小説という文学ジャンルを隠れ蓑に用い
て、ゴシック小説の悪人のパロディとして同性愛者ランドルフを描いたところに、執
筆当時の社会に対するカポーティの遠慮があった。
第2章では、カポーティの第二作目の長編小説『草の竪琴』を取り上げる。『草の
竪琴』が「パストラル・エレジー」という文学の伝統に連なる作品であることを、小
説の舞台設定やテーマ、イメージに着目して、検証する。論述の順序としては、最初
にパストラル・エレジーの定義をする。その後、具体的に『草の竪琴』を分析しなが
ら、この作品が「死者」、「過ぎ去った者」への哀歌であることを検証し、パストラ
5
ル ・ エ レ ジ ー と い う 枠 組 み の 中 で 主 人 公 コ リ ン ・ フ ェ ン ウ ィ ッ ク ( Collin Fenwick) の
成長を描くことにより、独特の小説空間を構築していることを明らかにする。
第1節では、パストラル・エレジーを定義する。パストラル(田園詩)は、宮廷や
文明社会の頽廃を嘆く気持ちから、羊飼いの生活を賛美してうたった詩で、田園や理
想郷、恋、平和などがキーワードとされる。エレジーは、当初は恋愛などをうたった
抒情詩を指したが、次第に死者を哀悼し、遺族を慰め、個人の死について哲学的瞑想
に耽るものとなる。パストラル・エレジーは田園を舞台に設定し、死者を悼み、死に
至 っ た 事 情 を 語 り 、こ の 世 の 邪 悪 さ を 批 判 し 、死 は 生 の 始 ま り で あ る と い う 考 え か ら 、
希望と喜びの再生で締めくくる。ヴィクトリア朝時代に入ると、パストラル・エレジ
ー の 特 色 を 引 き 継 い だ パ ス ト ラ ル・ノ ヴ ェ ル( pastoral novel)と 呼 ば れ る 一 連 の 小 説 群
が登場する。
次に、『草の竪琴』がパストラル・エレジーの伝統を継承していることを具体的に
見ていく。『草の竪琴』は、少年コリンの一人称の語りで、初老の女性ドリー・タル
ボ ー ( Dolly Talbo) と の 思 い 出 を 語 る 。 そ の 過 程 で 近 隣 の 人 々 の 死 に 言 及 し 、 様 々 な
エピソードを交えて、年齢差を超えて親友となったドリーの死に至るまでを語り、彼
女の死を悼む。小説の最後でコリンは彼女の死を乗り越え、少年時代に別れを告げ、
旅立つ。主人公のコリンという名は、伝統的なパストラル作品の羊飼いの名前として
しばしば用いられている。主人公の少年の命名も、カポーティがパストラルの伝統を
強く意識していることを示唆している。パストラルの約束事では、主人公は羊飼いや
子供などの純真無垢な人物である。
『 草 の 竪 琴 』で は 、コ リ ン は 16 歳 の 少 年 で あ る が 、
初老のドリーも精神的には純粋な少女のままである。物語の大部分は草原や森といっ
た自然の中で展開され、コリン達は樹の上に家を築く。その樹の家は、何でも打ち明
けることのできる場であり、安堵できる心地よい場所である。町から逃れてきた「五
人 の 馬 鹿 者 」 、 す な わ ち コ リ ン 、 ド リ ー 、 キ ャ サ リ ン ・ ク リ ー ク ( Catherine Creek) 、
元 判 事 の チ ャ ー リ ー・ク ー ル( Charlie Cool)、ラ イ リ ー・ヘ ン ダ ー ソ ン( Riley Henderson)
にとっては理想郷と化す。自分の本性を隠す必要のない樹の家で、五人の男女は互い
の孤独を打ち明け、愛を語り、幸福感に満たされ、夢のようなひと時を経験する。
第2節では、これらの牧歌的場面を背景にして死にゆく者と去りゆく者が描かれて
いることに着目する。エレジーに相応しく、作品の冒頭と結末には死にまつわるエピ
ソ ー ド が 語 ら れ る 。舞 台 は 、イ ン デ ィ ア ン・グ ラ ス の 草 原 で あ る 。教 会 、墓 地 、草 原 、
6
森と、町から離れていくにつれて美しい自然が広がっており、パストラル・エレジー
に相応しい風景となっている。墓地にはコリンの両親や親戚の墓が並び、隣接してい
るインディアン・グラスの草原が風にそよぐ。ドリーはこの情景を「草の竪琴」と名
付ける。ドリーが語る「草の竪琴」とは、今は亡き人々を思い出させてくれるインデ
ィアン・グラスが風にそよぐ音のことであり、風にそよぐ草が、死者の生きた証を竪
琴のように語り継ぐのである。草の竪琴は、死者の思い出を語り、死者を悼む。まさ
にエレジーそのものである。また、去りゆく者に関しては、ドリーの妹でタルボー家
を 取 り 仕 切 る ヴ ェ リ ー ナ・タ ル ボ ー( Verena Talbo)を 中 心 に 描 か れ る 。ヴ ェ リ ー ナ は
男勝りの屈強な女性であるが、相次いで愛する者達に去られることで、弱々しい女性
へ と 変 化 し て い く 。心 を 通 わ せ 合 い 、夢 の よ う な 時 間 を 共 有 し た「 五 人 の 馬 鹿 者 」も 、
結局は、安住の地だと思っていた樹の家を去ることになる。
『草の竪琴』には、「死」が人間の身近なものとして頻出する。コリンの両親とタ
ル ボ ー 家 と フ ェ ン ウ ィ ッ ク 家 の 20 人 以 上 の 親 戚 は 、バ プ テ ィ ス ト 教 会 の 墓 地 に 葬 ら れ
ている。その墓地の傍らに、インディアン・グラスの草原が広がっているのだ。そし
て、ドリーも死にゆく者となる。「そよ風が家を通り抜けて行ったとき」、コリンは
ドリーが亡くなったことを悟る。パストラル・エレジーでは、死は生の始まりである
と捉えるのが伝統的であるため、結婚、誕生などで締めくくられることが多い。『草
の 竪 琴 』に お い て も 、小 説 の 結 末 で は コ リ ン の 進 学 や 友 人 ラ イ リ ー の 結 婚 が 描 か れ る 。
第3節では、『草の竪琴』がきわめて自伝的な小説であったことを論じる。献辞に
「深い愛情の記念として、ミス・スックに捧ぐ」とあるように、『草の竪琴』は、少
年 の カ ポ ー テ ィ を 一 時 期 引 き 取 っ て 育 て て く れ た 親 戚 の ス ッ ク・フ ォ ー ク( Sook Faulk,
1871-1946)に 捧 げ ら れ て い る 。ス ッ ク は 、両 親 や 兄 弟 が 身 近 に い な か っ た カ ポ ー テ ィ
に 対 し て 母 親 と 友 達 の 二 役 を こ な そ う と 奮 闘 し た 8 。そ の ス ッ ク の 愛 情 を カ ポ ー テ ィ は
生 涯 忘 れ る こ と は な く 、信 頼 で き る 友 で あ る と 見 な し 、「 僕 ら は お 互 い 無 二 の 親 友 」 9
であると語っている。カポーティは、『草の竪琴』においてパストラル・エレジーの
形 式 を 用 い て 、少 年 時 代 の 親 友 ミ ス・ス ッ ク の 思 い 出 を 語 り 、そ し て 彼 女 の 死 を 悼 む 。
第3章では第三作目の長編小説『ティファニーで朝食を』を取り上げ、主人公のホ
リ ー・ゴ ラ イ ト リ ー( Holly Golightly)が 、女 性 の 悪 漢 ・ご ろ つ き と し て 造 形 さ れ て い
ることに着目し、この作品が、ギターのイメージ、鳥のイメージ、旅への憧れなどを
利 用 し な が ら 、 カ ポ ー テ ィ な り の 20 世 紀 の 新 ピ カ レ ス ク 小 説 ( new picaresque novel)
7
を構築していることを論じる。
第 1 節 で は 、ピ カ レ ス ク 小 説 に つ い て 定 義 す る 。ピ カ レ ス ク 小 説 は 16 世 紀 の ス ペ イ
ン で 構 築 さ れ た 小 説 ジ ャ ン ル で あ る 。ピ カ レ ス ク と い う 語 は 、ス ペ イ ン 語 の ピ カ ロ( 悪
漢 、 ご ろ つ き ) か ら 派 生 し た も の で あ る 10 。 ク リ ス ・ ボ ル デ ィ ッ ク ( Chris Baldick) や
小池滋などの論考に依拠して、ピカレスク小説を定義する。ボルディックによれば、
ピカレスク小説の主人公は社会の底辺をさまよう悪漢、ごろつきであり、通常は一人
称の語りを用い、自分の冒険・脱出・逃避を物語る小説ジャンルである。ピカレスク
小 説 の 伝 統 は 、 20 世 紀 に な る と 新 ピ カ レ ス ク 小 説 と し て 変 容 を 遂 げ る 。 主 人 公 は 、 し
ば し ば 、長 期 に 渡 る 旅 に 出 か け 、様 々 な エ ピ ソ ー ド が 有 機 的 な 結 合 を 度 外 視 し て 、次 々
と語られていく。主人公の旅・移動を通して、社会の実像が写実的に描かれ、鋭い社
会風刺が潜んでいることが多い。
第2節では、『ティファニーで朝食を』がピカレスク小説の約束事をそのまま踏襲
して、小説空間を構築していることを論じる。『ティファニーで朝食を』は、エピソ
ードを次々と語ることで物語を展開していく。主人公が社会体制に背を向けて職を
転々とし、放浪の旅に出るという点でも、ピカレスク小説らしい物語構成を持つ。古
典的なピカレスク小説のヒーロー(アンチヒーロー)は、いろいろな主人に仕えて世
の中を渡り、主人の商売・職業・個人的欠陥を暴露し風刺していくが、主人公が女性
の場合には、年端もゆかぬうちから、時に盗みなどをしながら、娼婦として様々な階
級・職業の男性の間を渡り歩く。渡り歩きながら、一般にはまともだと思われている
社会の偽善・不正を鋭く見抜き、既成の道徳に縛られずに奔放に潔く批判・風刺を行
う。
主人公ホリーはまさに女性版ピカロである。ホリーは、多くのピカロがそうである
ように、必要と思われるときには盗みを働く。彼女は、小説が始まった時点では、多
くの男性に囲まれ、高級娼婦として夜の大都会ニュー・ヨークを動き回っている。ホ
リ ー の 知 人 で ハ リ ウ ッ ド の 俳 優 代 理 人 で あ る O. J. バ ー マ ン ( O. J. Berman) は 、 彼 女
は押しかけてくる男達のチップで暮らしているのだと言い放つ。また、ホリーに嫌悪
感を抱いている隣人は、ホリーを素行のいかがわしい人物であると見なして、立ち退
きを要求する。語り手の「私」でさえ、一時は、ホリーを露出癖のある品位に欠ける
女だと思い込む。
ホリーは、既成概念にまったく囚われない女性である。犯罪者に対して偏見を抱い
8
ておらず、人種に対する偏見や差別意識も持たない。当時の性道徳にもまったく囚わ
れはしない。彼女は同性愛を擁護し、自分自身にも同性愛者の傾向があることを率直
に認めている。しかし、当時のアメリカ社会では同性愛に対して、嫌悪感というより
はむしろ恐怖を覚えるのが一般的であった。そのような時代において、ホリーは驚く
ほど偏見に囚われない人物である。ピカロは社会を批判したり風刺したりする役割を
担うことが多い。カポーティは偏見や差別の眼差しを持たないホリーを通して、間接
的に当時の社会を風刺していると言える。
続 い て 、ホ リ ー の ピ カ ロ 的 性 格 を 最 も 浮 き 彫 り に し て い る 放 浪 の 旅 を 考 察 す る 。「 ミ
ス・ホリデー・ゴライトリー
旅行中」と印刷されたホリーの社交用の名刺や、旅人
の守護聖人の聖クリストファーのメダルを大事にしていることが示すように、ホリー
は旅に取り憑かれている。ホリーは、女性版ピカロに相応しく、様々な人種・階級・
職 業 の 男 性 の も と を 転 々 と す る 。両 親 の 死 後 、ご ろ つ き 同 然 の 一 家 に 引 き 取 ら れ る が 、
そ の 家 か ら 逃 げ 出 し 、 盗 み に 入 っ た 家 の 主 人 で 獣 医 の ゴ ラ イ ト リ ー 氏 ( Doc Golightly)
と 14 歳 で 結 婚 す る 。し か し 、彼 女 は ゴ ラ イ ト リ ー 家 を 飛 び 出 し 、西 部 の サ ン タ・ア ニ
タへ行き、それからニュー・ヨークへと飛び立つ。ニュー・ヨークでも、彼女はいつ
でも放浪の旅に出発できるようにするために、部屋にはスーツケースとまだ開けてい
ない梱包箱以外に家具は置いていない。その後、ブラジルに渡り、さらにはアルゼン
チ ン の ブ エ ノ ス・ア イ レ ス ま で 旅 を 続 け 、消 息 を 絶 つ 。そ の 十 数 年 後 、後 日 談 と し て 、
彼女がアフリカに渡ったのではないかと語られる。まともな社会にも特定の閉ざされ
た社会にもどこにも属すことがないのはピカロの特徴であるが、ホリーの人生はまさ
にそれに当てはまり、アメリカから南米、そしてアフリカへと果てしない聖なる旅を
続けるのである。
『ティファニーで朝食を』では、旅に憧れる姿、すなわち束縛を嫌い、自由を切望
するホリーの姿が、カポーティ作品独特のモチーフであるギターや鳥のイメージを用
いて描かれている。ギターや鳥のイメージを用いて、ピカロ特有の旅への憧れを描く
と こ ろ に 、カ ポ ー テ ィ が 構 築 し た ピ カ レ ス ク 小 説 の 新 し さ が あ る 。特 に 印 象 的 な の は 、
ホリーがギターをつま弾きながら歌うさすらいの調べである。彼女は放浪への憧れを
歌う。聖クリストファーのメダルとギターと宝石は、彼女の旅の必需品であり、ブラ
ジルへ逃亡するときにもこれらをスーツケースに詰めて持って行く。
ホ リ ー の 弟 へ 示 す 思 い や り 、サ リ ー・ト マ ト( Sally Tomato)へ の 慈 愛 、唯 一 の 友 人
9
で あ る 「 私 」 や 知 人 の ジ ョ ー ・ ベ ル ( Joe Bell) に 対 す る 友 情 か ら は 、 伝 統 的 な ピ カ ロ
が 持 つ 特 質 と は 異 な る 面 が 見 出 せ る 。彼 女 の ホ リ ー( Holly)と い う 名 前 は 、「 西 洋 柊 」
( holly) 、 「 神 聖 な 」 ( holy) な ど と い う 語 を 想 起 さ せ る 。 そ の た め 、 彼 女 に は 、 き
わめて清らかなで聖なるイメージが付与される。結局、カポーティは『ティファニー
で朝食を』において、伝統的なピカレスク小説の形式に、ギターと鳥のイメージを加
味して、自分自身に誠実で、既成概念に囚われず、旅に強い憧れを抱き、北米から南
米 へ 、 そ し て ア フ リ カ に ま で も 旅 す る 、 20 世 紀 中 葉 に 生 き る 感 性 豊 か で 魅 力 的 な 、 そ
して聖なる女性ピカロをつくり上げたと言える。
第 3 節 で は 、 ホ リ ー と カ ポ ー テ ィ の 母 ニ ー ナ ・ カ ポ ー テ ィ ( Nina Capote, 1905-54)
の類似点を挙げ、『ティファニーで朝食を』で、若い頃の母親像を再現していること
に言及する。ホリーもニーナも南部の出身であり、華やかな都会ニュー・ヨークに憧
れ て 田 舎 か ら 出 て く る 。 母 の 本 名 は リ リ ー ・ メ イ ( Lillie Mae) で あ り 、 ホ リ ー の 本 名
は 、 ル ー ラ ・ メ イ ・ バ ー ン ズ ( Lula Mae Barnes) で あ る 。 二 人 の 人 生 、 そ し て 名 前 の
類似は偶然とは思えない。カポーティは、若き日の母の姿を、聖なる放浪者ホリーと
して作品中で永遠化したのだと結論づけた。
第4章では、カポーティ自らがノンフィクション・ノヴェルと銘打った『冷血』を
取 り 上 げ る 。『 冷 血 』は 、カ ポ ー テ ィ が 執 筆 に 先 立 っ て 、3 年 の 歳 月 を か け て 収 集 し た
6000 ペ ー ジ に 及 ぶ 資 料 を 用 い て 、 完 成 さ せ た 作 品 で あ る 。 本 章 の 目 的 は 、 第 1 章 か ら
第3章において考察してきたゴシック小説、パストラル・エレジー、ピカレスク小説
などに用いられている文学技巧が、カポーティの文学的集大成となった『冷血』にど
のように利用され、変容を遂げているのかを具体的に分析することである。
第1節では、『冷血』の具体的な分析に入る前に、ノンフィクション・ノヴェルと
はいかなるものなのかを概観する。カポーティ自身は、ノンフィクション・ノヴェル
を次のように定義する。つまり、小説空間を構築するために開発されたあらゆる手法
を自由に駆使するが、その一方で事実をきちんと踏まえる物語形式である、と。具体
的には、題材を決め、取材を徹底的に行い、膨大なデータを収集し、集めたデータを
再構築して、小説創作の際に用いる文学技巧、表現方法、構成などを利用して、現実
の再現を行うということである。要するに、題材は事実を扱っているが小説のように
読めるものであると要約できる。
第 2 節 で は 、ゴ シ ッ ク 小 説 の 特 性 が『 冷 血 』に ど の よ う に 用 い ら れ て い る か を 探 る 。
10
この作品は、全米ミステリー作家協会のエドガー・アラン・ポー賞(実録犯罪部門)
を受賞したことからも明白なように、犯罪小説のような趣を持つ。犯罪小説はゴシッ
ク小説から派生したサブジャンルである。『冷血』には殺人、逃亡、捜査、逮捕、事
情聴取、裁判、処刑が描かれている。三人称の作者全知の語りを用い、視点を犯人達
と警察官との間で交互に替えるという手法を取っている。警察の捜査と犯人達の逃避
行 が 交 互 に 語 ら れ 、 緊 迫 感 を 高 め て い る 。 犯 人 の 一 人 ペ リ ー ・ ス ミ ス ( Perry Smith)
は、あたかもゴシック小説の主人公のように描かれている。両親の離別、相次ぐ家族
の不幸、孤児院での虐待などが語られる。彼の家族は、母はアル中で窒息死、兄は妻
を殺害して自殺、姉はホテルの窓から飛び降り自殺する。ペリーには、「無頭の鷹」
( “The Headless Hawk,” 1946) や 「 最 後 の 扉 を 閉 ざ せ 」 ( “Shut a Final Door,” 1947) の
主人公達と類似する心の闇がある。心の闇とは、自己愛と自己嫌悪の葛藤、自責の念
の な さ 、他 者 へ の 破 壊 衝 動 で あ る 。ま た 、ペ リ ー は 、共 犯 の デ ィ ッ ク・ヒ コ ッ ク( Dick
Hickock)の 実 践 的 な 生 き 方 に 男 ら し さ を 感 じ 、憧 れ て い る 。彼 ら は 現 実 に は 、ゴ シ ッ
ク 小 説 に つ き も の の 同 性 愛 の 関 係 で あ っ た が 、カ ポ ー テ ィ は 本 の 売 れ 行 き を 気 に し て 、
仄めかすだけに留めている。追う者と追われる者の関係は、加害者と被害者、警察と
犯人、死刑と犯人というように、3 パターン描かれている。
第3節では、『冷血』全体にはパストラル・エレジーの雰囲気が漂っていることを
論 じ る 。小 説 の 舞 台 は カ ン ザ ス 州 ホ ル カ ム と い う 牧 歌 的 な 景 色 の 広 が る 田 舎 町 で あ る 。
果樹園、リンゴの香りが漂う緑のエデンとして描かれている。田園の中には、『草の
竪琴』の舞台のように、墓地が広がっており、作品中にはエレジーに不可欠な「死」
が 描 か れ る 。被 害 者 の ク ラ ッ タ ー( Clutter)家 の 人 々 、犯 人 の ペ リ ー と デ ィ ッ ク 、監 獄
で 一 緒 だ っ た 文 学 的 な 才 能 の 豊 か な 死 刑 囚 の ロ ー ウ ェ ル・リ ー・ア ン ド ル ー ズ( Lowell
Lee Andrews)の 死 で あ る 。ア ン ド ル ー ズ は 処 刑 さ れ る 前 に 、ト マ ス・グ レ イ( Thomas
Gray, 1716-71) の 『 田 舎 の 教 会 の 墓 地 で 書 か れ た 哀 歌 』 ( Elegy Written in a Country
Churchyard, 1751) か ら の 引 用 「 栄 華 の 道 は た だ 墳 墓 に 通 じ る の み 」 を 辞 世 の 句 と し て
残す。
『 冷 血 』は 処 刑 場 面 で は な く 、刑 事 ア ル ヴ ィ ン・ア ダ ム ス・デ ュ ー イ( Alvin Adams
Dewey)が 処 刑 の 一 年 前 に 訪 れ た 墓 地 で の 出 来 事 を 回 想 す る 場 面 で 終 わ る 。こ の 場 面 は 、
果てしない空と小麦畑をなびかせて渡っていく風のささやきだけが残されていたと描
写 さ れ る 。ま さ に『 草 の 竪 琴 』の 最 後 の 場 面 を 想 起 さ せ る 。「 死 は 生 の 始 ま り 」で「 希
望 と 喜 び の 再 生 で 締 め く く る 」と い う パ ス ト ラ ル・エ レ ジ ー の 伝 統 に 忠 実 に 、最 後 は 、
11
町の人々の死だけではなく誕生や結婚が語られる。
第4節では、『冷血』においてピカレスク小説の伝統がいかに反映されているかを
考察する。この作品におけるピカロは、明らかに加害者であるペリーとディックであ
る。彼らはピカロらしく様々な仕事を転々とし、社会の底辺をさまよい、転落してい
く。最後には裕福な家に強盗に入り、殺人に手を染め、処刑される。また、ピカロの
大きな特徴である逃避・放浪であるが、二人の場合も仕事を探しながら、時に盗みを
しつつ旅を続ける。『ティファニーで朝食を』の主人公ホリーのように、ペリーは旅
に憧れ、自由になる夢を語る。彼の夢は、巨大なオウムが過去に彼に危害を加えた敵
達に復讐を果たしてくれるといった空想的な夢から、ナイト・クラブで脚光を浴びる
ミュージシャンになりたいという現実に根ざした夢、海に眠る財宝を引き上げるとい
う荒唐無稽な夢など様々である。オウムによる飛翔の夢や常に旅をしていたいという
願いは、彼の自由への希求を意味する。
カポーティは、『冷血』において、様々な文学的手法を駆使しつつ、事実に基づい
て客観的に作品世界を構築しようとした。しかし、カポーティはペリーとの文通や監
獄での面会などを通して、ペリーに急速に惹きつけられていく。ペリーは幼少時代の
カ ポ ー テ ィ と 非 常 に よ く 似 た 境 遇 で あ っ た か ら で あ る 。ペ リ ー の 人 物 造 形 に お い て も 、
明らかに感情移入が認められる。過剰に取材対象にのめり込んでいった結果、ペリー
の内面描写、心理分析は緻密になり、作品世界に独自の厚みを与えることとなった。
さらには、カポーティはペリーの死刑執行を止めようとして、死刑廃止論を主張し始
める。その結果、死刑がいかに残虐な刑罰であるかを訴えるために、処刑場面は必要
以上に感傷的かつ扇情的に描かれることとなった。ノンフィクション・ノヴェルとい
うジャンルを構築し、客観的であろうとしたカポーティにとっては、皮肉な結果であ
った。
12
第1章
恐怖と滑稽の共存
―ゴシック小説のパロディとしての『遠い声、遠い部屋』
第1章では、処女長編『遠い声、遠い部屋』を取り上げる。カポーティの「暗」の
作 品 群 に 属 す る 11「 ミ リ ア ム 」な ど の 初 期 作 品 は 、南 部 ゴ シ ッ ク 小 説 の 系 譜 に 属 す る も
の が 多 く 12 、恐 怖 や 戦 慄 を 与 え る た め に 作 品 中 に 様 々 な ゴ シ ッ ク 的 な 要 素 を 取 り 入 れ た
ことでよく知られている。本章では、『遠い声、遠い部屋』もまたゴシック小説のテ
ー マ 、枠 組 み 、構 造 な ど を 用 い て 構 築 さ れ た 小 説 で あ る こ と を 確 認 す る 。そ の う え で 、
『遠い声、遠い部屋』に潜む同性愛を想起させるイメージやエピソードに着目するこ
とによって、カポーティが伝統的なゴシック小説をいかに引き継ぎ、かつパロディに
したのかを明らかにする。
『遠い声、遠い部屋』がゴシック小説のジャンルに属する作品であるという指摘は
しばしばなされるが、包括的に論じている先行研究はあまりない。代表的な論文は、
先 に 言 及 し た ペ リ ー ・ ジ ュ ニ ア の 「 渦 と し て の ゴ シ ッ ク 」 ( “Gothic As Vortex,” 2009)
である。この論文では、まずゴシック小説の定義がなされ、カポーティと同じ南部出
身 の 作 家 ウ ィ リ ア ム ・ フ ォ ー ク ナ ー ( William Faulkner, 1897-1962) の 『 サ ン ク チ ュ ア
リ 』( Sanctuary, 1931)と ウ ィ リ ア ム・ス タ イ ロ ン( William Styron, 1925-2006)の『 こ
の 家 に 火 を 着 け ろ 』 ( Set This House on Fire, 1960) を 取 り 上 げ 、 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』
と 詳 細 に 比 較・分 析 し て い る が 13 、同 性 愛 に つ い て は 言 及 し て い な い 。一 方 、同 性 愛 と
の 関 連 は 、 ピ ー タ ー ・ G・ ク リ ス テ ン セ ン ( Peter G. Christensen) に よ っ て 論 じ ら れ て
い る が 、彼 は カ ポ ー テ ィ を 同 性 愛 作 家 と し て 捉 え て は い る が 14 、ゴ シ ッ ク 小 説 と し て 分
析していない。オルドリッジは、出版直後のかなり早い時期に、小説に漂う同性愛的
要 素 を 指 摘 し 、小 説 の 主 題 は 少 年 の 父 親 探 索 で あ る と 述 べ て い る が 15 、ゴ シ ッ ク 小 説 と
関連づけてはいない。稲澤秀夫も『トルーマン・カポーティ研究』において、カポー
ティが南部作家の伝統を引き継いでいるという観点から『遠い声、遠い部屋』を分析
し 、同 性 愛 に 言 及 し て は い る 16 。越 智 博 美 の『 カ ポ ー テ ィ ─ 人 と 文 学 』( 2005)は 、同
性愛者としてのカポーティを跡付けた興味深い評伝である。カポーティの性的傾向と
作 品 の 関 係 に つ い て 示 唆 に 富 ん だ 指 摘 が あ る 17 。し か し 、稲 澤 も 越 智 も 、同 性 愛 と ゴ シ
ック小説とを関連づけていない。
13
1
ゴシック小説のモチーフ
(1)ゴシック小説とは
ゴ シ ッ ク 小 説 は 、 18 世 紀 末 か ら 19 世 紀 初 め に か け て 流 行 し た 小 説 ジ ャ ン ル で あ る 。
バ ー ク ヘ ッ ド 、 ボ ッ テ ィ ン グ 、 エ リ ザ ベ ス ・ マ ッ ク ア ン ド リ ュ ー ズ ( Elizabeth
MacAndrews) な ど に 依 拠 し て 、 ゴ シ ッ ク 小 説 を 定 義 す る 。 舞 台 は 、 崩 れ か か っ た ゴ シ
ッ ク 建 築 の 屋 敷 、修 道 院 、城 、廃 墟 、森 な ど 怪 奇 的 で 閉 ざ さ れ た 空 間 で あ る 。破 戒 僧 、
盗賊、山賊、封建領主、幽霊などを悪の化身として登場させ、殺戮や復讐など残虐な
行 為 を 波 乱 万 丈 の 筋 立 て の 中 で 描 く 18 。恐 怖 と ス リ ル を 基 調 と し て お り 、超 自 然 的 恐 怖 、
怪奇的な雰囲気、秘密、陰謀、迫害、同性愛などのエピソードが組み込まれる。具体
的に言えば、感性豊かで無知で無邪気な主人公が荒廃した屋敷を訪れ、恐怖に満ちた
体 験 を す る こ と に よ っ て 、 自 己 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 見 出 す 19 。
ゴ シ ッ ク 小 説 の 代 表 的 な 作 品 は 、 ゴ シ ッ ク 小 説 の 祖 ホ レ ス ・ ウ ォ ル ポ ー ル ( Horace
Walpole, 1717-97)の『 オ ト ラ ン ト 城 』( The Castle of Otranto, 1764)、ア ン・ラ ド ク リ
フ( Ann Radcliffe, 1764-1823)の『 ユ ー ド ル フ ォ の 謎 』
( The Mysteries of Udolpho, 1794)、
マ シ ュ ー・グ レ ゴ リ ー・ル イ ス( Matthew Gregory Lewis, 1775-1818)の『 マ ン ク 』( The
Monk, 1796) 、 メ ア リ ー ・ シ ェ リ ー ( Mary Shelley, 1797-1851) の 『 フ ラ ン ケ ン シ ュ タ
イン』
( Frankenstein, 1818)、チ ャ ー ル ズ・ロ バ ー ト・マ チ ュ ー リ ン( Charles Robert Maturin,
1782-1824) の 『 放 浪 者 メ ル モ ス 』 ( Melmoth the Wanderer, 1820) な ど で あ る 。 ゴ シ ッ
ク 小 説 の 伝 統 は 、 20 世 紀 ま で 続 く 。 オ ス カ ー ・ ワ イ ル ド ( Oscar Wilde, 1854-1900) の
『 ド リ ア ン ・ グ レ イ の 肖 像 』 ( The Picture of Dorian Gray, 1891) 、 ヘ ン リ ー ・ ジ ェ イ
ム ズ( Henry James, 1843-1916)の『 ね じ の 回 転 』( The Turn of the Screw, 1898)、ダ フ
ィ ネ・デ ュ モ ー リ エ( Daphne Du Maurier, 1907-89)の『 レ ベ ッ カ 』( Rebecca, 1938)、
ア イ リ ス ・ マ ー ド ッ ク ( Iris Murdoch, 1919-99) の 『 鐘 』 ( The Bell, 1958) な ど が よ く
知 ら れ て い る 20 。
ア メ リ カ で は ア メ リ カ ン・ゴ シ ッ ク( American gothic)と し て 花 開 く 。チ ャ ー ル ズ ・
ブ ロ ッ ク デ ン ・ ブ ラ ウ ン ( Charles Brockden Brown, 1771-1810) は 、 英 国 ゴ シ ッ ク 小 説
の影響を受けて、アメリカの荒涼とした自然を舞台として人間心理の暗部を描いた。
『 ウ ィ ー ラ ン ド 』 ( Wieland; or The Transformation, 1798) や 『 エ ド ガ ー ・ ハ ン ト リ ー 』
( Edgar Huntly, 1799) は 、 ブ ラ ウ ン の 代 表 作 で あ る 。 そ し て 、 そ の 伝 統 は 『 緋 文 字 』
( The Scarlet Letter, 1850) の ナ サ ニ エ ル ・ ホ ー ソ ー ン ( Nathaniel Hawthorn, 1804-64)
14
や 、 「 ア ッ シ ャ ー 家 の 崩 壊 」 ( “The Fall of the House of Usher,” 1839) の エ ド ガ ー ・ ア
ラ ン ・ ポ ー ( Edgar Allan Poe, 1809-49) に 受 け 継 が れ て い く 21 。
(2)舞台設定、登場人物そして道具立て
ゴシック小説に特有の舞台設定や登場人物が、『遠い声、遠い部屋』で頻出してい
ることをまずは確認したい。すなわち、『遠い声、遠い部屋』はゴシック小説につき
ものの、無垢な主人公が荒廃した屋敷を訪れ、恐怖に満ちた体験をすることによって
自己のアイデンティティを見出すというプロットをそのまま踏襲している点を見定め
る。
具体的には、幽霊の出没する不気味な崩れかかった屋敷を舞台にして、感受性豊か
で無垢な主人公ジョエル・ハリソン・ノックスが、不気味な悪人と思しきランドルフ
やジョエルの父エドワード・サンソム、召使いのズー、御者のジーザス・フィーヴァ
ーなどのグロテスクな人物と出会い、恐怖の対象であるランドルフと真っ向から対峙
し、同性愛者という自己のアイデンティティを見出す様が描かれていることを検証す
る。最後に、ランドルフはかなり滑稽化して描かれており、ゴシック小説の悪人のパ
ロディであることを示す。
『遠い声、遠い部屋』には、感受性豊かで無垢な主人公、不気味な悪人、幽霊の出
没する不気味な崩れかかった屋敷、グロテスクな人間などゴシック小説に頻出する道
具 立 て は す べ て 出 揃 っ て い る 。 ま ず 、 ジ ョ エ ル が 最 初 に 訪 れ る ヌ ー ン ・ シ テ ィ ( Noon
City)と い う 町 の 様 子 を 見 て み よ う 。あ た り 一 面 、沼 と 森 と 野 原 の 荒 涼 た る 風 景 が 広 が
っている。
Also, this is lonesome country; and here in the swamplike hollows where tiger
lilies bloom the size of a man’s head, there are luminous green logs that shine
under the dark marsh water like drowned corpses; often the only movement on the
landscape is winter smoke winding out the chimney of some sorry-looking
farmhouse, or a wing-stiffened bird, silent and arrow-eyed, circling over the black
deserted pinewoods. 22
ま た 、こ の 辺 り は 物 寂 し い 地 方 で あ る 。虎 百 合 の 花 が 人 の 顔 ほ ど の 大 き さ に
15
開 く 沼 地 の よ う な 窪 み の 中 で あ る こ こ で は 、黒 い 沼 の 水 底 に 溺 死 体 の よ う に
光 を 放 つ 緑 色 の 丸 太 が あ る 。こ の 景 色 で 唯 一 動 く も の は 、し ば し ば 、惨 め に
見 え る 数 軒 の 農 家 の 煙 突 か ら く ね り 出 る 冬 の 煙 か 、真 っ 暗 で 人 っ 子 一 人 い な
い 松 林 の 上 空 を 静 か に 矢 の よ う な 目 で 旋 回 す る 、羽 を 強 張 ら せ た 一 羽 の 鳥 だ
けということがたいていである。
人の顔ほどの大きさの虎百合や溺死体のように光っている緑色の丸太などという描写
は、ヌーン・シティの不気味さや空虚さを際立たせている。ヌーン・シティには、今
は 空 き 家 に な っ て い る 「 怪 奇 な 古 ぼ け た 屋 敷 」 ( 17) が 立 っ て い る 。 こ の 屋 敷 で 、 昔
三 人 の 美 し い 姉 妹 が 悪 鬼 の よ う な 山 賊 に 強 姦 さ れ 、殺 さ れ る と い う む ご い 事 件 が あ り 、
いかにも不気味な雰囲気を湛えている。屋敷の「窓はひび割れ粉々に砕け、目のない
髑 髏 の よ う に う つ ろ 」 ( 18) で 、 露 台 は 朽 ち 果 て 、 前 に 傾 い で い る 。 ヌ ー ン ・ シ テ ィ
の不気味な様子は、ジョエルがこれから向かう先に恐ろしいものが待ち構えているこ
とを暗示している。
ジョエルがたどりついたスカリイズ・ランディングという屋敷は「頭蓋骨」という
意味をもつ不気味な屋敷で、外界から閉ざされた、まさにゴシック小説に相応しい屋
敷である。『遠い声、遠い部屋』は明らかにポーの「アッシャー家の崩壊」の影響を
受 け て い る 23 。ラ ン ド ル フ が「 わ れ わ れ は こ の 屋 敷 が 沈 み 、庭 の 草 木 が 伸 び 、雑 草 に す
っ か り 覆 わ れ て し ま う ま で 、こ の ま ま 一 緒 に 暮 ら し て ゆ く ん だ ろ う 」( 117)と 言 う よ
うに、スカリイズ・ランディングはアッシャー家の屋敷のように毎年少しずつ沈んで
い く 24 。屋 敷 内 に は 、歪 ん だ 像 を 結 ぶ 等 身 大 の 姿 見 や 文 字 盤 の 曲 が っ た 時 計 な ど 不 気 味
な家具調度が置かれている。庭は荒れ放題で手入れされておらず、「廃墟さながらの
原 始 的 で 不 気 味 な た た ず ま い 」 ( 48) で あ る 。 電 気 や 水 洗 設 備 が な い こ と か ら も 、 文
明化された生活には程遠く、社会から切り離された地に来たという感じがする。さら
に、屋敷の奥の深い森には、「溺れ池」や廃墟のクラウド・ホテルが潜んでいる。こ
の森には屋敷以上に不吉な雰囲気が漂っている。溺れ池では、スペイン人移民の少年
が湖に飛び込んで丸太で頭を打って死に、続いて博打打ちが行方不明になり、その後
博 打 打 ち の 「 ぎ ら ぎ ら と ル ビ ー の 光 る 手 が 水 の 中 か ら 伸 び て き て 」 ( 99) ボ ー ト を ひ
っくり返そうとしたとか、水泳中の人の両脚に腕が絡みついてきた、という話がささ
やかれる。スペイン人移民の少年と博打打ちが「二人とも今は裸で長い緑色をした髪
16
の毛が海草のようにもつれ合っていた」
( 99-100)と 主 張 す る 人 も 出 て く る 。そ の 結 果 、
ク ラ ウ ド・ホ テ ル は 客 足 が 途 絶 え 、所 有 者 の ジ ミ ー・ボ ブ・ク ラ ウ ド 夫 人( Mrs Jimmy
Bob Cloud) は 石 油 を 浴 び て 焼 身 自 殺 を 遂 げ る 。 ク ラ ウ ド ・ ホ テ ル は ス カ リ イ ズ ・ ラ ン
デ ィ ン グ の 世 界 全 体 の 縮 図 と な っ て い る 25 。
超 自 然 的 な 怪 奇 現 象 や 幽 霊 の 存 在 も 、ゴ シ ッ ク 小 説 に は 欠 か せ な い 道 具 立 て で あ る 。
『遠い声、遠い部屋』にも、先に見た、博打打ちのルビーの指輪をはめた手や、一見
すると幽霊を思わせるような「謎の女」が登場する。
It was at this point that he [Joel] saw the queer lady. She was holding aside the
curtains of the left corner window, and smiling and nodding at him, as if in
greeting or approval; but she was no one Joel had ever known: the hazy substance
of her face, the suffused marshmallow features, brought to mind his own vaporish
reflection in the wavy chamber mirror. …Whoever she was, and Joel could not
imagine, her sudden appearance seemed to throw a trance across the garden: ….
(67)
彼[ ジ ョ エ ル ]が 奇 妙 な 女 の 姿 を 見 た の は 、そ の 時 で あ る 。そ の 女 は 左 隅 の
窓のカーテンを片側へたぐりながら、ジョエルに向かって微笑み、頷いた。
ま る で 、挨 拶 か 同 意 を 示 す か の よ う に 。し か し 、彼 女 は ジ ョ エ ル が こ れ ま で
に 知 っ て い る 人 物 で は な か っ た 。彼 女 の か す ん だ 顔 立 ち や 、一 面 覆 わ れ た マ
シ ュ マ ロ の よ う な 容 貌 は 、波 打 つ あ の 小 部 屋 の 鏡 に 映 っ た ジ ョ エ ル 自 身 の 蒸
気 の よ う な 姿 を 思 い 出 さ せ た 。… … 彼 女 が 誰 で あ ろ う と 、ま た 、彼 女 が 誰 で
あ る か を ジ ョ エ ル に は 想 像 で き な く て も 、彼 女 の 突 然 の 出 現 は 庭 中 に 催 眠 術
を投げかけたようであった……。
ジョエルが初めて見る奇妙な女は、幻想のようにぼんやりとたたずみ、魔法をかけて
いるかのように描かれている。ジョエルは最初この「謎の女」を、焼身自殺をしたジ
ミー・ボブ・クラウド夫人の亡霊かと思う。ジョエルにとってこの女は、物語の最後
まで謎であり、恐怖の対象となるが、ゴシック小説の約束事に従って、最後には種明
か し が な さ れ 、謎 は 解 明 さ れ る 26 。マ シ ュ マ ロ の よ う な「 謎 の 女 」の 正 体 は 、実 は 屋 敷
17
の当主ランドルフなのである。「マシュマロのような」という形容が用いられている
が、「マシュマロ」には恐怖を笑いに変える装置が潜んでいる。カポーティは、恐怖
と戦慄の物語であるゴシック小説に、ユーモアを添える。
登場人物の多くが歪曲されグロテスクな様相を示している。『遠い声、遠い部屋』
はフォークナーなどの南部ゴシックの強い影響を受けている。南部ゴシックには、身
体 的 の み な ら ず 性 格 的 に も 異 様 で 奇 矯 な 人 物 が 多 数 登 場 す る 27 。こ の よ う な グ ロ テ ス ク
な登場人物が、この物語のゴシック的雰囲気に一役買っているのである。ジョエルの
父サンソムは身体が不自由で、人を呼ぶために赤いテニスボールを床に落とすことと
「 涙 ぐ ん だ よ う な 灰 色 の 目 」 ( 121) を 動 か す こ と し か で き な い 。 妻 エ イ ミ ー ( Amy)
は色らしい色のない髪をし、二粒の干しぶどうのような目で「顔にはどこといって焦
点 が な い 」 ( 45) 人 物 で あ る 。 こ れ に 対 応 す る よ う に 、 彼 女 は 、 過 去 に し が み つ く ヒ
ス テ リ ッ ク な 妄 想 の 持 ち 主 と な っ て い る 。 召 使 い の ズ ー は 「 人 間 麒 麟 」 ( 54) と 言 っ
て良いほど異常に首が長い。御者のジーザス・フィーヴァーは「機械人形の様にガク
ン ガ ク ン 小 き ざ み に 」 ( 28) 横 を 向 き 、 背 中 は 「 鎌 形 に 曲 が り 」 ( 29) 、 「 小 鬼 の よ
う に 小 さ い 黒 人 」 ( 28) で あ る 。 屋 敷 だ け で な く ヌ ー ン ・ シ テ ィ の 住 人 も 「 鰐 脚 の 背
の 低 い 片 腕 し か な い 」( 20)床 屋 や 、「 黒 い 産 毛 に 覆 わ れ た 猿 の よ う な 長 い 腕 」( 22)
を 持 ち 、顎 の イ ボ か ら「 黒 い ア ン テ ナ の よ う な 毛 が 一 本 出 て い る 」( 22-3)太 っ た カ フ
ェ の 女 店 主 、巡 回 シ ョ ー の 小 人 の ミ ス・ウ ィ ス テ ー リ ア( Miss Wisteria)と い っ た 人 物
で満ちあふれている。ミス・ウィステーリアは小児愛と思われる性癖も持っている。
ジ ョ エ ル が 淡 い 恋 心 を 抱 い て い る 同 世 代 の 少 女 ア イ ダ ベ ル ・ ト ン プ キ ン ス ( Idabel
Thompkins) は 、 上 品 で い か に も 女 の 子 ら し い 双 子 の 姉 フ ロ ー ラ ベ ル ( Florabel) と は
対照的に描かれ、おかっぱ頭で男の子のような服装をし、男の子のように乱暴な言動
を繰り返す。こうして、登場人物の常軌を逸した身体的かつ性格的特徴が小説に非現
実性と、戦慄、時には滑稽感を与える。無邪気なジョエルを通して読者に恐怖と笑い
を提供する仕掛けとなる。
2
悪人のパロディとしてのランドルフ
(1)同性愛者ランドルフ
崩壊しかかった屋敷のグロテスクな住人の中で、一見すると、最も不気味で謎に満
ちているのは、ランディングの当主ランドルフである。典型的なゴシック小説の悪人
18
は、執拗に悪を追求し、恐怖の念を掻き立てるが、しかし奇妙な魅力を醸し出す複雑
な 人 物 が 多 い 28 。 ラ ン ド ル フ は 、 『 オ ト ラ ン ト 城 』 の マ ン フ レ ッ ド ( Manfred) や 「 ア
ッ シ ャ ー 家 の 崩 壊 」の ロ デ リ ッ ク( Roderick)の よ う に 、悠 然 と 屋 敷 に 君 臨 し て い る か
に 見 え る 。 ラ ン ド ル フ は 、 皮 肉 た っ ぷ り の 言 葉 を 操 り 、 13 歳 で 「 大 き な 茶 色 の 目 を し
た 」 ( 4) 感 受 性 豊 か で 純 粋 で 繊 細 な 美 少 年 ジ ョ エ ル を ひ そ か に 同 性 愛 の 道 に 誘 う 。
Randolph inched nearer to Joel on the loveseat. Over his pyjamas he wore a
seersucker kimono with butterfly sleeves, and his plumpish feet were encased in a
pair of tooled-leather sandal: his exposed toenails had a manicured gloss. Up close,
he had a delicate lemon scent, and his hairless face looked not much older than
Joel’s. Staring straight ahead, he groped for Joel’s hand, and hooked their fingers
together. (85)
ラ ン ド ル フ は 二 人 掛 け の ソ フ ァ で 、少 し ず つ ジ ョ エ ル の ほ う に に じ り 寄 っ
て き た 。彼 は パ ジ ャ マ の 上 に 、青 と 白 の 縞 模 様 の ひ ら ひ ら し た 袖 の つ い た 着
物 を 着 て 、太 り 気 味 の 両 足 は 、押 し 型 模 様 の 入 っ た 皮 の サ ン ダ ル に 包 ま れ て
い た 。む き 出 し の 足 の 爪 に は マ ニ キ ュ ア が 施 さ れ 、艶 が あ る 。近 づ い て み る
と 、彼 は ほ の か な レ モ ン の 香 り を 放 ち 、そ の 髭 の な い 顔 は 、ジ ョ エ ル よ り も
そ れ ほ ど 年 を 取 っ て い る よ う に 見 え な い 。ま っ す ぐ 前 を 見 つ め な が ら 、彼 は
ジョエルの手を捜し、指を絡めてきた。
ここで注目すべきは、ランドルフのジョエルへの接近である。ランドルフが、二人掛
けのソファでジョエルににじり寄っていき、指を絡ませる。彼は身を乗り出し、「楽
し く こ こ で 暮 ら す ん だ よ 。 少 し は 僕 の こ と を 好 き な っ て く れ る か な 」 ( 85) と 言 う 。
ランドルフがジョエルを所有しようとしてかがみ込む姿は、犠牲者の魂を盗もうとす
る 吸 血 鬼 の よ う に 描 写 さ れ る 29 。ジ ョ エ ル 自 身 は 、ラ ン ド ル フ の 存 在 を ラ ン デ ィ ン グ の
庭から伸びて来てジョエルの腕に巻き付いて離れない葡萄のつるのように感じる。ラ
ンドルフは、ジョエルの父の名前を使って、ジョエルをランディングに呼び寄せ、ジ
ョエルがランディングから逃亡しようとするとあらゆる手段を用いて阻止し、ジョエ
ルをとらえて放さない。このエピソードは、ゴシック小説に頻出する、城に幽閉され
19
た「囚われの乙女」のパロディにもなっている。ランドルフの行動に、ジョエルは恐
怖や嫌悪感を抱いていく。少年ジョエルにとって、ランドルフが要求する世界はまさ
に未知の領域である。「ランドルフと手を握り合っているのは何となく不愉快で、ジ
ョ エ ル の 指 先 は 相 手 の 火 照 っ て 乾 い た 掌 へ 爪 を 立 て て や り た い 衝 動 」 ( 85) に か ら れ
る。ランドルフは衰頽腐敗の血統を受け継ぎ歪曲された生を送り続け、ジョエルをラ
ンディングという「閉ざされた世界」へ同化させようとする性的倒錯者である、と元
田 脩 一 は 指 摘 す る 30 。た し か に そ の 通 り だ が 、元 田 は 、パ ロ デ ィ 的 側 面 を 見 逃 し て い る
ように思われる。
実は、ランドルフは、ゴシック小説の典型的な悪人というよりはむしろ悪人のパロ
ディとなっている。彼はゴシック小説によく登場する、眼光鋭い威風堂々とした悪人
にはほど遠い。
…it seemed composed now of nothing but circles: though not fat, it was round as a
coin, smooth and hairless: two discs of rough pink colored his cheeks, and his
nose had a broken look, as if once punched by a strong angry fist; curly, very
blond, his fine hair fell in childish yellow ringlets across his forehead, and his
wide-set, womanly eyes were like sky-blue marbles. (78-9)
……顔中が円形だけでできているように見えた。肥ってはいないが、硬貨
のように丸く、つるつるしていてひげがない。丸く紅を刷いたように両頬
が紅く、鼻はかつて腹立ち紛れに力一杯拳固でなぐられたみたいに、へこ
ん で い る 。巻 き 毛 の 細 い 金 髪 が 子 供 っ ぽ く 額 の と こ ろ で 黄 色 く 巻 い て い る 。
そ し て 左 右 に ひ ど く 離 れ た 女 性 的 な 目 は 、空 色 の お は じ き 玉 の よ う で あ る 。
丸い体型のランドルフは、先に見たように、シルクのパジャマに着物風のひらひらし
た袖のついた化粧着を着て、爪にはマニキュアを塗り、女物の虹色のオパールの指輪
をはめ、レモンの香りがし、女性のような雰囲気を漂わせている。ランドルフのジョ
エルへの接近は、倒錯的というよりは、滑稽感が漂う。ロバート・エメット・ロング
( Robert Emmet Long) が 指 摘 し て い る よ う に 、 ラ ン ド ル フ に は オ ス カ ー ・ ワ イ ル ド の
姿 が 滑 稽 化 さ れ て 投 影 さ れ て い る 31 。ワ イ ル ド の『 ド リ ア ン・グ レ イ の 肖 像 』は 分 身 の
20
物 語 で あ り 、同 性 愛 の 雰 囲 気 が 色 濃 く 立 ち 込 め て い る 32 。ワ イ ル ド 自 身 も 、周 知 の よ う
に同性愛者であり、大叔父はゴシック小説『放浪者メルモス』の著者マチューリンで
あ る 33 。
さらに、ランドルフには、ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』の主人公で
ナ ル シ ス ト の ド リ ア ン ・ グ レ イ ( Dorian Gray) 、 画 家 で ド リ ア ン の 肖 像 画 を 描 く バ ジ
ル・ホ ー ル ウ ォ ー ド( Basil Hallword)、快 楽 主 義 者 で ド リ ア ン を 悪 徳 に 誘 う ヘ ン リ ー ・
ウ ォ ッ ト ン 卿 ( Lord Henry Wotton) の 三 人 の 姿 が 投 影 さ れ て い る 。 ラ ン ド ル フ の 趣 味
は絵画であり、バジルが輝くような美青年ドリアンの肖像画を描くように、ランドル
フ は 美 少 年 ジ ョ エ ル の 肖 像 画 を 描 く 。ラ ン ド ル フ は ヘ ン リ ー・ウ ォ ッ ト ン 卿 の よ う に 、
ジョエルを同性愛の道へと誘う。さらに、ランドルフはドリアン・グレイのようにナ
ルシストであり、「レモンの香りのするコロンをぺたぺたとつけ、つやつやした巻き
毛に櫛をあて、ちょっとばかり気取ったポーズで姿見に映った自分の姿を眺める」
( 139)。ラ ン ド ル フ は ま た「 世 界 中 の 全 て の 鏡 を 壊 し て し ま っ た な ら 、何 と 名 状 し 難
い 苦 痛 な の だ ろ う 」( 139)と 鏡 が 消 滅 す る こ と を 恐 れ る 。彼 に は 、自 己 愛 、自 己 陶 酔
が色濃く漂っている。結局、ランドルフには、作家のワイルド自身とワイルドの小説
の登場人物が合体された形で投影されている。
ラ ン ド ル フ は ジ ョ エ ル と 出 会 う 以 前 の 過 去 に 未 練 が あ る 。本 や 絵 、写 真 、絵 は が き 、
骨董じみた人形など、たくさんの思い出の品々であふれた彼の部屋が示すように、ラ
ンドルフは過去に異常なほどの執着を見せる。「不思議なことに僕にとって未来は興
味がないんだ─―僕はもっと別の時代に生まれてくるべきだったと、もうずっと昔か
ら 悟 り き っ て い る か ら ね 」( 89)と 語 る 。彼 は「 未 来 の す べ て は 過 去 に 存 在 す る 」( 89)
と 考 え 、過 去 の 思 い 出 を 最 も 大 事 に す る の で あ る 。と い う の も 、若 い 頃 、男 性 美 の「 体
現 者 」で あ る 34 ペ ペ・ア ル ヴ ァ レ ス( Pepe Alvarez)と い う プ ロ ボ ク サ ー を 心 か ら 愛 し 、
崇拝していたという過去があるからである。ところが、ペペはある日突然、姿を消し
てしまう。ランドルフにとってペペとの一番の思い出は、マルディ・グラ(懺悔火曜
日)の仮装舞踏会である。仮装舞踏会で、ランドルフは「豊かな銀髪にサテンの靴、
緑 色 の 仮 面 を つ け 、淡 い 黄 緑 と ピ ン ク の 絹 を 纏 い 」( 150)伯 爵 夫 人 に 女 装 し 、ペ ペ と
ワルツを踊る。それ以来、ランドルフは、過去の思い出と共に生きている。文明に取
り残された不気味な地ランディングの、無価値で不毛なものであふれている部屋で、
ランドルフは伯爵夫人に女装して、二度と戻ってこない男を待つ。ランドルフの恋人
21
を 待 つ 姿 は 、ゴ シ ッ ク 小 説 の 女 王 と 称 さ れ る ア ン・ラ ド ク リ フ 35 の 作 品 に し ば し ば 登 場
する、帰らぬ恋人を待つ伯爵夫人を想起させる。さらには、チャールズ・ディケンズ
( Charles Dickens, 1812-70) の 『 大 い な る 遺 産 』 ( Great Expectations, 1861) に 登 場 す
る、中断された結婚式当日の花嫁衣装を着て過去の思い出に生きるミス・ハヴィシャ
ム ( Miss Havisham) を 思 い 起 こ さ せ る 。
(2)ジョエルとランドルフの関係
ここでは、ゴシック小説のプロットにつきものの、恐怖の対象との対峙、アイデン
ティティの獲得、追う者と追われる者の逆転、同性愛などの要素を、ジョエルとラン
ド ル フ の 関 係 性 か ら 考 察 す る 。ま ず 二 人 の 関 係 に は 、追 う 者 と 追 わ れ る 者 、ダ ブ ル( 分
身 )や オ ル タ ー・エ ゴ の モ チ ー フ が 踏 襲 さ れ て い る 。ジ ョ エ ル の 恐 怖 の 対 象 と の 対 峙 、
そしてアイデンティティの獲得は以下のようにしてなされる。
ジョエルは、ランドルフをはじめとするグロテスクな人物に囲まれて、得体の知れ
ない恐怖を感じ、一体何を恐れているのかわからず苦しむ。何度となく屋敷から逃げ
出そうとする。一度、町の巡回ショーまでたどり着き、不思議な体験をする。ジョエ
ルが恐怖と対峙し、解放される様子は、風に舞って纏わりつく煙草のポスターの比喩
を用いて語られる。
A Prince Albert poster swept like a bird through the air and struck him [Joel] in
the face: he fought to free himself, but it was as though it were alive, and,
struggling with it, it suddenly frightened him more than had the sight of
Randolph: he would never rid himself of either. But then, what was there in
Randolph to fear? The fact that he’d found him proved he was only messenger for
a pair of telescopic eyes. Randolph would never bring him harm (still, but, and
yet). He let down his arms: it was curious, for so soon as he did this, Prince
Albert, of his own accord, flew off howling in the hoarse rain. …Vine from the
Landing’s garden had stretched these miles to entwine his wrists…. (197)
プ リ ン ス・ア ル バ ー ト 煙 草 の ポ ス タ ー が 一 枚 、鳥 の よ う に さ っ と 飛 ん で き た
か と 思 う と 、ま と も に 彼[ ジ ョ エ ル ]の 顔 に ぶ つ か っ た ─ ― 彼 は 逃 れ よ う と
22
し て も が い た 、だ が そ れ は 生 あ る 物 の よ う だ っ た 、懸 命 に あ が い て い る う ち 、
彼はふとこの紙切れがランドルフの姿よりも恐ろしくなってきた―─彼は
この二つから、決して逃れられないのかもしれない。しかしそれにしても、
ランドルフのどこが恐ろしいのだ?ランドルフに見つけ出されたという事
実 は 、彼 が 一 対 の 望 遠 鏡 の 目 玉 の 使 い 走 り に す ぎ な い こ と の 証 明 で は な い か 。
ラ ン ド ル フ は 決 し て 彼 に 危 害 を 加 え た り は し な い だ ろ う( い ま の と こ ろ 、と
も か く 、そ し て ま だ )。彼 は 両 腕 を 垂 ら し た ― ─ 奇 妙 で あ っ た 。そ う す る と
す ぐ 、プ リ ン ス・ア ル バ ー ト は ひ と り で に 、篠 突 く 雨 の な か へ う な り を 上 げ
て 飛 び 去 っ て し ま っ た の だ 。… … ラ ン デ ィ ン グ の 庭 の 蔦 は 、幾 マ イ ル も 離 れ
たところまで伸びて来て、彼の手首に絡みつこうとしたのだ……。
ジョエルは、風に舞う煙草のポスターに突然襲われ、逃れようともがけばもがくほど
纏わりついてきたが、いざ逃げるのを諦めると、意外にも簡単にポスターから解放さ
れた。ジョエルは、諦めとはある種の受け入れなのだということに気づく。この一件
で、不確かな恐怖の対象を恐れる日々に終止符を打つ。ジョエルは恐怖を克服したこ
とで、様々な物事を直視できるようになり、そこから多くのことを学んで成長してい
く。その一つが、ランドルフに対する見方である。ジョエルにとって恐怖の対象であ
ったランドルフが、この体験後、一転して愛の対象へと変わる。彼は、ランドルフを
「 誰 よ り も 親 切 で 、思 い や り の 深 い 、愛 の 絆 で 結 ば れ た 友 人 」( 208)で あ る と 認 識 す
る。
And even if he [Joel] spoke to Randolph, to whom would he be confessing love?
Faceted as a fly’s eye, being neither man nor woman, and one whose every
identity cancelled the other, a grab-bag of disguises, who, what was Randolph? X,
an outline in which with crayon you color in the character, the ideal hero:
whatever his role, it is pitched by you into existence. (211)
ま た 、も し ラ ン ド ル フ に 話 す と し て 、一 体 彼[ ジ ョ エ ル ]は 誰 に 愛 の 告 白 を
し て い る こ と に な る の だ ろ う ? ハ エ の 目 の よ う に 一 つ 一 つ 個 眼 を 刻 ま れ 、男
で も 女 で も な く 、ど れ が 本 当 の 正 体 と も わ か ら ず 、変 装 の グ ラ ブ・バ ッ グ( め
23
く ら 捜 し 袋 )の よ う な こ の ラ ン ド ル フ と は そ も そ も 誰 で あ り 、何 者 な の だ ろ
う ? 人 間 X、こ ち ら が 勝 手 に ク レ ヨ ン で 性 格 を 塗 り こ み 、理 想 の 英 雄 と し て
塗 り 上 げ て し ま っ た 輪 郭 だ け の 男 ― ― 英 雄 で あ れ 何 で あ れ 、こ ち ら が 勝 手 に
つくり上げたものなのだ。
ジョエルは、愛する対象であれ英雄であれ、結局は自分自身がつくり上げた理想像な
のだと冷静に分析し、ランドルフのように愛の対象を盲目的に崇拝することはせず、
自分の意志を最も尊重して、精神的に着実に成長していく。ジョエルは、他人を発見
する過程で自分自身を見出す。ジョエルとランドルフとの間には、一種の一体感が生
まれる。この二人の関係は、ゴシック小説にはよく見られるダブル(分身)やオルタ
ー・エ ゴ で あ る 。こ の 関 係 は 、ポ ー の「 ウ ィ リ ア ム・ウ ィ ル ソ ン 」( “William Wilson,”
1839) な ど に 見 ら れ る よ う に 、 ゴ シ ッ ク 小 説 に は 頻 出 す る モ チ ー フ で あ る 36 。
恐れるものがなくなったと感じたジョエルはランディングへ戻り、恐怖の正体を突
き止める。ジョエルにとって、恐怖の対象は父サンソム、そして父の代理役を務める
ランドルフだった。しかし、父は半身不随で寝たきりの眼だけが生きている証の生け
る屍であり、ランドルフは自分を捨てたボクサーを忘れることができず女装して、思
い出に女々しく執着する中年男性である。この二人の姿において、包容力のある男ら
し く た く ま し い 父 親 像 の 転 覆 が な さ れ る 37 。
作品の最終章で、ジョエルとランドルフがクラウド・ホテルに出かけ、翌朝二人で
ライディングへ戻る場面がある。この場面では、ジョエルには今まで強大な支配者の
ように感じていたランドルフが、全く別の人間に見えてくる。
“I am me,” Joel whooped. “I am Joel, we are the same people.” And he looked
about for a tree to climb: he would go right to the very top, and there, midway to
heaven, he would spread his arms and claim the world. (227)
「ぼくはぼくなのさ」とジョエルは歓声をあげた。「ぼくはジョエル、ぼ
く達はおんなじ人間なんだよ。」彼はあたりを見まわし、よじ登れそうな
木を捜した。木のてっぺんまで登って、天国への道半ばのそこから、両腕
を広げ、世界はぼくのものだとどなってやろう。
24
ジ ョ エ ル は「 自 分 は 自 分 で あ る 」と い う 感 覚 の 喜 び を ラ ン ド ル フ に 伝 え よ う と す る が 、
彼は催眠状態にでも陥ったかのようにふらつき、両手を前に差し延べ、ぐるぐる輪を
描いて歩き回るだけである。そのような彼を見て、ジョエルは「ランドルフがどんな
に 無 力 で あ る か 」を 認 識 し 、ラ ン ド ル フ が「 ひ と た び 外 に た だ 一 人 で 放 り 出 さ れ る と 、
無 価 値 の ゼ ロ を 描 く よ り 他 に ど う し よ う も な い 」人 間 な の だ と 確 信 す る( 227)。ゴ シ
ック小説の悪人、恐怖の対象と思われたランドルフは、無力の存在であることがより
一層明白になる。クラウド・ホテルはランディングの屋敷からそれほど遠く離れてい
るわけではないが、ランドルフはその道中でさえまともに歩くことができない。より
現実的な世界である社会に出ることなどはとてもできないのである。しかし、ジョエ
ル は「 自 分 が 誰 で あ る か わ か っ て い た し 、自 分 の 強 い こ と が わ か っ て い た 」( 227)の
で、何とか知恵を絞ってライディングへの道を捜すことができる。
こ の 場 面 で 、 明 ら か に ジ ョ エ ル が 強 者 へ 、 ラ ン ド ル フ が 弱 者 へ と 立 場 が 逆 転 す る 38 。
さらには、追う者と追われる者の関係も逆転する瞬間である。追う者と追われる者の
逆 転 は 、ウ ィ リ ア ム・ゴ ド ウ ィ ン( William Godwin, 1756-1836)の『 ケ イ レ ブ・ウ ィ リ
ア ム ズ 』 ( Things As They Are; or The Adventures of Caleb Williams, 1794) や メ ア リ ー ・
シェリーの『フランケンシュタイン』などが示すように、ゴシック小説にはよく見ら
れる構図である。追う者と追われる者の関係は「口には出せないもの」、すなわち同
性 愛 的 関 係 を 仄 め か し て い る 場 合 が 多 い 39 。
ジ ョ エ ル は 同 性 愛 者 ラ ン ド ル フ と 対 峙 し た 結 果 、同 性 愛 者 と し て の 自 己 を 認 識 す る 。
作品の結末で、ジョエルは精神的な成長を遂げ、伯爵夫人の服装をしたランドルフの
手招きに応じて屋敷に向かう。追う側となったジョエルはランドルフに「怖れず、た
め ら わ ず 」( 231)に 挑 ん で い く 。ジ ョ エ ル は 、同 性 愛 者 と い う 自 己 の ア イ デ ン テ ィ テ
ィ を 見 出 し 、ラ ン ド ル フ を 愛 の 対 象 と し て 受 け 入 れ た の で あ る 40 。幻 想 的 な 地 で 、現 実
を直視する目を手に入れたジョエルの未来には、不安よりもむしろ希望が見出せる。
一方、追われる側・立ち向かわれる側となったランドルフも、相も変わらず微笑み、
手招きしている。ランドルフは、ジョエルに若さ、無邪気さ、そして安らぎを与えら
れ た の で あ る 41 。
以上、見てきたように、ジョエルを中心に据えたプロットは、ゴシック小説の枠組
み を 用 い て 描 か れ た 、少 年 の 父 親 探 し の 物 語 で あ る 42 。一 方 、ラ ン ド ル フ に 焦 点 を 当 て
る と 、 ゴ シ ッ ク 小 説 の パ ロ デ ィ が 展 開 さ れ る 。 ケ ネ ス ・ T・ リ ー ド ( Kenneth T. Reed)
25
は『 遠 い 声 、遠 い 部 屋 』に は 、「 不 吉 と 笑 い の 世 界 」 43
が 存 在 す る と 指 摘 す る 。ま さ
に、『遠い声、遠い部屋』には、ゴシック小説の枠組みを持つ物語とゴシック小説の
パロディの物語が、つまり恐怖と滑稽が共存している作と言えよう。ここに、『遠い
声、遠い部屋』の魅力が潜んでいる。
3
カポーティとアーヴィン
『遠い声、遠い部屋』は、カポーティの恋人で当時交際していたスミス女子大学英
文 学 科 教 授 ニ ュ ー ト ン・ア ー ヴ ィ ン( Newton Arvin, 1900-63)に 捧 げ ら れ て い る 。本 の
カヴァーには、ソファに横たわり意味ありげな眼差しを見る者に向けているカポーテ
ィの挑発的な写真が掲載されている。この写真は、同性愛的な雰囲気を醸し出してい
ると世間に受け取られかねないとアーヴィンは危惧し、カポーティと彼自身の性的傾
向 を 暴 露 す る の で は な い か と 怯 え た 44 。ア ー ヴ ィ ン は 自 分 の 性 的 傾 向 が 世 間 に 知 れ 渡 る
ことに恐怖を抱いており、カポーティに同居を提案されたときには、孤独を愛すると
い う 理 由 で 断 っ て い る 45 。そ こ に は 、当 時 の ア メ リ カ 社 会 の 同 性 愛 に 対 す る 姿 勢 が 色 濃
く反映されている。カポーティ自身は「僕はこれまで同性愛者であることで悩んだこ
と は な い 。僕 は い つ も 正 直 に 自 分 の こ と を 明 ら か に し て い た 」46 と 語 っ て い る 。し か し 、
当時のアメリカ国内では、同性愛に対して、嫌悪感というよりはむしろ恐怖を覚える
と い う の が 一 般 的 で あ り 47 、自 身 の 同 性 愛 的 傾 向 を 明 ら か に す る こ と は 、憚 か ら れ た 時
代 で あ る 48 。
アーヴィンの不安は杞憂に終わり、カポーティとの関係については話題にならなか
った。同性愛的関係が頻出するゴシック小説という文学ジャンルを隠れ蓑に用いて、
同性愛者ランドルフをゴシック小説の悪人のパロディとして描き、主人公を思春期直
前 の 13 歳 の 少 年 と し て 設 定 し た の が 、効 を 奏 し た の で あ ろ う 。カ ポ ー テ ィ は 、同 性 愛
的 傾 向 を 持 つ 作 家 と し て 分 類 さ れ る こ と を 見 事 に 避 け た の で あ る 49 。カ ポ ー テ ィ は 、当
時の社会状況、そして出版業界の動向をよく理解していた。作品の中で写実的な手法
で 同 性 愛 的 関 係 を リ ア ル に 描 い た り す る な ら ば 、小 説 の 売 れ 行 き に 悪 影 響 を 及 ぼ す 50 こ
ともよく知っていたであろう。
『遠い声、遠い部屋』と同性愛との関連や、カポーティが同性愛者であることが公
然 と 語 ら れ る よ う に な っ た の は 、 1970 年 代 頃 か ら で あ る 51 。 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』 が
出 版 さ れ て か ら 約 20 年 後 に 、 エ ッ セ イ 「 雲 か ら の 声 」 ( “A Voice from a Cloud,” 1969)
26
において、カポーティは本作品を振り返って、次のように述べている。
Other Voices, Other Rooms was an attempt to exorcise demons: an unconscious,
altogether intuitive attempt, for I was not aware, except for a few incidents and
descriptions, of its being in any serious degree autobiographical. Rereading it
now, I find such self-deception unpardonable. 52
『遠い声、遠い部屋』は悪魔払いの試みであった。それは無意識の、まっ
た く 直 観 的 な 試 み で あ っ た 。と い う の は 、二 、三 の 出 来 事 と 描 写 を 除 け ば 、
それは深刻なまでに自伝的であることに私は気がついていなかったのであ
る。今この作品を読み直しながら、私はそのような自己欺瞞が許されない
のだと思う。
『遠い声、遠い部屋』が自伝的作品であることを、カポーティ自身が認める記述であ
る。カポーティと主人公ジョエルの容姿や生い立ち、さらには性的傾向といった多く
の 点 で 類 似 し て い る の は 、た し か で あ る 。カ ポ ー テ ィ と ア ー ヴ ィ ン の 関 係 は そ の ま ま 、
ジ ョ エ ル と ラ ン ド ル フ の 関 係 に 投 影 さ れ て も い る 53 。ア ー ヴ ィ ン は 、カ ポ ー テ ィ の 父 親
と言ってもよいほどの年齢であり、カポーティは教養のあるアーヴィンから文学に関
し て の み な ら ず 多 く の こ と を 学 び 、彼 の こ と を「 僕 の ハ ー ヴ ァ ー ド 」54 と 呼 ん だ 。カ ポ
ーティは、アーヴィンに教養あふれる尊敬すべき父親を求めていたとも言える。
27
第2章
死者を悼む
─パストラル・エレジーとしての『草の竪琴』
カ ポ ー テ ィ は 1950 年 頃 ま で の 作 品 の 主 人 公 に 幼 年 期 、も し く は 少 年 期 の 子 供 を 起 用
し、その主人公の成長していく様を描くことが多い。いわゆる、成長物語(イニシエ
ー シ ョ ン ・ ス ト ー リ ー 、 initiation story) と し て 話 を 展 開 し て い く 形 式 を 取 っ て い る 55 。
短 編 小 説「 ミ リ ア ム 」の ミ リ ア ム( Miriam)、「 誕 生 日 の 子 供 た ち 」( “Children on Their
Birthdays,” 1950) の ミ ス ・ ボ ビ ッ ト ( Miss Bobbit) 、 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』 の ジ ョ エ
ル・ノックス、『草の竪琴』のコリン・フェンウィックなどがその代表である。
第2章では、カポーティの第二作目の長編小説『草の竪琴』を取り上げ、この作品
が「パストラル・エレジー」という文学ジャンルを作品の枠組みに用いて、主人公の
コリンの成長を描いていることを跡付けたい。『草の竪琴』の牧歌的な部分に着目し
て い る 先 行 研 究 と し て は 、次 の 論 考 が あ る 。リ チ ャ ー ド・グ レ イ( Richard Gray)は『 草
の 竪 琴 』を「 牧 歌 的 喜 劇 」56 で あ る と 指 摘 し 、イ ー ハ ブ・H・ハ ッ サ ン( Ihab H. Hassan)
は 『 根 源 的 無 垢 』 ( Radical Innocence, 1961) の 中 で 、 『 草 の 竪 琴 』 は 「 無 垢 に 捧 げ ら
れ た 牧 歌 的 な エ レ ジ ー 」 57 で あ る と 述 べ て い る 。ロ ン グ は 、『 草 の 竪 琴 』は「 喜 劇 的 な
パ ス ト ラ ル 」 58 で あ る と 論 じ て い る 。 ま た 、 稲 澤 秀 夫 も 「 お そ ら く 『 草 の 竪 琴 』 ほ ど 、
牧歌的な調べとやるせない哀感とを織り交ぜて語り出している作品は他にあるまい」
と 指 摘 し て い る 59 。し か し 、い ず れ も 牧 歌 的 な 雰 囲 気 が 漂 っ て い る と 指 摘 す る に 留 ま り 、
具体的かつ包括的には論じられてはいない。
論述の順序としては、最初にパストラル・エレジーの簡単な定義を行い、その後、
具体的に『草の竪琴』を分析しながら、この作品が「死者」、「過ぎ去った者」への
哀歌であることを検証し、パストラル・エレジーという枠組みの中で主人公コリンの
成長を描くことにより、独特の小説空間を構築していることを明らかにしたい。
1
パストラル・エレジーのモチーフ
(1)パストラル・エレジーとは
パストラルは、長い伝統を持つ詩のサブジャンルである。宮廷や文明社会の頽廃を
嘆く気持ちから、羊飼いの生活を賛美してうたった詩で、古くはギリシア・ローマ時
28
代 に 始 ま る 。 J・ A・ カ ッ ド ン ( J. A. Cuddon) は 、「 美 し い 田 園 を 背 景 に 、 純 朴 な 羊 飼
い の 男 女 が 恋 を 語 ら い 、歌 を う た い 、至 福 に 満 ち た 理 想 郷 を 描 く 詩 」60 で あ る と 定 義 し 、
キ ー ワ ー ド は 田 園 、理 想 郷 、恋 、平 和 で あ る と 述 べ る 。エ ド マ ン ド・ス ペ ン サ ー( Edmund
Spenser, 1552-99)の 牧 歌『 羊 飼 い の 暦 』( The Shepheardes Calender, 1579)や 、ジ ョ ン ・
ゲ イ ( John Gay, 1685-1732) の 『 羊 飼 い の 一 週 間 』 ( The Shepherd’s Week, 1714) な ど
はパストラルの伝統に連なるものである。
エ レ ジ ー は 、形 而 上 詩 人 の ジ ョ ン・ダ ン( John Donne, 1572-1631)の 一 連 の 恋 愛 詩 が
示すように、そもそもは特殊な詩形を用いて恋愛などをうたう抒情詩を指したのであ
るが、次第に死者を哀悼し褒め称え、遺族を慰め、個人の死について哲学的瞑想に耽
るものに変容する。パストラル・エレジーは、田園を舞台に設定し、死者を悼むため
に自然を利用し、死に至った事情を語り、この世の邪悪さを批判し、死は生の始まり
で あ る と い う 考 え か ら 、希 望 と 喜 び の 再 生 で 締 め く く る 61 。特 徴 的 な モ チ ー フ は「 田 舎
と 都 会 の 対 比 」 、 「 自 然 と 社 会 の 対 比 」 、 そ し て 「 隠 遁 と 帰 還 」 で あ る 62 。
ヴ ィ ク ト リ ア 朝 時 代 に 入 る と 、パ ス ト ラ ル・ノ ヴ ェ ル( pastoral novel)と 呼 ば れ る 一
連 の 小 説 群 が 登 場 す る 63 。パ ス ト ラ ル・エ レ ジ ー 特 有 の 舞 台 設 定 、雰 囲 気 、モ チ ー フ な
どを、小説というジャンルに合うように変容を加えて、小説に持ち込んだ作品群であ
る 。エ リ ザ ベ ス・ギ ャ ス ケ ル( Elizabeth Gaskell, 1810-65)の『 ク ラ ン フ ォ ー ド 』
( Cranford,
1853)、ジ ョ ー ジ・エ リ オ ッ ト( George Eliot, 1819-80)の『 サ イ ラ ス・マ ー ナ ー 』( Silas
Marner, 1861)、
『 ア ダ ム・ビ ー ド 』
( Adam Bede, 1859)、そ し て ト マ ス・ハ ー デ ィ( Thomas
Hardy, 1840-1928) の 『 緑 樹 の 陰 で 』 ( Under the Greenwood Tree, 1872) 、 『 遙 か 群 衆
を 離 れ て 』( Far from the Madding Crowd, 1874)、『 森 に 住 む 人 達 』( The Woodlanders,
1887)、『 ダ ー バ ヴ ィ ル 家 の テ ス 』( Tess of the d’Urbervilles, 1891)な ど が 代 表 的 な も
の で あ る 64 。
アメリカ文学においては、自然に対するピューリタン的態度や、人々の土地との苦
闘などがパストラル的表象を妨げる傾向にあり、イギリスにおいてのようにのどかな
田園を舞台にした作品はあまり創作されなかった。ただし、プランテーション小説や
西部を舞台にした小説にパストラル小説の萌芽がかろうじて見られる。また、ヘンリ
ー ・ デ イ ヴ ィ ッ ド ・ ソ ロ ー ( Henry David Thoreau, 1817-62) の 『 ウ ォ ー ル デ ン ─ 森 の
生 活 』( Walden: or, Life in the Woods, 1854)は パ ス ト ラ ル の 文 学 伝 統 を 継 い で お り 、ウ
ォールデン湖畔での牧歌的な生活を描いたネイチャー・ライティングの傑作である。
29
エレジーに関しては、イギリスのエレジーの伝統を受け継ぎながら、アメリカの風土
に 根 ざ し た 独 特 の 詩 風 を 生 み 出 し た 。ウ ォ ル ト・ホ イ ッ ト マ ン( Walt Whitman, 1819-92)
の 「 先 頃 ラ イ ラ ッ ク の 花 が 前 庭 に 咲 い た と き 」 ( “When Lilacs Last in the Dooryard
Bloom’d,” 1865-66) が ア メ リ カ に お け る エ レ ジ ー の 最 初 の 作 品 と さ れ る 。 こ の 詩 は 、
大 統 領 の エ イ ブ ラ ハ ム ・ リ ン カ ー ン ( Abraham Lincoln, 1809-65) の 死 を 悼 み 、 南 北 戦
争 の 死 者 に 捧 げ た も の で あ る 。ソ ロ ー の『 コ ン コ ー ド 川 と メ リ マ ッ ク 川 の 一 週 間 』( A
Week on the Concord and Merrimack Rivers, 1849)は 、早 世 し た 兄 を 悼 ん だ 鎮 魂 の 書 で あ
る 。 F・ ス コ ッ ト ・ フ ィ ッ ツ ジ ェ ラ ル ド ( F. Scott Fitzgerald, 1896-1940) の 『 偉 大 な る
ギ ャ ツ ビ ー 』( The Great Gatsby, 1925)の 結 末 部 分 に も パ ス ト ラ ル・エ レ ジ ー を 思 わ せ
る部分がある。
(2)舞台設定、登場人物
カポーティの『草の竪琴』がパストラル・エレジー文学の伝統を継承していること
を 具 体 的 に 見 て ゆ き た い 。 『 草 の 竪 琴 』 は 、 16 歳 の 少 年 コ リ ン が 主 人 公 で あ る 。 先 に
見 た よ う に 、パ ス ト ラ ル の 主 人 公 は 伝 統 的 に 羊 飼 い で あ っ た が 、ロ マ ン 主 義 時 代 以 降 、
しばしば子供に取って代わった。子供は羊飼いと同じように無垢で純粋な存在である
と 考 え ら れ る よ う に な っ た か ら で あ る 65 。『 草 の 竪 琴 』の 主 人 公 が 少 年 で あ る と い う 設
定もパストラルの伝統に従っていると言える。
少年の名前がコリンというのもパストラルの主人公に相応しい。コリンという名前
は 、『 お 気 に 召 す ま ま 』( As You Like It, 1623)に 登 場 す る 羊 飼 い コ リ ン( Corin)や エ
ド マ ン ド ・ ス ペ ン サ ー の 牧 歌 『 羊 飼 い の 暦 』 の 主 人 公 コ リ ン ・ ク ラ ウ ト ( Colin Clout)
などが示すように、エリザベス朝文学においてしばしば羊飼いに付けられた名前であ
る。主人公の命名からも、カポーティがパストラルの伝統を強く意識して、人物造形
を行っていたことが窺われる。また、コリンが引き取られるタルボー家は、『ダーバ
ヴ ィ ル 家 の テ ス 』の 主 人 公 テ ス( Tess)が 乳 搾 り と し て 奉 公 し 、エ ン ジ ェ ル・ク レ ア( Angel
Clare) と 出 会 う 、 理 想 的 な タ ル ボ ー セ イ 農 場 ( Talbothays Farm) を 意 識 し て い る と 思
われる。
『 草 の 竪 琴 』は 、主 人 公 の コ リ ン が 11 歳 の と き に 母 親 が 亡 く な り 、父 親 の 従 姉 妹 の
ドリー・タルボーとヴェリーナ・タルボーの姉妹に引き取られるところから始まる。
コ リ ン が 16 歳 の 時 に ド リ ー・タ ル ボ ー が 死 亡 す る 。コ リ ン は 、近 隣 の 人 々 の 死 や 別 れ
30
に言及しながら、年齢差を超えて親友になったドリーが死に至るまでを語り、彼女の
死を悼む。コリンは彼女の死を乗り越え、少年時代に別れを告げ、旅立つ。
小 説 の 冒 頭 は「 僕 が は じ め て 草 の 竪 琴 に つ い て 聞 い た の は い つ の こ と だ っ た ろ う 」66
と い う 回 想 で 始 ま り 、 両 親 の 墓 、 20 人 あ ま り の 親 戚 の 墓 の 描 写 が 続 く 。 『 草 の 竪 琴 』
は作品全体が散文詩のような文体で描かれている。
If on leaving town you take the church road, you soon will pass a glaring hill of
bonewhite slabs and brown burnt flowers: this is the Baptist cemetery. …Below
the hill grows a field of high Indian grass that changes color with the seasons: go
to see it in the fall, late September, when it has gone red as sunset, when scarlet
shadows like firelight breeze over it and the autumn winds strum on its dry leaves
sighing human music, a harp of voices. (7)
街 を 出 て 教 会 通 り を 行 く と ま も な く 骨 の よ う に 白 い 墓 石 と 、褐 色 に 焼 け た 花
で 覆 わ れ た 、ま ば ゆ い 丘 を 通 り 過 ぎ る 。バ プ テ ィ ス ト 教 会 の 墓 地 で あ る 。…
… そ の 丘 の 裾 は 季 節 ご と に 色 の 変 わ る 丈 の 高 い イ ン デ ィ ア ン・グ ラ ス の 茂 る
草 原 で あ る 。秋 、9 月 の 終 わ り に 見 に 行 く と 、草 原 は 夕 焼 け の よ う に 赤 く 染
ま り 、火 明 り の よ う な 深 紅 の 影 が 草 原 を 通 り 過 ぎ 、秋 の 風 が 乾 い た 草 の 葉 を
かき鳴らして、吐息にも似た旋律、様々な声の竪琴の音を響かせている。
墓地が連なる丘と、その丘の裾にはインディアン・グラスの草原が広がり、その彼方
に は コ リ ン や ド リ ー の 避 難 所 と な る ム ク ロ ジ の 木 ( 7) が 潜 む 「 河 の 森 」 ( 7) と 呼 ば
れる森がある。このような美しい田園風景は、まさにパストラル・エレジーの伝統に
連なる小説の舞台に相応しい。
パストラルの主人公の羊飼いは、無邪気で純粋で無垢である。『草の竪琴』におい
て、パストラルの羊飼いに相当するのは、先に指摘したように少年のコリンである。
そ し て 初 老 の 女 性 ド リ ー で あ る 。ド リ ー の 年 齢 は 60 歳 ぐ ら い で あ る が 、「 裾 が 足 首 ま
で 届 く 質 素 で 子 供 っ ぽ い 服 装 を し て 」 ( 9) お り 、 気 持 ち は 純 粋 な 少 女 の ま ま で あ る 。
彼 女 は 自 然 に 関 し て 「 隠 さ れ た 才 能 を 備 え て 」 ( 14) い て 、 こ の 知 識 を 活 用 し て 森 に
自生する薬草を集めて、ジプシーの老婆から教えて貰った水腫の特効薬を作る。彼女
31
の 部 屋 は 、 「 34 年 間 、 私 は ピ ン ク の 部 屋 に 住 ん で き た わ 」 ( 54) と 彼 女 自 身 が 語 る よ
う に 、「 壁 は 全 て 異 国 風 の ピ ン ク 色 に 塗 ら れ て お り 、床 で さ え そ の 色 で 」( 10)あ り 、
十代の女の子の部屋のままである。甘い物に目がなく、キャンディが主食のようなも
のであり、「いつもパウンド・ケーキやぶどうパン、クッキーやファッジを焼いてい
る 」 ( 13) 。
ド リ ー は 、世 俗 的 で 貪 欲 な 妹 ヴ ェ リ ー ナ に 水 腫 の 特 効 薬 の 製 法 を 奪 わ れ そ う に な り 、
キャサリン・クリークとコリンと三人で家を出て、森へと逃げ込む。キャサリンは、
幼なじみの使用人で、子供のように無垢で純粋なドリーを熱烈に崇拝し慈しみ、世俗
的なヴェリーナを嫌っている。森への逃避はパストラルに必須のモチーフである。こ
のエピソードには、パストラル・エレジーに特徴的な「隠遁」のモチーフが潜んでい
る。森にはムクロジの木が生えており、その樹の上に家がある。三人はかつて何度か
薬草摘みの後、この樹の上で楽しい時を過ごしたことがあった。
Just entering the woods there was a double-trunked China tree, really two trees,
but their branches were so embraced that you could step from one into the other;
in fact, they were bridged by a tree-house: spacious, sturdy, a model of tree-house,
it was like a raft floating in the sea of leaves. (16)
森 に 入 る と ち ょ う ど 、二 重 の 幹 を 持 っ た ム ク ロ ジ の 木 が あ る 。本 当 は 二 本
の 木 で あ る の だ が 、そ の 木 々 の 枝 は あ ま り に も 巻 き つ い て い た の で 、一 方 か
ら も う 一 方 へ と 足 を 踏 み 入 れ る こ と が で き た 。さ ら に 言 え ば 、そ の 木 々 に は
樹 の 家 が 架 け ら れ て い た 。広 々 と し て 丈 夫 で 、樹 の 家 の お 手 本 で あ る 。そ れ
は、木の葉の海を漂っている筏のようだった。
ムクロジの木の上で食事をしたり、おしゃべりをしたり、ゲームをしたりしていると
「まるで樹にある筏で午後を漂っているようだった……。僕達もこの樹に属している
よ う で あ っ た 」 ( 18) と コ リ ン は 思 う 。
三人にとって、この森は至福に満ちた理想郷である。途中でクール判事とコリンの
友人ライリー・ヘンダーソンが仲間に加わり、理想郷の住人は五人になる。判事はこ
のムクロジの木の家を次のように言う。
32
‘It may be that there is no place for any of us. Except we know there is,
somewhere; and if we found it, but lived there only a moment, we could count
ourselves blessed. This could be your place,’…. ‘And mine.’ (45)
「私達の誰にとっても、居場所などないのかもしれない。ただ、私達は、
それがどこかにあることを知っている。そして、もし私達がその場所を見
出し、ほんのわずかでもそこに住めたなら、私達は自分自身を幸せだと思
うことができるでしょう。ここはあなた方の居場所となるでしょう。」…
…「そして私の居場所にも」
この五人が樹の家に住むようになったのは、ヴェリーナに代表される社会の道徳や価
値 観 と 相 容 れ ず 、自 由 な 魂 を 求 め た か ら で あ る 67 。世 俗 か ら の 逃 避 は パ ス ト ラ ル の 重 要
な要素である。ここには、パストラルに特徴的なモチーフの一つである社会と自然の
対比が潜んでいる。世俗的で偽善的な現実社会に属するのは、ヴェリーナ、キャンド
ル 保 安 官( Sheriff Candle)、バ ス タ ー 牧 師( Reverend Buster)夫 妻 な ど で あ る 68 。一 方 、
無垢な自然に属するのは、ムクロジの木の上に集まった五人である。クール判事は自
分 を 含 め て 五 人 を 「 樹 の 五 人 の 馬 鹿 者 」 ( 49) と 名 付 け 、 自 分 達 は 互 い を よ く 知 り 、
何 で も 打 ち 明 け ら れ る 間 柄 で あ る と 認 め て い る 。世 間 と の 相 違 を 感 じ て 生 き る よ り も 、
「 こ の 樹 の 家 だ け は 自 分 の も の 、 自 分 の 住 処 だ と い う 安 心 感 を 抱 い て 」 ( 33) 仲 間 と
共に過ごすのが幸せであり、五人にとっては真の居場所であると言う。ムクロジの木
の 上 は 黄 金 郷 と な る 。樹 の 家 で 、パ ス ト ラ ル に 描 か れ る 純 朴 な 羊 飼 い の 男 女 の よ う に 、
五人は食事を楽しみ、恋を語らい、歌をうたう。
He [The Judge] skinned the squirrels with a jackknife, while in the dusk I
gathered sticks and built under the tree a fire for the frying pan. …We sipped the
wine in silence; a smell of leaves and smoke carrying from the cooling fire called
up thoughts of other autumns, and we sighed, heard, like sea roar, singings in the
field of grass. (45)
彼[判事]はジャックナイフでリスの皮を剥いだ。その間に、僕は黄昏の
33
中、小枝を集め、樹の下でフライパンの火を起した。……僕達は黙ってワ
インを少しずつ飲んだ。木の葉の臭いと消えかけている火から運ばれた煙
の匂いが、他の秋の思い出を呼び起こした。僕達はため息をつき、潮騒の
ように草原から歌うように響く声を耳にした。
五人は自然の中で、穏やかに愛や夢について語り合う。ライリーが、ガールフレンド
の モ ー ド ・ リ オ ー ダ ン ( Maude Riordan) の こ と を 何 で も 打 ち 明 け ら れ る 「 世 界 で た っ
た 一 人 の 人 」 ( 49) に は 思 え な い と 告 白 を し た の に 対 し て 、 ク ー ル 判 事 は 、 次 の よ う
に語る。
‘We are speaking of love. A leaf, a handful of seed― begin with these, learn a
little what it is to love. First, a leaf, a fall of rain, then someone to receive what a
leaf has taught you, what a fall of rain has ripened. No easy process, understand;
it could take a lifetime, it has mine, and still I’ve never mastered it― I only know
how true it is: that love is a chain of love, as nature is a chain of life.’ (53-4)
「今、私達は愛について話しているのだよ。一枚の木の葉、一握りの種―
―まずこういうものから始めるんだ。そして、愛するとはどういうことな
のかをほんの少しずつ学ぶのだ。初めは一枚の木の葉、一降りの雨。それ
から、木の葉がお前に教えたことや雨が実らせてくれたものを受け止めて
くれる誰か。容易なことではないよ、わかるかい。一生かかるだろう。私
も一生涯かけた。しかもまだ悟ることはできない――だが、これだけはわ
かっている。自然が生命の鎖であるように、愛とは愛の鎖なのだというこ
と。こいつは真実だ」
ク ー ル 判 事 は カ ポ ー テ ィ の 代 弁 者 で あ る 69 。ク ー ル 判 事 の 愛 の 定 義 は 、『 遠 い 声 、遠 い
部屋』のランドルフの愛の定義に匹敵するほど、カポーティ作品の中では重要性を持
っ て い る 70 。二 人 の 愛 に つ い て の 討 論 を 皮 切 り に 、ド リ ー も キ ャ サ リ ン も 各 々 の 自 分 の
考 え を 述 べ る 。ド リ ー は ピ ン ク 色 や 、思 い 出 の 品 を 大 事 に し ま っ て い た 箱 を 愛 し た が 、
人に対する愛に関しては「見せないほうがいいの。負担を感じさせたり、なぜかわか
34
ら な い け れ ど ― ― 不 幸 に さ せ た り す る の 」 ( 54) と 消 極 的 な 姿 勢 を 見 せ る 。 一 方 キ ャ
サ リ ン は 、自 分 が 金 魚 を 飼 う の は「 金 魚 が い る だ け で 世 間 を 愛 さ ず に 済 む か ら 」( 55)
と、皮肉な理由づけをする。樹の家では、意見に違いが見られても、何でも打ち明け
ら れ 、 人 間 そ れ ぞ れ の 相 違 を 否 定 し な い 場 所 で あ る こ と が 約 束 さ れ て い る ( 49) 。 ク
ー ル 判 事 は 「 大 切 な の は 、 信 頼 を 持 っ て 話 し 、 共 感 を 抱 い て そ れ を 聞 く こ と 」 ( 50)
だと述べる。
他者への愛に対して臆病な姿勢を取るドリーであったが、最終的にはクール判事の
言う「愛とは愛の鎖」という言葉を理解するようになる。「一つのものを愛すること
が で き れ ば … … 次 の も の を 愛 せ る よ う に な る の 。愛 は 自 分 自 身 で 持 つ べ き も の で あ り 、
共 に 生 き て ゆ く も の な の よ 。そ れ が あ れ ば 何 で も 赦 す こ と が で き る 」( 118)と ド リ ー
は語る。それぞれの愛に関する考えを知り、月光がムクロジの木を照らす中、クール
判 事 と ド リ ー は 恋 に 落 ち る 。ク ー ル 判 事 は ド リ ー の 手 を 取 り 、彼 女 に プ ロ ポ ー ズ す る 。
パ ス ト ラ ル に 描 か れ る 恋 人 達 は 若 い 男 女 が 多 い が 、 ク ー ル 判 事 は 70 代 の 寡 夫 で あ り 、
先 に 見 た よ う に 、ド リ ー は 60 代 の 女 性 で あ る 。ム ク ロ ジ の 木 の 上 で 、二 人 の 愛 は 成 就
するかに見える。
しかし、ドリーはタルボー邸に戻ることを決意する。そのきっかけになったのが、
ドリーとヴェリーナとクール判事による直接の話し合いである。
「信頼を持って話し、
共感を抱いてそれを聞くこと」を可能にする樹の家で、三人は初めてお互いに思いの
たけをすべてぶつけ合う。そして、この一件は三人にそれぞれ変化をもたらし、ドリ
ーはタルボー邸に戻ってくる頃には、クール判事の言う「愛の鎖」について理解する
こ と に な る 。 ク ー ル 判 事 も ま た 、 ド リ ー を 「 こ の 世 で た っ た 一 人 の 人 」 ( 49) と 見 な
し 、 二 人 は 互 い を 認 め 合 い 、 落 ち 着 い た 愛 情 を 育 む こ と と な る ( 111) 。
2
田園と死のイメージ
(1)死にゆく者と去りゆく者
『草の竪琴』では、このような牧歌的な場面を背景にして、死にゆく者と去りゆく
者とが哀愁を漂わせながら描かれている。死者への哀悼の念や墓地が何度となく言及
される。ドリーは、作品のタイトルにもなっている「草の竪琴」について、以下のよ
うに説明する。
35
Beyond the field begins the darkness of River Woods. It must have been on one
of those September days when we were there in the wood gathering roots that
Dolly said: Do you hear? that is the grass harp, always telling a story—it knows
the stories of all the people on the hill, of all the people who ever lived, and when
we are dead it will tell ours, too. (7)
そ の 草 原 の 彼 方 に は「 河 の 森 」の 闇 が 連 な っ て い る 。僕 達 が 草 の 根 を 摘
み に 森 に 行 っ た の は 、あ の 9 月 の あ る 日 で あ っ た に 違 い な い 。ド リ ー が 言
っ た 、「 聞 こ え る ? あ れ は 草 の 竪 琴 よ 。い つ も お 話 を 聞 か せ て い る の ― ―
そ れ は 丘 に 眠 る 全 て の 人 達 の 、か つ て 生 き た 全 て の 人 達 の 物 語 を 知 っ て い
るのよ。私達が死んだら、私達のことも話してくれるでしょう」
また、ドリーはインディアン・グラスの草原で亡き父の歌声を聞き、「風は私達なの。
風 は 私 達 み ん な の 声 を 集 め て 憶 え る の よ 。そ し て 、木 の 葉 や 野 原 を 渡 っ て 、私 達 の 声 に
話 を さ せ た り 、伝 え る こ と を さ せ た り す る の 」( 26)と 語 る 。さ ら に 、「 秋 の 風 が 亡 く
な っ た 人 達 全 て の 声 を 解 き 放 ち な が ら 、ぴ ん と 伸 び た 赤 い イ ン デ ィ ア ン・グ ラ ス の 草 原
を 通 っ て 、曲 が っ て い っ た 」( 26)と 描 写 さ れ る 。こ の よ う に 、草 の 竪 琴 と は 、イ ン デ
ィ ア ン・グ ラ ス が 風 に そ よ ぐ 音 の こ と で あ り 、風 に そ よ ぐ 草 が 死 者 の 生 き た 証 を 竪 琴 の
よ う に 語 り 継 ぐ の で あ る 。草 の 竪 琴 は 死 者 の 思 い 出 を 語 り 、死 者 を 悼 む 。ま さ に エ レ ジ
ー そ の も の で あ る 。ド リ ー の 死 生 観 は 、死 し て も 風 に そ よ ぐ 草 が 、竪 琴 の よ う に 生 き た
証 を 語 り 継 い で い く と い う 素 朴 な 温 か み の あ る も の で あ り 、死 に 対 し て 明 る い 姿 勢 が 感
じ ら れ る 71 。ま た 、「 風 は 私 達 な の 」と 述 べ て い る こ と か ら も 、自 然 と 人 間 の 一 体 感 を
醸し出している。
去 り ゆ く 者 は モ ー デ ィ ー ・ ロ ー ラ ・ マ ー フ ィ ー ( Maudie Laura Murphy) と 、 い か さ
ま 師 の ド ク タ ー ・ モ リ ス ・ リ ッ ツ ( Dr. Morris Ritz) で あ る 。 二 人 と も 、 ド リ ー の 妹 の
ヴェリーナが信頼し、愛したにもかかわらず、彼女のもとから去っていく。モーディ
ーは、金髪の陽気な娘で郵便局に勤めていた。ヴェリーナは彼女に夢中になる。しか
しモーディーは、ウィスキーのセールスマンと結婚してしまう。ヴェリーナは大変な
ショックを受け、ひどく辛い思いをする。夜になるとじっと座り込み、「傷つきしわ
が れ た 泣 き 声 」 ( 11) を 漏 ら す 。 モ ー デ ィ ー の こ と を 思 い 出 す ヴ ェ リ ー ナ の 表 情 は 、
36
「 斜 視 の 目 で 石 の よ う に 冷 た い 心 の 内 な る 眺 め を 見 つ め て い る か の よ う 」( 102)で あ
る と コ リ ン は 感 じ る 。一 方 、リ ッ ツ 医 師 は 、貧 相 な 二 十 日 ネ ズ ミ の よ う な 男 で あ る が 、
ヴェリーナは彼を愛し、彼にすっかり入れ込む。しかし、結局は財産をだまし取られ
て し ま う 。ヴ ェ リ ー ナ は「 悲 嘆 に 暮 れ た 女 」( 105)に 見 え 、「 私 は 、モ リ ス 、あ の モ
リ ス を 愛 し て い た ん で す も の 」( 106)と 打 ち 明 け る 。ド リ ー も「 あ の 二 人 だ け が ヴ ェ
リ ー ナ が 信 頼 し た 人 」 ( 84) で あ る と 理 解 し て お り 、 ヴ ェ リ ー ナ が リ ッ ツ 医 師 に 裏 切
られたときは心の底から心配する。ヴェリーナは信頼していた二人の人間に去られ、
ヴェリーナには姉のドリーしか頼りにする人がいなくなる。あんなにも頑なで男勝り
であったヴェリーナが、「ただ私を捨てないで、あなたと一緒にいさせてね。年を取
っ た よ う な 気 が す る の 、私 に は 血 を 分 け た 姉 さ ん が 必 要 な の よ 」( 106)と 弱 々 し く 懇
願する。
コリンは、「僕は、ヴェリーナは心の中では、台所に入ってきて、僕達の仲間に入
りたかったのだと思う。だけど彼女は、女や子供でいっぱいの家の寂しい男に似すぎ
ていて、彼女が僕達と接触できる唯一の方法は、独断的な爆発を通してだけだったの
だ 」( 15-6)と 、ヴ ェ リ ー ナ の 孤 独 感 、寂 し い 心 の 内 を 見 抜 い て い る 。ヴ ェ リ ー ナ は 樹
の 家 に ド リ ー を 呼 び 戻 し に 来 た 際 、「 独 り っ き り で い る に は 長 す ぎ る わ 、一 生 涯 は ね 。
家中歩いてみても、私のものなんて何もないの。あなた[ドリー]のピンクの部屋、
あなたの台所、あの家はあなたのもの、それからキャサリンのものでもあるって、私
は 思 う の 」 ( 100) と 、 彼 女 の 感 じ て い た 寂 し さ 、 疎 外 感 を 吐 露 す る 。
そして、ムクロジの樹の家の「五人の馬鹿者」も、ついには森を立ち去ることにな
る。
It was time to leave. We took nothing with us: left the quilt to rot, spoons to rust;
and the tree-house, the woods we left to winter. (106-7)
立ち去るときが来たのだ。僕達は何一つ持たずにその場を後にした。上掛
けを朽ちるがままに、スプーンは錆びるがままに残して。樹の家も森も、
僕達はやがて来る冬にゆだねてきたのである。
牧歌的な生活を後に残して、現実社会に戻るときが近づく。パストラル・エレジーに
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特徴的なモチーフである、黄金郷から現実社会への「帰還」である。ムクロジの木の
上で、ドリーとクール判事の愛は成就するかに見えるが、結果的にドリーはヴェリー
ナとの生活を選択する。しかし、ドリーとクール判事の間には、落ち着いた愛情とお
互いを受け入れるという新たな関係が、穏やかに築かれている。小説の最後では、コ
リン自身も去りゆく者となり、田舎町を後にする。
(2)死への挽歌
死にゆく者について、さらに言及したい。先に指摘したように、主人公コリンの両
親 と タ ル ボ ー 家 と フ ェ ン ウ ィ ッ ク 家 の 20 人 以 上 の 親 戚 は 、バ プ テ ィ ス ト 教 会 の 墓 地 に
葬られている。コリンは父と母の墓に詣でて、大理石の墓の上に供えてあった素焼き
の 花 瓶 に 「 椿 の 蕾 を 木 か ら も ぎ 取 っ て 」 ( 71) 挿 す 。 友 人 の ラ イ リ ー は 「 君 の お 袋 さ
ん が い い 人 だ っ た よ う で 嬉 し い よ 」 ( 71) と コ リ ン の 母 を 偲 ぶ 。 ラ イ リ ー の 父 親 は 中
国で宣教師をしていたが、暴動の際に殺害される。クール判事の妻アイリーン・クー
ル ( Irene Cool) は 重 病 に な り 、 夫 と と も に 新 婚 旅 行 の 思 い 出 の 地 ヨ ー ロ ッ パ を 廻 り 、
スイスに葬られる。判事は、黒い絹の紋章を袖に縫い付け、チェロキーローズをボタ
ン 穴 に 挿 し て 、 妻 を 悼 む 。 シ ス タ ー ・ ア イ ダ ( Sister Ida) の 姉 の ジ ェ ラ ル デ ィ ー ン
( Geraldine) は 流 産 し て 赤 ん 坊 を 失 い 、 そ の 後 二 人 の 父 親 が 亡 く な る 。
ドリーは遊走性肺炎にかかっているにもかかわらず、コリンがハロウィーン・パー
ティーで着る骸骨の衣装を作るために無理をする。起き上がることを禁じられていた
のであるが、夜にこっそりと起き出して、金色の絵の具で衣装に骸骨を描き、円を描
くためにぐるぐる回っているうちにぐらりと倒れる。「日の出頃、そよ風が家を通り
抜 け て 行 っ た と き 」( 120)、コ リ ン は ド リ ー が 亡 く な っ た こ と を 悟 る 。彼 女 は「 広 場
を横切り、教会にやって来て、今あの丘にたどり着いたところだ。インディアン・グ
ラ ス が 彼 女 の 足 元 で き ら め い て 」( 120)い る と 、コ リ ン は ド リ ー の 辿 る 道 を 心 の 中 で
思い描く。
コリンは、ドリーが死去したあと、長いこと無為の日を過ごす。パストラル・エレ
ジーの約束事として、死の後には結婚が描かれる。翌年 6 月にライリーとモードの結
婚 式 が 行 わ れ る 。コ リ ン が 式 の 案 内 役 を 務 め 、ク ー ル 判 事 が 新 郎 の 付 き 添 い と な る 。9
月に判事と丘を訪れる。教会の前を過ぎ、「河の森」に通じる道を歩き、墓地の丘か
らあたりを眺める。コリンは生前のドリーに思いを馳せる。
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A waterfall of color flowed across the dry and strumming leaves; and I wanted
then for the Judge to hear what Dolly had told me: that it was a grass harp,
gathering, telling, a harp of voices remembering a story. We listened. (125)
乾 き 、か き 鳴 ら す よ う な 葉 を 横 切 っ て 、色 彩 の 滝 が 流 れ て い た 。僕 は 判 事 に 、
ド リ ー が 僕 に 話 し て く れ た こ と を 、そ の 時 に 聞 い て い て ほ し い と 思 っ た 。そ
の こ と と は 草 の 竪 琴 で あ る 。人 々 の 声 を か き 集 め 、伝 え る 、物 語 を 記 憶 す る
声の竪琴を。僕達は耳を傾けた。
パストラル・エレジーでは、死は生の始まりであると捉えられているため、死を必ず
しも悲観的に描くわけではない。コリンはドリーの死を乗り越え、少年時代に別れを
告げる。作品の冒頭と同様の文章で結末は締めくくられている。町、教会、墓地、草
地、森を眺めながら、「再び帰ることはあるまい。再びこの道を歩むことも、この樹
を 夢 見 る こ と も あ る ま い 。こ の 道 や こ の 樹 が 僕 を 引 き 戻 し て く れ る ま で は 」( 124)と
田舎町の景色を目に焼き付け、法律を学ぶために北部へと旅立つ。しかし後年、ヴェ
リーナが亡くなり、タルボー家の財産に関する書類を整理するために、彼は町に戻っ
てくることとなる。
3
カポーティとミス・スック
『草の竪琴』は自伝的な小説である。献辞に「深い愛情の記念として、ミス・スッ
クに捧ぐ」とあるように、本書は少年のカポーティを一時期引き取って育ててくれた
親戚のスック・フォークに捧げられている。両親の離婚後、カポーティは 6 歳から 8
歳 ま で の 間 、モ ン ロ ー ヴ ィ ル の 親 戚 フ ォ ー ク 家 に 預 け ら れ た 。風 変 わ り な 親 戚 一 家 は 、
中年過ぎの三姉妹と無口な兄とで構成されており、三姉妹の長女がナンシー・フォー
ク ( Nancy Faulk) 、 愛 称 ス ッ ク で あ る 。 初 老 の 彼 女 は 精 神 的 に は 子 供 っ ぽ く 、 目 立 た
ない引っ込み思案の性格で、家から出ることは滅多になく、外出するのは水腫の治療
薬を作るため薬草や、クリスマス・ケーキに入れるペカンの実を探しに森へ行くこと
ぐ ら い で あ っ た 。一 方 、次 女 の ジ ェ ニ ー( Jennie Faulk,1873-1958)は 気 性 が 荒 く 、一 家
の主のような存在で絶対的権限を持っていた。『草の竪琴』において、コリン少年が
カポーティ、スックがドリー、ジェニーがヴェリーナのモデルであることは明らかで
39
あ る 72 。両 親 や 兄 弟 が 身 近 に い な か っ た カ ポ ー テ ィ に 対 し て 、ス ッ ク は 母 親 と 友 達 の 二
役をこなそうと奮闘した。カポーティは、スックの愛情を生涯忘れることはなく、信
頼 で き る 友 で あ る と 見 な し て い た 。カ ポ ー テ ィ の 母 方 の 叔 母 マ リ ー・ル デ ィ シ ル( Marie
Rudisill, 1911-2006) は 二 人 の 関 係 を 次 の よ う に 語 る 。
Sook’s love for Truman was almost unnatural in its intensity. In her loneliness
she desperately clung to the small boy the way a drowning man clutches his piece
of flotsam. Perhaps she sensed in Truman a kindred spirit. They were both
forgotten people, Sook by her sisters and brother, Truman by his parents. And
both were outsiders…. 73
スックのトルーマンに対する愛情は非常に強く、ほとんど異常とも言うべ
きものがあった。孤独の中で、彼女はちょうど溺れかけている人が漂流物
をつかむように、必死になってこの少年にすがっていたのだ。おそらく彼
女は、トルーマンの中に同類の魂を感じたのだ。彼らは二人とも忘れ去ら
れた人々だった。スックは姉妹と兄弟に、トルーマンは両親に。そして二
人ともアウトサイダーであった……。
カ ポ ー テ ィ と ス ッ ク は 、そ れ ぞ れ の 家 族 に「 忘 れ 去 ら れ た 人 々 」、「 ア ウ ト サ イ ダ ー 」
であるという指摘は、コリンやドリーにも通じるものである。
スックとの思い出は『草の竪琴』において描くだけでは終わらず、その後短編「ク
リスマスの思い出」
( “A Christmas Memory,” 1956)や「 感 謝 祭 の お 客 」
( “The Thanksgiving
Visitor,” 1967) 、 「 あ る ク リ ス マ ス 」 ( “One Christmas,” 1982) に お い て も 描 か れ て い
る 74 。「 ク リ ス マ ス の 思 い 出 」と「 感 謝 祭 の お 客 」の 両 作 品 は 、親 戚 に 引 き 取 ら れ た カ
ポーティと思われる少年「ぼく」、いとこのスック、そして飼い犬のラット・テリア
の ク ウ ィ ー ニ ー ( Queenie) の 交 流 が 描 か れ て い る 75 。 「 ク リ ス マ ス の 思 い 出 」 で は 、
ス ッ ク と 自 分 の こ と を「 僕 ら は お 互 い 無 二 の 親 友 」76 で あ る と 記 し て い る 。「 ク リ ス マ
スの思い出」の結末で、スックを失ったときの大きな喪失感が、二人の思い出の品で
あ る 凧 に 喩 え ら れ て 描 か れ て い る 77 。
40
And when that happens, I know it. A message saying so merely confirms a piece
of news some secret vein had already received, severing from me an irreplaceable
part of myself, letting it loose like a kite on a broken string. That is why, walking
across a school campus on this particular December morning, I keep searching the
sky. As if I expected to see, rather like hearts, a lost pair of kites hurrying
towards heaven. 78
僕には生じたことがちゃんとわかっているのです。おばちゃんが亡くなっ
たという通知は、虫の知らせでとっくにわかっていることを、ただ裏書し
ただけのことです。でも、それを境に、かけがえのない僕の一部が切り取
られ、それが糸の切れた凧のように、ふわふわとどこかへ飛んでいってし
まったような気がします。だからこそ、僕は校庭を横切りながら、いまだ
に 12 月 の 、特 に こ の 朝 に 限 っ て 、何 か を 捜 し 求 め る よ う に 、じ っ と 空 を 見
上げるのです。いくらかハート型に似た、糸の切れた一対の凧が、ぐんぐ
ん天へ向かって昇っていくのがやがて見えてくるのではないかと。
1981 年 に 実 父 ア ー チ・パ ー ソ ン ズ( Arch Persons, 1897-1981)が 死 去 し 、カ ポ ー テ ィ は
翌 年 に 短 編「 あ る ク リ ス マ ス 」を 発 表 す る 79 。こ こ で も 父 以 上 に 存 在 感 を 示 し て い る の
が従姉妹のスックなのである。「あるクリスマス」では、スックのことを「最高の親
友 」80 と 述 べ て い る 。父 と ク リ ス マ ス を 過 ご す よ り も 、い つ も の よ う に ス ッ ク と 過 ご し
たいと「ぼく」は心から祈るのである。
カポーティの関心が小説からノンフィクションへ向かうようになっても、スックへ
の 思 い は 消 え る こ と が な か っ た 。自 問 自 答 形 式 の「 自 画 像 」( “Self-Portrait,” 1972)で
は、「人生の大事な場面とは?」という問いにいくつか回答する中で、とりわけ 8 歳
の 頃 の 記 憶 を 繰 り 返 し 思 い 出 し 、ス ッ ク の 名 前 を 挙 げ て い る 81 。同 じ く 自 問 自 答 形 式 の
短 編「 夜 の 曲 が り 角 、あ る い は い か に し て シ ャ ム 双 生 児 は セ ッ ク ス す る か 」
( “Nocturnal
Turnings or How Siamese Twins Have Sex,” 1979) で も 、 カ ポ ー テ ィ は 自 身 を 思 わ せ る
“ TC” な る 人 物 同 士 の 対 話 の 中 で 、 幼 い 頃 に 従 姉 妹 の ス ッ ク と 犬 の ク ウ ィ ー ニ ー と 森
に出かけたことを思い出す。神への信仰といったことすべては「スックの言うことを
信じた」と語り、スックやクウィーニーと一緒に寝ていた頃のお祈りを唱え、眠りに
41
つ く 82 と 述 べ て い る 。
このように、カポーティは従姉妹のミス・スック・フォークとの思い出を語った作
品を数多く残している。これらの作品の先駆けとなった『草の竪琴』は、カポーティ
に と っ て 父 母 、 親 戚 、 親 友 以 上 の 存 在 で あ っ た 、 1946 年 に 亡 く な っ た ス ッ ク へ の 哀 歌
であった。
42
第3章
「聖なる放浪者」が憧れるもの
―ピカレスク小説としての『ティファニーで朝食を』
カポーティは、悪漢、ごろつき、あるいは社会の底辺を徘徊する者、社会的逸脱者
に一貫して強い関心を抱いていた。たとえば、『遠い声、遠い部屋』のランディング
の住人達や、『草の竪琴』の「樹の五人の馬鹿者」、死後出版された未完の長編小説
『 叶 え ら れ た 祈 り 』 ( Answered Prayers, 1987) の P・ B・ ジ ョ ー ン ズ ( P. B. Jones) な
どがその代表的存在である。本章では、『ティファニーで朝食を』を取り上げ、主人
公のホリー・ゴライトリーが女性の悪漢・ごろつきとして造形されていることに着目
し、この作品がギターのイメージ、鳥のイメージ、旅への憧れなどを利用しながら、
カポーティなりのピカレスク小説を構築していることを論じる。
『ティファニーで朝食を』をピカレスク小説と関連づけて論じた先行論はあまりな
い 。 ハ ッ サ ン は 「 ヒ ロ イ ン の 誕 生 」 ( “Birth of a Heroine,” 1999) に お い て 、 主 人 公 ホ
リ ー は「 ピ カ ロ 、高 級 娼 婦 、呪 わ れ た 詩 人 で あ る 」 83 と 指 摘 し て い る が 、『 テ ィ フ ァ ニ
ーで朝食を』をピカレスク小説として具体的に分析しているわけではない。リチャー
ド・グ レ イ は 、
『記憶の文学』
( The Literature of Memory: Modern Writers of American South,
1977)の 中 で『 テ ィ フ ァ ニ ー で 朝 食 を 』は「 ピ カ レ ス ク 的 冒 険 」 84 を 描 い て い る と 述 べ
るに留まっている。
1
ピカレスク小説のモチーフ
ピ カ レ ス ク 小 説 は 16 世 紀 の ス ペ イ ン で 構 築 さ れ た 小 説 ジ ャ ン ル で あ る 。ピ カ レ ス ク
という語は、スペイン語のピカロ(悪漢、ごろつき)から派生したものである。クリ
ス・ボルディックによれば、主人公は社会の底辺をさまよう悪漢、ごろつきであり、
「 通 常 は 一 人 称 の 語 り を 用 い 、自 分 の 冒 険・脱 出・逃 避 」85 を 物 語 る 小 説 ジ ャ ン ル で あ
る 。主 人 公 は 、し ば し ば 長 期 に 渡 る 旅 に 出 か け る 86 。様 々 な エ ピ ソ ー ド が 有 機 的 な 結 合
を度外視して、次々と語られていく。主人公の旅・移動を通して、社会の実像が写実
的に描かれ、鋭い社会風刺が潜んでいることが多い。
小 池 滋 の『 幸 せ な 旅 人 た ち ― 英 国 ピ カ レ ス ク 小 説 』( 1962)に よ る と 、「 ピ カ レ ス
ク小説」とは多くの場合一人称形式で書かれた喜劇的伝記で、そのヒーロー(と言う
43
よりはアンチヒーロー)はいろいろな主人に仕えて世の中を渡り、主人達の商売・職
業・個人的欠陥を暴露し風刺していく。そのため、その主な興味は、「ピカロの行う
悪 さ や 、風 刺 の 対 象 と な る 世 間 の 風 習 に あ る 」87 と す る 。さ ら に ピ カ ロ は 、一 般 に は ま
っとうだと思われている社会を眺め、鋭い批判的な目で「ロマンス」のヴェールをは
ぎ取り、既成の道徳に縛られずに批判・風刺が自由にできる場、つまり「常とは変わ
っ た 」 視 点 を 可 能 と さ せ る 場 を 必 要 と す る 88 。
ピカロは絶えず動き回っている。ピカロは批判的な目と人間に対するある種の好奇
心が強すぎて、まっとうな社会にも特定の閉ざされた社会にもどこにも属することが
できない。その生き方ゆえに、大都会以外では人々の寛容な好意もすぐに失ってしま
い、それを果てしなく繰り返しているうちに、結局ピカロの性格の一つの特徴となる
放 浪 生 活 を 生 み 出 す こ と に な る と フ レ デ リ ッ ク ・ モ ン テ サ ー ( Frederick Monteser) は
述 べ て い る 89 。
ピ カ レ ス ク 小 説 に は 長 い 伝 統 が あ り 、イ ギ リ ス で は 18 世 紀 に 、近 代 小 説 の 一 形 式 と
し て 定 着 し た 。 ダ ニ エ ル ・ デ フ ォ ー ( Daniel Defoe,1660-1731) の 『 モ ル ・ フ ラ ン ダ ー
ズ 』 ( The Fortunes and Misfortunes of the Famous Moll Flanders, 1722) 、 ヘ ン リ ー ・ フ
ィ ー ル デ ィ ン グ( Henry Fielding, 1707-54)の『 ジ ョ ゼ フ・ア ン ド ル ー ズ 』
( Joseph Andrews,
1742)、『 ト ム・ジ ョ ー ン ズ 』( Tom Jones, 1749)、ト バ イ ア ス・ ス モ レ ッ ト( Tobias
Smollett, 1721-71)の『 ロ デ リ ッ ク・ラ ン ダ ム の 冒 険 』
( The Adventures of Roderick Random,
1748) な ど 、 ピ カ レ ス ク 小 説 の 名 作 が 書 か れ た 90 。 19 世 紀 に お い て は 、 デ ィ ケ ン ズ の
『 ピ ッ ク ウ ィ ッ ク ・ ペ イ パ ー ズ 』 ( The Pickwick Papers, 1837) が よ く 知 ら れ て い る 。
第二次大戦後は、新ピカレスク小説と呼ばれる小説ジャンルに発展する。エピソード
を次々と語ることで物語を展開していくことや、主人公が社会の体制に背を向けて、
職を転々とし、放浪の旅に出るという物語構成は、従来のピカレスク小説をそのまま
踏 襲 し て い る 。伝 統 的 な ピ カ レ ス ク 小 説 に 、「 意 識 の 流 れ 」、「 開 か れ た 結 末 」、「 内
的 独 白 」な ど の 新 し い 小 説 技 巧 や 20 世 紀 社 会 特 有 の 題 材 、テ ー マ を 付 与 し て い る の が 、
新ピカレスク小説である。新ピカレスク小説の代表的な作品としては、ジョン・ウェ
イ ン ( John Wain, 1925-94) の 『 急 い で 降 り ろ 』 ( Hurry on Down, 1953) や 、 マ ー ド ッ
ク の 『 網 の 中 』 ( Under the Net, 1954) な ど が あ る
44
2
ピカロとしての娼婦ホリー
(1)舞台設定、登場人物
『ティファニーで朝食を』は、挿話的な物語展開や、主人公が社会に背を向けて、
放浪の旅に出るという物語構成を持つという点で、ピカレスク小説の枠組みをそのま
ま踏襲している。小池滋は、多少形式的ではあるがと断って、古典的なピカレスク小
説のヒーロー(アンチヒーロー)は、「いろいろな主人に仕えて世の中を渡り、主人
達 の 商 売・職 業・個 人 的 欠 陥 を 暴 露 し 風 刺 し て い く 」91 と 述 べ て い る が 、女 性 が 主 人 公
の場合には、デフォーの『モル・フランダーズ』などが示すように、年端もゆかぬう
ちから、時に盗みなどをしながら、娼婦として様々な階級や職業の男性の間を渡り歩
く 。 モ ル ・ フ ラ ン ダ ー ズ ( Moll Flanders) は 、 5 回 結 婚 し 、 12 年 間 は 愛 人 暮 ら し 、 12
年 間 は 泥 棒 暮 ら し 、8 年 間 は ア メ リ カ の ヴ ァ ー ジ ニ ア で 流 刑 囚 生 活 を 送 る 。ま さ に 波 瀾
万丈の人生である。モルは、多くの男性との出会いを通して、一般にはまともだと思
わ れ て い る 社 会 の 偽 善・不 正 を 鋭 く 見 抜 き 、既 成 の 道 徳 に 縛 ら れ ず に 自 由 な 立 場 か ら 、
批判・風刺を行う。
主人公ホリーがまさにモルのような女性版ピカロであることを、男性遍歴、盗み、
社 会 批 判 な ど に 焦 点 を 当 て て 、確 認 し て み よ う 。ホ リ ー は ピ カ レ ス ク 小 説 の 規 則 通 り 、
様 々 な 人 種・階 級・職 業 の 男 性 の も と を 転 々 と す る 。ピ カ ロ に は 自 分 の 両 親 ど こ ろ か 、
出 生 に つ い て も 詳 し く 知 ら な い 者 が 多 い 92 。哀 れ な 生 い 立 ち を 抱 え た 彼 ら は 、世 の 中 を
生き抜く知恵を身につけていく。ホリーは、両親の死後、ごろつき同然の一家に引き
取られるが、その家から逃げ出し、盗みに入った家の主人で獣医のゴライトリー氏と
14 歳 で 結 婚 す る 。 し か し 、 彼 女 は ゴ ラ イ ト リ ー 家 を 飛 び 出 し 、 西 部 の サ ン タ ・ ア ニ タ
で ハ リ ウ ッ ド の 俳 優 代 理 人 を 務 め る O. J. バ ー マ ン と 知 り 合 う 。彼 女 と 付 き 合 い の 長 い
O. J. バ ー マ ン で さ え 、彼 女 が ど こ の 出 身 か は 誰 も 知 ら な い と 言 う 。断 片 的 に 語 ら れ る
中 で か ろ う じ て 把 握 で き る の は 、フ レ ッ ド( Fred)と い う 名 の 弟 が い て 、彼 女 は フ レ ッ
ドをとても愛しているということだけである。語り手の「私」も、彼女がギターを弾
きながら歌う歌の中に、松林や大草原を思わせる歌詞が含まれるものがあり、「彼女
は 実 際 ど こ か ら 来 た の か 」 93 と 考 え る 。 O. J. バ ー マ ン の 尽 力 で 映 画 ス タ ー へ の 第 一 歩
を 踏 み 出 そ う と す る が 、 女 優 に な る こ と は 「 本 質 的 に 自 我 を 全 く 持 た な い 」 ( 39) こ
とになると思い、ニュー・ヨークへと飛び立つ。ニュー・ヨークでは、多くの男性に
囲 ま れ 、高 級 娼 婦 ま が い の 生 活 を 送 る 。ジ ェ ラ ル ド・ク ラ ー ク( Gerald Clarke)も 指 摘
45
しているように、彼女は「コール・ガールでこそないが、セックスによって生計を立
て て い る 」94 。彼 女 自 身 は「 私 は そ ん な に た く さ ん の 相 手 を し て き た わ け じ ゃ な い の よ 。
恋 人 に し た 男 は 全 部 で 11 人 し か い な か っ た わ 」 ( 76) と 語 る 。 O. J. バ ー マ ン は 、 ホ
リーは押しかけてくる男達のチップで暮らしているのだと言い放つ。ホリーに嫌悪感
を 抱 い て い る 隣 人 の マ ダ ム ・ サ フ ィ ア ・ ス パ ネ ラ ( Madam Sapphia Spanella) は 、 ホ リ
ー を 「 素 行 の い か が わ し い 人 物 」 ( 61) で 「 絶 え ず 男 達 を く わ え こ ん で 夜 通 し 騒 ぎ ま
わ り 、 他 の 住 人 達 の 安 全 と 平 穏 を 脅 か す 」 ( 61) と 主 張 し 、 ア パ ー ト か ら の 立 ち 退 き
を要請する。同じアパートに住む語り手の「私」も、一時はホリーを露出癖のある下
品な女だと思い、軽蔑の眼差しで見つめる。
ホリーはニュー・ヨークで男性の間を渡り歩くうちに、ブラジル人の外交官ホセ・
イ バ ラ = ハ エ ガ ー ル( José Ybarra-Jaegar)と 知 り 合 う 。ホ リ ー も ホ セ も 既 婚 者 で あ る が 、
彼と結婚の約束をし、妊娠するが、流産して捨てられる。その後、彼女はブラジルに
渡り、アルゼンチンのブエノス・アイレスまで旅を続け、妻子のいる「素敵なセニョ
ール」と親しくなったという手紙が来るが、その後消息を絶つ。その十数年後、後日
談として、彼女がアフリカに渡ったのではないかと語られる。まともな社会にも特定
の閉ざされた社会にも属さないのはピカロの特徴である。ホリーは、アメリカから南
米、そしてアフリカへと果てしのない旅を続ける。
ホ リ ー は 既 成 概 念 に ま っ た く 囚 わ れ な い 。O. J. バ ー マ ン が 語 る よ う に 、ホ リ ー は 詐
欺 師 で 、 自 分 で つ く 嘘 に 対 し て も 本 気 で 信 じ 込 む 癖 が あ る ( 32) 。 多 く の ピ カ ロ が そ
うであるように、必要と思われるときには嘘をつき、盗みを働く。そのことに彼女は
ま っ た く 良 心 の 咎 め を 感 じ な い 95 。 語 り 手 の 「 私 」 と ウ ー ル ワ ー ス 96 を 通 り か か っ た と
き 、 ホ リ ー は 「 何 か 盗 も う よ 」 ( 53) と 言 っ て 店 に 入 り 、 ハ ロ ウ ィ ー ン の マ ス ク を 盗
む。「昔はね……。何かがほしければ、盗む以外にはなかったのよ。今でもちょくち
ょ く や っ て い る 。 腕 を 錆 つ か せ な い た め に 」 ( 53) と ホ リ ー は 語 る 。 当 然 の こ と な が
ら、犯罪者に対しても何ら偏見を持たない。彼女は、刑務所に収監されている国際麻
薬 密 輸 組 織 の 黒 幕 サ リ ー ・ ト マ ト の 元 へ 週 に 一 度 訪 問 し 、 謝 礼 と し て 100 ド ル 受 け 取
る。彼女はサリーを信心深く、繊細で優しい人であると思っている。彼を恐れもしな
いし、彼の罪を咎める気持ちもない。結局、この訪問があだとなって、彼女は麻薬密
輸組織の連絡係として逮捕されるが、そのときでさえも犯罪者サリーを擁護し、警察
当局に対して怒りを露わにする。
46
ホリーは人種的偏見や差別意識も持たない。黒人の赤子を心から可愛いと思い、中
国人と黒人の混血に魅力を感じると言う。実は、ホリーにとって重要なのは、金持ち
であるかどうかということなのである。
“I don’t mean I’d mind being rich and famous. That’s very much on my schedule,
and some day I’ll try to get around to it; but if it happens, I’d like to have my ego
tagging along. I want to still be me when I wake up one fine morning and have
breakfast at Tiffany’s. …” (39)
「 私 が お 金 持 ち に な り 、有 名 に な る こ と を 望 ま な い と い う ん じ ゃ な い の 。む
し ろ 、そ う な る こ と が 私 の 大 き な 目 的 で 、い つ か は 回 り 道 を し て で も そ こ ま
で 達 す る よ う に 努 め る つ も り 。た だ 、た と え そ う な っ た と し て も 、私 の 自 我
だ け は あ く ま で も 捨 て た く な い の よ 。あ る 晴 れ た 朝 、目 を 覚 ま し 、テ ィ フ ァ
ニ ー で 朝 食 を 食 べ る よ う に な っ て も 、私 自 身 と い う も の は 失 い た く な い の ね 。
……」
ホリーは、金持ちになることが自分の大きな目的で、回り道をしてでもいつかはそこ
に到達したい、と断言する。作家志望の「私」が金儲けに対し無欲なことを知ると、
ホ リ ー は 「 や っ ぱ り お 金 を 儲 け た ほ う が い い わ 」 ( 60) と 勧 め る 。 金 銭 に 対 す る 執 着
は、ピカロの主要な特性の一つである。モンテサーは、「ピカロの主要な関心は生き
てゆくことにあり、満腹以外には実際、ロマンスや野望などにかかわっている暇もな
い 」 97 と 指 摘 し て い る 。ホ リ ー は 、100 ド ル 稼 ぐ 方 法 を 事 細 か に 説 明 す る 。ま ず 、化 粧
室 に 行 き た い と 言 っ て「 50 ド ル も ら い 」
( 29)、帰 り に は タ ク シ ー 代 を 50 ド ル 請 求 し 、
合 計 100 ド ル に な る と 語 る 。女 性 が 化 粧 室 に 入 る の に 20 セ ン ト し か 渡 さ な か っ た 男 に
対しては、容赦なく非難する。厳しい現実を生きるピカロにとって、その主要な関心
はいかにして収入を得て、生活をしていくかにある。デフォーの『モル・フランダー
ズ』の主人公モルは、スリや火事場泥棒、売春などで得た収入を正確に記載し、結婚
や再婚などの人生の変わり目では、その都度収支決算を行い、その時々の自分の資産
状態を、明確に数字を挙げて説明する。
カポーティは、ピカレスク小説の約束事に従って、性道徳や政治などの当時のタブ
47
ー に つ い て ホ リ ー に 語 ら せ る 98 。ホ リ ー は 当 時 の 既 成 概 念 に も ま っ た く 囚 わ れ は し な い 。
彼 女 は 「 私 自 身 は レ ズ の 子 っ て 好 き よ 。 怖 い な ん て 思 わ な い 」 ( 25) と 「 レ ズ ビ ア ン
の 男 役 」 ( dykes) を 意 味 す る 俗 語 を 用 い て 同 性 愛 を 擁 護 す る 99 。 ま た 、 「 結 婚 な ん て
誰とでもできるはずよ、相手が男だって女だって何だって。……愛というのは広く許
さ れ る べ き も の な の よ 」 ( 76) と 多 様 な 性 の あ り よ う を 主 張 す る 100 。 こ の よ う に 、 ホ
リーは同性愛に対して何ら偏見を抱いていないが、当時のアメリカ国内の現実は非常
に厳しいものであった。当時のアメリカ社会では、同性愛に対して、嫌悪感というよ
り は 恐 怖 を 覚 え る の が 一 般 的 で あ っ た 101 。1920 年 代 か ら 30 年 代 初 め に か け て ゲ イ 文 化
が 発 達 し 、そ の 後 そ の 反 動 と し て ゲ イ 的 な 内 容 の も の の 排 除 が 始 ま り 、40 年 代 、50 年
代には抑圧へと変わっていった。というのも、ゲイは反体制的だと危険視され始め、
国 家 が 介 入 し 、 規 制 す る よ う に な っ た か ら で あ る 102 。 カ ポ ー テ ィ は 、 代 弁 者 ホ リ ー の
発言を通して、同性愛を嫌悪する当時の上品ぶった世相を批判し、性的に不寛容な当
時の社会を皮肉っていると考えられる。
彼女は、戦時中に漂っている社会不安を敏感に感じ取っており、次のように語る。
“But the mean reds are horrible. You’re afraid and you sweat like hell, but you
don’t know what you’re afraid of. Except something bad is going to happen, only
you don’t know what it is. You’ve had that feeling?” (40)
「 と こ ろ が 、あ の い や っ た ら し い ア カ と き た ら 、ま っ た く ぞ っ と す る わ 。何
か に 恐 れ 、地 獄 の よ う な 苦 し み を 味 わ う ん だ け ど 、一 体 自 分 が 何 を 恐 れ て い
る か わ か ん な い の ね 。何 か 悪 い こ と が 起 こ る っ て こ と 以 外 に は 、何 に も わ か
んないのよ。あんたもそういう気持ち味わったことある?」
ここで注目に値するのは「いやったらしいアカ」である。実は、ホリーは死を擬人化
し て 「 太 っ た い や っ た ら し い ア カ の 畜 生 女 」 ( 89) と 呼 び 、 鬱 気 味 に な っ た と き の こ
と を「 例 の い や っ た ら し い ア カ 」( 76)に 取 り 憑 か れ て い た と 考 え る 。語 り 手 の「 私 」
も、ホリーに影響され自分に降り掛かった一連の不運を「ホリー流に言えばいやった
ら し い ア カ 」( 117)で あ る と 形 容 す る 。ホ リ ー は「 い や っ た ら し い ア カ 」と い う 表 現
を用いて、彼女にとっての恐怖や不安を語っているのである。この恐怖、不安から逃
48
れることのできる唯一の場所は、ティファニー宝石店である。ホリーの夢は、ティフ
ァニー宝石店で朝食を食べることである。ホリーの不安は、クラークなどが指摘して
い る よ う に 、 カ ポ ー テ ィ 自 身 の 不 安 で あ り 、 恐 怖 で も あ っ た 103 。 と い う の も 、 1950 年
にアメリカで赤狩りが開始され、それと同時に同性愛者狩りも本格化した。共産主義
も 同 性 愛 も 国 家 の 安 全 を 脅 か す も の と 考 え ら れ た か ら で あ る 104 。 カ ポ ー テ ィ は こ の よ
う な 社 会 的 ・ 政 治 的 風 潮 に 不 安 を 感 じ て い た 。 カ ポ ー テ ィ は ホ リ ー を 通 し て 、 1950 年
代のマッカーシズム旋風が吹き荒れたアメリカ社会に対する、不安、反発、嫌悪を表
明したのである。
『ティファニーで朝食を』において、いかなる現実が批判され、風刺されているの
だろうか。ホリーは、善良であることよりも正直(=自然)であることを選び、偽善
を嫌い、自分自身に誠実であることを何よりも望んでいる。自分に正直であることこ
そ が 、ホ リ ー に と っ て 自 然 な 姿 な の だ 。こ の よ う な ホ リ ー を 通 し て 、カ ポ ー テ ィ は 1940
年 代 、 50 年 代 の ア メ リ カ 社 会 の 偽 善 性 や 俗 物 根 性 を 批 判 し て い る 。 さ ら に は 、 ホ リ ー
の 友 人 マ ッ グ・ワ イ ル ド ウ ッ ド( Mag Wildwood)が 語 る 男 性 と の 性 的 関 係 に つ い て も 、
「 そ れ は 普 通 で あ る け ど 、私 は む し ろ 自 然 で あ り た い 」( 49)と 断 言 す る 。ホ リ ー は 、
「善良っていうより、正直ってことが私にはもっと大事だと思うのよ。……不正直な
女 に な る く ら い な ら 、癌 に で も か か っ た 方 が ま し だ わ 」( 77)と 宣 言 す る 。1940 年 代 、
50 年 代 の ア メ リ カ は 、 物 質 的 繁 栄 に の み 満 足 し 、 順 応 主 義 的 風 潮 が は び こ っ て い た 。
カポーティはホリーを通して、第二次大戦中そして戦後のアメリカ社会における性
的・政治的不寛容に強い危機意識、反発、嫌悪を表明したのである。
(2)「聖なる放浪者」が憧れるもの
ホリーがピカロであることを鮮明にしているのは、放浪の旅である。「ミス・ホリ
デ ー ・ ゴ ラ イ ト リ ー 、 旅 行 中 」 ( 16) と い う ホ リ ー の 社 交 用 の 名 刺 や 、 語 り 手 「 私 」
か ら 贈 ら れ た 旅 人 の 守 護 聖 人 「 聖 ク リ ス ト フ ァ ー の メ ダ ル 」 ( 57) を 大 事 に し て い る
ことが示すようにホリーは、旅に取り憑かれている。「彼女の生き方は徹底的に即興
で お こ な わ れ て い る 」と ハ ッ サ ン は 指 摘 す る 105 。「 ホ リ デ ー・ゴ ラ イ ト リ ー 、旅 行 中 」
と印刷された名刺に記載されている「旅行中」について、「私って、明日はどこに住
む の か わ か ら な い じ ゃ な い 。 だ か ら “ 旅 行 中 ” っ て つ け て も ら っ た の 」 ( 42) と 自 ら
説明しているが、彼女の放浪の旅への強い思いが感じられる。ホリデー・ゴライトリ
49
ホ リ ディ
ラ イ ト リ ー
ー と い う 名 前 は 、人 生 の 日 々 を 休 日 と し て 生 き 、足 取 り も 軽 や か に 世 間 を 渡 っ て い く 、
ホ リ ー の 生 き 方 を 象 徴 的 に 示 し て い る 106 。ホ リ ー は そ の 時 々 に 必 要 な 物 し か 持 た な い 。
ニュー・ヨークに滞在中、彼女はいつでもすぐに旅に出発できるように、部屋には家
具は置かず、荷作りされたスーツケースと梱包箱しか置かれていない。この部屋の様
子は、彼女がいずれはニュー・ヨークからも旅立つことを暗示している。
『ティファニーで朝食を』では、旅に憧れ、束縛を嫌い、自由を切望するホリーの
姿が、ギターや鳥のイメージを用いて効果的に描かれている。カポーティは、他の作
品 で も ギ タ ー や 鳥 の イ メ ー ジ を 用 い て い る 107 。 『 草 の 竪 琴 』 で は 、 シ ス タ ー ・ ア イ ダ
とその子供達がジプシーさながら国中を旅して回るが、悲しげな調べを奏でるギター
の 音 色 が 傍 ら で 流 れ て い る 108 。「 ダ イ ア モ ン ド ・ ギ タ ー 」( “A Diamond Guitar,” 1950)
に お い て は 、 ギ タ ー は 自 由 な 世 界 を 象 徴 的 に 示 す も の と し て 用 い ら れ て い る 109 。 ホ リ
ーは、しばしばベランダで、ギターをつま弾く。特に印象的なのは、ホリーがギター
をつま弾きながら歌うさすらいの調べである。
But there were moments when she [Holly] played songs that made you wonder
where she learned them, where indeed she came from. Harsh-tender wandering
tunes with words that smacked of piney-woods or prairie. One went: Don’t wanna
sleep, Don’t wanna die, just wanna go a-travellin’ through the pastures of the sky.
(20-1)
しかし、時々彼女[ホリー]は、一体そんな歌をどこで習ったのか、彼女
は実際どこから来たのか、と考えさせるような歌を弾くこともあった。松
林とか大草原とかを思わせるような歌詞を持ち、甘さを含んだしわがれ声
で歌うさすらいの調べ。そのうちの一つはこんな調子だった――眠りたく
もなし/死にたくもない/ただ旅して行きたいだけ/大空の牧場通って。
ホリーは、放浪への強い憧れを歌う。聖クリストファーのメダルとギターと宝石は、
彼女の旅の必需品であり、ブラジルへ逃亡するときにもこれらをスーツケースに詰め
て持って行く。
ホリーの夫のゴライトリーは、安住の場所を捨てて出て行った彼女を野生のカラス
50
に喩え、「カラスを一羽仕込んで、ホリーの名前を覚えさせた、ギターの弾き方も教
えてやったよ。……彼女に与えたカラスは野生に戻って、どこかに飛んでいった。夏
中 、 そ の カ ラ ス の 声 が 聞 こ え た よ 。 庭 で も 、 菜 園 で も 、 森 の 中 で も 」 ( 65) と 語 る 。
ホリー自身も自分のことを野生の動物、鳥に重ね合わせている。檻の中に入っている
動物は、見るに忍びないという理由で動物園を避けたり、語り手の「私」に立派な鳥
籠 を 贈 る が 、中 に は 生 き 物 を 入 れ な い で と 要 求 し た り す る 。こ こ に 、自 由 で あ り た い 、
自然なままでいたいという、彼女の強い願望が示されている。ホリーは、知人のバー
経営者ジョー・ベルに次のように話す。
“Never love a wild thing, Mr. Bell.” “…you can’t give your heart to a wild thing:
the more you do, the stronger they get. Until they’re strong enough to run into the
woods. Or fly into a tree. Then a taller tree. Then the sky. That’s how you’ll end
up, Mr. Bell. If you let yourself love a wild thing. You’ll end up looking at the
sky.” (69)
「 ね ぇ 、ベ ル さ ん 。あ ん た は 野 生 の 動 物 な ん か 可 愛 が っ ち ゃ だ め よ 」… …「 野
生 の 動 物 は い く ら 可 愛 が っ て や っ て も 駄 目 ね 。可 愛 が れ ば 可 愛 が る ほ ど 、だ
んだん丈夫になり、そのあげく、どうにか独り歩きができるようになると、
森 の 中 へ 逃 げ 込 む と か 、樹 の 枝 へ 飛 ん で 行 っ て し ま う と か す る の よ 。そ し て
だ ん だ ん 高 い 樹 に 移 り 、し ま い に は 空 へ 消 え て い っ て し ま う の ね 。そ れ で お
し ま い さ 、ね 、ベ ル さ ん 。あ ん た も 野 生 の 動 物 を 可 愛 が っ た り す る と 、結 局
空を見上げてため息をつくようなことになるわ」
ホリーが、夫のゴライトリー医師のもとから逃げ出した自分自身を野生の動物、特に
鳥を思わせる生き物に重ね合わせていることは明らかである。自由を貪欲に求めてい
くと、行き着く先は空であるとも示唆している。そして、それはホリーのさすらいの
調べにある「大空」につながるのかもしれない。
束縛を嫌い、自由に憧れるホリーの気持ちは、飼い猫に名前を付けないことにも表
れている。「私にはこの子に名前を付ける権利なんてないの。……お互いにどっちの
も の で も な い の ね 。 こ の 子 も 独 立 し て い る し 、 私 も そ う な の 」 ( 39-40) と 述 べ る 。 猫
51
に名前を付けることによって、猫は自分のものになるが、猫の自由を奪うことになる
と 考 え 、 ホ リ ー は あ え て 名 前 を 付 け な い 110 。 各 々 が 独 立 し て い る こ と こ そ が 望 ま し い
と 考 え て い る 。 「 私 は 長 い 間 、 自 分 の こ と は 自 分 で 始 末 つ け て き た 」 ( 38) 、 「 私 が
いなくなったって誰も何とも思いやしないわよ。私は友達なんて一人もいないんだも
ん 」( 111)と い う ホ リ ー の 発 言 か ら 、何 も の に も 捕 わ れ な い 、ピ カ ロ ら し い た く ま し
い生き方が見出せる。まさにホリーは、どこにも属することのないピカロである。彼
女は他者に対しては何も求めず、自分自身の自由、自然な状態を求めて放浪の旅を続
ける。
ホ リ ー が ま さ に ピ カ ロ の 属 性 を 持 っ て い る こ と を 見 て 来 た 。し か し 、ホ リ ー( Holly)
と い う 彼 女 の 名 前 が 、 柊 ( holly) 、 「 神 聖 な 人 」 ( holy) を 示 唆 し て い る よ う に 、 彼
女 の 根 底 に は き わ め て 清 ら か で 聖 な る も の が 存 在 す る 111 。 弟 フ レ ッ ド へ の 愛 情 、 犯 罪
者サリー・トマトへの友情、唯一の友人である語り手の「私」や知人のジョー・ベル
に対する誠実さからは、伝統的なピカロが持つ特質とは異なる面が見出せる。
結局、カポーティは『ティファニーで朝食を』において、伝統的なピカレスク小説
の形式にギターと鳥のイメージを効果的に加味して、自分自身に誠実で既成概念に囚
わ れ ず 、旅 に 強 い 憧 れ を 抱 き 、北 米 か ら 南 米 へ 、そ し て ア フ リ カ の 架 空 の 国 イ ー ス ト ・
ア ン グ リ ア ( East Anglia) に ま で も 旅 す る 20 世 紀 中 葉 に 生 き る 感 性 豊 か で 魅 力 的 な 、
そして聖なる女性ピカロをつくり上げたと言える。
3
リリー・メイとルーラ・メイ
カポーティは、自分の作品の中で一番気に入っている登場人物は、ホリーであると
述 べ て い る 112 。 ホ リ ー に は 、 作 者 カ ポ ー テ ィ が 投 影 さ れ て い る と し ば し ば 指 摘 さ れ て
い る 113 。 た し か に 、 共 産 主 義 嫌 い 、 同 性 愛 的 傾 向 、 そ し て 、 ヨ ー ロ ッ パ と ア メ リ カ を
頻繁に行き来する移動癖など似ている点は多々ある。さらには、魅力と強烈な個性以
外は何も持たずに、上流社会を征服しようとする若いアウトサイダー役を演じたカポ
ー テ ィ の 自 身 の 生 き 方 114 も ピ カ ロ の そ れ で あ り 、 ま さ に ホ リ ー と 重 な る 。
しかし、それ以上に注目に値するのは、ホリーとカポーティの母ニーナ・カポーテ
ィ の 類 似 で あ る 115 。 二 人 の 過 去 は 、 非 常 に よ く 似 て い る 116 。 二 人 と も 南 部 の 出 身 で あ
る。ニーナはアラバマ州、ホリーはテキサス州の出身。華やかな都会ニュー・ヨーク
に憧れて田舎から出てくる。二人とも田舎風の本名を都会風のしゃれた名前に変えて
52
い る 。 母 は 本 名 の リ リ ー ・ メ イ を コ ス モ ポ リ タ ン 風 の 名 前 ニ ー ナ に 変 え る 117 。 ホ リ ー
の本名は、ルーラ・メイ・バーンズであるが、結婚後、ホリデー・ゴライトリー、愛
称ホリーといういかにも軽やかな名前に変えた。改名前の二人の名前は、偶然という
にはあまりにも似すぎている。
17 歳 と い う 若 さ で 結 婚 し た ニ ー ナ は 、 田 舎 か ら 離 れ た く て 、 結 婚 し た よ う な も の で
ある。やがて夫と離婚し、息子をアラバマ州モンローヴィルのフォーク家に置き去り
に し て 、ニ ュ ー ・ヨ ー ク で 上 流 階 級 に 憧 れ 、名 声 と 富 を 追 い 求 め た 118 。ニ ー ナ は 、美 人
で優雅でセクシーな外見に加え、当時はあまり多くはなかった離婚経験者でもあり、
自分勝手で無責任ではあるが、自分に正直であり、「自然」で「自由」であった。上
流階級に受け入れられたいと孤軍奮闘するが、そこで生きることに挫折し、自殺を遂
げ る 。 ニ ー ナ は 田 舎 か ら 都 会 に 出 て も な お 、 安 住 の 地 を 見 出 せ な か っ た 119 。
カポーティのグリニッチ時代の友人は、
「ニーナとトルーマンは奇妙なペアだった。
… … 何 よ り も あ の 二 人 は そ っ く り だ っ た 。 … … 気 味 が 悪 い ほ ど 似 て い た 」 120 と 証 言 す
る。髪や体つきなど外見的な面だけではなく、上流社会への憧れもまた母から受け継
いだものと言えよう。カポーティと母との関係は複雑で、幼少期に十分な愛情を与え
ら れ な か っ た り 、同 性 愛 的 傾 向 を 厳 し く 叱 責 さ れ た り 、愛 憎 が 交 錯 す る も の で あ っ た 。
だが、カポーティは自身の死に際に母のことを話し続け、「ママ」と 3 度言って亡く
な っ た 121 。 そ れ ほ ど 彼 に と っ て 母 は 大 き な 存 在 で あ り 、 母 の 死 は 彼 に 大 き な 悲 し み を
与えた。
カポーティは、母の死の 4 年後に発表した『ティファニーで朝食を』で、自由を求
めて大都会を闊歩し、上流階級で生き残ろうと必死にもがいた若き日の母の姿を、聖
なる放浪者ホリーとして、作品の中で永遠化したと考えられる。
53
第4章
カポーティ文学における集大成
―ノンフィクション・ノヴェル『冷血』
カ ポ ー テ ィ は 、 1948 年 に 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』 を 発 表 し て 以 来 、 様 々 な 文 学 手 法 に
対して挑戦を試みてきた。短編小説や中編小説だけでなく、戯曲や映画の脚本も手が
けた。これらに加え、彼の創作活動の広がりとして着目しなければならないのは、ル
ポルタージュ風の作品である。カポーティは小説を書く傍ら、旅行記『ローカル・カ
ラ ー 』( Local Color, 1950)や 、ジ ョ ー ジ・ガ ー シ ュ ウ ィ ン( George Gershwin, 1898-1937)
作 の オ ペ ラ 『 ポ ー ギ ー と ベ ス 』 ( Porgy and Bess, 1935) の ソ ヴ ィ エ ト 公 演 同 行 記 『 詩
神の声聞こゆ』
( The Muses Are Heard, 1956)、俳 優 の マ ー ロ ン・ブ ラ ン ド( Marlon Brando,
1924-2004) の イ ン タ ヴ ュ ー 記 事 「 お 山 の 大 将 」 ( “The Duke in His Domain,” 1956) 、
そ し て 10 年 以 上 に 渡 っ て 雑 誌 『 ハ ー パ ー ズ ・ バ ザ ー 』 ( Harper’s Bazaar) に 連 載 し た
人 物 ス ケ ッ チ 『 観 察 記 録 』 ( Observations, 1959) な ど を 刊 行 す る 122 。 こ の よ う な ル ポ
ルタージュ風作品、特に『詩神の声聞こゆ』で用いた手法をより大掛かりな形で用い
て、完成させたのが『冷血』である。
第4章では、カポーティ自らがノンフィクション・ノヴェルと銘打った『冷血』を
取り上げる。『冷血』は、カポーティが小説やルポルタージュなど、これまでの作品
で試してきた様々な技法を駆使して書かれた、まさにカポーティ作品の集大成と言え
る 作 品 で あ る 。本 章 の 目 的 は 、第 1 章 か ら 第 3 章 に お い て 考 察 し て き た ゴ シ ッ ク 小 説 、
パストラル・エレジー、ピカレスク小説などに用いられている文学技巧が、カポーテ
ィの文学的集大成となった『冷血』にどのように利用され、変容を遂げているのかを
具体的に分析することである。カポーティの主要な長編小説と『冷血』の影響関係を
論じた先考研究は、序論で挙げたヴォスの『トルーマン・カポーティと「冷血」が受
け継いだもの』がある。『冷血』とゴシック小説との関連、初期作品のイメージ、象
徴、文体が『冷血』にいかに取り入れられているかを探った優れた論考である。ただ
し、パストラル・エレジー、ピカレスク小説など西欧文学の伝統と『冷血』との影響
関 係 に 関 し て は 触 れ て い な い 。ロ ン グ も 、『 ト ル ー マ ン・カ ポ ー テ ィ ― 恐 る べ き 子 供 』
( Truman Capote: Enfant Terrible, 2008 ) に お い て 、 『 冷 血 』 に は ゴ シ ッ ク 小 説 を 思 わ せ
る雰囲気が漂っていると指摘しているが、それ以外の言及はない。
54
1
ノンフィクション・ノヴェルとは
第1節では、『冷血』の具体的な分析に入る前に、ノンフィクション・ノヴェルと
はいかなるものなのかを概観する。『冷血』は、『詩神の声聞こゆ』の手法を大掛か
りな形で用いて、完成させた作品であると先に述べた。では、『詩神の声聞こゆ』で
用 い ら れ た 手 法 と は 何 か 。実 は 、
『 詩 神 の 声 聞 こ ゆ 』は 、
『ニューヨーカー』
( New Yorker)
ピクチュア
誌 の 専 属 記 者 リ リ ア ン・ロ ス( Lillian Ross, 1926-)の『 映 画 』( Picture, 1953)の 直 接
ピクチュア
的な影響を受けている。『 映 画 』は、『詩神の声聞こゆ』の 3 年前に出版された作品
で 、ス テ ィ ー ブ ン・ク レ イ ン( Stephen Crane, 1871-1900)の 南 北 戦 争 を 舞 台 に し た 小 説
『 赤 い 武 功 章 』( The Red Badge of Courage, 1895)の 映 画 製 作 現 場 に 取 材 し 、映 画 の 制
作 過 程 や 映 画 に 関 わ っ た 人 達 の 人 間 模 様 を 描 い た も の で あ る 123 。 ロ ス は 、 自 分 の 手 法
を「 小 説 と い う 形 態 を 借 り た 記 事 」、ま た は「 事 実 の 衣 を 着 た 小 説 」と 説 明 し て い る 124 。
カ ポ ー テ ィ は 、 ロ ス か ら 執 筆 方 法 を 詳 し く 聞 き 125 、 ロ ス の 手 法 を さ ら に 一 歩 進 め 、 小
説的な技法を付け加えた。つまり、面白い読み物になるように、事実にかなり手を加
え、出来事の時間的配列を変えたり、異なったエピソードを一つにまとめたり、効果
を高めるために新たなエピソードをつくり上げたり、実在の人物を何人か合成して新
し い 人 物 を つ く り 上 げ た り し た の で あ る 126 。 い わ ば 、 収 集 し た 事 実 に 小 説 風 の 形 式 と
構成を与えたのである。
ノ ン フ ィ ク シ ョ ン・ノ ヴ ェ ル に つ い て 、カ ポ ー テ ィ 自 身 は 、
『パリ評論』
( Paris Review)
の 初 代 編 集 長 の ジ ョ ー ジ・プ リ ン プ ト ン( George Plimpton, 1927-2003)の 質 問 に 答 え る
形で、次のように説明している。
It seemed to me that journalism, reportage, could be forced to yield a serious new
art form: the “nonfiction novel,” as I thought of it. …When I first formed my
theories concerning the nonfiction novel, many people with whom I discussed the
matter were unsympathetic. They felt that what I proposed, a narrative form that
employed all the techniques of fictional art, but was nevertheless immaculately
factual, was little more than a literary solution for fatigued novelists suffering
from “failure of the imagination.” Personally, I felt that this attitude represented a
“failure of the imagination” on their part. 127
55
私 に は 、ジ ャ ー ナ リ ズ ム や ル ポ ル タ ー ジ ュ は 、新 し い 真 摯 な 芸 術 形 式 を 生 み
出 す べ き で あ る よ う に 思 わ れ ま し た 。私 は そ れ を「 ノ ン フ ィ ク シ ョ ン・ノ ヴ
ェ ル 」と 考 え て い ま し た 。… … 最 初 、ノ ン フ ィ ク シ ョ ン・ノ ヴ ェ ル に つ い て
の 構 想 を 思 い つ い た と き 、大 勢 の 人 に 意 見 を 求 め ま し た が 、ほ と ん ど の 人 は
共 感 し て く れ ま せ ん で し た 。私 が 提 案 し た ア イ デ ィ ア 、つ ま り フ ィ ク シ ョ ン
の 技 術 を 駆 使 し た 物 語 風 の 構 成 で あ り な が ら 、中 身 は 完 全 な 事 実 と い う 形 式
は 、「 想 像 力 の 枯 渇 」に 悩 む 疲 れ た 小 説 家 に と っ て の 文 学 的 な 解 決 策 に し か
す ぎ な い ん で す 。私 と し て は 、こ う い う 態 度 こ そ「 想 像 力 の 枯 渇 」を 示 し て
いると感じました。
当時、ジャーナリズムは軽視されており、独創的でなく、新鮮味に欠けると批判され
て い た 。 カ ポ ー テ ィ は ジ ャ ー ナ リ ズ ム を 「 本 質 的 に は 一 つ の 芸 術 形 態 で あ る 」 128 と 見
なし、「ルポルタージュも、他の散文――エッセイ、短編小説、長編小説――と同じ
よ う に 、 高 尚 で 洗 練 さ れ た 芸 術 に な り 得 る 」 129 と 述 べ て い る 。 彼 は 、 ジ ャ ー ナ リ ス テ
ィックな手法は、真実味、映画の即時性、散文の奥行きの広さや自由さ、詩の的確性
などを含んだ、スケールの大きなものであると考えている。
続けてカポーティはノンフィクション・ノヴェル執筆の際に注意すべき点をいくつ
か挙げている。
My feeling is that for the nonfiction-novel form to be entirely successful, the
author should not appear in the work. Ideally. Once the narrator does appear, he
has to appear throughout, all the way down the line, and the I-I-I intrudes when it
really shouldn’t. I think the single most difficult thing in my book, technically,
was to write it without ever appearing myself, and yet, at the same time, create
total credibility…. It’s a question of selection, you wouldn’t get anywhere if it
wasn’t for that. I’ve often thought of the book as being like something reduced to
a seed. …I make my own comment by what I choose to tell and how I choose to
tell it. 130
ノ ン フ ィ ク シ ョ ン・ノ ヴ ェ ル の 形 式 で 完 全 な 成 功 作 と は 、著 者 を ま っ た く 感
56
じ さ せ な い も の で あ る べ き だ と 思 い ま す 。理 想 的 に は 。話 者 が い っ た ん 顔 を
出 し て し ま う と 、全 編 に 渡 っ て 存 在 し な け れ ば な り ま せ ん 。行 間 で 存 在 を 主
張 し 、私 、私 、私 と 実 際 に は そ う す べ き で な い と こ ろ で 出 し ゃ ば っ て 、邪 魔
に な り ま す 。私 の 本 で 技 術 的 に 唯 一 最 も 難 し か っ た の は 、い か に 自 分 を 出 さ
ず に 書 く か 、そ れ で い て 信 憑 性 を 損 な わ ず に い ら れ る か 、と い う 点 で し た …
… 。選 択 が 問 題 で す 。そ れ を し な け れ ば 、ど こ へ も 行 き 着 け ま せ ん 。私 は あ
の 本 で 余 分 な 物 を 切 り 詰 め 、種 子 の よ う に 凝 縮 し た も の に し た い と 考 え ま し
た 。… … 何 を 語 る か 、そ し て い か に 語 る か を 選 択 す る こ と で 、自 分 自 身 の 意
見を伝えるのです。
カポーティは、作者が作品の中へ顔を出してはならないことや、何を、いかに、語る
のかを選択することによって、自分の見解を示すべきだと主張する。さらに、「小説
のテクニックを完全に駆使できる作家のみが、ノンフィクションを芸術の域まで高め
る こ と が で き る 」 131 と 述 べ 、 「 ジ ャ ー ナ リ ズ ム は 常 に 水 平 の 面 を 動 い て 物 語 を 語 る の
に対して、フィクション、それも良いフィクションは、垂直に動いて性格や出来事の
奥深くまで読者を連れていく。実際の出来事でも、小説的技巧を持って扱えば、この
よ う な 統 合 を 果 た す こ と が 可 能 で あ る 」 132 と も 語 る 。 カ ポ ー テ ィ が 目 標 と す る 到 達 点
は、フィクションとノンフィクションという二つの分野の統合であった。新しい文学
は 「 最 も 基 本 的 な と こ ろ で 、 虚 構 の 形 で 表 現 さ れ た 事 実 と 関 わ り を 持 っ て く る 」 133 も
のだと彼は考えている。
結局、ノンフィクション・ノヴェルは、簡単に言えば、題材は事実を扱っているが
小説のように読めるものであると要約できる。小説空間を構築するために開発された
あらゆる手法を自由に駆使するが、その一方で事実をきちんと踏まえる物語形式であ
る。具体的には、題材を決め、取材を徹底的に行い、膨大なデータを収集し、集めた
データを再構築して、小説創作の際に用いる文学技巧、表現方法、構成などを利用し
て、現実の再現を行うということである。
カポーティは、ノンフィクション・ノヴェルという新しい文学ジャンルを創設した
のは自分自身であると自負しているが、事実をフィクションで包んだ作品は昔からあ
っ た 134 。 た と え ば 、 デ フ ォ ー の 『 ペ ス ト 日 記 』 ( A Journal of the Plague Year, 1722) 、
ア ー ネ ス ト ・ ヘ ミ ン グ ウ ェ イ ( Ernest Hemingway, 1899-1961) の 『 ア フ リ カ の 緑 の 丘 』
57
( Green Hills of Africa, 1935) 、 ア イ ザ ッ ク ・ デ ィ ネ ー セ ン ( Isak Dinesen, 1885-1962)
の 『 ア フ リ カ の 日 々 』 ( Out of Africa, 1937) な ど で あ る 135 。 『 冷 血 』 刊 行 以 前 に も 、
ノンフィクション・ノヴェルと呼ぶことが妥当な一連の作品がある。セオドア・ドラ
イ サ ー( Theodore Dreiser, 1871-1945)の 小 説『 ア メ リ カ の 悲 劇 』( An American Tragedy,
1925)や ジ ョ ン・ハ ー シ ー( John Hershey, 1914-93)の『 ヒ ロ シ マ 』( Hiroshima, 1946)
などの作品である。
『 冷 血 』刊 行 以 降 の も の と し て は 、ノ ー マ ン・メ イ ラ ー( Norman Mailer,
1923-2007)の『 死 刑 執 行 人 の 歌 』( The Executioner’s Song, 1979)、ジ ェ イ ム ズ・エ ル
ロ イ ( James Ellroy, 1948-) の 小 説 『 ブ ラ ッ ク ・ ダ リ ア 』 ( The Black Dahlia, 1987) と
『 ア メ リ カ ン ・ タ ブ ロ イ ド 』 ( American Tabloid, 1995) 、 ジ ョ イ ス ・ キ ャ ロ ル ・ オ ー
ツ ( Joyce Carol Oates, 1938-) の 『 ブ ロ ン ド 』 ( Blonde, 2000) な ど で あ る 136 。
『冷血』は、カポーティが主張するように、新しい文学ジャンルではないが、当時
の多くの読者には、新しい独創的な作品に見えたことは確かである。作家としての名
声が確立した一流の小説家が、長編のルポルタージュ作品執筆のために、時間と才能
と 名 声 を 賭 け た の は 、 カ ポ ー テ ィ が 最 初 で あ る と 、 ク ラ ー ク は 言 う 137 。
1959 年 11 月 16 日 付 け の『 ニ ュ ー ヨ ー ク・タ イ ム ズ 』( New York Times)紙 を 読 ん で
い た と き に 、 カ ポ ー テ ィ は 、 「 ア イ ゼ ン ハ ワ ー 時 代 の 委 員 殺 害 さ れ る 」 ( “Eisenhower
Appointee Murdered”) と い う 見 出 し に 眼 を 留 め る 138 。
I found this very small headline that read“ Eisenhower Appointee Murdered.” The
victim was a rancher in Western Kansas, a wheat grower who had been an
Eisenhower Appointee to the Farm Credit Bureau. He and his wife, and two of
their children had been murdered, and it was a complete mystery. …I suddenly
realized that perhaps a crime, after all, would be the ideal subject matter for the
massive job of reportage I wanted to do. I would have a wide range of characters,
and, most importantly, it would be timeless. …It had to be an event related to
permanent emotions in people. 139
私 は 、「 ア イ ゼ ン ハ ワ ー 時 代 の 委 員 殺 害 さ れ る 」と い う こ の 小 さ な 見 出 し に
気 が つ い た 。犠 牲 者 は 、西 カ ン ザ ス に 住 む 裕 福 な 小 麦 生 産 農 家 の 主 人 で 、ア
イ ゼ ン ハ ワ ー 時 代 に 農 業 貸 付 委 員 会 の 委 員 を 務 め て い た 。彼 と 妻 と 二 人 の 子
58
供 が 殺 害 さ れ た 。事 件 は 完 全 に 謎 で あ っ た 。… … お そ ら く 、結 局 、犯 罪 は 私
が望んでいたルポルタージュという大きな仕事の理想的な題材になるだろ
う 、と い う こ と に 私 は 突 然 気 が つ い た 。広 範 囲 に 渡 る 登 場 人 物 が 手 に 入 る だ
ろ う し 、よ り 重 要 な の は 、犯 罪 は 時 代 を 超 え て い る 。… … 理 想 的 な 題 材 は 人
間の不変な感情に関係のある出来事でなければならなかった。
カポーティは、「そうだ、これだ、この犯罪だ。クラッター事件。荷物をまとめてカ
ン ザ ス へ 行 き 、 何 が あ っ た の か 調 べ て み る の も 悪 く な い 」 140 と 考 え 、 こ の よ う な 事 件
を自分は長い間探し求めていたのだと悟る。
ク ラ ッ タ ー 事 件 は 、 1959 年 に ア メ リ カ 中 部 の カ ン ザ ス 州 ホ ル カ ム で 起 き た 農 場 主 ハ
ー バ ー ト・ク ラ ッ タ ー( Herbert Clutter)と 妻 ボ ニ ー( Bonnie)、16 歳 の 娘 ナ ン シ ー( Nancy)、
15 歳 の 息 子 ケ ニ ヨ ン ( Kenyon) の 一 家 4 人 が 惨 殺 さ れ た 事 件 で あ る 。 カ ポ ー テ ィ は 、
幼 な じ み の 小 説 家 ネ ル ・ ハ ー パ ー ・ リ ー ( Nelle Harper Lee, 1926-) 141 を 伴 っ て 、 こ の
事件にわずかでも関わりがあったと思われる人達全員に面会や調査を行った。また、
刑 務 所 に い る 二 人 の 犯 人 ペ リ ー・ス ミ ス と デ ィ ッ ク・ヒ コ ッ ク と も 手 紙 を 取 り 交 わ し 、
さらにインタヴューを繰り返した。執筆に先立って 3 年の歳月をかけて資料収集を行
っ た 。 事 実 関 係 の 調 査 に 6 年 を 費 や し 、 収 集 し た 資 料 は 6000 ペ ー ジ に も 及 ぶ 142 。
2
ゴシック小説のモチーフ
(1)舞台設定、登場人物
第 2 節 で は 、ゴ シ ッ ク 小 説 の 特 性 が『 冷 血 』に ど の よ う に 用 い ら れ て い る か を 探 る 。
この作品は、全米ミステリー作家協会のエドガー・アラン・ポー賞(実録犯罪部門)
を受賞したことからも明白なように、「手に汗を握る躍動感とサスペンスに満ちた犯
罪 小 説 で あ る 」 143 。 犯 罪 小 説 は ゴ シ ッ ク 小 説 か ら 派 生 し た サ ブ ジ ャ ン ル で あ る 。 ヴ ォ
スが指摘しているように、カポーティはゴシック的手法を駆使して『冷血』を構築し
て い る 144 。 た と え ば 、 こ の 作 品 に は 殺 人 、 逃 亡 、 捜 査 、 逮 捕 、 事 情 聴 取 、 裁 判 、 処 刑
が 描 か れ て い る 。そ の う え 、カ ポ ー テ ィ は『 冷 血 』に お い て 小 説 的 手 法 だ け で は な く 、
映画の脚本執筆の際に学んだ、対照的な場面を交互に入れるインターカット、過去の
情景を現在の場面に現出させるフラッシュ・バック、対象のクローズ・アップなどの
映 画 的 手 法 も 、 取 り 入 れ て い る 145 。
59
客 観 性 を 保 ち 、対 象 と 距 離 を お く こ と が 必 要 で あ る と 考 え た カ ポ ー テ ィ は 、『 冷 血 』
に お い て 三 人 称 の 作 者 全 知 の 語 り を 用 い て い る 146 。 『 冷 血 』 は 、 第 1 章 「 生 き た 彼 ら
を最後に見た者」
( “The Last to See them Alive”)、第 2 章「 身 元 不 詳 の 加 害 者 」
( “Persons
Unknown”)、第 3 章「 解 答 」( “Answer”)、第 4 章「 コ ー ナ ー 」( “The Corner”)の 4
つ に 分 か れ て い る 。そ れ ぞ れ の 章 は 、さ ら に 、10 行 か ら 25 頁 、最 も 多 い の は 3 頁 か ら
10 頁 に 渡 る 、長 さ は 様 々 な 85 個 の セ ク シ ョ ン に 分 け ら れ て い る 。第 4 部 で は 、数 十 回
の場面転換により、自分達が殺害されるとは夢にも思っていないクラッター一家の平
穏な日常生活とペリーとディックが東カンザスから徐々にクラッター一家の住む町に
近づいてくる様子を交互に対比的に描き、何が起きるかを知っている読者の不安感と
恐怖感を煽る。リードは、この対比を対位法と呼び、肯定的で幸運で生産的なクラッ
ター家と否定的で不運で非生産的なペリーとディック二人の人生が対比されていると
指 摘 し て い る 147 。 ク ラ ッ タ ー 家 の 四 人 と ペ リ ー と デ ィ ッ ク の 二 人 組 は 、 大 量 殺 人 現 場
となるクラッター一家の屋敷で交差し、恐怖は最高潮に達する。第2部では、視点を
犯 人 と 警 察 官 と の 間 で 頻 繁 に 変 え 148 、 警 察 の 捜 査 状 況 と 犯 人 達 の 逃 避 行 を 交 互 に 描 く
ことによって、緊迫感を高めている。
『冷血』におけるゴシック小説的な要素としては、不安感、恐怖感が漂う雰囲気、
恐 怖 と サ ス ペ ン ス を 煽 る 大 量 殺 人 と い う 題 材 、犯 人 の 一 人 ペ リ ー・ス ミ ス の 人 物 造 形 、
グ ロ テ ス ク な 登 場 人 物 、同 性 愛 的 関 係 、追 う 者 と 追 わ れ る 者 の モ チ ー フ が 挙 げ ら れ る 。
ペリーとディックの犯人二人は全く見ず知らずの一家四人を惨殺する。善良な一家の
不条理な死。これだけでも恐怖とサスペンスを煽るのに十分である。
カポーティは、クラッター一家の殺害現場を詳細に記述する。ある晩、プレーリー
の風が吹き渡る中、エルムの木の並木道を通って、殺人者達がクラッター家に近づい
てくる。後に弁護士がショットガンとナイフと呼ぶ凶器を用いて、殺人者達はクラッ
ター家の四人を殺害し、血だまりとほこりの中に足跡を残していく。惨殺場面に関す
る記述が幾重にも繰り返しなされる。一人ひとりがどのようにして殺害されたのか、
克明な殺害の状況が長々とリアルに描かれ、さらに、娘のナンシーの友人やクラッタ
ー家の使用人などに、それぞれの立場から事件当時の様子や遺体の状況について多面
的に説明させる。ペリーとディックの逮捕後の事情聴取の記録から、犯行場面につい
ての詳細な引用がなされている。犯人のペリー自身が殺害時を思い出して、次のよう
に語る。
60
…blue light exploding in a black room, the glass eyes of a big toy bear― and
when voices, a particular few words, started nagging his [Perry’s] mind: “Oh, no!
Oh, please! No! No! No! No! Don’t! Oh, please don’t, please!” And certain
sounds returned― a silver dollar rolling across a floor, boot steps on hardwood
stairs, and the sounds of breathing, the gasps, the hysterical inhalations of a man
with a severed windpipe. 149
……真っ暗な部屋の中できらめく強烈な青い光、大きなぬいぐるみの熊の
ガラスの目玉──そして声が、特定のいくつかの言葉が、彼[ペリー]の
心 を な ぶ り 始 め る ― ─「 あ あ 、や め て ! お 願 い ! い や ! い や ! い や ! い や !
やめて!ああ、やめてちょうだい、お願いだから!」そしてある種の物音
がよみがえってくるのだ―─床の上を転がる 1 ドル銀貨、堅木の階段を歩
く靴音、そして呼吸の音、喘ぎ、喉笛を切り裂かれた男のヒステリックな
息の音。
闇の中で光る青い光、悲鳴、息づかい、まさに犯罪小説の一場面の生々しい衝撃的な
描写である。
ゴシック小説には、朽ち果てた城の地下牢や崩れ果てた屋敷の一室への監禁が頻出
する。
『 冷 血 』に お い て 、恐 怖 を 呼 び 覚 ま す 建 造 物 は 、カ ン ザ ス 州 立 刑 務 所( Kansas State
Penitentiary)で あ る 。州 立 刑 務 所 は 1864 年 に 建 造 さ れ た 古 風 な 建 物 で 、英 国 風 の 小 塔
の つ い た 城 塞 の よ う な 建 物 で あ る 150 。
The oldest of the prison is the Kansas State Penitentiary for Men, a turreted
black-and-white palace that visually distinguishes an otherwise ordinary rural
town, Lansing. Built during the Civil War, it received its first resident in 1864.
…In a south section of the prison compound there stands a curious little building;
a dark two-storied building shaped like a coffin. (309)
中 で も 最 も 古 い の は 男 子 用 の カ ン ザ ス 州 立 刑 務 所 だ 。監 視 塔 を 供 え た 白 と 黒
の お 城 の よ う な 建 物 は 、あ り ふ れ た 田 舎 町 の ラ ン シ ン グ を 、他 か ら 際 立 た せ
61
る 特 徴 と な っ て い る 。 刑 務 所 は 南 北 戦 争 中 に 建 設 さ れ 、 1864 年 に 最 初 の 入
所者を迎えた。……刑務所構内の南側に、一風変わった小さな建物がある。
柩に似た形の黒い二階建ての建物である。
ペリーとディックに死刑判決が下り、二人がカンザス州立刑務所に送られて以降の刑
務所の描写は詳細なものである。二人は 4 月の午後遅く、武装した護送の係官に伴わ
れて、雨の黄昏の中を柩形の建物へと進み、螺旋階段を上がり、ランシングの死刑囚
用 の 独 房 を 構 成 す る 12 の 独 房 の う ち の 二 つ に 入 る 。刑 務 所 の 中 の 刑 務 所 と な っ て い る
隔 離 棟 が 、「 柩 に 似 た 形 」と 形 容 さ れ て い る の は 不 吉 な 感 じ で あ る 。通 称「 穴 」( The
Hole) と 呼 ば れ る 一 階 に は 、 扱 い に く い 犯 罪 者 達 が 送 り 込 ま れ て い る 。 二 人 が 収 容 さ
れ た 死 刑 囚 の 独 房 が あ る 二 階 は 「 死 の 独 房 」 ( Death Rows) と 呼 ば れ て い る 。「 倉 庫 」
( warehouse) や 「 隅 っ こ 」 ( Corner) と 呼 ば れ る 絞 首 台 が あ る 処 刑 室 は 、 彼 ら の 独 房
の す ぐ 近 く に あ る( 309)。「 死 の 独 房 」に 入 れ ら れ た 者 は 死 を 待 ち 受 け 、孤 独 と 闘 い
ながら日々を過ごす。
『冷血』では、明らかにペリーを主人公として描いている。ペリーは、あたかもゴ
シ ッ ク 小 説 の 主 人 公 の よ う に 波 瀾 万 丈 の 前 半 生 を 送 る 151 。 彼 の 人 生 は 、 両 親 の 離 別 、
孤 児 院 で の 虐 待 、 相 次 ぐ 家 族 の 不 幸 な ど に 彩 ら れ て い る 。 ペ リ ー は 、 1928 年 10 月 27
日に、ネバダ州で、西部を巡業するプロのロデオ・パフォーマーの両親のもとに生ま
れ る ( 225) 。 父 は ア イ ル ラ ン ド 系 、 母 は ア メ リ カ 先 住 民 の チ ェ ロ キ ー で あ る 。 彼 が 5
歳頃、両親の仕事が上手くいかなくなり、両親は別れる。母はペリーを連れてサンフ
ラ ン シ ス コ に 行 く 。 こ の 頃 か ら 、 ペ リ ー は 盗 み や 家 出 を 繰 り 返 す 。 10 歳 を 過 ぎ て か ら
は、カトリックの孤児院や少年院に入れられるが、腎臓疾患のために夜尿症を患い、
孤児院の尼僧や少年院の保母に鞭や懐中電灯で打たれたり、冷たい浴槽に入れられた
り 、ひ ど い 虐 待 を 繰 り 返 し 受 け る( 226)。孤 児 院 を 逃 げ 出 し 、父 の も と に 行 き 、ト レ
ーラーハウスで放浪する。朝鮮戦争に従軍し、帰還する。
カポーティの筆は、ペリーとディックをグロテスクに、ぞっとするような奇怪な人
物 と し て 描 く 152 。 ペ リ ー は 、 オ ー ト バ イ 事 故 で 足 の 一 部 を 欠 損 し 、 「 12 歳 の 少 年 の 背
丈ほどもなく、上に乗っかっている大人の体躯に対してグロテスクなほど貧弱に見え
る 発 育 不 良 な 脚 」 ( 15) を し て い る 。 相 棒 の デ ィ ッ ク は 、 十 代 の 頃 に 起 し た 車 の 衝 突
事故により、顔が左右非対称になっている。
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It was as though his head had been halved like an apple, then put together a
fraction off centre. …the imperfectly aligned features were the outcome of a car
collision in 1950― an accident that left his long-jawed and narrow face tilted, the
left side rather lower than the right, with the results that the lips were slightly
aslant, the nose askew, the left eye being truly serpentine, with a venomous,
sickly-blue squint although it was voluntarily acquired seemed nevertheless to
warn of bitter sediment at the bottom of his nature. (31)
ま る で リ ン ゴ を 二 つ に 割 っ て 、そ れ か ら 中 心 を ち ょ っ と ず ら し て 、く っ つ け
合 わ せ た よ う に 見 え る 。 … … 不 揃 い の 造 作 は 、 1950 年 の 衝 突 事 故 の 結 果 だ
っ た ― ― そ の 事 故 で 、顎 の 突 き 出 し た 細 長 い 顔 が 傾 き 、左 側 が 右 側 よ り 心 持
ち 低 く な っ た 。そ れ に 伴 っ て 、唇 は や や 斜 め に な り 、鼻 は 歪 み 、左 右 の 目 は
高 低 が 異 な る だ け で は な く 、大 き さ ま で も が 違 っ て し ま っ た 。そ し て 、左 目
は ま さ に 蛇 を 思 わ せ た 。毒 々 し く 病 的 な 青 み を 帯 び た そ の 目 を 細 め て 見 つ め
ら れ る と 、本 人 に そ の つ も り は な く て も 、本 性 の 底 に 憎 悪 の 澱 が 沈 ん で い る
と告げられるようだった。
ディックは自分では普通だと思っているが、彼はバイ・セクシャルで小児性愛者的傾
向 を 持 つ 153 。 ペ リ ー は デ ィ ッ ク と 知 り 合 っ て 、 殺 人 、 逮 捕 、 投 獄 、 と 転 落 し て い く 。
ペリーの家族は、相次ぐ不幸に見舞われている。母はひどいアルコール中毒の末、
自 ら の 吐 瀉 物 で 窒 息 死 。兄 ジ ミ ー( Jimmy)は 異 常 な 嫉 妬 心 か ら 、妻 を 自 殺 に 追 い や り 、
自 ら も 自 殺 す る 。姉 フ ァ ー ン( Fern)は ホ テ ル の 窓 か ら 飛 び 降 り 、自 殺 と も 取 れ る 転 落
死 を 遂 げ て い る 。兄 弟 の 中 で 唯 一 ま と も な 生 活 を し て い る の は 、姉 バ ー バ ラ( Barbara)
だ け で あ る( 110)。彼 女 は 、庭 で 不 思 議 な 霧 を 目 撃 し「 そ れ は 魂 の 集 ま り ― ― 母 さ ん
の 、ジ ミ ー の 、そ し て フ ァ ー ン の 魂 ― ― だ っ た の か も し れ な い 」( 187)と 、自 分 の 家
族の不幸に思いを馳せる。
悲惨な子供時代を過ごしたペリーは、自分はどこか狂っていると認識しており、そ
れは自分自身の欠点というよりは「おそらく生まれ出たときから背負わされているも
の 」( 110)で あ る と 理 解 し て い る 。ペ リ ー に は 、「 無 頭 の 鷹 」の ヴ ィ ン セ ン ト( Vincent)
や「 最 後 の 扉 を 閉 ざ せ 」の ウ ォ ル タ ー( Walter)達 な ど 、カ ポ ー テ ィ の ゴ シ ッ ク 小 説 の
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登場人物と類似する心の闇がある。心の闇とは、自己愛と自己嫌悪の葛藤、自責の念
の な さ 、他 者 へ の 破 壊 衝 動 で あ る 。ペ リ ー は 生 涯 、自 己 愛 と 自 己 嫌 悪 の 葛 藤 に 苦 し む 。
ペリーは時間を潰す方法として、鏡を覗き込むという行動をよく取るが、その様子は
失神状態にでも陥っているかのようで、彼は自分自身の顔の虜になっている。この姿
は、第1章で見た『遠い声、遠い部屋』のランドルフのようである。ランドルフも鏡
への執着心があり、ナルシスティックな一面を持つ。
ペリーは、父とトレーラー生活をするようになり、普通の子供達のように学校教育
を受けられなかったが、自分の秘めた才能である音楽や絵を独学で学び、芸術的な才
能に自負心を抱いているが、その反面、才能があるゆえに、しばしば激しい自己嫌悪
に襲われる。自責の念のなさは、犯罪後の彼の姿が証明している。心の闇を抱えたペ
リーは、ヴィンセントやウォルターらのように、自己のアイデンティティを見出すこ
とができず、結局殺人犯として悲劇的な最後をたどる運命にある。
(2)同性愛的関係
ゴシック小説には同性愛的関係が頻出するが、『冷血』においても例外ではない。
1966 年 の イ ン タ ヴ ュ ー で 、 プ リ ン プ ト ン が カ ポ ー テ ィ に 、 ペ リ ー と デ ィ ッ ク の 間 に 性
的な関係があったと思うかと尋ねたとき、カポーティは同性愛的関係を否定した。し
かしカポーティ自身もプリンプトンも、ペリーとディックの間に性的関係がなかった
と い う カ ポ ー テ ィ の 発 言 を 信 じ て は い な か っ た 154 。 先 に 指 摘 し た よ う に 、 1960 年 代 中
葉のアメリカ社会は、同性愛的関係がなかったとカポーティが否定するのを要求して
い た の で あ る 。 1960 年 代 の ア メ リ カ に お い て は 、 依 然 と し て 同 性 愛 的 関 係 を 表 沙 汰 に
してはいけないことになっていたのは、先に指摘した通りである。当時の社会的、文
化的環境を熟知していたカポーティは、『冷血』をベストセラーのリストに載せたい
と願っており、ペリーとディックの同性愛的側面に対しては沈黙を守った。
『冷血』においては、同性愛的な関係は重要な役割を果たしている。『冷血』にお
いて、犯罪と処罰がメイン・プロットだとすれば、同性愛的関係は、表面上には浮上
してこないサブ・プロットとなっている。この作品には、二つの同性愛的関係が潜ん
でいる。一つはペリーとディックの関係であり、もう一つはペリーとカポーティの関
係である。ペリーとディックの関係をさり気なく、しかし明快に仄めかす前に、カポ
ー テ ィ は 、同 性 愛 を 示 唆 す る エ ピ ソ ー ド を い く つ か 忍 ば せ て い る 。ペ リ ー は 16 歳 の 頃
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に 商 船 隊 の 隊 員 と し て 船 に 乗 る こ と に な っ た が 、そ の 船 に は「 女 性 役 の 男 性 同 性 愛 者 」
( queen)達 が 多 数 乗 り 込 ん で い て 、ペ リ ー 同 様 、無 垢 な 少 年 は 彼 ら の 格 好 の 餌 食 と な
る運命にあった。ペリーは何とか対処するが、その後、朝鮮戦争が勃発し、軍務に就
く 。朝 鮮 に 駐 留 し て い た と き に も 同 じ 問 題 が 生 じ る 。ペ リ ー は 4 年 間 ま じ め に 勤 務 し 、
優秀な軍歴を残したが、彼の上官の軍曹が同性愛者で、ペリーが軍曹の欲求に応じな
か っ た た め に 、 昇 進 で き な か っ た と い う エ ピ ソ ー ド が 語 ら れ る ( 109-10) 。 ペ リ ー は 、
「ホモの中にも好ましいと思える奴はいないわけではなかったから。向こうが何もし
ない限りは。これまでで一番大事な友達、本当に繊細で知的な友達がホモだったとい
う こ と も あ っ た ん だ 」( 110)と 語 る 。こ の ペ リ ー の 発 言 は 、同 性 愛 者 と し て の 自 己 正
当化にも見えるし、カポーティの代弁をしているようにも見える。
さらには、ペリーがラスヴェガスにある古い下宿に住んでいたとき、同じ下宿の黒
人男性がいつも部屋の扉を開け放して裸でベッドに横たわっていたという逸話が語ら
れ る ( 91) 。 こ の 逸 話 は 、 カ ポ ー テ ィ の 原 稿 の 下 書 き で は も っ と 赤 裸 々 な 表 現 が 使 わ
れ て い る 155 。
そして、ペリーのディックに抱く憧れにもその片鱗が垣間見られる。ペリーは、共
犯のディックの抜け目のない現実主義的、実践的な生き方に男らしさを感じ、彼に憧
れている。ディックはペリーと違って芸術的な天分は持ち合わせていないが、ペリー
は 、 外 見 的 に 不 死 身 で タ フ な 「 た く ま し い 男 性 」 ( 16) を 思 わ せ る デ ィ ッ ク に 、 い つ
しか憧れ始める。ペリーはディックが自分に注目するようにと、昔、黒人男性を殺し
たことがあるという、虚実入り交じった自慢話をする。
When he’d [Perry had] told Dick that story, it was because he’d wanted Dick’s
friendship, wanted Dick to “respect” him, think him “hard,” as much “the
masculine type” as he had considered Dick to be. (111)
彼[ペリー]がディックにあの話をしてやったのも、ディックの友情を求
めたからであり、ディックが自分を「尊敬」し、自分を「たくましい」男
と考え、ディックがそうだと彼が考えたように「男性的」な人間だと考え
てくれることを望んでいたからである。
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カポーティは、「憧れ」、「友情」、「尊敬」、「たくましさ」などという言葉を用
いて、同性愛的感情を仄めかしている。ペリーは事故の影響で下半身こそ小柄である
が、上半身はボディビルダーのように鍛え上げられており、外見的にはたくましい男
性に見える。しかし、ペリーが理想とした男らしさというのは内面的なもので、ディ
ックに度胸が据わっていると評価されることであった。殺人の話を聞いて、ディック
はペリーを「非凡で貴重な資質の持ち主」であると評価する。ペリーは、ディックが
ペリーに無いものを持っていること、すなわち、夫であり父であった経験があること
を素直に羨んでいる。ディックは二度結婚し、二度とも離婚したが、三人の息子の父
親になっている。ペリーは、「妻を持ち、子を持つ――その経験は……男として持た
な け れ ば な ら な い 経 験 」 ( 98) で あ る と 感 じ る 。 ペ リ ー が た く ま し い 男 性 に 憧 れ る き
っかけとなったのは、目下は仲違いしてはいるが、父親の生き方にあったのではない
かと思われる。ペリーの父はペリーを連れてワイオミング、アイダホ、オレゴン、ア
ラスカを旅し、自然の厳しさの中で生きていく知恵を息子に与える。ペリーの姉バー
バ ラ は 、父 は 不 屈 の 精 神 の 持 ち 主 で 、「 本 当 の 男 」( 183)と 言 え る 人 物 で あ っ た と 言
う。父の姿は、ペリーの中では、ディックと重なる。ディックがペリーに、埋もれた
宝物の夢など忘れるべきだと説教したとき、ペリーは「強靱で完全に男らしくて、実
際 的 で 、決 断 力 の あ る デ ィ ッ ク が 自 分 を 指 図 す る ボ ス に な っ て も よ い 」
( 124)と 思 う 。
ディックは「俺はまったくの無学文盲だが、人生については、ちょっと知っているん
だ 」( 333)と 自 分 を 評 価 し 、そ の デ ィ ッ ク の 世 慣 れ た 物 腰 、世 俗 的 な 知 恵 、た く ま し
さ、強靱さ、決断力、男らしさにペリーは惹きつけられている。
実 際 に 、 ペ リ ー を 同 性 愛 的 関 係 に 引 き 入 れ た の は 、 デ ィ ッ ク で あ る と 思 わ れ る 156 。
ディックのほうがペリーよりもはるかに世間を知っていること、ディックのほうがペ
リーに話しかけるときに「ハニー」とか「シュガー」、「ベイビー」などの「かわい
い 人 、 大 事 な 人 」 を 意 味 す る 言 葉 を 頻 繁 に 使 用 し て い る か ら で あ る 157 。 デ ィ ッ ク は 、
「進んでペリーに言い寄り、お世辞を言い、たとえば埋もれた財宝の話を信じるふり
を し た 」 ( 55) と 描 か れ て い る 。 こ の 描 写 は 、 デ ィ ッ ク が ペ リ ー に 性 的 関 係 を 迫 っ た
こ と を 暗 に 示 唆 し て い る 。 ペ リ ー は 、 裸 の デ ィ ッ ク の ス ケ ッ チ を 描 い て い る が 158 、 こ
のことはある時点でペリーがディックを受け入れたことを示している。ペリーは「性
的 に 自 己 抑 制 の で き な い 人 間 は 尊 敬 で き な い 」( 202)と 述 べ て い る よ う に 、小 児 性 愛
者でもあるディックがナンシーに乱暴しようとしたときは本気で怒りをあらわにする。
66
ペリーはディックを男らしさから憧れを抱く反面、性的に抑制が効かない点において
は軽蔑している。
クラッター一家殺人事件の間接的な動機は同性愛的関係にある。カポーティは、二
人が殺人を犯すに至った原因を、一つは同性愛者同士の喧嘩から殺害に至ったという
衝動に、もう一つはペリーが少年時代に負った外傷性障害に帰している。衝動と外傷
性障害という解釈には、カポーティのペリーに対する同情が垣間見られる。このこと
を実証するために、カポーティは、ペリー本人、刑事のアルヴィン・アダムズ・デュ
ー イ 、元 カ ン ザ ス 州 刑 事 施 設 長 の チ ャ ー ル ズ・マ カ テ ィ ー( Charles McAtee)の 発 言 を
引用している。クラッター一家殺人は、完全に犯人二人の間での心理的な事故、すな
わち二人の間の喧嘩が原因で生じたものであるという裁判での証言にカポーティは注
目する。ペリー自身は、「あの人[ハーブ・クラッター]を傷つけたくなかった。彼
はとても立派な紳士だと思った。物言いが穏やかで。あの人の喉をかっ切る瞬間まで
そ う 思 っ て い た 」( 201)と 言 う 。こ の 言 葉 は 、二 人 が 衝 動 的 に 大 量 殺 人 を 犯 し た こ と
を示している。刑事のデューイも、二人は強盗に押し入る前は実際殺すつもりはなか
ったのだが、二人の間での些細な諍いをきっかけに突発的に殺害に至ったのだと考え
る 。デ ュ ー イ は「 被 害 者 は 雷 に 打 た れ て 死 ん だ も 同 然 で あ っ た の だ 」( 245)と 、大 量
殺人を運の悪い突発事故のように解釈している。
マカティーは、ペリーとクラッター氏の関係を次のように述べる。
“I think those two personalities, Herb Clutter and Perry, sort of fed off one
another. Perry saw in Herb Clutter everything that he’d ever wanted in a father
and didn’t have― a home, stability, a family. I think he loved him and hated him.
I believe Perry, in effect, killed his father. Perry’s quote in In Cold Blood is: “I
liked the man; I really did. I liked him right up to the minute I cut his throat.” 159
ハーブ・クラッターとペリーという二人の人格についてよく考えるんだ。
あの二人は補い合う存在だ。ペリーにとって、ハーブ・クラッターは父親
に望んでも得られなかったすべてを体現していた──家、安定、家族。彼
を愛すると同時に憎んでもいたんだと思う。いわば、ペリーは自分の父を
殺したんだ。『冷血』にはペリーのこんなセリフがある。「あの男は好き
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だった。とても。彼の喉を切り裂くその瞬間まで好きだった」
嫉妬心が人一倍強いペリーにとって、望んだものが得られる人間に対しては、羨望と
いう感情を超え、憎しみの対象となってしまう。ペリーの人生には父の存在が大きく
影響しているため、クラッター氏に理想の父親像を思い描く。無縁であったと思われ
る 被 害 者 と 加 害 者 の 間 の 接 点 で あ る 。ペ リ ー は 自 分 の 人 生 に 、何 一 つ 満 足 し て い な い 。
才能を活かすチャンスを与えてもらえず、学校教育を受けられなかったという思いが
ペリーの心の中に常に存在し、彼が望むものを手にしている者に対しては激しい嫉妬
心を抱く。ペリーは「欲しいものが何一つ手に入らなかった」アメリカ社会の底辺に
生 き る 人 々 を 代 表 し て い る と 言 え る だ ろ う 160 。 逃 亡 中 に 持 ち 歩 い て い た 「 が ら く た 」
の よ う な 彼 の 所 有 物 は 、「 そ の 持 ち 主 と 彼 の 寂 し い 、い じ け た 生 活 」( 178)を 示 唆 し
ている。
クラッター事件は、刹那的で衝動的な、通り魔的犯行のようなものだとカポーティ
は主張しようとしているが、一方アメリカ社会の貧富の格差が生み出した事件と捉え
ることもできる。カポーティはそのことを十分に承知しており、アメリカ社会の問題
を象徴する題材であるからこそ描いたのであると述べている。
Going about its peaceful pursuits in Holcomb is one America― prosperous, secure,
and a little smug. Along with his many good qualities, Herb Clutter is rigid and
self-righteous;…. Speeding across the plains is the other America― poor, rootless
and misbegotten. “Transient hearts,” Randolph prophetically named such people
in Other Voices; envy and self-pity are their only legacies, violence their only
handiwork. Together, victims and killers are America in microcosm― light and
dark, goodness and evil. 161
ホルカムの平和そのものの営み、裕福で、安全で、ちょっとばかり気位の
高いアメリカの一つの姿だった。ハーブ・クラッターには良い資質がたく
さんあったが、同時に厳しく、独善的なところがあった……。大平原を疾
駆していたのはもう一つのアメリカの姿――貧しく、住所不定の、出来損
ないのアメリカである。『遠い声』の中でランドルフはそのような人間を
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「移ろいやすい心の持ち主」と予言した。彼らの唯一の遺産は羨望と自己
憐憫であり、暴力が唯一の手仕事である。被害者と殺人者の両方がアメリ
カの縮図だった――光と闇、善と悪なのだ。
ク ラ ッ タ ー 氏 も ペ リ ー も ア メ リ カ の 象 徴 で あ る こ と が 浮 き 彫 り と な っ て い る 162 。 ク ラ
ッター氏は独善的な面があったからこそ成功者に上り詰めることができた。その栄光
の陰に潜む、ある意味で人間的な彼の顔に気づかず、嫉妬に燃えたペリーやディック
は成功者という目先の虚像に踊らされ、犯行に及んだとも言える。
犯罪小説では、しばしば犯罪の動機を過去の出来事に探し求める。その意味では、
外傷性障害はまさに動機としては十分である。外傷性障害に関しては、ペリーはハー
ブ・クラッターを殺害しようとしたとき、今までの自分の不運な人生を思い起こし、
犯罪に及んだという解釈である。ペリーが殺害しようとしていたのは、目の前にいる
ハーブ・クラッター自身ではなく、過去に彼にひどい仕打ちをした尼僧、保母、商船
隊の乗組員、軍隊の上司など数多くの人生上の敵である。クラッターはいわば彼らの
身代わりとして殺害されたのだ、という裁判での精神科医の証言をカポーティは詳細
に 引 用 し て い る( 302)。カ ポ ー テ ィ は 、警 察 小 説 で し ば し ば 描 か れ て い る よ う に 、殺
人事件を詳細に検討し、殺人の動機を見出し、犯人達の心理を分析する。
このように、ゴシック小説の主要なモチーフである同性愛的関係が、そして子供時
代 の ト ラ ウ マ が 、実 は 殺 人 の 遠 因 に な っ て い る こ と を 見 て き た 。同 性 愛 的 関 係 は 、『 冷
血』に描かれているペリーとディックだけではなく、実はカポーティとペリーの関係
もまたそうである。二人の関係は、ノンフィクション・ノヴェルと銘打った『冷血』
の創作そのものに、大きな影響を与えることになる。この点に関しては、本章の結論
部分で扱う。
(2)追う者と追われる者の関係
第1章でも見たように、追う者と追われる者の関係は、読者にスリルを与える効果
を持つため、ゴシック小説ではしばしば描かれる。『冷血』において、追う者と追わ
れ る 者 の 関 係 は 、加 害 者 と 被 害 者 、警 察 と 犯 人 、死 刑 と 犯 人 と い う よ う に 、3 種 類 描 か
れている。
ま ず 、加 害 者 の ペ リ ー と デ ィ ッ ク の 二 人 組 と 被 害 者 の ク ラ ッ タ ー 一 家 を 見 て み よ う 。
69
先に述べたように、『冷血』では、追う者である加害者と追われる者である被害者を
交互に描くことによって、緊張感を醸し出し、効果を上げている。事件が起きるまで
の作品前半部分では、クラッター家の平穏な日常と犯人側の何気ない日常が交互に描
かれる。最初は両者の間に何ら接点が見受けられないのだが、ちょっとした日常品の
描写で、いずれ起きる殺人を示唆し、殺人への伏線を張る。たとえば、ペリーとディ
ッ ク が 乗 っ て い る 1949 年 型 の シ ヴ ォ レ ー の 黒 い セ ダ ン の 中 に 、ペ リ ー の ギ タ ー が あ り 、
そ の 傍 ら に 12 口 径 の ポ ン プ ア ク シ ョ ン の 散 弾 銃 、懐 中 電 灯 、魚 釣 り 用 の ナ イ フ 、革 手
袋 、 弾 薬 の 一 杯 詰 ま っ た 狩 猟 用 チ ョ ッ キ が 置 い て あ る ( 22) と 描 写 さ れ る 。 散 弾 銃 と
ナイフは、交わることがないはずの互いに何の関係もない被害者と加害者が徐々に接
近していき、ある地点で交わることを示している。
小説の後半部分では、犯人達の逃亡と警察側の追跡が描かれる。小説の最初で、被
害者を追う立場にあったペリーとディックの犯人達は、ここから追われる側となり、
追い詰められていく。しかし、追う立場にある警察側も、犯人逮捕が行き詰まりを見
せ る 中 、 精 神 的 に 追 い 詰 め ら れ て い く 様 も 描 か れ る 。 警 察 側 と い う の は 、 19 人 の 捜 査
官のことであるが、厳密に言うと刑事のデューイである。彼は『冷血』の主要人物の
一 人 で あ る 。 47 歳 の 長 身 で ハ ン サ ム な 刑 事 で 、 カ ン ザ ス 州 捜 査 局 で 捜 査 を 取 り 仕 切 っ
ている。犯罪小説、警察小説の主人公とでもいうべき存在である。彼は経験豊かで、
クラッター家殺害事件のような難事件を担当するだけの力量を十分に備えている捜査
官である。一見すると動機も手掛かりも見つからない事件を解決しようとするが、時
間だけが無情にも過ぎていき、自分が犯人だと言う偽者や愉快犯達の出現によって、
捜査妨害が多々起こり翻弄される。また、恐怖に怯える住人達から「まだ捕まえない
のか」と怒りの声がぶつけられる。「お前が今度また保安官に立つようなことがあっ
た ら 、俺 の 票 は 忘 れ る こ と だ な 」( 150)な ど と 罵 声 を 浴 び せ ら れ る こ と も し ば し ば で
ある。デューイは、心身ともに憔悴していく。ようやく靴跡と重要な証言を入手する
までに至るが、わずかな手掛かりだけでは犯人逮捕に至る自信も持てない。焦りとス
トレスばかりが募っていく姿が描かれている。ついに、犯人のペリーとディック逮捕
に よ り 、追 う 者 と 追 わ れ る 者 の 関 係 で あ っ た 警 察 側 と 犯 人 側 が 、逮 捕 現 場 で 交 差 す る 。
小説の結末部では、死刑囚が「死」に追われる様が描かれる。死に追われる側であ
るペリーとディックは、完全に追い詰められる。死刑判決が下され、カンザス州立刑
務所に送られてきてから死刑が執行されるまでの丸 5 年間、ペリーとディックは毎日
70
を怯えて過ごす。ディックは自分を愛してくれる家族が面会に来てくれ、持ち前の社
交性から他の死刑囚と友達になることもでき、他の死刑囚仲間と運命を共にしている
という感覚から、自分に迫ってくる「死」を受け入れる。最終的には死刑についても
賛成の意を示し、死刑という手段を用いて被害者遺族が自分に復讐することを悪いと
は 思 っ て い な い と 語 る( 335)。彼 は 、死 刑 執 行 直 前 に「 今 の 私 に は 何 の 苦 し み も な い
……あんた方はこの現世よりも幸福な世界へ私を送ってくれようとしているんだか
ら 」( 339)と い う 言 葉 を 残 す 。こ の 言 葉 か ら は 、た だ 死 刑 執 行 の た め だ け に 生 か さ れ
ているような日常よりも死のほうが幸福であると感じていることを示している。
一方、ペリーには訪問する家族もなく、他者に対して嫉妬心を抱くといった複雑な
葛 藤 が あ る が ゆ え に 、自 ら を 孤 独 へ と 追 い や る 。彼 は 、死 刑 と い う 現 実 を 頑 な に 拒 む 。
「死」に追い詰められるよりは、自ら死ぬことを選ぼうとする。当初から「なぜ私は
見知らぬ人間どもの間で死ななきゃいけないのかわからない。……その前に自分の手
で 命 を 断 つ べ き だ ろ う ね 」( 291)と 考 え て お り 、死 刑 に 関 し て「 こ ん な や り 方 で 命 を
奪うなんてひどいと思っています。道徳的にも法律的にも、死刑に意味があるとは信
じ ま せ ん 」( 340)と 述 べ て い る 。完 全 に 追 わ れ る 立 場 と な っ た と き 、追 い 詰 め ら れ て
いく焦りからか、追われる立場の死刑囚を追う死刑、すなわち「死」に対する受け入
れ方の違いが浮き彫りになる。カポーティは、ペリーとディックに直接会いに「死の
独房」へ何度も足を運んだことでそのことに気づく。
He [Capote] spent long hours with them [Perry and Dick] as they waited to be
hanged; he shared their emotions. It was a life totally alien to anything he had
ever undergone, and he told Playboy, “I came to understand that death is the
central factor of life. And the simple comprehension of this fact alters your entire
perspective….” 163
彼ら[ペリーとディック]が絞首刑を待つ間、彼[カポーティ]は彼ら
と長い時間一緒に過ごした。彼らと感情を共にした。それは彼がこれまで
に経験したものとはまったく違った人生だった。彼は『プレイボーイ』誌
にこう語った。「私は、死こそが人生の中心にある要素だということがわ
かるようになった。この事実をただ理解するだけで、人生に対する考え方
71
が全面的に変わってしまうものだ……。」
これまで「死」をテーマにした作品を複数書いてきたカポーティであったが、「死の
独房」への訪問を通して、彼の「死」に対する考え方に新たな影響を及ぼすこととな
る。この作品で、カポーティは人間の極限の心理に焦点を当てることで、様々な生身
の人間を提示している。追う者と追われる者という構造を用いてこの作品で伝えられ
る恐怖とは、どこに潜んでいるかわからぬ危険、罵声や噂話を繰り広げる心ない周囲
の人々、そして迫りくる死であった。
以上の見てきたように、『冷血』にはゴシック小説に特有の舞台設定や登場人物、
同性愛や追う者と追われる者のモチーフが織り込まれている。
3
パストラル・エレジーのモチーフ
(1)舞台設定
第3節では、『冷血』全体にはパストラル・エレジーの雰囲気が漂っていることを
論じる。小説の舞台は、カンザス州ホルカムという牧歌的な景色の広がる田舎町であ
り、カポーティがかねてより作品で扱うのを得意とした場所である。カポーティが幼
少期に過ごした思い出の地・南部とは異なるが、アメリカ中西部に位置するカンザス
州西部のホルカムという村である。『草の竪琴』と同様、『冷血』の冒頭にはのどか
な田舎町の風景が描かれている。大平原と小麦畑が広がる平坦で広大な土地には、馬
や 牛 の 群 れ と 巨 大 な 白 い 穀 物 倉 庫 だ け が 目 立 つ( 1)。村 の 中 心 部 に は 駅 や 郵 便 局 、学
校、ガソリン・スタンドなど、質素ではあるが住民の日常生活に不自由ない程度の町
づくりがなされている。外面的には慎ましやかな村であるが、ここ数年天候に恵まれ
たこの土地の牧畜農家は裕福な暮らしをしており、豊富な天然ガス資源の開発も順調
に行われていることから、ホルカムは大変豊かな村であることもわかる。住民達はこ
の環境に大いに満足し、仕事や趣味を心から楽しんでいる。冒頭の田園風景からは、
凄惨な殺人事件が起こるとは想像がつかないほど、穏やかな地であることが伝わって
くる。
被害者となるハーバート・クラッターは、ホルカムで有数の資産家で、ホルカムの
近くにある郡の役所が置かれているガーデン・シティでもよく知られている人物であ
る 。彼 が 運 営 す る「 リ ヴ ァ ー・ヴ ァ レ ー 農 場 」( River Valley Farm)は 苦 労 し な が ら 開
72
発しただけあり、今では大変豊かな土地として栄えている。農業では小麦やトウモロ
コシで、畜産では牛や羊で成功を収めている。農場内には川も流れており、一角にあ
る桃や梨、リンゴなどの果樹林を彼はひどく気に入っており、「夢に描いていた楽園
の 一 部 ― ― リ ン ゴ の 香 る 緑 の エ デ ン 」 ( 13) を 作 ろ う と い う 目 標 も 持 っ て い る 。
のどかな田園風景や自然描写の他に、エレジーの面で欠かせない葬儀や墓地といっ
た要素もこの作品では描かれている。葬儀で最も重要なのは、被害者のクラッター一
家の葬儀である。ガーデン・シティにあるファースト・メソジスト教会で行われた四
人 の 葬 儀 に は 、 1000 人 も の 会 葬 者 が 訪 れ る 。 ホ ル カ ム や ガ ー デ ン ・ シ テ ィ が 属 す る フ
ィ ニ ー 郡 は 「 バ イ ブ ル 地 帯 」 ( 34) の 境 界 内 に あ り 、 参 列 者 数 が 膨 れ 上 が っ た の は 、
住 民 達 の キ リ ス ト 教 に 対 す る 厚 い 信 仰 心 の た め で あ る 。そ の う ち 約 600 人 が ヴ ァ レ ー・
ヴュー墓地まで一家を見送りに行き、墓前で参列者一同が「主の祈り」を捧げ、その
声 が 墓 地 全 体 に 広 が る ( 96) 。 ク ラ ッ タ ー 家 の 娘 ナ ン シ ー と 最 も 親 し か っ た 友 人 の ス
ー ザ ン ・ キ ッ ド ウ ェ ル ( Susan Kidwell) は 親 友 の 死 を 目 の 当 た り に し 、 犯 人 が 誰 で あ
れナンシーが生き返ることはないと落胆し、ナンシーの変わり果てた姿に耐えられず
にいる姿が描写される。棺に納められたナンシーの赤いビロードの服はスーザンにと
って見覚えのある服で、その服を着てパーティーで踊る在りし日のナンシーの姿が目
に焼きついて離れない。クラッター一家は至近距離から頭部を打たれたため、頭部は
木 綿 で 完 全 に 覆 わ れ て お り 、遺 体 の 損 傷 を 隠 す た め に 特 別 の 処 置 が 施 さ れ 、そ の 結 果 、
頭 が 「 膨 ら ま せ た 普 通 の 風 船 の 二 倍 く ら い に 膨 張 し た 繭 の よ う に 」 ( 95) 見 え る 。 こ
のような描写から、事件の凄惨さが伝わってくる。
そして、作品の結末でも墓地の場面が描かれる。この場面は、ペリーとディックの
処刑を見届けた刑事のデューイが、その一年前に起きたヴァレー・ヴュー墓地での出
来事を回想するという場面である。昔の人々が厳しいこの土地の自然に負けずにつく
ったのがヴァレー・ヴュー墓地で、「今ではそこは木陰の多い一つの島のようになっ
て い て 、周 り の 小 麦 畑 の 麦 の 穂 が 大 波 の よ う に う ね っ て 」( 341)い る 。ク ラ ッ タ ー 事
件 か ら 4 年 が 過 ぎ た そ の 墓 地 は 、 600 人 も の 人 々 が 悲 し み に 暮 れ て た た ず ん で い た 4
年前とは異なり、静かで穏やかである。まるで事件があったことのほうが夢であるか
のようだ。ここでの墓地の様子は、『草の竪琴』と同じく、自然の豊かさと人の命の
儚 さ が 対 照 的 に 描 か れ て い る 164 。 こ の 墓 地 の 場 面 に つ い て は 、 本 節 の ( 3 ) 「 死 へ の
挽歌」でさらに詳しく論じる。
73
(2)孤独と愛
エレジーの伝統として、孤独と愛が語られる。第2章の『草の竪琴』においては、
孤児であるコリンの孤独な姿と、コリンを愛し慈しむドリーやクール判事の姿が描か
れた。『冷血』のペリーもまた孤児であり、コリン以上に孤独感に苛まれた日々を過
ごす。繰り返しになるが、両親の不仲に始まり、一家離散、相次ぐ身内の無残な死、
さらには、孤児院で尼僧達から負わされた精神的・肉体的傷など、ペリーの幼少期は
不幸の連続である。ペリーの父がペリーを孤児院から連れ戻し、父との生活で束の間
の幸せを味わう。ペリーは、アラスカで狩猟者用ロッジを経営したいという父の夢を
実現するために精一杯協力する。しかし、経営が失敗に終わると、父はその怒りの矛
先をペリーに向け、親子喧嘩が絶えなくなり、父は最後にはペリーに銃口を向ける。
逮捕後、ペリーの過去を聞かされた刑事デューイは、率直に次のような感情を抱く。
…he [Dewey] found it possible to look at the man beside him without anger―
with, rather, a measure of sympathy― for Perry Smith’s life had been no bed of
roses but pitiful, an ugly and lonely progress toward one mirage and then another.
(246)
……彼[デューイ]は隣席に座っている男を、憤りの気持ちなしに──む
しろ、幾分の同情心すら持って──眺めることができた。というのも、ペ
リー・スミスの半生は、バラの褥とは程遠く、哀れむべきものであって、
一つの儚い幻からまた別の儚い幻へと進んでゆく、醜く孤独な道程であっ
たからだ。
非常に凄惨なクラッター事件の殺人現場を見た捜査官デューイでさえも、ペリー
の
哀れな生い立ち、同情心を抱いている。裁判を傍聴している者の中にも、「ペリー・
ス ミ ス っ て 可 哀 そ う な や つ だ 。や つ の 一 生 は 散 々 だ っ た 」( 306)と 、ペ リ ー の 人 生 を
哀 れ む 声 が あ が る 。カ ポ ー テ ィ は 、ペ リ ー に 同 情 的 な 声 を 積 極 的 に 作 品 の 中 に 引 用 し 、
彼への同情、共感を求めていく。
カポーティは逮捕後のペリーの孤独を、差し入れの服や独房にやってくるリスのエ
ピソード、そして昔のペリーの友人を紹介することで、浮き彫りにする。ディックの
74
も と に は 、常 に 両 親 が 面 会 に 訪 れ 、刑 務 所 に 移 さ れ て か ら も 月 に 一 度 は 母 親 が 訪 れ る 。
しかしペリーは、唯一の肉親の父と姉とは手紙でやり取りがあるものの、面会者はい
ない。初公判の出廷の際に、その孤独が表面化する。
Hickock, too, was sharply dressed in clothes provided by his parents: trim
blue-serge trousers, a white shirt, a narrow dark-blue tie. Only Perry Smith, who
owned neither jacket nor tie, seemed sartorially misplaced. Wearing an
open-necked shirt (borrowed from Mr. Meier) and blue jeans rolled up at the cuffs,
he looked as lonely and inappropriate as a seagull in a wheat field. (272)
ヒ コ ッ ク も ま た 、両 親 が 差 し 入 れ し て く れ た 服 を キ リ ッ と 着 こ な し て い た 。
きちんとした青いサージのズボンに、白い Y シャツ、幅の狭い紺色のネク
タイ。ジャケットもネクタイも持たないペリー・スミスだけが、服装の上
で場違いの感じを与えた。(マイヤー氏から借用した)開襟シャツに、裾
を捲り上げたブルー・ジーンズといった格好の彼は、まるで小麦畑に降り
立ったカモメみたいに孤立して、辺りにそぐわないように見えた。
ペリーには服を差し入れしてくれる家族がおらず、郡拘置所で囚人の身の回りの世話
を し て く れ る 心 優 し い マ イ ヤ ー 夫 人( Mrs. Meier)が 何 と か 調 達 し て く れ た 。デ ィ ッ ク
との接触にも制限があったため、逮捕後は会うことができず、そのことがさらに彼を
不安にさせる。ペリーはディックと離れている自分を、「まったく独りぼっちで全身
傷 だ ら け に な り 、大 馬 鹿 者 し か 相 手 に し て く れ な い よ う な 人 間 」
( 260)の よ う に 思 う 。
ペリーの友は、マイヤー夫人と拘置所の独房にやってくる野生のリスだけとなる。
ディックでさえ「時にはやつが気の毒にもなってくるんだ。やつは最も孤独な人間の
一 人 に 違 い な い 」( 335)と 語 る 。カ ポ ー テ ィ は 、読 者 の 同 情 心 を 煽 る か の よ う に 、孤
独なペリーの姿を繰り返し描く。
ペリーがかつて心を通わせた何人かの人物が紹介される。最も心を通わせたのは、
ウ ィ リ ー = ジ ェ イ( Willie-Jay)と い う 男 で あ る 。ペ リ ー は 、デ ィ ッ ク に 出 会 う 以 前 に 、
牢獄でウィリー=ジェイと出会う。教誨師の書記であり、刑務所合唱隊でテノールを
務めているウィリー=ジェイは、ペリーの中にある芸術魂をすぐさま見抜き、「詩人
75
と 、類 稀 な 救 う こ と の で き る 、あ る も の 」( 42)を ペ リ ー が 持 っ て い る こ と に 気 づ く 。
彼の才能を活かすため、イエス・キリストの肖像を描かせる。ペリーが絵に描いたの
はイエスの姿ではなく親愛なるウィリー=ジェイの姿である。このとき、ペリーはウ
ィ リ ー = ジ ェ イ を 「 世 の 中 の 何 よ り も … … 自 分 を 本 当 に 理 解 し た 唯 一 の 友 人 」 ( 43)
で あ る と 捉 え る 。「 ウ ィ リ ー = ジ ェ イ だ け が 、彼[ ペ リ ー ]の 価 値 と 可 能 性 を 認 識 し 、
彼がただの寸足らずの筋肉の発達しすぎた混血児ではないことを認め……彼を自分自
身が眺めるように――「例外的な」「世にも稀な」「芸術的な」人間として見てくれ
た 」 ( 75) と 感 謝 す る 。 ペ リ ー は 、 こ れ ま で 父 に 軽 視 さ れ て き た 、 音 楽 や 芸 術 の 才 能
を認めてくれるウィリー=ジェイを、かけがえのない存在として愛し、心から尊敬し
た の で あ る 165 。 こ の 二 人 は 恋 愛 感 情 以 上 の 深 い 絆 で 結 ば れ て い る こ と が わ か る 。
ウ ィ リ ー = ジ ェ イ 以 外 で 、ペ リ ー が 心 か ら 友 と 呼 ん だ の は 、看 護 師 ク ッ キ ー( Cookie)
と ジ ョ ー ・ ジ ェ イ ム ズ ( Joe James) と い う 若 い イ ン デ ィ ア ン の き こ り 兼 漁 師 で あ る 。
クッキーとは、入院した病院で出会う。彼女は、ペリーがオートバイ事故を起こし、
手術・入院・リハビリをした病院に勤めていた。ペリーの人生における唯一の異性と
のロマンスである。彼女は彼に純文学を薦めるなどして彼を啓発する。二人の間に結
婚話まで持ち上がるが、怪我が治るとすぐにペリーは彼女の元を去り、父が待つアラ
スカへと旅立つ。だが、ペリーのクッキーに対する愛からは、ディックの性に対する
奔放さとは正反対に、ペリーが純粋に愛を育むことを大事にしていたことが窺える。
アラスカに到着する前に、山小屋で世話になったのが、ジョー・ジェイムズというき
こり兼漁師である。ジョーも彼の妻も子供達も皆、見ず知らずのペリーに親切にして
くれる。そのお礼にと、ギターや絵画、習字を子供達に教えるといった学校の真似事
をするのだが、それらの特技が誰からも評価される。ペリーは、自分の得意とするこ
とを認められ喜びを感じる。
拘置所で孤独に耐え忍んでいたときに、親切にもペリーに手紙をよこしてくれたド
ナ ル ド・カ リ ヴ ァ ン( Donald Cullivan)と い う 人 物 が い る 。商 船 隊 時 代 に 8 ヶ 月 間 だ け
同じ場所に配属されていた仲間というだけなのだが、事件のニュースを聞いて接触を
試 み た の で あ る 。ペ リ ー は 、カ リ ヴ ァ ン を「 こ こ に 助 力 を 申 し 出 た 人 間 、か つ て 彼[ ペ
リー]を知り、彼を好いたことのある、正気で立派な人間、自分を「友人」として署
名 し た 男 」 ( 262) と し て 、 大 切 な 一 人 に 位 置 づ け る 。 ペ リ ー は 、 「 君 は 私 の た め に 、
君の言うところの神様ってやつがしてくれたより、またこれから先、してくれるだろ
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う こ と よ り 、も っ と た く さ ん の こ と を し て く れ た ん だ 」( 291)と 、何 の 見 返 り も 求 め
ずに助力しようと申し出るカリヴァンに感謝する。死刑になるくらいなら自殺したほ
うがましだというペリーの考えは、単なる自殺願望というよりも、「ちょっぴりでも
私[ ペ リ ー ]の こ と を 思 っ て く れ る 人 間 」( 292)が い る 間 に 死 に た い と い う 願 い で あ
る。ギターを爪弾きながら、ペリーは次のように歌う。
“In this world today while we’re living
Some folks say the worst of us they can,
But when we’re dead and in our caskets,
They always slip some lilies in our hand.
Won’t you give me flowers while I’m living.…” (117)
「この世で俺達が生きてるときにゃ
俺達を虫けら呼ばわりし、
俺達がくたばり、棺桶に納まりゃ
ユリの花を手にすべり込ませてくれる。
俺達に花をくれるのなら、
生きてるうちにしておくれ。……」
ペリーは、常に孤独と共に生きてきたからこそ、ささやかな愛情でも大切にし、一人
でも自分を愛してくれる人物がいることに喜びを感じながら生涯を終えたいと望んで
いる。このように、カポーティはペリーにかなり感情移入している。ペリーを愛情に
恵まれず孤独感に苛まれる人間として描き、読者の同情を呼び覚まそうとする。
(3)死への挽歌
パストラル・エレジーは、第2章で見たように「田園を舞台に設定し、死者を悼む
ために自然を利用し、死に至った事情を語り、この世の邪悪さを批判し、死は生の始
ま り で あ る と い う 考 え か ら 、希 望 と 喜 び の 再 生 で 締 め く く る 」166 文 学 ジ ャ ン ル で あ る 。
『冷血』においても、『草の竪琴』の舞台のように墓地が広がっており、作品中には
エレジーに不可欠な「死」、そして「死生観」が描かれる。死とは、被害者のクラッ
77
ター家の人々、犯人のペリーとディック、監獄で一緒だった文学的な才能の豊かな死
刑 囚 の ア ン ド ル ー ズ 、 裁 判 を 担 当 し た テ ー ト 判 事 ( Judge Tate) 、 ボ ニ ー ・ ジ ー ン ・ ア
シ ダ ( Bonnie Jean Ashida) の 死 で あ る 。 ペ リ ー 、 そ し て 同 じ 死 刑 囚 仲 間 の ア ン ド ル ー
ズの死生観が描かれる。
ペリーは、文学作品や新聞などからの引用を集めた「秘密日記」という名の付いた
ノートを持っている。そのノートには次のように記されている。
“What is life? It is the flash of a firefly in the night. It is a breath of a buffalo
in the wintertime. It is as the little shadow that runs across the grass and loses
itself in the sunset.”― Said by Chief Crowfoot, Blackfoot Indian Chief. …“A
breath of a buffalo in the wintertime”― that exactly evoked his [Perry’s] view of
life. Why worry? What was there to “sweat about”? Man was nothing, a mist, a
shadow absorbed by shadows. (147)
「人生とは何か?それは暗い夜の蛍の光である。冬に野牛が吐く息であ
る。それは草原をさっとかすめ、日没に姿を消す小さな影である。」──
ブラックフット・インディアンの酋長チーフ・クローフットの言葉。……
「冬に野牛が吐く息」──これはまさに彼[ペリー]の人生観を目覚めさ
せた。思い煩って何になる?「あくせくして」何が残るというのか?人間
とは無だ、霞だ、影に吸収される影にすぎない。
ペ リ ー が ノ ー ト に 書 き 残 し た こ の 引 用 は 、人 間 の 生 命 の 儚 さ を 主 題 に し た も の で あ る 。
ペリーは、自分自身の不運な人生を思い返したときに、この言葉が彼の心を捉えたの
かもしれない。
両親と姉を殺し、死刑判決を受け、ペリーと同じく「死の独房」に収容されたロー
ウ ェ ル・リ ー・ア ン ド ル ー ズ は 現 役 大 学 生 で あ り 、高 学 歴 で あ る 。彼 は 、「 死 の 独 房 」
でのペリーの絶食による自殺計画について語りながら、自分の死生観を次のように述
べる。
“It sure strikes me a hard way to do it. Starving yourself. Because sooner or later
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we’ll all get out of here. Either walk out― or be carried out in a coffin. Myself, I
don’t care whether I walk or get carried. It’s all the same in the end.” (318)
「僕には辛いことだと思われるんだ、絶食するなんてね。なぜって、遅か
れ早かれ、僕らはみんなここから出て行くんだからさ。歩いて出て行くか
――それとも棺桶の中に納まって運び出されるかだ。僕としては、自分で
歩いていこうが、人に運び出されようが、どっちだっていいんだよ。結局
は、どっちだって同じだからね」
このようなアンドルーズの考えに、彼と仲良くなっていたディックは、アンドルーズ
は自分自身を含め、人間の命を全く尊重しない人物なのだと理解する。死刑執行直前
でもいつもとまったく変わらず、「天国も地獄も信じない。ただ塵が塵に還るだけの
こ と さ 」( 332)と 最 後 ま で 考 え は 一 貫 し て い る 。ア ン ド ル ー ズ は 処 刑 さ れ る 前 に 、18
世紀の学匠詩人トマス・グレイの『田舎の教会の墓地で書かれた哀歌』の第 9 節から
の引用「栄華の道はただ墳墓に通じるのみ」を辞世の句として残す。
The boasts of heraldry, the pomp of pow’r,
And all that beauty, all that wealth e’er gave,
Await alike the inevitable hour:
The paths of glory lead but to the grave. (332)
紋章の誇りも、権勢の華麗も、
美の与える、富の与えるすべても、
同じく免れられぬ時刻を待つ。
栄光ある道はただ墓地に通ずるのみ。
どんなに栄光ある人生を歩もうとも、逃れられない結末として墓地、すなわち死が待
ち受けているという、人の命の儚さを歌っている。エレジーの第一人者であるグレイ
のエレジーを引用したアンドルーズの辞世の句を紹介しているにもかかわらず、カポ
ーティは、実はパストラル・エレジーの伝統を強く意識しているのである。
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『冷血』における「死の最中にあっても生は続く」という結末の描き方からは、死
に触れるからこそ命の尊さが実感できるというメッセージが伝わり、パストラル・エ
レジーとの結びつきが分かる。だが、『遠い声、遠い部屋』のランドルフが「死は生
命 よ り 強 い 」 167 と 語 る よ う に 、 死 の ほ う が カ ポ ー テ ィ を 強 く 支 配 し て い る よ う に 感 じ
られる点もないわけではない。もともと悲観的な人生観を持つカポーティは、ペリー
とディックとの接触、さらには二人の処刑を経験して、人生をより悲観的に捉えるよ
う に な る 。「 死 こ そ が 人 生 の 中 心 に あ る 要 素 だ と い う こ と が わ か る よ う に な っ た 」168 と
カポーティは述べている。カポーティがこのような感慨を持つに至ったのは、処刑の
一ヵ月後に送られてきた、カポーティ宛のペリーからの手紙かもしれない。
“Did we not know we were to die, we would be children; by knowing it, we are
given our opportunity to mature in spirit. Life is only the father of wisdom; death
is the mother.” 169
「我々はいずれ死ぬということを知らなければ、子供である。それを知る
ことによって、精神的に成熟する機会を与えられる。生命は叡智の父であ
るにすぎない。死が母なのである」
こ れ は 、 ペ リ ー の 死 生 観 を 披 瀝 し た 40 ペ ー ジ に 渡 る エ ッ セ イ 「 未 知 の 事 柄 に 関 し て 」
( “De Rebus Incognitis”) の 一 節 で あ る が 、 ア ン ド ル ー ズ が 引 用 し た グ レ イ の 詩 と 同 じ
趣旨のことを述べている。ペリーはポスト牧師からソローの本を差し入れてもらい、
ソ ロ ー に 没 頭 す る 。そ の 影 響 も あ り 、死 刑 を 目 前 に し 、哲 学 的 な 思 考 に 耽 る の で あ る 170 。
カポーティが、ペリーやアンドルーズのこれらの言葉に着目するのは、カポーティも
また、「目覚めている一瞬一瞬に暗い影を落とさずにはいられない深いペシミズム」
を 一 貫 し て 抱 え て い た か ら だ と 、 ク ラ ー ク は 述 べ る 171 。
『冷血』は、刑事デューイがペリーとディックの処刑の一年前に訪れた墓地での出
来事を回想する場面で終わる。捜査官のデューイは「成熟しかけた小麦の金緑色の炎
で 畑 が 燃 え 立 つ 月 の あ る 日 の 午 後 」( 342)、ヴ ァ レ ー ・ヴ ュ ー 墓 地 を 訪 れ 、父 の 墓 掃
除をする。
80
When he had finished weeding, Dewey strolled along the quiet path. He stopped at
a tombstone marked with a recently carved name: Tate. Judge Tate had died of
pneumonia the past November; wreaths brown roses, and rain faded ribbons still
lay upon the raw earth. …The graves of the Clutter family, four graves gathered
under a single gray stone, lie in a far corner of the cemetery― beyond the trees,
out in the sun, almost at the wheat field’s bright edge. (342)
彼 が 草 取 り を 終 え る と 、静 か な 小 道 に 沿 っ て 散 策 を 始 め た 。そ の う ち 、最 近
名 前 を 刻 ま れ た ば か り の 墓 石 の 前 で 足 を 止 め た 。テ ー ト 。テ ー ト 判 事 は 前 年
の 11 月 に 肺 炎 で 他 界 し て い た 。 む き 出 し の 土 の 上 に は 、 花 輪 、 茶 色 に 枯 れ
た バ ラ 、雨 に あ せ た リ ボ ン が 置 か れ た ま ま に な っ て い た 。… … 一 基 の 灰 色 の
石 の も と に 四 つ の 塚 が 集 ま っ た ク ラ ッ タ ー 家 の 墓 は 、墓 地 の 外 れ の 一 隅 み に
あ る ― ― 木 々 が 途 切 れ た 日 向 、小 麦 畑 の 輝 く 縁 が 接 し よ う と し て い る あ た り
だ。
辺りには、様々な人の墓がある。クラッター家の墓以外に、テート判事やボニー・ジ
ーン・アシダの墓も目につく。クラッター事件の裁判において判事を務めたテートは
肺炎で死亡。善良な市民であるアシダ家の娘ボニー・ジーンは、ガーデン・シティを
訪 れ た 際 に 、交 通 事 故 で 命 を 落 と す 。デ ュ ー イ が ク ラ ッ タ ー 家 の 墓 ま で 差 し 掛 か る と 、
クラッター家の娘ナンシーの友人であったスーザンが先に墓参りをしている。すっか
り大人びた彼女は今や大学 3 年生で、美術を学んでいる。ナンシーと一緒に入学する
予定だった大学に在学しており、今でもたまにナンシーのことを思い出す、と彼女は
語る。墓地は死を身近に感じさせる空間である。だが、カポーティは、単に「死」を
描くだけでは終わらせず、「死は生の始まりであるという考えから、希望と喜びの再
生で締めくくる」というパストラル・エレジーの伝統に従う。ナンシーのボーイフレ
ン ド だ っ た ボ ビ ー ・ ラ ッ プ ( Bobby Rapp) は 、 最 近 素 敵 な 女 性 と 結 婚 し た こ と 、 事 件
が起きたときにはまだ少年だったデューイの長男が大学に入る年齢になったことが語
られる。デューイは、立ち去ろうとするスーザンに「私も会えてよかったよ」と呼び
かける。「なめらかな髪を揺らし輝かせながら、ひたすら先を急ぐ美しい娘に─ナン
シーが生きていたら、ちょうどそんなふうになっていただろう娘に。やがてデューイ
81
も 家 路 に つ き 、木 立 に 向 か っ て 歩 を 進 め 、そ の 陰 へ と 入 っ て 」( 342)行 く 。デ ュ ー イ
とナンシーの再会の場面は、『草の竪琴』におけるコリンとクール判事の再会を思い
起こさせる。
結局、スーザンにも、デューイにも、他の誰にとっても、死の最中にあってもとに
か く 人 生 は 続 く の だ 172 と い う 主 張 が 込 め ら れ て い る 。 死 だ け で な く 、 結 婚 や 入 学 が 語
られる希望に満ちたこの結末は、パストラル・エレジーの伝統に忠実である。
結末が処刑の場面で終わらなかったことに対して、カポーティは多々非難された。
しかし、カポーティは「私は町に戻り、一巡してすべてを元に戻し、平和をもって終
わ ら な く て は な ら な い と 感 じ た の だ 」 173 と 述 べ る よ う に 、 希 望 と 喜 び の 再 生 を 求 め て
いたことは明白である。『冷血』の結末には、事件による死や処刑による死といった
陰鬱な雰囲気にささやかではあるが、明るい光が差し込んでいるように思える。だが
その反面、生命の儚さを哀れみ、悲観的に捉えているのではないかと考えさせられる
箇所もある。結末にしても、「死は生の始まり」ではあるが、墓を眺めるデューイの
目 に 憂 い を 感 じ ず に は い ら れ な い 174 。 ク ラ ッ タ ー 家 は 皆 か ら 尊 敬 さ れ る 人 達 で あ っ た
が、殺害された。テート判事はクラッター事件の裁判において奮闘したが、思わぬ病
気によりペリーやディック達よりも先に亡くなってしまった。善良な市民である日系
のアシダ家の人々も、予期せぬ事故には抗えなかった。そして、今まさにペリーもデ
ィックも処刑されてしまった。結末のデューイの回想場面の挿入は、殺害であれ、病
死であれ、事故死であれ、処刑死であれ、人間誰しもが死という道を通ることに変わ
りないという無常観を示唆しようとしたのであろう。しかしながら、哀れな人の世を
尻 目 に 、 「 空 が 広 々 と ひ ら け 、 波 打 つ 小 麦 畑 に は 風 の さ さ や き が 流 れ て い た 」 ( 343)
と描かれる自然の穏やかな光景は、パストラル・エレジーの終わり方に則っており、
『草の竪琴』の結末部と通底している。
4
ピカレスク小説のモチーフ
(1)社会の底辺をさまようピカロ
第4節では、『冷血』においてピカレスク小説の伝統がいかに継承されているかを
考 察 す る 。『 冷 血 』は 、悪 事 と 逃 避 行 が 約 束 事 で あ る ピ カ レ ス ク 小 説 の 形 式 に 則 っ て 、
展開していく。この作品におけるピカロは、明らかにクラッター事件の犯人であるペ
リーとディックである。彼らは先に見たように、社会の底辺をさまよい、様々な仕事
82
を 転 々 と し な が ら 、そ の 合 間 に は 犯 罪 に 手 を 染 め 、転 落 し て い く 。刑 事 の デ ュ ー イ は 、
つ ま ら ぬ 窃 盗 を す る デ ィ ッ ク を「 空 虚 な 価 値 の な い 暗 闇 か ら 這 い 出 て き た 三 流 詐 欺 師 」
( 340) だ と し て 、 最 後 ま で 彼 に 好 意 を 抱 か な い 。
中でもペリーは、ひと際ピカロの特徴を身に纏っている。その点を以下で明らかに
す る 。 ペ リ ー は 、 盗 み か ら 人 殺 し ま で 簡 単 に 行 い 「 生 ま れ な が ら の 殺 し 屋 」 ( 55) で
あ る と 言 わ れ る 。ペ リ ー は 自 分 の 生 活 を 生 き 甲 斐 の あ る も の と 思 っ た こ と は な い( 202)。
ペリーは、拘置所で自分の先の見えない将来に悲観しながら、窓から見られる猫達の
行動をいつも観察している。
…the cats were hunting for dead birds caught in the vehicles’ engine grilles.
Thereafter it pained him [Perry] to watch their maneuvers: “Because most of my
life I’ve done what they’re doing. The equivalent.” (264)
……猫どもは、エンジンの格子(グリル)にひっかかって死んでいる鳥を
探しているのであった。それ以後、彼[ペリー]は猫のそうした行動を眺
めるのが辛くなった。「私も生涯の大部分、やつらのやっているようなこ
とをしてきたからです。同じことですよ」
賢い猫達は、車に無謀にも飛び込んできたカラスやスズメの死骸が車の格子の間にあ
るのを知って、死骸を獲物にして生きている。自己の才覚で餌を手に入れている猫も
ピカロのようである。猫達は、二匹で野良猫、雄で痩せて小汚いという点が、ペリー
とディックに似ている。カポーティは『ティファニーで朝食を』において、ホリーを
猫 や カ ラ ス に 重 ね 合 わ せ て い る が 、こ こ で も ペ リ ー と 猫 を 重 ね 合 わ せ て 描 い て い る 175 。
ペリーとディックの二人はいかにもピカロらしく、最後には裕福な家に強盗に入り、
殺人を犯し、逃亡し、逮捕され、処刑される。
ピカロの大きな特徴である逃避・放浪であるが、ペリーとディックの場合も仕事を
探しながら、時に盗みをしつつ旅を続ける。ペリーは、子供の時は父に連れられて、
ワイオミング、アイダホ、オレゴン、アラスカを旅する。成人してからは、軍務に就
いたことで、アラスカ、ハワイ、日本、香港と旅をする。それから、カンザス・シテ
ィ、メキシコ・シティへ、そしてメキシコ・シティからカルフォルニアとアイオワを
83
経由してカンザス・シティへと戻る。最後に、カンザス・シティからフロリダ、テキ
サス、ラスヴェガスへと移動する。カポーティは、ペリーとディックの殺人後の逃避
行、カンザス・シティから始まり、六週間後のラスヴェガスでの逮捕に至るまでのル
ー ト を 書 き 込 ん だ 地 図 を 作 成 し て い る 176 。
『ティファニーで朝食を』の主人公ホリーのように、ペリーは旅に憧れ、自由にな
る夢を語る。彼の夢は、巨大なオウムが過去に彼に危害を加えた敵達に復讐を果たし
てくれるといった空想的な夢から、ナイト・クラブで脚光を浴びるミュージシャンに
なりたいという現実に根ざした夢、海に眠る財宝を引き上げるという荒唐無稽な夢な
ど、様々である。ペリーは常に劣等感に苛まれた人生を送ってきた。彼の抱く夢は、
一度でいいから羨望の対象になりたいという願望の表れであり、オウムの顔をした巨
大な鳥による飛翔や常に旅をしていたいという夢は、自由への希求を意味する。
二 人 は 犯 行 後 に 逃 避 行 を 試 み 、様 々 な 夢 を 思 い 描 く が 、そ れ も 数 日 で 幕 切 れ と な る 。
二人が行う犯罪から見えてくるのは、当時の社会のありようであり、社会の歪みであ
る。ペリーは、恵まれない子供時代を送ったことは先に見た通りである。彼の生きて
きた時代の苦しみが彼の人生に大きく影響している。彼が復讐すべき敵だとしている
のは父や家族、尼僧、軍曹といった、当時彼に直接的に危害を加えた人物達である。
だが、これら彼に直接関係がある敵の他にも、ペリーの心の奥底には復讐せずにはい
れない何かがあったのである。
ペ リ ー は 、表 向 き の 顔 と 裏 の そ れ と で は か な り 違 い が 見 ら れ る 。そ の 最 た る も の が 、
殺害時に使用したマットレス用の箱である。現場を見た刑事のデューイは、その凄惨
さとは裏腹に、まるで「犠牲者をもっと楽にさせるため」施されたその箱に、心遣い
や 優 し さ を 感 じ 取 る( 103)。ペ リ ー は ま た 、友 情 に 関 し て は 大 変 厚 い も の を 持 っ て い
る。クラッター事件の犯行の責任を、家族ぐるみでペリーに押し付けようとしたディ
ックに対して、ペリーは「ディックの家の人達は皆善人だから」と、罪をすべて被っ
て も い い と い う 驚 く べ き 友 情 を 発 揮 す る( 286)。裁 判 の 間 、支 え て く れ た 唯 一 の 友 人
カ リ ヴ ァ ン や マ イ ヤ ー 夫 人 に 対 し て は 心 か ら 感 謝 し 、確 か な 優 し さ を 信 じ る の で あ る 。
拘 置 所 の 独 房 に 訪 れ る 野 生 の リ ス を レ ッ ド( Red)と 名 付 け 、餌 を や り 、手 懐 け る こ と
に成功した様子も、マイヤー夫人を通して語られる。そのリスはペリーにしか懐かな
か っ た と い う 。死 刑 が 決 ま り 、拘 置 所 を 後 に す る 際 、ペ リ ー は マ イ ヤ ー 夫 人 に 16 歳 の
時に撮った写真を渡し、「この写真の中の少年として私を記憶しておいてください」
84
( 308)と 告 げ る 。心 を 許 せ た マ イ ヤ ー 夫 人 に は 、ま だ 汚 れ て い な い 頃 の 自 分 を 記 憶 し
ておいてほしかったのかもしれない。ペリーの近くにいて、彼の本心を垣間見たマイ
ヤー夫人は、彼のことを「私がそれまで会ったうちで一番悪い人間というわけではな
い 」 ( 253) と 述 べ る 。 彼 に は 彼 な り の 道 徳 観 念 が 存 在 し て い た こ と を 示 唆 し て い る 。
ペリーの友人に対する優しい一面を描くことにより、カポーティはペリーが一概には
悪人とは言えないのではないかと疑問を投げかけているように見える。
(2)夢 ─羨望の対象
ペリーと『ティファニーで朝食を』のホリーとの間には、驚くほど類似点が見られ
る。一つは、ギターへの愛着である。ペリーは持ち物に対して愛着を持つタイプの人
間であったが、特にギブソンのギターは肌身離さず持ち歩く。紙やすりをかけ、ワッ
クスで磨きをかけるといった手入れを欠かさない。そして、そのギターを爪弾きなが
ら歌う歌は、ホリーの「眠りたくもなし/死にたくもない/ただ旅して行きたいだけ
/大空の牧場通って」に匹敵する、空への憧れ、旅への憧れである。
ペ リ ー は 不 思 議 な オ ウ ム の 夢 を 生 涯 見 る 。彼 の 見 る 夢 は 、キ リ ス ト よ り 背 丈 が 高 く 、
ヒマワリのように黄色いオウムである。黄色のオウムは、ペリーにひどい虐待を繰り
返す尼僧らを殺害し、彼女達からペリーを救ってくれる。ペリーにとっては心地よい
夢であり、幼い頃から大切にしてきたものである。大人になり、牢獄につながれるよ
うになっても、オウムは助けに来てくれるとペリーは願う。
…the yellow bird, huge and parrot-faced, had soared across Perry’s dreams, an
avenging angel who savaged his enemies or, as now, rescued him in moments of
mortal danger; “She lifted me, I could have been light as a mouse, we went up, up,
I could see the Square below, men running, yelling, the sheriff shooting at us,
everybody sore as hell because I was free, I was flying, I was better than any of
them.” (266)
… … オ ウ ム の 顔 を し た 巨 大 な 黄 色 い 鳥 は 、ペ リ ー の 夢 の 中 を 飛 翔 し た 。そ の
鳥 は 、彼 の 敵 に 猛 攻 を 加 え た り 、あ る い は 、今 の よ う な 生 死 の 分 か れ る 瞬 間
に 彼 を 救 い 出 し た り す る 復 讐 の 天 使 だ っ た 。「 鳥 は 俺 を 持 ち 上 げ た 。俺 は ネ
85
ズミと変わらないほど軽くなったみたいだった。上へ上へと昇っていって、
広 場 が 下 に 見 え た 。み ん な が 怒 鳴 り な が ら 走 り 回 っ て い て 、保 安 官 は 俺 達 に
発 砲 し て た 。み ん な 、か ん か ん だ っ た 。な ぜ な ら 、俺 が 自 由 に な っ て 、空 を
飛び、誰よりもいい身分になったからさ」
ペリーの敵は、成長するにつれて、尼僧から父親や軍曹などに取って代わるが、それ
でも復讐者のオウムは変わらず夢に現れ、ペリーの仇を取ってくれる。最後には、祝
福された飛翔でもって、ペリーを楽園に導き、ペリーに「自分が強くなったような、
ひ ど く 偉 く な っ た よ う な 感 じ 」 ( 93) を 味 わ わ せ て く れ る 。 ペ リ ー に は 、 愛 し て く れ
たり守ってくれたりする人がいなかったため、黄色いオウムを自分の救世主として創
造したのである。避難所・安息の場がなかったペリーにとって、オウムは夢の中でそ
の役割を果たしてくれる。ペリーは、オウムの翼で飛翔し、楽園へ向かうことが至福
の喜びだと思っている。
ペ リ ー は よ り 具 体 的 で 実 現 可 能 な 夢 も 持 っ て い る 。中 で も 二 つ の 夢 が 度 々 語 ら れ る 。
一つは、ラスヴェガスのナイト・クラブで脚光を浴びるスター、ペリー・オパーソン
ズ( Perry O’Persons)に な る こ と で あ る 。彼 の 音 楽 的 才 能 は 確 か な も の で 、ギ タ ー だ け
でなくハーモニカ、アコーディオン、バンジョーなどを演奏することができる。歌も
上手く、作詞の才能もある。これらの才能をいつか活かしたいという思いを募らせ、
人 々 に 認 め ら れ る 手 段 と し て ミ ュ ー ジ シ ャ ン に な り た い と い う 夢 を 抱 く 。も う 一 つ は 、
南国の海に沈む財宝を引き上げるというものである。貧しく、望んだものが何一つ手
に 入 ら な い と い う 境 遇 の な か で 、一 攫 千 金 を 夢 見 る 。ペ リ ー の こ れ ら の 夢 の 根 底 に は 、
周囲の人々を出し抜きたい、見返したい、人々の羨望の的になりたい、という気持ち
が秘められている。現在の生活を打開し、今度こそ成功者の側に立ちたいと願うので
ある。
ペリーの二つの夢は、カポーティの短編「ダイアモンド・ギター」に登場する若き
囚 人 、テ ィ コ・フ ェ オ( Tico Feo)が 抱 え る 夢 と ほ ぼ 同 一 の も の で あ る 。『 テ ィ フ ァ ニ
ーで朝食を』のホリーが抱くティファニー宝石店のように、ペリーが抱く夢はあくま
でも心の平安を保つためのものである。ペリーが夢を空想する上で、ギターは必需品
となる。それが逃亡途中に盗まれてしまったことが、夢の終わり告げる不吉な前触れ
であったと言える。いろいろな夢を見た逃避行も逮捕によって幕を閉じ、ペリーには
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それらの夢を叶えることは不可能になってしまう。
(3)夢 ―旅と自由
ホ リ ー と 同 様 、ペ リ ー も 旅 や 空 へ の 憧 れ を 抱 く 。放 浪 は ピ カ ロ の 特 性 の 一 つ で あ る 。
ペリーもその例外ではない。旅と空への憧れは、自由への希求を意味する。ペリーの
自由への憧れは人並み以上のものである。気に入った言葉を書き写したペリーの秘密
日記の中に、「そのすべての特権とともに、自由を享受している人間にとって、その
自 由 を 剥 奪 さ れ る こ と が 何 を 意 味 す る か を 認 識 す る こ と は 不 可 能 に 近 い 」( 147)と い
う ア ー ル ・ ス タ ン レ ー ・ガ ー ド ナ ー( Erle Stanley Gardner, 1889-1970)の 言 葉 が 記 さ れ
ている。自由が剥奪されることは、彼にとっては考えられないことである。ペリーの
父 の 目 か ら 見 て も 、ペ リ ー は「 自 由 の 身 に 強 い 愛 着 を 感 じ て い る 」( 130)人 間 で あ る 。
ペ リ ー は 何 も の に も 囚 わ れ ず 、自 由 を 望 む 。彼 は 法 律 や 道 徳 観 に も 縛 ら れ た く は な い 。
彼の子供時代は、周りにまともな大人がいなかったため、法律や規則を教えてくれる
人 が い な か っ た 。だ か ら こ そ 、ペ リ ー は「 自 分 で 自 分 の ボ ス に な る こ と 」( 128)を 好
ましいと思うようになる。刑務所で行った断食のよる自殺未遂により、一時生死の境
を さ ま よ う が 、「 自 分 の 命 を 奪 お う と す る や つ に は 負 け な い 」( 320)と 生 き る こ と を
決意する。チャンスに恵まれず、運命に翻弄されたペリーだからこそ、他者によって
指し示された運命をたどることに強い反発を抱く。生きようとする決意は、運命の決
定権は自分にあるという気持ちの表れであるように思われる。ホリーと同様、ペリー
も善悪の観念は自分次第と考えている。
自 由 は 孤 独 と 隣 り 合 わ せ で あ る 。ペ リ ー は 自 由 を 望 む が ゆ え に 、帰 る べ き 家 が な い 。
デ ィ ッ ク に は 温 か く 迎 え て く れ る 両 親 が い る が 、ペ リ ー に は 誰 も い な い 。ペ リ ー は「 ど
こ に 行 け ば い い ? 」「 誰 が 助 け て く れ る ? 」( 194)と さ ま よ い 、旅 を す る 。ペ リ ー は 、
結婚の約束までしたクッキーに別れを告げる代わりに、一篇の詩を贈る。
There’s a race of men that don’t fit in,
A race that can’t stay still;
So they break the hearts of kith and kin;
And they roam the world at will.
They range the field and they rove the flood,
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And they climb the mountain’s crest;
Theirs is the curse of the gypsy blood,
And they don’t know how to rest.
If they just went straight they might go far;
They are strong and brave and true;
But they’re always tired of the things that are,
And they want the strange and new. (98)
社会と調和しない男の種族、
安住できない男の種族がいる。
彼らは親類縁者の嘆きを尻目に、
勝手気ままに世界を流れ歩く。
彼らは野をさまよい、海をさすらい、
山の頂によじ登る。
彼らの血は呪われたジプシーの血、
彼らは休息を知らない。
地道に進めば、成功するだろう、
たくましく、勇敢で、誠実だから。
だが、彼らは常に現状を倦み、
未知の新しい世界を求めていく。
この詩は、ペリーの生き方を物語っている。安住するよりもさすらうことを選ぶペリ
ー は 、ク ッ キ ー の も と も 去 っ て い く 。そ の さ す ら い の 姿 は 、『 テ ィ フ ァ ニ ー で 朝 食 を 』
の ホ リ ー の 「 野 性 」 に 通 じ る 177 。 先 に 見 た よ う に 、 ペ リ ー は 、 拘 置 所 の 窓 か ら 見 た 二
匹の野良猫と自分の姿を重ねるが、ペリーは「野性」のさすらいの放浪者である。拘
置 所 で 野 生 の リ ス が ペ リ ー に だ け 懐 い た の も 、ペ リ ー の 持 つ「 野 性 」の せ い で あ ろ う 。
デューイが処刑前の彼を見て、「傷つきながらさまよい歩く動物が持っているような
霊 気 」( 341)を 感 じ 取 っ た こ と も 、ま た ペ リ ー に は「 野 性 」の 属 性 が 備 わ っ て い る こ
と を 示 し て い る 178 。
カ ポ ー テ ィ は『 冷 血 』以 後 、犯 罪 者 を 題 材 に 取 り 上 げ た 作 品 を い く つ か 書 い て い る 。
88
そ の 中 に 「 そ し て す べ て が 廻 り き た っ た 」 ( “Then It All Came Down,” 1979) と い う イ
ンタヴュー形式の作品があるが、登場する殺人事件の容疑者ロバート・ボーソレーユ
( Robert Beausoleil, 1947-) は ペ リ ー と 共 通 点 を 多 く 持 つ 人 物 で あ る 。 彼 は 、 世 間 の 法
律を無視して自分自身の正義に従って生きている。そして、ギターを所有しており、
望 み を 聞 か れ る と 「 休 み な く 旅 し て い る 」 179 自 分 を 想 像 す る 。 カ ポ ー テ ィ が 描 く ピ カ
ロ達には、ギターや旅、そして孤独と自由への希求という共通点が見出せる。自由へ
の憧れは、カポーティ自身の夢でもある。カポーティの短編「夜の曲がり角、あるい
はいかにしてシャム双生児はセックスするか」で、次のような問答がある。
Q: In your own afterlife, how would you like to be reincarnated?
A: As a bird― preferably a buzzard. A buzzard doesn’t have to bother about his
appearance or ability to beguile and please; he doesn’t have to put on airs.
Nobody’s going to like him anyway; he is ugly, unwanted, unwelcome
everywhere. There’s a lot to be said for the sort of freedom that allows. 180
質問:死後、何に生まれ変わりたいですか?
回答:鳥に―─それもノスリがいいね。ノスリはみてくれとか、喜ばせた
り惑わせたりすることに捉われる必要がないものね。つまり、格好つける
必 要 が な い ん だ 。ま 、ど っ ち に し て も 、ノ ス リ を 好 き に な る 人 は い な い さ 。
醜いし、誰にも欲しがられず、どこにも歓迎されないよ。そのおかげで許
される自由には、大いに利点があるね。
カポーティも鳥、ノスリに憧れを抱いている。ノスリには自由が約束されており、安
心感があるからであると言う。嫌われ、求められないという負の要素をプラスの要素
に変え、自由の利点を評価する姿は、まさに何ものにも囚われない自由人と言える。
ペリーは処刑直前に「灰色の壁を越えて、その向こうが見えたなら/我が希望を自由
の 空 に 放 と う / そ し て 晴 れ 晴 れ と 飛 ん で い こ う 」181 と い う 詩 を 書 き 遺 し た 。ペ リ ー は 、
最後まで空への希望、自由への希望は捨てずに持っていたのである。
以上、旅、夢、自由、放浪、ギターなどに焦点を当てて、『冷血』にピカレスク・
ノヴェルの伝統が色濃く反映されていることを見てきた。
89
5
カポーティとペリー
カポーティは『冷血』において、様々な文学的手法を駆使しつつ、事実に基づいて
客観的に作品世界を構築しようとした。しかし、カポーティはペリーとの文通や監獄
での面会などを通して、ペリーに急速に惹きつけられていく。『冷血』におけるペリ
ー の 人 物 造 形 に お い て も 、 明 ら か に 感 情 移 入 が 認 め ら れ る 182 。
ペリーとカポーティには、境遇や容姿、考え方によく似た点が多々見受けられる。
背が低いという外見的な類似に加え、幼少時代の境遇がよく似ている。両者とも両親
からの愛情の不足や、幼い頃に受けた虐待・いじめといった哀れな幼少期を経験して
いる。特に、成長期に両親から充分な愛情と指導を受けなかったという点も、同じで
ある。カポーティにとって、このような事実を知ったことで、ペリーが特別な存在に
なったと思われる。
カポーティが最も注目したのが、ペリーの芸術的才能である。カポーティは、自分
自身を作家というよりは芸術家と位置づけており、「芸術は人生の損なわれた喜びを
埋 め 合 わ せ て く れ る も の 」 183 と 述 べ て い る 。 カ ポ ー テ ィ は 芸 術 の 持 つ 可 能 性 を 信 じ て
いる。歌や詩、絵画などの面で素晴らしい才能を発揮しているペリーに、カポーティ
は惹きつけられたのである。「二人とも、自分に望むことのできなかったものの代償
と し て 、 芸 術 に 救 い を 求 め た 」 184 と ク ラ ー ク は 指 摘 し て い る が 、 こ の 点 が 二 人 の 最 大
の共通点かもしれない。
何百通もの文通を繰り返し、直接面会を何度も果たしたことで、二人の距離は縮ま
っ て い き 、 互 い を 理 解 す る よ う に な る 。 ペ リ ー と カ ポ ー テ ィ は 「 コ イ ン の 裏 表 」 185 の
ような二人で、カポーティはペリーの中に自分を見出し、分身のような存在と捉える
よ う に な る 186 。 一 方 の ペ リ ー も 、 非 常 に 教 養 に 飢 え て お り 、 知 的 で 言 葉 の 魔 術 師 で あ
るカポーティに魅了されていく。その関係は、デビュー当時のカポーティとニュート
ン・アーヴィンの間柄に似ている。若かりし頃、カポーティは天性の文才を発揮する
が、高等教育を受けていないこともあって、文学に対して途方もなく無知な面もあっ
た。第1章で指摘したように、当時交際していた大学教授のアーヴィンは、カポーテ
ィにとって恋人であり、文学的才能を伸ばしてくれた教師でもあった。そして、実父
ア ー チ と 3 歳 し か 変 わ ら な い ア ー ヴ ィ ン に 、 父 親 像 を 重 ね ず に は い ら れ な か っ た 187 。
ペリーと出会ったことで、与えられる側から与える側へ関係は逆転し、今度はカポー
テ ィ が ペ リ ー の 父 で あ り 、 師 で あ り 、 恋 人 の 役 割 を 果 た す こ と と な る 188 。 二 人 の 関 係
90
は、先にも指摘したように、同性愛的関係である。カポーティは取材のため何度かペ
リーを監獄に訪ね、看守に賄賂を渡して二人きりの時間を持ち、この間に性的関係を
持 っ た 可 能 性 が あ る と 推 測 さ れ て い る 189 。 二 人 の 関 係 に は 様 々 な 憶 測 が 飛 び 交 う が 、
恋 愛 関 係 以 上 の 絆 が 彼 ら の 間 に は 存 在 し た と も 言 わ れ て い る 190 。
二人をコインの裏表と喩えると、裏側がペリーで、表側がカポーティであることは
明らかである。カポーティは、若いうちから文学界で認められ、小説や脚本など様々
な場で活躍する成功した芸術家であった。一方、ペリーは才能に恵まれていたかもし
れないが、先述してきたように、チャンスを与えられなかった。成功者としてのカポ
ー テ ィ の 姿 に 、 憧 れ と 同 時 に 、 嫉 妬 を 、 そ し て 劣 等 感 を 抱 い た こ と 明 ら か で あ る 191 。
ペリーの気持ちを察していたのは、やはり自らの分身と認めていたカポーティであろ
う。カポーティは、自分とペリーの生き方の違いを、次のように語る。
Truman said to us that it’s strange: in life you follow a path, and all of a sudden
you come to a fork in the road, and either you take the left or you take the right,
and he said in this case he felt he took the right and Perry the left. 192
トルーマンは奇妙だと言っていた。人生の道を歩んできて、突然分かれ道
にさしかかる。右へ行っても、左へ行ってもいい。彼が言うには、この場
合、彼は右へ行き、ペリーは左へ行ったのだと。
二人の生き方にはわずかの違いしかなかったのだが、わずかであってもそれは大きな
違いであった。「お互いの中に、そこに自分がもしかしたらなっていたかもしれない
人 間 を 認 め た 」 193 か ら こ そ 、 カ ポ ー テ ィ は ペ リ ー が 抱 え る 現 実 へ の 不 満 を す ぐ に 察 知
することができたのだろう。
ペリーは自己憐憫に浸りながらも、最後にはカポーティに対する理解と感謝、そし
て 愛 情 を 示 す 言 葉 を 残 し て い る 194 。 カ ポ ー テ ィ も 、 ペ リ ー と デ ィ ッ ク の 二 人 を か な り
理 解 す る よ う に な っ て お り 、 特 に ペ リ ー に 対 し て は 深 い 同 情 を 覚 え る よ う に な る 195 。
カポーティは、「作者が作品中に登場せずに、何を話すか選択することで自己の見解
を示す」ことを重視した。彼は自分の視点で社会を捉え、その実像を鋭く描くことに
成功していると言える。しかし、その視点が犯人ペリーに過度に向けられていること
91
は否定できない。カポーティ本人のペリーに対する同情心を、作品中から完全に閉め
出すことができなくなった。過剰に取材対象にのめり込んでいった結果、ペリーの内
面描写、心理分析は緻密になり、作品世界に独自の厚みを与えることにはなった。さ
らには、カポーティはペリーの死刑執行を止めようとして、死刑廃止論を主張し始め
る。その結果、死刑がいかに残虐な刑罰であるかを訴えるために、処刑場面は必要以
上に感傷的かつ扇情的に描かれることとなった。ノンフィクション・ノヴェルという
ジャンルを構築し、自分の意見を示さず、作者は顔を現わさず、客観的であろうとし
たカポーティにとっては、皮肉な結果であった。
92
結論
カポーティは西欧文学の長い伝統に身を置いて創作活動を行ってきた。第1章から
第3章までは、『遠い声、遠い部屋』、『草の竪琴』、『ティファニーで朝食を』に
おいて、それぞれ恋人、恩人、母、父などとの関係が反映されている個人的経験を題
材にして、様々な文学伝統に特有の舞台設定、登場人物の性格付け、モチーフなどを
引き継ぎ、かつ変容させながら、華麗な文体を用いて、独自の文学世界を構築したこ
とを論じた。
こ れ ら 小 説 に 並 行 し て 、カ ポ ー テ ィ は ノ ン フ ィ ク シ ョ ン・ノ ヴ ェ ル へ の 関 心 も 見 せ 、
『詩神の声聞こゆ』などで実験的な取り組みを行った。その集大成として考案された
のが、ノンフィクション・ノヴェル『冷血』である。第4章では、前三作とは打って
変わって、個人的経験ではなく実際に起きた犯罪事件を題材にして、膨大な資料を駆
使して、いわゆるノンフィクション・ノヴェル『冷血』を創作したことを跡付けた。
ノンフィクション・ノヴェルは、事実を題材にして小説的手法を用いて描くべきであ
るとの主張を実践すべくカポーティは渾身の力をこめて創作に没頭した。ノンフィク
ション・ノヴェル『冷血』は、前三作品で用いたゴシック小説、パストラル・エレジ
ー、ピカレスク小説の文学技巧を利用し、かつ今まで用いたテーマ、イメージ、象徴
などを総動員して、創作されたものであるということを考察した。
第 1 章 の『 遠 い 声 、遠 い 部 屋 』で は 、主 人 公 の ジ ョ エ ル と ラ ン ド ル フ に 焦 点 を 当 て 、
ゴシック小説をそのまま引き継いでいる部分とパロディの部分とが共存していること
を考察した。ランドルフとジョエルの関係には、当時カポーティが交際していた恋人
ニュートン・アーヴィンとカポーティの関係が投影されていることを指摘した。
第2章では、『草の竪琴』がパストラル・エレジーの伝統を継承し、風にそよぐイ
ンディアン・グラスの草原をライト・モチーフにして、カポーティなりの「死にゆく
者」、「過ぎ去った者」への哀歌をうたい上げた作品であるということを検証した。
この作品は、幼いときカポーティを引き取って育ててくれた親戚のミス・スックに捧
げられている。ミス・スックとカポーティの関係は、そのままドリーとコリンに重ね
られ、『草の竪琴』はミス・スックヘのエレジーであることを述べた。
第3章の『ティファニーで朝食を』では、新ピカレスク小説という文学伝統を枠組
み に 用 い て 、 ギ タ ー や 鳥 と い う カ ポ ー テ ィ 独 特 の イ メ ー ジ 群 を 散 り ば め て 、 20 世 紀 を
93
生きる、旅に憧れ、自由を求める、魅力的な女性のピカロを創造したことを論じた。
ホリーとカポーティの母ニーナは、本名、容姿、生き方などの点で、非常によく似て
いる。主人公のホリーの本名はルーラ・メイであり、カポーティの母ニーナの本名は
リリー・メイである。カポーティは、若き日の母を聖なる放浪者ホリーとして描き、
作品の中で不滅のものにしようとしたのだと、指摘した。
第4章では、現実の犯罪事件を題材として取り上げ、様々な制約を自ら課して挑ん
だノンフィクション・ノヴェル『冷血』に、ゴシック小説、パストラル・エレジー、
ピカレスク小説のそれぞれの文学技巧がうまく組み合わされて用いられていることを
確認した。この作品で、カポーティは様々な文学手法を駆使しつつ、事実に基づいて
客観的な作品世界を構築しようと試みたにもかかわらず、犯人の一人ペリーに感情移
入してしまう。そのためもあって、ペリーの人物造形、心理描写は緻密で洞察にあふ
れたものとなり、作品世界にも独特の厚みが生まれたことを述べた。
そして、カポーティのすべての小説、ノンフィクションに通奏低音として流れてい
るのが同性愛的関係である。カポーティは、同性愛的な関係を描くために文学の伝統
を利用していると考えられる。第1章で取り上げた『遠い声、遠い部屋』は、ゴシッ
ク小説を枠組みとして用い、カポーティなりのカムフラージュを施す。その上で、ジ
ョ エ ル を 思 春 期 直 前 の 性 的 に は 未 熟 な 13 歳 の 少 年 と し て 設 定 し 、ラ ン ド ル フ を ゴ シ ッ
ク小説の悪人のパロディとして造形することによって、同性愛的関係を現実のもので
はない絵空事として、時に叙情的に、時に滑稽に描き出す。
第2章の『草の竪琴』では、カポーティは、結婚や誕生で締めくくるパストラル・
エレジーの伝統を受け継ぐ作品世界に相応しいように、同性愛的関係を仄めかしはす
るが、最後には否定している。牧歌的な雰囲気の中でコリンと友人のライリーが川に
水浴びに行く場面や、ヴェリーナの失恋した相手が郵便局に勤めている金髪の陽気な
女性であるという設定には同性愛的関係が仄めかされている。水浴びの場面は、同じ
く 同 性 愛 者 で あ っ た E・ M・ フ ォ ー ス タ ー ( E. M. Forster, 1879-1970) の 『 見 晴 ら し の
良 い 部 屋 』( A Room with a View, 1908)の 水 浴 び の 場 面 を 想 起 さ せ る 。し か し 、ど ち ら
の関係も同性愛的関係を相殺するような異性愛のエピソードが最後に用意されている。
つまり、ヴェリーナはいかさま師のリッツ医師に失恋し、ライリーも小説の最後では
モードと結婚するのである。
94
第3章の『ティファニーで朝食を』では、語り手の「私」は小説家志望の青年であ
るが、性的傾向が曖昧で、中性的なイメージが漂っている。主人公のホリーも、彼女
のピカロという属性を利用して、既成概念や性道徳に囚われない自由な女性として描
くことによって、「結婚なんて誰とだってできるはずよ、男だって女だって」と宣言
させる。『ティファニーで朝食を』では、ピカレスク小説の伝統を利用し、自由で通
常の社会に背を向けるホリーという型破りの女性を造形することによって、同性愛的
関係を軽やかに肯定することを可能としたのである。
第4章の『冷血』では、第1節の「ゴシック小説のモチーフ」で詳しく述べたので
ここでは繰り返さないが、ペリーとディックの関係、そしてペリーとカポーティの関
係が、当時の世相を考慮して隠されてはいるものの、言葉遣いやイメージに同性愛的
な要素が潜んでいること、またカポーティの抱いていた同性愛的感情が、作品世界を
豊かなものにしたことを明らかにした。
当時の社会情勢が同性愛をあからさまに描くことを許さなかったがゆえに、カポー
ティは西欧文学の豊穣な伝統を利用し、独特の作品世界、色彩豊かなイメージ群を考
案した側面もありはしないだろうか。いずれにせよ、社会的タブーとされた同性愛の
要素を取り入れることによって、カポーティの作品世界は豊かで、斬新で、華麗なも
のになったのである。
95
注
序論
1
Ralph F. Voss, Truman Capote and the Legacy of In Cold Blood (Tuscaloosa: U of Alabama
P, 2011), p. 28; 越 智 博 美 『 カ ポ ー テ ィ ― 人 と 文 学 』( 勉 誠 出 版 、 2005 年 )、 pp. 58-9.
2
Kenneth T. Reed, Truman Capote (Boston: Twayne P, 1981), pp. 15-6.
3
稲 澤 秀 夫 『 ト ル ー マ ン ・ カ ポ ー テ ィ 研 究 』( 南 雲 堂 、 1970 年 )、 pp. 204-6.
4
George Plimpton, Truman Capote (New York: Nan A. Talese/ Doubleday, 1997), p. 138.
5
Voss, p. 46; 越 智 、 pp. 86-7.
6
Robert Emmet Long, Truman Capote: Enfant Terrible (New York: Continuum, 2008). p. 41.
7
Lawrence Grobel, Conversations with Capote (New York: New American Library Books,
1985), p. 60.
8
Gerald Clarke, Capote: A Biography (New York: Simon & Schuster, 1988), p. 28.
9
越 智 、 p. 26.
10
スペイン語では、ピカロの女性形はピカラであるが、本論文においては、女性のホ
リーを指すときにも「ピカロ」という語を用いる。ハッサンの例にもあるように英
語のピカロは男女双方に用いることができるからである。
96
第1章
11
カポーティのフィクション作品を「暗」と「明」に分けて論じる研究者は多い。ポ
ー ル ・ レ ヴ ァ イ ン ( Paul Levine) や ア ー ヴ ィ ン グ ・ マ リ ン も カ ポ ー テ ィ 作 品 を 二 分
して扱っているが、ハッサンの『根源的無垢』における指摘は特に知られている。
ハ ッ サ ン は カ ポ ー テ ィ の フ ィ ク シ ョ ン 作 品 の 文 体 を 「 夜 」( “nocturnal” ) と 「 昼 」
( “daylight”) に 分 け て い る 。 前 者 に は 「 ミ リ ア ム 」 や 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』 な ど 神
秘的で超現実的な作品が含まれている。後者は、喜劇風に描かれ、社会的な人間関
係 の に ぎ や か さ を 持 っ て お り 、『 草 の 竪 琴 』 や 「 わ が 家 は 花 ざ か り 」( “House of
Flowers,” 1952)な ど が 含 ま れ る と 述 べ る 。 Ihab H. Hassan, Radical Innocence: Studies
in the Contemporary American Novel (Princeton: Princeton UP, 1961), p. 231.
12
Long, p. 43; Voss, pp. 48-9.
13
J. Douglas Perry, Jr. “Gothic as Vortex: The Form of Horror in Capote, Faulkner, and
Styron” in Bloom’s Modern Critical Views: Truman Capote, New Edition, ed. Harold
Bloom (New York: Infobase P, 2009), pp. 43-56.
14
Peter G. Christensen, “Capote As Gay American Author” in Contemporary Gay American
Novelists: A Bio-Bibliographical Critical Sourcebook, ed. Emmauel S. Nelson (Westport:
Greenwood P, 1993), pp. 46-50.
15
John W. Aldridge, “Capote and Buechner― Escape into Otherness” in After the Lost
Generation (New York: McGraw-Hill, 1958), p. 203.
16
稲 澤 、 pp. 71-80.
17
越 智 、 pp. 86-98.
18
Edith Birkhead, The Tale of Terror: A Study of the Gothic Romance (Constable, 1921: New
York: Russell and Russell, 1963), p. 36.
19
Fred Botting, Gothic (London and New York: Routledge, 1996), p. 2; Birkhead, p. 223.
97
20
Elizabeth MacAndrew, The Gothic Tradition in Fiction (New York: Columbia UP, 1979),
pp. 6-7.
21
Voss, pp. 46-7.
22
Truman Capote, Other Voices, Other Rooms (New York: Vintage, 1994), p. 3. 以 下 、 引 用
は こ の 版 に よ る 。第 1 章 に お い て 、同 書 か ら の 引 用 は 、原 則 と し て 、ペ ー ジ 数 の み 、
括 弧 内 に ア ラ ビ ア 数 字 で 記 す 。 な お 、 龍 口 直 太 郎 訳 『 遠 い 声 、 遠 い 部 屋 』( 新 潮 社 、
1961 年 )、河 野 一 郎 訳『 遠 い 声 、遠 い 部 屋 』( 新 潮 社 、1971 年 )を 一 部 借 用 し た 箇 所
がある。
23
Long, p. 40.
24
Long, p. 40.
25
Aldridge, “Capote and Buechner,” p. 214.
26
David Punter, A Literature of Terror: A History of the Gothic Fictions from 1765 to the
Present Day (London: Longman, 1980), p. 11.
27
Long, p. 42.
28
Punter, p. 11.
29
Long, p. 45.
30
元田脩一「トルーマン・カポーティ『遠い声、遠い部屋』の限界」九州大学文学部
『 文 學 研 究 』 67( 1960 年 )、 pp. 161-4.
31
Long, p. 44.
32
MacAndrew, pp. 220-1.
98
33
セジウィックが指摘しているように、イギリスにおいて、同性愛と密接に結びつい
た 最 初 の 文 学 ジ ャ ン ル は ゴ シ ッ ク 小 説 で あ る 。ま た 、
『 放 浪 者 メ ル モ ス 』に も「 口 に
は 出 せ な い も の 」、す な わ ち 同 性 愛 的 関 係 が 描 か れ て い る 。 Eve K. Sedgwick, Between
Men: English Literature and Male Homosocial Desire (New York: Columbia UP, 1985). イ
ヴ ・ K・ セ ジ ウ ィ ッ ク , 上 原 早 苗 ・ 亀 澤 美 由 紀 訳 『 男 同 士 の 絆 ― イ ギ リ ス 文 学 と ホ
モ ソ ー シ ャ ル な 欲 望 』( 名 古 屋 大 学 出 版 会 、 2001 年 )、 p. 92, p. 95.
34
稲 澤 、 p.73.
35
小説の冒頭に登場し、ジョエルをヌーン・シティまで連れていく運転手の名前はサ
ム ・ ラ ド ク リ フ ( Sam Radclif) で あ る 。 ラ ド ク リ フ と い う 姓 は 、 綴 り は 異 な る が 、
ゴシック小説の女王アン・ラドクリフを思い起こさせる。カポーティの遊び心を感
じる。
36
Botting, p. 11; MacAndrew, pp. 96-105.
37
Long, p.41.
38
Marvin E. Mengeling, “Other Voices and Other Rooms: Oedipus Beteen the Covers” in The
Critical Response to Truman Capote, eds. Joseph J. Waldmeir and John C. Waldmeir
(Westport: Greenwood P, 1999), p. 104.
39
セ ジ ウ ィ ッ ク 、 pp. 94-5.
40
Long, p. 48; Voss, p. 53; William L. Nance, The Worlds of Truman Capote (New York:
Stein and Day, 1970), p. 63.
41
Long, p. 47.
42
越 智 、 pp. 86-7; Reed, p. 81.
43
Reed, p. 71.
99
44
越 智 、 p. 86; Voss, p. 30; Reed, pp. 25-6.
45
越 智 、 p. 80.
46
Grobel, p. 60.
47
Thomas Fahy, “‘Some Unheard-of Thing’: Freaks, Families, and Coming of Age in Carson
McCullers and Truman Capote” in Bloom’s Modern Critical Views: Truman Capote, ed.
Harold Bloom (New York: Infobase P, 2009), pp. 151-2.
48
越 智 、 p. 68; Voss, pp. 100-1.
49
Roger Austen, Play the Game: The Homosexual Novel in America (Indianapolis: The
Bobbs-Merrill Company, 1977), p. 114.
50
同 性 愛 を 扱 っ た 内 容 の 出 版 物 は 、30 年 代 に は あ ま り 知 ら れ て お ら ず 、俗 悪 な 読 み 物
と さ れ て い た 。 Austen, pp. 93-4.
51
Christensen, “Capote As Gay American Author,” p. 62.
52
Capote, “A Voice from a Cloud” in The Dogs Bark: Public People and Private Places (New
York: Random House, 1973; New York and Scarborough: Plume, 1977), pp. 3-4.
53
Long, pp. 47-8.
54
Voss, p. 28; Clarke, p. 119.
第2章
55
Hassan, Radical Innocence, p. 240, p. 246; Long, p. 54.
56
Richard Gray, The Literature of Memory: Modern Writers of the American South
(Baltimore: Johns Hopkins UP, 1977), p. 261.
100
57
Hassan, Radical Innocence, p. 250.
58
Long, p. 54.
59
稲 澤 、 p. 100.
60
J. A. Cuddon, Dictionary of Literary Terms and Literary Theory (Harmondsworth: Penguin,
1999), p. 644.
61
カッドンはパストラル・エレジーの代表的なものとして以下の作品を挙げている。
ジ ョ ン・ミ ル ト ン( John Milton, 1608-74)の『 リ シ ダ ス 』
( Lycidas, 1637)、パ ー シ ー ・
ビ ッ シ ュ・シ ェ リ ー( Percy Bysshe Shelley, 1792-1822)の『 ア ド ネ イ ス 』
( Adonais, 1821)、
マ シ ュ ー・ア ー ノ ル ド( Matthew Arnold, 1822-1888)の『 サ ー シ ス 』
( Thyrsis, 1867)、
テ ニ ス ン 卿 ( Lord Tennyson, Alfred Tennyson, 1809-92) の 『 イ ン ・ メ モ リ ア ム 』( In
Memoriam, 1850)な ど で あ る 。『 リ シ ダ ス 』、『 ア ド ネ イ ス 』、『 サ ー シ ス 』、『 イ ン・メ
モ リ ア ム 』 は い ず れ も 親 友 の 死 を 悼 ん だ 作 品 で あ る 。 Cuddon, p. 254.
62
Terry Gifford, Pastoral (London: Routledge, 1999), pp. 1-2, p. 106.
63
S. Paul Alpers, What is Pastoral? (Chicago: U of Chicago P, 1996), p. 418; Michael
Squires, The Pastoral Novel (Charlottesville: U P of Virginia, 1974), pp. 228-9.
64
Alpers, pp. 375-6.
65
Bryan Loughrey, ed. The Pastoral Mode (London: Macmillan, 1984), p. 21.
66
Capote, The Grass Harp (Harmondsworth: Penguin, 1966), p. 7. 以 下 、 引 用 は こ の 版 に
よる。第2章において、同書からの引用は、原則として、ページ数のみ、括弧内に
ア ラ ビ ア 数 字 で 記 す 。 な お 、 鍋 島 能 弘 ・ 島 村 力 訳 『 草 の 竪 琴 』( 荒 地 出 版 社 、 1957
年 )、 大 澤 薫 訳 『 草 の 竪 琴 』( 新 潮 社 、 1971 年 ) を 一 部 借 用 し た 箇 所 が あ る 。
1
101
67
Helen S. Garson, Truman Capote (New York: Fredrick Ungar Publishing, 1980), p. 72; 内
田豊『トルーマン・カポーティの作品論集 ―「グロテスクなもの」との出遭い―』
( 開 拓 社 、 2006 年 )、 p. 63; Reed, p. 84.
68
Reed, p. 84.
69
Nance, p. 96.
70
Nance, p. 97.
71
稲 澤 、 p. 99.
72
Clarke, p. 219; Long, pp. 53-4.
73
Grobel, p. 60.
74
Reed, pp. 18-9.
75
「 感 謝 祭 の お 客 」で は 、
「 ぼ く 」の ク ラ ス メ イ ト の が き 大 将 オ ッ ド・ヘ ン ダ ー ソ ン( Odd
Henderson) を 感 謝 祭 に 招 い た 際 、「 ぼ く 」 が 招 待 客 達 の 前 で オ ッ ド の 悪 事 を 糾 弾 し
たのだが、スックは「ぼく」の行いのほうを咎め、彼女なりの善行を「ぼく」に説
く と い う 物 語 で あ る 。そ の 続 編 と 言 わ れ る の が「 ク リ ス マ ス の 思 い 出 」で 、
「感謝祭
の お 客 」 の 数 年 後 の 三 人 (「 ぼ く 」、 ス ッ ク 、 ク ウ ィ ー ニ ー ) が ク リ ス マ ス ・ ケ ー キ
を 作 る エ ピ ソ ー ド が 語 ら れ て い る 。そ の 結 末 は 、
「 ぼ く 」が 家 を 離 れ 、ク ウ ィ ー ニ ー
が事故死、スックも亡くなってしまうという悲しいものである。
76
Capote, “A Christmas Memory” in Breakfast at Tiffany’s (New York: Random House,
1958; Harmondsworth: Penguin, 2000), p. 141.
77
1984 年 8 月 28 日 に 行 わ れ た カ ポ ー テ ィ の 追 悼 式 で 、彼 の 最 期 を 看 取 っ た ジ ョ ア ン・
カ ー ソ ン ( Joanne Carson) が こ の 引 用 を 読 み 上 げ た 。 カ ポ ー テ ィ は 、 自 分 の 作 品 の
中 で こ れ が 最 も 完 全 な も の だ と 言 っ て い た 、と も カ ー ソ ン は 述 べ て い る 。 Grobel, p.
230.
102
78
Capote, “A Christmas Memory,” p. 157.
79
完成した作品としては「あるクリスマス」が最後のものであり、離れて暮らす父が
ある年のクリスマスに一緒に過ごそうと迎えに来た思い出話が自伝風に語られる。
80
Capote, “One Christmas” in The Complete Stories of Truman Capote (New York: Random
House, 2004), p. 310.
81
Capote, “Self-Portrait” in The Dogs Bark: Public People and Private Places (New York:
Random House, 1973; New York and Scarborough: Plume, 1977), pp. 417-9.
82
Capote, “Nocturnal Turnings or How Siamese Twins Have Sex” in Music for Chameleon
(New York: Random House, 1980; Harmondsworth: Penguin, 2000), pp. 259-61.
第3章
83
Hassan, “Birth of Heroine” in The Critical Response to Truman Capote, eds. Joseph J.
Waldmeir and John C. Waldmeir (Westport: Greenwood P, 1999), p. 110.
84
Gray, p. 261.
85
Chris Baldick, ed, Oxford Concise Dictionary of Literary Terms (Oxford and New York:
Oxford UP, 1990), p. 168.
86
Baldick, p. 169.
87
小 池 滋 『 幸 せ な 旅 人 た ち ─ 英 国 ピ カ レ ス ク 小 説 』( 南 雲 堂 、 1962 年 )、 p. 10.
88
小 池 『 幸 せ な 旅 人 た ち 』、 pp. 16-7.
89
Frederick Monteser, The Picaresque Element in Western Literature (Montgomery: U of
Alabama P, 1975), pp. 3-4.
103
90
小 池 『 幸 せ な 旅 人 た ち 』、 p. 27; Cuddon, p. 666.
91
小 池 『 幸 せ な 旅 人 た ち 』、 p. 10.
92
Monteser, p. 3; Frank Wadleigh Chandler, The Literature of Roguery (New York: Burt
Franklin, 1958), pp. 45-6.
93
Capote, Breakfast at Tiffany’s (Harmondsworth: Penguin, 2000), p. 21. 以 下 、 引 用 は こ の
版による。第3章において、同書からの引用は、原則としてページ数のみ括弧内に
ア ラ ビ ア 数 字 で 記 す 。な お 、龍 口 直 太 郎 訳『 テ ィ フ ァ ニ ー で 朝 食 を 』
( 新 潮 社 、1968
年 )、村 上 春 樹 訳『 テ ィ フ ァ ニ ー で 朝 食 を 』( 新 潮 社 、 2008 年 ) の 翻 訳 を 一 部 借 用 し
た箇所がある。
94
Clarke, p. 376.
95
Garson, pp. 82-3.
96
百 貨 店 、雑 貨 店 、衣 料 品 店 、そ の 他 の 巨 大 小 売 チ ェ ー ン 。1879 年 に 、フ ラ ン ク ・ ウ
ィ ン フ ィ ー ル ド・ウ ー ル ワ ー ス( Frank Winfield Woolworth, 1852-1919)が ア メ リ カ で
創業し、現在ではカナダ、イギリス、ドイツなどでも展開している。
97
Monteser, p. 4.
98
Voss, p. 68.
99
ダ イ ク ( dyke) な ど の 品 位 を 欠 い た 俗 語 が 小 説 中 に 使 用 さ れ て い る こ と な ど を 理 由
に 、『 テ ィ フ ァ ニ ー で 朝 食 を 』 は 少 々 問 題 が あ る と い う こ と で 、『 ハ ー パ ー ズ ・ バ ザ
ー 』 誌 に 掲 載 を 拒 否 さ れ た 。 Clarke, p. 376.
100
Voss, p. 68.
101
越 智 、 p. 68; Voss, pp. 100-1; Fahy, pp. 151-2.
104
102
海 野 弘『 ホ モ セ ク シ ャ ル の 世 界 史 』
( 文 藝 春 秋 、2005 年 )、 p. 440; 越 智 、pp. 68-9, pp.
106-7.
103
Clarke, p. 313; Long, p. 76.
104
越 智 、 p. 107.
105
Hassan, “Birth,” p. 111.
106
Clarke, p. 313.
107
カ ポ ー テ ィ 作 品 の 中 で 、「 夜 の 樹 」( “A Tree of Night,” 1945) や 『 冷 血 』、「 す べ て は
廻りきたった」など、ギターをモチーフにしている作品が多い。
108
Capote, The Grass Harp, p. 86.
109
稲 澤 、 p. 108; 内 田 、 p. 86.
110
カ ポ ー テ ィ は 昔 飼 っ て い た カ ラ ス と の 思 い 出 を 綴 っ た 短 編「 ロ ー ラ 」
( “Lola,” 1964)
においても、カラスに名前を与えることで、自分の所有物だと認めることになると
述 べ て い る 。 Capote, “Lola” in The Dogs Bark, p. 120.
111
舌 津 は 、 サ リ ー ・ ト マ ト の 本 名 の サ ル ヴ ァ ト ー レ ( Salvatore) が 「 救 済 」 を 意 味 す
る こ と に 着 目 し 、ホ リ ー の 彼 に 尽 く そ う と す る 態 度 に は “holy”な 一 面 が 見 受 け ら れ る
と 指 摘 し て い る 。 舌 津 智 之 「 ゴ ー ・ ラ イ ト ・ リ ー ― ロ リ ー タ の 詩 想 」『 英 語 青 年 』
152( 研 究 社 、 2006 年 )、 p. 518.
112
Clarke, p. 313.
113
Clarke, p. 313; Long, p. 76; Plimpton, p. 137.
114
Clarke, p. 275.
105
115
Long, pp. 5-6, 76; Voss, p. 35; 越 智 、 p. 143; Clarke, p. 313. ホ リ ー の モ デ ル に 関 し て
は 、 ド リ ス ・ リ リ ー ( Doris Lilly, 1932-91)、 キ ャ ロ ル ・ マ ッ ソ ー ( Carol Matthau,
1924-2003)、 ウ ー ナ ・ チ ャ ッ プ リ ン ( Oona Chaplin, 1926-91)、 グ ロ ー リ ア ・ ヴ ァ ン
ダ ー ビ ル ト ( Gloria Vanderbilt, 1924-)、 フ ィ ー ビ ー ・ ピ ア ス ( Phoebe Pierce) な ど 、
1940 年 代 後 半 に カ ポ ー テ ィ が 交 際 し て い た 社 交 界 で の 友 人 達 の 名 が 挙 げ ら れ て い る 。
カポーティ自身は、ホリーのモデルは知り合いの女性達を合成したものであり、誰
で も あ り う る と 述 べ て い る 。ま た 、
『 テ ィ フ ァ ニ ー で 朝 食 を 』映 画 化 す る 際 に 、カ ポ
ー テ ィ は ホ リ ー 役 に 女 優 の マ リ リ ン・モ ン ロ ー( Marilyn Monroe, 1926-62)を 念 頭 に
おいていたと言われるだけあって、モンローとは、容姿や外見そして孤独癖などの
性格上の類似点が多々ある。
116
Long, p. 76; Voss, p. 35.
117
Voss, p. 25; Clarke, p. 40.
118
Plimpton, pp. 7-8.
119
越 智 、 p. 137.
120
Plimpton, p. 30.
121
Clarke, p. 547; Plimpton, p. 426.
第4章
122
越 智 、 p. 157; 内 田 、 p. 108; Voss, p. 84.
123
越 智 、 p. 150.
124
越 智 、 pp. 149-50; Voss, p. 83.
125
Grobel, pp. 109-10.
106
126
Clarke, p. 294.
127
Plimpton, pp. 197-8.
128
Capote, “Preface” in Music for Chameleons (New York: Random House, 1980;
Harmondsworth: Penguin, 2000), p. xiv.
129
Capote, “Preface” in The Dogs Bark: Public People and Private Places (New York:
Random House, 1973; New York and Scarborough: Plume, 1977), p. 14.
130
Plimpton, p. 203.
131
Clarke, p. 357.
132
Clarke, p. 357.
133
Grobel, p. 89.
134
Clarke, p. 359.
135
Long, p. 81.
136
Voss, pp. 82-3.
137
Clarke, p. 360.
138
越 智 、 p. 165; 内 田 、 p. 108; Reed, p. 102.
139
Plimpton, pp. 198-9.
140
Clarke, p. 318.
107
141
『 ア ラ バ マ 物 語 』( To Kill a Mockingbird, 1960)の 著 者 で あ る リ ー は 、カ ポ ー テ ィ の
幼 な じ み と し て も よ く 知 ら れ て い る 。カ ポ ー テ ィ が『 遠 い 声 、遠 い 部 屋 』で リ ー を
モ デ ル に ア イ ダ ベ ル と い う 少 女 を 描 い た よ う に 、リ ー も 少 年 時 代 の カ ポ ー テ ィ を モ
デ ル と し た デ ィ ル ( Dill) 少 年 を 『 ア ラ バ マ 物 語 』 に 登 場 さ せ て い る 。
142
越 智 、 p. 172.
143
Clarke, p. 356.
144
Voss, p. 60.
145
Long, p. 86; Garson, p. 143.
146
Voss, p. 72.
147
Reed, p. 111.
148
越 智 、 p. 171; Voss, p. 74.
149
Capote, In Cold Blood (New York: Vintage, 1994), p. 110. 以 下 、 引 用 は こ の 版 に よ る 。
第4章において、同書からの引用は、原則として、ページ数のみ、括弧内にアラビ
ア 数 字 で 記 す 。 な お 、 龍 口 直 太 郎 訳 『 冷 血 』( 新 潮 社 、 1978 年 )、 佐 々 田 雅 子 訳 『 冷
血 』( 新 潮 社 、 2008 年 ) を 一 部 借 用 し た 箇 所 が あ る 。
150
Voss, p. 58.
151
Long, p. 89.
152
Voss, p. 59.
153
Voss, p. 59.
154
Voss, p. 101.
108
155
Voss, p. 105.
156
Voss, p. 107.
157
Voss, p. 107.
158
Long, p. 92.
159
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109
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稲 澤 、 pp. 173-80.
175
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Nance, p. 194; 内 田 、 p. 130.
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Nance, pp. 207-8.
179
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180
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181
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184
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110
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190
Clarke, p. 326.
191
越 智 、 p. 178.
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Plimpton, p. 173.
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