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色覚バリアフリーのための色弱シミュレータの開発
前川満良*
伊 藤 啓 **
米 光 潤 郎 ***
小 野 正 貴 ***
高 橋 哲 郎 ****
色 が 氾 濫 す る 現 代 社 会 で は , 色 弱 者 に と っ て 見 え に く い 看 板 サ イ ン や Web な ど が 増 加 し て お り , 色 覚 バ
リアフリーが社会的な要求事項となっている。しかし,色弱者の見え方が分からなければ,その対応を考
えることも難しくなるため,色弱者の見え方を再現する色弱シミュレータが要望されている。そこでまず,
色覚変換理論の変数を調整できる色変換ソフトウェアを開発し,被験者実験を繰り返して色弱の色覚特性
を調査した。その結果,個々人の特性に近い見え方に画像を変換できる色弱シミュレータが開発できた。
次に,ソフトウェアによる画像変換では,変換時間が長く色覚バリアのチェック作業の効率が良くないこ
とから,このソフトウェアを組込んだモニター版色弱シミュレータを開発した。
キーワード:色覚バリアフリー,色弱,シミュレータ
Development of Colorblind Vision Simulator for Colorblind Barrier-free
Mitsuyoshi MAEKAWA, Kei ITO, Junro YONEMITSU, Masaki ONO and Tetsuro TAKAHASHI
A colorblind barrier-free society is one of today’s social demands. However, it is difficult for a designer
with non-colorblind color vision to identify problematic color usage if they do not understand the vision of
colorblind people. To address this problem, we developed a simulator of the color vision that those people have.
First, we developed a color conversion program with some variables of the colorblind algorithm. The simulator we
developed is able to accommodate a variety of color vision types by evaluating test subjects with various types of
color deficiency. Next, we developed a monitor-type simulator with this color conversion program in older to
efficiently check barriers for colorblind people.
Keywords:colorblind barrier-free, colorblind people, simulator
1.はじめに
する緊急・災害情報などは,全ての人に正確に伝え
近年,パソコンやインターネットの普及にともな
るべきであり,この対応は必須といえる。
い,カラフルな印刷物やホームページなどが増加し
こ の よ う な 色 覚 バ リ ア へ の 対 応 (色 覚 バ リ ア フ リ
ている。このように色が溢れる現代社会では,モノ
ー )に は , 2 つ の 方 法 が 考 え ら れ る 。 1 つ は , 多 様 な
クロ時代にデザインしてきた明度やテクスチャなど
色覚特性の見え方を再現するシステムにより,デザ
への気遣いが少なくなり,色だけに頼った情報が増
イン段階で見えにくさをチェックし,身の周りのバ
えている。一方,その情報を見る人の色の見え方は
リアを取り除いていく方法である。もう 1 つは,見
多 様 で , 日 本 人 男 性 の 約 5%(20 人 に 1 人 ), 白 人 男
えにくい配色に対して色相や明度などを自動的に変
性 の 約 8%が 赤 や 緑 の 混 じ っ た 特 定 の 範 囲 の 色 に つ い
化させるシステムにより,見えにくいものを見えや
1)
。
すくする方法である。前者は多様な色覚特性の見え
このため,このような色覚特性を持つ色弱者にとっ
方およびその特性を理解し,その見え方を再現する
て,色だけに頼った情報が増えることは日常生活の
色弱シミュレータの開発が必要となる。後者の場合
バリアの増加につながっている。
も , シ ス テ ム 開 発 に は 「 何 が 見 え に く い か 」,「 ど の
て差が感じにくいという色覚特性を持っている
したがって,1 人でも多くの人に知らせることを
目的にしている広告媒体などは,様々な色覚特性に
対する配慮が重要となる。さらに,公的機関が発信
*
電子情報部
**
東京大学
***
㈱ナナオ
****
維維生活部
ように見えているか」といった色覚特性を理解する
ことが基本となる。
本研究では,多様な色覚特性の中でも色覚異常に
的を絞り,その特性を調査するために色変換式を調
整 で き る 色 弱 シ ミ ュ レ ー タ (ソ フ ト ウ ェ ア 版 )を 開 発
って投影される平面が異なる。その後,演算処理を
した。このソフトウェアで被験者実験を進め,各人
容易にできるように 1 つの平面に投影し,近似する
の特性に近い見え方に画像を変換することが可能と
方法も提案されている
なった。また,ソフトウェアでの色覚変換では,色
各色弱者の強度の見え方であり,弱度の見え方につ
弱の見え方を再現する効率が良くないことから,
いては示されていない。
3)
。しかし,いずれの方法も
LCD モ ニ タ ー (以 下 , モ ニ タ ー )内 蔵 の ASIC で 実 時
我々はこのモロンの理論に基づき,モニターの色
間に色覚変換するモニター版色弱シミュレータを開
特性の個体差などを考慮したソフトウェア版色弱シ
発し,その有効性を検証した。
ミュレータを開発した。このソフトウェアは,図 2
の よ う に 投 影 平 面 を OW 軸 や OE 軸 中 心 に 回 転 さ せ
2.ソフトウェア版色弱シミュレータの開発
る機能や投影平面への投影割合を変化させる機能を
これまでに色弱者が見分けにくい色を結ぶ混同線
加えた。このため,この機能で変換後の色を調整し,
が示されていたが,どんな色に見えるかは示されて
被験者に最も近い見え方を求めることができる。
い な か っ た 。 1997 年 に モ ロ ン は コ ン ピ ュ ー タ 上 の 画
3.色覚変換の評価実験
像を 3 種類の色弱者の見え方に色変換する方法を発
表した
2)
。この方法は図 1 に示すように,第 1 異常,
3.1
実験方法
第 2 異 常 の 場 合 は ,「 点 Q の 色 は , 欠 損 し た 錐 体 の
ソフトウェア版色弱シミュレータによって変換さ
軸 に 沿 っ て LMS 空 間 内 の あ る 平 面 に 投 影 さ れ た 点
れた各色が色弱者の見え方として許容できる範囲で
Q’の 色 に 見 え る 」 と し て い る 。 こ こ で 「 投 影 さ れ る
あるかを被験者実験により評価した。
平 面 は 2 つ の 平 面 で 構 成 さ れ , LMS 空 間 の 位 置 に よ
評価方法は,変換前後の色画像を図 3 のように上
下 に 配 し , 被 験 者 に 「 同 じ 色 : ○ 」,「 ほ ぼ 許 容 で き
る 色 : △ 」,「 同 じ 色 と 言 え な い : ×」 の 3 段 階 の 回
答を求めた。呈示から回答までの時間は 2 秒を目安
とした。評価した色画像は,変換後の色の変化が大
き い HSB(Hue: 色 相 , Saturation: 彩 度 , Brightness: 明
度 ) 色 空 間 で 色 相 角 度 15 ° 間 隔 , 彩 度 80% , 明 度
100%の 計 24 画 像 で あ る 。 1 つ の 色 画 像 に 対 し て , 投
影平面の傾きや投影割合を変更した複数の変換後の
色画像を評価した。
被験者は,第 1 異常強 3 名,第 2 異常強 4 名,第
(a)第 1, 第 2 異 常 の 場 合
図1
(b)第 3 異 常 の 場 合
モロンの色覚異常の見え方への色変換方法
1 異常弱 1 名,第 2 異常弱 7 名で,専門医療機関の
診断を受けていなかった人には,事前に色覚検査表
と パ ネ ル D-15 に よ る 色 覚 検 査 を 行 っ た 。
3.2
評価結果と考察
15 人 の 中 か ら 4 人 の 評 価 結 果 を 表 1∼ 4 に 示 す 。 表
1, 2 は , 同 じ 第 1 異 常 強 の 人 に 投 影 平 面 の 傾 き を 変
(a)投 影 平 面 の 傾 き を 変 化
図2
(b)投 影 割 合 を 変 化
色変換の調整方法
図3
色覚変換前後の色画像評価画面
化 さ せ て 評 価 し た 結 果 で あ る 。 表 3, 4 は , 強 弱 各 1
人に投影割合を変化させて評価した結果である。
ま ず , 表 1, 2 に つ い て 考 察 す る 。 傾 斜 変 数 は 投 影
平面の傾きを示すもので,傾斜変数 0 はモロンの理
論通りということになる。
被 験 者 A は , 傾 斜 変 数 0 の 場 合 に 色 相 角 度 0°
( 赤 )周 辺 で 評 価 が 悪 く な る 。 そ れ に 対 し て 傾 斜 変 数
0.3 の 場 合 に は 全 て の 色 で 評 価 が 良 好 と な る 。 つ ま り
(a)元 画 像
(b)被 験 者 D(弱 度 )の 見 え 方
被 験 者 A に と っ て は 傾 斜 変 数 0.3 が 最 も 許 容 で き る
表 1.第 1 異 常 強 の見 え方 の例 (1)
被 験 者 A:第 1 異 常 強 (2 色 型 ),40 歳 代 ,男 性
一見して分からないがワイン
などの赤の彩度が若干低い
図4
第 1異 常 弱 の 見 え 方
色覚変換といえる。
被 験 者 B は , い ず れ の 傾 斜 変 数 で も 色 相 角 度 0°周
辺で許容できる色覚変換を得ることができなかった。
つまり,被験者 B の色覚変換としては,投影平面の
傾きの調整だけでは限界があることが分かった。
この様に被験者 A と B は同じ強度に分類されるが,
表 1, 2 の 結 果 か ら 個 人 差 が 大 き い こ と が 分 か る 。
表 2.第 1異 常 強 の見 え方 の例 (2)
被 験 者 B:第 1 異 常 強 (2 色 型 ),30 歳 代 ,男 性
次 に , 表 3, 4 に つ い て 考 察 す る 。 表 3, 4 の 強 弱
変 数 は 投 影 割 合 を 示 す も の で , 強 弱 変 数 0.0 は 元 画
像 そ の も の で , 1.0 は 投 影 平 面 上 の 色 と な る 。 つ ま り ,
変数が大きくなるにつれて色の変化が大きくなる。
元画像からの変化量が少なければ当然同じ色に見え
るので傾斜変数を変化させた場合と異なり,全てに
「同じ色」と回答した変数が求める解ではない。強
弱変数を変化させた場合は,色の違いを感じる境界
を求める必要がある。
表 3.第 1異 常 強 の見 え方 の例 (3)
被 験 者 C:第 1 異 常 強 (2 色 型 ),40 歳 代 ,男 性
被 験 者 C は , 色 相 角 度 0°周 辺 以 外 で は 投 影 平 面
まで投影しても「同じ色」と回答しており,この領
域以外は最も強度な見え方といえる。
被 験 者 D は , 色 相 角 度 0°, 強 弱 変 数 0.2 で 色 の
変 化 を 感 じ は じ め , 0.4 で 「 同 じ 色 と 言 え な い 」 色 が
現 れ は じ め た 。 色 相 角 度 60°お よ び 240°周 辺 は 強
弱変数を変化させても色の変化が少ない色であるこ
と も 合 わ せ て 考 え る と , 強 弱 変 数 0.3 が 最 も 元 画 像
表 4.第 2 異 常 弱 の見 え方 の例 (4)
被 験 者 D:第 2 異 常 弱 50 歳 代 ,男 性
と差を感じにくい限界といえる。この評価結果から
得られた弱度の被験者 D の見え方を図 4 に示す。
この様に色覚障害といってもその見え方は多様で,
見え方を再現するには各人の見え方を調査する必要
がある。
4.モニター版色弱シミュレータの開発
これまでに色弱者の見え方を再現するものとして,
米 国 製 Vischeck を 代 表 に い く つ か 開 発 さ れ て い る 。
しかし,いずれもソフトウェアであるために変換時
の有効性を示す機能があったので、以下に列挙する。
間 が 長 く (Vischeck の 場 合 1MB の 画 像 で 約 7 秒 ), ま
・ ブ リ ン ク 機 能 (「 New」 な ど の 文 字 ・ 図 の 点 滅 )
た変換作業も煩わしかった。そこで,㈱ナナオ製
・ マ ウ ス オ ー バ ー 機 能 (マ ウ ス に よ る 図 の 変 化 )
LCD モ ニ タ ー Flex Scan L985EX の ASIC に , 本 研 究
・ 動 画 機 能 (Flash な ど の 動 画 )
の色変換機能を組込んだモニター版の色弱シミュレ
ータを開発した
4)
6.まとめ
。色弱シミュレータではソフトウ
ェア版やモニター版のいずれでも,調整機能による
色覚バリアフリーを推進する道具として,色弱者
各人の見え方に近づけることが可能であり,モニタ
の多様な見え方を調査し,その見え方を再現するソ
ー版の場合には色覚異常のタイプを外部入力信号に
フトウェア版色弱シミュレータを開発した。さらに,
よ っ て 切 替 え る こ と が で き る (図 5)。
色覚バリアのチェック作業を効率よく行うために,
これにより各人の見え方をこのシミュレータで再
この色弱シミュレータをモニターに搭載したモニタ
現し,色弱者の立場になって各人の見えにくい箇所
ー版色弱シミュレータを開発した。これにより,
をチェックすることで可能となった。
Web の チ ェ ッ ク 作 業 が 1/13 以 下 に な っ た 。 さ ら に ,
動 的 な Web に 対 し て も チ ェ ッ ク 作 業 が 容 易 に な っ た 。
5.モニター版色弱シミュレータの有効性
色変換の時間を比較すると,モニター版色弱シミ
今後は,このモニター版色弱シミュレータを利用
し て 看 板 サ イ ン や Web な ど の 改 善 指 導 を 進 め な が ら ,
ュレータでは画像のサイズに関係なく毎フラッシュ
その対処方法をまとめる。さらに,その対処法を取
レート時内での表示が可能であるのに対して,その
り入れた自動的に見えやすくするシステムへ展開し
他のソフトウェアでは数秒を要し,さらに画像サイ
ていく予定である。
ズに応じて長くなる。
したがって,このモニター版の有効性の1つに,
謝
辞
色覚バリアのチェック作業の効率化が考えられる。
本研究を遂行するに当たり,カラーユニバーサル
そ こ で , 実 際 に Web で の チ ェ ッ ク 作 業 を 行 い , そ の
デザイン機構および同機構を通じて実験に協力して
有効性を検証した。チェック作業の題材は,工業試
いただいた被験者の皆様,石川県内で実験に協力し
験 場 の Web 版 技 術 ニ ュ ー ス 1 号 分 で , 比 較 対 照 と し
ていただいた皆様に感謝します。
て Vischeck を 使 用 し た 。 使 用 し た Web 閲 覧 ソ フ ト ウ
ェ ア は Internet Explorer で , Window サ イ ズ は 約 1000
×1000Pixel と し た 。
こ の Web は 11 ペ ー ジ だ が , Window の サ イ ズ に よ
り Vischeck で は 画 面 を 分 割 し な け れ ば な ら ず , チ ェ
ッ ク 画 面 は 17 ペ ー ジ に な っ た 。 こ の よ う な 作 業 手 順
参考文献
1) 岡 部 正 隆 , 伊 藤 啓 . 色 覚 の 多 様 性 と 色 覚 バ リ ア フ
リ ー な プ レ ゼ ン テ ー シ ョ ン -色 覚 の 原 理 と 色 盲 の メ
カ ニ ズ ム -. 細 胞 工 学 . Vol.21, No.7, 2002. p. 763-745.
2)
H.Brettle,
F.Vienot,
J.D.Mollon.
Computerized
の 増 加 な ど か ら , チ ェ ッ ク 作 業 時 間 は Vischeck が
simulation of color appearance for dichromats. Journal
581 秒 , モ ニ タ ー 版 が 44 秒 と 1/13 以 下 に 短 縮 で き た 。
of the Optical Society of America. Vol.14, No.10,
1997, p.2647-2655.
ま た , 他 の Web の チ ェ ッ ク 作 業 で も , モ ニ タ ー 版
3)
F.Vienot,
H.Brettle,
J.D.Mollon.
Digital
Video
Colourmaps for Checking the Legibility of Display by
Dichromats. COLOR research and application. Vol. 24,
No. 4, 1999, p. 243-252.
4) 前 川 満 良 , 米 光 潤 郎 , 小 野 正 貴 , 伊 藤 啓 , 田 中 陽
介,高橋哲郎. 色覚バリアフリーのためのチェッ
ク モ ニ タ ー の 開 発 . 第 31 回 感 覚 代 行 シ ン ポ ジ ウ ム
講 演 論 文 集 . 2005. p. 73-76.
カラー原稿は下記のホームページでご覧いただけます。
図5
色覚バリア・チェックモニター
http://www.irii.go.jp/theme/theme.htm