り 。 昭 和 八 年 ︵ 1 9 3 3 ︶ の 築 造 。 階 の 一 屋 階 根 の を※ 前 出だ 面 し 全 桁げた て で が 支 開 え 口 、 部 棟 と も な 高 っ い て 商 い 家 る の 。 造 二 9 鳥 羽 家 ︵ ︵ 1 8 9 7 ∼ 1 9 0 6 ︶ 非 公 開 ︶ の 築 造 と い わ れ て い る 。 9 1 9 4 4 ︶ の 築 造 。 も う け ら れ て い た 。 昭 和 十 年 代 ︵ 1 9 3 5 ∼ 現 在 は 倉 庫 と し て 使 わ れ て い る 。 明 治 三 十 年 代 東 風 の※ の 下げ 伝 屋や 統 に 的 は な 土 要 間 素 が が あ 感 り じ 、 食 ら 事 れ を る と 。 以 る 前 座 、 敷 主 が 屋 下 屋屋 根 、 お主 よ屋 びの そ外 の壁 下に に接 あし るて 空設 間け 。ら れ た 片 流 れ の せ 突が きい 出造 しり 、 そ の近 上代 にの 小民 板家 をで 張、 り側 軒柱 裏上 を部 飾か っら た腕 造木 りを 。 を 伝 え る 町 家 。 大 正 十 二 年 ︵ 1 9 2 3 ︶ の 築 造 。 て 開 口 部 と な っ て お り 、 か つ て の 商 家 の 外 観 8 全 て 主 筒 が 屋 井 引 の 家 き 屋 ︵ 戸 根 非 で は※ 公 、 切きり 開 づ 二 妻まづ ︶ 階 造くり も の 両 瓦 端 葺 の き 半はん 。 間げん 一 を 階 の は ぞ 前 い 面 鳥羽家 8 二 19 階 中 矢 屋 山 島 根 道 家 を に ︵ 出 沿 非 し っ 公 桁 て 開 で 町 ︶ 支 家 の え 佇たた る まず せ※ い が を い 残 造 す り 主 で 屋 、 は 和 、 20 カ シ グ ネ 防 風 の 役 目 を 持 つ 樫 の 木 の 生 垣 。 根 が 主 か 屋 か の っ 東 た に 間まぐ 隣 口ちに 接 二け す 間んは る 半ん 建 の 物 小 は 規 、 緩 模 い な 勾 平 配 屋 の で 屋 、 流 りれ の造 前り 方 に神 、 礼社 拝の 者社 用殿 に形 庇式 をの 吹ひ きと おつ ろ。 す切 形妻 式平 。入 と い わ れ る 。 根 と 土 壁 が 、 和 風 の 趣 を か た ち づ く っ て い る 。 隅 切 り 角 を 切 取 る こ と 。 昭 蔵 ぐら で 和 道 みち い か 初 ︶ た つ 期 に 蔵 て に 並 造 は 曳ひき ん り ﹁ 家や で の 大 を 建 商 黒 し つ 家 屋 た 土 。 ﹂ の も 蔵 中 屋 の の※ 山 号 で ナ 道 で 、 マ か 穀 明 コ ら 治 壁 の 物 期 が 路 商 の 続 地 を 築 く ︵ 営 ご 造 。 郷う ん ︵ た か さ き 都 市 景 観 賞 ︶ 7 大 山 家 ﹁ 大 黒 屋 ︵ ﹂ 非 公 開 ︶ 棟 連割 ねり た長 長屋 屋 。一 棟 の 建 物 を 分 け て 幾 つ も の 住 戸 を 入 う母 な屋 形造 の 屋寄 根棟 を屋 も根 つの 造上 りに 。切 妻 屋 根 を 被 せ た よ 桁 隔行 のき 小 さ小 い屋 方梁 向と 。直 行 す る 方 向 、 あ る い は 柱 間 丁 寧 に 造 ら れ て い る 。 明 治 期 の 築 造 。 大 工 の 手 に よ る 建 物 で 、 組 み 物 な ど の 細 部 い す わ 。 明 れ 治 て 二 い 十 る 年 。 代 裏 ︵ 手 1 の※ 8 薬やく 8 7 医いも ∼ 門ん 1 や※ 8 桁けた 9 6 行ゆ ︶ き の が 築 十じっ造 間けんと わ 屋 藤 ゆ 根 澤 る が 家 一 檜※ ひ 間 皮わだぶ 屋 社 葺き 敷 ※ 流 で 稲 れ 、 荷 造 正 ︵ り 面 非 の のは 公 屋 柱しら 開 ︶ 敷 間ま 稲 が 荷 ひ 。 と 新 つ 潟 の の 、 ︵ 1 9 3 3 ︶ の 築 造 。 矢島家 薬 上医 に門 切 妻二 ま本 たの は本 入柱 母と 屋二 の本 屋の 根控 を柱 架 けで る構 成 。 さ れ 、 長 な屋 ど門 を 配門 置の し左 た右 形や 式上 の部 門に 。、 居 室 あ る い は 物 置 ︵ た か さ き 都 市 景 観 賞 ︶ 5 の 引 て が 6 れ 大 出 4 し 造 で わ 階 須 る 戸 入 間 鈴 姿 賀 。 の り 口 木 を 形 口 三 伝 家 ︵ 式 の 間 家 え 長 て 。 脇 大 引 、 奥 本 正 き 行 屋 い 陣 る 四 戸 き 門 ︵ 。 は 跡 年 ︵ 、 二 非 ︵ ︶ 1 一 間 公 ま ぐ ち さ ん げ ん な が や も ん 非 公 開 ︶ 破 す風 ︵ 山 形板 の︶ 板屋 。根 の 妻 面 に 取 り 付 け ら れ 垂 木 を 隠 9 1 5 ︶ の 築 造 と 伝 え ら 6 め き た 戸 、 が い も わ う ゆ け る※ ら 隅 切 れ り 、 北 と 東 し 部 て の い 角 る を 。 斜 昭 和 め 八 に 年 納 18 連 中が子 ほ三格 ど・子 で五 貫∼民 を四家 通寸に しの見 た等ら も間れ の隔る 。に格 堅 格子 子の をひ 入と れつ 、。 そ開 のき 子し あ と っ 江 深 た 戸 い 。 時 中 代 軒のき 山 に 、 大 道 は き に 河 な 面 岸 屋 す 問 根 る 屋 が 現 を 重 在 営 厚 の み な 主 、 趣 屋 脇 を は※本 造 連 れん 陣 り 子 じご で だ 格う も 茂木家 18 も 宮 い 17 19 木 口 木 材 の 繊 維 方 向 に 直 角 の 端 面 。 あ る 土 蔵 な ど は 明 治 以 前 の 築 造 と 伝 え ら れ る 。 筒井家 平井家 檜 葺皮 い葺 たき も のヒ 。ノ キ の 樹 皮 を 剥 い だ 檜 皮 を 屋 根 に 7 十 建 屋 五 築 は コ茂 資 、 年 一 ン木 ︵ 1 材 定 ク家 9 の 規 リ ︵ 4 入 模 ー 非 0 手 以 ト 公 ︶ が 上 造 開 ︶ の 困 の り ︶ 築 難 家 の 造 で を 門 。 軽 あ 建 の 快 っ て 奥 な※ た る に 入いり 戦 の 建 母もや 争 が て 屋づく 当 規 ら 造り 時 ︵ 制 れ の 昭 さ た 屋 和 れ 主 、 階 は 角 地 を 利 用 し て 道 に 面 し て 二 方 向 に 引 大山家 寄 つ棟 造造 り 。大 棟 か ら 四 方 に 葺 き 下 ろ し た 屋 根 を も 観 音 開 き 戸 戸 の 開 閉 方 式 が 両 開 き 。 中 山 道 と 山 名 道 の 交 差 点 に 面 し た 町 家 。 一 17 方 に く ぐ り 戸 の つ い た に け ん は ん 半 開 の ︶ 総 二 階 の※ 長なが 屋やも 門ん 。 く 。 昭 和 八 年 ︵ 1 9 3 3 ︶ の 築 造 で 当 時 の 住 宅 須賀家 い 設 屋 真 た 計 根 嶋 と 。 ︵ は※家 い 床 寄よせ ︵ う 下 棟むね 非 ︶ に 造づく 公 玄 り 開 関 湿 、 総 ︶ に 気 二 か 対 階 か 策 の る※ の ﹁ 住 破は 浅 あ 宅 ふ 風 間さま 。 飾 砂ずな 先 り ﹂ 代 が を の 目 入 主 を れ 人 5 く 再 生 さ れ た 。 裏 面 が 朱 塗 り 。 明 治 三 2 十 0 七 0 年 ︵ と い わ れ 、 平 成 十 三 年 ︵ 1 ︶ の 改 修 で 美 1 9 0 4 ︶ の 築 鈴木家 3 て は る で 瓦 2 れ 建 東宮 い 当 。 葺 屋 湯 台 、 明 る て 側下 る 時 所 治 き 根 浅 。 の 漆しっの 全 、 に 家 ま や 三 総 二 家 喰くい土 面 ︵ 便 十 二 ま 塗 蔵 と土 所 八 階 つ 非 。 蔵 り 。 腰 ︵ 桑 な 年 の の 公 一 の き ど ︵ 典 小 開 階 壁 非 引 り は 91 型 さ ︶ は に※公 き の 改 0 的 な い ナ 開 道 修 5 戸 天 ︶ マ わ 具 さ ︶ な 窓 、 コ 二 ゆ 養 の や れ が 階 る 壁 カ て 築 蚕 載 ﹁ は※ おが 農 造 ゴ い 大 っ 観 おさ施 が る と 家 た※ 阪 音 かどさ 今 が 伝 の 切き 戸 れ 開 も 、 え つ 妻 りづま ﹂ た き と 残 土 ら く 造 づく り 戸 い 二 っ 間 れ り 、 4 真嶋家 3 い わ れ 昭 和 四 十 年 ︵ で い た 。 階 と 居 住 の た め の 一 階 を 分 け る ス ラ イ ド 式 の ふ た が あ っ た 。 昭 1 和 9 三 6 年 ︵ 5 ︶ 1 9 2 8 ︶ ま で 養 蚕 を 営 ん 宮下家土蔵 2 の 築 造 と し な 養 1 桁 げた ど 蚕 屋 須 で と 農 根 永 、 呼 家 は※家 手 ば の 切き ︵ り す れ つ 妻づま 非 づ り て く 造くり 公 が 開 い り 、 瓦 取 る だ 葺 ︶ り ︶ が 付 は 、て き く な 天 んそ で 総 。 い 窓 ︵う 養 。 や 二 ︵ 蚕 二 階 ※ の 階 ぐ の 印 用 ら た 部 典 語 、 め 分 き 型 解 説 の は※ ぬ 的 参 二 出だ き な 照 歴 史 を 偲 ぶ 建 物 ︶ 湯浅家 1 須永家 13 を せ さ 部 16 い の に が き 15 け 造 付 の 14 初 葺 の あ は 12 と た 11 雨 に 出 日 10 堀 口 家 ︵ 非 公 開 ︶ る 。 昭 和 初 期 の 築 造 。 た め 機 関 車 で 使 用 し た 石 炭 ガ ラ を 敷 い て 銅 板 が 張 っ て あ る 丁 寧 な つ く り 。 地 盤 補 強 建 を て 深 た く 当 と 時 っ は て 二 あ 階 る 建 の て が で 特 あ 徴 っ 。 先 た 々 。 軒 代 の※の 木 こぐ 主 口ち 人 屋 織 根 茂 は※家 切きり ︵ 妻づま 非 造づく 公 のり 開 平 ︶ 屋 。ま 間ぐ 口ちさ 三んげ 間ん に 対 し 奥 行 藤澤家屋敷稲荷 ナ 目マ 地コ に壁 漆 喰方 を形 盛の り平 上瓦 げを 円並 形べ に し四 た隅 もを の釘 。止 め と し 、 出 てし あ桁 る 桁腕 。木 ・ 出 し 梁 ・ 片 持 梁 な ど の 先 端 に 渡 し 切 造妻 り造 。 二 つ の 面 を 合 わ せ た 形 状 の 屋 根 を も つ 16 用 語 解 説 二 十 年 代 ︵ 1 8 8 7 ∼ 1 8 9 6 ︶ の 築 造 。 じ る こ と の で き る 建 物 ﹂ と い わ れ る 。 明 治 ら れ て い た 。 昭 和 初 期 の 築 造 。 当 時 に は 、 現 在 の 店 の 土 間 に か ま ど が も う く が 、 商 家 の 特 徴 が よ く 残 さ れ て い る 。 築 前 面 全 て が 引 き 戸 で 、 二 階 前 面 に は 看 板 が 屋 小 根 黒 は 家 緩 ﹁ い 小 勾 黒 配 の※商 入いり 店 ︵ 母もや ﹂ 屋づく 非 造り 公 で 開 瓦 ︶ 葺 き 、 一 階 堀口家 営 ん で い た 頃 を 思 い 起 こ さ せ る 。 ﹁ 季 節 を 感 庭 が 一 部 の こ り 、 ﹁ 叶 屋 ﹂ の 屋 号 で 造 り 酒 屋 を 15 ※ 24 て 連れん 吉 い 子じ 野 る 。 格ごう 家 子し ﹁ が 叶かの 印 屋うや 象 ﹂ ︵ 的 非 な 公 主 開 屋 ︶ に は 内 部 に 通 り 山 道 に 沿 う 現 在 の よ う な 整 っ た 景 観 と な っ 屋 と 土 蔵 、 門 そ し て 塀 や 松 が 一 体 と な り 、 中 期 の 築 造 と い わ れ る 。 き で 養 蚕 農 家 風 の 建 物 も あ る 。 と も に 昭 和 特 る 徴 、 い を わ 残 ゆ す る 建 ﹁ 物 平 。 入 敷 り 地 ﹂ 内 の に 建 は て 方 、※ 切きり を 妻づま し 造づくり た の 町 瓦 家 屋 九 根 品 が※ 寺 切きり 門 妻づま 前 造づく に でり い 、 た 棟 と る 平 道 行 に な 面 面 し に て 入 建 り つ 口 主 が 屋 織茂家 に し た 。 昭 和 六 十 三 年 ︵ 1 9 8 8 ︶ に 改 修 し 、 主 替 え ら れ た が 、 そ れ 以 前 の 建 物 と 間 取 り を 同 じ 14 街 道 の 拡 幅 に 伴 い 、 昭 和 九 年 ︵ 1 9 3 4 ︶ に 建 て ︵ た か さ き 都 市 景 観 賞 ︶ 伝 え る 。 昭 非 和 公 八 開 年 ︶ ︵ 飛 田 家 ︵ 1 9 3 3 ︶ 築 造 。 、 山 茶 庵 か ら の 並 び が か つ て の 街 道 の 風 情 は 隣 接 す る 日 置 家 よ り 低 く 、 古 さ を 感 じ さ と 街 高 な 道 橋 り に 家 、 面 ︵ 二 し 非 階 た 公 が 一 開 三さん 階 ︶ 間げん は か 、 ら 間まぐ な 口ちご る 五けん 町 間 家 全 。 て 軒 が の 開 高 口 小黒商店 は 棟 続 き で 、 昭 和 初 期 の 築 造 。 13 街 道 に 沿 う 商 家 の 趣 を 伝 え る 建 物 。 山 茶 庵 飛田家 間まぐ日 口 ち置 に 二 け家 間んは ︵ 半ん 非 、 公 一 開 階 ︶ 前 面 全 て が 引 き 戸 と な っ 10 第 二 号 が か か り に く い 建 物 。 昭 和 初 期 の 築 造 。 山茶庵 開 口 部 が も う け ら れ 、 軒 の 出 が 大 き い の で 入 口 は 角 地 を 利 用 し て 、 道 に 面 し て 二 方 向 置 倉 家 賀 と 野 一 駅 棟 入 を り な 口 す の 、 交 い 差 わ 点 ゆ に る 面 ※ 棟 し 割 、 り 隣 長 り 屋 合 。 う 11 日置家 12 山 茶 庵 ︵ 非 公 開 ︶ ︱ 歴 史 を 偲 ぶ 建 物 ︱ 高橋家 21 使 長 ら ど 20 23 明 つ い 家 22 屋 側 地 で 大 山 家 ︵ 大 山 小 児 科 ︵ ︶ 非 公 開 ︶ 治 期 の 築 造 、 土 蔵 は そ れ 以 前 と い わ れ る 。 き た の 、 農 中 南 家 で 側 で 飼 に 、 わ ※ ナ 土 れ マ 蔵 て コ は い 壁 棟 た も も 。 残 高 か っ く つ て 、※て 観 は い 音 養 る 開 蚕 。 主 き を 屋 戸 し は が て 主 屋 一 階 の 座 敷 は 以 前 は 土 間 で 、 牛 な ど も 清 塚 豊 家 ︵ 非 公 開 ︶ に 区 あ で る は カ※ 大 シ 規 グ 模 ネ な と も と の も で に 土 、 蔵 か つ や て 敷 の 地 農 の 家 北 の 西 敷 構 え を 伝 え て い る 。 明 治 初 期 の 築 造 。 瓦 葺 き 、 総 二 階 の 典 型 的 な 養 蚕 農 家 。 こ の 主 清 屋 塚 は ヨ 屋 根 シ に 家 ︵ 三 非 つ 公 の 開 天 てん ︶ 窓 そう が 載 っ た※ 切 きり 妻 づまづ 造 くり 用 し て い た 。 明 治 以 前 の 築 造 と い わ れ る 。 屋 門 の 西 は 物 置 、 東 は 馬 屋 、 二 階 は 番 頭 が れ た 長 屋 門 は 、 倉 賀 野 で は あ ま り 見 か け な い 。 農 家 の 構 え を の こ す 。 物 置 や 居 室 が も う け 屋 敷 に は 主 屋 、 長 屋 門 、 土 蔵 や 裏 の 井 戸 な 平 井 家 ︵ 非 公 開 ︶ 脇本陣跡 須賀家 作 成 : 特定非営利活動法人 街・建築・文化再生集団 高崎市都市計画課 発 行 : 倉賀野まちづくりネットワーク 協 力 : せがい造り 入母屋造 寄棟造 出し桁 倉賀野マップ わ∼きんぐぐる∼ぷ 切妻造 24 吉野家 23 大山家 22 清塚豊家 21 清塚ヨシ家 第二号 ― 歴史を偲ぶ建物 ― N 宮原町 OM N 至 矢 中 町 RO U P 崎駅 至 中 居 町 崎市 街地 GG 至高 K U R AG A 至高 平成16年春 I N 倉賀野めぐり A P W ORK 至 柴 崎 町 JR 高 至 宮原町 崎線 ・八 高 倉賀野西 線 17 倉賀野 高 崎 市 街 地 バイパ ス 倉賀野 桜木町 倉賀 野駅 永泉寺 2 湯浅家 新堤 至多 正六 レンタサイクル 文 県 市立倉賀野小学校 倉道 松並木 上町三 正六 中山 かんら信金 県 道 金 井 ・ 倉 賀 雁橋 野 停 車 場 線 上町四 道 賀 野 停 車 場 線 一里塚跡 上町西 1 須永家 5 鈴木家 せんげんやま 高崎信金 田子屋 安楽寺 浅間山古墳 栄橋 上正六 4 真嶋家 林西寺 3 宮下家 脇本陣跡 6 須賀家 上町 群馬 銀行前 倉賀野神社 9 鳥羽家 小鶴巻古墳 至一 倉賀野駅からの所要時間 脇本陣跡 須賀家 市立倉賀野中学校 公 上町二 粕沢川 7 茂木家 道 約10分 倉賀野神社 約12分 閻魔堂 約12分 浅間山古墳 約20分 16 堀口家 倉賀野町 町駅 水路 23 大山家 「大山小児科」 24 吉野家「叶屋」 横町 児 冠稲荷 田屋町(大門) かりがね 雁児童公園 睦町 銀行・信用金庫 × 交番 路線バス 公 公民館 ぐるりん (循環バス) 消コ 消防コミュニティセンター 碑 プラザ たかさき人権プラザ P 駐車場 市サ 市民サービスセンター 至新 19 矢島家 下町 プラザ 日光例 幣使道 至群馬 の森 南町 閻魔堂 倉賀野下町 南町 レンタサイクル 児童館 諏訪神社 18 大山家 「大黒屋」 中町 ︵ 山 名 道 ︶ 牛 基地 水路 倉賀野駅前 × 貨物 野郡 新町 ・藤 岡 下町 P 街 文 13 飛田家 徒歩約7分 倉賀野河岸跡 児 8 筒井家 大鶴巻古墳 橋 本松 児童公園 17 藤澤家屋敷稲荷 九品寺 倉賀野駅 入口 14 小黒家 消コ 11 日置家 群馬銀行 上町一 仲町 10 山茶庵 12 高橋家 中山 道 県 道 元 島 名 ・ 倉賀野駅東 倉 賀 野 線 ︵ 京 目 新 道 ︶ 養報寺 市サ 倉賀野中学校入口 倉賀野 神社 15 織茂家 至 野 倉賀 トイレ 大杉神社跡 井戸八幡宮 河岸の碑 倉賀野河岸跡 20 平井家 21 清塚ヨシ家 22 清塚豊家 旧中山道 至岩鼻町・ 多野郡新町 P 15台 共 栄 橋 烏 川 P 50台 倉賀野緑地 至 阿 久 津 町 ・ 山 名 町 倉賀野マップわ∼きんぐぐる∼ぷ 「倉賀野まちづくりネットワーク」 では、 倉賀野町の歴史や文化、 自然やまち並みを共に 考え、 町を知り、 町を楽しめ、 町に人が生きる喜びを感じられるまちづくりを目指します。 その一環として 「倉賀野マップわ∼きんぐぐる∼ぷ」 が、 このマップを作成しました。
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