げいぶん第37号 (カラー版)

 、
め に 思 い 立 っ た 心 ⋮、 な ど
物 事 に 馴 れ な い こ と。 ④ 初
ばかりであること。③まだ
あ る こ と。 ② 仏 道 に 入 っ た
ような次第です。読者の皆
らためて芸文発刊の経緯を
﹁初心﹂
広 辞 苑 に は、 が、 編 集 部 の 陣 容 も 大 き く
①学問・芸能の学び始めで 変わっていることだし、あ
陶芸家などの若手メンバー
ながち意味のないことでは
早 速、
﹁飯塚の文化を創
なかろうと思われ寄稿した る会﹂の中で、書家・画家・
振 り 返 っ て み る こ と も、 あ
を中心に新聞発行の話が進
ました。
獲得されたとのことであり
の市民の共感を得、読者を
ートする﹂
芸文発行の方針を確認した
る
山に密着したものとす
も十分に窺えます。行政や
るべく汗をかいている様子
れますが、創刊の趣旨を守
面が続いているように思わ
一人として希望せずにはお
した活動を創刊メンバーの
目 指 し て、 本 紙 の よ り 充 実
付いた元気なまちづくりを
て、芸術文化がしっかり根
をサポートする
三 新進気鋭の藝術の活動
地域社会への提言などが散
られません。
﹁芸術文化で元気なまち
とは大きな喜びです。しか
集も随分と充実してきたこ
賜りますよう心よりお願い
いご指導と温かいご支援を
の4項目を掲げ、
を提供する
四 文化芸術に関わる情報
づくり﹂
年という節目の年を迎
えて、この辺であらためて
( 案山子・大塚洋一 )
申し上げます。
し
的な芸術文化活動をサポ
﹁子供を含む若者の創造
読者の皆さまには、今後
近年、スタッフに新しい
人の参画を得て、紙面の編 とも﹁芸文﹂に対する厳し
見されることがそれです。
が、二大骨子であるとし うえで、新たなステップを
一、芸術文化を通して元気な
まちづくりを考えます。
踏み出すことが重要ではな
ています。
二、地域の芸術文化活動を
バックナンバーを読み返 いだろうかと考えます。
応援します。
三、地域の芸術文化に関する
〝初心忘るべからず〟こ
し て み る と、 未 消 化 の 記 事
情報を提供します。
も多く、荒削りな編集の紙 の 格 言 を 常 に 念 頭 に お い
と あ り、
〝初心忘るべから
さ ま に は、 ご 寛 恕 の ほ ど お
められました。そこで我々
第二会場「アート
スペース Key」
ᑸ૨оБҗ࠰ƷራႸǛᡇƑƯ
ず 〟 と し て、﹁ 学 び 始 め た
願い申し上げます。
刊にいたるまでの考えと郷
と、次のように発刊の意義
第一会場
「ギャラリー紅椿」
10
嘉飯地域に芽吹いた若いアーティスト8
人の作品展を第一会場「ギャラリー紅椿」
、
第二会場「アートスペース Key」で、6/12
∼ 6/17 まで開催しました。来場者約 600 名、
6/15 の Key でのライブも満員御礼で、皆様
方からのご支援のおかげで盛況のうちに無
事終了いたしました。本当にありがとうござ
いました。
取 り 組 ま れ、 瞬 く 間 に 多 く
当時の気持ちを忘れてはな
飯塚藝術文化新聞が創刊
に至ったのでした。
いうことになり、芸文発行
ら な い。 常 に 志 し た 時 の 芸 文 創 刊 の き っ か け は、 は芸術文化振興の面から地
意気込みと謙虚さをもって ﹃ 壱 岐 日 日 新 聞 ﹄ の 創 刊 者 域の活性化に努力しようと
拓氏
事に当たらねばならない。
﹂ で編集・発行人種田
の 講 演 を 聞 き、 そ の 新 聞 発
年 目 に 入 り、 号 を 重 ね る
とあります。
土壱岐の活性化にかける情
創 刊 号 で 横 山 編 集 長 が、
熱の深さに触発されたこと ﹃今、なぜ︻げいぶん︼か﹄
をアピールしております。
を数えるに至ったこ
一 文化芸術の振興に寄与
こと
し新しい文化の創造を
にあります。
同氏は行政や地方政治の
人としていささか感慨深い
ウ オ ッ チ ャ ー と し て、 予 算
となど、創刊メンバーの一
編成などに不条理があった
ものがありますが、正直こ
こまで来るとは思いもしま
めざす
二 飯塚を中心とする嘉飯
場 合、 そ れ を 正 す 姿 勢 で 報
道することに熱意をもって
「線・面・器 展」 実行委員長 津田勝巳
᰷аࢳ᰸
発行人 横山祐三
編集部
飯塚市下三緒 35-398
電話 0948-29-3401
せんでした。
本稿は内向きの記事です
『線・面・器 展』 ‫ ٻ‬Ⴎ ඞ ࣂ ᅇ Მ
号
37
第
37
10
᧦‫ض‬ᒿᕝ઺ҕ૎ዿіЪ ԣࠚᗫࣂˍ఻
(平成 17 年 9 月1日創刊)
第 10 巻第 3 号(通巻 37 号)
(1)平成 26 年 9 月1日(月曜日)
平成 26 年 9 月1日(月曜日)(2)
(平成 17 年 9 月1日創刊)
第 10 巻第 3 号(通巻 37 号)
情熱の磁場③ 筑豊の表現者たち
˩̦˶ᢪʝʱ˅ˑ˾ˬ̘ˣ
嘉麻市立織田廣喜美術館
ン ダ か ら 伝 わ っ た Glas
=ガラスということばが
一般的に使われるように
なったとのこと。
エコール・ド・チクホウ
vol.3﹁ 筑 豊 の ガ ラ ス 作
家たち﹂
筑豊美術館ネットワー 会期 9月2日︵火︶∼
ヨーロッパからさまざま ク で は 今 秋、 ガ ラ ス を
月 日︵日︶
なガラス器が渡来、ポル テーマとした展覧会﹁筑 場所 アートスペース谷尾
- ︶
開催する。
横山秀樹、渡邊玲子
藤田秀提子、
毛利憲治、
佐 竹 幸 雄、 重 松 昭 二、
伊 藤 哲 三、 斉 藤 達 也、
ワーク
主催 筑 豊 美 術 館 ネ ッ ト
︵直方市古町
ト ガ ル 語 の Vidro、 オ ラ
ン ダ 語 の Diamant を 語
筑豊の地で生まれた吹
豊のガラス作家たち﹂を
となく思って歴史を調べ
源とする﹁ビードロ﹂
﹁ギ
きガラスや、ステンドグ ︿参加作家﹀
と発音が似ているとなん
てみると次のようなこと
ヤマン﹂と呼ばれた。
ラス、シーグラスなど、
バラエティーに富んだガ
建っている。
伊藤邸のすぐ近くの遠賀川の河川敷に一つの歌碑が
場に並び、多くの人が旧伊藤邸を訪れている。その
白蓮のことが全国的に有名になり、県外の車が駐車
これは柳原白蓮が歌ったものだ。
テレビで﹁花子とアン﹂が放映されて、わがふる
さと﹁幸袋﹂の伊藤伝右衛門とその妻であった柳原
ᘨlj̘ȉ ᫍǏȆDŽǝǶǦ ǀȂǓȉȉ
ǰ dzǓ
ቌনǬᆾǬ ዁ǕNj᫆
なく。
26
蓮、そして﹁男﹂伊藤伝右衛門の姿を追ってみたい。
の意見が新聞紙上をにぎわせた。次号でもう少し白
姦通罪のあった時代に、命を懸けて恋に生きた白
蓮の生き様は、当時の世間に衝撃を与え、賛否両論
LjȀǂNjȂ
୉Ȁ൰ᝀǬ
ljǐǜljǕ
ȍNJǑǕljǝǩ
ǨǩȐǨǐljǾ
࿽ᑺ
20
10
だった。
1549年、日本に最
ちなみにそれ以前、イ
初の西欧ガラスをポルト ン ド か ら 中 国 を 経 て 伝
柳原白蓮(1)
さらに時代を経て、オラ
ガルの宣教師フランシス わ っ た 呼 び 名 は﹁ 瑠 璃 ﹂ ラス作品を一堂に見られ
コ・ザビエルが持ちこん ﹁玻璃﹂と称されていた。 る絶好の機会をお見逃し
緋房の籠の美しき鳥
だ の を 皮 切 り に、 以 後
高 取 浩三
嘉飯文学碑散策(6)
10
ガラスってオランダ語
で glas、 英 語 で は glass
外と、早速飯塚商工会議所とタイアップ、飯塚市内の各
企業・グループなど 35 団体に呼びかけて『旧伊藤伝右
衛門邸の保存を願う会』を起ち上げました。
飯塚文化協会飯塚名誉会長 小 出 和 典 先ず、市に有償譲渡を受けるよう働き掛けましたが、
旧伊藤伝右衛門邸が、NHK朝ドラマ「花子とアン」 「予算なく、無償譲渡ならば……」と。一方、日鉄二瀬
の余波で、全国からの来館者が引きもきらずの賑わいを への無償譲渡の願い出には、
「問題にならない」とそっ
見せています。それが7月末には77万7777名に達 けない返答。これを機に私どもは懸命のキャンペーン・
し、このラッキーナンバーとなった長崎県の婦人が、く 署名運動を展開、そして次第に盛り上がる世論を背景に
す玉を割るなど祝いのイベントを飾りました。ことほど 日鉄二瀬、市、市議会への陳情戦を粘り強く繰り広げま
左様に今や旧伊藤邸は、嘉穂劇場と並んで飯塚市街活性 した。結果は3年間に流した汗が功を奏し、平成 17 年
化の貴重な名邸となりましたが、元々はこの建物、取り 11 月、土地代1億 4,900 万円 ( 建物無償 ) で市の所有
壊される危機にあったのです。
となり、実を結ぶことができたのです。
それは平成 13 年「旧伊藤邸の持ち主・日鉄鉱業 ( 株 ) 伊藤伝右衛門氏は小生の菩提寺 ( 安楽寺 ) を大正9年
が、これを解体して更地にするらしい」とのうわさが私 に再興して頂いた人であり、直系の伊藤伝之祐氏も同じ
ども飯塚文化連盟に舞い込み、一同驚愕。地域にとって ご門徒、白蓮の遺筆も同寺に有り、旧伊藤邸と併せて私
は近代歴史の大切な文化遺産、取り壊すなんてもっての 的にも、この縁は大事にさせて頂きたいと思っています。
଒˙ᕲᢶƸࠊൟᢃѣưųų
ųųųųųųӕǓْƠǛβǕƨᲛ
(平成 17 年 9 月1日創刊)
第 10 巻第 3 号(通巻 37 号)
(3)平成 26 年 9 月1日(月曜日)
文 化
と
英語教育と甘えの文化
飯塚市忠隈在住 田 原 稔
ഠদ଄˽ᰱ᧦‫ض‬ǥ՟ʔǬ؋ʰ
Ǭ ǾȇǭȂ Ǧ ǗǏǨLj
୬᤾˨Ⴗဩ᰸
᰷ ᠵ
事務局長
竹川克幸
いいまち巡り 黒田官兵衛ゆかりの地巡り④
ጞఎᨋ㎥ࡾౄ
麻生西日本新聞TNC文化サークル
軍師官兵衛いいづか
日 本 の 教 育 の 利 点 は、 テレビなどで日本在住
プロジェクト協議会 会長
大河ドラマ軍師官兵衛 鎮守としても歴史の
義務教育に限らず高等教 の外国人が日本語を話す
育や大学の専門課程も全 のを見て、言葉の駆使能 慶長5年、黒田官兵衛・ 弟 分 の 後 藤 又 兵 衛 に 譲 にちなみ、今回は黒田官 古いお宮です。毎年
て 日 本 語 で 学 べ る こ と 力が高いと思う人が多い 長政が中津から博多に移 られ、後藤又兵衛が長政 兵衛の家臣、黒田二十四 4月と9月に行われ
だ。また、日本では、海 かも知れないが、それは 封されたとき、細川藩と との不仲で益富城を出る 騎の一人で、朝鮮出兵時 る例祭では、五穀豊
に虎退治で名を馳せた猛 穣・家内安全を祈願
外で人気の小説や出版物 彼らの仕事や生活がかっ
の
国
境
警
備
の
た
め
に
6
ヶ
時
、
こ
の
槍
は
娘
婿
の
野
村
将 林 太 郎 右 衛 門︵ 掃 部 する﹁土師の獅子舞﹂
も瞬く間に日本語に翻訳 ているからであって、人
所の城︵六端城︶が整備 隼人祐直に与えられまし
亮・直利︶ゆかりの桂川 ︵県指定無形文化財︶
されては書店に並ぶ。つ 種や民族性と語学の才能
されましたが、直方の鷹 た。日本号の槍はその後
まり学問も情報も日本語 は全く無関係だ。
町土師地区です。
が奉納され、伝統あ
明治維新以来、日本人 取城と大隈の益富城の間 野村家に代々伝わりまし
を介して得ることができ
土師の地名は、出雲国 る舞は必見です
るありがたい国なのだ。 は必死に西欧の学問や科 の距離が長すぎるため中 たが、のちに安川敬一郎 の土師氏一族、土師器制
慶長五︵1600︶
これに対し発展途上国 学技術を学び国を発展さ 間に当たる鯰田城が築城 に渡り、その後黒田家に 作に由来するともいいま 年の黒田氏筑前入国
では高等教育になればな せてきた。だが、技術獲 されました。
献上され、昭和五十三年 す。戦国期以前は安楽寺 後は、藩主黒田長政
るほど学問は英語で学ぶ 得以前に、英語を理解し
この地域の領主として に黒田家より国宝の﹁金 天満宮の荘園土師荘があ の命により、知行地
のが普通である。母国語 なければならなかった先 野村隼人祐直は遠賀川東 印﹂とともに福岡市へ寄 り、大内氏、毛利氏、秋 の 再 配 分 が 行 わ れ、
で高等教育を受けられな 人達の苦労は大変だった
側の頴田から稲築に至る 贈され現在は福岡市博物 月氏などの攻防戦があっ 翌年3月に、林太郎
い人達にとって英語は絶 だろうと思う。現代のよ
嘉穂郡北東部一帯の知行 館に展示してあります。 た軍事上の拠点でした。 右衛門は大組頭筆頭
対的手段であり、必要性 うな便利な教材もない状
3000石を拝領し、鯰
鯰田城は元和元年に出 飯 塚 方 面 か ら 国 道 として穂波郡預とな
が日本とは比べものにな 況で英語を身につけ、国
200号線沿い、出雲の り、土師村一円を含
を発展させてきたのだ。 田 城 の 城 主 と な り ま し された一国一城令により
らない。
年間で廃城となりまし 交差点を過ぎると土師地 む三千石の領地を拝
今の日本人は恵まれ過 た。野村隼人祐直は黒田
例えば、IT産業先進
区で、土師からは弥山∼ 領 し ま し た。 ま た、
国のインドでは英語を公 ぎているのに、英語がで 二十四騎の一人、野村太 たが、野村隼人祐直は廃
君ヶ畑∼白坂峠を越えて 老 松 神 社 を 復 興 し、
用語とし、英語で教育を きないのを教育システム 郎兵祐勝︵母里太兵衛の 城後野村大学と改名しま
秋月方面へと向かう白坂 柳ケ元︵桂川町湯の
受けるが、日本ではその に責任転嫁する。こんな 実弟︶の子息で黒田官兵 した。
越の旧道︵秋月街道︶は、 浦公園付近︶に居館
必要性がない。大半の日 甘 え は 日 本 だ け で あ っ 衛と長政・忠之の三代に
野村大学の墓と菩提寺 黒田官兵衛の子長政の三 を構えたといいます
本人にとって英語は学習 て、日本人の甘えの文化
仕え、野村家は江戸末期 の晴雲寺が現在も残って
男長興が治めた秋月黒田 が、詳細は不明です。
科目の一つに過ぎず、日 に他ならない。
まで中老として家格を維 いますが、鯰田城の場所 家が参勤交代の際に通過
黒田家とも意外な
英語習得には強い動機
本語だけで学べるから
はまだ特定できていませ した主要道でした。
地縁のある桂川町土
だ。ある意味、日本人は と目標を持ち、学習を継 持できました。
黒田節で有名な日本号 んので情報をご存知の方
またその道筋に鎮座す 師地区を散策されて
幸せな教育環境にあると 続する以外ないと自覚す
の槍は母里太兵衛から兄 は是非ご連絡ください。 る老松神社は、土師荘の みませんか。
べきである。
も言えるだろう。
英 語
13
【必見】10月21日(火)∼26日(日)10時∼18時 イイヅカコミュニティーセンター2階展示ホール
第 47 回飯塚総合文化祭 麻生西日本新聞TNC文化サークル作品展 開催(入場無料)
第50回福岡県中学校放送コンテスト
ᦡ‫ ו‬ඬߢޮ‫̏ٺ‬ǩС‫ب‬
15
18
ȫ
ഭӪưჷǔƈ ᩿ႉƍƶ⌏ƴ⌣ džǜᛖƉ
この虫の名はなに?
13
‫˓ܬ‬ȍljǮǓȑ ᭭᧦‫ૢض‬૎᧻ʪ܎ிˎࠚ᭮
୑ᘧ៺ᣓᡣᛇ
13
14
「来年は?」と聞くと、
「勉強が
あるので…。わかりません。
」と
のこと。しかし、期待をしたい。
15
24
‷඾ུࢊ͉؈̥̱̞͠‸
◆
が今でも耳に残っている。
﹂ た。
﹂
﹁今大会に臨むについ
嘉穂高等学校吹奏楽部 日本代表として ﹁本番では、朝鮮民謡のア ては、顧問の伏見先生から、
8 月 日 ∼ 日 に 隔 年 開 催 の 第 回 リランの曲には喜んで涙す 〝これは国際交流の一環で、
飯塚藝術文化新聞 編集委員 岩 永 昌 子
坂下さん ア ジ ア 太 平 洋 吹 奏 楽 指 導 者 協 会 済 州 島 る人がいて、大歓声を受け 一 人 ひ と り が 交 流 大 使 に
NHKの朝ドラ﹁花子 と訳したという。先生は
大会に、米国・英国・ドイツ・中国等、 た。
﹂
﹁練習会場の南寧高等 なったつもりで、行くよう とアン﹂を見ていて、翻 名訳だと感動しておられ
日本を含めて 団体が参加・出場した。 学校では、よくお世話をし に〟と言われていた。役員
訳作業もなかなか興味深 たが、この官能的な言い
、 日は野外コンサートでは、マー てくれて、ステージやホテ の方やガイドさんから〝君
山崎さん チ調の﹃青葉の街で﹄他6曲。 日の本 ル に も 見 送 り に 来 て く れ たちの所作を見習わなけれ い も の だ と 思 っ た。 女 回しは高校生の私達には
学校での英語講義。先生 ちょっと難しかった。
大 会 で は﹃ バ ッ ハ の 名 に よ る 幻 想 曲 と た。
﹂
﹁参加者全員が出席し ば 〟 と か、
〝嘉穂の定演を
フーガ﹄他6曲を演奏した。
たレセプションで、大会委 聴きに行きたい〟と、好印 の訳す﹁ロミオとジュリ そうそう、この時、夏
井上さん
部長の坂下さん、マネージャーの山崎 員 長 挨 拶 の 中 に、
〝 ジ ャ パ 象をもってくれたのではな エット﹂が固い。すると 目 漱 石 の 話 も し て く れ
主 人 公 の は な が、
﹁ 私 の たっけ。英語の講義中、〝 I
さん、副部長の井上さん・城丸くんに帰 ン・バンドには、素晴らし いかと、満足している。
﹂
訳 は ち ょ っ と 違 う。
﹂ と love you〟を学生が﹁我
国直後に大会の感想を聞いた。
い感動をありがとう。今の
帰国直後でもあり、熱く
﹁野外コンサートでは、高文連炭坑節 国際情勢のなかでよくぞ参 語ってくれた。節度ある行 ロマンチックに訳する。 君 を 愛 す ﹂ と 訳 し た ら、
城丸くん ︵あなたといると︶月が
が大受けで、アンコールに応えてAKB 加してくれた。そして、日 動 に 定 評 の あ る 部 員 た ち、 文学作品の翻訳は、直 ﹁
訳では味気ない。原作の 綺麗ですね、くらい訳し
や モ モ ク ロ の 曲 の 演 奏 は 大 変 な 盛 り 上 本人の良いところを見せて
立
派
に
国
際
交
流
大
使
の
任
を
雰 囲 気 を 尊 重 し つ つ も、 なさい。
﹂と言ったとか。
がりで、済州市民や外国人からの大歓声 く れ て 感 激 し た。
〟 と あ っ 果たしてくれたようだ。
読者の心にすんなり入っ 愛とか恋とかそのものず
ていく文章に変換するこ ばりを言わないで、やんわ
法使い﹂
。ドロシーがどれ
を柔らかい言い方へと変
7 月 日に行われた県
大会で名前を呼ばれた。
とが要求される。翻訳者 りと、曖昧、思わせぶり
だ け 故 郷 が 好 き か を、 か
化
し
て
い
く
と
こ
ろ
。
│ │ 銅 賞。 飯 塚 日 新 館 中
の語彙力もさることなが に気持ちを伝える。日本
かしに語りかける場面で
放送部のない日新館に
学校 室井わかばさん!
あ る。 中 で も﹁ 血 と 肉 で
専 門 の 指 導 者 は い な い。 ら、想像力と言葉のセン 語は本当に奥ゆかしい。
全 国 大 会 出 場 が 決 定。 で き た 私 た ち 人 間 は、 そ
ス が 重 要 に な っ て く る⍐
。 ᪽Ʒ˳દư Ƣ⍐
去年は残念ながら入賞で
自分の名前を呼ばれた時
国民性や時代背景なんか
こがどれほど退屈で灰色
き な か っ た の で、 今 年 こ
① このふたつ折りの
ビックリしたそうである。 で も、 自 分 の 故 郷 で 暮 ら
も影響するだろう。
そはとアクセント辞典を
ラブレターは、花
そ れ も そ の は ず、 筑 豊 大
し た い も の な の。 他 の ど
片 手 に、 持 ち 前 の 集 中 力 そんなことを考えてい
の
所番地を探して
会では八位だったのだ。
んなに美しい場所よりも
と 根 性 で 練 習 に 励 ん だ。 たら、高校生の頃国語の
いる。
朗読部門は数冊の課題
先生が話してくれた二葉
ね。 わ が 家 に 勝 る と こ ろ
室井さんが朗読に興味
② スプリングつきの
亭四迷の翻訳エピソード
の本から自
はないのよ。
﹂というドロ
を持ったのは小学校低学
たばこの粉。
を思い出した。ツルゲー
分の好きな場
シーの台詞を特に表現し
年。 弟 に 絵 本 の 読 み 聞 か
草
に宿った月のひ
③
ネ フ の﹁ 片 恋 ﹂
。ヒロイ
面を選んで読
た か っ た。 こ こ を 表 現 す
せをしていたそうだ。
としずく!
ンが密会場面で、
﹁
︵私は︶
む。今回、彼
る 難 し さ は、 前 半 の か か
④ 黒くてぴったりは
室 井 さ ん の 魅 力 は 声。
あなたのものよ﹂とささ
女が選んだの
しへのきつい言い方から、 県 大 会 で も﹁ 声 が さ わ や
り
ついている。ま
は﹁オズの魔
故郷への思いを語る後半
かだった。
﹂と評価された。 やく台詞を、考え抜いた
るで鍵穴みたい。
末、﹁
︵私︶
死んでもいいわ﹂
︵答えは8頁︶
ルナール「博物誌」より出題 !!
平成 26 年 9 月1日(月曜日)(4)
(平成 17 年 9 月1日創刊)
第 10 巻第 3 号(通巻 37 号)
25
(春日神社)
黒田 24 騎画像
̭ͭ ͎ ͣ ͘͞ ̭ ͏ͭ
晃
̲̀ͭͭ͘͞ ̭ ͏ͭ
桂 川߄
町 ๤္५ࡣ໩͂ഛ૰ ५ࡣ໩
文 化財
尾園
福岡県指定無形民俗文化財
山 野 の 楽 │ 毎年、9月
嘉麻市生涯学習課文化財係
松浦 宇哲
日奉納
23
飯塚市歴史資料館︻企画展︼
12
軍師官兵衛いいづかプロジェクト協議会発足を機に
Ƙǖ ƨ ƴ ơᵽƏǑǜ Ɩ Ưǜ
ų ᱅ဋʚ җ ׄᬱ‫ޒ‬
26
桂川町
学芸員 樋 口 嘉 彦
嘉麻市の山野地区には の鎌倉時代にまでさかの
平成 年のNHK大河 も、 月から 月にかけ 桂川町には、特別史跡 いと考えています。
通称﹁山野ん楽﹂と呼ば ぼります。当時、山野は
ドラマでは﹁軍師官兵衛﹂ て企画展﹁黒田二十四騎 の 王 塚 古 墳 を 含 め、 前 こ れ ら の 前 方 後 円 墳 れ る 楽 打 ち の 芸 能 が 伝 宇佐八幡宮の領地とだっ
展﹂を予定しています。 方 後 円 墳 が 五 基 存 在 し は、広い地域を治めてい わっています。楽打ちと たようで、宇佐八幡宮の
が放映されています。
これを受けて、福岡県 戦国末期から江戸時代 ます。調査が進んでいな た首長の墓であり、豊か は、胸に付けた締太鼓を 分霊勧請にあたり、楽打
か っ た こ の 古 墳 群 の う な地域であった証です。
ちが伝来したと云われて
打
ち
鳴
ら
し
な
が
ら
舞
う
太
では﹁軍師官兵衛﹂福岡 初期にかけて黒田家に仕
ち、金比羅山古墳につい
遠賀川流域は古くから 鼓踊りの一種で、福岡県 います。
﹁山野ん楽﹂は、
プロジェクト協議会が設 えた家臣として知られる
て、墳丘の形を調べる墳 栄えた地域でした。前漢 下 で は、 現 在 の 豊 前 市、 氏子安全、五穀豊穣など
立され、飯塚市では﹁軍 黒田二十四騎と飯塚との
丘測量調査などが九州大 鏡を出土した立岩遺跡に 行橋市、北九州市など旧 を願う﹁村の鎮守の神様
師 官 兵 衛 い い づ か プ ロ 関わりについて関係資料
学によって行われたこと 続き古墳時代には、飯塚、
豊前国の領域に多くみら のお祭り﹂として、引き
ジェクト協議会﹂が発足 を展示して紹介します。
は、先々号の記事でお伝 穂波、桂川、稲築など複
れる民俗芸能です。旧筑 継がれています。
されるなど、全国から多 主 な 展 示 品 と し て は、
え
し
ま
し
た
。
数
の
地
域
に
前
方
後
円
墳
を
前国の領域では、
この﹁山 ﹁ 山 野 ん 楽 ﹂ は、 楽 方
くのお客様を呼び込むた 曩 祖 八 幡 宮︵ 飯 塚 市 宮
今回は、金比羅山古墳 中心とした古墳群が数多
め、
﹁ 軍 師 官 兵 衛 ゆ か り 町 ︶ に 奉 納 さ れ た 黒 田 の 範 囲 確 認 調 査 の 続 き く造られました。その後 野ん楽﹂が唯一の楽打ち 十 二 人 と 囃 子 の 鉦 方 二
人、笛方四人、太鼓方二
の地・福岡県﹂として県 二十四騎図絵馬。春日神 と、天神山古墳の墳丘の も、穂波屯倉、鎌屯倉が として、昭和三十三年に
福岡県の文化財に指定さ 人 か ら 構 成 さ れ て い ま
内外に広くPR活動が行 社︵北九州市︶所蔵の黒 測量調査を行う予定で九 置かれ、大分廃寺など古
す。楽打ちは楽方が輪に
田二十四騎画像などがあ 月中旬から始まります。 代寺院が作られる重要な れています。
われています。
﹁ 山 野 ん 楽 ﹂ の 始 ま り なって舞い踊ることが多
飯 塚 市 歴 史 資 料 館 で ります。ぜひ一度ご覧に 金比羅山古墳の調査は 地域であったようです。 ﹁山野ん楽﹂
は、寛元二年︵一二四四︶ いのですが、
なってみてください。
今年度末までの約半年間
そして、すでに調査し、
は、楽方が六人ずつ二列
の予定で、くびれ部や前 整備が終わった古墳・遺
の 隊 列 で、 左 右 前 後 に
方部の確認を行って時代 跡については、本年も十
ゆったりとした所作で舞
決定の参考となる調査を 月 十 八 日︵ 土 ︶
、十九日
うところに大きな特色が
行います。より詳しい情 ︵ 日 ︶ に 同 時 公 開 を 開 催
みられます。笛と鉦の囃
報が分かることが期待さ します。
子に合わせて舞う﹁笛楽﹂
れています。
装飾古墳である王塚古
と楽方がゆったりとした
天神山古墳は、京都大 墳や竹原古墳、川島古墳
調子で歌を歌いながら舞
学による王塚古墳の調査 のほか、水町遺跡群や小
う﹁歌楽﹂とがあります。
報告書に掲載された測量 正西古墳など説明を聞き
﹁山野ん楽﹂は、毎年、
図以降、近年の調査はあ
な
が
ら
の
見
学
が
で
き
ま
九月二十三日の秋分の日
りませんでした。改めて す。また、沖出古墳など
に若八幡神社に奉納され
測量調査を行い、今後の では、勾玉作りなどの体
ています︵見学可︶
。
範囲確認調査につなげた 験も予定されています。
10
黒田 24 騎絵馬
(曩祖八幡宮)
【時間】
9:30 ∼ 17:00 (入館 16:30 まで)
【休館日】
毎週水曜日(祝日を除く)
年末・年始(12 月 29 日∼翌年 1 月 3 日)
【入館料】
一般(団体) : 220 円(160 円)
高校生(団体) : 110 円(70 円)
小・中学生(団体)
: 50 円(30 円)
※( )内は 20 人以上の団体料金。
※ 土曜日は高校生以下無料。
(平成 17 年 9 月1日創刊)
第 10 巻第 3 号(通巻 37 号)
(5)平成 26 年 9 月1日(月曜日)
平成 26 年 9 月1日(月曜日)(6)
(平成 17 年 9 月1日創刊)
第 10 巻第 3 号(通巻 37 号)
᧦‫ض‬ᒿᕝ઺ҕ૎ዿ
іЪҧԣࠚᗫࣂ
立岩小学校3年
山下 華さん
飯塚第一中3年
上村 萌南さん
嘉穂高等学校2年
矢野
彩夏さん
Ť᫨‫ش‬ᕱᘐ૨҄ૼᎥចŤ
飯塚七夕揮毫大会
七夕大賞
飯塚市長賞
嘉麻市長賞
若菜小学校5年
第一回
桂川町長賞
岡松 夏海さん
͞‫ݯ‬୮๖Ϝ ಶभˈ˄ʥϜʊ˄ʝˍʌɲ
2014年 第1回 飯塚七夕揮毫会 入賞者名一覧Ტ૟ᆅဦᲣ
一倉葉菜理さん
嘉穂高2年
査され、
「奨励賞」は画家の津田勝巳先生が審
査をされた。
展示会・表彰式は7月 12・13 日飯塚コミ
ュニティセンターで開催され、約 300 名の参
観者があり、盛会でした。
5月 18 日、飯塚市のアイタウンで応募総
数 378 点。予選審査を催し、本選出場者 139
名を選出。本選揮毫会は6月 22 日、飯塚市
立岩公民館で開催され 136 名が出場した。
当日午後、福岡県教委の田中憲育先生が審
東内紀子さん 野見山 七海さん 青柳優菜さん 安藤早希さん 福山 鈴さん 浅田彩莉さん 市村日胡さん 平嶋寿也くん
日新館中2年 穂波西中1年 嘉穂小6年
若菜小5年
嘉穂小4年 頴田小中3年 猪位金学園小2年 下山田小1年
ʥʰʶʥ ʓ ʚʌʑʊ
七夕大賞
小3
上村 萌南 高2
華
飯塚市長賞 山下
嘉穂高等学校
立岩小学校
彩夏 中3 飯塚第一中学校
嘉麻市長賞 矢野
寿也 小1 下山田 金賞
飯塚第一
中1 桂川
永富
伶奈
大塚悠梨子 中3
畠中 若菜 小6 嘉穂
入生 萌 中1 菅生
中1 鎮西
岡松
千優
小6 飯塚東
島田 もも 小5 稲築西
金賞
日胡 小2 猪位金 金賞
彩莉 小3 頴田
金賞
鈴
小4 嘉穂
吉永
雅晴
堀下奈津子 小6 若菜
夏海 小5 若菜小学校
桂川町長賞 松岡
芸文賞 平嶋
芸文賞 市村
芸文賞 浅田
芸文賞 福山
金賞
芸文賞 安藤
早希 小5 若菜
金賞
芸文賞 青柳
優菜 小6 嘉穂
芸文賞 野見山七海 中1 穂波西 金賞
紀子 中2 日新館 金賞
芸文賞 東内
芸文賞 一倉葉菜理 高2 嘉穂高 金賞
合田ひばり 小1 若菜
金賞
金賞
松井かいり 小2 宮田北
小4 伊岐須
小3 立岩
小3 桂川
小2 牛隈
小1 鯰田
藤井 亜胡 高2 嘉穂高
山下 亜希 高2 嘉穂高
柳瀬 有伽 高2 筑豊高
金賞
奨励賞 犬丸 祥江
奨励賞 白石 央
奨励賞 角町 友奈
奨励賞 永水
沙樹
奨励賞 林田 奈月
高2 嘉穂高
高2 志耕館
中2 嘉穂
中1 鎮西
小6 牛隈
小4 椋本
奨励賞 中村
まゆ
奨励賞 大軒 瑠南 小5 桂川
奨励賞 二保明日香 小5 椋本
金賞
金賞
金賞
金賞
金賞
岸 寧寧花 小2 幸袋
奨励賞 竹林みさき
古賀 温子 小2 牛隈
奨励賞 花井 陽菜
深町そうま 小3 椋本
奨励賞 木原
春翔
伊藤 優衣 小3 桂川
奨励賞 松下明日香
山本穂乃花 小3 稲築東 奨励賞 大軒 彩佳
金賞
金賞
金賞
大淵
牛隈
奏愛
曽我部一心 小4 桂川
小4
金賞
福本しずく 小4 鯰田
吉田 望峻 小3 桂川
二保 結香 小3 椋本
金賞
金賞
金賞
金賞
井上
ひな 小5 若菜
大熊 志美 小5 若菜
千北かいと 小5 平恒
金賞
⎋⏆⎃⍹⎆⍹ ⎇⍹
⎆⍹ ⎎⎀
千鳥饅頭飯塚本店会長
原田 青夜
鏡についてはいろんな がら中国本土では一回も
発掘品によって考証がな 出土例が無いのです。し
されていますがその鏡の かし、最近では新たに発
年 代 が 大 凡 判 っ て き た 掘された中国鏡を参考に
のではないかと思われま したものが重要になって
す。特に古代中国鏡につ きたわけです。
いては飯塚市立岩遺跡か 例えば画文帯神獣鏡で
ら出土した日本でも有数 も 外 側 が 唐 草 文 様 な ど
︵ ※ 絵 1︶ 佐 賀 県 唐
の前漢鏡です。また紀元 や、
0 年、 新 朝 時 代︵ 王 蒙 ︶ 津の桜馬場出土鏡︵※絵
から後漢へとつながって 2︶方格規矩鏡⋮〝尚方
館長
橋本 周
とともに﹁文化振興マス
タープラン﹂を策定して
います。このマスタープ
ラ ン に お い て、
﹁飯塚市
文化会館を文化・芸術活
また、文化政策を明確 動の中心施設として、事
﹂と位置
にするために、個別の施 業 を 展 開 す る。
策や事業の内容だけでは づけられています。
なく、条例や基本計画な このような状況を踏ま
どを含め、全体政策の中 え 公 立 文 化 会 館 と し て、
に、文化政策や文化振興 市民のニーズに呼応する
を明確に位置付けること 芸術性の高い自主文化事
が重要とされています。 業を実施し、市民の文化・
先の藝術文化新聞第 号 芸 術 活 動 の 振 興 を 図 り、
に 掲 載 さ れ た よ う に 飯 個性豊かな地域文化の創
塚市では、文化振興基本 造に寄与することを目的
法の施行に伴い﹁文化振 として地域における文化
興基本条例﹂を制定する 振興を推進しています。
︵飯塚市文化会館︶の概要とその役割
イイヅカコスモスコモン
2.地域における公立文化会館の役割
今日、社会の成熟化や 可欠な地域の文化インフ
価値観の多様化が進んで ラであり、同時にまちづ
行く中で、国民生活にお くりや地域活性化の核と
ける余暇活動として芸術 して、地域の発展や豊か
文化活動が改めて見直さ な暮らしづくりに大いに
れています。こうした活 貢献している施設です。
地方公共団体において
動の拠点となっているの
が、公立文化会館です。 は、行財政改革を背景に
公立文化会館は、地域 施策や事務事業の効率化
の子どもや青少年を含め が求められる一方で地域
た多様な年齢層や文化芸 文化の振興に対する期待
術団体にとって、必要不 が高まっています。
֙ᄅњ‫ب‬ɐɭɕɏɭȭ
いくわけですが、卑弥呼 是 甚 大 也 ⋮ 仙 人 棗 を 食
※絵2
36
の叫び声。暑い夏、少し ています。江戸期の芝居
は涼を感じたのでは。
小屋では奉行所の許可を
嘉穂劇場では櫓と二階 得た小屋だけが櫓を揚げ
の高欄は赤く塗られてい る こ と が 許 さ れ て い ま
ます。災厄を防ぐ色とさ す。また歌舞伎の顔見世
れた朱色で5∼6年ごと 興行で初日の早朝に打つ
に塗りかえられてきまし 太鼓を一番太鼓と呼んで
た。毎日興行を行ってい いましたが、後に興行中
た頃には舞台奥の梯子を 毎日打たれています。
嘉穂劇場理事長
上り、屋根裏伝いに櫓に
緑道公園には、いちば
伊藤 英昭
出て、ふれ太鼓を打って ん 太 鼓 の 像 が あ り ま す。
の登場する芝居が上演さ 芝居の始まりを告げてい これは、NHKで筑豊を
れることはあるが、お化 ました。
舞台にした大衆演劇の役
け屋敷ならぬ肝だめし会
江戸期以前には歌舞伎 者を描いた﹁いちばん太
場に変身。
﹁ギャーッ!﹂ や相撲興行で木戸口の上 鼓﹂が放送され時に建て
と一歩踏み入れたとたん に櫓を立て、太鼓を打っ られたものです。
㼔㼠㼠㼜㻦㻛㻛㼣㼣㼣㻚㼗㼍㼔㼛㼓㼑㼗㼕㼖㼥㼛㻚㼏㼛㼙㻛
の時代はまさしく西暦3 い、長寿⋮〟があります。
卑弥呼が魏から拝受した
この夏、劇場正面の赤
い 櫓 に﹁ 恐 ﹂ の 文 字 が
出現。劇場で怪談や幽霊
世紀頃と推定されるので こ れ ら の 状 況 か ら 私 は、
はないかと思います。
銅鏡は方格規矩鏡ではな
我が国での︵出土︶銅
鏡は主に三角縁神獣鏡が かったかと思われます。
多く、この鏡は卑弥呼が 続きは来月詳しくお話
いただいたものだと言わ 致します。次回は飯塚と
れてきましたが、残念な 古代史の関わりです。
※絵1
(2)
ƀǍƙǒƷࣴƁ
嘉穂劇場
ᅕы႐ӹ⎛⎐⎡ᑋួ ⍯ ⍰
Ⅰ
(平成 17 年 9 月1日創刊)
第 10 巻第 3 号(通巻 37 号)
(7)平成 26 年 9 月1日(月曜日)
(平成 17 年 9 月1日創刊)
第 10 巻第 3 号(通巻 37 号)
平成 26 年 9 月1日(月曜日)(8)
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
頑張ったね
ƋǓƕƱƏųųų஋Ӑ˟Მ
᭻୉᭻ૢƩ
᧦‫ߡߴض‬൤ǬȗɠȤȠɊȜǥ 132 ്˨Ƴୋ
ӝ̏ƴ ઼ᓀ൹̏ᣒ NJᗛયǬᗫࣂቍ̏ȐΕǕǝƪ
情報をお待ちしております。
編集部 TEL:0948-29-3401
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
嘉穂劇場 水害復旧 10 周年記念
全国座長大会
( 年 4 回 毎号 5,000 部発行 )
官公庁、飯塚コスモスコモン、飯塚歴史
資料館、
織田広喜美術館、
ギャラリー紅椿、
その他に置かせて頂いております。無料配布で
すが、ひと声掛けてご自由にお取りください。
尚、
『げいぶん』の感想や「文化・芸術」に関
するご意見や NEWS、アイディアをお送りくだ
さい。メールでも受け付けています。
『飯塚藝術文化新聞』編集部
〒 820-0012 飯塚市下三緒 35-398
電話(F a x)
:0948-29-3401
メール:[email protected]
満月の中で飯塚市花火大会
撮影 藝文編集委員
藤内秀麿
☆飯塚藝術文化新聞を置いています☆
2014 年8月 11 日
◎編集委員
横山祐三/大塚洋一/鈴木淑文/
有江俊哉/高取浩三/藤内秀麿/
本川恭介/戒田高康/竹川克幸/
津田勝巳/大音嘉之/岩永昌子/
遠藤謙一/
◎編集協力団体
・
﹃飯塚の文化芸術を創る会﹄
◎印刷所
・
︵有︶ワイ・エス企画
福岡県飯塚市柏の森108 - 7
︵電話 0948 - - 2330︶
7月 13 日、
「黒田官兵衛い
いづかプロジェクト協議会」が
企画した黒田 24 騎に、官兵衛・
長政親子が描き込まれた日本最
大級の「平成絵馬」が曩祖八幡
宮に奉納された。江戸時代の絵
馬と併せて飯塚の新しい見所に
なることを大いに期待。
当宮からは、勝海舟ら幕末の
著名人らが記した和歌や漢詩の
奉納額も昨年発見されており、
飯塚宿の往時の文化の高さを想
い描けるのは喜ばしい。 ( 大 )
無料配布
ũዻᨼࢸᚡũ
ᛅѥᠸܺ˸
ありがとうございます
ǒҳѡसᙗǂǝǕǼǗᰲ˯࢞Ǭ૎ዿ࿺ᕚ
ǩ൭ཽǓǙǤǂǝǞNjǼǗᰲᱧ᦯ʜԃᱨ
᪽᳸Ʒ˳દưƢ᳸(4頁)の答え ①蝶 ②蚤 ③蛍 ④あぶら虫
15
神野
崇さま、白川 武司さま、
千々和 宏毅さま、花田 好一
さま、脇
典子さま
時 平成26年9月13日 ( 土 )
昼の部 10時開場 11時開演
夜の部 16時開場 17時開演
演目 「花よ 風よ」
・舞踊ショウ
今年も大衆演劇の花・座長が飯塚に
やって来る。あのいまわしい水害から、地元を中心に、芸
能人をはじめ全国から多くの方々の復旧運動に感謝し、こ
の劇場でお芝居のできるよろこびを爆発させる。
玄海竜二 ( 九州演劇協会長 ) をはじめ、その数は約 35 名
全国最大の座長大会です。ユニークな座長の個性が光り、
笑いあり涙あり風刺ありのお芝居です。
昔風の桟敷に座って感動をぜひお楽しみ下さい。
※前売り券発売中(連絡先 0948-22-0266)
朋友会は、地域の芸術・文化・
スポーツの振興活動を 年間に
わたり、支援し続けてきた。青
少年には高校生の全国大会出場
支援、飯塚書き初め揮毫会、少
年 野 球 大 会 等。 地 域 社 会 で は、
飯塚藝術文化新聞発行、飯塚新
人音楽コンクール、嘉摩万葉講
座、伊藤伝右衛門物語発刊、麻
生太郎副総理との対談会開催な
ど幅広い支援活動であった。
解散記念総会では﹁これから
も地域文化振興のために頑張っ
て下さい﹂との励ましの言葉と
共に、としとらーず合唱団・筑
豊交響楽団・邦楽研究会・飯塚
藝術文化新聞を含む8団体に支
援金がわたされ、解散を惜しむ
雰囲気が会場に充満していた。
◎ マサジアートギャラリー 0948-29-3877
9 月 12 日 ( 金 ) ∼ 21 日 ( 日 ) 陶人形展「rien 村物語」
10 月 10 日 ( 金 ) ∼ 19 日 ( 日 )
蒼山日菜と生徒作品展 ( 切り絵 )
◎ 杜の舟・花こみち・蒼林窯 09496-2-6799・6375
10 月 16 日 ( 木 ) ∼ 20 日 ( 月 )
秋の「木土藍楽展」九州の10 名の作家による合同展
◎ 嘉穂劇場 0948-22-0266
10 月 12 日 ( 日 ) 嘉穂名流会 ( 日本舞踊 )
10 月 18・19 日 ( 土・日 ) 高校演劇筑豊大会
◎ 桂川町図書館 0948-65-4946
9 月 2 日 ( 火 ) ∼ 21 日 ( 日 ) 第2回 高倉房子鉛筆画個展
◎ イイヅカコスモスコモン
9 月 12 日 ( 金 ) ∼ 14 日 ( 日 ) 筑豊書美術協会展
9 月 14 日 ( 日 ) 第 24 回飯塚市中学校連合音楽会
飯塚市中文連・教委主催
24