プレフィルドシリンジ製剤の 有用性について

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注射剤のリスクマネジメント
リスクマネジメントの視点から
プレフィルドシリンジ製剤の
有用性について
∼ヘパリン生食シリンジが臨床で望まれた理由と有用性試験方法(北里大学東病院薬剤部に聞く)∼
注射剤の投与プロセスにおけるエラー防止はリスクマネジメント
面で重要な課題の一つです。その対策として、各種のキット製剤
が開発されています。そこで、早くから注射用のキット製剤につ
いて検討されてきている北里大学東病院薬剤部長の黒山政一
先生と同薬剤部の平山武司先生に、プレフィルドシリンジ型キッ
ト製剤の開発の歴史とメリット、そしてヘパリン生食プレフィルド
シリンジ製剤を例にその有用性についてうかがいました。
Ⅰ
注射用キット製剤が
望まれた背景
調製時の微生物汚染や
調製過誤などのリスクがある
特
集
注射剤に関するエラーが少なくありません。
右 北里大学東病院薬剤部・部長 黒山政一先生(医学博士)
左 北里大学東病院薬剤部 平山武司先生(臨床薬学博士)
1986年4月の開院当初から、
リスクマネジメント
の観点から、注射剤の調製は薬剤部で薬剤師が無
菌的に行っております。
平山 開院当時は、薬剤師が患者様個々のオーダ
に基づき注射剤を調剤、無菌調製している病院は
ほとんどありませんでした。当院では開院時から、
その要因と貴病院における対策を教えてください。
現在では保険点数が付くようになった抗がん剤や
黒山 注射剤は、医師の指示から投与まで複数の
中心静脈栄養輸液に加え、末梢用の輸液も、薬剤師
ヒトが関与し、薬剤のほか注射器、ライン、輸液ポン
が調剤、無菌調製を行っています。
プなど多くのモノを使用します。また、指示伝達の
ルールや勤務体制など複雑なシステムによる投与
注射用のキット製剤については、どのように評
価されていますか?
がエラーを招く要因と
黒山 注射剤の調製は薬剤部で実施するにしても
なります。特に、混合調
多くの課題がありますので、私たちは出来る限り市
製を必要とする注射剤
販された注射用キット製剤を使用するようにしてい
では、薬剤・溶解器具の
ます。それは、注射用キット製剤は、非キットによる
準備→包装の開封・準
注射剤の調製・投与と比べて次のような利点を有
備→消毒・溶解操作→
しているためです。
ラベリング→プライミ
ングといったプロセス
① 微生物汚染や異物の混入を軽減する
から、調製時 の 微生物
② 調製時、使用時の過誤の可能性を減じる
汚染と異物の混入およ
③ 救急使用時の迅速な対応を可能とする
び調製過誤といったリ
④ 注射剤の適正使用に貢献する
スクが生じることにな
⑤ 注射剤の調製などに用いる器材を節減できる
北里大学東病院薬剤部・部長(医学博士)
ります。
⑥ 調製に伴う労働力が節減できる
黒山 政一 先生
従って 当 院 で は 、
3
プレフィルドシリンジ製剤の
普及は遅れていた
注射用のキット製剤が、普及したのはいつ頃か
らですか?
黒山 国内で、注射用キット製剤の普及の契機とな
ったのは1985年当時に中曽根首相とレーガン大
プレフィルドシリンジ製剤の
Ⅱ メリット
プレフィルドシリンジ製剤は、
調製時および使用時の安全性が高評価できる
プレフィルドシリンジ化が望まれる薬剤の特徴
統領で合意されたMOSS協議(Market Oriented
を教えてください。
Sector Selective Discussion = 市場重視型個
平山 プレフィルドシリンジ製剤は、従来の注射剤
別協議)でした。その合意に基づいて、翌1986年
の調製と比べて、作業効率が高く簡便な無菌調製
に厚生省( 当時 )薬務局課長から「 注射剤に溶解
が可能になります。調製時の有用性や安全性に加
液等を組み合わせたキット製品等の取り扱いにつ
えて、近年は使用時の安全性も高く評価されてい
いて 」の 通知が出され、注射用キット製剤に薬価
ます。すなわち他薬剤との差別化が可能になるな
上の加算が付くようになりました。その後、各種の
どリスクマネジメントの観点からの有用性です。
注射用のキット製剤が市販化されるようになりま
そういったメリットから勘案して、プレフィルドシ
した。
リンジ化が望まれる薬剤の特徴は表1のように考え
注射用のキット製剤の中で、プレフィルドシリン
ジ型のキット製剤(以下、プレフィルドシリンジ製剤)
の普及状況はいかがでしたか?
平山 厚生省の1986年の通知ではキット製剤を
事例1から4に分類しており、そのうち事例1がプレ
られます。
表1 プレフィルドシリンジ化が望まれる薬剤
1 無菌性がより重要な製剤
2 必要時に迅速な投与準備が望まれる製剤
3 投与準備に時間を要する製剤
フィルドシリンジ製剤ですが、なかなか普及しませ
4 調製者への曝露の問題がある製剤
んでした。1997年時点での注射剤のプレフィルド
5 正確な濃度調製が必要な製剤
シリンジ化状況を欧米と比較すると、米国で35%、
6 投与量が一定である製剤
欧州で15%だったのに対して日本は2∼3%でした。
7 配合変化などにより単独投与が望ましい製剤
普及しはじめたのは厚生省の通知から10年くら
8 リスクマネジメント上、他の薬剤との差別化が望まれる製剤
い後のことでした。国内で上市された品目数をみ
特
集
9 比較的高価な薬剤(キット加算の比率が少ない)
提供:北里大学東病院薬剤部
ると、1995年に51品目だったのが、1999年に
100品目、2002年に187品目、2004年には
251品目と、近年ようやく増えてきました。
プレフィルドシリンジ製剤の普及が欧米と比べ
て遅れた一般的な理由は何でしょうか?
望まれていたヘパリン生食液の
プレフィルドシリンジ化
ヘパリン生食液のプレフィルドシリンジ化につ
黒山 薬剤師や看護師さんは、上市された製剤を
いてお考えを聞かせてください。
使ってみて有用性はわかっていましたが、医師は直
平山 当院では前述の通り、開院当初からリスクマ
接注射剤を調製する機会が少ないことから、プレフ
ネジメント上、注射剤は患者様個々のオーダーに基
ィルドシリンジ製剤に対する有用性や安全性に関す
づき調剤、無菌調製を薬剤師が行っています。ただ、
る理解が不十分だったように思います。また、私た
ヘパリン生食液は病棟で看護師さんが調製してい
ち薬剤師や看護師さん自身も調製に要する労働コ
ました。それはヘパリン生食液が患者様の病状に
スト意識が希薄だった点も普及が遅れた要因にあ
対する薬効を期待する注射剤ではないため、医師
げられるでしょう。
が患者様個々へのオーダーをせず、当院の注射剤
平山 2000年前後から医療現場で感染対策に関
調剤のシステムに合致しなかったためです。一方、
する意識が高まってきたように思います。そのこと
病棟の看護師さんは、作業効率より100mLの生
が普及の後押しをした一要因と考えます。
食を用いヘパリン生食液ボトルを調製し、使用時ご
とに同一のヘパリン生食液ボトルからシリンジへの
4
吸引作業を複数回行っていたため、汚染される可
黒山 当院では、ヘパリン生食プレフィルドシリン
能性がありました。従って、早くからヘパリン生食
ジ製剤を用いた調製方法とバイアル製剤を用いた
液のプレフィルドシリンジ化を望んでいました。
従来の調製方法の比較評価しました。まず当院に
黒山 ヘパリン生食液の投与準備は、多くの病院
勤務している看護師と薬剤師を対象にアンケート
では、病棟で看護師が非無菌的環境下で行ってい
調査を行い、利便性と使用性を評価してもらいまし
る の が 日 常 的 だったと思 い ます。そ の ような 中
た。そして作業効率を検討するために調製時間の
2002年に、つくり置きしていたヘパリン生食液が
測定を行いました。
セラチア菌に汚染されて院内感染が起こった事故
利便性と使用性のアンケート調査について教
が大きく報道されました。他にもヘパリン生食液の
えてください。
つくり置きが疑われる感染事故は多くあったので
平山 利便性については、調製時の負担、正確性、
はないでしょうか。また、1999年にはヘパリン生
操作性などを評価しました。15の項目( 表2 )を
食液だと思って消毒剤を誤注射した事件も報道さ
5段階に点数化して評価してもらいました。使用性
れました。エラー・事故を減らすメリットから日本病
については、製剤の特徴(表3)について評価しま
院薬剤師会としてもヘパリン生食液のプレフィルド
した。結果は、いずれの項目においても、プレフィル
シリンジ化を要望しました。
ドシリンジ製剤法の方が有意に高い評価でした。
使用性については、プランジャーの逆引き防止は
Ⅲ
ヘパリン生食プレフィルド
1)
シリンジ製剤の評価
有用性に関して従来法と比較検討した
誤操作によってプランジャーが脱落することを防ぐ
ことができます。リスクマネジメントの考え方では、
誤操作させないことと、たとえ誤操作しても事故に
繋がらない仕組みが必要です。
黒山 さらに、医療従事者に薬剤名などをわかりや
先生方は今までに、多くのキット製剤の有用性
すく認識させる工夫も非常に重要です。
を検討されていますが、ヘパリン生食プレフィルド
特
集
シリンジ製剤の有用性について、その検討結果を
従来法の約1/7の作業時間で済む経済性
お話いただけますか。
作業効率に関してはいかがでしょうか?
表2 ヘパリン生食プレフィルドシリンジ製剤の
利便性に関するアンケート調査項目
黒山 作業効率については、薬剤の準備から調製、
廃棄までにかかる時間をそれぞれ測定して評価し
1. 操作中の手指ケガ発生(針刺し事故)の可能性
ました。
2. 希釈濃度の正確性
平山 従来法の所要時間に対して、プレフィルドシ
3. 異物混入防止のために要する注意
リンジ製剤は「調製操作」と「薬剤情報の記載」を
4. 汚染防止のための消毒の手間
必要としませんので約1/7と短い作業時間で調製
5. 無菌操作のために要する注意
が可能でした。
(表4参照)
6. 調製操作の準備に要する時間
7. 調製操作の簡便性
8. 薬剤の保管性
9. 薬剤の廃棄性(ゴミの量や分別廃棄)
10. 薬剤の組み合わせ確認の手間
11. 調製ミスを起こす可能性(時間切迫下や作業中断時)
12. 薬剤名の記入ミスを起こす可能性
13. 薬剤取り違え等の医療過誤防止性
14. ヘパリンロック実施時の操作性
15. 有用性の総合評価
5
表3
ヘパリン生食プレフィルドシリンジ製剤の
使用性に関する調査項目
包装からシリンジの取り出しは容易でし
たか?
プランジャー(押し子)には逆引き時の抜
け防止がついています。必要と思います
か?
ラベル表示の確認は容易でしたか?
これらの問題の解消も
ヘパリン生食プレフィルドシリンジ製剤の経済
性については、
どのようにお考えですか?
プレフィルドシリンジ製
平山 器材費、薬剤費、作業に要する人件費などを
剤に切り替えるメリット
総合して比較評価することになると思いますが、操
と考えられます。
作性試験結果の作業時間から人件費を比較してみ
何よりも、
リスクマネ
ました。人件費は、年間給与700万円、その他経費
ジメントの 視点から院
140万円、年間実働時間2000時間とした場合、
1
内感染や薬剤取り違え
秒当り1.2円となりますので作業時間から算出す
が起きた場合に莫大な
ると、従来法は145円/本、プレフィルドシリンジ
費用がかかり厳しい行
製剤法ではその1/7の約21円/本になりました。
政処分もあることを考
私たちは、それによって得た時間を医療安全性お
慮 す べ きでしょう。医
よび医療の質向上に役立つ業務に当てていくべき
療安全のためにはコス
と考えます。
トを 必 要とするという
北里大学東病院薬剤部(臨床薬学博士)
黒山 経済性からいえば、病棟で調製していた従
安全文化の醸成を強く
平山 武司 先生
来法では、どうしても余分につくることから残液が
アピールしていくことも薬剤師の務めだと思って
生じていたことや、保険請求漏れなどもあります。
います(図2)。
参考文献 1)平山武司, 黒山政一:新薬と臨牀 2006;55(4)
:589−604
表4 ヘパリン生食プレフィルドシリンジ製剤と従来法の作業手順
手 順
PFS法
従来法
1 薬剤、器具等の準備
・プレフィルドシリンジ製剤を保管場
所から取り出し、作業台に用意する。
・ヘパリンナトリウム注射液、生理食塩液、シリンジ、注
射針を保管場所から取り出し、作業台に用意する。
2 調整準備
・プレフィルドシリンジ製剤を包装か
ら取り出す。
・シリンジ、注射針を包装から取り出し、シリンジに注
射針をセットする。
3 調製操作
―
1)ヘパリンナトリウム注射液および生理食塩液のキ
ャップを開封し、ゴム栓天面を消毒する。
2)ヘパリンナトリウム注射液からシリンジを用いて、
内容液を吸い取り、生理食塩液に添加後、混和する。
3)2)で調製した溶液をシリンジに吸い取り、キャップ
する。
4 薬剤情報の記載
―
・シリンジに薬剤名を記入する
5 容器、包装等の廃棄
・包装部材を可燃物用廃棄物として
廃棄する。
特
集
・使用済みバイアル、ボトル、注射針、包装部材、アルコ
ール綿等を分別廃棄する。
図2 リスクマネジメントからみたキット製品の経済評価
北里大学東病院
調製操作・時間短縮
医療安全対策のための時間を創出する
コ
ス
ト
医療事故
コスト
薬剤費、器材費、人件費(調製時間)、
医療事故コストなどを考慮する
所在地:〒228‐8520 神奈川県相模原市麻溝台2丁目1番1号
入院日数増加
従来の調製方法
調製操作・時間
(リスク高い)
薬剤費
キットを用いた調製方法
調製操作・時間
(リスク少ない)
薬剤費
リスク
病院長:西元寺 克禮
病床数:557床
特 徴:
「消化器疾患治療センター」
患者負担
「神経・運動器疾患治療センター」
訴訟
「精神神経疾患治療センター」
・・・
の3センターを中心とした急性期より
慢性期まで幅広い医療に対応する医療
薬剤費
体制
提供:北里大学東病院薬剤部
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