感染症の疫学情報 - 東レリサーチセンター

●[特集]医薬品分析(9)感染症の疫学情報−諸外国等におけるサーベイランス状況−
一方、わが国における主要死因は、1950年までは、
[特集]医薬品分析
(9)感染症の疫学情報
−諸外国等におけるサーベイランス状況−
先端技術調査研究室 吉崎 理華
早麻 里穂
肺・気管支炎、胃腸炎、結核といった感染症であったが、
1950年代以降、悪性新生物、脳血管障害、心疾患といった
いわゆる生活習慣病が上位を占めるようになっており2︶、
医療の進歩や衛生環境の向上などにより多くの感染症が
制御されてきていると思われがちである。しかし、グロー
バル化により人の移動や物流が大量・高速・広範囲化し
た現在、感染症はまたたく間に拡大するというリスクを
1.はじめに
抱えている。
近年、感染症に対する世界的な関心が高まっている。
器症候群(SARS)
、2009年に世界的流行をしたインフル
感染症は、病原微生物が体内に侵入して増殖することに
エンザ(H1N1)2009(参考図1)などの新興感染症*1、結
より引き起こされる病気であり、その病原微生物として
核やペストなど、近い将来克服されるとみられたにもか
は、ウイルス、細菌、寄生虫などがある。BSEで問題と
かわらず再び大きな問題となっている再興感染症*2が注目
なったプリオン蛋白質も感染症の病原体に含まれる。感
されている。新興・再興感染症の多くは、ヒトとヒト以
染様式としては、ヒト(患者)からの飛沫感染、汚染器
外の動物の両方に感染を生じる人獣共通感染症である。
物を介しての感染、食品を介しての感染、動物や昆虫を
感染症のリスクに対して適切な対策をとるにあたり、
このような中、2003年に猛威を振るった重症急性呼吸
介した感染などがある。
感染症の疫学情報の収集・解析(サーベイランス)は大
2003年のWHO統計によると、世界人口は約62億人、
変重要である。
死者数は約5700万人であり、主な死因は表₁のようであっ
一方、感染症に関する疫学情報は、各国で情報提供方
た。微生物感染症・呼吸器感染症で合計26.2%もあり、
法が異なっており、情報を集めるのは易しいことではな
心疾患(15.5%)や悪性新生物(12.5%)を上回る主た
い。本稿では、弊研究室の調査研究の経験をもとに、日
る死因となっている1)。
本をはじめとする各国におけるサーベイランスや情報公
開の状況について紹介する。
表1 世界における主な死因1)
感染症・寄生虫症
心疾患
悪性新生物
脳疾患
事故など
呼吸器感染症
1112万人
881万人
711万人
549万人
519万人
385万人
(19.5%)
(15.5%)
(12.5%)
( 9.6%)
( 9.1%)
( 6.8%)
(総死者数:約5700万人)
*1
*2
新興感染症:新たにヒトでの感染が証明された疾患
(1970年以降)、その土地で存在しなかったが新たにヒ
トの病気として現れてきた疾患、原因不明から病因が
明らかになり、公衆衛生上問題となるもの。
再興感染症:既知の感染症で、既に公衆衛生上の問題
とならない程度までに患者が減少していた感染症のうち、
1970年以降再び流行しはじめ、患者数が増加したもの。
(H1N1)による死者数(2010年5月9日現在)3)
図1 世界のWHOに報告された新型インフルエンザ
36・東レリサーチセンター The TRC News No.114(Nov.2011)
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2.2 米国
2.主要国等における感染症のサーベイランス
米 国 で は、CDC(Centers for Disease Control and
Prevention: 疾 病 予 防 管 理 セ ン タ ー) に よ るNNDSS4)
2.1 日本
(National Notifiable Diseases Surveillance System:届出
日本では、感染症法「感染症の予防及び感染症の患
疾病サーベイランスシステム)により、各州から報告さ
者に対する医療に関する法律(平成10年10月2日法律第
れたデータがとりまとめられ、毎週、正誤確認後に集計
114号)」により感染症の予防や患者に対する医療に関す
し、MMWR(Mortality and Morbidity Weekly Report:
る措置が定められている。国際交流が盛んな現在では、
死亡疾病週報)のウェブサイト5︶に公開されている。
感染症に関する状況も急速に変化すること等をふまえ、
米国では、感染症の届出規則は州レベルで規定されて
感染症法は5年毎の見直しが定められている。例えばこ
いるが、届出の対象となる疾病(notifiable diseases)は、
れまでの改正の中で、SARSや新型インフルエンザの発
(Council of State and Territorial Epidemiologists:
CSTE6)
生やバイオテロ防止への対応がとられた。この法律の下
州および地方疫学専門家委員会)が決定しており、その
で危険性が高い感染症や発生・まん延を防ぐべき感染症
報告期限(₄時間以内:感染源が不明な炭疽等、24時間以
の「感染症発生動向調査」が行われており、感染症を診
内:狂犬病等、₇日毎の通常報告内)を含めた見直しが定
断した医師からの届出、都道府県等による集約を経て、
期的に行われている。
全国のデータが国立感染症研究所の感染症情報センター
にまとめられている。届出を要するこれらの感染症は、
2.3 欧州
感染力や感染した場合の重篤性、予防方法や治療方法の
欧州では、各国の公衆衛生機関や研究機関をネット
有効性等にもとづき、法律により一類(エボラ出血熱
ワ ー ク 化 し、EU(European Union: 欧 州 連 合 ) に お
、
等)から五類(日本脳炎、百日咳等)とその他(₃種)
ける感染症の予防・対策強化を行う保健衛生機関とし
計8種に類型化されている(表2)
。各感染症の発生状況
(European Centre for Disease
て、2005 年 に ECDC 7)
は、感染症情報センターの「感染症発生動向調査 週報
Prevention and Control:欧州疾病対策センター)が設
(IDWR︶ 」のウェブサイトで確認することができる。
立された。ECDCは、欧州各国の感染症に関する疫学報
3)
表2 感染症法における感染症の類型
一類感染症
感染力、罹患した場合の重篤性等に
基づく総合的な観点からみた危険性
が極めて高い感染症。
二類感染症
感染力、罹患した場合の重篤性等に
基づく総合的な観点からみた危険性
が高い感染症。
三類感染症
感染力、罹患した場合の重篤性等に
基づく総合的な観点からみた危険性
は高くないが、特定の職業への就業
によって感染症の集団発生を起こし
うる感染症。
四類感染症
媒介動物の輸入規制、消毒、ねずみ
等の駆除等の措置が必要となりうる
動物由来感染症。
五類感染症
国が感染症発生動向調査を行い、そ
の結果等に基づいて必要な情報を一
般国民や医療関係者に提供・公開し
ていくことによって、発生・拡大を
予防すべき感染症。
新型インフ
ルエンザ等
感染症
一般に国民が免疫を獲得していない
ことから、当該感染症の全国的かつ
急速なまん延により国民の生命及び
健康に重大な影響を与えるおそれが
あると認められるもの。
指定感染症
既知の感染症において、国民の生命お
よび健康に重大な影響を与える恐れが
あるものとして政令で定めるもの。
新感染症
人から人に伝染すると認められる疾
病であって、既知の感染症と症状の
明らかに異なり、その伝染力および
罹患した場合の重篤度から判断した
危険性がきわめて高い感染症。
告が疾病毎に集計された報告書(Annual epidemiological
report on communicable diseases in Europe)を毎年発行
している。ウェブサイトから英語版をダウンロードする
ことが可能である。疾病毎のウェブページもあり、ファ
クトシート(後述)も掲載されている。
EU全体でサーベイランス対象となる感染症は、欧
州 委 員 会 で 決 定 さ れ て い る。2011年4月 現 在 で は、
2009/312/ECにて修正決定されたものが最新で、47の疾
病が挙げられている。
2.4 豪州・ニュージーランド
豪州では、1989年に設立されたCDNA(Communicable
Diseases Network Australia: 伝染性疾病ネットワーク)
によって、届出疾病のサーベイランスがNNDSS(名称
は米国と同じ)により行われている。データは州を主体
として収集され、全体のデータは豪州DHA(Department
of Health and Aging: 保健高齢省)のウェブサイト9︶に公
開されている。
ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド で は、Health Actに 基 づ い て 届
出 疾 病 が 定 め ら れ て お り、ESR(The Institute of
Environmental Science and Research Ltd: 環 境 科 学 研
究所)が、保健省の委託を受け、Epi Survという電子
届出システムによって情報を収集・とりまとめを行っ
ている。2001年以降のリポート「Annual NZ Notifiable
Disease Report」がウェブサイト10︶に公開されている。
・37
東レリサーチセンター The TRC News No.114(Nov.2011)
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2.5 国際機関
症サーベイランスの結果が週報・年報にて公開されてい
WHO(World Health Organization: 世 界 保 健 機 関 )
る。また、感染症の原因微生物や各疾病の概要が、ファ
は、さまざまな国際ネットワークを通じて感染症の発生
クトシート等として公開されている。
動向の情報を収集・発信しており、GAR8)(Global Alert
しかし、その形式は各国等で異なり、情報収集の仕方
and Response:世界警戒対応)もその一つである(表3)
。
には、工夫を要する。以下にその概要を紹介する。
GARでは炭疽やインフルエンザを含む19の感染症(2011
年4月時点)を対象としてそれらのアウトブレイク(感
①週報・年報
染症の発生)情報やファクトシート(後述)がウェブペー
主要各国では、公衆衛生上重要な感染症について、そ
ジに公表されている。
の発生毎の届出が義務づけられている。届出は各国の情
表3 WHO GAR(世界警戒対応)の疾病(2011年4月現在)
炭疽
鳥インフルエンザ
クリミアコンゴ出血熱
デング熱/デング出血熱
エボラ出血熱
ヘンドラウイルス感染症
肝炎
インフルエンザ
ラッサ熱
マールブルグ出血熱
髄膜炎菌性髄膜炎
ニパウイルス感染症
インフルエンザ(H1N1)2009
ペスト
リフトバレー熱
重篤性呼吸器症候群(SARS)
天然痘
野兎病
黄熱
報収集機関において集積され、対象疾病別の報告数をと
りまとめた週報や年報が各ウェブサイトに掲載されてい
る。主要な機関が発行している週報・年報を表4に示す。
多くにおいて、感染症発生動向だけでなく、話題の感染
症に関する一般向け解説記事、発生事例、医療従事者・
研究者向けの最新研究結果の記事等も掲載されている。
②ファクトシート等
感染症のファクトシートとは、疾病あるいは病原微生
物について、病原体の概要(病原性・感染量・不活化条
件等)
、感染経路、臨床症状、治療・予防法などの関連
情報を簡潔にとりまとめたものである。重要な感染症に
ついては、診断方法や治療方法等の詳細を記述した医療
従事者向けの情報が掲載されていることもある。わが国
および諸外国等において公表されている主なファクト
シート等 *3を表4に示す。
例えば、わが国においては、感染症情報センターが公
3.主要国等で公表されている疫学情報
*3
前節で紹介したように、主要国や国際機関では、感染
ただし表4に示すように、必ずしも「Fact Sheet」とい
う名称ではない。
表4 感染症発生状況に関する主な週報・年報および感染症のファクトシート等と管轄機関/ 作成機関
地域
管轄機関/作成機関
資料名
週報・年報
ファクトシート等
日本
国立感染症研究所
感染症情報センター
感染症発生動向調査週報(IDWR︶4︶
米国
CDC︵疾病予防管理センター ︶
Morbidity and Mortality Weekly Report(MMWR︶5︶
欧州
ECDC︵疾病対策センター ︶
世界
WHO︵世界保健機関︶
The Weekly Epidemiological Record(WER︶13︶
日本
国立感染症研究所
感染症情報センター
感染症の話︵感染症発生動向調査週報︵IDWR︶の一部︶3︶
厚生労働省検疫所
FORTH︵FOR Traveler's Health︶13︶
CDC︵疾病予防管理センター ︶
CDC Health Information for International Travel︵The Yellow Book︶14︶
FDA︵食品医薬品局︶
Bad Bug Book: Foodborne Pathogenic Microorganisms and Natural Toxins
Handbook15︶
ECDC︵疾病対策センター ︶
Health Topics7︶
米国
欧州
国際機関
その他
WHO︵世界保健機関︶
Annual Epidemiological Report on communicable diseases in Europe11︶
Eurosurveillance12︶
Fact Sheets16︶
Global Alert and Response ︵GAR︶; Diseases8︶
カナダ保健省
︵Health Canada︶
Pathogen Safety Data Sheets and Risk Assessment17︶
ニュージーランド
食品安全省︵NZFSA︶
Microbial Pathogen Data Sheets18︶
38・東レリサーチセンター The TRC News No.114(Nov.2011)
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表している「感染症発生動向調査週報」の一部として掲
http://www.cdc.gov/osels/ph_surveillance/nndss/
載されている「感染症の話」が専門家による主な感染症
nndsshis.htm
の概要解説となっている。また、
厚生労働省検疫所のウェ
7)米国CSTE: http://www.cste.org/dnn/
ブサイト(FORTH︶13︶では、海外渡航者向けに、海外で
8)欧州ECDC:http://www.ecdc.europa.eu/
流行している感染症や予防方法等に関する情報がとりま
9)WHO GAR: http://www.who.int/csr/en/
とめられている。そのほか、地方の衛生研究所にも充実
10)豪州DHA NNDSS:
した概要解説を公表しているところがある(例えば東京
http://www.health.gov.au/internet/main/publishing.
都健康安全研究センター、横浜市衛生研究所等)
。
nsf/Content/cda-surveil-nndss-nndssintro.htm
米国CDCのThe Yellow Book は、旅行者用の健康リ
14︶
11)ニュージーランドESR:
スク解説書であり、旅行中に注意すべき感染症の概要や
http://www.surv.esr.cri.nz/surveillance/annual_
必要な予防接種等について詳しい。₂年毎に更新されて
surveillance.php
おりウェブサイトでの公表だけでなく、書籍として販売
されている。FDAによるBad Bug Book15︶は、食品媒介
12)Eurosurveillance:
http://www.eurosurveillance.org/
病原菌と自然毒(例えば、貝毒やフグ毒)に関するハン
13)WHO WER: http://www.who.int/wer/en/
ドブックで、FDAのウェブサイトに掲載されている。
14)厚生労働省検疫所FORTH: http://www.forth.go.jp/
15)米国CDC the Yellow Book:
http://wwwnc.cdc.gov/travel/content/yellowbook/
4.おわりに
home-2010.aspx
16)米国FDA Bad Bug Book:
近年のインターネット情報網の発達により、主要国等
http://www.fda.gov/Food/FoodSafety/Foodborne
が公表する感染症疫学情報を、比較的容易に入手できる
Illness/FoodborneIllnessFoodbornePathogens
ようになった。今後、例えば強毒型トリインフルエンザ
NaturalToxins/BadBugBook/default.htm
のヒト感染拡大といった感染症の脅威が発生すれば、各
17)WHO Fact Sheets:
国はこれらのサーベイランスシステムを活用して情報を
18)Health Canada Pathogen Safety Data Sheets and
収集・解析し、公開が行われることになるが、これらを
Risk Assessment:
有効活用するには、各国等で異なる状況を理解した上
http://www.phac-aspc.gc.ca/lab-bio/res/psds-ftss/
で、情報に接する必要がある。
こうした状況を鑑み、本稿では、TRC 先端技術調査
index-eng.php
19)NZFSA Microbial Pathogen Data Sheets:
研究室が実績を有する調査研究分野の一つである感染症
http://www.foodsafety.govt.nz/science/other-
領域より、感染症疫学情報の意義・概況を中心に紹介さ
documents/data-sheets/
せていただいた。
■吉崎 理華(よしざき りか)
調査研究部先端技術調査研究室 主任研究員
5.参考文献
1)WHO: World Health Report 2003 をもとに、TRC
作成。
2)厚生労働省 人口動態統計
3)平成22年版厚生労働白書
4)感 染 症 情 報 セ ン タ ー 感 染 症 発 生 動 向 調 査 週 報
︵IDWR︶: http://idsc.nih.go.jp/idwr/index.html
5)米国CDC MMWR: http://www.cdc.gov/mmwr/
略歴:1994 年 筑波大学環境科学研究科 修士課程
修了、㈱東レリサーチセンターにて調査研究に従事。
専門は生物化学工学。
趣味:Jazz & Champagne(Both, every other day)
■早麻 里穂(はやま りほ)
調査研究部先端技術調査研究室 研究員
略歴:1996 年 お茶の水女子大学家政学研究科 修
士課程修了、㈱東レリサーチセンターにて調査研究
に従事。専門は栄養生理学。
趣味:Sparkling Wine(twice a week)
6)米国CDC NNDSS:
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東レリサーチセンター The TRC News No.114(Nov.2011)