日本企業のグローバル組織と人財 - Career Resource Laboratory

慶應義塾大学 SFC 研究所
Career Resource Laboratory
日本企業のグローバル組織と人財
政策・メディア研究科教授 高橋秀明
いま日本のグローバル企業は深く悩んでいるように見える。リーマンショッ
クに端を発した世界同時金融危機以降、その悩みは更に深く、多岐にわたって
いるようだ。大きな悩みは、最近の急速なグローバル化に対して、何が成功の
方程式か分からなくなったということではないだろうか。
悩 み が 深 ま る の も 無 理 は な い 。80 年 代 の 大 躍 進 と 現 在 の 状 況 を 対 比 し て 考 え
た と き 、 日 本 企 業 は 80 年 代 以 来 の 数 々 の 成 功 体 験 の う ち 、 何 を 続 け 、 何 を 変
えなければいけないのか迷うだろう。加えて、学者、評論家、コンサルタント
から多様な処方箋や「べき論」が寄せられているので増々迷うことになる。最
近何人かの経営者の方々からグローバル化対応について助言を求められた。こ
の稿では、グローバル化対応のなかでグローバル組織と人財について私見を述
べたい。
振 り 返 る と 、80 年 代 の 日 本 企 業 の グ ロ ー バ ル な 成 功 は 今 で も 誇 ら し い 。日 本
は鉄鋼、カラーテレビ、自動車などの分野で次々と高シェアを獲得し、貿易で
米 国 を 脅 か す ま で に な っ た 。 そ の 結 果 米 国 は 状 況 に 応 じ て WTO を 盾 に 取 っ た
り 、 時 に は WTO 違 反 す れ す れ の ス ー パ ー 301 条 を 繰 り 出 し た り し て 、 何 度 か
日本と貿易摩擦で衝突した。日本企業はダブルスタンダードに腹を立てたもの
である。
30 年 後 の い ま 、日 本 対 米 国 の 構 図 は「 韓 国 ・ 中 国 ・ イ ン ド 」対 米 国 に 変 わ り
つつある。ただ一つ大きく違うのはグローバル企業が主に事業活動するグロー
ブ( 地 球 )の 広 さ で あ る 。80 年 代 日 本 企 業 が 制 覇 し た の は 先 進 国 を 中 心 と す る
部分的グローブであったのに対し、現在韓・中・印企業が攻めているのは、先
進 国 も 新 興 国 ・ BOP( Bottom of the Pyramid ) も 含 め た ほ ぼ 地 球 全 域 の フ ル
グローブである。
日本企業は、昔取った杵柄に頼りながら失地回復に努めているが奏効してい
る よ う に は 見 え な い 。 30 年 前 の 栄 光 は 、 高 品 質 、 高 い 技 術 力 、 勤 勉 な 労 働 者 、
カイゼンなどの日本の地力だけでなく、今の二倍以上の円安、相対的な低賃金
によってもたらされたものである。円安と低賃金の援護射撃のない中、日本企
業は高価格帯(ハイエンド)商品に焦点を移し、韓・中・印企業にボリューム
ゾーンを奪われそうだ。しかも世界同時金融危機の後遺症で、ここしばらく先
進 国 経 済 の 停 滞 は 続 く だ ろ う 。そ う な る と 新 興 国 、BOP の 攻 略 、す な わ ち 戦 略・
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組織・人財がこれからのカギになる。
人 財 活 用 の 面 か ら み て み る と 、80 年 代 の 日 本 企 業 で は 急 激 な 海 外 展 開 を 支 え
るために希少な海外留学組だけでなく、多少海外向きでなくても勇猛果敢なサ
ムライをどんどん送り込んでいたように思う。だが当時は日本企業が戦略的あ
るいは計画的にグローバル人財を育成し送り出していたようには見えなかった。
日本企業が、プログラムとして「国際人財」を育成し始めたのはバブル期に入
ってからだろう。潤沢な教育予算を使って日本企業は、英語教育、異文化コミ
ュ ニ ケ ー シ ョ ン 、海 外 で の 短 期 集 中 講 座 、社 費 に よ る MBA 留 学 、海 外 OJT な
ど 広 範 で 積 極 的 な 人 材 育 成 を し た 。 し か し そ の 後 不 動 産 バ ブ ル や IT バ ブ ル 崩
壊、世界同時金融危機が次々と起こり、これら多彩なメニューのなかでどの組
合せがグローバル人財育成に効果的なのか検証される前に、プログラム自体が
泡と消えそうになっている。
日本企業が不況対応を重ねていく間に、市場はほぼ地球全域に拡がり、韓・
中・印 企 業 は こ ぞ っ て 先 進 国 だ け で な く 新 興 国・BOP に 進 出 し て き て い る 。日
本 企 業 も う か う か し て い ら れ な い 。た だ 急 ぐ あ ま り 、80 年 代 の よ う に 戦 略 な し
に人財を育成し送り出すべきではないだろう。人財は組織に関連し、組織は戦
略に関連する。この三つはセットであるから、戦略・組織・人財の整合性が重
要だ。
戦略とは、
「 勝 ち 目 の な い 戦 い 、無 駄 な 戦 い を 省 く 」こ と だ 。つ ま り 正 面 突 破
はめったにやらないものだ。コスト競争力のある中国・インドに、コストだけ
を武器に挑んでも勝ち目はない。組織・人財の戦略も同じである。欧米企業や
韓・中・印企業がしない、あるいは出来ない方策を立てなければならない。つ
まり競争相手と同じことをしないことが戦略である。
80 年 代 、日 本 企 業 は 海 外 進 出 に 当 た っ て 非 常 に 分 か り 易 い 戦 略 と 組 織 で 臨 ん
だ。バートレットとゴシャールの説く「グローバル型」戦略・組織である。経
営企画機能から研究・開発・生産機能にいたるまで日本に集中し、各国の現地
法人は販売上のパイプにすぎないという徹底的な中央集権体制が敷かれ、日本
企業は極めて高い生産性を達成した。この高生産性が高品質・低コストという
分かり易い価値を生み、それを武器に米国・欧州を攻略したわけだ。
新興国が主たる市場になった時、日本企業がこの戦略を新興国にあてはめて
も競争に勝てないと筆者は考える。もう既に多くの米国企業、特にハイテク企
業は「グローバル型」で新興国に進出している。しかも彼らは新興国で優秀な
ローカル人財の経営陣を手当てしている(
。もっともリテンションには手を焼い
て い る が )。韓・中・ 印 企 業 の 戦 略 は 、ま だ ら 模 様 に 見 え る 。欧 米 企 業 の よ う に
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戦略的に組織的に進出しているところもあれば、昔の日本のように馬力で乗り
切ろうとしている企業もある。
では何が日本企業にお薦めか。まずは「マルチナショナル型」といわれる分
散 型 組 織 を 薦 め た い 。現 地 法 人 に ほ と ん ど 全 権 を ま か せ る や り 方 だ 。
(もちろん
適 切 な ガ バ ナ ン ス は 必 要 だ が )。「 マ ル チ ナ シ ョ ナ ル 型 」 は 、 欧 州 企 業 が 戦 前 か
ら盛んに取り入れた型である。植民地時代の名残で、宗主国から当時後進国で
あった植民地の会社を統治する方法としてできたといわれる。
先進国が市場であれば、日本企業にとって現地のユーザーニーズを把握し対
応 す る こ と は そ れ ほ ど 困 難 な こ と で は な い 。し か し 新 興 国・BOP が 市 場 の 場 合
は現地の価値基準・コスト基準で商品・サービスを日本から開発するのは至難
である。また出来たとしても遅いだろう。この型では、全権を任せる社長の器
量 ・ 裁 量 が 成 果 を 左 右 す る 。 よ っ て 適 材 の 社 長 を 選 ぶ こ と が 成 功 の カ ギ 、 KFS
( Key Factor for Success ) で あ る 。
現地法人社長の選任は、日本企業が変えなければいけないポイントだ。いま
までほとんどの日本企業では現地法人の社長は本社からの出向してきた日本人
である。三、四年の任期であれば社長が本社の方を向いて仕事をするのが自然
であり、現地のニーズに対応したり、現地に企業文化を醸成したりするのは困
難である。しかしこれでは「マルチナショナル型」の戦略が活きてこない。で
は現地の事情に精通した優秀なローカル人財をどのように獲得するのか。よく
聞く議論は、欧米企業が高報酬を梃子に優秀なローカル人財を採ってしまうの
で日本企業は手が出せないというもの。しかし本気で「マルチナショナル型」
を採用するのであれば、それなりの対抗策がある。日本企業は、欧米企業ほど
の高い報酬は出せないが、彼らの採用するグローバル型のように現地に自由度
を与えない方式ではなく、自分の創意工夫で成果が出せるポジションが用意で
き る 。こ れ は 優 秀 な ロ ー カ ル 人 財 に と っ て は 魅 力 的 で あ り 、差 別 化 戦 略 に な る 。
たとえばローカル人財を社長にして、ローカルチームの提案するニーズに対し
て日本の研究・技術力をイノベーションの梃子にして解決する。現地の市場規
模 に よ っ て は 開 発・生 産 に ロ ー カ ル 資 源 を 使 う こ と も で き る 。社 長 が 、
「機を見
る に 敏 」 で 「 新 結 合 ( イ ノ ベ ー シ ョ ン )」 に 長 け た 人 財 な ら ば 、「 無 駄 な 戦 い を
省く」ことができるだろう。
もちろん全ての日本企業が「マルチナショナル型」を採用できるわけではな
い。新興国で展開する事業が、インフラやシステムのようにネットワークを構
成している企業の場合は、バートレットらの説く「トランスナショナル型」戦
略・組織を薦めたい。紙面の都合で詳述は出来ないが、簡潔にいうと中央集権
と分権型のハイブリッド型である。ただ一時流行したマトリックス型組織のよ
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うに表をみて自分はどれだけ権限があるなどという形式的なハイブリッドでは
な い 。 詳 し く は 、「 バ ー ト レ ッ ト 、 ゴ シ ャ ー ル ( 1990)『 地 球 市 場 時 代 の 企 業 戦
略』日本経済新聞社」を参照されたい。
「トランスナショナル型」は、中央集権と分散型のハイブリッドなので現地
法人社長と本社の管掌役員が柔軟性と高い交渉力を持つことが重要になる。多
く の 機 能 が マ ト リ ッ ク ス で は な く 、状 況 に よ っ て 交 渉 で 解 決 さ れ る か ら で あ る 。
こ の 場 合 、現 地 法 人 社 長 の 人 財 が KFS に な る だ け で な く 、本 社 の 管 掌 役 員 の 人
財 が 重 要 だ 。こ の よ う な 人 財 が 本 社 側 で 見 つ か れ ば 、事 業 の ス ケ ー ル を 、
「マル
チナショナル型」より格段に大きくすることが可能だ。本社の管掌役員が日本
人 で あ る 必 要 が な い こ と は 言 う ま で も な い 。実 際 日 本 の グ ロ ー バ ル 企 業 の 中 で 、
海外担当副社長のポジションに外人を起用している例がある。
こ こ ま で グ ロ ー バ ル 組 織 の 型 に つ い て 言 及 し た が 、さ ら に 大 事 な こ と が あ る 。
そ れ は 、 新 興 国 ・ BOP の 企 業 活 動 は 何 の た め か と い う 視 点 で あ る 。 80 年 代 に
飛 躍 的 成 長 を し た 日 本 の グ ロ ー バ ル 企 業 の 多 く は 、60 年 代 の 所 得 倍 増 計 画 の 時
代に「国民の生活を良くする、豊かにする」という使命をもって事業をしてい
た 。そ の 結 果 が 三 種 の 神 器( テ レ ビ 、洗 濯 機 、冷 蔵 庫 )や 3 C( カ ラ ー テ レ ビ 、
クーラー、カー)という国民の生活を豊かにする耐久消費財に結実した。しか
し日本企業の最近の新興国向け商品をみていると、コスト競争に目が向きすぎ
て、使う人の生活を楽にする、豊かにするという視点が薄れているように感じ
る。例えば中国では、衣類も野菜も洗える洗濯機がすぐれものなのだ。つまり
新 興 国 ・ BOP の 事 業 も 、「 新 興 国 、 BOP の 人 々 の 生 活 を 良 く す る 」 と い う 強 い
思いが成功のカギだと思う。
こ こ ま で 辛 抱 強 く 読 ん で こ ら れ た 読 者 の な か に は 、「 そ う は 言 っ て も 現 実
は・・・」とか「目先の仕事がきつくてとてもそんな長期のことは考えられな
い」と思う人がいるかもしれない。その通りである。しかし経営は、短期と長
期の目標を両方を達成する仕事である。日本のグローバル企業は、短期的には
依然として大市場である先進国できちんと成果を出さなければならないし、長
期 的 に は 高 成 長 の 余 地 が あ る 新 興 国 ・ BOP で 地 歩 を 固 め な け れ ば な ら な い 。
昨年は、
「 100 年 に 一 度 の 危 機 」が 大 々 的 に と り あ げ ら れ 、経 営 危 機 を 理 由 に
長期的投資をほぼゼロにまで切り捨てた大企業もあったようだ。しかしこれは
正 し い こ と な の か 。「 100 年 に 一 度 」 だ か ら こ そ 、 来 た る べ き 「 一 大 チ ェ ン ジ 」
に向けて、投資額の多寡は別にしても長期的投資を継続すべきなのではないの
か。長期的企業活動、例えば人財開発などは状況により幅はあっても必ずある
一定の資源を配分して永続的に行わなければならない。でも永続は目的ではな
くて結果であるから、つねに「無駄な戦いを省く」戦略を磨かなければならな
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い。
その意味で、長期的なグローバル人財育成のメニューの一つとして「グローバ
ル・ビレッジ」をお薦めしたい。これは筆者も経験したプログラムであるが、
本社や地域本部内にバーチャルな組織を設け、多国籍・多人種が一体となって
業務を通して多様な商習慣、ワークスタイル、伝統、企業文化を学び、本社や
地域本部内に人脈を形成するのが目的である。メンバーは原則的に、2、3年
で交代する。交代するたびに、出身組織で昇格していくのが理想である。
組織文化や伝統という非構造要因の力は、組織のコミットメントを高めるの
に有用である。日本企業がフルグローブの競争で勝ち抜いていくためには、欧
米企業や韓・中・印企業にない長所・価値を伸ばしていくことが有効な戦略に
なりうる。その意味で日本企業にある組織文化や伝統を大事にし、変えなけれ
ばならないポイントは大胆に改革していくことがカギになると思う。
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