八ヶ岳の風 第二十五号 三 位 一 体 ベ ネデ ィク ト 修 道 院 二〇一〇年十月 発行 修 道 院長 の感 想 OSB その 時 を待 ちつ つ ロ ーマ ン パ ・ ワー カレッジビルにあるセント ジ ・ ョンズ修道 院 の前 大 院 長 で あり 、 ア メ リカ ・ カ ッ シ ーニ 修 族協 議 会 の 二 期に 渡 る 議 長で あ る テ ィ モシ ー ・ケ リ ー 大 院 長は 、 最 近 食道 癌 で あ る こと を 知り ま し た 。 癌は 彼 の リ ンパ 腺 全 体 に 拡が っ てい ま す 。 適 切な 医 学 的 処置 を 始 め て いま す が、 テ ィ モ シ ー院 長 は 自 身の 命 が 長 く ない こ とを 知 っ て い ます 。彼 は 床を 離 れ て 行 動し 、 勇 敢に も 前 向 き な態 度 と 力 強い 信 仰 を も って 、 こ の病 気 の 侵 入 に立 ち 向 か って い ま す 。 私たちはティモシー大院長の命を、イエ ス・キ リ ス トの 善 き 知 ら せ を伝 え る 奉 仕 の命 、 そ して 神 の 癒 し の愛 を 立 証 する 手 本 と し て感 こ の謙 遜 な 人 は 、人 々 の 間 にそ し て 共 同 体 の 内に 架 け 橋 を かけ る こ と にそ の 生 涯 を 捧げ て いま す 。 こ れ らの 架 け 橋 は、 知 識 や 技 能の 習 熟と 理 解 、 寛 容と 尊 敬 、 許し と 平 和 の 生命 線 とし て 、 強 め られ 続 け て いま す 。 テ ィモ シ ー 大 院 長の 生 き た 遺産 は 、 こ の 地 球 での 私 た ち の 短い 時 間 に おい て 、 お 互 い共 に おけ る 私 た ち の奉 仕 に 対 する 確 固 と し た彼 私 たち 富 士 見 の ベネ デ ィ ク ト会 士 は 、 日 本 構 築に お い て 予 見的 に 先 導 する よ う に 、 私た に 、そ し て 気 負 わず に 始 め るよ り 良 い 世 界の 日 々の 努 力 の 再 保証 を 与 え る祝 福 で あ る よう 謝 して い ま す 。 の 支持 の 故 に 、 目黒 と 富 士 見の 両 地 に お ける ち 一人 ひ と り に 促し 求 め て いる の で す 。 に 恩恵 の 命 を 生 きる よ う に 、私 た ち に 希 望と 修 道の 証 と 奉 仕 に対 す る 彼 の力 強 い 奨 励 の故 の 教会 が 表 舞 台 に出 て く る こと へ の 彼 の 指導 あ なた の た め に 祈り ま す 。 ティ モ シ ー 大 院長 あ りが と う 、 テ ィモ シ ー 大 院長 、 私 た ち は に 、共 働 す る こ とに お け る 指導 力 、 ま た 中国 力 の故 に 、 テ ィ モシ ー 大 院 長に 特 に 感 謝 いた に 連絡 を 取 り た い方 は 、 [email protected] し ます 。 を ご利 用 下 さ い 。 ティモシー・ケリー前大院長 ラ マ ダン エ ドワ ー ド 界 のよ い 未 来 と 平和 の 安 定 を願 い 求 め て いる ッ ク教 会 も 主 の 変容 の 祝 日 を行 い ま し た 。世 信 仰告 白( シ ャ ハ ダー )「 ア ラー が 唯 一 の 日 本の 信 者 に と って 、 主 の 変容 に つ い て のメ い われ て い ま す 。 神であり、モハメットがその預言者で 六 節参 照 ) は 、 今日 の キ リ スト 者 の 生 活 に答 ッ セー ジ ( ル カ の福 音 九 章 二十 八 節 か ら 三十 日 に五 回 祈 り ま す( サ ラ ト)。 す。」 重 要な 時 期 、 ラ マダ ン が 明 けま し た 。 イ スラ え て、 何 か 深 い 意味 を 語 っ てい ま せ ん か 。 八月から始まったイスラム教のもっとも ム 教徒 は 天 使 ガ ブリ エ ル が 預言 者 モ ハ メ ット 山 上で 変 容 さ れ たイ エ ス 様 は、 私 た ち を 一 緒 に高 い と こ ろ へ登 る よ う に招 い て く だ さい 体力が許す限り 生涯に少 なくとも一度、 メ ッカ へ の 巡 礼 しま す ( ハ ージ )。 て いる 神 の 御 言 葉の お か げ で、 私 達 は 三 人の 理 解で き る よ う にな り ま す 。心 に 思 い 巡 らし ま す。 そ こ で は 、神 様 の 目 から 世 間 の 物 事を そ れぞ れ の 習 慣 はキ リ ス ト 教と 遠 く は な れず 、 使 徒た ち の よ う に、 目 を 開 かさ れ て 、 栄 光を 浴 びて い ま す 。 そう す れ ば 、未 来 は ど ん なに 似 てい る 信 仰 の 源泉 が 見 え るで し ょ う 。 断 食し ま す ( サ ーム )。 アラーへの従属 性の意識 を深めるために 苦しみと不平等 を消除す るために施しま す (ザ カ ト )。 に 現れ 、コ ーラ ン( イス ラ ムの 聖 書 )を 毎 年 、 イ スラ ム 暦 の 九 月の ラ マ ダ ンで 記 念 し ま す。 イスラム教徒はラマダンの時に特別に断食 ( サー ム )、祈 り ( フ ェ - ル)、 施 し、 浄 化 を 行 いま す 。 修道者としてイスラム教の霊的習慣と中 心 的な 教 え を 見 る時 、 キ リ スト 教 並 び に 修道 ま す。 両 方 が 宗 教的 な 本 を 守り ま す ( 聖 書と ス ト教 と イ ス ラ ム教 は 両 方 唯一 の 神 を 告 白し 宗 教伝 統 を 比 較 する と 、 イ スラ ム 教 と キ リス は 宗教 的 な 必 然 では あ り ま せん 。 こ の 二 つの 史 的に 対 抗 す る こと が 多 い です 。 で も 、 それ 八 章十 二 節 参 照)。 の 光を 持 つ 」こ と だ か ら で す。( ヨ ハネ の 福 音 あ るキ リ ス ト に 従い 、 暗 闇 の中 を 歩 か ず 、命 ず に歩 む こ と が でき ま す 。 私達 は 「 世 の 光で 不 可知 や 困 難 や 危険 が あ っ ても 、 な に も 恐れ コ ーラ ン )。両方 が 中 東 地 方 から 出 、先 祖 ア ブ ト 教は 宗 教 的 な 敵で は な く 親戚 で す 。 こ のラ 残 念な が ら 、 キ リス ト 教 と イス ラ ム 教 が 歴 ラ ハム に 自 分 の 聖な る 歴 史 の流 れ の 原 点 があ マ ダン に よ っ て 私た ち の 共 通点 が よ り よ く見 生 活と の 共 通 点 がす ぐ 頭 に 浮か び ま す 。 キリ り ます 。 両 方 が イエ ス と マ リア を 特 別 に 尊敬 え 、平 和 と 協 力 が実 現 し ま すよ う に 。 て 、山 は 高 い と ころ に あ る 空間 で す 。 人 はこ 「 山は 、 神 に 近 い場 所 で す 。日 常 生 活 と 比べ し てい ま す 。 両 方は 現 在 、 十億 人 以 上 の 信徒 が その 信 仰 を 守 って い ま す 。両 方 が 施 し を大 光 に人 生 の 道 を 導い て い た だけ ま す 。 の 栄養 を 貰 う な らば 、 変 容 され た イ エ ス 様の 活 で、 う ま い 空 気の よ う な 信仰 の 指 示 と 霊性 六 世は 言 っ て い ます 。 キ リ スト 者 は 毎 日 の生 浄 な空 気 を 吸 い ます 」 と 教 皇ベ ネ デ ィ ク ト十 の 高い と こ ろ に ある 空 間 で 、被 造 物 の 中 の清 主 の 変 容 と キ リ ス ト 者 の 生 活 平 和旬 間 を 開 い た同 じ 日 に 、全 世 界 の カ トリ 広島の原爆の日に日本カトリック教会の ア ンド レ ア 林 切 にし ま す 。 両 方が 毎 日 定 期的 に 祈 り を ささ げ ます 。 イ ス ラ ムに お け る 一日 五 回 の 祈 りの 伝 統は 、 教 会 の 聖務 日 課 と 同じ 源 泉 が あ るだ ろ うと 専 門 家 が 言っ て い ま す。 イスラム教は五つの信仰的な柱があると 2 服 した り 、 罪 と 悪習 を 悔 い 改め た り 、 人 生に 意 味し ま す 。 そ れは 自 分 の 軟弱 と 苦 し み を克 だ けで は な く 、 十字 架 を 受 け入 れ る こ と をも ま す 。キリ ス ト 者 にと っ て、「 死 」は 肉体 の 死 し なけ れ ば な ら ない と い う こと を 示 し て くれ 復 活の 先 取 り と して 、 復 活 は「 死 」 を 前 提に ベ ネデ ィ ク ト の 霊性 に 基 づ いて 、 毎 日 、 一緒 る こと が で き ま す。 私 た ち は皆 様 と 共 に 、聖 庭 と社 会 に お け る平 和 と 愛 徳の 使 命 を 全 うす で すか ら 、 キ リ スト 者 は 日 常生 活 へ 戻 り 、家 人 生に お け る 十 字架 の 道 を 歩む よ う 促 し ます 。 る 」よ う に キ リ スト 者 に 勇 気を 与 え 、 続 けて 私 たち の 祈 り の 生活 と ミ サ の奉 献 で 「 山 を下 親 密さ を 体 験 す るこ と に な りま す 。他方 で は、 に キリ ス ト 者 を 導き 、 神 様 に賛 美 し 、 主 との り に食 事 を と る 間に 読 物 の 朗読 が あ り 、 修道 の 絆の 中 で 、 沈 黙も 役 割 が あり ま す 。 戒 律通 同 体の 絆 を 深 め ると 思 わ れ ます 。 た だ し 、そ 般 に話 し 合 い が 人生 の 一 つ の喜 び で あ り 、共 け ない 沈 黙 を 守 るべ き 場 と なっ て い ま す 。一 だ とも あ り ま す 。 愛 を深 め る た め など に 、 声 を出 す こ と が 適切 る ため 、 教 え る ため 、 相 談 する た め 、 共 同的 主の変容という出来事はキリストの死と つ いて の 重 荷 と 責任 を 負 っ たり す る こ と です 。 に 山上 で キ リ ス トの 変 容 さ れた 御 顔 を 観 想し 、 士 たち が 「 沈 黙 を完 全 に 守 りま す 。」( 三 十八 い 、歴 史 に お い て神 で あ る こと を 証 し 、 来る 活 と使 命 を 通 し て、 山 上 で 祈る キ リ ス ト に倣 生 活を 中 心 と し ての 「 修 道 者た ち は 、 そ の生 徒 の勧 告 《 奉 献 生活 》 の 説 明に よ れ ば 、 観想 七 章で 話 さ れ て いる 謙 遜 へ の段 階 の 第 九 段階 和 を保 つ た め に 沈黙 を 勧 め てい ま す 。 戒 律の 神 の現 存 へ の 意 識を 広 げ る ため に 、 そ し て平 割 があ り 、聖ベ ネ デ ィ ク ト は特 に 聴 く た めに 、 伝統的に修道生活により沈黙は偉大な役 界 にキ リ ス ト の 福音 と 愛 を 証し す る よ う に生 か なる 時 も 沈 黙 を守 る よ う に心 掛 け る べ きで ベ ネデ ィ ク ト に よる と 「 修 道士 は 、 い つ い 存 への 意 識 を 広 げる 可 能 性 もあ る と 思 い ます 。 の 耳が 開 か れ 、 相手 へ の 尊 敬を 深 め 、 神 の現 れ ばな り ま せ ん 。し か し 、 沈黙 の 内 に 私 たち 視 する 道 具 と し て使 わ な い よう 注 意 を し なけ る 場合 も あ る よ うで す 。 で すか ら 、 相 手 を無 沈 黙は 絆 を 築 く 場合 も あ れ ば、 そ の 絆 を 破 は っき り し た 手 によ る 合 図 の発 展 も あ り ます 。 六 節か ら 七 節 ) 修道 生 活 の 長い 伝 統 に よ って 何 か合 図 を し 、 これ を 求 め ます 。」( 三 十 八章 べ る際 に 、必 要な 物 を お 互 いに 渡 し 、 …. 必 要 とす る も の が ある な ら ば、声 を 出 すよ り は、 仕 が 進 め ら れ て い ま す 。「 修 友 は 飲 み ま た 食 か ない こ と で は なく 、 沈 黙 にこ そ お 互 い の奉 で すが 、 こ の 沈 黙に は 兄 弟 がお 互 い に 気 づ 章 五節 ) 修道制度の伝統では食卓が一つの思いが こ れは 誰 も が 人 生で 経 る 道 です が 、 キ リ スト 信 仰を 固 め る よ うに お 願 い 致し ま す 。 食卓 で べ き栄 光 を 先 取 りし ま す 。 」( 八 節 ) 特 に、 に 「賢 く 言 葉 数 が少 な い 」 態度 が 勧 め ら れて エ ドワ ー ド 沈 黙 の精 神 者 にと っ て は 信 仰の 旅 路 な ので す 。 山上のキリストの変容について の 箇 所 は、 キ リス ト 者 の 霊 性生 活 で あ るば か り で な く、 修 道生 活 の 特 徴 を説 明 す る のに よ く 引 用 され ベ ネデ ィ ク ト 会 の修 道 者 は 「キ リ ス ト に 象ら い ます ( 七 章 六 十一 節 )。 て いま す 。 教 皇 ヨハ ネ . パ ウロ 二 世 に よ る使 れ た生 き 方 へ 招 かれ て 」 、 生涯 で キ リ ス トの き てい ま す 。 一 方で 、 私 た ちは 毎 日 の 読 書、 す 」が 、 も ち ろ ん話 す と き もあ り ま す 。 慰め 光 り輝 く 顔 を 捜 し求 め つ つ 、毎 日 の 生 活 で世 祈 りと 愛 の 奉 仕 を通 じ て 、 「山 に 登 る 」 よう 3 聖ア ントニオ 神学院 す。 タ ーも 神 学 生 と 共に 机 を 並 べて 勉 強 し て いま の 毎日 で も あ り ます 。 こ の よう な 場 に い させ 見 の日 々 で あ り 、言う な れ ば「 目か ら う ろ こ」 聖アントニオ神学院は東急田園都市線の を 学ば ね ば な り ませ ん 。 基 礎的 と は い え 内容 で す。 哲 学 と 語 学そ し て 多 くの 基 礎 的 な 神学 毎日の神学のカリキュラムは厳しいもの い ます 。 ど う か 、こ れ か ら も皆 様 に は 祈 りに め 、多 く の 人 々 の祈 り と 支 えを 日 々 実 感 して に 昼食 の 準 備 を して く だ さ るシ ス タ ー 方 を初 ま れた こ と を 感 謝せ ず に は いれ ま せ ん 。 さら 岡 秀太 二 子玉 川 駅 に 近 い小 高 い 丘 の上 に あ り ま す。 は 非常 に 充 実 し 高度 な も の です 。 授 業 を 受け て いた だ く 恵 み と多 く の 師 と、 良 き 学 友 に恵 この緑に囲まれた神学校で多くの修道者 ま た、 私 た ち だ けで は な く 日本 の 全 神 学 生 よ るご 支 援 を 心 より お 願 い した い と 思 い ます 。 コ 会の 司 祭 養 成 を目 的 と し て設 立 さ れ ま した の ため に 、 そ し て召 命 の た めに お 祈 り い ただ て まず 実 感 し た こと は 、 自 分が 聖 書 を 全 く理 の で、 も う 六 十 年近 い 歴 史 があ る こ と に なり き たい の で す 。 全て の 神 学 生が 勉 学 と 祈 りの が 学び 、 叙 階 さ れ司 祭 と し て巣 立 っ て ゆ きま ま す 。( 現 在 は フ ラ ン シ ス コ 会 以 外 の 修 道 会 う ちに 信 仰 を 深 め、 困 難 を 乗り 越 え 最 後 まで 解 して い な い こ とで し た 。 に も門 戸 が 開 か れて い ま す )教 室 は 修 道 院の 勉 学を 全 う す る こと が で き ます よ う に 。 そし 4 し た。 こ の 神 学 校は 一 九 五 三年 に フ ラ ン シス 禁 域の 中 に あ り 、一 般 の 方 は許 可 が な け れば で 多く の 人 が 学 んで お ら れ ます 。 れ たこ の 家 で は 、恵 ま れ た 設備 、 環 境 の もと 年 前に 教 会 音 楽 の研 究 、 教 育の た め に 設 立さ な どの 奉 仕 を さ せて い た だ いて い ま す 。 三十 に ある 聖 グ レ ゴ リオ の 家 に うか が っ て 、 典礼 四 月か ら 月 に 一 回か 二 回 、 東京 、 東 久 留 米 下 瀬智 久 グ レ ゴリ オの 家の ボラン テ ィア ー の 招き の 声 に 従 えま す よ う に。 て さら に 多 く の 若者 が イ エ スか ら の 司 祭 職へ 聖アントニオ神学院での日々の学びは発 入 れま せ ん が 、 何か 六 十 年 以上 の 重 み と 緊張 感 を感 じ る こ と がで き ま す 。そ れ は 、 き っと 多 くの 修 道 者 の 祈り が 建 物 に染 み 込 ん で いる か らで し ょ う 。 さ て、 今 年 の 四 月か ら 私 た ちベ ネ デ ィ ク ト 会 の二 名 の 神 学 生が 司 祭 を 目指 し 、 勉 強 をは じ めま し た 。こ こ で は フ ラ ンシ ス コ 会 を 初め 、 レ デン プ ト ー ル 会、 カ ル メ ル会 、 ク ラ レ チア ン 会、 サ レ ジ オ 会、 そ し て 私た ち ベ ネ デ ィク ト 会の 六 つ の 修 道会 か ら 九 名の 神 学 生 ( 3名 の 助祭 を 含 む ) が学 ん で い ます 。 神 学 本 科と 同 時に 修 道 士 ・ 修道 女 の 養 成を 目 的 と し た教 養 講座 も 併 設 さ れて お り 、 幾つ か の 会 の シス 聖アントニオ神学院 て ベネ デ ィ ク ト の霊 性 に も とづ い て 祈 り を深 ト ・オ ッ テ ィ リ エン 修 道 院 のオ ブ レ ー ト とし っ てい る 多 く の メン バ ー が 、ド イ ツ の ザ ンク ま た、 所 長 の 橋 本先 生 を は じめ 、 こ こ に 集 日 本の 文 化 と カ トリ ッ ク 教 会と こ の 修 道 院の 修 道院 の 生 活 に 参加 し 、色 々な 作 業 を 手 伝い 、 ラ ス・ ベ ッ カ ー が五 月 ・ 六 月の 間 に 富 士 見の 滞 在を 行 っ て い ます 。 養 成 体験 と し て 、 ニコ 流 の一 つ の 側 面 とし て 、 母 院か ら の 修 道 士の マザー・アンジェラ豊田 修道 院新大院 長 那須トラピスチン 那須のトラピスチン修道院で六月二十七 日 にマ ザ ー ・ ア ンジ ェ ラ 豊 田が 新 し い 大 院長 と して 、 埼 玉 教 区の 谷 大 二 司教 様 か ら 祝 福を 受 けま し た 。 ア ンジ ェ ラ 大 院長 が マ リ ア ・ア グ ネス 大 院 長 の 後継 者 に な り、 四 十 九 人 の姉 妹 と一 緒 に 修 道 生活 を 通 し て、 キ リ ス ト の愛 を 表し ま す 。 ア ンジ ェ ラ 大 院長 に 私 た ち の祈 り と協 力 を 送 り 続け た い と 思い ま す 。 5 オブ レートの 黙想会 七月 九 日 ― 十 一日 ンします。 出来事 写真 め てお ら れ ま す 。同 じ 霊 性 にし た が う 大 きな カ ーは ダ ン ・ モ ルガ ン 修 道 士と 一 緒 に 本 部修 ミ ッシ ョ ン を 体 験し ま し た 。ニ コ ラ ス ・ ベッ 模 索し て い き た いと 思 っ て いま す 。 道 院セ ン ト ・ ジ ョン ズ で 七 月十 一 日 に 終 生誓 願 を立 て ま し た 。 岩本為雄さんがオブレーションで誓約にサイ ニコ ラス・ベ ッカーの 滞在 五月 十 一 日 ― 六月 四 日 ブラザー下瀬 本 部修 道 院 セ ン ト・ ジ ョ ン ズと の 緊 密 な 交 ブラザー多田、ニコラス・ベッカー修道司祭、 家 族の 一 員 と し てど の よ う な協 力 が 出 来 るか 、 グレゴリオの家の皆さんと共に す るオ ブ レ ー ト 式を 行 い ま した 。 菊 池茂 樹 ) と 一 名の 誓 約 者 (岩 本 為 雄 ) に対 の 志願 者( 矢ヶ 崎 紘 子、中 西昌 武 、中西 須 美 、 の 祝日 ( 七 月 十 一日 ) の 前 晩の 祈 り で 、 四名 に 話し 合 い ま し た。 そ れ か ら聖 ベ ネ デ ィ クト の 霊性 を 学 び 、 日常 生 活 の 中で 実 践 す る よう 想 会に 十 五 人 が 参加 し ま し た。 ベ ネ デ ィ クト 七月九日から十一日までのオブレート黙 矢ヶ崎紘子さん、中西昌武さん、中西須美さん、菊池茂樹さんが 志願式でオブレートとしての探求を伝えます。 レク チオ・デ ィビナ黙 想会 グレ ゴリオ聖 歌による 平和を 祈るミサ 書 を中 心 と し て 、神 様 と の 交わ り を 体 験 しま 十三名の日帰りと宿泊の参加者は霊的読 聖 歌に よ る 平 和 を祈 る ミ サ を行 い ま し た 。八 歌 う会 が 富 士 見 の修 道 院 を 訪ね 、 グ レ ゴ リオ 渡辺宏子先生と由比ガ浜グレゴリアンを 八 月六 日 し た。 今 後 、 本 会は 年 に 三 回の 黙 想 会 を 予定 月 六日 に 広 島 原 爆を 思 い 起 こし 、 平 和 旬 間を 七 月十 七 日 ― 十 九日 し 、オ ブ レ ー ト と信 者 の 霊 性の 発 展 を 続 けて グレゴリオ聖歌ミサ 祈 念し ま し た 。 フォンス・フロリス 八 月十 二 日 花 井哲 郎 先 生 と その フ ォ ン ス・ フ ロ リ ス の 生 徒の 皆 様 が 八 月十 二 日 に 、第 四 回 目 と なる グ レゴ リ オ 聖 歌 ミサ を 修 道 院で 行 い ま し た。 こ のミ サ は フ ォ ンス ・ フ ロ リス の 四 日 間 にわ た る練 習 合 宿 の まと め で あ り、 教 会 の 典 礼伝 統 を引 き 継 ぐ 宣 教活 動 で す 。 6 支 援い た し ま す 。 黙想会の参加者が修道者たちと共に食事をしました。 テゼ の祈りの 集い 八 月二 十 一 日 テゼの祈りの集いが下瀬智久修道士の指 導 によ っ て 、 八 月二 十 一 日 に修 道 院 聖 堂 で行 わ れま し た 。 富 士見 地 方 の プロ テ ス タ ン トの 十字架のイエス ベ ・ ネ ディク ト修道会の 訪問 九 月八 日 ― 十 日 今年も養成の交流として十字架のイエス ベ ・ ネ ディ ク ト 修 道 会か ら 三 名 のシ ス タ ー た ちが 来 られ 、 三 位 一 体ベ ネ デ ィ クト 修 道 院 の 修練 者 たち と 一 緒 に 聖書 の 分 か ち合 い と 戒 律 の勉 強 をし ま し た 。 修道 院年度黙 想会 九 月十 三 日 ― 十 七日 イ エズ ス 会 の 修 練長 塩 谷 恵 策神 父 様 が 二 〇一 た。塩 谷 神 父は 聖 イ グ ナ チ オの 霊 操 を 中 心に 、 イ エズ ス 会 の 深 い霊 性 伝 統 を分 か ち 合 わ れま し た。 今年 の庭と畑 例 年、 修 道 士 た ちは 修 道 院 の周 り の 桜 、 紫陽 花 、ア イ リ ス 、 山百 合 、 な どの 花 を 楽 し んで い ます 。 今 年 は 那須 の ト ラ ピス チ ン の シ スタ ー たち と そ の 他 の人 々 の 手 伝い に よ っ て 、畑 が 広げ ら れ ま し た。 修 道 士 たち の 努 力 に よっ て より 豊 か な 収 穫が で き 、 豆、 か ぼ ち ゃ 、ト ウ モロ コ シ 、 ね ぎ、 ピ ー マ ン、 胡 瓜 な ど とハ ー ブが 実 り ま し た。 7 アンサンブル・フリーデンの皆さん 〇 年度 の 共 同 体 黙想 会 を 指 導し て 下 さ い まし トマス・ウォール神父が畑の手伝いをしています。 牧 師さ ん た ち と リー ダ ー た ちの 協 力 を 得 、エ キ ュメ ニ カ ル の 祈り の 集 い でし た 。 アン サンブル ・フリー デン 八 月 二 十 四日 横 手多 佳 子 先 生 とそ の 名 古 屋市 金 城 学 院 大学 の アン サ ン ブ ル ・フ リ ー デ ンの 皆 さ ん が 修道 院 で合 宿 し 、ミ ニ・コ ン サ ー トを 行 い ま し た。 川村英成神父 0266-62-8765 三 月九 日 ( 水 ) 〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見 3105 番地 1 灰の 水曜日 三位一体ベネディクト修道院 今後の予定 [email protected] ル 三 月十 九 日 ( 土 )― 二 十 一 日( 祝 ) 寝る前の祈り 十 月二 十 五 日 ( 月) ― 二 十 七日 ( 水 ) 20:00 ベネ ディクト 霊性の黙 想会 晩の祈り ベネ ディクト ・フォー ラム 18:00 奈良 善 き サ マ リア 人 修 道 院に て 昼の祈り 三 月二 十 一 日 ( 祝) 13:30 聖ベ ネディク トの祝日 と八十 周年の祝 い ミサ 十 一月 十 五 日 ( 月) ― 十 九 日( 金 ) 12:00 東 アジアと オセア ニアにあ る 朝の祈り BE AO 08:00 オブ レートへ のお知ら せ 現 在、新 た な 取 り組 み を 進 める た め に、 読書の祈り ベネ ディクト 会修道交 流会 十 一月 二 十 日 か ら 本会のオブレート会員の個人情報更新 用紙を三ヶ月前にメールまたは郵便で お送り致しました。まだ受け取ってい ない方、返送されていない方は、早め に私たちにご連絡ください。これによ り、今後の本会との繋がりをより緊密 七 月八 日 ( 金 ) ―十 日 ( 日 ) 。 にすることが出来ます。よろしくご協 十 二月 三 十 一 日 (金 ) ― 一 月一 日 ( 土 ) ベネ ディクト の霊性の 黙想会 力 をお 願 い 致 し ます 。 新年 に向けて の黙想 十 月八 日 ( 土 ) ―十 日 ( 祝 ) 8 ジョ ン・クラ ッセン大 院長富 士見訪問 十 一月 二 十 一 日 (祭 日 ) 十 二時 の ご ミ サ 誓願 式 十 一月 二 十 一 日 (日 ) 諮問 会会議 十 二月 二 十 三 日 (木 ) 二 〇一 一 年 一 月 六日 ( 木 ) レク チオ・デ ィビナ黙 想会 06:30 ー メ ホームページ http://www.osb.or.jp/ ファクシミリ 0266-62-8770 話 電 クリ スマス・ コンサー ト キー ラン・ノ ーラン神 父来日 二十五周 年祝い 聖務日課
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