講演会レジメ

 昭和30年代の「社会風俗とファッション」―今よみがえる時代背景
昭和20年―24年 洋装化時代始まる
戦時中の「婦人標準服」 甲 洋服 乙 和服 その他 活動衣 男は「国民服」開襟 立折襟
洋装への傾斜始まる ミシン隆盛 洋裁教室ブ―ム 昭和22年400校 26年2400校
昭和 20 年代アメリカンスタイル全盛時代 「ドレスメーカーパタンブック」復刊 「日米会話手帳」
アメリカンスタイルのコールドパーマ 口紅など
昭和 22 年 ディオールのニュ―ルック Aライン(落下傘スアイル 8ライン カローラライン)
アメリカンボ―グプレステ―キングシルエット話題! パリコレ特集
昭和25年―32年 パリモード志向期 25年三越ファッションショー(モデルは女優) プロモデル活躍 伊東絹子(164 センチ86 65 92 52 キロ) 昭和 25 年ロングスカート流行
昭和30年経済企画庁発足(もはや戦後ではない…) 生産性本部開設
昭和32年ディオール没 ラインの時代終わる
電化ブーム始まる「明るいナショナル…」テレビ本格化
昭和33年なべ底景気
女性週刊誌ブーム「週間女性」「女性自身」「週間明星」「服装」等創刊
マ―ケティング時代始まる
百貨店のマ―ケティング戦略
合繊メーカーのマ―ケティング ナイロン技術導入東レの委託加工全盛 パリモードの変貌 オートクチュールからプレタ路線へ
昭和33年 ディオール没後 サンローランへ「トラペ―ズライン」発表
ギャルソンヌルック フラッパ―ルック ル―ズウエスト サックドレス ムーム―
昭和 20 年代のギャルソンヌルック フラッパールック などルーズウエスト時代へ
昭和 30 年代プレタ志向の既製服産業台頭 機能服の美学 ヤングファッション 衣服多様化
はじめに
鎖国により閉鎖社会をつくりながら豊かな文化と生活をつくりあげた江戸の社会
底には成熟した文明があった 本屋の隣に小道具や 駄菓子や味噌酒八百屋お茶漬けや
江戸八百八町の賑わい…
上ってゆく坂の上の青い空に一だの白い雲が輝いているとすればそれのみを見つめて
坂を上ってゆくだろう 一だの雲とは群像の目標であり 当時の日本が
追い求めてきた姿でもあった
日露戦争のあと日本は坂道を転げ落ちるように泥沼にのめり込んだ
行きついたのが太平洋戦争であった 焦土から立ち上がり 国際社会に復帰し 経済成長を遂げ
そしてバブル崩壊 この激動のなか視線を中空に漂わせたまま なりふり構わず突き進んできた
今の社会…一時も止まることなく流れてゆく歳月のなかで 記憶にあるあの日々を形にとどめ
後の世界に伝えてゆく…昭和という列車に灯る後尾灯 その一筋の光跡を描いて遠ざかっていく…
焚き火のけむりの匂い 木造校舎 番傘 割烹着 時とともに身の回りから消えていったもの…
30年代の記憶に残る社会風俗…
政治 55年体制 保守合同体制始まる 社会党
経済 経企庁発足 白書シリーズ
鉄道 新幹線 こだま 4 時間で大阪へ
車 クラウン1500cc100万円 マイカー時代へ
電化 3種の神器 C М 話題「明るいナショナル…」
テレビ 「私の秘密」 「バス道り裏」連ドラシリーズ
映画 「旅情」 「エデンの東」 「ヒッチコック」シリーズ
歌 歌声喫茶「労働者諸君…」 プレスリー 三波春夫 三橋美智也 フランク永井
本出版 「太陽の季節」 「48歳の抵抗」 「日の当たる坂道」 カッパブックス人気
雑誌 「女性自身」 「週間女性」 等発売
団地族 2DK 月4600円 大卒初任給12000円
パート 大丸3時間パート初め
ゴルフ 大衆化 レジャーブーム
スポーツ 王 長島 金田 甲子園の土
ファッション パリモード志向 ディオールの時代 H.AYライン プレタ時代始まる
ファッションをつくるもの 流行 様式 型方法 種類 服装の流行
複数の人たちに共有され 一定の時間を経てより多くの人たちに共有
拡大のプロセス 常に拡大移行のダイナミズム その構成要素はファッシンメーカ―(送り手)シ―ズ(もの) エンドユ―ザ―(受け手)
昭和30年代 ファッション産業台頭期 洋装化時代幕開け 技術力 デザイン力が進展するな
かパリモードからの脱却 既製服全盛時代へ オリジナル洋装化
革新的小売業(百貨店のプレステージ化) パリクチュール提携路線 高島屋カルダン ウンガロ
伊勢丹バルマン 大丸ジバンシー 三越ギラロシュ 松坂屋ニナリッチ 阪急ランバンなど
繊維工業全盛の時代 昭和8年綿紡績全盛期 昭和12年綿糸生産量72万トンがピーク全世界
の総生産量の38.9パーセントを占めていた 製造業全体でも31.4パーセントが繊維工業(製糸
紡績 織物)であった 60パーセントが輸出で世界トップレベル イギリスのランカシャーを追い越
して世界一
戦後の綿紡績 GHQ指導で綿花買い付けが不可 混打綿技術は優れていたが新鋭設備老朽
化 昭和 39 年には繊維工業は抑制と操短の歴史 綿紡績は合繊工業へ転換 発展途上国の発
展で敗退した 昭和 25 年動乱で糸へん特需は一時的
洋装化は戦後の 60 年 戦前男の洋装はあったが女は僅かだった ファッション産業といわれる
繊維工業 アパレル(既製服製造卸) 小売などが規模を拡大しながら デザイナーたちが新
分野に活躍した 三宅 やまもと 森 耀司 川久保などパリコレに参加 東京はパリ ニューヨー
ク ロンドン ミラノと世界のファッション情報発信基地になった
洋装化始まる昭和 20 年―昭和 50 年の 30 年 衣服革命進む 戦後きる物がない 生地もない
活動衣が必要性から もんぺ ずぼんから発展 昭和 17 年制定「婦人標準服」 男は「国民服」
アメリカ文化への憧れから洋服化へ 洋裁店がない 家庭内職普及 ミシン文化隆盛 洋裁教室がブ―ム 昭和 26 年 400 校 45000 人 昭和 26 年 2400 校 昭和 30 年 2700 校 50 万人 文化服装学院 ドレスメーカー女学院 田中千代服装学園 桑沢デザイン研究所など