辛 業 主円 A叩 司応急手当も重要です。 4 災害は忘れた とるにやって来る│ 九月一日の﹁防災の日﹂、大規模求海比 震を愁えした総合防災訓縁が﹁池成ぐるみ のより実践的な訓練﹂をスローガンに各比 区で実花されました 。 メ イ ン 会 場 の 役 場。 ては、午前八時、消防 服に身を包んだ吋の消防団と役場消防除ら が緊張した表情で整列。本部長の糸町長か ~TEL0552-75-2nl 編集 ・企画調整室 発行 ・ 昭和町役場〒409-38 -山梨県中 巨摩郡昭和町押越5 4 2 ら﹁吋氏の生命・財産を守り期待にこたえ られるよう、一人ひとりが防災への心構え を 新 た に 頑 張 って ほ し い ﹂ と 訓 示 し 、 訓 練 は、午前八時五十分の警戒宣言が発令、隊 員たちの指示で職員や位氏の遭難誘導がさ れ、放水・救助・救出・初期消火訓練が展 開された。皆さん落ち着いた進難行動がと いつ起こるか分からない災害を最小限度 れ真剣な表情て訓練に取り組んでいました。 ださい 。 に防ぐため﹁備えあれば、愛いなし﹂とい う気構えて日頃から防災対策を心掛けてく あなたの備えは一一 (総合会館で) 回I ち 昭 和 の と 産 緑 ヲb 二 r : : と b? ‘' ' 8 71 0月号 N o . 1 2 0 昭和 62年 10月 4日発完 。亘明 .いざとなれば女性も消防隊の一員です。 つ - 除 幕 式では、 神事後、泉町 長をはじめ各 関係者が﹁町 の未来社会を ま さ 江 夫 妻 の 三組 の ど 夫 婦 に 金 婚 " j楽 し か っ た j ﹃潜の家﹄利用状況 紙漉阿原、河東中島を通学区と 記念祝金を贈りました。一 乙の金婚記念祝金制度は、結婚吋 し 、 学 区 取 締 に は 小 沢 得 一氏が 任じ、正法寺に 学 校が置かれた 。 手 助 け ﹂ の 一環 と し て 静 岡 県 の 相 シ ョンの拡大、潤いのある生活の ﹁町 民 の健 康 ♂つくりとレクレー 万円を贈り、お互いの長寿 を 祝 う 一 良 と 片 浜 の 二 つの海水浴場をもっ 五十 年 目 の 夫 婦 に 対 し て 、 祝 金 六 ⋮ と共に、長年にわたり夫婦 が 協 力 一 幸弘 昭和六十二年八月吉田 し社会に貢献された労をねぎらう一 昭和町長 泉 伊久比学校之跡地記念碑 明治五年九月六日開校、飯喰、 し て 企 画 。 民 宿 が 一人 当 たり 五 千 町では 今 年 度 の 新事 業 の 一つと の利用状況が 度です。一 贈 呈 式 は 、 泉 町 長 をはじめ 各 関 ⋮ μ 相良町の,海の家 係 者 の 出 席 の も と 、 拍 手 で 三組 の 一 まとまりました。 ために、今年度から設けられた制⋮ 氏が任じ、小沢織右衛門方に 学 利 用者 負担 を 軽 減 し 、 た く さ ん の 当初 は 八 月 二十 日 ま で の 申 込 受 泉町長が祝辞を述べた後、祝金一 婚記念を祝いました 。 五件 の 民 宿 と 休 憩 所 が 満 杯 と な り 九月一日現在 ) -利用状況 ( 一 七月末 日 で 締 め 切 り 大 変ご 迷 惑 を お掛けしました 。 ⋮ 企一 庁間 針⋮ 片山⋮ 劇⋮ 陣凶 u-- 一市一 を町 酌⋮ コし岬 影町 一ご ま た 贈 呈 式 後 、 庁舎 表 玄 関 で 泉 一 町長をかこみ記念撮影を行い、金一 られました 。 くしたい。﹂とお礼の 言葉 を 述 べ 市 合 い 協 力 し 、 地 域 社会 の た め 炉尽 吋 付 で し た が 予想 を 上 回 る 人 気 で十 敏明氏が﹁これからも互いに助け一 皆さんのご利用を頂きました 。 校が 置 かれた 。 幸弘 と 、 西 条 新田の 杉浦四郎、ひさ と夫妻、西条新 田の鮎川敏明、 が手渡され、夫婦を代表して鮎川一 円 を 半 額 助 成 、 休 憩 を 全 額助成し、 区とし、 学 区取 締 Kは 小 沢 得 一 築地新居、河西、上河東を通学 4 砂 ど夫婦が迎え られ行われました。市 昭和町長泉 昭 和 六 十 二年 八 月 吉 日 町では八月十 条、西条新回、清水新居、下石 寛 、 は る 次夫妻 担う乙れから を祝いました 。 記念碑の完成 除幕が行われ、 とあいさつし、 く 伝え残そう﹂ 土の姿を正し 日、河西の萩原 • の人たちに郷 「金婚記念祝金」を贈る 亘但 E衰弱。倍宿目白隼園グ 西条・押越・伊久比学校; f) 乙れらの学校記 念 碑 は 、 明 治 五 年 八 月 二 日 に 学 校 教 育 を義 務 づ け る学制が発令され、それにともな 西条学校之跡地記念碑 校が開校、続いて同年十二月十 二 日、妙源 寺 に 中 巨 摩 第 一 区 と し て 田 、 高 畑 を 通 学 区とし、 学 区 取 い同年九月十日、正法寺に押越学 小 沢 慶 雄 氏 方 K伊 久 比 学 校 が 開 校 締 には 三神 有 長 が 任 じ 、 妙 源 寺 に学 校 が 置 か れ た 。 . 明治五年十二月十二日開校、西 された乙とを記念して建立されま 昭和 六十二年八月吉日 した。 碑 は 、 縦 四 十 五 セ ン チ 、 横 三十 昭和町長泉幸弘 上河東ニ区 加 藤 久 子 さ ん へお歳) マ・:海の家を利用して ji---V 河 東中島 紙漉阿原 築 地 新居 飯 喰 西 河 上河東 上河東一区 自 十 ; を ; 押越学校之跡地記念碑 越 押 6 地 明治五年九月十日開校、押越、 西条 一区 清水新居 西条 新田 学 センチ、厚さ七センチの安山岩花 黒御 影 を は め 込 ん だ も の で 、 建 立 費 四 十 三 万円で完成しました。 人) 休憩 回 利用 者 数 ( 54 115 72 1 4 1 24 57 30 51 57 1 16 56 125 57 1 06 36 75 19 38 55 120 35 68 118 233 613 1 .245 897 2. 230 1 .052 576 1 .034 903 723 876 432 994 557 1 , 020 11 .294 ! j 1 • 宿泊 伺 60 81 34 34 87 74 6 1 36 1 9 69 37 131 723 人口 仏j 地 区 西 条 ー区 泉町長と三神議長によって「押越学校の 跡地記念碑」の除幕が行われた 跡 昭和 6 2年 1 0月 1日 発 行 (2) わ よ し 報 広 ¥hF/ ペ i¥ し つ よ わ : f a : 信 仰続B " : : Z E S〈書館: be:Y・ 日、押越青年団・ 二十 の 縁 日 ﹂ が 八 月 二十 三 映画も判り易い内容で良かったで 子 供 の 人 気 を 集 め て い た 様 です。 今年は、ザ リガニを売っていて、 押越井上昌明さん(糾歳) 多彩な催し、 山のふれあう町 才の会・子育てボラン す。人形劇も多くの子供が集まり フ ァミ リースクール ティアの会の協力のも ファミリースクーノレ 守ふれあい縁日﹄の感想 と、児童館前庭で聞か 盛況でしたが、声が後ろまで聞乙 の一環としての﹁親子 れ、約四O O人 の 町 民 西条一区向山初子さん(お歳) えなかったのが残念でした。 はザリガニつりが気に入ったよう の 皆 さ ん で Kぎ わ い ま で す 。 大 き な 真 っ 赤 な、ザリガニが、 した。 み、触れ合いを深め、 とわいやら、ほしいやら。今でも いくつかある屈の中で、子供達 地域の活性化を目指そ ゆく夏を親子で楽し うというもので今年で 上河東二区河野喜代子さん(ぬ歳) 金魚すくいは、もなかの容器で 家で大事に飼っ ています。 エビガニとり・わたが 三回 目 。 午 後 五 時 頃 か し・ヨーヨーなどの夜 にすくえた様です。、ザリガニつり は、ただ買うのではなく魚つりの なかったので二年生の子にも上手 各種ゲームを行い、子 ようにしたらよいと思います。 庖や人形劇・映画会・ 供たちは大喜びでした。 ら親子づれが集まり、 ⑧ 幸 R 広 (3)昭和 6 2年 1 0月 1日発行 うまくすくえたかな? 町では、乙のほど、各地区の区 て い る 体 育 行 事 の 一つ﹁町民体育 長 さ ん を 通 じ 、 従 来 か ら 行 ってき のご意見ご要望が寄せられていま 祭 ﹂の 事 に つ い て 、 皆 様 か ら 多 数 いて全 戸 を 対 象 に ア ン ケ ー ト 調 査 したので、その 見直し継続等につ を行い、集計した結果がまとまり ました。 乙のアンケートをもとに八月 二 七日、役場大会議室で泉町長はじ め議会代表、区長会、体育指導委員 ら 関 係 機 関 の 代 表 四O 名が出席し、 1 , 166戸 町 民 体育 祭 に 関 す る 協 議 会 が 聞 か 「町民体育祭」のアンケート結果 (33 ~ち) 大いか助てたい最 西旅い供せきど相 築年いた 富海 と 西年み泊族た ー頂 利 変でり金頂。し初「条が山たまれで良町地も思 D でのて海条も有料で O 目い用町 有楽まのけ乙くは民一出梨ちしい行町の新是い子親幸ものーま意金楽たでた方の 難しし半れの、戸宿区来にもたなけま素居非出供子も良家区た義もしまわの法ご ういた額ばよ子惑」 たとお。海たで晴 乙 K たでおか、 実な 町いたかでも指 ど思。も大う供いは木事つお真で。迷ら栗のなち楽いつ民角胞旅の時まり道簡導 ざい海大変なたま初村はて喜つ心海うし原よつにしした宿野し行助を花ス路単で 、出も勢有企ちしめ真大ホび黒も水乙い勝うたといくでと てと成過火ム事で手 まが思でり画もたて一変ツでにの浴と企子なとつ旅、すも功下ながど大 l情、続 し出つ行離を大がだ郎良とし日ん場な画さ企思て行観 O 安ささりあせ会ズやまき た来た つい毎変、っ さかなた焼びもくでん画い 夏が光相く んいまりたもに観たし 。まよたで年喜料たんつ昧。けり 二三 目 へ を ま 休 で 場 良 利 し 安 O あ行光案た しりたす実ん理のへたわ海しとつ時的 2 9 0 すみき所町用 3 6 た価まり動場内の たきめ O 施ではで 2 8で い の た 過 あ 問 地 歳 。のまもはで 歳 O にた、で所図で O れ 助 補 し い お 、 歳 す の な 子 ど り ほ の ) 来良し豊、き) 来す宿家きがも 的に見直し 盛大に 難図!ーを れ乙たは展と れ う ソ」 人 推 町 る と 中 や 的 お 協 ま どてをの進で乙ででめにり議し ざい第町しはと決、て見、会た いき一民、、 l と定地、直町で。 まま条が「今なさ区町し民は しす件ま町後りれ運か「体 た o ζ I ず民もま、動ら従育ア 。ご、健の社し今会の来祭ン 協ー康幸会た年を助のをケ 力層でせ体。か盛成町改│ ののあは育 ら大を民めト ほ充る、の 実に増体て結 ど実乙ー振 施すや育、果 有をと人興 さるし祭発の -n : r : n 完由- -'-'~ 1-.I~ ・, n 押原ミドル 堂々優勝f 第九回全国野球スポーツ少年団交流大会県大会が七月十 五・二十二日の両日、地区予選を勝ち抜いた十五チームに よって戦われました。 昭和は、一回戦葛野を六対二で準々決勝でも西桂を五対 四 で 破 り 順 当 に 駒 を 進 め ま し た が 、 準 決 勝 で 伊 勢K Q対 四 主惜しくも破れ第三位となりました。 ま た 、 第 二十 四 回 山 日 杯 少 年 野 球 大 会 地 区 予 選 が 七 月 二 十五・二十六・二十八日、 二十 チ ー ム が 参 加 し 、 郡 代 表 を 目指して争われました。 こ の 大 会 で 昭 和 は 、 玉 幡 を 二 十 一 対 二 ・飯野を九対0 ・ 準決勝の若草戦も十五対四と決勝戦まですべてコールド勝 ち。圧倒的な強さで決勝戦まで勝ち進みました。 決勝戦では、強豪竜西と戦い接戦の末、三対四で破れ残 AVA ψ市 血市 ψ市 虫甲虫市来来車市来場品平虫市 ψ市 ψ 市 来来虫市虫市来阜市場車市来品不虫市 E 常 ψ 幸 千野下チ │ム 塩山市 大会の結果は次の通りです。 れました。 ﹂ と語ってくれました。 想以上の結果。よい思い出がつく 来 伊 勢1000111 一4 惨熱い闘いを観せてくれた昭和チ lム 昭 和0000000 一O │ 釜 無 川 ス ポ ー ツ 公 園 で │ マ交流大会・準決勝・ 念ながら代表権を子にする乙とはできませんでした。 -山田杯決勝 竜 西0021100 一4 昭 和0012000 一3 来栄来来来来来来来来品市虫市来虫甲虫甲虫市来虫市来虫甲虫甲虫市 県子どもクラブ球技大会 釘聞手1ム田口ω︿凸官泊中富田 代八月二日町子どもクラブ球技大 ブ バ レ ー ボ ー ル チ l ムは、郡大会 針会で優勝した河西若竹子どもクラ f 告でも優勝し八月二十三日、県子ど 識 も ク ラ ブ 球 技 大 会 県 大 会 K郡 代 表 劃として出場しました。 清河西チ l ムは接戦の末、決勝戦 中まで勝ち進み決勝戦では、東八代 O対 二 川代表・一宮中尾チ│ムと対戦。河 長西チームの粘りも通じず、 o 7 東山梨郡 鎮 目チ l ム 南巨摩郡 4長沢チーム 2 l ム サッカークラブ 予選リ lグ 準決勝 押 原4 1 0甲 府 西 押 原2 1 0城 南 押 原2 1 0依佐美中(愛知) 決 勝 駒で惜しくも敗退しました を 堀 之 内 監 督 は ﹁ 準 優 勝 は チ lム 勝ワークの勝利。心から健闘をたた 和えたい。﹂と話し、また主将の押 県中・清水佳子さんは﹁準優勝は予 西桂町チ l ム 南都留郡 榎 原 チl ム 中巨摩郡 L ム チ 部 チ O 南甲 西府 黒八 沢代 チ郡 東 (一位パ l 卜) (PK412) ¥ー - 東 山 一八 北 梨 宮代 チ 市 中郡 │ 尾 ム 甲 富府 竹市 順 位 トl 少 メ ン ト 押 原4 0 中道 押 原210富 竹 一 一 一 一¥ o0 延 o 1 II II o0 長 o 1 8 西 3 U 大を分いつ のり 会しを」た中 ζ i 、決 のつ気と。込し延勝 結か力話彼監ま長戦 果りでしら督しでで はや力、をはたもは 次つバまこ「。決 のた│た乙県 着甲 通成し主ま総 が府 り果全将で体 つ南 でだ、員の育で か西 すとで伊て準 ず中 。思声藤た優 、と うを寛ス勝 P 対 〔準決勝甲府西戦〕コーナーキックから佐野が、 」出逸ポし K 戦 ヘッデイングシュートしゴールを決める とし君少た 戦 一県営緑が丘蹴球場で一 力ては関乙 の ー 強、「係と 末点進完べと愛 優ィ少れチ間二ク くー練のが 、をみ壁て対知乙勝パ年た│ 、十ラ押 語つ習方、 押争まな無戦県のをルサ第ム県三ブ原 つひ不々彼 原うし試得。・大飾中ッ十が内・はミ てと足とら 中好た合点決依会り学力五参外 二 八ド くつで共の がゲ O 展 i 乙勝佐でまの│回加か十月ル れの走に自 優 ! 開お戦美押し部フ Y しら四二サ まプれ喜信 勝ム でさま中原たでエ B て三の十ツ しレなびに をと 勝えでな中 見ス S行十三二カ た│いたな もな ちるすどは 事テ杯わ二日・│ 押 原 <iJ I~ 議 選 ぶ 市 議 事F 泌総 、み 議 ミ 字 選終\議警察、::~喜善 , v B ロ'山弓手ト .::~: 昭和 6 2年 1 0月 1日発行 (4) わ つ よ し 報 広 つ - 町叩 会フ • 土 ﹁信玄堤讃﹂ j ¥ " )G 長一 O 八五問 、 高 山γ 誌﹂による)が、竜 王 三 丈 (以 上 は ﹁ 昭 和 村 のでその一部である竜 ζまで書いた時、 一 王 堤の乙とだと思われ る。乙 の司馬遼太郎氏の﹁谷 の国﹂という 一文 に 出 のかねあい lー 二 律 背 反 の 緊 張 で される。けれどもそういう危険と かし谷底の田はしばしば洪水に流 って段々に田を形成してゆく、し 谷 は 水 が あ り 米 が と れ る 。 底 K向 根やネギ、雑穀しかとれないが、 谷から住みついていった。丘は大 いるが、昔から人間は丘ではなく くグナントカ丘がという名が出て 合 っ た 。 造 成 住 宅 地 の 広 告 に 、よ υ町・ 一阿 川 口 文 芸 春 秋 九 月 号 で 作 家 ん制目 戸以 λLPλ ド}圃は、およそ九伽にある d, の 高 岩 か ら 浅 原 橋 ま で 'L / さ 七 尺 、 馬 踏 二問 、 敷 -延 ﹀島色色 ﹀ べ てみたい。 二川;るが、わが町の歴史、 一よ MW一 形 成 の 中 で ど ん な 恩 恵 ム や必然があったのかの J V るなど笑止の至りと言 私ごときがうんぬんす 学上の注目を浴びている。いま更 のみでなく全国的にも治水土木 工 信玄堤はあまりに有名で、県下 . b 占r 久 、b わ よ し 幸 良 広 (5)昭和 6 2年 1 0月 1-日発行 考 台j~ 同 た。信玄はその地侍を俸禄によっ て 一定 の 間 隔 で お よ そ 二十 聞の堤 堤まで、信玄堤の内側に河へ向っ 図で見るように一番堤から六番 老人福祉週間の長寿者﹄欄の中で、 九月号で掲載した﹃敬老の日・ ほうろく て家臣団に組み入れ直轄軍団を強 防が突き出ている。乙れは堤防へ 詑わ 日本社会 が で き あ が っ て い る 。 そ 的 K押さえる権力が必要だった。 だねた。洪水も長大な水流を一元 堤防へよせて来る距離を的確にと 段で、更に一旦戻った流れが次 K す乙とによって堤防を守る目的手 打ちよせる奔流を河中へはじき返 て深くお詑び申し上げます。 ん八人がもれていました。訂正し 九十歳以上のお年寄りの次の皆さ 西条一区の特別養護老人ホームの をとんだとき眼下の甲斐が感動的 かつて、全日空で富士山の北麓 として今日でも注目を浴びている その代表的な当時の農業土木工事 流を押し戻して下流へやる。しか らえて次の突出堤があり次々と奔 氏名年齢 十月一日現在(敬称略) 古屋やすよ九十歳 河野幸五郎九十歳 二歳 二歳 河村ゐまよ九十七歳 石川ゃう九十 飯久保品け九十四歳 小口もとよ九十 も、その突堤の終るあたりから次 さて、竜王から浅原橋上に至る る。臼井沼まで行けばしめたもの 流通団地)へ注ぐようになってい 第に川幅をせばめ臼井沼(現在の 信玄堤であるが、それは冒頭にあ のである。 状 K走 り 、 乙 の 大 小 無 数 の 峡 が 水 げ た 竜 王 堤 ( お よ そ 二0005 長岡よ祢九十一歳 信玄堤を越えて本町へ洪水が押 つくり、大きな人口を養って来た。 雨宮さよ九十一歳 しょせた様子は幾回も説いた。そ 田造成 K適 し て い て 多 く の 集 落 を で、流れは湛水状態となるのであ に興味があるのである。専門的に 水防の工 夫 に つ い て は 乙 ち ら の 方 うした中で信玄堤は無力だったか 肥沃層を形成したからである。戦 現在も残っている)であるが、 ( デルタなのだと言えると思う。し 落であり、峡谷の条件に固まれた は沢山ある訳だが、乙乙ではわが というと決してそうではない。昨 後 も 昭 和 三十 四 年 の 七 号 、 伊 勢 湾 から続く七伽の方が規模は小型 たがって谷という洪水についても 町の分だけを記して見たい。その 年の﹁ふるさと散歩﹂の案内の折 とも書いている。と乙で私見をは 同じ乙とが言える。 二律 背 反 も 当 代表的な例が飯喰の検地絵図(明 にも説明した通り、信玄堤の内側 を河原と呼び外側を村町と呼ぶ様 は奥地の土石流を押し出し埋まっ もう少しというと乙ろまで釜無川 台風のあった折も開国橋の橋桁に てはまる。そして農民が力を持ち 治三年九月)である。 l 昭和村誌 ちぎむらい そう はじめ、惣という自治組織が力を 参照。 へ高い広場をつくって河中の 土 砂 を渡った乙とがある。その時、町 てしまった。国は取り敢えず両岸 内でも押越の道川はじめ細かい砂 や る と よ い 。 農 機 呉 が 河 原 は 三倍 の効用である。明治四十年の洪水 で詰まってしまい補助を仰いで乙 ては町内の耕土を形成した最近の 方は多いと思う。乙れなどがかつ れを竣ったという記憶をお持ちの ーっと信玄堤もその奥の本堤も長 ついて書きたい。 例と言えよう。次回は築地河原に Aに通じ、﹁市川の荘﹂などと同じ。 司馬氏の文中﹁惣﹂は荘園の荘 る。町内の本田も少し堀ると土石 にまじって細かい土砂がデルタ的 築堤の聞に奔流が及ばなくなり水 ばかりだが、その上の耕地は長い ほんでん い歴史と努力の末現在に至ってい 以来八十年乙の堤防を越えた洪水 はない。洪水に刈勧賞されながらず も減ると言われる乙とこそ信玄堤 判る。河原の草取りは雨っぷりに に、耕土が全然ちがい眼で見ても 持ち、地侍が宙に浮くようになっ さむと、甲府盆地は広大な峡の集 る 。 で作裂した様に、残雪の線が放射 ある。 乙乙に治山治水をとおして信玄と び 、 農民の結合強化となり、信玄堤は お 。 などの調整を国主である信玄にゆ 。 大なものとした。各々の惣も水利 飯喰村検地絵図 の典型が山梨である。というので 柳沢八十 文化財審議会委員 ? を 土 し つ - よ 父 )山 口 敏 文 砂 ( (母)知子 名 H しい、と願いを込めて名付けてもらった長男のハヤ v 名 前 の 由 来 僕 た ち は 一卵 性 双 生 児 で す 。 男らし く たくま し い 人 に な ってほしい、 二人 仲 よ く 育 ってほ H 卜 と 、 次 男 の ユ ウ ト で す。 実 は 僕 た ち 、 自 分 の がど っち か 、 時 々 間 違 え ち ゃ つんです 。 前 ま後 幸 良 広 昭和 6 2年 1 0月 1日 発 行 (6) わ な た 名 砂 齢 緑 町 端 機 融機 議 希踏名砂 子 感 前 (轟遷舗面藍鞠襲撃 望 み 前 r - 、 べ三ω ¥d 尚 喜 被( 下 舎 に じ の 父 灘 頗量 販 賜 駆? 建造ぷ l こ し の 父 峨ふふぷぷ量級議長 ヤ 育 で 由 )麟 麟 酬 関 鱒 満 め 由 )む 干 潟 謀 略m ¥ ー ー 尋ー i 三ZJ J っと来岩 欝麟謬騒畿畿議 ち 、来雨 機嬢盤機機線懸 ¥ てて 本 畿綴機鴻鱒腰機畿懇襲撃 欲も岩 機 撃ち 線 機鱗 議 離 し 良 本 徹 謬機騒瀦 機 繍 鶴 いいと 機懇機灘畿機総務総 ととい 機 構 畿 機 献f ウ 願思う ( 機務総繍劇際線;対 た包 宮 未 容 私 来力達哲 i 乙のの也 向あ 願 藤機嫌感機毅畿謬額塁塁 盤畿臓機織経議議 懇願 臨 機 鱗 類購 事 震 警鐘議機運露 交達 率 議 助機 麟 裁選 長 野 I } J 一 ' ~ ~ . = ! . . . かるい( 響泌総燃 機繍 , - 言~I"ι. '"υ い い 姓 母 綴 滋 綴機 嫌議夜襲撃 つ 子 は 母 滋機主ふ悦議離織 目 I a 父 ま に )繁務綴機騒機畿務総 て に 、 )機騒錨盤論議畿線機 一 一 親 し 誠 愛 議 機議 畿 機 騒 鱗 、 育 何 幸 鶴 槻田 園畷欄目白 傘 が た と 子 緩緩機饗露綴緩綴機 正 つ 事 子 際機畿冨富国際懇磁霊園 l つしい 毅謬懇謬塑膝察機畿畿 襲 警 治 て も - 麓離畿廼薗匝略議議類事 企 且 - ¥ け 、う 議議線透謹撃機畿懇謬警察 / ほ 確 盟誼置組圃匪慾綴畿畿通E ま第名 義懇畿議醤箇箇議機警 察 レし 実 舗薗醜掴・騒準畿謬瀦 l し ー は 鐙畿議醤翠懇懇懇慈雲襲 、 と 醸開感 掴置懇親僚懇 畿勢 一 たに根 議議謬懇期購畷懇綴警察 ツ 事 一 盟国由孟孟ゐ冨品悩議選 ~ 、が 附 鰍 鰍織 機蹴 隅 隅 ゴ、で 歩 F 山口隼人くん・勇人くん 誠張 岩本 誠くん lす 一 雨宮正浩くん (河東中島) 実っ ( 紙 漉 阿 原 / 。歩 (清水新居~(QoJ S 61 . 4 .2 2生 S6 1 . 4 . 8生 S6 1 .1 0 .24 生~〆 宅 z :¥ ー 孟 ー , 可 一一 一 時一ー 実い読閉僅実もに CU( づ@⑩ e⑮@⑧1)(5) /ー\~ぷ二弘 d開、ぷ~ ~ 今本庖革ま てヰ品開押問じ占 z ♂ム恐ヲ どかし況えのずもるて図 幸 周本庖は運 念 /7"v ~ 四 自 恥2目ご弓完引口喜計 出 町 れ 目 一 : 汗 ? 一 昨 日日2 2時 計 H AJ由 雄輔露唖F罵躍 警 築 いで週 。め頑者、で立に ζ i がおて過利き童 ; 噛 線 開 棚 機幽 問 機 崎譲頚 口行 日 乙 て 張 の 利 、す 、 も で か い ち 用 継 委 長選機線離緩ゑ認壌環騒義 之議込 ¥ まm O ~.L. J i f出 f i b i i ? ? ?刊誌 海副錨臨離地位:吉 築地新居区一坪図書館 案内図 はっ。ひいたいむ 移 田昌号館田容子とも島EF I 強い選手を育てたい J A 森図書さん ( 4 2才) (西条新田) が、人数が増えた ζと 連れて行っていました から、町中央公民館を お貸りして本格的に昭 和町で指導を初めまし た。 それからもう六年、 人数も増え幼稚園の子 供 か ら 中 学 生 ま で 三十 七 人 、 女 の 子 も 二人い ます 。今年や っと 黒 帯 が 一人生れ、来年には 一一 1 三人生れそうです。 それに今年から西 条二 区の神戸哲雄さんが指導に加わ っ 空手は他のスポーツと多少違い、 てくれましたので 今 後 が 楽 し み で 会の審判を頼まれ、丁度西条一区の 相手を仮想してツキやけりの基本 す。 井口和則さんが組手試合で優勝した 練習が多い為、自分との戦いが多 学生時代に習った空手を子供達 に教えるようにな ったきっかけは、 時、審判をしている内に﹁自分で 十年前甲府に住んでいる頃、県大 も強い選手を育てたい﹂と思った の子供達に強い精神力が付き、大 く自覚と自己努力が必要となりま す。 空手 道 を 通 じ 、 少 し で も 多 く • 10 月 1 日~月~Il日目 時機制緩君臨鱒轡あæa~_æfu0&." 輔副側 放 送 会 す る げち 辻 は お 蒜 蒜 ミト ; ります区 ょにす最確きてまつ局教 れ室庫し付れ改五r;司 うもし近かていして長育運まとの、 属 た築十坪築巳日 で影 , 、ででいまたいも委営し共片階建二の ー 図地三ー す響まは乙ます。ま兼員はたに側下物階折年書新吾雪 。さたどれすが し ね が 、 。設 に の を 建 り 公 館 居 Z 二 れ、 ζ を O 、 たて 事 社 け 放 収 補 て 残 会 は 区 画官 、新の改今残 が行務 会 ら送納修のさ堂、の"“ きく成った時、少しでも役立てば と思います 。 共同募金運動 E 減しに 乙とからです。それか ら 友 人と甲 お母さんのいない家庭や お父さんのいない家庭の 幸せのために 222汁 JfZ ζ 府で空手の指導を初めました 。 一 昨 年 の 寄 付 金ー はこの ように使われましたー J ; 忌 '日 てたてれ 私が昭和町に引越して来た時、 知人の子供の指導を頼まれ甲府へ わかちあう幸せ 赤い羽根共同募金 れ め れ そ た 分 出 代 感 鍵議毅週圃E 醸哩E週置薬冨・園田園・竪髪際乙 つ 今月のテ ー マは﹁はげまし合い﹂ さそい 合っ てど参加ください 。 開 催 日 十 月 十 八 日(日) 場所中央公民館各室 内 容 ・ 場 所 ① 幼 児 教 育 学 級 ②少 一日合同行政相談所の開設 行政相談委員は、役所や公団な や希望・ 意 見を住民から 受 け、問 どが行っている仕事に対する苦情 のパイプ役です。 題解決の促進を図る住民と行政と 西武デパート七階 二一 合同開設場所十月十四日(水) 1 女なお、本町の行政相談委員は、 河東中島 二O 五 三 (雷七五 三三 )の有泉淳夫氏です。 漏電遮断器 年創作教室③青年教室④料理教 忘れずに 室 ⑤ 茶 道教 室 ⑥ 家 庭 教 育 学 級⑦ れに故 「気をつ けて」朝の一言 音楽教 室 ⑧ た い こ 教 室 (ml・ ∞1 3 ・∞ ) な お 、 高 齢 者 学 級 ∞)に、またダンス教室は十月 は十月 二O 日 (剛1 ・∞ 1 3・ 町内交通事故発生件数 ⑧⑫⑧⑫ わ ω よ 三・十七・三十一日(則 7 ・ 9 町体協ゴルフ部では、左記によ = あ り秋季大会を 実 施 し ま す 。 = ー レ 日 時 十 月 二十 一 日 射 ( 刷8 ・ ∞ .一 '一"仇w k現地集合 )、 時 間 厳 守 府 よ 会場敷島カントリークラブ打母 5 コ 代別3 、000円 ( プレ l 参加料 知一崎社 一 は個人一 負担 ) 岡山小電中防 競技方法個人戦、団体戦とし、のた家を 司司断てめ 個 人 戦 は 新 ペリ ア 方 式 羽 白 漏 的 事 山町、動電 申込締切十月十五日制まで闘は自感 申込み・問合せ教育委員会(宮町臥器、て 万ーー3737) 又 は 、 各 地 区 役 酒 漏 遮 し 止 電知を 員の所まで、参加料二、 00 0 漏感気す 円を添え、申込んで下さい。 し i 9 ・初)に開催します。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 + 。 。 。 + 。 。 。 。 。 。 + 。 + 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 + 。 。 争 。 。 + + ・ 報 第何回町民ゴルフ大会コ 広 ii+ 参 加 者 募 集3is 二・。 0月 1日発行 (7)昭和 62年 1 山梨県町村職員統一採用試験実施要綱 と甲府地区消防職員 ¥ 採用試験案内/ 採用予定人員 消防士若干名 受験資格 ( 1)学歴要件 下表のとおりです 。 ザ Ai ー 4 歴 高等学校 年 齢 以 昭 和 降4 に 2 年生れ 4月た者 2日 昭 和 降4 に 0 生年れ 4月た者 2日 専修学校 以 K 0 生年れ 4月た者 2日 昭 和 降4 短期大学 以 大 ザ A> J . ー与 +試験職種 ① 事 務 職 ② 土 木 職 ③ 消 防 職 ④保母職 +受験資格 職員 を採用しようとする団体において適格と認める者とするが、 その 基準は次のとおりとする 。 乙の試験が受け られる者 卒業年次 学校教育法に基づく 高等学校以上の学校 を昭和 6 2年 3月 卒 業 ! 3年 3月 卒 文は昭和 6 業見込みの者。 以 昭 和 降3 i ζ 8 生年れ 4月た者 2日 -試験の方法 教養試験 択( 9 0一 分)式 ( 2 ) 住所要件 間合先 甲府地区消防本部人事教養課人事係 甲府市丸の内二丁目3 1番 3号 電話 22-4841 内 線 2 5 択(2一 1 時間式 ) 第 験 試 一 昭和 6 2年 8月 1日から引き続き甲府市、竜王町、敷島 町、玉穂町、昭和町、田 富町(以下「組織市町」という。) K住所を有し、かっ、住民基本台帳に記録されている者。 ただし、修学のため、現に組織市町に住所を有していな 2 年 8月 1日以前から引き続き い者でも、家族等が昭和 6 組織市町に住所を有し、かっ、住民基本台帳に記録され ている場合は資格を有し ます。 ( 3 ) その他、身体要件もあります 。 試 験 日 昭 和6 2 年1 1月 8日(日 ) 会場甲府市立南西中学校 試験要項及び受験申込書 1 0月 1 2日(月)以降甲府地区消防本部人事教養課で お受け取り ください 。 受験申込み受付期間 1 0月 1 9日(起 -10 月2 4日 (土) 方 法 区 分 専 事 適 性 門 検 試 験 査 務 容 内 公 を 務 行 員 い ま と す し。 て必(要各職な種般 共 的 通 知 )識、知能について、 高等学校卒業程度で試験 4 土 い 木 ま 職 す (又は保母職)として必要な専門的知識、能力 について試験を行な 1 0 分 事務職員としての適正を正確色、迅速さの作業能力面から検査します。 消適防性検防 査 2 0 分 消防職員にふさわしい資質を性格面、作業適性面から検査します。 文 9 0 分 主として文章による表現力等について試験を行います。(各職種共通) 第作 日 連 試 験 人物について、面接による試験を行 L、ます。 ( 各職種共通) 一般性格診断検査 各職種共通) 職務及び職場への趨応性を性格 .特性街から検査します。 ( 験 次 試 +申込書等用紙の配布 試験申込書及び試験案内の 各用紙は、試験実施 団 体 (町村)の窓口 で 請求して下さい 。 e試験申込書の受付 ( 1 ) 1 0月 2日-10月 1 5日 (日曜、祭日は除 く) ( 2 ) 受付は試験実施団体に おいて行い、 受付時間は午 前 9時か ら午後 5時 ま で と す る 土 曜 日 は 正 午 ま で) ( 3) 受付は直接窓口でのほか、郵便によ る場合も受付ける 。 +受験票の交付 l 試験申込書を持参の場合は記載内容を確認の上、窓口にて直接本人ζ 交付し、郵便の場合は、本人宛返送する 。 +合格者の発表 第 l次試験合格者は、 1 1月下旬どろに受験町の掲示板で掲載し、本人 l ζ通知する 。最 終 合 格者 についても 1 2月中旬の予定で同様に通知 する 、 君 主 主ま、役場総務課までお 問合せ 下さい 。 なお 明時世制定二=ブ認と含 採用予定人員は若 ? つ - 広 し 幸 良 昭和 6 2年 1 0月 1日発行 (8) わ よ 糊保健衛生だより鰍 1 実施日 1 0月 1 4日 (水) 1 0月 2 0日(火) 実 施日 1 0月 1 5日(木 j 受付時間 午後 1 :0 0 後(西条地区) 午押 1原 :3 0- 該 当 児 昭和 ' 6 1年 9月生まれ 1 1 1 2片生 まれ 地区 J 昭和 午後 2 :0 0 m ・ i ; K 地区 j 6 2年 3月生まれ 6月生まれ 場所 総合 会館 1 1 受付時間 午後 l時 -2時 場 所 総合会館 培ち物 該 当 児 7年 5月 1日 昭和 5 7年 8月 3 1日までの出生 昭和 5 0分ですのでご承知下さい 。 ※受付時間終了は午後 2時3 持ち物 母子手帳・ 5歳児健康診査質問票 母子手帳・健康保険証・印鑑・筆記用具 児、及び前回未受診児。 以 ゴ 時所児 日場該 ※健診当日、尿検査がありますのでご承知おきください 。 1 0月2 3日(金 J午後 1時 2時 総合会館 ⑨ I期一 ・ 昭和 6 0年 3月 1日 昭和 6 0年 8月 3 1日まで の出生児 @II期. . .1期 3回を完了して 1年から 1年 6か月以 内の者 .昭和 5 9年 9月 1日 昭和 6 0 年 2月 2 9日までの出生 児で未接種者。 持ち物 母子手帳・問診票 ※注意事項など詳しい乙とは広報 9月号をど覧ください。 0 │実施日 1 0月 5日(月〉 │時 間│ │ 場所│ 0分 午後 1時 3 総合会館 │ 対象者│ 妊娠 5か月以降の妊婦 0 0 0円 lli.ち物 [母子手帳・体操のできる服装・テキス卜代 3 町では 7月 6日--7月 1 3日に受診できなかった方を対象に下記日程 l とより検診を実施しますのマ未受診者は必ず受診して下さい。 実施 日 場 ぷ Z2 』 Z 時 : ∞ - 午前 9 9 :3 0 午前前 9 :4 5 ' " '1 0 :1 5 午 10: お'"-'1 1 :0 0 午 1 1 :1 5~ 1 2 :0 0 午後 1:0 0 ' " ' 1:3 0 午後必,..., 2 :1 5 午後 2:3 0 " ' " 3 :3 0 清水条新新居公会会堂 西 田公 1 0月 1 3日 (火) 紙 押 西 西 漉 条 主 条 主 三 阿 一 公 区 原 会 区 第 公 堂l 会 会 公 堂 会堂 総合会館 午前 午前 午前 前 午 午後 午後 午後 飯 築 河 喰 地 西 集 公 新居公会堂 洛センタ} 1 0月 1 4日 ( 水j ム = 桔 . = : E ニ, 上河東二区集会所 上河東公会堂 会堂 河東中島公 、 布 必 、 心 bi c 5 コ 、 ヱ 乙 コ 』Z広合台 b 日 時 1 0月 3日(土)リ 7日(土 j 午前 9時 1 1時 3 0分 場 所 総合会館 問 ※母子手帳交付希望者は印鑑を持参してくださし、。 妊娠証明書は必要ありません。 0 歳以上の方を対象に血圧測定、尿検査、栄養指 ※一般健康相談は 4 導などを行い健康についての相談 Kお答えしていますのでお気軽 にお出かけください。 rv 日 時 1 0月 2 3日 t金 j 午前 1 0時 2 0分 1 0時 2 5分 場 所 総合会館 ※収集車がくるまでは飼主もいっしょにいてくださし」 精 ー⋮医大病院から健康メモ 里 子 山梨医科大学教授 血尿は大きく肉眼的血尿と顕微 て 、 C T検 査 や 血 管 撮 影 な ど の く 調べます。乙の他 Kは必要に応じ 泌尿器科 鏡的血尿に分けられます。前者は 学校や職場の検診で何の症状も ないのに、偶然に顕微鏡的血尿が わしい検査が行われます。 発見される場合の大部分は原因不 尿が真っ赤で自分ですぐ気がつき で、顕微鏡で観察してはじめて血 明の乙とが多く、特に心配する必 ますが、後者は尿の色は一見正常 るもので、健康診断などの尿検査 液の成分である赤血球が認められ 要はありませんが、定期的に尿の 検査をくり返し経過を観察する乙 で発見されます 血 尿 の 原 因 と し て は 腎、尿管、 の重大な病気の初期の乙ともあり、 とが大切です。慢性腎炎やその他 上 *血尿が出たときは り封をしてください。 勝脱、前立腺、尿道などの尿路の 早期発見早期治療の足がかりにな また 、猫の場合は必ず麻袋などの丈夫な袋に入れてヒモでしっか どこかに、悪性腫虜、炎症、結石 。一などの存在が考えられます。なか 身体のだるさ、食欲不振、高血圧 るからです。慢性腎炎はむくみ、 剖一でも、中高年者の肉眼的血尿は悪 だ一性腫虜による乙とが多く注意を要 もう相当に進行した状態で、人工 などの自覚症状が出た時点では、 一 く一します。青荘年期の女子にみられ ー ‘ 酢見 一 ど一る肉眼的血 尿 で 、 排 尿 時 の 痛 み と 世一尿が近いといっ症状を伴う場合は、 ない時期である乙とも少なくあり 腎や腎移植を考慮しなければなら ヮ,a 最後に特に注意していただきた ません。 い乙とは、肉眼的血尿が一、二回 月一急性の出血性跨脱炎が最も考えら 報一れます。また血尿と共に脇腹の痛 拡一みを訴える場合は、腎や尿管の結 になり、それきり受診を忘れてし 出 た だ け で 、 あ と は 全 く尿が透明 jv一 泌尿器科専門医を受診し、精密検 まう人が少なくなド乙とです。全 と一石による ζとが多いものです。 吃一肉眼的血尿が出たときは直ちに ζと が 肝 要 で す 。 検 査 ♂一査を受ける ですが、だからと云って放置して く心配のない肉眼的血尿も多いの 里仁会 拡一は腸脱鏡で直接に腸脱内を観察し、 企画財団法人 おくのは最も危険です。 事 一勝脱腫虜や炎症の有無を確かめま ※一ゲン検査で腎・尿管腫虜の有無を 空 す 。 次 K超 音 波 検 査 や 腎 の レ ン ト 9 :0 0- 9 :3 0 9 :必.-.;1 0 :1 5 1 0 :3 0-1 1 :0 0 1 1 1 5 1 1 :4 5 1:0 0 . . ;1 3 0 1:4 5, . 2 1 5 2 :3 0 " ' " 3 :3 0 よりよ い貌に なるために 池など)ができるようにして、 観察態度を育てる。 ﹀ ﹂ イ モ/ ほイユ短一 致 (敬称略) 良イん 秋、三つ日告ぐるがし如くこおろさの 伊藤 物置小屋の奥深く鳴く 河田好子 ヰ遠く聞けば怒りの声返る 押さいる心忘れ泌がふ おめでとう・ 昭 和 六 十 二年 八月 一日1 八月 三十 一日までの届出(敬称略) 河東中 島 飯喰 押越 上河東 河西 上 河 東 二区 河西 上河東二区 押越 河西 西条 二区 西条二区 河東中島 地区 紙漉阿原 西条 西条 二 区 区 -魚の住む川、鳥の住む森にする 0 一瀬 敏 仁 氏名 百日紅若さ一娘を悼み夕日さす 墓標にふれて新土におっ 村松妙子 深谷沙緒梨 竹川明里 志村美紀 渥美諭 上田啓史 小河宏紀 込山修平 氏名 勝明美 鷹野勲 小林清子 宮地隆治 菊池真由美 山田毅 桑原丑寅 処暑の庭木々の中でのせみしぐれ このタかげに夏惜しむかに 山本秀子 保坂順子 え返さてはや十一一号令さ日々 二人の子らの本来に賭けて 長野匡世 高野由惟 窪田昌仁 山田遥 地 ︽自然と 文化公園、歴史公園、フルーツ ムを取得するための資金の贈与を からない特例があります。 河 ため地域全体で環境保全をする ライン、自然公園、郷土学習路、 以上の根本となるものは、子供自 い ま た 、 五OO万一円までは、贈与 小林亜由美 哲保 信純茂明重幸義紀 一護 照孝稔誠雄一久彦幸久夫彦郎者 .地域にある自然観察路、探鳥会、 最近実施された中学生の全国学 身が無我夢中になり目を輝かし、 先人の観察記、旅行記、見学記、 ' ‘ 深津光貴 正 ふれ合う︾ 力試験の結果を見ると、理科にお キャンプ、森林公園、少年自然 ったときには、贈与税がかかり 乙のようにして、子供から自然環 とに 三O O瓦 円 ま で は 贈 与 税 が か 受けた場合には、一定の要件のも ます。 境が離れていったばかりではなく、 のです。その好奇心を育てるには、 生き生きと取り組む好奇心そのも に触れるチャンスさえも少なくな 伝記などを読破して自然に愛情を でも、親や祖父母からマイホー 一方テスト K追 わ れ 、 序 列 に 追 わ 0 っています。次にどうしたらよい 税が軽減されています。 佐 つ 身 ・│よ日 つーる 会を項接誕 と 、 手I J る 礎 │ま 誕 1‘ 省 │ ょ で 続 差 出 い で の 必 か 給 もって接近していくことが大切で l L げ て伶 のて ド汗 ラと マ決 いて知識、理解は向上しているが I す 。 りハ はリ 君く の森、アマチュア天文台などを ちi k l f ¥ かの打開策を考えてみましょう 上ビ 山逆 児未 声者 実物を知らないために、実験結果 から考える力が低下していると言 のQltZ│ L雨 量E EEて律違 22亀ご皇│しは 寺 霊1 1 5室 主 Zo E請書量ま Z ZZG21 し生 カ │ どをJ 与Z 4 t E号z 突 貫 ご 同2 2霊│うに 日けめれ 西 区 われています。子供の実状をみて も自然と積極的にとり組む乙とは 少ないし、例えば、稲と麦の実物 を見ても区別がはっきりしなかっ たり、じ ゃが 芋 と さ つ ま 芋 の 成 育 's 年 間 六O 万 円 を 超 え る 財 産 を も も マ と め り 年 庁て入宛の ま現う続老 ,はのま金もへ、の送初現す況かき齢老 広イ│必大すのし返誕うらめ況。届を年年齢:E目 ず切。支、送生えれに届 を確金金年 │ 現 1 提 な 年 払 現 し 月 、 て 社 は 提 認 を を 金 │提 ; 兄 ~ I 出届金い況ての市き会、 出す受受 │ 忽 , 1 し で を が 届 く 末 町 ま 保 年 するけけ老│出屈 f 働税のブロムナム¥ へ県家庭教育資料より) べょ ~ ~ ラと σの や ノ、友 くもか 久ォ時 代とに男ヶを 一 という実状です。子供が自然に接 自然から学ぶことを 計画的に利用する。 自然に近づき .子供の身近に植物栽培(草花、 野菜など)、動物飼育(巣箱、 柳平 ? 度 士永 でー 、 持 、争 も 、 久 山 h l 号hふ村万? I I t f 太 ど 向郎 球い の高 落弟 R 旦た 状況を見ても、区別がつきかねる いて釣りもできないし、川へいっ しようとしても、川が汚染されて て虫や魚を観察しようとしても、 農薬やどみで思うようにできませ ん。山や林へいって鳥や草木や虫 「自然の恩恵を理解し れ、寸勉強一が頭を占領して自然 を見ょうとしても困難な状況です。 考えよう.ノ」 L わ つ よ し 報 広 (9)昭和 6 2年 1 0月 1日発行 広 報 し よ う わ 昭和 6 2年 1 0月 1日発行(10 ) 987 OCTOBER二神無月(かんなづき) 町の鳥=ひばり 町の花=れんげ 町の木=乙女椿 自の安値デー ( 1 0月1 0自) 共同募金( 1 2 月3 1日) 1 6 「法の月」週間 全国労働衛生週間 十三夜 えびす講まつリ ( 1 8日) 世界食糧テー 貯蓄の日 2 母子手帳交付及び一般健康相談 日(総合会館 ) リハビリ教室 ( 総合会館) 3 5 6 、 日=.i "J P JIJ / ,J ; c . . : . , ....J 7 ' . .1 ; 二 Z ニ. , ., 九ニ コ ニ ¥' P u ' ι . . . .ι.... "...~ 2 0 / 国際文通週間 2 1 全国道路標識週間 心配ごと相談(総合会館 P M l: 0 0) 行政相談 (中央公民館 P M l: 0 0) フ 十五夜 8 木の日 9 寒露 万国郵便連合記念日 位 一日 刊 一 一 鉄道記念日 土用 婦人労働旬間 心配ご : 0 0) 車1 6 回町民ー レ と ゴ 相 ビ ル ニ談 7 ス 大 ン( ( グ 金 総 総 教 ( 誼 合 室 畠 会 会 ( C 町 館 館 C 民 P P P M M 体 l 1 7害 問) 入浴サ 育 : 0 館 0 ) 婦人ト PM7:30-) 2 3 電信電話記念日 3種混合予防接種 ( 総合会館) 不用犬猫収集日(総合会館) 2 7 読書週間 2 8 速記記念日 心配ごと相談(総合会館 P M l: 0 0) 行政相談 (中央公民館 P M l: 0 0) 世界勤倹デー リハビ リ教室(総合会館 ) 2 2 乳児健康診査(総合会館 ) Ml: 0 0) 心配ご と相談(総合会館 P 1日合同行政相談 (P7参照) 入浴サ ービ ス(総合会館 P M l: 0 0) 婦人トレーニング教室(町民体育 PM7:30-) 乳児健康診査(総合会館) ※可燃物の収集日が祝祭日の場合は収 集業務はし、たしませんので次回の収 集日をご利用ください。 ※ゴミは必ず、指定の紙袋または荷札 2日 、 6日 、 9日 [西 条 ~ 1 3 日 、 1 6 日 、 2 0日 清水新居 │ 西 条 新 居 │火 ・ 金 曜 日 ! 2 3日 、2 7日 、3 0日 O西条地区 │ 毎 l i 周 を使ってお出しくださし、。それ以外 町 山 のもので出しであるゴミは収集いた しません。また、最近、可燃物と不 燃物がいっしょにはし 1っているもの O押 原 地 区 寸申越 i可東中島 訟漉阿原 │ 毎 週 O常 永 地 区 「築 地 新 居 l 飯喰 │月・木曜日 │河 西 L上 河 東 1日 、 5日 、 8日 毎月 1 2日、 1 5日 、1 9日 2 2日 、2 6日 、2 9日 2 8日 2 1日 ,第 3水曜日 第 4水曜日 などルールを守らずに出されるゴミ とも手間どっています。 が多く収集 l 清潔で住み良い生活環境を保つため にもノレーノレを守り、美しい町づくり にど協力ください。
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