No.364

KYOSHO
∧
∧
364
No.
2014. 1・2 月号
平成 26.1.1 発行
The Awakening Gong
ガリラヤ湖の夕暮 撮影 佐藤 研
(
)
(
)
(
)
(
(
)
)
(
)
(
)
(
)
・
月 日程 …………
スタッフ・コーナー …………………………………
書籍案内 …………………………………………
1
巻 頭
第十四回 …… 安谷量衡
・
5
4
賀詞交換会に思う …………………… 山田凌雲
従容録提唱 第五十三回 …………… 山田凌雲
碧巌集参究 第二十三回 …………… 窪田慈雲
無門関提唱 第十六回 ……………… 山田耕雲
安谷白雲著作 抜粋
耕雲老師のおことば 第七十九回 …… 外池禅雄
……………………… 恩田 彰
発菩提心の本質と問題点を探る 第四回
愚堂国師と至道無難禅師 続一 …………外池禅雄
【見性記】 ……………………………… 蔵本賢一
・
4
24 20 15 11
48 46 45 44 42 38 34 28
2
お知らせ……………………………………………
参禅会1・
3
ギャラリー …………………………………………
2
……………………………………………………
仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および
たこ
佗己の身心をして脱落せしむるなり。
……………………………………………………
(
正法眼蔵現成公案)
山田凌雲
今年も安倍首相がスピーチをされま
出席され冒頭にスピーチをされます。
賀詞交換会に思う
皆さん明けましておめでとうござ
います。
談をまじえて所信を述べられました。
した。安倍首相は就任直後だった昨
毎年初め、都内のホテルで経団連、
首相在任のこの一年で相当自信をつ
今年は全体として比較的明るいム
経済同友会、日本商工会議所の三経
けられたな、との印象を持ちました。
年のやや緊張した雰囲気とは打って
済団体共催による賀詞交換会が行わ
一昨年の暮れに首相に就任した時は、
ードで年が明けたのではないかと思い
れ、多くの経営者が集まります。経
九回裏無死満塁で突然リリーフを命
変わって、リラックスされ、時には冗
営者の端くれの私も毎年参加してい
ぜられた投手の心境だったと。このよ
ますが、如何でしょうか。
ますが、この会には必ず時の首相が
1
巻頭
動きだした。株価の大幅な改善がそ
三本の矢の内、金融と財政はうまく
き三本の矢の施策を実行に移した。
の反対もあったが、自分の信念に基づ
に投げ込むしかないと決断し、周囲
うな時は自分の信ずる球をど真ん中
容でした。
頑張るぞ」
という気持ちにさせる内
多くを、私もその一人ですが、「
よし
内容でした。集まった経営者たちの
皆さん是非頑張って貰いたい、等々の
とだと思っている。環境は整えるから
の強さの源泉は経済力だ。政治も科
く発展させなければならない。日本
実物経済だ。これを何とかして力強
済活動、事業活動を展開することに
と反応したのだろうか、と。活発な経
倍首相のスピーチに「
よし頑張るぞ」
ここに集まった経営者たちは何故安
しかし、とその時私は考えたのです、
学も技術も国際社会における日本の
人は何故「
よしやるぞ」
と反応するの
の象徴だ。あとはいよいよ三番目の矢、
存在感もその源泉は経済だ。自分の
私の結論は前号巻頭「
情報通信技
だろうか。
皆さんが存分に力を発揮し、活発な
術の進展に思う」
に述べたことに帰着
役割は、ここにお集まりの経営者の
経済活動を展開できる環境を作るこ
2
より豊富な商品、より良質なサービ
を求めているのだと。より高い所得、
しました。人は経済活動によって自由
これ以上の自由はない。
時空を超えた全存在が自分になる。
跡形もなく全部消え失せる、すると
かを求めていたその主体が身心共々
経済活動による手法、自己を忘ず
スのあくなき追求とは、つまるところ
あくなき自由の追求なのだと。
して来る」
の一言は「
ついに絶対自由を
に入るのです。道元禅師の「
身心脱落
ずる」
手法によると「
絶対自由」
が手
対自由」
は手に入らない。「
自己を忘
う手法です。経済活動によっては「
絶
ていない。それは「
自己を忘ずる」
とい
めるもう一つの重要な手法に気がつい
経済活動とは全く異なる、自由を求
ました。
そんなことを思いつつ、会場を後にし
ことに気が付くのはいつなのだろうか、
す。ここに集まった多くの人々がこの
「
絶対自由」
の世界そのものだからで
自体が「自己が消え失せた世界」、
達が展開する刻一刻の経済活動それ
身は実は全く同一なのです。経営者
る「自由追求」のこの二つの手法の中
しかしここに集まった経営者たちは、 る手法、一見全く異なるように見え
手に入れた」と仰っているのです。何
3
しゅ
お う ばくど う しゅ
五十三則 黄檗□酒
じ
【示衆】
機に臨んで佛を 見ず 。大
と
う
こ
じ
さ り ゃ く
しばら
と ら
悟師を存せず 。乾坤を定む
な
び
ぼ
い
る剣、人情没し。虎 を擒う
し ょ う げ
ん
る 機 、聖解を□ ず 。且く 道
な
え、是れ甚□ 人の作略ぞ。
【 本則】
お う ば くし
ゅ
拳す 。黄檗衆に示して 云 【 頌 】
ぎ わ か
そ
じ ょ も う
へ
せ んじ
い
け ん と う
か
はなは
岐分れ糸染んで太だ労々。
ぞ
そ そ う
く 。汝 等 諸 人 尽 く 是 れ
し な ん
へ い か つ
つ づ
は ん さ い
つ ら
葉を綴り花を聯ねて祖曹を
あ ん ぎ ゃ
酒糟の漢 。与□ に 行脚 せ
敗る。妙に司南造化の柄を握
も
ば何れの処にか今日あらん。
って 、水 雲の 器 具 甄陶に 在
よ
還って大唐国裏に禅師なきこ
り。
ど う し ゅそ う
とを知るや。時に僧あり、出
繁砕を□ 割し、□ 毛を剪除
た だ
う
でて云く。只諸方に徒を匡し
も
せ い こ う そ う か ん
ぎょくしゃく き ん と う
す 。星衡 藻鑑 。玉尺 金刀 。
そ
い
ゆ る
坐断して高きを放さず。
お う ば く
衆を領ずるが如きは又作□
ば く
黄檗老秋毫を 察す 。春風を
さん
生。檗云く。禅なしとは道は
ず。只是れ師なし。
ょ
4
第53 回
じ
しゅ
示 衆
機に臨んで佛を見ず。
機というのは心の働きということ
です。
心が機能しているとき、佛なんてい
うものは何処にも見当たらない、と
いうことです。これは当然のことです。
いつも申し上げている通り、佛という
のは「本当の自分」をよぶ呼称です。
そして「
うれしい」
、「
悲しい」
という心
の働き以外に「
本当の自分」
というも
のは存在しない。したがって「うれし
い」
、「
悲しい」
以外に佛などというも
のは存在するはずがないのです。
大悟師を存せず。
いうのは「
乾坤大地只一人」
の世界を
存在しない、ということです。大悟と
といわれる。大悟の世界には師匠は
青林師虔(九〇 四年没)禅師のもの
この言葉は洞山悟本禅師の法嗣、
情が入る隙間はない。真の事実の追
こそぎ切除する剣です。そこには人
ことの出来る剣です。観念思想を根
ものは殺し、活かすべきものは活かす
真の事実の実現のために、殺す べき
入らない。それを実現する剣とは、
せ い り ん し け ん
捉まえることです。「全宇宙只一箇
求には地位、年功、年次等は関係な
う
の自己」
という世界です。お釈迦様の
言葉をかりれば「
天上天下唯我独尊」 い。本則の黄檗の見事な指導ぶりを
ぼ
睨んで万松禅師がこう言っておられ
し ょ う げ
の世界です。師匠などが入ってくる
と ら
る。
じ
余地は全く無い。
こ
虎 を擒うる機、聖解を□
な
乾坤を定むる剣、人情没し。
兕という のは野牛です 。ここで虎
ず。
平ならしめる剣と云う意味です。天
と野牛とは、力量のある修行者を指
乾坤を定むる剣というのは天下泰
下泰平とは何か、「乾坤大地只一箇
している。
時には師匠に噛みつくくらいの元
の自己」
を実現することです。ここま
でいかないと本当の天下泰平は手に
5
気のある修行者、将来大成する可能
性を秘めた修行者を接化、指導する
には、頭で理解したものは全部捨て
なければ駄目だ、と万松禅師が言っ
ておられる。お釈迦様はこう言った、
道元禅師はああ言った、お経にはこ
う書いてある、等々は駄目だという
ことです。
自分の見ている事実の世界のみで
な
ん
び
と
さ
勝負しなければならない、というこ
い
とです。
しばら
且く道え 、是れ甚□ 人の作
りゃく
略ぞ。
そういう力をもった人物がいるだ
ろうか。いるぞいるぞ、と言って本則
の黄檗を引き出してくる。黄檗こそ
その人物だと。
るや。
黄檗希運禅師(没八五〇年頃)は
潙山霊祐(七七一~八五三)と共に
百丈懐海(七四九~八一四)の法嗣
本 則
この則は碧巌集の第十一則にも出
で、潙山と並んで百丈輩下の竜虎と
ゅ
すりつけたために出来たのだとも云
朝から晩まで五体投地で額を床にこ
を越え、額に丸いこぶがあったという。
資質をもっておられた。身の丈七尺
ころに拘らず、本質をつく高い禅的
られたといわれる。あまり細かいと
黄檗は生来大乗的資質をもってお
いわれた。
てきます。本則は同じでも、従容録
と碧巌集では示衆(
碧巌集では垂示)
や頌のニュアンスが違う。特にこの則の
頌は碧巌集とは違います。良し悪し
は別として興味のある方はその違い
を味わってみて下さい。
お う ば くし
拳す。黄檗衆に示して云く。
ど う し ゅそ う
汝等諸人尽く是れ 酒糟の
われる。道元禅師は正法眼蔵「
仏経」
あ ん ぎ ゃ
漢 。与□ に行脚せ ば 何れの
で、「
黄檗は超越古今の古仏なり。百
も
処にか今日あらん。還って大
丈よりも尊長なり。馬祖よりも英俊
よ
唐国裏に禅師なきことを知
6
なり」
と絶賛しておられます。
いぞ」
と。ここでは「
今日」
をわかりや
大悟徹底の時節は永久にやってこな
坐禅会等々 うろつき廻っていると、
方々が大勢おられるではありません
独参等々で大衆を指導しておられる
た。現に諸方の叢林で接心、提唱、
そのとき一人の僧が進み出て問う
さん
すく「
真の自己を発見する時節」
、と
か、その方々は禅師ではないのですか、
も
直前に、黄檗は次のようにいわれた
解釈しましたが、もう少し深く「今
と。あなたもそのお一人ではありま
そ
が如きは又作□生。
という。「
お前達は今そこに頭を並べ
日」を公案として参ずることも出来
せんか、とのニュアンスもある。唐のこ
そんな調子であっちの接心、こっちの
て坐っているが、わしの処にはお前達
ます。見性底の方々は「如何なるか
の時代、禅はおそらく全盛期を迎え
その黄檗禅師がある時会下の修行
に教えるものは何もない。早く帰れ
これ今日」
と、公案として参じてみて
ていた。数多くの禅師たちが多数の
こでこの本則の語が出た。瞳酒糟の
き廻っているが、この大唐国に禅師な
黄檗は「
お前達あっちこっちうろつ
くなかった。したがってこの僧の問い
雲水を傘下においていた禅師も珍し
僧侶を指導していた。何千人という
記録によると本則の言葉を発する
者に言った言葉がこの本則です。
帰れ」
と。そう言って棒で追い払おう
ください。
漢というのは、酒糟ばかり喰らってい
ど一人もおらんぞ。そのことが分か
は誠にもっともな問いだといえる。
か た が た
とした。しかし誰も席を立たない。そ
て、肝心の生一本の酒を飲んでいない
っているのか」
、と云われたのです。
さ け かす
ということです 。ここで酒糟とは観
するという意味があります。
「
領ずる」
という言葉には大衆を掌握
た だ
諸方に徒を匡し衆を領ずる
時に僧あり、出でて云く。只
念思想だと思えばよい。「お前達は
もてあそ
観念思想ばかり弄 んでいる奴等だ。
7
ば く
い
檗云く。禅なしとは道はず。
只是れ師なし。
この黄檗の言葉は鋭く禅の本質を
伝えています 。それをしっかりと受
けとめて頂きたいと思うのです。禅
の発見した世界は言葉ではどうして
も伝えることが出来ない。頭の理解
や理屈ではどうしても捉まえること
が出来ない。どうしても自分自身の
す。このメッセージは勿論正しい。し
での黄檗の言葉の一つのメッセージで
かそれを見ている「
自分」
とかが全く
ないのです。それを教える「禅師」と
のことを発見した。黄檗の「
禅なしと
かしこれはいわば修証辺のメッセージ、 存在していないのです。お釈迦様はそ
つまり修行上の注意事項であって私
は道わず、只これ師なし」
とはこのお
頌
そ
ているのです。
ぎ わ か
一つのものを追求していく過程で、
はなは
釈迦様の発見した世界をズバリ伝え
のいう禅の本質ではない。
ここで「禅」とはそもそも何か、と
いう本質的な問いに正面から立ち向
かって頂きたい。答を申し上げれば、
「
禅」
とは「
真の事実」
につけた別称で
道が分かれていくと本物を取り逃が
岐分れ糸染んで太だ労々。
もよい。坐禅、接心、提唱、独参、看
す。お釈迦様の発見した真の事実の
す。「
真の自己」
につけた別名といって
経……立つ、坐る、飲む、食べる、泣
世界を伝えるのに「五家七宗」等と
体験を通して捉まえる必要がある。
く、笑う……机、椅子、床、柱、山、
伝え方が分かれてくるとどうしても
砂糖の甘さは何百万語を費やしても
河、星、太陽……全部「禅」そのもの
本質の焦点がぼけてくる。またもと
なめてみればたちどころに分かる。
伝えることは出来ない。しかし一口
真の事実」
そのものです。そし
を教えることが出来る先生はいない。 です。「
その意味で禅の世界には、この世界
てその「事実」以外に何も存在してい
自分で体験するほかない。これがここ
8
もと真っ白な糸にいろいろな染料で
雲門、法眼、潙仰と五派が生じ、一
雲水達を指導教化し眼を開かせる
く
黄檗の力量を言っているのです。水や
ろ
見大唐国に禅が隆盛を極めたかに見
雲を作り出すのは陶器をつくる轆轤
色をつけだすと、一見きれいな色が
っ
ろくろ」
のこと
の力だ、と。甄陶とは「
ば
現れるが元の真っ白な色が失われる。 えたが、その後各派の枝葉末節が跋
扈して、達磨の伝えた法の本質が失
です。水と雲とありますが、逆にす
け んと う
「真の事実」の世界を観念思想を駆
われてしまった、と。従容録を編纂
れば雲水になる。本物の雲水を作り
こ
使して伝えようとすると、一見もっ
されこの頌を書かれた宏智正覚禅師
せ んじ
ともらしく、分かったように聞こえ
じ ょ も う
出 す 黄 檗 の力 を 表 現 しているので
へ い か つ
は宋の時代の
(
一〇九一 一
~一五七)
は ん さ い
ても、真の事実は失われている。それ
い
す。
へ
方ですが、その時代に既にこの懸念
か
は労多くして結果が出ない、無駄な
う
繁砕を□ 割し、□ 毛を剪除
ぞ
を表明されておられる。
し な ん
ことだ、と。
そ そ う
す。
つ ら
妙に司南造化の柄を握って、
つ づ
葉を綴り花を聯ねて祖曹を
難 しい表 現 になっています が、こ
こでも要 す るに修 行 者 達 の観 念 思
け ん と う
水雲の器具甄陶に在り。
雲水達を見事に指導している黄檗
想、分 別妄想をお掃除 する黄檗 の
敗る。
達磨大師が中国に来られたとき
の力量を宏智禅師が褒めているので
力を詠っているのです。
繁は糸の乱れ、砕は石の粉、屏割
ど
「我れ本、この土に来たって、法を伝
す。
司南造花の柄とは、南風で木の芽
とは取 り除 くこと、氄 毛 とは鳥 の
よ う
結果自然に成る」と予言されたとい
が出て花を開かせるその力、つまり
い っ か ご
えて迷情を救うや一華五葉を開き、
われる。確かにその後、曹洞、臨済、
ろ
ょ
9
う ぶ毛 、剪 除 とは切 り除 くことで
す 。修 行 者 の微 細 な二 元 対 立 の識
ゆ る
坐断して高きを放さず。
秋毫というのは秋に動物の毛が抜
変わりした長く細い毛をいう。黄檗
見 、仏 見 、法 見 を一 切 お掃 除 す る、 け落ちて新しくなる、その動物の毛
ということです。
ぎょくしゃくき ん と う
を許すことはなかった、と。
ていった。境涯の高さという自己満足
禅によって悟りの世界をも断ち切っ
自分の境涯に安住することなく、坐
は僅かな違いも見逃さない。黄檗は
せ い こ うそ う か ん
はかり
星衡藻鑑。玉尺金刀。
はかり
衡とは秤のこと。星衡とは秤の目
そ う か ん
のことです 。藻鑑とはどんなもので
も正確に写す立派な鏡。玉尺とは立
た
派な物差し。金刀とはスパスパ切れる
截ち包丁。ここでも修行者を指導す
る黄檗の力量を表現している。相手
か つに ん け ん
の境涯、体験のレベルを正確に判断し、
せ つに ん と う
殺人刀、活人剣を自在に振るうこと
が出来る、と。
お う ば く
黄檗老秋毫を 察す 。春風を
10
第二十三則 福慶遊山
〔垂 示〕
玉将 火
試。金将 レ
石試。剣将
レ
レ
毛試。水将 レ杖試。至 二於衲僧門
下 一
。一言一句。一機一境。一出
一
二
一
試。
見二
深浅 一
。
一入。一挨一拶。要 レ
二
要 見 向背 。且道将 什
レ
請挙看。
〔本 則〕
[和 訳 ]
〔垂 示〕
い
さ
つ
第十九回
ことを要し、向背を見んことを要
こ う は い
一出一入、一挨一拶、深浅を見ん
あ
至っては、一言一句、一機一境、
水は杖を将って試む。衲僧門下に
将って試み、剣は毛を将って試み。
玉は火を将って試み、金は石を
も
著レ
地幾人知。
与誰 一
。不 三是孫公弁 二
端的 一
。髑髏
第二十三回
挙。保福長慶遊山次。福以 レ
手
指云。只這裏便是妙峯頂。慶云。
。
復云。
一
是則是可惜許。雪竇著語云。今
日共 這
漢一
遊山図 箇
什
二
二
二
一
百千年後不 レ
道レ
無。只是少。後挙
似鏡清 一
。清云。若不 二
是孫公
二
一レ
便見 髑髏遍 野。
二
〔 頌 〕
妙峯孤頂草離々。拈得分明付
11
しばら
い
な
に
も
す。且く道へ什 □を将ってか試
みん。請う挙す看よ。
い
た ん て き
つ
か付与せん。是れ孫公、端的を弁
ど く ろ
ずるにあらずんば、髑髏地に著く
に投ずる。それでも色が変わらなけ
れば本当の玉である。金か否かを調
べるには、試金石という真黒の那智
石で磨けばわかると云われる。次に
吹毛の剣と云われる名剣か否かは、
毛を吹きかけてサッーときれるかど
幾人か知る。
つ
この公案は雪峯門下の保福、
長慶、
うかで試す。又水の深浅は杖を立て
〔本 則〕
い
鏡清の三人が真の事実を何とか間違
「衲僧門下に至っては、一言一
てみて調べる。
[ 提 唱 ]
ほ ふ く ちょうけ
し ゃ り すなわ
せ っち ょ う じ ゃ く ご
我々もその意を適格につかまえなけ
いなく伝えようと努力している。
挙す。保福長慶遊山の次で、福
ゆびさ
か しゃくこ
ぜ
手以て指して云く。
只這裏便ち是
みょうほ う ち ょう
ぜ
れ妙峯頂。慶云く。是なることは
すなわ
則ち是なるも可惜許。
雪竇著語し
ゆ さ ん
い
こ う は い
あ
ればならない。
か ん
て云く。
今日這の漢と共に遊山し
句、一機一境、一出一入、一挨一
つ
拶、深浅を見んことを要し、向背
さ
〔垂 示〕
ま た
を見んことを要す」
。それでは衲僧
い
こ
じ
は か
「玉は火を将って試み、金は石
の悟の正邪、境涯の深浅は何を以て
き ょう せ い
をか図る。復云。百
を将って試み、剣は毛を将って試
試すか。それには一言一句で試す。
て箇の什
千年後無しとは道はず。只是れ少
み。水は杖を将って試む」
。これ
或いは一機(ささいな心の働き)一
も
し。後、鏡清に挙似す。清云く。
は物の真偽を見分ける試験の方法を
若し是れ孫公にあらずんば、
便ち
あまね
境(荒々しい取り扱い)で相手を見
や
示している。これは准南子という書
る。或いは一出一入という進んだり
ど く ろ
物に出ているといわれる。先ず真の
髑髏野に遍きを見ん。
〔 頌 〕
ね ん と く ふん み ょう
退いたりの行動を見て試す。或いは
り
玉を試験するには三日三晩猛火の中
こ ち ょうく さ り
妙孤頂草離々。拈得分明誰に
12
師家の態度、目の色、語気等で何を
家の立場からであるが、学人の方も
ているか否かを見てとる。これは師
反応を見て本当に佛道にピッタリし
く な態度、目の色語気姿勢、
いろ
る)の交換で相手を探る。要するに
一挨(軽くふれる)一拶(強くふれ
妙峯頂は極楽ということで、保福は
ことを徳雲比丘にたとえた。従って
の中で各人の本来の面目に徹見する
平等の宇宙の本体本性を妙峯頂、そ
徳雲比丘という大徳を尋ねた。絶対
事で、善財童子が妙峯山頂に上って
峯頂と云うのは華厳経に出てくる故
しても取らねばならない。これを取
本物ではなくなる。この執着をどう
い。それは悟という観念に陥入って
もこれに執われてそれが忘れられな
がこの大悟の体験をするとどうして
に気がつかないからである。ところ
である。この悟が無ければこの事実
ゆ さ ん
図る」
。雪竇の著語である。今日と
をか
なるも可惜許」
。長慶は直ちに「妙
云う今日這の漢(云う迄も無く本来
は か
漢と共に遊山して箇の什
か ん
「雪竇著語して云く。今日這の
せ っち ょ う じ ゃ く ご
ると云わずも無がの妙峯頂に落着く。
ぜ
「ここは極楽のど真中ですなあ!」
すなわ
「慶云く。
是なることは則ち是
峯頂?成程良いことは良いが惜しい
の自己)が遊山しているのだぞ!遊
か しゃくこ
ことをしたなあ!」と反論した。何
山するなら遊山らしくやれば良いで
ぜ
云わんとしているか見てとる機敏さ
い
と戦端を開いたのである。
つ
が必要である。
〔本則〕
い
故か。ここが極楽であることは間違
はないか。それを妙峯頂だの可惜許
ほ ふ く ちょうけ
いないが云っただけキズがついた
なぞと仏法臭いことをやって何のザ
「挙す。保福長慶遊山の次で、
ぞ!そんなこと云わずもながではな
マだい!と保福・長慶に文句云いな
みょうほ う ち ょう
是れ妙峯頂」
。
みょうほ う ち ょう
し ゃ り すなわ
修行である。満身是佛道である。そ
遊山に出た。遊山していても何時も
雪峯門下の保福と長慶が同道して
し ゃ り すなわ
いか!と本物にしてくれた。這裏便
がら我々に真の事実に気付けと催促
ゆびさ
こで保福は手で指して「只這裏便
ち是れ妙峯頂という悟は絶対に必要
福手以て指して云く。
只這裏便ち
ち是れ妙峯頂」
。と云い放った。妙
13
あろう」
。
と云って我々の観念禅を厳
法の髑髏が野に一杯となっていたで
いる。それにしても「這裡便ちこれ
の事実がわかるかと我々にせまって
これも保福には用がない。お前達こ
している。
「復云く。百千年後無しとは道
しくいましめている。さすが鏡清、
妙峯頂!」と云い得る者が今日何人
い
はず。只是れ少し」
。さわさりなが
同門の長慶の腹が良くわかる。
り
り
つ
が若し可惜許と云って端的(本当の
知る」
。さはさりながら孫公(長慶)
らずんば、髑髏地に著く幾人か
ど く ろ
「是れ孫公、端的を弁ずるにあ
た ん て き
いるであろうか。
ら、
妙峯頂だの可惜許だのと云って、
さ
真の佛法を挙揚せんと努力する人は、
ね ん と く ふん み ょう
これは元来分明なり。拈得して誰に
か付与せん。という意味である。這
裡是れ妙峯頂なりなぞということは
元々分明な事実である。それを殊更
取上げて「這裡これ妙峯頂!」なぞ
と誰に示そうとするのか!と云って
うか。
事実を知る人も今日何人いるであろ
は断滅してしまったであろう。この
「拈 得 分 明 、誰にか付与せん」
。 そこら中に一杯になって、真の佛法
ギリギリの処)を示してくれなかっ
福には用はない。観念禅のトリコに
なっている我々に鉾先を向けている。 たならば、無事禅、観念禅の髑髏が
って汚れてしまった。と云っても保
から、折角の妙峯頂が草だらけにな
裏便ち是れ妙峯頂などと云うものだ
ち ょうく
〔頌〕
じ
こ
「妙峯孤 頂草 離々」。保福が這
あまね
み ょうほ う
百千年後に無いとは云わんが、ごく
わずかであろう。と云って保福・長
こ
慶を賞めあげている。
き ょう せ い
「後、鏡清に挙似す」
。その後こ
の話を同門の鏡清に示した。すると
鏡清は次のように云った。
や
「若し是れ孫公にあらずんば、
ど く ろ
便ち髑髏野に遍きを見ん」
。孫公
と云うのは長慶の俗姓が杭州の孫氏
から来たと云うことで長慶のことを
云う。「若し長慶が可惜許と云って悟
のカスを取ってくれなかったら、思
想禅、無事禅、死人禅、そのまゝ佛
14
第十三 徳山托鉢
不レ
同。巌頭至 二僧堂前 一、拊 レ
掌大笑
識 二得最初句
一
一
不 二是者一句
便会 二末後句
一
一
た く は つ
[和 訳 ]
こ
徳山一日托鉢して堂に下る。雪峰
いずれ
に者の老漢鐘未だ鳴らず皷未だ響か
ほう じょう
か え
ざるに、托鉢して甚の処に向って去
こ
じ
る、と問われて、山便ち方丈に回る。
ま
つ ご
峰、巌頭に挙似す。頭云く、大小の
徳山、未だ末後の句を会せず。山、
うけが
聞いて侍者をして巌頭を喚び来らし
み つ
け い
め、問うて曰く、汝老僧を肯わざる
か、と。巌頭密に其意を啓す。山乃
15
云、且喜得 三老漢会 二未後句 一、他後
伊何 一。
天下人不 二奈 レ
無門曰、若是末後句、巌頭徳山倶
中
徳山、一日托鉢下 レ堂、見 下雪峰問
二
未 二夢見 一在。 点将来、好似 二一棚
一
末後与 二最初
頌 曰
者老漢鐘未 レ鳴皷未 レ響、托鉢向 二甚
二
一
傀儡 一。
上
二
処 去 。山便回 方丈 。峰挙 似巌
一
レ
頭 。頭云、大小徳山未 会 末後句 。
一
山聞令 下侍者喚 二巌頭 一来 上、問曰、
一
汝不 レ肯 二老僧 一那。巌頭密啓 二其意 一。
山乃休去。明日陞座、果与 二尋常
第十六回
きゅう
し ん ぞ
は た
じ んじょう
ち休し去る。明日陞座、果して尋常と
し
ゃ
き
同じからず。巌頭僧堂前に至って、
たなごころ
掌 を拊して大笑して云く、且喜すら
い か
ん
くは老 漢 末 後 の句を会することを
か れ
得たり、他後天下の人伊を奈何とも
せじ。
無門の評唱
無門曰く、若し是れ末後の句ならば、
と も
巌頭・徳山供に未だ夢にだも見ざる
こと在らん。検点し将ち来れば、好
かいらい
し一棚の傀儡に似たり。
頌に曰く
最初の句を識得すれば
便ち末後の句を会せん
末後と最初と
こ
唱
]
是れ者の一句にあらず
[提
【本則】
徳山は紀元七八二年ころ生まれ、
八六五年に八十三歳で遷化した。青
年時代は仏教経文の学僧で、特に金
剛経の解釈を得意とした。彼は“直
指人心、見性成仏 ”すなわち悟りと
いうことを信ずることができなかっ
た。彼は当時南支那に拡まりつつあ
った禅道仏法を軽蔑していた。そこ
で彼はこの禅道仏法を論破すべく南
方に向かつて旅立った。しかしその
途上、竜潭和尚の教導によって悟り
を開くに至ったのである。この話は
無門関二十八則に出ている。
この則に出て来る雪峰と巌頭とは
共に徳山の弟子である。この話の当
時、
徳山は八十一歳、
雪峰四十一歳、
巌頭は三十五歳であった。巌頭は雪
峰より年は若かかったが、禅修行の
面では遥かに進んでおり、したがっ
て法の上では雪峰の兄弟子であった。
巌頭は既に大悟の境涯を得ていたが、
雪峰はまだ中途にあったのである。
この公案の見どころは、徳山と巌頭
とが協力して雪峰を大悟に導くため
に骨を折っているところである。
ある日、徳山が食堂に行くべく鉢
孟(応量器=食器)を捧持して自分
の部屋から下りてきた。多分いくら
かヨロヨロしていたかも知れない。
あるいはおなかがすいていたのかも
16
だ響かないのに、鉢孟を持って何
「老師、鐘もまだ鳴らず、太鼓もま
来るのを見ると、
あった。そこで雪峰は徳山がやって
時雪峰は典座として食事の責任者で
の次に「飯遅し」の語がある。この
知れない。ある古い本には、ある日
ったが、雪峰は徳山のそれを見てと
ういうことであるかを悟ったのであ
じた時、摩訶迦葉はそれが本当はど
る。釈迦牟尼仏が大衆の前で花を拈
には師匠の親切が分からないのであ
よって示しているのであるが、雪峰
山は最も高い禅の世界をその行為に
にはそれが出来なかった。ここで徳
後の句というものがあるのかも知れ
グズしている雪峰に刺激を加え、末
いつまでも中途半端なところでグズ
それはともかく、巌頭の意図は、
ののようにとれるかも知れない。
からは禅の最高の境涯を意味するも
らんな」と。末後の句は、文字の上
は偉いが、未だ禅の末後の句を知
る。それは何だろうか。こうして見
処へおいでになりますか」
で食時の時間を知らせる合図である。 みならず、雪峰は徳山をやりこめた
性を一段と高めてそれを物にするべ
ぬという疑いを起こさせることであ
ことがいささか得意であったように
く努力するに違いない。
ることができなかったのである。の
徳山は何も言わず、そのまま静かに
も思われる。そこでこと次第を厳頭
と尋ねた。この鐘と太鼓は、僧堂
自分の部屋に戻って行った。
かし彼は、年と共にかくも素晴らし
徳山は自分では意識していない。し
ついた。そこで彼は言った。
性に導くについて一つの工夫を思い
巌頭はこの話を聞くや、雪峰を見
と。そこで巌頭は徳山にその真意
思うのか」
「お前はわたしに未だ不足があると
ると、巌頭を呼び寄せて尋ねた。
徳山は巌頭の言ったことを耳にす
く円熟したのである。諸君はそれを
「そうか。うちの徳山おやじも偉い
何という見ごとな境涯であろうか。 に話した。
味わうことが出来るだろうか。雪峰
17
舌を用いずに語られる言葉だ。それ
さ
所作の目的は引続き雪峰を鼓舞して
は何の意味も持っていない。それは
ょ
をささやいた。諸君は彼が何とささ
より深い悟りに至らしめんとするに
し
やいたと思うだろうか。我々は巌頭
何ものでもない。言わば無以下であ
この時雪峰は大悟には至れなかった。 る。そんなら、
「最初の句」はどうだ
の深さを測ってみなければならない。 ある。
これらの努力にもかかわらず、
ここにこの公案の見どころの一つが
雪峰が巌頭の教示と指導により鰲山
無門が、徳山、巌頭のやりとりを
ろう。
ある。とまれ、徳山は巌頭の意図を
鎮という小さな村で真の大悟徹底に
と も
越えているからだ。「末後の句」
は唇、
も御存知ない、人間の認知力を飛び
ばかりではなく、仏祖がたといえど
「末後の句 」
?そいつは徳山巌頭
一棚の傀儡に似たり」
。
在らん。検点し将ち来れば、好し
徳山供に未だ夢にだも見ざること
「若し是れ末後の句ならば、巌頭、
【 無門の評唱 】
ない。
られる反語的表現を味わわねばなら
みである。諸君は禅書にしばしば見
うとする真底からの親切心があるの
持っていない。ただ雪峰を悟らせよ
もなければ恥もなく、何の思わくも
るのである。この両人、心中に誇り
心の中では二人を高く褒めあげてい
のは、
ただ表面で悪口を言うだけで、
至ったのはなお数年後のことである。 点検して一場の人形芝居だと評する
ごうざん
諒承した。
次の日、徳山は高座にのぼって提
唱を行ったが、その提唱は日ごろの
ものとは全く違っていた。雪峰はも
ちろん聴衆の中にあってこれを聴い
ていた。巌頭は禅堂の前に行って両
たなごころ
大声で笑いな
の掌 をこすり合わせ、
がら、
「やれやれ、喜ばしいことに、
うちの親父も最後の句を見事に手に
入れたわい。これから後は世の中に
うちの親父に手のつけられる人間は
いないであろう」と言った。巌頭の
18
の句」とは同じでない、一つではな
は同一である。 と
と一つでない。
は一
はいかな
のである。この二つは一つでさえも
【 頌 】
いと言っているのだと思えるならば、 ないのである。
っと深くこの文句を味わうよう学ば
を必要としない。しかし、我々はも
それはそれだけの話で。特別の注釈
最初の句を識得すれば
便ち末後の句を会せん
末後と最初と
こ
是れ者の一句にあらず
二つの物が全く同一である時は、
ねばならない。
後の句」が同一であることを述べて
それらは一つであると言う必要がな
は
一でない。 は一という概念を飛び
る同一物とも、そのものそれとも同
もし諸君がこの文句を、普通行わ
越えている。そこで頌は「未後と最
こ
れるように文字通りに解釈し、そし
初と是れ者の一句にあらず」という
A
19
最初の二句は「最初の句」と「最
いる。ここで試みに「最初の句」と
い。なぜなら、一というのは二の存
と
在を前提としての観念だからである。
「最後の句」を出してみて下さい。
第三句と第四句は、これらの二つの
句、すなわち「最初の句」と「最後
A
つであるというのは無意味である。
A
A
の句」が同じでない、一つでないと
言っている。これはどういうことで
A
A
てそれが単に、
「最初の句」と「最後
あるのかお分かりだろうか。
A
A
安谷白雲著作
し しっだん
四 四悉檀について
し し っだ ん
次に四悉檀について簡単に述べて
へ ん し
おくことにいたします。悉檀は梵語
(
異説あり)
であって、徧施と翻訳さ
れております 。あまねく一 切 衆 生
に法施 を行 なう ところの四 段 の教
化法を〝四悉檀″と申します。そ
の名称を列記すると、左のとおりで
あります。
せ かい し っ だ ん
い にん し っ だ ん
第一、世界悉檀
第二、為人悉檀
抜粋
第十四回
場合、単に幼稚園を経営す るだけ
た い じ し っだ ん
第三、対治悉檀
では、それは単なる一種の社会事業
悉 檀 にはなりません。仏 法 の社 会
し単なる社会事業では仏法の世界
業 に相 当 す るものであります 。但
第一の世界悉檀は今日の社会事
と、その実 行 とがあってこそ、それ
い育ててや ろう という 神 聖 な意 図
やろうとか、幼児相応に仏心を養
少なくとも園児に仏縁を結ばせて
であって、世界悉檀にはなりません。
だ い い ち ぎ し っだ ん
第四、第一義悉檀
事 業であるならば、必 ず 第 四 の第
が世界悉檀となるのであります。
なく、信心のない者には信心を起こ
単 に老 人 の面 倒 をみてや るだけで
老人ホームにしても同じことで、
一義悉檀に至るところの準備、また
は基礎として行なうものでなくては
なりません。
例えばお寺で幼稚園を経営する
20
そ、その事業が世界悉檀となるので
を信 解 行証 さ せるよう に導 いてこ
てや るよう にと、相 手 相 応 に仏 道
死 なないう ちに、大 安 心 を得 さ せ
養してや るよう に、相 成るべくは、
る者 には、ます ます その信 心 を培
さ せてや るよう に、多 少 信 心 のあ
のものであると申さなくてはなりま
いても、王法と仏法とは、元来一般
も明らかであります。このことにつ
流すことになるのは、火を見るより
になって、却って国家社会に害毒を
者を作り、横着者を養 成す ること
導を怠っていると、いたず らに怠け
家を建設して、国家が精神的な指
一 義 悉 檀 に帰 入 せしめるのがその
三 の対 治 悉 檀 を経 て、最 後 には第
入 れていくのであって、や がては第
をつかまえて、こちらのふところに
っていくのであります 。これも相 手
一つなるほど、ご尤もと、相槌を打
言う ことに、さ からわないで、一つ
せん。この段 階 においては、相 手 の
合わせるという訳のものではありま
の、一種の堕落であると申さねばな
坊さんとしての本分を失ったところ
社会事業家になってしまうことは、
のものであります。坊さんが単なる
うに抱擁していくのでありますが、
のまま許して、相手を逃がさないよ
ら、相手の思想、信仰、見識等をそ
のために、最もよかれという念願か
第 二 の為 人 悉 檀 とは、相 手 の人
あって、少しもちがう ところがない
えと、自分の考えとが、全く同じで
はじめの数日間は、道元禅師のお考
最初道元禅師に相見なされたとき、
永平寺の二代さ ま孤雲禅師が、
し ん げ ぎょうしょう
あります 。救 貧事 業も、慈善 病 院
すまい。
りますまい。
これも最後の第一義悉檀へ
導くため
と思 われたが、その後 次 第 にちが
が ん ら い い っ ぱん
の経営も、またまた同じようなわけ
福祉国家の建設も、筋においては
の手段方法であって、単にお調子を
目的であります。
同 じことで、単 に物 質 的 な福 祉 国
21
うところが出てきて、最後には遥か
非常識なことがあっては、対治悉檀
批判したり、非難攻 撃 す るよう な
仏なりという、本分の田地であるか
仏法の第一義、すなわち衆生本来
ろう筈はないが、その第一義に引導
に道元禅師に及ばないことがはっき
それで幼稚園の学習に対しては、
す るためには、そこにお のず から
ら、第 一 義 そのものに二 種 三 種 あ
れは道元禅師が最初は為人悉檀を
いつまでも幼稚園で満足していない
初 ・中 ・後 の按 排 が生 ず る。それで
にならないのであります。
用いて、孤雲禅師を抱擁し、それか
よう に、尋常小学校一学年の教科
少 なくとも人 々 を導 いて、衆 生 本
りわかった、とのことであります。こ
ら徐 々 に対 治 悉 檀 をお用 いになっ
を示 して、まず その程 度 まで引 き
来仏なりという、堅い信念を持つと
義に導くためであって、単なる破邪
であります が、これも相 手 を第 一
卒 業 に至らしめ、それから中 学 へ、
次 第 に進 歩 向 上 せしめて、や がて
因縁の基礎となるのであります。
僧 の三 宝 を信 ず るという 、一 大 事
なりません。それがす なわち仏 法
年 に進 んだら、更 に二 年 、三 年 と、 いうところまでは案内してやらねば
あ んば い
たものと思われます。
上 げてや るのであります 。尋 常 一
は じ ゃ け んしょう
顕正ではありません。しかも相手の
高校へと、一段高い教えを以て、一
第三の対治悉檀とは、破邪顕正
人の思想、信仰、見識、体験、悟道
が にゅう
それから更に進んで、この一大事
が
段 低 い教 えを 批 判 し、整 理 して、
因 縁 を体 解 し、行 証 し、入 我 我 入
にゅう
等の程度をよくよく考察して、その
最 後 には第 一 義 悉 檀 へと誘 引 する
(一体化)し、超関脱落す るに至ら
しめるのであるが、これらを総称し
ち ょう か んだ つ ら く
程度に合わせて破邪顕正をや るの
のであります。
第 四 の第 一 義 悉 檀 という のは、
であります。されば、大学院の研究
課程を持ってきて、幼稚園の学習を
22
かよう なわけで、第 一 の世 界 悉 檀
て第一義悉檀というのであります。
その目標であるということを、ここ
る、只管打坐に帰入するというのが、
ばれる、寂滅 無 為 の最 上 乗 の禅 た
い
も、第 二 の為 人 悉 檀 も、第 三 の対
に言明しておきます。
じゃく め つ む
治 悉 檀 も、ことごとく第 四 の第 一
義悉檀に至るところの方便手段と
昭
* 和四十五年(一 九七〇 年)二月
しての教化法であり、その意味にお
いて、どの悉檀も大切なものとなる
発行『禅における偏向を排撃す る
(
つづく)
(
文責 外池禅雄)
させていただきました。
とは存じますが一部を削除、修正
のではないかと考え、まことに僭越
読者に対し読み難いものとしている
においてはむしろ御 著 作 を一 般 の
文中、個人を駁す る個所は、今日
ば く
八十六翁 安谷白雲著』
より
のであります。
さて、私がこれから某師の『禅に
おける偏 向 』と題 す る所 論 に反 駁
を加 えるのは、対 治 悉 檀 という 立
場において、某師の偏向を是正し、
そ うそ くそ うにゅう
大乗禅と最上乗禅との相即相入を
も く し ょう
明 らかにし、初 心 を導 く段階 にお
か ん な
ける看話と黙照との長所短所を反
こ ぼ く も く し ょう
省して頂き、結 局は枯 木 黙照と呼
撮影 原 輝
23
耕雲老師の
おことば
(七十九)
白雲室老師の真骨頂
(三)
二卷を加えられ、あわせて五部作
き出して、灰をかけたようなも
物好きが拾い集めて、噛んで吐
ところが、蓼食う虫も好き好
た で
代物であります。
ので、到底お座敷には出せない
となった。
最初の『無門 関独語』が刊行さ
れたのは、昭和三十一年、老漢七
十二歳の時である。
この独語は「唖子が喋って、聾
ぐよすがにもとの懇望、あなが
の糟粕として、一時の飢えを凌
そ う は く
きで、同好の諸子が、禅道佛法
ろ う
その序に曰く、
し
者が聞いて、それを手無しが書
ちに無理とも断じ難く、強いて
あ
いたもの」といいたいのでありま
鉛 版 子 を煩 わす ことに致 しま
し ゃ
す が、それで判 る人 には分 って
した。
あ え
も、一般の方々には謎のようで、
敢 て人 さ まの見 聞 に供 す る
ものではなく、鼠に笑われるこ
まことに判りにくい。
止 むを 得 ず 、あ から さ まに
老漢には五巻の『独語』シリ―ズ
がある。当初は、無門関・碧岩集・
とを畏れながら、夜中ひそかに
て い ぜ い
か
申しますと、曾って大雲室老漢
し ょう よ う ろ く
従容録 の各 独 語 三 部 作 の予 定 で
さ んじ ゅ
独り語をつぶや いたと云ったよ
さ ん き
が門下を提撕するために、勝手
い
うな訳のもので、独語と名づけ
ご
あったが、後に『五位・三帰・三聚・
に云い捨てた言葉の端しくれを、
じ ゅう じ ゅう き ん か い どく
ご
十重禁戒独語』、『伝光録独語』の
24
た次第であります。
昭 和三 十 一 年 初 夏
人誌
三 不具 同
三十六年、七十七歳の時『従容録
年 代。この三禅 師については本
年長で、大慧、宏智両禅師は同
誌「用語解説」
をご参照下さい
独語』
を相次いで刊行された。
「従容録独語の序」の中では、次
語 調 までも再 現 しよう と試 みら
同様)は原田 老師の提唱の語気、
書かれた円悟禅師 外池注:僭
碧岩集の垂示・短 評・長 評を
前略
一 歩も相ゆ ずらんという立 場
らの点では互いに特長があって、
うか、指導方針というか、それ
ましたが、禅に対する見識とい
)
れたものらしく、ところどころに
越ながらここは碧岩集の垂示・
をとっておられました 。そこに
そして二人は親しい道友であり
「ねらみをつけて」という耳なれぬ
短評・長評を書かれた円悟禅師
おのずから曹 洞 禅と臨 済 禅と
のように言っておられる。
言葉が出て来るので、おたず ねし
でなく、円悟禅師の法嗣、大慧
の特長がにじみ出ております。
とある。この独語(碧岩・従容も
たところ、「原 田 老 師 はそう いう
宗杲禅師とするのがよいと思い
こういう点から申しましても、
じ
(
)
ぜん
じ
言 い方 をさ れたのだ」という 説明
ます と、従 容 録の頌をお書き
禅に参 ずる人々は碧 岩 集と従
わ ん し
ぜん
であった。「狙いをつけて」と「睨み
になった宏智禅師とは、ほぼ同
容録との両書に親しく参じて、
え ん ご
つけて」を一 緒にしたよう な言 葉
時代の人で、宏智さまの方が年
臨 済 禅と曹 洞 禅の長 所を身に
だ い え
らしい。
長であったらしい。 外池注:円
つけることが最も望ましいこと
じ
三 年 後 の昭 和 三 十 四 年 『碧 岩
悟、大慧、宏智の各禅師の順に
そ うこ う ぜん
集独語』を、さらに翌々 年の昭和
25
(
双方を正しく学ぶことによって、
病弊となるのでありますから、
臨済禅と曹洞禅は各々特色が
を後にす」
と仰せられて見性悟道
思います)
は
「吾は慧を先にして定
長所がややもすると短所となり、 師
(外池注:大慧禅師とすべきと
あり、長所がありますが、その
を先決問題とし、定力は追々養っ
であります。これに対して円悟禅
ことは従容録の頌を見ても明らか
見 性 悟 道を 重 要 視しておられる
去り、洞済両方の長所を学び、し
して、吾々も宗我をすて、偏見を
ます。このような先哲の後を鑑と
くその委託に応えたといわれてい
慧禅 師とすべきと思います)
もよ
託せられ、円悟禅師(外池注:大
されている)
に対して、深く後事を
慧 禅 師は宏 智 禅 師より後に示 寂
ではあるまいかと存じます。
両者の長所を採ると共に、両者
て行くという方針をとっておられ
かるのち、各自独特の指導方法を
じ ゅ
に生じ易い短所弊害を救うこと
たのであります。是くの如く禅に
案出し、敢て他の後塵を拝するこ
したが
かがみ
が大切であると存じます。徒ら
対する主義主張は全然異っておる
となく、時代に応じ、国土に順い、
と うさ い
に宗我の偏見に執われて、互い
のでありましたが、両者の道交は
自由自在の教化に努めるようにし
か
に排斥するなどは、私どもの賛
常に濃やかなものであったと見え
たいものであります。
いたず
成し難い所であります。
まして、宏智様が御遷化なさるま
従 容 録の長 所の一 端を 申しま
き ょ う け
宏智禅師は
「吾は定を先にして
ぎわに、円悟禅師(外池注:大慧
すと、まず公案
(題材)
の択び方や、
じょう
慧を後にす」
と仰せになり、精 出
禅師とすべきと思います。実は円
配 列の仕 方からして慎 重を 期し
え
して坐って定力を養うことを奨励
悟 禅 師は 宏 智 禅 師より先に、大
じょう り き
なされたのでありますが、勿 論 、
26
案が幾つも出ておりますが、別々
碧 岩と従 容 録との両 方に同じ公
然の則を配しております。勿論、
陞座の公案を出し、第二に達磨廓
ておられます。即ち第一則に世尊
のを台本とし、それに筆者が自由
要点をひそかに筆録しておいたも
年、その間老漢の垂示、提唱等の
岳 老 漢の室に参 ずること三 十 余
ます。筆者は曾って大雲室原田祖
筆者の些々たる別願の一つであり
三 部 作として世に送ったもので、
します。
とに忝 く、謹んで感 謝の意を表
の御援助を頂き、毎度ながらまこ
今 回も出 版 委 員の方々に甚 大
ません。
ます多くなることを切望して止み
耳を塞いで便ち去る底の人がます
この独語に対して、忽ち目を覆い
せ そ ん
の公案の方が大多数であります。
な 立 場から、勝 手に独 語 毒 舌を
昭和三十六年九月
ね ん
さ
そしてそれらの公案の撰び方にも
弄したものであります。それは佛
白雲室
も ん て い
さ
両者の相違が見られ、同一の公案
家の門庭が今 将に倒 壊し荒 廃せ
七十七翁 量衡布衲
だ る ま か く
についても、その取扱いぶりや、そ
んとするのを坐視するに忍びず、
白雲老漢の念願は、洞済両禅の
し ん ぞ
の頌し方、味わい方に夫々特徴が
あわてふためきつつ、取りあえ ず
渾然たる融和にあったようである。
つ
か
あらわれております。今その大体
をもち来って門をささえ、戸
し け
えるようなものであります。
さ さ
その醜隠し難く、その臭覆い難し
かたじけな
を一言すると、従容録は繊細緻密
屎
ろ う
であり、碧岩集は剛胆奔放である
を
さて、この
『従容録独語』
は、
『無
と申さねばなりません。されば、
(
文責 外池禅雄)
といったような趣きがあります。
門関独語』『碧岩集独語』
と併せて
27
懺悔と発菩提心
その四 恩田 彰
のである。懺 悔 は発 心 の初 めより行
障も消滅する。懺悔は常時行われる
り、重 い罪 も軽 くなり、さ らには罪
である。懺悔すれば身心が清浄にな
でもない。天地同根万物一体の懺悔
自力によるものでも、他力によるもの
身口意の三業が浄化されるのであり、
懺悔するものは何か。懺悔によって
していかなければならないのである。
羅漢や菩薩も、時々刻々、常に懺悔
る」といわれる。そして人 間 、神 、阿
の心身を清浄にして、即身成仏させ
あるが、大乗 仏 教の懺 悔 は、修行 者
発菩提心の本質と問題点を探る
六
仏弟子となるには受戒が不可欠で
ある。さらに直指人心、見性成仏し
て仏 の境 涯 をう るのも受 戒 による。
受 戒 しないで仏 弟 子 となり、仏の境
涯をうることはできない。そこで受戒
や 持戒は、仏弟子の目的とす るとこ
ろであり、懺悔は、それへの前提条件
である。そこで受戒を望むならば、ま
ず至心に仏祖の前で懺悔しなければ
ならないのである。
原田祖岳老師は「懺悔には深浅が
われ、修 行 が進 んで行 われ、悟 りが
えられ、無上正等覚をうるようにな
る。さ らに懺 悔 が続 けられ、や がて
ネハンに入ることができる。そして、い
かに業障が大きくても、懺悔す れば、
その程度に相応して罪障が消滅する
のである。
懺 悔 は、懺 悔 で始 まり、懺 悔で終
わる。修行が進 めば、ます ます 懺悔
心 が強 まるものだ。懺 悔 心 は、本 来
具 っている仏 性 が目 覚 めて復 活 しよ
うとする時、現われるものである。罪
障の重さを転化して軽さに変える転
重軽受および罪障を消滅し、浄化す
る滅罪清浄は、何れも現象界のこと
であるが、そこに懺悔による罪障の減
28
ている。前仏とは仏像の前で、仏壇の
らにして、前仏に懺悔すべしと説かれ
懺悔す るには、誠心誠意、心を専
劫に続けていくのである。
す るのである。それを一生 さ らに永
そこで罪障が軽くなり、さ らに消滅
常時に懺悔を行うことが大切である。
れに見合って生ずるものであるから、
じ、修行がいかに進んだとしても、そ
ち消滅す るのである。罪障は常時生
と懺悔すれば、一切の罪障はたちま
従身口意之所生、一切我今皆懺悔」
、
「
我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、
いことがはっきりわかる。そこで、
といえば、悟って見れば罪障は本来な
少には深浅が見られる。懺悔の本質
涯の第一歩が現われ、さらには究極
ある。こうした境涯は、仏としての境
性清浄であるから身心脱落の境界で
である。懺 悔 の功 徳 力 が働 けば、自
他を超越した懺悔力が現れているの
から見れば、我も仏祖もないので、自
の力が働いている。これを本質の世界
悔には自力と他力の一体の感応道交
自力、後者を他力とするならば、懺
冥 助 が働 いている。す なわち前 者 を
ふるい起こすのであるが、他方仏祖の
は、自らの発菩提心によって懺悔心を
たは滅 罪 清 浄になるのである。懺 悔
の力で、私たちの罪 障は転重 軽受ま
せよといわれている。そうすれば懺悔
前で、または戒師の前で至 心に懺 悔
のである。そこに仏祖と私たちとの間
を除かれよう として援助して下さる
求 道 の志 を察 して、その障 道 の因 縁
のさ い仏祖は、修行者の悩 みと発心
重ねて、無上菩提を成就している。そ
えに従い、精進につとめ、功徳を積み
の御 加 護 を受 けることで、仏 祖 の教
て、仏祖の前で懺悔し、受戒し、仏祖
し自 己 の業 性 の深 重 なることを知 っ
ように修行できないことがある。しか
重なって、いろいろ障りがあって、思う
提心を起こしても、過去の悪業多く
初心の修行者は、正法を求めて菩
である。
である。それほど懺 悔 力 は絶 大 なの
位まで進歩する根本的な力となるの
29
に、仏祖 の慈 悲と私 たちの仏 性 との
提 心 がさ らに高 まり、修 行 がいっそ
法僧の三宝に帰依し、いろいろな苦し
法、南無帰依僧である。す なわち仏
もので、第 一 不 殺 生 戒 は、一 切 の生
十重禁戒は、三聚浄戒を具体化した
する戒)を信受するのである。そして
衆生戒(
すべての衆生を救済しようと
発的に行おう とす る戒)、第三が摂
戒)、第二が摂善法戒(善い行いを自
戒(
一切の諸悪の行為をしないという
けるのである。これは第 一 が摂 律 儀
次に菩薩の保つべき三聚浄戒を受
るのである。
積み重なり、無上正等覚が成就され
る。三 宝 に帰 依す れば、その功 徳 が
成 就す ることができると説 かれてい
みから解脱す るだけでなく、悟りを
う促進するのである。
依三宝とは、南無帰依仏、南無帰依
りて得戒あるなり」と述べている。帰
り。しかあれば、すなわち、三帰によ
を受 けて、そののち諸 戒 を受 くるな
ずれの戒を受くるも、かならず三帰
となること、かならず三帰による。い
法眼蔵』「帰依三宝」の中で、「仏弟子
の根 本 条 件 である。道 元 禅 師 も『正
帰 依す ることで、仏弟子となるため
る。三帰戒とは、仏、法、僧の三宝に
三聚浄戒および十重禁戒に分けられ
菩 薩 戒 としての禅 戒 は、三 帰 戒 、
七 受戒と発菩提心
間 に感 応 道 交が起こるのである。仏
祖の前で至 心に懺 悔す ることは、大
死一番、身心脱落す ることであるか
ら、やがて脱落身心、再活現成す る
のでる。煩悩はそのままでは、生死流
転して自他を苦しめるけれども、徹
底して至心に懺悔し、身心を浄化す
れば、煩悩即菩提として受用す るこ
とができるよう になる。発菩提 心と
懺悔および受 戒との関 係であるが、
菩提心が高まれば、自己の罪障を感
じて懺悔心が生ず る。そして懺悔す
れば、身 心 が浄 化 さ れる。そこで受
戒の準備がととのい、受戒するのであ
る。受戒すれば、戒の力によって発菩
30
だらな性 行 為 をしてはならない。第
行為は禁じられているが、在家ではみ
第三不邪淫戒(不貪淫戒)出家は性
盗戒は、人の物を盗んではならない。
物を殺 傷 してはならない。第二 不偸
戒師からこの戒を保つかどう かたず
なる。受 戒では、戒 について一 つ一 つ
が生じて、戒が自然に身につくように
体(戒の精神が身体に現われること)
戒である。師匠から戒をうけると戒
人 は本 有 円 成 仏 す なわち本 来 仏
である。
もこの戒 を受 けて仏 の境 涯 に入るの
にはなれないのである。そこで私たち
ある。この戒 を受 けなければ、仏 祖
てきた。ところが今日 になって、その
であるから絶対に完全な妙徳を本来
三帰戒は、仏戒(仏性戒)の体にし
迷 いよりさ め、仏 祖 の教えを親 しく
ねられ、「
よく保つ」
と誓約する。そこ
第六不説過戒は、人の悪口をいっては
て、三聚浄戒は、その相を示し、十重
信じ、了解し、さらに深く徹底し、仏
四不妄語戒は、うそをついてはいけな
ならない。第七 不自讃毀 他 戒は、自
禁戒は、その用として現れるから、十
道の向上を求め、一切の衆生を教化
持っていながら、今まで無明の迷いの
分をほめ、他人をそしってはいけない。
六条戒は一心(真の自己)の仏戒であ
しようという菩提心を起こしている。
で戒が心の中に行動目標として働き
第八不慳法財戒は、身につけた仏法
る。とくに十重禁戒の一戒一戒も三
そして仏 祖 の妙 戒 を受 けて、ただち
い。第五不酤酒戒は、酒を飲んではな
を伝えることを惜しんではならない。
帰 戒 の体 相 用 であ ると共 に三 聚 浄
に仏の位にのぼり、真の自己をうるこ
世界 にあって、輪 廻 転生 をくり返 し
第 九 不 瞋 恚 戒は、絶 対 に怒 ってはな
戒である。三世の諸仏も歴代の祖師
とを受戒というのである。禅門では、
始めるのである。
らない。第十不謗三宝戒は、仏、法、
も 必 ず 十 六 条 戒 を受 けら れたので
らない。そして酒を売ってはならない。
僧の三宝をそしってはならないという
31
入ることになるのである。
衆生が仏戒を受ければ、諸仏の位に
の悟りを実現することである。そこで
正等覚)す なわち永劫に迷わない仏
る無上の真実なる完全な悟り(無上
なわち三世の諸仏の究極な悟りであ
金 剛 不 壊 の仏 果 を証 す るなり」。す
仏 の所 証 なる阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提
受戒するということは、「三世の諸
信にして心証は不二である。
はす なわち証であり、証はす なわち
れば、同一の心性である。その点、信
の別があるけれどもひとたび手に入
道である。信と証 とはいちおう 深 浅
だけで、獲得 した仏法は同一の無上
一方では証をえ、他方では信をうる
は一つである。因果不二である。これ
ちがいがあるけれども、本質の世界で
こで受 戒 の発 心 と仏 果 の境 涯 とは、
るが仏であることには変りはない。そ
境涯は赤子(乳児)である。赤子であ
ないから、受戒した当初は、まだその
信 解 の境 涯 であって証 悟 の境 涯 では
のである。しかし、仏になるといっても
受け、身につけると、仏の境涯になる
して迷 いの生 活 を捨 て去 り、仏 戒 を
仏であるので、仏戒を信解して、懺悔
ため凡夫であるけれども、本有円成
仏になるのである。分別の世界にいる
真正の戒師について仏戒を受ければ、
仏祖の無上道なる仏戒を信解して、
私たちは初めは凡夫であっても、
際に仏戒三昧が現われ始めるのであ
知ると知らざるとにかかわらず、実
る。仏戒を信受すれば、仏戒三昧を
戒の仏戒 を信受す るにいたるのであ
信 じ、ついに戒 師 から親 しく十 六 条
戒師から一心の仏戒を聞き、理解し、
諸仏祖の教化力によって感応道交し、
本具円成の仏戒力と先覚者である
たるのである。
修 行 し悟 りをえて、や がて涅 槃 にい
修行し続けて、ますます発心を高め、
果位の行持すなわち仏作仏行として
えられるのである。受 戒 した人 は仏
だれでも受戒す れば、や がて仏果が
と名づけている。受戒即仏果である。
を原田老師は、この境涯を赤児如来
32
った行為ができるようになるのである。
自然と仏戒が身につき、無上道に合
を信受すれば、悟未悟にかかわらず、
である。いいかえると、戒師より仏戒
とで、止 悪 修 善の力が現 われること
る。仏 戒三 昧 とは、仏 戒 を受 けるこ
して現われるのである。
初門であるが、や がて究極の仏果と
心である。そこで受戒は、仏道に入る
赤児如来 といわれる。これが発菩提
だちに如来であるが赤子であるので、
されたのである。そこで受戒の時、た
をなす」(『
正法眼蔵』
「弁道話」)
と示
(
つづく)
これを原田老師は、発菩提心といって
いる。そして仏戒が実効できただけ、
仏戒が身にそなわり、それがまた自
分の周囲の人々や山川草木の自然が
仏 戒 にかなう よう になる。そしてた
だちに無 限 の宇 宙 、きわまりない十
方法界の万物が仏戒すなわち仏の行
為 として現 成 す るのである。これを
「このとき(ここでは受戒の時)十方法
界の土地・草木・牆壁・瓦礫みな仏事
撮影 佐藤 研
33
ぶ な んぜ ん じ あ ん
続一
(
外池 禅雄
)
て聞く。即ち主観・客観がひとつとな
いない。自己なくして見、自己なくし
て見ていない。直聞は聞いていて聞いて
が肝要なのだ。直見というのは見てい
りのままに見、ありのままに聞くこと
愚堂国師と至道無難禅師
か いさ ん し ど う
と う れ いえ ん じ ぜ ん じ じゅつ
引 き続 き『開山 至 道 無 難 禅 師 行
ろ く
録』
(
東嶺圓慈禅師述)
に参じます。
師、平生、衆に示して曰く、
じ き げ
学道は別に道理なし。只だ直下
に見直下に聞かんことを要す。
じきもん
った状 態 、二 元 対 立 を超 越 し、悟 り
じきけん
直見は見無く、直聞は聞無し。
な い げ だ じ ょ うい っ ぺ んで ん ち お ん
を人格化した境界において始めて得
すべから
む そ う び ょう ど う
ここに理屈というものは一切ついてい
無相平等の相、すがたをいうのです。
穏 密 の境 界 と いう 。本 来 の面 目 、
られる。これを内外打成一片、田 地
須 く是れ内外打成一片田地隠
み つ
密にして始めて得べしと。
至道無難禅師は、常日頃、衆に教
えて言 われた。禅 の修行には別 に難
しい理屈なんかはいらない。ただ、あ
ない。
師、衆に示して曰く、汝等
し か
諸人、直下即ち佛なれども、而
か え
も
も却って知らず。若し知れば
こ
ふ
佛祖に孤負し、知らざれば生
り ん ね
し ゃ り
こ う
死に輪廻す。這裡に到りて、向
じょう い っ せ き
まなこ
ぐ
上 一隻 の 眼 を 具 す る 底 に 非
い か
あ え
こうとく
ずんば、争でか敢て構得せん
げ
こ んげ ん
と。即ち偈を説きて曰く、根元
しき と く
まん ぼう
を識得すれば萬法を離別す。
で ん
ぶ っ そ
ふ
誰か知らん言句の外、佛祖不
傳の處、と。
師 、衆 に教えて言われた。お前 さ
た ん てき
ん方、端的に言って、そのままで佛で
あるが、それを知る者はいない。もし、
それを知っているという者があれば、
それは佛 祖 にそむく。この辺 はむず
34
を知っておるか。この極処のところは
う思いなしで、おのずと戒に則 った生
とです 。そう す ると戒を守ろう とい
き ょく し ょ
かしいですね。ここの「知る」は知解で、
佛祖も伝えようがないな。
僧問ふ、如何なるか是れ大
のっと
本来佛という 観念です 。観念で本来
佛を頭に描いているというのは、佛祖
乗 。師曰く、身を正しくして
最上乗になると身を恣にして守る
い
こ の むね し ん さ い
え
言われています。
ない。至道無難禅師が誤解するなと
らず 、容 易 に測 りしるわけにはいか
あって、端倪を辨じ難し、端倪すべか
やすい。此旨深細にして、深い意味が
いっておるのです。このところは誤解し
則を離れずという 境界の人のことを
脱して、自由自在に行動して、しかも
が問題なんです 。自縄自縛の束縛を
じじょう じ ば く
が、そう じゃない。この身を恣にして
大乗である。
活 を送 ることが出 来 るという のが、
の思し召しに叶わないというのです。
守ること無き、是れを大乗と
こと無きとなって、好き勝手に行動し
だ い
知らざれば生死に輪廻す、本来佛を
謂う。僧曰く、如何なるか是
て、戒を守らないことととれるのです
さいじょうじょう
じょう
体験的に捉まえていないと生死に輪
れ最上乗。師曰く、身を恣 に
た んげ い
あやま
だ いじ ょう
正 しくという のは心 を正 しく保 つこ
んでしょう 。戒のことでしょう 。身を
を大 乗 という 。守 ることとはなんな
身を正しくして、守ること無き、これ
どういうものなんですかと。師曰く。
ある僧が問うた。大乗というのは、
は人の錯 って會せんことを。
端倪を辨じ難し。只だ恐らく
上乗と謂ふ。此旨深細にして、
して守ること無き、是れを最
ほしいまま
廻す、救われないという。悟りの眼を
備えている者でなければ、どうして会
得 す ることが出来 よう か。そこで師
は次のように偈を示された。
根元を識得すれば万法を離別す。
誰か知らん言句の外、佛祖不傳の
處。
根元、即ち真の事実を体得すれば、
すべての現象を離れる、何もないとい
う こと。ここを空といっております 。
誰かこの言句のつけようのないところ
35
恐らく誤って理解す る者が出てく
實に本心を知るなり。修行と
道を極めていかなくてはならない。如
も仏法のあるべきように則って修行し、
り せ ん く ふ う
ご っし ょう
は、正知見を以て業障を滅除
法 とは、思 慮 、分 別 を超 えてありの
しょうちけん
るだろう 。悟りを開き、真実相を体
するなり。夫れ道を悟ること
ままの真実のす がたを知ることであ
そ
得して、悟りの跡も綺麗にお掃 除し
は尚ほ易かる可し。履践工夫
じ
た人、至道無難禅師のような方は自
る。悟 った時 に見 た世 界 が日 常 的 に
の り
は、最も難しと為す所なり。
ゆ う き ま ま
故に達磨大師の曰く、道を知
る者は多く、道を行ふ者は少
こ ん ご うお う
なしと。但だ須く日夜、金剛王
ほ うけ ん
寶剣を揮って、切に此身を殺
じ
すべし。
此身亡ぶるときは、自
ね ん
然に大解脱大自在の場に到ら
ずといふこと無しと 。
師 、大 衆 に教 えて言 われた。我 が
宗は悟りをもって存在の基本としてい
る。しかれども悟 ればそれで修 行は
終わりという のではない。悟ったあと
が
一生懸命この身を殺すべしと。この身
だただ、日夜、金剛王寶剣を揮って、
は多 く、道 を行う 者 は少 なしと。た
達磨大師はおっしゃった。道を知る者
は本当にむずかしいもんだ。この故に
道 のままに行 住 坐 臥 行 っていくこと
ぎょうじゅう ざ
悟りを自己の人格のう えに顕現し、
け ん げ ん
である。開悟はまだまだ易しい方だ。
ものをお掃除して、なくしていくこと
めに、今世の学道の妨げとなっている
こ ん せ
い悟りの智慧をもって過去の悪業のた
見えてくるということ。修行とは正し
由気儘に行動しても、矩を超えるよ
うなことはないのである。戒律もいら
なくなるのです。自我、我見がなくな
った無我の人は我欲がないから、間違
いが起こらないのである。その境界ま
でいかない者が真似すると、いつか酬
いを受けることになる。
師、衆に示して曰く。我が
宗は、特に悟を以て本と為す
と雖も、未だ必ずしも悟り了
きゅ うは
れば便ち休罷し去るにあらず。
にょほう
只だ如法に修行して道を盡さ
んことを要す。如法とは、如
36
分は自分はといつも頭の中でやってい
とか自己意 識とかいう あれです 。自
というのは我見のこと、吾我とか自我
や思想が付いていないでしょう。ご自
無難禅師の話は実に具体的で、観念
後得智が働き出すところです。至道
すから説得力があります。無分別智、
む ふ んべつ ち
るでしょう。それが迷いの根元なので
分の体験そのものから自然に作為な
が
す。それが分っていて、やめられないの
しに出 てくるお言 葉です 。祖師 方の
ご
です 。金 剛 王 寶 剣とはなにか、一切
なかでも特 別 の存在 と思 います 。私
が け ん
のものを自由自在に斬破 し得る、き
は至道無難禅師の語録に参じている
ご と く ち
わめて堅 牢な剣で、よく一 切 の煩 悩
とき、本当に心地よいのです 。ピタッ
ざ ん ぱ
を砕破する般若の智慧のことである。
と一つになるという感覚なのです。理
さ いは
悟りによって得られる智慧のことです。
解しようと努める必要がないのです。
つ(づく )
やはり本来佛を信じることで足りる
というのでは本当の安心がえられない
という ことです 。体 験 がどう しても
必要なのです。此の身亡ぶるときは、
自然に大解脱大自在の場に到らずと
いふこと無し。自然にというところ具
体的ですね。至道無難禅師の体験で
撮影 佐藤 研
37
【見性記】
二〇一三年十月三十一日
蔵本 賢一
三雲禅堂、二〇 一三年九月二十
二日午後四時頃。経行中に轟いた外
池老師の一声が私を直撃し、その瞬
間、何かが弾け去った。この接心の初
日、無門関第一則の提唱の際に山田
凌雲老大師が強調されていた「
心路
を窮めて絶する」
瞬間でした。その日、
私は凌雲老大師に見性を許されま
感じました。それまでなんとなく坐
その際非常に引きつけられるものを
初頭、偶然当坐禅会の存在を知り、
私は本業である某商社勤務とは別に、
等と考えていた事を思い出します。
は「まだ一〇分しか経っていない…」
苦痛であり、頻繁にタイマーを見て
私が坐禅に志すキッカケとなった
せて頂く事を決意しました。そこか
その時だけは何故か瞬間的に参加さ
といった事を繰り返すうち、自宅で
れている皆さんに何とか付いて行く
神冥窟接心にも誘って頂き、参加さ
課となっていきました。その内に秋川
り、徐々にですが自宅での坐禅も日
サリン老師の親切な導きのお陰もあ
でいました。そんな私でしたが、キャ
腰の苦痛や不便だけは感じずに済ん
柔軟性には自信があり、坐る際の足
たが、そのために幸いにも下半身の
得て、それなりの活動をしていまし
レッチ体操のインストラクター資格を
坐禅を始める数年前から真向法スト
禅に興味はあったものの、特に行動に
のは、キャサリン老師が主催される
ら私の坐禅へ
の打ち込みが始まりま
移す事もなく過ごしていましたが、
東京四谷のメリノール坐禅会に参加
した。当初は五分の坐禅を行う事も
した。
したところからです。二〇一〇年の
38
整しつつ鎌倉へ通わせて頂く日々が
しました。そしてなんとか時間を調
雲老大師と相見させて頂く決心を
れ、その時が至ったと感じた私は凌
やがて三雲禅堂での参禅を勧めら
せん。
皆様に対する感謝の気持ちに堪えま
った私をこの段階まで導いて下さった
えあります。全くの坐禅初心者であ
あると却って何か不足を感じる事さ
の事情で朝二炷坐れないような事が
事は他にありません。今では何らか
んが、慣れてしまえばこんな爽快な
坐禅は時間的にも容易ではありませ
ていきました。さすがに毎朝二炷の
が、朝二炷・
夜一炷の坐禅へ
と成長し
日課にしていた毎晩一炷だった坐禅
見性後の事でした。
りであった事がはっきりわかったのは
吐き出す事も出来ない」
状態の始ま
実はこれが「飲み込む事も出来ず、
です。わかったつもりではいましたが、
かったつもりになって来たのもこの頃
変化が訪れてきました。自分ではわ
日々の気持ちのあり方にまで大きな
の坐禅に安定感を覚えるようになり、
ねていきました。そして徐々に自分
を惜しんで坐り拈提する日々を重
されながら、禅堂でも自宅でも時間
いた接心での不思議な体験にも魅了
また二日間程度ですが参加させて頂
厳しくも優しいお言葉にも励まされ、
ルギーに刺激を受け、凌雲老大師の
始まりました。三雲禅堂での凄いエネ
境と強いプレッシャーの中で、時には
んな二進も三進も行かない苦しい心
出しきれない…吐き出せない…」
、そ
す。「わかってはいるのにどうしても
大師の一言に跳ね返されてしまいま
それにも関わらず独参では凌雲老
な思いを込めて挑んだ接心でしたが、
必要な準備だったと思います。相当
た事も後から思えば接心参加には
この時、内心何かふっ切れた思いがし
だ挙句に勤務を休み参加致しました。
どうしても全日程参加したく、悩ん
ませんでしたが、この九月の接心には
日程度しか接心には参加させて頂け
頂くまでは、勤務の都合等もあり二
三日昼)
の接心に全日程参加させて
二〇一三年九月(
十八日夜~二十
39
れたかのように全てが明瞭になってい
目を覆っていた何かが突然取り除か
が始まったその瞬間、まるでそれまで
の一炷の間の記憶が曖昧)
、次の経行
に視線を落とし一炷を坐り(
実はこ
して何かが変わってしまった目前の壁
ラッシュして弾け砕け去りました。そ
「
内外打成一片」
、私の中の何かがク
の一声が一瞬頭の中で廻った途端、
た外池老師の「
言え!これは何だ!」
文冒頭にも述べました経行中に響い
つあったちょうどその頃の事です。本
と苦しい中にも少し自覚が起こりつ
に導かれるうちに「何かが違う…」
した。何度かの独参でご老師の指導
自らの拈提に全身で打ち込んでいま
諦めそうになりながらも、それでも
したが、夕暮れには沢山の葉、沢山の
る嬉しさ。既に花の季節は去っていま
ありと浮かぶ目前の光景、湧き上が
庭を眺めながら坐っていました。あり
験を更にハッキリさせておきたく中
まる前の一時、自分に起こったその体
薬石(
夕食)
が済み、夜の独参が始
その時には独参は叶いませんでした。
独参を待つ方々が多数おられた為、
ともに独参室へ
向かいました。外には
に御仏壇へ合掌し、経行が終わると
烈な驚きと喜びでした。その経行中
刀を奪い取った」心境、かつて無い強
解出来たのです。正に「
関羽将軍の大
る事は、その時一点の疑いも無く了
れている「
ハッキリとわかる体験」
であ
ました。これが常にご老師方が話さ
着いたのですが、その日は会社にいる
無しの悦楽でした。そのまま会社に
なくなりました。何とも言えない底
時に涙が溢れてきてどうにも止まら
った強烈な感動が突然湧き出し、同
は全く自分の意識には現れていなか
っと動き出したその瞬間、それまで
みました。ドアが閉まり電車がガタ
て、職場に向かう満員電車に乗り込
朝二炷を坐りいつものように家を出
通常勤務だった私は、いつものように
んでした。接心が終わった翌日から
驚きは見性体験だけに終わりませ
ました。
参で凌雲老大師に見性を許して頂き
っきりと現していました。その夜の独
小石、あらゆるものがその雄姿をは
40
い出してしまうなど…。「
開悟には大
事に気付き、人の目も気にせずに笑
らなかった事実が明らかになっている
上を通行中、不意に見性前にはわか
覚え、その都度溢れ出てくる涙。路
真の印象深い顔立ち等に強い感動を
時には偶然目にした歴史上の人物写
間に何度も同じ感覚に包まれました。
に仏縁ある方々が一人でも多くこ
らしい世界をどんどん坐り抜き、更
ています。折角手に入れたこの素晴
散霧消してしまっている事にも驚い
て生じていた心中のわだかまりが雲
りは実は一切無く、その錯覚によっ
に存在するように錯覚していた隔た
分と人との間やその他のものとの間
活できる事に喜びを感じます 。自
この頃やっと私の参禅修行が始ま
歓喜が伴う」
と外池老師が教えてく
その後の日常生活の中で、明らか
ったのだと実感しています。凌雲老
の世界を手に入れられる事を願って
に物の見方や感じ方に変化が起こっ
大師はじめ老師方、禅堂の皆様方、
ださり、私は更に大きな安心を得る
ていると感じます。以前は何事にも
これからもご指導宜 しくお願いし
やみません。
拘りの強かった私ですが、今は物事
ます。
事が出来たのでした。
が本質的に一体であり、それっきり
の宇宙、切れ目のない宇宙で日々生
撮影 原 輝
41
お知らせ
オランダ
アメリカ
● 新入会員 敬称略 )
(
愛知県
坂口千恵子
John Sellers
John van Brakel
カナダ
Ron Bodnar
Martin Heidecker ドイツ
匿 名
● 三宝興隆会志納者芳名 敬(称略 )
金百万円
高槻慈願寺和尚
Carmen Afable
金一万円
高石昭二郎
金二万円
金五千円
佐藤俊也
石原詳宣
金五千円
匿 名
金五千円
金五千円
柳瀬けい子
€
€
120,00
Christine Stadler
合計 金百五万五百円
金五百円
金
120,00
合計
金$ 96.10
合計
原
輝
$ 96.10
金一万円
石原詳宣
安田博行
● 耕雲基金寄付者芳名 敬(称略 )
金五千円
合計金一万五千円
―用語解説―
今回は「
耕雲老師のおことば 七(十九 」)
に登場する禅師方の説明をします。
一 円 悟克 勤 (えんごこくごん)
一○六三~一一三五
臨済宗楊岐派
今の四川省の人
幼年に出家し、諸処の高僧のも
二
とで修行、最後に五祖法演の弟子
となった。のち金山に行き病を得
て、ふたたび五祖にもどり、法演
の法を嗣いだ。のち、張商英(
北宋
の政治家・宰相)にあい華厳の玄
旨を談じた。商英の帰依を受け夾
山寺に居した。のち道林寺、太平
興国寺、東京天寧寺、金山竜游
寺、真如院に歴住し、昭覚寺、夾
山寺、道林寺に住する間に、雪竇
頌 古 を門 人 に提 唱 し、垂示 ・著
語・
評唱したものが碧巌録である。
門下に大慧宗杲、虎丘紹隆はじ
め百余人がある。(禅学大辞典・
大修館書店に拠る)
一○八九~一一六三
大慧 宗杲 (だいえそうこう)
臨済宗楊岐派
今の安徽省の人
十三歳、郷校に入って儒学を修
42
いで宝峰の湛堂文準の会下に入る。
に参じて曹洞の宗旨を学んだ。つ
ひとり禅籍を究めた。のち洞山微
ついて得度。翌年具足戒を受け、
め、十六歳、東山慈雲寺の慈斉に
拠る)
ける。(禅学大辞典・大修館書店に
び径山に住し、孝宗帝の帰依を受
智正覚と道交を結んだ。のちに再
されて、育王に住し、天童山の宏
寺に住し、子淳の法を嗣ぐ。太平
三十一歳、首座に任ぜられ、普照
淳に随って大乗山、大洪山へ
移り、
に子淳を訪ねて参ず。その後、子
汝州香山寺に枯木法成、丹霞山
の老宿を歴参する志をたて、まず
文準はその示寂にあたり、円悟克
刻苦ののち大悟しその法を嗣いだ。
寺に勅住するやその会下に参じ、
範慧洪に参じ、円悟が東京天寧
け真橛清了と共に二弟子と称す。
鄧州丹霞の子淳に就いて法を受
明州天童山の正覚、諡は宏智、
ため、天童中興の祖と称せられる。
とんど三十年にわたって住山した
れるにふさわしい禅寺となる。ほ
藍は完備し、千二百人の雲衲を容
迎えられる。正覚の住山以降伽
寺等に転住したあと、天童山に
宏智正覚 (わんししょうがく)
円悟が蜀に帰って後は、金との戦
高宗紹興二十七年十月、手書し
坐禅・黙照が禅風で世に黙照禅・
三
乱を避けて海昏の雲門庵に移り、
て育王山の大慧杲禅師を請して
宏智禅といわれる。また雪竇とあ
勤に参ず るよう 勧める。まず 覚
また福建の洋嶼庵に転じ、ここで
後事を司らしめて寂す。(
会元十
一○九一~一一五七
黙照禅の攻撃をはじめ、公案禅を
し、宗風大いに振って臨済の再興
曹洞宗
今の山西省の人
れた。この場合、甘露門とはすぐ
もに、禅門の二大甘露門と称さ
る。当時、臨済宗の大慧宗杲とと
い並んで文辞にきわめて巧妙であ
四、続伝灯録十七、稽古略四)
と称された。しかし金との戦乱に
十一歳の時、浄明寺本宗につい
れた禅僧をさしている。(禅学大辞
鼓吹した。のち径山能仁禅院に住
和議が成立するや、主戦論者張
て得度し、十四歳、慈雲寺智瓊に
(
織田佛教大辞典・
大蔵出版に拠る)
九成に党するものとして、衣牒を
具足戒を授けらる。十八歳、諸国
典・
大修館書店に拠る)
奪われ、衡州に流された。後、赦
43
参禅会 1・2・3・4・5 月日程
三雲禅堂禅会
大阪白雲会禅会
護雲軒 小田庸道居士 指導の参禅会
凌雲軒 山田大通老師 指導の参禅会
1 月:
2月:
3月:
4月:
5月:
毎月 第4日曜日および、その前日の土曜日
土曜日 p.m.7:00~9:30
坐禅
日曜日 a.m.5:00~p.m.3:00 坐禅・独参・提唱
12 日(日) 26 日(日)
0 休み
9 日(日)*
13 日(日)△ 27 日(日)
11 日(日)△ 25 日(日)
場 所 慈願寺 tel.0726・81・7110
〒569-1122 高槻市月見町 4-1
連絡先
藤井和男 tel.0798・65・6755
〒663-8033 西宮市高木東町 29-18-505
tel.090・8886・0521
a.m.9:00~p.m.4:30 坐禅・提唱・独参・作務
*10:00 初祖忌
△ 独参無し
九州白雲会禅会
毎日曜日 a.m.10:00~12:00 坐禅・独参・提唱
摂 心:
3月 18 日(火)p.m.7:00~23 日(日)p.m.3:00
場 所
鎌倉市長谷
連絡先 外池禅雄 tel.090・1202・5844
fax.045・871・3172
場 所
連絡先
E-mail [email protected]
〒245-0061
九州白雲会道場 tel.096・242・1204
〒861-1102 熊本県菊池郡西合志町須屋
字袖山 2732-25
同 上 奥村良博 tel.096・355・2604
紀州白雲会禅会
横浜市戸塚区汲沢 3-2-4-413
照雲軒 染道周徹居士 指導の参禅会
凌雲庵禅会
毎月1回 坐禅・独参
連絡先
染道周徹 tel.0739・22・3242
〒646-0025 和歌山県田辺市神子浜 736
凌雲軒 山田大通老師 指導の参禅会
(対象: 雑則以降の公案に参じている方)
1 月:
2月:
3月:
4月:
5月:
11 日(土)
0 休み
0 なし
0 なし
神田禅会
25 日(土)
碧雲軒 外池禅雄老師 指導の参禅会
毎月 土曜日、日曜日又は祝日 2回
a.m.9:00~p.m.4:45 坐禅・提唱・独参
場 所
千代田区 JR 神田駅近く
連絡先
外池禅雄 tel.090・1202・5844
fax.045・871・3172
26 日(土)
a.m.9:00~a.m.12:00 坐禅・独参
東京都世田谷区
連絡先
椿 偕子 tel.0467・43・0631
E-mail [email protected]
場 所
〒245-0061
白井禅会
★ 急な変更があり得ますので、前以て連絡先に
ご確認下さい。
實雲軒 丸田覚稔老師 指導の参禅会
毎月 土曜日 1 回
代々木上原禅堂禅会
場 所
連絡先
慈雲軒 窪田巍堂老師指導の参禅会
1月: 18 日(土)
2月: 08 日(土)
3月: 08 日(土)
横浜市戸塚区汲沢 3-2-4-413
p.m.1:30~4:30 坐禅・提唱・独参
白井市桜台
丸田覚稔 tel.047・491・6850
E-mail [email protected]
4月: 19 日(土)
5月: 10 日(土)
秋川禅会
清雲庵キャスリーン・ライリー老師 指導の摂心
a.m.9:00~p.m.3:00 坐禅・提唱・独参
場 所
ちとせビル 3F tel.03・3466・9225
〒151-0064 渋谷区上原 1-33-12
連絡先 同 上 松浦芳久
3月: 28 日(金)p.m.6:30~30 日(日)a.m.12:0
場 所
連絡先
東京都西多摩郡檜原村秋川神冥窟
キャスリーン・ライリー
tel.0467-24-5556
最低 1 週間前にはご連絡下さい。
● 各参禅会とも、初めて参加を希望する方、初めての人を紹介する方は前以てご連絡下さい。
44
Gallery
風の舞踏
Dance of the wind
2003
100x160cm
混合技法/キャンパス
横尾龍彦
45
*暁鐘はみんなで作り育てるもの。
新 年 あ け まし て お め で と う ご ざい
ます。
管 長が巻 頭で述べら れた「 絶 対 自 由
の世 界 」を 会 員 一 人 一 人 が 手に入 れ 、
それを他の人と分かち 合 う「 衆生 無辺
誓願度」、その一助に暁鐘がなるように
と 念 願し 、本 年 も 、編 集 部 一 同 努 力し
てまいります 。そ れには皆 様のご 協 力
がぜひとも必要です。
十 年ほど前 、私 が一 編 集 委 員であっ
たとき 、あ る 久 参の方から お 叱りを 受
けたことがあります。
「 暁 鐘の記 事はつまらない。もっと楽し
いものにできないのか」。
「 ぜひ そ うありたいと願っています 。
つ
いては、貴 方から そのためのアイディ
アと見本となる原稿をいただきたいの
いでしょうか。
うことはないかと問 うてはいただけな
手 近な例として、暁 鐘 巻 末に、毎 回 、
です」。
その方は黙りました。十 年経っても、
投稿のお願いを掲載し続けております
大きな 悩 みとなっております 。文 、詩 、
原稿はおろかアイディア一つ、
まだいた
昨 年十 一 月 末に、ジョン・F・ケネデ
歌、俳句、川柳、写真、
カット、
ご 意見、
ア
が 、なかなか 集 まら ないのが 編 集 部の
ィ第三十五代米大統領が暗殺されてか
イディア、
ご要望などぜひともお寄せい
だいておりません。
ら 五 十 年 目ということで 、テレビの 衛
ただきたいのです。
暁 鐘は一 部の人 だけではなく 、会 員
星 放 送でその特 集 がありました。その
中で、大 統 領 就 任 演 説でのあの有 名な
か皆様、暁鐘のさらなる充実のために、
全 員で 作 り 育てていくものです 。どう
ができ るかを 問 うのではなく 、あなた
お力をほんの少し貸していただけませ
一節、「あなたの国があなたのために何
があなたの国のために何 ができ るのか
丸田 稔
んか。
暁鐘編集 人
を問 うてほしい」、
を大きく扱っており
ました。
まことに僭越ですが、同じことを、規
模はきわめて小さいとはいえ、暁鐘につ
いてもお願いしたいのです。ボランティ
アとして懸 命に努力している道友を責
めるだけでなく、暁鐘の充実のために、
自 分も 何 かでき ることはないか 、手 伝
46
暁鐘 364 号
2014/1-2
Staff
●
Staff corner
●
Staff corner
●
Staff corner
暁鐘 364 号
2014/1-2
Staff
●
Staff corner
●
Staff corner
●
Staff corner
撮影
原 輝
暁 鐘 第 364 号 平成 26 年 1 月 1 日 発行
安谷白雲 書
横尾龍彦
Ursula Okle,原 輝
原輝
Paul Shepherd,佐藤 研,Jerry Cusumano, Joan Rieck
◆ 投稿のお願い
編集部では、皆さまの投稿を積極的に取
り上げていきたいと思っています。
文、書、写真、カットなど、お気軽にお
送りください。また、ご意見、ご要望など
も、ぜひお寄せください。
なお、お送り下さった原稿は、紙面の都
合上、掲載が遅れたり、割愛させていただ
く場合もございますので、あらかじめご了
承下さい。
◆ 三宝興隆会 入会ご案内
住所 氏名(ふりがな)年齢 職業 Eメ
ールアドレス ある場合 を記入し、五千円
を添えて、「三宝興隆会」(郵便振替口座
宛てにお送り下さい。
隔月(奇数の月)に機関誌[暁鐘]をお
送りします。
各地の禅会ご出席も自由であり、またご
質問や種々のご相談にも応じます。
・
(
・
・
会費納入についての御願い
新規会員登録日を基準として、毎年一年経過
を目安に郵便振替「払込取扱票」を「暁鐘」に
同封して送付しますので、年会費五千円を納入
していただくようお願いします。
会費が前年基準日から一年六ヶ月以上経って
も納入されない場合は予告なしに「暁鐘」の発
送を中止することがあります。
お振込みに対する領収書の発行は、勝手なが
ら省略させていただきます。
◆
)
題 字
表 紙
カット
デザイン
翻 訳
7
2
6
3
4
1
9
0
5
1
0
0
編集人
印 刷
宗教法人「 三宝教団 」〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷1-6-5
三宝興隆会 〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷1-6-5
三宝教団本部(三雲禅堂)
Tel & Fax 0467・23・5147
Email: [email protected]
http://www.sanbo-zen.org/
丸田 稔
武州印刷株式会社 〒362-0014 埼玉県上尾市本町 6-2-14
Tel. 048-856-9752
発 行
発行所
会員頒布図書
白雲室著書
慈雲軒著書
無 門 関 独 語 1,800 円〒340 円
碧 岩 集 独 語 3,900 円〒450 円
仏法の正しい宗意安心論
400 円〒210 円
禅における偏向を排撃する
悟りなき「悟り」への道
1,700 円
〒340 円
瑩山禅師「伝光録」にきく
4,000 円〒450 円
坐禅に活かす「正法眼蔵」現代訳抄
4,000 円 税・送料:著者負担
400 円〒210 円
宗門人の邪解と邪信 500 円〒210 円
白 雲 詩 稿 (一 )
500 円〒290 円
その他
真実の道を求めて(和英両文)
400 円〒210 円
誰にもわかる坐禅の手引
SOSAN NO HANASHI
(総参の話)
Introductory Lectures on Zen Practice
200 円 〒実 費
500 円〒180 円
山田老師の想い出
1,300 円〒340 円
耕雲軒著書
新版 禅の正門
同上(特別装丁版) 2,000 円〒450 円
2,940 円〒340 円
IN MEMORIAM KôUN
YAMADA ROSHI
1,100 円
提唱 禅宗五部録 (上)
〒実 費
3,000 円〒340 円
提唱 禅宗五部録 (下)
3,000 円〒340 円
MUMONKAN Gateless Gate
4,000 円
〒実 費
MUMONKAN Die torlose Schranke
3,000 円
●
〒実 費
三宝興隆会
お問い合わせ、お申込は……
tel/fax 0467-23-5147 E メール:[email protected]
〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷 1-6-5 三宝教団本部(三雲禅堂)
郵便振替口座 00150-9-143627
紹介図書
○慈雲軒著書
魂に響く「正法眼蔵」現代訳抄
4,000 円
税・送料:著者負担
心に甦る「趙州録」
3,000 円 税・送料:著者負担
・ご注文は、直接、春秋社に郵便振替で申し
込んで下さい。
春秋社(Tel 03-3255-9610)
郵便振替口座 00180-6-24861
要領:郵便局の払込取扱票の通信欄に「書
○原田祖岳著作集[全7巻]
出口鐡城編
各巻 2,850 円を 2,500 円に
送料:原書房負担
1.禅と人生
2.無門関提唱録
3.修證義講話 上
4.修證義講話 下
5.参禅の階梯
名と希望冊数及び三宝興隆会会員である
6.禅学質疑解答
旨」を記載し代金を添えて申し込んで下さ
7.仏教大観
い。
・ご注文は、直接、原書房に郵便振替で申
し込んで下さい。
○曹洞宗正信論争[全]
原書房(Tel 03-3354-0685)
郵便振替口座
00150-6-151594
竹林史博編
要領:郵便局の払込取扱票の通信欄に
24,000 円を 17,600 円に
「書名と希望冊数及び三宝興隆会会員
送料:青山社負担
青山社(Tel 072-630-6201)
である旨」を記載し代金を添えて申し込
んで下さい。
・ご注文は、直接、青山社に電話で申しこ
んで下さい。その際、「暁鐘で公告を見
た、代金 17,600 円、送料青山社負担と
なっている」旨を伝えて下さい。
撮影 原 輝