フリーミュージック/フリーコンテンツ —インターネットレーベルと初音ミク現象に見るコンテンツ制作者の未来 永野 ひかり Hikari Nagano 2013.01.31 uploaded フリーミュージック/フリーコンテンツ —インターネットレーベルと初音ミク現象に見るコンテンツ制作者の未来 永野ひかり Hikari Nagano (Lotta @herajica_) この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。 http://creativecommons.org/licenses/by-nc/2.1/jp/ はじめに 本論文「フリーミュージック/フリーコンテンツ —インターネットレーベルと初音ミク現象に 見 る コ ン テ ンツ制作者の未来」 は、 平成 25 年 1 月 17 日 か ら 20 日 ま で 行 わ れ た「平 成 24 年 度 武 蔵野美術大学 卒業・修了制作展」で展示、発表したものです。 この卒業制作展では、製本した本論と、論文の概要が書かれたパネル、主要参考文献の展示を行 いました。また論文で扱った楽曲がその場で聴けるようにタブレット端末を設置し、おまけとして CD-R を作成して配布しました。この CD-R は、主にネットレーベルからリリースされている楽曲を 複数収録したものです。CC ライセンスの下で配信されているものについてはそのライセンスに従 い、ブックレットにもその旨を表記しました。 このような展示も、プレゼンテーションの場のひとつとして作り上げましたが、本論においては、 やはりインターネット上で公開することのほうが重要だと考えています。論文のテーマ設定をした 当初から、大学の中で読まれるだけ、卒業制作展の来場者の目に触れるだけ、といったものではな く、インターネットレーベルや初音ミク現象に関わる当事者の方々に読んでもらえるようにしたい と考えていました。インターネットから生まれた論文を、インターネットに還元すること。このよ うな考えから、本論文の公開に踏み切りました。 さてここで、本論の内容を簡潔に紹介するため、展示の際に使用した概要パネルの文章を以下に 引用します。 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 とは、 インターネットに溢れる音楽を中心としたコ ンテンツと、それに関わるコンテンツ制作者、そして彼らが形成するコミュニティを表す言葉です。 パーソナル・コンピューターの低価格化やインターネットの普及は、個人によるコンテンツの制作 と発表の敷居を下げました。そのことがもたらしたのは「コンテンツがインターネットで発表され、 そのコンテンツを介してコミュニケーションが行われ、コミュニケーションによって新たなコンテ ンツが生まれる」という基盤を形成したことです。 本論では、 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」の流れの中でも、特にインターネットレー ベルと、 初音ミク現象を扱い、「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 をいかにして存続させ ていくか、ということを考察します。そして、近しい文脈の文化を繋げて巨大な内輪を形成するこ とと、ふたつの事象を同時に俯瞰することで浮かび上がる固有の価値を提示することを、問題解決 のための打開策として提案しています。 本論文が、インターネットを介したコンテンツの制作や発表、そしてコンテンツから生まれるコ ミュニケーションに、何かしらの役に立てれば幸いです。 本論の執筆にあたっては、論文自体がアーカイブとして機能することと、インターネットレーベ ルや初音ミク現象を初めて知る人でも読めることを心がけています。そのため、事情に通じている 人にとっては少し冗長に感じる部分もあるかもしれません。また論理の展開として不十分であった り、そもそも文章が「です、ます」調であったり、論文というには未熟なところも多々あるでしょ う。 しかし、 内容については現在の筆者のベストを尽くしました。 とにかく丁寧に、 読みやすく、 平易な文章で、と念じながら執筆したものです。それなりに長い文章ですが、ひとつの読み物とし て、気張らず読んでいただけたらと思います。 3 目次 はじめに ……3 第一章 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」とは何か —狭いインターネットとコミュニケーション ……6 音楽豊穣の時代とインターネット 無料 ( フリー ) で自由 ( フリー ) なコンテンツ インターネットレーベルと初音ミク現象、 それぞれの狭いインターネット 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 の存続 第二章 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 ……13 ネットレーベル基本の 「き」 多様化するネットレーベル インターネットレーベルの成り立ち インターネットでの交流、 クラブイベントでの交流 召喚、 パッケージング、 内輪の巨大化 第三章 声の変容がもたらす ネットレーベルの価値、サンプリングの付加価値 —Go-qualia、分解系、つかさレコーズ ……24 充満する音 Go-qualia と分解系 分解系の内輪の広げ方 つかさレコーズと柊つかさ 「つかさ」 であって 「つかさ」 でない音、 声のキメラ 第四章 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 ……31 限りなく声に近い音 初音ミク現象とはなにか コンテンツの先には人間がいる 「離散」 するコンテンツ制作者 辺境へ向かう 「離散」 の一派 第五章 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 ……40 現象自体のパッケージング kz とは何者か —kz、livetune、RE:NDZ 歌詞から読み解くインターネット讃歌 インターネットの奇跡がダンスフロアに舞い降りる 第六章 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」の未来のために ……49 新たな奇跡への展望 おわりに/筆者プロフィール ……51 主要参考文献一覧 ……52 第一章 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 とは何か —狭いインターネットとコミュニケーション 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」とは何か —狭いインターネットとコミュニケーション 音楽豊穣の時代とインターネット インターネットには多くの音楽が溢れかえっています。 現代の日本では、CD の売り上げが落ちている、音楽産業が低迷していると言われている一方で、 インターネットにはわざわざお金を出さなくても聴ける音楽が多くあります。そしてそれらは、い わゆる違法アップロードされた楽曲だけではなく、楽曲の制作者が進んで無料で公開しているもの も多数含まれています。インターネットを介して楽曲を発表することは、より多くの人に楽曲を聴 いてもらうためにはとても有効なことです。主に楽曲の制作を生業としない人々によって、膨大な 数の自作曲が日々アップロードされている状況は、楽曲制作を行う人々がいかに多く存在するかを 示 し、 ま た そ れ ら を 享 受 す る 人 々 に と っ て も 豊 か な 選 択 肢 が 与 え ら れ て い る こ と を 物 語 っ て い ま す。 パーソナル・コンピューターの高性能化と低価格化は、個人が楽曲を制作するハードルをさげま した。インターネットの普及は、個人によって制作された楽曲に発表の場をもたらしました。もち ろんこれは音楽に限ったことではなく、イラスト、動画、漫画、小説、その他の様々なコンテンツ についても同様に当てはまります。 このようなインターネット上にあふれる多種多様なコンテンツは、ただ単純に消費されるだけで はありません。あるコンテンツから新たな派生コンテンツが生まれる、今まで交流がなかった人々 がコンテンツを介して出会い共作する、といったように、コンテンツの制作者たちが交流を行うこ とも当たり前になっています。言い換えれば、インターネットにアップロードされたコンテンツを きっかけに、交流が生まれ、それを取り巻く人々の漠然としたコミュニティができ上がっていると いうことです。 本 論 で は そ の よ う な、 コ ン テ ン ツ を き っ か け に 広 が る イ ン タ ー ネ ッ ト 上 に 留 ま ら な い コ ミ ュ ニ ケーション、およびそこから新たな楽曲やコンテンツが生まれる動きを「フリーミュージック/フ リーコンテンツ」と呼びたいと考えます。 フリー フリー 無 料で自 由なコンテンツ 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 という言葉は、 アメリカの憲法学者であるローレン ス・レッシグが提唱するフリーカルチャーからもじったものです。フリーカルチャーとは「インター 1 ネットの普及によって可能になった新しい創作と共有の文化を推奨する運動の総称」 と定義されて います。 フリーカルチャーの思想はフリーソフトウェアからはじまります。フリーソフトウェアは、より 多くの人々への共有と不特定多数によるアップデートの思想を根幹に持ちます。それはあるソフト ウェアの利用や複製が無許諾で行えるのみならず、自分の用途に応じて中身のソースコードを書き 換えることができ、さらにその中身を変えたソフトウェアを公開することができる、というもので 1 ドミニク・チェン『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』2012 年、フィルムアート社、p.9 7 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」とは何か —狭いインターネットとコミュニケーション す。 これにならって、フリーカルチャーの運動ではコンテンツを共有する上での新しいルールを提唱 しています。それは従来の著作権法よりも緩くコンテンツを保護するものです。またコンテンツの サンプリング、カットアップ、リミックスなどを許容し、推進しています。そしてフリーカルチャー フリー フリー の示すフリーとは、無 料ということではではなく自 由である、とレッシグは述べています。 フリー 冒頭にて、 無 料で楽しめるコンテンツについて述べましたが、「フリーミュージック/フリーコ フリー ンテンツ」にはもちろん自 由という意味も含まれています。では「フリーミュージック/フリーコ ンテンツ」における自由とは、どういったものなのでしょうか。 まず、フリーカルチャーが推奨するような、コンテンツの派生の連鎖が挙げられます。また、既 存の音楽産業的な構造から抜け出すことができる、という自由でもあるでしょう。個人でも広範囲 に宣伝することができるようになった、低コストでコンテンツの制作が行えるようになった、といっ た様々な利点が挙げられます。 あるいは、 自由という言葉はこれから目指すべき地平を指します。 音楽産業的な構造からは解き放たれたとは言え、「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 が真 に自由であると述べるのははなはだ暴論です。依然残る著作権の問題や、制作者に金銭的なフィー ドバックが少ないことなど、解決すべき問題は山積みです。 フリーカルチャー運動はあらゆるコンテンツに関する著作権の問題を扱っていますが、本論では 音楽を中心に、それに付随するコンテンツを扱います。そして、問題を著作権の問題に限定しませ ん。本論で扱う問題は、「これからいかにしてこの現象を存続させていくか」ということです。 コ ン テ ン ツ が イ ン タ ー ネ ッ ト で 発 表 さ れ、 そ の コ ン テ ン ツ を 介 し て コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 行 わ れ、コミュニケーションによって新たなコンテンツが生まれること。そして、その連鎖とコミュニ ケーションをいかにして存続させるかということ。これらの事柄について記述し、考察し、読者に もこの問題について考えるきっかけを与えることが本論文の目的です。 インターネットレーベルと初音ミク現象、 それぞれの狭いインターネット 本論では、 前述した目的を遂行するために、「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 の動き の中でも特にインターネットレーベルと初音ミク現象を取り上げます。 インターネットレーベル ( ネットレーベル ) とは、 インターネット上で活動する音楽レーベルの ことを指します。本論文で扱うのは主に、日本で活動し、電子音楽系の楽曲を、無料で発表してい るインターネットレーベルです。とは言え、個々の活動にそれぞれ特色のあるネットレーベルが多 数存在するため、ネットレーベルとはこういうものだ、と定義するのは困難なことです。しかしあ えて言うならば、それはレーベルを介して発表されたコンテンツと、ネットレーベルに関わる人々 のコミュニケーションの総体です。 初 音 ミ ク 現 象 と は、 シ ン セ サ イ ザ ー・ ソ フ ト「VOCALOID2 初 音 ミ ク」 を 中 心 に 巻 き 起 こ る コ ン テンツ制作の連鎖を指します。動画共有サイトニコニコ動画から火がついたこの現象は、楽曲だけ でなく他形式にも及ぶコンテンツのリミックスが盛んに行われています。 この現象は「初音ミク」 というソフトウェアがパッケージにアニメ調の絵柄のキャラクターを有するため、いわゆるオタク のオタクによるオタクのための文化として見られがちです。しかし本論では、極論ですが「初音ミ 8 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」とは何か —狭いインターネットとコミュニケーション ク」は楽器であり、楽器である以上演奏するユーザーが必要不可欠である、という脱オタク的な立 場でこの現象を論じていきます。 このふたつの現象は、共通点も多くありますが、基本的にはそれぞれの狭いインターネットの中 で行われる現象です。 そ も そ も イ ン タ ー ネ ッ ト と い う も の 自 体、 世 界 中 に 広 が っ て い る よ う で 実 は と て も 狭 い も の で す。インターネットによって、世界中の人と繋がることができる、ということがよく言われますが、 しかしこれは美辞麗句にすぎません。お互いの使用する言語が異なれば交流は難しいし、時差があ ればコミュニケーションの機会も減少するでしょう。 また、ひとりの人間がインターネットにある全てのデータにアクセスすることはできません。そ れどころか、インターネット上にある情報の総量からすれば、ほんの一部にしか触れることができ ないものです。 というのも、 振り返らなければ自分のうしろに何があるか見えないことと同じで、 インターネット上でも我々が認識できる範囲が限られていることに変わりはないからです。動物の 生 息 圏 や 我 々 の 生 活 圏 が 限 ら れ て い る の と 同 様 に、 ア ク セ ス で き る 情 報 も 非 常 に 限 ら れ た も の で す。さらに、多くのウェブサービスは、欲しい情報をより効率的に取得できるよう発達しています。 ユーザーは、自分が関心のない情報や知りたくない情報を得る機会を遮断し、興味がある情報のみ に傾倒することになります。言い換えれば、インターネットユーザーは、インターネットの全ての フィールドを縦横無尽に駆け抜けているわけではなく、限定された狭いインターネットの中でしか 活動できない、ということです。 狭いインターネットの範囲は、厳密に言えば人によって異なりますが、同じような志向を持つ人々 のそれは当然似通ってきます。利用するウェブサービスや SNS、訪問するホームページ、好きなも のや趣味といった共通点から生まれるコミュニティなどによって、狭いインターネットの範囲は漠 然と決まります。 例えばネットレーベルの狭いインターネットは、それぞれのレーベルのウェブサイトや、楽曲の 発 表 の 場 と し て 使 用 さ れ る SoundCloud な ど で す。 ネ ッ ト レ ー ベ ル に 関 わ る 人 々 が 頻 繁 に 利 用 し、 交流が行われるミニブログサービスのツイッターでは、曖昧なコミュニティが形成されています。 初音ミク現象ならばニコニコ動画などのウェブサービスが頻繁に利用されています。もちろんツ イッターも、初音ミク現象に関わる多くの人々が利用していますが、ツイッターによって築かれる コミュニティがネットレーベルのものとは別物であり、重複するのは一部のユーザーのみというこ とになります。 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 は、 音楽や音楽に近しいコンテンツに関わる、 様々 な狭いインターネットを全てまとめた言葉です。狭いインターネット同士は重複する部分もありま すが、それぞれの差異は、関わるユーザーたちのインターネットの使い方と曖昧なコミュニティの 違いに現れます。そこから、ネットレーベルと初音ミク現象というふたつの事象を論じることで導 きだされた結論が、インターネットを介したすべてのコンテンツの制作、発表、それらに付随する コミュニケーションに応用できればと考えます。 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」の存続 ネットレーベルや初音ミク現象の大きな功績は「コンテンツがインターネットで発表され、その 9 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」とは何か —狭いインターネットとコミュニケーション コンテンツを介してコミュニケーションが行われ、コミュニケーションによって新たなコンテンツ が生まれる、というフォーマットを作り出したこと」です。そして、これはもはや珍しいことでは ありません。ふたつの現象は、それぞれの狭いインターネットの中で行き詰まっているように感じ られます。したがって、これからの展開、これからどう進むべきか、ということが問題になってき ています。 2012 年、 初音ミク現象ははじまりから 5 年の月日がたち、 それを記念するようなコンテンツが 多く発表され、盛り上がりを見せました。初音ミクというキャラクターとしても、コンビニや水族 2 館とのタイアップ が行われ、多くの人々の目につく機会もありました。こうした大規模なタイアッ プが「初音ミク」の発売当時ではなく、発売から 5 年の歳月を経て行われたということは、重要な 意味を持っています。 それはつまり、 初音ミク現象が、 多くの人々の手によって、5 年間かけて成 長したことを示している、 と筆者は考えます。 その成長のひとつの到達点として、5 周年を祝う盛 り上がりがあったと言えます。 3 同年 6 月 30 日に iTunes Music Store でリリースされた tofubeats( トーフビーツ ) の「水星」 が、ア ル バ ム 総 合 チ ャ ー ト で 一 位 を 獲 得 し ま し た。tofubeats は、 ネ ッ ト レ ー ベ ル の 周 辺 で 活 動 す る 楽 曲 制 作 者 で す が、 彼 が ア ル バ ム 総 合 チ ャ ー ト で 一 位 を 獲 得 す る と い う こ と は、tofubeats 個 人 と し て も、ネットレーベルというコミュニティとしても、歴史が動いた瞬間でした。また年末には、国内 4 ネ ッ ト レ ー ベ ル の シ ー ン を つ く り 出 し て い る 16 レ ー ベ ル が 一 堂 に 会 す る「大 ネ ッ ト レ ー ベ ル 祭」 が行われています。これは様々なネットレーベルのこれまでの活動を総括するようなクラブイベン トです。多くのレーベルが一カ所に集まってこれほど大規模なイベントを行うのは初めてのことで あり、インターネットレーベルというひとつのシーンが確立したことの象徴であると言えるでしょ う。 ネットレーベルや初音ミク現象にとって、2012 年は今までの活動の結果が実ったような節目の 年でした。そしてこの節目の先は、今までのような勢いだけでは成長しないのではないかという危 機感が感じられます。ふたつの事象は、これからの変化を強いられている時であり、良くも悪くも 変わっていくだろうという予感があります。 では、これからいかにしてこの現象を存続させていくか、という問題を打開するためには、どう したらよいのでしょうか。 本論文で提案する打開策のひとつめは、狭いインターネットを拡大し続けることです。 インターネットレーベルや初音ミク現象の特徴のひとつに、コンテンツの制作者の流動性が確保 されているという側面があります。多くのネットレーベルの主宰者が、コンテンツの制作者を縛り 付けない姿勢をとっているためです。これは、既存の音楽産業とは大きく異なる点であると言えま す。コンテンツ制作者は自由にコラボレーションができたり、複数のレーベルにまたがってコンテ ンツを発表したりできます。初音ミク現象の場合は、個人個人で活動する制作者が多いため、もち 2 初音ミクイベント「39‘s CARAVAN」にてファミリーマートや横浜八景島シーパラダイスとのタイアップが行われた。 http://www.mikuevent.com/pc/index.html (2013 年 1 月 12 日アクセス ) 3 www.tofubeats.com - Suisei/ 水星 http://www.tofubeats.com/suisei/ (2013 年 1 月 12 日アクセス ) 4 2012 年 12 月 29 日、渋谷 WOMB にて 10 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」とは何か —狭いインターネットとコミュニケーション ろん制作者の活動が流動的になっています。そしてこの流動性が、コンテンツを生み出す原動力に なっているとも言えます。 しかし、コミュニケーションが盛んになればなるほど、狭いインターネットの中のコミュニティ は、萎縮をはじめます。コンテンツの制作や発表がただの内輪での盛り上がりになり、コンテンツ 制作者の流動性がなくなってしまう可能性があるのです。新しいコンテンツ制作者やリスナーが参 入するという新陳代謝が行われなければ、コミュニティはその生命を維持することができないので はないかと考えられます。 おそらく今必要とされているのは、近しい文脈を持つものを繋ぎ合わせていくことなのではない でしょうか。コンテンツとコンテンツを繋げて、狭いインターネットの内輪を意識的に拡大し、巨 大な内輪を形成すること。あるいは、その現象固有の文脈から少し距離をとり、別の文脈にアプロー チすることです。 もうひとつの打開策は、これらの現象から生まれるコンテンツ固有の価値を見つけ、提示するこ とです。 それはひとつひとつのコンテンツの良さではなく、現象全体を俯瞰して観察したときに見えてく る新たな価値である必要があります。本論では、インターネットレーベルと初音ミク現象のそれぞ れのコミュニティが重なる部分に注目します。そして、ふたつのコミュニティの重なる部分に存在 する楽曲が生み出す、声と音の狭間の領域にこそ価値があるという提案を試みます。 インターネットレーベルからリリースされている楽曲は、しばしばサンプリングした声を過剰に 反復し、執拗に刻んで再構成するカットアップが行われたものがあります。その声はもちろんヴォー カルパートとして録音した音源も使用されますが、アニメの主題歌やセリフ、身近な人の発言を録 音したものなど、さまざまものが使用されます。それらの声はもはや声とも呼べないほどに変形さ れてしまいます。 「初音ミク」 などの歌声合成ソフトウェア VOCALOID( ボーカロイド ) は、 歌詞とメロディを入力 することで歌声を制作することができるソフトです。それは本質的には声とは別のものであり、限 りなく声に近い音であると言えるでしょう。音に意味を持たせることができ、その音が声のように 振る舞う、ということです。 ネ ッ ト レ ー ベ ル と 初 音 ミ ク 現 象 を 並 べ て 提 示 す る と、 そ の 間 に あ る の は 声 と 音 の 境 界 が 曖 昧 に なっている楽曲です。その楽曲群からは、声と音のキメラというべき、独特な音がたち現れている のです。 本論文では、第二章でインターネットレーベルの、第四章で初音ミク現象の、それぞれについて の 詳 し い 記 述と今後の展開について考察 し ま す。 第 三 章 で は、Go-qualia( ゴ ー・ ク ア リ ア ) と い う 楽曲制作者を中心に、「分解系」 と「つかさレコーズ」 のふたつのネットレーベルを扱い、 それぞ れのネットレーベルの具体的な活動と、声が音に変化することの特異性について述べます。第五章 では初音ミク現象の聡明期から活躍し、インターネットレーベルとも深い関わりを持つ kz( ケーゼッ ト ) に焦点をあて、声のような音がもたらす効果について記述します。 冒頭で、現在では無数のコンテンツがインターネットを介して公開されている、と述べましたが、 おそらくその中で 100 年以上残るコンテンツはほとんどないと考えられます。10 年後だって残っ ているかわからないものだらけです。というのも、ネットレーベルや初音ミク現象は、その場の勢 いやリアルタイム性といったものに支えられており、スピード感やそこから生まれるコンテンツに おもしろさがあるためです。そして、それだけ刹那的なものであり、アーカイブの残りにくい文化 11 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」とは何か —狭いインターネットとコミュニケーション だとも言えます。しかし、アーカイブが残りにくいからこそ、記録を残す必要性を感じます。 筆者はこれからも「フリーミュージック/フリーコンテンツ」という動きは続いていくだろうと 考えます。インターネットを介したコンテンツの発表は、多くの人にコンテンツを発信したい個人 にとって、まだまだ有効であるためです。そのような個人を支援するようなウェブサービスも充実 してきています。インターネットでのコンテンツの発表、それによって起こるコミュニケーション、 そこから派生するコンテンツの増殖、というプラットフォームを形成したネットレーベルや初音ミ ク現象について記述し考察することは、これからの「フリーミュージック/フリーコンテンツ」の ために必要なことなのではないでしょうか。「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 という動 きがこれから更に発展していくように、本論が何かしらの役に立てれば幸いです。 12 第二章 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 ネットレーベル基本の「き」 インターネットレーベル ( ネットレーベル ) とは、 主にインターネット上で活動する音楽レーベ ルのことを指します。 音楽レーベルと言っても、CD やレコードを制作・販売するのではなく、 楽 曲ファイルなどのデジタルデータを、インターネットを介して配布する、という形式でコンテンツ を発信します。繰り返しになりますが、本論文では、日本で活動し、主に電子音楽系の楽曲を、無 料で発表しているインターネットレーベルを扱います。 とはいえ、日本国内・電子音楽・無料というキーワードである程度範囲を絞ったとしても、ネッ トレーベルには実に様々なものがあります。電子音楽系という括り自体も曖昧なものですが、ここ では主にテクノ、ハウス、エレクトロなど、シンセサイザーやパソコンを用いて制作されるものを 指します。ネットレーベルが扱う楽曲には電子音楽系のジャンルが多く、これはパソコンを用いて 制作した電子音楽を、そのままそのパソコンでインターネットに接続して配布できる、という相性 の良さが理由に挙げられます。その他のネットレーベルの特徴と言えば、個人ないし少数で運営さ れ、営利を目的としていないことなどがあげられるでしょう。ネットレーベルに関わる人々は、コ ンテンツの制作を生業としない、いわゆるアマチュアがほとんどです。 イ ン タ ー ネ ッ ト レ ー ベ ル の 発 信 す る コ ン テ ン ツ は、 ネ ッ ト レ ー ベ ル の ホ ー ム ペ ー ジ に 行 き、 リ リースされているコンテンツを選び取り、zip ファイルをダウンロードするという手順のみで手に 入れることができます。 この zip ファイルには mp3 形式の楽曲ファイルと、CD のジャケットにあ たる画像ファイルが入っています。すべてがデジタルデータであることを除けば、パッケージング されているコンテンツは市販の CD とだいたい同じです。 しかし、 もちろん zip ファイルには楽曲 や画像以外のデータも詰め込むことができるので、ミュージックビデオの動画ファイルなどが一緒 にパッケージングされていることもあります。 ネットレーベルや、そこからリリースされるコンテンツの制作者は、配布するコンテンツの著作 権をあまり強く主張しません。それは、電子音楽やダンスミュージックに根付くサンプリングとリ ミックスの文化、デジタルデータの持つコピーのしやすさ、インターネットによる情報の拡散のし やすさといった特性の中で活動しているためです。多くのコンテンツ制作者は、自分の作ったコン テンツが他のコンテンツの素材として扱われ、 リミックスされることを当たり前に受け止めます。 またインターネットでコンテンツを発表する以上、コピーされることは防ぎきれませんし、インター ネットのコンテンツを伝播させる力を活かさない手はありません。このあたりは、初音ミク現象と の共通点でもあります。 完全にコンテンツの著作権を放棄しているレーベルもありますが、多くの場合、配布されるコン テンツはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンス化されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンスとは、フリーカルチャーの運動から生まれた著作権に関 する新たなルールです。「ある作品が現行法の中で定義されうるふたつの状態——完全に著作権に 5 よって保護される状態か、もしくはまったく保護されない状態——の間の中間層を提供」するもの、 5 ドミニク・チェン『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』フィルムアート社、2012 年、p.10 14 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 と定義されています。ネットレーベルで最も多く使用されているのは〈表示 – 非営利〉のライセン スで、これは二次利用者に対して原作者の表記を求め、作品の営利目的の使用を禁止することを意 味します。 さらにネットレーベルの主宰者は、コンテンツについて緩い規範を設けているだけでなく、その 制作者についても、囲い込みを行わない傾向にあります。通常、音楽を商品として流通させている レコードレーベルの場合、 商品を生産するミュージシャンをある程度管理するものです。 しかし、 ネットレーベルではどこどこのレーベルに所属している、という表現はあまり見られないように感 じます。複数のレーベルにまたがってコンテンツをリリースするコンテンツ制作者も多く見られま す。このような流動性もまた、ネットレーベルの特徴のひとつです。 多様化するネットレーベル 現在インターネットレーベルと呼ばれるものに直接的にかかわる活動のはじまりは 2001 年頃と 言 わ れ ま す が、 ネ ッ ト レ ー ベ ル は 2010 年 前 後 か ら 目 に 見 え て 増 え は じ め、2011 年 は ネ ッ ト レ ー 6 ベ ル バ ブ ル と も 言 わ れ る ほ ど 多 く の レ ー ベ ル が 誕 生 し ま し た 。 そ れ ら の 活 動 は、 こ こ 数 年 で 多 様 化 の 一 途 を た ど っ て お り、 も は や 楽 曲 コ ン テ ン ツ の 配 信 を 行 う だ け に 留 ま り ま せ ん。2005 年 か ら 活 動 し て お り、 ネ ッ ト レ ー ベ ル カ ル チ ャ ー の 中 で 最 も 多 く の 注 目 と 支 持 を 得 て い る Maltine Records( マルチネレコード ) は、2010 年 8 月にアルバム「MP3 killed The CD star ?」をフィジカルリリー スしています。クラブイベントを開催するネットレーベルも増えており、その際に T シャツなどの グッズを制作・販売することもあります。クラブイベントを開催することは、インターネットを介 したコンテンツのリリースよりももちろん負担が大きいため、レーベルの規模や知名度の指標にも 7 なります。ゆざめレーベルは、一日限定で「ゆざめ食堂」 というカフェをオープンし、クラブイベ ントとは少し異なる形式でイベントを行いました。既に活動を停止してしまいましたが、赤身レコー ズに至っては「音楽じゃないものをリリースする」と公言し、小説や漫画、写真集などを配布して います。Marginal Rec.( マージナルレック ) はコンテンツのリリースやクラブイベントを行う「クリ エイター集団」と名乗っていますが、第一章で取り上げた「大ネットレーベル祭」に参加するなど、 ネットレーベルと深い関わりを持っています。 Marginal Rec. 以外にも、 ネットレーベルの周辺で類似する活動を行うものが多々あります。「recorded girls」 は、 ウ ェ ブ コ ン ピ レ ー シ ョ ン ア ル バ ム と し て、2010 年 に 無 料 で 配 信 さ れ、 翌 年 に は 第二弾も同じ形式で発表されています。配布されているコンテンツはネットレーベルのものと変わ りなく、 楽曲とデザインワークの詰まった zip ファイルです。 しかし、 主宰者である猫 0 号はネッ トレーベルとは名乗らず、曲を募ってコンピレーションアルバムのリリースを行うという単発の企 画となっています。主に学生で構成される DJ・トラックメイカーのチームである OSFC(OrdinarySuperFamilyComputer) も、コンピレーションアルバムや DJ ミックスなどをパッケージングしてリリー 6 tomad、yako「進化していくネット環境におけるネットレーベル「らしさ」とは?」『特別編集号 2012 ソーシャルカルチャーネ申 1oo The Bible』スイッチパブリッシング、2012 年、p.54 7 2012 年 7 月 22 日、立川 cloud cafe にて 15 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 スしていますが、あくまでチームという形態を取っており、ネットレーベルではありません。 そもそもネットレーベルかくあるべき、という規範は存在しません。音楽を中心としていること は間違いないのですが、現状ではウェブサイトがあって、ネットレーベルだと明言し、コンテンツ を発信していれば、それはもうネットレーベルだと言えてしまうのです。このことは、情報社会学 者の濱野智史がインターネットユーザーについて記述した次のことがまさに当てはまります。 ウェブを構成するネットユーザー=部分たちは、 決して全体を認識しているわけでもなく、 あるいは全体的視点を見渡した「神」 のごとき存在に命令を受けるわけでもなく、 いわば勝手 気ままに行動することで、 いつのまにか全体的な秩序が実現されている、 というロジックが使 われます。 その論法は、 かつてインターネットという新しい通信システムが、 自律・分散・強 調的に、 つまり全体を管理・監視する主体の存在しない非中央集権的なものであると説明され 8 てきたことを彷彿とさせます。 ネ ッ ト レ ー ベ ル と い う も の に は、 個 々 人 が 思 い 思 い の 活 動 を す る こ と で 全 体 の 秩 序 が 構 成 さ れ る、というインターネットの特徴がよく現れていると言えるでしょう。 インターネットレーベルとは何か、ということを知ろうとすればするほど、その多彩さから一言 でまとめるのが難しくなります。この章の後半で詳しく述べますが、ネットレーベルは、過剰なま でのコミュニケーションによって成り立っている側面もあります。インターネットレーベルとは何 か、という問いに答えるとき、そのコミュニケーション自体をネットレーベルの活動と言うことも できます。もしくは、ネットレーベルを取り巻く、どこが周縁でどこが繋がっているのか把握しが たい、ゆるいコミュニティ全体を示すことも可能でしょう。 以上のことをまとめると、インターネットレーベルとは、ネットレーベルのシーンの周辺になん となく関わる人々の、コンテンツの制作・発表やコミュニケーション、その他の様々な活動全ての 集積である、と言えるでしょう。 インターネットレーベルの成り立ち インターネットカルチャーに詳しいライターであるばるぼらは、「VOCALOID 曲・再入門講座(前 編 2007-2008)」と題された文章の冒頭で、次のように述べます。 今の日本の文化現象は、 知っている人はどこまでも詳しくなれて、 知らない人はいつまでも 知らないままでいられる、 そういう相互不干渉のまま、 それなりの規模を獲得してきたものば かりである。いつ火がついたのかもわからずに、気がつくと出自のわからない “ 流行 ” や “ 人気 ” に囲まれている。 そんな体験を 2000 年代の日本で一度もしなかった人は少ないのではないか 9 と思う。 8 濱野智史『アーキテクチャの生態系』NTT 出版、2008 年、p.67 − 68 9 ばるぼら「Drillspin 読む DJ ナビ 第 12 回:VOCALOID 曲・再入門講座(前編 2007-2008)」 http://www.drillspin.com/articles/view/24 (2012 年 12 月 12 日アクセス ) 16 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 こ れ は 初 音 ミ ク 現 象 に つ い て 語 る 際 の 導 入 と し て 書 か れ た 文 章 で は あ り ま す が、 特 に イ ン タ ー ネットを出自とする文化現象にはおおよそ当てはまることだと考えられます。これは、狭いインター ネットが、文化を享受する人々を狭い内輪に取り込み続け、そのコミュニティがある程度の規模に なったところでマスメディアなどが「密かな流行」として取り扱うという構造が成り立っていると いうことでもあります。 様々な狭いインターネットの中でも、特にネットレーベルは、まさに知っている人はとことんヘ ビーユーザーで、知らない人が入り込むにはあまりにも不親切で、内に閉じた文化であると言えま す。インターネットレーベルというものを初めて知るきっかけは人によって様々でしょうが、多か れ少なかれ自分から働きかけなければ、どんなものか知ることができない代物です。ネットレーベ ルがどういうものかを簡潔に説明することは可能ですが、それは表面的な大枠を捉えたものにしか なりません。本質的な部分をつかむには、自らインターネットに散在するコンテンツを掘り当てた り、コミュニティの中に入って交流したりしなければなりません。筆者自身も、ネットレーベルが どういうものなのかは実際にコンテンツに触れ、ツイッターなどを通してそれに関わる人々の活動 を目にすることで、経験的に知りました。 筆者が最初にネットレーベルに触れたのは 2009 年 6 月の初旬のことです。2007 年の冬に友人の 紹 介 で「初 音 ミ ク」 の 楽 曲 を 知 っ て 以 来、 ニ コ ニ コ 動 画 な ど で 好 み の 音 楽 を 探 し 出 し て 聴 く と い う楽しみを知り、 その中で第四章でも扱う kz の楽曲に出会いました。 そして、2009 年 3 月に発売 された、livetune( ライブチューン ) の楽曲のリミックスアルバム「Re:MIKUS」 に参加していたこと から imoutoid( イモウトイド ) を知り、 彼の楽曲を探す中でたどり着いたのが、 先ほども登場した Maltine Records でした。 しかし当時はインターネットレーベルの存在も知らず、Maltine Records の ウェブサイトを見たところで「なんだかよくわからないけど、どうやら無料で音楽がダウンロード できるらしい」くらいの認識しか持てませんでした。 その後、 初音ミク現象に関わる人々がこぞってツイッターに傾倒しはじめたため、 筆者も 2009 年 末 に 情 報 収 集 を 目 的 に ツ イ ッ タ ー ア カ ウ ン ト を 取 得 し ま す。 そ し て、 第 二 章 で 取 り 上 げ る Go-qualia がニコニコ動画にアップロードした楽曲を、 ツイッターにて紹介している人がいたこと か ら、Go-qualia の 楽 曲 を 頻 繁 に 聴 く よ う に な り ま す。 彼 の 楽 曲 を 探 す 過 程 で、 当 時 発 足 し た ば か りだった ALTEMA Records( アルテマレコーズ ) や、 つかさレコーズに出会い、 次第にネットレーベ ルというものに慣れ親しむようになりました。 ツイッターを利用していなかった頃は、Maltine Records のウェブサイトのみを見ても、それがど ういったものなのかわかりませんでした。しかしツイッターを通じてネットレーベルの周辺の人々 の こ と を 知 る こ と で、 な ん と な く ネ ッ ト レ ー ベ ル と い う も の に つ い て 理 解 す る よ う に な っ た の で す。 インターネット、その中でもとりわけツイッターはアーカイブの残りにくいメディアです。その ため「知ろうとしないと知れない」と言っても、知ろうとしたところで、後追いで情報を得ること がとても困難です。インターネットレーベルが非常に閉じた文化であるのは、あとから情報を得る のが難しく、リアルタイムでのコミュニケーションの中に入り込み、自ら働きかけることが求めら れるためです。 さて、ここまでは筆者がネットレーベルを知った経緯を記述しましたが、そもそもインターネッ トレーベルの歴史とは、どのようなものなのでしょうか。ネットレーベルが発生する以前の流れと 17 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 しては、パーソナル・コンピューターの発達と低価格化、インターネットの技術の進歩とウェブサー ビスの発展、同人音楽やナードコアといった音楽の流れなどが複雑に絡み合ったことが挙げられま す。 パソコンやウェブサービスの発達という観点から見ると、もちろん連綿と続くテクノロジーの進 歩があってこそ現在があると言えますが、 特に 2007 年が変革の年であると言えます。 この年には ネットレーベルに限らず現在の「フリーミュージック/フリーコンテンツ」を決定づける出来事が 重なっています。 例えば Ustream は 2007 年 3 月より運営されています。 これはテレビでの生中継のような、 リア ルタイムでの動画配信が個人単位で可能なうえ、視聴者もそれを見ながらコメントを書き込むこと ができるサービスです。 自宅での DJ やクラブイベントの様子を配信するなど、 様々な場面で利用 さ れ て い ま す。 ネ ッ ト レ ー ベ ル に 関 わ る 人 々 も 多 く 利 用 し、 有 名 ミ ュ ー ジ シ ャ ン も ア カ ウ ン ト を 持つ音楽の共有サービス SoundCloud が創業したのも 2007 年です。 また iPhone の発売も 2007 年 6 月 で す。iPhone は、 外 出 時 の イ ン タ ー ネ ッ ト ラ イ フ を よ り 快 適 な も の へ と 発 展 さ せ、 ク ラ ブ イ ベ ントなどの際にその場を共有することを容易にしました。ちなみに、初音ミク現象の鍵となるニコ ニコ動画のサービス開始と「初音ミク」の発売もこの年です。 ネットレーベルの音楽的な背景としては、 同人音楽というものがあります。 これは 90 年代初頭 から起こったものであり、ゲーム音楽のリミックスを中心としたものですが、テクノロジーの進歩 とも密接に関わり、ネットレーベル以前のパソコンやインターネットと音楽の関係を築いてきたも のです。またナードコアというジャンルもネットレーベルと深く関わりがあります。ナードコアと は、90 年代後半に流行した音楽のジャンルです。 これは、 アニメや映画の中からオタクが好む音 10 源をサンプリングし、ハードコアテクノにのせたもの です。 11 さて、先ほども登場したばるぼらは「内側を向いたまま巨大化していく文化」 というテキストの 中でネットレーベルの歴史を語る際、1994 年から話を始めています。 現在のネットレーベルに直接的に繋がる事例は 2001 年に活動を開始した「ヤングスポーツ」 と いう学生音楽集団です。丼 ( ヤルハラ ) と SUG( スギノヤ ) を中心に、アマチュアミュージシャンが 集う muzie という無料 mp3 配布サービスにて楽曲を公開するという形を取っていました。「ヤング スポーツ」 は 2004 年には活動を停止しましたが、「ヤングスポーツ」 と交流のあった DJ 銚子こと guchon は 2004 年ごろに鯖缶レコードを立ち上げています。 丼も 2006 年から 16 次元レコードを、 SUG は 2010 年から「ディスク百合おん」 という名義で胸毛レコーズを立ち上げ、 活動を行ってい ます。 当時高校生だった tomad よって立ち上げられた Maltine Records は、2005 年に活動を開始しまし たが、 ツイッターを介したコミュニケーションによってレーベルの広報・宣伝を行うスタイルや、 レーベル単位でクラブイベントを開催することなど、現在のネットレーベルの特徴を形作ったレー ベルであると言えます。 ネットレーベルは 2009 年頃から爆発的に増え、 正確な数は把握しにくい 10 東浩紀、伊藤剛、谷口文和、DJ TECHNORCH、濱野智史「初音ミクと未来の音 同人音楽・ニコ動・ボーカロイドの交点にあるもの」 『ユリイカ 2008 年 12 月臨時増刊号 総力特集 初音ミク——ネットに舞い降りた天使』青土社、2008 年、p.147 11 ばるぼら「内側を向いたまま巨大化していく文化 インターネットと音楽、日本のネットレーベルとその周辺」江森丈晃 ( 編著 )『宅 録 D.I.Y. ミュージック・ディスクガイド HOMEMADE MUSIC』ブルース・インターアクションズ、2011 年、p.232-243 18 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 状況です。 ネ ッ ト レ ー ベ ル の 聡 明 期 は コ ン テ ン ツ を 発 表 で き る 場 自 体 が あ ま り な か っ た の で す が、 現 在 で は個人がコンテンツを発表しやすい環境が比較的整ってきています。muzie はミュージシャンのコ ミュニティサイト、Myspeace は SNS という形態をとり、 楽曲をアップロードできる機能を兼ね備 えています。 最近ではネットレーベルやアマチュアの楽曲制作者の間で SoundCloud が頻繁に利用 されています。また、Bandcamp や gumroad といったサービスの登場によって、コンテンツを発表 できるだけでなく、コンテンツ制作者に金銭的な支援を行うことのハードルも比較的下がってきて います。 では、個人でもコンテンツを発信できる環境がある現在、ネットレーベルの必要性はどこにある のでしょうか? それは、いくつか挙げることができますが、まずひとつにパッケージングされていること自体が 価値だと言うことができます。インターネットの様々なサービスを使って楽曲を発表しようとする と、多くの場合、一曲一曲個別に発表することになりますが、ネットレーベルからリリースをしよ うとすると、数曲まとめてパッケージングされることになります。他の楽曲制作者を招いてのリミッ クスやデザインワーク、ミュージックビデオなど、コンテンツ制作者同志の抱き合わせによる化学 反応も、ネットレーベルからコンテンツを発表する魅力です。また、コンテンツの制作者からして みれば、ネットレーベルの知名度を使ってアピールすることもできます。リスナーの側からの利点 としては、良質なコンテンツを発信するレーベル主宰者への信頼と期待から、ネットレーベルを追 うという選択肢があると言えるでしょう。 いくつかのレーベルは、 すでにブランディングが進み、 コンテンツの発信というよりあるスタイルや価値観の提示に近いような活動も行っています。 インターネットでの交流、クラブイベントでの交流 インターネットレーベルとは、ネットレーベルの周辺の人々の活動の集積である、と述べました。 そ れ ら 活 動 の 中 で も 特 徴 的 な の が、 イ ン タ ー ネ ッ ト 上 に 留 ま ら な い 過 剰 な コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン で す。主なコミュニケーションの舞台として、ツイッターとクラブイベントを挙げることができます。 本論にもすでに何度か登場していますが、 ツイッターとは、 アメリカの Twitter.inc が運営するミ ニブログサービスです。メディアジャーナリストの津田大介によると、ツイッターとは「インター ネットを通じて 140 字以内の『つぶやき』を不特定多数にリアルタイムに発信し、自分で選択した 12 他人の『つぶやき』を受信するサービス」 です。このサービスの最たる特徴は「これまで分断され 13 ている部分が多かったネットの世界と現実社会を『リアルタイム性』によって融合させた」 という ことです。またツイッターはマスメディア対大衆でもなく、ウェブログがつくり出した一個人対そ の周辺の人々でもない構造をつくり出しました。ツイッターでは、広場のようなところで、大勢の 人が話したり独り言を言ったりと、思い思いに過ごしている様子が想起されます。 現在、ネットレーベルのリリースやイベントの告知といった広報・宣伝にあたる機能は、ほとん 12 津田大介『Twitter 社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』洋泉社、2009 年、p.12 13 前喝書、p4 19 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 どがツイッターに依存しています。その特徴であるリアルタイム性は、ツイッター内や、細分化さ れたコミュニティごとによって独自のコミュニケーションコードをつくり出すことになりました。 ツイッターには、ツイッター独自のコミュニケーションの仕方があるのです。 これにはもはや、交流とは呼びがたい、コミュニケーション未満のコミュニケーションも含まれ ます。 例えば「お気に入り」 の機能を「ふぁぼ」、 お気に入りに登録することを「ふぁぼる」 と呼 ぶネットスラングがありますが、これはただ気に入った投稿をメモするというような本来の機能を 超えて、ツイッター上での会話で返事の代わりに使用されたり、投稿を見ているという意思表示な どにも使用されたりします。コミュニケーション未満のコミュニケーションといえば、他人の投稿 をそのままコピーして投稿してしまうパクリツイートや、あるテンプレートの一部を改変してネタ を作っていくコピペツイートといったものもあります。そういった他愛もない遊びが、ツイッター の中だけで通じるコミュニケーションコードとして存在しています。 ツイッターでは、ときどきバズが発生します。バズとは端的に言えば、インターネットでの口コ ミによって爆発的に話題になることです。これは「祭り」であるとも言えます。インターネットで の「祭り」という言葉は、過失を起こした人物をインターネット上で糾弾する「炎上」という意味 でとられることが多いですが、バズもまた「祭り」です。リアルタイムでバズに参加すること、も し く は 単 に ツ イ ッ タ ー の タ イ ム ラ イ ン で バ ズ を 目 撃 す る こ と が、 ネ ッ ト レ ー ベ ル の コ ミ ュ ニ ケ ー ションの仕方のひとつの例です。これこそがネットレーベルの大いなる魅力でもあり、バズによっ て ネ ッ ト レ ー ベ ル コ ミ ュ ニ テ ィ が 動 い て い る と い う こ と も 言 え ま す。 し か し そ の リ ア ル タ イ ム 性 が、ネットレーベルの内輪での盛り上がりを加速させている原因でもあります。 さ て、 こ こ ま で は イ ン タ ー ネ ッ ト を 介 し た コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に つ い て 述 べ ま し た が、 ネ ッ ト レーベルの特徴はインターネット上の活動に留まりません。もうひとつのコミュニケーションの場 と し て、 ク ラ ブ イ ベ ン ト が あ り ま す。Maltine Records が、2009 年 2 月 に「お い ッ! パ ー テ ィ ー や 14 んぞ!」 というクラブイベントを行ったことから、インターネットレーベルがクラブイベントを行 う動きが一般化しました。 ネットレーベルはインターネットを介しているため、基本的にはコンテンツ制作者同士の距離が い く ら 離 れ て い て も、 レ ー ベ ル 運 営 を 行 う こ と は 可 能 で す。 し か し、 イ ン タ ー ネ ッ ト レ ー ベ ル に はそれぞれ実際に活動拠点があり、地縁とも言えるものが存在しています。例えば Maltine Records は東京を中心にイベントを行います。 セラミックレコーズや Vol.4 records など、 関西方面を拠点と しているネットレーベルもあります。 先ほども登場した ALTEMA Records は北海道在住のコンテン ツ制作者が多く関わっています。これはやはり、レーベルの主宰者が実際に生活をしている場所に 左右されるためです。インターネットで活動しているとはいえ、当たり前ですがレーベル主宰者も 人間であり肉体を持っているため、生活拠点に依存せざるをえないのが実情です。 さて、クラブイベントは、DJ やライブによって楽曲を発表できる場であるとともに、普段インター ネットを介してのみやり取りしているリスナーが可視化される、貴重な場でもあります。普段は聴 けないような音質と音量で音楽を聴き、体を動かしながら音楽を楽しむことは通常のクラブイベン トと大差ありません。ただし、音楽に合わせて踊る人の後方で、スマートフォンやノートパソコン を操作している人々が目につくことを除いては。 14 2009 年 2 月 6 日、六本木 bullet’s にて 20 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 クラブイベントでスマートフォンやノートパソコンを熱心に覗き込んでいる人が多くいる光景 は、クラブに慣れ親しんだ人から見たらとても異様なものにうつるでしょう。そうでなくとも、イ ンターネットといえば対面でのコミュニケーションが苦手な人がのめり込むもの、という印象もあ るかもしれません。しかしネットレーベルの人々は、クラブにいながら、音楽に合わせて体を動か しつつ、インターネットを介したコミュニケーションの中に身を置いているのです。しかも、遠く 離れた人とインターネットで交流しているだけじゃなく、同じクラブ内にいる人ともコミュニケー ションを行います。 距離が 50cm と離れていない隣にいる人とも、 ツイッターで会話することがあ ります。大きな音で音楽が鳴っているクラブでは、インターネットを介した文字情報のほうが確実 に意図を伝えられるという利点があります。しかし、それだけでなく、前述した通りツイッターに はツイッターのコミュニケーションの仕方があり、それを実際の現場で行うコミュニケーションと 自然に使い分けているのです。 また Ustream などのライブストリーミングサービスによって、イベントの様子がリアルタイムで 配信されることもよくあります。その場にいない人とも、音楽体験を共有することができるように なっています。 出演者も観客も、その場と時間と音楽をフィジカルに共有しながら、インターネットを介しても コミュニケーションを行い、その場にいない人々とも音楽体験を共有するという、重層的で過剰な 交流を行われること。これがネットレーベルの開催するクラブイベントです。そこでは現場体験と インターネット上のリアルタイムが交錯していると言えるでしょう。そのような場に身をおいてい ると、オンライン/オフラインという概念も曖昧になってきます。インターネットとリアルの接続 は濃密なものであり、インターネットの延長線上に現実があって、現実の延長線上にインターネッ トがあるのです。つまり、よく言われるような、リアルとインターネットという二項対立も成り立 ちません。この、コミュニケーションの重層化によって生み出される特殊な時間と場こそがネット レーベル的快感であると言えます。 しかし、ネットレーベルのクラブイベントにあまり足を運んだことのない人から見たら、クラブ という閉塞空間で、閉じられたコミュニケーションを行う様は、とても異様なものにうつることで しょう。 召喚、パッケージング、内輪の巨大化 それまではばらばらに活動していたようなコンテンツ制作者たちが、インターネットの力によっ て、なんとなく集まり、ゆるいコミュニティができあがりました。そのコミュニティは、過剰なコミュ ニケーションとその快楽によって動いています。そしてコミュニケーションが更にコンテンツの制 作に繋がります。こういった流れが、ネットレーベルというひとつのシーンを形成しています。コ ンテンツのリミックスの許容や、レーベルの主宰者が囲い込みを行わない姿勢は、従来の音楽業界 とは異なるものです。しかし、ネットレーベルはそういった業界と対立しようというものではあり ません。このシーンは、カウンターカルチャーというよりは、自分たちが好き勝手やった結果、既 存のものとは別の回路ができあがってしまった、というものです。 更にクラブイベントで、音楽とコミュニケーションの織りなす身体的臨場体験と、インターネッ トでのコミュニケーションが同時に行われること。このコミュニケーションの重層化は、インター 21 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 ネットを生活の一部として上手く取り込んでいる世代の、ひとつの新たな到達点であるように感じ られます。 しかしそれらのコミュニケーションは、最終的に狭いインターネットに回収されることになりま す。この章では、インターネットレーベルのコミュニティが、閉じられたものであるということに 何度か触れてきました。そして残念ながら、ネットレーベルに限らずとも、コミュニケーションは もともと内輪に閉塞していくしかないものでもあります。 第一章でも書いたように、インターネットはとても狭いものです。また濱野は、日本のウェブコ 15 ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を め ぐ る 欲 望 は、 そ も そ も 分 断 を 求 め て い る と 述 べ て い ま す。 こ れ を 説 明 す る のに、 濱野は山岸俊男の「安心社会」 という言葉を引用しています。「安心社会」 とは、 日本社会 のなかでの内輪にこもり、その内輪の人々を裏切らないことが合理的な選択となる、という社会で す。またインターネットのオープンな環境は、ある場合には非常に衝突を起こしやすい性質も持っ ています。出会うはずのなかった者同士が出会うという特性が悪い方向に働くと、不毛で無益な衝 突を生み出してしまうのです。とにかく集団の平穏を乱さないようにすれば、人間関係の維持はた やすい。内にこもれば、不要な衝突の可能性もない。このような思考から、インターネットユーザー は分断を求めてしまうのです。 しかし、このままコミュニティが閉塞していったならば、ネットレーベルのコミュニケーション の利点でもある流動性は、狭いインターネットの中だけで通用する言葉になってしまいます。では、 どうしたらよいのでしょうか? ネットレーベルのコミュニティが、内輪にしかならないということを念頭におくと、巨大な内輪 を作ることが、解決策として挙げられます。周辺の文化とのコラボレーションによって、徐々に内 輪を広げ続けること。それが、インターネットレーベルという文化が生き残る道だと考えられるで しょう。 16 NPO 法人・クリエイティブコモンズジャパン理事であるドミニク・チェンは「標本と召喚」 とい う論考の中で、「召喚」 という概念を提唱しています。 サンプリングしたものを使用しコンテンツ を制作する「標本」に対し、実行系をそのまま呼び出し、コンテンツを制作してもらうことを「召 喚」と呼びます。料理を例にするならば、食材 ( =標本、サンプル ) を自分で調理するのではなく、 優れた料理人を呼び出して ( =召喚 ) 調理を行ってもらう、 ということです。 ヴォーカルパートが 必要な時に「初音ミク」といった合成音性に歌唱を行わせることもまた「召喚」のうちのひとつで す。そして、実行系をそのまま呼び出すということは、その「召喚」したものが予想以上の働きを する可能性を秘めている、ということであり、これが「召喚」の大きな特徴です。 これはまさにネットレーベルの主宰者が行っていることでもあります。楽曲制作者を中心にそれ に付随するコンテンツの制作者を集め、パッケージングをすること。そして、ネットレーベルの主 宰者は積極的なプロデュースを行うというよりは、コンテンツの制作者の方法を尊重します。この 「召喚」 をしてパッケージングすることにこそ、 レーベル主宰者の役目があるのではないでしょう か。しかし、 「 召喚」してコンテンツのパッケージングを行う、と言っても、ただやみくもにコラボレー 15 濱野智史『アーキテクチャの生態系』NTT 出版、2008 年、p.150 16 ドミニク・チェン「標本と召喚」、『ユリイカ 2008 年 12 月臨時増刊号 総力特集 初音ミク——ネットに舞い降りた天使』青土社、 2008 年、p.166-170 22 巨大な内輪をつくること —インターネットレーベルと「召喚」の役割 ションしていけばいいということではないでしょう。「召喚」 の成功とコンテンツの質の上昇のた めには、文脈を読む力、ひいては時代を読む力が必要になってきます。ネットレーベルの主宰者た ちには、基本的にはこの能力が高い人々が多いように感じられます。それでも、ウェブコミュニケー ションが閉塞化してしまう性質を持っている以上、文脈の横断を積極的に行う必要があると言える でしょう。 さて、 第三章では具体的に、Go-qualia というコンテンツ制作者を中心に、「分解系」 と「つかさ レコーズ」というネットレーベルについて記述し、ネットレーベルが生み出すコンテンツ固有の価 値について考察していきます。 23 第三章 声の変容がもたらす ネットレーベルの価値、 サンプリングの付加価値 —Go-qualia、分解系、つかさレコーズ 声の変容がもたらすネットレーベルの価値、サンプリングの付加価値 —Go-qualia、分解系、つかさレコーズ 充満する音 Go-qualia( ゴー・クアリア ) の音楽は、空間全体に充満します。 彼 の ラ イ ブ を 聴 く と、 そ う い っ た 印 象 を 受 け ま す。Go-qualia の 楽 曲 に は、 重 低 音 の 中 に ひ と き わ耳に残る、象徴的な音があることも特徴です。その象徴的な音の正体は、サンプリングされた声 です。 それらの声のサンプリングもとは、既存の楽曲のヴォーカルパートであったり、アニメのキャラ クターのセリフであったりと様々です。カットアップによって切り刻まれ分解された声は、もはや もともと発していた言葉の意味など、最初から持たなかったかのように、再構成されています。声 というものも、もちろん音のひとつです。それでも我々の耳は、その人間の声帯から発せられる音 に 対 し て 非 常 に 敏 感 で す。 言 葉 を 発 さ な く て も、 感 情 を 込 め た り 発 音 の 仕 方 を 変 え た り す る こ と で、言語化しがたい意味を与えることが可能であり、声という音はそれだけ豊富な情報を含むもの です。しかし Go-qualia は、その言語化されない情報すらも解体します。その声とも言えない声は、 う ご め く 低 音 に 乗 り、 フ ロ ア 全 体 に 反 響 し、 ま る で 匂 い の よ う に 充 満 し ま す。Go-qualia の ラ イ ブ 体験は、一言で言うなら匂いに包まれているかのように、音に包まれる体験です。 どこから発せられているのかわからず、またもちろん視覚的には捉えることができない匂いが部 屋中を満たしている状態。長くその部屋にいると、その匂いに慣れてしまい、匂いに包まれている のが当たり前になる経験を、誰もが体感したことがあると思います。そのように、たとえどんなに 音 量 が 大 き くても、Go-qualia の音が鳴っ て い る こ と が 当 た り 前 で、 そ こ に 充 満 し た 音 に 包 ま れ て いる感覚。そのようにして音として知覚されなくなった音は、もはや体全体を揺らす小刻みな振動 として、認識されます。その振動の中に含まれている、どこからともなく響く声が、再びたち現れ たとき、巨大な声のキメラと言うべき何かが聴衆を飲み込みます。 Go-qualia は、2007 年 ご ろ か ら、 ニ コ ニ コ 動 画 や Myspeace で 楽 曲 を 発 表 し て い ま し た。 ま た 2010 年 1 月の ALTEMA Records の発足時に楽曲提供を行うなど、 インターネットをベースに活動を し て い ま す。 現 在 の 彼 は、VJ、DJ で も あ る Yako Naohiro と 共 に 分 解 系 と い う イ ン タ ー ネ ッ ト レ ー ベルの主宰者としても活動しています。 Go-qualia と分解系 ここでは、分解系がどのようなネットレーベルなのかを述べます。 分解系は 2010 年 7 月から活動を開始していますが、 そのきっかけとなったクラブイベントが同 年 5 月に開催されています。秋葉原 MOGRA で開催された「Out of Dots」というこのイベントでは、 Go-qualia の初の東京でのライブが行われました。そして、このイベントを企画したオーガナイザー こ そ が Yako Naohiro で し た。 実 は 分 解 系 自 体 も、Go-qualia の 楽 曲 を 発 信 す る た め に 発 足 さ れ た も のであり、 「Out of Dots」はのちに分解系が主催するクラブイベントの名称として使用され続けます。 さて、分解系のウェブサイトでは、分解系について次のように説明されています。 分解系では作品を単一のメディアではなくコミュニケーションの産物だと捉えています。 そ 25 声の変容がもたらすネットレーベルの価値、サンプリングの付加価値 —Go-qualia、分解系、つかさレコーズ れは創る人、 届ける人、 そしてそれを受け取る人、 これら全ての人が存在して初めて「作品」 と し て 成 り 立 つ と 考 え る か ら で す。 ま た 分 解 系 は ア ー テ ィ ス ト 同 士 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に よる産物を常に発信できる場所にしたいと願っています。 つまり音楽、 映像、 絵、 文章、 空間 etc… 様 々 な コ ン テ ン ツ を 創 造 す る 人 々 が 互 い に 影 響 し 合 い ひ と つ の 作 品 を 生 み 出 し て い く 場 所。 こうしたコラボレーションもまたコミュニケーションの一環。 そうした「作品」 を最良な 17 形で提供できる媒体になれれば、という想いから分解系は生まれました。 この説明文は、第二章で確認したネットレーベルの特徴を実に簡潔に表しているといえるでしょ う。では、数多くあるネットレーベルの中で、分解系が分解系たる特徴は一体どういったところに あるのでしょうか。 そ れ は、 分 解 系 が 生 活 に と け こ む ネ ッ ト レ ー ベ ル だ と い う と こ ろ に あ り ま す。Maltine Records や ALTEMA Records から発信されている楽曲は、 クラブで聴いて盛り上がれるようなものが大半で す。 それに対し、 分解系のリリースするコンテンツには、 日常の BGM としてマッチするような楽 曲が多くなっています。筆者は第二章にて、インターネットが現実の延長であり、現実の延長にイ ンターネットがある、 と述べましたが、Yako Naohiro はこのことを「ネットが浸透して空気のよう 18 に な っ て い る」 と 表 し、「空 気 の よ う な 音 楽 が ネ ッ ト か ら 出 る べ き だ」 と 続 け て い ま す 。 こ れ は、 Go-qualia のつくり出す音が、 その空間に溶け込むように充満するものであることからも連想され ることです。また「エレクトロニカ」という音楽のいちジャンルに注目することで、近そうで意外 と 交 流 が な い 者 同 志 を 繋 げ る こ と が 分 解 系 の 特 徴 で あ り、 レ ー ベ ル カ ラ ー と も 言 う こ と が で き ま す。 分解系の内輪の広げ方 先 ほ ど「エ レ ク ト ロ ニ カ」 と い う キ ー ワ ー ド を 中 心 に 人 々 を 繋 げ る と い う こ と が、 分 解 系 独 自 の 発 想 で あ ると述べましが、 これはネッ ト レ ー ベ ル の コ ミ ュ ニ テ ィ に 留 ま り ま せ ん。Go-qualia は レコードレーベルである Virgin Babylon Records( バージンバビロンレコーズ ) からアルバム「Puella Magi」のフィジカルリリースを行っています。また、分解系の活動の中でも「Out of Dots」などの イベントは、様々なフィールドで活躍するエレクトロニカの楽曲制作者が集う場です。 「Elect-LO-nica 19 Compilation」 では、 ネットレーベルの枠を大幅に飛び出し、 茜新社の漫画雑誌『COMIC LO』 との コラボレーションも実現しています。これは第二章で述べた、内輪を広げ巨大化させることの実践 例であると言えます。 17 分解系 About http://bunkai-kei.com/about/(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 18 「KAI-YOU の インタビュー の “Yako(矢向直大)─前編 ”」 http://kai-you.net/interview/1(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 19 分解系 LO コンピレーションアルバム オフィシャルウェブサイト http://bunkai-kei.com/special/Elect-LO-nica/ (2013 年 1 月 12 日アクセス ) 26 声の変容がもたらすネットレーベルの価値、サンプリングの付加価値 —Go-qualia、分解系、つかさレコーズ 20 その他の具体的な活動として、ネットレーベル同士を繋げる「Bridge of Babel」 や、クリエイティ 21 ブ・コモンズ自体をテーマとした「Creative Commands Compilation Data」 などのコンピレーション アルバムのリリースが挙げられます。 「Bridge of Babel」というコンピレーションアルバムは、 国内 6 つのネットレーベルによる共同コ ンピレーションアルバムです。ネットレーベルの周辺のコンテンツ制作者が複数のレーベルにまた がってコンテンツを発表することは多々ありますが、レーベル同志のコラボレーションとしてパッ ケージングされている一例として、このアルバムを挙げることができます。 一方「Creative Commands Compilation Data」通称 CCCD では、楽曲の制作者に次のようなテーマ を与えています。 「日本でクリエイティブ・コモンズ・ライセンスにて公開されているネットレーベル楽曲を、2 22 レーベル以上 3 曲以上セレクトし、分解・継承して新たな作品を生み出す」 これはクリエイティブ・コモンズの目的でもある二次流用の活性化そのものをテーマとしている ということです。またこのコンピレーションアルバムのタイトルは、リミックスカルチャーの思想 とは対照的な位置づけにある「CCCD= コピーコントロール CD」への皮肉でもあります。 このように、分解系の活動は様々な形で広がりを見せています。内輪を巨大化させることを「エ レクトロニカ」という音楽ジャンルを手がかりに行っていると言えるでしょう。分解系は、単純に ジャンルを越境するとか、ボーダーレスといったことではなく、あえてジャンルを絞ることで、多 彩な活動に結びついています。漫画雑誌とのコラボレーションや、クリエイティブ・コモンズに対 するメッセージを秘めたコンテンツの発信など、積極的にネットレーベルの外側へのアプローチも 行われています。 内輪を広げること、 というのは、 ただ文脈の抱き合わせをすることではなくて、 抱き合わせたことによって新しい価値観やスタイルの提示をすることも重要なのではないでしょう か。 つかさレコーズと柊つかさ こ こ か ら は 少 し 話 題 を 変 え、 つ か さ レ コ ー ズ と い う ネ ッ ト レ ー ベ ル に つ い て 触 れ た い と 考 え ま す。つかさレコーズは、Go-qualia も頻繁に楽曲を発表しており、また分解系とも何度かコラボレー ションを行っているネットレーベルです。しかしこのレーベルは、分解系が内輪を広げる活動を行っ ているのに対し、むしろ閉じたネットレーベルの最たる例とも言えるかもしれません。 つかさレコーズは inumoto によって、2009 年 8 月から運営されており、 もともとネットレーベ 20 Bridge of Babel“SPECIAL SITE” http://bunkai-kei.com/special/Bridge-of-Babel/ (2013 年 1 月 12 日アクセス ) 21 Creative Commands Compilation Data “SPECIAL SITE” http://bunkai-kei.com/special/cccd/ (2013 年 1 月 12 日アクセス ) 22 分解系 V.A. Creative Commands Compilation Data http://bunkai-kei.com/release/bk-k_032/(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 27 声の変容がもたらすネットレーベルの価値、サンプリングの付加価値 —Go-qualia、分解系、つかさレコーズ ルよりもゆるくコンテンツを発信するツイッターレーベルとしてスタートしました。ネットレーベ ルと基本的な部分は同じですが、初期のうちはウェブサイトを持たず、ツイッターでコンテンツの ダウンロードリンクをつぶやく、という形でコンテンツを配信していました。現在ではウェブサイ トがあり、そこでコンテンツが公開されていますが、そのウェブサイトはツイッターの以前のイン ターフェースを模したデザインとなっています。 つかさレコーズの名称である「つかさ」とは、美水かがみの漫画が原作のアニメーション「らき ☆すた」のキャラクター、柊つかさを表します。つかさレコーズは、この柊つかさのセリフやキャ ラクターソングをひたすらサンプリング、カットアップ、リミックスした楽曲を配信するネットレー ベルなのです。アニメのセリフをサンプリングし、ネタ的な楽しみ方をするのは、ナードコアとい うジャンルが既に行っていたことであり、つかさレコーズもこの延長線上に位置するものであると 言えるでしょう。 柊つかさは、 ニコニコ動画を中心に発表されている MAD と呼ばれるアニメの映像を編集して制 作されたコンテンツ郡の中でも、特異なポジションにあったキャラクターです。複数のつかさの頭 部がひたすら回転するものや、他のアニメのパロディを取り入れながら意味不明で病的な展開のも のなど、柊つかさが登場するにも関わらず、もはやつかさというキャラクターの持つ設定とは全く 23 関係のないような動画も存在します。そのような動画には「つかさ好きは病気シリーズ」「T5( つか 24 さ症候群末期症状 )」 というタグが付けられています。 タグとは動画同士を関連づけるリンクシス テムですが、視聴者がある程度自由にカスタマイズできるものです。そのため、動画の特徴を表し たり、 ネタ的な動画にツッコミを入れたりするなど、 別の使い方もなされています。「つかさ好き は 病 気 シ リ ー ズ」 や「T5( つ か さ 症 候 群 末 期 症 状 )」 の タ グ は、 特 に つ か さ に 関 す る 動 画 の 中 で も 狂気にあふれるものに付けられ、つかさ好きは何かがおかしいという認識がなされるようになりま した。このようなつかさというキャラクターの特殊な消費のされ方が、インターネットレーベルを も生み出してしまったのです。 つかさレコーズが無料でコンテンツを発表しているのは、もちろん他のネットレーベルと同様の 利点もあります。しかし、つかさレコーズには無料でコンテンツを発表するしかない理由があると 考えられます。それは、アニメや漫画の二次創作・同人文化にある「頒布」という概念と深い関係 があります。日本国内で根付いている、漫画やアニメのキャラクターをファンが描くという二次創 作は、本来法的には許されない行為です。しかし、そういった二次創作を、金銭を得るために行っ ているのではないと主張することで、法的なグレーゾーンを確保している、という暗黙の了解があ ります。二次創作による同人誌の執筆は趣味で行っており、商行為ではないということを示すため、 同人誌の取引は販売ではなく「頒布」という言葉を用います。 柊つかさのセリフや歌をサンプリングして使用しているつかさレコーズのコンテンツは、これと 同じ論理が働いていると考えられます。つかさレコーズの場合、コンテンツをフリーで配布するこ とは、営利目的でない活動であるという主張であり、サンプリングミュージックのはらむ根本的な 問題を反映したものであると言えます。 このようにつかさレコーズは、 他のネットレーベルに比べ二次創作的な面が強いと言えますが、 23 ニコニコ大百科「つかさ好きは病気シリーズ」http://dic.nicovideo.jp/a/ つかさ好きは病気シリーズ (2013 年 1 月 7 日アクセス ) 24 ニコニコ大百科「T5( つかさ症候群末期症状 )」http://dic.nicovideo.jp/a/T5( つかさ症候群末期症状 )(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 28 声の変容がもたらすネットレーベルの価値、サンプリングの付加価値 —Go-qualia、分解系、つかさレコーズ 実験的なコンテンツも多々あり、ただのオタクの趣味、として捉えることはできないと筆者は考え ます。 また、 分解系とのコラボレーションや、「大ネットレーベル祭」 への参加など、 二次創作文 化とネットレーベル文化の両方に根ざした活動を行っているレーベルであるといえます。 「つかさ」であって「つかさ」でない音、声のキメラ つかさレコーズの発信する楽曲は非常に特殊なものです。キャラクターをモチーフとしている点 ももちろん特殊であると言えますが、最も特徴的なことは、つかさレコーズの楽曲からは、柊つか さというキャラクターを超えた「何か」が現出することだと、筆者は考えます。 そ の こ と を具体的に説明するため、Go-qualia に よ っ て 制 作 さ れ、 つ か さ レ コ ー ズ か ら リ リ ー ス 25 された「TsukasAmbient Works Vol.1」 に収録されている Reset という楽曲について記述したいと考え 26 ます。 この楽曲はつかさの「リセット」 という歌声 からはじまりますが、「リセット」 の「ト」 の 母音である「お」という音が、曲の最初から最後までずっと持続されています。最初のうちは、そ れがつかさの声であり「お」という音であることが認識されますが、途切れることなく持続される その音は、だんだんと声ではなくなります。もちろん声自体が変質しているのではなく、リスナー の認識が変化していく、ということですが。 その声は、柊つかさの声でも、つかさの声優を勤める福原香織の声でもありません。むしろ、声 であると断言するのが難しい、ひとつの音に還元されてしまいます。しかし冒頭でも触れたように、 人間の耳は声という音に非常に敏感です。いくら声の原型が分解されていようと、声の持続によっ て認識に異常をきたそうと、それがもともと声であったことを知覚することが可能です。声が変容 した結果の音と、 それがもともと声だと知覚できる人間の敏感さから、 声のキメラは生まれます。 そのキメラに、聴覚は無意識に惹き付けられてしまいます。 また、Go-qualia 以外のコンテンツ制作者においても、声のキメラの現出は起こります。 27 例 え ば、Calla Soiled( カ ラ ソ イ ル ド ) に よ る「Various purposes of tsukasa」 に 収 録 さ れ て い る Good Night For Tsukasa の場合です。 この楽曲の中でメロディーラインと呼べるものは、 つかさの声を切 り貼りして作られた八小節のループです。この八小節のひとかたまりは、サンプリング元がどのよ うな言葉だったのかわからない呪文のような言葉であり、6 分半にも及ぶ楽曲の中で執拗に反復さ れています。Reset の場合は持続する声によってもたらされる変容でしたが、この楽曲は反復によっ て声を強調し続けることで、声のキメラを呼び出します。 つかさの声は、 様々なコンテンツ制作者によって切り刻まれ、 加工され、 持続され、 反復され、 つかさというキャラクターを超越します。声であって、声でない音。つかさであって、つかさでな い音。それはただの声ではなく、特定の人間の身体を超えた、もっと強大な存在です。身体から幽 25 [TR019] TsukasAmbient Works Vol.1 / Go-qualia https://twitter.com/TsukasaRecords/status/162888677964521472(2013 年 1 月 13 日アクセス ) 26 サンプリング元は柊つかさの声優・福原香織が歌うキャラクターソング「寝・逃・げでリセット!」である 27 [TR-016]Various Purposes Of Tsukasa / Calla Soiled https://twitter.com/TsukasaRecords/status/114323449983401984(2013 年 1 月 13 日アクセス ) 29 声の変容がもたらすネットレーベルの価値、サンプリングの付加価値 —Go-qualia、分解系、つかさレコーズ 体離脱してしまった魂のような存在であり、身体を持たないその音は、どこからともなく響くので す。 つかさレコーズは、柊つかさというキャラクターをモチーフにしながら、単なる二次創作を超え たものがあります。つかさの声がつかさでなくなることで、それを超えてしまったと言えるでしょ う。サンプリングミュージックの本質は、つかさレコーズの楽曲のように、サンプリング元を超越 することなのではないでしょうか。つかさレコーズの場合、もちろんつかさの存在が不可欠なので すが、「つかさであってつかさでない音」 の現出はサンプリングカルチャーにとっても重要な出来 事なのかもしれません。 つかさの声から生み出された声のキメラは、つかさのキャラクターの価値とは別の、つかさを超 越することで生まれた付加価値です。 その付加価値は、「らき☆すた」 というアニメやつかさとい うキャラクターがつくり出したものではなく、つかさの声を執拗にリミックスする、コンテンツ制 作者たちの情熱が溢れ出した結果なのです。 ここまで、柊つかさやつかさレコーズが特にわかりやすい例だったため、つかさの声が生み出す キメラについて論じました。しかし、ネットレーベルの周辺のコンテンツ制作者は、つかさ以外の キャラクターのセリフや楽曲を使用したリミックスも多数制作、発表しています。そのため、他の アニメのセリフやヴォーカルパートを使用した楽曲でも、声のキメラがたち現れることは充分にあ り得ます。声を変容させ、声のキメラの存在を形成したこと。これが、ネットレーベルを取り巻く コンテンツにおける、新しい価値のひとつであるとも言えるのではないでしょうか。 30 第四章 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 限りなく声に近い音 「初音ミク」は楽器です。 この、初音ミクという言葉は、昨今テレビや新聞などのマスメディアにも頻繁に取り上げられる ようになり、 多くの人が目にするようになりました。 そして、 この文字列はバーチャルアイドル、 電子の歌姫などという言葉で説明されることがあります。 しかし、実際の初音ミクの正体はバーチャルアイドルなどではなく、シンセサイザー・ソフトで す。「VOCALOID2 キャラクター・ボーカル・シリーズ 01 初音ミク」( 以下、 ソフトウェアを表す場 合は「初音ミク」 と表記します ) という名称の、 歌声を制作することができるソフトウェア。 なぜ ソフトウェアがバーチャルアイドルと呼ばれるのか、という由縁は後述するとして、まずは「初音 ミク」の基本的な構造を振り返ることにします。 ま ず、「VOCALOID2 キ ャ ラ ク タ ー・ ボ ー カ ル・ シ リ ー ズ 01 初 音 ミ ク」 と い う 長 い 名 称 の 頭 に つ いている、VOCALOID( ボーカロイド ) についてです。 VOCALOID とは、 メロディーと歌詞を打ち込むことで、 歌声を制作することができる、 ヤマハ株 式会社の歌声合成技術およびその応用ソフトの名称です。ヤマハが VOCALOID の技術を、ソフトウェ ア開発を行う企業に提供し、その企業が歌声ライブラリを制作して応用ソフトを作製・製品化しま す。この、歌声合成技術と、歌声ライブラリをパッケージングしたものが VOCALOID というソフト ウ ェ アで す。 そして、 この VOCALOID の アッ プ デー ト 版 であ る VOCALOID2 の 技術 を 使 用し、 ク リ プトン・フューチャー・メディア株式会社が歌声ライブラリを製作して製品化したものが、「初音 ミク」です。 歌声ライブラリは実在の人間の声をもとに作られ、「初音ミク」 の場合は声優の藤田咲の声から 製作されています。また、「初音ミク」はシリーズ展開する「キャラクター・ボーカル・シリーズ」 の第一弾として発表されました。パッケージには、アニメや漫画に出てきそうな風貌の女の子が添 えられています。この、パッケージに描かれた女の子のキャラクターの名前もまた、初音ミク ( 以下、 シンセサイザー・ソフトとしての「初音ミク」と区別するため、「」を付けずに表記する場合はキャ ラクターを指します ) といいます。そして、 「 初音ミク」は、そのパッケージに描かれたキャラクター をプロデュースしているような感覚を味わえる、というコンセプトのもと、製品化されたシンセサ イザー・ソフトなのです。 初音ミクの容姿や、そしてキャラクターの声を自由に操り歌わせているような感覚を持てること が、初音ミクがバーチャルアイドルと紹介される理由です。しかし、初音ミクは単純にバーチャル アイドルとして紹介することができない存在でもあります。 アニメや漫画に登場しそうな女の子のパッケージは、ある意味ではとても誤解を生むことになり ました。極論を言えば、初音ミクというアイドルを育成するゲームのようにも見られかねないため です。そうでなくとも、アニメや漫画が好きなオタク向けのもの、という印象を持つ人もいるかも しれません。 もちろん、 キャラクターをパッケージにあしらったことで、2007 年 8 月末の発売以 前から注目を浴び、 話題になったことは確かです。「初音ミク」 以前にも VOCALOID 製品はいくつ かあったにもかかわらず、VOCALOID の知名度が飛躍的に上がったのは、 初音ミクのキャラクター があったからこそという一面もあります。 しかし、 実際には、「初音ミク」 や他の VOCALOID 製品のユーザーインターフェースには、 キャ 32 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 ラ ク タ ー や 人 物 の ビ ジ ュ ア ル は 登 場 し ま せ ん。 そ の イ ン タ ー フ ェ ー ス は と て も ス ト イ ッ ク な も の で、キャラクターはもともと、本当にパッケージだけに描かれたものだったのです。 本論では、初音ミクのキャラクター論的な観点から論じるつもりはありません。あくまで「初音 ミク」は楽器であるという観点から「初音ミク」とその周辺の事象を追っていきたいと考えます。もっ と正確に言うならば、「初音ミク」 は、「限りなく声に近い音を操ることができるシンセサイザー・ ソフト」なのです。 初音ミク現象とはなにか 2007 年 8 月 31 日の「初音ミク」 の発売以来、 初音ミク現象と呼ばれる現象が、 インターネット を介したコラボレーションやコミュニケーションを中心に起こっています。 この初音ミク現象は、 「初 音 ミ ク」 の 周 辺 の み に 留 ま ら な い た め、VOCALOID 現 象 と 呼 ば れ る こ と も あ り ま す。 し か し 本 論文では、この現象の火付け役となったのが「初音ミク」であることや知名度などを考慮して初音 ミク現象と呼びます。 ち な み に、 現 在 発 売 さ れ て い る VOCALOID 製 品 は、VOCALOID、VOCALOID2、VOCALOID3 す べ て を 合 わ せ る と 40 を 超 え ま す。 日 本 語 で の 歌 唱 を 想 定 し た も の が 最 も 多 く な っ て い ま す が、 英 語、 中国語、韓国語、スペイン語などに対応した VOCALOID 製品も開発されています。もちろん「初音 ミク」だけでなく、これらの VOCALOID 製品を使用した楽曲などもまた初音ミク現象の一端を担っ ています。 さて、前述した通りこの初音ミク現象は、コンテンツ制作者同士の、主にインターネットを介し たコラボレーションやコミュニケーションを特徴としています。 一言で言うと「VOCALOID 製品を 使用した楽曲や、そのイメージキャラクターを描いたイラストなどによって、コンテンツ制作者同 志のコラボレーションがインターネットを介して盛んに行われていること」 が初音ミク現象です。 曲を作る人、歌詞を書く人、イラストを書く人、ミュージックビデオを作る人など、様々な人がこ の現象にかかわっています。そのほとんどがネットレーベルと同じくコンテンツの制作を生業とし ておらず、コンテンツの制作や発表も趣味として、非営利で行われます。 この現象におけるコラボレーションという言葉は、必ずしもはじめから一つの作品を作る目的で 行われる合作を意味しません。例えば誰かが VOCALOID 製品を使用して作った楽曲に対して、後か らオマージュとしてミュージックビデオを作ったり楽曲のイメージイラストを描いたりすることが 頻繁に行われます。またひとつの楽曲から派生したコンテンツをもとに、更に別のコンテンツが派 生する、 ということも多く見られます。 初音ミク現象の最初期には、「初音ミク」 を使用した楽曲 の制作者がオリジナル曲を発表し、それに後追いで派生コンテンツが生まれるという流れが通常で したが、次第にばらばらだったコンテンツ制作者が、合作としてひとつのコンテンツを発表するよ うになりました。 初音ミク現象がインターネットを介したコラボレーションやコミュニケーションを特徴としてい ることは、インターネットレーベルの動向とも似通っている部分ですが、大きく異なる点としては、 動画共有サイトであるニコニコ動画を発表の場として広がったことが挙げられます。 2007 年 1 月から本格的にサービスを開始したニコニコ動画の特徴は、 視聴者が再生している動 画上にコメントをつけることができることです。この機能によって、別々の時間に視聴したユーザー 33 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 同志が同じ時間を共有しているような錯覚を得ることができます。それは、お茶の間で複数の人と 一緒にテレビを見ながら、みんなで感想を言い合ったり、あいの手を入れたり、ヤジを飛ばしたり 28 しているような感覚です。 先ほども取り上げた情報社会学者の濱野はこれを疑似同期 と呼びます。 Youtube などの他の動画共有サイトとは異なり、 疑似同期のできるニコニコ動画は、 動画をアップ ロードした人だけでなく視聴者も含めたみんながコンテンツに参加している、という印象をつくり 出しました。 動画にコメントをつけるという発言方法によって誰もが参加できる、 ということが、 受容者を含めた初音ミク現象の盛り上がりの理由でもあると考えられます。 またニコニコ動画では、派生動画が生まれやすいという土壌が「初音ミク」の登場以前から整い つつありました。アイドルプロデュース体験ゲームである THE IDOLM@STER( アイドルマスター ) や、 同人サークル上海アリス幻樂団が制作したシューティングゲームを中心とする東方 project シリー ズ の 二 次 創 作 動 画 が 多 く 見 ら れ、 派 生 動 画 が 次 々 に 生 ま れ る 状 況 が す で に で き あ が っ て い た の で す。 VOCALOID、THE IDOLM@STER、 東 方 project に 関 わ る 動 画 は、 ニ コ ニ コ 動 画 内 で 主 要 な コ ン テ ン ツとして並べ立てられることもあります。しかし、初音ミク現象にはこのふたつとは決定的に異な る点があります。 先ほど「初音ミクは楽器である」 ということを確認しました。 そして、「初音ミク」 という楽器 を使用し、 オリジナル曲を発表するコンテンツ制作者が多くいるのです。THE IDOLM@STER や東方 project の 二次創作の中心には、 必ず原作 の 存 在 が あ り、 そ の 文 脈 の 中 で し か コ ン テ ン ツ を 制 作 で きません。 しかし初音ミク現象では、「初音ミク」 が楽器である以上、 原作という物語が存在しな いため、その文脈にとらわれる必要がなくオリジナル曲を発表できます。これが、初音ミク現象が 他のふたつとの大きな相違点です。 初 音 ミ ク の キ ャ ラ ク タ ー の 表 象 か ら、THE IDOLM@STER や 東 方 project な ど の 二 次 創 作 の 派 生 コ ンテンツや、二次創作同人誌と同様のオタクカルチャーと認識されてしまうことがあるかもしれま せん。そして、そういった文化とは実際に近しいところにあることも事実です。しかし、初音ミク 現象はやはりそれらとは似て非なるものだと筆者は認識しています。二次創作の動画コンテンツや 同人誌がいけないというのではなく、初音ミク現象はそういった文化とは少し異なるもので、その 差異にこそ初音ミク現象特有のものがあるという事実を知って欲しいと考えています。 コンテンツの先には人間がいる 初音ミク現象には、コンテンツを作る無数の人間がかかわっています。 筆者がコンテンツの制作者に向けるようになったきっかけは多々ありますが、特にざにおという 29 コンテンツ制作者の [【初音ミク】 『夏空』 【オリジナル】] という楽曲を聴いたことが挙げられます。 28 濱野智史『アーキテクチャの生態系』NTT 出版、2008 年、p.221 29 ニコニコ動画、【初音ミク】 『夏空』 【オリジナル】、2008 年 7 月 24 日 http://www.nicovideo.jp/watch/nm4064087(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 34 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 30 正 確 に 述 べ る な ら ば、 こ の 楽 曲 の、 ヴ ォ ー カ ル パ ー ト が 入 っ て い な い 音 源 を 聴 い た 時 で す。 こ の 楽曲を構成しているのは、極限まで濾過されたような、洗練された音です。特にエレクトリックピ アノは、エレクトリックピアノ特有の硬さと、タッチの柔らかさが共存する音です。他の音も、ひ とつひとつの音色が、すべて磨き上げられいるように感じられます。初音ミクのヴォーカルがなく ても、その音の完成度から、充分ひとつの楽曲として成り立っていると感じました。この楽曲の濾 過されたような透き通る音は、筆者に衝撃を与え、初音ミクの歌だけでなく、こういった楽曲自体 や音作りに耳を傾けることも楽しみ方のひとつだと考えるようになりました。 初音ミクやその他の VOCALOID のビジュアルイメージはたしかに強く、キャラクターにばかり目 がいってしまい、そのキャラクターが好きな人が使っているという印象もあるかもしれません。で も必ずしも VOCALOID ユーザーが初音ミクのファンで、初音ミクというキャラクターのためにコン テンツを制作しているわけではないのです。 東浩紀、 伊藤剛、 谷口文和、DJ TECHNORCH、 濱野智史による「初音ミクと未来の音 同人音楽・ ニコ動・ボーカロイドの交点にあるもの」という鼎談の中では、初音ミク現象は基本的にはゲーム 音楽のリミックスから出発した同人音楽の流れの末にあると捉えられています。しかし、これも一 概に言えるものではありません。 初 音 ミ ク 現 象 に は、 様 々 な 出 自 の コ ン テ ン ツ 制 作 者 が 関 わ っ て い ま す。 も と も と 音 楽 業 界 の 中 31 でプロを目指していたという PENGUINS PROJECT( ペンギンズプロジェクト ) や、 自宅に録音環境を 整えて楽曲制作を行う自宅録音の流れから出てきた KNOTS( ノッツ ) など、 同人音楽とはまったく 異 な る バ ッ ク グ ラ ウ ン ド を 持 つ コ ン テ ン ツ 制 作 者 も 多 く い ま す。 ま た、 も ち ろ ん イ ン タ ー ネ ッ ト レーベルに関わるコンテンツ制作者も関わっていますが、前述したようにネットレーベルと初音ミ ク 現 象 は コ ミ ュ ニ テ ィ が 少 し 異 な っ て い ま す。 例 え ば ネ ッ ト レ ー ベ ル の 周 辺 で 活 動 し て い た Leg32 gysalad( レギーサラダ ) が、初めて「初音ミク」を使用した楽曲 をニコニコ動画に投稿したところ、 ネットレーベルのコミュニティの中では既に知名度があったにも関わらず「期待の新人」というタ グが付けられました。インターネットレーベルと初音ミク現象の間にも、狭いインターネットの分 断があることが感じられます。 「離散」するコンテンツ制作者 そもそも、コラボレーションとコミュニケーションによって成り立っている初音ミク現象は、コ ンテンツを制作する制作者がいなければ、コンテンツ制作の連鎖はなかったと言えるでしょう。注 目すべきは、初音ミクというキャラクターではなく、初音ミク現象によって制作されるコンテンツ 自体でもなく、コンテンツを制作する制作者だと考えます。 30 ピアプロ、 「夏空」Dub mix 2008 年 7 月 24 日 MIxhttp://piapro.jp/t/DFdR(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 31 「 『カタギでも音楽は出来る』ニコ動・ペンプロさんの決意」2010 年 4 月 14 日 http://ascii.jp/elem/000/000/513/513008/(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 32 【初音ミク】空中遊泳【オリジナル曲】2012 年 3 月 6 日 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17172206(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 35 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 初音ミク現象の始まりから 5 年がたった今、この現象はマスメディアでも頻繁に取り上げられる ようになりました。 また第一章でも触れたように、2012 年は「初音ミク」 発売 5 周年という節目 の年で、いろいろと大規模な企画も催されました。マスメディアに取り上げられ、それまで興味の なかった人々の目にも触れるようになり、新規にこの文化に親しむ人々が増えることは、喜ばしい ことでもあります。 しかし、 マスメディアが「ネットで人気」 という文言と共に紹介する文化は、 一過性の流行として消費され、飽きられたら終わりという印象がありますが、この印象はあながち 間違いではないようです。 33 複 雑 系 経 済 学 の パ イ オ ニ ア で あ る ブ ラ イ ア ン・ ア ー サ ー の 技 術 革 命 史 観 に よ れ ば、 革 命 的 変 化 に共通するパターンとして、 タービュランス ( 乱気流 )、 メディア・アテンション、 バブル崩壊と いう段階を踏むと主張しました。タービュランスとは革命的変化が現れた直後の混乱や大荒れの状 態を表し、次にメディアがかき立てるメディア・アテンションの段階に進み、最終的には過剰投資 が起こった末のバブル崩壊へと進むという主張です。 これを初音ミク現象に当てはめるならば、「初音ミク」 の発売と同時に起こったニコニコ動画で の 盛 り 上 が り や、 そ の 後 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン や コ ラ ボ レ ー シ ョ ン の 土 壌 が 形 成 さ れ る ま で が タ ー ビュランスです。そして、メディア・アテンションの段階として、マスメディアによる紹介があり、 2012 年の関連イベントなどが、 バブル期の頂点であるように感じられます。 これからは過剰投資 が行われなくなり、徐々にバブル崩壊への道を歩むことが予想されます。 しかしアーサーは、バブル崩壊ののちさらに、10 年以上の長い月日をかけて「大規模な構築ステー ジ」へ進むと主張しています。初音ミク現象も同様に、バブルの頂点を越え、 「大規模な構築ステー ジ」に進もうとしているところなのではないでしょうか。初音ミク現象がこれから迎える「大規模 な構築ステージ」とは、コンテンツ制作者たちがより快適な制作活動を行えるプラットフォームが 整うことです。ひいては「フリーミュージック/フリーコンテンツ」が真に自由を獲得できるまで に発展することです。 長い年月をかけて進むべきこの道は、 険しいものになるでしょう。 ここで働きかけがなければ、 この文化は潰えてしまう可能性も充分にあり得ます。初音ミク現象がこれから先も生き残っていく ためには、もっとコンテンツ制作者に視線をむけていくということがひとつの手だと筆者は考えま す。初音ミク現象によって、コラボレーションや派生コンテンツが、活発に生まれるという土壌が 作られたということが、文化的に重要な点だと考えられます。 コンテンツ制作者に目を向ける、 ということは、VOCALOID に関わる、 キャラクターなどの他の 要 素 を 切 り 捨 て る、 と い う こ と で は あ り ま せ ん。 コ ン テ ン ツ 制 作 者 へ の 注 目 は、「VOCALOID 聴 き ディアスポラ 専ラジオ」 のパーソナリティのひとりである NezMozz( ねずもず ) が語る「離 散行動」 のひとつで あると言えます。 ちなみに聴き専という言葉は、聴くことが専門、という意味です。コンテンツを制作する側では なく消費する側である、ということを示す言葉ですが、そういった聴き専の人々もアクションを起 こしやすいところが初音ミク現象の特徴でもあります。NezMozz の場合は、インターネットラジオ の配信を行うことで初音ミク現象に関わっています。 NezMozz が語る「離散」とは、初音ミク現象の現状として「ニコニコ動画と初音ミク」を最初の「居 33 梅田望夫『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』ちくま新書、2006 年、p.4 36 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 34 住地」とし、そこから別の地平への「離散」がはじまっていると指摘しています 。ここで言う「離散」 とは、単純な成長や拡散や分裂とも異なるものであり、初音ミク現象の中で、それぞれ自分が肝だ と考えることを追求していくことです。初音ミク現象においては、肝となり得る事柄が多様に存在 します。例えば本論文で扱っているのはコンテンツ制作者ですが、単純に良質なコンテンツを見た い、聴きたい、共有したいという欲求や、キャラクターに対する愛情なども肝となり得ます。それ ぞれを追求していこうとすれば当然異なった方法が必要になり、結果的に別々の道を歩むことにな る、というのが初音ミク現象における「離散行動」です。 初音ミク現象とはそもそも、 さまざまな音楽的なバックグラウンドを持っている人々が、「初音 ミク」 を使用しているという共通項からひとくくりになった総体です。 さきほども述べましたが、 初音ミク現象に関わるのは、 同人音楽以外の出自を持つコンテンツ制作者も非常に多いです。「初 音ミク」や VOCALOID という言葉は、ひとつの音楽のジャンルではありません。ピアノというひと つの楽器が、クラシック、ジャズ、ポップスなど、様々な音楽を奏でることができるのと同じこと です。そしてひとくちに「初音ミク」を使用した楽曲と言っても、古今東西多種多様なジャンルの 音楽が制作されています。つまりもともとは、楽曲制作者やその他のコンテンツの制作者がそれぞ れ求めるものや目指すものが異なっていたと言えるのではないでしょうか。 今必要なのは、 「 初音ミク」やニコニコ動画という共通認識からの再出発です。そして本論では「離 散」のひとつのあり方として、コンテンツ制作者に目を向ける、ということを提唱しています。そ れは、「初音ミク」という場所から、地を耕しながらそれぞれの道へ進んでいくことです。 辺境へ向かう「離散」の一派 さてここで、NezMozz の語る「離散」 のあり方として、 音楽レーベルである LOiD レーベルと、 V_N feat.AVSS と い う ク ラ ブ イ ベ ン ト を 取 り 上 げ ま す。 こ れ ら は 初 音 ミ ク 現 象 の メ イ ン ス ト リ ー ム からは外れた位置にあるものです。しかし、こういった動きが出てくることこそが初音ミク現象の おもしろさであり、そこにこそ初音ミク現象が続いていく活路があると筆者は考えます。 LOiD レ ー ベ ル は、「ク リ エ イ タ ー の ク リ エ イ タ ー に よ る ク リ エ イ タ ー の 為 の 音 楽 レ ー ベ ル を 目 指 し、 現 在 も 活 躍 中 の イ ン タ ー ネ ッ ト ク リ エ イ タ ー と 共 に 設 立 さ れ た、 イ ン タ ー ネ ッ ト ミ ュ ー ジ 35 シャンを中心とする音楽レーベル」 です。本論で取り上げているインターネットレーベルとは異な り、 ハ ッ チ・ エ ン タ テ イ メ ン ト 社 に 属 し て い た 普 通 の 音 楽 レ ー ベ ル で、CD や DVD の 製 作・ 販 売 を行っていました。 このレーベルの CD やコンピレーションアルバムには baker、cosMo、sasakure. UK、KTG な ど、 初 音 ミ ク 現 象 に か か わ る 何 人 か の コ ン テ ン ツ 制 作 者 が 参 加 し て い ま す。 ま た 初 音 ミ ク 現 象 に 限 ら ず、muzie で 活 躍 し て い た ruchi や ヒ ゲ ド ラ イ バ ー、YouTube で 作 品 を 発 表 し て い た Denkitribe なども LOiD レーベルで活動をしています。 34 NezMozz「ディアスポラ、第一便。 ——〈現状〉についての一考察」中村屋与太郎編『VOCALO CRITIQUE vol.3』白色手帖、2012 年、 p60-69 35 LOiD what-we-do http://loid.asia/what-we-do/ (2013 年 1 月 7 日アクセス ) 37 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 LOiD の 活 動 か ら は、 た だ 動 画 サ イ ト な ど で 人 気 の VOCALOID 楽 曲 を パ ッ ケ ー ジ ン グ す る、 と い うことではなく、コンテンツの制作者を支援していこうという気持ちがうかがえます。例えば、コ ンピレーションアルバム「LOiD-01 -LOiD’s LOGiC-」 などは、 主にインストルメントの楽曲で構成さ れています。これらのアルバムは、インターネットを介しているとは言え、異なるフィールドで活 動していた制作者同士を、抱き合わせでパッケージングしています。またインストルメントの楽曲 を 中 心 に し て い る た め、 楽 曲 の 制 作 者 自 身 の 音 作 り が ど の よ う な も の か に 集 中 す る こ と が で き ま す。 初音ミク現象の内側で活動していた楽曲制作者についても、VOCALOID のキャラクターの価値 を抜きにした、楽曲制作者に光があたることになります。 初音ミク現象やネットレーベルとは異なる、 いわゆる音楽業界の中にありながら、LOiD レーベ ルが他の音楽レーベルとも少し異なるところは、AD むらたというレーベルマネージャーの存在で す。レーベルマネージャーという、本来裏方の立場にある人物ですが、コンテンツの制作者やリス ナーとの距離が非常に近く感じられるような活動をしています。というのも、彼はネットレーベル の 主 宰 者 と 似 た よ う な 振 る 舞 い を し て い る た め で す。 ツ イ ッ タ ー で の コ ン テ ン ツ 制 作 者 た ち の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に、 同 じ 目 線 で 積 極 的 に 参 加 し、 ま た「LOiD-02 -postrock- LOiD’s MiND」 に は 自 身も楽曲提供を行っています。LOiD レーベルでは、 制作をする人とプロデュースを行う人の境目 が曖昧になっているのです。 36 LOiD レ ー ベルは 2011 年 2 月に一度消 滅 し て し ま い ま す が、AD む ら た の 活 動 の 末、 ラ イ バ ル 同 士の企業をまたいでのアルバムのリリースを行っています。2012 年 3 月に発売された「しんがー・ そ ん ぐ・ ら い て ぃ ん ぐ (LOiD03)」 は、LOiD レ ー ベ ル が 所 属 し て い た エ イ ベ ッ ク ス・ グ ル ー プ の ラ イバルであるビクターエンタテイメントから販売されているのです。 LOiD レーベルは、 個人に目を向けたレーベルであること、 ネットレーベルの主宰者のようにコ ミュニケーションを重視してレーベル運営をしていたことなどが特徴です。LOiD は、 初音ミク現 象と音楽レーベルのつきあい方のひとつの例を提示しただけでなく、音楽産業にもたらされた小さ な変化でもあるかもしれません。AD むらたが何かしらの活動を続ける限り、 その理念やコミュニ ティは残るのではないかという展望があるのです。 次 に、V_N feat.AVSS、 通 称 V_N( ブ イ エ ヌ ) と い う ク ラ ブ イ ベ ン ト に つ い て で す。 い わ ゆ る VOCALOID 系のクラブイベントというものはいくつか存在していますが、V_N は特にコンテンツ制作 者にフォーカスしたイベントです。また、インターネットレーベルのクラブイベントと同じように、 ツイッターを介したコミュニケーションと実際の交流が交錯する場でした。 このイベントは、主に毎月第 4 水曜日、月に一度のペースで、渋谷 axxcis にて開催されていまし た。現在は形式を変え V_C( ブイシー )、V_L( ブイエル ) といったイベントに分化してしまいましたが、 V_N の理念は後続イベントにも引き継がれています。 V_N というイベントで重要なことは、VOCALOID イベントではなく、 ボカロ P イベントだと強調 さ れ て い る こ と で す。 ボ カ ロ P と は、VOCALOID を 使 用 す る コ ン テ ン ツ 制 作 者 を 表 す 言 葉 で す。P とはプロデューサーを表し、 初音ミク現象の聡明期には、VOCALOID というアイドルのプロデュー サーといった意味合いで、VOCALOID のユーザーがそう呼ばれていました。現在は VOCALOID を扱っ 36 四本淑三のミュージック・ギークス! 第 43 回 迷走する音楽ビジネスに活路はあるか【前編】、2011 年 1 月 10 日 http://ascii.jp/elem/000/000/581/581767/ (2013 年 1 月 12 日アクセス ) 38 我々が築いた土壌と、そこからの「離散」 —初音ミク現象の行く末 てコンテンツの制作を行う人、くらいの意味で使われている言葉です。 第 一 回 目 の 頃 は VOCALOID NIGHT feat.AVSS と い う 名 称 で し た が、 後 々 V_N と い う 表 記 と 呼 称 が 使用されるようになりました。VOCALOID という名称が登場しなくなったことで、 主役は初音ミク ではなくコンテンツ制作者たちだということが主張されています。 そのため、 まったく VOCALOID の楽曲をかけない DJ も出演し、 初音ミクの公式コンサートなどとは全く様子が異なります。V_N という場では、DJ もリスナーも、 初音ミク現象がホームであるという共通認識を持っていること 以上に、その共通認識をもとに、別の音楽も楽しみたいという貪欲さを持ちあわせている印象です。 またダンスミュージックやクラブに興味はあっても足を運ぶ勇気がないという人々も、初音ミク現 象という共通認識さえ持っていれば入り込みやすい環境が整っています。 この V_N というイベントの活動の功績は、 クラブイベントやクラブの敷居をさげることと、 初 音ミク現象からダンスミュージックへのアプローチが行われたことです。そのことによって、初音 ミク現象とは少し離れた位置にある、V_N というひとつのシーンを作り上げたと言えます。V_N は、 VOCALOID という枠に収まらず、 別の文脈を形成するようになったことの現れなのではないでしょ うか。 LOiD レーベルや V_N feat.AVSS が重要視しているのは、 「 初音ミク」やニコニコ動画という「居住地」 よりコンテンツ制作者であり、初音ミク現象の作り上げた、コラボレーションやコミュニケーショ ンの土壌です。 ふたつの例を見てみると、「離散」 しながら、 初音ミク現象が出自だという共通認 識を持ち続けていれば、「初音ミク」にこだわる必要はないのかもしれない、と感じられます。 筆者は、コンテンツの制作者が活動を続ける限り、初音ミク現象が止まることはないと考えます。 それはたとえ「初音ミク」や他の VOCALOID が使用されなくても、ということです。コンテンツ制 作者たちが築いた、コラボレーションやコミュニケーションの土壌がなくならなければ、初音ミク 現象は決して終わらないのです。 先ほど、初音ミク現象はこれから「大規模な構築ステージ」に突入するだろうと述べました。初 音ミク現象の内部で、聡明期のような爆発的なコンテンツ制作や勢いのあるコミュニケーションが 再び起こるとはあまり考えられません。しかし、初音ミク現象がコンテンツ制作におけるプラット フォームを築いたからこそ、 これから長い時間をかけて、「フリーミュージック/フリーコンテン ツ」がより自由になれるような基盤を構築していくことが必要です。 最初に築かれた基盤さえ残っていれば、「初音ミク」 や VOCALOID 製品を必ずしも使用していく 必要はないと考えます。むしろ、どんどん「離散」して、コンテンツ制作者がより良い環境を作り あげていくべきです。「初音ミク」 が使用され続けるかどうかよりも、 インターネットを通して築 いた人脈だったり、コラボレーションしやすい環境だったり、そういうものが失われることが、最 も危惧すべきことなのです。 39 第五章 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 現象自体のパッケージング 37 初 音 ミ ク の CM と し て 話 題 に な っ た 動 画 が あ り ま す。2011 年 12 月 14 日 に YouTube に て 公 開 さ れ、テレビ CM としても放映されたこの映像は、正確にはウェブブラウザである Google Chrome の プロモーションのために制作されました。初音ミクというキャラクターだけにフォーカスしたもの でなく、インターネットにアップロードされたコンテンツを通じて人々が繋がる様子が描かれてい ます。まさに一分間に初音ミク現象をそのままパッケージングしたかのような内容です。 この映像は、インターネットを介して、誰もが自分のコンテンツを発信でき、それによって多く の人と繋がることができるという希望にあふれたものです。初音ミク現象の魅力を凝縮したものだ とも言えるでしょう。「離散」 しつつあるコンテンツ制作者が再び集まった瞬間であり、 初音ミク 現象の根底にある共通認識を非常にわかりやすく可視化したとも言えます。 さて、 これまで映像について記述ましたが、 使用されている楽曲、Tell Your World にこそ注目せ ねばなりません。もちろんこの曲には「初音ミク」が使用されています。ピアノの音とヴォーカル のカットアップから入り、「初音ミク」 という音源の特徴でもある、 遠くまで伸び上がるような高 音が印象的な曲です。歌詞も映像と同期した内容となっています。コンテンツ制作者が繋がること を「点が線になる」「線が円になる」 とし、 コンテンツや人々の繋がりが伝播していく様子がよく あらわれています。Tell Your World なくして、 この映像の感動はなかったでしょう。 この楽曲を制 作したのが、kz( ケーゼット ) というコンテンツの制作者です。 kz とは何者か —kz、livetune、RE:NDZ kz は、初音ミク現象の聡明期から活躍するコンテンツ制作者です。2007 年 9 月 22 日にニコニコ 38 動画に[テスト 初音ミクがオリジナル曲歌ってくれました「Packaged」] を投稿、3 日後の 25 日に 39 は同じくニコニコ動画にて[初音ミクがオリジナル曲を歌ってくれました「Packaged」Full Ver.] を 発表しました。Full Ver. の動画は 2013 年 1 月現在、170 万回以上再生されています。動画と言っても、 映像自体は初音ミク現象聡明期に多くあった、初音ミクの一枚絵を少し加工したもののみです。動 画と呼ぶにはあまりに不完全ですが、それでも楽曲自体の完成度の高さによって、多くの人々に視 聴されています。 さ て、kz の 活 動 を 振 り 返 る 上 で 重 要 な の が、livetune と い う サ ー ク ル で す。livetune は、 厳 密 に 40 言 え ば 同 人 音 楽 サ ー ク ル の 名 称 で す。 現 在 は kz 一 人 し か 所 属 し て い な い た め、livetune と い え ば 37 Google Chrome: Hatsune Miku ( 初音ミク )、2011 年 12 月 14 日 http://www.youtube.com/watch?v=MGt25mv4-2Q(2013 年 1 月 13 日アクセス ) 38 ニコニコ動画、テスト 初音ミクがオリジナル曲歌ってくれました「Packaged」、2007 年 9 月 22 日 http://www.nicovideo.jp/watch/sm1111376(2013 年 1 月 7 日アクセス ) 39 ニコニコ動画、初音ミクがオリジナル曲を歌ってくれました「Packaged」Full 、2007 年 9 月 25 日 Ver.http://www.nicovideo.jp/watch/sm1136355(2013 年 1 月 13 日アクセス ) 40 「月刊 VOCALOID MANIACS Vol.11」『DTM MAGAZIN 』Vol.172、寺島情報企画、2008 年 10 月、p.58-59 41 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 すなわち kz を表しますが、 発足当時はかじゅきというコンテンツ制作者と二人で運営されていま し た。livetune が発足したきっかけは、2007 年 末 に 行 わ れ た コ ミ ッ ク マ ー ケ ッ ト 73 で す。 コ ミ ッ クマーケットとは漫画やアニメのファンが二次創作の同人誌などを頒布する場ですが、同人音楽な ど音楽コンテンツが頒布されることも初音ミク現象以前から見られました。コミックマーケットは 出展するグループの単位をサークルとしているため、livetune もサークルという形式を取っていま す。ただ、あくまでサークルという単位であり、ユニットではないため、楽曲の制作で協力するこ と は な か っ た よ う で す。 コ ミ ッ ク マ ー ケ ッ ト 73 で は 自 費 制 作 の ア ル バ ム「Re:package」 を 頒 布 し ました。 すでに発表していた楽曲と未発表の新曲をあわせて、kz とかじゅきがそれぞれ 6 曲ずつ、 計 12 曲を収録したアルバムとなっています。 その後「Re:package」 は、 収録曲やジャケットデザインなどに変更を加えて、 ビクターエンタテ イメントからメジャーデビューアルバムとして発売されています。2008 年 8 月 27 日、「初音ミク」 の発売からおおよそ一年がたったころでした。 商業版「Re:package」 は、 自費制作の同人版の曲に 加えて、その後発表した楽曲や未公開の新曲を収録しています。 特筆すべきことは、このアルバムが、初音ミクというキャラクターの名称とビジュアルを初めて 使用した商業流通アルバムだということです。このアルバムの発売以前にも「初音ミク」を使用し た商業流通の CD は、doriko の「歌に形はないけれど」と「夕日坂」、19’s SOUND FACTORY の「First Sound Story」 な ど が 販 売 さ れ て い ま し た が、 い ず れ も 初 音 ミ ク と い う 表 記 も、 ジ ャ ケ ッ ト に キ ャ ラクターを起用することもありませんでした。 商業版「Re:package」 の発売は、 初音ミク現象史上 においても非常に重要な出来事であると言えます。 「Re:package」 の 発 売 か ら 7 ヶ 月 後 の 2009 年 3 月 に は「Re:package」 の リ ミ ッ ク ス ア ル バ ム で あ る「Re:MIKUS」 が 発 売 さ れ ま し た。「Re:package」 の 曲 の リ ミ ッ ク ス に 加 え て 新 曲 も 収 録 さ れ、 こ ちらもビクターエンタテイメントから販売されています。 リミックスを手がけたのは baker や supercell の ryo などニコニコ動画で活動していた VOCALOID ユーザーだけでなく、トランスというジャ ンル内では世界的に有名な Hiroyuki ODA、 浜崎あゆみなどに楽曲提供を行っている RAM RIDER、 イ ンターネットレーベルの周辺で話題になっていた imoutoid などが参加しています。 このアルバム の発売を機に、サウンドデザインの仕事に本格的に取り組むとこを理由にかじゅきがサークルを抜 41 けることになりました。 また kz は、RE:NDZ( レンズ ) という別名義でも活動を行っており、こちらの名義ではインターネッ トレーベルとも深く関わっています。RE:NDZ という名義での活動としては、2010 年 3 月にレコー ド レ ー ベ ル で あ る モ ー タ ウ ン へ の オ マ ー ジ ュ ア ル バ ム「LOVE MOTOWN」 に、THE JACKSON 5 の I Want You Back のリミックスを提供しています。また同年 4 月には Maltine Records からデビュー EP 42 「PLAY ROOM」 をリリースしており、その他にも、Daft Punk の One More Time の非公認リミックス など様々な楽曲を公開しています。 ネ ッ ト レ ー ベ ル と の 関 わ り と い う 点 で は、kz 名 義 で は あ り ま す が、 分 解 系 と の コ ラ ボ レ ー シ ョ 41 livetune 今までありがとうございました!、2009 年 3 月 26 日 http://livetune.dtiblog.com/blog-entry-102.html(2013 年 1 月 13 日アクセス ) 42 [MARU-071] RE:NDZ - PLAY ROOM、2010 年 4 月 29 日 http://maltinerecords.cs8.biz/71.html(2013 年 1 月 13 日アクセス ) 42 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 ン も 行 っ て お り、Go-qualia が kz の Last Night,Good Night と い う 楽 曲 を 3 通 り に リ ミ ッ ク ス し た 43 「Dissolve Miku Slowly In Waveform」 がリリースされています。 その他にも ClariS や Yun*chi といったヴォーカリストのプロデュースなど様々な活動を行ってい ますが、名義の使い分け方としては、livetune は日本的なポップス、RE:NDZ は海外でも通用するよ うなダンスミュージックというように区別しているようです。 本章の冒頭で取り上げた Tell Your World については、kz の活動の中でもとりわけ重要なものです。 この楽曲について、kz はこのようにコメントしています。 CM で使われたこの曲は、Packaged、Our Music と続くインターネットによって世界中に解放 44 された全ての表現者への祝福の歌です。 歌詞から読み解くインターネット讃歌 kz は、Packaged、Our Music、Tell Your World という自身の楽曲 3 曲を並べて語っていますが、こ れらは彼の活動の節目節目に制作されている曲でもあります。Packaged は「初音ミク」 を使用し、 ニ コ ニ コ 動 画 に 最 初 に 投 稿 し た 楽 曲 で す。Our Music は メ ジ ャ ー デ ビ ュ ー ア ル バ ム「Re:package」 で初めて公開された楽曲あり、「Re:MIKUS」 ではセルフリミックスも行っています。Tell Your World は前述した通りテレビ CM として放映されており、初音ミク現象をはじめとするインターネットで の つ な が り そ の も の を 総 括 し た 楽 曲 で す。 ま た iTunes で 日 本 の 歌 手 と し て は 最 多 の 215 カ 国 に 配 信され、先行配信当日にトップソングのランキングで 1 位を獲得するなど、実際に大きな反響があっ た楽曲だとも言えます。 Packaged は、「初音ミク」 とそのユーザーの出会いの歌であり、 これは初音ミク現象聡明期に多 くあったタイプの歌詞であると言えます。シンセサイザー・ソフトでありながら、キャラクターの ビジュアルと「ポップでキュートなバーチャルアイドル歌手」というキャッチコピーが付けられた 「初音ミク」 に歌を歌わせるとしたら、 どのようなものがあてはまるでしょうか。 最も初音ミクと いうヴォーカルの印象に近く、かつリスナーの需要にも合致するのは、当然初音ミクというキャラ クターに自己言及的な歌詞ということになります。それは、歌を与えてもらう喜びを綴る、ユーザー と出会って恋に落ちるも、パソコンの外には出られないことを嘆く、等々、ステレオタイプな「バー チャルアイドル歌手」の心情をのせた歌です。 ここで Packaged の歌詞の一部を引用し、具体的に内容を見ていくことにします。 この世界のメロディー わたしの歌声 ※ ( 繰り返し ) 届いているかな 43 kz × Go-qualia Dissolve Miku Slowly In Waveform、2011 年 4 月 1 日 http://bunkai-kei.com/release/bk-k_013/(2013 年 1 月 13 日アクセス ) 44 『SWITCH Vol.30 No.2 特集 : ソーシャルカルチャー ネ申コラボ 1oo』スイッチパブリッシング、2012 年、p.60 43 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 響いているかな 手のひらから 零れ落ちた 音の粒を 探してるの Package に詰めた この想いを 伝えたいの あなたにだけ うまく歌えるといいな 45 ちゃんとできるようにがんばるよ! 歌詞に織り込まれた物語の基本構造は「わたし」 と「あなた」 と「世界」 で構成されています。 おおまかに言えば、「あなた」 =ユーザーに出会った「わたし」 =初音ミクが、 ユーザーとともに 世界に向けて歌声を発信するという内容です。 ここで重要なのは「わたしの歌声」が「初音ミク」を使用するユーザーの声として捉えることも 可能である、ということです。では「わたし」がユーザーならば「あなた」は誰を指すのでしょう か。それは、インターネットを介して繋がることができたリスナーであると言えます。この楽曲は 「初音ミク」 がユーザーの代弁者としても機能することを表す歌詞になっていると言うことができ る で し ょ う。Packaged は、 基 本 的 に は「初 音 ミ ク」 と そ の ユ ー ザ ー、 そ し て リ ス ナ ー を 繋 げ る 歌 だと読み込めますが、ここから新しい何かがはじまるという予感を秘めている楽曲であるとも言え ます。 さて、次に Our Music について見ていきますが、こちらも歌詞を引用します。 our music our music ※ ( 繰り返し ) our music 僕らの music あの空に 続く道 まっすぐに 振り返らず 君と二人 手を繋いだ どこまでも 手を繋いだ ( 中略 ) 初めての 夏が過ぎて 答えはまだ 見えないけど 溢れてった 僕らの音 45 livetune feat. 初音ミク「Re:package」ブックレットより 44 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 数えきれない 僕らの音 ( 中略 ) この世界に 響いた声 見えないけど 確かなんだ 笑い合った 時はいつか 46 光になって 未来照らして この楽曲で注目すべきは「わたし」ではなく「僕ら」という、通常男性が用いる一人称の複数系 が用いられていることです。J-POP では、 女性歌手や女性アイドルが「僕」 という一人称でラブソ ングを歌うことが多々ありますが、そこに綴られた歌詞は、二通りの読み解き方ができます。それ は、歌詞の内容を歌う女性が抱えている心情として捉える場合と、歌詞に登場する「僕」という男 性が女性に対して抱いている恋愛感情として考える場合です。 後者の場合、「僕」 の恋愛対象は多 くの場合その女性歌手自身ということになるでしょう。 「僕」 という一人称が女性によって歌われることで、 その女性の恋心としても、 その女性を見る 男性の心情としても、どちらとも解釈できるのです。そこから浮上してくるのは、男女どちらでも ある、という両性具有性ではなく、どちらにでもなり得る、という性別の交換可能性です。もちろ んこれは性別に限ったことではなく、もっと単純に歌っている側と聴いている側という対比の中に も、交換可能性は生まれます。 そう解釈した場合、 「君と二人 手を繋いだ」の「君」はユーザーやコンテンツ制作者、リスナー である場合と、 初音ミクというキャラクターである場合のどちらとも取ることができます。「初音 ミク」 が使用されている曲でありながら、「君」 は初音ミクを示すのです。 これは初音ミク単体で はなく、初音ミクを含めた、初音ミク現象に関わる者全てを包括したコミュニティ全体を示してい るのではないでしょうか。 このことによって、「君」 と歌う初音ミクは、 交換可能性によって、 初 音ミクでない匿名的なものに変化していると言えるのです。 さて、最後に Tell Your World についてです。前述したように、この楽曲は初音ミク現象をはじめ とするインターネットでの繋がりをテーマとしています。 この楽曲の中では、一人称は使われていません。歌詞に出てくる「世界」は「わたし」のいない「世 界」であり、初音ミクを含めた「僕ら」も登場しません。楽曲の中で誰かを指し示す言葉としては 「君」という二人称しかないのです。ここでも例によって歌詞の一部を引用します。 君に伝えたいことが 君に届けたいことが たくさんの点は線になって 遠く彼方まで穿つ 君に伝えたい言葉 46 livetune feat. 初音ミク「Re:package」ブックレットより 45 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 君に届けたい音が いくつもの線は円になって 全て繋げてく どこにだって 奏でていた 変わらない日々を疑わずに 朝は誰かがくれるものだと思ってた 一瞬でも信じた音 景色を揺らすの 教えてよ 君だけの世界 君が伝えたいことは 君が届けたいことは たくさんの点は線になって 遠く彼方へと響く 君が伝えたい言葉 君が届けたい音は いくつもの線は円になって 47 全て繋げてく どこにだって 特徴的なのは、最初は「君に」伝えたい、と言っていたにも関わらず、最終的には「君が」伝え たい、と反転していることです。これは「君」が発信者と受信者のどちらにでもなり得る、交換可 能な存在であるということであり、インターネットを介した交流が双方向のコミュニケーションで あることを思い起こさせます。一人称を用いないことで、聴く人間が発信する者/受信する者のど ちらにでもなれるということを可能にしています。 更に付け加えるなわば、「僕」 という言葉がつ くり出す交換可能性よりも、更に抽象的に、発信者と受信者の区別が曖昧になります。 ここで、ここまで取り上げた 3 曲それぞれについて述べたことをまとめてみます。 Packaged で 見 た よ う に、「初 音 ミ ク」 が ユ ー ザ ー の 代 弁 者 と し て も 機 能 す る こ と。Our Music で 確認したように、「君」が初音ミクを示すとこで、「君」と発音している声が、歌う側と聞く側の交 換可能性によって、初音ミクではなくなること。Tell Your World については「君」が反転することで、 もっと広い意味の交換可能性を含んでいるということ。 この 3 点を合わせた上で改めて Tell Your World について考えてみると、この楽曲を歌うのは、初 音ミクであって初音ミクでない、また誰にでも憑依できるが誰でもない、匿名的な声、ということ になるのではないでしょうか。 それは、もはや初音ミクというキャラクターの身体から離れ、どこからともなく響く声です。こ れは第 2 章で取り上げた柊つかさの声と似ているとも言えます。柊つかさの場合は、つかさの声に 執拗に手を加えることで、キャラクターが溶けていき、柊つかさとは異なる声のキメラが現出する、 というものでした。しかし「初音ミク」は、柊つかさとは逆からのアプローチで声と音の間の領域 のキメラを生み出す存在です。第 3 章でも確認した通り、 「 初音ミク」は楽器です。でも、 「 初音ミク」 47 livetune feat. 初音ミク「Tell Your World EP」ブックレットより 46 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 が出す音には、言葉という明確な意味を持たせることができる、つまり限りなく声に近い音を奏で ることができるのです。そしてそれは、どこにいるのか捉えられない、声と音のキメラになります。 「初音ミク」の生み出す声のキメラは、誰かであって誰でもない、どこにでもいてどこにもいない、 広汎な存在です。初音ミクの声は、初音ミク現象に関わるインターネットにも、それぞれのコンテ ンツにも、コミュニケーションの中にでも、どこにでも響くのです。 インターネットの奇跡がダンスフロアに舞い降りる ここまで kz の生み出したコンテンツについて記述しましたが、彼は DJ としても活動しています。 活動の場がインターネットレーベル初音ミク現象にまたがるため、双方に関わるイベントで活躍し ています。 そして kz がクラブイベントで Tell Your World をかける時こそ、「初音ミク」 から生まれ た声のキメラが最も際立ちます。 それは、 インターネットを介した出会い、 コミュニケーション、 コンテンツの数々、アーキテクチャの起こすいたずらなどの、小さな奇跡が思い起こされる瞬間で す。 そのような想起は、ダンスフロアに響き渡るのが声のキメラのうめきだからこそ可能になったこ とです。kz の作る「初音ミク」 の声は、 どちらかと言えば人間の声ようなブレをあまり入れない、 平板な声になっています。その平板さから感じられるのは特定の個人の感情ではなく、やはり匿名 的で誰でもない、一個人を超えた大きな存在です。 一方で、このようなパーソナル・コンピューターという機械によって制作される音楽は、暖かみ がないとか、人間らしくないとかいった印象を与えるかもしれません。しかし筆者は、これは全く の誤解であると主張します。 48 批 評 家 の ロ ラ ン・ バ ル ト は、 リ ズ ム が 生 ま れ た と き に、 人 類 が 生 ま れ た と 述 べ て い ま す。 文 明 の発明よりも、芸術の起源よりも前の、旧石器時代の洞窟の壁に、リズミカルな刻み目という表象 が現れており、バルトは最初の人間の住居の出現と、この刻み目の表象が同時期だと思えると指摘 しています。人間が動物と異なるのは、リズムを意図的に繰り返すことであり、リズミカルな衝撃 音こそが人間の作業の特徴です。バルトは、その単調なリズムによって、前人類的生物は人類へと 移行する、 と主張しています。 つまり、 機械の刻む正確なリズムに合わせてダンスをすることは、 人間らしさの喪失ではありません。むしろ、それは人間であることや生の喜びを、最も根源的に感 じられる瞬間になります。一切の揺るぎないリズムを刻む電子音のダンスミュージックは、最も原 始的な、人間が人間になった瞬間の音楽なのです。 ダンスフロアで行われている踊りは、 ほとんどはダンスとも呼べない、 非常に粗末なものです。 ただ、音楽に合わせて体を動かしているだけです。しかし、そのような原始的な踊り方で、踊る人々 の渦中で自分もダンスをすることにより、 視覚的にも身体的にも、 一体感を得ることができます。 Tell Your World の歌詞にあるような、 点という個人個人が繋がって、 線になり、 円になるという感 覚が可視化され、踊る肉体はそれを知覚します。肉体が感じ取るのは、全身が音楽に包まれている という多幸感でもあります。 48 ロラン・バルト『第三の意味 映画と演劇と音楽と』沢崎浩平 ( 訳 )、みすず書房、1984 年、p.160 47 インターネットの奇跡 —RE:NDZ a.k.a. kz(livetune) と「汎」初音ミク論 大音量で流れる音楽、踊る人々、ハンズアップとハンドクラップ、歓声というよりも咆哮に近い 叫び声、それらすべてがその場の一体感と多幸感を生み出し、それらすべてを包み込むように声の キメラのうめきが響き渡るのです。その全てを包括できるのは「初音ミク」から生まれた声のキメ ラだけです。誰でもなく、どこにでも響く声。その声は、ひとりひとりの狭いインターネットの中 で起こったことを全て飲み込んだ、インターネットの象徴となり得ます。それは、単なるネットワー クのことではなく、コミュニケーションや、数々のコンテンツとの出会いといった、インターネッ トで我々が共有したものすべての象徴です。そしてそれは、インターネットが起こした数々の奇跡 を表すものです。 ダンスフロアを包み込むのは、インターネットが生み出した奇跡です。そして、Tell Your World が、 ダンスによって共有されるときこそ、インターネットの奇跡が、ダンスフロアに舞い降りる瞬間な のです。 48 第六章 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」 の未来のために 「フリーミュージック/フリーコンテンツ」の未来のために 新たな奇跡への展望 本論文が扱った問題は、これからいかにして「フリーミュージック/フリーコンテンツ」を存続 させていくかということでした。そしてその解決案の例として提示したのは、狭いインターネット を拡大させることと、ふたつの現象特有のコンテンツの価値を見いだすことです。 第二章で扱ったインターネットレーベルと、第四章で述べた初音ミク現象については、本論文で は、 次のことを提案しました。 ネットレーベルについては、「召喚」 によるパッケージングと、 内 輪の拡大です。 初音ミク現象については、「離散」 によって初音ミク現象のつくり出したプラット フォームを維持、拡大させることです。 本論で、ネットレーベルや初音ミク現象についての全てを記述できたとは考えられません。また、 提示した案は少し具体性にかけるものかもしれません。しかし、これらの事象は無数のコンテンツ 制作者が勝手気ままに活動した末の結果であるため、筆者の想像からは思いもよらないような発想 がまだまだ生まれてくるだろうと期待しています。コンテンツ制作者やそのコミュニティが真の自 由を獲得するのは遠い未来のことでしょうが、本論文が、少しでもその役に立てればと思います、 ふたつの現象の固有なコンテンツの価値とは、声と音のキメラです。第三章と第五章で取り上げ た声と音のキメラの存在は、声が溶解した結果に現れた音だけでも、声のように振る舞う音が持つ 匿名的な特性だけでも成り立ちません。両方を同時に提示したときにこそ、その存在が真実味を帯 びると考えます。声と音の境界が曖昧になり、その曖昧さからしか生まれ得ないものなのです。 それは、さしずめ暗い洞窟の中に住む大きな生物のうめき声、といったところでしょうか。非常 に 強 大 で、 ど こ か ら 響 く か も 捉 え き れ な い よ う な 音 で す。 そ の 生 物 を 目 に し た 人 は 誰 も い ま せ ん が、声は洞窟中に反響し、轟きます。もしかしたら、洞窟自体がその生物の体内なのかもしれない、 という錯覚さえ起こさせます。クラブなどの暗い場にて大きな音量で声と音の境界が曖昧な音を聴 く、ということはそのような体験です。これこそが、インターネットレーベルと初音ミク現象の間 からしか生まれ得ない固有の価値です。今回は、ふたつの現象にフォーカスしていますが、他の「フ リーミュージック/フリーコンテンツ」の流れからも、新たな固有の価値が生まれているかもしれ ません。 最後になりますが、本論の読者にも、これからどう存続させていくか、という問題について、少 しでも考えてもらえれば幸いです。微力ながら本論が、これからのインターネットレーベルや初音 ミク現象、ひいては「フリーミュージック/フリーコンテンツ」という流れの中から、新たな奇跡 が生み出されることに貢献できれば幸いです。 50 おわりに 高校生のころに、友人のすすめで初音ミクに出会いました。それまで兄や姉の影響下でしか音楽を聴く ことがなかった私にとって、そのとき出会ったのは、自分で自分の好きな音楽をいくらでも探し出すこと ができる、という喜びでした。 インターネットレーベルを知ったきっかけは、imoutoid さんのファインダー (imoutoid’s “Finder Is Not Desktop Experience Remix”) です。彼は論文内でもっと取り上げたかった人物のひとりですが、彼につい て何か文章を書くというのはとても難しいことです。個人的にとてもデリケートな問題です。 論文の最終提出をだいたい一週間後に控えながらも足を運んだ「大ネットレーベル祭」では、音楽とイ ンターネット渦巻く空間に大変良い刺激を受けました。論文執筆の疲れと寝不足も相まってか「ああ、私 このカルチャー好きでよかった」などと、 ちょっと異常なくらいに感極まっていたほどです。また「大ネッ トレーベル祭」に便乗して、本論の第一章草稿を発表しましたが、多くの反響をいただき、誠にありがと うございました。私にとって、あの時ツイッターで頂いたリプライや RT やふぁぼが、最終提出に向けて 非常に励みになりました。しかし関係者の皆様には、勝手なことをしてしまい、大変申し訳ございません。 なにより、今までインターネットと現場の両方で素晴らしい音楽を享受してきたことが、本論の一番の 原動力です。インターネットレーベルというシーンを作り出しているレーベル主宰者の皆様、およびコン テンツ制作者の皆様、初音ミク現象に関わるボカロ P の方々、日頃ツイッターで仲良くしてくださる皆 さんがいなければ、この論文が生まれることはありませんでした。無事大学を 4 年で卒業できるのは皆様 のおかげです。感謝と敬意を表すと共に、混乱と快楽と狂気の狭いインターネットでのますますのご活躍 をお祈りいたします。ご縁がありましたら、またどこかのパーティーでお会いしましょう。 2013 年 1 月吉日 永野 ひかり (Lotta @herajica_) 【筆者プロフィール】 永野 ひかり Hikari Nagano (Lotta @herajica_) ナードコアの日生まれ。2013 年武蔵野美術大学卒 ( 見込み )。 DJ,Trackmaker チーム OSFC 幽霊部員。 2007 年の冬に友人経由で初音ミクを知り、インターネットで好みの音楽を掘り当てることをおぼえ、2010 年初頭からイン ターネットレーベルに傾倒しはじめる。自身も声と音の境界をテーマに楽曲制作を行っていたりいなかったり。 http://herajicaphoto.tumblr.com/ では、いちおう写真ブログと銘打っているものの、写真の発表の他に論文公開を行い、ク ラブイベントレポを書き、たまに美術の話をするなど、あんまり写真ブログということにこだわらずコンテンツを発信して いる。 ご意見、ご感想、お仕事のご依頼等ありましたら、下記アドレスもしくは Twitter アカウント ( @ herajica_) まで。 [email protected] https://twitter.com/herajica_ 51 主要参考文献一覧 梅田望夫『ウェブ進化論 ——本当の大変化はこれからはじまる』ちくま新書、2006 年 津田大介『Twitter 社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』洋泉社、2009 年 濱野智史『アーキテクチャと生態系』NTT 出版、2008 年 ロラン・バルト『第三の意味 映画と演劇と音楽と』沢崎浩平 ( 訳 )、みすず書房、1984 年 ドミニク・チェン『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』フィルムアート社、2012 年 ローレンス・レッシグ『FREE CULTURE』山形浩生・守岡桜 ( 訳 )、翔永社、2004 年 東浩紀、伊藤剛、谷口文和、DJ TECHNORCH、濱野智史「初音ミクと未来の音 同人音楽・ニコ動・ボーカロイドの交点にあるもの」 『ユリイカ 2008 年 12 月臨時増刊号 総力特集 初音ミク——ネットに舞い降りた天使』青土社、2008 年、p.143-161 ばるぼら「内側を向いたまま巨大化していく文化 インターネットと音楽、日本のネットレーベルとその周辺」江森丈晃 ( 編著 ) 『宅録 D.I.Y. ミュージック・ディスクガイド HOMEMADE MUSIC』ブルース・インターアクションズ、2011 年、p.232-243 ドミニク・チェン「標本と召喚」、 『ユリイカ 2008 年 12 月臨時増刊号 総力特集 初音ミク——ネットに舞い降りた天使』青土社、 2008 年、p.166-170 NezMozz「ディアスポラ、第一便。 ——〈現状〉についての一考察」中村屋与太郎編『VOCALO CRITIQUE vol.3』白色手帖、 2012 年、p60-69 tomad、yako「進化していくネット環境におけるネットレーベル「らしさ」とは?」『特別編集号 2012 ソーシャルカルチャー ネ申 1oo The Bible』2012 年、スイッチパブリッシング、p.54-55 「月刊 VOCALOID MANIACS Vol.11」『DTM MAGAZIN 』Vol.172、寺島情報企画、2008 年 10 月、p.58-59 52
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