放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第14号

放送大学大阪同窓会会報
第 14 号
発 行
放送大学大阪同窓会
編 集
会報編集委員会
責任者
原田美紗子
発行日
平成 19 年 7 月 1 日
会員数 250 名
(平成 19 年 4 月 1 日現在)
ゆうざん
題字は村上日出俊氏(雅号酉山)
三
内
丸
山
遺
跡
探
訪
記
西
三内丸山遺跡
口
省 三
1992年に事前発掘が行われ、19
94年には縄文前期~中期(5500年~4000年
前)の1500年間、500人近い人びとが定住した巨
大な縄文集落跡と確認され、これまでの縄文時代歴史観
を変えるきっかけとなった遺跡を5月に訪ねる機会に
恵まれた。
青森駅からタクシーで20分、南西に3キロの丘陵地
に、整備された「縄文の丘
三内まほろばパーク」の一
角に遺跡がある。
縄文時遊館のエントランスから入り、案内展示を見て
はやる気持ちを抑えつつ、ドームをくぐりはじめての巨
大遺跡に足を踏み入れた。
広さ39ヘクタールの土地に竪穴住居15棟、大型竪穴住居1棟、掘立柱建物3棟、大型掘立柱建物1棟などが
復元され、展示されている。傍らでは数人の人たちが発掘調査を続けている。
まずシンボル的な大型掘立柱建物が目に入る。これは、1994年に見つかったもので、直径約2メートル、深
さ約2メートルの柱穴が 4,2 メートル間隔で並び、各柱穴には直径約 1 メートルのクリの巨木が立てられていた。
その周囲と底を火で焦がしていたのと、豊富な地下水により腐らず底部が残っていたという。祭殿、物見やぐら、
灯台、倉庫などに使われていたようだ。現在は直径約 1 メートル、高さ約 15 メートルの巨木 6 本が立てられ、3
段の棚に木材をかずらなどで固定した姿に復元されているが、階段、屋根はなく上に上ることはできない。柱の間
隔4,2メートルは 35 センチの「縄文尺」の 12 倍で、この共通スパーンで集落全体の構造物配置が決められてお
り、そこに「縄文時代の区画整理」を見ることができるという。
竪穴住居跡は、地面を掘り込んで床を作り、中央には炉がある。住居の平面形や柱の配置、炉の位置や構造は時
代により変化が見られるという。これらも数棟復元されており、中に入って見ることができる。
大型竪穴住居跡は最大のもので長さ約 32 メートル、幅約 10 メートルの建物が復元されており、中は広々とした
空間でやはり大きな炉があり、そのまわりに縄文人家族がくつろいでいる姿がほうふつとする。集落の中心付近に
あり、集会所、共同作業所、共同住宅などに使われたものと思われる。
掘立柱建物跡は地面に穴を掘り、柱を立て屋根を支えたもので南盛土付近に密集して見つかっている。これも1
棟が復元されているが中に入って見ることはできない。おもに倉庫に使われたらしい。
竪穴住居や大きな穴などを掘った時の残土や排土や灰、焼けた土、土器、石器など生活の廃棄物を捨て、それが
何度も繰り返されて周囲よりも高くなり小山のようになった北盛土では、壊れた土器が一面に敷きつめられた様子
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を見ることができる。
南盛土ではやはり約 1000 年間で捨てられた生活廃棄物が小山のようになり、土砂が水平に堆積しているので整
地されたと考えられ、中から大量の土器、石器のほかに土偶やヒスイ玉なども出土し、また焼いた時失敗して捨て
られた土器なども見ることができる。
北盛土と南盛土の間は谷となっておりごみ捨て場として使われていたが、ここは泥炭層で水分が多く空気が遮ら
れていたので土器、石器のほか通常では残らない木製品や漆器、動物の骨、魚の骨、ウロコ、植物の種子、木の実、
寄生虫卵などが良好な状態で出土したという。
谷の東側の道路沿いには約 220 基の大人の墓が確認された。地面に掘られた楕円形や小判型の穴に同じ方向を向
き、道路をはさんで向かい合うように配置されている。中からヒスイ製のペンダントが出土している。南からも同
様の土坑墓列、道路跡が見つかっている。子どもの遺体は丸い穴を開けたり、口や底を打ち欠いたりした土器の中
に入れられ埋葬された。これまでに800基以上が調査されているという。またこの土器の中から握りこぶし大の
丸い石が 1~2個出土するものが多く、埋葬時の習慣にかかわるものと考えられているという。
この地域はもともとブナやミズナラなどの落葉広葉樹林に覆われていたのが、人びとが定住するようになってク
リを栽培するようになり、そのクリを为食にした。出土したクリを DNA 鑑定した結果、栽培種であったことが確
認された。遺跡の周辺にはそのよすがとしてクリ、コナラ、ミズナラなどが植栽されている。豊かな林は近くを流
れる沖館川をつうじて、三内丸山の台地のまじかに広がる青森湾奥に栄養分の多い水や土砂を堆積させて、イワシ、
ブリ、マグロ、マダイ、ヒラメ、カレイなど豊かな魚介類を育んだ。これら山や海の幸にめぐまれて集落の生活基
盤は安定していたようだ。ヤマブドウ、キイチゴ、サルナシ、ニワトコなどで果実酒さえ作って楽しんだという。
クリのほか、一部にはヒョウタン、エゴマ、マメ類などの栽培も行われていたらしいが、豊かさゆえ、栽培を生業
とはしなかったようだ。
また、木製、骨角製をはじめ多様な道具が多数使用されていた。繊維製品、編み物なども作り、獣皮とともに衣
服の材料としていた。
多種類の遠隔地物品が発見され、遠隔地との交流、交易が認められている。新潟糸魚川産のヒスイ、岩手久慈産
のコハク、秋田産のアスファルト、あるいは北海道産の黒曜石で制作した石鏃、石匙、耳飾りや磨製の石斧などそ
れぞれの土地との交流によって入手していた。遠隔地集落との契約関係、ルートの整備、運搬手段の発達などがう
かがえる。
置物として最も著名なものに「縄文のポシェット」
(イグサの一種で編まれた 13 センチほどの小型の袋)がある
が、この中に割れたクルミの実が一つ入っていた。そのほかヒスイの大珠、大型の板状土偶、赤漆塗りの台つき皿
など現代でも通じる優れた工芸品も出土している。
もちろん多量の土器、石器、骨角器、アスファルト、動植物の食べカスなども出土し、その豊かな生活ぶりが想
定される。土偶は 1500 点、土器は完全に復元されたものだけでも 1 万点以上にのぼるという。
これらの遺物、出土品(一部はレプリカ)は敷地内の展示室で見ることができる。
三内丸山遺跡は、その規模が大きい、建物が大きい、出土した遺物が膨大な量である、1500 年のながきにわたっ
て続いたわが国最大級の縄文遺跡なのである。
これほどの遺跡がなぜ終焉を迎えたのかは謎である。一因としては気候の寒冷化などが考えられるがそれだけで
は遺跡全土を放棄してしまうとは考え難く、クリの栽培を停止しなければならない何か特別な理由があったという
見解も示されているようだが、それが何であるかはっきり結論付けるのは困難のようだ。
はるか遠い昔の縄文人の生活にロマンを感じ、それが現代につながっていることに思いをはせつつ、三内丸山遺跡
をあとにした。
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(3)
第 8 回定期総会
4月 14 日午後1時より第1講義室において放送大学第8回定期総会を開催しました。
議長に西口省三氏、司会に吉野久美子氏が選任され、次の1~5号議案が原案通り承認可決されました。
(出席者 23 名、委任状 100 名)
確認後、議長に吉野久美子氏を選出。次の1~5号議案が提出され、全案議案通り承認可決されました。
議案
第1号議案
平成18年度事業活動報告書承認の件
第2号議案
平成18年度決算報告承認の件
卒業生証見本
ア. 決算報告書
イ. 会計監査報告書
第3号議案
平成19年度世話人・会計監査役・顧問選出の件
第4号議案
平成19年度事業活動計画(案)の件
第5号議案
平成19年度予算(案)の件
なお、総会での为な要望は次の通りです。
①
卒業生が気軽に大阪学習センターを利用出来るようにして欲しい。
②
放送大学同窓会の全国的活動が見えにくい。
③
同窓会为催のミニ研修旅行を、土日にも実施して欲しい。
上記の経過を報告致します。
① 大阪学習センターと協議した結果、希望する卒業生には卒業生証を
発行して頂くことになりました。これにより大阪学習センター図書
室等の利用が便利になりました。
申請には、学生番号等身分証明書が必要です。詳細は事務所にお問
い合わせください。
② 停滞していた放送大学同窓会連合会のホームページが再開しました。
ここで各同窓会の活動がうかがえます。(アドレス等は 10 ページに記載)
③ につきましては、現在、行き先・日程等世話人会で検討しております。
世話人名簿
代表世話人
(第3号議案)
:原田美紗子
会計監査:澤村福男
副代表世話人:西口省三
顧
会計世話人
:伊藤和子
世
:石川美喜子
石古嘉經
河野則勝
衣川恵子
重田文雄
清水隆之
中塚政則
橋田
橋本鈴代
宮田敬子
村上日出俊
山口素子
話
人
吉野久美子
3/10
悟
問:西原
浩
時枝登代子
2007 年(平成 19 年)7 月 1 日
放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 14 号
講演
神沢博氏
(4)
「極地から見た気候の変動」
名古屋大学教授(大学院環境学研究科地球環境科学専攻気候科学講座)
第26次南極地域観測隊越冬隊員
総会に引き続き掲題の講演がありました。
(出席者67名)
映画[南極の詩」上映後、南極の寒さやオゾンホール、放射熱収支、氷床コア掘削など、レベルの高い講演を映像と
共に興味深く聴講することができました。最後に南極の氷にも触れて楽しませて頂き、一同感動いたしました。
なお、当日ご協力頂いた募金は、下記の通り郵便振替にて送金いたしましたので、ご報告申し上げます。
記
南極観測50周年記念事業募金
金額
20,000円
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19年4月17日
2007 年(平成 19 年)7 月 1 日
放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 14 号
(5)
感想:「極地からみた気候の変動」
全科履修生
発達と教育専攻
立岡正裕
さる4月14日土曜日の大阪同窓会定期総
会後に表題の講演会が午後2時から4時まで
開かれました。その時の感想を述べさせてい
ただきます。
講師は名古屋大学教授の神沢 博 先生でし
た。御専門分野は、気象学, 気候システム力学,
大気物理・化学, 大気中における物質輸送・循
環との紹介をいただきました。先生は、南極
探検隊員として実際に現地を探検されており
ます。当日、先生は大変な高熱と体調不良を
押しての御講演でした。その熱意とご努力に
は同席者一同、大変感動させられました。
私が参加させていただいた理由は、是非ともお話を聞かせていただきたく、この機会を逃せば二度と機会がない
のではという思いで参加させていただきました。
予想通り、実地に南極に行かれての御講演は、素晴らしいものでした。
極限の世界では通常考えられないことが当たり前の様に起こり、それを体験すれば人生観が変わるような気がし
ます。その世界は何か神聖とか、荘厳とかの世界と通じるものがありそうです。現在、地球環境問題がおおきく叫
ばれており、特に南極に関してはオゾンホールの拡大による宇宙からの有害紫外線遮断能力の加速度的低下や、地
球温暖化現象に伴う南極大陸上の過去何十万年もの堆積した永久氷の融解による海洋表面の上昇による陸地面積の
加速度的減少化等が話題になっています。
これらの話に関しても通常の報道ではあまり実感できない私ですが、深くお話を伺っていく中でより実感できた
ことは成果でした。
先生にボーリングによる南極の何万年か前の氷をお持ち頂きました。最後に、それをミネラルウォターに溶かし、
その時のチンチンという爽やかな太古のメッセージを聞いたり、氷を口にする等して気の遠くなるような太古の世
界を味あわせていただきました。
このような貴重な体験までさせていただき、誠にありがとうございました。
5/10
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放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 14 号
(6)
卒業生祝賀懇親会
3月 31 日大阪学習センター第一講義室において、卒業祝賀懇親会を開催しました。出席者は57名(内新卒者2
5名)でした。西原大阪学習センター所長、鶴田英雄事務長、俣野彰三前所長もご出席頂き、卒業生のみなさんの
卒業までのご苦労されたお話や、橋田さんの手品も飛び出し、賑やかなひとときを過ごしました。
第三次専攻を「人間の探求」にします。人
間を鍛える必要を感じております。
<河田利夫
6 年前、リタイアを契機に勉強をはじめる機会を与え
てくれた放送大学に感謝しています。もともと勉強
したかった数学、物理、天文をゆっくり勉強出来た
ことは楽しい事でした。こんなに本を読んだのはは
じめてだとも思っています。出来るだけ これからも
楽しく長く勉強したいと思いますし、これがスター
トと思っています。<大竹和雄
食事もおいしく、ほかの卒業生の方とも交流出来、
楽しい時間を過ごさせて頂きました。卒業の良い
記念になったと思います。
私は東京の卒業式に参加いたしましたが、大阪で
も卒業式を開催していただけるとのことで、今回
橋田さんのマジックも、最高に良かったです。
懇親会にも参加させていただきました。人数が多
子供たちも楽しんでました。
いので驚きました。皆さんのそれぞれのご苦労が
本当にありがとうございます。<柳野由貴子
伝わってまいりました。自分自身もほめてあげた
いのですが、もっと頑張ってからほめてあげよう
と思い、継続入学致しました。同窓会にも入会致
しましたので、今後共よろしくお願い致します。
<宮内秀樹
ほっとしたこと:同じテーブル、臨席に美し
い女性の居たこと
想像しても怖いこと:懇親会が全員男性であ
ったら・・・コワイ
2 分スピーチ:年を経た方には多くの時間が
年代を超えて楽しい会合が
もてて大へんよかったと思
います。<青木信治
あるようで 2 分とは 200 秒のよ
同窓会の方々、卒業生の皆さん・・・そして諸
うでした。<足立和雄
先生方との懇親の機会をもてたことに感謝して
ごった煮のような同窓懇親会。でもかみしめると、い
ろいろ違った味のあるかみしめ甲斐のある会合です
ね。
<粕井貫次
います。
美味しいお料理と卒業生の一言で、とても満足
致しました。マジックショー!!!
Mr.橋田!
拍手~!素晴しかったです!<乗友美智子
御苦労さまです。ご卒業おめでとう御座居ます。
懇親会は大勢で、お一人お一人との対話ができなく
て残念でした。でも多勢の方が参加されたことは嬉
しいことです。
お世話に成られたことは大変だったことでしょう。
お弁当も盛り沢山で嬉しい悲鳴でした。ありがとう
御座居ました。城みどりさんとご一緒だったので良
かったです。
退職後、久しぶりに卒業
様々な方のお話、経験談を
懇親会といったイベント
お聞きする事が出来、とて
に参加できて非常に楽し
も参考になりました。
い時間を過ごすことが出
今後も宜敷くお願いいたし
来ました。<松井政博
ます。<内田信次
<矢吹敏
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2007 年(平成 19 年)7 月 1 日
放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 14 号
(7)
大学在学中には、スクーリングに行ってもお話
盛大な祝賀懇親会を開いていただきありがとうござい
しする方もなく寂しく勉学を続けていました
ました。
が、今日の懇親会で多数の方とお話しし、又、
卒業生の皆さんの話を聞いて、皆さんの学ぶ意欲のレベ
人生の先輩で色々な分野で頑張っておられる
ルの高さ、生涯学ぶ事の大切さを痛感しました。
方々のお話をうかがい、とても良かったです。
又、放送大学で学びたいと思っています。<山田格
同窓会の方々の心温まるお祝いを感謝致しま
す。
<増田愛子
今日は、すばらしい懇親会を開いて頂きありがとうご
ざいました。
人間の脳も筋肉なので鍛えればいくらでも発達するとの
長い間通った学校。早く終りたいと思っていたのです
話を聞き持続して勉強するつもりで入学しました。
が、今日、最後の日は、やはり寂しい気持ちがします。
先日の東京での卒業式のとき丹保学長も
試験がなければと思ったりもしましたが、でもないと
「急ぐな
どれだけ知ったのかきっと、自分でも気がつかなかっ
就職や、入社のための勉強でなく“教養を積む”大学で
ただろうと思ったり、色々な思い出がいっぱいです。
の学業を続けて行きたいものです。<森康眞
されど休むな」とおっしゃいました。
ありがとうございました。<松田暎子
3 年間、大阪学習セン
ターにはとてもお世話
楽しく、皆様と親ぼくを深
になりありがたかった
めることができました。
です。
同窓会の皆様にお礼申し上
さらに、学習の深化を
げます。お弁当もとてもお
はかることができるよ
いしかったです。ありがと
うに、がんばっていき
うございました。
<小林由美子
たいと思います。
<藤田明伸
初めてお会いした方々や
旧知の方々とお話ができ
て、卒業の喜びをわかち
月日の経つのは本当に早いものだと実感致してお
放送大学を通じて、色々な方と知
ります。卒業までの様々な、トラブルも今は楽しい
り合うことが出来、勉強以外のこ
思い出になり、是からも自分の道を探して一生色々
とも、沢山学ぶことが出きまし
な事柄に取り組みたいと思います。家族、友人、セ
た。大変でしたが、充実しており
ンターの皆様に感謝しております。
ました。諸先生方、職員の方にも
(皆様ご卒業おめでとうございます。
)<国中光代
大変お世話になりました。暖かい
懇親会を催して下さり、ありがと
あいました。
体調を崩して卒業できる
かな?と心配した時期も
ありましたので喜びもか
くべつです。
みなさまの自己紹介とマ
ジックショーが楽しかっ
たです。
とても楽しいひとときを
過ごさせていただきまし
た。
ありがとうございまし
うございました。<新立裕子
平素お目にかかれない方々と、
同席して体験談を耳にし、皆様
方の勉学に対する熱意に感動
今日は、とてもうれしい日です。放送大学は、私の生活の
すると同時に、また自分の学習
一部でした。毎回、視聴覚室にいくたびに、優しい声をか
に役立てていきたいと思った。
けてくださる職員の方に励まされ、どうにかここまでたど
昨年までは 3 月(2 学期)卒業は
りつけたものだと本当に感謝しております。でも勉強する
大阪学習センターでの懇親会
ことの大好きな自分を発見した日々でもありました。放送
が行われていなかったが、今年
大学にいくと本当の自分になれるというか、ここには、私
は企画していただきうれしく
がホッとする居場所があるんです。これからまだまだ勉強
思いました。<北村雅子
を続けます。あのテストの時の緊張感とワクワク感がたま
りません。この命の終る最後まで学び続けたいと思ってい
た。<城みどり
7/10
ます。ありがとうございました。
<中村惠美子
2007 年(平成 19 年)7 月 1 日
物
質
文
明
の
落
と
し
穴
か
も
し
れ
な
い
。
果
た
し
て
歴
史
は
進
歩
発
展
す
る
と
言
え
問
題
だ
』
と
言
う
。
肥
大
し
た
欲
望
だ
け
を
満
た
し
、
排
泄
物
を
垂
れ
流
し
て
き
た
た
悠
々
と
手
毬
を
突
き
始
め
る
の
で
あ
る
。
ア
さ
ん
は
『
科
学
だ
け
の
問
題
で
も
な
い
、
政
治
だ
け
の
問
題
で
も
な
い
、
倫
理
の
劫
年
を
地
球
は
何
事
も
無
く
春
で
あ
る
。
ご
破
算
で
始
め
ま
し
て
は
、
ま
う
と
し
て
い
る
。
い
や
、
金
の
為
に
カ
ナ
リ
ヤ
に
歌
を
強
制
し
て
い
る
。
ア
ル
・
ゴ
う
。
地
球
は
泣
い
た
り
し
な
い
。
天
女
の
衣
の
裾
で
大
岩
が
磨
り
減
る
億
に
違
い
な
い
。
彼
ら
は
カ
ナ
リ
ヤ
を
殺
し
て
お
い
て
、
鐘
と
政
治
の
力
で
鳴
か
せ
よ
万
年
な
ど
、
地
球
の
年
齢
に
比
べ
れ
ば
、
マ
グ
マ
の
垢
ほ
ど
の
も
の
だ
ろ
放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 14 号
地
球
温
暖
化
の
科
学
的
デ
ー
タ
は
、
石
油
関
連
の
巨
大
企
業
に
は
不
都
合
な
真
実
地
球
に
と
っ
て
は
何
の
不
都
合
も
な
い
。
覇
奢
必
滅
。
人
類
の
歴
史
の
百
生
産
技
術
は
確
か
に
進
歩
し
た
。
だ
が
、
文
化
は
果
た
し
て
発
展
し
た
の
だ
ろ
う
か
。
カ
ナ
リ
ヤ
が
鳴
か
な
く
な
れ
ば
、
人
類
の
未
来
は
ス
ト
ッ
プ
す
る
。
だ
が
、
が
、
そ
れ
を
上
手
に
使
い
こ
な
す
知
恵
を
置
き
忘
れ
て
き
た
ツ
ケ
か
も
し
れ
な
い
。
る
倫
理
を
手
に
入
れ
て
、
豊
か
な
精
神
文
化
を
咲
か
さ
ね
ば
な
ら
な
い
。
ず
の
無
い
雨
が
降
っ
た
の
だ
と
い
う
。
人
類
は
新
し
い
科
学
技
術
を
手
に
入
れ
た
忘
れ
な
い
間
に
、
人
類
は
科
学
技
術
と
物
質
文
明
の
ひ
ず
み
を
調
和
さ
せ
は
冠
氷
を
支
え
る
棚
氷
が
崩
壊
し
て
お
り
、
2
・
3
年
前
に
は
、
南
極
で
は
降
る
は
ナ
リ
ヤ
は
地
球
の
自
然
の
歌
を
鳴
き
続
け
て
欲
し
い
。
カ
ナ
リ
ヤ
が
歌
を
8/10
で
、
北
極
の
氷
は
消
滅
し
て
海
の
水
位
は
6
メ
ー
ト
ル
上
昇
す
る
と
い
う
。
南
極
で
の
お
舟
に
載
せ
ら
れ
て
、
強
い
ら
れ
た
歌
な
ど
歌
わ
な
く
て
も
良
い
。
カ
セ の
ン カ
ト ナ
減 リ
少 ヤ
し は
た 北
。 極
こ と
の 南
ま 極
ま だ
地 と
球 い
の う
温 。
暖 最
化 近
が の
続 40
け 年
ば 間
、 で
今 北
後 極
50 の
年 氷
か は
ら 40
70 パ
年 ー
人
ひ
と
り
が
真
実
と
真
摯
に
向
き
合
っ
て
ほ
し
い
』
と
結
ん
で
い
た
。
金
同
名
著
書
の
翻
訳
者
枝
廣
淳
子
さ
ん
は
、
『
ど
ん
な
に
不
都
合
で
も
、
一
ナ
リ
ヤ
は
炭
酸
ガ
ス
濃
度
を
知
ら
せ
る
検
知
器
と
し
て
犠
牲
に
な
っ
た
。
今
、
地
球
も
関
わ
り
な
く
、
生
物
す
べ
て
に
と
っ
て
不
都
合
な
真
実
に
違
い
な
い
。
米
国
前
副
大
統
領
ア
ル
・
ゴ
ア
さ
ん
の
『
不
都
合
な
真
実
』
を
観
た
。
か
つ
て
カ
ら
が
生
存
す
る
生
態
系
破
壊
の
真
実
は
、
神
を
信
じ
る
人
も
信
じ
な
い
人
(8)
☆
☆
不
都
合
な
真
実
な
れ
ど
地
球
春
氷
河
動
く
地
球
が
食
べ
る
か
き
氷
俳
句
散
文
地
球
の
春
藤
本
数
博
り
に
し
て
、
贅
沢
を
享
受
し
続
け
て
き
た
共
犯
の
罪
は
免
れ
な
い
が
、
自
た
。
夏
は
ク
ー
ラ
ー
で
自
宅
に
避
暑
地
を
移
入
し
、
自
動
車
を
下
駄
代
わ
球
の
自
然
環
境
を
犯
し
続
け
て
き
た
物
質
文
明
の
横
暴
さ
に
思
い
至
っ
デ
ィ
シ
ュ
の
シ
ミ
ュ
レ
ー
シ
ョ
ン
を
見
な
が
ら
、
路
上
に
押
し
倒
し
て
地
海
面
上
昇
で
海
に
呑
ま
れ
て
い
く
フ
ロ
リ
ダ
、
オ
ラ
ン
ダ
、
バ
ン
グ
ラ
る
の
だ
ろ
う
か
。
2007 年(平成 19 年)7 月 1 日
放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 14 号
(9)
公開コンサート
6月28日
オペラ歌手の当重茜さん、ピアニストの伊原敏行さんをお迎えして、第一講義室において大阪同窓会
为催の公開コンサートを、開催しました。
第1部カンツオーネとナポレターナ、ショパンのピアノ曲より独奏、季節の歌。第2部
師より
オペラ
セビリアの理髪
ピアノ独奏など。季節の歌では、浜辺の歌を全員で合唱しました。
会場は、120人の来場者で和やかな雰囲気と感動に包まれました。
再
認
識
し
た
。
アンケートにお答え頂きました中から一部をご紹介いたします。
た
。
楽
し
い
時
間
を
有
難
う
。
ら
し
か
っ
た
。
心
に
ゆ
と
り
が
持
て
た
と
感
じ
ピ
ア
ノ
も
素
晴
伊
原
先
生
の
行
っ
て
み
た
い
で
す
ね
。
お
よ と お 二
か て 話 人
っ も が の
た
。
た
。
ま
た
コ
ン
サ
ー
ト
に
歌
声
に
涙
が
出
て
来
ま
し
の 日
良 本
さ の
を
歌
曲
当
重
先
生
の
素
晴
ら
し
い
こ
と
が
で
き
た
。
い
ま
す
。
し
て
来
ま
し
た
。
を
知
り
楽
し
み
に
な
会
が
あ
る
こ
と
近
く
で
こ
の
よ
う
も
よ
か
っ
た
。
開
催
し
て
く
だ
さ
い
。
よ
か
っ
た
。
ま
時
間
を
有
難
う
た
ぜ 。
来
ひ て
い
た
の
が
と
て
で
聞
か
せ
て
頂
素
晴
ら
し
い
幸
せ
な
9/10
曲
の
説
明
の
後
声
に
感
動
し
て
を
身
近
に
感
じ
る
し
か
っ
た
。
オ
ペ
ラ
カ
ル
メ
ン
素
晴
ら
先
生
の
素
敵
な
歌
声
に
し
び
れ
た
。
た
で
す
。
あ
り
が
と
う
。
ノ
の
先
生
も
素
晴
ら
し
か
っ
る
こ
と
が
出
来
ま
し
た
。
ピ
ア
こ
み
、
肩
を
は
ら
ず
に
聴
き
入
て
い
る
者
に
す
ー
っ
と
と
け
ま
し
た
。
ま
た
、
話
術
も
聞
い
素
晴
ら
し
い
歌
声
に
感
激
し
美
し
い
当
重
先
生
の
素
晴
ら
し
い
2007 年(平成 19 年)7 月 1 日
放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 14 号
(10)
新入会員ご紹介(敬称略)
青木信治
赤井喜子
池田貴佐夫
稲垣泰男
内田信次
浦川和恵
江島やよい
沖津和也
川原はる美
粕井貫次
川口敏哉
国中光代
小林由美子
佐治喜久子
新立裕子
高木勝久
竹浦久司
直木博子
中野洋子
中村恵美子
濱田きぬ子
濱田万里
原
藤井千里
松井政博
水方智子
宮内秀樹
森
矢吹
山田
敏
治子
康眞
格
行事予定
◎ 9 月 22 日
◎秋
卒業祝賀懇親会
ミニ研修旅行(土日実施のご希望がありましたので、日時・行き先等検討中です。
)
お知らせ
大阪同窓会の活動は、放送大学同窓会連合会ホームページにも、ニュース投稿しています。随時イベントなどを
お知らせしていきますので、ぜひネットでもご覧ください。又、近々、独自のサイトも開設する予定です。どうぞ
ご期待ください。
☆
放送大学同窓会連合会のホームページアドレス
http://uair-dosokairengo.net/
会報は年2回発行です。原稿は随時受け付けております。ご感想、ご意見、紀行文など、手書きでも CD でも結構
です。郵送(同窓会広報宛)6階事務所メール BOX に投函等の方法で、ご寄稿下さいますようお願いいたします。
編集後記
今回もお時間を割いてご寄稿くださいました方々に、心より厚く御礼申し上げます。
各地で豪雨による被害が報道されていますが、地域によっては水不足も心配されています。ユニセフによ
りますと、世界中で安全な水が得られないために、1日4千人以上の子供たちが命を失っているそうです。
せめて毎日の生活の中で、水を大切に心がけていきたいと思います。
(橋本鈴代)
今年の梅雨は少し遅れて来ました。梅雨の時期、植物たちは瑞々しく気持ち良さげですが、湿気や気圧の
変化により体調を悪くされる方もおられます。かくいう私もご他聞に漏れず。皆様、ご慈愛くださいね。
今回も慌しく紙面をまとめることになりました。限られた紙面にギューっと情報を盛り込むのは、結構難
(宮田敬子)
しいですね。皆様のアイデアをお待ちしております。
【連絡先】〒543-0054 大阪市天王寺区南河堀町 4-88
(大阪教育大学天王寺キャンパス内)
放送大学大阪学習センター内
大阪同窓会
10/10
広報宛