階段教室について - 大阪医科大学

階段講堂の謎
『別館』を国の有形文化財に登録し、
そこに歴史資料館を設置することになっ
たのは、21 世紀に入り大きな変化を求め
られる時代が到来したからです。私たちの
先人の理念の根底にあるものを顕彰し、時
宜に応じて私たちの置かれている位置や
進むべき方向を明らかにするために別館
修復事業と歴史資料館設置事業を行いま
した。数千年前の先人の言葉が語り継がれ
今でも引用されることからも分るように、先人の理念の根底にあるものは私た
ちが現在置かれている位置や今後向かう方向を示唆してくれる極めて重要なも
のです。社会の制度や構造にどのような変化が起るかを具体的に示すことは難
しいですが、如何なる変化が起きようとも、人々の置かれている位置と向かう
べき方向について人々が集い語らうとき、先人たちの理念の根底にあるものが
何かを伝えてくれると考えています。
今回の階段講堂の復元・修復工事をもって、修復事業と設置事業は完了い
たしますが、今後は文化財である『別館』とそれを守る歴史資料館の維持事業
を継続いたします。本館といたしましては「先人たちの理念の根底にあるもの」
を第一義としますが、大上段に構えるだけでなく、内外の方々にはヴォーリズ
の建築物として、卒業生には友人たちと出会った懐かしい想い出の場として、
気軽にご利用いただければと存じます。そのひとつの例として、以下に『階段
講堂の謎』をご紹介いたします。
かつて(大正の始め頃)川端康成
が ランニングをしたという八丁松原
に隣接して大阪高等医學専門学校
『別
館』は昭和 3 年に建築されました(資
料1)。1・2階吹き抜けの階段講堂
は、建築当時からそれぞれの時代のニ
ーズに合わせて改造を重ね利用され
てきました。当時の様子を示す資料は
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少なく、建築会社に残されていた設計図と同時期に建築された本館や解剖館の
階段講堂の写真を手がかりにして、
(財)文化財建造物保存技術協会のご指導を
得ながら復元いたしました。建築当時の教育施設には「バリアフリー」という
考え方はなく、急峻な階段に机と椅子が固定されていました。文化財の内部で
あるとの観点から、建築当時の雰囲気とその後に加えられた改造をあわせて復
元いたしましたので、現在の教育施設に求められるバリアフリーは達成できて
おりません。現在の教育施設としての利用には限界がありますが、支障のない
範囲でご利用いただければと思います。
さて、大阪高等医學専門学校や旧制大阪医科大学、新制大阪医科大学の講
堂・教室として利用されていた『別館』
が看護専門学校校舎になった昭和 50 年
頃以降には、階段講堂の机や椅子は取り
払われ、書架が置かれて、図書室として
利用されていました(資料2)。その後、
平成 6 年に本館・図書館棟の建築により、
医学部図書館と看護専門学校図書室が統
合され、図書室が不要となったため、階
段講堂の中腹に床を張って、1階と 2 階
に分け、大研修室、倉庫や休養室、更衣
室などに用いられていました。
国登録有形文化財
『大阪医科大学 別館』の
修復・復元工事の最中に、
この1階の階段講堂の構
造にいくつかの謎が浮か
び上がりました。今回の
工事では、昇降通路を講
堂中央に復元しましたが、
設計図(資料3)ではこ
の通路は存在せず、中央
は一続きの机と椅子が設
置されることになってい
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たようです。ところが、修復・復元工事直前まで張られていた床を剥がすと、
通路は中央線から西にずれて設置されていたのです(資料4)
。看護専門学校図
書室として利用していた頃の写真(資料2)に見られるように、席数が左右で
異なっています。この通路が図書室として必要のなかった最上段まで続いてい
ますので、少なくとも図書室の設置より前、すなわち階段講堂として使ってい
た頃からこの通路は存在したことになります。
このずれをそのまま残すか否かを検討した結果、修
復設計者の意向を入れてシンメトリーになるように通路
は中央に設置(資料5)されましたが、通路が中央から
西にずれていた謎は残りました。この謎に関して、修復
設計者を含めた関係者で議論して、いくつかの答えを得
ることが出来ました。そのひとつは、中央に通路がある
と登るときに教壇にお尻を向けることになるため失礼だ
と考えたのではないかというものです。もうひとつは、
もともと正面の机は一続きの机と椅子であり、偶数席(最
前列は 6 席)取られていた。1席分の幅の通路を中央に
求めると、左右に半席ずつ残り、結局 2 席分のスペース
が失われることになる。そこで、1席分だけを撤去して
作る通路は、中央から左右どちらかに寄せる必要があっ
たというものです。実際に復元してみて、資料5のよう
に階段と机の間に左右半席ずつ空間が出来てしまいまし
た。これを見て、当時の人々のスペースマネージメント
への思慮に気付きました。そんなわけで、私としては後者の説がもっともらし
いと感じるのです。
他にもこの通路は竣工時には存在しなかっ
たのか、建築中に設計変更されたのか、それと
も竣工後に長い机と椅子では出入りが難しいこ
とが明らかになり改造されたのか、もし後日改
造されたとしたらいったい何時改造されたのか、
なぜ東にずらさず西にずらしたのか、この講堂
で行われた講義はどのような授業科目であった
のか等、この講堂には様々な謎があります。卒
業生の皆様のご協力を得て、これらの謎を明か
すことが出来ればと考えています。
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最後に、国有形登録文化財『別館』とそこに設置された大阪医科大学歴史
資料館は学校法人大阪医科大学の設置目的とその基盤になる理念やその法人が
設置する教育施設の目的を顕彰することによって、医学医療の在るべき姿を模
索する場として利用いただきたいと思っていますが、日々の生活の中ではここ
に示したようなちょっとした事柄に目を向けて楽しむことも大切であると思い
ます。皆様には今後とも何らかの形で『別館』や歴史資料館をご利用いただき
たく改めてお願い申し上げます。
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