はじめに震災で亡くなられ た方への1分間の黙とうが捧 げられました。 水戸部秀利理事長と新入職 員代表の伊藤佳菜看護師のあ 宮 城 厚 生 協 会 は、「 命 の 平 いさつ(概要)を紹介します。 等」をかかげ約 年の歴史を 持 つ 医 療・ 福 祉 の 事 業 体 で す。現在4病院 診療所、 4 月 1 日 に、 坂 総 合 ク リ 訪問看護ステーション、6ヘ ニック 1号館 8階会議室で ルパーステーションで事業を 「宮城厚生協会新入職員集会」 行っています。1100名余 が開催されました。 の職員と、3万5千人あまり 震災の影響で参加困難な職 の共同組織の力に支えられて 員もいるために、従来のよう います。 に一同に会しての「辞令交付 震災直後から、それぞれの 式」はできず、今回は集会と 事業所は、全日本民医連の大 なりました。この日は新規採 勢の仲間の支援を受けなが 用者 名中 名が参加しまし ら、「 命 と 生 活 の 砦 」 と し て た。 地域の方々と共に、走り続け ています。 同時に、被災された地域の 人々の救援のため、連日、避 難所や地域を回り、健康面の 管理の手助けをしてきまし た。 被災から3週間。災害救急 救命中心の医療から、被災者 の生活を支え、劣悪な環境で の災害関連死や病状悪化を防 ぐ予防活動が次の重要な課題 になっています。 今回の震災は、長い道のり 2011年5月21日 第 307 号 あいさつする水戸部理事長 70 3月 日、戦後最大の地震 とその後の巨大津波が東日本 太平洋岸を襲いました。たく さんの命が奪われ、かろうじ て生き残った方々も家族や生 活基盤を失いました。いまだ、 93 11 第307号 厚生協会だより ()2011年5月21日(土) 瓦礫や冷たい海の中で、行方 不明になっておられる方もた くさんおります。引き続く原 発事故のため、捜索すらでき ないままになっている地域も あります。 犠牲者への黙とうが捧げられました 11 60 11 の復興になります。さらに原 発事故も重なり、先の見通せ ない状況もあります。 今日4月1日は、みなさん の「社会人としてのスタート」 と「 地 域 の 復 興 の ス タ ー ト 」 の二つが刻み込まれる重要な 日です。そのような中で、み なさんに、二つの事をお願い します。 一つ目は、専門職として緒 先 輩 か ら 学 び「 困 っ て い る 人々に寄り添い、ともに歩む」 という民医連職員としての 魂・原点を学び引き継ぎ、被 災された地域の方々の生活再 建に力を貸してほしいことで す。 二つ目は、この災害の復興・ 再生は、単に元に戻すのでは なく、日本のあり方を根本か ら問いかける再生が必要であ り、それを担っていくのが皆 さんたちであり、そういう自 負を持っていただきたいとい うことです。 ともに力を合わせ、困難を 乗り越えましょう。 11 10 景。私の育った場所はありま せんでした。涙と震えが止ま り ま せ ん で し た。 ぐ し ゃ ぐ しゃになり逆さになった車が あふれ、家の屋根や瓦礫の山 が辺り一面に広がり、私の帰 る場所はどこにもありません でした。家は基礎しか残って いません。 族と新しい場所で生活を始め ています。 悲しい事に、今の環境に慣 れ、落ち着くと、時間と共に 記憶は薄れてしまいます。引 きずってばかりはいられない けれど、忘れたくない、忘れ てはいけないと強く思ってい ます。 大切な人を亡くした人、家 や故郷を無くした人、地震の 恐 怖 に 怯 え た 人、 沢 山 の 人 3月 日。私は学校のあ ず、 今 ま で の 普 通 の 生 活 が、 忘れてはいけない る石巻にいました。海が近 どんなに幸せだったか実感し くない場所でも、一帯が浸 ました。3年間の通学路や町 「 人 の た め に な る 仕 事 が し 水 し 4 日 間 外 に 出 ら れ ず、 並み、学校生活の想い出の場 たい」と思い志した看護師へ 食料や水などの入手は困難 所はどこにもありません。 の道。いざ災害が起きてみる でした。1週間以上経って 若林区荒浜に実家がありま と何もできない自分。そんな もライフラインが復旧せ す。地震から 日目に見た光 自分が無力で悲しくて情けあ りませんでした。私はいま家 あいさつする伊藤佳菜看護師 第307号() 厚生協会だより 2011年5月21日(土) が被害に遭いました。しか し同時に、人の温かさ、繋 がりを感じることもできま した。失ったものは多すぎ て、大きすぎますが、その 中でも得たものはあるはず です。 「笑顔は無敵」 笑顔は伝染する たくさんの辛い・悲しい・ 苦しい思いをしたからこ そ、私たちにはその思いを 分ってあげることができる の で は な い か と 思 い ま す。 一人一人ができることは ちっぽけでも、それが集ま ると大きな力になります。 「笑顔は無敵」。笑顔は伝 染すると思います。だから こそ、私は笑顔のある、そ して与えられる看護師にな りたいと思います。 今回の経験を今後の看護 活動に活かせるよう、精進 していきたいと思います。 これからの未来に、たく さんの笑顔がありますよう に…。 長町病院附属クリニックの 長町病院副事務長 花木かよ子 年の歴史に幕を閉じる 大震災被害状況と今後の対応 ◥歩み 地域予防拠点と併用の疾病予 防施設も作られていました。 ◥損壊状況 4棟各々の間のエキスパン ション・ジョイント部が全階・ 全位置で損壊・大破。棟間の 床段差が生じ、棟の浮沈、梁 の損傷もみられ、築年数など か ら 再 利 用 を 断 念 し ま し た。 日当日は、通所の利用者 50 健診センターは、一時避難 していたクリニック隣の川熊 対応状況 ◥それぞれの機能の 数名含め患者、職員が無事避 難できたことが何よりでし た。建物内の貴重な財産の病 院側、倉庫への引越し作業も 全国の皆さんの支援も得て進 んでいます。 クリニックの建物も 年の歴史に幕を閉じます。解体工事も開始となりま したが、懐かしい元職員のみなさんが激励がてら訪棟してくれています。 40 1971年にこの地に病院 完成(中央棟。長町1丁目か ら 移 転 )。 1 8 8 2 年 に 増 築 (医局・放射線・生理検査側)、 1988年に増築(総務・管 理 部 側 )、 1 9 9 9 年 に 現 在 の長町病院の新築と同時に耐 震補強しつつ、附属クリニッ クとなりました。2008年 に仙台市からの補助金もあり 40 11 第307号 厚生協会だより (3)2011年5月21日(土) マンション2Fから泉病院付 属1丁目クリニックの2Fに 移り再開しています。 附属歯科は、4月一杯、同 じく隣のマンション2Fで臨 時ユニットを稼動させ、往診 を展開していましたが、クリ ニック廃止により、古川民主 病院歯科に職員が移動しまし た。歯科衛生士2名が長町病 院に移り、摂食機能訓練指導 や仙台市委託事業などに関わ ってもらう予定でいます。 長町訪問看護ステーション ほほえみは、長町病院裏の橋 本 ハ イ ツ 3 F の 1 室 を 借 り、 ながまちヘルパーステーショ ンは、医師駐車場の大家さん の空家となっている一軒家を 間借りし、事業継続していま す。ほっと亭もそこで配食サ ービス開始しています。介護 システム端末、ISDN回線、 いくつかのFAX機器も足り ず共用しています。 附属クリニックとして実施 していた通所サービス3単位 分は、1単位分のスペースを 病院5Fリハスペースの一角 に移動し、5月から新規通所 リハとして再開させました。 疾 病 予 防 施 設 の び の び は、 閉鎖し、機器を坂のびのびや 通所に提供しましたが、健康 運動指導士1名は在籍し、糖 尿病の運動指導を病棟ローカ やデイルーム、外出訓練など で継続すると同時に、仙台市 の特定高齢者通所事業を病院 に契約変更し、3階病棟デイ ルームでの実施に力発揮して もらっています。 在宅看護室、ケアマネ室は 5Fの言語訓練室を間借り し、継続業務実施しています。 訪問系は歩いて自転車で在宅 の要援護者に食料含め物資届 けにも奔走しました。 友の会室はクリニック隣の 川熊マンション2Fに移って います。旺盛に展開していた サークル活動は病院横の蛸薬 師境内の集会場などをお借り し、開始しているものもあり ます。さらに病院5Fの通所 スペースも土日活用し、運動 教室やうたごえなどに活用予 定でいます。 附属クリニック外来診療 は、病院1階のスペースを改 修し、診療単位も午前から午 後に移すなどして、継続して います。予約が4月末から実 施できるようになり、定期検 査も開始となりました。 検体検査室は生理検査室と 一緒になり、病院旧リハ外来 を改修し引越し完了していま す。放射線室の一角は、レン トゲンフィルム庫になりまし た。健診業務も健診センター 移動により、システム購入と 同時に病院に契約移行し、機 能整備を開始しています。 まだ、事務長室や看護部長 室、健康管理室など多くの事 務 所 機 能 が 独 立 途 上 で す が、 他部署と共存し、稼動してい 大震災 若林クリニックの取り組み 46 若林クリニック事務長 カルテ棚が倒れる音。パソコ ンが、プリンターが倒れ、破 損 す る 音。「 ガ シ ャ ー ン 」 と ガ ラ ス が 割 れ る 音。「 ま た 揺 れた!」繰り返す強い余震。 ます。 ◦ ◦ ◦ ◦ ◦ ◦ クリニック棟の跡地利用に 関しては、職員間の議論を開 始しています。友の会はじめ 地域の皆さん、協会・県連内 の議論で展望を切り開きたい と考えています。 「 在 宅 患 者 さ ん の 安 否 確 認 を し な け れ ば 」。 職 員 で 分 担 六郷小学校に避難 ◥全員が走って 加藤 隆雄 地域に寄り添い、励ましあい ながら、診療所として求めら れる役割果たす 3月 日(金)午後2時 分。 マ グ ニ チ ュ ー ド 9・0。 過去に経験したことのない激 し い 揺 れ。「 ク リ ニ ッ ク が 倒 壊 す る 」 と 脳 裏 を 過 ぎ っ た。 11 第307号(4) 厚生協会だより 2011年5月21日(土) し、 訪 問 す る 計 画 を 立 て た。 し か し、 そ の 直 後、「 津 波 が 来る。六郷小学校への避難指 示 が 出 た。 早 く! 早 く!」。 近隣住民(顔見知りの患者さ んも)が、クリニックに走っ て来た。在宅患者さんの安否 確認は断念し、職員全員が走 って六郷小学校3階に避難し た(その直後、海岸周辺地域 が壊滅的な被害を受けたこと を、後で知った)。 ◥とても書ききれない 悲惨な対話ばかり 3 月 日( 月 ) 早 朝 か ら、 患者さんが駐車場に列をつく って待っていた。しかし、ク 14 第307号 厚生協会だより (5)2011年5月21日(土) リニック内は足の踏み場もな いほど機器や医療材料、カル テなど散乱。診療システムが 破損し、過去の診療内容がわ からない。レントゲン設備も 使用不能になっていた。 ◦ ◦ ◦ ◦ ◦ ◦ 「 着の身着のまま非難した」 「津波と車で競争して逃げた」 「○○さんは元気だ」 「家族の 安否が不明だ」 「自宅が倒壊し 何もなくなった」 「街全体がす っかりなくなった」など、来 院患者さんの多くが住む家を 失い「避難所生活」 。家族別々 の避難所で生活する患者さん もいる。とても書ききれない 悲惨な対話ばかり。甚大な大 震災だったことを物語る。 ◦ ◦ ◦ ◦ ◦ ◦ つばさ薬局若林店も大きな 被害を受け、薬品確保も困難 な状況にあるが「なんとかし て、定期薬は処方できるよう にしよう」と確認。平尾所長 を先頭に、クリニック待合室 での診療を開始。しかし、ガ ソリン供給不足は極めて深 刻。職員全員がそろって出勤 できない。分乗通勤や日毎の 交代通勤で最低限の職員で診 療を継続。 職員5名「感謝の言葉があり ません」。 ◦ ◦ ◦ ◦ ◦ ◦ ◥感謝の言葉が 震災から1ケ月半が経過 ありません し、遅れていた「ガレキ」撤 震 災 直 後 か ら、 長 町 病 院、 去 開 始。 し 県連、他県連の皆さんの支援 か し、 来 院 を受け「在宅患者、ケアマネ 患者さんや 利 用 者、 気 に な る 患 者 さ ん 」 地 域 の 皆 さ の安否確認と臨時往診。近隣 ん が、 肉 体 の避難所への訪問と出張診 的 に、 精 神 療。クリニック職員だけでは 的 に、 そ し とても動かせない機器移動と て経済的に 復旧作業。散乱したカルテ整 も安心でき 備など実施できました。その る日常生活 後も、継続的な地域訪問や物 に戻れるま 資支援などのご支援をいただ で は、 ま だ いています。若林クリニック まだ時間が かかりそう で す。 長 期 間の復興活 動となるで しょう。 この地域 に存在する 「民医連診 療所」とし て、 今 こ そ 地域に寄り 添 い、 互 い に励ましあ いながら、診療所として求め られる役割を、地道に、粘り 強く果たさなければならない と考えています。 通勤時間によく読書をしています が、乗り過ごしてしまうほど入り込 んでしまう、そんな面白い本にはな か な か 出 会 え ま せ ん。 そ ん な 中 で、 最近読んだお薦めの本を何冊かご紹 介いたします。 1冊目は、今野敏著「隠蔽捜査」。 題名のとおり警察物ですが、不器用 な男の生き様とその周りの登場人物 が小気味よく描かれていて、読者を あきさせません。続編で「隠蔽捜査 2、3」 も 出 版 さ れ て い ま す の で、 こちらも是非。 2冊目は、百田尚樹著「永遠の0」。 結末が感動的に描かれる、一人の戦 闘機乗りの物語。昨年の本屋大賞受 賞作品です。他に高校ボクシングの 世界を書いた「ボックス」も読みや すく、最近注目の作家です。 最 後 に、 さ だ ま さ し 著「 解 夏 」。 美しい歌を作る人は、こんなにも美 しい物語を書けるんだなぁ。映画に もなった表題作 のほか、短編集 ですがどれもハ ンカチなしには 読み 進めない感 動作です。お暇 な 時 に ど う ぞ。 2 月 中 旬 に、 坂 総 合 ク リ ニ ッ ク 1 号 館 8 階 会 議 室 で、 広瀬俊雄先生(錦町診療所長・ 産業医学センター所長)をお 招きし、職責者を対象に標記 学習会を開催しました。保健 企画など別法人も含め約 名 が参加しました。 ●今回の目的 法人各事業所において、心 の健康を害し休業に至る職員 が 減 ら な い 現 状 等 を 踏 ま え、 職場でのストレス(パワハラ 含む)に起因する職員の精神 60 事例を各グループで検討 第307号() 厚生協会だより 2011年5月21日(土) 気・ や る 気 が 落 ち て い な い か、「 職 場 状 態 を 評 価 」 し メ ンタル障害につながる「要因 を 減 ら す 」。 * 職 場 診 断 や う つ状態のチェックポイントに ついて、労働時間が長くなる とストレスは高くなり、睡眠 が5時間を切るとメンタル障 害はじめ健康障害発症が高く なる。*労働条件を改善する ことで半分に減らせることが できる。*個人でなく職場と いう要因に目をつけることが の健康悪化を防ぎ、健康で働 き続けられる職場づくりの要 となる職責者の役割を重視 し、今回の学習会を企画しま した。 学習は、講義だけではなく、 「より身につく勉強の仕方」 にこだわり、5グループに分 れ事例について復職のための 解決策を検討しその結果を発 重要。また、すぐできる事と 抜本対策は別、後日に今後相 談していくことを伝えるのが 大事。等々、触れられました。 ・ ・ ・ たくさんのヒント、元気の 出る講演でした。 今後も同様の学習会を企画 し、すべての職責者の修了を めざし、健康で働き続けられ る職場づくりを、職責者の意 識づくりから進めていきたい と考えています。 ● 学 習 内 容「 グ ル ー プ での事例に基づく演 習」と「学習講演」 表しあいました。 ・ ・ ・ その後、広瀬先生から検討 結果へのコメントや、健康で 働きがいのある職場づくりと 職責者の役割についての講義 がありました。以下概要をメ モ的に紹介します。 *6割の同僚・部下は、「強 いストレス」を感じながら働 いていることを認識すること が大事。*仕事の量は過重に な っ て い な い か、 職 場 の 活 広瀬先生が講演
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