1 (公財)長岡京市埋蔵文化財センター 2図 鞆岡廃寺の範囲想定図 第 59 回文化財講演会 平成 26 年 7 月 12 日 右京第 244 次調査 幻の鞆岡廃寺に迫る 小田桐 淳 1.はじめに 古瓦採集の歴史 2.鞆岡廃寺の沿革 崖 丘 段 ・7 世紀末〜 8 世紀前半頃の創建 弟国郡鞆岡郷(or 長井郷)の豪族寺院(田辺史氏) 『弟国評鞆岡三』(藤原京出土木簡) 八幡市志水廃寺境内瓦窯との関係 ・長岡京期 (丹波街道) ・長岡京廃都後 百済王氏との関係 嵯峨朝頃まで存続か ) 道 街 女 集 物 ( 京内にあり官寺化 3.飛鳥・奈良時代の道路 (丹波街道) = 古山陽道・山崎→(丹波街道)→古山陰道・大枝 (物集女街道) ・道路と鞆岡廃寺 4.長岡京と鞆岡廃寺 ・鞆岡廃寺の官寺化 大量の都城系軒瓦の出土 ・京内官寺としての役割 早良親王を幽閉(乙訓寺):政治利用 「京下七寺読経」:宗教利用 (都の入り口としてのモニュメント的存在) 5.まとめ ・鞆岡廃寺の地理的な位置が重要 京都盆地の入り口、長岡京の入り口にあたる (参考:平安京の東寺、西寺 中・近世の勝龍寺城) 1図 平安時代の遺跡と郷名 (『長岡京市史 本文編一』より) 右京第 129 次調査 右京第 616 次調査 2 3図 鞆岡廃寺出土の軒瓦1(飛鳥〜奈良時代) 4図 鞆岡廃寺の軒瓦2(長岡京期の搬入瓦) 4-1 1 4-2 難波宮式 5 藤原宮式 2-1 2-2 2-3 6 8 3-1 7 9 平城宮式 3-2 3-3 3 ) 道 街 女 集 物 ( 延暦十 延暦九 延暦八 延暦七 延暦六 延暦五 延暦四 延暦三 791 790 789 788 787 786 785 784 延暦十三 藤原種継暗殺される 早良皇太子、乙訓寺幽閉 9/23 夫人・藤原旅子死去 安殿親王立太子 9/28 11/25 陰道 古山 (丹波街道) 延暦十一 792 6図 藤原種継暗殺後の経過と寺院の利用 皇太后・高野新笠死去 5月 山背国内諸寺の塔を修理 安殿皇太子病気 京下七寺で読経 皇后・藤原乙牟漏死去 9月 閏3月 12月 占いで早良親王の祟りと出る 4月 天皇、宮解体のため東院に移る 平安京造営開始 大雨により洪水 雷雨により式部省の南門倒壊 1/21 1/15 8/9 6月 6/10 11-2 10-2 (種継暗殺とその後) 延暦十二 793 794 7図 飛鳥・奈良時代の古道と寺院 5図 鞆岡廃寺の軒瓦3 10-1 11-1 長岡宮式 12-1 12-2 4 8図 長岡京期の道路と寺院(10 年間での完成予想図を元に作図) (物集女街道) 國下多美樹 (2013) に加筆 9図 京都盆地北部の道路と寺院(奈良時代〜平安時代) 道 山陰 道) 波街 (丹 ) 女街道 (物集 ( 丹 波 街 道 ) 陰道 古山 ) 道 街 女 集 物 ( (丹波街道) 陰道 陽道 古山 古山 山 陽 道
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