新 年 祝 詞 - 亀井神道流 西日本吟詠会

第 55 号
平成 2 6 年 1月1日
亀井神道流 西日本吟詠会総本部 広報部
題字:波多江啓峰
新年祝詞
西日本吟詠会 顧問
太宰府天満宮 宮司
西高辻 信良
平成二十六年の新春を迎
え 、謹 ん で 御 皇 室 の 弥 栄 を
ご祈念申し上げます。
併 せ ま し て 、会 員 各 位 の
ご平安とご多幸を衷心より
お祈り申し上げます。
さ て 、昨 年 は 伊 勢 の 神 宮
様で二十年に一度の式年遷
宮 が あ り 、出 雲 大 社 で は 六
十 年 に 一 度 、ま た 熱 田 神 宮
では千九百年大祭が斎行さ
れ る な ど 、日 本 に と り ま し
て大変めでたい節目の年で
あ り ま し た 。当 宮 に お き ま
し て は 、御 祭 神 で あ り ま す
﹁ 菅 原 道 真 公 ﹂が 亡 く な ら
れ 、神 様 に な ら れ て 一 一 一
一 年 の 佳 年 を 迎 え 、宝 満 山
に鎮座する竈門神社は太宰
府 都 城 建 設 に あ た り 、そ の
鬼門除けのためにはじめて
祭祀が行われて一三五〇
年 。全 国 の 神 社 に 多 く の 参
拝 者 が 訪 れ た の は 、こ の 国
薄化粧の太宰府天満宮太鼓橋
があらためて本物の日本人
探しをしている表れだと確
信致します。
本 年 、平 成 二 十 六 年 は 大
宰府政庁が設けられて千三
百五十年を迎えます。
私 共 は 、本 年 を 来 る 十 四
年 後 に 迎 え る﹁ 菅 公 御 神 忌
千 百 二 十 五 年 大 祭 ﹂に 向 け
た本格的なスタートを切る
年 と 位 置 付 け 、新 た な プ ロ
ジェクトチームを立ち上げ
る 予 定 で ご ざ い ま す 。さ ら
に本年は九州国立博物館に
おきまして一月十五日より
三 月 九 日 ま で﹁ 国 宝 大 神 社
展﹂が開催されます。全国の
お 社 の 御 神 像 、御 神 宝 が 一
斉 に 集 ま る こ と は 、滅 多 に
な い こ と で あ り ま す 。会 員
の 皆 様 、是 非 と も お 足 を 運
ばれ神々の気配と御利益を
戴いてほしいと存じます。
最 期 に な り ま し た が 、貴
会のご隆盛はめざましく会
員数も一〇〇〇名を超えら
れ 、素 晴 ら し い 活 動 を さ れ
ていることに心から敬意を
表 し ま す と 共 に 、今 秋 に は
目出度く創立八十五周年記
念大会が開催されると聞い
て お り ま す 。宗 家 を 中 心 と
さ れ 、大 会 の 成 功 と 御 一 門
の益々の弥栄と会員各位の
ご 活 躍・ご 健 勝 を 心 よ り ご
祈念申し上げ新年のご挨拶
といたします。
義将詩歌伝 上
・
もろ びと
すえ なが
おのずか
ふう りゅう
だん だん
琴に非ず 瑟に非ずして
しつ
おも
﹁独り他郷に在りて 旧遊を憶う
如 水 は 、長 政 に 家 督 を 譲 っ た 後 、 太 宰 府 天 満 宮 境 内 に 、仮 住 ま い を 設
け 、度 々 、茶 会 や 連 歌 の 会 を 催 し た
と伝えられるほどの歌人でもあり
ました。
﹁ 福 岡 ﹂の 地 名 が 初 め て 登 場 す る
次 の 和 歌 も 、太 宰 府 在 住 中 の 作 と 伝
えられています。
まつ うめ
ふく おか
﹁松梅の 末長かれと みどりたつ
さと
山よりつづく 里は福岡﹂
自ら風流なり 団団 影は落つ
じん かん いち よう
前 田 利 家 の 甥 と し て 知 ら れ 、勇 猛
に し て 且 つ 、文 武 両 道 を 備 え た 風 流
人として多くの文化人と交流を重
将島津忠長らからも絶賛されたほ
どでした。
天 正 十 三 年 、戦 い の 途 中 、高 良 山
の 陣 中 で 病 に 倒 れ た 宗 茂 の 義 父 、立
花 道 雪 は 、義 将 ら し く 、次 の 辞 世 の
句 を 残 し て い ま す 。 ね 、漢 詩 、和 歌 に も 造 詣 が 深 か っ た
と言われています。
﹁ 我が京洛の友を夢む ﹂と題した七
言絶句に慶次郎の非凡な詩才を伺
い知ることが出来ます。
こう ろ
がた
くも
ほう ゆう
い
いわ や
こう ちん
さむ
⑦
こ
﹁ 屍
をば 岩屋の苔に 埋めてぞ
かばね
﹁憂きことの なおこの上に
積もれかし 限りある身の
力ためさん ﹂
う
中国戦線における義将としては、
尼 子 氏 の 再 興 を 願 い 、忠 義 を 貫 い た
山 中 鹿 之 助 が い ま す 。有 名 な 次 の 和
歌 な の で 、ご 存 じ の 方 が 多 い と 思 い
ま す が 、こ の 和 歌 は 鹿 之 助 の 義 将 振
り を 語 り 伝 え て い ま す 。 慶次郎自筆短冊
鐘の音のみ 夕波の上 ﹂
﹁吹く風に 入江の小舟 漕ぎ消えて
お ぶね
又 、自 ら 連 歌 会 を 催 す な ど 、和 歌
に も 堪 能 で﹁ 船 、江 を 過 ぐ ﹂と 題 し
て 、次 の よ う な 歌 を 残 し て い ま す 。
破窓一宿 短衣 寒し﹂
は そう いっしゅく たん い
我 朋友を夢む 高枕の上
われ
遙かに 故郷を隔てて 涙 乾かず
かわ
﹁東に向かい 北に去って 行路 難し
次 に 、景 勝 と 兼 続 に 心 酔 し 、戦 国
か ぶ き もの
ば さ ら もの
時 代 の﹁ 傾 奇 者 ﹂又 は 、﹁ 婆 裟 羅 者 ﹂
と 呼 ば れ た 、前 田 慶 次郎 利 益の漢 詩
をご紹介しましょう。 こ へん
湖辺の月 天上 人間一様の秋﹂
は
又 、次 の 句 は 、如 水 の 辞 世 で す が 、
歌人としての資質の確かさを感じ
取ることが出来ます。
こと
﹁思いおく 言の葉なくて
兼 続 は 、こ の 漢 詩 を 作 っ た 元 和 五
年 の 暮 に 、五 十 九 年 の 生 涯 を 閉 じ ま
した。
まか
ついに行く 道は迷わじ
なるに任せて ﹂
次 は 、徳 川 家 康 も 恐 れ た と い う 猛
将で、
万人が義将と認める、
直江兼続
の 詩 を 繙 い て み ま し ょ う 。上 杉 謙 信
の 訓 育 を 受 け た 兼 続 は 、景 勝 に 生 涯
を 捧 げ た 文 武 両 道 の 武 将 と し て 、義
将の名前を恣にしています。
兼続は、
和歌よりも漢詩にその才能を如何な
く発揮しています。﹁織女別れを惜し
む ﹂は 、よ く 知 ら れ て い ま す が 、ま だ
まだ多くの優れた漢詩を賦していま
す。
その中から、
兼続の絶筆と伝えら
れ る﹁ 洛 中 の 作 ﹂を ご 紹 介 し ま す 。 もののふ
より降伏、
部下の命と引き換えに、
水
上にて切腹、
次の辞世を残しました。
うき よ
こけ
﹁浮世をば 今こそ渡れ 武士の
たか まつ
雲居の空に 名をとどむべき﹂
主 家 へ の 義 を 貫 き 、将 兵 達 の 救 命
と引き換えに我が身を投げ出した、
島 津 氏 の 九 州 制 覇 を 阻 ん だ 、紹 運
こと かた
とよ くに
二 人 の 武 将 の 辞 世 の 句 は 、文 武 両 道 ﹁異方に 心引くなよ 豊国の
と そ の 実 子 、立 花 宗 茂 は 、到 着 し た
かね
ゆ すえ
の義将としての清々しさを伝えて
鉄の弓末に 世はなりぬとも ﹂ 秀 吉 か ら 、﹁ 武 勇 鎮 西 一 、西 国 無 双 ﹂
い ま す 。大 河 ド ラ マ﹁ 黒 田 如 水 ﹂に 登
と 絶 賛 さ れ ま し た 。残 念 な が ら 、そ
場 す る と 思 い ま す 。注 目 さ れ た ら 如 天 正 十 四 年 、紹 運 以 下 七 六 三 名 の の 宗 茂 の 詩 歌 は 見 つ か り ま せ ん が 、
何でしょう。
将 兵 が 立 て 籠 る 岩 屋 城 は 五 万 の 薩 次の言葉に﹁義心﹂が溢れています。
さ て 、舞 台 を 、九 州 に 移 し て み ま 摩 軍 に 取 り 囲 ま れ ま し た 。再 三 の 降
しょう。
伏 勧 告 に も 応 じ ず 、善 戦 虚 し く 、七 ﹁いやしくも、
九 州 戦 国 史 上 、﹁ 大 義 ﹂に 殉 じ た 武 月 二 十 七 日 、全 員 玉 砕 し ま し た 。紹
そむ
義に背いて生きんよりは、
将 の 中 で 、高 橋 紹 運 を 筆 頭 に 挙 げ る 運 は 、次 の 辞 世 の 句 を 詠 む と 見 事 に
むし
し
こ と に 異 論 を 挿 む 人 は い な い で 切腹して果てました。
寧ろ死するに如かず ﹂
し ょ う 。又 、こ の 紹 運 に 加 え 、立 花 道
うず
雪 、立 花 宗 茂 の 三 人 が 義 将 と し て 並 ﹁流れての 末の世遠く 埋もれぬ
関ヶ原戦敗戦の戦国武将として
いわ や
した みず
び称されています。
唯一、大名へ 復帰した宗 茂は、﹁奇跡
名をや岩屋の 苔の下水﹂
衰え行く主家の大友家を見限る
の武将 ﹂と評 されました が、こ れは、
こ と な く 、薩 摩 の 大 軍 を 相 手 に 、最 尚 、紹 運 の 辞 世 は 、も う 一 首 伝 え ﹁ 義 将 宗 茂 ﹂の 面 目 躍 如 た る 言 葉 と
後 ま で 義 を 貫 き 通 し た 勇 将 達 は 、敵 られています。
して伝えられています。
名を高松の 苔に残して﹂
高橋紹運 肖像
今 年 の N H K 大 河 ド ラ マ は﹁ 軍 師
官 兵 衛 ﹂で す 。黒 田 如 水 ゆ か り の 地
で は 、昨 秋 あ た り か ら 、ブ ー ム に あ
やかろうと話題作りに取り組んで
来たのでご存知の方が多いことで
し ょ う 。豊 臣 秀 吉 に 天 下 を 取 ら せ た
名 軍 師 と し て 、中 国 古 代 の 諸 孔 明
に喩えられるほどの武将として知
ら れ て い ま す が 、私 達 愛 吟 家 と し て
は、むしろ如水の文武両道の﹁文﹂の
世界に興味を抱いています。
さ て 、下 剋 上 が 当 た り 前 の 戦 国 時
代 に お い て 、﹁ 義 ﹂を 貫 い た 武 将 を
﹁ 義 将 ﹂と 称 し て 敬 意 を 払 っ て い ま
す。その第一人者に、上杉謙信、景勝
父 子 を 挙 げ て も 、異 論 を 唱 え る 人 は
い な い で し ょ う 。謙 信 の 詩 歌 は 、余
り に も 有 名 で す の で 、こ こ で は 、省
略 し ま す が 、そ の 他 の 優 れ た 義 将 達
の詩歌をご紹介致しましょう。
先 ず は 、冒 頭 に ご 紹 介 し た 、黒 田
如 水 は 、第 一 級 の 軍 師 で あ る と 同 時
に 、秀 吉 へ の 忠 節 を 貫 い た 義 将 と し
て も 知 ら れ て い ま す 。 か
うら
秀 吉 軍 の 侵 攻 で 、毛 利 氏 に 殉 じ た
別所長治と清水宗治も義将に数え
ら れ る で し ょ う 。二 人 の 辞 世 を ご 紹
介します。
毛利方武将別所長治が守る三木城
は、
二年間の籠城の末、
天正八年遂に
落城しました。
長治は、
城主たる己の
命と部下の助命とを引き換えに切腹
して果てました。
享年二十三歳。
死に
臨んで次の和歌を認めました。
いのち
﹁今は只 恨みもあらじ 諸人の
命に代わる 我が身と思えば﹂
又、
同じく、
備中高松城城主の清水
宗治は、
天正十年、
秀吉軍の水攻めに
直江兼続の銅像
慶次郎所用鎧
立花道雪 肖像
黒田如水 肖像
鹿之助所用鎧兜
別所長治 肖像
清水宗治 辞世碑
平成26年1月1日発行( 2 )
第55号
第55号
( 3 )平成26年1月1日発行
明けまして
おめでとうございます
と思っています。
新 年に当たり、本 会にお
ける 昨 年一年 を 振 り 返って
見 ま す と、ま ず 、会 員 及び
指 導 者 皆 様のご尽 力によ
り 、会 員 数一千 名 を 維 持 す
ることが出 来 ました。高 齢
や病気で退会者が出ました
が、
会員募集活動が効を奏
し、吟 友 を増やすことが出
来たことは、
誠に意義深く、
ご同慶に堪えません。
又、毎日吟士権大会をは
じめ、西日 本 吟 士 権 大 会 、
太 宰 府天満 宮 杯 吟 士 権 大
まこと
きしています。
この秋には目出
度く記念の祝賀大会を開催さ
れるそうですが、
後援会員を代
表して、
心から祝意を表します
と共に、
馬年に相応しく大いに
駆け巡って、
大会を成功に導い
て頂くことを期待しています。
私 は 、新 年 に 当 た り 、晩 唐 の
大詩人杜牧の詩の一節を思い
出 し て い ま す 。会 員 の 皆 様 に
は、
テキストでお馴染みと思い
ますが、﹁初冬夜飲﹂
という詩の
起 句﹁ 淮 陽 多 病 偶 懽 を 求 む ﹂に
始まるこの絶句は、
当に私の心
境と重ね合わせるかのように
思えてなりません。
一昨年来、
幾多の病名と戦い
ながら、
後援会長としての責務
を宗家や後援会員の皆さんの
助けで辛うじて果たさせてい
ただいている姿は、
杜牧の晩年
そのものであります。
今年も、
微力ながら後援会員
の皆様と共に、
西日本吟詠会の
為に、
物心共に支援できれば幸
いと存じます。
最 後 に 、新 し い 年 が 、西 日 本
吟詠会会員及び後援会員の皆
様にとりまして心楽しく、
意義
深い一年で有りますようにご
祈念申し上げ、
新年のご挨拶と
致します。
吟声うねり
己が覚悟や
明けの春
おいて、剣 詩 舞の地 吟 者 と
して出 場したことも、特 筆
すべきことと言えましょう。
さて、今 年、本 会は、記 念
すべき節目の年を迎えまし
た。この秋には、会員の皆様
と共に喜びを分かち合うべ
米寿を迎えて
く、
記念祝賀大会を予定し
ています。現在、
大会準備委
員会を立ち上げ、
実施要項
の企 画、検 討に着 手したと
ころです。近いうちに、準 備
委 員 会 を 実 施 委 員 会に切
り 替 え、大 会の内 容を詰め
て参る所 存です。会 員 並び
に後 援 会 員の皆 様の温かい
ご理 解と力 強いご支 援ご協
力をお願い申し上げます。
記念大会が、単なる通過
点となるか、
創立一〇〇周年
へ向けて、
更なる飛躍への一里
塚 となるかは、偏に会 員の
皆様のご協力に懸かっていま
す。私が、
常々申し上げてい
る﹁西日本吟詠会は、
誰のも
のでもあり ません。会 員 皆
のものです。﹂そして、﹁自分
は会の為に何が出来るか。﹂
という 言 葉 をも う一度 噛み
しめて下さい。
﹁天馬 、空 を
行く﹂
の勢いで大いに羽ばた
こうではありませんか。
最 後にな り ま し たが 、
皆々様のご健 勝 とご多 幸 、
並びに更なるご長寿を祈念
申し上げ新年のご挨拶と致
します。
平成二十六年の新春
を迎えた。四分の一世
紀以上の二十六年をも
う、と言うべきか、ま
だ、と言うべきか。時
の流れの速さには驚か
される。
▼今年の干支は、﹁甲
午︵きのえうま︶﹂。
前回の﹁甲午﹂は、昭
和二十九年なので、昭和の年
号に置き換えれば、実に昭和
八十九年となる。
▼干支に登場する動物の中で、
人間と最も古い付合い相手は
﹁犬﹂と聞いたことがある。
しかし、多分、次に長い付合
いを続けているのは﹁馬﹂で
はないかと想像している。
特に人間が農耕や戦いを始
めた頃からは、随分と働かさ
れたことでしょう。
▼その貴重な仲間であり、戦
力である馬は、諺の世界では
あまり良い譬えに登場しない
ようだ。﹁馬耳東風﹂・﹁馬
の耳に念佛﹂に始まり、﹁馬
脚を顕わす﹂・﹁馬痩せて毛
長し﹂等、気の毒な位である。
極めつきは、﹁鹿﹂と一緒に
されてしまう悲運も。
▼﹁きのえうま﹂は、華やか
な生活を追う馬だそうです。
運気上昇に期待しましょう。
︿岳﹀
会 、九 吟 連 吟 士 権 大 会 、
グ
ローバル吟詠会全国大会で、
吟 士 権 者 及 び優 勝 者 が 続
出、本 会の吟 詠 表 現 力の確
かさと層の厚さを証明しま
した。
更に、地 域の伝 統 行 事や
文 化 活 動に 会 を 挙 げて参
加、
これらの催 事の成 功に
微 力 ながら、貢 献できたこ
とも意義深いことです。
特に、当 代 名 流 会﹁ 桜 蘭
華 夢 祭り ﹂
の博多座公演に
創立八十五周年記念大会を
亀井神道流宗家
西日本吟詠会会長
諌山 岳陽
成功させよう
宗師 野村 聡陽
昭和四年
五 月 、顧 問に
頭山満翁を
迎 え、西日 本
吟 詠 会の前
身、
西日本吟道会が設立されま
陽 師により﹁ 亀 井 神 道 流 ﹂が創
した。その後、
第一世宗家、
吉村東
流され、第二世 宗 家 、廣 澤 尚 陽
師、
第三世宗家、
諌山岳陽会長へ
と継 承され、
﹁ 亀 井 神 道 流 西日
本吟詠会﹂として現在に至ってい
ます。
今秋には、創立八十五周年記
念大会を開催する予定です。
この四月には、
準備委員会から
実行委員会へ切り換え、
詳細につ
いて進めていく事となります。こ
ま すよう、会 員の皆 様 方のご協
の大会が実りのある大会となり
力よろしくお願いします。
最 後に、指 導 者の先 生 方をは
じめ、
会員皆様にとりまして、
本
年が良い年でありますよう心か
らお祈り申し上げます。
新年おめ
でとうござ
います。皆様
には清々し
く初春の太
陽を仰ぎこの一年を祈念され
たことと存じます。
今年は西日本吟詠会にとりま
しては、
創立八十五周年という
大切な節目の年に当たります。
吟の道を歩き出された皆様が、
自分を磨き、
更に西日本吟詠会
に所属し精進していらっしゃる
姿が目に写り、
素晴らしいなと
思っています。
そんな皆さん達
が大きな節目を迎え、
磨きあげ
た吟を披露する、
目的に向かっ
て挫けず継続する其処には達成
の喜びが待ち受けています。
こ
のことは総てに通じます。
人生
にはさまざまな道があります。
人によって違いはありますが、
幸せだなと思った矢先に心配ご
とや先の見えない暗い日もある
でしょう。
其処を乗り切り、
努力
する人間には英知があり根性を
持っています。
一つずつ乗り越
えた厳しい道、
振り返ったとき
﹁よく頑張れた﹂
と自分を誉めて
やりたいと思ったこともあるで
しょう。
苦しいときも心に傷つ
いたときも私に与えられた尊い
会長代行・宗伝 鳥井 幸陽
試練として生き抜く強い信念を
以って世渡りすることは大切で
す。
長生きすればする程、
沢山の
人生経験が重なります。
年老いた私もその一人、
米寿
を迎えました。
若い頃は若いな
りの苦労を味わい、
道を乗り切
り今日があります。
もう誰にも
気遣うことのない私の人生と
思ったときには、
体力の衰えを
知らされました。
何度も死ぬよ
う な 病 に 直 面 し 、そ の 都 度 、私
にはまだまだ生きる力は残っ
て い る 。否 、や る こ と が 残 っ て
いるのではないかと自問自答
し﹁ 生 き る の だ ﹂と 心 に 誓 い 手
術 台 に の ぼ り ま し た 。﹁ こ の 高
齢で素晴らしい体力﹂
と幾度も
言われた私。﹁ああ、
吟を続けて
いてよかった﹂
と何度思ったこ
と で し ょ う 。全 身 に 流 れ る 血 、
細胞の働き、
まだ自由に動く五
体、
ありがとうと言わずにおら
れ ま せ ん 。又 、多 く の 人 に 支 え
ら れ 、嬉 し さ に 涙 し 、今 あ る 幸
せ を 感 謝 し 、自 分 に 正 直 に 生
き、
どんなことにもめげず笑顔
を忘れず一日一日を大切に過
ごしたいと思っています。
明治天皇御製に
新年ご挨拶
謹んで新春のご祝詞を申
し上げます。会員並びに後
援会員の皆様におかれまし
ては、
お揃いで清々しい新年
をお迎えのこととお慶び申
し上げます。
早いもので、
平成の御世も
二十六年目に、
二十一世紀も
十四年 目に入り、歳 月の移
り変わりのスピードに着いて
行 くのがやっとといったとこ
ろです。
今 年は、﹁ 甲 午 = きのえ・
う ま ﹂、私 事 で 恐 縮 で す
が、
?回目の年男です。甲午
生 まれのイメージは、﹁ 真 夏
に 生い茂 る 大 樹 ﹂で、運 気
は、﹁ 飛ぶ鳥を落とす ﹂だそ
うで、
この一年 がそ うであっ
て 欲 しいと 希 望 し ていま
す。
次回の年男になれるかど
うかは、
﹁ 神のみぞ 知る﹂こ
とですが、
せめて、東 京オリ
ンピックは、
この目で見 たい
新春祝辞
西日本吟詠会後援会会長
元RKB毎日放送副社長
熊本 誠
平成二十
六年︵二〇一
四︶の新春に
当たり謹ん
でお祝いの
言葉を申し述べます。
平成も今
年で二十六年目を迎えました。
平成という年号は、
国民が久し
く平安で安らかであって欲し
いとの願いを籠めて名付けら
れたと記憶しています。
しかし、
この二十五年はむし
ろ激動の時代であったように
思えてなりません。
最も記憶に
新しい出来事は、
何と言っても
東日本大震災とそれに伴う放
射能漏れによる人災の発生と
言 え ま し ょ う 。そ の 間 、天 皇 皇
后両陛下のご心痛と慰問活動
に対しては、
心から敬意と感謝
の気持ちで一杯でございます。
又、
世界中で発生した異常気象
に伴う大災害の発生をはじめ、
度重なる諸々の事故に対して
も衷心よりお見舞いを申し上
げるばかりです。
さ て 、今 年 は 、午 年︵ 馬 年 ︶で
す。
西日本吟詠会におかれまし
ては、
創立八十五周年の節目の
記念すべき年に当たるとお聞
!
!
平成26年1月1日発行( 4 )
第55号
第55号
( 5 )平成26年1月1日発行
この心を常に生きる糧として
心がけております。
目に見えぬ 神の心に
はぢざるは
人の心のまことなりけり
吟声人語
宗家と共に年男
年 男・年 女
午年を迎えて
総師範 諌山 樟陽
今年は、
揃って七
十二歳の
年男です。
宗家と一卵性双生児であっ
てみれば、当然のことです。
競走馬のサラブレッドの
ようにかっこいい馬ではな
く 、道 産 子 の よ う な 馬 車 馬・
二 頭 で す が 、願 わ く ば 、人 間
を 磨 い て 、皆 様 か ら 愛 さ れ 、
尊敬されるように励んで行
きたいと思っています。
又、佐賀県内唯一の亀井神
道流の灯を消さないように、
野口先生と頑張って参りま
す。
今年こそ飛躍の年に
本部師範代 髙山 富陽
午年生ま
れ六回目の
年女です。
これといった進歩もなく、気
持ちだけが焦ります。健康状
態は自己診断で中の上では
と自負しています。
吟の道は努力こそが良い
結果を出してくれるものと
確信し、私自身吟の上達を強
く望んでいます。
吟 道 精 神 、感 謝 、初 心 を 忘
れず、今年節目の午年に飛躍
出来ればと願っています。
会員さん達とも仲良く練
習に日々励んでいきます。
平成 年 行事予定表
1月7日
︵火︶
総本部新年会
︵平和楼︶
日
︵祝︶
特別研修会
︵毎日吟士権︶
2月 日
︵日︶
毎日吟士権
︵福岡︶
日
︵日︶
毎日吟士権
︵福岡︶
3月2日
︵日︶
太宰府天満宮﹁曲水の宴﹂
2日
︵日︶
特別研修会
︵九吟連︶
=予定
日
︵日︶
関西吟詩文化協会 周年
日
︵祝︶
県吟連春季大会
︵市民会館︶
日
︵日︶
春季大会
︵1部︶
日
︵日︶
九吟連
︵福岡︶
4月6日
︵日︶
毎日吟士権
︵北九州︶
日
︵日︶
毎日吟士権
︵北九州︶
日
︵日︶
青山会 周年
︵八仙閣︶
日
︵日︶
吟道奉賛会福岡本部
︵天満宮︶
5月 日
︵日︶
毎日吟士権
︵本選︶
日
︵日︶
日総連全国大会
︵福岡︶
日
︵日︶
九吟連決選
︵基山町民会館︶
6月1日
︵日︶
和歌朗詠大会
8日
︵日︶
特別研修会
︵グローバル︶
=予定
日
︵日︶
グローバル吟詠会総会
日
︵日︶
総本部総会
日
︵日︶
天満宮杯予選
︵中央公民館︶
日総連コンクール
︵鳥栖︶
7月 日
︵日︶
グローバル吟詠会
︵九州山口︶
8月 日
︵日︶
天満宮杯本選
︵天満宮余香殿︶
月5日
︵日︶
太宰府市吟連大会
日
︵日︶
周年記念大会
︵1部︶
日
︵祝︶
日総連コンクール
︵東京︶
日
︵日︶
県吟連コンクール
月 日
︵日︶
周年記念大会
︵2部︶
日
︵日︶
九吟連
︵筑後市・サザンクス︶
月7日
︵日︶
日総連九州大会
︵福岡︶
7日
︵日︶
九吟連総会
13 85 12
26
11
23 85
12
80
80
◆和歌の部
◎優勝 梁池 梁陽 準師範
○入賞 松嶋 蓮陽 宗師範
〃 久保山孝陽 宗師範
〃 山村 禎陽 師範
〃 萩森 鶯陽 準師範
◆壮年の部
○入賞 諌山 星陽 宗師範
〃 松嶋 蓮陽 宗師範
〃 野村 真陽 準師範
優勝の喜び
りました。
◆幼少年の部
こ れ か ら も 七 つ の﹁ り ﹂五 つ の
◎優勝 後藤日菜子
﹁気﹂を大切に、精進して行きたい
︵岩戸佳陽会︶
〇準優勝 米山 遙
と思います。
そして、
私からの感謝
︵吟友和陽会︶
状は、
お父さん、
あなたへ
〇奨励賞 松尾仁悠
︵岩戸佳陽会︶
〃 米山 遼
︵吟友和陽会︶
〃 米山 蓮
︵吟友和陽会︶
尚、今回も優勝者には、後援先の
太宰府天満宮と毎日新聞社から特
別賞が贈呈され、
優勝に華を添えて
いただいた。
大会会長挨拶に立った
準師範 梁池 梁陽
詩吟を通して成長したい
小林快川総本部会長は、
楽天優勝の
話題を交え、
ユーモアと含蓄に富ん 第五回グローバル吟詠会、全国
岩戸佳陽会 後藤日菜子
だ講評を行ったが、
その中で
﹁年々、
吟
詠
コ
ン
ク
ー
ル
決
選
大
会
が
、
十
一
表現力が豊かになって来たが、
もっ
私
は
、
小
さ
い
頃
か
ら
詩
吟
を
習
って
月
四
日
、
大
阪
市
立
中
央
会
館
に
て
開
と詩文をよく読むこと、
言葉を明瞭
き
ま
し
た
。
そ
の
中
で
、
今
ま
で
た
くさ
催
さ
れ
ま
し
た
。
今
回
三
度
目
の
出
吟
に発音すること、
特に起句の四文字
ん
の
賞
を
頂
き
ま
し
た
。
入
賞
や
近場の
で
、
平
成
二
十
三
年
度
は
、
和
歌
詩
吟
共
の内、
あとの二文字をしっかりと吟
大
会
で
一
位
な
ど
、
上
位
に
入
る
ことが
運
良
く
入
賞
、
平
成
二
十
四
年
度
は
、
賞
じる事の大切さ、更には、流れるよ
で
き
る
よ
う
に
な
り
ましたが、
大阪ま
を
取
る
事
が
出
来
ま
せ
ん
で
し
た
。
今
うな節調とリズムの取り方に工夫
で
遠
出
し
て
一
位
に入ることができ
年
は
、
ま
さ
か
の
和
歌
優
勝
と
後
藤
佳
を。
﹂
と力説された。
た
の
は
初
め
て
で
した。
陽
先
生
の
孫
、
日
菜
子
さ
ん
が
幼
少
年
本選大会では、諌山宗家会長が、
グ
ロ
ー
バ
ル
の大会に挑戦するの
の
部
で
優
勝
し
ま
し
た
。
宗
家
会
長
の
大会副会長及び審査委員長を務め
は2回目で、
1回目は入賞もできま
特
別
研
修
や
佳
陽
先
生
の
御
指
導
で
、
た。
せんでした。しかし、2回目の挑戦
佳
陽
会
ダ
ブ
ル
優
勝
で
す
。
私
は
所
用
当日の本会会員の成績は次の通り。 で早く退場した為、表彰式の舞台
で、優勝することができました。ま
で賞状を受け取る事が出来ずに、 さか優勝できるとは思ってもいな
か っ た の で 驚 き ま し た が 、今 ま で
大変残念な思いをしました。
やってきて良かったと思いました。
大阪名物たこやき、串カツで日
一緒に決戦に出た友達も4位に入
菜子さんの祝をして、帰路の途中
り、
私達は2人で喜び合いました。
和歌優勝との朗報でしたが、半信
今回の経験を通して、
挑戦してみ
半疑で帰宅しました。翌朝おめで
なければ分からないと、
改めて思い
とうの電話で実感しましたが、決
ました。これからも、色々な大会に
勝大会で初めての優勝です。嬉し
さが込みあげてきて諸先生方には、 チャレンジして、どんどん成長して
いきたいと思います。
ただただ感謝の気持ちで一杯にな
テキスト・CD完成
16
21
23
30
13
13
20
11
18
!
!
グローバル吟詠会決選大会入賞者
16
私達が今年一年使用する来年
度大会用課題吟テキストとCD
が完成しました。
今回も吟士・諫山宗家、
伴奏・
伊地知彰山、合屋小代子両先
生で、
CDジャケットには、
岡城趾
や桂林等の写真を使用し、素
晴らしい仕上がりとなりました。
26
25
15
22
24
27
29
10
13
16
23
副会長・宗伝 古澤 奏陽
新年あけ
ましておめ
でとうござ
います。
会員の皆
様におかれましては、新春を
迎え心からお慶び申し上げ
ます。今年は祝八十五周年記
念大会が開催されるお目出
たい年でございます。精一杯
頑張りたいと思っています。
さて、私七回目の午年を元
気に迎えることが出来まし
たことは吟道のおかげと感
謝 す る ば か り で す 。ま た 、宗
家諌山会長先生、諸先生のご
指導を受け、三十九年間走り
続けることが出来ました。夢
の よ う で ご ざ い ま す 。今 後
は 、一 日 一 日 を 大 切 に 、身 体
の許す限り精進いたしたい
と思っています。
最後になりましたが、輝か
しい西日本吟詠会及び会員
の皆様にとりまして、最良の
年となりますよう祈念いた
します。
グローバル吟詠会全国大会
九 州・山 口 地 区 会 員 の 活 躍 が 際 立
ち、九州・山口地区の吟詠表現力の
レベルの高さを立証した。
又、
平成二十一年の第一回大会
で、
壮年の部において筑聖会の岩
橋眞珠子さんが優勝したのを皮切
りに、
第二回大会の幼少年の部で、
諌山紗英さん
︵佐賀萌陽会︶
、
和歌
の部で小松扇陽宗師範が、
第三回
大会の和歌の部で諌山星陽宗師範
と壮年の部で英峰会の長谷川京子
さんが、
第四回大会の和歌の部で
同じく長谷川京子さんが、
それぞ
れ優勝を果たしており、
今回を含
め五年連続の優勝者を輩出した。
グローバル吟詠会全国大会幼少年の部入賞者
賞状とトロフィを手に、
梁池準師範
白磁の馬
和歌の部で梁池準師範が優勝
幼少年の部の後藤日菜子さんも
グ ロ ー バ ル 吟 詠 会︵ 総 本 部 小 林
快川会長︶主催、第五回全国吟詠コ
ン ク ー ル 決 選 大 会 が 、去 る 十 一 月
四日︵祝︶大阪市立中央会館で開催
された。
全国各地区予選を勝ち抜いた一
八二名の優秀な吟士が日頃の鍛練
の成果を発表した。
本 会 か ら も 、各 部 門 に 多 く の 会
員 が チ ャ レ ン ジ 、堂 々 と 熱 吟 を 披
露した。その中で、幼少年の部の後
藤 日 菜 子 さ ん︵ 岩 戸 佳 陽 会 ︶と 、和
歌の部の梁池梁陽準師範が見事に
栄えある優勝を果たした。
このほか、九州地区からは、幼少
年 の 部 で 米 山 遥 さ ん が 準 優 勝 、青
年の部で佐賀県小城市の小森敏彦
さ ん が 優 勝 、同 部 門 で 田 川 郡 香 春
町の河津範子さんが五位に入賞し
た の を は じ め 、各 部 門 で 入 賞 を 果
たした。
又、
山口県勢六名が入賞し、
和歌入賞の山村師範
!
!
平成26年1月1日発行( 6 )
第55号
第55号
( 7 )平成26年1月1日発行
吟詠剣詩舞フェスティバル
多彩なイベントに参加
九 州 吟 剣 詩 舞 道 連 盟 主 催 、吟 詠
剣 詩 舞 フ ェ ス テ ィ バ ル が 、去 る 十
一 月 十 七 日︵ 日 ︶福 岡 市 博 多 区﹁ 大
博多ホール﹂で開催された。
本 大 会 は 、第 二 十 一 回 ふ く お か
県民文化祭二〇一三協賛の一環と
して、毎年開催されているもので、
本会からも、多数参加して、華やか
に催された。
松口月城先生作の九吟連会詩合
吟の後合吟の部に入り、三人の部、
五人の部に分かれて発表 し た 。
式 典 で は 、来 賓 と し て 臨 席 さ れ
た 、福 岡 県 文 化 団 体 連 合 会 専 務 理
事 兼 事 務 局 長 が 、次 の よ う な 祝 辞
を述べられた。
﹁豊かな吟声と剣詩舞は、日本人の
大切な伝統文化として多くの人か
ら 愛 さ れ て 来 ま し た 。九 吟 連 の 永
年 に 亘 る 取 り 組 み は 、文 化 の 振 興
に 大 き く 貢 献 さ れ て い ま す 。県 文
連として心から敬意を表 し ま す 。
少 子 高 齢 化 の 社 会 に あ っ て 、心
豊 か に 暮 ら し て い く に は 、文 化 芸
術 を た し な み 、楽 し む と 共 に 文 化
を感じる心を次の世代へもっと広
めて欲しい。﹂
合吟コンクール
全部門で優勝!
当日行われた合 吟コンクールの幼
少年の部・三人の部・五人の部、各部
◆独吟の部
◎第四位=山下賢陽 宗師範
◎第五位=小松扇陽 宗師範
◎入 賞=松嶋蓮陽 宗師範
同 =野村真陽 準師範
同 =渕上鈴陽 師範代
︵太宰府星陽会︶
尚、
当日の入賞者は次の通り
◆合吟の部
◎第三位=古澤奏陽 宗伝
安恒茜陽 宗師範
諌山星陽 宗師範
平山恵陽 宗師範
大田君陽 宗師範
部優勝者の西 啓常さん︵啓峰吟
詠 会 ︶の 素 晴 ら し い 吟 詠 が 披 露
さ れ 、満 場 の 客 席 か ら 賞 賛 の 拍
手が贈られた。
◆三人の部
◎優 勝=舩木 燦陽 総師範
河原田和陽 師 範
吉弘 響陽 準師範
○第四位=大田 君陽 宗師範
大田 好峰 皆 伝
八尋 敬峰 皆 伝
○入 賞=尾中 桜陽 師 範
山村 禎陽 師 範
佐藤 貴陽 準師範
続いて挨拶に立った連盟理事 門において本会会員
それぞれ優勝を果たした。
長 で 、大 会 会 長 の 貝 島 筑 聖 先 生 チームが、
は、﹁当連盟は、新体制の下、全員 又、その他のチームも大会に向け、
が心を一つにして活動しており、 かなりの練 習 を積んだ成 果が効 を
松口月城先生や深田光霊先生等、 奏し、各部門で上位に入賞した。
幾 多 の 先 人 が 、営 々 と 築 い て 来
た、歴史と伝統を守り、次の世代 *当日の入賞者は次の通り。
の 人 達 に 引 き 継 い で 行 き た い 。 ◆幼少年の部
特 に 次 代 を 担 う 、幼 少 青 壮 年 の ◎優 勝=武島麻利亜
育成が急務です。﹂と力強い決意 永野 七保
米山 遙
を述べられた。
︵吟友和陽会︶
午 後 の 部 は 、本 会 諌 山 宗 家 が 、 企画・構成した構成吟﹁川中島歌
合戦﹂が披露された。
戦 国 時 代 の 両 英 雄 は 、文 武 両
道の武将として、幾多の名詩、秀
歌 を 残 し て お り 、い ず れ 劣 ら ぬ
詩歌に合わせた剣詩舞が勇壮に
舞われ、満席の会場から、感動と
感 銘 の 拍 手 が 贈 ら れ た 。後 半 は 、
会 員 吟 詠 、最 優 秀 吟 士 権 者 吟 詠 、
役 員 吟 詠 剣 詩 舞 が 披 露 さ れ 、大
会に華を添えた。
第 回県吟連
吟詠コンクール
参加十六組中、古澤奏陽宗伝チー
ム が 、見 事 第 三 位 に 入 賞 し た 。 又、独吟の部では、山下賢陽宗師
範が第四位を獲得したのをはじ
め、五名が入賞を果した。
幼 少 年 の 部 に は 、後 藤 日 菜 子
さ ん ら 三 名 が 出 吟﹁ 桂 林 荘 雑 詠
諸生に示す﹂を堂々と発表、大き
な拍手を受けた。
合吟の部で第三位に入賞
独吟の部も上位入賞
福岡県吟詠剣詩舞連盟︵西山啓
峰理事長︶主催、第三十一回吟詠
コンクール大会が、去る十月二十
七 日︵ 日 ︶福 岡 市 西 市 民 セ ン タ ー
で開催された。
こ の 大 会 は 、毎 年 、福 岡 市 民 芸
術祭参加と銘打って行われてい
る が 、本 会 か ら も 、独 吟 の 部 と 合
吟の部に出場した。
九州吟界における競吟大会の
中でも、ハイレベルのコンクール
と し て 、高 く 評 価 さ れ て お り 、入
賞 者 に は 、連 盟 を は じ め 、後 援 先
の西日本新聞社やテレビ西日本
か ら 、賞 状 や 副 賞 の 楯 が 贈 ら れ
た。
当日の大会では、合吟の部で、
構成吟・信玄作「偶作」の剣舞
◆五人の部
◎優 勝=酒江 鶴陽 宗 伝
梶原 栄陽 宗師範
近藤 晴陽 宗師範
田中 了陽 準師範
竹内 恵峰 皆 伝
︵香椎晴陽会︶
◎準優勝=井口 蘭峰 皆 伝
古賀 和山 奥 伝
奥野 泰川 初 伝
紀田 由川 初 伝
芝田 楽川 初 伝
︵太宰府星陽会︶
○第五位=岸 凛陽 師 範
成海 宝陽 師範代
橋口 康陽 師範代
石橋 登陽 師範代
古賀 富峰 皆 伝
︵吟友政陽会︶
○入 賞=大津 琳陽 師範代
江島 花陽 師範代
柴田 康峰 皆 伝
深町 晴峰 皆 伝
梶原 珠川 初 伝
︵岩戸扇陽会︶
西日本吟士権
受賞の喜び
私の宝物
副理事長・宗師範 宮澤泉陽
様 な 結 果 が 出 ず 、吟 が 嫌 に な っ
ちの大会に出てもなかなか思う
私 が ま だ 七 十 才 の 頃 、あ ち こ
平成二十五年九月八日︵日︶ミ
そ れ か ら 二 年 後 、平 成 五 年 第 二
び に 胸 が 踊 り ま し た 。宗 家 先 生
な私の宝物です。
十 年 間 、何 時 も 飾 っ て い る 大 事
できたと感謝の気持ちでいっぱ
いです。
この日は東京オリンピックの
発 表 が あ っ た 日 だ っ た の で 、二
重 の 喜 び に な り ま し た 。七 年 後
にはその記念に様々な大会も行
わ れ る で し ょ う 。吟 に 精 進 し な
がらそういう機会があれば望み
たいと思っています。
高齢者
まだまだいける
吟の道
のご指導のお陰で吟士権を獲得
に 松 嶋 の 名 が 発 表 さ れ た 時 、喜
露、競い合いました。緊張しなが 回太宰府天満宮杯大会で吟士権
ら 精 一 杯 吟 じ た 私 、﹁ 吟 士 権 者 ﹂ を 取 る 事 が 出 来 ま し た 。そ の 時
の ト ロ フ ィ で す 。狭 い 部 屋 に 二
士の方々が素晴らしい吟声を披
当大会は予選を勝ち抜かれた吟
で 、西 日 本 新 聞 社 主 催︵ 五 十 六 ていました。その時、諌山会長よ
回︶決選大会が開催されました。 り﹁吟詠人生は、七十歳から花が
咲く﹂と言って励まされました。
リカローデン那珂川文化ホール
宗師範 松嶋 蓮陽
五人の部 優勝の香椎グループチーム
五人の部 準優勝の太宰府星陽会チーム
五人の部 第五位入賞チーム
太宰府天満宮杯吟士権杯
幼少年の部優勝の吟友和陽会の皆さん
幼少年の部の岩戸佳陽会会員
尚、当日は、諌山宗家が審査員
を 、野 村 宗 師 、豊 福 会 長 代 行 、酒
江 副 会 長 が 司 会 を 、そ れ ぞ れ 県
吟 連 の 常 任 理 事 と し て 、無 事 に
大役を務め上げました。
喜びの三人の部優勝チーム
吟士権の証を手に喜びの松嶋宗師範
!
!
祝辞を述べる
井原専務理事
合吟の部 三位入賞メンバー
!
!
出 吟 し た 幼 少 年 全 員 に は 、西
山啓峰大会会長から奨励賞と副
賞の図書券が贈られた。
範 吟 で は 、前 年 度 合 吟 の 部 優
勝の香陽吟詠会チームと独吟の
県吟連独吟の部入賞者
31
平成26年1月1日発行( 8 )
第55号
第55号
( 9 )平成26年1月1日発行
神楽舞「悠久の舞」
秋季吟詠剣詩舞大会
成績は、次の通り。
◇優 勝=岩戸扇陽会チーム
柴田康峰・深町晴峰
村上麗峰・久我節山
伊多倉誠山
◇第三位=吟友会チーム
倉内恵峰・藤田仁峰
香月穂峰・上野恵山
岡村栄峰
◇第四位=太宰府奏陽会チーム
森田睦峰・野下登月
米倉輪川・桜木栄子
安河内博子
◇第五位=香椎晴陽会チーム
西岡保峰・久我勝月
服部征月・西 健三
鹿子島時月︵了陽会︶
我が家の家宝の一つに、
中国の玉や紫水晶の香炉等
が、数点存在する。
今 回 は 、そ の う ち の 二 点
をご紹介します。
自然から採掘したピンク
の﹁玉﹂を桃に細工したもの
と 、特 に 中 国 で 珍 重 さ れ て
いる、﹁白玉﹂で作られた﹁葡
萄﹂です。
す。
浄財ありがとうございました
ニコニコB О X
平成二十五年九月∼十二月までに
た方のご芳名です
︵順不同・敬称略︶
﹁ニコニコBОX﹂
へ浄財をお寄せ頂い
・ 諫 山 岳 陽 ・ 豊 福 恒 陽 ・ 野 村 聡 陽 ・ 渡 邉 昇 陽 ・ 古 澤 奏 陽 ・ 酒 江 鶴 陽 ・ 宮 澤 泉 陽 ・ 安 恒 茜 陽 ・ 松 嶋 蓮 陽 ・ 諫 山 星 陽 ・ 梶 原 栄 陽 ・ 久 保 山 孝 陽 ・ 平 山 恵 陽 ・ 濱 地 錦 陽 ・ 大 田 君 陽 ・ 小 松 扇 陽 ・ 田 中 観 陽 ・ 後 藤 佳 陽 ・ 近 藤 晴 陽 ・ 渡 邉 鳳 陽 ・ 舩 木 燦 陽 ・ 河 原 田 和 陽 ・ 尾 中 桜 陽 ・ 吉 弘 翔 陽 ・ 山 村 禎 陽 ・ 吉 弘 響 陽 ・ 梁 池 梁 陽 ・ 石 村 笙 陽 ・ 石 橋 登 陽 ・ 竹 内 恵 峰
ま す 。機 会 が あ れ ば 、是 非 、 ・ 萩 森 鶯 陽 ・ 野 村 真 陽 現物をお見せしたい逸品で ・ 橋 口 康 陽 ・ 山 田 啓 陽 美しさが判りにくいと思い ・ 佐 藤 貴 陽 ・ 田 中 了 陽 モ ノ ク ロ 写 真 で は 、そ の
吟道証を手にする幼少年たち
舞いをバックに合吟中の太宰府グループ
﹁吟秋﹂
の筑紫路で朗々と発表
◇皆伝の部
前田 和峰 矢野 弘峰
野見山秀峰 井口 蘭峰
中川 万峰 坂本 敬峰
竹内 恵峰 中村 計峰
◇奥伝の部
畑 香山 尾迫 節山
本田 和山 野下 登山
平山 誠山 後藤 豪山
高月 晏山 広橋 英山
久我 勝山 福与 克山
鹿子島時山 山本 龍山
高田 孝山 石橋 恵山
鐘ヶ江智山 池田 智山
中川 正山
◇中伝の部
江崎 治月 平田 幸月
平田 五月 白石 美月
山田 健月 吉村 由月
執行 昭月 小野 恵月
桐島 二月 入江 清月
古賀 箔月 髙田 成月
杉山 延月 岩永 恭月
中溝 畔月 澄川 喜月
八尋 敏月 松田 幸月
松尾 健月 伊藤 澄月
松本 弘川 柴田 徳川
﹁我が家の家宝﹂
中島 功川 安河内宏川
田中 恵川 三溝 逸川 シリーズ
辻 英川 筒井 勲川
総師範 諌山 樟陽
大久保香川 松永 美川
宇留嶋志川 只今、玉ブーム
◇準優勝=太宰府星陽会チーム
矢野恵峰・古賀和山
奥野泰川・紀田由川
柴田楽川
優勝の岩戸扇陽会チーム
準優勝の太宰府星陽会チーム
催された。毎度のことながら、カ
ラ オ ケ も か く し 芸 も な く 、た だ
よく食べ、よく飲み、よくしゃべ
る だ け の 宴 会 で し た が 、参 加 者
全員すっかりくつろいだ様子
で、満足気に会場を後にした。
合吟コンクールも併催
岩戸扇陽会チームが
優勝
当日実施された合吟コンクー
ル は 、毎 日 吟 士 権 を は じ め 各 連
盟合吟大会の練習も兼ねた年一
回 の 意 義 深 い コ ン ク ー ル で 、参
加チームは、心を一つにして、熱
吟を発表した。
式典で挨拶する諌山宗家
本会恒例の第四十五回秋季吟
詠 剣 詩 舞 大 会 が 、十 一 月 二 十 三
日︵勤労感謝の日︶太宰府市中央
公民館大ホールに於いて開催さ
れた。
今 回 も 、本 会 後 援 会 会 員 の 皆
様 に 友 情 出 演 を お 願 い し 、大 会
に華を添えていただいた。
又、合吟コンクールも行われ、
各 チ ー ム 共 、練 習 の 成 果 を 発 揮
し、一糸乱れぬ合吟を発表した。
尚、今回は、指導者の番数を増
やした為、構成吟を見送った。独
吟 の 部 で は 、最 優 秀 吟 士 権 の 部
及 び 指 導 者 が 、今 年 一 年 間 の 集
大 成 と し て 、日 頃 精 進 し た 吟 詠
を 堂 々 と 披 露 、会 場 い っ ぱ い の
聴衆から、拍手喝采を浴びた。
大 会 終 了 後 は 、会 場 を 多 目 的
ホールに移し、恒例の懇親会が
◇幼少年の部
初 伝 後藤日菜子 後藤智祐
一 級 斎藤恵里花 池田彩花
池田莉菜
二 級 後藤菜乃実 松尾仁悠
堂免采奈 石井アロエ
北野春日 西村愛菜
吟道証の清めお祓い
尚、
授伝者は、
次の通り。
秋の授伝を前に。
吟道証清めお祓い。
十一月の吟道証授伝式を前に
吟 道 証 清めお祓い神 事が、十 月
二十六日
︵土︶午前十一時から、
太
宰府天満宮御本殿に於いて厳粛
な雰囲気の中、
執り行われた。
当日は、本会の幹部と奥伝皆
伝に昇 伝した会 員が、御 本 殿に
昇 殿、厳かに吟 道 証の清めお祓
いを受けた。
神事では、
祝詞の中で、
授伝者
一人、
ひとりの姓名と吟号が読み
上げられた。
◇初伝の部
福地 浩川 山田 盛川
名和 範川 森田 理川
杉谷 玲川 大山 茂川
柴田 廣川 荒木 純川
成澤 安川 梶原 珠川
鬼塚 鶴川 末永 宝川
内田 龍川 笠 櫻川
大濱 芳川 上野 明川
瀬戸 乱川 村川 美川
今村 鉄川 室賀 夜川
内梨 紀川 溝口 清川
篠原 功川 園田 浩川
森野 泰川 野方 正川
鳥飼 公川 米倉 吉川
井上 文川 薄 進川
西村 行川 沢田 幸川
松岡 幸川 渕脇 明川
小林 春川 中山 秀川
白玉の置物
!
!
第3位の吟詠会チーム
吟道証授伝式風景
祝辞の森後援会副会長
吟道証清めお祓い記念写真
(宝物殿前にて)
13
平成26年1月1日発行( 10 )
第55号
第55号
( 11 )平成26年1月1日発行
師 範 古 賀西陽
愛宕校区文化祭に
参加して
25
御神忌一、一一一年大祭
れ た 。参 加 し た 崇 敬 会 ら を
前に西高辻宮司が挨拶に立
19
平成 年 月3日
︵日︶
に愛宕
たれ、﹁今年は、
伊勢神宮、
出
校区文化祭に参加しました。
雲大社の式年遷宮に加え、
今 年 で 7 回 目 と な り ま す 。平
熱田神宮でも一九〇〇年大
成 年4月に愛宕公民館のサー
祭 の 節 目 の 年 で 、こ の よ う
ク ル 活 動 と し て﹁ 愛 宕 詩 吟 教
な こ と は 、三 百 年 に 一 回 と
室 ﹂を 開 始 し て 以 来 、毎 年 連 続
い う 珍 し い こ と で す 。天 満
し て 参 加 し て い ま す 。当 初 は
宮も一一一一年の節目の年
3 名 で し た が 、現 在 は 6 名 と
で、
十四年後の御神忌一、一
会
員さんも増えてきました。
二五年に向けての出発の年
今
年 は 合 吟 に よ る﹁ 京 都 東 山 ﹂
に し た い と ﹂抱 負 を 述 べ ら
﹁
河 内 路 上 ﹂﹁ 名 槍 日 本 号︵ 今 様
れた。
入 ︶﹂を テ ー プ 伴 奏 で 吟 じ ま し
当 日 は 、崇 敬 会 西 日 本 吟
た 。吟 の 説 明 は 我 が 会 の テ キ
詠 会 支 部 長 と し て 、宗 家 会
ス ト を 活 用 し ま し た 。こ れ ら
長 が 参 列 し 、祝 意 を お 伝 え
の地域での取組みは会員拡大
した。
にも繋がると確信していま
す。
亀井神道流西日本吟詠会では、
その名に恥じ
ないホームページを公開しています。皆様の
ご意見に耳を傾けながら、
更新して参ります。
吟友和陽会 瀬戸乱川
十月七日
︵月︶
諌山宗家は、
前日
開催された佐世保での吟詠大会
の帰りにも拘らず、
吟友和陽会の
片江教室を訪問して頂きました。
まず、宗家のご挨拶があり、日
頃西日本吟詠会への協力のお礼
があり、
河原田先生の本部での活
動ぶりが紹介されました。
和陽会会員一同、
緊張感でいっ
ぱいでしたが、
宗家のユーモアと
シャレを含んだお話のお陰で、
ほっと雰囲気がほぐれました。
﹁健康の為に、大いに詩吟を楽し
みましょう﹂とのお言葉のあと、
二十人余りの個人指導をしてい
ただきましたが、
一人として同じ
指導はされず、
指摘された通りに
吟じると、
見事な吟に生まれ変わ
りました。
まるで魔術か魔法にか
かったようでした。
去 る 十 月 二 十 五 日 、太 宰 府 君
陽会、樹陽会、貴陽会の合同教室
にご多忙の中の諌山宗家をお迎
え致しました。
日頃御指導いただく機会のな
い会員達の吟を一人一人聞いて
頂 き 節 調 、表 現 力 等 を 丁 寧 に 指
導 を し て 下 さ い ま し た 。練 習 後
宗家を囲んで手作りの昼食をい
ただき時には面白い話で盛り上
がりながらの和やかなひと時を
過ごしました。
又 、宗 家 の 教 え 方 を 横 で 聞 き
ながら教えて学ぶ指導の奥深さ
を感じた一日でもありました。
師範代 佐藤貴陽
諌山宗家を
お迎えして
思ったより、ざっくばらんで、
庶民的で、博学で、一同感銘を受
けました。
誠に有意義な一日でした。
11
崇敬会だより
太宰府天満宮御祭神菅原
道 真 公 が 薨 去 さ れ て 、今 年
は 一 、一 一 一 年 目 に 当 た り
ます。
天満宮では十一月十一
日 、菊 花 香 る 御 本 殿 に 於 い
て、
御神忌一、
一一一年大祭
の神事が厳粛に執り行われ
た。
一 が 四 つ 並 ぶ こ の 日 、一
一 月 一 一 日 、一 一 時 一 一 分
一一秒に西高辻信良宮司が
祝 詞 を 奏 上 さ れ た 後 、花 玉
串 と し て 、道 真 公 が 梅 の 花
と共にこよなく愛された白
菊 の 花 が 献 じ ら れ 、御 神 忌
大祭を終えた。
神 事 終 了 後 は 、会 場 を 余
香 殿 に 移 し て 、直 会 が 行 わ
ホームページご紹介
崇敬会大祭に参加。秘書部長 諌山星陽
大 会 後 の 特 別 講 演 で は 、太
宰府天満宮味酒安則禰宜が、
﹁伊勢神宮の御遷宮と出雲大
社 の 御 遷 御 ﹂と 題 し て 、講 演
さ れ た 。講 演 で は 、遷 宮 の 歴
史 と 意 義 を は じ め 、米 作 り と
日 本 文 化 の 懸 わ り 合 い や 、天
満宮と黒田官兵衛の関係等、
興 味 深 い 内 容 で 、大 い に 勉 強
になりました。
特 に 、福 岡 の 地 名 が 、初 め
て 登 場 す る 次 の 和 歌 は 、文 武
両 道 を 極 め た 、官 兵 衛 ら し く
優 れ た 歌 で す 。こ こ に ご 紹 介
いたします。
﹁松梅や 末永かれと 緑立つ
山より続く 里は福岡﹂
こ の 歌 は 、官 兵 衛 が 隠 居 し
て、
如水と名乗った頃、
太宰府
天満宮に
﹁いささかなる宅﹂
と
称する住いを設け、
ここで詠ん
だと伝えられています。
直会では、
崇敬会別府支部長
で、
日本詩吟学院岳星会師範の
佐藤岳臻先生の剣舞等が披露
され大いに盛り上がり、
和やか
なひと時を過ごしました。
亀井神道流西日本吟詠会
諌山宗家 片江教室訪問
ホームページアドレス
http://kamei.dee.cc
恒例の太宰府天満宮崇敬
会 大 祭 と 大 会 が 、十 月 十 五 日
∼ 十 六 日 に 開 催 さ れ た 。西 日
本吟詠会支部会員三十三名
が 二 日 目 の 十 六 日︵ 水 ︶に 参
加した。
御 本 殿 で の 神 事 の 後 、会 場
を 余 香 殿 に 移 し 、大 会 が 行 わ
れ 、挨 拶 に 立 た れ た 小 鳥 居 権
宮 司 は﹁ 今 年 は 、伊 勢 神 宮 と
出雲大社で式年遷宮が行わ
れ た 。遷 宮 は 、様 々 な 技 術 を
次世代に伝承していく為に
も 、又 、﹁ 命 の よ み が え り ﹂の
点 か ら も 、大 変 意 義 深 い 神 事
である﹂と述べられた。
第 回吟詠大会
太宰府市吟詠連盟 事務局長 斉藤汪陽
よ ろこび
ら れ た そ う で 、そ の 吟 声 と に致しました。
節調は味わい深く聴衆に感 その時、芸術員の方々に、
銘を与えました。
﹁誰の作品で、誰が使用して
いたのか説明して欲しい﹂
と尋ねられました。
私 は 、母 か ら か な り 高 価
な帯であると聞かされただ
けでしたので答えようがあ
りませんでした。
ところが、﹁九月四日∼十
月 二 十 日 ま で 、特 別 展 に 展
示が決定したこと、又、前日
には感謝状を贈呈すること
が 決 定 し ま し た ﹂と の 知 ら
せを受けました。
私 は 、箪 笥 の 中 で 朽 ち 果
て て 行 く 帯 が 、世 に 出 て 多
くの皆様方の目を楽しま
せ 、喜 ん で い た だ け る と 思
うと、幸せ一杯でした。
又 、詩 吟 を 習 っ て い る お
陰で、健康にも恵まれ、感謝
状まで頂戴したことを嬉し
く思っています。
成澤安川
︵ヤス子︶
戸川政陽先生をはじめ、
見学していただいた皆様へ
心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
講演中の味酒安則禰宜
高 齢 の 母 よ り 、古 色 蒼 然
とした帯を貰って大切にタ
ンスにしまっていました。
一見地味でございました
が 製 作 者 の 念 頭 に は 、き っ
と上品な貴婦人が身にまと
う姿が浮かんでいたのでは
なかったかと思います。
となれば、残念乍ら、私に
は 無 縁 の 帯 で す の で 、福 岡
市の博物館に寄贈すること
宗家、吟友和陽会教室訪問参加者
文化祭に出場の愛宕西陽会会員
太宰府君陽会グループ合同教室
剣舞を披露中の佐藤先生
寄贈の帯をバックの
成澤さん
33
太宰府市吟詠剣詩舞連盟
︵諌山岳陽会長︶主催の吟詠
剣 詩 舞 大 会 が 、九 月 二 十 三
日 、太 宰 府 市 中 央 公 民 館 大
ホールに於いて盛大に開催
された。
連盟所属会員二百余名が
参 加 し て の こ の 大 会 は 、会
員が毎年楽しみにしている
催しで独吟有り、合吟有り、
そして剣詩舞有りと多彩な
内容で、特に大会の華、構成
吟﹁ 川 中 島 歌 合 戦 ﹂は 、地 吟
の 皆 さ ん の 熱 吟 と 、剣 詩 舞
の皆さんの熱演の息がぴっ
たりと合い素晴らしい舞台
を披露した。
文武両道に優れた武田信
玄と上杉謙信の川中島合戦
同様﹁歌合戦﹂の方も甲乙付
け 難 く 引 分 け で し た 。会 場
の 観 客 か ら は 、出 演 者 に 対
し、大きな拍手が贈られた。
又 、式 典 で は 毎 年 来 賓 と
してご臨席の地元太宰府市
長井上保廣様の祝辞と市長
自ら素晴らしい範吟をご披
露 い た だ き ま し た 。井 上 市
長の吟詠は本格派で、昔、緑
扇会で準師範の許証を授け
式典で祝辞と範吟中の井上保廣太宰府市長
平成26年1月1日発行( 12 )
第55号
第55号
( 13 )平成26年1月1日発行
太宰府天満宮
秋思祭で献吟
秋思祭に参加して
吟友天陽会 神田海峰
特別寄稿
筑 聖 会 の 菊 池 美 代 子︵ 聖 穂 ︶
先生から、
昨年六月に武蔵寺を
−
会員詩歌投稿
総師範 諌山樟陽
﹁吟の道深し﹂
・己との 闘いとみる
吟の道
生涯かけて 挑む他なし
・時として 宗家に凄み
覚えたり
道極めんとす 姿を見たり
会長代行・宗伝 鳥井幸陽
・立ち並ぶ ビルの真上に
仲秋の
香椎鶴陽会 後援会会員
生田勝子
こ ぞ ことし
・団欒の 話の尽きぬ
去年今年
・子等みんな 帰りて残る
隙間風
冬休み
・一人旅 終えて自信つく
相談役 藤野恆陽
年新た
・東京富士山の 詩を吟じけり
ひまご だ
・曾孫抱き 今が幸せ
年新た
稲田の雀 一斉に去る
みな倣ひ
なら
・飛びたてる 一羽に続き
香椎鶴陽会 伊東枝峰
年迎ふ
満月久々 見ゆるうれしさ ・趣味多き 余世楽しく
・秋空に 移りゆく雲
さまざまに
形をつくる 姿楽しむ
よわい
いのち
・神佛に 守られ生きる
この齢
親に勝るは 生命あるわれ
うぶすな
・いかならむ 年かは知らず
元朝を
子と連れ立ちて 産土詣で
初詣で
・賽銭を 少しはづみて
年相応の 頼みごとする
参加者スタート前の集合写真
僧 堂 僧が座禅や集会をする所。
西日本吟詠会 ゴルフ同好会
笙陽会 森 和月
サークル文化祭に
参加して
幾歳華 どれほどの歳月。
−
看此蕊 蕊は雄蕊と雌蕊。つぼみ。
第 回
太宰府市民文化祭
十一月二日・三日にプラ
ムカルコア太宰府で文化祭
が開催された。
当会の合吟﹁松竹梅﹂が金
屏風をバックにオープニン
グを飾る。大日本正義流﹁宮
崎義都先生他八名﹂がNH
K大河ドラマ﹁八重の桜﹂の
大詰めシーン …
鶴ヶ城を望
み乍ら白虎隊の少年達が自
害して行く場面を勇壮な群
舞で見事に演じ、観客から
称賛の拍手を受けた。
去る十一月十七日、有住
公民館に於いて、サークル
文化祭が開催され、会員十
名全員参加しました。今年
は﹁母﹂をテーマとして、
三部作を発表させていただ
きました。
会場の多くの皆様から暖
かい拍手をいただき、喜び
多い一日となりました。今
後、更なる努力を重ねて、
吟道に精進していく所存で
あります。
有住校区サークル文化祭
昨 秋 、十 月 十 四 日 、大 宰 府 政 十 月 十 四 日︵ 旧 暦 九 月 十
訪れた際の漢詩をご投稿いた
庁跡の特設会場で、太宰府天満 日︶
大宰府政庁跡で行われる だきました。謹んでご紹介いた
宮秋思祭が斉行された。
秋 思 祭 に 参 加 さ せ て 頂 き ま します。
この秋思祭は、天神様をお慰
した。
め す る 為 に 、旧 暦 の 九 月 十 日
﹁武蔵寺に藤花を訪ぬ﹂
夕闇が迫る頃、御灯明と篝
に 、毎 年 催 さ れ て い る 神 事 で 、
じえん
ことう
はな
ふくいく
火 に 薄 っ す ら と 特 設 の 御 神 寺園 馥郁 古籐の花
西高辻宮司の祝詞に続いて、神
ろうかん
るい
かさ
いくさいか
なんとも
楽﹁ 悠 久 の 舞 ﹂を は じ め 福 岡 県 殿が浮かんできた。
老
幹
纍
を
重ねて 幾歳華
無 形 文 化 財﹁ 竹 の 曲 ﹂や 筝 曲 演 言 わ れ な い よ う な 幻 想 的 な
きくなら
かんこう
わが身のあることすら 聞道く 菅公 奏、吟道宰都館の二川流筑前今 世界、
こ
しべ
み
様と西日本吟詠会の合吟﹁秋思 忘 れ 、雰 囲 気 に の ま れ 、祭 主
此の蕊を看たりしと
の詩﹂
が奉納された。
による祝詞に身を傾け、笙の
そうどう
かんざ
神事後、西高辻信良宮司は挨 音 に 合 わ せ て 舞 う 巫 女 さ ん 僧堂に 閑坐して しんちゃ
きっ
拶の中で、﹁旧暦の方が、本当の
の
姿
に
平
安
の
御
代
を
想
像
す
新茶を 喫す
季 節 の 移 り 変 わ り を 実 感 で き る尊いひと時に酔いつつ、
吹
[詩意]
るようです。静寂な雰囲気の中
い た 尺 八 、西 日 本 吟 詠 会 の
九州最古と言われる武蔵寺に藤の
で 、秋 思 祭 が 催 さ れ る こ と は 、
方 々 に よ る 献 吟﹁ 秋 思 の 詩 ﹂
花を見に行きました。
意義深く、このような伝統文化
最古のお寺と言われるだけあって
の素晴らしさに歓びをかみ
と行事は、次の世代へ承け継が
藤の木には歳月を感じました。
しめ、緊張の尺八を終えまし
れて行かねばならない﹂と語ら
聞くところによると、
菅原道真公
た。
れた。
も此の藤の花を見て滝で身を潔め
底冷
尚、吟友天陽会神田海峰さん 宮司様のご挨拶の中、
山に登ったと伝えられています。
僧堂で友や見物客と閑かに藤の花
が、
合吟の尺八伴奏を務めた。 え の 秋 の 夜 に 当 時 を 偲 び 集
う人々へのお礼の言葉に次
を見ながら新茶を戴きました。
いで、この時間と空間を次の [語意]
武蔵寺 福岡県二日市にあり天拝
世代に伝え継ぎたいと思っ
山の麓にあり九州最古の
ております。
お寺と言われている。
この様な歴史のある秋思
重 纍 多くの枝が絡み合って
祭に参画させていただいた
いること。
事に感謝致します。
2
末永さんが優勝
優勝杯を受ける末永さん
県吟連ゴルフ会
県吟連ゴルフコンペ参加者
− − −
第二十七回西日本吟
詠会ゴルフコンペは、
十月二十九日︵火︶筑紫
野カントリークラブに
於いて開催された。
当 日 は 、快 晴 に 恵 ま
れ 、絶 好 の ゴ ル フ 日 和
と な っ て 、好 成 績 が 期
待された。
相 も 変 わ ら ず 、好 プ レ イ 、珍 プ レ イ が 続 出 し
たが、映えある優勝の栄冠を獲得したのは筑紫
野観陽会の末永末男さんでした。
表 彰 式 で は 、諌 山 宗 家 が 、会 員 及 び 後 援 会 員
に 対 し 、会 員 増 強 を は じ め 、物 心 両 面 の ご 支 援
に対し、謝辞を述べた。
又 、今 回 も 後 援 会 副 会 長 の 森 五 郎 様 よ り 、
新米五袋が賞品として、提供していただいたと
の報告が有った。
表彰式では、優勝者
の末永氏へ、会長杯と
宗家提供の取切り優
勝 杯 の﹁ 岳 陽 杯 ﹂が 贈
呈され、受賞の末永氏
は、両手に華の優勝記
念 写 真 に 、ご 満 悦 で
あ っ た 。第 三 十 回 は 、
宿泊付きでの開催が
了承された。
当月の上位入賞者
は次の通り。
◇優 勝=末永末男
◇準優勝=豊福 剛
◇第三位=吉鹿豊重
◇ 同 =柴田千吉
市民文化祭
「白虎隊」のシーン
優勝の西村さん
(右は西山会長)
西村正美さん 啓(峰吟詠会︶
が優勝
70
36
◀オープニングで
「松竹梅」
を合吟
太宰府天満宮秋思祭で献吟
福岡県吟詠剣詩舞
連 盟︵ 西 山 啓 峰 理 事
長︶ゴルフ同好会第二
十二回コンペが、十一
月十八日︵月︶佐賀・大
和不動カントリー倶
楽部で開催された。
スタート ホールだ
けは、
雨模様でしたが、
その後はプレイ終了まで
快晴の天気に恵まれて、
参加二十四名がプレイを
楽しんだ。
久々の一泊どまりのゴルフコンペで、宿泊先
の ホ テ ル 龍 登 園 で の 表 彰 式 は 、大 い に 盛 上 っ
た。
優 勝 者 は 啓 峰 吟 詠 会の 西 村 正 美 さ んで 、グ
ロス ネット の 好 スコアで 、県 吟 連 ゴルフ 同
好 会 会 長の西 山 啓 峰 先 生 から 、優 勝 杯 が 贈 ら
れた 。
当日の上位入賞者は次の通り。
○ 優 勝= 西 村 正 美 ︵啓峰吟詠会︶
○ 準 優 勝= 森 永 正 彦 ︵放光吟詩会︶
○ 第 三 位= 園 山 順 子 ︵吟道光洋会︶
○ 第 四 位= 豊 福 剛 ︵西日本吟詠会︶
○ 第 五 位= 吉 弘 勝 幸 ︵西日本吟詠会︶
尚 、西 日 本 吟 詠 会 が 四
年間務めた幹事役は、
今大会で無事役目を終
え 、啓 峰 吟 詠 会 に 引 き
継ぐことになった。
90
平成26年1月1日発行( 14 )
第55号
第55号
( 15 )平成26年1月1日発行
吟界吉報
筑前博多吟道連盟
創立 周年。
川﨑大会会長挨拶
ようこそ西日本吟詠へ
高原清喜衣先生の範舞
桜 香 吟 詠 会︵ 鶴 島 桜 香 会
長︶主催、創立五十周年記念
全 国 吟 詠 大 会 が 、鶴 島 先 生
の 卒 寿 祝 賀 を 兼 ね て 、十 月
六 日︵ 日 ︶ハ ウ ス テ ン ボ ス・
タワーシティプラザに於い
て、盛大に開催された。
会長の鶴島桜香先生は、
吟 界 で 最 も 著 名 な 、彼 の 瓜
生田山桜先生の末妹として
知 ら れ て い る が 、桜 香 先 生
の吟歴と実績は全国的に高
く評価されています。
十一歳で初代山桜先生に
師事、昭和四十一年に独立、
桜香吟詠会を創立、爾来、全
国 を 舞 台 に 大 活 躍 さ れ 、現
在 、吟 界 の 要 職 を 務 め ら れ
ている。
大 会 に は 、日 総 連 総 本 部
から内藤眞城先生をはじ
め、福岡、佐賀、熊本、地元長
崎の各連盟役員及び会長ク
ラスが大勢招待された。
大 会 は 、会 員 の 大 合 吟 で
幕 を 開 け 、鶴 島 会 長 自 ら 企
画 構 成 の 構 成 吟﹁ あ ゝ 吾 故
郷熊本﹂が、一糸乱れぬ合吟
で披露された。
記 念 式 典 で は 、参 議 院 議
員 で 、桜 香 吟 詠 会 顧 問 の 金
子原二郎氏夫人らが祝辞を
述べた。
昼 食 休 憩 時 間 に は 、ハ ウ
ステンボス歌劇団のミュー
ジ カ ル が 演 じ ら れ 、会 場 の
観衆を魅了した。
来 賓 吟 詠 後 、会 場 を 貸 切
りの大村湾一周クルーズに
移 し て 、記 念 祝 賀 会 が 盛 大
◇太宰府桜陽会=平山幸子
◇太宰府翔陽会=田中敏夫
◇太宰府響陽会=今村昭子
◇太宰府樹陽会=龍野絢音
◇太宰府喜陽会=牛嶋一憲
◇太宰府啓陽会=野村瀬奈
◇みくに津陽会=永冨国春
◇みくに春陽会=堤田あけみ
◇筑紫野観陽会=長谷川充枝
・原田栄一・原田さよ子
◇筑紫野禎陽会=松本サト子
・百田登喜子
◇睦 幸陽会=平松久代
◇西陽会=林田勇三・
麻田悦秀
◇笙陽会=佐田陽子・米山愛
◇雅陽会=蘆刈好行・
坂本けい子・栗栖ひろ子
◇香椎鶴陽会=蓑原恵美子・
明石和子
◇香椎晴陽会=福地博子
◇香椎了陽会=吉田初代
◇早良元陽会=吉村明子
編 集 後 記
新年明けましておめでとうございます。
今年は当西日本吟詠会が創立八十五
周年にあたります。長い歴史を有する会
としてふさわしい大会となるよう、
皆さん
と共に頑張りましょう。
鳥井
幸陽
濵地
錦陽
吉田
成陽
石村
笙陽
陶山
樹陽
田中 了陽
●広報部員の顔ぶれ
総 括
広報部長
部長代行
部 員
〃
〃
発行者 亀井神道
流西日本吟詠会
事務局 筑紫郡那珂川町道善三−六
渡邊昇陽方
印刷所 大成印刷株式会社
に催された。
約二時間に及び豪華客船
で の 祝 宴 は 、カ ラ オ ケ 大 会
を は じ め 、か く し 芸 が 披 露
され、大いに盛り上がった。
素晴らしい会場での豪華
な 記 念 大 会 に 、招 待 客 も 会
員も楽しいひと時を堪能
し、会場を後にした。
桜香吟詠会創立五十周年記念全国吟詠大会
鶴島桜香先生卒寿祝賀
‥‥‥‥‥‥
村上英峰先生
全国漢詩大会で入賞
20
今 年 の 八 月 十 五 日 以 降 、本
会 に 入 会 さ れ た 方 々 で す 。こ
れから吟友として一緒に学
筑前博多吟道連盟
び、楽しみましょう。
創立二十周年記念吟
詠 剣 詩 舞 大 会 が 、九 月 ◇吟友会=江崎安代・
一 日︵ 日 ︶博 多 区 八 仙 小林大晃・松本 愛
諸橋轍次博士記念漢詩
閣 に 於 い て 盛 大 に 開 ◇吟友政陽会=山本嘉利・
大会が、十一月十日︵日︶
稲波政江・石川大暉
催された。
◇吟友天陽会=伊藤泰子
新潟県三条市の諸橋轍次
当 連 盟 は 、博 多 を 中 ◇吟友明陽会=真鍋勝之
記念館で開催され、今年
心 に 活 動 す る 吟 詠 会 ◇吟友平陽会=菅野美津雄・
の入賞作品の表彰式が行われた。
により、平成五年に設立、今年節目の二十周年 菅野康子
◇吟友宝陽会=長澤竹子
県吟連副理事長で吟詠道英峰会会長の村上英 を迎えた。
◇吟友康陽会=山田 一
会 詩 合 吟 に 続 き 、連 盟 発 展 に 貢 献 さ れ た 物
峰先生が、
諸橋賞等に次ぐ、
秀作賞を受賞された。
◇吟友忠陽会=楢崎貴規
故者への黙祷が奉げられた。
◇岩戸昇陽会=藤波重徳
全国の漢詩大会で最も権威のある賞で、
過去に
会 員 並 び に 役 員 吟 詠 剣 詩 舞 の 後 の 式 典 で 、 ◇岩戸扇陽会=荒木クミヨ・
は齋藤南岳先生の諸橋賞入賞が記憶に新しい。
村 連 盟 会 長 で 大 会 会 長 の 川 﨑 勝 山 先 生 が 、挨 拶 小林いおり
上英峰先生作の
﹁十字架の塔﹂
と題した、
七言絶句 に 立 ち 、﹁ 更 な る 精 進 と 発 展 を 誓 い ま す ﹂と 力 ◇岩戸佳陽会=下川百々花・
下川遥香・二宮一斗
強く述べられた。
をご紹介いたします。
◇岩戸鳳陽会=金丸美由紀
又 、永 年 連 盟 の 活 動 に 貢 献 し た 方 々 に 功 労
◇岩戸凛陽会=吉本佳栄子・
たんそん
しばく
賞が贈られた。
平山竹子・平山武夫
大戦の囚俘炭村に縛せられ
来 賓 吟 詠 剣 詩 舞 終 了 後 、祝 賀 懇 親 会 が 催 さ ◇岩戸梁陽会=西村由美子・
しんこん つ
異郷労役身根殄く
れ 、加 盟 吟 詠 会 会 員 に よ る か く し 芸 が 次 々 と 坂井貴久子
りょうほう
ぼせき
◇岩戸琳陽会=大津歩子
僚朋の墓跡真に索め難し
披露され記念大会を祝った。
らんにち
こんぱく
まつ
◇太宰府仁陽会=吉澤多恵子
蘭日相携えて魂魄を祀る
・安東晴男・豊田恵美子・
江島静香
詩意︵太平洋戦争中、日本軍の捕虜となったオラ
◇太宰府奏陽会=稲津孝子・
森田利七
ンダ人が炭坑労働に束縛され、
異郷の日本で生命
◇太宰府茜陽会=本村成子
を落とした。
オランダ兵の仲間の墓標は草に埋も
◇太宰府星陽会=五十嵐 優
れ、墓の所在を探すのにも困難を極めた。オラン
◇太宰府錦陽会=中島遥香・
林 明日香
ダと日本の有志は、お互いに助け合って、十字架
◇太宰府君陽会=高島義行
◇太宰府燦陽会=武田珠美
◀
の塔を建設して慰霊祭を執り行いました。
︶
吟界朗報
哲菖会創立60周年
記念式典風景
列 、祝 意 と 祝 辞 に 加 え 、範 吟 を
披 露 、地 元 関 西 か ら は 、辰 巳 快
水 、中 谷 淞 苑 両 先 生 ら も 招 か
れ 、素 晴 ら し い 吟 詠 を 披 露 し
た。
会員吟詠は、
古事記編纂千三
百 年 記 念﹁ 大 和 を う た う ﹂と 題
し 、中 島 菖 豊 先 生 脚 本 、池 田 菖
栄、
谷中菖峻両先生監修の構成
大合吟が発表された。
又 、記 念 大 会 の 華 、特 別 番 組
の
﹁新島八重の生涯﹂
では、
池田
菖黎先生が、
オープニングの名
ナレーターを務められた。
八重
と新島襄の詩歌を中心に、
詩吟
と朗詠に詩舞を加え、
セリフ有
り、
舞踊有りで多彩な内容の構
成吟の出来栄えに満場の観客
を魅了した。
祝賀会は、
ホテル日航で催さ
れ、
盛会裏に大会を終了した。
西浦副会長から
花束を受ける鶴島会長
昼食休憩中の「ハウステンボス歌劇団」
によるアトラク。
一糸乱れぬ女性会員の大合吟
会長挨拶中の鶴島先生
村上英峰先生
グローバル吟詠会総本部事
務局長中島菖豊先生や関西地
区副本部長池田菖黎先生が所
属する、
哲菖会
︵稲田菖胤会長︶
の結成六十周年記念吟詠大会
が、
去る十月二十七日
︵日︶
奈良
市﹁ な ら 百 年 会 館 大 ホ ー ル ﹂に
お い て 、盛 大 に 開 催 さ れ た 。哲
菖 会 は 、昭 和 二 十 八 年 、初 代 会
長田中哲菖先生が、
創設され爾
来 、歴 代 会 長 ら の 尽 力 に よ り 、
本日の隆盛を極めた名門の誉
れ高い吟詠会です。
当日の祝賀大会には、
地元奈
良県吟剣詩舞道総連盟幹部は
勿論のこ
と 、関 西 吟
詩文化協会
総本部相談
役小林快川
先 生 、総 本
部会長山口
華雋先生ら
全国から
錚々たる吟
詠 家 が 、来
賓として参
構成吟「大和をうたう」の一場面
平成26年1月1日発行( 16 )
第55号
第55号
( 17 )平成26年1月1日発行
う、あの名場面を、臨場感溢
れ る 吟 声 で 、朗 々 と 語 り 上
げました。
見事なバチ裁きと相俟っ
て 会 場 一 杯 に 響 き 渡 り 、満
席 の 観 客 か ら 、賞 賛 と 感 動
の大拍手が惜しみなく贈ら
れました。
尚、髙木さんは、十一月四
日︵ 祝 ︶、も も ち 文 化 セ ン
ター大ホールで開催された
西日本吟士権最優秀吟士権
大会のアトラクションとし
て﹁鯛の婿り﹂︵自作自演︶を
演奏、高い評価を得た。
稲永壽嘉先生
﹁旭日雙光章﹂受章
吟界朗報
師範 河原田和陽
十 一 月 十 六 日︵ 土 ︶、福 岡 市 民 会 館 大 ホ ー
ル で 開 催 さ れ た﹁ 国 際 バ レ エ フ ェ ス テ ィ バ
ル﹂に於いて、後藤日菜子さん︵岩戸佳陽会︶
が、演目﹁蝶々夫人﹂第一幕、結婚式後のフィ
ナ ー レ に 振 袖 姿 で 登 場 、和 歌﹁ 幾 千 代 の ﹂と
﹁よき嫁よ﹂の二首、漢詩は﹁松竹梅﹂を、高ら
かに吟じ上げた。
又 、後 藤 佳 陽 宗
師 範 、梁 池 梁 陽 準
師 範 、岩 戸 佳 陽 会
の首藤伸峰さん
三 名 も 、和 歌 と
﹁ 四 海 波 ﹂を 朗 々
たる吟声で合吟、
満場の観客席か
ら大きな拍手が
贈られた。
日本の伝統芸
術とオペラそし
てバレエとのコ
ラボレーション
が 、見 事 な 結 晶 を
見 せ 、素 晴 ら し い
舞 台 で し た 。孫 の
米山 遥と堪能
させていただき
ました。
﹁蝶々夫人﹂で吟詠
岩戸佳陽会の後藤日菜子さん
国際バレエフェスティバル
西日本地区吟剣詩舞連盟専務局長で、
大和流詩吟道宗家、稲永壽嘉先生は、秋の
叙 勲 に 於 い て 、旭 日 雙 光 章 を 受 賞 さ れ ま
した。
十一月十一
日、皇居豊明殿
において、ご令
室同伴で天皇
陛下に拝謁の
上、お祝いのお
言葉を賜った
そうです。おめ
でとうござい
ます。
吟界吉報
筑前琵琶演奏会を
鑑賞して。
宗師範 小松扇陽
去 る 十 一 月 四 日 、福 岡 明
治安田生命ホールに於い
て 、筑 前 琵 琶 保 存 会 主 催 第
四十九回演奏会が、﹁琵琶い
ろ 十 色 ﹂と い う タ イ ト ル で
開催された。
五 番 目 に 登 場 し た 、岩 戸
扇陽会会員の髙木美季さん
︵号青鳳︶は、作詞・作曲も全
て 本 人 が 行 っ た と い う﹁ 鵯
越えの逆落し﹂を演奏した。
あ ら す じ は 、平 家 滅 亡 の
一 年 程 前 に 遡 り ま す 。都 落
ち し て い た 平 家 は 、西 国 で
勢 力 を 盛 り 返 し 、京 に 戻 ら
んとて摂津の生
田の森から一の
谷にかけて陣を
敷 き ま し た 。進
軍して来た源 義 経 は 、自 ら 七
十 騎 を 率 い 、敵
陣背後の鵯越え
の急斜面を馬も
ろとも駆け降り
て 、平 家 の 陣 を
急襲したとい
那珂川町吟剣詩舞道連盟
祝賀会では、﹁ひょっとこ
踊り﹂をはじめ、ユニークな
かくし芸とノド自慢による
カ ラ オ ケ 大 会 で 、大 い に 盛
り 上 が り 、盛 会 裡 に 祝 賀 大
会を終了した。
扇子を手に朗々と吟じる後藤日菜子さん。
「祝吟」
を合吟中の後藤先生ほか
光洋会役員
(中央が園山順光先生)
大会副会長の二代目松本
緑扇先生の素晴らしいナ
レ ー シ ョ ン で 、見 事 な 吟 詠
剣詩舞が観客を魅了した。
式 典 で は 、地 元 知 名 士 及
び謝辞に立った渡邉昇陽連
盟会長で大会会長は、﹁健全
な 青 少 年 吟 士 の 育 成 と 、豊
かな文化と人作りを目標
に、この山紫水明で、歴史と
ロマンに満ちた那珂川で、
吟道精進に邁進して参りた
い ﹂と 、今 後 の 抱 負 を 述 べ
た。
稲永壽嘉・壽 ご夫妻
稲永壽嘉先生受章の「旭日雙光章」
者 で 、日 総 連 全 国 コ ン ク ー
ルでも活躍された立派な吟
士 で あ り 、詩 吟 に 対 す る 姿
勢 の 素 晴 ら し さ と 、女 性 乍
ら見事な統率力と指導力に
吟 道 光 洋 会︵ 園 山 順 光 会 敬 意 を 表 し ま す ﹂と 絶 賛 さ
長︶主催、創立三十周年記念 れた。
吟 詠 剣 詩 舞 大 会 が 、九 月 二 来 賓 吟 詠 終 了 後 、藤 永 会
十 九 日︵ 日 ︶久 留 米 市﹁ 鳩 屋 社 中 に よ る 、ア ト ラ ク シ ョ
別館﹂に於いて、華やかに且 ンが行われ、
祝い太鼓、
民謡、
つ盛大に開催された。
津 軽 三 味 線 合 奏 と 続 き 、藤
来 賓 と し て 、日 本 吟 詠 総 永優翆先生のオリジナル曲
連 盟 役 員 を は じ め 、福 岡 県 ﹁黒田武士﹂
が披露された。
吟詠剣詩舞連盟幹部及び加 フィナーレは、
参加者全員
盟 吟 詠 会 会 長 等 が 、招 待 さ による﹁日本のまつり﹂の合
れ、それぞれ祝意を述べた。 唱で幕を閉じた。
会員吟詠は、
今年NHK大 本会からは、諌山宗家、野
河ドラマで話題となった、
山 村宗師、
豊福代行の三名が列
本八重・新島 襄夫妻の詩歌 席、
祝意と祝吟を披露した。
をはじめ、﹁祝﹂
・
﹁勧学﹂
・
﹁酒﹂
・
﹁気概﹂
・
﹁春夏秋冬﹂
の各テー
マ毎に、
披露した。
記 念 式 典 で は 、日 総 連 総
本部副理事長で県吟連理事
長の啓峰吟詠会宗家西山啓
峰 先 生 が 祝 辞 を 述 べ た 。祝
辞 の 中 で﹁ 会 長 の 園 山 順 光
先 生 は 、西 日 本 吟 士 権 保 持
園山順光先生
創立二十周年記念祝賀大会
月城先生縁りの地で開催
那珂川町吟剣詩舞道連盟
︵ 渡 邉 昇 陽 会 長 ︶主 催 、創 立
二十周年記念祝賀大会が、
九 月 八 日︵ 日 ︶﹁ 味 の な か が
わ﹂に於いて、盛大に開催さ
れた。
旧筑紫郡の各吟詠連盟代
表 を は じ め 、近 隣 の 吟 界 で
活躍中の吟詠剣詩舞家が来
賓 と し て 招 か れ 、記 念 大 会
を祝福した。
那 珂 川 町 は 、月 城 記 念 館
が開記されたことが示すよ
うに松口月城先生並びにご
令室の筑紫吟詠会縁りの地
で、正に詩壇、吟壇のメッカ
とも言うべき土地柄として
知られています。
大 会 で は 、そ の 月 城 先 生
が 作 詩 さ れ た 、漢 詩 に よ る
構成吟﹁松口月城、源平を詠
う﹂が披露された。
範舞の黒川邦勝先生
範舞も披露
幼少年達も活躍
渡邉連盟会長
執演中の髙木青鳳さん
!!
式典で祝辞を述べる諌山宗家
平成26年1月1日発行( 18 )
第55号
第55号
( 19 )平成26年1月1日発行
第一回当代名流会桜
蘭華夢祭り︵おうらんか
ゆめまつり︶=日本の舞
踊名撰=が、十二月十日
︵火︶、十一日︵水︶博多座
において厳かに、そして
華やかに開催された。
この公演は、九州山口
の み な ら ず 、東 京 、大 阪
その他全国で活躍中の
一 流 の 家 元 、師 匠 、名 取
り達が一堂に会し、自慢
の 邦 楽 、舞 踊 を 発 表 す
る 、日 本 の 舞 踊 会 で 、剣
詩舞もその代表的演目
として選ばれたもので
す。
その剣詩舞の地吟者
として、数ある吟詠会の
中で、全ての吟詠を一任
さ れ 、会 を 挙 げ て 、出 吟
することになりました。
当 日 は 、日 本 舞 踊 の
﹁ 静 ﹂剣 詩 舞 の﹁ 動 ﹂と 素
晴らしい舞台上で、卓越
した吟詠剣詩舞が、息も
つかせず次々と披露さ
れ、満場の観客達から万
雷の拍手が贈られた。
正に永年に亘り、秋季
吟詠大会に於いて、構成
吟を取り入れて来たこ
と と 、平 成 二 年 よ り 、い
ち早く和歌朗詠大会を
実施して来たこと等が、
桜蘭華夢祭り
陽・江島花陽・村上麗峰・
深町晴峰
◇平 忠度=豊福恒陽
◇獄中の作=諌山岳陽
尚、剣詩舞界からの出
演は喜衣流秋山喜衣先
生をはじめ喜衣会社中
の会員、大日本正義流政
武館館長河津義政先生
他会員、日本國風流邦勝
会会長黒川邦勝先生他
会員、桃山流みやこ舞福
岡本部長内田玉虹先生
他会員、静山流桃芳会会
長榊原静桃先生他会員、
夢刀流主宰志柿三刀夢
先生他会員で、本会の吟
詠と息がぴったりと合
い 、勇 壮 、且 つ 華 麗 で 晴
れの舞台に相応しいス
ケールの大きな舞を演
じ た 。フ ィ ナ ー レ で は 、
出演した諌山岳陽宗家
をはじめ、各会の代表者
が 、舞 台 上 に 集 ま り 、公
演成功を祝って、紅白の
餅撒きが行われ、賑やか
な雰囲気の中、記念すべ
き公演を終えた。
尚 、二 日 目 も 、喜 衣 会
の日本舞踊や本会会員
髙木青鳳さんの筑前琵
琶も披露され、大観衆の
盛大な拍手を浴びた。
オープニングを飾った祝舞「松竹梅」地吟は太宰府グループ
(舞は桃山流みやこ舞社中)
名 流 が一堂 に 。
効を奏し、公演での地吟
を成功に導きました。
本会の演目と吟士は、
次の通りです。
◇松竹梅=髙木仁陽・古
澤 奏 陽・安 恒 茜 陽・諌 山
星 陽・濵 地 錦 陽・舩 本 燦
陽・尾中桜陽・有岡紘陽・
山 村 禎 陽・吉 弘 響 陽・佐
藤 貴 陽・陶 山 樹 陽・加 藤
督 陽・高 山 富 陽・山 田 啓
陽
◇富士山=松嶋蓮陽・平
山 恵 陽・大 田 君 陽・野 村
真陽・渕上鈴陽
◇宝 船=酒江鶴陽・梶
原 栄 陽・近 藤 晴 陽・田 中
了 陽・末 吉 禮 峰・竹 内 恵
峰・大濱芳川
◇白虎隊=久保山孝陽
◇名槍日本号=高山旭
陽・戸川政陽・前田明陽・
河 原 田 和 陽・成 海 宝 陽・
橋 口 康 陽・中 島 光 陽・石
橋登陽・古賀富峰
◇ 名 槍 日 本 号︵ 今 様 入
り ︶= 野 村 聡 陽・渡 邉 昇
陽・山下賢陽・斉藤汪陽・
古 賀 西 陽・吉 弘 翔 陽・楢
崎忠陽
◇壮烈八甲田山=松嶋
蓮陽
◇巴御前=小松扇陽・後
藤 佳 陽・岸 凛 陽・梁 池
梁陽・大津琳陽・立石琴
演 剣詩舞地吟で出場
公
座
多
博
平成26年1月1日発行( 20 )
第55号