Finders - 早稲田大学川口芸術学校

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Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
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Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
新たな時代のもう一歩へ
早稲田大学川口芸術学校 校長
長 幾朗
先のチュニジアやエジプトでの様々なメディアを介して結集した市民蜂起を鑑みても、新たなメディアの胎動や時
代の大きな変化を感じざるを得ません。一方、日々、新聞、テレビ、出版、映像、そしてインターネット等の多様な
メディアに関わっている私たちが、その使命を十分に果たし得ているだろうかとの懐疑も抱かざるを得ません。
このような状況において、「グローバルな視点での行動を」とは言い尽くされた言葉ですが、私たちは今このような
視座に立脚し得ているでしょうか。
社会やメディアの変化は、一方ではその表現形式や制作概念をも大きく変える事に作用してきました。歴史におい
卒業・修了制作作品紹介
ても、社会や市民、そして芸術や文化は相互に牽引しながら、その世界を形成してきたとも言えるでしょう。
私たちは、このような時代において新たな芸術や文化を生み出し、そして新たな社会を構築し得るのかについて問
われているとも言えるでしょう。私たちは、また一歩踏み出さなければなりません。
右ページ 卒業・修了制作上映会より
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齋藤 秀夫 ( 映像ジャーナリズム講師 )
錫木 公孝
近藤 勝也 ( インストラクター )
柿沼 真紀
安藤 裕 ( 事務スタッフ )
水由 章 ( 映像芸術表現講師 )
逸見 幸次
高橋 恭子 ( 映像ジャーナリズム講師 )
小田部 崇 ( インストラクター )
10 蕭 佳華 ( 第 5 期卒業生 )
11 王 翊
12 杉野 剛士
13 谷口 諒馬
14 瀧 健太郎 ( 映像芸術表現講師 )
15 古橋 睦之
16 久保 真如
17 高橋 秀明 ( 第 5 期卒業生 )
18 濱口 幸一 ( 映画史 / 論文指導担当講師 )
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19 若松 伸吾
20 Karen Severns( 映画批評 / 英語担当講師 )
21 高木 雄一郎
22 志賀 成将
23 饗庭 廉人
24 山本 直毅
25 有泉 尚
26 等々力 敦
27 高橋 慶
28 福田 彩乃
29 近松 恭子
30 勝矢 仁美
31 桺田 慎太郎
32 市園 圭太
33 新井田 一真
34 大森 繁
35 若松 美寿貴
36 久野 茜
37 内藤 ミカ
38 東海林 その子
39 近松 温子
40 瀧川 歩夢
41 安川 央里
42 福島 詩乃
43 遠藤 絵美
44 洪 智恩
45 林 咲希
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F a c t or y 2 0 1 0
(日)早稲田大学小野記念講堂
2 0 1 1 年 1 月 2 1 日(金)- 2 3 日
上記日程で第 5 期生と 6 期生の映像文化学科 4 年及び映像情報科 3 年の卒業制作
作品と、映像文化学科 3 年次の修了作品の上映会並びに展示会が行われました。
各学生のこれまでの学習の集大成として、一般に作品を公開することができまし
た。次頁に全学生の作品の紹介を掲載します。
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デジタルシネマ 卒業制作作品
キーマン 久保 真如
映像ジャーナリズム 卒業制作作品
30 分
逃避闘争祈り欲 市園 圭太
30 分
明日へ
久野 茜
~ディスレクシアと生きる~
25 分
絆・嘘・家族 SF(すこしふしぎ) 瀧川 歩夢
一向に開く気配の無い扉の鍵がカズヤ
父の借金を返済するため、東京へ出稼
ディスレクシア—読字障がい。障がい
おやじとおふくろとぼくと「あなた」。
を苦しめる。果たして親友の大切なモ
ぎに出てきた道晴。二年の月日が流れ
をハンディと捉えず、明日の理解を求
くにゅうとまがったものがたり。S・
ノを届けることができるのだろうか。
た頃、彼の身に事件が起きる。
めて前向きに生きる南雲明彦さんの姿
F(すこし・ふしぎ)なものがたり。
35 分
を追う。
アニメーション 卒業制作作品
ボンバーガール 高橋 慶
5分
赤い靴 勝矢 仁美
10 分
Road 近松 温子
47 分
私が見つめた街
~東京スカイツリー成長記録~内藤
博士の平穏はいつも一人の少女によっ
アンデルセン童話で有名な「赤い靴」
。
1300 年続くお寺の長女に生まれた私。
東京スカイツリーの成長を見つめ続けて 2 年。
て壊されてしまう。はてさて今回少女
それを立体アニメーション風にアレン
将来を考え始めた私と、家族と、ふる
もうすぐ 634m に到達する。しかし、すみだ
は博士に何をしでかすのやら…。
ジしたショートムービー。
さとの 1 年を追ったドキュメンタリー。
の街も人も、これから変わっていくのである。
わしみや 等々力 敦
がんばって アニメーションで町おこしをした鷲宮
色のない少女は色に憧れ探し求め失敗
仕事をしながら川口自主夜間中学で日
かつて越後に、毒消し売りと呼ばれ
町 ( 現久喜市 )。そこに住む人々と町の
してしまう。同じく色のない少年が
本語の勉強に励むクルド系青年ハリ・
る行商の女性薬売りがいた。貴重な
変化を追うドキュメンタリー。
救ってくれる。頑張ることの先に起こ
ハスギリ君を追った短編作品。
彼女たちの声を集めた記録映像作品。
若松 美寿貴
6分
ハリ君の挑戦 大森 繁
10 分
消えた歴史
~毒消し売りの少女たち~
ミカ
遠藤 絵美
19 分
40 分
るお話。
映像芸術表現 卒業制作作品
de-pas 004
有泉 尚
10 分
家 第二章 王翊
30 分
喪の時間
林 咲希
40 分
海を渡った紙芝居~私達の見たフィリピン~ 杉野 剛士
熊の着ぐるみの様な姿の生物クーマ。
「家」という空間の内外において、存
作者が摂食障害を患ってから、時が止
彼は普段人間のふりをしてくらしてい
在の確証性・非確証性の関係を観客に
まってしまった家族が、祖母の死を
した紙芝居を、現地フィリピンの
る。そんな彼の日常と精神の葛藤。
考えることを促す、映像+パフォーマ
きっかけに集い、再生 するまでを記
貧しい子供達はどのような目で見
ンス。
録した作品。
ているのか。
Light makes a shadow 東海林 その子
7分
SWIMMY
安川 央里
7分
HATRED ANGEL
福島 詩乃
普段は照らすものである光、そしてそ
黒い群衆は何故、よりにもよって宮殿
デ ス メ タ ル バ ン ド「HATRED れによって出来る影を撮った映像。
に押し寄せたのか。身動きのとれない
ANGEL」
。メタルブームが去った今も
光で日常を作り出す。
群衆は右に左に波打ちうねった。
活動を続ける 3 人の絆と思いを描く。
足立区立第四中学校の生徒が制作
19 分
30 分
上映会の DM 発送の準備する学生の様子
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イチオシ映画コラム①
アニメーション 修了制作作品
デジタルシネマ 修了制作作品
東京ブロンド
髙木 雄一郎
40 分
JET MARY
福田 彩乃
篠原明雄(23)は冴えないスカウトマ
ねえどうして?ドキドキするこの気持
ン。一攫千金目指し、ダメで元々 100
ち。悩める想いを燃料に、
今すぐジェッ
万ブロンドのケツを追いかける。
トみたいに飛べたらいいのに…
5分
知られざる戦時下のアメリカを舞台に 濱口 幸一
イチオシ作品
「モーガンズ・クリークの奇跡」( プレストン・スタージェス監督 1944/ アメリカ )
第二次世界大戦が進行中の、あるアメリカの田舎町、 の、この後に自身のものとして完成できたのは1本だけ。
映像芸術表現 修了制作作品
ヌエ・カムイ
近松 恭子
シャサイ
逸見 幸次
若い男たちにとって兵士として出征するのは名誉で誇ら
そして 1959 年に、この世を去ってしまいます。その
いつもかんじていたもの、生きている
運転しているときの風景に興味を持
しいことで、出発直前の歓送パーティーが待ちきれない。
活躍のピークが戦争の時期と重なっていたため、日本で
「ここ」
、過去とこれから。見えないそ
ち、何気なく通っている道に新たな発
一方、娘たちにとっても、そんな場に参加して彼らと
は同時代では、ほとんど紹介されることなく、知られざ
見を求める映像作品。
騒ぐのは愛国的行為と思われている。しかし、ヒロイン
るハリウッドの寵児と言える存在でした。
れらを祈るように描いた絵画作品。
のトルーディは父から反対されて出かけられそうもない。
映像ジャーナリズム 修了制作作品
そこで彼女は幼なじみのノーヴァルと映画を見に行くと
本作(日本未公開のままの1本)は、一連のスタージェ
いう口実を思いつく。
ス映画の中でも最も騒々しくて大袈裟な逸品で、戦争中
このノーヴァルは視覚に問題があって、兵士になるこ
に、よくぞこんなものを考えた、作れたものと感心する
世界各地から来日している留学生たち
作者が一番影響を受けた恩師、面川先
とができず、肩身の狭い思いをしているのだが、彼女の
やら呆れるやら。しかも、大ヒットしたのですから、当
に日本語を教えている粟野先生。先生
生。退職迫る先生は、最後の特別授業
の「特別な授業」を追ったドキュメン
で子供たちに何を教えるのか ?!
願いは断れない。こうしてトルーディはノーヴァルを利
時のアメリカの観客は余裕があったのか、不真面目だっ
用して明日からは兵士の男たちと一夜を過ごし、身ごもっ
たのか。戦地での上映も大受けだったとか。
てしまう。相手は誰だか分からない。
ところで、タイトルに「奇跡」とあるのは伊達ではあ
それへの対処で再びノーヴァルに頼るのだが……。
りません。今でも大ニュースとなりそうなものを仕掛け
先生が私に与えてくれたこと 洪 智恩
30 分
さよなら ぼくの先生(予告編)錫木 公孝
5分
タリー。
た、豪快なウソに基づく脚本の大胆さ。ぜひとも見てお
以上が『モーガンズ・クリークの奇跡』の物語です。
いてほしい1本です。 (日本でDVD発売済み)
脚本と監督は、プレストン・スタージェス。彼は、1930
年代に脚本家としてハリウッドに招かれ、1940 年代には
脚本家兼監督として 11 本のコメディ作品を残したもの
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イチオシ映画コラムは p.34 へ続きます。
ステージでの学生挨拶の様子
会場のロビーの様子
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DM デザイン:勝矢 仁美
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日本映画学校でも松竹の映画塾でも講師を勤めた経験
は意識してストーリーを組み立てるということが出来な
けなくてはいけなかった。しかし 12 月の提出期限まで
に思い、来季に向け様々な改良点、補った方が良いとお
があるが、いつでも学生諸君に先ず言うのは「映像」と
いのだった。
に 3 作品仕上げるというのはなかなか難しい。この辺り
もわれる機材、など、あれこれ進言したい、と考えてい
いう言葉を信用するな、ということだ。映画の制作過程
それを知っていて作るのと、知らないで自己流でやる
は来期のスケジューリングを考え直さないといけないと
たのだが……。
において、シナリオ作りは勿論のこと、ロケ場所の選定
のとでは雲泥の差がある。読書の絶対量の不足、そして
思う。講師の側にも責任はあるが、学生たちの出席率の
せめては現在の在校生たちが全員卒業するまで、一人
低さに関し、大いに自覚を促す必要がある。
一人と誠実に向かい合いたい、と念じるばかりである。
学生諸君の感想も聞きたい、と思い、一言ずつ書いて
から撮影の段階でのキャメラポジション、サイズの決定、 映画を「見る」ことはしてもキチンと「観て」いない、
演技指導に至るまで、言語活動を下敷きにしない「純粋
ということである。だから、もし参考に見せるなら、そ
しかし、いざ撮影になってみると、学生諸君の様子は
映像」などというものは基本的に無いし、もし介入する
うした基本パターンに乗っ取ったオーソドックスで優れ
一変した。教室での、借りてきた猫のような様とは違って、 貰った。併せて読んで頂けると幸いである。
余地があるとすれば、それはごくごく一部、俳優の肉体
た映画を見せ、解説するところから始めるべきだったの
監督も、撮影、照明スタッフも、実に生き生きしている
感や天候など、偶然の産物であることが殆どだからだ。 だ。
のだ。教室で尤もらしい話を聞いているより、実習の方
然り、映画とは表現、即ち「言語過程そのものである」 まあ、反省は今後に生かすとして、ストーリー作りは
が楽しいのは当然と言えば当然だけれど、文章を書かせ
デジタルシネマ領域 この一年を振り返って デジタルシネマ領域担当 松原 信吾
撮影の指導中の筆者
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撮影時には学生が生き生きとする
と言ってしまっても過言ではないと私は思っている。
かなり大変だった。出席率が悪く、なかなか作品が出揃
ると目を覆いたくなるようなものを提出する学生が現場
デジタルシネマ領域 専攻学生の声
そうした前提を踏まえ、4 月初旬から 3 年度生の卒業
わず、私にとって納得できる作品が少なかったが、夏休
では見違えるように頼もしく声を出して現場を仕切って
映像文化学科 3 年 山本直毅
制作の為のシナリオ作りを開始し、先ず全員に 30 分程度
みには撮影に入らなければ、という焦りもあり、仕方な
いたりして、彼らを大いに見直す結果にもなった。改め
人が歩き電車が走り、犬が吠く。あっという間に過ぎ
の短編の素材としてのストーリー案を提出して貰うこと
く中身の練りはシナリオ段階でやろうと決め、何とか全
て「映画作りはお祭りだ」という先輩たちの言葉を思い
た僕の夏は、独自の法則によって成立していた。人間は皆、
になる。順次出てくるストーリーについての批評と添削
員の計 8 本の中から、学生たちの投票でゼミ作品及び自
出した。
嫌な人に出会った時、触れずにさっさと忘れたいと思い、
を繰り返しつつ、同時に、参考にと考えて短編映画~プ
主製作作品 2 本を選ぶことになる。同点場合は私が決め
現場は遅刻や小道具の忘れもの、天候不順等幾つかの
自分が被害を受けることを避け、上手く回避し、円滑に
ロのもアマチュアのも含めて~何本かを見せた。しかし、 るつもりだったが、幸い5票を集めた高木君の「みかん
トラブルはあったものの、12 月の審査会に 3 作品を提出
物事を進めたいと思う。どんな子供であろうとコイツを
年度末に至った今の時点で考えると、それよりも先に学
は往く」(『東京ブロンド』と改題)をゼミ作品に、久保
することが出来、また、監督をやらなかった他の 6 名に
どうにかして一泡吹かしてやろうという馬鹿な企みを考
ばせることがあったなあ、という些かの後悔の念を感じ
君の「キーマン」と市園君の「逃避闘争祈り欲」の2本
ついては、其々のストーリーをシナリオ化して提出する
えることはないだろう。子供だましの悪戯と言った方が
ている。というのは、学生諸君が、私が予想していたよ
を自主製作作品にとスンナリ決まり、スタッフの割り振
ことを義務付け、それも全員がクリアしたことで漸くホッ
正確かもしれない。僕は、第一印象が悪い人間と何故か
りずっと「ドラマ」の何たるかを知らない、ということ
りも出来た。 とした。年末に至って学生たちの顔付きが 4 月の段階に
長く付き合う傾向にある。同時に間接的な方法を使い、
に気付いたからである。人間が他者と出会い交流や葛藤
いよいよシナリオ作りとなった訳だが、当初考えた、
比べ、ずっと締まって良い表情になってきたことも嬉し
企みを考える。時に創った映像にわざと不快な音楽を組
い変化だった。
み込んだし、メールをわざとアラビア語で送った事もあ
が生まれ、幾つかの困難を乗り越えて成長してゆく、と 「この段階で直す」という予定は、相変わらぬ欠席の多さ
いうのがドラマの王道であるとすれば、古今東西、優れ
と時間切れで、なし崩しの状態になり、万全とは言い難
しかし、今更言っても詮無いことではあるが、やっと
る。だが可笑しいことに、気付いた時には大概連絡が来る。
た小説家、ライター、監督たちが作り上げてきた幾つか
い状態で撮入せざるを得なくなった。準備段階でプロの
軌道に乗ってきた当川口芸術学校の廃校が決まってし
ちなみに書いている今日も来た。しかも彼の写真付きだ。
まったのは、残念、と言う他ない。
ナルシストのポーカーフェイスや人相の悪いお喋り男、
イマジナリーラインのことやコンテの立て方等を講義し
撮影途中でもたらされたこの報が、学生たちに与えた
不適な笑みを浮かべるハゲ親父。そいつらと付き合うの
ドラマを作って行くか、というのが我々の仕事な訳だが、 たが、本来はこの期間をもう少しゆったり取って、シナ
ダメージは計り知れないし、一介の非常勤講師の立場で
は野生のライオンを調教するよりやっかいかもしれない。
リオ作りとキチンとした撮り方を教えることに時間を掛
さえ、今後どのような逸材が現れるだろうか、と楽しみ
でも好きだ。だから一緒に映画を創った。
の基本パターンというものがドラマの骨格を支えている。 撮影、照明、録音の技師に来て貰い、実習を行うと共に、
それをどうアレンジし、或いは深化させ、自分固有の
学生諸君はその基本パターンをほとんど知らない、或い
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映像文化学科 3 年 若松 伸吾
し、撮影した映像を先生に見て頂き、細かい指導をして
ナリオを書かせるところから始めたのではとても間に合
ションも、自動車内・外、街中、ファミリーレストラン、
デジタルシネマのゼミを専攻して、映画を 3 本撮り終
頂きました。次の作品では、照明の仕事をしました。こ
わないのである。
大学キャンパス、駅前など様々な場面が設定されていた。
えて、色々と映画について学べました。撮影中は大変な
の時には、映画制作に慣れてきて仕事も速くなり、また
監督は立候補した学生がプレゼンテーションをして、 しかもナイトシーンが多かった。また、この学年は学校
事もありましたが、無事みんなで力を合わせてすべての
スタッフの雰囲気も素晴らしく、気持ちよく働く事がで
全員の投票によって決定し、饗庭班と内田班の2チーム
外でのロケ撮影経験がほとんど無かった。しかし2年次
作品を提出できた事が嬉しいです。特に講師である、松
きました。 での制作となった。それぞれ自主制作で何本かの監督経
の映画ゼミだけあり、良い映画を作ろうという思いが強
原さん、近藤さんにはお世話になりました。来年は 4 年
最初、このゼミは映画を作る技術を学ぶ為だけのゼミ
験がある 2 人だが、他人の書いたシナリオを映像化する
い学生が集まっていた。みんな2つのゼミを掛け持ちな
になるので、次の制作も頑張って行きたいです。
だと思っていましたが、それだけではなくスタッフや役
ことは全く初めてで、全く別物の 2 作品が仕上がった。
がら、限られた時間でそれぞれの役割をこなして行った。
者さんの気持ちを汲み取る等のコミュニケーション力も
『青春の地下室』はタイトル通り地下室が大きな意味を
初めてチャレンジする場面が多かったにもかかわらず、
映像文化学科 3 年 新井田 一真
身につけることができた気がします。このゼミで学んだ
持ち、地下室や工事現場のロケーション探しにかなり苦
ほとんど撮り残し無く終えられたのはすばらしかったと
私は 1,2 年次には主に照明、3 年ではプロデューサー
事を財産にして次の舞台で飛躍できるよう精進します。
労した。照明が難しい撮影が多く、スケジュールや役者
思う。撮影で一番問題だったのは、夜間に走行中の自動
卒業制作作品の撮影時の様子
2年次前期ドラマ実習から
2 年次後期ドラマ制作の様子
作品の1シーンから
をやってきました。プロデューサーをやらせてもらうきっ
1,2 年次ドラマ実習の報告 の起用など、困難が続いたが、学生間で知恵を出し合い、
車車内での会話のシーン。プロの映画撮影であれば、自
かけになったのは担当教員の松原先生が勧めてくれたか
近藤 勝也(インストラクター)
工夫を重ねて乗り越えた。どちらの班も地下室の雰囲気作
動車を牽引して実際に走行する機材があるが、学生には
らでした。プロデューサーは大変な仕事で、主に役者の
1年次 <映像基礎 F >
りに工夫し、工事現場はそれぞれ本物を交渉して撮影許可
それは無理だったので、撮影技師の先生の指導で、停まっ
スケジューリング、撮影場所の許可取り、予算の管理な
1 年次最終実習という位置づけの < 映像基礎 F> は、奇
や警察署の道路使用許可まで取ってくるなど、1 年次とし
た自動車を黒い布で囲い、ライティングにより夜間走行
ど裏方の作業もあり苦労しました。照明を担当した時に
しくも本当に川口芸術学校最後の 1 年生のドラマ実習と
ては驚くほどの行動力を見せた。多少無茶と思ってもある
のシーンを創り出すことにした。車内の会話も安全にク
は、プロデューサーがこんなにも頑張っていたのか、と
なってしまった。川口最初の学生だった自分が、川口最
程度好きにやらせた方が得るものは遥かに大きいと感じ
リアに収録できる。映画撮影は、工夫次第でいろいろな
感じることができました。
後の学生たちの面倒を見ている……。何とも複雑な気分
た。
効果を生み出すことができる。その他、夜間の街角を主
今年一年、プロデューサーという新しいことに挑戦し
である。
2年次 <制作プロジェクト研究 A デジタルシネマ >
人公が歩くというシーンもあった。この時は早稲田キャ
し、まだ後一年残っていますので、もっと自分に幅を広
この授業を振り返ると、試行錯誤の連続で、集中実習
今年度から長尾先生に変わったことで、以前、奥田君(3
ンパス近くにロケ地を決め、電源を確保することが出来
げられるように頑張って行きたいと思います。
制という学校の性質上、また講師の方々が現役で活躍さ
期生)たちが在籍していた頃のスタイルに戻った。数々の
た。照明機材を運び、これまでやった事の無いライティ
れていることから、付きっきりの指導が難しい。そういっ
長尾語録を持つ先生が学生たちに言うことのひとつに、
「映
ングにチャレンジした。
映像文化学科4年 古橋 睦之
た状況の中、担当する先生方が入れ替わりながらも、何
画は総合芸術である」というものがある。それぞれの知識
こういった様々な状況であったが、初めてのロケ撮影
僕は去年の夏にデジタルシネマゼミに移り、当初ゼミ
とかカリキュラムが確立されてきた。
や技術を持ったスタッフが、力を合わせて作り上げていく。
は非常に充実していたようだ。撮影された映像も、これ
に馴染めるか、撮影で足を引っ張らないかと不安でした。 今年度は以前お世話になった長尾先生が映画製作実習
誰か一人が抜き出ていても、誰か一人が欠けても良い作品
までとは違っていてあらためてロケーションの大切さを
撮影期間に入り、照明の仕事を任され、仕事をこなすう
にご担当いただき、先生が書き下ろしたシナリオ『青春
は仕上がらないということを、プロを目指す学生たちは製
実感できた。最後に長尾先生の言葉を借りると、『「女心
ちに、周りのスタッフや役者さんとだんだん打ち解ける
の地下室』という短編を使用した。映画製作にはいろい
作を通して実感する。
と秋の空」という軽めのテーマでスタートした作品が、
ようになっていきました。
ろなスタイルがあり、指導教員によって授業内容が異な
今年は『チョコレートパフェ』という青春映画作品を制
監督の青春を賭けた痛切な作品に変貌した。創造という
次の作品では、カメラを担当することになり、映画の
るのも当然であり、正解がないと言える。一ヶ月の短期
作することになった。福崎星良さんが、脚本、監督、主演
行為が生き物であることを、誰よりも脚本も書いた監督
カメラにおける画面構成やカット割りなどの技術に苦労
間で、内容のある作品を完成させるとなると、学生にシ
の 3 役をこなすという、非常に難しい内容である。ロケー
が強く感じていることだろう』。
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Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
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2010 年度のドキュメンタリー作品から
弟子入りした青年の試合までの一カ月を追っている。
て、なんらかの発見があったことがうかがえる。
先から感じられる彼の違和感を見つけ出し、その断片を積み重
早稲田大学は昨夏、川口芸術学校の 2011 年度の募集を停止
セルロイド玩具は戦後から 1960 年代にかけ、日本にとって
「自分の知らない世界や知らない人にふれ、自分の幅が広がっ
ねることで「見える真実」を提示しようした。ナレーションに
し、映像制作関連の機能を大学内に再編すると発表した。結果
外貨獲得のための貴重な産業だったが、プラスチックの出現と
た」(HO)
は、取材対象者に寄り添った撮影者のみが感じた言葉、すなわ
として、川口芸術学校生の映像基礎を担ってきた1年生の集中
ともに市場から姿を消した。『セル職人!平井英一とミーコ物
「ブレイクダンスやバレエのような激しい動きではないが、
ち、久野さんの「私性」が表現されている。
授業も 2010 年度を持って終了する。今年度限りになる「映像
語』(4 班 ) は、日本最後のセル職人といわれる平井英一さんが、
( アオキ裕キさんに接して ) 奥深さを感じた。同時に、どんな
福島詩乃さんは、メタル ( 音楽 ) が勢いを失ってしまった今
基礎D」( ヒューマン・ドキュメンタリー制作 ) と「卒業制作」
「制
父から譲り受けた金型を用い、セルロイド人形「ミーコ」を蘇
人にも限りない可能性があることを実感した」(SO)
でも根強いファンのひとり。メタルの情熱を伝えようと、夢を
作プロジェクトC」(3 年次修了作品 ) について報告する。学生
らせた話。
「制作者 ( の仕事 ) は一人の生き方を紹介する同時に、その
求め続けるバンド『Hatred Angel』を取材した。同名の作品は、
の感想は括弧で、作品は二重括弧で紹介する。
『サイトウアヤ 社会に元気を』(5 班 ) は、毎朝、新宿駅西
人の人生の一部に参加することと考えるようになった。(中略)
3 人のバンドメンバーが生き残りをかけ、苦悩する姿を描いて
口で行き交うサラリーマンや OL にチアダンスで応援する斎藤
ドキュメンタリー制作は、その人の価値観に立って表現し、理
いる。
「取材を重ねていくうちに、音楽に対する考え方やメタ
彩さんを取り上げた。エネルギシュな彼女の姿に勇気づけられ、
解を深めることだと思った」(HM)
ルに対する微妙な違いが不信感に繋がり、共感できない部分が
ダンスに加わる人たちも出現した。
「この授業を通して、私は本来なら一生交わることは無かっ
増えた」と福島さん。取材対象者への思いを持続させられるか
ただろう多くの人と出会えた。そして、彼らの生きざまを垣間
どうかもドキュメンタリーの内容を左右する。それ故、最初か
見ること、自らの未来を照射することでできた」(HO)
ら一定の距離間を取るか、あるいは、距離間の変化までも作品
1.「映像基礎 D」( ヒューマン・ドキュメンタリー制作 )
今年度は 5 グループによる作品が完成した。『ソケリスト、
アオキ裕キ』
(1 班)は、ニューヨークに留学中に同時多発テ
映像基礎Dは入学後初めてのグループ作品である。「取材対
ロに遭遇し、人生を一変させたダンサーのアオキ裕キさんを取
象者との関係」
「事前準備の不足」
「チーム内のコミュニケーショ
り上げた。帰国後は、ショービジネスから離れ、路上生活者と
ン」「十分な素材がない」等様々な問題に直面した。中でも制
2.「卒業制作」
「制作プロジェクト C」(3 年次終了作品 )
現在廃村になっている新潟県角海浜 ( 現新潟市西蒲区 ) は、
のダンスグループ “ソケリッサ!” を結成。作品は公演を主軸
作者の士気を左右するのは、チーム内のコミュニケーション」
今年度は、映像文化学科が5本、映像情報科が 4 本の卒業作
腹痛薬である毒消丸の発祥地である。戦前から戦後にかけ、多
に、技術や表面上の美ではなく、内面から沸く自由な肉体表現
だ。以下の感想はコミュニケーションの大切さを語っている。
品を、3 年生が 2 本の修了作品を制作した。ドキュメンタリー
くの女性がこの地を出発点に、
「毒消し売り」の行商に旅立っ
を追求するアオキさんを追っている。
「取材対象者に接するには、取材の方法や内容、必要な素材
における私性について考えさせられた一年だったのではない
た。中には、小学校を卒業したばかりの少女もいた。『消えた
『無力無善寺』(2 班 ) は JR 中央線ガード下にあるライブハウ
などをこちらから話し、その中でコミュニケーションをはかれ
か。3 名が自らの家族を取り上げた私的ドキュメンタリーを制
歴史~毒消し売りの少女たち』は、曾祖母が毒消し売りだった
映像ジャーナリズム領域 プロジェクト研究報告 に入れ込むか、制作者の立ち位置が試される。
映像ジャーズム領域担当 高橋 恭子
012
013
2 年次インターネットライブ中継の様子
ス。同名の作品は、経営者の無善法師と彼の一風変わった生き
ば良いが、仲間とはそれだけでは不十分。それぞれが頭の中で
作したが、他もそれぞれに、取材対象者との距離間や制作者と
遠藤絵美さんのルーツを探る旅である。紺絣に脚絆姿で全国を
方に惹かれ、ライブハウスに集う人々を描いた。「実際に取材
イメージしている完成像をなるべく差異ないように近づけるこ
しての立ち位置について熟考を重ねた。
行脚した母と娘。数か月に及ぶ母の行商を待ちわびる幼い子ど
してみると、表面的な面白さしかなく、素直な一面が引き出せ
とだ。それには、全員が言い淀むことなく、話し合わねばなら
久野茜さんは、
『明日へ ディスレクシアと生きる』で、ディ
も。高齢になったかつての毒消し売りが、当時を証言する貴重
なかった」
(YT)と取材班は短期間での取材の難しさを思い知
ない」(AB)
スレクシア ( 失読症。文字の読み書きが困難な学習障害)を取
な記録である。
り上げた。登場する南雲明彦さんは、21 歳でディスレクシア
今年 12 月、墨田区に 634 mの世界一の高さを誇る電波塔が
と診断されるまで、原因不明の症状から引きこもりや自傷行為
誕生する。現在、下町の新観光スポットとして衆目を集めてい
らされた。
昨年暮れから、自称タイガーマスクによる寄付行為が日本各
映像基礎Dの目的は、映像制作過程を理解することに加え、
地で相次ぎ、善意の象徴としてのタイガーマスクが復活してい
「発見した人物を多面的に捉えること」である。問題があった
を繰り返していた。苦しみから解放された今、
「障害も宝」と
るが、メディアに先駆け、2008 年 12 月に取材を開始したの
る。
『タイガーマスク とらの子』(3 班 ) は、高校卒業後、プ
としても、映像制作を通じ、世界観が広がれば、授業目標はほ
して学習障害の啓発活動を積極的に展開している。目に見えな
は内藤ミカさん。
『私が見つめた街~東京スカイツリー成長記
ロレスラーを夢見て、初代タイガーマスクの佐山サトルさんに
ぼ達成したと言える。以下のコメントからは、映像制作を通じ
い障害を映像でどう表現するか。久野さんは、カメラを向けた
録~』は、3 年次修了作品に、タワー前を流れる川でボート部
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
の活動に励む中学生の映像を加え、3 年間の集大成とした。テー
現地で活動する日本の NPO を通じて、路上やごみ山付近の子
そのままに作品にした勇気は高く評価されたが、
「作って良かっ
終わりに
マは、タワーの成長に加え、すみだの街の変わりゆく姿と変わ
どもたちに活用されている様子を伝えている(詳細は p.32-33
たのか、過ちをしたのかまだ自問自答している」と、家族の人
映像作家の佐藤真は 90 年代、
「私的ドキュメンタリーは一種
らぬ姿である。
「取材を通じて多くの人々と出会い、そのたび
を参照)。
生を記録し公表することの責任を感じている。
の社会現象のような隆盛を見せる」( ドキュメンタリーの修辞
に自身が大きく成長した」と内藤さんは言う。
自らの家族を取り上げた三本の私的ドキュメンタリーに触れ
『絆 嘘 家族 SF( すこしふしぎ )』は、小学校時代に別居
学 ) とし、映画祭でも日本のみならず、欧米やアジアの若手作
川口市と蕨市には、300-400 人のトルコ系クルド人が生活し
る。近松温子さんの実家は、1300 年の歴史ある寺、勝縁寺 ( 福
した父との新たな関係を求めようとする瀧川歩夢さんの私的ド
家にも多く見られる傾向だと言う。
ていることは意外に知られていない。『ハリ君の挑戦』は、昼
井市寮町 )。卒業を目前に控え、長女としては、「誰が寺を継ぐ
キュメンタリーである。父との関係を構築しようとすると、母
卒業制作上映会では、
「映像ジャーナリズムゼミはなぜ、自
間はリサイクル工場で働き、夜間は高校受験を目指して、自主
か」が気がかりだ。3 人の弟妹には継承する意思はない。
『Road』
との関係が悪化し、撮影は難航した。長年、別居していた父と
分のことばかりを描くのか」という質問があった。一つには、
夜間中学で日本語を学ぶクルド人少年、ハリ・ハスギル君を追っ
は、近松さんの家族とふるさと、福井市岡保地区の一年の記録
本音で語り合うにも時間が必要だった。関係を変えたのは、障
佐藤が言うように、簡便な機材開発からテーマが社会問題から
た。ハリ君の家族は、トルコ系クルド人である複雑な事情に加
である。作品では、これまで曖昧にしてきた寺の継承問題を家
害者の代表として父が出席した韓国の会議に同行したこと。少
私的小宇宙へ変容したことであろう。もう一つには、誰もが映
え、難民申請、在留許可等など様々な問題を抱えていた。この
族や自分自身にぶつけているが、仕掛けるカメラの暴力性を嫌
年時代の不登校や父親不在の寂しさなど心にたまった澱を映像
像で発信できる時代、映像も活字のように、思考のプロセスを
事情を知るにつれ、大森繁さんは「密着取材が適切かどうか」
い、カメラを据え置き、家族や地域の人々の素の姿を記録しよ
を通して表現した。私的ドキュメンタリーについては、
「疲れ
記録できるツールになったこと。
に悩まされ、
「世代、文化、人種、言語など両者の間にある如
うとしたーそれでもカメラの暴力性を完全に消すことはできな
果てた。正直言って二度とやりなくない。しかし、その分だけ、
しかし、
それだけでは作品にならない。私的ドキュメンタリー
何ともしがたい溝」
に圧倒された。困難な取材ではあったが、
「現
いが。そのためには、頻繁に帰郷し、カメラがいつでもどこま
自分をみつめ、一つの問題を乗り越えたという達成感と自負心
には、
「他人の私生活を誰が見るのか」という問いがついて回
在大いに注目を浴びている中東問題に触れたことは大きな収穫
である状態を作り、人々がカメラを意識せず自然に振る舞うよ
はあり、経験して良かった」と瀧川さんは少しだけ満足してい
る。その問いに答えるには、制作者の「映画的戦略」が必要だ
であった」
。
うになるまで、撮影し続けることが必要だった。一時は、「帰
る。
と佐藤は言う。近松さんが夜行バスの車窓やふるさと東京の間
韓国の留学生、洪智恩さんは日本語学校時代、スピーチコン
郷し、寺を継いでほしい」という家族やふるさとの人々の期待
最後に、アニメーションゼミから移籍した若松美寿貴さんに
の道を作品の軸に据えたのも、林さんがパフォーマンスの映像
テストに優勝したことがある。日本語上達の助けとなったのが、
に押しつぶされそうになったが、撮影を通じ、「村や家族が好
触れる。
『がんばって』は若松さんの経験に基づいた私的アニ
をオープニングやエンディングに入れたのも、瀧川君が九十九
多読授業 ( 学習者の能力にあった書物を大量に読む手法 ) だっ
きで、離れられないこと」に改めて気づいた。
メーションである。嫌なことや苦手なことがあったとしても、
里浜で障害者である父を背負う自分を撮影したのも、戦術であ
た。
『先生が私に与えてくれたこと』は、多読授業の開発者で
林咲希さんは高校時代、摂食障害を患った。それ以降、家族
人は心の持ちようでいくらでも変わることができる。そう思っ
り、戦略であったと思う。こういった作品に共通して言われる
014
015
映像基礎 D 授業作品「ソケリスト〜」から
福井県で行われたゼミ合宿
ある日本語教師の粟野真紀子先生と多読によって成長した洪さ
を疎ましく思うこともあったが、祖母の死をきっかけに家族と
た時、作品の着想を得た。色のない少女が色を求めて旅に出る。
こと、それは「試されるのは二作目」ということだ。
ん自身の思いが表現されている。
の関係を再構築する。『喪の時間』は、家族の一年間の再生記
様々な色に染まろうとするが、それは「自分」ではない。そこ
自分の心の中を他人に見せる辛い作業から、今後さらに大き
『さよならぼくの先生』は、錫木公孝さんの小学校時代の恩
録である。孫の病気を気遣い、別居した祖母。娘の病気に責任
に、色のない少年が登場し、あるがままの自分を受け入れるこ
く前進していくことを祈念する。
師の最後の一年を追ったドキュメンタリー。本年度は予告編を
を感じる父。看護師として多忙な母。嫁ぐ姉。厳冬の北海道の
とに気づかせてくれる。
「頑張り過ぎている人たちに、自分ひ
完成。来年度の本編が期待される。
雪景色と春の訪れを背景に、林さんの心情を軸に家族の一年が
とりでないことを語りかける作品になった」と若松さんは思っ
昨 年 の 7 月 26 日 か ら 約 一 週 間、 ゼ ミ 生 7 名 が 外 務 省 の
丁寧に記録されている。「家族を撮るのは、楽しいものだった。
ている。
JENESYS プログラムに参加し、フィリピン国立大生の協力を
産まれた頃からずっと一緒にいたから呼吸があってスムーズに
得て、映像作品を完成させた。
『海を渡った紙芝居』( 代表:杉
撮影できた」が、辛いのは編集だった。「家族が傷ついたらと
野剛士 ) は、足立区の中学生が描いたデング熱予防の絵本が、
不安になった」と林さんは述懐する。家族の良い面も悪い面も
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洪さんの作品「先生が私に与えてくれたこと」から
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
はじめに がないかと考えていた。自分が昔経験した「まんが日本
画(5-7 人)⇒色指定⇒色仕上げ+制作進行 2 名+制作デ
本だけではなく、しかもヨーロッパでは食事にも慎重で、
アニメ業界の現状を絡めながら、早稲田川口で昨年度
昔ばなし」がまさにそうであった。
スク…延べ人数 18,9 人で 5 分ものをやっていた。何人も
合成食品やジャンクフードなどを安易にキャラクターに
関わるので、リテイクが出ると、伝言ゲームのように責
食べさせないなど。質とスケジュールを納品までに成立
感じたこと、反省点、これからの目指すところをまとめ
てみた。昨年から大きく変わってきたことは TV アニメ
監督になってまず考えたこと
任転嫁してしまい、すぐに修正できずにいた。
させるために、各話のイメージボードと画コンテを必ず
のコンテンツに制作費がほとんど下りなくなってきてい
第一に原作絵本の鉛筆タッチなど独特の味わいや感動
そこで私の改革案は、6月の途中交代で 10 月納品まで
フランス側に送って、<放送コード>なども同時にチェ
る状況だ。それでも局からの低い制作費末端まで少しの
をどう映像化するかを考えた。多くの人が関われば今ま
約 5 ヶ月で 5 分作品 17 本のところを、選定した作画スキ
ックした。(旧体制ではやっていなかった)
ギャラが回ってきたが、最近は「放送するから制作費は
でのやり方では統一が難しく、「リタとナントカ」ではキ
ルの高い 17 人の作家(もしくはグループ)にそれぞれ 1
キャラクターのニュアンスが統一取れないため、個人
自分達でスポンサーを見つけてこい」と TV 局も難しい
ャラクターの品質維持が出来れば1本1本独立したもの
本ずつ発注し、監督⇒以下個人クリエイター、1 人5分を
クリエイターといえどもイメージボードにこちらで作監
ようだ。多くの海外アニメーターが裕福な生活を手にし
として作家の表現を楽しめるのではと思い至った。同時
受け持ってもらった。プラス制作デスク 1 名で、随分シ
修正したものをベースに合わせてもらった。自分の作品
てるのとは対照的に、日本のアニメ-ターが貧乏なのは
に学生時代から個人作家や映像クリエイターと呼ばれる
ンプルでコンパクトになり効率も良くなった。「信頼でき
として創っていくクリエイターには、その点がこれまで
なぜだろうか?そんな中昨年は何十年かぶりにTVアニ
活動している才能をどう商業に結びつけるかということ
る作家に頼んでいるから 質もいいものがあがるはず」と
のやり方と違い、恐らくそうとう悩んだ人もいると思う。
メ業界の只中に入って「リタとナントカ」という作品の
をずっと腐心していた。作品制作で生活してゆけなくと
判断し進めたら、当然 17 人もの優秀な人材は簡単には集
そこが作家の個性を殺すことになると捉える人もいるた
もアーティストとして生きるだけでなく、ビジネスとし
まらずせめてコンテ⇒演出⇒作画監督⇒原画までを個人で
め、慎重に話し合って進めた。キャラクターが重要な部
アニメーション映像の問題点 監督を任され、その現場で感じたことを少しまとめたい。
アニメーション領域担当 小堤 一明
て個人の創作に多くの人が関わる商業アニメーションの
出来る方法を採用した。これは修正点を 1 人に伝えれば
分を占めているため商品として、スタート段階で意識し
独特な旧態然としたアニメ業界
道がないものだろうかと思案していた。そこで一人にま
迅速に進む利点があり、制作費もバラまかず集中投下が
てもらうか、どうかでコンテンツというものは大きくぶ
大学でのアニメーション映像教育をする中、アニメー
とまった制作費が入れば、安いTVアニメの制作費も配
出来る。リスクは承知で進めたが、やはり個人作品の制
れてしまう。私が個人クリエイターにこだわったのは、
ションが大好きな学生でも卒業後アニメ業界に入らない
分の不平等はなくなり、自分の裁量でやりくり出来る。
作と違って、商品としてのアニメ作品を作ることは生半
彼らの構成と演技だ。最近のTVアニメでは、作品にも
状況をずっと見てきた。アニメで生活できるまで育つ人
可能性を探るために、これまで商業アニメをやっていな
可ではないということを痛感させられた。
寄るが、演技と呼べないようなストーリーとレイアウト
はごく一部の人で、アニメ業界に優秀な人材が入る構造
かったクリエイターに声をかけることにした。問題はキ
の変化が出来ないか考えていた。同時にアートアニメー
ャラクターの品質維持だった。
ターの個性的な演技のあるアニメーションとして話数ご
今のアニメ作品は、国際的な営業がないとペイできな
と作品として成立するような商品を目指すため、今まで
を何とか壊せないものかともがいてきた。もちろん今ま
ゴールの設定
い現状があり、フランスと共同制作といったその後の販
に欠けていた演技を見直すような個人クリエイターに期
でもこの問題について考えられてきたが、実際に実行す
ションと商業アニメの壁がずっと立ちはだかっているの
016
が溢れている。セリフがなくてもわかるようなキャラク
作品と商品
映像といえども一画面ごとに心にしみ込むような素敵
売戦略も含めてグローバルに考えていかないと国内での
待を込めてお願いした。商業アニメーターは修正が出て
る人がいなかった。そんな中、急遽「リタとナントカ」 な画面つくりを目指すため、大事にとっておきたくなる
制作が非常に困難になっている。監督として「リタとナ
も当たり前に修正に応じるうたれ強さがあるが、クリエ
ポストカードのような絵作りを目標にした。原作の世界
ントカ」の世界観「白い空間」を生かし、上品なポスト
イターたちはその場合しっかり説明しないと難しく、繊
引き受けることになった。スケジュールが間に合わず、 観ではモノクロにちょい赤の乗った3色なのだか、フラ
カードにまとめる目標はOKとなったが、原作者やフラ
細でとても敏感であった。どっちがいいということでは
原作絵本の良さも出ていないことがリリーフの理由だが、 ンス側からの細かい設定集(バイブル)があり、就学時
ンス側制作会社、各クリエイターとのやり取り、日本の
なくバランスと適材適所が問われた。
というアニメシリーズの後半担当のリリーフ監督として
納期の契約は守るかわりに、自分が思ったように やらせ
前の子供が対象には色味がないとさびしいということで、
制作関係者、その他すべてのすり合わせには実に慎重に
てほしいという状況に持ちこみ、関わる人たちが少しで
アニメでは最小限の色味をつけ、目分量として一画面に
丁寧に誠実に対応した。コンテンツはいろいろな要因が
システムと人材
も納得いく結果が出せるような環境作りを目指した。
色味が 30%なら白味が 70%というデータ数値を決めた。
奇跡的にバランスが取れてうまく成立するものだ。
こうして進めていく中で会社側は旧態然とした制作体
「質とスケジュール」をどちらも成立するのが自分の使
加えてスケジュール優先現場も少し違う視点で、制作の
内容面でもう一つ重要なのは<放送コード>の存在だ。 制から抜けられず、仕組みの中で人を当てはめる今まで
命で、今までのアニメは監督がトップに立ち、作品に関
アプローチの変更を試みた。まず旧制作体制では 1 月か
就学時前の児童を対象にするため、あらゆる危険なこと
の業界の流れをあくまでも変えようとせず非常に厳しか
わるスタッフの力を少しづつ平均点に近づけて個性を薄
ら 9 月までの製作本数 9 本だったため月産 1 本で、10 月
には、すべて作画に反映できず、困難を極めた。例えば
った。そこで私は、クリエイターたちの方法論や創造性
めていく流れが多かったが、逆に様々な個性を薄めずに
の時点で残る 17 本の納品が手付かずだった。この旧体制
イスに立ち上がるだけでNG。転び方も危険じゃないよ
を尊重し、彼らのモチベーションがあがるように、本人
とんがったままメリハリを楽しんでいけるシリーズなど
では監督⇒コンテ⇒演出⇒作画監督⇒原画(4-6 人)⇒動
うに、スピードは上げすぎない、etc。これに関しては日
たちにシナリオも選べるようにした。そのリスクやケー
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Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
017
スごとに面倒なことも多々あり、また会社側との折衝も
だ。2D はその度新規に作るので非合理さがあるが、キ
制作を重視し、実際の制作依頼の発注と同じ想定で行っ
厳しいものがあったが、各話数ごとの作家の魂が最優先
ャラクターは崩れやすい反面、有機的に生きている感覚
た。「パペットアニメ」ではプロデューサーを他薦し、自
なのでこうした問題にも価値があり、今後のコンテンツ
を伝えることができる。商品として考えると 3DCG が有
分たちでグループを作る主体性を維持し、質とスケジュー
制作の基礎となると思う。つくる人たちを大切にしなけ
利だが、両者が活かせる企画がいろいろと考えられる。
ルが常につきまとうことを学んでもらった。失敗を恐れ
れば、絶対に本物のコンテンツに繋がらない。コンテン
3DCG を視野に入れるとやはり立体視に繋がり有利だが、
ず、しかしイメージしたことの違いをしっかり判断し、
ツ制作は 一つ一つ魂を入れていく作業だと思っている。 世界中が 3DCG に舵を切っているため逆に 2D は観客の
そこから次の方法への応用を重視した。削りではあった
アニメーション制作をもっと夢のもてる世界に変えてい
心に届きやすいところもあり、希少価値として価値を高
が4本の作品は完成させ、その思い残しを、2 年次 < 映
きたい…。 実際「人」優先の作業で、試したことは若手
めていくだろう。
像基礎 H> で完成形の密度精度を上げていく予定で授業
の作家5人で同時に読みあわせ的なコンテ打ち合わせを
018
を終えた。
やったことだ。学校の授業ではなかなかそこまでは実現
授業での試み
アニメーション 2 年 < 映像基礎 H> では複合的な映像
しない。自分で何かを作る立場に立ち、責任をもって素
当校に限らず現在日本のほぼ全大学での映像教育の問
演出のテクニックを学びながら、アイディアのいかし方、
く、自分らしいチャンネルを持つクリエイターを目指し
て欲しかったのだが、そこまでの余裕もなく創っただけ
で精一杯という状況だった。この学年は前年度に作品を
つくれなかったことがずっと尾を引いており、結局 < 見
る意識 > から < 創る意識 > にシフトすることもままなら
なかった。1本創ったら次に2本目という具合にいきた
かったのだが、残念ながら卒業制作がぶっつけ本番の 1
本目という流れで熟慮した 1 本には遠かった。
今後のアニメーション教育
早稲田川口の特徴を前面に出したアニメーション教育
材をきちんと持参しミーティングをするということは、 題は、マンガ、アニメ、ゲームというジャンルが学部ご
キャラクターの創出、最低限の具体的なアニメーション
社会人になって初めて身に付くことなのかもしれない。 とに細分化している縦割りが進み、実はコンテンツとし
的な演習を行っていく。それが映像のキモとも呼ぶべき
は、特に 2 年生前半までは 4 ジャンルすべてをこなして
逆に言うと学生からでも自作をつくり続ける人が、プロ
ては全部繋がっているという横のつながりが気薄な点で
「シズル感」を生かすためのテクニックを磨いていくこと
いくためにアニメーションに割ける時間はあまりに少な
になっても生き残っていける人なのかもしれない。
ある。日本では現場でも残念ながら世界で交渉でき、ジャ
につながる。ロトスコープ的なイメージ映像、ストーリー
い。逆に利点としてアニメーションだけを学習するより
ンルをすべてをまたがったタフなプロデューサーが存在
もの、絵本的なもの、CM的なもの、ミュージックビデ
幅広い視野で映像制作に関われる。
新たな試みで見えてきたもの
しない。世界中でネットが普及して DVD も販売不振で、
オ的なもの、など事前にいろいろな映像を見せて、映像
昨年も書いたことだが、今ここで学んでいることはお
作品の制作権利を獲得できる会社のブランドと優秀な
映像自体がただで観るものという意識の中、私たちはど
の融合「イメージマッチング」を行った。背伸びをした
そらく卒業して 5 年後 10 年後に気づいていくことが多
プロデューサーと監督、それに個性豊かなブレーンを数
こに行くのか?これからは作品の販売だけではビジネス
映像を作らせる授業でもあり、映像のための基礎トレー
いだろう。技術を教えることだけではなく、自分で考え
人加えればあとはすべて外注でやりくりすることが、質
モデルとしてムリがあると思う。これからは映像を作る
ニングの必要性を感じた。
て、自分でスタッフや時間の管理をし、自分たちで達成
とスケジュールを向上できることが分かった。その意味
システム、教育などを一緒にしてビジネスに組み込んで
2年後期のアニメゼミでは、始めに2週間ずつで4本
していくということを目標にしているためだ。作家であっ
で、現状のアニメ制作体制は無駄が多すぎると言える。
いく必要があるのではないだろうか。魅力のある映像コ
のワークショップ形式でいろいろな視点での興味を引き、 てもプロデューサー的な感覚は必要になる。作っていく
「リタとナントカ」は手描きのアニメーションだが、実
ンテンツにいたるまでの教育と制作システムならどこの
その間に1本作品のコンテを進めた。課題的な助走をし
過程などもシステムとしてビジネスになっていくと思う。
は3DCG(モーションキャプチャーではなく手付けに近
国も出資したくなると思うし、マンガやアニメの原作を
た上で残る2ヶ月で1本の作品を仕上げ、学生によって
コスト的にも限界の TV アニメ業界を含め映像制作者
いアニメーション)も 1 話分5分の 1/3 くらい試してい
持っている日本が教育やシステムを売ることには意義が
は未完成なものもあったが、総じて個人でも初作品を創っ
は日本というより世界を想定してものを創っていくこと
る。(注①)ロングに関しては手描きも3DCG も全然遜
ある。有能なプロデューサーの育成と同時に、これから
たという自信のようなものは出来たのではないだろうか。 や、いろいろな問題がクリアされずに横たわっているが、
色なく、UPに関しては手描きでないときついが、おお
の課題として短編映像を作っているクリエイターが中編
良くも悪くも2年のゼミで作品にたどり着かないと卒制
問題を解決するということ自体をビジネスにしていくこ
むねアナログ的なこのような作品も3DCG でいけること
から徐々に、ビジネスに繋がりやすい長編に挑戦できる
に大きく影響することがわかっているため今年は学生の
とを考えることがこれから必要になってくるのだと思う。
がわかった。今回の最大のリスクはキャラクターが崩れ
場が必要だ。現在若手の才能あるクリエイターが毎年数
モチベーションに腐心した。今年は確かな手ごたえを感
ないようにすることだったので、これを突き詰めると2
多く卒業し世の中に出ているが、映像制作会社やフリー
じので、自分を信じて可能性につなげる粘りを身につけ
注①:cgworld.jp 日本アニメ CG の新たな原動力参照
Dよりは3DCG で創るほうが合理的で効率的だというこ
で NHK 教育の番組に関わるくらいでは、なかなか仕事
られたと思う。
http://cgworld.jp/feature/review/pencil+3-vol3-2.html
とだ。3DCG の利点は技術の蓄積が会社単位、業界単位
に繋がらず、生活出来るような受け皿が日本ではあまり
3,4 年アニメーションゼミでは、企画や制作が進んで
写真:1,2 年次アニメーション実習の様子 (P17)
で計れるところだ。コンテンツの部品パーツなども管理
に貧弱である。今後のコンテンツビジネスの活性化が望
いく作品製作の中でアドバイスをしていく予定だったが、 「リタとナントカ」資料と筆者 (p18)
整理がしっかりできていればいくらでも再利用が可能な
まれる。
こちらの指導意図が伝わらず、指導らしい指導が出来な
のため、シリーズのアニメーションなどにはもってこい
1年次授業では個人クリエイターというよりグループ
かった。本意としては初めからスキルや技術優先ではな
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を進めていく事は変わらない。早稲田川口の欠点として
2 年次「映像基礎 H+I」の制作の様子 (p19)
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先日夜、仕事の合間に twitter を眺めていたら、あるサ
チーフディレクターの岡部務氏のプレゼンテーションが
のあるキーワードを入力して関連映像を視聴するスタイ
クを辿ることで設計段階のミスも把握でき、また友人の
ッカー選手がイタリアの名門クラブに移籍するというニ
あった。(*1)
ルが定着しつつある。現在は無料視聴サイトが話題の中
指摘から問題点を改善しやすくなる。また Flash を用い
ュースについて、大勢の人が騒いでいる様子がリアルタ
岡部氏は、2010 年夏より行った「クローズアップ現
心にあるが、有料コンテンツ配信に対する試行も続いて
ることでサイト内に動画やアニメーションを取り入れる
イムで流れてきた。面識のある選手だったので気になっ
代」のデザイン改善について、番組視聴選択、いわゆる
いる。例として挙げられるのが、昨年 11 月より日本向の
こともでき、表現の自由度も高くなる。Flash は複雑な
て見てみると、衛星放送局「スカイスポーツ」のイタリ
ザッピングを止めて番組を見せるためには、セットの雰
映画配信も始まった、Apple 社の iPhone・iPad 用コン
命令を覚えずに済む反面、構造の理解が難しいため 1 年
ア語サイトへのリンクが貼られていて、インターネット
囲気、出演者や番組を知っているかといった項目に比べ、
テンツ配信サイト「iTunes Store」だ。
生に教えることへの不安もあったが、1 年生の学習の速
上で契約会場の生中継が行われているとのこと。リンク
番組のテーマが瞬間的に理解できることが最も重要とし
iTunes Store は、多くのコンテンツ配信サイトと同じ
さに助けられて実習を進めることが出来た。
先では、リポーターが聞きなれた選手の名前をイタリア
た NHK 放送文化研究所の調査を踏まえ、番組テロップ
く、膨大なコンテンツをリスト表示する際に、視聴(ダ
坂東さんの作品は、Web サイトの定番レイアウトを用
語でさかんに連呼している。twitter ではリポーターの言
やシンボルロゴのデザインを行ったと説明した。
ウンロード)数と共に、ユーザによる☆印の五段階評価
いつつ、細かなアイコンの作りこみやアニメーションな
葉が即座に翻訳され、関係者は全員合意に至っているが、 文字のレイアウトは、1 年次最初の集中実習である情
(star rating)を重視している。話題性だけでなくコンテ
どを加えることで、安定感と可愛らしさが相手に伝わる
あと数分で移籍証明書が届かないと移籍が無効になると
報リテラシーで、自分の名刺を作るプロセスを通じて学
ンツ内容の良し悪しを購入希望者により伝わりやすくす
よう演出されている。本吉さんは三つ編のキャラクター
のこと。どうやら緊迫した状況らしい。その後もサッカ
習する。名刺は絵を入れることで自分らしく仕上げるこ
る仕組みだが、注意深く見るとある傾向に気付く。評価
が宇宙をバックに座っているという、何とも奇妙な世界
ー評論家や日本代表サポーター、選手の代理人などが入
とが出来るが、名前や役職、所属などの文字情報が相手
はコンテンツ内容を高く評価した☆ 5 〜 4 と、読みづら
観が提示され、星々を旅したくなる気持ちが作品を見る
り混じって契約について議論が続き、契約完了の報を聞
に伝わるようにレイアウトされていなければ、信頼を得
さや機能面の不備を指摘する☆ 1 の評価に分かれるのだ。 導線になっている良作に仕上げた。松浦さんは、カラフ
く頃には夜が明けようとしていた。
ることが出来ない。主観的な表現と客観的な情報伝達の
そして、視聴しづらいと評価されたコンテンツが、内容
ルな文字できちんとコンセプトを記して作品へ導くと共
興味深かったのは、この一連の視聴体験が他の視聴者
バランスこそが重要だ。逆に言えば、文字情報の組み方
で☆ 5 評価を得ている例はほとんど無い。これはコンテ
に、冒頭に自分が旅した土地の写真をスライドショーで
の情報提供から始まったこと、そしてそれがリアルタイ
さえ理解していれば、映像作品における内容の自由度を
ンツが視聴しづらい場合、内容の良し悪しに関わらず評
入れ込み、行動力と可愛さをうまくミックスして表現し
ムで共有されたことだ。女子高生が朝の挨拶の次に「昨
高くしたり、異なる特色を持つ作品を一連のシリーズと
価は下がってしまい、その結果キーワード検索をしても
ている。
日のお笑い番組見た?」と話題にするのが従来の番組情
して認識させることが出来る。
なかなか表示されないという悪循環に陥ることを示して
新しい携帯端末の登場や、TV局の広告収入減益とい
いる。
った話が飛び交う今日この時点で、映像と情報の行く末
報の共有だったが、今は「今やってる番組おもしろいよ!」 1 年次の課題としては高度で、慣れないソフトに苦戦
と誰かがつぶやき、その共有性が高ければ、より多くの
しながら皆制作していたが、その甲斐あって良作揃いだ
こうした背景を踏まえ、今年度の 1 年次 情報技術論で
を正確に見定めるのは難しい。しかし、今春から本格的
人に拡散されていくようになった。川口芸術学校が開校
ったように思う。大山さんの名刺は、彼女の得意なイラ
は、Flash サイトをデザインして運用できる状態まで構築
に始まる日本語電子書籍の出版に使われる技術が現在の
新映像時代の情報デザイン ブロードバンドコンテンツ領域担当 小田部 崇
020
021
学生による名刺とウェブサイトの課題作例
以来提唱してきた「インターネットを基盤にした、新し
ストを誂えて、表面は太陽、裏面は月を描いてくれた。
する実習を行った。従来の講義では、自分の作品を公開
Web サイト制作技術の応用であるように、今学んだ技術
い時代の映像体験」が、徐々に始まろうとしている。
初対面の相手に対して、柔らかくもきちんとした印象を
するサイトをデザインし、サイト全体の統一感を保ちな
は何らかの形で継承・発展するものだと予測できる。
川口芸術学校は、開設当初より設置されている映像情
与える名刺になっている。寺田さんは、白地でシンプル
がら、より深い階層に進んで作品を見たくなるように設
映像と情報の間に立ち、その双方を扱える人材育成を
報科の学科名が示す通り、映像制作と平行して情報教育
という力量の問われる要素を円と名前のマークでうまく
計するアクセシビリティ(accessibility)中心の制作実習
担う川口芸術学校がその歴史を終えようとしているのは
を行うようカリキュラムを編成している。その大きな目
まとめ、一枚一枚角を丸く切って作った可愛らしく仕上
だった。今回は、映像特論で Flash のオペレーション実
残念だ。しかし、ここで学んだ苦労が、ごく近い将来必
的の一つに、映像作品内での効果的な情報伝達(文字や
げた。遠藤君はベーシックなデザインを踏襲しつつ、印
習を行ったこともあり、固定された位置にメニューを配
要とされる能力だということを、在校生・卒業生の皆さ
図像など)が挙げられる。TV放送の文字やテロップが、 象的なサイドラインが洒落た印象を与えている。情報カ
置したり、リンクを辿ったユーザがきちんとトップペー
んには確信を持って進んでいただければ、と願っている。
その好例だ。昨年、日本グラフィクデザイナー協会主催
リキュラムのもう一つの目的は、制作後に作品を公開・
ジに戻れるようにするなど、ユーザに機能面でストレス
で行われた「言葉のデザイン 2010 オンスクリーン・タ
告知するプロセスの習熟にある。
を感じさせないよう配慮するユーザビリティ(userbility)
イポグラフィを考える」というイベントで、NHK デザイ
YouTUBE の登場と共に、従来のような新聞のラジオ・
も考えながら制作を進めてもらった。
ンセンターで 30 年にわたり字幕やタイトル制作に携わる
テレビ欄から番組を見る視聴にスタイルに加えて、興味
実際にクリックできる形でサイトが完成すれば、リン
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
(*1)「言葉のデザイン 2010 オンスクリーン・タイポグラフィを考える 第 5 回
『運動する文字、反応する文字』
」2010 年 10 月 15 日
Ustream アーカイブ映像:http://www.ustream.tv/recorded/10212859
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
広い創造の地平を目指して
講師が担当した。セミナー合宿の最終日には、新旧の映像技
インスタレーションの作品も身体・映像の作品も、
どちらもプ
した理由もあり、親子連れや小学生の来館者にも人気もあっ
た。(詳細は安川央里君のレポートP.27ページを参照のこと)
映像芸術表現領域の授業は主に、
メディアの特性をどう生
術と様々な楽器の音を合わせた即興的なセッションを行い、
そ
ロセスワークとして無限の可能性を秘めており、学生にとって
かし目前の課題に想像力を働かせることにある。前期に学校存
の様子はU-streamでライブ配信された。学年や先行領域を越
も
「やってみたいけどやったことが無かった」
ことを実現でき刺
激になったようだ。 また学外見学では現代美術やメディアア
卒業制作の作品について
それとは関係なく自分たちが学ぶべきこと、経験すべきことに注
う。(P.26の尾沼君によるレポートを参照のこと)
ート、建築デザインの中での映像作品など多様な種類の作品
映像文化学科の3人の学生作品から、東海林その子さんの
力することの重要さが浮き彫りになった1年でもあった。今年
2年生の後期授業では専科に分かれたので、映像から一度
は、映像作品の照明に着目し映像化
を鑑賞してもらった。
ともすれば自宅で動画配信サイトを通じ 「light makes shadow」
度の授業と制作プロジェクト研究の成果の報告を記す。
離れての体験的なワークショップを行った。簡単な電気工作
て世界を知った気になってしまう学生たちに、若い感性のうち
した作品だ。3年次の設置作品でも同様のテーマであったが、
続に関する発表があり、何かと落ち着かない年ではあったが、 えた通常の授業ではできない体験ができたのではないかと思
1年生授業では例年通り、
「メディアアート」講義で、歴史的
とプログラムの後、今年度から着任の土屋貴哉講師の指導の
に様々な作品に触れる意味でこうした体験的な授業を重視し
より見せることへの意識が高まり、通常、映画や映像での撮影
な流れの把握と様々な作品を鑑賞し、
また映像を学ぶ上での
下、
ドローイング、
アートオブジェ、
インスタレーションの制作を、
た。作品はまだ作れなくても、少なくとも
「あんな作品、
こんな作
時に対象に当てる役目の照明を、
それ自身を主役に都市の喧
メディアの形式、例えば8mm/16mmフィルムなどにも触れるこ
また江崎宗則講師と共に写真のコラージュを音と映像のリン
家」
といった自分の中の参照点がより多く作れれば、
との配慮
騒などの具体音との関係などおいて、観客の想像を喚起させる
とで包括的な学習を行った。筆者もその昔学んだこうした基礎
クをテーマにした映像作品を仕上げた。
インスタレーション課
の為だ。
ことができた。
科目を、
もう一度学生と共にトレースすることで、再度その重要
題では、SKIPシティの建築空間を生かし実行性を楽しむグル
映像芸術表現領域 授業とプロジェクト報告
映像芸術表現領域担当 瀧
健太郎
有泉尚君の
「de-pas」
は、
当初の映像と音のライブの計画が
学外展での実践
うまくゆかず、急きょ代替案として、
「他者になじめない主人公ク
今年度から4年制学生が新たに進級することになり、卒業年
ーマの短いストーリー」
を映像化することになった。地域の文
次生が3/4年生と2学年に渡るため、両者の合同の授業を行っ
化行政などと相談し公共性のあるイベントを立てる予定の作
た。4年次生は前年度に修了制作を行っているので、卒業後の
者だったが、
どうしても解決つかない内面の自身の非有用性の
進路を考えながら各自に制作研究を進めてもらった。
問題に決着を着けたかったとのことで、心の葛藤を映像化した
一方で前年度にあまり十分な作品をつくことができなかった3
ことは今後次の創作の段階に進めることができると思う。
年次生には、
ビデオによる言葉と映像の違いや、即興的な発想
最終発表の会場である早大小野記念講堂でのライブによ
力を見る課題、時間軸上ではなく平面へのモンタージュ、
など
る映像と身体表現のステージを行ったのは王翊君の
「家 -第
の簡単な演習で肩慣らしをしてもらい、徐々に自作への意識を
二章-」
だ。昨年に続いて、
出身国と日本の間でゆれる作者の気
高めた。
こうした課題は複数人での検証が面白く、課題設定を
持ちを、家をテーマに時事的な問題なども交えながら、
自身と2
022
023
2年生のインスタレーション作品 2 点
性を知らされる。毎年この科目を担当することは、初心に返りな
インタラクティヴ作品の開発中の様子
卒業制作を製作中の学生
ープの作品と、
スタジオ内で素材とその形態とに取り組んだグ
するこちらにおいても、例えば映像メディアと他の表現メディア
人のダンサーとハプニングも取り込みながらのパフォーマンス
がら現在の自分の制作へ反映させることもあり楽しみで、
これ
ループとに分かれたが、
どちらもこれまでにない規模の大きさ
の比較などは、普遍的なテーマであり、制度化した映像技法へ
となった。前作より立体的な空間構成と、
同時多発的なイベン
までお手伝いいただいた講師の先生方と培ってきたこの授業
と、強いイメージを提示する結果となった。
の先入観を崩すスリリングな魅力を持っている。
トの展開が見るものを魅了したと言える。
が今年度で終わることが惜しまれる。 最終課題はこうした規模の大きさを踏まえて、
身体と映像を
またSKIPシティの企画展「メディア・エクスプローラー展
映像情報科の卒業制作、安川央里君の「SWIMMY」
は抽
2年授業では映像合成とポストプロダクションを学ぶ
「映像
組み合わせるライブ・ビデオ/ライブ・パフォーマンスの課題に取
2010」への出品依頼があったため、3/4年生の全員参加での
象的なパターンが流れるように動き、3000枚の動画を半年に
基礎H+I」
をアニメーション領域の講師との合同で行い、6週
り組んでもらった。
ダンサーは例年来ていただいている伊達麻
インタラクティヴ作品の企画提案から展示までを行うことがで
渡って手描きで成し遂げた労作である。有機的な形態が複数
間の制作期間でクオリティが望まれる作品を仕上げることがで
衣子さんをゲスト講師に、一つはアナログのビデオフィードバッ
きた。
それぞれの得意分野を生かし、
グループワークでしか出
の軌跡を、魚の群れが泳ぐようにトレースしてゆく独自の手法
きた。
クを主体とした即興的なVJとサウンドにダンスのステージと、
も
来ない複雑な作品を手掛け、かつ一般の観客に体験してもら
を編み出し、国立音大の音響デザイン学科生に発注した音と
7月の軽井沢追分セミナーハウス合宿では、1,2年生の授業
う一方は高さ3mの立方体のスクリーンを制作し、外部からの
ったは非常に良い機会となった。鏡をモチーフに、観客自身が
相まって、
ダイナミックな運動でありながら繊細な雰囲気を同
の延長として、PCを使ったインタラクティヴ映像の授業を筆者
ビデオプロジェクションと内部からのライティングとでダンサー
等身大で映され、音に反応しそこに様々なリアルタイムの映像
時に併せ持った作品ができた。作者も本作に手ごたえを感じた
が、
またフィルムの撮影と自家現像のワークショップを水由章
の影の形象を楽しめる作品となった。
コンテンツが出てくる本作は映像ミュージアムの観客層を考慮
ようなので、今後の作品展開に期待が持てる。
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
来年度への布石となる修了作品2作品は、
自身で創作した
た、照明と音響、映像などの演出を施した。
レセプション会場と
神話をもとに巨大な絵巻物型の壁画を制作した近松恭子さん
なる改札口には、
サクラ色の照明をゼミ生の東海林さんが、
ま
前述の桜木町の企画の際に多大にお世話になった黄金町
Digiarkで、現地の一般参加者と共に、空間に映像を投影
の
「ヌエ・カムイ」
と、
自らが通学に運転する車窓の風景と運転
た音響を安川君が担当した。
エリアマネジメントセンターからの要請で、今度は黄金町での
する作品の提案をワークショップ形式を行った。
また7月に
昨 年 3月には台 湾 国 立 美 術 館のメディアアートの部 署
意識されない場に焦点を当てる
者である自身の車に関するトリビアルな知識を話し続ける逸
展示室には地元から、場所の最後を見届ける意味で
「ミトド
企画の依頼を頂くことになる。黄金町は戦中の大空襲以後、
い
日馬交流の為マレーシアの国立ギャラリーで発表した連作
見幸次君の
「シャサイ」
の2作。両作とも習作の域は出ていない
ケグッズ」
と名付けらた不要品や想い出のグッズを寄贈してもら
わゆる青線地帯であり、
ごく最近まで250軒もその手の店が並
の”Bild:Muell#6”では、都合でインスタレーションの設置に
が、
これまでの学習課題とは違ったアプローチをしている点で
い、
また黄金町エリアマネージメントセンターの協力を得て、空
び未だに名残のある地域であった。
行けなかったため、
マレーシア側のビデオアーティストにSkype
非常にユニークである。
どの学生もレベルの差はあるが、既存
き家などから以前の住人の遺留品を借りて、
オブジェとして設
しかし地元住民による街のクリーンアップ計画を試み、
また
の交信を通じて、設置の詳細を決定し、
自分の作品を海外作
の手法や考えに依拠しない、挑戦的な独自の表現を試みてい
置された。
ピンクの公衆電話、
ワニに剥製、80年代の音楽レコ
警察などの協力を得て、近年文化的な街への変貌を図ってお
家に作ってもらうというこれまでにない経験をした。彼らも日本
る点で、各自の問題と対峙し健闘したのではないかと思う。
ード、子供のおもちゃなど様々な記憶を持つグッズが、壁面に
り注目が集められている。風俗店の後に空き店舗などが増えゴ
人作家の意識に触れることができたと語ってくれた。
向かって敷かれた赤絨毯の道を闊歩した。
ーストタウン化することに対して、2007年より黄金町エリアマネ
9月には武蔵野美術大学の建築学科3年生実技授業の一
空間の盛衰を見届けるアート
展覧会初日に、
創造空間9001に縁のある2人のアーティスト
ジメントセンターが設置され、住込みアーティストのスタジオや
環で、現代美術家の土屋公雄氏の指導の下、松戸で開催され
筆者の研究制作の報告をいくつか挙げると、一つには横
により、金槌で壁面をコンコンと叩いてもらい、
ボコっと2mのサ
工房、
カフェ、展示スペースへとリノベーションしてゆく試みが
た松戸アートラインプロジェクトのコンペに出品し、竹のドーム
浜桜木町の創造空間9001での「9001ファイナルイベント
クラの花型に壁に穴が開き、来場者には思いもよらぬ壁の向こ
行われた。
Follow Up!展」
がある。JR桜木町の改札のすぐ横に位置した
う側への誘導が行われた。
フードとドリンクのパーティ会場を
今回はそうした社会的な背景をもつ、京急線の高架下への
連日の健闘により、NHK首都圏ネットワークをはじめ、
いくつか
「籠庵」
を松戸の坂川河岸への設置を実現した。学生諸君の
創造空間9001は、東急線がみなとみらい線との連絡した際
通り過ぎると、階段部分には階段を上り下りする人々の映像が
映像作品の提案が依頼された。
自分が数年前より実験を行っ
のメディアでも取り上げられた。
に、桜木町駅が不要となり、駅機能を失った跡地に作られたア
投影され、
またその上では、横浜方面へのプラットフォーム跡に
てきた立体的な空間への映像の投射を利用したコンテンツが
こうした経験は、
ともすれば独りよがりな考えに陥ってしまう
ートスペースであった。
横浜市により運営されていたが、
財政面
TVモニターが置いてあり、観客が双眼鏡でそこを見ると、東横
可能だと考え、取り組んだ。3台のプロジェクターでそれぞれ橋
制作の原点に回帰し、
また恊働制作者とのアイデアの共有によ
の問題から閉鎖に追い込まれることになった。
スペースの第一
線9001号に乗車している観客自身の姿の合成映像を覗くこと
脚、天井、
コーナーにスタジオ撮影したダンサーの映像を配置
り、
テーマやコンセプトを深化させることができる意味で、非常
回展示を担当した建築家岸健太氏の依頼で、
自分もこのスペ
ができる。実際はプラットフォーム跡がコンクリート基礎の露出
した。音のない作品なので、画面にはオノマトペが現れる、
プロ
に勉強になった。
ースの最後の展示の企画に参加することになった。
など危険が伴うとの配慮で、
こうしたアイデアに納まった。 ジェクションマッピングと呼ばれる現実空間と映像コンテンツ
次年度には前述の黄金町の一角にある通りを映像コンテン
展示室の壁面の向こうに、普段は立ち入りが禁止されてい
展示は好評で、各新聞やメディアにも取り上げられれ、
当時
の空間を一致させる配置を行った。
ツで変容させる都市景観実験を予定しており、映像メディアの
る東急線の旧桜木駅改札口があり、
またプラットフォーム跡な
の駅の利用者が懐かしく訪れるケースや、通常見れらない光景
この映像があることで様々な人々が足を止めて、普段は何気
持つフレームからの脱却性とテーマが、公共の空間で試される
桜型の穴の向こうの旧改札口空間が会場に
ミトドケグッズと名付けられたオブジェ群
京急線の高架下での映像作品
台湾国立美術館でのワークショップの様子
どが残っており、
そこがかつて友人や恋人同士が待ち合わせを
に興味を示した観客など、普段アート展示に来ない観客層にも
ない列車の高架下のに空間へと誘う意味で、”invitation”と題
した場所であり、
ポップ歌手グループ、
ゆずが駅名をタイトルに
アピールできた。
また主催者側からの提案で会期を延ばして行
こうした機会に
した。公的な空間での作品の提示で、
夕方より明け方まで流さ なるべく現場での雰囲気を知ってもらうため、
した曲をヒットさせるなど、人々の想い出の場所だったことがリ
われることになった。空間での映像の実験的な提示と、場の記
れたため、地元住民の様々な反応が得られた。 当校の学生も交えて協働してゆけるようにと考えている。
サーチでわかっていった。
憶と現在性を盛り込んで、一般客にも楽しんでもらえるイベント
記録動画URL:
創造的な協働は、答えのないことに答えを見出し決定してゆ
http://www.youtube.com/watch?v=MuzKH7-IgNE
024
025
機会となると考えている。
場の持つ記憶や特性を生かすため、何とか観客に改札やプ
ができたと思う。
ラットフォーム跡などの風景を見せることが出来ないか協議さ
参加のきっかけを作ってくれた岸健太氏と、創造空間9001
れ、結果展示室の壁に穴をあけて、観客に駅とその後アートス
のスタッフ、
ご協力頂いた黄金町エリアマネジメントセンターと
協働の中核としての表現
こうしたことは映像制作のサバイバル術を身に着ける上で必
ペースであった場の最後を見届ける証人になってもらうという
商店街の皆さん、
お手伝い頂いた学生諸君に感謝したい。
この
映像作品の形式だけに限らないが、筆者が近年取り組んで
要な体験ではないかと思われる。
アイデアができた。桜木町に因んでサクラの花型の大きなトン
展示の制作風景の様子はyoutubeでも見て頂ける。
いることに、先の学生によるインタラクティヴ作品の例にあるよう
ネルが壁面に空く様に、壁面パネルにあらかじめ切れ目が入れ
記録動画URL:
に、
アート作品を協働で制作することで思考やスキルの共有と、
られた。改札構内は数年使用が無かったため埃・塵を掃除し
http://www.youtube.com/watch?v=KHY0iAWBvLQ
実験的な表現の模索を続けてきている。
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
かなければならない場面に出会うことに他ならず、
いつも自分
の即興力や瞬発力という潜在エネルギーを試される。 Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
2010 年 7 月 2 日、大学より正式に「来年度からの新
いう経験も悪くないな」と感じるに至りました。
ものを創る事は、誰かに言われたことをやるのではな
化させました。しかし通常のマイクでは観客から発せら
入生募集停止」が発表され今年度の 4 月に入学した私た
夜の発表会を兼ねた即興のライブでは静かな高揚感に
くて、自らの意志でゼロから考え抜くことに意味がある
れる音にばかり反応してしまい、せっかく観客の姿を映
ちの学年を最後に、この早稲田大学川口芸術学校という
包まれました。学生それぞれが持ち寄ったエレキギター
と思います。僕がこの学校で専攻したゼミでは、インス
し出しているのに、観客の身振りが反映されないという
組織は事実上閉校することになってしまいました。今年
やテルミンといった電子音源から、インディアンフルー
タレーションやパフォーマンスなど、作品の形式が必ず
問題が起こりました。そこで小型スピーカーを利用して、
度の軽井沢追分セミナーハウスでの合宿は、そんな衝撃
ト、ジャンベの打楽器や、カリンバ(親指ビアノ ) など
しも映像作品の形であると限りません。これは映画やド
観客の足音に反応する専用の振動マイクロフォンを作り、
的な発表から間もない 7 月 26 ~ 28 日の 3 日間に渡って
民族楽器に至るまで、様々な楽器が競演し、新たな発見
キュメンタリーなどの様に既存の映像の形式にとらわれ
設置しました。これも既存の映像形式では必要のない、
行われました。
がたくさんありました。
ず、映像と向き合い、考えることを強いられます。新し
普段なら絶対に使わない技術で、使用に関して実験と工
初日の到着後にはサイクリングで軽井沢を散策するチ
コテージの先からみんなで木々に張ったスクリーンに
いものとは、こうした姿勢で作り続けるほかないのだと
夫がつきものです。僕たちはこの新しい表現のため、何
ームや、スポーツを楽しむグループなどに分かれて、夕
映る像の色彩を追い、そこにそれぞれが奏でる楽器の音
学ぶことができました。
か特別な技術が無いかと模索し、うまく映像が変化する
2010 年 4 月に僕の所属する映像芸術表現ゼミは SKIP
システムが完成しました。
シティの映像ミュージアムの企画展「メディアエクスプ
こうした設置型の作品は上映作品とは違って、その場
ローラー 2010」へのインタラクティブな映像作品の出品
に来てくださった観客だけに見てもらえるものです。そ
を依頼されました。インタラクティブな映像とは、観客
のため会場への設置作業が一番大事な工程で、作品の見
が単に映像を見るだけでなく、その映像に参加し、操作
栄えを良くし、映像を映し出す木枠の工作や、塗装など
することのできる映像作品で、これまで作った事の無い
に時間と労力を割きました。ライティングや他の展示作
映像を手探りで作る事を余儀なくされました。6人のメ
品との兼ね合いにも気を配りました。 方よりバーベキューを行い、学年を越えた懇親会となり、 色が重なり幻想的な雰囲気になりました。少し涼しい軽
これこそ「学びの場」だ!
映像情報科 1 年 尾沼 宏星
ンバーで僕たちは何を作るか話し合い、
「オモシロカガミ」 これは、映像を単なる上映するだけのものではなく、
夜の上映会の様子
026
というテーマが決定しました。まず僕たちはどうすれば
その場に赴いてくださった観客一人一人の体験として、
観客に作品を見て楽しんでもらえるかを考え、作品の内
演出したいと思う気持ちから、展示会場に入ってからの
容として、鏡のように観客を映し出した映像を、その場
作業がその大半を占めました。映像の内容を作って終わ
の音に反応させて変化させるというものが話合われまし
りではなく、企画から制作、展示、そして記録の全てを
前期授業の終わりを労う楽しい夕べとなりました。
井沢の夏の夜、僕らの周りだけ別の時間が流れ、空間が
また翌日は朝から 8mm フィルムカメラ、アニメーシ
揺らいでいる、そんな不思議な感覚でした。
ョン、メディア・アートなど、それぞれのワークショッ
その後は、事務所スタッフの方や先生方も巻き込んで
プに分かれて制作を行い、その日の日没後に成果の発表
懇親会があり、職員や教員、学生という壁を取り払って、
会を兼ねたライブを行い、U-Stream によりリアルタイム
人と人とが有機的に結びきを楽しめました。普段の学校
メディアエクスプローラー展に参加して
で配信しました。
では味わえない体験で、私はそんな光景を見て、「これこ
私は以前に水由 章先生の指導の 8mm フィルムでの撮
そ本当の学びの場なんだ」と実感し、教科書や教室の授
映像情報科 3 年 安川 央里
影と現像の体験授業を受講しました。8mm フィルムと
業から学ぶことだけが全てじゃない、多様な人々がそれ
027
いうものに触れたのは、実はこの学校の授業が初めてで、 ぞれの価値観を抱えたまま、音楽のように互いに共鳴し
その際感じたアナログ表現の面白さを追求したいという
あうということを考えました。
思いから、私は今回の軽井沢セミナーで再び 8mm フィ
そこで時間を共にした人たちから受ける影響は、他の
た。どんな映像を使うのか、何に映像を映し出すのか全
一貫して行うことができました。最初から最後までをゼ
ルムのワークショップに参加しました。
何にも変えがたい私の財産になるはずです。残念ながら
く決まっていないゼロからのスタートとなりました。
ロから考えていくというのは、大変な作業でしたが、新
8mm フィルム映像の面白さは、普段モニターで映像
学校は数年後に無くなりますが、私がこの学校で過ごし
この時僕たちは「観客の興味は観客自身にあるのでは」 しいものを作ろうとするのに必要不可欠なこうした行程
を確認できるビデオカメラでの撮影とまるで違って、映
「オモシロカガミ」で遊ぶ来館者の様子
た時間や思い出、人との出会いは誰にも奪えないもので
という意見から、観客が何に興味があるかを考えるので
を踏まえて、今回のような作品をグループで創ることが
写機にかけるまで全く先が予想できないということです。 す。それに気付いたとき私は、この川口芸術学校に入学
はなく、観客自身をそのまま映像に映し出し、変化させ
できました。
小さな穴から覗き込んで、必死でピントを合わせ、子
る事で作品にしようと考えました。そして観客を等身大
また映像とはどういうものかを、もう一度考え直すと
供のように真っすぐな視線で被写体と向き合うことに、 くれる多くの方々に強く感謝しています。
で映し出す、大きな鏡の様な映像を作る事になりました。
いうところから始めることがとても重要だ、ということ
普段は味わえない映像の原初的な歓びを感じました。ま
観客を映し出した映像をリアルタイムで変化させる為、 に改めて考えさせられました。
た現像に失敗したフィルムも、実際に映写して見ると作
まずビデオカメラとプロジェクターの間に vvvv( ブイフ
品の魅力に変わっていくなど、自分が計算できないもの
ォー ) というソフトのプログラミングして使用しました。
メディアエクスプローラー 2010 展サイト:
が作品に入りこんできて、「想定外のものに翻弄されると
このプログラムで音をビジュアルに変換て、映像を変
http://www.skipcity.jp/event/vm/1003242.html
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
できたことを誇りに思い、そして今、この学校を支えて
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
僕は川口市立アートギャラリー・アトリアよで開催さ
して使われているものもあります。地域との係わり合い
毎年 11 月に催される早稲田祭、おそらく日本一の学祭
と語られつつ、合間にアシッドなロックやジャズなど押
れたアーティスト・イン・スクールの記録撮影に参加し
が希薄な中学生たちが、その地域の人と関っていくうち
において、川口芸術学校は学生内で有志を募い、芸術展
しなべて前衛的な音楽が挿入されるのですが、都市の喧
ました。
に、どのようにすれば気に入ってもらえるか、人に見て
というかたちで毎年参加していています。今回は自分達
騒を遠くに感じるような、夢幻空間に自分がたゆたって
この企画は川口市の主催で、アーティストが小中学校
もらえにはどうすれば良いかと、伝える内容を深く考え
たちの映像作品を見せるだけでなく、全体の取りまとめ
いるような不思議な感覚に陥りました。持続的に色面あ
に出向いて出張授業を行い、生徒と共に作品を制作する
て作品を制作していきました。生徒さんの中には、こう
役を担わせてもらい、芸術展「ステラ座」の最初から最
るいは光を見続けるということに着想を得て、断片的で
もので、2010 年度に選ばれたアーティストは、ダンサ
した試行錯誤を、放課後にも自主的に残って作業した人
後まで責任をもつ立場にありました。
ありながらも連続した白く飛ばされた映像として知覚さ
企画段階から、来客の流れの多い早稲田キャンパスで
れるよう構成しました。
ーの新生呉羽さんと、現代美術家の開発好明さんでした。 がいたほどです。 新庄さんは川口市立幸町小学校、開発さんは川口市立
今回、僕が担当した記録映像を撮影するにあたり、意
の開催が実現できることと、参加希望者も去年より大幅
夏の軽井沢セミナーで映像に合わせた即興演奏を体験
安行中学校をそれぞれに担当され、完成した作品は川口
識した点は、撮影対象が次にどのような動きをするのか
に多かったことから、学生のやる気も高まりました。ま
したことも今回のパフォーマンス企画に非常に大きな影
市立アートギャラリー・アトリアに報告展として 2010
ということです。撮影中に目の前のことだけではなく、
た映像ジャーナリズム領域ゼミの作品上映会「フィリピ
響を与えています。事前の取り決めが全くないだけに、
年 11 月 11 日から 21 日の 10 日間、展示されることに
次の展開を気を配って考えることです。
ンの夕べ」の同時開催も決まり、内容としてもボリュー
演奏していく中で周囲の人とメロディ、リズム、あるい
なりました。
撮影対象が小中学校の生徒さんという環境もあり、ど
新生さんと小学生の作った作品は、「宇宙船と蛇」とい
のようにすると効果的であるかということに意識を置き
うテーマで、ビニールに絵を描いて袋状にしたものを宇
ました。それは「いま、この場で」というある空間の一
宙船に見立てて、また新聞紙を丸めて繋げてゆき巨大な
瞬を記録することが重要であると思ったからです。
蛇も出来上がりました。
このアーティスト ・ イン ・ スクールの記録撮影をして
この宇宙船を作るプロセスで小学生たちは試行錯誤し、 自分自身でこうしたことを経験的に発見できたことはと
表現することについて模索していきました。最後に宇宙
ても大きいと思います。
船が完成し、中に入ると外には宇宙が広がるような感覚
この経験から、ある状況の本質的な事実を発見するこ
があり、外では新生さんの即興ダンスと音楽家による即
とは、それについての主体的な視点を持ち、能動的な行
興演奏がなされ、その場でひとつの時間芸術が繰り広が
動力を身につけなければならないということを強く感じ
られました。「いま、この場で」という空間でしか出来な
ました。
アーティストインスクールに参加して
映像文化学科 2 年 井上 和久
028
ワークショップの様子
いものがそこに作られていきました。
地域と密着したテーマで、開発さんと中学生の作った
作品は「安行行脚」と名づけられ、その名のとおり、安
行の周辺を行脚していくものでした。
複数の班に別れて、緑地の解説の立て札の制作やコン
ビニエンスストアや花屋のコーディネートなど様々な取
り組みをしていくのですが、その1つを挙げますと、あ
る班では中学校の近くの植木屋や造園屋等の看板を作り
川口市立アートギャラリー・アトリア サイト:
ました。
http://www.atlia.jp/
結果、家主がとても気に入ってくださり、今も看板と
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
早稲田祭芸術展「ステラ座」を経験して
映像情報科 2 年 鈴木 紀之
映像と音楽のセッションの 1 シーンから
ムとしても去年に比べてかなり充実したものになりそう
はより微妙なニュアンスのルールらしきものを出し合っ
でした。
て演奏を進めるのですが、それは音楽を演奏していると
開催2ヶ月前あたりから早稲田祭本部と本格的に連絡
いうよりも、「こんなのどうですか?」とか「あ、いいね
を取り、企画のディテールを詰めていく作業に入りまし
それ」といった日常の言語感覚に近いコミュニケーショ
たが、実務的な問題が生じ、学生間のコミュニケーショ
ンの一種のようでとても新鮮でした。
ン不足もあり、広報活動や会場作りに手が回らないまま
に開催に迎えてしまったのは反省点でした。
先の白い色面の映像ともう一作学生の映像に合わせて
ただし内容に関しては有志学生の様々な作品(ドキュ
演奏し、小津安二郎の『東京物語』に新たなサウンドト
メンタリー、アニメーション、劇映画・プロモーション
ラックを付けるというやや尖ったパフォーマンスも行い
映像・パフォーマンス etc)などジャンルを横断して見せ
ました。細かい部分で詰めるところ詰めないところを前
ることができ、当校の特色を出せ、何より小規模でも作
もって具体化するべきだったのかもしれないという反省
品を発表する一つの機会として学生間の刺激となったの
は残り多少収拾の着かない部分もありましたが、逆に足
は大きいと思いました。
並みがそろう瞬間の高揚感は今まであまり経験したこと
「フィリピンの夕べ」では、撮影側の葛藤含め非常に興
のない類のものでした。
味深い内容で、次に繋がっていくという意味でも在日の
今回のパフォーマンスは非常に楽しんでやることがで
フィリピン人の方々との貴重なディスカッションが交わ
きたし、参加してくださった方々や設営・撮影・撤収な
されました。
ど手伝ってくれた学生のみなさんには本当に感謝したい
今回の自分の企画は「White Session」という、映像
です。今回の運営代表を務めて、自分の得意なところ、
に合わせた即興演奏のパフォーマンスでした。夏に屋外
苦手なところを明確にできたので、こうした経験を今後
でアメリカの実験映画監督デレク・ジャーマンの「Blue」 の制作含め、これから共同で何かを推し進めるときに生
を見たことに大きな影響を受け、映像としては終始青い
かせることができればと思っています。
色面だけが流され、散文詩のようなモノローグが作中滔々
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
029
当校のインターンシップ実習生として、私は 2010 年 8
緊張したことを覚えています。日本テレビのスタッフの
2010 年 12 月 2 日ー JENESYS プログラムの一環で、 明できないという、自分のもどかしさと、ふがいなさを
月から約 1 ヶ月間、株式会社ジッピープロダクションに
方々が編集 VTR をチェックに来ており、大変な重圧を感
映画を制作をするアジア各国の学生らが skip シティを訪
感じました。日々の暮らしの中で、いかに見過ごしてし
て研修させていただきました。参加番組は「24 時間テレ
じました。インターン生だということは受入れ先の会社
れ、早稲田大学川口芸術学校生と交流を行いました。
まっていることが多いか、与えられた環境に疑問を感じ
ビ・あの感動を再び!障害を乗り越え TOKIO と 241 人
の方しか知らないので、社外の方は自分を1人の制作ス
の大コンサート」で、配属された職種が AD、社の他に
タッフとして接し、多くの業務行程に責任を求められま
今回訪日したのは、カンボジア、中国、韓国、ラオス、 ずなんとなく過ごしてしまっている、ということに改め
ロケ地・スタジオ・編集所(MA 作業含む)・麹町日本テ
した。しかしこれをこなせば今後の作業を任せてもらえ
レビ・汐留日本テレビ本社での業務が主な仕事場でした。 るかもとの一心で、チームの一員として多くの経験が出
この番組企画は、私が参加する 3 ヶ月程前から始動し
来ると感じました。「ピンチはチャンス」の要領で、何か
ており、AD として加わった頃には大部分の撮影は済ん
に挑戦することを決断した瞬間でもありました。この体
でました。後は東京でのロケや再現 VTR を撮り、決めら
験から、徐々にインターン生という認識が周りから薄れ
れた枠で編集する段階だったので、私はその編集の作業
て行き、他の AD と変わらない業務をさせて頂くことに
インターンでの出会い
映像情報科 2 年 小林 努
番組後にスタッフ、出演者らと記念撮影
を手伝う事になり、新橋にある編集所にて長時間の作業
なりました。 をすることになりました。主な業務はディレクターの指
スタジオでのリハーサル時には、多くの関係者が集ま
示や注文をこなし、差し入れや食事の用意などで、その
り、1つの企画を成功させるために動き回っていました。
間ずっとディレクターの側で仕事内容を見ることが出来
その中には、私と歳が変わらない女性スタッフが、責任
ました。私は 3 人のディレクターに付き、現場での制作
ある仕事をこなしており、彼女は指揮者の代役、カメラ
に対するプロフェッショナルの姿勢を感じることができ
を持つ取材などの肉体労働など、自分から積極的に動き、
ました。何度もやり直して、時間いっぱいまでどれがベ
周りからの信頼も集めていました。歳が近いという事も
ストなのか考える、といった妥協のない姿勢に刺激され、 あり、彼女から強く感じたのは、どんなことでも手を抜
マレーシア、ミャンマー、モンゴル、チャイニーズ台北、 て気づかされました。このプログラムは国際交流の場と
タイ、ベトナムの 10 カ国、計 139 名です。
して他国を知る楽しい機会であると同時に、日本人であ
残念なことに私はボルネオ島を除いて、アジア地域を
るならば日本の文化や習慣に精通し、日本を知らない人
旅したことがありませんでした。日本にいるアジア地域
にもうまく伝わるように話せなければいけないと改めて
出身の外国人と直接的に関わることもほとんどなく、そ
考えさせられる場になりました。私は日本や日本人とい
のためこれまで映像や文字情報を通してしか彼らの国の
う自分のルーツを意識することが、将来国際的な視野を
ことを知りませんでした。そういった意味で今回のプロ
持って作品を作っていく上で、重要なエッセンスになる
グラムは私にとって、見地の広がる素晴らしい機会にな
と信じています。そして、参加各国についてわずかでも
るはずだと、期待で胸が高鳴りました。
直接「知る」経験ができたということが、日本はアジア
開催当日の午前中には、彼らが製作した映画の上映会
に位置する一国であり、アジア諸国との関係性は非常に
を行い、作品上映の前に、各国の代表者から作品に込め
大切だと考えることに繋がりました。
た想いや制作の苦労話などを聞くことができました。家
昨今のアジアにおける緊迫した政治・経済情勢などを
族をテーマにした映画ということもあり、それぞれの国
耳にしても、これまで私にとっては「顔の見えない国」
の文化や考え方が作品に滲み出ていました。
としてのニュースで、自分と関わりがある事象でありな
映像にも国柄が出るのだなと感じたとともに、家族を
がら、正直何処か現実味に欠けるものでした。しかし今
思いやる心や家族への愛は、どの国の子どもたちも大切
回の交流を通して彼らの文化や考えを見聞きすること
にしているという共通点が嬉しくなりました。
で、アジア各国への親しみを覚えました。単純に聞こえ
十国十色 - アジア若手映画交流会を通じて 映像情報科1年 松浦 真実
自らも何かの役に立ちたいと頑張ることができました。 くことなく、全力でこなす姿勢でした。自身に大変厳し
030
丸2日編集室に籠ることもあり、大変でしたが辛いとは
い方だったので、周りの人にもそういった空気が感じら
感じませんでした。自分もこのチームの一員として番組
れ、良い緊張感の中で仕事が出来たと思います。
を成功させたいと思うことができたのは、このような情
番組終了後、会社スタッフの方達と、残ったお弁当で
熱的な人達と出会えたからだと思います。次第に編集所
打ち上げをした事が今も良い思い出として残っています。
で行う作業も把握出来るようになり、仕事をする楽しみ
忙しすぎて飲みに行く時間もなかったので、落ち着いて
も増してきました。
皆でお弁当を食べたこの時間が、大変貴重なものに思え
インターン生の私は責任のある業務や徹夜などを免除
ました。束の間の時間でしたが、インターン最後の日に
されていたのですが、かえってその立場が動きにくく、 味わえた、ほんわかした良い思い出です。
031
舞台上で司会を行った松浦さん ( 右 )
午後は、昼食交流会でゲームや写真撮影などをしながら
るかも知れませんが、これからは「顔を知っているあの
お互いの国のことを紹介し、学内を案内するなどして、 子たちの国」として、より身近に問題を受け止められる
楽しい時間を過ごすことができました。
ように感じました。情報社会の現代だからこそ、こうし
各国の学生たちは皆さんとても熱心で、積極的に私た
た face to face の交流をすることで、相手のことを知り、
ち日本人学生や他国の学生たちに声をかける姿が印象的
国や文化を知ることが、国際関係を考えていく上で大切
でした。今回のプログラムでは数多くの刺激があり、中
になってくるのではないかと感じています。
でも2つの印象的な気づきがありました。まず、私にと
入学して1年目のこの時期に、ともに映像を学ぶ学生
って彼らと過ごす時間は、自分が日本人であることを強
と異文化交流がはかれたことは非常に刺激的で有意義で
く意識しました。普段日本人同士でいるとあまり感じま
した。こうした取り組みが数回で終わること無く、今後
チームの一員として感じる事が出来ずにいました。そん
出演者の方とも知り合う機会があり、このインターン
な時チーフ AD の方が体調を崩し帰宅することになりま
の期間中だけでも相当な方とお話しさせて頂くことがで
した。チーフから引き継ぎを任され、私一人で編集所で
きました。こうした出会いがこんなに多く存在している
の AD 業務を行う事になってしまいました…。仕事を任
この仕事に、大変な魅力を感じました。そして 1 つの企
された事はとても嬉しく、どうにかこなそうと思いまし
画に皆が動き、必死で作業する姿は人々を感動させる仕
せんが、私は確かに日本文化の中で育った日本人で、そ
も継続して行えたら、本当の意味での国際交流プログラ
たが、その場には私1人しか AD が居らず、ものすごく
事の源であると強く感じることができました。
れにも関わらず日本に関する質問をされた時、うまく説
ムになると思いました。
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
私たち映像ジャーナリズム領域専攻のメンバーは、昨年 7 月
ことで産まれ、母親に捨てられた子もいる事がわかりました。
フィリピンという国は、僕にとって東南アジア諸国の中でも
を撮りたいのならば、複数のカメラマンで現場に赴き、囮を何
24 日から 8 月 1 日、外務省による JENESYS ASEAN 各国へ
取材後に感じていた充足感、満足感とは一転、フィリピンの
比較的馴染みの薄い国でした。渡航前にある程度の勉強をした
人か用意して誰かが気づかれずにカメラを回す。
の青少年派遣事業に参加しました。このプログラムは、映像制
子供たちのあまりに過酷な現状に、私たちはなす術がなく、し
とはいえ、正直なところ勉強する前は、いくつもの島に別れる
この様に日本では体験できない撮影をさせてもらえたことに
作を通じてフィリピンの大学生と協力し、交流を深める目的で
ばらく途方に暮れてしまいました。一週間の滞在中に、取材、
観光地というぐらいにしか考えていなかったからです。
とても感謝しています。
行われました。
編集、上映会を行わなければならないハードスケジュール。上
しかし今回フィリピンにスタディ・ツアーとして参加するこ
経験的な事で言えば、国立フィリピン大学の学生達や多摩美
フィリピンは 90 年代、マルコス政権の下で経済発展を遂げた
映会が翌日に迫って焦る気持ちとは裏腹に、私達の考えはいつ
とに決まり、僕はかの国ついて少しだけ学び、その国のドキュ
術大学の映像を志す学生達との会話は、大きな印象を僕に与え
ように見えましたが、富が集まるのはほんの一部で、国民の約
までたってもまとまりませんでした。編集中に仲間同士で何度
メンタリー映画も見ました。映画内でのマニラのオフィス街に
ました。拙い英語ではありましたが、フィリピン大学の学生達
80 パーセントが貧困層という格差社会が広がっています。そ
も何度も議論をかさね、結局作品が完成したのは上映会のほん
立ち並ぶビル群に僕は驚きました。自分の予想では、ここまで
と作品作りついて話し合ったことは、今後僕が映像を制作して
んなフィリピンで危機的状況に置かれているのが子供たちで
の数時間前でした。
発展した国だとは思っていなかったからです。
いく上で非常に重要な経験になると思います。多摩美術大学の
フィリピンから帰国し、私たちは改めて作品を見直し、自
実際に渡航して、最も僕が驚ろかされたのは、やはり映画内
学生達との会話もそれは同じです。
分たちが見た子供たちの現状を、紙芝居を制作した中学生にも
で見たマニラ市内、マカティ地区のオフィス街です。世界の大
す。
そんな子供たちを支援する日本の認定 NPO 法人 アイキャン
フィリピン交流から見えたもの
僕はこの経験を、将来的な方向を決めるのに役立たせようと
相当していました。そこには大きなビルとホテルが立ち並んで
思います。この貴重な経験をさせてもらったことにより、僕の
いました。東京で育った僕でしたが、久しぶりに都市の大きさ
就職活動の際に少しだけ道が広がったと思っています。自分の
に驚いたものです。当初思い浮かべていたフィリピンのイメー
自信にも繋げることができました。
ジとの差も関係していたかもしれません。
映像文化学科 4 年 近松 温子
現地の映画学校の前で ( 上段右から 3 番目が筆者 )
032
手銀行がいくつも立ち並び、日本で言えば東京の新橋ぐらいに
では、東京の中学生が制作した紙芝居を、路上で暮らす子供達
伝えることに決めました。紙芝居を制作した美術部の生徒たち
やゴミ山で生きる子供たちの教育活動に役立てています。
に、フィリピンで制作した作品を見てもらい、子供たちがどん
私たちは、この NPO の活動に焦点を当て、フィリピンの子
な事を言っていたのか、どの様な環境で暮らしているのかを伝
供達の現状や、中学生たちの紙芝居制作の様子を取材しました。
えました。
フィリピンでは、路上で暮らす子供達に中学生が制作した紙芝
その後の話し合いの中で生徒たちは、「国際協力って簡単に
居を使ってセッションを行っている様子や、ゴミ山の街 パヤ
考えていたけど、問題はもっと根深いんだと思った。」
銀行やホテルの前にはガードマンが銃を持って立ち、その人
参考:
「21 世紀東アジア青少年大交流計画」
達は僕がフィリピン大学やパタヤスで会った温和なフィリピン
JENESYS Programme について
人とは違って厳しい顔つきをして立っていました。そういう中
http://sv2.jice.org/jenesys/about-jenesys/about-program/
で撮影できたことは、僕の今後の行動力に繋がったように思い
ます。
現地で撮影を行う筆者
あの国は僕に何を与え、僕は何を得たのか
映像情報科 3 年 杉野 剛士
タスにあるアイキャンの事務所を訪ね、そこで働く現地スタッ
「喜んでくれてると思っていたからショックだったけど、辞め
フの様子など、時間のないなかでさまざまな取材を行う事がで
ずに続けたい。」などとはなし、今までとは少し違った気持ち
きました。
で次回作の制作にむけて準備を始めました。
その中で路上の子供たちに、日本の中学生が紙芝居を制作し
私たちは今回の取材で、ジャーナリストとして現実を切り取っ
ている様子と、中学生からのビデオメッセージを見てもらいま
ていく難しさをひしひしと感じました。現実を知って某然とす
した。
る中で、伝えなければ、という使命感や責任感も同時にめばえ
今回フィリピンに行くことにより、僕にとっては技術的な意
この時彼らは、笑顔で口々に現地スタッフに話しかけていた
たように思います。
味でも経験的な意味でも大きく成長できたと僕は確信していま
ので、私たちは「とても喜んでいるんだな、いい画が撮れた。」
現実を見る事、知る事は決して楽しい事ばかりではありませ
す。まず技術的な面で言えば、海外での実地の撮影での雰囲気
と満足してその日の取材を終えました。翌日、編集のために現
ん。しかし、編集中にみんなで議論した「私達にできる事」。
や、日本人が周りにいないという状況での撮影をすることによ
地の大学生に翻訳をお願いしたところ、私たちが想像していた
それはカメラを使って現実をより多くの人に伝えていく事。
り、上に書いたように、渡航前よりも撮影時において大胆に行
のとは全く逆の発言をしていた事がわかったのです。
改めてカメラを持って取材をする大変さと責任をメンバーみん
動できるようになりました。先生方に実際に現場で教えてもら
「本当に僕たちのために作ってくれてるのかよ。」
なが感じることができた、本当に貴重な経験でした。
うことも、学校ではあまりない状況です。自分のカメラ技術を
出来上がった作品は、早稲田祭や卒業制作展でも上映し、こ
伸ばすこともできて満足しています。
れからもより多くの人に見ていただけたらと思います。
例を上げれば、路上で生活をする子供達を撮影するとき、カ
スタッフの「日本に行ってみたい?」という問いかけには、
「日
本に行ってどうするの?身体でも売ればいいの?」
また、取材した子供達のなかには、日本人旅行客が買春した
033
メラを彼等に向けていると、そのカメラに興味を示して子供た
ちがカメラマンの方に寄ってきてしまう。もしも自然な雰囲気
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イチオシ映画コラム②
映像の意味と答え
水由 章
時代遅れの男のカッコよさ イチオシ作品
スタン・ブラッケージ
「MOTHLIGHT」(1963/4 分 )
「コミングルド・コンテナーズ」(1997 /3 分 )
「シーズンズ」
(フィル・ソロモンとの共
作 /2002/14 分 )
安藤 裕
イチオシ作品
「ウエスタン」
(セルジオ・レオーネ監督 1968 年 / アメリカ)
人は映像を見るときに何かしらの “制約” を無意識のうちにかけて
一時期までカラオケでの定番だった今は亡き河島英五の「時代おく
いる。自らが “制約” という見えない壁を意識したところから、映像
れ」を唄いながら、歌詞どおりの「時代おくれの男になりたい」と本
本来の自由な表現は妨げられる。
気で思っていた。が、それは莫大な時間をかけて見事に失敗してるこ
人は無の境地で映像を見ることはなかなかできないだろうが、私は
とに少し前からだが気付いている。
そうした呪縛的な制約をできるだけ排除した映像の見方を望みたい。
IT 時代のコミュニケーション技術に、即座に適応できたことを、嫌
味で言っているわけではない。そもそもパソコンや携帯がなければ何
「緑を意識しないで這っている赤ん坊の目には、どれほど多くの色彩
が草原の中に見えることだろう。
」
も始まらない毎日の生活が未だに馴染まない。ただ、そんな理由だけ
ではきちんとした「時代おくれの男」にはなれないのだ。
「ウエスタン」に登場する男たちが好きである。クリント・イース
034
これは世界的な実験映画作家・故スタン・ブラッケージの「視覚
トウッドを見出してマカロニ・ウェスタンで一躍世界的に有名になっ
における変容」のなかの記述である。これこそ、我々の見えない “壁”
たセルジオ・レオーネが、ハリウッドで最初に監督した作品がこれだ。
や “制約” を的確に表した文章である。
キャストの豪華さ(クラウディア・カルディナーレの美しさ!)はも
生後三、四ヶ月の幼児は、1メートル先のものがぼやっとした感じ
ちろん、顔のアップの多用、音楽の使い方、といった「レオーネ節」
で見える程度だという。当然、幼児はみどり=草原という意識はなく、
はもう観てもらうしかないのだが、ヘンリー・フォンダが演じる冷酷
赤や黄色の花のともに草原の緑が眼前の色彩に溶け込んでいることだ
だが一徹な殺し屋がとにかく圧倒的で、ハーモニカを奏でる流れ者チ
ろう。 ャールズ・ブロンソンとの決闘シーンは何度観てもその完璧さに身震
我々は映像作品を見たときに“意味”や“答え”を見いだそうと試みる。
いがする。憎めない山賊の頭目のジェイソン・ロバーツの最期も男泣
特に劇映画を見たときはなおさらだ。
「この映画のストーリーは……、
きだ。
監督の意図は……」と。しかし、日常の生活では視覚にとらえた映像
西部開拓時代が終焉を迎え、エネルギッシュな鉄道の敷設が新しい
の “意味” を常に考えることはしない。眼前を無意識のうちに通り過
文明の象徴として描かれていくなかで、過去の因縁や意地といったも
ぎる映像は数しれないし、物体の輪郭も定かでない映像に対して “美
のにしがみついて生きる(そして死ぬ)男達は、敢えて時代に背を向
しい” という素な感情をもつこともあるだろう。
けることを選んでいる。唯一時代の先端を代表する登場人物、絶望的
に非力だが豊富な財力で野望を成し遂げようとする鉄道会社の社長の
電車やバスの車窓から見える街の風景…。
姿は、現代に至るアメリカの歪んだ一面を予言しているようにも思え
風に揺れる樹木の影…。
る。背景は全く違うが、同監督の遺作「ワンス・アポン・ア・タイム・
水たまりに映る陽光…。
イン・アメリカ」のテーマの序章を感じる。
035
今は DVD で完全版を観ることができるが、最初に観たのは中学生
これらの何気ない映像を作品にすることだってできるはずだ。
の頃にブツ切りに編集された TV の吹き替え版だった。男たちのカッ
絵画や彫刻、写真、音楽、小説、詩などに、劇映画における “意味”
コよさの再認識と今でも彼らのようになりたいと思う自分に、当時の
や “答え” を見いだそうとするであろうか? それは稀なことである。
憧れから全く成長がないことを思い知らされてイヤになる。 視覚や聴覚から率直にこの絵や写真、音楽が好きだという感情が湧い
男の嘆きを酒場の隅に置いて行くために、独りうらぶれたおでん屋
てくるだろう。 へも行く。だが、私にはもう手遅れだ。
「時代おくれの男」になるた
映像作品に “意味” や “答え” を真っ先に求めることは、そろそろ
めには、
「時代」そのものと「自分」を見極めた、それなりの修行が
止めにしてはどうだろうか。
必要なのである。
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
私は 2008 年 4 月に当校 6 期生として入学しました。
入学当初の僕にとって映像とは情報を取り入れる媒体、また娯楽の一つでただ楽しむことがで
この学校では、技術的な事だけでなく、人間関係や、作品に対
きればいい、そのような意識でただなんとなく好きなだけの存在でした。しかしこの4年間学校
する取り組み、情熱、その他にも沢山の事を学ぶ事が出来たと
生活の中で映像という存在は、僕の中で大きく大切で感謝するべきものになっていきました。
思います。
そのキッカケになったものはやはり自分の好きな映画やドラマ、アニメーションなど物語が
私は 2 年生の立体アニメーション制作で初めてディレクターに
あり、難しいこと抜きに楽しめるものから、ほとんど意識していなかった芸術作品やドキュ
なりました。その役職に付いた時、とても嬉しかった事を覚えて
メンタリーなど理解し難いと思うことが時にあるものについてまで、幅広く自分たちの手で
います。自分の企画が通り、私が考えたものが動画となり、作
品になると思うと、とてもわくわくしました。しかし、実際制作
が始まると思うように作業が進みませんでした。
はじめは、原因が分からず困惑し、進まないのは、グループ
内の遅刻者や欠席者がいるからだと思い、ディレクターとしてそ
の人たちを注意した事もあります。制作を続けるにつれ、グルー
プのメンバーと私が離れていくのをひしひしと感じました。何が
悪いのか分からず、一人悩み、どんよりとした時間だけが過ぎて
いく。
そんな中、メンバーの一人が私にこう良いました。
「あなたのや
りたい事が私たちには分からない。協力したいけど、どうしてい
いのか分からない。あなたは一人だけで進もうとしている。
」
私は、
この言葉を聞いて衝撃を受けました。
「もっと私たちを頼って。教えて。私たちはあなたと一緒にあ
なたの作品を作りたい。
」今まで一生懸命制作に取り組み、み
んなで作っていると思っていたのに、そう感じていたのは私だけ
でした。自分が頑張れば、
何でもできる。大丈夫。いつか分かっ
てくれる。そう思っていました。しかし、私の考えを説明無しに
理解できる人がいるはずありません。
言葉数少なく、伝えようという姿勢を怠っ
ていたにも関わらず、グループのみんな
036
は、私の事を見放さずに待っていて
くれたのです。その言葉を聞いて
目が 覚めた私は、もう一度自
分 がどんな作品にしたいの
か、1 シーンずつ丁寧に伝
え、今度こそみんなで作
るという事を意 識
しながら制作
3 年間を振り返って
映像情報科 3 年 遠藤 絵美
に 励 みまし
た。そうす
る 事 でメ
ンバ ー 全
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
員が、より作品を理解し、私と同じ方向を目指し、同じだけの情
熱を注ぎ制作に取り組んでくれました。
それからは、全体的にペースも早く効率よく作業が進み、私一
人では気付かなかった指摘や、意見があり、驚かされる部分も沢
山ありました。その結果、初めて見る人でも分かりやすい作品と
なり、全体的な作品の向上につながりました。私はこの制作を通
して、人と人との関わり、信頼、コミュニケーションについて改め
て学ぶ事ができたと思います。
それからというもの、私は人に伝えるという事を大切に作品制
作に取り組んできました。3 年時には映像ジャーナリズムを専攻
し、以前から興味があった越後の毒消し売りを卒業制作のテーマ
に選び、2 人 1 組で制作を進めていました。
私は、2 年生の時に学んだ事をインタビュー時に生かし、自分
がどのような作品に仕上げたいのか、その為には、どんな事を話
してほしいのかを丁寧に説明しながら撮影を進めていきました。
そうする事で、相手の方もその為にはどんな話をすべきか、考え、
私たちが想像していたよりも沢山の事を伝えようとしてくれまし
た。
編集の際、考えがまとまらず悩んでいるときも、先生がアドバ
イスをくれたり、パートナーがそっと支えてくれました。パソコン
を使用しての作業自体は一人で行うものであっても、決して一人で
制作した作品。一人だけで作れた作品ではないと思っています。
私は、人と人とのつながりがあって自分があり、自分の作品を
作る事ができるのだと思いました。それは、私に限った事ではなく、
もの作りをする全ての人に言える事だと思います。
何を作るにしても、沢山の人の協力があって出来る事で、一人
で全てをこなそうと思っても無理なこと。周りの人に頼る、それも
たまには良い事ですが、伝えなければ、分からない事は沢山あり、
基本的には皆で作るものです。
私は、この 3 年間でその事を一番強く感じ、学びました。こ
れからの人生、この気持ちをいつまでも忘れずに自分の中に持ち
続けたいと思います。
実際に制作したことによると思います。
中でも最も影響を受けたのはゼミも専攻したアニメーション領域の映像作品です。アニメー
ションは元から大好きで最も見てきたジャンルの映像作品であり将来関わっていきたいと思っ
ていたのですが、個人、グループの制作を行いそのどちらもがカタチは違えど忘れら
れないものとなり僕のアニメーションに対する気持ちに大きな影響を与えま
した。
まずグループ制作で一つの作品を複数人で制作していくため意見
の違いがあり、喧嘩のようになってしまったりしたものの自分
だけではなく他人の考えを知り取り入れることができ、世界
が膨らんでいく感触がありとても充実したものとなりました。
また制作進行の役割を経験したことによって複数人の予定の
管理と仕事の割り振りなどの責任ある仕事について学ぶこと
ができ、作業の中はその責任感が妙に心地よく何か自分の中
にしっくりとくるものがあり、この先もこんな仕事がしたい
と思い将来の地盤ができた気がしました。
次に卒業制作にも選んだ個人制作だがこちらは良くも悪く
も自分の現在の能力の知ることができるものとなった。アニ
メーションが大好きだという点に関しては今も変わりません
が、自分一人で制作を続けるうちに調子がイマイチ掴めずど
うしても性格が仇になり途中で怠けてしまったり、真面目に
取り組もうとするとすぐ壁に当たり、なるべく自分で問題を
解決しようと思い、結果迷走してしまったり、何度か取り返
しのつかないことになったりもしてモチベーションを維持し
続けることができず最終的に自分が満足するものとならず悔
しい結果で終わることになってしまいました。しかしこの経
験は僕にとって必ずしも悪いものではなく良い点が多いと思
映像制作で学べたこと
映像情報科3年 高橋 慶
アニメーション以外にも強く印象に残り自分を成長させてく
れたものはいくつもあります。ドキュメンタリー作品の制作に
て取材を通して学んだ、人とのコミュニケーションの取り方や
距離の掴み方や芸術作品が社会より受ける影響など作品に対す
る知識、映画撮影での画面構成の仕方や文章の書き方などまだ
まだ書ききれないほどあります。
この4年間で映像を制作し、理解を深め、ただ映像が好きな
だけではなくなったのはもちろんのこと、学校生活を通しみん
なと一つの物事に対して経験したことないくらいに協力した
り、時に意見の違いで言い合いになったりしながら作品を作っ
たりと作品制作に関してだけではなく、打ち上げで騒いだり反
省したり、たわいもない話をしたり、どこかに遊びにいったり、
失敗を励まし、ときに励まされと全てが今の自分を構成し、変
化させてくれたり成長させてくれたものとなっていると感じて
います。今後この4年間で学び成長できたことを周囲の役に立
てるようにできる限り生かしていき、これからも更に自分をい
い方向に変えていきたいです。
います。自分がしたいことは何か、自分の好きなことは何か、
自分がこれからどのように映像に関わっていくのかと時間も
多くありしっかりと考えることができたからです。その上に
失敗をして満足できなかったから次こそはという意識を強く
持つことができました。その他にも直接映像とは関係のない
自分の強みと弱みをハッキリと再確認できたため人間として
も一歩進歩することができたのです。
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
037
川口芸術学校での4年間
映像文化学科 4 年 近松 温子
川口芸術学校 公開講座・イベント 開催報告
卒業制作も、卒業論文も出し終わり、あとは卒業式を
残すのみとなりました。私にとってこの 4 年間は、とて
つもなく長く、ぎゅっと濃い時間でした。入学したばか
りの事を思い出すと、はるか昔のことのようでなんだか
とても不思議な気分です。
当校は映像の勉強をする学校ですが、純粋に「映像」
の事だけを教わっていたのは 1 年半位で、2 年生の後期
にゼミに分かれて制作を始めてからは、映像でなにを伝
えるか、その中身を先生方やゼミのみんなとじっくり考
える時間だったと思います。
私はジャーナリズムゼミに所属し、ドキュメンタリー
を制作しました。作品を制作していく中で、色々な人の
感情や、生き方、考え方に触れ、自分とは違う様々な価
値観になるほどと大きくうなづきたくなる事も、逆に混
乱してしまう事もありました。
ドキュメンタリーを撮るという行為は映像を扱ってい
るのではなく、誰かの人生や感情、そういうデリケート
なものを扱っているのだと気づき、その責任に潰されそ
うになったこともありました。
文字にすると本当に当たり前の事ですが、学校にいれ
ました。ありのままの自分で向き合える仲間がいるのは
本当に心強いです。
最後になりましたが、4 年間お世話になった先生方、
公開講座
本当にありがとうございました。たくさんの経験をさせ
ットホームな学校の雰囲気が大好きでした。
振り返れば本当に毎日毎日たくさんの事をこなして、
そこでたくさんの事感じて…一つ一つを書こうと思うと
原田監督による講義と会場の様子
これから、みんながバラバラに分かれて新たな道を進
み始めます。きっとここからが私達のスタートで、この
早稲田大学川口芸術学校で学んだ事を社会にどう還元し
ていくのか、映像という道具を身につけて、それぞれが
何を伝えていくのか、心地よい緊張と同時に、とても楽
しみです。
「フィリピンの夕べ」イベントポスター
ちです。一人で取材対象者と向き合っている時間は「映
像の勉強」の時間ではないということを忘れてはいけな
いな、と強く思いました。
そして、この 4 年間を一緒に過ごした仲間は私にとっ
038
「まちづくりシンポジウム」の様子
にかくグループワークが多いので否応なしにクラスメイ
トと向き合わなければなりません。みんないい作品が作
りたい一心で、時には言いあいになり涙を流すこともあ
りました。
私は自分の意見を主張する事がとても苦手で、なにか
言いたい事があってもだまって胸にしまってしまう様な
性格でした。しかし、作品づくりが始まると、どう思
ジャン・ユンカーマン監督の講義
ってるの?どうしたいの?と、みんな私の気持ちや
ペースなんて無視して図々しくも(笑)、しまっ
ていた気持をどんどん引っぱり出してくれまし
た。
くれて、学校では飾らない自分でいる事ができ
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
川口市に協力し「第2回映像のま
ちづくりシンポジウム」を開催しま
した。
映画「アイ・コンタクト」を上映し、
中村和彦監督を交え、「伝えたい!も
うひとつの女子サッカー」のテーマ
の下、シンポジウムを行いました。
日時:2010 年 11 月 6 日 ( 土 )
会場 :早稲田キャンパス 26 号館大
隈記念タワー多目的講義室(地下 1
階)
主催:埼玉県南部地域振興センター
/ 川口市 /NPO 法人埼玉県映像の街
推進委員会
共催:埼玉県産業労働部産業拠点整
備課
協力:「アイ・コンタクト」製作委員
会 /(有)イメージ・サテライト
後援:日本ろう者サッカー協会 /(社)
埼玉県聴覚障害者協会
「21 世紀東アジア青少年大交流計画」
(JENESYS プログラム)の一環とし
て、当校映像ジャーナリズムゼミ生
7 名がフィリピンへの派遣プログラ
ジャン・ユンカーマン監督
ムに参加し、その報告上映会とディ
スカッションを行いました。初めて 『老人と海』作品上映会&講演会
039
日時 :2011 年 1 月 21 日 ( 金 )
訪れたフィリピンで、貧しさの中で
も明るく生きる子どもたちの姿に、 会場 : 早稲田大学 27 号館 B2F 小野
記念講堂
映像制作を通して、思い思いに感じ
たことや体験などが学生レポートを
卒業制作上映会の特別講演として、
通して寄せらました。
ドキュメンタリー作家のジャン・ユ
ンカーマンさんをお呼びし、監督作
協力 :JICE 財団法人日本国際協力セ
ンター、在フィリピン日本国大使館、 品「老人と海」の上映と講演会を行
いました。
フィリピン大学映像学科
カジキマグロの漁を追った本作品
での撮影中の苦労話とエピソードや、
上映作品:
学生を交えての質疑応答などにお答
「海を渡った紙芝居」
えいただきました。
フィリピン取材作品 (19 分 )
「日本の中のフィリピン」
2年生ドキュメンタリー作品 (15 分 )
隠したい自分の嫌な所も、知らなかった自分
の新たな一面も、知らない間に引っ張り出して
映画を体系的に見る訓練として原
田眞人客員教授により公開講座があ
りました。ハリウッド女優が演じる
登場人物の記号的役割を中心に愛と
性をテーマに、それぞれの映画監督
とその来歴を背景に分析してゆきま
した。
「フィリピンの夕べ」
ば「映像の勉強」をしているという錯覚をしてしまいが
て本当にかけがえのない存在です。1, 2 年生の間は、と
日時:2010 年 6 月 3 日(金)
会場:早稲田キャンパス大隈小講堂
日時:2010 年 12 月 4 日(土)
会場 :早稲田キャンパス 26 号館大
隈記念タワー多目的講義室(地下 1
階)
ン - 映画に見る愛と性 -」
て頂いて、悩むたびに相談に乗ってくださる先生方。ア
どんなにスペースがあっても書ききれません。
「第2回映像のまちづくりシンポジウム」
原田眞人監督「ヒッチコックとベルイマ
公開講座の様子
Finders 2010 Kawaguchi Art School of Waseda University
著者一覧 ( 五十音順 )
安藤 裕 ( 川口芸術学校事務所主任 )
小田部 崇 ( インストラクター、ブロードバンドコンテンツ領域 )
川口芸術学校 この一年
近藤 勝也 ( インストラクター、デジタルドラマ領域 )
小堤 一明 ( アニメーション領域 )
高橋 恭子 ( 副校長、映像ジャーナリズム領域 )
瀧 健太郎 ( 映像芸術表現領域 )
長 幾朗 ( 校長、メディアデザイン領域 )
濱口 幸一 ( 講師、映画史・英語担当 )
松原 信吾 ( デジタルドラマ領域 )
水由 章 ( 講師、メディアアート担当 )
1 月 9 日(土)進学説明会を開催。
1 月 13 日(水)NHK アーカイブス共同企画「NHK 戦争証言プロジェクト」を開催。
1 月 16 日(土)進学説明会を開催。
1 月 22 日(金)~ 24 日(日) 小野記念講堂で「わっしょい!楽しい映像祭 - 卒業・修了制作展 -」を開催。
1 月 22 日(金)卒業・修了制作展オープニング記念講演として、原田眞人監督講演会「映画的リレーションシップ
を語る」を開催。
1 月 30 日(土)オープンキャンパス・公開授業を開催。
1 月 31 日(日)第 2 回一般入学試験を実施。
2 月 6 日(土)SKIP シティ 7 周年イベントで卒業制作選抜上映会を開催。進学相談会を開催。
2 月 14 日(土)進学相談会を開催
2 月 25 日(木)~ 3 月 2 日(月) ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 2010 において 3 期生奥田庸介監督作品「青
春墓場~明日と一緒に歩くのだ~」がオフシアターコンペティション部門グランプリを獲得。
3 月 6 日(土)進学相談会を開催。
3 月 10 日(水)進学相談会を開催。
3 月 16 日(火)早稲田松竹映画劇場で芸術学校空間映像科との卒業制作合同上映会を開催。
3 月 20 日(土)第 3 回一般入学試験を開催。
3 月 25 日(木)2009 年度卒業式(13 名)を記念講堂で挙行。総代は映像情報科の蕭佳華。証書授与式および卒業パー
ティーを STEP21 2 階教室で開催。紀要「AARR」第 9 号を発行。
4 月 3 日(土)2010 年度入学式、新入生歓迎会を STEP21 2 階教室で挙行。
4 月 6 日(火)前期授業開始。
4 月 10 日(土)~ 7 月 11 日(日)SKIP シティ映像ミュージアム開催「メディア・エクスプローラー 2010」に参加。
5 月 1 日(土)学生によるインターネットライヴ放送「DELTA」を実施。
6 月 3 日(金)原田眞人教授による公開講座「ヒッチコックとベルイマン - 映画に見る愛と性 -」を開催。
7 月 2 日(金)2011 年度からの新入生募集停止を学内に発表。
7 月 23 日(金)前期授業終了。
7 月 24 日(土)~ 8 月 1 日(日)SKIP シティ夏休みイベント~すき!すき! SKIP シティ~に参加。2 年次課題作品を公開。
7 月 24 日(土)~ 8 月 2 日(月)JENESYS ASEAN 各国への青少年派遣事業(映像制作・フィリピン)へ参加。
040 7 月 26 日(月)~ 28 日(水)軽井沢セミナーを開催。
8 月 21 日(土)2011 年度からの新入生募集停止についての保護者説明会を開催。
11 月 6 日(土)~ 7 日(日)「早稲田祭2010- 限界その先へ -」に参加。
11 月 6 日(土)「フィリピンの夕べ」を開催。
12 月 2 日(木)JENESYS アジア国際子ども映画祭参加訪日団が来訪。
12 月 4 日(土)埼玉県との共催「第2回映像のまちづくりシンポジウム」を開催。映画「アイ・コンタクト」上映、
中村和彦監督を交えたシンポジウム「伝えたい!もうひとつの女子サッカー」を開催。
12 月 8 日(水)第 5 期卒業生渡邊洋子さんの卒業制作「REN # 8」が映文連アワード 2010 パーソナルコミュニケー
ション部門優秀賞受賞。
井上 和久 映像文化学科 2 年 遠藤 絵美 映像情報科 3 年 尾沼 宏星 映像情報科 1 年 小林 努 映像情報科 2 年 杉野 剛士 映像情報科 3 年 鈴木 紀之 映像情報科 2 年 高橋 慶 映像情報科 3 年
近松 温子 映像文化学科 4 年 安川 央里 映像情報科 3 年 松浦 真実 映像情報科1年
編集
瀧 健太郎
柿沼 真紀
編集協力
有泉 尚
山本 直穀
表紙デザイン
東海林 その子
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早稲田大学川口芸術学校
2010 年度学校年鑑 FINDERS 創刊号
発行日 2011 年 3 月 26 日
発行者 長 幾朗
発行所 早稲田大学川口芸術学校
〒333-0844
埼玉県川口市上青木 3-12-63
SKIP シティ・ビジュアルプラザ 6F
TEL:048-269-7961 FAX:048-269-7970
URL:http://wasedaart.waseda.ac.jp/
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