今日のみことば □ 6月8日(日) 出エジプト 9章 家畜に疫病が発生、エジプト人の家畜は皆死んだ.エジプト 人と家畜には腫れ物が蔓延した。されに雹の被害を持って神は その正しさを貫かれた。 □ 6月9日(月) 出エジプト 10章 イナゴによる災害は、雹の被害を免れたものを根こそぎに全 滅された.さらに突然に世界は暗闇となり、エジプト人は今ま でにない恐怖を味わうことになった。 □ 6月10日(火) 出エジプト 11章 最終的に決定的は打撃は主ご自身の手で行われた。主はエジ プト人の幼子と家畜の初子の死を告げられる。もはや神の恵み の時は過ぎたとモーセは確信する。 □ 6月11日(水) 出エジプト 12章 一年近くの歳月が過ぎ、ついに最後の危機が近づいた。イス ラエルの民を死から免れさせる過越の備えをさせ、パロに圧倒 的一撃を加えられ、イスラエル人は出発した。 □ 6月12日(木) 出エジプト 13章 ここには初子の聖別と、種なしパンに関するもう一つの指示 が示されている。約束の地への道程は荒野を通る道であったが 神は昼は雲の柱、夜は火の柱で彼らを守られた。 □ 6月13日(金) 出エジプト 14章 エジプトの軍隊が追跡してくることを知った民は恐れを覚え たに違いない。神は紅海を二つに分けられ、イスラエルの民は 紅海を渡って救われた。 □、6月14日(土) 出エジプト 15章 このエジプトからの救出は、終わりの日の教会のこの世から の救出と同じである。このモーセの「勝利の歌神の約束を信い る者のうたである。 主イエスの約束を信じて、来臨 を待ち望んで祈っていた弟子たち に、この日、その約束が果たされ ました。五旬節の日の出来事でし た。それは私たちの思いを超えた 出来事でした。十字架に死んで復 活されたイエスこそ、私たちが待 聖句 イザヤ45:22 ち望んでいた救い主・キリストで あると熱く語る弟子たちの言葉に 地の果てのすべての人々よ 心を刺されて、悔い改めて信じる わたしを仰いで、救いを得 人々がおこされ、その数は三千人 よ。わたしは神、ほかには ほどにもなったというのです。い いない。 かに弟子たちが熱く語ったと言っ ても、十字架に付けられたイエス をキリストと告白することは難し い。パウロは「聖霊によらなけれ ば、だれも『イエスは主である』 とは言えない」(コリント第一12:3) と 言いました。私たちが信じて従う 神はこのようなお方です。私たち の信仰の基盤は、創造主しなる神への帰依こそが、すべてのこ とは始まりであると言わなければなりません。神の決定的な言 葉は「わたしは神、ほかにない」との言葉です。 預言者イザヤは北イスラエル王国がアッシリヤによって滅ぼ され、多くの民が捕囚とされたとき南ユダ王国の預言者でした しかしやがてその南ユダ王国も、アッシリヤによって滅ぼされ 民は捕囚の民となりました。そのような苦悩の時代を生き抜い たイザヤですが、そのような事態に遭遇するとも神の守りを信 じ抜いた預言者です.彼はその信仰をもって神への希望を捨て ることなくしっかりと、信じ抜くことを言い続けてきました。 ろ ば No.1666 2014年 6月 8日 日本バプテスト 立川キリスト教会 牧師 大川 博之 このイザヤ書は40章から内容が一変します。ユダの民は捕 囚の中にあり、そこからの解放の預言が語られており、それは 新約時代の神の民の救いのみわざ、終末の日の完全な解放につ いての預言とみられているところもある。その神は世界の主で あり、その歴史もそのご支配の中にあると語ります。 神の救いの福音はすべての造られた民への福音です。これは イスラエルの民だけのものではない。よくイスラエルの民はこ の救いに関しても有利な立場にいるかのごとくに思われていま すが、そうではない「地の果てのすべての人々」への福音であ ることが明確に語られています。五旬節の日におこった驚くべ き出来事に立ち会った人々は、ユダヤ人だけではありません。 多くの異国の民たちがいました(使徒)2:5-11)。彼らもまたし っかりとペテロの口から語られる言葉を通して福音を聞いたの です。捕囚の民として辛い毎日を送っている民たちにイザヤは 語るのでした「イスラエルの子孫はすべて/主によって、正し い者とされて誇る」と。選ばれた民たちでしたが、そこにいか なる誇るべきものを見いだすことが出来るというのでしょうか しかし、「偶像が木にすぎないことも知らずに担ぎ/救う力の ない神に祈る者」たちをも呼び寄せられる神は、この救いの福 音を「地の果てのすべての人々」にも及ぶ.まさしく主キリス ト・イエスが私たちに託された責任そのものです。しっかりと 「わたしは神。ほかにはいない」と言われるお方をしっかりと 見つめて、希望に生きることです。 次週の聖書・説教 ヨハネ4:46-53 信仰の事例 《 聖書の学び・祈祷会 》 ガラテヤ 1 聖書に聞く私の状態 パウロがこの手紙を通して私たちが何者であるかを明示して くれる。それだけにとどまらない私たちの生き方に問いかけて くるのです。 パウロの救いは「人々からでもなく、人を通してでもなく、 イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させられた 父である神とによって使徒とされたパウロ」との一事にしぼら れます。パウロが命をかけて建てたガラテヤ教会に、ユダヤ教 主義者が入り込んで、信仰だけでは不十分だ。律法を守ること も大事と説いていることを知り、烈火のごとくに怒ったパウロ は信仰のみによって救われる福音と違った福音は、人を惑わす ものであって福音と言うべきものではないという。 彼の自叙伝ともうべきこの行に、パウロの救いに対する確た る信念を見ることが出来る。聖霊の働きによらねばこのことは 起こりえないのです。 」にも
© Copyright 2025 ExpyDoc