2014/6/8 - 立川バプテスト教会

今日のみことば
□
6月8日(日) 出エジプト 9章
家畜に疫病が発生、エジプト人の家畜は皆死んだ.エジプト
人と家畜には腫れ物が蔓延した。されに雹の被害を持って神は
その正しさを貫かれた。
□ 6月9日(月) 出エジプト 10章
イナゴによる災害は、雹の被害を免れたものを根こそぎに全
滅された.さらに突然に世界は暗闇となり、エジプト人は今ま
でにない恐怖を味わうことになった。
□ 6月10日(火) 出エジプト 11章
最終的に決定的は打撃は主ご自身の手で行われた。主はエジ
プト人の幼子と家畜の初子の死を告げられる。もはや神の恵み
の時は過ぎたとモーセは確信する。
□ 6月11日(水) 出エジプト 12章
一年近くの歳月が過ぎ、ついに最後の危機が近づいた。イス
ラエルの民を死から免れさせる過越の備えをさせ、パロに圧倒
的一撃を加えられ、イスラエル人は出発した。
□ 6月12日(木) 出エジプト 13章
ここには初子の聖別と、種なしパンに関するもう一つの指示
が示されている。約束の地への道程は荒野を通る道であったが
神は昼は雲の柱、夜は火の柱で彼らを守られた。
□ 6月13日(金) 出エジプト 14章
エジプトの軍隊が追跡してくることを知った民は恐れを覚え
たに違いない。神は紅海を二つに分けられ、イスラエルの民は
紅海を渡って救われた。
□、6月14日(土) 出エジプト 15章
このエジプトからの救出は、終わりの日の教会のこの世から
の救出と同じである。このモーセの「勝利の歌神の約束を信い
る者のうたである。
主イエスの約束を信じて、来臨
を待ち望んで祈っていた弟子たち
に、この日、その約束が果たされ
ました。五旬節の日の出来事でし
た。それは私たちの思いを超えた
出来事でした。十字架に死んで復
活されたイエスこそ、私たちが待
聖句 イザヤ45:22
ち望んでいた救い主・キリストで
あると熱く語る弟子たちの言葉に
地の果てのすべての人々よ 心を刺されて、悔い改めて信じる
わたしを仰いで、救いを得 人々がおこされ、その数は三千人
よ。わたしは神、ほかには ほどにもなったというのです。い
いない。
かに弟子たちが熱く語ったと言っ
ても、十字架に付けられたイエス
をキリストと告白することは難し
い。パウロは「聖霊によらなけれ
ば、だれも『イエスは主である』
とは言えない」(コリント第一12:3) と
言いました。私たちが信じて従う
神はこのようなお方です。私たち
の信仰の基盤は、創造主しなる神への帰依こそが、すべてのこ
とは始まりであると言わなければなりません。神の決定的な言
葉は「わたしは神、ほかにない」との言葉です。
預言者イザヤは北イスラエル王国がアッシリヤによって滅ぼ
され、多くの民が捕囚とされたとき南ユダ王国の預言者でした
しかしやがてその南ユダ王国も、アッシリヤによって滅ぼされ
民は捕囚の民となりました。そのような苦悩の時代を生き抜い
たイザヤですが、そのような事態に遭遇するとも神の守りを信
じ抜いた預言者です.彼はその信仰をもって神への希望を捨て
ることなくしっかりと、信じ抜くことを言い続けてきました。
ろ
ば
No.1666
2014年
6月 8日
日本バプテスト 立川キリスト教会
牧師
大川 博之
このイザヤ書は40章から内容が一変します。ユダの民は捕
囚の中にあり、そこからの解放の預言が語られており、それは
新約時代の神の民の救いのみわざ、終末の日の完全な解放につ
いての預言とみられているところもある。その神は世界の主で
あり、その歴史もそのご支配の中にあると語ります。
神の救いの福音はすべての造られた民への福音です。これは
イスラエルの民だけのものではない。よくイスラエルの民はこ
の救いに関しても有利な立場にいるかのごとくに思われていま
すが、そうではない「地の果てのすべての人々」への福音であ
ることが明確に語られています。五旬節の日におこった驚くべ
き出来事に立ち会った人々は、ユダヤ人だけではありません。
多くの異国の民たちがいました(使徒)2:5-11)。彼らもまたし
っかりとペテロの口から語られる言葉を通して福音を聞いたの
です。捕囚の民として辛い毎日を送っている民たちにイザヤは
語るのでした「イスラエルの子孫はすべて/主によって、正し
い者とされて誇る」と。選ばれた民たちでしたが、そこにいか
なる誇るべきものを見いだすことが出来るというのでしょうか
しかし、「偶像が木にすぎないことも知らずに担ぎ/救う力の
ない神に祈る者」たちをも呼び寄せられる神は、この救いの福
音を「地の果てのすべての人々」にも及ぶ.まさしく主キリス
ト・イエスが私たちに託された責任そのものです。しっかりと
「わたしは神。ほかにはいない」と言われるお方をしっかりと
見つめて、希望に生きることです。
次週の聖書・説教
ヨハネ4:46-53
信仰の事例
《 聖書の学び・祈祷会 》
ガラテヤ 1
聖書に聞く私の状態
パウロがこの手紙を通して私たちが何者であるかを明示して
くれる。それだけにとどまらない私たちの生き方に問いかけて
くるのです。
パウロの救いは「人々からでもなく、人を通してでもなく、
イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させられた
父である神とによって使徒とされたパウロ」との一事にしぼら
れます。パウロが命をかけて建てたガラテヤ教会に、ユダヤ教
主義者が入り込んで、信仰だけでは不十分だ。律法を守ること
も大事と説いていることを知り、烈火のごとくに怒ったパウロ
は信仰のみによって救われる福音と違った福音は、人を惑わす
ものであって福音と言うべきものではないという。
彼の自叙伝ともうべきこの行に、パウロの救いに対する確た
る信念を見ることが出来る。聖霊の働きによらねばこのことは
起こりえないのです。
」にも