平成23年

同窓会のこれから
同窓会副会長
西脇
壽郎
︵四高三十二年度卒︶
四日市高等学校
三重県立
同窓会
四 日 市 市 茂 福 65
TEL〈059〉365-3631
㈱東海フォトデザインシステム
印 刷
学校長
水谷
明弘
本校の現状と
課題について
りご支援ご協力賜りまして厚くお礼
知っていただけるはずです。これか
会のみならず、母校の動向もかなり
しくお願いいたします。
た水谷明弘と申します。どうぞよろ
異動により、本校に着任いたしまし
申し上げます。私、昨年4月の人事
取ったアンケートで、生徒は、学校
らなかなか難しいものですが、先日
争社会の中での仲間づくりですか
ことが不可欠であると思います。競
行事の充実と居心地のよい学級を最
上位にあげていました。聡明な四高
たします。
様ご記憶に新しいところだと推察い
平成 年に、母校創立110周年
記念事業が種々行われたことは、皆
み、卒業生にお伝えしています。し
年1 回 発 行 さ れ る 会 報 に 依って の
ですが、熊澤会長も﹁同窓会として
きました。昨年の様子は別項の通り
催を機会に、その名称等をお譲り頂
こ ぎつ け ま し た。 同 窓 会 の 動 向 は、 いましたが、それを記念コンペの開
の卒業生からの提案もあり、実現に ﹁ 銀 城 会 ﹂ とい うコン ペが 行 わ れ て
な 指 導 の 成 果 だ と 思って お り ま す。 ません。
は、生徒の頑張りと教員の懇切丁寧
はここ数年三重県トップです。これ
都大学等の難関国立大学の合格者数
進学実績については、東京大学、京
実を十分認識し、徳の重要性に気付
変化から学級崩壊が起こっている現
少したり、子どもを取り巻く環境の
遠いものがあります。同窓会といえ
底大多数の会員に知らしめるには程
れが100名以上の会員が一同に会
場しています。しかし、この実績の
施しましたが、挨拶も含めて継続し
いているのではないかと思えてなり
だけにお送りしている現状では、到
かしそれも、会費を納入された会員
ムページの新規立ち上げとゴルフコ
に入学してよかった、と思えるよう
て取り組み、どの生徒も四日市高校
東海大会、2つの部が全国大会に出
ンペも行われましたが、後者の2つ
陰には教員の多大な超過勤務といつ
な学校づくりに邁進する所存でござ
もONの状態で頑張っている生徒の
いますので、同窓会員の皆様におか
して、親睦を深めることは、まこと
努力があります。いつまでもこの環
に 意 義 深 い こ と だ。
﹂ と 述 べて み え
境の下で勤務できる教員ばかり集め
ば、どこでも有りがちですが、同窓
ます。ただゴルフだけが懇親の場で
会や母校の動向に興味や関心のあ
はありませんが、今後も大勢の卒業
長く続いていくものとして、大層意
層会員にはその意識が少ない傾向が
るのは中高年層の会員であり、若年
〈講師〉
(株)三菱総合研究所主任研究員
(四高
平成元年度卒)
氏
辻 禎 之
〈演題〉
「浪花節だよ、防災・危機管理・
Jリーグも−危機管理について−」
終了後 ・抽選会
・記念撮影
○付記
・喫茶室にてティー・パーティー(無料)
・会費期限切れの方には、振込用紙を同封い
たしました。会費納入にご協力下さい。
・講演につきましては、一般に公開しており
ます。お知り合いで、ご興味のあります方
には、ご案内下さい。
申し上げます。
四日市高校同窓会館
TEL・FAX 059-365-3631
Eメールアドレス
[email protected]
温かいご声援を賜りますようお願い
○記念講演
校生活を送りたい﹂と思っている中
○問合せ
れましては、母校に対して引き続き
○場 所
考え方も変化しています。全国的な
13時30分受付
14時00分開会
ることは不可能です。また、生徒の
平成23年6月4日
(土)
生が親睦を深めることのできる機会
○日 時
をつくっていきたく思う今日このご
平成 23 年度総会を下記の通り開催いたし
ます。会員の皆様におかれましては、お誘い
合わせの上、多数ご参加くださいますようご
案内申し上げます。
傾 向 で す が、
﹁あまり無理せずに高
四日市総合会館8階 視聴覚室
ろです。
〈平成23年度総会のご案内〉
ホームページの立ち上げは、平成
〈平成 22 年度総会風景〉
義のあるものです。
は一過性のものでなく、これからも
縦の繋がりが十分とは言えない。そ
同窓会が主体のものとしては、記
念講演会・記念演奏会・記念小冊子
常 に め ま ぐ る し く 活 動 し てい ま す。 生は、現実に各学校で学校行事が減
さて、本校の現状ですが、生徒も
教員も良い意味でも悪い意味でも非
らは年数回編集し、最新情報をお伝
さい。
えできることと思います。ご期待下
ステムを活用すれば、だれでも同窓
あります。そこで浮上してきたのが 同 窓 会 員 の 皆 様 に お か れ ま し て 学生が増加しているようです。
ホームページの活用でした。このシ は、平素より本校の教育全般にわた
これらの課題を克服するために
は、生徒も教員も自己有用感を持つ
編集発行
続いてゴルフコンペの件は、古く
から丹羽文雄大先輩方を中心にして
No.68
年度の総会にて、比較的若い年代
19
の発行がありました。さらにはホー
21
は 横 の 連 携 は か な り と れ てい る が、 また部活動においても、5つの部が
今 年 度、 教 育 技 法 の 一つ で あ る
ソーシャルスキルトレーニングを実
2011年
(平成23年)3月1日
四日市高校 同窓会報
(1)
第68号
Yokkaichi Senior High School
三重県立四日市高等学校同窓会公式ホームページ
http://www.pcs.ne.jp/~shiko/
平成 年、元旦、午
前 7 時、 裏 山 に 登 り、
初日の出を拝む。昨年
同 様 快 晴。
〝輝き満ち
て平らけく、和む朝日
の伊勢の海〟
、自然と
母 校 校 歌 を口 ず さ んで
いた。▼﹁卯﹂年にちなんで、巷間
で は、
﹁ ホップ ﹂
﹁ステップ ﹂
﹁ ジャ
ンプ﹂との言葉を見聞する。しかし、
現実に﹁ホップ﹂
﹁ステップ﹂
﹁ジャ
ンプ﹂と、踏みしめるグランドは何
処 に あ る の だ ろ う。 後 継 者 が な く、
荒 れ 果 て た 山 林、 農 耕 地。
﹁日本人
の心のふるさと文化﹂を育て継承し
てきた里山も住宅地化し、子どもの
遊び場もない。空き地、道路、水路
まで、コンクリートで固められてい
る。学校の校庭まで、人工芝、人工
グランドで本当の土のグランドは少
ない。▼母校が甲子園、初出場、初
優 勝 し た 頃 の グ ラン ド を 想 い 出 す。
現 在の グ ランド と 較 べて 半 分 程の
広 さの 狭い グ ランドで、野 球︵ 硬・
軟︶
、サッカー、陸上競技、バレー、
ソフトボール等が共用していた。グ
ランドにて毎週月曜日、朝礼集会の
後、全校生徒、職員による小石拾い、
夏期は草取りによりグランドを磨い
た。▼現在は何処の学校もグランド
が整備され、草もなく、小石もなく、
防球ネットが張り巡らされ、全て業
者頼みのグランドになっている。誰
による、誰のための、心のこもった
グランドなのか。暖かい心のこもっ
たグランドでこそ、暖かい心をもっ
た人間が育ってきたものだ。それが
母校のグランドである。グランドの
石ころも雑草も立派な教材として存
在してくれている。その教材を、生
かすも殺すも生徒とその指導者で
ある。業者に磨かれ、業者に整備さ
れたグランドでは真の高校生として
の﹁ホップ﹂
﹁ステップ﹂
﹁ジャンプ﹂
はできない。わが母校のグランドは、
100 余 年の永 きを 先 輩 諸 氏の汗
と涙と熱血で踏み固められている筈
だ。後継者の絶えないことを祈る。
︵鈴木田︶
23
︵四高三十三年度卒︶
平成22年6月6日(日)
四日市総合会館
8階 視 聴 覚 室
収
収
入
予
算
額
同窓会より
750,000
750,000
会館使用料
101,500
110,000
項
目
細
目
1,797
2,764
前
期
繰
1,107,236
1,107,236
越
合
金
計
1,960,533
定
管
会
科
理
目
細
目
摘
要
費
決
算
額
予
算
額
649,173
1,520,000
費
84,035
400,000
会 館 修 理 費
93,970
500,000
72,000
100,000
事
清
保
務
掃
険
費
費
光 熱 給 水 費
摘
要
決
環境整備等
火災保険料
18,570
20,000
法
予
合
業
人
住
備
費
電気、水道、ガス代
380,598
500,000
会議、講演
229,475
250,000
民
税
県税・市税
20,000
160,000
費
0
40,000
計
898,648
1,970,000
全日制 1,800 × 1079 人
終身
(20000)
同
窓
会
費
327
6540000
10年
(10000)
1
10000
5年
(5000)
0
0
3年
(3000)
2
6000
2年
(2000)
2
4000
1年
(1000)
267
算
額
予
算
額
8,737,960
8,664,000
1,942,200
1,944,000
267000
同窓会費計
6827000
振 込 料
△ 31240
6,795,760
収
入
2,242
4,672
繰
越
金
1,301,328
1,301,328
計
10,041,530
9,970,000
合
利子、その他
6,720,000
雑
〔支出の部〕
単位:円
項
運
会
目
営
議
細
目
給
与
給料
事
務
印刷、事務用品等
通
信
電話、郵便料
事
決
算
会場費、懇親会費、案内状
会
会場費、会議費、案内状
費
会
報
四高会拠出金
110 周 年 記 念 事 業 費
算
額
1,030,000
1,100,000
会議費
会報印刷及び発送費
350,000
69,826
100,000
199,845
370,000
139,350
250,000
56,281
100,000
4,214
20,000
670,488
950,000
750,000
750,000
2,372,991
2,500,000
積
立
金
1,800,000
1,800,000
予
備
費
1,618,085
2,050,000
計
8,835,336
9,970,000
合
文化行事補助・記念パーティ・ホームページ等
予
1,550,000
(財)四高会寄付金
式 典・ 音 楽 会
額
1,423,927
324,101
会
常 任 理 事 会
業
要
費
総
事
摘
費
理
事
金
1,970,000
〔支出の部〕
単位:円
勘
入
入
受取利息
も、マリンバのトレモロ奏法による
雑
金
持続音は実に耳に心地よく、またマ
付
レットの堅さによって音色が変幻自
額
(平成 21 年4月1日∼平成 22 年3月 31 日)
〔収入の部〕
単位:円
同 窓 会 収 入
寄
在になるなど、聴く者の心をとらえ
算
て 放 さ ない す ば ら しい 演 奏 で し た。
時にはしっとりと、暖かく優しい響
決
耳 慣 れ た 曲 目 に も、 時 に は 軽 快 に、
きが会場を満たしていたように思い
ます。
また、曲間に入るスピーチも穏や
かな口調の中に氏のゆるぎない自信
要
記念演奏とトーク
︵マリンバ演奏︶
田嶌玲子氏
22
第3号議案
22
と誇りが感じられ、この講演会に参
摘
平成 年度同窓会総会報告
平 成 年 度 総 会 は6 月6 日︵ 日 ︶
の 時より四日市市総合会館にて開
平成 年度事業計画案
第4号議案
加したすべての方々の心にすてきな
目
メッセージとなって響いたことは言
細
催されました。
平成 年度予算案
以上の議案について慎重な審議の
結果、全会一致で承認されました。
うまでもありません。
目
22
四日市高校同窓会 平成 21 年度収支決算書
〔収入の部〕
単位:円
科
14
マリンバ演奏
(平成 21 年4月1日∼平成 22 年3月 31 日)
定
120余名の参加者で定刻通り始
まり、最初に熊澤会長よりご挨拶を
演
奏
会
温まるひとときを過ごすことができ
ました。
田嶌氏はマリンバ演奏とその指導
において、日本の草分け的存在であ
年のキャリアを持ち、現在も
り、音楽教育者としてまた演奏家と
して
22
33
財団法人 四高会 平成 21 年度収支決算書
勘
(2) 第68号
議
事
50
四高 昭和 30 年度以降卒業生
懇 親 会
いただきました。内容は、昨年の母
校創立110周年記念行事も質素な
本年の記念講演は、四高 年度卒
の 田 嶌 玲 子 氏 に お 願 い し、
﹁マリン
がらも、同窓会員の参加も多く、記
フコンペ等和やかな雰囲気で、各行
バ演奏とトーク﹂という演題で、心
念総会、祝賀パーティー、記念ゴル
事は成功裡に終了したことの報告で
した。
伝 統 あ る 四 日 市 高 校 で の、 指 導 責
任の重さと、学ぶ生徒たちの前途を
見すえた人間形成に重点を置いた学
第一線でご活躍中です。
りと息のあった躍動感ある音楽がす
ばらしかったと思います。普段あま
りこの楽器に親しんでない私たちに
当日はマリンバの演奏家でもある
娘さんも協力出演され、親子のぴた
四高 昭和 25 ∼ 29 年度卒業生
総会で審議された議案は次の通り
です。
第1号議案
21
られました。その後、議事、記念演
奏会、記念撮影、抽選会、懇親パー
21
習、進路指導を行いたく希望を述べ
ティーと、日程を終えました。
平成 年度事業報告
第2号議案
平成 年度収支決算・監査報告
富中・四女・北女卒業生
続いて、本年度より校長に赴任さ
れた水谷校長より、会員への挨拶と、
四日市高校 同窓会報
2011年(平成23年)3月1日
単位:円
平 成 21 年 度 収 入
1,960,533
平 成 21 年 度 支 出
898,648
次 年 度 繰 越 金
1,061,885
( 次 期 繰 越 金 ) 百 五 銀 行 富 田 駅 前 支 店 普 通 預 金 1,061,885
単位:円
特別会計積立金(百五銀行富田駅前支店定期預金)
平 成 21 年 度 収 入
10,041,530
前
平 成 21 年 度 支 出
8,835,336
今
次 年 度 繰 越 金
1,206,194
利
百五銀行富田駅前支店普通預金
今
年
年
度
年
度
積
度
立
末
22,001,557
金
1,800,000
子
44,010
末
23,845,567
四日市高校 同窓会報
(3)
第68号
リレー随想
2011年
(平成23年)3月1日
結果は幸運にも準優秀賞をいただくことができ、自分なりの自信
〈第14回〉
が持てました。この時の1位は、奇しくもS先生の教えを受けた先
四高で学んだこと
生に指導された、愛知・起工高2年の生徒の作品で、その100号2
枚を繋げた大作は会場でも他を圧倒しておりました。
上田安子服飾専門学校・教務部長 このような活動を通して、
「やっていることが全国に繋がっている」
小西 祐司(四高 54 年度卒)
ことを実感できましたし、まだ見ぬライバルといいますか、日本中
で絵を描き、デザインを志している同年代の人たちを意識する視点
学校群4年目の入学生として入学した私にとって一番の驚きは、授業外で行われる
が養われたと思います。
様々な課外活動や行事の充実度でした。新入生歓迎会では、有志のロックバンドや吹
また、高校時代にはS先生に美術展はもちろん、新聞社などにも
奏学部によるビッグバンド風の演奏、そのころまだ珍しかった柔道部による「学生プ
同行させていただきました。もちろん、先生と作家のお友達や記者
ロレス」など、大学生はだしの出し物が披露されました。3年生のときには『八稜星』
さんがお話をされているところに同席しているだけなのですが、今
の表紙デザインをさせていただき、過去の本を見る機会があったのですが、その中身
にして思えば、こういった「オトナの会話」を聞く経験をしたこと
は現在の総合文芸誌にも匹敵するほど中身の濃い物でした。
は、様々なマナーを含め、昨今言われている「コミュニケーション力」
「学校行事のスケールは、その学校の偏差値に比例する」と聞いたことがありますが、
を教えていただいたように思います。その後、大阪芸術大学に進み
これは学校「文化度」を表現したもののようです。
ましたが、高校生のうちから大学の「ゼミ」のような経験をしてい
今では考えられないほど勉学に、クラブ活動に、遊びに、真剣な時代だったのかも
るわけですから、最初から臆することなく、先輩や先生方の教えを
知れません。
乞うことができました。
その後の私たちの代では、それらが少しずつ地味になっていったことを思うと、む
こんなふうに、現在の私を支えている価値観や行動スタイルのほ
べなるかなの思いです。
とんどは、四日市高校での出会いの中で養成されたものです。
さて自分はといいますと、1年生のときに、友達に誘われて何となく入った美術部で、
「教育の危機」が叫ばれるなか、中央教育審議会は専門学校を「高
フラフラと過ごしておりました。進路を決める段になって、
「自分はやはり好きなこと
等教育の新しい柱」として位置づけることを議論しており、ここに
でいくしかない」と一念発起、美大への進学を目指すことにしたのですが、急にうま
入れるかどうかに学校の命運がかかっているといわれています。
「専
くいくわけがありません。ただ、高校野球の名門を見習って、3年次にはとにかく毎
門」学校ですから、教育の専門性を高めるのが第一義であることは
日美術室に行くことを心がけました。そうこうするうちに、
「全日本学生油絵コンクー
もちろんですが、四高時代に触れたような課外カリキュラム(影の
ル」が迫ってきました。これは4年前に町田先輩が日本一に輝き、その後も部員が入
カリキュラム−シャドウ・カリキュラム)の充実も、教育の高度化
賞を続けてきた文字通り「美術の甲子園」のようなコンクールです。顧問のS先生は
のカギかもしれないなと考えております。
じめ、当時、教育実習で来られていたM先輩に、下絵を何度もダメ出しされ、それで
59 58 53
お悼み
さま
20
︵四女三十九回卒︶
12
吉田 豊
平成 年 月 日ご逝去
22
学年同窓会開催時に記念事業とし
待します。
41
て、記念植樹もご一考されるよう期
49
回生﹁黒松﹂再植樹
30
同窓会館庭園にて
す。
回卒生︵ カ
シ︶S・ ・3
富中
回卒生︵ サ ザ ンカ ︶S・ ・4 H
同窓会館前庭園に各卒業生が寄附
された樹木が、元気よく育っていま
富中
富中
回卒生︵ 黒
松 ︶S・ ・8
卒業 周年記念︵S 年︶に植樹
回卒生︵ ラカンマキ︶ ・4・3 された﹁黒松﹂が、3 年前に﹁マツ
回卒代表者により再
吉田豊さまは、四日市高女
第 回卒業生代表として、こ
よなく同窓会を愛し、几帳面
なご性格で会運営の推進役を
15
務めてくださいました。
急逝されるまで顧問として会
平成 年度より 年度ま
で、副会長を務められ、以後、
ご冥福をお祈りいたします。
番で見事ホール
を見守ってくださいました。
卒︶が
10
富中
年に、富中
新しく植樹されたクロマツ
代表の伊達貫一郎氏(左)
川合一郎氏(右)
クイムシ﹂の被害で弱りました。H
植樹をされました。
41
39
富中
松 ︶S・ ・3
シ︶S・ ・8
59 54 54 53 51 50 49 48
22
ん︵S
16
回卒生︵ サ ザ ンカ ︶S・ ・3
42 41 40 38 31 30 25
ゲ ︶S・ ・8
・8
・2 生 ︶
36
富中
44
キ︶S・ ・8
年度卒生︵ 夏 椿・侘 助︶S・
富中 回卒生︵ 黒
富中 回卒生︵ カ
富中 ・ 回卒生
︵ツ
回卒生︵ツ バ
富中
四高
富中 回卒生︵マ
キ ︶S・ ・2
北女4回卒生︵ シ ュ ロ ︶S・ ・9
以 上 学 年の方々の記 念 樹の成
長ぶりを同窓会館訪問時に確認して
やってください。
13
43
46 45
卒 の 今 谷 慶 郎 さ ん︵ T
インワンを達成され第3位に入賞
されました。
第3回大会は2011年 月
日︵木︶に四日市C での開催を
10
でした。
また、当日の優勝者は
女子の部
11
庭園には、まだ空きスペースがあ
りますので、各学年幹事の方々、各
第2回
銀城親睦ゴルフ大会
C
28
13
25
予定しておりますので、お誘い合
わせの上多数ご参加下さいます様
ご案内申し上げます。
︵伊藤
勘作︶
〈懇 親 会〉
須藤美智子さん︵S 卒︶
男子の部
36
〈優勝カップ授与〉
山下
晃さん︵S 卒︶
母校創立110周年を記念して 開催されました第1回銀城親睦ゴ なお、優勝者山下
晃さんと同
じ組でラウンドされた岡田忠夫さ
22
ル フ 大 会 に 続 き、 第 2 回 大 会 が、
年
月 日︵木︶
11
去る平成
リークラブで
〈熊澤会長あいさつ〉
四日市カンツ
開催されまし
た。
参加者は
女子 名、男
子122名の
総勢133名
回
で、最高齢者
は富中第
38
10
11
各卒業生寄附記念樹
年輪を刻む、
も描きだせずに日が過ぎ、3週間でなんとか100号を仕上げて東京に送りました。
鮮かに甦えって参ります。
勅たる玉音放送を在校生全員︵一
部の者は勤労動員先の工場で、又
一部の者は陸軍幼年学校や海軍兵
学校予科や海軍航空隊予科練習生
として︶が校庭で聞く。落涙。
十七歳最後の日
山
川
有
一
︵四高四十七年度卒︶
からトラブル続出です。そこへ突然、
先生方ほかの仕切りが入ってきて私
の 思 惑 と ぶつ か り ま し た。
︵経過は
省略︶
ひとりでした。このことは誰も知り
黙って四高にひとりで帰り、ガラ
ン と し た 校 舎 に ポ ツ ン と い ま し た。
あるはずの私がいなくても無事に終
了しました。
ません。仮装イベントは、責任者で
場のことも含めて責任者になってし
地公園で行うこととなりました。陸
で運動会の合間にやっていた一大イ
上部にいたので、そのあたりから会
極的に生徒会活動をやっていたので
野球部を結成したのは戦中の山城
3年生で生徒会などやっていたの
での開墾に従事した3年5組︵担 はごく稀な生徒です。といっても積
昭和 年 月3日、私は生徒会で
書記をやっていました。
年 1 月、 駅 伝 競 争 に 住 山、
伊藤通等が出場し優勝する。
︵五︶
年 の 夏 の 甲 子 園へ 初 出 場 を
任、
池内先生︶のメンバーたち︵小
ベントのクラス対抗の仮装行列をど
を迎える年でありましたので、2年
のではありますが、紙面の都合上そ
池、藤井、早川、福田、武藤、森谷、 はなく、現実逃避、勉強なんかした
りして、運動会から独立して開催す
近くの四日市北高校の運動場をお借
た。そんなことは誰も気付いていな
ことは何だったのか。放心状態でし
うするか、ということでした。結局、 年生の夏から秋にかけてやってきた
ていくことを実感しました。高校3
まったのでしょう。問題は、それま 挫折という言葉を初めて知りまし
た。自分がいなくても世の中が廻っ
前に開いた鳥出会の席で﹁次回は皆
阪、小林︶であった。
稜星﹄の編集に携わり、生徒会室周
︵七︶ 年3月卒業。学制改革により、 ておりました。2年生のときに﹃八
ることとなりました。他の行事も多
くないという気分でダラダラと続け
みをここに列挙して思い出の縁とい
う会に﹂と誓って別れました。
4月より旧制高校、高専、新制四
ません。
辺の雰囲気が好きだったのかもしれ
月5日の夜、
日市高校︵三年編入︶へ夫々進学
去る 月 日︵月︶に我々昭和
たします。
年入学の250名︵1組から5組ま ︵一︶入学早々の
又は就職した。
ました。
学校におり、
月3日の当日を迎え
日でした。
今まで誰にも言わなかった私の節
く、準備期間も長く、毎日遅くまで
目の日です。翌日は私の 歳の誕生
い、と思っていました。
本校舎より出火炎上し、消失。富
秋になり運動会や文化祭など行事
が目白押しとなりました。最上級生
田幼稚園や仮設の馬小舎教室での
月、東 南 海 大 地 震 が 発
年
の幾つかの共通の忘れ得ぬ出来事の
果たし田辺中学と対戦した。復活
浮かべると、その状景がありありと ︵ 六 ︶
︵富中第四十五回卒︶
伊
達
則
彦
∼遺族を交え仲間たちと往時を偲ぶ∼
傘寿の祝典と追悼法要
年は﹁戦後 年﹂と
昨年、平成
よく云われましたが、私たち﹁昭和
10
その年の学校のグランドは改修工
事で使用できずに、運動会は中央緑
ととなりました。
いった行事の責任者をやらされるこ
リハーサルなしの屋外イベントです
を付け加えなければなりません。そ
になりました。
よ 仮 装 イ ベン ト が 開 始 さ れ ま し た。 の理由は、これまた秘密です。大人
列・行軍という感じでした。いよい
全生徒が四高から北高に、着替え ところで、この後の運動会も文化
だったからかもしれませんが、そう
て仮装道具一式を担ぎ、それこそ行 祭も喜んで終えることができたこと
18
時中、毎月8日の大詔奉戴日に鳥出
年
授業となる。
の四
10
で、各組 名︶の同期会、鳥出会︵戦
神社へ隊列を組んで参拝した思い出
日 深 夜、B
な石原産業の煙突も倒壊した。
壊した。東洋一の煙突として有名
生し、新築中の校舎が目の前で倒
に由来して命名︶を四日市都ホテル ︵二︶
で開きました。
﹁傘寿﹂の祝賀懇親会に先立って、
物故者112名の内より 名のご遺
年6 月
日市空襲で四日市は焼野原となり
48
69
60
94
先導で物故者追悼法要を営み、出席
4
族を迎えて、仲間の木村喬信和尚の ︵ 三 ︶
年8 月
多数の者が被災した。
︵四︶
4
名で往時を偲び掌を合わせまし
4
者
10
た。
33
アジア大会を振り返って
11
今思い起こしますと、富中の5年
間は戦中、終戦、戦後という未曾有
16
の混乱期であっただけに、今尚忘れ
11
12
元気な顔を合わせて一緒に傘寿を祝
歳 我々の経験した出来事や見聞した
事柄は、共通のものと夫々個別のも
47
服
部
保
子
52
難い有為転変の出来事や事件に遭遇
15
12
18
し、眼を閉じて静かにその時を思い
44
18
日 正 午、終 戦 の 詔
柱にくくり付けたチューブを100 起ったのか解らない状態でした。記
回、腰入れと投げの練習、お風呂の 録 は 米 で し た。 当 時 は 木 の 槍
中ではスナップの練習という毎日で で今の槍とは材質も違い、現代のス
した。
ポーツ選手は競技場、器具、ウェア、
食事やサプリメント等で体力的にも
第2回アジア大会フィリピンのマ
ニラは対日感情が悪く、空港周辺は 恵まれていると思います。
︵四高二十八年度卒︶
戦争の砲弾の跡が一杯残っていまし
今回のアジア大会日本メダル獲得
表選手に選ばれ、当時の恩師服部孝 た。競技場での練習中も﹁日本人バ 目標は金 個以上2位を目標にして
2010年 月第 回アジア大会
が、中国広州で開催され陸上競技で 之助先生が涙を流して喜んでくれた カヤロー﹂と大声がして集中しての いた様ですが及ばず、3位で金 個
ことを思い出しました。
日本選手が活躍しました。
練習も困難でした。宿舎も女子大学 銀 個銅 個合計216個という結
当時の私は身長160センチ、体 の寮で天井にはやもりが居り、木の 果に終わりました。この結果から今
女子100米で福島さんが 秒 で優勝し金メダル、
第5回︵1968 重 キロで、短距離、走巾跳、走高跳、 ベッドに蚊帳が付いているものでし 後一層の努力と、もっとスポーツ施
年︶から 年振りの記録を達成しま ハードルが専門でした。2年生の4 た。食事も口に合わず、
パンにバター 設と環境、スポーツをする者への待
した。200米でも優勝、2冠に輝 月先輩の投げた槍が私の足元に飛ん を付けて食べたのが最高に美味かっ 遇に日本全体が力を入れ、素晴らし
き ま し た。 男 子 槍 投 で 村 上 さ ん が、 で来たのを﹁こちらへ投げよ﹂と言 たです。
い結果が生まれるように期待したい
米 で自己新記録で優勝金メダル われ、それ迄持ったこともない槍を
試合当日予選は3投で2投ファー と思っています。
を 獲 得、女 子 槍 投 で 海 老 原 さ ん が、 私流で投げ返したら﹁明日から位田 ルして記録が無く、
監督に呼ばれ﹁い
米 で優勝、日本新記録を9年振 は槍投をしろ﹂と言われて驚きまし つも練習している気持ちで﹂と言わ
服 部︵ 旧 姓・ 位 田 ︶ さ ん が
りに更新しました。
た。グラウンドが狭くて練習が思う れ、今度失敗したら日本に帰れない
﹁ワー﹂ 獲 得 さ れ た 銀 メ ダ ル は 同 窓 会 館
ア ジ ア 大 会 を テ レ ビ 観 戦 し て い 様に出来ず、垂坂山の開拓中の山に と思い無心で投げた3投目。
て、私が四日市高校陸上競技部に在 2本槍を持って、一人で練習に行き という喚声が上がり、きれいに槍が
メモリアルギャラリーに常時陳
籍中に第2回アジア大会︵1954 午 後 8 時 頃 に 校 庭 に 戻 る と 人 影 も 地面に突きささっていました。自己
列されています。
年︶の選考会が有り、槍投で日本代 無く、 投全力で投げ帰宅、家では 新記録で銀メダルを獲得。一瞬何が
56
42
22
5年生まれの者たちは一斉に満
21
22
83
74
65
13
23
61
19
20
20
10
50
往 来
29
祝典と追悼法要
67
18
15
80
18
(4) 第68号
四日市高校 同窓会報
2011年(平成23年)3月1日
四日 市 空 襲 に 散 っ た 友 よ
学徒動 員 そ し て
鈴
木
勢
子
︵四女四十四回卒︶
授 業 が 始 ま り、翌 年
を 借 り 全 校 生 が一緒
には日 永の紡 績の寮
に 授 業 を 受 け ること
が 出 来、先 生 方 の ご
苦 労 が 偲 ば れ ま す。
波 乱に満ちた時 代で
三年一組⋮⋮で学ぶ
山
本
哲
也
校生生活とともに、長い人生のなか
試験の合格が最終目的ではないこと
で何を学ぶかが大切であって、入学
を今になって再確認する次第です。
年 前 の 私 は、 女 子 生 徒 が た く
さんいる、数学・物理が嫌いな3 年
なあ⋮﹂という気もします。親孝行
受 験 を 回 避 し、
﹁ な ん だ か こっ す い
限り﹁学ぶ﹂姿勢を持ち続けていこ
験を生かして、人生の後半もできる
学生生活で﹁学ぶ﹂ことを学んだ経
が、どういうかたちにしろ、四高の
私は現在、四日市ばんこ焼の販売
を仕事とする悪戦苦闘の毎日です
歳 で 最 後の 会 を
をしてくれたのか、大学側も少子高
︵四高五十一年度卒︶
ましたが、一昨年
1組の受験生でした。担任の先生の
した。私達は毎年クラス会をしてき
名が集い楽しい一
うと思います。
日、四日市空襲の夜が
て
都ホテルで行い
齢化の生徒集めなのかなあと思った
年6月
やってきました。丁度その日は、月
りしています。
い、生産を高めていきました。そし
に錨今日も飛ぶ飛
独特の雰囲気のおかげなのか
時
に受験生であることを忘れさせても
年前に夫
そ の 夜 富 田 の 私 の 家 か ら 見 た の は、 れを惜しみました。私は
に2 回 私 達 が 家 で一泊 の 日 で し た。 時をもち、終りに校歌の大合唱で別
歌って職場へ向う
かったら、今も元気でみえたかと思
されました。あの日が泊りの日でな
第五小学校の防空壕でお母様と焼死
が女学校卒業の時、伊達校長先生よ
教室に通い生甲斐としています。私
で穏やかに暮らし、コーラスと短歌
ましたが、今はささやかながら一人
ない、個性的なキャラが集まったク
ありながら、四高スタンダードでは
いがあります。私たち世代はどちら
聴き、自分自身﹁どきり﹂とした思
四高の大先輩が﹁学歴はあっ
らい、どちらかといえば国公立受験 先日、
志向の強い、男子生徒が多い四高で ても学問がない﹂と話された言葉を
回目を数える開催です。遠方のか
んこ祭り﹂が開催されます。今年で
近鉄川原町駅周辺にて、恒例の﹁ば
空 で し た。 同 室 の 池 内 淑 子 さ ん が、 孫も現在3人います。辛い事もあり
軍国乙女の私達で
います。六十数年経た今も彼女の姿
紅蓮の炎に包まれた地獄の四日市の
年4月憧れの四日市高
巻をしめ軍歌を
女に入学しましたが、折しも太平洋
した。昭和
く﹂と日の丸の鉢
18
り色紙を頂戴いたしました。
㾖
80
76
と死別、2人の娘を育て孫5人、ひ
40
20
戦争の真只中で、戦局は熾烈を極め、 が目に浮かびます。又学校防護のた
宣伝になるようで恐縮ですが、今
年も5月の第2土・日曜日の2日間、
ぶ霞ヶ浦にゃデッ
33
カイ希望の雲が湧
﹁若い血潮の予
科練の七ツ釦は桜
人 物 私達3年生以上に学徒動員命令が出
今 後 もこの和 歌 を 座 右の銘 とし
て、残された歳月を、おろそかにせ
め2年生 人が帰らぬ人になり、全
上みれば はてしもあらぬ世の中に
名 の 尊 い 命 が 奪 わ れ ま し た。
我れほどもなき 人もこそあれ
校で
国の内外で大きな犠牲を払い、やが
年8
たのは、
て終戦。私達は本来の学生生活に戻
20
13
10
羽津小と日永小の校舎を借り分校の
ありのままに
市
川
弘
子
す。
き締めの雛人形や釣りをしている河
が、オープンスクールで希望の大学
験生の息子を持つ親となったのです
ラスであったと思います。昨今、受
うかと自問するものであります。高
に﹁学び﹂が備わっているものだろ
卒業し大学に進学したものの、本当
かというと当たり前のように高校を
ています。
わせの上のご来場、心よりお待ちし
た、近在のかた、みなさまお誘いあ
実 行 す る の は と て も 難 しいこ と だ。
いやり﹂
、 簡 単 な 言 葉 で は あ る が、
しかしそこには、やはり思いやり
と い う 言 葉 が 心 の 中 に 現 れ る。
﹁思
生きていきたい。
通りであり、自分としては否定して
を見学して、早々と学校推薦で冬の
五
十
代
柳
澤
一
重
なっている。子供たちに﹁もっと思
じめ、また殺人など犯罪が増えてい
る。特に中学生や高校生の巧妙ない
この何 年か前から犯 罪 が増えてい
いやりを持てよ﹂と叱ったが、自分
︵四高通信制六十年度卒︶
童、ごろ寝している蛙などの形の面
白いものを好んで作っています。こ 私たちの年代は高度成長期からオ
イルショック、バブル時代とその崩
れも貰ってくださる方もいて、励み
ふれるアドバイスで犯罪が防げたか
動してしまう子供たちが心配だ。こ
目の前で感じたことだけで判断し行
るようだ。ほんの少しの思いやりあ
持ちを理解し考える、またお互いに
中で、企業も生き残りをかけての戦 思いやりとは何か。ただ人に親切
略 で 人 間 関 係 も 複 雑 に なってい る。 にするということではなく、人の気
自身どうだろうか、少し反省したこ
話 し 合 い、 互 い の 気 持 ち を 尊 重 し、 の
とがある。
そ の 人 の 立 場 に なって 悩 み、 喜 び、 すると、やはり思いやりの心を持っ
ど色々経験してきた。デフレ状態の
大手企業も中小も厳しい契約条件で
何かを解決したりすることではない
壊、またリストラと学生の就職難な
時代で人に対しての思いやりが生ま
もがいている。こんなゆとりのない
か。こんな簡単なことが子供にさえ
になって続けています。現在、主人
が下手になってきているのではない
れるのだろうか。人と人との接し方
もあるのを楽しみにしています。近
きで、思いの外おいしくできること
支える若い方々が、平和で豊かな国
れてなりません。これからの日本を
も変わってくるのではないかと思わ
る。私自身も冷たい人間になってい
人間が冷たくなっているように思え
ある。痛感するのは、現状の生き方
をしたらいいのか思い悩むところが
自分自身だけ、また人に勝たなけれ さてこの 代で何をしなければい
ば い け な い と い う 思 い が 先 に た ち、 けないのかと考えても、自分自身何
こうして人生を振り返ってみます
自 分 の 時 間 と もい え る よ う に な り、
と、国家の在り様と個人の生活がい
中就職し結婚もして、高度成長の喧
所の方や友人にもお裾分けして娘に
を創って下さることを願って筆を置
振り返ってみたいと思います。
噪の下、2人の娘の子育てやら、パー
迷惑だと叱られる有様です。又、陶
60
しかしそんな 私 も2 児の父 親 に
定しながら生きていくのか、この2
を肯定しながら生きていくのか、否
50
代でラストスパートを懸けると
もしれないのに。便利になりすぎて、
付かされます。昨今の報道によりま
は い え、 長 年 の 不 摂 生 が た たって、 かに密接に関わっているものかと気
好きなように過ごしております。と
すと日本は斜陽を迎えているように
教えられない。余裕のない生活環境
代を迎えることができまし
活発に動く事もできませんので、家
状 況 に なって し まって い る よ う だ。 でただ空回りしているのだろうか。
か。いや、下手にならざるをえない
や 弟 の 助 け を 得 て、 よ う や く 余 裕
の中で料理をしたり陶芸教室に通っ
を充実させることによって国の将来
も思われますが、個々の人間が人生
のある
たりする毎日です。料理と云えば新
た。
弟の長女でもありましたので、家で
女学生の頃は学徒動員で勉強より
も工場で働く毎日でした。又5人兄
しいレシピを捜して挑戦するのが好
歳を迎え、寄稿を機会に、 せんでした。近年ようやくすべてが
私も満
女学生当時から現在までの来し方を
倒を見て参りました。終戦の混乱の
︵北女二十一回卒︶
50
は母を助け食糧不足の中、弟妹の面
ト勤め等と忙しい毎日を送って参り
芸も
るような気がする。
代は仕事の忙しい娘
きたいと思います。
ました。
年 ほ ど 続 け て お り、 皿 や 壺
に代わって、孫の面倒を見るのに精
など形のきまったものではなく、焼
10
代
一杯で、ゆとりを持つこともできま
50
て進みたい。
50
80
私達は学徒として明るく励まし合
る作業に従事し、寄宿舎生活となり、 りましたが、母校は跡形もなく焼け、 ず過ごしていきたいと願っておりま
年8月でした。翌
製絨工場で、陸軍の軍服の生地を織
月の終戦までの一年間、常磐の三重
17
19
80
2011年
(平成23年)3月1日
四日市高校 同窓会報
(5)
第68号
械に翻弄される昨今。デザインも例
外ではなく、パソコンの出現により
平成 年度会費納入者
香、出口優香、中井麻由佳、永戸雄
谷川正統、水橋守、佐藤大輔、川辺徹、
○終身会費︵2万円︶
哲至、山下清成、服部忠彦
也、中村彩希、禾本大樹、濱田英里、 林泰生、長谷川貴也、森公平、名村
福本健太、藤井幹子、藤松愛、松元
られます。しかし、どんなに万能な
︵敬称略︶
パソコンも私があの古典の授業で感
手軽に、百人百通りのニーズに応え
ちに伝えるには力不足です。私の場
りそうですが、私ひとりで子どもた
安藤舞、伊井梓、伊藤文美、伊藤貴 香、三好友樹、山内信人、山田悠登、 ○十年会費︵1万円︶
一名
仁、今村将成、内山里穂、小野舞子、 吉川浩平、渡邉優紀、浅井理香、石 ○五年会費︵5千円︶
一名
角井美紀、加藤早織、加藤祐子、金 井龍太、伊藤夏来、上田史人、打田 ○三年会費︵3千円︶
三名
堂孔輔、河村祐子、菊川真麻、菊山 晴輝、内山睦美、大萱晃大、加藤千晶、 ○二年会費︵2千円︶
二名
由衣、清田夏未、小林由佳、斎藤愛理、 川井田大地、久留島淳史、黒田祐輔、 ○一年会費︵千円︶ 二九七名
坂倉早紀、下濱都来、杉本杏奈、多 髙阪重行、河内章吾、小林久也、小
会員の皆様、誠にありがとうござ
いました。
︵四高平成十一年度卒︶
ての大前提も醍醐味も五常の徳にあ
弘、柴田千里、杉田夏美、瀬戸山絢美、
会費納入のお願い
麻由奈、畑中佑太、服部有哉、福森 ︵平成 年 月現在︶
男は反抗期。先日、口答えをしてい
合は、私と夫の両親、兄弟、祖父母
野恭平、出口沙織、中澤芽衣、羽生
彩、眞野果林、水谷祥子、三本明日
たので、
﹁お父さんに、そんな事言っ
まで巻き込んで、子育てをサポート
子育ては親育て
たらあかんやろ?﹂と諭すと、こん
してもらっています。その中で五常
じた気持ちは体現できません。子育
四日市高校が100周年を迎えた
記念の年、私は3年生に在学してい
な 言 葉 が 返 って き ま し た。
﹁ 別 にい
田
中
恵
美
ました。記念式典では、その歴史の
いじゃん!﹂さらに畳み掛けるよう
萌乃、東出和哉、馬瀬琢己、水谷弘樹、 舘泰志、出口真行、冨山貴弘、中根
諸岡正悟、柳田和己、脇大典、渡邉
林愛、小林由依、近藤弘隆、繁田智
重さに、誇らしさより畏れ多い気持
の徳を意識しなくてはならないのは
真士、藤谷将也、堀江祐太朗、堀川 同窓会の事業はすべて会費によ
り運営されています。会報の送付
森陽里、山浦星夏、山下貴也、吉田
納めた方だけに限らせていただい
なども、財政上の理由から会費を
美希、増田直人、松下愛、松葉紗代、
将大、吉原彰宏、市川沙菜美、市川
ない場合には、是非お早めにお願
ております。納入がまだお済みで
とっさ に 出 た 答 え は﹁ 理 由 は な い ﹂ 子、小林朗人、小林加央璃、小林里
穂、 斎 藤 貴 史、 阪 有 紀 乃、 笹 岡 智、 隼也、伊藤圭亮、上浦唯、大原駿平、
い な ﹂ と 陶 酔 し て ば か り お ら れ ず、 田詩織、加藤光、倉ひとみ、児玉愛
谷口加恵、津田雄彰、手嶋大侑、中
た両親に育てられたからか、文法は
でした。それからというもの、息子
黒夏未、伊藤貴史、伊藤優季、岩間
増田啓佑、松井宏樹、水谷幸平、三
口座番号
田純一、矢田望、山路仁梨、米沢凌、 ①郵便振替
松岡大貴、松永正直、溝端圭介、矢
みなみ、倉田駿、黒山滉平、合田陽映、
岡本彩希、金森恵梨香、川瀬勧、川
の口癖が﹁理由はない﹂になったの
沖縄は少なくなりそうです。宿舎は
彩香、梅村瑞稀、方山大地、加藤麻
○納入金額
い申し上げます。
旅館ではなくデラックスホテルに宿
野呂悠輔、舟橋卓、舟橋里菜、前田
中嶋直人、中谷志帆、中村瑞樹、西
林咲実、民部貴久、毛知幸徳、森晃 後藤大揮、白根優里、髙木駿太、橘 終身会費
2万円
毎年納入の場合
子、森下陽子、矢野貴大、山口翔子、 洋佑、田中靖大、寺邊隆史、弘田有
千 円
年会費
山口卓哉、渡邉美琴、秋元厚美、石 梨奈、福田雄斗、前田木実、牧野博一、
○納入方法
泊、大きな荷物はトラックで搬送す
態も昔とはかなり変わってきていま
季美、峰田基史、八島光平、矢田雄
伊藤奈穂実、伊藤也真人、茨木勇貴、 水谷茜、三輪琴子、武藤啓悟、望月
たします。
また同窓会HPよりダウン
大、山本翔太、和田元樹、伊出紳之介、 口菜美、早川佳那、葉山新、水井珠紀、
ロードも可能です。
す。
話をもっての行動などなど。旅行形
る、グループ研修中はGPS携帯電
衣子、兼子真優、喜多村朝美、栗田 渡邊友加里、伊藤朝、伊藤智康、大 〇〇八二〇 八 六三六七
真衣、黒田沙樹、小山智壽子、佐藤 矢智子、加藤葉子、川森裕司、佐々 三重県立四日市高校同窓会
由里菜、鈴木健一、高崎幸、中村一貴、 木晴菜、佐藤準規、白井宏和、杉本 ※専用の振込用紙があります
のでご連絡下されば送付い
千雛、田中理裕、仲条優理、豊田愛理、
飛行機の機材縮小化により北海道や
西沙織、並木静香、服部瞳、藤田顕考、 村悦子、草川紗妃、楠井晟矢、葛巻
奮闘しています。その環境もあって、 きってきましたが、礼儀に厳しかっ
旅にはチカラがあると思うことで
は、言うまでもありません。
子育てフリーマガジンの編集デザイ
旅のチカラ
内
藤
健
二
旅行会社へ入社しちょうど 年と
なります。昨年、転勤3回目にして
の経験・体験は、普段の日常生活で
︵四高六十一年度卒︶
やっと地元で働くチャンスに恵まれ
す。ちなみに私の修学旅行を思い出
のそれよりも強く印象に残るもので
先生のグループ旅行もお手伝いさせ
すと、台風の影響で旅行期間を短縮
会をいただきました。
ていただくことができ、本当に嬉し
近藤剛史、櫻井詩歩、柴田久嗣、鈴
石川翠、石崎裕章、石
雄也、伊藤
ているように、旅にはそんなチカラ
い、旅館でのできごとは鮮明に覚え
ができます。
旅行業をとりまく環境もかなり変
化しました。かつては旅行に行くに 3日前の夜に何を食べたかは思い
だせなくても修学旅行での触れ合
を真剣に考えお手伝いさせていただ
高 校 で 過 ご す 最 高 の3 年 間 の た め
たちの未来のために、そして四日市
い感動を味わうチャンスです。後輩
来への発見、気付き、生涯忘れがた
立太一、
一海りさ、伊藤彰吾、井上怜、 原拓也、水谷浩人、宮
に、
﹁旅のチカラの最も有効な活用﹂ 之内卓弥、若林敦司、浅井健一、足
西口茉友子、萩一樹、服部真幸、人
廣田和起、藤田大介、藤見奈央、松
中村紗季、服部圭一郎、平田奈央子、
樹、松村円香、眞弓はるか、森田一輝、 舞、杉村理恵、高井啓輔、中条貴大、
見茜、細川萌里、牧田拓也、松嶋祐
山室涼平、米澤佳勇汰、米沢飛雄馬、
一成、虫明直槻、森田将夫、山部陽平、
旅館での生活を、まだ思い出すこと
し て 帰 宅。 萩 で の レ ン タ サ イ ク ル、
非日常的な世界で、様々な人や風
景、生き方や文化に出会う旅は、将
く思っています。
−
木万智、瀬古大輔、髙井遥香、田中 孝将、稲垣怜那、大森康平、大森美花、 四日市高校同窓会館まで
大資、徳田省吾、中西貴大、西川知里、 岡部雄介、奥岡莞司、尾崎篤汰、葛 〒五一〇 八〇二七
西光希、柏木晴子、加藤綾華、加藤 四日市市茂福六五
トを利用し旅行会社を通さず旅行
んどでしたが、最近はインターネッ
があるのではないでしょうか?
藤寛登、後藤勇樹、近藤崇裕、齋木
上田舜、春日井大輝、川島英恵、後
橋本清春、小暮由夏、小林長久、長
亮直、宮
幹子、川喜田水希、後藤隼紀、米中
に行ける時代となり、我々にとって
きたいと思っております。
萌、阪倉若菜、佐藤未里、田中勢里
谷藤謙次、山口瑠宇、山下廣大、山
は非常に厳しい時代となってきまし 今どきの修学旅行の話をさせてい
ただくと、目的地はかつての定番で
た。
は旅行会社を通しての申込みがほと
−
は利用しません・往復新幹線利用︶
。 井堀郁也、大西駿、桂山翼、儀賀大 果南美、森恵里佳、森裕子、山下佳 ②現金書留
今年はお手伝いをさせていただく機 己、教学真菜実、熊澤龍佑、河野杏美、 奈子、山田環、山室良晃、浅井大貴、 会館迄ご送金下さい。
︽お問い合わせは︾
す。旅先で待ち受けている一つ一つ
わが母校も九州長崎方面への修学
旅行を予定しております︵フェリー
事もいただき、またお世話になった
ました。母校である四日市高校の仕
20
あった 九 州 が 復 活 しつつ あ り ま す。
会 社 に 入 社 し た 動 機 のひ とつは、
−
だから自身の子育てもスムーズか ところが、人間よりもコンピュー
というと、そうはいかず。4歳の長 タに向き合う時間が長く、それら機
さておき、教えは腑に落ち、心の中
本翔平、岡山さくら、小田有紗、小
雄斗、伊東絵梨香、太田隆比呂、岡
10
で両親に感謝しました。
︶
、地 元四日 市で
22
の仕事などもいただきます。
し、二 人 六 脚︵
い、7年目。昨年夏に第3子を出産
ふと、古典で習った孔子の五常の 私の方かもしれません。
が開設したデザイン事務所を手伝
﹁私
徳﹁ 仁 義 礼 智 信 ﹂ が 浮 か び ま し た。 さて、息子の﹁なんで?﹂に、
毎度現代語訳の丸暗記で試験を乗り の知識もなかなか捨てたもんじゃな
‼
ンや保育園のキャラクターデザイン
㾗
賀一喜、高城佳那美、竹村美咲、辻
ちが勝りました。卒業後、名古屋芸
に﹁なんで、あかんの ﹂と。
22
術大学に進学し、在学中に結婚。夫
(6) 第68号
四日市高校 同窓会報
2011年(平成23年)3月1日
四日市高校 同窓会報
(7)
第68号
2011年
(平成23年)3月1日
同窓生交歓
富中40会卒クラス会
北海道 富中四高会 H22.6.15
H22.11.17
(四日市都ホテル)
在京富中会・富中40回卒
H21.5.29
(KKRホテル東京)
富中33回卒・午羊会 H20.10.16
通信制親睦バス旅行 H22.6.6
在京富中会・富中40回卒 H22.6.14(KKRホテル東京)
富中41回卒 H22.4.11(四日市都ホテル)
四高27会 H22.7.15(湯の山鹿の湯ホテル)
みんなの夢舞台
34
全国大会にむけて
ハンドボール部主将
神
保
康
紀
滋賀など他県への遠征で実戦経験を
積むことで、県大会を勝ち抜き県外
チームとわたりあえる実力をつけま
した。
忙しくても練習試合を組んでく
だ さ る 顧 問 の 先 生、 朝 練 で 体 育 館
全 国 での 上 演 が 近 く な る につ れ、 さまざまなトラブルもありました
宮 崎 の 舞 台 に 立 て る こ と な ど、 まったく想像していない出来事でし 今 ま で と は 違 う 妙 な 緊 張 感 が 出 て が、演じきった後に全国の舞台はと
輩方が残した成績に追いついたこと
は6大会連続の2位となります。先
会 に 出 場 を 決 め ま し た。 県 大 会 で
しないと試合では勝てません。早朝
題でした。どんなスポーツも、練習
んだ手でどのように練習するかが問
人から評 価され認められるチームを
て何より、これまで先輩方が周りの
で、勝つことができています。そし
を使わせてくださった体育科の先生
ても気持ちいい場所だ、と心の底か
や、準優勝になることで得てきた県
練習で練習時間を補い、休日の練習 作り、部を作ってきてくれたおかげ
試 合 や 長 期 休 暇 中 に は 愛 知、岐 阜、 だと思います。今では、県内からも
県外からも練習試合に誘っていただ
﹁ 文 武 両 道 ﹂ が、い か に 大 変 で あっ
た 十 二 校 し か 上 演 で き ない 夢 舞 台。
したいと強く願っても、全国でたっ
もちろん、一生のうちに再び立つこ
雰囲気を楽しみたい、そんな場所で
とは、ほぼありえない場所。そんな
最高の演技をしたい、と思うように
もなりました。そして、応援も純粋
ら思いました。今年の宮崎は口蹄疫
大会シード枠を死守することができ
を応援してくだる多くの方のおかげ
きました。単に人前で上演をすると
の問題もあり、開催さえ危ぶまれま
目 標 は 全 国 大 会 で す。 春 の 全 国 大
て、少しほっとしています。けれど、
など、四日市高校のハンドボール部
いう緊張感ではなく、自分が去年の
した。そんな中、無事開催できたの
が沈むまでの短い時間の中、かじか
た。 去 年、 三 重 県 で 行 わ れ た 総 文
総文祭で観た舞台と同じ品質の舞
は宮崎の方々の協力のおかげだと思
たか実感しました。また、冬場は日
祭にスタッフとして参 加したとき
台 を、 今 度 は 自 分 た ち が 上 演 で き
り、二月に静岡県で行われる東海大
は、上演校を観て羨ましく思うと同
るのかというおそれに似た緊張感で
います。その努力がどれほど大変な
僕たちハンドボール部は一月十四
日から始まった県大会で準優勝にな
時に、当時入部三ヶ月の自分とは違
す。精神的に追い詰められるという
た。
にとても嬉しく思うようになりまし
う次元にいるように純粋に思いまし
ほどではありませんでしたが、妙な
人 た ち の 力 に 支 え ら れ て い る の だ、 不安をあおられたのは間違いありま
もりです。このことに大きく感謝し
去年の経験で痛いほど知っているつ
日。ここで重くのしかかってくるの
場できません。そのため、練習の毎
感謝の気持ちを大切にし、まずは東
海大会で勝つためにしっかりと練習
します。
が必要で、僕たちの代では達成でき
そして、目標の全国大会。そこに
たどり着くためには相応の実力と運
杯目標にむかって努力し、少しずつ
ないかもしれません。それでも精一
でも良い成績を残して後輩達に託し
ていく。そのようなチームを作って
いきたいです。
編 集 後 記
んだ時、点数が思うようにとれない
110周年事業で立ちあげた同窓
会ホームページがやっと動き始めま
勉強は楽しいことばかりではあり
ません。目標通りに学習が進まず悩
けます。応援してくださる方々への
た。そして、スタッフとして参加す
とい う こ と が 強 く 心 に 残 り ま し た。 せん。県内の演劇部の友人などから
が、日々の学校生活における﹁勉強
部活ばかりで勉強をおろそかにして
つつ、そんな人々に支えられた夢の
を一生の誇りにしていきたいと思い
届いた応援メールや言葉も、支えと
ます。
そのときに、いつかこの舞台で上演
を強調されて、威圧的に感じるとき
の成績﹂と﹁膨大な課題の量﹂です。
もありました。しかし、いくら上演
舞台で自分が全力で上演できたこと
ます。
学 園だより
心のどこかに持ったように覚えてい
はいけない。先輩方がこなしてきた
四日市高校で
学んだこと﹁一体感﹂
横
山
瑛
貴
力しあえる環境が自然と出来上がり
れ、リーダーを含めクラス全員が協
返ってきます。何も語らない自習室
学習する姿が刺激となり自分に跳ね
も自習室にいけば、友達一人一人の
の連絡も何件かいただきました。
ます。住所不明となっていた方から
した。閲覧者数も次第に増えており
でモチベーションが上がらない時で
ました。早朝からの練習にもかかわ
例えば、三年生の四高祭でミュー
ジカルを演じた時のこと。
ても楽しい時間を過ごすことができ
た。もちろん演じている自分達もと
組んでいく日々に充実感を感じまし
したリーダーを支えて練習に取り
目標に向かって一丸となる姿、選任
てくれた先生方にも感謝したいと思
ました。またこのような環境を整え
その中で大きく成長することができ
持った集団だと感じます。私自身も
を考えて行動する速さなどの長所を
︵小林︶
会員の皆様からのご連絡、情報提
供をお待ちしています。
ればと期待します。
経験を積むことができました。その
清々しい気持ちになった事を思い出
企 画の 段 階 でテ ーマの選 択 と 表
現方法について全員で話し合いまし
います。
レンジ部分も生まれました。全員が
た。目標は自分達のミュージカルを
ました。努力の成果として最多得票
みんなで共有出来たことはとてもよ
います。
みんなに楽しんでもらうこと。限ら
法について悩みました。そんな中で
い思い出になっています。
賞を頂き、一体感と達成感の両方を これらの四日市高校での経験を誇
りに、今後の成長につなげたいと思
率先して取り仕切るリーダーが生ま
れた時間の中で効率良くまとめる方
します。
四高生はお互いの立場を理解して
表現方法を工夫してオリジナルのア
認め合おうとする思いや自分の役割
中 で も 様 々 な 場 面 で一体 感 を 感 じ、 らず、ほぼ全員が必ず練習に参加し、 感じたことを思い出します。
私は四日市高校で多くの素晴らし
い先生方と友達に恵まれ、有意義な
全国高校演劇大会
の空間や雰囲気の中ですら一体感を
まだまだ拙いホームページです
が、これが会員の皆様を結ぶ糸にな
︵三年五組︶
ハンドボール部員
また、自習室の学習においても同
じ感覚︵一体感︶を持ちました。
し て み た い と い う 大 そ れ た 思 い を、 なるより、寧ろ﹃全国﹄ということ
会は東海大会で5強入り、夏のイン
物で、それが大きな力になることを、 ターハイは県で一位にならないと出
るなかで、全国の舞台はたくさんの
演劇部
竹内
貴大
回全国高等学校
第
︵宮崎大会︶
﹀
︿総合文化祭
(8) 第68号
四日市高校 同窓会報
2011年(平成23年)3月1日