1959 1❶ 【国内】 4 月 皇太子さまご成婚。結婚パレードでテレビの購 入急増、視聴者推定1500万人(10日) 8 月 日産が「ブルーバード」発売(1日) 10月 空襲で焼失した名古屋城天守閣が復興 11月 貿易自由化開始。対ドル地域輸入制限品目決 定(11日) 12月 在日朝鮮人の北朝鮮帰還第1船(14日) 12月 第1回日本レコード大賞に水原弘歌唱の「黒い 花びら」 (27日) 2 月 浩宮さまご誕生(23日) 昭和34年度 大学・学園 年譜 4 月 体育学部体育学科開設、初代学部長に斉藤 兼吉教授。 専任教員30名、定員100名。本館 と体育館「明道館」竣工 2学部257名、 うち女子15名 4 月 入学式。 4 月 硬式野球部が愛知大学野球で優勝、1964 年春季まで11連覇。準硬式野球部が全日本 大学選抜大会優勝 4 月 初の全学教授会 『中京論叢』から 『中京 6 月 『中京商学論叢』創刊。 大学論叢』への改題を経て創刊 7 月 シンガポール・アジア大会、斉藤勝也選手 (商3)が自転車1000㍍・ポイントレースで 優勝 8 月 名古屋大学から借用していた興正寺グラウ ンドとクラブハウスが中京大学管理に 11月 伊勢湾台風で大学祭・学園祭中止 3 月 『中京体育学論叢』創刊 商学部153名 3 月 卒業式。 〈体育会〉 バスケットボール部、バレーボール 部、 サッカー部、ハンドボール部、硬式庭球部 発足 できごと 4 【海外】 9 月 フルシチョフ・ソ連首相が訪米、アイゼンハ ワー大統領と会談(25日)。30日に北京訪問、 毛沢東主席と会談。中ソの意見対立激化 10月 ソ連の探査機「ルナ3号」が月の裏面撮影に初 成功(7日) 1❷ 5 6 7 【中京大学】 あのころ ■ 興正寺・江崎恵海師と中京大学 名古屋キャンパスの校地は江崎住職の厚意により、 開学時に興正寺から借り受けた。 江崎恵海師 (1971年 死去、72歳) は高野山真言宗の大僧正で、興正寺18世 住職である。中京大学の教育方針に深い理解を示し、 物心両面から本学を支援した。10年にわたり第2代父 兄会長を務めた他、初代の体育会長でもあった。 総合大学への歩み 8 体育学部体育学科が開設、 2学部体制とな り入学者も前年の115名(女子1)から257名(女 子15)に増加した。 中京大学にとって商学部に 続く2番目の学部、総合大学への第一歩でも 3 あった。中部地区の大学で最初の体育学部とし て、教育界からの期待も大きかった。やがて卒 業生は全国に広がり、 その多くが体育教員やス ポーツ指導者として、活躍することになった。 体育学部は現在の名古屋キャンパスに体育 【名古屋】 学科だけで発足したが、1962(昭和37)年の健 ■ 名古屋城復興 康教育学科、1967年の武道学科増設を経て、 1971年の豊田キャンパス完成に伴い、八事か ら移転することになる。 1 体育学部が開設され、完成した①体育館 ②武道場「明道館」 ③体 育館の練習風景 1❸ 2 完成した本館 (11号館) を初めて掲載した 「入学案内」 9 この年3月20日、大阪造幣局で新しい金鯱が製作 され、お披露目のパレードが市内各所を巡回、テレビ 塔下では出迎えの祝典が行われた。 3 本館完成時に正門の門柱に地球儀のモニュメントが設置された。建学 の精神が説く万国共通の教育理念「文武両道」 と、中京大生が世界に 伊勢湾台風 雄飛することを期待してデザインされた。現在は2代目 (写真) 。 4 創設間もないころの弁論部。後に全国大会優勝の輝かしい歴史を歩む 大きな被害をもたらした伊勢湾台風は9月26日、紀伊半島南部に上陸、本州 5 発足間もない法律研究会。後に法学部創設の推進母体となる を縦断した。名古屋市における死者は1851人、家屋被害11万8000戸、被災者 6 少人数でスタートした創部間もないころの相撲部の稽古風景 53万人以上に上った。 中京大学では10月2日、 同13日の2度にわたり 「災害に対 7 部を立ち上げ2年目、西日本学生体操競技選手権で男子2部団体総合 する緊急教授会」 を開催。 同4日までの臨時休校を決定、学生・教職員の全員無 優勝の体操部 8 自動車部昇格前の同好会時代。車も1台だけだった 事を確認しつつ、被災した学生・教職員への支援策を審議、 との記録が残る。 9 1958年大会に続く1961年全日本学生剣道選手権の覇者、恵土孝 2 24 吉選手と優勝盾 25
© Copyright 2024 ExpyDoc