ビラのスタイルで表示(PDF) - 日立関連労働者懇談会

﹁またかよ﹂﹁分社
されていなければこう
はならなかった﹂と、
ため息と怒りの声が上
がっています。 春闘
で日立ディスプレイズ ︵日立D
P =旧 茂原 工場︶では 、 一昨年
に 続き また も ﹁ 緊急 業 績 対策 ﹂
=賃金3%カッ トなど で決 着 し
ました 。年 収 減は 万 円に もな
りそうです 。
日立DPは、 年 月分社以
降、 春闘 で﹁ 緊急 業績対策 ﹂
が 実施され ま した 。 こ のとき は
日 立グ ル ー プの 多 く も 賃 金 5 %
日立DP
03
02
50
10
05
カ ッ ト な ど が 実 施 さ れ ま し た が、
日立DPでは、労働時間の1日
分延長の実施や、﹁対策﹂解
除も日立より2ヶ月遅れ とな り
ました。 春闘では、﹁成果主
義重 視﹂の﹁新処遇制度 導入﹂
で中 高 年中 心 に 多く の 賃 金 減 額
者が 出 ま し た 。 こ れ も 日 立の 制
度を﹁より深化 させる﹂ 日立D
P独自の 制度と して、導 入時か
らただ ちに降格、降給できるよ
うに したため です 。そ し てこの
春闘で再び﹁緊急業績対策﹂
︵表1参 照 ︶とな りました。
分社をいいことにやりたい放
題の労働者への犠牲転嫁を
やめること こそが、と るべ
き﹁緊急対策﹂ではないで
しょうか 。
15
05
表1. 05春闘結果による収入減
(04基準内賃金30万円(時給1930円)として試算)
「春闘結果」内容
収入減
04
備考
(年間,前年比)
-10.8万円
(昇給3,000円/月としても)
(-7.3万円)
一時金
1,304,842→1,151,200
-15.4万円
時間外手当 割増率30→25%
-6.1万円 (30時間/月)
休出手当
割増率45→35%
-5.2万円 (16時間/月)
深夜手当
割増率30→25%
-8.5万円 (3交替)
カフェテリアプラン 凍結
-4.0万円
基準内賃金
3%カット
(計)
【-50万円】
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★もよりの連絡先
茨 城 029-273-2785
2005年5月
茨 城 0294-32-1048
第127号
東 京 042-394-0937
日立関連労働者懇談会
神奈川 0465-48-5327
〒108-0073 東京都港区三田3-2-20
静 岡 0543-65-0433
(電機労働者懇談会気付) 愛 知 0561-54-6222
TEL(03)3455-6006 FAX(03)3451-3595
大 阪 06-6939-2905
日 立懇
<発行>
(舞良)
(馬場)
(谷口)
(中村)
(多田)
(成木)
( 森 )
略称
年間一時金 月数
(日立化成)
1,409,000 5.24
(日立建機)
1,523,000 5.15
(日立工機)
1,501,998 5.01
(日立国際)
1,407,982 5.00
(日立)
1,444,554 4.82
(日立オムロン)
1,472,028 4.82
(ルネサス)
1,341,124 4.77
(アキタ)
1,237,770 4.73
(ルネサス北セミ) 1,106,154 4.73
(ルネサス東セミ) 1,293,387 4.60
(日立超L)
1,365,643 4.60
(GST)
1,398,658 4.56
(電サ)
1,260,000 4.50
(日立空調)
1,347,000 4.50
(HIC)
1,387,510 4.45
(HICOS)
1,210,890 4.21
(HESCO)
1,253,408 4.06
(日立DP)
1,151,200 4.00
(日立IE)
1,001,922 3.94
(原町電子)
995,400 3.80
(日立ES)
1,057,293 3.61
(日立協和)
1,010,398 3.55
(HEC)
1,030,000 3.30
(HISEC)
932,718 3.09
(ICC)
829,980 3.00
20
85
10
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Eメール [email protected]
TEL(携帯) 090-3534-8626(谷口)
会社・組合名称
日立化成工業
日立建機
日立工機
日立国際電気
日立製作所
日立オムロンターミナルソリューションズ
ルネサステクノロジ
アキタ電子システムズ
ルネサス北日本セミコンダクタ
ルネサス東日本セミコンダクタ
日立超エル・エス・アイ・システムズ
日立グローバルストレージテクノロジーズ
日立電子サービス
日立空調システム
日立インダストリイズ
日立ハイコス
日立エンジニアリングサービス
日立ディスプレイズ
日立アイイーシステム
日立原町電子工業
日立エレクトリックシステムズ
日立協和エンジニアリング
日立エンジニアリング
日立設備エンジニアリング
アイシーシー
毎年恒例の就職ラン
キングが発 表されま し
た。それをみると、日
立製作所の躍進がすご
いです 。リクルートの
総 合 では 前 年 位が
位に 、毎日コミ ュニケー
シ ョン ズの 理系 総 合 で
は 前 年 位 が 2 位 で す。
もちろんこの結果が 会
社と し ての 評 価に直 結
し な い の は わ か り ま す。
対象 も 学 生 です から 、
CMな どの 露出 度が 高
い企 業に 興 味が 沸く の
でしょ う 。い や学 生のほ うが
むしろ 、希望す る企 業と 実際
に就職する企業は違うと 割り
切って 投票して るのかも しれ
ません。
で、 実際日立グループに身
を 置く ものと し て考え て しま
うわけ です 。就 職活動中 の学
生に は 、 内 部は わか ら ん よな、
と 。最 近は 就職 活 動開始 時期
が 早ま っている そうです 。さ
らに﹁ ただの 就 職難﹂ではな
く 、﹁ 優秀な 人 材の不 足 ︵企
業側の 主 張︶﹂という、 も っ
と 厄介 な 就職難にな りつ つあ
ります 。学 生に は、就職 した
後の ゴ ールを定 め てが ん ばっ
て 欲 しい と 思 い
ます 。
︵ この コ ー ナ ー
へ の ご 感 想 をお
待ちしています。︶
★ビラや情報をホームページで見られます。
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項目
05春闘におけ る日立関連 各社の 一時金 妥結状況 を下表 に
示 します。この 数年間で分 社化さ れた武 蔵、戸塚 、清水 、
土浦、 茂原等は、すべて日立製作所以 下となっています。
しか し 、 今 年 の 春 闘 妥 結 月 数
比 で は 平均 ・ 4 %の 減 額 で
す 。 減 額は 、 職群 等 級に よ り
一律 の 定 額 で す が 、 総 合 職 5
級 は 平均 を大 幅に 越 え る 万
円/ 年 と い う 大 幅 減 額と な っ
てい ます 。 職 場では 、﹁こ れ
で家を建てる機会が遠のいた﹂
新入社員へ
〃組合加入よびかけ〃 ﹁S 5 の レン ジ 下 部 の 者と S
6 の レ ン ジ 上 位の 者 で 支 給 額
︵ 株 ︶ 日 立 ビ ル シ ス テ ム は、 が 逆 転 す る の は お か し い ﹂
新 入 社員 教 育 を 東 京の 亀 有 に ﹁ぎ り ぎ り で ロー ン を 組 ん で
4月から
ルネ サ スの
制度一元化
が始 ま りま
した 。 今年
の 春闘 は 、
賃 金 制 度が
∼8時間は働き、8時間は休み、8時間は自由∼
世界のメーデーはこうして始まった
合併 は 、﹁ 両 社 一 体で の 人材
の 活 用 、 コス ト 低減が 目 的 で、
日 立の 方針 に 沿 っ た も の ﹂と
の こ と で す 。 親 会社の 都 合 で、
分 社化 だ 、 合 併 だ と 振 り 回 さ
れ 、 組 合 も出 た り入 っ た り で。
分 社化 時に 組 合 費 を 清 算 し て
記 念品 をもら い 、退 職 金 まで
もら いました 。職場では、
﹁ 分 社 化 時に 悔 しい思 い を し
たが 、 人も 減 り、ヘ ス テッ ク
サー ビ スの役 割は終わ ったと
いう こ とか ﹂と複雑な 気 持ち
です。
︵HESCO︶
特急利用の通勤を
救 急 車 を 呼 ぼうと は せず 公 用
〃定年まで許可して〃
車 で 病 院 に 運 ぶ 手 は ず を す る。
今年 月に 、機 械研究所
﹁ 素人判 断 で 、 公 用車 で 病 院
に 運 ば れ て は 助 か る 命 も ︵ 機 研 ︶が 土 浦 か ら 勝 田 に 移
助か ら な い の で は ﹂と 、
働い ている 人達 の 間で ヒ
ソ ヒ ソ話 。 ﹁ こ こで 骨 を
埋め る 気 は な い か ら 救 急
車 を 呼 べ ﹂ と 叫 び声が こ
声 。仕 事 中 に 病 で 突 然 倒 れ て
も 、大怪 我 を して も 、 会 社は
人の 命 よ り、 無 災 害記 録に
執 着す る 会 社に 不 安と 不 満の
人の命より
〃無災害記録とは〃
︵ルネサス武蔵︶
る し組 長 の よう に 重 い 責 任も
な い わけ だか ら 、 組長 を やっ
て い るの が 馬 鹿ら しい ﹂ ﹁ほ
と ん ど の 人が 組 長 に な る よ り
指 導 員 の ま まが い い と 言 っ て
い る ﹂と 組 長 た ち は 嘆い て い
ます。
いま、派遣・請負など非正規労働者は、企業における補
助的な労働ではなくその中枢部を担っているのです。正社
員と同じ仕事を正社員以上にがんばっても賃金は、正社員
の半分以下です。このような労働者を放置していては、正
社員の雇用や賃金を確保するたたかいも困難になります。
正社員と非正規労働者が力を合わせてたたかってこそ、働
く者全体の向上につながります。
45
・
・
・
。
だまする
︵日立IEシステム︶
変わ っ ても
昨 年 の 賃 金 相 当 の と こ ろに 格 本 体に戻るのも
付 け さ れ ただ け で 賃 金の 額 は
〃複雑な気持ち〃
同 じ。 今まで は 、た と えベ ー
H E S C O の 子 会 社の ヘ ス
スアッ プはな く ても 基 本給 の
アッ プ は あっ たの に 。ボ ー ナ テ ッ ク サ ー ビ スが 6 月に H E
ス は 個 人 業 績 加 算が ど の よ う S C O 本 体に 合 併 し ます 。
に つく の か に よ り 昨 年 よ り 少 年 前 に 分 社化 し て ヘ ス テ ッ ク
な い こ と に も な りか ね ま せ ん。 サ ー ビ ス を つ く っ た 時 は 、
また 、 監督 職 群 3 級 は 基幹 職 ﹁ H E S C O グ ル ー プと して
群 2 級 よ り 2 万 7 千 円 しか 多 の 雇 用 確 保 の 施 策 で あ る ﹂ と
く あ り ま せ ん 。 ﹁ 基 幹 職な ら 説 明 し ま し た 。 と こ ろが 5 年
交 替 勤 務 を や れ ば 手 当 て が 入 余 り で H E S C O に 吸 収 で す。
転 し ま した 。 ︵機 研 ︶ が 土浦
に 来 て か ら 年 経 つ こ とか ら 、
柏か ら 土 浦の 間 で 持 ち 家 した
人が 多 く 、 1 時 間 半の 乗 車 時
間は 大 変 です 。単 身 赴 任す る
ほどの 距離で もな いた め 、特
急利 用が 許可 され ました。
﹁ 3 割 の 自 己 負 担だ が 、1 時
間 で 着 く の で か な り楽 だ ね 。
しか し 、 1 年 間の み の 許 可と
な っ て い るの で 、 新幹 線 利 用
のように
全社的な
許可にし
ても らい
たい ﹂と
話してい
ました。
︵機研︶
30
働く仲間が団結して要求の実現を
あ る 研 修 セン タ ー で 、毎 年 4 い る 人 は 、 ニ 重 の ロ ー ン を 組
月 は じめ に 行 っ て い ます 。 私 む こ と に な り か ね な い ﹂な ど
達 、 建 交 労 H B S 労 働 組 合 は、 の怒りと不安の声。
こ の 機会 を利用し て組 合 加入
︵日立事業所︶
の よ びか け を門 前 で して い ま
す 。 職 場 に は 、 第 二 組 合 の 制度一 元化に
﹁日立ビルシステム労働組合﹂
〃不安と不満が〃
が あ り ま す が 、 こ ちら は 研 修
セン ター 内で加 入の よび か け
を し て い ます 。 会 社が 便 宜 を
は か るの で 、 でき るの で す 。
新 入 社員 は まず ﹁ 職 場に は 組
合 間差 別 が あ る ﹂ と 教 育 さ れ
る結果になります。
︵建交労HBS︶
総合職5級で、
〃年間 万円も減額!〃
︵ 電力 ︶ 業 績改 善 対策 で 、
春 闘後 に 調 整す る と して い た
一 時 金の 減 額に つ い て 、 労 組
本 部か ら 最 終 結 論 が 提 示 さ れ
ま した 。 組 合執行 部は 、 ﹁ 組
合 員 平均 で 昨 年 度 比 約3 % 、
数 万 円の 減 額水 準 で あ り 、 生
計 費 相当 額 を確 保 す る こ と が
で き た ﹂ と 説明 し てい ま す 。
3
徳島県の光洋シーリングテクノ(560人の労働
者のうち125人が「請負」労働者)で働く「請負」
の労働者が、「社員には負けられない」とがんばっ
てきたのに報われないとして組合を結成し、賃上
げ交渉で時給のアップを実現しました。愛知県の高木工業
(派遣社員数1万人)では、派遣労働者が組合を結成し、
「一方的な通告による労働条件の引き下げはできないはず」
と就業規則を開示させ、「有給休暇の取得」や「能率手当
引き下げ撤回」の成果を上げてきました。
12
1886年(明治19年)5月1日、アメリカ各地で8時間労
働制を求め、35万人がストライキに立ちあがりました。当
時は、12時間から14時間労働は当たり前。「8時間は労働、
8時間は眠り、8時間は自由な時間」で暮らすことが労働者
の夢であり要求でした。4年後の1890年5月1日、再度
ゼネストを構えたアメリカの労働者のたたかいにヨーロッ
パが応え世界的な労働者の祭典としてメーデーが誕生しま
した。
日本では、「8時間労働時間制実現」、「失業防止」、など
の要求を掲げ、1920年(大正9年)5月2日の日曜日に上野
公園で初めて開催されました。
5
「劣悪な処遇を何とかしたい」と派
遣労働者、請負労働者の仲間が労働
組合を結成し、要求実現のたたかい
に立ち上がってきています。
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