TOKY0 こ当幸反 TOnO会 No.6 2011(平 成 23)年 9月 30日 発行 大妻 同窓会東京 発行責任者 山 田 恵 理 (代表) て学 生 時代 を過 ごした絆 で しょうか、他 の集 ま り とは 違 う何 か を感 じます。会員 の皆様、是非 一 度、 同窓会 報 No.6に よせ て 大妻同窓会東京代表 山 田 恵 理 東京 の行事 にご参加下 さい ますようお願 い申 し上 げま す。 お待ち してお ります。 本年 3月 に起 きました大震災か ら半年が過 ぎました が、 まだまだ大 きな深 い爪痕 が残 ってお ります。被害 に遭 われ ました皆様 に、謹 んで心 よ りお悔やみ申 し上 げます。 また少 しずつで も生活が改善 され るようお祈 大 妻 コ タ カ記 念 会 館 完 成 昨年 より建設が進 められてきました、 (一財)大妻 コ タカ記念会の会館 が本年 6月 に竣工 されました。 り申 し上げます。 さて、私共 は財団法人 に関わる法制度の変更 に伴 い、 財団法人 本年 4月 よ り名称 に変更 が ござい ました。 「 「 コ 大妻 タカ記念会東京支部」か ら 大妻同窓会東京」 TOKYO会 報」 と変 わ りました。 とな り、本紙名称 も 「 本会 が発足 してか ら丸6年が過 ぎた ところですが、名 称 と共 に組織編成 の変更を行 い、理事会 ・評議員会を 廃 して運営委員会 のみ、代表 1名 ・副代表 2名 ・監事 2 名 を置 く形 と致 しました。同窓会東京 が発足する以前 には、学校関係 の行事 に参加す る こともな く母校 が遠 い存在 となってお りま したが、同窓会活動を通 じ先生 方や先輩方 と交流する機会 を得 ました。年齢 も生活環 ・場所 :千 代田区二番町 14-11 図書館や生活科学資料館 のある大妻女子大学図書館 棟 の向かいに位置 してい ます 。地上3階建て 2、3階 の会議室 は間仕切 りを動か し、 目的 に応 じ広 さを変 えて利用 できます 「 ふ るさと」No,63に、竣工披露式などの写真が掲載 されてお ります古利用 に関 しては、大妻 コタカ記念会 でお問 い合わせ下 さい。 事務局 (03-3265-7030)ま 境 も全 く異 なる集 まりではあ りますが、同 じ学び舎 に 平成 23年 度大妻同窓会東京総会 新 たな名称 となって初 めての総会 は、6月 12日 (日) 会 にて高齢化社会 について考 え、 「ラ ンチを美術館 で」、 10:00大 妻女子大学千代田校舎 366教室 にて開催 され 紅葉 の美 しい世 田谷美術館 を訪れ 、 また公 開講 習会 で ました。総会議事 は、先ず、代表挨拶、 そして平成 22 監査 年度事業報告 (本紙 2、3頁所載)、収支決算報告 ・ は木 目込 みのお雛 さまを作 り、3月 には公 開講演会 で 胡 弓の優 しい調 べ を体験致 しま した。 報告 (4頁所載)、平成 23年度事業計画 (TOKYO通 信 No.11、 12所載)。収支予算 (4頁所載)に ついて各担当 また 各事業 へ の参加 人数 が 10人 前後 で あ る こ とも 委員 よ り報告 され ました。平成 22年度前半 の事業 で は、 「ランチを美術館で」三 菱一号館 ・支部総会 。大 妻学院見学 ・「 私 のTOKYO」 東京 スカイツリー を見学 が実施 されました。後半の事業 においては、公開講演 大妻同窓会東京 会報 No.6(2011.9) 報告 され、 よ り多 くの会員 の皆様 の参加 を促 す ことな どが確認 され ました。 以上、平成 23年 度総会 を終 え、 「 青葉 の集 い」会場、 アル カデ ィア市 ヶ谷 に移動 いた しました。 平成 22年 度 ・23年 度事業報告 ご参加、 ご協力あ りが とうござい ました。 ① 第 10回 公開講演会 太 日 妙 子 (家政学部被服学科 S61) 10月 30日 (土)、山 田美恵子氏 よ り明治大学大学院修 士 論文 の 中 か ら、 「 少子高齢化社 会 にお け る日本 人 の 老人観 一大学 生 702人 へ の ア ンケ ー ト結果 につ い ての 一 考察 一」 につ いて講演 が行 われ ま した。2015年には、 国民 の4人 に1人 が 65歳 以上 とい う日本 の現代社会 に お いて、今後老 人 を支 える若者 は高齢者 を どの ように 平成 23年 度大妻同窓会東京総会 意識 して い るのか 、 また、老 人観 において男女間 でそ の とらえ方 に違 いが あ る ことな ど、興味深 いお話 を伺 う ことがで きま した。講演後 も、参加者 の活発 な意見 交換 があ り、久 しぶ りに学 生 に戻 つた ようで充実 した 一 日で した。 ② 秋 の美術鑑賞 岡 小 枝子 (大妻学院高等学校 S28) 12月 4日 (日)は 「ラ ンチを美術館 で」 の企 画 による、 世 田谷美術館参観 の 日で した。広大 な砧 公園の 中 に、 格調高 く答 え立 つ美術館 。 ここで 開催 されて い る異色 の芸術家兄弟、橋本平八 と北薗克衛 (本名 /橋 本建吉) 展 を鑑 賞。兄 の平八 は、1922年よ り作品 を 日本美術院 展 にて発表。孔子、老子、達磨、少女 の像等、独 自の 思想が表現 された木彫作品 と言われ、両 の手 に乗 せ ら れ る位 の像 に入 つてお りました。弟、建吉 は、前衛 的 な詩人 として活躍 し、 並 行 して写 真 による詩 を発表。 書籍 の装丁 な どデザイ ン分野 で も高 く評価 され 、38歳 で亡 くな った兄、平八 とは仲良 しで 、互 いに作品 を認 め影響 し合 った とい う。美術館 の広 々 とした真 白い壁 に散 らし書 きされた建 吉 の詩、品格 あ る織物 で 第 10回公 開講演会 講 師 山 田美 恵子氏 ③ 「 木 目込みの おひな様」公開謡習会 津 田 厚 子 (家政学部 S37) 2月 11日 (金)祝 日は あ い に くの雪 まじ りの寒 い 日 で した。 ナ ビゲ ー ター の秦氏 が 、木 目込 みのおひな様 を作 るキ ッ トを用意 し、 一 人 一 人 に文字通 り手 を とっ ての説明 に、 おぼつ かな い手 で型 紙 を切 り、部分的 に 膨 らみを出す ためにフェル ト芯や綿 を入れて木 目込み ます。 目打 ちの力 の入れ具合がわか って くる と次第 に 楽 し くお しゃべ りをす る余裕 も生 まれ、和気 あ い あ い の うち に額入 りのおひな様 が 出来 上が りました。作業 に打 ち込 み気が付 けば夕刻、教室 の窓 を見 る と雪 が激 し く降 つてお り急 ぎ帰宅 しま した。凍 て付 く玄関 に作 飾 られた長 い廊下、調和 の とれた椅子、そ こに 座 って暫 く美 しい庭 を眺 め、併設 の レス トラ ン で ラ ンチを楽 しみつつ 恵 まれた一 日であ つた こ とを語 り合 い ました。 また、別展 には石坂浩 二 ほかバ ラエ テ ィに富 んだ作品 に皆 さん突み を浮 か べ 、秋 の木漏れ 日のなか を散 策 しなが ら心地 よい気分で帰途 につ きました。 エ ピ ソー ドを一 お雛 さまを製作中 つ 。早 めに着 い たので友人 と二 人 、庭掃除 のお じさんの手伝 い を しなが ら、大妻 コタカ先生 ご 健在 の頃、修学旅行 にはいつ も待 を持参 した話 を しました。す る と、 お じさんは待 を手 に 「 学 問教育 よ りももっ と大切 な こ とを教 えてお られ たんだね !!」 と言 われ 、爽快 な気分で美術 館 の門 や を くく りました。 世田谷美術館、同 レス トラン(下) 第 3回 東京 の集 い 「ランチを美術館で」 公開講習会 「 木 目込みのお雛 さま」 大妻同窓会東京 会報 No.6(2011.9) り立ての作品 を飾 つてみると、パ ッと明るい春 がや つ てきたようです。 また、皆様 と楽 しい何 かを作 りたい と思 い ます。 ④ 「 伝統芸能 について∼胡弓の調べ∼」 久保田佳子 (短大国文科 S48) ・ 小 中学生が発表会 に向け、のびのび と伝統芸能 の 稽古を してい る新 聞記事があ りま した。正座のできな かつた子 が 1時 間座 れ るようになった等、印象的 な内 容で した。 その伝統芸能の公開講演会が3月 5日 (上) 午後、千代田校舎 で開かれ、今回 は 「 胡弓の調べ」で した。 よく似 た楽器 に中国の二胡 があ りますが、三味 線 を小 さ くした形の胡弓は 日本 の楽器 だそ うです。実 際 に楽器 を手 に取 り、演奏す る時は弓ではな く胡弓自 体を回 して音 を出す とい う貴重な体験 ができました。 講師の佐藤寛将氏他 の演奏 は素晴 らしい もので した。 また、なん とも言 えない憂 いのある音色 に も大変、癒 されました。次回開催 の折 には更 に多 くの会員 のご参 加 を願 つてお ります。 五 月祭」 を訪れ ました。 日暮里駅 か ら夕 日のだんだん 坂 を降 り、興味 をひ くお店 が多 い谷 中銀座商店街 を歩 きま した。 三 崎坂 に出 る と、森 鴎外 が愛好 した と言 わ れる 「 菊味煎餅」 で四角 い手焼 き煎餅 を購入 し、 また、 いせ 辰」 で木版手招 りの色 鮮や かな千 千代紙 の老舗 「 代紙や小物 を購入 しました。 右手 に谷 中小学校 を、左手 に山岡鉄舟 ゆか りの全生 庵 を見 なが ら三 崎坂 を登 って行 きま した。言問通 りと の 交差 点 に明治 43年 に建 て られ た江戸 商家 の重 要建 あ り昔 の姿 を残す酒店 を見 学 し、 築 「旧吉 田屋酒店」 力ざ 半纏 を着用 して記念撮影 、言問通 りに出 て右折す る と、 川端康成 が愛好 した と言 われ る 「 喜久月」 が あ り抹茶 によ くあ う 「 あを梅 」 を購入 し、善光寺坂 を道 な りに 下 る と根津駅 の交差点 に出 ました。明治時代 の総欅造 り木造 3階 建 て、登録有形文化財 の 「はん亭」 にて ラ ンチの、 カラッとあげられた串揚 げの コース を前 に一 同 ビールで乾杯 をし親睦 を深めました。昼食後 、希望 三四郎」 者 は五 月察でにぎわ う東大 へ行 き夏 目漱石 の 「 にちなんだ三四郎池、安田講堂、五 月祭を見学 しまし た。参加者 17名全員で人気 エ リアである 「 谷根千」を、 ⑤ 第 5回 私 のTOl年0「 谷根千∼東大 を歩 く」 山 田美恵子 (文学部国文学科) 5月 29日 (日)10時 JR日 暮里駅 に集合 し、 レ トロな 楽 しくお話 をしなが ら最後 まで歩 きぬいた ことは、 同 窓会東京 の 「 私のTOKYO」 であればこそ実現で きた こ とと思 い感謝 いた します。 面影 をとどめる江戸東京 の下町を訪れました。雨降 り のお天気にもかかわ らず参加者 は集合時間 より早 目に 集 ま り、参加人数 は17名 と過去最高 の記録 にな りま し た。全員が最後 まで歩 き下町の趣 を味わい ました。街 谷 中 ・根津 ・千駄木 ・本郷 ・東大 歩 きの コースは、 「 ⑥ コー ラス 「日本 と世界 の名曲を歌 いましょう」に 参加 して 遠藤 暢 子 (短期大学部家政科 S29) 7月3日 (日)、千代田校舎児童学科音楽表現練習室 に て、山 田美恵子氏 の指導 の もとに発声 の練習か ら始め ました。飲 み物をス トローで吸 う時の要領 で横隔膜 を 刺激 し、呼吸 を整えること。 「アエイオウ」と声 を出す こと。次 に音階 を一段 ごとに上 げての発声方法を練習 し、 い よい よ山 口氏 の ピアノ伴奏 で 「 夏 の思 い出 ・浜 辺 の歌 ・ふるさと ・カ ロ ミオベ ン」 を歌 い上 げ ました。 望月太左寛氏 ・太左如氏 胡弓体験 第 11回公開講演会 根津はん亭でランチ 第 5回 私 の TO綸 0 大妻同窓会東京 会報 No.6(2011.9) 家 ではひ とりで大 きな声 を出 して歌 うことはあまり出 来 ませんが、 ここでは思 う存分 に声 を出 し、脳 の活性 化 に もつ なが り、美 しい旋律を奏 でるグラン ドピアノ を前 に して、高 らか に力強 く合唱 し、久 し振 りに晴れ やか な気分をあじわい良 い思 い出 とな りました。 東大五 月祭 公開講習会 コー ラス 員だより) 炉雷了(会 「 努力 に年齢は関係ないです」 江 回 邦 子 (短大家政科 S45) 女性学 の日嶋陽子 さんは、行 きつ けの酒店 のご主人 に軽井沢 の冬 の町おこしはシャンソンで、 と勉強を始 め早 6年 。先生か らだ いぶお上手にな りましたね と、 お墨付 きをいただき、先 日渋谷で古希 リサイタル を決 行。夢中で トー クの最中、や お ら紙切 れ片手 の男性 が ス テージヘ。 「 あ っ、 い けない、 ドレス替 えだっけ」 ー とト クの後 は決 まって歌詞 をす っか り忘れ た り、 「 あれ っ何 だっけP」と慌 てふため く始末。えっ、と皆 様 もびっ くりされ るか と思 い ますが、歌 ってい る田嶋 4女 ル さんは 史 は棚上 げ、 ご く普通 の可愛 らしい女 の 子 つて感 じ。 これ って本当なんです。月 1回 四谷のシ ャンソン喫茶 での歌 とトー ク出演 に、お陰様 で笑 い と 元気を沢山いただいてい ます。 大妻同窓会東京 第 4期 役員 (平成 23・24年 度) 代 表 山 田 恵 理 副代表 植 野 一 恵 津 田 厚 子 監 事 岡 小 枝子 呑 山委佐子 第 4期 運営委員 阿部 栄 子 大西 敏 子 白井恵美子 長岡 博 子 植 野 一 恵 大 野美恵子 津 田 厚 子 秦 由 美 諸原 尚 美 山 口美恵子 江 口 邦 子 太田 妙 子 木 野内清子 内 藤 ま り 平 林 昭 子 山 田 恵 理 久保 田佳子 中澤 範 子 村井 容 子 む編集後記韓 朝晩 に秋 の気配は感 じるものの昼 間の陽射 しの強 さはまだまだ厳 しく、それ に湿気が加わるとカラダ に堪 えます。 とは言え、 日本 の楽器 には適度な湿気 が必要なものが多 く、 カラッとした海外 に出か ける と音 を出すために苦労する こともあ ります。遠 い昔 か ら、 どんなに悪 い気候 風土の条件 に もうま く付 き 合 いなが ら暮 らし、文化 を作 つて きました。 日本 は これか らも知恵を出 し合 い、困難な状況 に立 ち向か つてい けると信 じて い ます。大妻同窓会東京 もより 一`層、結 束 が強まるで しょう。 (EY) 大妻同窓会東京 会報 No.6(2011.9)
© Copyright 2024 ExpyDoc