Diary. January1. Tuesday. 費城日記。Josephの訪米(3)。胡桃割り

Diary.
January1.
Tuesday.
費城日記。Josephの訪米(3)。胡桃割り。
大晦日の劇場。
今日はヨセフ、チャックと僕の三人で一日中をフィラデルフィア市内で過ごした。フィラデルフィアの町は案外個性を
持つ。40年前にニューイングランドから僕が移転してきた当時、この町の建物はみな市役所のウイリアム・ペン
総督銅像より(法律により)低かった。(第3図参照)。
だが、1990年に近づくとこの町に高層ビルが建ちだして、Skylineががらりと変わってしまった。上図
の写真が市市役所。塔の天辺でションベンを垂れているような銅像がペン総督。
この風景がもう消えてしまったというわけ。
さて、今日の正午に、日本から来てくれたヨセフを伴ってこの劇場、Academy Of Music
を訪れてフィラデルフィア恒例の年末ダシモノ、チャイコフスキイの胡桃割り人形(バレー)を観劇した。
毎度宣伝めくけど、江戸幕府からの遣米大使団が明治維新のずっと前に訪れたことがある劇場。この内部はそ
の時期のものとさほど変わらないと思う。チャックの好意で、僕たち三人は一階のオーケストラのど真ん中に座れ
た。
バレーを見た後、近くのレディング(鉄道)市場で食物を買って、郊外の自宅に電車を使って皆で戻った。やは
り、僕は歳をとったものだ、大分疲れた。明日、ヨセフを元旦のレセプション(昼餐会)にアボット夫人から招かれ
ている。そして、明後日はアラタ夫人のレセプション(夕餐会)。アラタ夫人の夕餐会はおそらくイタリア料理だろ
う。(アラタはイタリア名)。
そして、木曜日にヨセフは日本に帰る。
★★★
Comments
1 ■新年
明けましておめでとうございます。
トーマスさん、ご家族そして、ご友人の皆様にとって、
素晴らしい一年でありますように、
心よりお祈り申し上げます。
しおむすび 2008-01-02 00:55:55
2 ■謹賀新春。
シオムスビさん、今年もどうぞよろしく。
昨年中戴きましたこの拙いBlogへのご声援に御礼申し上げます。
thomas-penfield 2008-01-02 11:19:33
3 ■明けましておめでとうございます。
今年もブログ楽しみにしています。
良い2008年になりますように。
papapayapa 2008-01-02 21:58:19
4 ■あけましておめでとう。
ことしもどうぞよろしく。
Thomas
thomas-penfield 2008-01-04 01:20:33
Diary.
January3.Thu.
費城日記。Josephの訪米(4)教会。新年会。
十四時間の時差で、今日はアメリカでの元旦。僕たちの聖ヨセフ教会創立275周年の新年。荘厳ミサが午
前10時半に行なわれた。今度戴いた日本製カメラ(Super Finepix CCD Fuji
jilm Camera)のお陰で、室内撮影が綺麗にできるようにもなった。
礼拝堂内、洗礼盤の傍に設けられたCreche.
礼拝堂、聖壇。左像が聖ザヴィエル。右像が聖ヨセフ。
礼拝式後の茶話会。地下集会室にて。
午後二時から、アボット夫人宅で昼餐会。ほぼ30名が集まった。日本滞在経験があるカナダ市民夫婦二人
に紹介された。ヨセフ(襄)君が日本人なので、懐かしかったらしい。その二人の夫君はスコットランド生まれた外
科医、奥さんはウクライナ生まれ。僕の満洲経験があるので、奥さんと僕はウクライナについてとても話が弾んだ。
アボット夫人は費城(フィラデルフィア)の旧家出身。社交界に顔が広い。だから、費城に諸外国から到着する
留学生や訪問客は国務省の依頼で彼女に世話になる人々が多い。ことに旧ソヴィエト連邦圏内諸国(東欧
諸国、トルコ、アゼルバジアン、ウラル、北極地方、ウクライナ、ローマニアなど)からの客が多い。日本人訪問客
が呼ばれるたびに、僕に通訳のお鉢が回ってくる。彼女とはもう永い交際だ。
今真夜中。明日ヨセフが撮った写真を掲載しよう。
Diary.
January4. Fri.
費城日記。Josephの訪米(5)アラタ夫妻宅。訣別。
元旦の寒い翌日だった。3日、明日Josephは日本にデトロイト経由で戻る。
1月2日。
僕もあと一年そこらで80歳。恐らく僕にとっては再び彼の顔をじかに見る機会はやってこないだろう。記念に中
国で1800年に出版された菊譜をあげた。
僕の感冒が酷いので、今日は一日中三人で自宅に引き篭もってすごした。午後4時半のアラタ夫妻宅訪問を
だめにしてはいけないから。
アラタ夫妻宅はクリスマスのために美しく飾られているままだった。この二十年、教会を通じしてチャックと僕を夫妻
は「親類」として取り扱ってくれている。ご主人のルイスはイタリア・アイルランド混血の三世、夫人のメリーはこちら
生まれの二世。ルイスの祖父母は1860年代、メリーの父母は1890年代にジェノア地方から移民してき
ている。二人とも南フィラデルフィアのイタリア・アイルランド移民居住区域で育った。
お二人とも他力本願でなく、自力で働きながら五人の息子たちを立派に育て上げた人たち。育てた息子たちの
の二人は二人とも(それぞれ異なる)航空会社の副総裁、一人は退役陸軍大佐で陸軍大学の教授など。ル
イスは極度な勉強家だし、青年時代から飛行機操縦士の免状もとっている。大学を出ていないし、全部独学。
地下室に広く「鉄道モデル」が広がっていた。汽車も模型も全部ドイツ製のものを組み立てた。Switchを
入れると昼が夜にも変わる。
Josephをアラタ夫妻に紹介できてよかった。この一家は典型的な中流米国人家庭だから。
★1月3日、木曜日。午前八時半。
午前6時半にJosephをフィラデルフィア空港に届けて、ターミナルEの入口に這入り、内部で荷物検査
を受けたあと乗り場E-6に去るのをガラス窓越しに見届けたあと帰宅した。
大連脱出後63年目の冬に、思いがけなくも、こうして六十年前には越せなかった国境を乗り越えて、日本人
の友人を日本から迎えて尊い5日を一緒に過せたのは主の祝福だった。
風邪のために、してあげたかった事柄の一部しかできなかったが、それでも彼はアメリカの市民生活だけでも一寸ば
かりは垣間見ることができたと思う。
この五部報告記事シリーズはこれで終える。
Ubi caritas Deus ibi est.
日米通信
New York便り。
January 05, 2008
★1月3日、木曜日、深夜。しんやから。
Sent: Thu, 3 Jan 2008 4:16 am
Subject: 08年1月3日矢口
空気は冷たいけれど、よく晴れてのどかだ。木更津からの富士が、ちょっともやもかかっていたけれどよく見えた。
広子は話しかけても反応がなく、今日のところはなんとも言えないが、まずはこれで平常なのだと思う。2時間ほど
いて帰って来た。(Thomas註。しんやの奥さんはこのほぼ10年アルツハイマー症で入院中。)
昨日、妹のところに行ったが、ほかの兄弟、つまりもう一人の妹と弟には会っていない。せっかくの正月なので四人
で会うことにした。考えてみれば母のいたときは母のところに集まった。僕のところが一人になってまるでがらんどうな
ので、中心がなくなったのだ。家に来るのも面倒なので、本八幡の駅の近くで昼食会にする。6日の日曜日。
来客はもう帰るのだね。大分昔馴染みの人たちに引き合わせたようだ。よかったと思うよ。
しんや、18時20分
★ 1月3日、木曜日、深夜。New Yorkの金さんから、
New Yorkの 気温は 昼間で 零下5c です。 夜には -10cの 予報です。 来週の 月曜日
から 水曜日までは 50f=10c になるようです。
今日 Iowa で Caucus(党員の 選挙)があります。 いよいよ 大統領選挙の 幕開けです。 2月を ピ
ークにして 51州の 全部で 予備選挙が 行われ 候補が 決定されます。
日本のように 政党本部の 公薦(指名)で 候補者が 決まるのとは 違います。
大統領によって 世界が 変わります。 ヒットラーが ドイツを 変え 世界を 殺人と 破壊に 落としいれ 東
洋にも 惨禍が 及びました。 Bush が アメリカの 大統領になったため 宗教心があつく 米国の正義と力を
信奉する人たちを 背景に 世界を 分裂させ テロ戦争を 楯に 暴力が 正義のように 人々を 苦しめてお
ります。 世界の 悲劇が 終わる 序幕になるように 願っております。 宗教が 戦争の 名目になり 戦争が
神の 栄光と 讃えられる 歴史が 4000年の 人類史でもあります。
★1月4日、金曜日、早暁。Thomas(日本名、ひろし)より。
朝日新聞、12gつ15日号、13頁、「異見新言に佐原徹哉教授(明治大學、バルカン近現代史)が”
中世化する戦争、民兵の台頭、原因は大国に」という題で、国家の暴力行使権の変遷を分析して、国連枠組
み劣化と私営民兵営利集団の胎動を指摘している。63年生まれの若い人らしい。著書に”近代バルカン都
市社会史”、”多元主義空間に於ける宗教とEthnicity(刀水書院)”があると記されている。
この教授の著述に関して、もしも読者が書いてくださるとありがたい。簡潔に意見を纏めて書く著者だと思う。
短い論文だったが、感心しながら読んだ。
★1月4日、金曜日、早暁。 しんやより。
金さん、
メールを読んでいると、金さんはニューヨークでは孤独にさいなまれているようです。ちょっとつらいですね。メールは空
間を埋めるけれど、直接の接触はできない。止むを得ません。できるだけ旧友との絆を守ってください。そういえば
Kさんは名古屋にいたはずでしたが、北海道に移動したのですか。大中関係では中京地区の在住者が減ってい
るようです。
今ちょうど正午。昨日、ニューヨークの株取引で値下がりしたことが報じられていたので、どうなるかと思ったら、やは
り大幅の値下がりをしたようです。どうも幸先がよくない。経済情勢は今年あまりよくないかもしれませんね。アメリ
カの大統領がこうした傾向を挽回できるかどうかは、かなり大問題でしょう。
ひろし、
今日で3ヶ日が過ぎ、金曜だからふつうの日に戻った。僕の家では朝、クリーニング屋が来た。生活的には来週の
月曜から本格的に仕事も動き出す。そのために、今日は背広やハンカチのアイロンかけ、身の回りの整理を始め
た。2003年末から図書新聞に仕事をしぼり、05年3月からから大連会にかかわりだした。その両方がどうやら軌
道に乗ったみたいだ。もっとも、僕の内面だけのことかもしれないが。図書新聞の場合、復帰してから5年目だ。そ
れくらいにならないと現場感覚ができない。最近ようやく僕の存在が世間にも知られるようになったと思う。歳のこと
は考えず働いて行きたい。大中同窓会がなくなったので負担は大幅に減る。
えりさん、
病院には正月も日曜もないみたいなものですが、札幌は本格的な冬ですね。僕の家あたりでは温暖化のおかげ
か、ゴキブリが越冬できるようになったみたいです。動きは鈍いが出没していて厄介です。蚊やハエもどこかにいる。
人間に暮らしやすいことは昆虫にも通じるのでしょう。進也、12時半
★1月4日。午前8時。 Thomasから。
朝6時に病院体操にでかけて、体操しながらTVのCCN放送を視聴していたら、Obama上院議員が
Iowaの予選で圧倒的にClinton夫人に勝ったことを知って一寸驚いた。投票数が物凄かったそう
だ。全米を通じて議会そのものの陣笠性にうんざりしているのだと思う。Clinton夫人は驚くなかれ第三
位。予期しなかったほど、第二位のEdwards元副大統領に票が集まっている。これは、反体制的性格
を民主党投票者が示していることになるだろう。
次週に、New Hampshireがどうなるか、見ものでもある。
★★
★★★
Comments
1 ■私もおどろきました。
どうも米国は黒人大統領より白人女性大統領をさきにのぞんでいるのかな、というふうにみていたので‥
すたとら 2008-01-05 03:54:46
2 ■No Title
アメリカそのものが前進したし、中産階級でも人種差別がなくなってきたことも事実でしょう。オバマの人気が凄い。勿論彼はケニヤ人
の父を持ちながら、ハワイとインドネシアで育ち、義父がインドネシア人、そして白人祖父母にカンザスだったかで育てられたそうです。
アメリカを僕も見直しています。
東洋で、僕は民族蔑視と民族内偏見にどっぷり浸されて育ったから。
僕の娘二人は育てるのに全然問題ありませんでした。
thomas-penfield 2008-01-05 04:04:23
Diary.
January6. Sunday.
金曜日。1月4日。平常な日。血糖値。
★ Josephが日本に昨日戻り、故郷の自宅についた旨E-Mail通知があった。
僕たち二人は普通の生活に戻った。
チャックは持病の肺閉塞と風邪を薬で抑えながら教会にでかけ、聖堂を掃除したあと、かかりつけの耳鼻咽喉科
医師の定期診察を受けて正午に戻ってきた。やれやれ。彼の律儀さと教会への献身は生涯変わらないだろう。
病気でも、無償奉仕にでかけるのだから。
アイオワ予選でのオバマ上院議員の勝利が国内ニュースを圧倒している。だが、予測投票数において、クリントン
とオバマの間に6%の開きがある。僕としてはJohn Edwardsに投票したいが、彼は勝つ見込みが
ない。当分成り行きを見守ったあと投票するほかないだろう。しかし、民主党政権にかわったとて、政策に徹底的
変化を齎すとは予測できない。
だが、アイオワ州予選に勝利した候補者が大統領になった歴史的前例がないにしろ、住民の95%が白人であ
るこの中部州でオバマが勝利したことは米国最初だし、僕が60年住んだアメリカの経験では始めてだ。
20世紀の帝国主義に慣れ過ぎて育った僕はアメリカに来るまで、米国内の人種や民族間の壁が途轍もなく
高いものだと思い込んでいた。また、第二次大戦中そういうふうに考えるように教育されてもいた。
だが、アメリカの人生60年の経験からだけの話だけど、その壁は予想外に低い。東洋の民族間の壁よりずっと
低い。勿論、言語や生活習慣の相違で移民一世たちが埋もれるのは、何処からの移民でも常識ではあるが。
今日は落ち着いた、安閑として一日だった。
★ 糖尿病症状。
歳をとると、種々の健康問題が起きてくる。僕の場合は高血圧と糖尿病症状だった。
50歳を過ぎるまで、高血圧には頓着しなかったし、75歳を過ぎるまで糖尿病なんて考えもしなかった。70
歳に近づいた頃心臓麻痺で倒れてステントを挿入されて、恒久的に薬剤服用でで血圧を老後を過ごしてきた。
そしたら、今度糖尿病だから、その性質について指導を受けろと主治医から看護士指導員に紹介された。分から
なかった、知らなかったことばかりだった。今でも殆どこの病気については僕は無智文盲。30分だけの面接ではつ
べこべ聞けないし、予備知識を僕が持ってないと来ている。それで、この一ヶ月間、少しずつインタネットで読み出
した。
要するに、
朝食前血糖値が126mg以上、または食後血糖値がが200mg以上のいずれかが2度以上確認され
たら糖尿病だそうだ。
正常型は:空腹時血糖値110mg未満、2時間後140mg未満。
血糖値測定器をわたされて、帰宅してからこの1ヶ月、一寸苦労した。食事について、まだDieticia
nに会って指導を受ける予約を待っているわけ。彼らは多忙なので、おいそれと面接してくれられないのだ。でも、
チャックが助けてくれて、測定器をどうやら使えるようになった。
現在、僕の血糖値は朝食前平均値が131、食後平均値が133.日常最小値が114で最大値が1
42.
完全に糖尿病症状になっていることがわかった。野菜とご飯やパンを取りすぎると血糖値があがるのも少しばかり
はわかりだした。血糖値を毎日測定するのはよいことだろう。
1月18日に再度、看護士と栄養士にあった時ににあれこれ訊ねるつもり。死ぬまで習うべきことは山積してい
るようだ。
★★★
Comments
1 ■糖尿病は、多少人種的な傾向の違いもありますから
トーマスさんのような方はむつかしいかもしれませんね
すたとら 2008-01-06 01:21:16
Diary.
January7. Monday.
(おことわり。東洋と米国フィラデルフィア(費城)の時差が14時間です。今後とも、記事の日付は日本時間
によっています。ほぼ米国日付の二日後だとご了承ください。)
★
土曜日、1月6日はあっけなく過ぎてしまった。チャックは朝8時に教会にでかけて、夕方午後7時半ま
で帰宅しなかった。彼は朝11時に洗礼式、午後4時に結婚式、そして午後6時半にVigil ミサとな
かなか忙しかったらしい。
★
90歳近くになるこちらの(白人)友人教授が昨夜僕に話してくれた。
彼が言った。
「近東の石油はね、米国にとってはとても重要な資源だったんだ。英国とフランスが追い出されてから、第二次大
戦後米国はあそこの真空地帯に入ったわけさ、そして英国とフランスの伝統的統治政策を受け継いだ。というの
は、近東諸国を分割統治することだった。
イランとイラクで米国がやったことを振り返って見れば、米国の意図は明瞭だろう?
イランじゃ1953年にCIA(米国情報部)が民主的に選挙されていたモハマド・モサデグ政権を崩壊させ
た。モサデグ政権がイランの石油を国有化してイランに取り戻そうとしたから。
CIAは、モサデグを追放し、シャーを王座につけて、米国の権益に友好的な政治を続けさせたが、1979
年にアヤトラ・ホメイニが亡命先のフランスから戻ってイスラム革命に成功した。(あの時にね、米国は間抜けてた
もんだよ、あの地帯を警備させるために武器ならなんでも与えたんだが、Counter Insurgen
cy(反乱群衆弾圧)に必要な催涙ガスなどの道具は忘れてたんだね。)
群集反乱が始まったとき、王国国軍ったら機関銃しか持ってなかった。ふりまわす機関銃に激怒した何万もの群
集が反乱に参加してしまった。嘘みたいな話だけどさ、武器もろくに民衆は持たなかった宗教革命だったんだよ。}
同時にさ、米国はイラク(正統派スンニ派の)でサダム・フセインに近寄った。イランで(異端派シーア派)が革
命に成功したので、(正統派である)アラブ世界は戦々恐々としてた。
(註。イランの多数族はペルシャ民族で、アラブ族ではない。言葉も勿論違う。)
それでさ、フセインはイランの内紛につけこんで、イランを征服できると考えた。だから、米国の暗黙な支持を背後
にサダムはイランに攻め込んだ。その戦闘は1980年から1988年まで続いた。
何百万人のアラブとペルシャ青年たちが「名誉の戦死」を遂げたか、わかったもんじゃない。まるで、日清、日露戦
争の再現さ。覚えてるだろね、日露戦争中、旅順攻撃で黒兵服の日本兵死体で旅順の山が真っ黒になったの
をさ。日本人は恐らく忘れてるだろうが。
この戦争中、ワシントンはイラクへの武器供給を怠らなかったし、戦争中止調停なんて考えもしなかった。米国権
益にとって、イランの弱化は必要だったんだ。
(民主党のご連中ね、今度のイラク戦争は支持したんだろう?真相を知らなかったって現在仰ってるけどさ。まあ、
たった三千人しか戦死しなかったんだがね。だが、イラク人は何人死んだっていうの?ちょっと前の昔、何百万もの
青年が死んだのに黙ってた連中が、今度イラクから撤退したら、どうなるか心配してくれてると思う?}
それにね、越南じゃ敵がはっきりしてた。ハノイは指導力に秀でていたし、国民の団結を齎したし、米国が撤退し
たら即座に全てを接収する能力があった。その点、越南は日本に一寸似てた。サイゴンから米国人たちが逃げ出
す時だって、ヘリコプターを撃落とすような卑劣さがなかった。要するにね、喧嘩するなら、相手を選べってことなん
だろうな。
イラクは越南とは違うんだよ。そして、イラクはアフガニスタンとはまた違う。
★
★★★
Comments
1 ■戦争と平和
戦争はなくならない。
だが
減らす事は確実に出来る。
綿貫朔太朗 2008-01-07 00:24:04
2 ■イランの作家、
サーデグ・ヘダーヤトというひとの本をこないだ読みました。ガージャール王朝末期からモハンマド・レザー・シャー・パフレヴィーの頃に生
きたひとです。
水師営、ステッセルとの写真が有名な乃木大将ですが、いまでも無能よばわりするひとはいますね。
すたとら 2008-01-07 03:03:37
3 ■そうですね。
日露戦争中、観戦武官ってのが大勢旅順に来てましたね。膨大な英文報告文書を30年前に見つけて僕の図書館で買ったの
を覚えています。凄い分量でしたよ。おそらく日本語には訳されていないでしょう。あのころの大本営にとっちゃ五月蝿過ぎたかもしれ
ない。
thomas-penfield 2008-01-07 06:33:14
Diary.
January8. Tue.
Old St. Joseph’s Church.
1月6日、日曜日。(米国時間)。
新潟のヨセフ君が呉れたカメラが素晴らしい。顔に焦点をあてて心配なくPortraitが撮れるし、室内
写真が鮮明に撮れる。それで、早速僕たちの教会の聖堂内写真を撮ってみた。
これが聖壇の正面写真。十字架のイエズス像が真ん中。左端から聖母マリア像、聖Francis Xav
ier像、聖壇、聖ヨセフ像、基督聖心像。
この写真は毎日曜日に僕が座る席から撮った聖壇。中央の黒服男性は神父の一人。
これが昔日本に最初に福音を齎した聖ザヴィエル像。この彫刻像はイタリアで100年前に作られたそうだ。聖
ザヴィエルは日本から、フィリッピンに戻り、中国宣教に赴いてマカオ付近で客死してしまった。イエズス会では創立
者二人の一人。
今年、聖堂後部の洗礼盤の傍に設けられたCreche。(クリスマス雛人形)。左端XmasTree
の下に見えるBench席の左端に僕は毎日曜日座る。
ユダヤ族が迫害するエジプト国軍に追われて紅海に着いたら、紅海が二つに裂けて逃げる通路が開けたという神
話がある。その神話の粘土彫刻。信者の一人が拵えて奉納したもの。
数日前に、僕たちの古記録から僕たちの教会には、奴隷制度時代に黒人信者が入っていたことが分かった。そ
のことを、僕たちは誇りに思う。僕たちの教会は米国最古の教会の一つ。1700年後期から1800年初
期にかけてのカトリック教会迫害時代にフィラデルフィアのクエーカー教徒の援助で生き延びた。日本の上智大学
も経営しているイエズス修道会系統。カーチス音楽学院やフィラデルフィア交響楽団団員の人たちも信徒に多い。
ワシントンが通ったChrist Churchもすぐ傍にあって、彼が訪問したこともある教会。そして、独立
宣言書を起草発布した独立ホールの脇にある。
チャックと僕は二人ともこの教会に永い間お世話になっている。
★★★
Comments
1 ■イエズス会って
もっと大昔からあるんだとおもってました。ザビエルが設立者なんですか
すたとら 2008-01-08 04:40:38
2 ■うろおぼえだけど。
設立者は7名ぐらいいたらしい。主導者が聖イグナチウス・ロヨラ。フランシスコ・ザヴィエルは東洋に宣教師としてでかけて、東洋で死
没。イエズス会内ではこの二人が主にあげられているようです。イエズス会の特色としては、中国明朝宮廷に入り込むことに成功した
こと。マテロ・リッチは有名ですものね。
イエズス会は理知的なので知られていますし、主に高等教育が専門。
thomas-penfield 2008-01-08 06:29:14
日米通信
血糖値。
January 09, 2008
米国東部時間、火曜日、1月8日。
★日米通信。
●1月1日。紐育の金さんから。
2008年の 朝日が 山の上に 上がりました。
山登りが だんだん きつくなってきました。
脚の 力が衰え 息が 切れそうになりました。
マラソンの ゴールが 近づいてきました。
日本には 「偽」が 風靡し イツワリエンザが
韓国では 「自欺欺人」お互いに 嘘と ごまかしが。
日本が 和を 大きくして 大和を
コリア南北に 欺雲が 晴れて 平和を。
対立と打倒を越えて 共同繁栄に ネオコンも 衣替え
石油戦争よりも 地球の環境保護が 急先務
進歩主義は 耳に たこの出来た 古い 流行歌
実用主義は 花より 団子。道徳より 政権。
鳴くまで 待とう ホトトギス
生きるまで 生きよう わが人生。
皆さん どうぞ ご健康に
2008も おげんきで。 よろしく。
GREETINGS FOR THE NEW YEAR
The morning sun of 2008 has risen above the mountain.
Mountain climbing is becoming increasingly harder,
while our strength is diminishing and our breathing impaired.
The finish-line of this marathon is now in sight.
Falsehood (Itsuwarienza) is flooding Japan; lies and deceit are rampant in Korea.
It has become prevalent in both countries to deceive and misrepresent
both knowingly and unknowingly.
It is more important to protect the earth's environment
than to engage in a "war for oil" under the guise of democracy.
"Progress" is a vain song one grows tired of hearing.
Pragmatism prefers a sugarplum to a flower and also prefers profit to morality.
Let us look forward to the song of the lark.
We shall endure as long as we keep striving.
Everybody, please be healthy.
And enjoy 2008!!!
Best wishes。
K.
●金さんから。月曜日、1月7日。
今日は record high の 高温で 昼間 60f=15cだった。 Golf に いってきた。 しかし 体力が
去年より がた落ちしたのを つくづく 痛感した。 去年は 18ホールを トコトコと 何の 疲れもなしに 回っ
たけど 今年は
息切れを 感じながら へとへとになって 18ホールに たどり着いた。 今年が 思いやられる。
やはり 年は ごまかしが きかない。
温かい 気圧が 南から 落ち上げて 水曜日までは 15c前後の 気温が 続くらしい。 この 温気=熱
気が さらに 北の New Hampshire にまで 吹き上げて 明日の Primary を 熱くしている。 どうやら
Obama が Hillary を 追い抜く 気勢にあるらしい。 黒人大統領の 出現を 予言している 雰囲気のよう
だ。 アメリカ歴史 初代の 黒人大統領が 出る。 歴史的だ。 人種差別は 依然として アメリカに 存在し
ている。 しかし 東洋の 人種差別とは 次元が 違うみたいだ。 東洋は 目先の 利益のため 部族的(民
族的)に 排他的であるが アメリカの 場合は 民族国家ではなく 多民族集合社会であるため 大局的に
全体の 利益の 調和と 機能の 極大化のため 選択肢が 広く 部族(白人)を 超越して 包括的である
ように 思う。 世界の 両翼で アメリカの 対極にある 中国が チベットなどの 少数民族問題に 包括的で
文化的な 寛容性を
要望したい。 アメリカの 力を 過信して 暴走した Bush が アメリカを 没落された。
中国伝来の 中庸の 徳が 人種を 尊重しなから 包容する 世界平和の 礎になってほしい。
★Thomasから、
● 火曜日、1月8日。糖尿病奇譚。
クリスマス以前に糖尿病と診断された時、何が何だか知らなかった。砂糖を避ければ良いのだろうとだけ思ってい
た。無知な話だった。看護士指導員に面会、血糖値測定器を渡されて戻っても、食事についてはまだ五里霧中。
魚肉を食べ、生野菜をたくさん食べ、澱粉物を押さえるぐらいの常識なるものしかなかった。それを実行しても、ク
リスマス以前は、全然血糖値が下がらなかった。
指摘された書物を読み出して、どうやらこの老人病気の輪郭がつかめるようになった。Xmas以後、食事の仕
方を変えた。野菜の炭水化合物だけで充分だったのだ。しかも少しばかり摂りすぎていた。その上にパンを加えて
いたのが迂闊だった。
それで、クリスマス以後、なるだけ魚と限定した野菜にして、米と麦を抑えたら、途端に血糖値が平均測定値1
30あたりから110まで下がった。
(勿論馬鹿正直に、食前食後の毎度、そして就寝前に測定して記録し、Spreadsheetで分析
してみた。案外面白かった。まさかStandard Deviationまではとらなかった。笑。)
あたりまえの事だが、食べるもの全部を考え、測定に全部を細かく数えることだった。迂闊な考え方だったと思う。
今度パンを抑制した。野菜はそれでもリベラルにとった。このほぼ一週間に体重が5ポンド減った。これを続けたら
僕の体重は始めの178ポンドから165ポンドまで下げられるかもしれない。
上図は今朝の朝食。上部中央から鮭刺身、ユダヤ白魚燻製、茹で人参、大根ツマ、Artichoke油
漬物、茹で雪豆。
これが今日の夕食。鮭刺身、当地市販胡瓜のサラダ、レタス、当地市販沢庵、日本風鯖みそ焼き、中国豆腐
の牛肉スープ煮、大根ツマ。
電子レインジで即席に茹でるコツも覚えた。僕にとってはなるだけ東洋風に少し美化して食事することだろう。ただ、
悲しいことに、僕は日本食をそんなに覚えていない。60年以後前からの記憶だから。まるで、漂流生活だ。
要するに、糖尿病を苦しまないで、楽しむことだ。これからは、ちょくちょくウイスキーもたしなむことにした。あと何年
生きるか知らないが、料理は今後注意する。(ことに、日本懐石料理の真似事はしたいものだ。)
★★★
Comments
1 ■ネットで料理検索?
http://cookpad.com/
私はいつもこれで料理を検索してます。
簡単に作れるものや、和食のレシピも載ってるから試してみては如何ですか?
もうご存知かもしれませんが。。。
papapayapa 2008-01-09 00:21:10
2 ■ありがとう。
早速Cook-padに行ってみました。どうもありがとう。種々のRecepiがありますね。ことにおせち料理がありがたい。ど
んどん作ってみます。
懐石料理のサイトをお知りだったら、どなたか教えてくださいね。
懐石についてもっと読んでみたいです。少年期は戦争で見たことも、聞いた事もありませんでした。「欲しがりません、勝つまでは」の時
代でしたからね、貴方たちの世代が羨ましい。
Thomas
thomas-penfield 2008-01-09 00:43:57
3 ■懐石料理
http://www.kyotoya.com/ryouri/ryouri_01.htm
(7ページまでありますよ)
私は作ったことありませんが。。。
でも挑戦してみると楽しそうですね。
papapayapa 2008-01-09 08:36:11
4 ■さくらんぼの会をご存知ですか?
巷で噂のフリーSEX サークル!!
ほんとに居るんですよね SEX をゲーム感覚で楽しんで
る人たちてドコ?(T-T ))(( T-T)ドコ?
ここです!!!!
注目したいのは参加してる女性のレベルの高さ!
ほんと若くて可愛い子が多くてヤバイです(・∀・)イイ!
公式 blog で無料イベントの情報も小まめにキャッチできるので必見です(゜-゜*)(。。*)ウンウン
詳しくは↓下記の公式 BLOG から!
http://cherry0k0.blog29.fc2.com/
噂の SEX サークルのご紹介 2008-01-09 12:57:30
5 ■習いもせず
在宅で働いているのでほぼ自炊状態といいましょうか
主夫のように炊事をしているのですが
素材の味を生かせればそれでよし
って居直りの発想で毎日作っています。
懐石料理もおそらく同様で
四季の趣きを生かして彩りを凝らし
素材の味を引き立てる、
という程度でいいのではないでしょうか。
となれば、今回拝見したレシピはポイント高いですよね。
楽しく美味しくいただくのが最高の食養生ですから
愉しみながら続けていただければよろしいかと思います。
monlivre21(くま編) 2008-01-09 16:25:12
6 ■パパパヤパさん。
素晴らしい懐石サイトありがとう。このような料理の仕方が習いたかったのです。それにしても、Internetは重宝ですね。こ
うやってお訊ねして、回答がいただけられるのですから。Blogを始めてよかったと思います。早速楽しみながら、作り始めます。
ありがとう。
Thomas
thomas-penfield 2008-01-10 00:32:52
7 ■さくらんぼの会。
あのね、この記入された方の祖父さんが生まれたころが僕の青春でした。その後ソ連軍占領下で腐った陰茎を見てから、アメリカに
逃げ;こちらに来てからはAIDS流行でね、貴方のような方数百名の葬式に出席しました。サクランボ世代は僕にとっては曾孫
の時代なのです。
せいぜい、充分に注意してお遊びください。ただし、結果が恐ろしいかも知れませんよ。
貴方はまだお若いから、ご体験がないかもしれない。
thomas-penfield 2008-01-10 00:38:37
8 ■MonLivre21 さん、
書き込みありがとう。
相棒のチャックは純米国出身、それに糖尿病症状は僕だけですから、独りで懐石の真似事を楽しむつもりです。あなたのおっしゃると
おり、素材と色の配合に気をつける練習をするわけですね。僕はあまり経験がなさすぎます。写真を少しずつ書いて、ノートするつも
り。
thomas-penfield 2008-01-10 00:44:02
9 ■付注。
今朝、病院体操で指導員看護士さんが下記を教えてくれました。
血圧最高値は120以下にとどめる。
3ヶ月血糖値測定後、A1Cという指数が計算されるそうです。そのA1Cは7点以下であるべき。
ただし、僕の場合まだ1ヶ月しか経っていない。A1Cのことは早速調べます。肉食を強調し始めたら、最高血圧値が130から
150に跳ね上がってしまっています。要するに、できるだけ、魚食に換えるってわけでしょう。
知らないことばかり。人生って面白いね。
Thomas
thomas-penfield 2008-01-10 00:54:38
10 ■おいしそうですね
あけましておめでとうございます。
彩りを考えたおいしそうなメニューですね。私の自宅ではいつも和食器と箸なので、おしゃれなお皿とナイフ、フォークの写真をみたとき
は、「トーマスさん、レストランのビュッフェにいらしたのかしら?」なんて思いました。考えてみればアメリカではナイフとフォークはあたりま
えなのですが・・・。
私からもおすすめのサイトをひとつ。材料からレシピを検索できます。「大根を一本買ったからまだ残っているんだけど、どうしよう。」とい
うようなときに重宝しています。
E-recipe
http://erecipe.woman.excite.co.jp/
今晩は根菜をたくさん入れた豚汁を、鍋いっぱいに作りました。ご近所だったら、トーマスさんのお宅にもっていきたいところです。
それではまた遊びに来ます。
kitty 2008-01-10 14:43:06
Diary.
January10.Thursday.
1月10日。
米国民主主義之一端、披露つかまつり候。
★★★
Comments
1 ■拝見つかまつりそろ
かの地に生まれたる由にて謝罪申しあぐるものなりとは。見上げたる所行と推察いたしおり候
すたとら 2008-01-10 02:08:45
2 ■え~~~!
これは本当にあるんですか??
ないですよね。。。
papapayapa 2008-01-10 19:22:02
3 ■No Title
ありますよ。
娘宅の近くだったと思います。親友が送ってくれた写真なんです。大分前の話ですけどね。
昔の日本だったら、獄門ものだったでしょうにね。
笑。
thomas-penfield 2008-01-10 21:32:34
読書録
ホロコスト。
January 11, 2008
ユダヤ族のホロコストに纏わる書籍。
(1) ハッタ・キイツ君(大連中学同窓生)による読書録(2007年1月ー11月末)から。
ホロコースト全史。 マイケル’ベーレンバウム 芝健介訳 創元社 1996年8月
重苦しい読後感。週日かけて読んだ。ホロコーストの全てが分かる本である。あまりにも知
知らないことが多すぎる事実に衝撃を受けっぱなしだった。その意味で、「全史」といって良い本である。ポーラン
ド、、リトアニア、ラトヴィア、チェコのy打野人の9割がころされたのである。人種主義の由来と宗教の役割とか、
政治、権力、支配、覇権とはなにかを読み取ることのできる本でもある。(補注。赤字の部分は掲載文から欠
落していました。)
ヨーロッパ・ドイツにおけるナチの人種主義とユダヤ人への差別思想は古くからある基督教圏共通の精神を形成
してきたという一面を忘れることはできない。かっては基督教の宗教改革の父といわれたルターもユダヤ人差別は
みとめていたという。ナチの非道な政策が強要の或る「文化人」、資本家、財界、ジャーナリズム、宗教者の支持
のもとに実行されたのであることを深刻に考えてみる必要がある。
ゲットーの詳細なレポートはドキュメントそのっもので衝撃は言語に絶する。しかし、それは過去の歴史ではなく大
量虐殺の事実は現代も形を変えて実行されている。今と重ねて読むことができる。数頁ごとに貴重な写真が挿
入されており、衝撃的で眼を覆いたくなる鬼気迫る場面が再現されている。
ユダヤ人の迫害は基督教の成立とともに始まった歴史的考察に注目したい。それまでは圧倒的な勢力をもって
いたユダヤ教に対して、基督教がユダヤ教にとって変わるための政治的謀略、おぞましい策略の淵源となっている
ことが証明されている。
それは1962年教皇ヨハネス23世によって召集されたヴァチカン第二階公会議でユダヤ人に関する基督教
教義の変更が協議され、1965年10月28日に発表された「基督教以外の諸宗教に他する教会の態
度に関する宣言」で誤りが修正されるまでユダヤ人の迫害は続いた。基督を殺したのはユダヤ人ではなくローマ人
であったというサルトルの主張は正当である。十字軍による異教徒の大量虐殺と侵略の誤りも、他民族の収奪
が基督教の覇権主義から行なわれた歴史について、ヴァチカンはやっと認めたのである。誤りを認めるまで2千年
を要したわけだ。しかしそれ以後、減退にいたるまで基督教徒の差別心情とそれを正統とする思想は連綿と続い
ているわけである。
(後からの註①。)
レオナルトD・ダヴィンチの「最後の晩餐」展(国立美術館・6月)が開かれている。一般的な解説ではキリスト
の横にいるユダの死線が裏切りの象徴というのが通説。ヴァチカンの政治的プロパガンダは2千年も通説となって
いた。
(後からの註②)。
人間の喪失とは何か。絶滅収容所で死体から金歯やプラチナを親衛隊員がその一部を着服していたこと。死体
の口をこじ開けてる作業をさせられたユダヤ人たちの心情。そしてナチ親衛隊どもの神経は人間の想像を絶する
精神構造だったにちがいない。それを「喪失」というのだろう。
(2) Thomasの読書経験から。
a. Gilbert, Martin (1936- )
Final Journey, the fate of the Jews in Nazi Europe. London, George Rainbird,
c1979.
最後のホロコスト旅。欧州ユダヤ族の運命。
b. Gilbert, Martin (1936- )
Holocaust Journey.. New York, Columbia Press, 1997.
ホロコストの旅。
c. Gilbert, Martin (1936- )
Atlas of the Holocaust. New York, William and Morrow Co, c1988.
ホロコスト歴史地図。
d. Gilbert, Martin (1936 )
The Atlast of Jewish History. New York, William and Morrow Co, c 1969
ユダヤ族歴史地図。
e. The Holocaust Chronicle., a history in words and pictures.
Publication International, Lincolnwood, Illinois, U.S.A.,, 2003.
ホロコスト年記記録。写真と解説。
この40年に亘って僕はユダヤ族歴史に関して読み続けてきた。散在する民族の間で常に浮上する偏見、迫
害、侵略、奴隷化などに関して貴重な文献が多いと思ったから。
僕は学者ではない。だから、読みにくい書き方をする著述はできるだけ避けている。
その点において、ギルバート教授の著作は有難い存在だった。ホロコスト書籍は汗牛充棟、僕にとって全てを渉
猟することは到底できない。それで、ギルバート教授の著作を頼りに読み続けている。
ホロコスト、ユダヤ族虐殺に関して僕が一番尊敬する歴史学者はマーチン・ギルバート(Martin Gi
lbert教授だ。彼が編纂したホロコスト地図とユダヤ族歴史地図は精密な点において類がない。そして、
彼は学者言葉を使わない。
最後のホロコスト旅(a)は、全欧州22箇所に居住していたユダヤ族の虐殺連行について、彼らの運命を各
所ごとにほぼ10頁内外の短編に纏めたもの。Indexを含めて全225頁だ。
広範に行なわれた虐殺を連行だけに纏めて叙述されているから読みやすい。
ホロコストの旅(b)は僕の読書経験中、一番感銘を受けた彼の著作。読むのによほどの忍耐力を要する。彼
は事実をたんたんと語る。語りすぎると言っても良いかもしれない。説教されないから、怖い。だが、彼の記憶力は
凄い。
歴史地図二冊(c&d)についてはもう述べた。最後のホロコスト年記記録(f)は詳細すぎる。765頁
の事典だ。1933年から1946年に架けて、毎年ごとに纏めてある。僕にとっては便利な本だった。
この記事について読者からMessageを使って、連絡があれば、とても有難い。
★★★
Comments
1 ■オシヴェンチム
地獄はこの世にあると
現実に認識出来る材料でしょうね。
追記として
ユダヤ民族だけでなく
ロマ(ジプシー)民族も
犠牲になっています。
正確な数字は不明です。
*****
オシヴェンチム(アウシュヴィッツ)に
幽霊は出ません。
ロマンの欠片(かけら)もありませんからね。
綿貫朔太朗 2008-01-11 00:43:33
2 ■むかし『ショアー』という映画がありましたね
私はもちろん見てませんが、NHK で特集をくんでいたものを見た記憶があります。
たぶん、『ユダヤ』に単純な同情を感じたとおもうんですが‥そのあたりから『イスラエル』という国のイメージが定着してくると逆の感情が
わいてきます。最近日本ではあまりきかなくなったニュース(笑)の一つが、パレスチナ関連。
手元にあったホロコースト関連書籍は、私が生まれて間もない頃にでた古いもの。そのものずばり『アウシュヴィッツ収容所』ルドルフ・
ヘスの告白遺録です。
この本には、出版当時の空気のなごりとして「この道はベトナムに続いている」とあります
すたとら 2008-01-11 03:50:17
3 ■1995年。
1995年にポーランドに1ヶ月滞在しました。その間、田舎村に住み、あちこちユダヤ族の「遺跡」を巡り歩きました。あちこちに少
しばかり、ユダヤ族の人々がひっそりと住んではいました。仲間の一人が近辺の村出身で、母親が殺されましたが彼はアメリカに居た
ので何もできなかたと言いました。
アメリカ籍の親友が僕に皆殺しになった親類が住んでいたシレジアの町を訪ねて写真を撮ってくれと頼んだので、東北のシェヅルチェ
からワルシャワ経由でカトヴィーチェまで汽車で行き泊まって、その町も歩き回りました。1万7千の町だったけど、ユダヤ人は3名だ
け残っていました。
そして、アウシュヴィッツも訪ねました。
そのうちに、僕の訪問報告を書きましょう。
Thomas
thomas-penfield 2008-01-11 10:38:44
Diary.
(1)
January12. Saturday.
薬害C型肝臓炎。
友人二人と一緒に輪読している朝日新聞12月25日号が最終番の僕に回ってきた。今日は米国
日付で11月11日。だから、17日遅れている。それでも、こうし手、丹念に読めるのがとても有難い。(年
金生活の僕には朝日新聞をこちらでとる余裕がない。)
18頁に薬害C型肝臓炎訴訟の原告団・弁護団が24日に、(1)福田首相が「全員一律救済の議員
立法を指示したことを受け、(2)法案に「国の責任と謝罪」を盛り込むよう求める意見書をまとめた、とある。
読みながら、奇異な感じを抑えられなかった。被害者・犠牲者である原告たちの地方にはその地方国会議員が
居るはずだ。
その国会議員たちは一体なにをしているのだろうか?現在まで読み続けた僕の感想では、法定と行政府と原告
団が纏わり、立法府のご連中は、「我不関エン」と完全に欠落しているらしい。
メディアが少しばかり騒いでいるのは理解できるが、これがアメリカだったら立法府の議員たちがわいわい公聴会を
開いたり、被害者たちに面接し、行政府に働きかけて、「立法」責任を果たすはずだ。
酷く間が抜けている状況だと思う。
でも、アメリカの僕に詳しい事情がわかるはずがない。
門外漢の僕は無駄口を叩かないで、黙っているべきなんだろう。
(2)
昨日午前中にブリンモア病院分館にチャックと二人で行って、栄養士から糖尿病食事について指示を
受けた。彼女の知識、データ解析の鋭さ、指示の明瞭さに驚いた。
毎日の食事1400カロリーを取ること、炭水化物、プロティン、脂肪摂取に注意した一日六食のMenuを
面接中に説明してくれた。
Xmas以後のこの二週間、血糖値は130から100まで下がった。だが、今後はコレストロルと塩分に気
をつけなければならない。そして体重が5kg減った。
★★★
Comments
1 ■私もよくは知りませんが
地域ごとに働きかける→地域ごとに分断された原告団をつくる、ということは、どちらかといえば不利になるのかもしれません。
全国一枚岩となった原告団がとった戦略は、責任の区分としての国→負の系譜としての厚生労働省と、救済策をもって決着をは
かってくれるべき国→現内閣という対象分けを、イメージ的にも明確に行ったことです。
これはどうやら成功したようです。
すたとら 2008-01-12 22:48:47
2 ■私もよくは知りませんが
地域ごとに働きかける→地域ごとに分断された原告団をつくる、ということは、どちらかといえば不利になるのかもしれません。
全国一枚岩となった原告団がとった戦略は、責任の区分としての国→負の系譜としての厚生労働省と、救済策をもって決着をは
かってくれるべき国→現内閣という対象分けを、イメージ的にも明確に行ったことです。
これはどうやら成功したようです。
すたとら 2008-01-12 22:54:59
3 ■医療に伴うリスク
そもそも国の責任を問うというのが、日本的な考えですね。アメリカだったら、血液製剤を売った会社が訴えられると思います。
このような報道をみていつも気になるのは、現在の医療レベルで過去の出来事を judge している点です。実際に目の前に血液製
剤がなくては助からないかもしれない人がいて、「血液製剤の明らかな benefit」と「心配だけど、まだ因果関係が証明されていない
薬害」を天秤にかけて、当時の医療現場で血液製剤を使いつづけるという判断があったのです。薬害の疑いがあったけど、薬害でな
かったという事例もあるので、薬を簡単に発売中止にして恩恵をこうむるはずの人が困るようなことは避けなくてはいけません。
医療は risk and benefit のバランスの上で成り立っているということを、マスコミをはじめ世の中の多くの人々は理解していない気
がします。原告団の人たちには、「では、血液製剤を使わずに助からなかったほうがよかったですか?」と聞きたいです。
kitty 2008-01-13 19:25:13
4 ■責任の問題。
Kittyさん、なるほどね。確かに血液製剤を売った会社がアメリカでは訴えられて、報道機関がその次元で云々すると思いま
す。
お国柄の違いがたしかにありますね。そして、その次元で、立法部門も介入するかもしれない。
thomas-penfield 2008-01-15 01:05:00
Diary.
January13. Sunday.
父が造った模型。僕たちの居間、近況。
四十年前に、まだ父は還暦直後で既に隠居していた。というよりは、当時の韓国社会では老頭児(ラオトル)
で隠居せざるを得なかった。彼は青年期を日韓合併十年後に迎えた、そして勿論不遇なまま一生を終えたと言
って良い。隠居前に、彼はソウル大学と漢陽大學で講師として教鞭はとったものの、韓国社会からは停年期を迎
えた老人として既にはみだしていた。
暇潰しにかれは、この五重塔や慶会楼モデルを設計図から書き始めて、全てを木材から手で作り上げたらしい。
とにかくこみいった手法だったようだ。当時ミシガンに居た僕に彼はこの二つを空輸してくれた。彼は1975年に
78歳で亡くなった。
忠清北道の旧家に生まれた彼は純粋な坊ちゃん育ちで、金銭の扱い方を終生覚えなかった。母が医師として診
察しながら、一家の家計を支えたのだ。今になっては、もうどうでも良いことだが。母も同様な育ちだったから、僕た
ち一家は奇妙な家庭だった。
新潟のJoseph君が呉れたカメラの良性能のお陰で居間の室内写真が撮れるようになった。この写真は
暖炉の写真。Epiphanyはもう過ぎてしまったが、Xmasの飾りはまだ暖炉にかけてある。
突き当たりのデスクが僕の居間デスク。右側のBuffetはスエーデン製。まだ北欧製家具がアメリカで売り
出されたばかりで、スエーデン家具会社が売るのに四苦八苦していた時期だった。それで、このBuffetは
二束三文で買った。今じゃ相当に値が張ると思う。なにしろ、僕たちは1㌦が360円の生活をしていたのだから、
世界が全然違っていた。
3000ドル出したら、日本から輸入された、茶室一軒が買えた。そんな時代だった。
★★★
Comments
1 ■エピファニィって、
ずっと人名だと思ってました。英語のポップミュージックの歌詞で「救世主の出現」とも訳されていたりします。一月六日、公現祭を知
ったのはつい最近です。
すたとら 2008-01-13 00:20:02
2 ■陽暦と陰暦。
基督生誕神話を陰暦と旧暦とで定める差なんでしょうね。事実ぼくもエピファニイって単語が煩雑でした。ギリシアとロシア正統教会
では今でも 1 月 7 日がクリスマスですね。ハルピンでは昔行列のあとスンガリ河の凍った表面を司祭が金色十字架で突き刺す瞬間
に聖化し、善男善女が裸で飛び込んだものでした。
thomas-penfield 2008-01-13 05:27:43
Diary.
January14. Monday.
アボット夫人宅夕餐。高木惣吉 (日米通信)。
仲間のアッボト夫人が友だちのジム夫婦と僕たち二人(チャックと僕)を夕餐に招待してくれた。ジムと僕は教会
の給食活動で一緒に協議し行動してきたが、奥さんのスーにはあったことがなかった。ジムとは病院体操で知り合
った。二年前だったか僕は給食活動の模様体操中にジムに話したことがあった。それが契機で、彼は彼が働く銀
行の友だちを組織しTeamをつくり、Team memberが一人か二人昼食時間を利用して食堂で
働く組織を作り上げ、感謝祭にはTeam全員総動員でご馳走をつくり、給食ゲストたちを食べさせ、クリスマス
には相当な寄付金を仲間で集め、クリスマス前に教会に給食活動資金として贈ってくれている。
アボット夫人は5年前に夫を失ったが、くじけずに毎月国務省の依頼で近東、ロシア、東欧からの視察団やら訪
問客を個人的に饗応している。日本人視察団もしばしばお世話になる。(その場合、殆ど毎度僕が日本語通
訳を受け持つわけだ。)
これらの写真は彼女宅の応接広間(上)と入口(下)。階段は寝室がある二階へつうじる。向こうの部屋はア
ボット夫人の書斎。
ジムとスー夫婦。部屋が暗かったために、あまり上出来な写真ではない。ジムは今年の春隠居するそうだ。スーさ
んは大學図書館の司書。
チャック。応接間の内部は非常にアメリカ的に装飾されているが、アボット夫人が大好きな浮世絵美人が眼につ
く。
食卓は毎度のようにきちんと整えられ、美しく飾られていた。アントレは肋骨つき豚肉の丸焼き。僕がCurve
した。食卓の首席に座っているのがアボット夫人。左がチャック。右側がスーさん。
★★★
★ しんやから。
Sent: Sat, 12 Jan 2008 9:50 pm
日曜の午前中は回線が混んでいるのかエラー表示が出てメールが読めない。仕方がないので一方的に書く。
嶋名が海軍少将高木惣吉の自伝を読んでいて、いろいろ電話で通報してくれる。貧乏で小学校しか出ないで、
それでも海兵、海軍大学を出てフランスに留学する。結核にかかり結果的の傍系を歩み、それが省部に残ること
になり、軍略にかかわることになる。早くから戦争回避、後には終戦工作にかかわり、戦後には海軍関係の著作
を大分書いた。三国同盟に陸軍が乗り出し、大事な会議に秩父宮を担ぎ出そうとしたとき、西園寺公爵の秘
書、原田熊雄に相談したら、彼から西園寺を通し宮内大臣、天皇に話が通じ、秩父宮に慎重にせよとの話が
あったそうだ。陸海軍の対立はずっと続いているが、陸軍には良識的な人物がまるでいない。これではまともな政
策が出てくるはずもない。 午後12時。
★紐育の金さんから。
- 「陸軍には良識的な人物がまるでいない。これではまともな政策が出てくるはずもない」
西郷隆盛は 日本で 不動に 尊敬されている 人物です。 しかし 明治新政府の 順調な 進行を 正面
から 反対して 征韓論を となえて 波紋を 起こして 明治政府に 参加できませんでした。 反乱者ですが
反乱者として 非難されてもおりません。 西郷隆盛は まさに 「陸軍的人物」でした。 日本の 不可思議で
す。 方向としては 間違っているが 一時の 英雄は 高く 評価する 伝統があるのではないかと 思います。
倫理性の 問題かとも 思います。 身内の 倫理が 強いのが 日本の 心性のようにも 思います。
西郷
隆盛は 反逆者なのか 愛国者なのか?
★
Thomasから。
高木惣吉という名前は聞いた事もない。当時に陸軍と海軍の相克狭間で暮らしていたのだろうけど。秩父宮へ
の天皇の注意発言は聞いたことがある。高木の評伝を島名はどうして読むことになったの?日本の陸軍と海軍の
分裂は僕にとっては不可解な状態だ。分裂していたのは知っているが、それが、具体的にどうなっていたのかが理
解できない。
このあたりの情報については、僕自身としてははもっと読み続けるほかないだろうね。日本はあまりにも遠すぎる。
★
しんやから。
金さん、
西郷隆盛とは難問ですね。反逆者だから悪いことになっているけれど、確か、明治天皇によって罪は許されたと思
います。それはともかく、伝説化していましたね。西郷星という星が出たとか、さまざまです。薩摩では郷土の英傑
です。いま、NHK でやっている大河ドラマには、幕末の西郷が出てくるらしい。しかし、日本陸軍は山県有朋が作
ったと思います。薩摩より長州です。しんや、日曜日、 19時半
★★★
Comments
1 ■西郷隆盛ですか
武士という階級はずっと日本では少数でありつづけたにも関わらず、日本人の多くが先祖のはなしになると武家をもちだします。不思
議ですね。
そういう羨望を集める武士/氏族の、最後の英雄なんでしょう。
またその生涯から‥判官贔屓なんですかね、義経と同様に大陸へ逃れたという話があったと記憶します
すたとら 2008-01-15 05:19:23
2 ■欧州でもアメリカでもそうですよ。
もともと農民や町民が主だった英国移民や欧州移民の貴族羨望も相当なものですよ。英国の階級差別は殊に凄い、あそこでは
一寸口を開いただけでアクセントがすぐ分かる。VonやDeを地名にくっつけた貴族名前が尊敬されるし、アメリカの秘密結社は
とにかく騎士的服装やらしきたりが大好き。だから、VaticanもPapal伯爵だとか公爵だとかの尊号を少し前までは成
金に与えていたようです。僕がそんなことよく知ってるわけじゃないけどね。
こちらの英国末裔には、アングロ・カトリックが殊更に酷い。前に載せた、Bridehead Revisitedを覚えてる
でしょう?
thomas-penfield 2008-01-15 08:25:32
Diary.
January15. Tuesday.
糖尿病朝食。ヨセフ君から夕餐についての手紙。
日曜日。1月13日。
今日は僕が11時半ミサ直後の茶話会当番。
チャックは6時半そこそこに教会に「出勤」した。彼のようなサクリスタンを持ってる教会は世界中でもそんなにない
だろう。
僕の朝食に1時間かけた。摂塩、摂炭化物、摂コレストロルとガンジガラメの身だから、せめて食事を美化して楽
しむほかない。それで、昨夜作っておいた重箱から種々の食品を取り出して、刺身皿に盛り付けた。
上図、左上から、我流京都炸醤(大根、人参、豆腐、落花生)、粒トマト、味噌煮鯖、ボックウルスト・ソーセ
イジ、大根ツマ、胡瓜、赤ピーマン、Avocado,粒トマト。醤油が使えないから、イタリアン・ドレッシングを
更にBalsamic Vinegarで薄めて、噴霧器に入れてツマに吹きかけた。
盛り付けに熱中してしまい、この写真を撮ったら、もう食欲が消えていた。笑。
この食物遊びは続けるつもり。僕のような食いしん坊にはもってこいな節食法だから。
★ 午後11時5分。
風邪を引いた。教会当番で働きながら、身体の具合が悪いのに気がついた。さすがに疲れた。疲労困憊ってのが
適当かもしれない。
軽く発熱していたらしい。それでも、やっと当番を終えて、チャックと午後2時に帰宅。すぐに床に入って静養した。
先刻起きて、pcに向かった。気分は大分よくなった。
● 日本のヨセフ君からの手紙。昨日の記事について。先日僕は彼をアボット家に連れて行って紹介した。その
思いでに纏わり、手紙を呉れた。
とむさん
日本は「成人の日」と呼ばれる祝日。というわけで、休日です。
それでこんな時刻に通信です。
夜半から雪でした。
少し積もりましたが、日中は湿り気の多い雪になりました。
この辺りでは成人の日の行事は行いません。
成人の日に成人式を行うのは、都会だけです。
アボットさんのお宅での夕餐会の様子を拝見しました。
「僕がCurveした」とありますが、とむさんが肉を折り曲げたという意味でしょうか?
(見下、註。)
私は豚肉が大好きですが、こんな大きなかたまり肉は、我が家では調理不可能です。
とむさん、暗い時には積極的にフラッシュを活用してください。
見たままを撮るためにはフラッシュを使わない方がいいですけど、人物をしっかり記録したいなら
やはりフラッシュです。手ブレも起きませんしね。
でもアボットさんの室内の雰囲気が、蝋燭の灯火まできちんと写し出されていて、とても良く伝わってきます。
フラッシュを焚いたら、こうはいきません。
テーブルの中心に置かれた花が綺麗です。
日本の生け花は(多分)正面から眺めるように生けますから、背後に回って眺めるようにはできていないと
思われます。
テーブルの中心に置くような花の飾り方は、「アレンジメント」と呼んで、生け花とは違う飾り方のようです。
「アレンジメント教室」なども盛んです。
血糖値と血圧、どうぞご注意ください。
註。これはホストの仕事。僕がナイフで切り分けて、大皿に盛ったこと。ご主人(主夫?)が亡くなっているので、
僕が主人(主夫?)代わりになった。(註。この場合、日本語でどう表現するのか見当がつかない。笑。)
★★★
Comments
1 ■ワンプレート
日本にも皿鉢(さわち)料理という一皿に全部載せてしまう料理もありますが
1 品 1 皿というやたらと皿洗いの面倒な風習があります。
コース料理の一括サービスですよね、きっと西洋的には。
それをお膳の上に並べて賓客の前に供するのですが
これもまた、前後左右がかなりうるさく決められていて
お膳全体でのバランスを重視します。
でも、この場合一人 1 膳ですから、目の前に置かれた状態で
鑑賞して食することになります。
茶の湯もお華もやはり
「この人」という賓客に最高のもてなしをする作法。
どうしても一方に顔を作ることになるのかなと思います。
日本庭園も「ここから見ると最高に綺麗」という場所があるようで
ベストショットをあらかじめイメージして用意するのかもしれません。
すいません。
取り留めのない文章になってしまいました。
monlivre21(くま編) 2008-01-16 16:47:45
2 ■MonLivreさんへ。
僕のように子供のときにアメリカに来て、こちらで育った人間にとって貴方の書きいれのようなコメントほど有難いものはありません。日
本語をある程度操れても、日常生活の常識や知恵はからっぽな洋魂和才です。どんどん、教えてくださいね。皿鉢料理のこと、でき
たら読みたいです。インタネットで捜してみますけど。
どんどん書き込んでくださいね。どうもありがとう。
thomas-penfield 2008-01-16 23:08:28
3 ■追伸。
みつけましたよ。皿鉢についての情報。
高知県にも関係があるようですね。
どうもありがとう。(2 分後。!)
thomas-penfield 2008-01-16 23:12:56
Diary.
January16. Wednesday.
★日米通信。1月14日。
● しんやから。
長女宅雪景色。三権分立。
政治と市民の関係について、君の疑問から考えてみた。
僕ら日本人が政治事情の改善を求める場合、どうするか。まずは政府に対して要求する。運動としては署名活
動をしてその署名簿を届ける。デモをする。それでもだめな時(たいていはそうだ)損害賠償の形で裁判に持ち
込む。C 型肝炎に関する裁判もそれだ。裁判は長引くので問題だが、肝炎訴訟の場合、裁判所が和解を勧告
した。要するに話し合いをして妥協しろということ。条件を裁判所がつくった。しかし、その条件が原告の希望条件
に合わなかったので拒否した。裁判の延長になりそうだったが、政府は議員立法で救済策を議会に出し、法的に
救済することになった。
このやり方が、日本の特徴だと思う。裁判所の決定は三権分立で政府は逆らえない。それに裁判所が決定した
ことに行政府が手出しできないから議員立法、つまり立法府に任せたことになる。ある意味で政府は行政で責任
を持っていない。だからこういう回りくどいことになる。残留孤児国家賠償も、同じ形をとって救済した。僕の感じで
は官僚とは法による枠から出られないから人間味のない決定になっても責任はないのだ。
● Thomas所感。
複雑だね。Kittyさんが書き込んでくれたが、日本では直接に国家行政責任になるし、アメリカでは薬品を
販売した会社が責任を負う裁判沙汰、乃至立法問題に発展するような気がする。今の僕には判断もできない。
★ Redding長女宅の雪景色。1月14日。
コネチカットの長女宅はアパラチア山脈支脈の麓森に囲まれている。今度大雪が降ったそうで、長女自宅の庭の
風景写真を送ってくれた。春に撮った写真が二枚あるので、重ねて掲載してみた。
表入り口から駐車場に入って、玄関への階段をあがった表庭。
書斎とTV室から眺めた裏庭の池。春と冬の対照。
入口を挟む表庭の雪景色。
居室である大広間の窓から眺めた裏庭の池、と言うよりは澱んだ小川。
Diary.
January17.Thursday.
費城都心名所。レディング食物市場。
もしも貴方がフィラデルフィア(費城)に来られるとしたら、最低三泊はお勧めしたい。
ホテル情報を少し調べてから、掲載しよう。ニューヨークよりはずっと宿泊費はReasonableかもしれな
い。田舎だから。泊まるのには、市庁(15番街)と独立ホール(5番街)からあまり外れない場所が良いだろ
う。
ここの美術館は紐育のメトロみたいに大きくはないけど、まる一日は結構堪能できるし、セザンヌやゴッホが見られ
る。僕が中国史をここの大學で教えた時、僕はクラスの学生全員をこの美術館に引っ張ってきて、青銅器を含む
遺物や絵画の本物を見せながら講義したものだ。要領よく全てが纏めて陳列され、中国宦官の居間や、中国
人学者の書斎の複製もあるし、お寺や茶室まで移築してある。
今日は、団体観光客が普通は見ないフィラデルフィアのレディング市場を紹介する。
だけど、昔ながらの生粋の庶民生活を満喫できるのが、このレディング食物市場。入口から入るや否や、ずらりと
並ぶ食堂カウンターに買い物客たちが群がって牡蠣スープをほほばる。
少し離れた西北農村地区から、未だに古風な風俗を固守するドイツ系農民たちが農産、畜産物の直売にやっ
てきている。上掲の写真はそういった直売店の一つ。若い女性売り子の服装と帽子が彼女の生い立ちを物語
る。
週末でなくても、この市場は相当に混む。そして、食事が格安だから、勤め人たちが昼休みになると昼食にやって
くる。
この市場の花屋は評判が良い。1975年ごろから二十年の間、八百屋と魚屋が韓国系移民によってほぼ独占
されていたが、そろそろ彼らは引き潮時期に入っているようだ。子供が育って、大學をでると皆White Co
lor職業に移るのがお決まりのようだ。
そして、これが鮨屋。60年前に僕がアメリカに来た時、紐育にも費城にも鮨屋がなかった。鮨屋が店を開きだした
のはほぼ25年前。暫く、うまい鮨を食わしてくれていたが、近頃になるとスーパーマーケットまで箱詰め鮨を売り出
している。そして、酷く不味い。
僕はもう鮨屋には入らない。日本系経営なら別な話だが。だけど、日系さんはもう鮨屋なんかやらない。笑。
これは、サンドイッチショップ。
ガラス製品店。
パン屋。
チョコレート店。
そして、広場めいた室内空間に昼食をとる人々が群がっている。
フィラデルフィアの名物食物はステーキ・サンドイッチとアイスクリーム。
アメリカのアイスクリームはフィラデルフィアが元祖だそうな。
★★★
Comments
1 ■わたしは
ここには行って見たいです。ワシントンにも行きたい。航空宇宙博物館に行きたいと思っているのです。
ミント 2008-01-17 22:07:15
2 ■アメリカ東部は複雑ですよね。
ボストン、ニューヨークNYC、フィラデルフィア、ボルチモア、ワシントンDCと並んでますが、皆さんNYCとDCに焦点をあてて、ど
ちらも 3 泊そこそこであとはさっと西海岸に移ってしまうみたい。
旅程組みに注意しなさいね。
thomas-penfield 2008-01-18 05:06:23
3 ■はい、
わたしなら西は組みません。東でじっくりします。
月の石を見たいです。
ミント 2008-01-18 19:59:55
日米通信
韓、米、日関係。我流糖尿症朝食。
January 18, 2008
● 東京のしんやから。
-----Original Message----Sent: Tue, 15 Jan 2008 6:02 am
Subject: 08年1月15日
電話をありがとう。話ができると楽しい。高齢者として意見を求められることは多くなるだろうし、率直に言うことは
大事だと思う。ただ、意地悪爺さんにはなるまいよ。やんわりとね。
図書新聞に行ったら、新しいコンピューターが設置され、オペレーターらしい人がしきりに何かしていた。初期設定
ですか、と聞いたら、DTP のプログラムでちょっと手間がかかるのだという。知っているかな。新聞の紙面をコンピュー
ターの画面でやれる。これを導入して紙面を自社で作って印刷所に渡すことになる。当然、この作業は専門家が
必要でオペレーターを採用するだろう。そのかわり、もう出張校正は必要でなくなる。しかし、明日は出張校正だ。
20時
● Thomas(ひろし)から。
やれやれ。自動化が図書新聞にも及ぶわけね。だけど、こうなると、昔流の熟練者の知識ってどんどん不要になる
ような気がしてくる。これが、マルクス元来の論理なんだろうけどね。僕の世代には熟練したれレファレンス専門司
書が居たものだ。読書家で、書物を良く読んでたし、知っていた。学生や教授がその司書をとても頼りにしていた
ものだ。
うちの司書さんなんか、博士論文が出ると、大抵「世話になった司書の名前が列記されていた。」あんなのことは
もう、廃れたんだろうね。一寸、寂しい。
● ニューヨークの金さんから。
韓国の 新任 大統領の 対日特使が 日本で 国賓待遇の 大歓迎を 受けていると、(韓国新聞が)
報道しております。
いっぽう 14日 新任祝賀に 来た 中国の 王毅特使が ”(韓米日関係を 重視する) 李当選者の
就任によって 中国との 関係が 疎遠になるという 憂慮が 一部の 報道にあるが 私は そのようには 考え
ない。 李当選者の 考えを 聞きたい”と いいました。
李当選者側は ”王特使が 言論報道を 引用したものであり 中国政府の 認識が そのようであるというので
はない”と 釈明しました。 しかし これは 外交的 表現を かりた 一種の 警告であると 見られると 韓国
の 新聞は 報道しております。
李ミョンバク(MB)の 当選依頼 韓米関係の 強化が ことさら 強調される中で 日本との関係が これも
強化されており 私が 先月 新韓日反共同盟が 出来るのではないかと 皮肉したことがありますが 韓日が
アツアツになりつつあります。 韓国の 対日 貿易赤字が 250億ドルを こえて おり 韓国の 依存度を
ますます 大きくしております。
アメリカの ネオコンは MB 政権を 歓迎しており 北朝鮮にたいする 対応が 南方三角同盟により 6者協
議が 逆行するのではないかと 危惧している なかで 中国の 慎重な 表現は 微妙な 一面を 見せている
とも いえます。 韓国内でも 中国に対する 新政府の 明確な 表現がないのを 一部では 心配しています。
財閥に 偏向しすぎているように アメリカへの 偏向が 目立ちすぎます。 それが 日本にも そのまま 出てい
ます。 いまのところ 調子に のりすぎて 占領軍のように 行き過ぎが 多すぎるとの 声も 新聞に 出ていま
す。
新大統領の 就任は 2月25日です。
● フィラデルフィアのThomasから。
金さん、韓国報道機関に関するいつものSummaryありがとう。韓国新任大統領の出現は今後の成り行
きに重要な変化をあたえるかもしれないですね。
どう日本政府が反応するかが見ものでしょう。
● タナカ通信からの抜粋。(1月16日)
(少し独断的過ぎる論調だが、要領よく纏めた記事だと思うので、そのまま載せた。記事末にSiteを記して
おいた。海外の僕たちの日本観を一応は代表すると思う。朝鮮半島を回る地政学的条件は僕の感じでは100
年前とそんなに変わっていない。)
明治維新前に戻る日本
日本人は、温暖化問題で一喜一憂する必要はないものの、イギリスが衰退し、
イギリスによる間接世界支配が終わることは、世界における日本の位置の低下
につながるかもしれない。
日本は明治維新によって、アジア最強の国になる態勢に入ったが、明治維新
は、長州藩などの維新勢力が、イギリスの地政学的戦略に乗ることを前提に、
イギリスから近代化の支援を受ける約束を取り付けた結果、起こされている。
イギリスは第二次大戦では、アメリカを自国の地政学的戦略に巻き込むために、
日本を英米共通に敵に仕立てたが、この時期を例外として、近現代の日本は一
貫して、ユーラシアの内陸勢力を封じ込めておくイギリスの世界戦略の片棒を
担ぐことが、国際社会における役割であり、戦後の対米従属も、その線に沿っ
た動きである。
アメリカ中枢の隠れ多極主義者による破壊活動の結果、イギリスの地政学戦
略が破綻し、このまま世界が多極化していくと、東アジアでは中国が強くなり、
朝鮮半島や東南アジアも中国の傘下に入る色彩を強める。すでに台湾では先日
の選挙で、中国寄りの姿勢をとる国民党が圧勝した。
イギリスの支配戦略が解け、東アジアで中国が強くなるということは、今後
の東アジアは、イギリスが中国を打ち負かしたアヘン戦争以前の国際政治体制
(華夷秩序、冊封態勢)に戻るということである。日本は、中国と距離を置き、
自ら孤立していく鎖国状態に戻りたいと考える傾向を強める(すでに日本人の
間には、その気運がある)。すでに外国人は日本入国の際に指紋押捺を義務づ
けられるようになり、日本が外人を歓迎しない体制ができつつある。
このまま世界が多極化していけば、イギリスは欧州沖の小さな島国に戻り、
日本は中国沖の小さな島国に戻る。スコットランドはイギリスから分離し、独
自に大陸との関係を模索するかもしれない。今の世界は150年前よりはるか
に一体的であり、鎖国など不可能で、経済的な国際化が逆行することはない。
だが政治的なイメージとしては、日英は大陸沖の島国に戻りそうだ。
江戸時代の日本は、必ずしも暗黒の嫌な社会ではなかったので、明治維新前
に戻ることは、日本人にとって苦しいことではない。アメリカが東アジアでの
覇権を縮小すれば、日本は自然に鎖国傾向になる。ただし、イギリスが今後、
全く新しい世界戦略を考えて実行・成功し、日本もその流れに巻き込まれてい
くのなら、この予測とは違う展開になる。
イギリスは、第一次大戦前後に大英帝国が衰退してから、現在まで約100
年間、驚くべき巧妙さとしぶとさによって、アメリカと国際社会を操り続け、
間接的覇権を維持している。イギリスの巧妙さを上回る策略で世界を多極化し、
イギリスを破綻させているブッシュ政権が終わった後、イギリスが何らかの新
しい世界戦略を開始して巻き返す可能性はある。日本人の多くは、従来のイギ
リスの戦略に気づかなかったように、今後の新戦略にも気づかないだろうが。
http://tanakanews.com/080115UK.htm
(田中宇。イギリスの凋落。)
● 新潟のJosephから、
1月17日(木曜日) JST9:08PM
とむさん
しんやさんのPCは、調子が悪そうですね。
機嫌を気にしながらでは、安心できません。
いきなり起動しなくなる、なんてことだってありますからね。
早めに手を打った方が良いかも知れません。
レディング市場の写真、今ではあの人混みをまざまざとイメージしながら
眺めることができます。でもこの市場、駆け足で通り過ぎてしまったような感じで勿体なかったなあと今になると思い
ます。
あの時は、あらゆる物が私に押し寄せてくる状態でしたから、私の情報取り入れ口は
ギュウギュウ詰めでした。飽和状態。寿司を食べてみるのも面白いし、アイスクリームだって美味しかったでしょうね。
でもあの時はそんな風に思う余裕がありませんでした。
チャックさんとはぐれないようにしなくちゃ、とかね。
それに、バレエの印象が強烈で、それに浸っていたという事情もありました。
でもやっぱり、折角行けたのに勿体なかったなあ!!
懐かしい風景を、また載せてください。
★ 費城式我流皿鉢。(皿鉢は昨日習った単語。)
1月17日木曜日朝食。
澱粉2単位、プロティン2単位、油脂1単位、見当。(野菜は心配するなと指導された。)
8週間で体重が178ポンドから169ポンドまで減った。血糖値指数、今朝は124.
今朝試みた酢海老と焼きヒラメ、トスカニイパン、胡瓜ユダヤ漬の朝食。
数日前に、前菜式に小切れパンに載せてみた。赤い苺に黄色のマスタードを添えた。
★★★
Comments
1 ■検索能力について
現代の人は、
膨大な情報から
個別の単語や用語を見付ける事を簡単にしていますが
その実、
中身を把握しているとは思えません。
口に入れているが、
咀嚼(そしゃく)出来ていない。
もしくは
全く消化していないと思います。
自分で考えると言う根本的な事が出来ていないですね…。
加えて
自分で考えていないのに
さも自分が考えたかの様に言う人の多い事…。
読解力も感情的で全く論理的でない人の方が多いです。
伝えなくてはならない時の言葉は
出来るだけ短く簡略な方が通じるのに…。
綿貫朔太朗 2008-01-18 04:21:57
回顧録
心臓移植。 スペイン国内戦争。1
January 19, 2008
★日米通信。
●しんやから。
今日は比較的パソコンの機嫌がよろしい。ちょうどお昼だが、少し書く。
今朝目をさまして窓を開けたら、うっすらと雪が残っていた。夜中に降ったらしい。これが初雪か。いずれにしても、
申し訳程度だ。夕方にあかしや会の幹事会があるので出かけるが、その前に大連会に立ち寄る。会報ができたの
で発送を委託している会社で順次全国に送る。来週末に理事会、その翌週には評議員会が開かれる。
あかしや会では、昨年の10月に宮前昭君が亡くなった。これで昨年の死亡者は3人だ。宮前君はあまりあか
しや会には出てこなかった。真面目な人らしく、会社や勤務先を最優先して生きたような人で、あいているときしか
出て来ない印象だった。
(Thomas 註。宮前君は大連中学の同窓生。謹厳な努力家。80歳に到達しないで亡くなった。)
子供の心臓病で移植を受けないと生きられない人がいて、日本には子供の臓器提供者がいない関係で、費用
を募集してアメリカにわたる人が出る。法律で本人の意思が確認されない臓器提供はできないことになっている。
だから子供の提供はないことになる。目標は9000万円で巨額だが、何とか集まるみたいだ。去年も木更津
で募金していたが、その子はもう渡米した。善意の人はいるし、こうして助かる子供がいるのはいいが、アメリカに行
かなくてはならない、ということに疑問を感じる。
電話でも話したが、日本は敗戦によっても官僚機構はそのまま残った。天皇の万世一系はうそで、何回も断絶し
ているが、官僚機構は万世数系ながら継続している。これが今やネックだ。一度そっくり入れ替えるとよくなるだろ
うけれど、今のままでは退職後の再就職までがっちりと出来上がっている。一種の利権だ。彼らは一貫して民衆を
軽侮して、衆愚だと思っている。だからよくならない。しんや、12時半
★ Thomas から。
以下のこんなVolunteer Programを見つけた。英語研修のチャンスではあると思う。
だが、予算の見積もりは見当がつかない。もしも、派遣団に加わったら、嫌でも毎日英語で暮らさなきゃならない
だろうね。
アメリカでの研修期間を含む6から
20ヶ月のボランティアプログラム
www.iicd-volunteer.org/jp/
普通人には一寸無理かな?
★★
★ ミルトン・ウオルフ、92、(1915-2008)の死去。
「誰がために鐘はなる?」に、ヘミングウエイが描写したMilton Wolff,92、が亡くなった。今日
の紐育時報(New York Times)が報じている。おそらく、これであの西班牙国内戦争の思いでも幕をとじるのだ
ろう。
あの国内戦争を通じてぼくは小学生だった。遠く離れた満州大連で。
支那事変に突入した日本(軍閥)は新京(長春)に傀儡政府をおったてあと、熱河攻略に移り、北京周囲
で、通州事件、盧溝橋事件と軋轢を繰り返した。
近衛首相は中国の長期抗戦に辟易し始めていた。
西班牙国内戦争は、やがて、(人民戦線)左翼派の惨敗で終了したが、あの戦争を欧州ファッシズムへの火
蓋を切った出来事と見做す人は多い。また、近時、共産党黒書が告発しているとおり、スターリニズムの西班牙
戦争悪用は偽善も甚だしかった。
明日に少しこの戦争に関する、感想を纏めて記事を少しばかりだが書く。
僕がアメリカ来たのは1948年。西班牙国内戦争終了からまだ10年も経っていなかった。仲良くしていた大學同
級生の姉がある殺された人民政府要人夫婦の息子と結婚していた。
連発した虐殺の記憶はまだまだなまなましかった。
(註。注意されました。僕は時代物。スペインを西班牙と小学校で習いました。
今の日本は70年前の日本と違うものね。苦笑。)
回顧録
スペイン国内戦争。2.リンコルン戦争義勇兵旅団。
January 20, 2008
★ ミルトン・ウオルフ、92、(1915-2008)の死去。
(2008年1月16日)
「誰がために鐘はなる?」に描写されたMilton Wolff,92、が亡くなった。今日の紐育時報が
報じている。おそらく、これであのスペイン(西班牙)国内戦争の思いでも幕をとじるのだろう。
スペインからは、遠く離れた満州大連で、あの国内戦争を通じて僕は小学生だった。そして、小学校教科書では
スペインを西班牙と書かされた。(何故か、今でもわからない。アルゼンチンが亞爾然丁だった。)
当時、支那事変に突入した日本は新京(長春)に傀儡政府をおったてあと、熱河攻略に移り、北京周囲で、
通州事件、盧溝橋事件と軋轢を繰り返した後、中国の長期抗戦に辟易し始めていた。(無理もない。近衛の
息子はこちらのLawrencevill私立高校の学生だったし、彼は世界情勢に眼は開けていた。)
日本兵士の中国体験を火野葦平が「麦と兵隊」で描いている。1938年に改造社が出版した。
国内戦争は、やがて、人民戦線政府側の惨敗で終了したが、あの戦争を欧州ファッシズムへの火蓋を切った出
来事と見做す人は多い。そして、その背後には英米仏諸国、スターリン政権、ヴァチカン、そしてドイツとイタリアの
思惑と葛藤と暗躍が存在した。
ミルトン・ウオルフは1915年10月7日にブルックリンに生まれた。僕より14歳年上だ。大正初期生まれだから、昭
和一桁初期の僕よりずっと「ナチズムの台頭と欧州制覇」に弄ばされた人生だった。
全世界の52カ国から3万5千名の青年が労働者人権を擁護するというスペイン人民戦線政府を支持し、義勇
兵として応募し、スペインに赴きフランコの国家主義勢力と闘った。1937年から1938年にかけて、2千8百名の
アメリカ青年が国際旅団の一部としてスペインに向けて大西洋を渡った。
蛇足だが、義勇兵のなかには数名の日本人青年も朝鮮人青年も居た。ソ連籍の探偵小説家ロマン・キムもス
ペインに派遣されていた。(キムは少年期を慶応大学幼稚舎で過ごした。杉浦重剛と関係があったらしい。彼は
ソ連へ帰国後、スターリン政権により、スペインから戻った人たちとともに強制収用所にぶちこまれたあと、モスクワ
にポーランド人の妻と暮らして死んだそうだ。)
ニューヨーク市で共産党青年団団員として宣伝、扇動に熱中していたウオルフは21歳になるや義勇兵としてスペ
インに渡り、機関銃を射ち、仲間や指導将校が次々にが激戦で戦死したり、負傷するに従って、一年後には22
歳でリンコルン旅団団長にのしあがった。事実、8人の旅団長前任者の4人が戦死し、4人が負傷したという。彼
が9番目だった。
当時謳われた抵抗歌、マッカーサ元帥までが触れた。
http://lacucaracha.info/scw/diary/index.htm
この紹介的記事で、スペイン戦争の全貌を描くことは勿論不可能だ。Ernest Hemingway
のFor whom the Bell Tolls”が典型的な描写だ。Lincoln Brig
adeの団員には、James Lardner, Joseph Vogel, Ralph F
asanella, Conlon Nancarrow, Edwin Rolfe, Alv
ah Bessie, Phil Bard, William Lindsay Grasham
などが居るが、詳述しない。作家、芸術家、作曲家、映画監督などが随分入っていた。
戦後アメリカに帰還した義勇兵たちは第二次大戦中は比較的無事に生き延びたものの、アメリカとソ連との関係
が悪化して、赤狩りが盛んになるや冷や飯を食わされ続けた。危険思想の持ち主とてして、ソ連のスパイとしての
嫌疑を受け続けた。皮肉にも、彼らにはスターリン嫌いが多かったようだし、スペイン戦争中もソ連側工作者は無
政府主義的色彩の強い彼らを眼の仇にしてもいたそうだ。
あと十年で、この人たちの殆どがこの世を去ることだろう。
リンコルン旅団の人々の彼らの多くは、あのころのアメリカの良心でもあった。
★ 日米通信。
●
新潟のJosephより。
1月18日(金曜日) JST7:52PM
とむさん、
レディング市場について。
とむさんの掲載した写真のように、民族衣装のような服と髪飾りの女の子の売り子が、確かにいました。 何やら
古風ないでたちで、そのお店の、いわばユニフォームなのかと思っていましたが、 彼女たちの出自を物語っているわ
けですね。 ますます、もっとゆっくりと眺めてくれば良かったと思います。
アメリカに行ってきたと話すと、みんなビックリします。 1人で行ってきたと話すと、もっとビックリ。
行は、そんな具合に、普通では考えられないような体験だったんです。
私のアメリカ旅
どれほど感謝しても、足りないですね。
寒い日が続いています。 ここ2日ほど、雪が降りました。 少し積もりましたが、それほど続かないようです。
例
年一番寒さが厳しくなるのがこの頃からです。
フィラデルフィアも寒いことでしょう。
あの時も、家の中に居る限り外の寒さは想像できませんでした。
こちらより、確実に寒いです。お身体に気をつけてください。
★
Thomasから。
1月19日。金曜日。米国時間午前8時24分。
薄暗いうちに起きて、朝食。午前半に病院体操にでかけて、40分体操した。昨夜から、食塩抜きのChic
ken SoupをCrockpot(Slow Cooker)で一晩かかって拵えた。玉葱、豆腐、
葱、大根みじん切りを鶏肉の塊と一緒に煮たわけ。
体操を終えて、林の中を走って帰宅したが、麗らかにはれた冬日和だった。
Joseph君をこちらにお招きできてよかった。
★★★
Comments
1 ■ダリの「ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造:内乱の予感」だけわりました。
ピカソの「ゲルニカ」もこのころでしょう。
‥わかることでしか応じられないのが、もどかしいです。あなたの存在の向こうには膨大な蓄積があるのがわかるだけに。
レディングでも触れられていましたが、かつてアメリカ移民ではドイツ系がもっとも多くを占めていました。彼らの生活様式がすなわちアメ
リカの伝統のベースですが‥いまはそれを凌駕する勢いのヒスパニック。彼らはどうやらヒラリーについてしまったみたいですね。アメリカ
全域の傾向なのか知りませんが。
‥減塩もいいですが、適度なタンパク質の量に適度な塩分は必要です。消化にもわるいですし、日常的な意欲や思考にも影響し
てきますので、あまり無理はなさらぬよう
すたとら 2008-01-20 19:28:18
2 ■No Title
よくご存知ですね。そうでした。
① ヒスパニックのクリントン支持は未知数だと思いますよ。あと四半世紀で、ヒスパニックは多数派時期に入るかもしれないし。
② 糖尿病食事には四苦八苦しています。知らなかったことばかり。でも、良い勉強になりましたし、僕自身の生活に規律がすこし
できたみたい。「耳従」、どころかね。笑。
thomas-penfield 2008-01-21 12:47:52
Diary.
January17.Thu.
費城冬夕の雪。(米国時間 1 月 17 日) 日米通信。
木曜日、1月17日。夕暮れ。
平和な一日だった。チャックは朝、例春の歯科医検診。問題なし。そのあとBryn Mawrの本通をうろつ
いて帰ってきたが、本通がどんどん過疎化し寂れてきているそうだ。今まで、お金持ち顧客を相手にしていた種々
の店がどんどん閉鎖している。買い物好きな彼が落胆して戻ってきた。
小商店が郊外のチェインと太刀打ちできないようだ。そして、移民3世や4世はもうキツイ、キタナイ、キライナ労働
をしたがらない。移民して這入ってくるヒスパニックはまだ資力がない。仕事を引き継がせる前代移民はもう消えか
かっている。
平和な夕食を二人で済ませていたら、雪が降り出した。天気予報によると、一晩中降り続けるそうだ。
応接居間の窓から見下ろすマノア通りを時折自動車が走り過ぎる。そのテールライトが赤く雪に写る。
後庭のJuniperに粉雪が積もりだした。
お隣りは子供10名の子福家庭。クリスマスはとっくに過ぎ、1月7日のEpiphanyももう過ぎたが、クリス
マス・ツリイがまだ窓に見える。この一家は大きなSpruce松に普通の倍は優にある色電球で飾る。
応接居間のソーファの背後に広がる大窓が何故か侘しい。だが、こうして、平和な老後をチャックと二人で静かに
過ごせるのは幸福だとつくづく思う。
Josephから戴いた日本製カメラのお陰で、綺麗な写真撮影ができるようになった。ただし、うっかりすると
写真がブレる。
★ 日米通信。
● しんやから。
きのう、古本屋のS君からの質問で、アメリカの作家ポール・ボウルズ Paul Bowles をどう評価するかといわれた。
僕には古い記憶で1955年頃に翻訳が出たことを覚えている。ところが、その作品について、映画になったこと
以外ほとんど触れていない。それで、図書新聞の縮刷版まで動員して調べた。その作品は Sheltering Skyt と
言い、「極地の空」と題されている。この作家は北アフリカに住み、長い空白の後復活したらしいが、最初の日本
紹介作に誰も触れないと言う変な紹介だ。僕はやはり最初の紹介に接したいと思い、図書館に行ったが、「極地
の空」は千葉県立図書館にしかないと言うので取り寄せてもらった。1週間後には見られるだろう。トルーマン・カ
ポーティと同じ頃早くも日本訳が出たのだから注目されていたはずだ。
● Thomasから。
驚いた。日本には読者が居るものだね。 Bowlesのことを殆ど覚えていない。
それにしても、Truman Capoteを読んだのは1947年の冬だった。ソウルの避難先宅で寒さに震
えながらよんだ。そして、Capoteの「うじょうじょ」した英語に閉口した。彼は僕とほぼ同じ歳、あの若さで売
り出していたのが羨ましかった。僕はまだ大學にも入っていない、ただの避難民だった。
Thomas
★★★
Comments
1 ■シェルタリング・スカイとは
ベルトルッチが映画化した作品でしょうか?原作もこの映画もみたことはないんですが、映画に音楽をつけた坂本龍一が好きだった
ので音楽は聴いているとおもいます
すたとら 2008-01-24 20:32:16
Diary.
January21. Monday.
I NEED HELP.
NIHONGO DE KAKEMASEN. SOREDE, EIGO DE KAKIMASU.
Dear friends in Japan,
I have a problem. In using AMEBA,
(1) If I use Explorer and reach AMEBA, I can upload photos and use them in my article,
but I cannot write in Japanese. In that case, I can use only English. (Please remember I
am using Window XP in America.)
(2) If I used Firefox and reach AMEBA, I could upload Photos but could not use them in my
article but I could still write in Japanese.
So for all these weeks, I have been using both Explorer and Firefox.,
Now I do have a serious problem. AMEBA will not recognize my name and code if I use
Firefox. That is, AMEBA will not let me log in. AMEBA will recognize my name and code
only if I use Explorer.
Hence, I could enter AMEBA using Explorer, but I now can't write in Japanese.
Could anyone help me?
I will have to suspend my BLOG altogeher if this situation contineus.
Meanwhile, AMEBA assures us that all problems have been solved. I will have no
alternative to suspend my blog and leave AMEBA if this situation continues.
Thanks for your help.
Thomas
メリノール
ボリヴィア報告。(01) デニスとケーティ。(Dennis & Katy).
January 22, 2008
お隣の娘夫婦が、ボリヴィアのコチャバンバという面白い名前の町から手紙を呉れた。
僕の人生がもう孫の代に入ってしまった証拠でもある。発信者は僕の娘のようなケイティー。幼女時代からの僕の
顔馴染みだが、もう二人の息子(6歳と4歳)の母。
メリノール(カトリック教)宣教団に子供連れで加わり、一家4人でこともあろうにボリヴィアに入っていった。現地
の小学校で教師をするらしい。ケイティーの夫婦は二人ともこちらの大學で博士学位をとった。二人とも、もう3
0を過ぎている。21世紀の宣教団も随分変わったものだ。
そして、こともあろうに、波乱に満ちているボリヴィアとは。
(註。コチャバンバ、Cochabamba、下図参照。首都Sucreスークレの左上、北東、にある町。
アンデス山脈のど真ん中。)
30年前、お隣にキャラハン一家が移転してきた。10人の子供を持つ子福家庭、奥さんは勿論伝統的な主婦で
子育てに全てを集中、ご主人は弁護士でフィラデルフィア屈指の法律会社の社員だったが、毎週毎度の食料品
買出しでさへ、それこそ大変だったのを覚えている。
ボリヴィアは30%が白人、70%が先住民インデオと真っ二つに分かれている。今度、原住民インデオが大統
領に選挙されたが、先住民は露骨な差別を甘受してきた。(見下註。)このような状態に対処するカトリック教
会の役割は微妙なんだろうと思う。
これがケイティー夫婦の四人一家。子供二人を抱ええて、インデオ貧民窟区に入り込んで数年間とは言えそこの
教育機関で働くこの夫婦にはよほどの決断があったのだろうと思う。ヴァチカンだって、このような努力には生温い
態度を示しているようだし、前任法王下に「解放神学」がご法度になったのは周知の通り。
だけど、僕たちが如何に喚こうと、論議しようと、シニカルに見放そうと、倫理のCategoricalなI
mperativeと社会正義は厳然と存在している。
彼ら二人はそう思っているのだろう。彼らはもはや30歳を越している。よほどの信仰がないかぎり、こんなことができ
る筈がない。
コチャバンバの、だだっ広い町。
現在、彼ら二人はスペイン語の集中訓練を受けているそうだ。そして、この場所の上流家庭に寄宿中らしい。
1943年に僕もメリノール宣教団の世話になった。満洲大連で。丁度、太平洋戦争のど真ん中だった。もう65年
前の昔になる。僕は当時14歳になったばかりの少年だった。1942年に、美濃部達吉博士の「天皇機関説」を
読んだことがバレテ、袋叩きに遭った。(東京のしんやはこのことを知っている。)そして、朝鮮族の僕が祖国朝
鮮を愛するのはあたりまえなことだった、だけどあの頃の日本社会ではその自明の理が通用しなかった。13歳、14
歳の子供の社会でも。
メリノールに出遭ったのはそんな時期だった。以上のことは書かない。
階級分裂と矛盾に溢れているあの社会で、この二人がどう伸び、発展し、人生を築き上げていくか、80歳の僕に
は知る由も、知ることができる由もない。ただ、僕は主の、社会正義の真実だけを信じる。
いかにも、母親のケイティーらしい。息子二人の寝室状況を撮影して送ってくれた。まだ旅装も充分に解かずに、
スペイン語集中訓練を受け、息子二人はその町のモンテソーリ小学校に入れているそうだ。今年、2008年
のクリスマスには、恐らくこの二人の子供の笑顔を見る機会には恵まれないだろう。僕はいつも擬似家族について
語る。80年の人生中、僕にとって、家族とは血縁の有無を問わず拵えるものだったから。
今後、彼らの書簡をこのBlogに掲載して行こう。
主の平安、常に彼らとともにあれ。
註。日本は9月13日に「先住民族の権利に関する国連宣言」に賛成票を投じたし、この宣言は採択された。
ちなみに、1871年の太政官布告により、アイヌは日本国籍を与えられた。1997年3月の北海道
札幌地方裁判所の判決では「先住民族」という単語に触れている。北海道の半分は国有地。 李朝朝鮮の女
真族等「先住民待遇」だって委細を読んだ記憶がない。
1871年は今から138年の昔。コソヴォ領土問題はもう300年位たった昔に遡るし、北アイルランド
はもう800年位も経った。ボスニアでの虐殺はまだ記憶に生々しい。
随筆
Invictus. 降らざる者。Wm E. Henley, 1849-1903)
January 23, 2008
Invictus.
降らざるもの。
William Ernest Henley. (1849-1903)。
翻訳、2008年、1月21日。
OUT of the night that covers me,
Black as the Pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.
漆黒の暗闇が、果てから果てまで、
この全世界を覆う。
だが、神々の誰であろうが、僕に与えてくれた
不屈のこの霊魂に僕は感謝する。
In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.
環境が齎す如何なる苦痛にも、
絶対に僕はたじろがない、悲鳴をあげない。
どんなにぶちのめされたって、
僕の頭は血みどろであるにしろ、絶対に下げない。
Beyond this place of wrath and tears
Looms but the Horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds, and shall find, me unafraid.
憤怒と悲涙のこの場所の彼方に、
陰惨な戦慄と恐怖がたなびく。
だが、幾とせも続く脅迫とはいえ、
僕は絶対に恐れまい。
It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.
待ち受けるあの(城)門が如何に狭かろうが、
判決宣告書が処罰で埋まっていようが、
僕は僕の運命の主人公だ。
僕は僕の霊魂の船長なんだ。
註。
作詩者ヘンリイは1903年に死んだ。
彼の没後、日露戦争が1904-5年。朝鮮王朝の没落が1910年。僕は1929年に生まれた。第
二次世界大戦を経て、1941年に太平洋戦争となり、朝鮮が解放されて、僕がアメリカに来てボストンの高
校でこの詩をならったのが1948年の秋だったわけだ。
この詩はアメリカ人意識の底に横たわる。知らない人は珍しい。
補注。
曲にあわせた英語朗読のサイト。少しなよなよしすぎる読み方だと思うが、英詩朗読に慣れていない方には有益
かもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=OR0NUgWfKbY
(今朝のニューヨーク・タイムスの時事批評に、共和党大統領候補のマケイン氏が少しばかり古臭いが伝統的な
米国男性だというわけで、彼の気構えを示すこの詩を掲載していたので翻訳した。)
このBlog(アメーバ)にExplorerを使うと、一応這入れるが日本語で書けない。苦肉の策とし
て、最初にWORDで日本語のドキュメントを書いておいて、英語版に貼り付けることを思いついた。今日の記
事は、その苦肉策の実験だ。
昨日のフィラデルフィアは寒い晴れた日だった。未だに、Googleを通じて
アメーバに這入ることができない。ログ・インしようとすると、半角英数にしろと繰り返すだけ。
解決できるまで、今後はWordを使って、記事を書く積りだ。1月24日付けとしてもこの23日記事In
victusを続ける。
ご了承ください。
Thomas
★★★
Comments
1 ■ヒラリーとオバマが
代表選出争いを華々しく演出していますが、実は共和党がもっていってしまうかもしれませんね
すたとら 2008-01-24 20:44:29
2 ■投稿するには
あらかじめワードなどに書いておいて、仕上がったらブログに貼りつけるという方法、もうこの時点で開発なさってたんですね。
日本で海外の友人とやりとりするとき不便なのは、英語以外の欧州語にあるアクサン記号などです。いちいち打ち込むのがメンドウ
なので日本語ワープロで単語登録しています。「なたりあ」と入れると「Natàlia」と出るようにしておくとか。メールでは英語を使います
が人名に含まれる記号は相手方のメールの署名などを使って単語登録をしています。不便ではありますがだいぶ慣れました。
fjosh524 2013-09-16 12:49:25
3 ■Re:投稿するには
>fjosh524 さん
ごめんなさい。アメブロとの連絡不調デ、シクハックしてます。返事がおくれて、すみません。
僕みたいに、日本とはなれてしまってる人間に、アメリカで日本語を使うのには、困ることが多いです。老齢生活であるのもひとつの理
由でしょうけど。極端な”日本語改革”で、常用漢字の総数が幼稚園水準になってるのも困ります。なんえて、たわごとを申しますが。
あなたの書き込みには、毎度感謝しています。
近所ののみやで一杯やりたいけど、アメリカの辺地ではまさかね。笑。
Thomas
thomas-penfield 2013-09-19 15:20:04
随筆
週課、病院体操。 Invictus.降らざるもの、別訳。日米通信。
January 25, 2008
今朝の病院体操。
朝5時に起きて朝食。どうやら、糖尿病対処食事のコツを覚え始めた。
食べ過ぎないように、全てに秤を使う。パン一切れを細切れにして茶碗に盛るとご飯一杯分になる。今朝はヒラメ
の煮物を大根ツマにマヨネーズで会え、落花生粉をふったもの。それに、アヴォカード。
暗闇を林の道を辿って病院につき、体操室に入った。月、水、金と一週間3度の週課になっている。
看護士指導員のノーラさん。もう10数年もお世話になった。
七時半に体操を終えて病院の外にでたら、もうすっかり明るくなってしまっていた。
この十字路交差点についた時、38年前に朝鮮の父母がまだ生きていて、僕をこの町に訪ねて来てくれたことを
思い出した。僕は家族のこの交差点の向こう側のアパートに住んでいた。エール大學から転勤してきたばかり、し
かも娘二人を養育するのがやっとで父母には何もしてあげられなかった。ブリンモア大學構内にアパートを一軒借
りて彼等二人を泊めるのが精一杯だった。そして、僕たちを訪ねに父母二人はこの道を往復してくれた。彼等は
もうこの世に居ない。
★★
◎ Josephから。水曜日、1月23日、米国時間、午前9時半。
とむさん
「降らざるもの」は「クダラザルモノ」と読めばいいでしょうか?
Invictus を検索して、ただ一つ見つけました。
それが以下の訳詩です。
●
私を覆う夜の中から
鉄格子の間にひろがる牢獄の暗黒
神がどんな存在だろうと私は感謝する
我が魂が決して征服されないことに
残忍な情況の手の内に落ちてなお
私はひるみもせず 大声で叫びもしなかった
運命の棍棒に打ちのめされ
頭からは血が流れているが私は屈しない
この憤怒と涙の地の彼方に
亡霊の恐怖だけがはっきりと見える
そして何年間にも渡る脅迫も
私が今も恐れてなどいないことを思い知るだろう
その門がいかに狭きものであろうと
どうして裁きのままに罰を受けることができようか
私は我が運命の主であり
我が魂の指揮官なのだ
(Thomas 註。訳者と出典不詳。ご存知の方、お知らせください。)
●
次はとむさんの訳:
漆黒の暗闇が、果てから果てまで、
この全世界を覆う。
だが、神々の誰であろうが、僕に与えてくれた
不屈のこの霊魂に僕は感謝する。
環境が齎す如何なる苦痛にも、
絶対に僕はたじろがない、悲鳴をあげない。
どんなにぶちのめされたって、
僕の頭は血みどろであるにしろ、絶対に下げない。
憤怒と悲涙のこの場所の彼方に、
陰惨な戦慄と恐怖がたなびく。
だが、幾とせも続く脅迫とはいえ、
僕は絶対に恐れまい。
待ち受けるあの門が如何に狭かろうが、
判決宣告書が処罰で埋まっていようが、
僕は僕の運命の主人公だ。
僕は僕の霊魂の船長なんだ。
● Joseph君、ありがとう。
● それから、記事にWORD文を貼り付けると、途端に日本語で書き続けることができるのを発見しました。ア
メリカで日本語文を書くってことは、とかく頭痛の種だらけ。
★日米通信。
● しんやから、
大連会報が着いたお知らせ、ありがとう。内容的には大連人ファミリーのやり取りに近くなったと思う。意図的な編
集だが、これでよかったかどうか、金さんは評価してくれたが、多少心配だ。そういえば、今朝眠っているところを電
話で起こされた。新潟県、長岡の田辺君からで、会報のたずね人の出ていた人は新潟にいるという知らせだった。
時間は7時40分、寝坊もいいところだ。昨日、雪に傘を取られそうになりながら出かけた疲れから8時間半も
眠ったことになる。
君のパソコン操作の面倒さに同情したが、新聞によると中国の検索サイト「百度」(バイドウ)が日本語サイトを
始めたと書いてあった。世界シェアは5%だが、グーグル、ヤフーに次ぐ普及度だそうだ。
それから、ガザ地区の越境騒ぎ。エジプト国境になぜ壁があるのかと思ったら、イスラエルがこしらえたのだそうだね。
現地を知らない僕らにはわからないことだ。もうひとつ、特ダネみたいなのはドイツ南西部にある米軍の病院、ラン
トシュトウール米軍病院のルポ。イラクからは11時間かかるそうだ。取材に制限があって写真もインタビューもで
きないが、次々に負傷者が送られてくるらしい。軽症者は、早くよくなって戦友の所に帰りたいと言うが、昔の軍国
美談めいて信用できない。
外は風が強く寒いが、今日は晴れたので僕の家は暖かい。日光のおかげだ。ストーブなしでいられる。これから少
し本を読んで原稿を書くつもりだ。しんや、13時
● Thomasから。
Exlorerを使ってAmebaに這入り、君の手紙を貼り付けたら、途端に継続して日本語で書かして
くださるとくる。だから、日本語で今日は書く。シンドイよこのアメリカ生活はね。それに、このアメーバ・ヒステリーとくる
と人間なみだ。笑。
イラク帰還兵士の病院待遇にはまちまちなみたいだし、実情が掴めない。昔の皇軍の白衣の傷病兵士みたいな
扱い方だ。花をもたせ、写真をとって、お涙頂戴記事で書きたてられたあと、彼等は消える。当時の帰還兵士の
ことを調べて、大學で学生が書いた博士論文が今の日本にどれだけ出版されていると思う?そんな研究課題な
んて、インテリ分際の考えることじゃないものね。アメリカだって同じさ。
だけど、この問題は深刻だよ。
昨年10月に帝国女子医専卒業生について一寸書いたら、お孫さんから手紙を戴いた。鈴鹿森近辺に暮らし
ていられるようだ。島名と明野飛行場に平原太郎のことで訪れたことを大分前に書いたっけね。あの近辺なんだろ
う?
明野の兵隊さんたちは、特攻隊隊員のトの遺跡も知らなかった。しかたがないんだろうがね。毎度太郎のことを書
いてすまないが。彼は二十歳すぎで、死んだ。そして、僕はアメリカで余生を過ごす。
★★★
Comments
1 ■そういえば
以前ステントをいれられたとのこと。血糖値がそれほど高くなくても、危険度はそのお年だとワタシの比ではありませんね。ついつい自分
を基準にしてものを考えてしまいました。すみません。
‥38 年まえといえば私のうまれたころです。
中東戦争でいまと同じく原油高であり、そしてアポロが月へゆき。人類におけるテクノロジーの明と暗の両側面が示され、より複雑で
混迷するしかない未来がしめされたころです。
いらい、根本的な新機軸は示されていないのかもしれません
ripkiss 2008-01-26 23:43:47
Diary.
January26. Saturday.
Blog・「不可視の学院」から。
★★ 不可視の学院。日本のあるBlog。
Joseph君の好意で、Invictusの別訳があることを知り、掲載されたサイトに行ってみた。その
運営者を僕は勿論存じ上げないが、面白い視野から書いていられる方だし、海外情勢について博識だと思った。
●そのHPを記載しておく。http://black.ap.teacup.com/fukashinogakuin/529.html
上掲Blogから引用。
おことわり:
以下の文章は「不可視の学院」著者の文章で、僕(Thomas Penfield)
の文章ではありません。文中の”僕”は彼のことです。)
●司教の日記 - 新潟司教の毎日の活動から。
http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/
上記は、カトリックの新潟教区の司教をしている人物(日本人)のブログ。
日本でも限られた者だけがなれる司教という地位にいるだけあって、バチカンの法王庁にも出向いて総会に参加
したりと、各地を飛び回る忙しい日々を送っている。
厳戒態勢のバチカンレポートや、日本のカトリック教会がどういう活動をしているかなど、詳しく書いてあって面白い。
この人、ブログを読む限り、熱心な宗教者であるだけでなく、かなり進歩的で柔軟な思考の人物であるようだ。
ご存じの通り、この司教さんの「ボス」である現在のローマ法王・ベネディクト16世は保守派の総元締めとも呼ぶべ
きかなりコンサバで強硬な人物なのだが、この司教さんはそんな法王の何倍もリベラルだ。カトリックと言えば、同
性愛や婚前交渉どころかコンドームを使うことさえ認めていない頑迷な宗派だが、この人の最新のブログの記事は、
HIV/AIDS 問題の勉強会について書かれている。アフリカ地域に10年近くも赴任していたこともあって、第三
世界の問題についても深い関心を持ち、国際カリタスという社会福祉関連の NGO の活動にも積極的に参加し
ている。
年齢も職業も文化的背景も自分とは全く異なる世界に生きながら、可能な限り理性的で誠実な存在であろう
としているこういう人の日記を読むことは、自分にとって大きな意味を持つ。
僕は宗教というものに全体としてはいい認識を持っていないが、良心的な宗教者というのは、特に日本では伝統
的にキリスト教者に多いように思う。寺や神社が古代からのこの国の権力構造の一部だったのに対して、キリスト
教会は常にその外側にあり、民衆の宗教として存在してきたからだろう。
ちなみに僕が幼少期を過した保育園はプロテスタント系のルーテル教会の付属で、そこに一家で住んでいたノル
ウェー人の牧師さんによく遊んでもらった。僕が生まれて初めて出会った「外人さん」だった。ヨルゲンセンという名前
のその牧師さんは日曜学校の校長も兼ねていたから、園児たちからも「先生」をつけて呼ばれていたが、みんな「ヨ
ルゲンセン先生」というのが言えずに「ヨルゲン先生」と呼ぶのが普通になっていた。確か僕が卒園してしばらくして
からノルウェーに帰ってしまったときいた。
保育園の園長先生もキリスト者だったが、本当に園児や親のことを親身になって考えてくれる人格者だった。この
人もかなり前に引退して、つい最近亡くなったそうだ。
団地住まいの僕の両親が共働きを続けられたのも、保育料の安いこの保育園があったからだ。今振り返っても、
かわいらしい園の敷地の隅々まで目配りが行き届いた、素晴らしい保育園だったと思う。保育園不足が深刻化
しているこの時代に、今でも大いに地域の役に立っているはずだ。
うちの両親は完全な無神論者だったが、僕がクリスマス会のキリストの生誕劇をやることにも悪い感情は抱いてい
なかったようだ。保育園でもらってくる聖書についての絵本などもよく読んでくれた。内容は新約も旧約もごちゃまぜ
で、子供には難しい話もあったが、自分の人格形成にはかなり影響があったと思う。教わった賛美歌も今でもよく
覚えている。
僕が今もキリスト教に対してある種の好感を持っているのも、そういう体験があるからかも知れない。
一方でイスラム教については、過去に何度か批判的なことを書いてきたが、また最近イスラムについてちゃんと勉
強しようと思い、色々と調べている。何事もきちんと知ることは大事だし、その上で冷静に批判する部分、評価す
る部分を見極めたいと思っている。
ニューエイジだのスピリチュアルだのといった詐欺師の方便みたいな即席宗教がはびこる現代世界において、人間
にとって宗教とはどういう意味を持っているのか、地域に根付いた昔ながらの宗教がどういう役割を果たし、どういう
限界に直面しているのか、その中で生きる人々が何を思い、どう生きているのか、見つめ直していきたいと思ってい
る。
● 前記事で掲載したInvictusの別訳はこのBlogから借用した。このBlog著者が訳者な
のだろうと思う。氏名不詳。
★★ Thomasより。
今後、僕(Thomas)が掲載する翻訳について、読者諸賢にお願いがある。
僕は海外の生活者で、日本語を常用していない。だから、単語の選択や、文法的な正確さ、そして言い回しの
適当さについて、毎度悩む。間違いやら、不適当な場所があったら、忌憚なく指摘していただきたい。なにしろ、
少年であったまま、東洋を60年前に離れた人間だから。
★★★
Comments
1 ■日本語も
乱れている、というよりは過渡期のようです。『日本語』につきあう専業者ならば、経済関係者やティーンの子たちとは、常にコミュニケ
ーションをとりあっているといいそうです。理由はよくわかりませんが、両方に関わっているとナマの日本語の変化の度合いと、実用性の
兼ね合いのセンスが身につくからだそうです
すたとら 2008-01-26 23:55:45
Diary. January27. Sunday.
NYC の別世界、Queens区のFlushi
ng。言葉。菱川すみれ先生。
★日米通信。
● NYCの金さんから。
ニューヨクの中国人と韓国人。
ニュウヨーク市には 5つの Borough があります。 Manhanttan Queens Brooklyn Bronx と Staten
Island です。
そのうち Queens の Flushing フラッシングに 中国人と 韓国人が 密集しております。 特に
Hongkong が 中国に 統合された後 急速に 中国人が 増えて もう一つの China Town が 形成され
て 中心街 Downtown は 中国人の 商圏となり 韓国人は 退去を 迫られて 分散しました。 中国人
は 不動産を 買い占めて Main Street を 中心にした 地域全体を 中国人の 商圏にしました。
反して 韓国人は 主に 店舗の 賃貸に 入居する 商店経営ですから
それに
Main Street から 中国人に
追い出されて 分散されてしまいました。 Flushing 地域には 中国人と 韓国人が 数十万 住んでおります。
Flushing の 韓国人と Manhattan と New Jersey の 韓国人とは 東京でいえば 山の手と 下町の
風習のような 差があります。 Flusing は 韓国的であり Manhattan と
New Jersey は 垢抜けしており
ます。 たとえば Korean Time というのがあります。 集会の 時間を 護らないことです。 Flushing は 医
者との 予約時間を あまり 護りません。 飛び入りが 普通のように 行われます。 Manhattan と New
Jersey は きちんと 護り 飛び入りは ほとんどありません。
Flushing の 医者に 行き 3時間も 待たされました。 Claim(文句)を つけたところ 医者が 困ってしま
い Flusing では 仕方ありませんと いいました。 教会の 文化も Flushing は 祈福傾向の つよい 盲信
的な 傾向があります。 多くの 生活に 古い意味の 韓国的です。 暇つぶしに 書きました。 ご了解 願い
ます。
★ 言葉。
僕は学者じゃないし、語学学者でも勿論ない。
生まれた時から、僕は他所の言葉を話すことを余儀なくされて育ったし、自分の文化そのものを中心に歴史だと
か民族のことを考えることが禁止されていた。妙にひねくれてものを書いているんではない、それが現実だった。
言葉とは学ぶものではなく、使うものだった。良い英語とは、僕にとって使えるものが良いのであって、美しいとか文
法的に正確であるかなど考える余地がなかった。僕にとって良い英語とは聴いてすぐわかる英語だったのだ。僕の
英語は英語を話す他人の真似をしているままに覚えた英語。文法はごったまぜに仕入れた情報を整理する方便
にすぎない。
そのような意味で、最近感じている日本語帰化単語に「reform]がある。
家の修理、改築、増築に関して日本では用いられていらしいが、道徳的な意味は含まれないようだ。要するに
「修理」らしい。
だが、アメリカでは、この感覚は通用しない。reformは道徳的な次元で使われる。少年感化院はだから
Reformatoryだし、改悛して見違えるようになった人間はreformされたというわけだ。
だから、家屋を修理することは、人間の修身とは次元が違う。新聞であの「リフォーム」という見出しを読むたびに、
冷や冷やする。取り越し苦労なんだろうが。(日本語でも、あべこべにだが、人間を修理するとは言わないだろ
う。)
★ Thomasより。
昨年、10月27日にこのBlogで鈴鹿森市在住、往時の帝国女子医専出身の女性眼科医、菱川す
みれ先生について一寸書いた。そしたら、昨日日本から連絡があって、お孫さんの原田すみれさんからお便りを戴
いた。
菱川先生は103歳。僕の母は1905年生まれだから、生きていたら同じ歳だ。感慨無量。そして、菱川
先生は当時朝鮮総督府留学生(第一回生)だった母を覚えていらっしゃるそうだ。
鈴鹿森はほぼ5年前に、昔特攻隊隊員として沖縄沖で死んだ兄貴のようだった「太郎」の遺跡探しに訪日した
時に、明野飛行場を訪ねたあと立ち寄った。あそこで、彼が訓練を暫く受けたことを知っていたからだ。当時、既に
知己を得ていたら菱川先生にもお会いできたのにと残念に思う。
ここで委細は書かない。太郎は日韓混血児の皇国少年だった。そして、僕とは全然忠誠対象も忠誠心も異なっ
ていた。だが、彼は僕にとっては兄貴のような存在だった。愛に国境はない。6月初旬は、現在になっても僕には
とても辛い時期だ、沖縄のことを考えるから。
★★★
Comments
1 ■江上波夫という学者さんの
『騎馬民族国家』という本を読んだことがあります。よくはおぼえていませんが、その類推でいくと、漢民族は農耕民であり韓民族は狩
猟民であるから、みたくなるんでしょうか?民族には総体としてみたときの運命と、一個人の人生がありますから。‥でも、アメリカでは
やはり属性として顕著にとらえられてしまうのでしょうか?‥って、わがニホンでもそれはあるのですが。
すたとら 2008-01-27 00:48:35 t
回顧録
スペイン国内戦争。3。Robert Capa。
January 28, 2008
★ スペイン国内戦争。3。
今月中、スペイン国内戦争について、簡略ながら触れた。勿論、あの内乱は広範なtopicでそう簡単に
描写はできない。
今朝ニューヨーク・タイムスを広げたら、Robert Capa がスペイン戦争中に取り捲った写真のネガチヴが、70
年後の現在になって明るみに出たそうだ。
●
●僕の少年期、昭和一桁時代はまだ大正民主主義の余韻が満洲の大連には残っていた。あの人民戦線スペ
イン中、子供ながら朝鮮解放を夢見ていた僕の少年期に、1913年生まれの彼は、16年後に生まれた僕
にとって、キャーパは英雄だった。
この二十歳盛りの青年写真家は、鋭敏な危険臭覚と殆ど向こう見ず的な衝動で写真を取り捲ったらしい。彼は
20世紀以後の「戦闘写真撮影」を定義した。
1939年にドイツ軍がパリーに侵入するや彼は勿論逃げた。逃げる途中に彼の3個の荷物を失くした、所謂
3個のメキシコ・スーツケイスだ。今回浮上したのはそれららしい。(思い出すのは、ワルシャワに侵入し占領した
ドイツ軍が早速検挙し銃殺したのがユダヤ族、ことにザメンホフ博士の家族だった。このことは10年前にワルシャ
ワに行った時、ザメンホフ宅あとを調べて知った。ユダヤ系のカーパも勿論そのような待遇を逮捕されたら受けただ
ろう。)
● この写真(上掲)は世界的に有名になった。キャーパは当時熱心な共産主義者だったし、無産階級勝利
のためには「やらせ」撮影も辞さなかったという。それ故に、この写真も「やらせ」だったという批評がでていた。今回、
メキシコ・スーツケースの浮上で、この写真由来の謎がとけるかどうか世間は気にしているそうだ。
繰り返すが、キャーパはハンガリア生まれのユダヤ青年だった。彼の少数民族への関心、ほぼ衝動的な左翼思考
は彼の出自をおそらく物語るのだろう。亡国民族の彼は僕のモデルだった.
1940年前の支那事変初期に彼は従軍し撮影もしている。
1950年に彼は日本を訪れた、日本で彼は雑誌Lifeから当時仏領インドシナと呼ばれていたヴェトナム
に行くことを頼まれて引き受けた。当時、フランスは旧植民地だったヴェトナム奪還に夢中だった。1954年に
彼はヴェトナムで地雷を踏んで、死亡した。
★ 有名な彼の一口話。
1.If your pictures aren't good enough, you are not close enough.
写真が駄目なのはさ、お前が充分に近寄らなかったからだよ。
2. It's not enough to have talent, you also have to be Hungarian.
素質だけじゃ不十分、ハンガリア生まれじゃなくちゃね。
3. The truth is the best picture, the best propaganda.
最良の写真とはね、最良のプロパガンダなんだ。
4. The war is like an actress who is getting old. It is less photogenic and more and more
dangerous. (World War II).
戦争って老いてきた女優みたいなもんだ。だんだん写真の写り栄えが悪くなってね、だんだん危険になってくる。
お詫び:Capaを日本語でどう書いてるかわからないので、カーパと書きましたが、キャーパないしキャパとなっ
てると友人が教えてくれました。それで、訂正しました。カタカナ表記が僕は苦手です。
★★★
Comments
1 ■こちらでも大規模な写真展が何度か行われています
キャパと訳されることが多いです。たしか、弟さんも有名なかただったんじゃないでしょうか
すたとら 2008-01-28 05:12:16
2 ■No Title
そうですか。やはり日本ですね。弟も有名です。
よく調べたことがないけど、Cabaの生い立ちはローマニアのTransylvaniaと関係があるらしい。
あそこ出身のユダヤ人親友が居たけど、亡くなってしまった。
Thomas
thomas-penfield 2008-01-28 05:31:21
3 ■Life
去年、なにげなく入った古本屋に Life のバックナンバーがありました。1930 年代から 1950 年代のものでした。日本人や日本の風
景が表紙になっているものが 4,5 冊あったので迷わず購入しました。日本についての記事の中に、「切腹の作法」があり、驚きまし
た。昔の人たちがどんなことに興味があったのかをうかがい知ることができる、貴重な資料です。
1922 年出版の世界地図帳とならんで、Life は私の宝物です。
kitty 2008-01-29 11:41:25
4 ■Thanks.
凄い。古本屋で、ライフ雑誌を見つけたのですね。日本に流れ込んだライフは当時限られていたと思います。アメリカでも、あんな雑
誌はもう出ないでしょうね。だいたい雑誌経営が成り立たない。印刷、製本、問屋卸、販売のInfrastructure
そのものが消滅しだしたしね。
Kittyさん、貴方のHP siteが分かりません。Messageで教えてくださいね。
thomas-penfield 2008-01-29 14:53:44
5 ■メッセージを送りました
でも、「送信しました」というような画面が表示されなかったので、ちょっと心配です。ちゃんと送れていたらいいのですが。
kitty 2008-01-30 13:31:17
6 ■Kitty さん
メッセジがついていません。
もう一度書き込んでくださいね。
Thomas
thomas-penfield 2008-01-30 14:07:24
7 ■今度こそ!
今度はちゃんと「送信完了」と表示されたので、大丈夫と思います。アメブロに登録するところからはじめたりして要領を得ず、失礼し
ました。
kitty 2008-01-31 07:49:00
8 ■つきました。
ありがとう。Gmail で返事します。
thomas-penfield 2008-01-31 09:02:50
随筆
戦争支出。 Phillips Exeter Academy.
January 29, 2008
★戦争支出。
Congressional Budget Office, CBO,(米国議会予算局?)が以下を発表したそうだ。
2003年から2005年
平均戦争一年支出額:
930億ドル。
100.
2006年度支出額:
1200億ドル。
129.
2007年度支出額:
1710億ドル。
184.
2008年度請求額:
1930億ドル。
208.
要するに、この3年の間にイラク・アフガニスタン戦争支出が2倍に跳ね上がり、一ヶ月につき110億ドルの負
債が国全体の負債に付け加えられている。現在の全国の負債は2001年の5.6兆ドル2008年の
9兆ドルになっている。今年の利息支払いが2340億ドルだそうだ。
これじゃ米国経済の将来は暗いと思う。日露戦争で、金がなくて、戦争費用に日本政府が四苦八苦して、高
橋是清をロンドンに派遣して、彼が頭を下げまわった昔を思い出す。(日露戦争はたった1年でドンドンパチパチ
が終了。この戦争はもう7年目だ。)
僕は経済情報が苦手だが、あと一年以上もイラクで粘るとしたら、一年につき2000億ドルはかかるだろう。そ
れも支出実費総高なんで、最低限なんだろうが。「どこまで続く、泥濘ぞ」どころの話じゃないようだ。
★ Phillips Exeter Academy.
フィリップス・エクゼター学院って名前は日本の読者には馴染みが薄いだろう。僕が卒業したダーツマス大学の近
所にある私立高校だ。
前置き:
米国独立前後に創立され、在学学生数が僅かに1096名。キャンパスが500エーカー、1エーカーを1
224坪とすると、500エーカーは61万2千坪となる。19科目の講座を運営するが、講座総数が45
0。教師一人につき平均学生数が5名。
ダーツマス大學に僕が在学していた時、この学院から卒業生が数名入ってきていた。化学の質分析を二年生の
時にやったが、隣の学生がこの学院出身だった。僕がやとこさの思いで第五番目の実験をしていたら、彼は全2
5実験を終えて、さっさと帰ってしまったのを覚えている。
現在の授業料は寄宿生年額$35250、日通い$27450。外国人学生、10%。非白人学生3
5%。白人学生55%(推定)。(非白人学生比率が大きいのは恐らくアジア系が多いからだろうと思う。)
72%が寄宿生だ。
数多の米国政府要人がこの学院を卒業しているし、ハーヴァードやイェールの予備校的存在でもある。
★昨日僕が読んだ記事。Phillip Exeter Academy.
紐育時報からの記事抄録、土曜日、1月26日。
米国南部ルイジアナ州の田舎町セント・ローズから14歳のカーチス・ローズ君が2年前にフィリップス・エクゼター
学院に入学した。貧しい家庭の出身で、学院に着いた時、スーツケイスにズボン二着とシャツ二枚ぐらいしか入っ
てなかった。到着そうそう、担任の歴史学教師が出迎えてくれたが、この227年の歴史を持つ学院では授業に
今でも正装が義務付けられている。まずネクタイが必要だし、きちんとした背広が要る。靴も。ニューハンプシャの
冬に必要な外套も、手袋も。毎日授業に出るのに正装するから、着替えも必要だし、靴ももう一足。どう見ても
正直なところ普段着のシャツとズボンだけでは足りない。
(この記事を読みながら、60年前に僕がダーツマス大學に入学した時のことを思い出して、涙ぐんだ。大學一
年前に、僕は朝鮮から着の身着のままでアメリカについた。僕もほとんど一文無しでダーツマス大學に入ったのだ。
一応衣類はそろえて入ることができたが。そして、あの大學は僕の身の回り全部一切の面倒を見てくれた。授業
料、食費、寄宿舎費全部が僕にも与えられた。在学中、ハワイ系同室生の好意で、僕は彼の兄貴がハーヴァー
ドで使ったタクシードを貰って在学4年中過ごした。以後、僕はタクシドードを着たことがない。笑)
担任先生はローズ君を連れて町にでかけて、衣類一揃えを買い整えた。このような問題を予期して、この学院に
は緊急基金が拵えてあるのだ。
このような衣類基金は、学院が学生の為に使う支出のほんの一部に過ぎない。一クラスにつき教師一人に学生
五名という比率に加えて、奨学生にはコンピュータが買い与えられ、毎年1000名の在学生に一人あたり6
万3千5百弗が支出される。勿論この金額はローズ君の一家が払えるはずがない。寄宿舎に入って食と住を授
業料を払うにしても、払う学費は3万6千5百弗だ。
このような支出を支える予算は全て寄付金によって賄われている。
●(Some independent schools have accumulated sizable endowments. Here are some of
the largest.私立高校の基金額。大きなものの一部リスト)
Kamehameha Schools, Hawaii, 90億弗。
Milton Hersey School, Pennsylvania, 78億弗。
Phillips Exeter Academy, New Hampshire, 10億弗。
St. Pauls School, New Hampshire, 8億弗。
Hotchkiss School, Connecticut, 4.4億弗。
Deerfield Academy, Massachusetts, 4.3億弗。
The Paddie School, New Jersey. 3.1億弗。
The Groton School, Massachusetts, 2.9億弗。
Albuquerque Academy, New Mexico, 2.9億弗。
出典:
New York Times:National, Saturday, January 26, 2008. A9.
風景描写
病院体操への往復道程。(月、水、金と週に3度。)
January 30, 2008
★ ブリンモア病院への道程。
月、水、金と週に三回僕は病院体操に朝午前6時にでかける。フィラデルフィアでの一月の朝はまだ暗い。
私宅裏庭の駐車エプロンを出て、この路地を伝い、僕たちが住む低い丘を下を流れる小川がある谷間に向けて
下る。(右側に見受けられる二つの三角形屋根はお隣り二軒の隣接する車庫。)
病院へ行くカラクング路は小川を挟む林の中を西に向かって奔っている。このような森閑として道路が2キロ近く
続く。ペンフィールド村はこの公立公園で恵まれている。この川沿い風景は僕を毎朝楽しませてくれる眺めだ。こと
にせせらぎが楽しい。
やがて、公園をでて店舗がならぶ商業区を過ぎ、住宅地帯に入り3キロぐらいハヴァフォードの住宅地を走る。
ブリンモアの町はハヴァフォード町に隣接している。ともに、もともとはクエーカー教徒が設立した町だ。二つとも町の
名前を冠した大學がある。ハヴァフォード大學には今上天皇がまだ皇太子だった時に、訪問してくれた歴史をもつ。
訪問したあとに送られた銀製の皿があったが、盗まれたと館長さんが随分まえに僕に話したことがある。
この通りは二つある黒人通りの一つ。まだ奴隷制度がペンシルヴェニアにも存在していた昔、クエーカー教徒たち
は黒人召使たちのためにこの区域を開拓して保護した。1700年代の話だ。爾来、この二つの通りは現在に
なっても黒人が住む。民族的に摩擦がない稀な混住区域でもある。
やがて、ブリンモアの町にはいる。この家は僕の相棒チャックの祖父が1890年ごろに建てた家。彼の伯母さん
や伯父さんたちが、彼の少年時代に住んでいた。左隣に連なる独立家屋3軒にはみなチャックの親類が住んで
いた。チャックの生家もこの近くにある。でも、もう時代が過ぎた。彼の親族も今では散り散りばらばら。
暫くして、病院に着く。
日米通信
ブッシュの国政演説。米国私立学校。
January 31, 2008
★ NYCの金さんから。1月29日。早暁。
1月28日に Bush 大統領の 国政演説がありました。 AOL の 世論調査が 現在の 時点でありました。
参考に お知らせします。 Copy が できませんでしたので 書き写しを しました。
The State of Union 国政演説を あなたは どう 評価しますか?
Poor 取るに足らない
56%
Fair
まあまあである
19%
Good 良好
16%
Excellent 優秀
9%
総投票
77,075
Bush の 課題(Agendas)を Bush が どの程度 達成できると あなたは 思いますか?
None
A little
A lot
全然 出来ない
少し
57%
32%
沢山
11%
総投票
69,645
Bush の 業務 達成度を どのように 思いますか?
Poor
Good
貧弱
66%
良好
14%
Excellent 優秀
11%
Fair
9%
まあまあ
総投票
86,943
Bush 政権の 方向が 変わったと 思いますか?
It's more negative 悪くなった
64%
It's hasn't changed 変わっていない 25%
It's more positive
積極的になった 11%
総投票
74,114
10:00pmの 時点です。
アメリカの 金融危機の 根本的問題は 戦争です。 アメリカの ドル飢饉は 深刻です。 金利を 0.75
さげさましたが この次には 0.5% また 下げるそうです。 アメリカ国債に 投資する 資金がなくなります。
海外の 株式市場に 投資している 金融資金が 回収されるようになると 世界の 株価が 暴落します。
世界から 借金して 戦争をしております。 そのうち 戦争資金も なくなるかも分かりません。 韓米同盟の
強化が MB 新政権の 課題です。 日本も アメリカが 頼りです。 国益を 無視した 同盟はありません。
忠臣蔵の 時代ではありません。
★ 日本在住、大連中学先輩の新木さんから。1月28日。
今の日本の情勢はわかりません。各新聞の一面の記事を見ても同じものはありません。
平和だからでしょうか?新聞記者は悩んでいることでしょう。政策無くして、政局ばかり。
両方に信者がいるのだから、極端の発言をすれば、発刊部数の減少があるだろうから。
大勢に影響のない、横綱の相星決勝戦・ハンドボールの再試合・NHK職員のインサイダー取引等々である。
聞きなれないことばかりなので、ラジオの説明はいい加減である。俄か解説をしているので聞くに堪えない。
こういう時こそ、世界に秀でた技術、歴史、地方に埋もれた偉人、義人の紹介をすればと思う。
身内の殺人ばかりを喧伝している。人間は近いものほど関係が深いのだから、やむを得ないだろう。
もっと夢を持ちたい。見る物、聞く物に温かみが欲しいし、また作らなければならないと思う。
見えるところに花を植えることも、その一つだろう。
日本では外国からの観光者が増えていると言っている。これは小泉前首相の提唱だった。
私が行った観光地も同様だった。特に中国人が増えている。台湾人かも?政府と民間は異なるものだ。
★ Thomasから。
ブッシュの国政演説は馬鹿馬鹿しいし、聞き飽きたから視聴もしなかった。
上掲の欄で、NYCの金さんが結果を纏めている。
★ 日本のJoseph君から。昨日記事について。
とむさん
Blogに、変なコメントがくっついています。お金がどうの、って。
何処かの「いかがわしい」勧誘の一種でしょうか。
でも、Blogの内容とまんざら無縁でもないような感じです。
お金に関しては、実感をもって受け止めにくいですね。
戦費が1000億ドルを超える。
日本円では11兆円。11ちょうえんと言うとぉ・・・なんて考えること自体、
金額の巨大さを持て余しています。こんな金額をあれこれあげつらう判断基準が無い!
すごい支出だと思いますが、そっくり儲けているヤツがいるということが気になりますね。
一方、私立高校の基金について。
お金もさることながら、こんな高校で学ぶ高校生の学力は、桁違いに高いんでしょうね。
日本の教育システムって、どうもアメリカあたりの成果主義を導入して、学力を高めようと
躍起になって現場を締め付けていますが、アメリカを支えているのはこんな学校を卒業した
人材達だということがどの程度理解されているんでしょう。
日本の公教育って、立派に機能していると思うんですけどね。
不登校もいじめも、躾のできない親とその子どももいます。
いつ崩壊してもおかしくない学級の秩序の中で、それでも子どもに一定の学力を保証しようと
公立学校の先生達はみんな頑張っていると思うんですけどね。
これ以上どうしろと言うんでしょう。
・・・・と、我が身に引き寄せて考えてみました。
★ Thomasから。
Phillips Exeter はたしかにアメリカの成果主義の一例だけど、「お金の使い方を」しってる成果主義だと思います。
出来る子を見つけたら、金輪際くっついて世話して育てるし、駅弁小学校だって出来る子がいるとなると職員を
派遣し徹底的に勧誘する。これは投資の仕方だと思います。担任の先生があの子を連れて町にでて、必要な衣
類を全部買い整えたなんて話は特別じゃなくて、ざらです。勿論学生がたった1000人の学校だからそんなこ
とができるわけだけどね。
正直に言えば、現在の日本の公立学校教育には擁護者が上に居ません。それが、問題だと思います。日本の
公立学校教育は世界に誇れるものでした。明治の日本には、先覚指導者が多くいました、ヘンテコな方向に国
の将来を導いたといえば、それまででしょうが。
英米社会に一生浸され続けて生きた実感としては、明治・大正時代の日本政府教育政策は凄かったと思う。
初等教育を強調し、実力次第で人材登用ができる組織を作り上げ、公立高校はエリート養育に限定して程度
を世界一級程度に引き上げだ。
戦争終末期に僕は一寸旅順旧制高校で経験したけど、あそこで受けた生物学、英文学、ドイツ文学の講義の
程度はこちらのエリート高校なみでした。嘘ではありません。
ブリンモア大學でもね、一年生は一週間に最低二つの論文を提出することを強要されています。(そろそろ、緩
みだしてはいるけど。)学生が僕の部屋に来て、泣きべそを50年かいていたのを思い出します。論文の書き方
は、苛酷なぐらい強調している。今の日本の大学の比ではありませんでした。
★日本の丸山エリさんから。(彼女は僕の大連中学同窓生の娘さん。)
トーマス、ブログのお話、感動しました。
経済的に恵まれなくても、学力さえ秀でていれば
入れる私学が、あるのですね!さすがアメリカですね。
最近の学校は、少子化で、
親も教育には(無駄な?)お金つぎ込む印象のほうが
強くて、儲け主義の学校がわんさか立ち並んでいる感じして
ましたが、原点に立ち戻らされた気がしました。
でも、貧乏でも能力のない子は?
またまた悪循環。。。
だからこそ、稀有な事として、新聞で取り上げられたの
かもしれませんね?
★Thomasより。
そう、稀有ではありますね。だけど、全国にPhillips Exeterのような学校があちこち散らばっ
ているのですよ。アメリカでの、私立学校の存在はもっと知られるべきでしょうね。
ブリンモア大學のすぐ傍に、くっつくようにして二つの私立学院が立っています。
Bowdoin学院とShipley学院。Shipley学院は御馴染みかもしれない、JD サリ
ンジャーの「Catcher in the Rye」に出てきます。そういえば、サリンジャーが学んだVal
ley Forge 軍事学院も私立ですよ。フィラデルフィア市内になると、もっとあります。いずれ、このことに
ついて記事を書きましょう。
今までの日本の教育制度の美点は、公立を強調して、私立の必要が一応なかったことでした。東京の私立は成
金のお坊ちゃま用で、もともとうすのろ用だったかもしれない。英米は厳然とした階級制度を前提としていて、あそ
この学校は水呑百姓の息子なんて相手にしなかった。英国は今でもそう。(日本は相手にした。)
米国は日本制度と英国制度とのCompromiseだと思う。
★ Thomasから。
そうそう、忘れてました。1948年に僕がボストンに一文無しでついた時、養家シェイ家に居候しながら、僕は
ボストンのCopley広場にあったNewman高校で学びました。姉マリオンの仲介で、僕はここに給費
性として入学、一年間授業料免除の恩典に浴しました。結局僕はアメリカでの少年生活5年間を通じて、無
料で高校と大學を卒業させてもらったことになります。ダーツマスの場合、卒業してから、もう一年ミシガン大学の
大学院で勉強しろとミシガンの授業料まで払ってくれました。
アメリカ社会にも種々の批判が勿論ありますが、こんな反面もあるのです。僕はこの点を忘れてはいけないと、いつ
も僕自身に言い聞かせます。
● 今、水曜日、午前5時半。外では、雪でなく雨が降っている。嫌だけど、病院体操に暫くしたらでかける。今
朝、朝食前に積み重なっている朝日新聞を読んでいたら、下記の書籍が批評されていた:
(1)The age of turbulence: adventure in a new world.
アラン・グリースパン。波乱の時代、上下。日本経済出版社。
(2)戦争の経済学。ポール・ポースト。バジリ。
The economics of war. Paul Posst.
(3)ポスト韓流のメディア社会学。石田佐恵子、木村幹、山中千恵。
読むつもり。
★★★
Comments
1 ■正面攻撃?
いやいや、英語の表現力の激しさを感じました。
評価に
Poor
と書かれると、これは痛打された感じです。
真正面からのダメ出しという意味では
評価しない
なんて生ぬるさではないですね。
またひとつ、学ばせていただきました。
monlivre21(くま編) 2008-01-31 09:57:14
2 ■MonLivre21さん。
ほんとですね。韓国の世論もアメリカ式ですよね。日本社会内で僕が育てられた、「親切という名のお節介、そっとしておく思いやり」
がアメリカでは通用しないから。(微苦笑)。
ときどき、アメリカ生活の「短刀直入」に辟易することがあります。
thomas-penfield 2008-01-31 16:47:44