Ⅰ 社会参画と女性のキャリア形成事例集 4 女性の活躍による地域づくり 生涯スポーツから 広がる地域の輪 香川県 十河(そごう)校区女性の会 会長 吉田 静子(よしだ しずこ)さん Profile 大学卒業後、県教育委員会非常勤講師 として勤めていたが、結婚を機に退職。そ の後は警察官である夫の転勤に伴い、県 内各地へ転居を繰り返していたが、30 代 に入り高松市内に居を構え、自宅で学習教 室の経営を始める。引っ越してすぐ、学生 時代の経験を買われて参加した地元の婦人 バレーボールクラブをきっかけに、PTA 活 動にも参加、校区内 PTA 副会長や県役員 も歴任する。バレーボールを続けるなか、 社会体育指導員等の資格も取得。この経 験を活かし、指導員仲間と高松市コミュニ ティ・スポーツ協議会を立ちあげ、生涯ス ポーツの普及と若手指導者の育成に取り組 む。現在は女性の会会長、十河地区コミュ ニティ協議会副会長として 「人の和、心の環、 地域の輪」をモットーに地域活動の活性化 に参画している。高松市婦人団体連絡協 議会事務局長、NPO 法人「たかまつ男女 共同参画ネット」理事、保護司、放課後子 ども教室コーディネーターなど。(60 歳代) 119 略年表 1965 年 大学卒業後、県教育委員会にて非 常勤講師として勤務 警察官と結婚、県内各地を転居。 1976 年 高松市十河地区へ転居、学習教室 を始める。 地元の婦人バレーボールクラブ、 PTA 活動に参加するようになる 1980 年 高松市コミュニティ・スポーツ指 導者会設立 1998 年 高松市コミュニティ・スポーツ指 導者会として社会体育優良団体文 部大臣賞受賞 2006 年 十河校区女性の会 会長 2010 年 ふるさと十河音楽祭実行委員長 2010 年 法務大臣賞(保護司としての活動) 十河校区女性の会の概要 名、 会 員 約 事業にも参加している。女性の会とし 協議会、香川県婦人団体連絡協議会の 行っているほか、高松市婦人団体連絡 吉田さんは講師をしていたこともあ 地 を 購 入 し 自 宅 を 構 え る こ と に し た。 思い切って現在の高松市十河地区で土 もにとってよくないのではないか」と、 100 名。 会 員 の 対 象 範 囲 は 自 治 会 すぐに自宅の一部を使って小・中学生 びを感じていたことから、引っ越して り、もともと教えることの楽しみや喜 ての組織体制は役員が 加入の全世帯となるが、全員は加入し 【活動分野】 ていない。しかし参加したい行事があ を対象とした個人経営の学習教室を始 まちづくりの推進 十河地区コミュニティ協議会の下部 れば、会員でなくても参加できるよう 【活動内容】 組織である。活動・事業としては、人 ◆引っ越しをきっかけに地域活動へ は塾も少なかった。少しずつ周辺が住 し外れている十河地区周辺には、当時 外まで進出しているが、市街地より少 めた。今でこそ大手会社の学習塾が郊 になっている。 クルに関する学習を学ぶ女性教室の開 講、料理教室や一人暮らし世帯への配 食を行う食生活改善活動、お月見やひ して防災に関する啓発活動、防災訓練 ムのボランティア、女性防火クラブと サービス、歳末助け合い運動、献血ルー 助、 日 赤 奉 仕 団 と し て 日 赤 フ ロ ン ト として健康教室の開催、健康診断の補 を行っている。この他にも保健委員会 三世代交流事業、「にこにこ子供教室」 小 学 校 に 通 い 始 め た こ ろ、「 こ の ま ま 居しなければならなかった。子どもが のたびに一家で県内各地の官舎へと転 が、夫は仕事の都合上転勤も多く、そ する建設業の会社で経理事務に就く 長女を出産後、吉田さんの叔父が経営 警 察 官 の 夫 と の 結 婚 を 機 に 退 職 し た。 ほ ど 非 常 勤 講 師 と し て 勤 務 を し た が、 大学卒業後は県教育委員会にて 年 に誘われたりするなど、地域での活動 われ、地域の婦人バレーボールクラブ を引き受けたり、学生時代の経験を買 分、地元の自治会から声がかかり役員 た。こうして自宅にいる時間が増えた なければならないときもあるほどだっ 時半ご 宅地へと変わるなか、子どもの数も増 など、校区内でのさまざまな活動や行 も次第に増えていった。 えていき、多いときには午後 事の企画・運営に関わっている。また、 官舎住まいや転居が続く状況は、子ど 5 なまつりなどの行事イベントを通した 活動までのプロセス 権学習、生涯学習、環境問題、リサイ 14 回役員研修を 内部研修として毎月 1 人で 回 1 ~ クラス持た 15 6 ろから授業を始めたとしても、 人のクラスを 1 2 3 120 Ⅰ 社会参画と女性のキャリア形成事例集 ボール仲間の存在であった。 える支えとなったのは、家族とバレー ほどの活動量だったが、それを乗り越 わ る な ど、「 今 考 え た ら ぞ っ と す る 」 オケ教室の開講などにも同時並行で関 ポーツ指導者会による体操指導やカラ く。更には後述するコミュニティ・ス ルで仲間と汗を流す、という生活が続 て夜の体育館に駆け込み、バレーボー 室が終わると、急いで運動着に着替え にやってきて、そのまま学習指導。教 終わった近所の子どもたちが学習教室 してから自宅に戻るやいなや、授業が か っ た。 午 後、 学 校 で PTA 活 動 を ことを「外ばば」と呼ぶほど、今でも と を「 内 ば ば 」、 バ レ ー ボ ー ル 仲 間 の 係ができた。子どもや孫は、自分のこ 心して任せたり任せられたりできる関 良い関係ではなく、お互いの家族を安 ことで、何かがあるときだけの都合の ぐるみの顔が見える関係を作っておく ぞれの家族や夫を巻き込むなど、家族 きには、自分たちだけではなく、それ くれた。普段から仲間同士で集まると りと、いろいろな面でサポートをして てくれたり、食事の世話をしてくれた はバレーボール仲間が子どもを預かっ ることもたびたびあった。そんなとき 長 女 の 小 学 校 入 学 後 間 も な く の こ と。 PTA 役 員 を 最 初 に 受 け た の は、 て引き受けた副会長職である。これを は、今思えば保健体育部部長から続け おける大きな節目ともいえる出来事 くことから、普段から家事にはよく協 ことが多い反面、勤務明けは丸一日空 察官のため、変則的な勤務時間となる また夫のサポートも大きかった。警 そのつながりは深い。 バレーボールクラブに参加していたこ きっかけに、校区内の役員だけではな 力 し て く れ て い た。 時 に は 夫 自 身 が 吉 田 さ ん に と っ て の PTA 活 動 に とから保健体育部部長となったが、こ く 県 PTA 連 合 会 役 員、 母 親 委 員 会 PTA 役 員 を 受 け る と き も あ り、 吉 ◆ PTA 活動と周囲のサポート れ が 長 年 に わ た る 吉 田 さ ん の PTA 田 さ ん の PTA 活 動 は 第 二 子 が 高 校 回 の PTA 活 動 は、 平 委 員 長 な ど も 引 き 受 け る こ と と な り、 〜 を卒業するまで関わることとなった。 時には北海道で開催される全国大会や 月に 東京での会議への出席などで家を空け 活動のスタートである。 4 日の午後から夕方にかけての活動が多 121 3 るなか、吉田さんはプレイヤーとして 年に仲間と共に高松市コミュニティ・ スポーツの振興を図るため、1980 域のコミュニティ活動の一環としての スなどのレクリエーションを含め、地 ることになった。手術直後はマイナス ペースメーカーの埋め込み手術を受け 任の打診を受けていたが、急遽入院し 年に吉田さんは翌年の女性の会会長就 し て も 活 動 を 続 け る な か、2005 ◆競技スポーツから生涯スポーツへ の活動だけではなく、指導者としても スポーツ指導者会を立ちあげた。 た週 回の校区内の中高年向け「にこ 指導者会を立ちあげた当初から始め は受けられないな」と会長職は断ろう 思 考 に な り、 「この状況ではもう会長 代後半に入りバレーボールを続け さまざまな講習を受け、体育指導員な 人 と思っていた。ところが手術後、体力 ~ にこ健康教室」も、すでに 年以上続 て、 ス ポ ー ツ を 通 じ て 仲 間 づ く り を 」 でも何でもいいから同好会をつくっ も、ソフトボールでも、インディアカ 「 バ レ ー ボ ー ル で も、 ソ フ ト バ レ ー で く感じていたところに、市職員からの なってしまうかもしれないことを惜し 吉田さんはこの学びがそのままに 科を中心とする県内 ヵ所の高校での き っ か け に、2000 年 頃 か ら 福 祉 ている大学時代の後輩からの依頼を としても、現在は香川県内で講師をし に大きく貢献している。吉田さん個人 の活動は地域の健康増進や子育て支援 子体操も年間を通じ開催するなど、会 心身の健康面をサポートするための親 育館を会場として、子育て中の母親の が ち な 役 員 を な か な か 受 け た が ら ず、 みつつあり、会員は仕事量の多くなり 会長を受けた前後は会員の高齢化が進 会は会費を集めていない。吉田さんが り会長を引き受けることにした。 りそうだから頑張るわ」と伝え、やは 後「だめだと思ったけど、なんとかな プラス思考に変わり、前会長には退院 期生となった。 と、市内の生涯スポーツ体制づくりに 高校生対象のレクレーション指導にも ◆女性の会の新たな試み 地元である十河地区女性の会会員と いえるなかで会長を引き継いだ吉田さ びたびあった。そんな危機的状況とも 数で退会してしまうといったこともた なく周囲を巻き込んで、まとまった人 役員就任を避けるために自分だけでは 2011 年 現 在、 十 河 地 区 女 性 の 対する後押しもあった。これを受けて 関わっている。 2 30 こ れ か ら の 少 子 高 齢 化 社 会 に 向 け て、 きるようにと、競技としてのスポーツ 高齢者の健康づくりに少しでも貢献で ては第 ほど。それまで市内には男性の指導員 1 が回復していくなかで気持ちも徐々に 13 いている。この他にも市内 ヵ所の体 12 だけでなく、キャンプやフォークダン 3 1 しかいなかったため、女性指導員とし で指導者研修を受けた女性は どの資格を取得した。このとき高松市 30 122 Ⅰ 社会参画と女性のキャリア形成事例集 んは、新たな試みとして、まず会費の の 仕 事 も 持 っ て こ な け れ ば な ら な い。 して認めてもらうためには、やはり公 ニティ協議会として「ふるさと十河音 案事業」募集に対し、十河地区コミュ 2010 年、 市 の「 ゆ め づ く り 提 が現在の課題だという。 それで保健委員会、日赤奉仕団、女性 楽祭」の企画提案をしたところグラン いうのだけど、とにかく組織の一員と 教室、女性防火クラブその他にもゴミ プリを獲得し、事業実施に対して 年 収集所や川の清掃、さまざまな自治会 が「女性の会」として受けた講師謝金 て い る の で す が …。」 さ ら に 吉 田 さ ん いく会にならないといけないとは思っ いずれは自分たちが思うことをやって 活 動 に 女 性 の 会 が 全 部 関 わ っ て き た。 進につなげようというもの。 しい地域住民に対して自治会の加入促 地域のつながりを深めるとともに、新 た。この事業は音楽祭の開催を通じて 間の補助金を受けられることになっ てみようじゃないか」ととても前向き アイディアを出すと大抵の場合「やっ 当 時 の コ ミ ュ ニ テ ィ 協 議 会 会 長 は、 充てているため、別途の会費を集金せ も、会の収益の一部として活動資金に ずに会を運営することができている。 に取り組んでくれる方だった。そのた に あ た っ て、 「これは女性が裏方でや め、この音楽祭実行委員長を選出する るだけではなく、アイディアを出す一 ◆「人の和、心の環、地域の輪」 、 000 人 ほ ど だ っ 十河地区の人口は吉田さんが引っ越 たが、今では田園地帯も住宅地に変わ 思 い 切 っ て 手 を あ げ、 実 行 委 員 長 と 番いいチャンス」と思い、吉田さんは してきた当時は 会を自治会女性部として組織の中に位 、000 人 動資金をまかなうことにしたのだ。「他 金やバザーによる収入で女性の会の活 河地区に迎えた住民を地域活動やコ にまで増えている。こうして新しく十 担当したが、音楽祭には地域の小・中 議会のなかに設けられた実行委員会が なった。企画・運営はコミュニティ協 8 ミュニティのなかにいかに取り込むか 倍 ほ ど、 約 り、 当 時 の 徴収をなくすことを提案した。女性の 3 置づけてもらうことで、自治会の助成 4 の人に言わせるとそれは『邪道』だと 123 2 人 が 出 演、 約 500 人 が 参 加、 地 域 団体と個 学校音楽部や吹奏楽部、中高年男性の とが多い。今後は、もっと 世代交流 地域活動との関わりが切れてしまうこ PTA 役 員 の 任 期 が 切 れ て し ま う と、 活 動 と を 兼 ね て い る 人 も 多 い が、 議会においても意志決定の場に参画す 幅を拡げるとともに、コミュニティ協 は新たな組織体制づくりを進め活動の や保護司であり、女性の会会長就任後 が、ここ数年少しずつ変わってきてい て女性が補佐になることが多かった のものも、今までは男性がトップにい なった。コミュニティ協議会の運営そ して作り上げた地域の一大イベントと 吉田さんにとって、スポーツを軸と の場を作りたい、との思いからである。 バックアップに回って若い世代の活躍 人に支えてもらった分、今度は自分が る。これは活動するなかでいろいろな を地域活動に巻き込みたいと考えてい を進め、子どもたちの世代、その親世代 団、老人ホームボランティアなど、多 営に関わるメンバーで立ちあげた劇 ター理事、男女共同参画センターの運 コーディネーター、男女共同参画セン にも、小学校等での放課後子ども教室 ニア的存在である。また女性の会の他 るなど、地域で活躍する女性のパイオ 「おやじバンド」をはじめ のさまざまな年代や立場の住民が参画 る よ う に も 感 じ て い る。「 女 性 の 会 と かった』と少しずつ賛同してくれるよ たあと『みんなから喜んでもらえてよ すが、それでもひとつの行事が終わっ は仲間も悲鳴を上げることもあるので 事を引き受けてきてしまうから、時に ロンをコミュニティセンターに開けた 茶を飲んでおしゃべりできるようなサ できたら、誰でもその時間帯に来てお と考えている。もう少し時間の余裕が あ り、 活 動 そ の も の は「 命 の 恩 返 し 」 した人間関係・つながりは「宝物」で 的基盤を持ちながらの活動であり、吉 る。また学習塾経営という職業、経済 ミュニティの活性化につながってい に と ど ま ら ず、 地 域 の 資 源 と し て コ ネットワークも、吉田さん個人の資源 このさまざまな活動での経験や人的 キャリア形成の視点から (引間 紀江) プロセスであるといえよう。 吉田さんは市内初の女性体育指導員 田さんの活動はまさに複合キャリアの ら、と今後の新たな活動に向けても意 きています(笑)」という。 ◆後進の育成に向けて 吉田さんとともに活動する仲間のう 欲的である。 うにもなり、文句はだんだん減っては くの社会活動に参画している。 していろいろやらなければならない仕 3 16 ち、 歳代、 歳代の仲間は、地区体 50 育 協 会 役 員 と PTA 活 動、 子 ど も 会 40 124
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