5周年記念誌 - 宜野湾市

口
召禾口57年 度
宜野湾市
福 寿 園 5周 年記念 誌
祇
熙 ン告
特 別 養 護老 人 ホ ーム
宜野湾市福寿園
〒9 0 1 - 2 2 宜野湾市 字赤道4 8 番地
電話 ( 0 9 8 8 9 ) 2 - 1 3 3 3
ガ
氏声:線
圏
い
さ つ
宜 野 湾市長
本 日、特別養護 老 人ホー ム宜野湾市福寿園開園 5 周 年記念式典 を挙行す るにあた
り、親 し く皆 様 と喜 びを 共 にす る こ とが で きます こ とを大変犠 しく思 い ます 。
顧 み ます と昭和5 2 年6 月 市 立 としては県内では唯一 の 当園が 市福 祉行政 の一 線機
関 として 開園 し早 い もの で 5 年 を迎 える こ とがで きました。 これ もひ とえにこれ ま
でご奉仕 い ただ きま した 多 くの ボ ラ ンテ ィアの方 々 、 入園者 の御家族 地域 の皆様方
か らの善 意 の 力添 があったか らこそ と深 く感謝 い た してお ります 。
さて 、今 日医療 技術 の進歩 は人類 の夢 であった長寿社会 をもた らし、 人生 8 0 年時
代 と言われ るまでにな って い ます 。 わけて も沖縄県は 日本一 の長寿県 であ り、嬉 し
い こ とにそ の ほ とん どの方 が健康 である といい ます 。
高令化社会 を迎 えた 中 で全て の お年寄 の 方 々が健康 で充実 した老後 を送 って い た
ヽ
だければ幸 い な こ とであ ります 。 しか し、不運 に して″
じ
身 の障害 のため 、施 設での
介護 を要す るお年 寄 に とりまして 、施設 は単 に収容 のため の もの ではな く、生活 の
場 として の位置付 をし、生 甲斐 を与 えて いか なければな りませ ん。
病気へ の不安 、恐怖 、家族へ の心配 な ど、時 として施 設 の お年 寄 に とって家族 や
親戚 の愛情 が 医療 や 看護 よ りも必要 であ ります 。 その意味 か らも施設中心 の処遇か
ら、家族 や地域 も含め た施 設 の社会化 が 間 われて きて い ます 。
…
設 立 、 5 周 年 を契機 として血 の通 った きめ の細 い福祉政策 を展望 し最大 の 努力 を
私 うべ く覚1 吾をあ らたに して い ます 。
なに とぞ今後 と も一 層 の御指導御鞭撻 を賜 ります よ うお願 い しましてあ い さつ と
い た します 。
- 1 -
辞
視
沖縄県生活福祉部長
宜野湾市福寿 園」創 立 5周 年 を迎 えるに当た り心か らお喜
特別養護老 人 ホー ム 「
び 申 し上 げ ます 。
当園 が 、県 内で唯一 の市町村 立 老人 ホー ム として開園 されてか ら、 はや 5周 年 を
迎 えられ その間、老人処遇 の理念 の基 に 多 くのお年寄 りをお世話 し、 園の運営 も軌
道 にの り、お年 寄 りの皆様 が 、 ホー ムの生 活 に もなじみ 、怒々 自適 の余生 を送 って
お られます こ とは 、 これ もひ とえに 、市 当局 は じめ 、園長以下職 員一 同が 老 人福祉
に対する御理解 と御努 力 の賜 だ と心か ら敬 意 を表す る次第であ ります 。
御承知 の ように我 が 国 の老 人人 口は年 々増加 し、諸外国 に例 をみ な いほ ど短期 間
に老齢化 がすす み近 い将来 、老 人人 口の比率 の 1番 高 い国になると言われてお ります。
この よ うな高齢化は 、本県 も同 じよ うに 、昭和55年国勢調査 に よる老人人 口は 、
85,819人、総 人 口に 占め る割合 は 、7.8パ ー セ ン トを 占占めてお ります 。
それ に伴 って 、ね た き り老 人や ひ とり暮 らし老 人 も増加 の傾 向 を示 してお ります 。
本県 は復帰 して10年目に当た ります が 、復帰 当時 5施 設280床しか なか った特別
T を 緊急 か つ 主要課題 として取 り組み 、沖縄 振
養 護老 人ホー ムは 、本 土 との格差是■
興 開発計画 に沿 って整備 を行 ってま い りました。
お陰 をもちまして 、昭和57年度 中 には23施設1845床が整備 され るこ とにな ります 。
しか しなカギら高齢化社 会が急速に高 まるなかで、新 たなニー ズも提起 されてお ります。
老 人福祉施設 は 、従来 の閉鎖性か ら脱却 し、開放 され 、地域社会へ 貢献す る機 能
が要求 されてお り、 また収容 の場 か ら生活 の場 と変 わ り、お年寄 りに とって明 る く
楽 しい 老後 が 送 られ るよ う望 まれてお ります 。
ヽ
の施策か ら在宅 老 人 を
又、これか らの老人福祉 は、これまでの弱者対策 の収容保護中′
じ
も包摂 した総合的なサー ビスについて推進方策が うち出されてお り、県 とい た しま して
は 、 これ らの動向 をみ まもりなが ら老 人福祉対策 の 充実 強化 を図 る所 存 であ ります 。
宜野湾市福寿 園」 の限 りない発展 と園長 は じめ職
終 りに、特別養護老 人 ホー ム 「
員 の皆様 が 更 に心 を新 たに して老人福 祉 の 向_上に御活躍下 さるよ うお願 い 申 し上 げ 、
お祝 の言葉 とい た します ①
-2-
辞
視
沖縄県社会福祉協議会
会 長
宜 野 湾 市 立 「福 寿 園」 が 、 この た び 5 周 年 を迎 え られ るに 当 り、 一 言 お祝 い の こ
とば を 申 し上 げ ます 。
宜 野 湾 市 に お か れ ま して は 、 昭 和 5 2 年 6 月 県 下 で 、 は じめ て の 市 経 営 の 特 別 養 護
老 人 ホ ー ム 「福 寿 園 」 を開 園 され ま し た が 、 早 や 5 周 年 を迎 え 、本 日こ こに 関 係 者
多数 の ご 参 加 の も とに 、 め で た く 5 周 年 記 念 式 典 を開 催 す るに至 りま し た こ と を心
か らお 慶 び 申 し上 げ ます 。
現 在 ホ ー ム に は 、 7 0 名 定 員 い っ ぱ い の ご 老 人 が な ごや か な雰 囲 気 の な か で 、 共 同
生 活 を送 っ て お りま す が 、 こ れ も ひ とえ に 安 次 富 盛 イ
言市 長 は じめ 宮 城 清康 園 長 並 び
一
に 、職 買 の 皆 様 が 体 とな っ て 、 入 所 老 人 の 心 豊 か な生 活 の 実 現 を め ざ して 老 人処
遇 に 取 り組 まれ た 結 果 、施 設 運 営 も順 調 に軌 道 に の り、 大 きな 発展 を遂 げ て お りま
す こ とは 誠 に 喜 ば し い 限 りで あ ります 。
関 係 者 各 位 の こ れ ま で の ご努 力 と ご苦 労 に 対 し心 か ら敬 意 と謝 意 を表 し ます 。
特 に 「福 寿 園 」 の 特 徴 的 な こ とは 、 老 人 ホ ー ム が 住 宅 地 域 の しか も交 通 の 便 の よ
い 場 所 に 設 置 され て お り ま して 、 地 域 の 老 人 ク ラ ブ を は じめ 民 生 委 員 、 白治 会 、学
校 な ど 、 多 くの ボ ラ ン テ ィ ア の み な さん が 、 日頃 か ら 各 面 に わ た り積 極 的 に 活 動 を
展 開 され て お ります こ とは 誠 に 心 づ よ い こ とだ と思 い ます 。
ま た 、最 近 の 老 人 福 祉 の 新 た な動 き と して 、 在宅 ね た き り老 人 に 対 す る福 祉 の 確
保 が 重 要 とな り、地 域 福 祉 と在 宅 福 祉 の 統 合 を図 る 見 地 か ら 、在 宅 ね た き り老 人 に 対
す るサ ー ビ ス に つ い て も、 老 人 ホ ー ム が 担 うべ き役 割 機 能 が 強 調 され て い るわ け で
あ ります 。
こ れ か ら の 老 人 ホ ー ム は 、単 に 老 人 を収 容 保 護 す るだ け で な く、 コ ミュ ニ テ ィー
ケ ア 的 な 考 え方 を基 に して 、 潤 い の あ る老 後 生 活 を提 供 す る場 で な くて は な らな い
と思 い ます 。 この た め に は 、 医 療 機 能 や 、機 能 回 復 訓1 練の 充 実 に よ り、 老 人 の 社 会
復 帰 を容 易 に させ る と と も に 、在 宅 老 人 の シ ョー ト ・ス テ ィー や 、通 所 サ ー ビ ス を
拡 充 し 、 地 域 へ 窓 を開 い た 「施 設 の 社 会 化 」 に よ る施 設 運 営 が 望 ま し い あ り方 と思
い ます 。
ど うぞ 、 5 周 年 を契 機 と して 今 後 と も宮 城 清 康 園長 は じめ 、 職 員 の み な さ まが 心
を新 た に して 、 本 県 の 老 人 福 祉 の 向上 の た め 一 層 の ご 活 躍 をお 願 い 中 し上 げ ます 。
お わ りに 、特 別 養 護 老 人 ホ ー ム 「福 寿 園 」 の 限 りな い ご 発 展 と関係 各位 の ご健 勝
をお 祈 り申 し上 げ ま して 私 の お 祝 い の こ とば と い た します 。
H召呑日5平年 7月 7日
-3-
視
辞
宜野湾市議会議長
本 日、 ここに宜 野湾市福寿園創立 5 周 年記念式典 を挙行す るに 当 り、一 言お祝 い
の こ とば を申 し上 げ ます 。
本県では 、特 に復帰後 に お いて社会福祉 の 向上 につ い て 、大 き く叫けばれて まい
りま したが 、 その 中で も老 人福祉 の問題が一 段 と大 き くクロー ズア ップ され ました。
この よ うな情勢 の 中 で 、本市 の 老 人福 祉政策 の一環 として 、他市町村 に先 が けて
積 極 的にその事業 の推進 に取 り込 み 、全国 で唯一 の市運営 の老 人福祉施設 として昭
和 5 2 年に近代的 な福寿 □が この よ うにみ ご とに完成 しましたこ とに対 し、関係機関
をは じめ 関係者 各位 に厚 く感謝 申 し上 げ ます 。 その間 、福寿 園で共同生活 を営 んで
お ら″L る皆 さんは勿論 の こ と、老 人のすべ ての方 々は 多年 にわたって 、社会 の進展
に大 き く寄与 して こ られ 、今 日の立 派な社会 を築 いて い ただ い たこ とに対 し、尊敬
し、か つ また 、 これか らの 人生 を健全で安 らかに楽 しい 人生 を送 って い ただ き、併
せ て皆 さん 方 の御健康 と長 寿 をお祝 し、長 い ご労苦 に対 しまして感謝 を申し上 げ る
次 第 で あ ります 。
養護 とは単 に衣 食住 を満 た し養 うこ とだけではな く、礼 をもって仕 え る とい う意
味が含 まれ て い るの であ ります 。諸般 の事情 で余儀 な く当施設 で生活 を営 んでお ら
れ るお爺 さん 、お 婆 さん方 は前述 の とお り長 い 人生 を社会 のために尽 くされた皆様
であ り、そ こに敬 愛 な気持 ち をもって仕 え るこ とが我 々後輩 の使命 である と信 じま
す 。 どうか 、施 設 で勤務 され る皆 様 も養 護 の理 念に基づ いて御精励 あ られん こ とを
お願 い 申 し上 げ ます 。 なお また議決機関 として も与 え られ た使命 に最善 の努 力 を傾
とす る所 存 であ ります 。
今 後 と も皆様方 におかれ ましては 、お互 いに励 ましあ い慰め あって 、明 るい 人生
を送 って いかれ ます こ とをご期待 申 し上 げ ます とともに 、 ご健勝 とご 多幸 を切 にお
祈 り申 し_ 上げ ましてお祝 いの こ とば とい た します 。
-4-
特別養護老人ホーム福寿園の5周年
宜野湾市老人クラブ違合会々長
人間は誰 しも避 けて通れ な いのが 老令 と老化 であ ります。 ところで64歳 まで を生
産年 令 とした場合 、65歳以上 の 人 口が 急激 に増 えつつ あ ります 。 本市 では昭和 55年
度 、65歳以 _Lの方 々が2911名 とな って い ます。年 少者 人 回の減少は昨 今 のす うせ い
で 、や がて 高令化社会 となる こ とは 、本市 とい え ども例 外 ではあ りませ ん。
産業優先 か ら生活優先 へ と、昭和48年 「
福祉 元年」 が唱 え られてか ら10年 目、昭
和 38年 「老 人福祉法」 が 成立 。老 人は敬 愛 されか つ 、健全 で安 らか な生活 を保障 さ
れ る もの とす る」 と理 念が確 立 され 、以前 の養老施 設で生活保護 を受 けて 、一 部 の
貧 しい 人 を世話す る とい う考 え方 であったのが 、立 派な理 念が 掲 げ られた。 しか し
中身 は大部分 が施 設収容 であ り、救貧対 策的な もの であった。 それが福祉 元年 とい
う掛声 で在宅 福祉 を重視 し単 なる救 貧対 策 ではな くな りました。
高令化社会 の もた らす問題 として今 までの よ うに 「
子 どもを育 てたあ とは子供 と
住む」 とい う望 みは とて ももてな くなった。家族依存 は大 した頼 りにな らな くなっ
た とい え まし ょ う。本市 では い ち早 く特別養護 老 人ホー ム福寿 園 を最 も立地 条件 よ
い宇赤道 に 設置 されて 5年 目とな りま した。 この 間、関係者 の み なさん のたゆ まざ
る御努 力 に よ り施 設 も年 々光宝 し入所 した高令者 の 方々が 「日々是好 日」 の楽 しい
老後 の療養 生活 を して居 られ る姿 を見て園長始め職 員 の皆様 の親 身 の愛情 を朋L身 を
以て感ず る もの であ ります 。
福祉 とは 自分 自身で求め なければな りませ ん。高令者 となる と大 な り小な り障害
が常 にあ りますが 先づ は健康 でなければ な りませ ん。心 身 ともに健全 に暮す には 、
ね た き りにな らな い こ と、精神障害 (ボ ケ)に な らな い こ とであ ります 。私 た ちは
`
亡
掛 けて い くこ とが 幸福 へ の道 であるこ とを念 じて努力 して い きた い と思 い
常 日頃ノ
ます 。
生活 、体験 、環 境 の 異 なる高令者 の御世話 であるの で職 真の御者労 に対 し多謝 し
特筆 い た します 。
-5-
辞
視
福寿園家族会 々長
宜野湾市に 、特別養護老人 ホー ム福寿 園が設置 され まして早や 5年 の 歳 月が過 ぎ
ここに 、創 立 5周 年式典 が催 され るに 当 り、お祝辞 を申 し上 げ度 く存 じます 。
私達 家族 の者が 園 に面会 に行 く度 に思 うこ とは 、斯 くも立派な施設 の 中 で行 届 い
、
た介助介護や生活指導 それ に 、食事 や 健康管理 に至 るまで職 員、寮母 の細 か な′
じ
遣
い に 、楽 しい園生活 の 日々 を送 って い る姿 を見 る と福 寿 園はほん とうに 、老 人の殿
堂 の ように思 われ ます 。
在 園者 の 老 人達 には 、個 人差 はあるにせ よ大 な り小 な り精神的、肉体的欠陥 か ら
来 る不安 や林 しさが あるよ うに 見 ら才しますが 、 これ を補 な うの は 、外部 か らの友愛
訪 間や慰間 であ ります。 いつ いつ は何処 か ら女達 (老 人会 、婦 人会 )が 来て 、踊 り
`
を見せ て くれ た とか 、美 しい娘達 が 来 て手 を握 って くれ た とか で話 して くれ る在 園
者 の顔 には犠 しさが い っぱ い であ ります。
限 られ た職 員、寮 母 だけ では 在園者70人の世 話 をす るには 、到底 無理 な労働 を強
い られ るこ ともあ ります 。 これ を宜野湾市老連婦 人部 の皆 さんが理解 し、 オム ツつ
くろ いの作業 を定期 的 に奉仕 して頂 いてお ります ことは 、家族会 として も大 へ ん 有
難 く思 ってお ります 。
在 園者 の老 人達 は長年 の 自然 との拭、
れあ い社会生活 の 中か ら昔 なつ か しい伝統行
事 は今尚頭 の 中 にある らし く、 7月 、正 月、春 分 、清明な ど節 日々々の行事 が 頭 に
浮 んで くるらしい 、 この事 は園 も老 人の気持 をよ くくみ とり、それ ぞれ の 行事 を持
って い るこ とは在園者 の 老人達 に 、真 に心 の安 らぎを与 えて い ます 。
納 涼 まつ りや 運動 会 な どで 、赤 い鉢巻 、 白い鉢巻 を して車 いすに持 たれて 、 は し
ゃいでいる老 人のあどけないあの姿は、生 きがい とよろこびの象徴 その もの であ ります 。
この様 に して福 寿園 にお世 話 になって い る老 人達は 、屋│の温か いサ ー ビス と外部
か らの支 えに よっ て何 ひ とつ憂 い な く楽 し く日々の生活 を送 って い るこ とは家庭 で
は どうして もや って上げ られない事 がた くさんあ ります 。
福
ナ
福寿 園は老人の殴堂 として老人福祉のために益 々充実 してい く事 を願 い 園に対 し深甚
なる感謝 を捧 げると共に尚一 層地域 との交流を祈念 して私のお祝の ご挨拶 とい た します 。
堪
-6-
い
さ
つ
福寿園長
本 田ここに宜野湾市福寿 園創 立 5 周 年記念式典 を挙行す るにあ た りまして 多数 の
来賓 の 方 々 を初 め 、家族会並 びにボラ ンテヤ の皆様 の御臨席 の も とにか くも盛大 に
式典 を催す事 が 出来 ました こ とに対 し園 の業務 を直接担 当す る者 として この上 な い
喜 び と感謝 を申 し上 げ心 か らお礼 申 し上 げ ます 。
当園は地 方 公共 団体 ( 市町村 ) が 管 理 、運営す る特別 養護 老 人 ホー ム として 県下
では唯 一 の もの であ り創設 に取 り組んで下 さった 当時 の関係者 の御尽力 と福祉施設
の必要 か つ 重 要性 を認識 され た賜物 と深 く敬意 を表す る次第であ ります 。
福寿 園は 、皆 無 にひ としい と云 われて い た。 当市 にお いて唯 一 の福祉施 設 として
昭和 5 2 年6 月 に開園 し老 人を持 つ 家庭 に大 きな期待 と希望 を与 えた もの と思 い ます 。
そ して開 園以 来 5 ケ 年 間 に幾 多の お年寄 をお世話 し現在 も市内、外か ら親 しまれ
るホー ム として 、老後 の生活 の寄所 として 、職 員一 同 が一 生懸命 そ″しこそ親 身 にな
って業務 に 日夜、誠心誠意頑 張 って在園 者の 幸福 と生 きが いの ある人生 を過す事 が
出来 る よ う鋭 意努 力 して い る所 であ ります 。
1 9 8 0 年代 は 高令化社会 の幕 開 け ともいわれ 、我 が 国 の 人 口に 占め る高令者 の害J 合
は年 々増加 の一 途 をた どるばか りであ ります 。
こ う した現状 の 中 で, 老後 の生 きが いは大 きな社会問題 として クロー ズア ップ され
`
各方面 で論議 されつつ あ ります。し か し、何分 に も、生 きが い と去 うもの は 、個人の
意識 の問題 で あ って他 か ら与 え られ る者 ではない と云 うむずか しい一面 も又あ ります。
一 口に老 人 と云 って も7 0 オ 、8 0 オ、9 0 オ代 ではかな りの差 が あ り、亦 、体 力 の個
。
7 い , ︵ ヽ
基
す。
人差 もあ って それ ぞ″とが求 め る もの には相 当な違 いがあるこ とは当然 な事 か もしれ
ませ ん 。経 験 の違 い、男女 の違 いに よって も異 りまし ょう。 それ故 に老後 の生 きが
いにつ いては年令別 、 男女別 に も考へ る必要が ある と思 い ます 。
老 人福祉 の問題 は これか らも益 々大 きな課題 となるで し ょが今 後 、地域 の皆様 と
福祉行政 にたず さわる各方面 の 方 々の絶大 なる御指導 を得 て在園者 の幸せ のために
大 いに努力 した い と思 い ます の で関係者 の御協 力 も宜 し くお願 い 申し上 げ まして挨
拶とい たします。
日
召呑日5枠年 7月 7日
-7-
14.福 寿園、
開園 5周 年記念
球 文
集
球
築 こう みん なの手せ みんなの力 で /
昭和 57年 7月 1日
福 寿 園 の 5ヶ 年 を振 り返 っ て
生活指 導員
我 が 福寿 園は諸先輩 の施設 を見習 い なが らも無事 5 年 を迎 え る事 がで きました。
`
これ まで 多 くの老 人 と接 し色 々 な体験 を通 じ様 々 な事 を学 び ま したが 、 ただ果 して
十分 に老 人のお世 話 が 出来 たか どうか 白責 の 念 にか られ ます 。開 固当初 にお い て 、
私 自身 老人福為L につ いては全 く木経験 で毎 日が不安 と緊張 の連続 で した。環境 の変
化 に とまどい落 ちつ か な い 老人、家 に帰 して くれ と訴 えつづ け る老人 、全 く閉 じた
老人、食事 を拒否す る老人等 … と様 々の状況 に 直面 し、何 も出来ず にただオ ロ オ ロ、
当惑す るだけでその ような 自分 出身力串
けな くな り老 人福祉 の きび しさ、老 人 との
1青
交 る事 の むずか しさを痛感 しなが らも、唯 「いつ かは誠 意は通 じる」 と希望 をもっ
て無 我夢 中 で老 人 を接触 した もの であ ります 。
、
が 通 じl l r lの
月 日が経 つ につ れ 、老 人の心が開 き始め ようや ″
亡
l々
田性 がわか りお互
イ
に理 解 し合 う今 日この唄です 。現在 、我 が 国 にお いては 老人がは りの ある生 活 、有
意義 な関生活 を過 ご して もら う様衣 食住 の充 足は もちろスタ
季節 に 応 じた行事 、 クラ
ブ 活動 の 活発化 、地域社会 との 交流 、ボラ ンテ ィアの受 け 入れ 等積極的 に実施 して
お ります が まだ まだ十分 とは言 えな い , 持 養 における老 人は 肉体的、精神的 に何 ら
か の 障害 を もち施設生活 を余儀 な くされ 、それ に よる対 人関係 の1尚
み 、孤独 感 、病
`
気 に 対 す る 不 安 、家族 へ の思 い等 に対 し、耳 を傾け、老 人の立場 になって考 え、
理 解 しその様 な不安 を何処 に和 らげ 、老 人の 「お世話 になって い る」 意識 をとり除
き、施 設 よ り与 えられ た処 遇 内容 ではな く、老人 自身 白か ら行 う白主性 の もの でな
L ば な らな いっ
け″
こ〃しか ら も処遇 技術 の 向上 をめ ざし、老 人に とって 「
真 の生活 の場」 は何 か を求
め 、努 力す るつ も りであ ります 。
-67-
福 寿 園 での 老 人介 助
介助員
老 人介助 と言われて も、個 人 の心 身 の 障害 に よ り様 々 な介助状況が 出 て くる。特
別養護老 人 ホー ムにお い ては 、入浴、オム ツ、食事 、歩行 、 いわゆ る 日常 生活 の介
助 で一 日が過 ぎて しまう。
あれはた しか昨年 の 4 月 、始め ての宿直 の 日で あ りま した。何事 もな く静 か な夜
であ るよ うに祈 る気 持 ちであ りま したが 、夜 の オ ムツ交換時 に私 の心理 が動揺 した
の である。 それ は 、 オム ツ を取 り替 えよ うとす るH 舜
間、激 しく抵抗 され 、手 で腕 を
打 たれ ました。寝 た き りとは思 えな いほ どす ごい手 の 力 である。 私は 、 自分 がみ じ
め に な り、心 の 中 で泣 きました。 その 老 人は 、私 よ りもっ と不安 であったに違 い な
い。 そばに女 の職 員 の顔が 見 えれ ば 、 A 老 人( 女) の動 揺 はなか ったは ず であ る。
福寿園 に勤務 して 4 年 目に入る今 日この頃 、未 だに あ の時 の事 が忘 れ な い。
福寿園 も地域 、家族会 、 ボラ ンテ ィアの御協 力 に よ り満 5 年 を迎 え る事 が で き、
私 も施設職 員 として今後 も他 の先輩職 員 をめ ざし、介助 員 として の職 に専 念 した い
と思 い ます 。
5周 年 を迎 え て /
業務係長
今年 は 、復帰 1 0 周年 の年 であ り、各地 で 、祝 賀催 しが あった。 1 0 年前 は 、福 祉元
年 ともいわれた頃で 、 日本列 島 も津 々浦 々 、福和L の花が咲 く本 を迎 えた年 で もあっ
た。 日本 の 高度成長 は 、 い ろい ろなひずみ を残 したが 、反面社会福祉 の進展 には帰
、
は
与 した。 しか し物質文明 の 波は 、 人間 の′
を疲弊 させ た とい われ る。福祉 も物質的
扶 助 と併 行 して精神的な ものが 強調 され るよ うになったが 、 これ も物質的 で 、機 械
的 な福 祉社会へ の 警鏡 であろ う。
特養 ホー ムは 、沖縄県 では2 3 施設で き、本 上の 水準 に達 した といわれ る。 しか し
、
待機者 は後 をたた な い。 なぜ だ ろ うと思 う。喜 ぶべ きか 、悲 しむべ きか 。複雑 なフ
じ
一- 68 十一
地 に な る。
歴 史的 に家族 的共同体社会 として の性格 が 強 い小地域 である沖縄 にあって 、 この
現 象 は 、不思議 に思 うが 、近代社会 の高度 な メカニ ズムが 、 この地域 に も浸透 し、
反映 して い るのだ ろ うと思 う。現 に核 家族化 の現象は、人 口増 に伴 な う住宅狭臨化
の 結果進行 して い る。 また 、共稼 ぎ的経済社会が 与 える影響 も無視 で きな い。 この
よ うな社会 の変化 が 、扶養意識 に も反映 して い る と考 え ることがで きる。
と もあれ 、我 々 は 、 この ような背景 の 中 で 、入所者 の保護 を適 正 に図 らなければ
な らな いが 、機 械的作業 に偏す るこ とな く、 人間味豊 か な心 で 、すべ てに対処 し、
5 周 年 を一 つの節 目として 、がんば って い きた い もの である。処遇 とは何 か 。1 荒た
だ しさで 、 この こ とを考 え る余裕 はなか った と思 うが 、 これか ら、真 の処遇 を追求
し、 入所者 の幸せ のために奮起 しよ う。 め ま ぐる しい環境変化 の波に流 されな いた
`
め に 、みん なで常 に創意工 夫 を こ らし、福祉 の心 を花ヽとして 、初心 を忘 れずすす も
う。 そ してチー ム ワー クの 声 を叫 び 、 これか ら福寿園丸 は向 う1 0 周年 の航海へ 、幸
せ を求 め て 出帆す る。
5年 を振 り返 っ て
入園者
月 日のたつの は 、水 の 流れ の如 しと、昔 か らの言葉通 り、私 が 当園に入園 して 、
日夜 、神経痛 と戦 って い る間 に 、早や 5 年 に もなるか と思 えばほん とに夢 の よ うで
す。
私 は入 園 して 2 年 位は杖 を頼 りに庭 園 を散 歩 もで きましたが 、 この 頃は 、右 の手
足 も自由にな らず 、平 担 な所 で も転 ぶ こ とが 多 く、転 が って も自力で`
起 き上 が れず 、
転が った ら最 後 、 人手 をか りねば起 き上がれ ない始末で 、卓椅子 を利用す るこ とに
して い ます 。
無理 をして歩 き廻 わ り、急所 で も打 って 、それ以上 、悪 くな っては大変 、今 で さ
え、衣服 の着替 え も、 入浴 も出来ず、 いや な思 い をして い るのに 、迷 惑 をか け るこ
とはで きな い と自分 で 自分 に言 い きかせ 、 自分 でで きる こ とは 、何時間かか って も
や らねば といつ もがんば って い ます 。不 幸中の幸 いで 、左 手足は、 自由 に使 えるの
一… 69 -―
で 、起 きる時 は 、壁 を利用 して、左足 を壁 につ っぱって 起 き、食事 、用1 更
は左 手で、
す ま してお ります故 、余 り不 自由 は 、感 じてお りませ ん 。せめ て衣服 の着替 は 自分
でで きるよ うにがんば って い ます。
5年 を振 り返 っ て
入園 者
私 は 沖縄市 照圧 で 1 人 東 しの生活 を送 って い ましたっ 約 8 年 福祉 の厄 介にな りな
が ら もたの しい毎 日で した。 当時神経痛 を思 って い た私は病 院適 いが つづ き、抽ム
圧
が 高 くそれで も 1 人 率 らしの淋 しさに好 きな潤はやめ られず 、成 目突然 、眼に変調
が 起 り、病 院 に 入院 しました。 しか しもう手お くれで し ょ うか 、め くらにな る事 を
恐れ て毎 日心 配 す る 日々が つづ き、少 し比える様にな りま した。 しか し、年寄 が病
′
気 になった ' ) 、十
多
1 然に子供達 との 勝1 が悪 くな り生野湾 に 子供辻 が 住 んで い たの で斥
って 来 ました。 成 る 日また右半 身 が 異常 にな り病 院 に 入院 しま した ↓昨 か ったので
去う
次 第 に よ くな リド
1 分の 身 の廻 りは 出来 る様 にな り、通院 して い る内に柄 持│ ' J と
老人が生 活す る所が力) るとイ本
供辻 が 入園 をすすめ たので 、悲 し くな りましたが 、 し
`
、
か し共稼 ぎで F ^ 供等 を養 って い る現状 では直れ ちえ決 ノ
亡
すれは 1キ
テ( 辻の重 荷 が な く
す る手 つづ きをや り、 8 月 1 目 子供辻 につ れ ' 9 れて 入原│ する
な るギf を思 い 、 入 │ , J を
`
事 が 出来 たのです 。 □内 を見 てびっ くりしたのは初 日か ら初 ま りまず 、ね た き り老
人の 多い専 、 しか も女 が 多いの はなぜ らろ う。若 い時 は皆 きれ い な女性 で子や孫 も
皆 お られ る方 々が 皆 入園 して い られ るで し ょ うが 、老 の 身 でオ シメ生活 の ね た き り
老 人それ を看護 して い る寮母達 の心 か らの世話振 り園長 以下 の職 員 のいや が る様子
もな く親切 な世話振 り、老 人福祉 はほん とに有難 い ものだ と思 われ る 日々です 。1
S、
人 も病 人が 出な いの もマ
しぎでな りませ ん。毎 日の生 活 が規 則正 しいせ いか 毎週 来
られ る医者 の治 りょ うのせ いだ ろ う。 1 番 目に感謝すべ きは何 と云 うて も寮母達 の
働 きぶ りの 良 さ現 代社会 の 老人へ の思 いや り。 ほん とに ここは天 国 だ と思わ ざるを
得 ませ ん。身 の不 自由な老 人の ご ら く時 には老 人 クラブの慰 門幼稚園児 の お 見舞 、
毎 月の 誕生会 、社会 か ら時 々い らっ しゃるお見舞 にただ感謝す る毎 日の生活であ り
、
で今 日もくれ て行 く。
芭
ます 。我 が福寿 園に幸 あれ と願 う′
一- 70 -―
五 年 を振 り返 って
寮 母
私 が 勤務 す る特 別養 護 老 人 ホー ム は 、昭和 5 2 年 6 月 に 開 園以 来 、無事 5 周 年 を迎
え る事 が 出来 ま した。 当初 は 、他 の施 設 で一 通 りの 仕 事 は覚 え た つ も りだが 、 必 要
な知 識 も無 い私 が 、呆 た して 出来 るだ ろ うか とい う不安 で就職 した 寮 母職 が 、 こん
な に 大 変 な事 だ とは 、想像 も して い ませ ん で した 。 寮母 の仕 事 が オム ツ交換 、 入 浴
い軽 い 気 持 で働 い て い た私 が お年 寄 りの お世 話 して 、
介助 、 食事 介助 が も大手 だ と思、
て 、 戸 惑 い ばか りで す 。 初 め て 入周す る老 人の ほ とん どの 方 か 早 く死に度 い 、迎 え
`
え に 来 て欲 しい と悩 み を訴 え る。 老 人 の 為 に 、 そ の よ うな1 1 み
路 を聞 い てあけ られ る
か と、私 な りに 自信 が もて ませ んで した 。 しか しなが ら人間誰 もが 、老 い と病 古 は
経 験 す るの が 事 実 であ ゆ 。施 設が 無けれ ば 、子 や 孫 に 口 まれ て 、余 生 を送 るはず だ
っ た の に と思 って も、 しか たが な いの で`
す 。も っ と悪 い状態 か ' , ひき上 げ るの が 福
で すか ' 9 、私 た ちは 、そ れ に 報 い る よ うが んば らねば と思 う。 今 で は 、 お年 寄 も園
生 活 に1 賞れ て 、国内行事 、或 は 、 園 外行事 も参加す る様 に な ってか ' 9 、老 人の 皆 が
毎 日々 幸 です 。 極楽 な生 活 も送 る事 も、皆 が親切 して貴 え て と口々 に 言 った 時 に は 、
誇 りあ る仕 事 につ い て良 か っ た と思 い ます 。今 後 、詰先 生 方 の 指 導 を頼 り、 又 、老
人の 心 の 触 れ 合 い を大切 に し、 地域 の 方 々 と共に 、立 派 な ホ ー ム を築 き上 げて い き
た い と思 い ます 。
福 寿園 五 周 年 に あ たって
寮 母
私 は 、幼 い頃か ら祖母 と一 緒 に生 活 し、成長 し、今 では一 児の母 です 。福寿園 で
寮 母職 を勤 めて満 5 年 生になる こ とを思 い ます と、感慨 深 く、私 の 人生はお じい ち
ゃん 、おばあち ゃん と共に生 きて きたんだなあ と思 う。
仕事 しなが ら、祖母 と共 に暮 らす うちに 自分 に 身 につ いた甘 えをな くし、 きび し
く自分 を しか りなが ら、言 い きかせ て きた もの で`
す。
一- 71 -一
それ は 、私達 が祖 母 の よ うなお年寄 りを、 これか らは支 えて いか なければ い けな
いのだ とい う気持 でが んば るこ とだ と思 ったか らで`
す。
福寿 園に入園 して来 るお年寄 り達 は 、 それ ぞれ不 自由 な方ばか りです 。 それ で も
生れ て きて よか った と思 って もらうよ うに、尽 くしてあげた い と思 う。 そのために
は 、趣味活動や リハ ビ リ活動 の 介助 家 族 との 間 のか けは しになってあげ るこ とだ と
思 う。 あるおばあち ゃんは 、手芸 に趣味 をもち、なにか と 自分 か らすすんでな らう
よ うにな り、手 足の不 自由な方 の喜 びが わか るの です 。私 たちは 、 このか ぎ りな い
処遇 を高め るため 、研修 を積 み重ね て 、お じい ち ゃん 、おば あち ゃんが 毎 日を明 る
く過 せ る よ うに 、家庭的お、いん きをつ くるよ う′
いが けて 、向 う1 0 周年 に 向けてがん
ば って い きた い と思 う。
-72-
5年 を振 り返 っ て
宜野湾市特別 養護老 人 ホー ム」 に勤 め る、寮母 として経験 の な い
開 園当初現場 「
まま老 人の お世話に戸惑 い を感 じなが ら励 んで きましたが 、早や 5 年 の 歳 月が 流れ
て しまい ました。
老 人人 口は年 々増加 し、高齢化社会 を迎 えようとして い ます 。老 人 の しあわせ を
願 い 、 園では 、老人 の 自己中心的 な面 もみ られ るがイ
回人の意思 を尊重 し、 自立心 と
生 きが い を高め るために 日夜努 力 して い ます。
入居者同志 が 歩行器 の奪 い合 いでお互 いの 自己主張 をゆず らず説明に困 り、 その
点では誤 解 をしてお られたが 、後 で反省 して もらい寮母 の心 づ か い を理解 し、色
時″
々 と相談 をもちかけた り、お互 いの信頼関係 が 深 ま りま した。 1 年 後、 自己の老衰
を不安 に終 末 を園 で過 ご したほ うが いいか 、家族 と一 緒 に家 に帰 え ったほ うが いい
か と、真剣 な態度 で語 る。 本人 の健康状態 がお もわ し くな いので家族 と共に家 で静
養 す るよ うに進 め る。家族 は指 導 員 と相談 の うえ退 園 を願 い帰宅す る。
老 人は 、家族 に 見守 られて 、数 ヶ月後 、 この世 か ら離別 したこ とを知 り、老 人の
生前 に 、微量 ではあるが 、役 に立 った こ とを誇 りに思 い 、今後、老 人 、一 人一 人 を
大切 に して勤め て い きた い と思 い ます 。
一- 73 -一
5週 年 を記 念 し て
調理 貝
私 は 、 3 年 間福祉事務 所 で 、家庭奉仕 員 として 、独 居老 人 、身体障害者 の在宅 の
世話 を して い ました。その 人達 が 、 カゼ で寝 こんだ り、又 、 ころん で腰痛 で寝 た き
りになって い る時 は 、後髪 をけ│ かれ る思 い で 、帰 りました。県 で唯一 の 、市 立 福寿
園 が 、開園 した と同時 に 、 その 人達が 入同で きた時 、 とて も う″としか った。
よ く年 の 5 月 の 人事 異動 で、福寿園 の用務 貝 として 、 4 年 にな ります . 毎 週 木曜
日には民話 、 レ クレー シ ョン、 モー アシビー のp サ
t を、 4 時 迄 の 時問 を、大 いに笑 っ
た り楽 しく過 ごしましたっ今年 の 4 月 か らは 、厨 房職 真 として勤 め る事 にな り、現
マ ァーサ
れ: 、先輩 の指導 を受 けてお ります 。一 日 も早 く仕事 を党 え、お年寄達 が 「
タ ン ドォー 」 の声 を聞 く事 を、楽 しみ とした い です 。 そ して 、 チー ム ワー クを大 切
に し、お年寄達 が 、毎 日楽 しい生活 を送れ る様 に 、頑張 って い きた い と思 い ます 。
5年 間 を振 り返 って
寮 母
寮母職 につ き、早 や 5 年 の 歳 月が過 ぎ、思 えば い ろい ろな出来事 があ りま した①
あ る、おばあち ゃんは 、一 人娘 を他国へ 嫁 に とつ がせ 娘 を慕 う、 あ ま りに 、本 人 も
高齢 なの で 、死 へ の恐れ不安 と孤独 感 に陥 入 り、夜間徘徊 す るこ としば しば 、妄 想
に と りつ か れ 、 カウ ンセ リングの 中で 、不安 の気持 を訴 えるのみ 、 どう対応 し説得
して いいのか私 自身、胸 が しめ つ け られ る思 いが させ られ ました。結局 、その 日を
楽 し くさせ る様 に心がけて い る毎 日です 。 又 、 園では 、年 間行事等 は 、地域 の 方 々
の協 力 もえ られて 3 月 浜下や レ ク大会に 、ハ ンデ ィを背 負 った方 々 も、我れ先 に参
加 し微笑 ま し く、明 るい光景 が 見 られ る。 日頃 の老人 に対 して心 の奥底 を洞祭 しな
ければ本 当の老 人の看護 は 出来 な い と、思 い ます 。職 員 が一 体 となって 、 さまざま
な老人の経歴性格 を持つ心理 をはあ くして、がんば りたい と思 う。未熟 ものの私で
すが いろんな画か ら学んで行 き、明る く安心 して住み よい園に 、して行 く決意 です。
一- 74 -一
反面 、毎週 の クラブ活動 には 、地域 の 方の 協力 もえて 、民話 。生花 ・陶去 。手芸
の 日誅業務 に 参加す るよ うになって 、お年寄 りの 方々が次 第 に落 ち着 き、楽 しい園
生 活 の雰L ■
l 気が 確 立す るようになる と、お年 寄 りも友達 を多 くつ くり、 また それ が
語 り合 う機会に もな りました。
この 5 ヵ 年間、職 員 と共に歩み 、園 の運営方針 に従 い 、ただ夢 中で働 いて来 ま し
た 。今 では 、や って いて良 か った と心 の底 か ら感 じて い ます 。身体的 に も精神 的 に
も、お年 寄 りの 手 とな り足 とな って 、今後 も一 層努 力 して 、 この仕事 に頑張 りた い
と思 い ます 。
5ヶ 年 を振 り返 っ て
寮 母
な知識 も無 く、老人ホー ムに玄モ
衛祉 の 年P I I 的
母 として勤 め 、7 0 名の お年寄 りとの
日々 を過 ご して 、 いつ の 間 にか 5 年 にな りました。開 園当時は 、 ただ単 に 、寮母 の
仕事 は オム ツ 交換 、食事 介助 、 入浴介助 な どだ け だ と、 と思 い軽 い気持 ちで 、勤務
した杷、
で した。 お年寄 りをお世話 す るばか りで な く、業務 日誌 等 の 記録 をつ け るの
が 多 く、大変 な事 とは 、想像 もして い ませ んで した。 又 、 クラブ活動 、年 間行事 も
多 くて 、仕事 の きび しさを痛感 して い ます 。初め の頃は 、不安 とあせ りを感 じた も
の です ① そ の不安 を取 り除 い て くれ たのが 、同僚 た ちの協 力 の おかげで 、現在 まで
務 め る事 が 出来ま した。今 では 、一 人一 人のお年寄 りとの接触 の 中 で 、寮母 として
の 生 き甲斐 を感 じる様 にな り、福祉 とい う ものが 、 人々に とって 、 どれ だけ大切 で 、
あ りがた く、暖 か い もの であるか 、理 解 で きる様 に な りました。 これか らもお年寄
りを愛 して 、老 人 の 力 とな り、老 人か らも親 しみやす い寮母 に な りた い と思 い ます 。
十- 75 -―
5年 をふ りか えって
寮 母
寮母職 に就 き早や 5 年 、開園当時植 え た 中庭 の桜 もうららか な季節 と もな る とお
年寄 りの心 をな ご ます かの よ うに咲 きほ こ り、思 えば 色 々 な出来事 にぶ つ か りなが
ら今 日の 日を迎 え る事 が で きました。
む ず か る幼 な子 を寝 か しつ け る様 に添寝 して眠か した り、住 み慣ヤ
した我 が家 を恋
しが り園に剛│ │ じ
まず風 呂敷 包み を抱 え無断外出 して い るの を説得 して運 れ帰 った時
も幾度 とな くあ り、四苦 八苦 した時 が 昨 日今 日の様 に思 われ ます 。宿 直 の夜 、急変
者 が 出 て雨が 降 る真夜 中の道 、我 れ を忘 れ看護婦 の家 を無我夢 中 で尋 ね歩 きや っ と
尋 ね 当て た時、安堵 感 が体 中を走 り看護 婦 と共 に園に駆け着 け処置 の 甲斐 もな く他
界 した老 人の事 を思 いだ され ます 。
楽 しい行事 として二 月浜下 りが あ り身体的 にハ ンデ ィを持 っ 方も自か ら進 んで参
加 し楽 しい一 時 を過 ご し来年 の浜下 りを待ち ごが れ る ぐらい です 。
考 えて見 る と老 人 を理解す る事 は 限 りな い。 「
思 いや り」「
耐 」な くして出
努 力」「忍、
来 る物 ではあ りませ ん。 自分 の老 人処遇 につ いて の未熟 さ を恥 じつつ 謙虚 に 自分 の
行動 を見つ め る事 こそ福 祉職 真 に必要 な の ではな いか と思 い ます 。 園長 の お言葉 の
中 に 、相手 が 「怒 る時 には 悠 らず 、笑 う時 には共に笑 い」 を教訓│ として 、 これか ら
も明 る く笑 い声が絶 えな い家庭 的な雰 囲気倉‖りに誠花、
誠意がんば る決意 です 。
5ヵ 年 を振 り返 っ て
寮 母
何 も知 らずに寮母職 につ き、 l ヵ 月の実習で ひ と通 りの仕事 の 内容 も覚 え たつ も
りで したが 、 5 ヵ 年 が過 ぎた今 で も仕事 の厳 しさには 、切実 に感 じて い ます 。
れなか ったの で 、落 ち着 か ず に無 断 で
開 園当初は 、布: 園者 の方 々が集 団生活 に1 ま
家 に帰 る方 もいて 、文私 たちが 夜勤 の ときには 、 ワ ァー と泣 き出 して 、廊下 を徘徊
し、周 囲 に迷惑 をかけ るお年寄 りを、 どうや ってお世 話 して いいのか 不安 で した。
-76-
5ヵ 年 を振 り返 っ て
寮 母
宜 野湾市立 「
特別養護老 人 ホー ム」 が 開園 して早 5 年 にな りました。福 祉 の事 は
勿論 老 人心理 につ いて も全 く無知 でこの職 につ き、開 園当初 は全 てに困惑す るばか
りで した。
この 5 年 毎 日老人 と接 し、又研修 等 を重ね て どうにか対応す る自信 もつ いて きま
した 。 しか し、お年寄 りと家族 との精神 的な結 びつ きの 中 で 、第 3 者 である私 たち
職 員が お世 話す る場合 、当然、い ろんな限界が あるわけです 。老 人は家 族 の 来園が
遠 の きます とい ろい ろな行動 で表 します 。徘徊 、不 眠 、拒食 、暴 言等 、お年寄 りと
家 族 の皆 さん の精神的 な結 びつ きを軸 として よ りよい家族関係 が いつ で も、継続 で
きるように援助 させ て い ただ きまして これか らも、ます ます 自己学習 につ とめ 、福
寿 園 の お じい さん 、おばあ さん 、の幸せ の為 に頑張 って行 きた い と思 い ます 。
5ヵ 年 を振 り返 っ て
寮 母
県内 で唯一 の市 立 老人福祉施 設 として 、 ス ター トして早や 5 年 、思 えば開園当初
は 、皆 が無 我夢 中 で毎 日を過 した もの で した。
あ の頃は 、老 人福 祉 につ いて も認識不 足で不安 なが らに も夢 を抱 いて い ました。
そ して開園 し、 た くさんのお年寄 りが 、 入園 され 、 月 日を共 に重 ねて い くうち、
老 人福祉 について も私 は勉強 も出来 た よ うに思 い ます が 、本 当に幅 の広 さ、そ して
いかに大事 な事 であるか又 これか らも、 もっ と地域社 会 の 人々が福 祉 につ いて理 解
を持 って も らい、高齢化社会 に対応出来 る よ う頑張 ってほ しい と願 ってや まな い毎
日です 。
福 寿園 は 県内 で只一 つの市 立特別養護老 人ホー ム としてこれ か ら も皆 で立 派 な老
人ホー ムに し、 どこにで も自慢 出来 るホー ム であってほ しい と思 い ます 。
一- 77 -一
福 寿 園 の 5ヶ 年 を振 り返 っ て
寮 母
市 立福寿 園 「
特別養護老 人ホー ム」 は 、立地 条件 に 恵 ぐまれ た環境 にあって 、施
設 の社会化 に貢 献 しつつ 5 ヶ 年 を迎 えま した。現在現場 に従事 す る寮母 の責 任 を痛
感 致 します 。振 り返 えれ ば 設立 当初 は 、単 なる自己判断で物事 を押 し進め 、介助 介
護 とその 日を無駄 に過 したかの よ うに思 われ ます 。過去 の経験 の積 み重 ねに よ り、
森母職 の重大 さ、福 祉 の責 任 と使命 、 日々の 人間 関係 に触れ 、 自分 自身誇 りとや り
が い を党 えます。今 日、施 設の 見直 し、転換期 に問 われ 、周囲 か ら疎 外 され な い生
活 の場 、 自立へ の援助 と位置づ け られて まい りま した。
入居者個 々の立場 は 異な るが 、 人生 を築 いて こ られ た生活環境 を切 り離 し、新 し
ヽ
い施 設 の 中へ 適応せ ざる を得 な い 老人の′
理 は 、孤独 と不安 が重 な り、傍 目か らか
じ
た家庭 を見捨 て るこ とが で きず 、
ん たんに想像 もつ かな い こ とで し ょ う。住 み剛│ │ れ
さま ざまな行幕 、拒否反応 が深夜 か まわず廊 下 を徘徊 した り、意 識 障害 で妄想 に陥
い る老人 も見受 け られ ます 。時 には家族 へ の想 い を寄 せ 、無断 外出 を繰 り返 した り、
`
中庭 をは んや り眺めて い る姿 は 、心 な しか 、胸 に突 き刺 さる思 いが し、処遇 の 困難
に 戸惑 い を感 じます 。 突然 に して 、心 身 の機能低下 に伴 い 、生 の終末 を無理 に余儀
な くさ″し、欲求不満 に陥 い り、精神的障害 、又は人格 をも阻. 害して しま う現状 は 、
共有 の課題 として責任 を感 じ
現代社会 の 波に 、身近 か な人間 関係 の希薄化 が 、私) 圭
ます 。
寮母 に与 えられ た役告」として 、単 に人情 とか 、貨幣的サ ー ビスのみに捉われずに、
入居者4 田々の立場 か らニー ズ を把握 し、温 い施 設交流 の場 と、地域組織 の連携 を密
に しなが ら、 1 人 で も多 くの老 人が 入居 して よか った と、充実 した集団生活 を過 ご
させ るよ うに 、心がけて い きた い と願 ってお ります 。
一- 78 +
福 寿 園 に勤 務 して
栄養 士
福 寿 園 に勤務 して まだ 日も浅 く、見 る物 見 く事 すべ てが初 めて の経験 なの で少に
戸惑 い を感 じた次第です 。永年 住 み馴│ れた児童福祉施設機関 よ りい きな り老 人福祉
施 設 へ 配置 され 、少なか らず も不安 と動揺 を覚 えたのは確 か です。 しか しい ざ勤め
てみ る と自分 の イ メー ジ とは違 い明 る く家庭的 な雰 囲 気 での 人間性 のふ れ合 い に改
め て老 人福祉 の意義 を認識 させ られた 、 と同時に人生 にお いて大先輩 である在 園者
の健康管理 を担 って い く自分 の果す役害」も大 き く、や りが いの ある仕 事 です 。 又現
場 に勤務す る職 員 の連絡 、在 園者 との意志 の疎通 は他 の職場 では とて も味わえな い
ものが あ ります。今 は毎 日が業務 の流れ を党 えるの に追 われ 、在 園者 と対話 を持 つ
時間 もな く精 神 的 あせ りが 先走 って い る現状 ですが 、今後交流 を深 め喫 食効果 を高
め るため 奮斗 した い と思 い ます 。
福 寿 園 の 5ヶ 年 を振 り返 っ て
寮 母
創 立 5 周 年 を迎 え長 い ようで短 い感 じである。当初 、他 の施 設で l ヶ 月間 の研修
もあ リー 通 りの事 は学 んだつ も りが戸惑 う事 も多 く、 ただ 日常生活 の お世 話 をす る
だけで無 我夢 中 で した。 月 日が立つ につ れ老人 の ニー ドも理 解 しつつ あ り、今 は施
設 も収容 の場 か ら生活 の場 に変 った と云 われて い るご とく当園で も各行事等 も計画
され家庭的 な雰 囲気づ くりに職 貞一 同気 を配 ってお りますが 、 M お ばあ さんは面会
が 遠 ざか る と食事 も拒否す るこ と もあ り、又 K お じい さんは面会者 が 来園す る と感
、
激 し子供み たい に喜 ぶ 、その様 な′
亡
境 は皆 同 じだ と思 う。老 人に とって幸せ とは 、
物 質 の満 た され た生活 だ けではな く心 の安 らぎであ り、それ も家族 、親戚 、友 人の
協 力 が な い限 り心 の安 らぎを与 える事 が 出来な い事 を痛切 に感 じられ る。 多 くの老
人 と接す る中で色 々 と学 び反 省 させ られ る今頃 です 。 どんな我 が ま ゝな老人であ っ
て も若 い者 が理 解 し接 して上 げ るべ きだ と思 う。
一- 79 -一
過去 を願 って
寮 母
福寿 園は 、入園者 が 日常生活 を明 る く、豊 かに送 って いただ くため に 、ね た きり
老 人 を収容す る施 設 として 、昭和 5 2 年6 月 に開園 され ました。現在 まで 、地域老人
クラブ婦 人会 、地域 奉仕作業団体 、そ して市 当局 の ご理 解 、 ご協 力 の下 に 、無事 5
周年 を迎 える こ とが で き、心か ら感謝 申 し上 げ ます 。
私 も初 めて の福 祉現場 で働 いて 、様 々様 々の 困難 に会 い なが ら、 どうにか お年寄
りをお世 話 して きました。過 去 5 年 を顧 える と、お年寄 りの処遇 につ いては 、戸惑
い なが らも、全職 員 が知識 を出 し合 い 、頭 を練 り、良 りよい処遇技術 を とり入れ 、
自己研鎖 に励 んで きました。今 思 い ます こ とは 、施 設 は単 に衣 、食、住 を充 た して
あげ るだけでな く、 入園者 が余生 を楽 し く過 して もらうよう、援助 してあげ る場所
で もあ る と思 い ます 。 クラブ活動や地域諸 団体 の慰 門 はほん とに入園者 の生 き甲斐
であ り、素晴 らしい こ とだ と思 い ます 。
開 園当初 は不 安動 揺 して い た入 園者 も、 この ごろは園生活に慣れて きた よ うです。
`「
そこで最近 では 、会 うたび 1 こ
クマ イ ッペ ー イイ トウ クヤ ッサ ー 、ム ヌ ンマ ー サ ヌ」
とい うの をきい た とき、 ほ っ とす る と同時に 、お年寄 りのお世 話 して よか った と思
う。 これ か らも忍耐強 くお年寄 りに接 し、経 験 をお、
まえてがんば って い きた い と思
い ます 。
一- 80 -一