『揚輝荘だより』2009年秋号 (伴華楼:南面外観) 現在、 「こけら」という漢字は「柿」の文字を使っ ていますが、実は右側の旁(つくり)は、鍋蓋に「巾」 ではなく「朮(おけら)」の右上の点の無い文字で、 縦棒が一本で貫かれており鍋蓋ではない。過去には 同一文字として扱われた事もあったが、 「こけら」と いう時は漢字は使わない様です。 一般的には、この文字が「常用漢字」にないため No 「柿」の字が俗語として使われているとのことです。 11 ■ 屋根工法の分類 屋根葺き工法の建築的分類では、まず材料からみ ていきますと、 <巻頭言> かや よし わら (1)草 葺(茅、葦、藁、麦藁等) 『 ガイドの独り言 part.2』 さわら (2)板 葺(桧、 椹 、杉、栗等) ひ わだ 臼井 弘明 (3)樹皮葺(檜皮、杉皮等) (4)瓦 葺(いぶし瓦、陶器瓦、セメント瓦) 『こんにちは!』 ・・・ 『いらっしゃいませ!』 ・・・ (5)金属板葺(銅板、亜鉛鉄板、ステンレス鋼 『ようこそ揚輝荘へ!』 板、アルミ板) 前回に続いて揚輝荘建築の特徴について「建築ア (6)スレート葺(天然スレート、石綿スレート) ラカルト(2) 」としてお話しをしたいと思います。 (7)新建材葺(石綿板、砂付きルーフィング、 今回は、 「杮(こけら)葺」 ・・・・・・ (伴華楼) 強化ポリエステル板等)に分類されます。 について、見ていきましょう。 「杮(こけら)葺」は(2)板葺に属しております。 ■「杮(こけら)葺」 一般的に「杮(こけら)葺」と言っておりますが、実 この意匠は、伴華楼の1階玄関屋根に用いられて は、板葺屋根の分類は、板の厚さで決まります。 います。 伴華楼は、 昭和4年に完成した建物ですが、 ① 杮(こけら)葺・・・・・・・厚サ:2~3mm この建物は尾張徳川家から頂いた平屋の茶室・和室 ② 木賊(とくさ)葺・・・・・・・・4~7mm を移築したものです。 ③ 栩(とち)葺・・・・・・・・・10~30mm その移築の際に、元々平屋建ての建物に1階と東 に分類されます。 側1棟を増築して2階建てとして完成させたもので 又、材種は 椹・桧・杉・榎など、筋目がよく通っ した。 て削ぎ易く、水に強い材木が用いられています。 この「杮(こけら)葺」の名称は、実は一般的な通 ここ「伴華楼」の1階玄関屋根に使用されている 称でして、 「こけら」とは木の切り屑・木片のことを 板の厚さは、約5mmありますので、「②木賊(とく 指します。 さ)葺」にあたります。 1 (出雲大社本殿ほか: 「檜皮(ひわだ)葺」 ) (「杮(こけら)葺」屋根見本) (伴華楼1階玄関屋根: 「木賊葺」) ■ 榑(くれ)板葺屋根 通称「杮(こけら)葺」と言っているのは、実は② 飛騨地方では、 「榑(くれ)板葺」というものがあり、 の「木賊(とくさ)葺」が殆どなのです。 榑(くれ)板の大きさで分類されております。 ( 1 )「 長 榑 ( な が く れ ) 又 は 熨 斗 榑 ( の し く れ ) ①の「杮(こけら)葺」は解かり易く区分する為に、 ここでは、 「真正杮(しんせいこけら)葺」と呼ぶ事に 葺」・・・・・・・・寸法:7.5×150×450 します。では、実際にこれらの使われている建物を (2) 「半榑(はんくれ)葺」 ・・・4.5×100×270 探してみると、 の2種類があります。 ① 真正杮葺・・・桂離宮古書院、鹿苑寺金閣、 慈照寺銀閣、室生寺金堂等 (「長榑葺」屋根見本) (「半榑葺」屋根見本) 榑(くれ)板の原木は主に、ネズコ(くろべ)、椹、杉、 唐松、栗などが使われてきたが、現在ではネズコの (桂離宮古書院:「真正杮葺」) 良質の赤味材が使われています。これらは比較的割 (鹿苑寺金閣: 「真正杮葺」) り易く、耐水性に優れている。 ② 木賊(とくさ)葺・・・・・修学院離宮客殿 先日、高山市内の「高山陣屋」を見学した折に、 三仏寺本堂、北野天満宮絵馬所等 この「榑(くれ)板葺」を初めて知りましたが、地方 ③ 栩(とち)葺・・善光寺三門、蓮華寺弘法堂、 によっては、まだ他にも違う呼び方の屋根が有るの 光明寺二王門、白水阿弥陀堂等 かも知れません。 参考に、その他有名建築の屋根を見てみますと、 〇 茅 葺 ・ ・ 縄 文 時 代 の 竪 穴 式 住 居 (登 呂 遺 跡 )、 伊勢神宮正宮・別宮、 白川郷や五箇山の合掌村集落等 〇檜皮(ひわだ)葺・・・出雲大社本殿、厳島神社諸 殿、北野天満宮、京都御所紫宸殿・清涼殿、 (高山陣屋「半榑(はんくれ)葺」屋根) 清水寺、善光寺本殿、室生寺五重塔 ■ 伴華楼に「杮(こけら)葺」が使われた理由 などがあります。 ここ揚輝荘で、「杮(こけら)葺」〔 実際は「木賊 (とくさ)葺」 〕が使われているのは、 「伴華楼」 だけです。 「聴松閣」 ・ 「揚輝荘座敷」 ・茶室「三償亭」にも有り ません。又、「白雲橋」にも無いのです。 では、何故「伴華楼」だけに使われたのかを検証 (修学院離宮:千歳橋と屋根頭部の鳳凰) してみたい。 2 前回の「うろこ壁」で紹介しましたように、この 日 時 平成 21 年 10 月 31 日(土) 建物「伴華楼」は、もともと在った和風の建物に洋 11 月 1 日(日)9:30~16:30 風の建物を増築した和洋折衷の建物です。 場 所 北園・南園 そこで、和洋の建物を違和感無くドッキングさせ 主 催 揚輝荘イベント実行委員会 る為に設計者が苦心した仕掛けが2つあり、その1 天 候 31 日:晴、1 日:曇り午後雨 つが「うろこ壁」であり、 一見洋風然とした煙突外 入場者 31 日:1001 人、1日:645 人 壁の「市松模様」に始まり、そこに繋がる2階の「角 本年、初めての試みとして「文化祭」を開催。 型うろこ壁」 と廊下腰壁の「市松模様」にも見える「無 揚輝荘の北園、南園で 2 日間、お抹茶と音楽、俳 双窓」、そして1階玄関屋根の「杮(こけら)葺」に続く、 句、生花、写真、アートなどの展示を行いました。 この一連の連続性のある組合せを採用したのだ 』と 和服姿でお茶を飲まれる方には割引と、写真撮影サ 説明しました。 ービスも行い好評でした。 ですから、ここでは1階玄関屋根は「杮(こけら) お茶会:三賞亭にて江戸千家 清水宗節・社中の皆 葺」でないと納まりがつかないのです。一連の連続 様、2日間で 220 人(内和服姿の人 60 人) 性を確保するためには、 「瓦葺」や「銅板葺」の屋根 お菓子は今回初めて揚輝荘の会のオリジナル菓子、 ではいけなかった理由がここにあるのです。 うさぎの上用饅頭が好評でした。 音 楽:10 月 31 日(土)11 時~14 時 ハーモニカ・カルテットと三音会の皆さんに よる筝・尺八の演奏を野外舞台で行いました。 11 月 1 日(日)はプラネットブルー (ヴァイオリン、ピアノ、筝)とチャンビン 二胡演奏団による演奏を白雲橋で行いました (2階「うろこ壁」+無双窓+1階玄関屋根「杮葺」) ここに「杮(こけら)葺」でなければならない必然 展 示:北園の伴華楼で生花、写真展、南園の 性があったのだと思います。 お座敷では縮緬細工、創作アップリケ、キルト、 ■「こけら落し」の語源 お手玉展示、庭園を使って現代アート(中島由夫) 「杮(こけら)葺」に関連した言葉に、 「こけら落 キネテックアート(多治見正勝)アートワークス し」というものがあります。 ス(林慎治)の作品を展示しました。 最近では、 「こけら落し」 は芝居の幕開けや開場興行 投句会:選者 ねんげ句会同人 選評馬場駿吉氏 を指す言葉としてもよく使われていますが、 2 日間の投句 210 句の中から特選1句、入選 この語源は、建物を建築した工事の最後に足場の 3 句、佳作3句を選句して頂き、表彰しました。 上などに残った「木の切り屑・木片等」=「こけら」 を片付ける事、所謂「こけらを落して」足場を解体 し建物を完成させた事から、新しく出来た劇場等の 開場を 「こけら落し」 と呼ぶようになったようです。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ チャンビン二胡演奏団 三音会の皆さん プラネットブルーの皆さん 南園・座敷での展示 ◇ ―――イベント等報告コーナー――― 報告 田中 進 「揚輝荘」秋の文化祭 ~お茶会・音楽・句会・作品展示~ 3 名古屋観光ヒートアップ事業 「揚輝荘薪狂言」 日 時 平成 21 年 11 月 22 日(日) 18 時開演 場 所 北園 野外舞台 主 催 文化の里づくり委員会 企画・運営 揚輝荘の会 天 候 曇りのち午後 3 時より雨 入場者 70 名 南園でのアートの展示 「揚輝荘・市民茶会」 日 名古屋観光ヒートアップ選定事業として、文化の 里づくり委員会は 4 つのイベントを企画、揚輝荘会 場は薪狂言を開催しました。野村小三郎氏を通じて、 昭和 34 年に名古屋で旗揚げされた狂言「やるまい 会」の皆様に出演いただいた。 16 時 30 分に開場し、希望者に南園見学と三賞亭 で抹茶を提供。 18 時より開演。 「狂言の楽しみ方」を 伴野俊彦 氏が話された後、太郎冠者:松田高義氏(重要無形 文化財総合指定保持者) 、主:奥津健太郎氏(能楽協 会会員・東京支部在籍)により和泉流狂言「清水(し みず) 」が演じられました。 雨にたたられましたが、かがり火、若松、橋がか りテントなどの装飾、設備は好評でした。 時 平成 21 年 11 月 21 日(土) 、 9:30~16:30 主 催 城山・覚王山地区魅力アップ実行委員会 企画・運営 揚輝荘の会 場 所 北園 南園 天 候 晴れ 野点会場 三賞亭 揚輝荘の北園で煎茶とお抹茶を楽しみ、バイオリ ン ピアノによる音楽を演奏、また南園では筝の二 重奏を行いました。市民茶会は、毎年開催していま したが、揚輝荘会場での開催は初めてです。 お茶会:煎茶 松風流 仙田梅豊社中(10 名) 。 三賞亭で 70 名のお客様が煎茶を楽しまれました。 野点会場では 遠州流 加藤宗廣社中の皆様(12 名)が立礼で茶会を行いました。暖かな晴れの日で したので 180 名のお客様が楽しまれました。 和泉流狂言風景 音楽 白雲橋でピアノとヴァイオリンの演奏。 紅葉を楽しむ会 2009in 揚輝荘 (ピアノ 神山雅子 ヴァイオリン 安藤郁乃 家田尭) 南園にて筝の二重奏 (岡田玉千栄都 下村玉菊都) 。 日 時 平成 21 年 11 月 29 日(日) 9:30~16:30 会 場 揚輝荘 北庭園 南庭園 主 催 城山・覚王山地区魅力アップ実行委員会 天 候 曇りやや寒い一日でした 三賞亭での煎茶席 入場者 1661 名 野点会場 スタッフ 55 名 音楽と歌のコンサート:白雲橋 ヴァィオリン 安藤郁乃 ピアノ 神山雅子 ヴァイオリン 家田尭 唄 高坂絵梨奈 講談:野外舞台 古池鱗林 日本舞踊:野外舞台 西川流「おどり夢」子供舞踊団 南園での筝の二重奏 指導 西川まさ子 4 祭祀舞:白雲橋 南 美鈴の会 園:箏 笹野大栄 の壁画の部分的描写です。聴松閣になぜこの壁画が描 尺八 牧原一路 かれたのでしょうか。 昨年より 1 週遅くした為、北園南園とも見事に色 75 年前の昭和 9 年、祐民氏は通訳にハリハラン、身 づいた紅葉の中での開催。スタッフは前日からの準 の回りの世話役に千代、写真撮影に長谷川傳次郎の一 備、当日は 8 時に集合し 9 時半より入場開始。 行 4 名でインド・東南アジア仏蹟巡拝旅行に出かけま 白雲橋で 10:30 よりヴァイオリン・ピアノの演 した。 奏・歌のステージを行いました。11:30 より野外舞 インド各地の仏教遺跡を見学した中で、アジャンタ 台で古池鱗林の講談、西行法師を演じ好評でした。 石窟に強烈な印象を受け、帰国後、聴松閣の地階ホー 続いて西川流子供舞踊団の 9 名が踊りを披露しまし ルに壁画を描かせたのでしょう。飛行機のない時代、 た。13:30 より「美鈴の会」4 名が祭祀舞 浦安の 汽車と自動車による長旅の様子が、貴重な祐民氏の旅 舞を最初は豊彦稲荷前で奉納し、続いて白雲橋で舞 行日記から伺えます。 を披露しました。 模擬店ではたこ焼き、おでん、助六寿し、団子を テントの下で販売しました。 特にたこ焼きおでん が寒さの為か、好評でした。三賞亭でのお抹茶は 350 人の満席となり、裏千家荒木先生他 8 名のお弟子さ ん達は大忙しでした。 会場西側テントの中では、学生チーム「エコネク スなごや」の皆さんが、マイ箸作りワークショップ を 11 時と 13 時の 2 回開催し、30 名の人が参加さ れました。 昭和 9(1934)年 祐民氏日記より 11 月 26 日(月) 汽車にてカンドワ駅午前 8:50 発、11 時 48 分ジャルガオン駅着、自動車にてアジャ 「おどり夢」子供舞踊団 美鈴の会 ンタに向う、午後 2 時アジャンタ着、26 窟を見物、又 自動車にて 60 哩(96k)走り、アウランガバット着、 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 投宿。 ――― 投 稿 ――― 「祐民氏のインド仏蹟旅行・ アジャンタ・エローラ窟を訪ねる」 2009年7月 田中 進 揚輝荘の聴松閣地階はインド・東南アジア様式の部 屋になっており、なかでも目を引くのはホールの壁4 面に、ハリハラン氏が描いた壁画があります。紀元五 世紀ごろ、西インドのアジャンタ仏教石窟群に描かれ ている、ブッダ前世の物語、釈迦誕生にかかわる一連 5 11 月 27 日(火) 午前 9 時自動車にてエローラに向う、 途中古城を見物す、このあたり山の形奇なり、12 哩走りエ ローラ窟に達し 38 窟を見る、午後 10 時 53 分アウランガバ ッド駅より汽車、(夜行列車、車中にて泊まる) 11 月 28 日(水) 午前 1 時 52 分マンマード駅へ、3 時 カイラーサ寺院 エロラ第 11 窟に入る祐民氏 発 午前 7 時 50 分ボンベイ、ビクトリヤターミナス着、タージ 院を中心とする、ヒンズー教に属し、8 世紀から 9 世紀の前 マホテルに入り、3 日間滞在。 半に作られ、北端の 5 窟はジャイナ教に属するもので、9 12 月 1 日(土) 午後 1 時 40 分出立、2 日(日) 終日車中、 世紀から 11 世紀に作られました。 午後 7 時 20 分バンガロール着、ウエストエンドホテルに入 16 日(木)「アジャンタ窟院」はアウランガバードの北部、 る。(西部鉄道の1等車 1100 キロを約 25 時間) 車で約 2 時間ファルダプール村から公営バスに乗り換え、 12 月 3 日(月)ゲイルソバの滝を自動車で見に行く途中 15 分のデカン平原の中にあります。紀元前 2 世紀から世 車故障、パンク 2 回、森の中で虎の吠える声を聞く、 紀後 650 年の 800 年間に 29 窟の仏教洞窟が作られまし た。そして 7 世紀ごろには突然理由も無く、建築者がエロ 面積が日本の 9.5 倍、ヨーロッパがすっぽり入ってしまう広 ーラのほうへ移動しました。多くの洞窟は未完成でコウモリ 大なインド、長時間の汽車の旅はさぞ大変だったでしょう。 の巣となって、世間に忘れられ地崩れや降雨ごとに貴重な 私は昨年出版された書籍「揚輝荘と祐民」に、インド旅 芸術が失われました。1819 年東インド会社のジョーン・スミ 行記を執筆しました。 スが虎狩をしていた時偶然発見されました。アジャンタ窟 アジャンタ・エローラ窟を見に行きたいと思っていた矢先、 院の多くが洞内の壁面や天井もしくはベランダに古代のフ ハリハラン氏を師と仰ぎ、バンガロールで一緒に住んでい レスコ画を残しています。 た加賀谷氏が、今年4月に揚輝荘に来荘されました。加賀 谷氏の薦めもあり、7月にインドに出かけました。以下はそ の日記の一部です。 7 月 13 日(月)ムンバイに到着、翌日は市内見学、75 年 前祐民氏が滞在したタージマホテルは昨年 11 月のイスラ ム過激派のテロで、旧館は修理のため閉鎖中でした。 第 2 窟の「兜率天上の菩薩」仏伝図の写し、この菩薩は 15 日(水)「エローラ窟院」はアウランガバードから36キロ、 白象となって地上に舞い降り、釈迦の母となるマーヤ夫人 車で 1 時間の所に有ります。途中、祐民氏の日記に描か は白象が体内に入る夢を見ます。生まれる子が釈迦にな れた、ダウラタバードの古城を見学、頂上から見る城の全 ると占い師から説明されている場面です。そして美しい立 景、デカン平原の景色が雄大でした。 ち姿の女性は身ごもったマーヤ夫人です。壁画は縦 1 メー トル横 3 メートルの大きさで、照明を落とした薄明りの中で も、はっきり見え、実物を目の前にして感動を覚えました。 日記に描かれていた古城 頂上からの眺め 窟院は南北6kに及ぶ大地にせり出した岩山を、掘削して 作られた 34 の寺院群です。 南の 1 から 12 窟までは仏教に属し、7 世紀から 8 世紀に 兜率天上(とそつてんじょう)の菩薩右側にマーヤ夫人 造られました。中央に集まる 17 窟は有名なカイラーサ寺 と占い師の場面、マーヤ夫人の立像がある 6 次の目的地はバンガロールです。 祐民氏一行は 1100 キロを 25 時間かけて、ムンバイから バンガロールに汽車で行きました。私の旅行日程では無 理なので、まず飛行機でチェンナイ(マドラス)に行き、翌 日 18 日(土)チェンナイ駅を午後 1:20 発、バンガロールま で 362 キロを 6 時間 50 分各駅停車に乗って行きました。イ 第 17 窟の「化粧をする女性」は 60 センチ巾の柱上部に ンドの鉄道は広軌で通路を挟んで5席有り、天井も高くゆ 描かれていました。壁画は保護のため照明が落とされて、 ったりしています。日本の駅と違って改札口は無く、誰でも フラッシュ撮影禁止なので、うまく撮れません。 ホームに入って来られます。構内の通路で寝ている人、大 きな荷物を持った人達でいっぱいです。バンガロール行き は 24 両編成、指定は2両のみ、列車のドアの横に席番号 と名前が貼ってあり、私の席が確認できました。発車してす ぐに車掌がチケットをチェックしに来ました。駅に停車する 度に、ホームに下りて、汽笛の合図で動き出したらゆっくり 皆乗ります。走行中にデッキのドアを開けて外を見ている 人も多くいました。日本では考えられない程、のんびりして います。景色を見ながら退屈せずにバンガロールに 8 時に 着きました。駅には加賀谷氏が迎えにきてくれていました。 聴松閣壁画 第 26 窟の入口は聴松閣のトンネルの入口チャイテア (祠堂)の写しです。入ると 20 メートル奥にスツーパ(仏塔) が有ります。揚輝荘トンネルの奥に作られていた、八角形 のドームは 26 窟の写しと思われます。 私の後ろが車掌のプラカサム氏 チェンナイ駅構内 バンガロールは標高 1000 メートルの高原にあり大変涼 しい所です。 19 日(日) ハリハラン氏が英国式庭園の中に造った日 本庭園を見学しました。庭園には橋、鳥居、池など、荒れ て手入れされていませんが、揚輝荘の庭園をイメージして 製作した名残があります。加賀谷氏の自宅にはハリハラン 26 窟入口祠堂 氏が製作した陶器、絵画等沢山残っており、将来これらを 聴松閣トンネル入口 聴松閣のハリハラン記念コーナーに展示したいものです。 天井模様は木に似せる 加賀谷さん トンネル八角形ドーム 7 ハリハラン氏が描いた聡子さん 揚輝荘日記 (2009 年 11 月 19 日まで) 記:佐藤允孝 5/ 3(日)ナンジャモンジャ満開 5/ 7(木)市・企画調整室開府400年事業 8/ 6(木)清須市訪問 9/ 7(月)池石橋構築(村中) 9/ 8(火)コンベンションビューロー杉浦、 打合せ 打ち合わせ 9/11(金)瀬戸訪問(赤井、伊藤伊、森山、 5/10(日)「清須越400年事業ネットワー 木下) ク」設立総会 9/12(土)講談社・内田康夫 5/14(木)大般若経転読見学会(20名) 9/17(木)高田祐吉打合せ、お月見コンサー 5/19(火)第4回理事会 ト抽選 5/20、21、27(水)インターナショナルプリス 9/19(土)駅ちかウォーキング(3000名) クール WS 9/28(日)スターキャッツ TV、天鎮・佐藤 5/21(木)揚輝荘茶会(松林、70名) 9/29(月)清須越学習会(加藤富・橦木館) 5/23(土)都市センターまち夢工事報告会 9/30(木)市・パートナーシップ事業提案(能 5/24(日)国際交流会Ⅰ(106名) 狂言) 5/31(日)第 4 回通常総会 6/ 2(火)椙山中学 FW(36名) 6/ 6(土)年金基金 OB 会(20 名) 10/3(土)お月見コンサート(250名) 10/10(土)清須越まち歩き(清須・美濃路、 加藤富・臼井) 6/10(水)長野県人会掃除ボランティア(4 名) 10/11(日)揚輝荘セミナー(岐阜市・野々 6/17(水)千種センター講座(30 名) 村、30名) 6/20(土)愛工大(28 名、沢田先生) 10/14(水)都市センター来訪(青山、清水、地 6/21(日)揚輝荘セミナー(伊藤宗・碁盤割、 域との連携) 34名) 、揚輝荘茶会(加藤宗廣、80名) 10/15(木)シニアライオンズ(野本、浅井、 6/28(日)清須越セミナー・林董一(さくら 桜井、19名) カフェ) 10/18(日)国際交流Ⅱ(92名)、元名タ 7/ 2(木)COP10・増田打合せ イ・長坂 7/ 4(土)建築士会助成金ヒアリング 10/20(水)樹木医・板倉 7/ 5(日)一斉清掃 10/21(木)揚輝荘茶会(80名)、愛高教 7/ 9(木)衆善会で打ち合わせ(原田、江場、 OB 会(小室、飯田・20名) 小宮山) 10/28(水)河村市長視察 7/12(日)河村・後対談(名工大)、地域委 10/29(木)清須越学習会(伊藤喜、名城・ 員会、JACEVO 武家町・寺町) 7/14(火)高年大学講義(NPO センター、 10/31(土)文化の里座談会(区役所ホール、 伊藤家 400 年・佐藤、44名) 60名) 7/26(日)夢なごやフォーラム(博物館・市 10/31~11/1(日)揚輝荘秋の文化祭 長、荒俣) (1001名+460名) 7/28(火)高年大学見学(44 名) 呈茶・清水宗節220人/2日 7/29(水)安田文吉セミナー(宗春・さくら カフェ) 8/ 4(火)椙山大学見学(橋本他)、参道ミ 11/ 4(水)半田博物館友の会(36名) 11/ 5(木)馬場駿吉先生吟行、TV 愛知撮影 11/17(火)千種センター案内(35名) ュージアム打ち合わせ(鈴木) 11/19(木)K 友会(安田、37名) 8
© Copyright 2025 ExpyDoc