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第61号 2010年12月
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発行m会老皿
発行人: JII原 醇美
〒47(y10111日進市米孵湘り匍山987-44
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rcuksn@aiserian.net
表題の(曼泉艦のct判;t、中山きみ子4駒z)揮毫です
「66年前のクリスマス」
施設長川原啓美
「コト、コト、コト、コト」。屋上への階段を足を忍ばせて上り、重い鉄の扉をソーッと開ける。外は満天
の星空。冷たい冬の空気が頬を打った。私たち二人はひとまずホッと顔を見合わせた。
時は1944(昭和19)年12月24日、クリスマス・イブの夜であった。教会では祈祷会が持たれていた
が、私たちは仕事があって出席できなかった。
所は三重県津市の航空機製造工場。私たちは16才、旧制中学校の4年生でその年の夏からこの
工場に動員され、毎日日本海軍の戦闘機を作る仕事をやらされていた。始めの頃は勝ち戦だったが、
アメリカ、イギリスなど世界中の大国を相手の戦いは次第に旗色が悪くなり、私たちも勤学学徒として
戦争に協力させられた。
当時日本のキリスト教は「敵性宗教」と呼ばれ、近所でも学校でも白い日でみられたが、教会へ通っ
ていた私ともう一人の友人はめげなかった。僅か数大の出席者になってしまった教会へ、都合がつく
限り通っていたのである。クリスマスも二人で必ず守ろう。それが二人の約束だった。12月24日は二
人とも夜勤であり、10時ごろ、ソッと抜け出した屋上である。
グズグズすることはできない。一人ずつ、「神様、クリスマスありがとうございます。空襲がありません
ように、多くの人が殺されませんように。そして戦争が早く終りますように」と一所懸命に祈った。私たち
は若く、また教会での聖書の教えも政府によって制限されていたため、今思うと一一番犬切な「敵のた
めに祈る」ということはできなかったように記憶している。しかし当時としては精一ぱいだった。
防寒具を身に着けていなかった顔や手足がジンジンと冷たくなって来た。私たちはまたソッとそれぞ
れの持場へ帰り、私たちのささやかなクリスマス祈祷会は誰れにも気付かれず、無事に終った。
その後ますます空襲は激しくなり、広島と長崎に原爆が投下され、戦争は終った。
あれから66年の歳月が流れ、日本も経済大国として復活した。しかしこの数年、特に2008年のりー
マンショックいらいの世界不況で、日本全体に不安と閉塞感がただよっている。そしてこの頃、クリスマ
ス商戦が一膿の望みのように言われている。
よくも変わったものである。あの夜私と共に祈った友はすでに亡く、思い出を語り合う人はいない。し
かし私が今まで過ごして来たクリスマス・イブの中であの時ほど心が澄み切って、平和への強い想い
に充たされていたことは無い。
一卜
∼万華鏡∼
Part12
通所リハビリテーション情報ページ
『秋のお楽しみウィーク』
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担当 10月 石原・小野
11月 間瀬・松下
送迎車から見える景色も、
朝・夕の肌寒さも、秋から冬に季節が変わりつっある事をし
みじみと教えてくれます。
今年の秋はいつもとは趣向を変えて、10月にぱハロウィン”、11月にぱ曜日対抗
競技大会”を行いました。
ハロウィンでは、本来は仮装した子供
たちがお菓子をもらうものですが、仮装
した職員が飲み物とお菓子を配り、ゲス
トの皆さんにハロウィンの雰囲気を感じ
ていただきました。魔女の仮装をスタッ
フとともにされた方もいらっしやって、
楽しい時間となりました。
通所棟の壁面にもハロウィンのお化け
屋敷の切り絵を飾りました。これは県立
芸術大学の実習生と職員による共同作品
(実習生さんの部分が大きいですが‥・)で
す。この切り絵も今はクリスマス仕様に
なり、まだまだ楽しませてもらっています。
11月は文化の日もあり、県立芸術大学の実習生による演奏会
もあり‘芸術の秋’を堪能されているかと思います。そこで。
‘スポーツの秋’も楽しんでいただこうど曜日対抗競技大会”
を行いました。勝敗のある競技に対するゲストの皆さんは、ま
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るで子供のころに戻られたように生き生きされ、「こうした方
が早い」などの意見も飛び交いました。真ん中に張ったロープ
に輪投げの輪を通し、端から端まで往復する競技でタイムを競
い合いました。単純な競技のようでしたが、皆さんの興奮ぶり
には怪我人が出るのではないかと、内心ドキドキでした。
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優勝曜日のゲストの方々には優勝賞品を用意し、授与式も行
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いました。
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∼金木犀∼
Part5
入所棟情報ページ
☆和菓子バイキング☆
介護職 加藤都子
9月22日(水)に敬老のお祝いとして『和菓子バイキング』を行いました。『和菓子バイキング』
は初めての試みではありましたが、ゲストの皆さまへの感謝の気持ちを込め、喜んでいただけるように
と思い開催しました。和菓子は全部で4種類あり、鶴と切り絵を貼りつけた紙皿の上に1つずつ乗せて
いきました。バイキングの方法としては、和菓子を乗せた紙皿に長い紐を付けて、ゲストの皆さまお一
人おひとりに順番に紐を引っ張っていただきました。どの和菓子が食べられるかはお手元に届くまでの
お楽しみ。ゆっくり紐を引っ張って手繰り寄せた和菓子がお手元に届いた時はゲストの皆さまのお顔に
はたくさんの笑顔があふれていました。その後、お茶と一緒に和菓子を召し上がっていただき、ゲスト
の皆さまには「おいしかったよ。」「ありがとう。」とたくさんのお声をかけていただけました。短い時
間の中での開催ではありましたが、その中で
ゲストの皆さまの温かく穏やかな笑顔をたく
さん見ることができて本当に良かったと思い
ます。これからもゲストの皆さまのご健康を
スタッフ一同心からお祈り申し上げておりま
す。そして皆さまと一緒に過ごす中で多くの
ことを学ばせていただきたいと思っています。
☆秋の遠足☆
介護職 水野沙紀子
ドライブ 10月13日(水)「愛知能周辺自然鑑賞」
天候に恵まれ、雲一つない青空を眺めながらドライブヘ出発しました。秋の草木たちは色づき始めで
したが、「なつかしいわ、こんな場所があったんだね。」と道中、昔を思い出されお話をしてくださるゲ
ストの方、コスモスが咲いているのを見つけて「きれいだね、来てよかったよ。」と喜んでくださるゲ
ストの方々。参加されたゲストの皆様と楽しい時間を過ごすことができました。
全体遠足 10月20日(水)「愛知県陶磁資料館」
今年は、27名のゲストの皆様、ご家族様、ボランティアの皆様、実習生と共に愛知県陶磁資料館へ
出かけました。4つのグループに分かれて、お互いに自己紹介をし、「今日1日、楽しい時間を過ごし、
多くの思い出をつくりましょう。」と伝えあい、館内の見学に出発しました。多くの作品、展示物を見
学しながら、会話が弾みゲストお一人、お一人が楽しい時間を過ごされていました。参加されていたご
家族の方にも「楽しい時間を久しぶりに過ごすことができました。」と喜んでいただくことができてよ
かったです。
個別遠足 10月27日(水)「日本昭和村」
昭和時代の街並みの中を4名の方と散策をしました。木造の小学校内には、多くの昭和時代の物が展
示してあり、「なっかしい。私、これ使っていたわ。」と昔を思い出される方、子供の頃の話をされる方、
昭和にタイムスリップしたかのように楽しい時間を過ごされていました。昔を思い出され、話をしてく
ださっているときのゲストの方の表情が輝いていました。
遠足を通して、普段みることのできないゲストの皆様の表情、
姿を近くで感じさせていただくことができ、私たちスタッフにと
っても嬉しいかぎりです。これからも、ゲストの皆様、ご家族の
方に喜んでいただけるような企画をしていきたいと思います。
そして、ご協力してくださった、ボランティアの皆様、学生の方
々、本当にありがとうございました。
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「実習を終えて」
私は今回実習で行った愛泉館を通して,
医師になるための心構えを学ぶことがで
きました。この感想文で私が学んだこと
を大きく三つに分けて述べたいと思いま
す。一つ目は医師は患者さんの身体を治
せばいいというわけではなく,患者さん
の内に秘めている生きるという力を尊重
し,それを支えるために最大限にサポー
トをする仕事であるということです。
この理念を教えてくださったのは施設長で,医師の川原先生です。先生のこの理
念は私にとっては目からうろこの考え方であり,話を聞いたときにかなり心の中に
衝撃を受けたことを覚えています。今,世の中ではインフォームドコンセントの重
要性が話題に上がっています。やはりパソコンなどにのっているデータも大切です
が,まずは患者さんとのコミュニケーションをはかることによって患者さんの病気
からくる不安などの気持ちによって隠れてしまっている生命の息吹を感じ取って
治療にあたるべきであるということを学びました。
二つ目は介護を通して老人の方と触れ合う機会ができたことによって高齢者に
対する医療についていろいろ考えました。黄泉館ではキリスト教精神を基盤とし,
患者さん本人の自己決定を重んじていました。これにより愛泉館では職員と患者さ
んの確かな信頼関係が築き上げられていました。患者さんの人権を尊重することに
より,生きがい・やりがいや意欲向上のサポートをすることが,すべての老人保健
施設で実現できることが夢であるということもおっしやっていました。ほかに愛泉
館では地域に根ざした開かれた施設運営を目指しており,実際たくさんのボランテ
ィアの方がみえびっくりしました。みなさんが自分の利益を重要視するのではなく,
高齢者のQOL向上のために人力を尽くされている姿は私の中で印象的な姿として残
っています。高齢者の身体をなおすだけではなく最後の余生を心から癒された生活
ができるようにしていくことが大切であると思います。
三つ目はホスピスで体験した生きることとはどういうことか,また生の終わりと
はどいうことかということです。ホスピスではもうすぐその先に死というものがせ
まっている末期患者の方がたくさんいました。ホスピスではただ単に痛みをとった
り,人生の最後を看取るだけではなく,生きてきたさまざまな思いを聴きながら,
そのひとの存在を支えてきた大切なものを再発見する医療をしている現揚が随所
にみられて良かったです。患者さんの不可能な治療をするということはせずに,心
から安らかに死を迎えられるだけではなく,最後まで精いっぱい生きられるように
最善を尽くすという方針は授業ではなくその場所に行って実際に体験することが
でき言葉ではうまく言い表せない感情が込み上げてきました。
最後にこの三つのことを通して少しでも自分の医師としての糧になればいいと
思いました。
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愛知医科大学 玉岡拓也
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「ゲストの風景」
∼家族の中で幸せ∼
北嶋佐知枝さんのものがたりより
伯母が熱田で美容院をしており、母が手伝っていま
したので、幼い私はそこで遊んで育ちました。
東別院の出店におじいちゃんによく連れて行ってもら
いました。おじいちゃんは骨董品が好きで、月に二回
くらい「行くぞ」と声をかけてくれました。
戦争がはじまると姉は挺身隊、私は女学校に行って
いましたので学徒動員されました。動員先は愛知時計
でした。親たちは静岡へ疎開して私は一人で住んでい
ました。さびしいだろうからと従姉が時々細引こ来て
くれていました。私たちのクラスが出校目の目、愛知
時計は激しい爆撃に遭いました。何十人もの人が亡く
なりました。従姉は友達と逃げ出しだのに途中で反対方向に逃げ、一トン爆弾が落ちる
方向へ走ったそうで、亡くなってしまいました。誰の骨とも分からないお骨になって帰
ってきました。
親が静岡に疎開していたころ姉の出産で私も静岡へ手伝いに行きました。その時、お
客さんで来ていた夫の兄嫁の紹介で結婚が決まりました。仕事柄、花嫁衣装は一番いい
のを選んで着ました。それまで市役所に勤めていた夫はぜひ名古屋で住みたいという私
の希望で市役所を辞めて名古屋の交通局に勤務することにしたのです。大学を出ていた
ので本部に勤めていました。地下鉄の始まりのころでした。
豊明の美容院は娘から孫にわたって頑張っているようです。娘の夫は美容師になって
くれました。まだ男性美容師がほとんどないころで大はやりでした。私はこのころから
家事と孫育てに専念しました。娘や孫に付き添って行った書道の先生に私も習いました。
そして、中日新聞や毎日新聞に投稿して、賞も何度かいただきました。今は、できる範
囲で時々楽しんでいます。書道仲間と会うのは楽しみです。
ある朝、起き上がろうとしたら右肩から腕が
痛くて起き上がれなくなり、リューマチの診断
を受けました。
包丁が持てないので、切るまでは夫がやって
くれます。私は時間をかけてとろとろと煮あげ
ます。娘も孫も私の味になじんでいて喜んで食
べてくれます。孫は今でも「ばあちやん来たよ」
と声をかけてお小遣いを置いていってくれま
神谷ひさよ傾聴
す。
6
こんにちは 日進市東部地域包括支援センターです!
皆様インフルエンザの予防接種はもう済まされたでしょうか?
今日はインフルエンザの予防などについ刄お話ししましょう。
●手洗い・うがいをしっかり行う
・手洗いは流水と石鹸を用いて15秒
が幽
●せきエチケットに6がける
一-
『せきエチッケット』とは
せきやくしゃみが出そうな時に、他人に感染させないためのマナーです。
せきやくしゃみは眼に見えない「飛まつ」(しぶき)を撒き散らします。
周りの人に感染させないように「せきエチケット」を皿段から心がけておき
ましょう。
※せき、くしゃみの際はティッシュなどで□と鼻を押さえ、他の人から顔を
そむけ1∼2m以上離れましょう。鼻水、たんなどを含んだティッシュはビ
二−ル袋に入れるなどしてすぐに捨ててください。ティッシュなどがない場
合は口を前腕部で押さえて極力飛まつが飛散しないようにしましょう。せき
やくしゃみをする際に押さえた手や腕はすぐに洗いますが、接触感染の原
因にならないように手を洗う前に不必要に周囲を触れないようにしましょう。
●マスクを正しく着用する。
●せきをしている人にマスクの着用を促す。
●流行時は人ごみへの外出を避ける。人ごみではマスク着用
●日頃から栄養や休養をとり、体力や抵抗力を高める。
インフルエンザにかかったかなと思ったら
__
・症状のある方は、早めに医療機関を受診しましょう。
・医療機関を受診する際は、事前に医療機関へ電話するとともに、他の人
に感染させないよう、必ずマスクを着用しましょう。
一一一一一一一一一一
症状
潜伏期間は1∼7日 息な発熱(38∼40℃)
せき・悪寒・頭痛・筋肉痛・関節痛・下痢・嘔吐など….
感染者と家族が心がけること_
・外出は避ける(やむを得ず外出する際は必ずマスクを着用する)
●家族への感染を防ぐため個室で療養する。
■栄養をとり、安静にして十分睡眠を取る
■お茶やスープなどで水分補給をこまめに行う
■部屋の湿度を50∼60%に保つ
・定期的に部屋の換気を行うなど
(※日進市ホームベージより)
ご高齢者とそのご家族の方の相談に応じます。
地域包括支援センターをご利用ください!
TEL:0561−74−1300
−7−
「居宅の窓から
(指定居宅介護支援事業所愛泉館)」
介護支援専門員 宝木百代
【愛泉館と出会って】
私はn月から指定居宅介護支援事業所愛泉館でケアマネジャーとして勤務し
ています。ケアマネの仕事は今回が初めてです。私は今年の8月に東郷町に引越
し、ようやく自分の家に慣れて来た所です。
“住めば都”と言いますが、親戚も知り合いも全くいない土地で暮らし始める
事は、不安で孤独な気持ちがしました。しかし、自分が不安では家族にも不安
を与えてしまうと思い、“自分らしくいたい、仕事をしよう”と考え、ご縁が
あり愛泉館での仕事が始まりました。緊張の口々ですが、朝の仕事の始まりに
は自分の気持ちを落ちっかせています。また先輩スタッフの皆さんの優しさや
大きな愛情を感じ、愛泉館で仕事ができる事がとても嬉しく、愛泉館との出会
いに感謝しています。
愛泉館のデイケアや入所のスタッフの皆さんのゲストの方を心から大切に想
う尊い姿勢に感動し、私もナイチングールに憧れ看護師を目指した頃の気持ち
を改めて思い返しています。まだまだ未熟な私ですが、今の自分の気持ちを忘
れず、ご利用される方やご家族の力になれるよう頑張りたいと思います。
実習・研修報告
行事報告及び予定
愛知医科大学医学部 9月1日∼9月8日
2010年
12月 1日
下敷領先生書道塾
8日
誕生日会(コムジカ)
愛知県立芸術大学美術・音楽学部
10日
日進市立南小学校訪問
9月27日∼12月10日
15日
下敷領先生書道塾
16日
クリスマス祝会
19日
キャロリング(ベタニア教会・南山教会)
21日
キャロリング(聖マーガレット幼稚園)
名古屋市医師会付属看護専門学校
22日
行事 紅白歌合戦
12月7日∼17日
柳城短期大学
11月15日∼12月4日
2011年
1月 5日
新年会
19日
誕生日会
21日
ピアノ&ヴァイオリン&コーラス
22日
フリューゲル親子合唱
2月 2日
行事 節分
16日
誕生日会
19日
家族会
25日
オカリナ演奏会
3月 9目
ひな祭り
12日
ボランティア感謝会
16日
誕生日会
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