筋萎縮性側索硬化症 ALS に特異的病理変化の謎解明 - 変異 AMPA 受容体により活性化されたカルパインが TDP-43 を切断― 1. 発表者: 郭 伸 (国際医療福祉大学 臨床医学研究センター 特任教授/ 東京大学大学院医学系研究科 疾患生命工学センター 臨床医工学部門 客員研究員) 山下 雄也(東京大学大学院医学系研究科 疾患生命工学センター 臨床医工学部門 特任研究員) 2.発表のポイント: ◆成 果:筋萎縮性側索硬化症(ALS)(注1)の病理学的指標である TDP-43 病理の形成 メカニズムを明らかにし、病因に繋がる分子カスケードを解明した。 ◆新規性: TDP-43 タンパクを易凝集性断片に切断するプロテアーゼを同定し、それが活 性化するメカニズムを明らかにした。 ◆社会的意義/将来の展望:治療法のない死に至る神経難病である ALS の病因メカニズム を更に解明し、特異的治療法の標的となる候補分子の可能性を広げた。 3.発表概要: 国際医療福祉大学臨床医学研究センター 郭伸特任教授(東京大学大学院医学系研究科 疾患生命工学センター 臨床医工学部門 客員研究員)、東京大学大学院医学系研究科 疾患 生命工学センター 臨床医工学部門 山下雄也特任研究員らの研究グループは、科学技術振興 機構・戦略的研究推進事業(CREST)研究において、理化学研究所 西道隆臣チームリーダ ーらとの共同研究で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因メカニズムを、世界に先駆けて明 らかにしました。 ALS は筋肉を動かす運動ニューロンの変性・死滅が、呼吸機能も含む進行性の筋力低下を 引き起こす主に初老期以降に罹患する難病で、発症から数年のうちに死に至る病です。患者数 は日本だけでも 8,000 人を超え、加齢と共に頻度が増し 60 歳以降の罹患危険率は 300 人に一 人とも言われている、決して稀な難病ではなく、病因不明のため有効な治療法がありません。 これまでの研究で、病因に関わる遺伝子や ALS に特異的に見られる分子異常は特定されて きましたが、未だその因果関係や運動ニューロン死に至るまでのメカニズムが解明されておら ず、病因判明には至っていませんでした。 研究グループは、ALS の病因に関わる疾患特異的分子異常として異常なカルシウム透過性 AMPA 受容体(注3)が発現していることを既に発見しており、今回この異常がカルパイン (注2)の活性化を通じてもう一つの疾患特異的分子異常である TDP-43 病理を引き起こして いるという分子連関を解明しました。本成果により、これまで知られていた ALS の病因に関 わる二つの分子異常のメカニズムと分子関連が初めてわかりました。特にこれは、ALS 患者 の大多数を占める、遺伝性のない孤発性 ALS の病因を説明するメカニズムであり、治療へ向 け一歩前進したといえます。 以上の成果は、「Nature Communications」(12月18日オンライン版)に掲載されま した。 4.発表内容: ① 研究の背景・先行研究における問題点 国際医療福祉大学臨床医学研究センター 郭伸特任教授(東京大学大学院医学系研究科 疾患生命工学センター 臨床医工学部門 客員研究員)、東京大学大学院医学系研究科 疾 患生命工学センター 臨床医工学部門 山下雄也特任研究員らの研究グループは、これまで の研究の積み重ねにより、ALS では、神経伝達に関わるグルタミン酸受容体のサブタイプで ある AMPA 受容体に生じている異常にカルシウムを透過する分子変化が運動ニューロン死の 原因であることをつきとめてきました。すなわち、AMPA 受容体のカルシウム透過性を規定 するサブユニットである GluA2 に本来生ずべき RNA 編集(転写後の一塩基置換)(注4) が起こらず、未編集型 GluA2(注5)が発現するためカルシウム透過性が異常に高い AMPA 受容体が ALS の運動ニューロンに発現していること、これが RNA 編集酵素である ADAR2 (注6)の発現低下のためであることを確かめていました(注7)。この分子異常は ALS に 疾患特異的であるばかりではなく、ADAR2 のコンディショナルノックアウトマウス(AR2 マウス)(注8)の解析から運動ニューロン死の直接原因であることが判明し、この分子異 常が ALS に病因的意義を持つことを示してきました。他方、ALS の運動ニューロンでは TDP-43 タンパクが断片化し、正常な局在である細胞核から喪失するとともに細胞質に異常 な封入体を形成することが生化学的・病理学的観察から明らかになりました。しかも、TDP43 の局在異常(TDP-43 病理)と ADAR2 の発現低下は ALS の同じ運動ニューロンに共存す ることが明らかになり、両者の間には分子連関があると想定されました。しかし、両者の間 にどのような分子連関があるのか、何故このような TDP-43 病理が ALS の運動ニューロンに 現れるのかについては不明でした。本発表は、ADAR2 発現低下が引き起こす TDP-43 病理 の形成メカニズムを明らかにしたもので、多くの研究者が抱いていた疑問を解明し、病因理 解を一歩進めるものです。 ② 研究内容(具体的な手法など詳細) 発表者の研究グループでは、ALS の分子病態モデルマウスである AR2 マウスを開発して おり、このマウスで TDP-43 が正常な局在である細胞核から細胞質に移動し凝集塊を形成す る病理変化が見られることを明らかにしました(図1)。それにはカルシウム依存性プロテ アーゼであるカルパイン(注8)による易凝集性断片への切断が特異的に関わることを培養 細胞系で証明し、その切断点を質量分析計を用いて同定しました。AR2 マウスにみられた TDP-43 病理がカルパインによる TDP-43 切断に依ることを証明するために、カルパインが 活性化していること、カルシウム透過性 AMPA 受容体の発現阻止やカルパインの内因性阻 害物質であるカルパスタチンの過剰発現では TDP-43 病理が起こらないこと、カルパスタチ ンのノックアウトマウスでは逆に増強することを示しました。さらに、ALS 患者の剖検脳脊 髄を用いて、患者でもカルパインが活性化し、カルパイン特異的 TDP-43 断片が発現してい ることもつきとめました。さらに、TDP-43 遺伝子の変異による ALS の TDP-43 病理には、 変異により TDP-43 がカルパインの切断を受けやすくなることが原因であることを明らかに しました。また、TDP-43 病理は ALS 以外の前頭側頭葉変性症、アルツハイマー病などにも 観察されますが、カルパインが関与している可能性を示しました。 ③ 社会的意義・今後の予定 など 未解明であった ALS の TDP-43 病理形成メカニズム(図2)を明らかにしたことで、 ALS の病因の理解が大きく進みました。さらに、ALS 以外の前頭側頭葉変性症、アルツハ イマー病などの神経疾患に観察される TDP-43 病理全般に通じることが示され、TDP-43 病 理を呈する神経変性疾患に共通した病因メカニズムを理解する上に役立つ知見を提供しまし た。従来の研究で発表者らが見出した、ADAR2 発現低下と TDP-43 病理とを繋ぐ分子連関 が明らかになり、ALS の病因メカニズムの解明が進んだと同時に、ALS の特異的治療の標 的がさらに絞られ、ALS の治療法開発の可能性が現実化してきたといえます。今後、明らか になった分子異常を標的とした治療研究を進めるとともに、分子カスケードの上流下流を更 に検索していく予定です。 5.発表雑誌: 雑誌名:「Nature Communications」(12月18日オンライン版) 論文タイトル: A role for calpain-dependent cleavage of TDP-43 in amyotrophic lateral sclerosis pathology 著者:Takenari Yamashita, Takuto Hideyama, Kosuke Hachiga, Sayaka Teramoto, Jiro Takano, Nobuhisa Iwata, Takaomi C. Saido and Shin Kwak DOI 番号:10.1038/ncomms2303 6.問い合わせ先: 郭 伸(かく しん) 国際医療福祉大学 臨床医学研究センター 特任教授/ 東京大学大学院医学系研究科 疾患生命工学センター 臨床医工学部門 客員研究員 電話/Fax:03-5841-3566 e-mail:[email protected] 7.用語解説: (注1)筋萎縮性側索硬化症(ALS): 運動ニューロン(大脳皮質運動野の上位運動ニューロンと脳幹脳神経核や脊髄前角の下位運動 ニューロン)が変性脱落することで起こる進行性筋力低下・筋萎縮を特徴とする神経変性疾患 で、主に中高年に発症し、有効な治療法はなく数年の内に呼吸筋麻痺により死に至る神経難病 で、大多数は遺伝性のない孤発性 ALS である。本研究では孤発性 ALS を対象としている。 (注2)カルパイン: 細胞に広く発現しているカルシウムにより活性化するタンパク分解酵素で、様々なアイソフォ ーム(構造は異なるが同じ機能をもつタンパク質)がある。ニューロンではカルパイン I 及び カルパイン II が発現している。カルパインの適度な活性化は細胞の生理的機能にとり必須だ が、過剰な活性化は細胞死の原因となる。 (注3)AMPA 受容体:ヒト・哺乳類の脳・脊髄で興奮性神経伝達を司る神経伝達物質であ るグルタミン酸の受容体のサブタイプの一つで、イオンチャネルの開閉を通して神経の興奮を 制御している。殆どのニューロンが AMPA 受容体を発現し、その大多数はカルシウムイオン を透過しない。孤発性 ALS では異常にカルシウム透過性が亢進した AMPA 受容体が発現し ている。 (注4)RNA 編集(転写後の一塩基置換): 遺伝子の DNA が RNA に転写されたあと、RNA 塩基に変化が起こることを総称して RNA 編 集と呼び、この場合はアデノシンがイノシンに変換する脱アミノ基の反応(A-I 置換)を指す。 (注5)未編集型 GluA2:RNA 上のイノシンは翻訳時にグアノシンと認識されるので、ゲノ ム上のグルタミン(Q)コドン(CAG)が RNA 上で CIG に置換されアルギニン(R) コド ン(CGG)として翻訳されるためにタンパクレベルでアミノ酸置換が起こる。GluA2 の Q/R 部位はイオンチャネルポアの内腔に面しており、陽性電荷の R はカルシウムイオンの流入を 妨げるが中性電荷の Q は妨げないので、GluA2 は RNA 編集によりカルシウムを制御する特 性を獲得する。AMPA 受容体は大多数 GluA2 を含み、GluA2 は全て編集型なので、GluA2 を含む AMPA 受容体はカルシウム非透過性である。 (注6)ADAR2 Adenosine deaminase acting on RNA 2。二重鎖 RNA のアデノシンに働く脱アミノ基酵素で、 GluA2Q/R 部位の A-I 置換を特異的に触媒する。この酵素がないと未編集型 GluA2 が発現し、 AMPA 受容体はカルシウム透過性になる。 (注7)ALS 患者剖検脊髄を用いた単一運動ニューロンの解析から、GluA2Q/R 部位の RNA 編集が不十分で、未編集型 GluA2 が発現することが疾患特異的病的変化であることを明らか にした(Ann Neurol, 1999; Nature 2004; Neurobiol Dis 2012). (注8)コンディショナルノックアウトマウス(AR2 マウス) ADAR2 遺伝子の活性基部分を二個の Flox 配列ではさみ、運動ニューロン特異的に発現させ た Cre により ADAR2 を運動ニューロンでノックアウトした(二個の Flox で挟まれた遺伝子 部分は切り取られるため)マウスで、運動ニューロンでは未編集型 GluA2 が発現し、ゆるや かな運動ニューロン死による進行性運動麻痺を呈する、孤発性 ALS の表現型を再現する唯一 の分子病態モデルマウスである。Hideyama et al., J Neurosci 2010 8.添付資料: 以下の URL よりダウンロードいただけます。 URL; http://square.umin.ac.jp/teamkwak/yama/internal.html より、Internal only に下記の ID/PW を使って入り、ご覧ください。 ID:teamkwak Password:ALS2012 図 1:ADAR2 コンディショナルノックアウトマウス(AR2)の脊髄前角運動ニューロンでの TDP-43 免疫組織化学的観察。正常の運動ニューロンでは、TDP-43 は、核に局在するが(図 1A)、AR2 マウスの運動ニューロンでは、細胞質に封入体(inclusion)が観察され、核の TDP-43 の染色性が低下(図 1B 矢印)ないし消失(図 1B 星印)する。TDP-43(緑)、 TOPRO-3(青;細胞マーカー)。 図2:ADAR 発現低下が TDP-43 病理を形成するカスケード ① ADAR2 活性低下に伴い本来 RNA 編集を受けるべき GluA2(AMPA 受容体サブ ユニット)の RNA 編集部位が未編集の pre-mRNA が発現する。 ② 細胞質に輸送された未編集 GluA2(GluA2Q)mRNA が GluA2Q 蛋白に翻訳さ れる(GluA2Q 型は Ca2+ 透過型)。 ③ シナプスに輸送され、シナプス表面にて Ca2+ 透過型の AMPA 受容体として機能 する。本来の GluA2R 型では Ca2+ を非透過であるが、GluA2Q 型になることに より連続・持続的に Ca2+ を透過する。 ④ Ca2+ が過剰に樹状突起に流入することにより細胞質内の Ca2+ 濃度が上昇し calpain を断続的に活性化する。 ⑤ TDP-43 は、活性化された calpain により切断され、凝集性を増した断片が凝集 体を形成する。TDP-43 は核と細胞質を往き来するので、細胞質の凝集体に次々 巻き込まれ、核の TDP-43 が喪失すると共に細胞質に大きな封入体を形成するよ うになる。
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