第24号 1997年12月25日発行 - 船橋障害者自立生活センター

1977年 12月 3日 第 三 種 郵 便 物 認 可 (毎 月 18回 1,2,3,5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
SSKPあ船橋障害者自立生活センター
ニュース
1997年12月25日発行
第24号
編集:船橋障害者自立生活センター事務局
〒273−0011
船橋市湊町1ー6ー12
郵便振替「00140−9−609088」
TEL・FAX:0474-32-4554
ピア・カウンセリング集中講座開催のお知らせ
いろいろなことがあった1997年も残り少なくなりましたが、お元気でしょう
か?
さて、船橋障害者自立生活センタ−では、ピア・カウンセリング集中講座を下記
の要項で開催することになりました。
この講座は、障害を持つ仲間同士がカウンセラ−となって日常の生活の上でとか
く不安定になりがちな心を解きほぐし、リフレッシュして新たな気持ちで明日から
の生活に臨めるようになることを目的としています。
今回は、「船橋市障害者生活支援事業」の一環として行いますので、是非、多く
の方のご参加をお待ちしています。
記
1.参加対象
障害を持っている人、自立生活を現在している人、または将来
自立生活をしたいと思っている障害者。性別、並びに障害の重
度、軽度は一切問いません。
2.日
時
1998年2月19日(木)午後1:00∼
21日(土)正午まで(2泊3日)
3.会
場
船橋市中央公民館
4.宿泊場所
船橋第一ホテル
5.参加費
無料
6.定
10名
員
千葉県船橋市本町2−2−5
℡0474(34)5551
千葉県船橋市湊町2−5−18
℡0474(35)9111
1977年 12月 3日 第 三 種 郵 便 物 認 可 (毎 月 18回 1,2,3,5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
プログラム
1日目
午後1時
1時半
5時∼7時
9時
2日目
午前9時
受け付け
はじまり
リレーション、聞くこと信頼すること
夕食
終了
はじまり
ミニセッション
ロールプレイ
おたがいのいいとこ探し
他
他
午後6時から8時半は交流パーティー
3日目
午前9時
正
午
◎宿泊費
◎食 事
はじまり
ピア・カウンセリングと自立生活プログラム
所得保障について (役所の窓口との対応)
解散(お疲れ様でした。また会いましょう)
12,400円(1泊6,200円)
宿泊場所内のレストラン等で各自お取りください。
◎介助料
介助の必要な方は、宿泊等の都合がありますので、まえもってご相談ください。
ご自分で介助者を連れてくる場合は、宿泊費のみお支払いください。
こちらの介助を利用する場合は、有料で以下のようになります。
Aランク 食事、着替え、トイレ、入浴など(2泊3日10,000円)
Bランク 着替え、トイレ、入浴など
(2泊3日 5,000円)
Cランク 入浴のみや、ちょっとした介助 (2泊3日 3,000円)
☆申込み締切 1月25日(日)
申込み及び参加費支払方法 申込用紙に必要事項をご記入の上、郵送かFAXで下
記にお送りください。応募多数の場合、2月1日までに参加の可否を決定し、連絡
いたしますので、宿泊費、介助料を現金書留で下記にお送りください。
リ ー ダ ー:村山 美和(虹の会)
サブ・リーダー:山崎 真弓(船橋障害者自立生活センタ−)
オーガナイザー:山本
明(船橋障害者自立生活センタ−)
1977年 12月 3日 第 三 種 郵 便 物 認 可 (毎 月 18回 1,2,3,5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
全国自立生活センタ−協議会・ピア・カウンセリング小委員会
問い合わせ
船橋障害者自立生活センタ−事務局(担当:山本)
〒273 千葉県船橋市湊町1−6−12
℡&FAX 0474(32)4554
Waveふなばし・障害者生活支援事業
自立生活講座(自立塾)開催のお知らせ
当センターでは今年(97年)7月に船橋市の委託による「障害者生活支援事業」を開始
して以来、地域の方々からのご相談に応じているほか、やはり「事業」のひとつとして、自
立生活をめざすための講座やピアカウンセリングを開いていますが、こんどは次のような3
回シリーズで連続講座を開催することになりました。
これは、生まれると同時に脳性マヒになり、小学校にも入れなかった代表の宮尾さんが、
自分の過去の人生とそこでぶつかった悩みや思い出を話すことで、同じような障害者に共通
する問題を考えようというものです。タイトルを「自立塾」とつけました。
宮尾さんは、いま自立生活を計画している人や、これから自立をめざそうとしている人た
ちに聞いてもらい、何かの参考にしてもらえれば有り難いと言っています。ぜひ、ふるって
ご出席ください。
参加費は無料。日程は以下の通りです。
家族・社会・性と結婚
−−障害者の生活と人生の中で
日時
場所
人数
内容
98年1月13日 26日 2月9日 (13:00∼16:00)
船橋市女性センター第一会議室
15∼25人
宮尾さんの話とそれにたいする質問と意見交換
各回の話のテーマ
◇1月12日
障害者と家族の関係、とくに親との関係をめぐって
◇1月26日
障害者と社会の関係、とくに自己形成の過程をめぐって
◇2月9日
障害者における性や恋愛、結婚などをめぐって
◆3回とも宮尾さんの経験したことが話の内容になるので、意見交換の時間ではそれとは
違う経験のお話をお聞きしたいと思います。
◆3時間のうち宮尾さんの話は80∼90分くらいとします。
◆司会進行役を別に設けます。
以上
1977年 12月 3日 第 三 種 郵 便 物 認 可 (毎 月 18回 1,2,3,5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
新春懇談会のお知らせ
早いもので、今年もあとわずかになってしまいましたが、みなさんにとってはどんな一年
だったでしょうか?
今年は、船橋市の委託による障害者生活支援事業という新しい仕事が始まり、これまで以
上に忙しい毎日になりました。また、センタ−設立五周年の節目にもあたり、記念のイベン
トも開くことができました。そして、来るべき98年は、さらに充実した活動内容にしたい
と考えています。
そこで、一年の鋭気を養い、みなさんのご意見なども伺って、四月からの活動を充実した
ものにするため下記のように新春懇談会を開かせていただくことにしました。
カラオケなども交えて和やかな集まりにしたいと思います。是非おひとりでも多くの方に
ご出席をお願いしたいと思います。
大変勝手ですがご出席の方は一月二十日までに電話で結構ですので事務局までご連絡してい
ただければ幸いです。
記
日時:1月25日(日) 午後5時∼
場所:ジョン万次郎(スクエア21地下)
電話0474(25)2088
会費:三千円
ニューフェース登場!!
はじめまして、喜多加奈子です。
11月から事務スタッフの一員になりま
した。慣れない事も多く他のスタッフに助
けてもらうばかリですが、徐々に仕事を覚
えて介助スタッフや介助を利用する方々と
積極的に関っていけるようになりたいと思
っています。
今は、船橋市の親戚の家で暮らしていま
す。ペットに犬と猫を飼っていて、猫はロ
シアンブルーで美猫なのですが、見た目ど
おりに気高い性格でなかなかなついてくれ
ません。犬のほうは雑種ですが愛敬があっ
て甘え上手でかわいいです。
休みの日は買い物に出かけたり、映画を
みたり、あるいは読書をして過ごす事が多
いです。椎名誠のエッセイや司馬遼太郎な
どの時代小説が愛読書です。ミュージカル
が好きで、今年は『クレイジ−・フォ−・
ユ−』、『スクル−ジ』などを見ました。
来年はもっとミュージカルや演劇を観劇に
行きたいです。
まだ未熟なのでこれからやらなければな
らない事がたくさんありますが、焦らずに
学習していきますのでよろしくお願いしま
す。
事務所にお寄りの際は、気軽に声をかけ
てください。
1977年 12月 3日 第 三 種 郵 便 物 認 可 (毎 月 18回 1,2,3,5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
WAVEふなばし・設立五周年記念の集い
1997年10月26日
記念講演
船橋中央公民館講堂
「自立生活」ということ
板山 賢治
(日本障害者リハビリテーション協会副会長)
私は今日のお話で「自立は人生の目標」
という柱を立て、「障害者の権利宣言」の
一節をレジメに出しておきました。
「障害を持つ者も一人の市民として、家
庭や地域で、障害を持たない同じ世代の
人々とともに同等な生活を実現することが
当然の権利である。障害者は可能な限り自
立させるよう構成された施策を受ける権利
を有する」。
「させる」という言葉はあまりよくあり
ませんが、この「宣言」の発せられた日が
もとになって12月9日が「障害者の日」
になり、平成5年12月には「障害者基本
法」という法律ができました。
私たちが今生きているこの社会は、自由
主義社会と言います。資本主義社会と言う
人もいますが、この自由な社会というのは、
人間が生きていく上で極めて自由な権利が
守られる社会でもあります。けれども同時
に、この自由競争の社会は、自由で幸せな
人生だけを約束をしていません。力のない
人は負けてしまう。優勝劣敗ということが、
この社会の大きなマイナスの点だとも言わ
れます。
しかし、人間は知恵があります。そうい
う社会がつくりだす問題は、社会の手で立
ち向かっていく。個人の責任ではない。
「万人が一人のために、一人が万人のため
に」の思想で年金制度や保険制度をつくり、
社会福祉の仕組みをつくろうというのが、
今日の社会であります。
私は、昭和53年に厚生省の更生課長に
なりました。そのときは3年後に「国際障
害者年」があることも知りませんでしたが、
ただ日本のいろんな仕組みの中で、障害者
施策というのは極めて遅れているという意
識はありました。当時の厚生省は、宮尾さ
んたちのような少し過激な団体(当時)が
くると、シャッターは下ろす、課長は逃げ
てしまう、という状態だったのです。しか
し、私は逃げない。ルールを決めて会うこ
とにして、昭和55年の実態調査をめぐっ
ては、4団体ぐらいと50数回にもわたっ
て話し合いましたが、そういう中で障害者
の人たちの要求というものも分かったので
す。
焦点は三つあった。一つは、それまでは
施設をつくり、収容することが福祉だと思
っていた。二つ目は障害者に相談しないで、
障害者施策を行っている。三つ目は審議会
や委員会とかいってるが、その中に障害者
自身の代表が入ってない。政策形成過程に
参加させろ、という要求であることを知っ
たのです。そんな中で、これはやらなきゃ
なんないということが出てきました。
それは、いくつもの障害を併せもってい
る人たち、特に脳性マヒや脊椎損傷の人た
ちを中心にした問題です。私はこういう人
たちの全身性障害者問題研究会をつくりた
いと思いました。そのころ、ある障害者の
リーダーからこんなことを言われた。「お
れは物心ついた頃、座敷に寝かされていた。
親戚がきて『何の因果であんな子ができた
んだろう』と言うのが聞こえた。妹からは
『兄ちゃんがいるから学校でいじめられ
る』と泣かれた。今は『兄ちゃんのせいで
恋人に逃げられた』と訴えている。そんな
中で生きてきたおれたちに行政を信頼しろ、
社会を信用せよと言われてもできっこない
だろう」
ガツンと頭を殴られたような気がしまし
たが、こうしてつくった全身性障害者問題
研究会はその後、重度障害者の所得保障問
題検討会に格上げになり、厚生省の正式の
専門家会議に発展をしました。そして昭和
1 9 7 7 年 1 2 月 3 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ( 毎 月 1 8 回 1 , 2 , 3 ,6
5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
60年の国民年金法改正のときに「障害基
礎年金制度」として、法律の上にハッキリ
と重度障害者の人たちの年金が位置づけら
れたのです。
それまでは福祉年金しかもらえなかった。
それが一人前の年金がもらえることになっ
た。というのは、掛け金を出せない人にも
年金給付があるということで、まさに画期
的な制度でした。今公的介護保険が話題に
なっていますが、こちらの方はそれとは逆
の意味で、つまり高齢者も拠出することに
なるということで「画期的」かもしれませ
ん。
つぎに「自立生活運動のひろがり」とい
うことですが、この運動はアメリカから出
発しました。日本にもその影響がきて、今
全国的にひろがっている。70を超えるほ
ど「自立生活センター」ができて、「WA
VEふなばし」もその一つです。こういっ
た活動については、民間の財団などは熱心
に援助しているが、政府は援助をしていな
かった。それがこの1∼2年の間に「地域
における障害者の生活の拠点として、これ
を正当に評価しよう」ということで、政府
も「障害者プラン」の中で、地域における
生活支援事業というものにお金を出すよう
になりました。
船橋市ではいち早くこれを取り上げ、こ
の「WAVEふなばし」に生活支援事業が
委託されたということですが、こういう
「自立生活」というものを展開していく上
に、行政的なバックアップがあることは大
変に力強いことであります。
自立生活の原則というのは、障害者自身
の主体的・自主的な決定、選択に基づく決
定でなければならない。で、障害を持つ人
たちも自立生活力とか、人と付き合う社会
生活力、そういものを身につけなきゃいけ
ません。しかし、それも押しつけられてや
るものではない。自分自身が決定し、行動
する。そういうものではないかと思います。
社会が変われば、障害を持つ人も障害者と
呼ばれなくてすむ。今そういう時代がきて
いるのです。
私は東京の府中市に住んでいますが、こ
こで「福祉のまちづくり条例」をつくりま
した。京王線の府中駅周辺をモデル地区に
設定して、さまざまな形で使い易い、しら
し易いまちにしていこう。そのための補助
金も出そう、という条例をつくったのです
が、障害を障害者にしない社会環境・条件
ができれば障害者でなくていられる。そう
いう世の中が、今、つくられようとしてい
るのだと思います。
このごろ、「バリアフリー社会づくり」
ということがよく言われます。私はレジメ
にも書いておきましたが、それは「4つの
壁」を克服することだと思うのです。その
第1は「物理的な壁」であり、第2は「制
度や仕組みの壁」です。かつての年金もそ
うでしたが、今も障害があるというだけで
受験できない資格が50以上もあり、点字
受験を認めてない大学もたくさんある。精
神障害者お断りという図書館まで残ってい
ます。これを変えて行く努力、これは障害
者団体自身が点検、チェックしなければい
けません。そして提言していくことが必要
です。
3つ目は「文化・情報の壁」です。私は
全日本聾唖連盟の顧問になり、手話通訳士
の資格制度検討委員会の委員長を7年ほど
やりました。そしてその資格の認定制度が
できた。その結果、800人を超える通訳
士がうまれ、選挙の政見放送にも手話通訳
がつくようになっている。まだ比例区だけ
ですが、すべての選挙や歌舞伎、能といっ
た芸術文化の世界にも、そうしたものをひ
ろげたいと思っています。
4つ目は、私たち自身の心に潜む意識、
「心の壁」という問題です。「ハートビル
法」という法律ができましたが、これはハ
ートのあるビル、心のあるビルをつくろう
という法律であります。これを見た1級建
築士が「目のうろこが落ちる思いがした」
と言っている。そんなふうになっていくこ
とを期待したいと思っていますが、この十
数年来、行政も変わりました。昔のような
福祉は厚生省任せというのではなく、行政
総体、政治全体で取り組むようになってき
た。そのあらわれが「ノーマライゼーショ
ン7か年計画」と名付けられた「障害者プ
1 9 7 7 年 1 2 月 3 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ( 毎 月 1 8 回 1 , 2 , 3 ,8
5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
ラン」であります。
ついでに言いますと、障害者施策という
ものが地方の市町村に移ってきた。県や市
町村も「障害者計画」をつくらなきゃいけ
ないことになってきている。これは国の
「プラン」に対応するものですが、今日は
わざわざ石井助役さんがお出でになってい
る。障害課長さんも聞いてくださっている。
船橋は、そんな熱意を持っていらっしゃる
ところですから、御期待を申し上げたいで
すね。
「障害者計画」は市町村がなかなかつく
ってくれません。まだ2割ぐらい。障害者
運動の成熟ということも最近の変化で、み
んなと連帯して仕事を進めようというふう
になっている。ただ、その一面、もうちょ
っと、ときには座り込みをしたり、デモし
たり、もっと強烈なブッシュをした方がい
いと思うときもある。成熟し過ぎて、運動
が沈滞してはいけないと思っています。
さて、今、一番大きな問題として、行政
も法律も縦割りになっています。「身体障
害」「精神薄弱」「精神障害」の3分野で
すが、厚生省は今度、この3つの縦割りを
総合化したいということで、障害者保健福
祉部というのをつくりました。この3分野
にはそれぞれ法律があって、そこにそれぞ
れ審議会がある。
この3つの審議会を一緒にして、「3審
議会合同企画部会」というのを今つくって
いる。21世紀に向けて、日本の障害者施
策はどうあるべきか検討が始まっている。
私もその部会のメンバーであり、起草委員
の一人として、来春あたりを目指して、最
終のまとめをしたいと思っていますが、こ
の議論は、かなり深刻、かつ新しい時代に
対応する施策の在り方を探ろう、という議
◇
論が展開されております。
一方で、現在、社会福祉の構造改革をし
たいと厚生省は考えている。橋本首相が言
っている五大改革の一つですが、行政改革
と並んで、社会保障の構造改革をしようと
いうものです。その中に医療保険や年金制
度の改正も入っているし、公的介護保険の
問題も入っている。それと並んで福祉の構
造改革を考えたいというのが、今の当面す
る課題であります。 そうなりますと、こ
の構造改革と、障害者福祉の今後の在り方
というのは、常に一体不離になっているわ
けで、このふたつを別々には議論できない。
そこで私などにも今、この構造改革の議論
にも入ってくれんかということになってい
ますが、福祉改革の中で、障害者施策をど
う位置づけていくのか、これは今後の大き
なテーマであります。
そんな中で、不動の位置を占めるのは、
「地域おける自立生活」は、これからの施
策の中心的なテーマになってくる。これに
誤りがあってはならない。ただし、これに
対する財政的な、あるいは物心両面におけ
るてこ入れがどこまでできるか、この辺が
「WAVEふなばし」の今後にも深くかか
わることであり、皆さんにとっても関心の
あるところだろうと思っています。
私のように古い人間は、過去を語ること
が多くなり、未来を語ることはなかなかで
きません。新しい時代は新しい人たちが受
け持っていただくものですが、今日は少し
く感じていることを申し上げてご参考に供
した次第です。ご清聴ありがとうございま
した。
◇以上は、板山先生の講演記録の中から宮尾が抜粋した
ものですが、全文をお読みになりたい方は余部が多少
ありますので、ご希望があればお送りします。
1 9 7 7 年 1 2 月 3 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ( 毎 月 1 8 回 1 , 2 , 3 ,9
5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
シリーズ・街へ出よう!!
「安全でたのしい街をめざして」
−快適な電車・暮らしに便利な街を求めて
5.11交通機関・幕張メッセ点検行動報告−より
この文章は、以前「自立生活センターニュース第21号」に掲載した文章に付随するもので
す。
報告が遅くなりましたが、小冊子のかたちで、報告書がまとまりましたので、以前文末に
も書きました通り、具体的な数値等について、お知らせします。紙面に都合がありますので、
私たちの参加したAコース(船橋グループ)の内容を抜粋して、皆さんに読んで頂くことに
しました。点検は、「視覚障害者の立場から」と「車椅子利用者の立場から」の二つの視点で
行われましたが、ここでは後者のみとしました。こ了承下さい。
詳しい内容を知りたい方は、センターに自治労千葉県本部/障害労働者千葉県連絡会編集
による小冊子があります。
又、東京の駅利用について知りたい方は、センター相談室にSSKA「Silk Road」別冊
「車いす東京アクセスガイド」−鉄道1123駅・バス69路線−わかこま自立生活情報室
(編)があります。JR山手線については、アクセス東京の今福義明様よりFaxで送って頂
きました。「JR山手線・アクセス設備一覧・最新情報」(11/11現在)をセンター事務局
と相談室に掲示しています。利用して下さい。
JR
JR
JR
駅の形状は
南
海
いずれも
船
船
浜
地上駅
橋
橋
幕
張
1.駅前及び改札口の外側
×
○
障害者用乗降場の有無
○
/
×
雨天用屋根はあるか
○
○
○
券売機の利用
/
現金・カード挿入口の高さ
135 /
133
×
×
車椅子用スロープの有無
×
○
○
車椅子用トイレの有無
/
(ある場合は男女は別か)
同
/
/
公衆電話の利用
○
/
○
公衆電話の床からの高さ
110 /
/
2.改札口の内側
車椅子用スロープの有無
×
×
×
車椅子用トイレの有無
×
○
○
(ある場合は男女は別か)
同
同
公衆電話の利用
○
○
○
公衆電話の床からの高さ
92
70
120
1 9 7 7 年 1 2 月 3 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ( 毎 月 1 8 回 1 , 2 , 3 ,10
5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
3.改札口が二階以上にある場合の外側
エレベーターの有無
エスカレーターの有無
階段にスロープの設置
階段昇降機の有無
4.改札口が二階以上にある場合の内側
エレベーターの有無
エスカレーターの有無
エスカレーター上下別か
同上車椅子利用可能か
階段にスロープの設置
5.改札口
改札口の車椅子通行
改札口の幅
有人改札口の幅
6.ホーム及び乗車まで
ホーム斜度
ホームと電車乗降口の隙間
ホームと電車乗降口の段差
乗車の際の駅員の協力
上数値単位
表上数値単位
斜度(度)、駅員の協力(人)、その他(cm)
※東武野田線は2Fに改札。JRのみ昇降機あり。
×
×
×
○
/
/
/
/
/
×
○
○
×
×
×
/
○
同
○
/
×
○
同
○
/
×
56
91
×
55
95
×
55
86
1
10
10
6
2
10
14
2
1
9
13
1 9 7 7 年 1 2 月 3 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ( 毎 月 1 8 回 1 , 2 , 3 ,11
5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
地図説明
①海浜幕張駅のスロープ
②自動車進入防止のポールが何本もたっていて車椅子では通りにくい
(横断歩道を利用するため車道に出る時)
③同上の( )内の様な場合、③の様に歩道と車道の境い目が下り坂と小さな段差で複合的な
障害となっている場所は、他の街にも多く見られるだろう。
④延々と石畳が続き車椅子ではもちろんのこと、点字ブロックを利用するにも、非常に不便
と思われる。
⑤歩道橋のみの交差点で、たった10数m先の向こう側まで30分以上を要した。
以上
相談という“お仕事“
∼障害者生活支援事業から∼
前田満子
相談員になる前、私は視覚障害者のガイ
ドヘルパーとセンターの介助者をしていま
した。障害者と行動を共にし仲良くなると、
いろいろ打ち明けたお話をして下さるよう
になります。そんなお話の中から、この方
にはホームヘルパーの派遣が必要ではない
かと思って市へ申請をしたり、ある方とは
一緒に法律相談に行ったり、時にはホーム
ドクターを探して看護婦さんの訪問看護を
お願いしたりするようになりました。話を
聞いてくれる人と思われたのか、自宅にも
毎晩のように電話がかかってくるようにな
りました。私は色々な悩みに的確に答えら
れるよう、もっと福祉のことを良く知り、
障害者のお役に立ちたいと思い、勉強して
社会福祉士の資格を取りました。
この資格を生かして障害者生活支援事業
の相談員にならないかとのお話をいただき、
喜んでお引き受けしました。今までのよう
に頼まれた時だけその方のお宅に伺うので
はなく、職場に電話して頂けばいつでもお
役に立てると思ったからです。内心では昼
間仕事として電話をして頂ければ、夜の電
話から解放されるかもしれないという期待
もありました。
7月から実際に働き始めてみると、思い
がけないことに、夜の電話が一向に減らな
いどころかむしろ増えてしまったのです。
「昼は“お仕事“の邪魔をするといけない
から」「職場では話しにくいから」などと
おっしゃいます。『“お仕事“の邪魔と言
ったって、こんな話を聞くのが私の“お仕
事“なのよ!』と思うのですが、電話をす
る方は自分が相談しているとは思っていら
っしゃらないようなのです。単に愚痴をこ
ぼしたい、話を聞いてもらいたいと思って
いるだけなのです。又“お仕事“として事
務的に扱って欲しくない、人間的なふれあ
いの中でお友達として話をしたいのだとい
う気持ちもあるようです。
以前「海を見に行きたい」と自宅にお電
話下さった方がありました。私は旅行社を
紹介して海が見えるホテルを予約し、車と
運転手と介助者の手配をし、ホテルには酸
素濃縮機を置いてもらい、ご希望通りに海
を見る1泊旅行を楽しんで頂きました。
「今までいろんな人に『海を見に行きた
い』と言ったけど、実行してくれたのはセ
ンターだけ」ととても喜ばれました。こん
な電話も重度の障害者にとってはとても大
事な相談だと思います。愚痴でも希望でも
いいから気楽に相談室に電話してくれない
かなぁと思って待っています。
電話って面白いもので、1日に1度もか
かってこないと寂しい気がします。でも1
日の仕事を終え帰宅して、留守番電話が
「15件です」などというと、どっと疲れ
が出るような気がします。メッセージが入
っていればまだいいのですが、ほとんどは
誰がかけたか判らないものです。毎日2∼
3人から電話がかかって来るように調整で
きないものかと誰かに相談したいのですが、
1 9 7 7 年 1 2 月 3 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ( 毎 月 1 8 回 1 , 2 , 3 ,2
5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
どこに相談したらいいんでしょう?
私らしい生活の実現を目指して
渡
私は、養護学校を卒業した十代の後半頃
からずっと考え続けてきました。障害が重
い為にいわゆる就職は無理でも私らしく生
きる事を可能にしたい。日々を悔いなく送
りたい。それだけを目標にその時に出来る
事を試行錯誤でやっている状態です。未だ
何が自分らしい生活の実現に繋がる行動な
のか解りません。
学校卒業後の10数年に関わった福祉活
動は数十ヶ所になります。辞めた理由は、
何を求めた活動なのか解らない。求めてい
る事は良いが過激思想で方法論が納得いか
ない。等です。
今の所一番長く続いた活動は、福祉作業
所のクッキ−やパウンドケ−キを販売する
仕事です。しかしそれも私より能力的に優
秀な障害者が働きたいと言ってきたら4年
半の実りもなくリストラにあってしまいま
した。世の中は厳しいと実感しました。
でもこの4年半は、私に大きな財産を与
えてくれました。思いは、あっても協力し
て下さる人がいなければ、家から一歩外へ
出る事も出来ない私が、毎週土・日・祝日
働き続ける為に大学回りをし、校門前や学
食前で、時には理解のありそうな授業を探
してゲリラ的に、教授に頼み込んでビラ配
りをしていました。その地道な活動が実り、
大学生ばかりで毎年人の入れ替わりが激し
いですが、自分の周囲に全くボランティア
で出来る限り私の望む事に、手を貸してし
て下さる人的ネットワ−クが作れる様にな
辺
由
美
子
っていました。皆気持ちが優しくて良い人
ばかりです。多少忙しくても無理をして都
合をつけて来てくれる人もいます。今では、
必要最低限は人を確保する事が可能になっ
てきています。この自ら作り上げたボラン
ティア網を失いたくないと思い、日々人間
関係を重視して暮らしています。
仕事は、船橋障害者自立生活センタ−の
介助コ−ディネ−タ−と生活支援事業の非
常勤の一人に加えて頂き、電動車椅子で、
一人で電車通勤となりました。
次は親の庇護の下から自ら生きる生活に
移行する為、今年の10月から両親と同居
の私の部屋へ家庭内別居状態で今まで関わ
りのある学生ボランティアさんを中心に泊
まり介助で来て頂き、毎日の生活を送る事
にしました。様々あってこういう形に落ち
着き、2か月が過ぎました。自立の意志の
証として冷蔵庫と電子レンジを自分のお金
で買いました。洗濯は親元へ出しています。
食事はコンビニ食と冷凍食品です。設備面
で不十分ですが、現在まで1日も休まずに、
介助体制が続いています。そんな事では自
立ではないという痛烈な批判が聞こえてき
そうですが、私は形から入る自立ではなく、
着実に人を自分の周りに作る中で、私らし
い生活とは何か考え続けていく自立生活を
模索しようと思います。
扉一枚の自立生活への道新しい挑戦です。
いろんな意味で、気を引き締めて努力しま
す。ぜひ長い目で応援して下さい。
―――――――――――――――――――――――――――――――
事務局の動き
10/26 設立5周年の集い
11/10∼11/12 全国リハビリテーション研究大会出席
11/22 日米障害者自立生活セミナ−出席
11/27 第1回介助講習会
12/4 県立船橋養護学校訪問
12/10 第2回介助講習会で佐倉市の国立歴史民俗博物館を訪問
1 9 7 7 年 1 2 月 3 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ( 毎 月 1 8 回 1 , 2 , 3 ,13
5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
12/11 自立志望の障害者に個人ピアカウンセ リング
12/12 ゆたか福祉苑職員来訪
12/17 自立志望の障害者に個人ピアカウンセリング
12/24 第3回介助講習会でららぽーとへ
カンパのお礼
前号以降、以下のみなさまから温かいカンパをいただきました。厚くお礼申し上げます。(順不同)
個
板山
永山
木村
瓜生
人
賢治
美子
久枝
隆夫
様 葛生 香織 様 野崎
誠 様 岩瀬 まさ子 様 鈴木 徳子 様 妹尾 治雄 様
様 前田 満子 様 山崎 真弓 様 清水
光明 様 杉井 和男 様 山本 明 様
様 牧野 忠夫 様 山本
昇 様 宮原
幸弘 様 堀江 はつ 様 佐久間 良夫 様
様 山下 靖典 様 小川 里様
団 体
(株)シンプル (株)青孔社 様 (株)住研 様 薬円台第四町会有志 様 国際ソロプチミスト船橋 様 誠光園
様 社会情報センタ-ワ-クアイ船橋 様 千葉県社会福祉会 様
(社)千葉県建築士会船橋支部 様 船橋市長 様 船橋市社会福祉協議会 様 船橋市ボランティア協議会 様
安田記念財団 様 自治労千葉県本部 様 さざんか会京葉学園 様
スタジオI生活支援ネットワ-ク運営委員会 様 全国自立生活センタ-協議会 様
訃報
残念なお知らせです。会員の永山善也さん、丸山幸雄さん、永野秀子さんが今年お亡くなりに
なりました。謹んでご冥福をお祈り致します。
≪事務局からのお知らせ≫
事務局では都合により、2月23日(月)を臨時にお休みとさせていただきます。
ご了承ください。
<編集後記>
師走です。今年は当センターにとって画期的な年になりました。
市の委託による「生活支援事業」を7月から開始したからです。さらに自立生活を希望する障害者が何
人か来訪しました。
いやな世相が氾濫するなかで,私たちWAVEふなばしは一歩一歩地を固めています。来年もどうぞ
よろしくね。よいお年をお迎えください。(や)
発行所
東京都世田谷区砧6−26−21
身体障害者団体定期刊行物協会
定価100円
1 9 7 7 年 1 2 月 3 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 ( 毎 月 1 8 回 1 , 2 , 3 ,13
5,6,7の 日 発 行 )1997年 10月 25日 SSKP通 巻 第 347号
ピ ア ・ カ ウ ン セ リ ン グ 集中講座
参加申し込み書
ふりがな
氏名
年齢
住所
電話
才
〒
所属団体
障害名(状況)
該当する欄に○を記入してください。
☆介助について
介助者を連れていく
主催者側に依頼したい
必要ない
主催者側に介助を依頼される方は、その内容を記入して下さい。
食事
トイレ
着替え
移動
入浴
その他(具体的に)
特に希望すること、注意することがある方はご記入ください。
☆宿泊について
希望する
.
希望しない
☆過去にピア・カウンセリング講座の受講経験が ある ない
集中講座を受けたことがある・長期講座を受けたことがある。
性別
男 ・
女