表面張力の基礎 土井俊行 平成 26 年 10 月 1 日 3 目次 第 1 章 表面張力の熱力学 1.1 表面張力の概観 . . . . . . . . . 1.2 等温系熱力学の復習 . . . . . . 1.2.1 熱力学系 . . . . . . . . . 1.2.2 Kelvin の原理 . . . . . . 1.2.3 平衡点 . . . . . . . . . . 1.2.4 圧力と化学ポテンシャル 1.2.5 表面張力 . . . . . . . . . 1.2.6 1 次同次関数 . . . . . . 1.3 表面過剰 . . . . . . . . . . . . . 1.4 Gibbs 吸着の式 . . . . . . . . . 1.5 1 成分 2 相系 . . . . . . . . . . . 1.6 Kelvin の式 . . . . . . . . . . . 1.7 3 相系 . . . . . . . . . . . . . . 第2章 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 変分法 まえおき . . . . . . . . . . . Euler 方程式 . . . . . . . . . 付帯条件 . . . . . . . . . . . 自然境界条件 . . . . . . . . 2.4.1 付帯条件なしの場合 2.4.2 付帯条件ありの場合 変じうる境界条件 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 5 5 9 9 11 16 19 20 22 24 28 33 36 42 . . . . . . . 49 49 51 58 61 61 64 70 5 第1章 1.1 表面張力の熱力学 表面張力の概観 本稿で取り扱うのは、複数の相からなる物質の振舞である。系は多成 分の物質から構成されていってもよい。ここで相とは、系が区分的に密 度の一様な部分に分離しているときの各部分のことをさす。例えば、空 気と水を接して置くと、空気と水はかなりきれいに分離する (ごく少量の 空気は水に溶け、ごく少量の水は気体中に蒸発する)。あるいは水中にあ る油滴などもそうである。観察によると、これらの相の境界は不連続面 であるように見える。この密度の不連続面を界面という。 さて、界面を持つ流体系があると、流体力学で習った流体とは多少異 なる特徴的な振舞をする。二,三の例を挙げよう: (i) 水滴 [図 1.1 (a)] 流体静力学によると、大気に接した静止流体の表面は高さの等しい水平 面である。ところが、少量の水を床の上に置くと、水は丸まって水滴と なる。 (ii) 毛細管現象 [図 1.1 (b)] ビーカーに入れた水に細い管を突っ込むと、水は自発的に管内を上昇す る。上昇する高さは管が細いほど高い。 (iii) 水に浮く 1 円玉 [図 1.1 (c)] 1 円玉を水中に持ってきて手を放すと必ず沈む。それは 1 円玉の密度は水 の密度より大きいから当然である。ところが、水面 (水と空気の界面) に 静かに置くと、1 円玉を水に浮かべることができる。 これらの例はいずれも表面張力が悪さをしている— ということはどこか で聞いたことがあるに違いない。 ここで表面張力という量を定義しておこう。そのために図 1.2 のような 簡単な装置を考える。コの字型に曲げた針金とまっすぐな針金を組み合 わせて長方形を作り、ここに薄い液膜を張る。最初系は図 1.2 (a) の状態 にあるとする。まっすぐな針金を dx だけ平行移動させて液膜を引き伸ば 第1章 6 表面張力の熱力学 Air Air Water Coin Solid Water Water (a) (b) (c) 図 1.1: 界面現象の身近な例. (a) 床の上の水滴, (b) 毛細管現象, (c) 水に 浮く 1 円玉. x b Liquid film x Work b (a) (b) 図 1.2: 表面張力の定義. dx 1.1. 表面張力の概観 7 x θ R R2 R β R1 r 2 p (Rdϕ) γRdϕ α 2 p (Rdϕ) R dϕ (a) (b) 図 1.3: 液滴および液柱. (a) 球状液滴, (b) 液柱. 液体内部の圧力は pα , 外 部の圧力は pβ である. R, R1 , R2 は対応する曲線の面素の位置における曲 率半径である. す [図 1.2 (b)]。液体膜の面積の変化を dA と書こう (図では dA = 2bdx)。 dA が充分小さいとき、外力がなす仕事が dA に比例して 外力がなす仕事 = γdA (1.1) と表されるとき、比例係数 γ を表面張力という。dA = 2bdx であるから、 表面張力は移動する針金の単位長さ当たりに働く力であることがわかる。 図 1.3(a) のような、気相中にある半径 R の液滴を考える。界面上に面 素 (Rdφ)2 をとり、この面素に働く力の釣り合いを考える。液滴内部の圧 力を pα 、気相の圧力を pβ と書こう。図 1.3(a) より、pα , pβ と表面張力 γ との釣り合い式は 4γRdφ sin dφ = (Rdφ)2 (pα − pβ ), 2 第1章 8 表面張力の熱力学 従って 2γ . (1.2) R すなわち、曲率のある界面をまたいで、圧力には跳びがある。式 (1.2) は Laplace の式, 圧力差は Laplace 圧と呼ばれる。この式は 1.5 節におい て、別の原理から再導出する。一方、図 1.3(b) のような軸対称な液柱に おいて同様の考察を行うと、力の釣り合い式は ( ) 1 1 α β p −p =γ − (1.3) R1 R2 pα − pβ = ここで、R1 , R2 は, それぞれ, 考えている面素の位置における周方向およ び子午線方向に関する曲率半径である。R2 の係数が負なのは、R2 に関す る表面張力の寄与は圧力 pα と同じ向きに働くからである。図 1.3(b) の円 筒座標 (r, θ, x) を導入し、界面の形状を r = y(x) と書こう。ベクトル解析 で学んだように、曲率半径 R1 , R2 は 1 1 = , R1 y(1 + y ′ 2 )1/2 y ′′ 1 = , R2 (1 + y ′ 2 )3/2 である。従って、式 (1.3) は次のようにも書ける: 1 y ′′ pα − pβ . − = γ y(1 + y ′ 2 )1/2 (1 + y ′ 2 )3/2 (1.4) この式は、図 1.3(b) の液柱の形状を決める常微分方程式と考えることも できる。Laplace 圧 pα − pβ は未定の定数であるが、これは液体の体積が 指定された値をとるという付帯条件から決まる。この問題は、2.4 節にお いて詳細に採り上げる。 図 1.4(a) は、図 1.1(a) の液滴を真横から見たものである。このような 系では、気相、液相、固相が同時に出会う曲線が現れる。この曲線を三 重線という [図 1.4(a) では、この曲線の “断面” を黒丸で示してある]。三 重線付近での振舞を調べてみよう。図 1.4(a) の左側の黒丸付近を拡大し たものが図 1.4(b) である。釣り合い時において、AC 方向は AB 向と角度 (θ としよう) をなす。この角度 θ を接触角という。図 1.4 のような液相の 三角柱 (底辺 a× 高さ b× 奥行 c) を考え、この三角柱に働く力の釣り合い を考えてみよう。この要素に働く力は、S-G, S-L, L-G 各界面の表面張力 による力 cγSO , cγSL , cγ 、Laplace 圧 ∆p(= pα − pβ ) による力 bc∆p、およ 1.2. 等温系熱力学の復習 9 cγ C cγSO θ bc∆p γSO A acτ B cγSL (b) (a) γ θ γSL (c) 図 1.4: 接触線付近の振舞. (a) 液滴全体, (b) 接触線付近の液体三角柱 (a × b × c) に働く力の釣り合い, (c) 三角柱の大きさをゼロにする極限を 考えれば、表面張力による力だけが釣り合っていなければならないこと がわかる. び底面 AB に働く (かもしれない) せん断力 acτ である。三角柱要素に働 く力の釣り合いは、図 1.4 より、 cγSL + cγ cos θ + acτ = cγSO + bc∆p. ここで三角柱要素の形状を相似に保って寸法をゼロに近づけることを考 える。すなわち、a = a ˆε, b = ˆbε, c = cˆε, ε → 0 (ˆ a, ˆb, cˆ は定数) とする。す ると、ac, bc は ε の二乗に比例してゼロに近づくので、c の項に比べて無 視できる [図 1.4(c)]。従って, γSO − γSL = γ cos θ (1.5) でなければならない (もしそうでなければ、三角柱の質量は ε3 に比例して ゼロに近づくため、三角柱は無限の加速度を持つことになる)。式 (1.5) を Young の式という。三重線位置においては、3 種類の表面張力 γSL , γSO , γ と接触角 θ は Young の式 (1.5) を満たさなければならない。この式とは 2.4 節で再会することになる。 1.2 等温系熱力学の復習 本節では、以下の議論に必要な熱力学を復習しておく [1]。 1.2.1 熱力学系 本稿で扱うのは、温度 T の単一の熱源 (環境) と接した系である。本稿 を通し、熱源の温度は一定であり、変化させることは無い。対象とする系 第1章 10 (a) (b) V V T 表面張力の熱力学 V A T (c) β αβ α A βγ V β A α γα A V γ V T 図 1.5: 基本的熱力学的系. (a) 単一相系, (b) 2 相系, (c) 3 相系. V α , V β , · · · は α 相, β 相の体積を表し、Aαβ , Aβγ , · · · は α − β 相, β − γ 相の間の界面 積を表す. (b), (c) において, 各相の体積および界面積はレバーによって 操作される. は複数の成分から構成される多成分系であってもよい。但し、系は外部 (環境) とは物質の授受は無く、また化学反応も起きないとする。物質の 量は (各成分) 分子の数をモル単位で量り、簡単のためモル数と呼ぶ。成 分 1, 2, . . . , m の各々のモル数をそれぞれ N(1) , N(2) , . . . , N(m) と書き、こ れらを並べたものを N = (N(1) , N(2) , . . . , N(m) ) のように略記しよう。 最も単純な系は、図 1.5 (a) のように、体積 V 内にモル数 N の均質な 物質が閉じ込められたものである。この系の振舞は温度 T , 体積 V , モル 数 N で特徴付けられる (“特徴付けられる” の意味は 1.2.2 節で説明する)。 上述のように、本稿では熱源の温度 T は与えられた定数なので、体積 V とモル数 N だけが問題となる。普通の熱力学の教科書でお目にかかるの はこの系である。 一方、本稿でもっぱら扱うのは、図 1.5 (b), (c) のように、系内がいく つかの相に分離し、相の間の界面がある場合である. 例えば、図 1.5 (b) のように, 水蒸気中に水滴を含んだ系や水中に油滴を含んだ系、あるいは 図 1.5 (c) のように, 空気に接したガラス基板上に水滴が置かれている系、 を考えよ。本稿では、相を表すのにギリシャ文字 α, β, · · · を用いる。こ のような系はどのように特徴付けられるだろうか。以下、図 1.5 (b) を例 として説明しよう。この系の場合、各相の体積 V α , V β 、全体のモル数 N、 および界面の面積 A は外界からの操作によって独立に自由に操作できる という立場をとる。すなわち、図 1.5 (b) の横方向のレバーを操作するこ とにより、α 相の体積 V α と界面積 (表面積)A を操作できる。また、上側 のピストンを操作することにより、β 相の体積 V β も操作できる。図には 4 本のレバーしか描かれていないが、レバーはもっとたくさん、何十本も 1.2. 等温系熱力学の復習 11 あってもよく、それらをうまく操作すれば界面の形状は自由に変形でき、 従って体積も表面積も自由に操作できるであろう。このとき、外界がこ の系になす仕事は、全レバーおよびピストンを操作する仕事の合計とし て求められる。 なお、ピストンを調整して系の全体積を V にセットした上でこれらの レバーを全て取り外すと、系は全体積 V α + V β = V , 全モル数 N の下で 決まる平衡状態に落ち着く。このため、レバーは、系内部の状態を強制 的に操作しているもので、内部拘束 (constraint) と呼ばれる。我々の主 目的は、内部拘束を外したとき、系がどんな平衡状態に落ち着くかを知 ることである。 ところで上の議論では、モル数に関する変数は全モル数 N だけで、各 相のモル数というものは考えなかったことに注意されたい。経験による と、例えば蒸気と水滴はかなりはっきり分離しており、その界面は非常に 薄いから、各相のモル数もはっきりした量であって自由に操作できるも のであると考える人がいるかもしれない。実は、相は巨視的にははっき り分離していても、その界面付近に物質が集中 (吸着, absorption) してい る。どれだけ吸着するかは結果として決まるもので、そんな薄い界面部 分の吸着量を我々は操作できない。我々が操作できるのは容器の中に含 まれている全モル数だけである。吸着については後述の 1.3 節で触れる。 そこでわかるように、吸着量は非常に小さい。しかしながら、小さいか らといって吸着を無視してしまうとあからさまに奇妙な結果を得る。 1.2.2 Kelvin の原理 本稿で用いる熱力学の最も重要な部分を述べる。説明の便宜上、図 1.5 (b) の系を念頭において考えよう。系は外界とは仕事のみを授受し、それ 以外は単一 (温度) の熱源とのみエネルギーを授受できるとする。このよ うな系を等温系という。系をある状態から別の状態へ、熱源と接触を許し つつ変化させるような外界の操作を考える。このような操作を等温操作と いう。系の状態はいくつかの変数 [例えば図 1.5 (b) ならば V α , V β , A, N] で表される。いちいち書くのは面倒なので、X = (V α , V β , A, N) と略記 する。 状態 X∗ から別の状態 X へ変化させる操作を考える (図 1.6)。このとき 系が外界になす仕事 Wi に興味がある。ここで添字 i は等温 (isothermal) 仕事の意味である。但し、紛らわしいが、我々は熱源の温度が定数である 第1章 12 表面張力の熱力学 -Wiq (X* →X) T T X* X 図 1.6: 等温操作. 等温仕事 (i 仕事)Wi は、レバーとピストンを通して系 が外界になす仕事の合計である. ことを要求しているだけで、操作の間系の温度が一定であるかどうかは どうでも良い。さて、仕事 Wi は系の始状態 X∗ と終状態 X だけでなく、 途中の操作の仕方 (経路) にも依存する。話の糸口は、まず、どのような 操作のとき仕事が途中の経路に依らないかを見出すことである。 いま、任意の始状態 X から出発し、任意の操作を経て、再び元の状態 X に戻す操作を考える。これをサイクルという。サイクルの間に系が外 界になす仕事はどんなサイクルであるかに依存するので、サイクルをサ ンセリフ体の記号 C で識別し、仕事を Wi (C) と書こう。ここで、熱力学 でよく知られた Kelvin の原理によると、 単一の熱源と外界とのみ相互作用するサイクルは外界に正の 仕事をすることができない あるいは 第 2 種の永久機関は実現不可能である これは熱力学の基本法則としてこれまで破られたことのないものであり、 我々も認めることにしよう。すると Wi (C) ≤ 0 (どんなサイクル C でも) (1.6) C 1 さて、図 1.7 (b) のように、サイクル C 上に任意点 X∗ を選び、C を X −→ C 2 X∗ −→ X のように 2 つの部分に分ける。すると Wi (C) = Wi (C1 ) + Wi (C2 ). (1.7) 1.2. 等温系熱力学の復習 13 C1 X* C1 X* C C2 X X (a) C2 X (b) (c) 図 1.7: 等温操作の経路. (a) サイクル, (b) サイクル C 上の任意点 X∗ で 2 つの経路 C1 , C2 に分けたもの, (c) X から X∗ に至る 2 つの経路 C1 , C¯2 . さてここで準静 (的) 操作という重要な概念を導入する。準静操作とは、系 が平衡状態を次々にたどるように充分ゆっくりと変化させることである。 そのときの仕事を準静仕事と呼び、Wiq と書こう。添字 iq は isothermal quasi static の意味である。準静仕事の著しい性質は, ある準静操作 C が可能ならば、それを逆向きにたどる準静操 作 (C¯ と書く) も可能であり、C¯ に沿う仕事は C に沿う仕事の マイナスに等しい すなわち ¯ = −Wiq (C). Wiq (C) (1.8) さて、図 1.7 (b) に戻り、図の C2 が iq 仕事ならば、Kelvin の原理 (1.6) と式 (1.8) により, Wi (C1 ) ≤ −Wiq (C2 ) = Wiq (C¯2 ). (1.9) すなわち、X∗ から X に至る任意の等温操作 (C1 ) における仕事は準静等 温操作 (C¯2 ) の仕事を超えることはない。 次に、C2 だけでなく C1 も準静等温操作だとしよう。そうしても不等 式 (1.9) は成り立つ。 Wiq (C1 ) ≤ Wiq (C2 ). (1.10) 一方、C1 と C2 の立場を入れ替えて最初から議論をやり直すと、 Wiq (C2 ) ≤ Wiq (C1 ). (1.11) 第1章 14 表面張力の熱力学 従って、 Wiq (C1 ) = Wiq (C2 ). (1.12) サイクル C と点 X, X∗ は任意であったことを思い出せば、次の重要な結 論を得る: 準静等温操作において系が外界になす仕事は始状態と終状態 だけで決まり、途中の経路に依存しない. ところで、これと似た話をどこかで聴いたことがないか—— 賢明な読者 は力学における保存力のことを思い出したに違いない。力学において、仕 事は一般に始点と終点だけでは決まらず、途中の経路に依存した。とこ ろが、保存力という特別なクラスの力の下では、仕事は途中どんな経路 を通るかには依存せず、始点と終点だけで決まった。すなわち、等温系熱 力学における準静仕事は、力学における保存力に対応しているのである。 そうとわかれば、少しの間力学という手本に習って議論を進めよう。力 学ではこの次に何を考えたか。仕事が始点と終点だけで決まるなら、始 点 x∗ を定義により 1 つ定め、位置 x∗ から x に至る仕事 W によってポテ ンシャル U を定義した: U (x) = −W (x∗ → x). (1.13) 熱力学では、これを完全にパクって、 F (X) = −Wiq (X∗ → X). (1.14) 式 (1.14) の Wiq (X∗ → X) は X∗ から X にいたるときに系が外界にな す iq 仕事を表す。F (X) を Helmholtz の自由エネルギー(Helmholtz free energy) という。本稿では以下簡単のため自由エネルギーと呼ぶ。また、 本来自由エネルギーは熱源の温度 T にも依存するので通常の熱力学の教 科書では F (T, X) のように書かれているが、本稿では熱源の温度は決まっ た定数なので、簡単のため F (X) と略記する。保存系力学においてポテ ンシャル (1.13) が重要な役割を果たしたように、等温系熱力学において Helmholtz の自由エネルギーは重要な役割を果たすことになる。 任意の状態 X1 から X2 へ変化させる操作では、途中どんな経路を通っ iq iq ても仕事は等しいので、特に X1 −→ X∗ −→ X2 と選ぶと, F (X1 ) = −Wiq (X∗ → X1 ), F (X2 ) = −Wiq (X∗ → X2 ), 1.2. 等温系熱力学の復習 15 V V A α β V iq Wiq = 0? V β α A 図 1.8: 各相の体積 V α , V β 、界面積 A、モル数 N が同じで、界面の形状 だけが異なる 2 つの系. 本稿では図のような操作における iq 仕事が常に ゼロであるような系を対象とする. 差をとって F (X2 ) − F (X1 ) = Wiq (X∗ → X1 ) − Wiq (X∗ → X2 ) = −[Wiq (X1 → X∗ ) + Wiq (X∗ → X2 )] = −Wiq (X1 → X2 ), (1.15) ここで (1.8) を用いた。 ついでながら、式 (1.9) に戻ると、今やその右辺は経路に依らないこと がわかったので、 X∗ から X にいたる任意の等温仕事は iq 仕事を超えることはない (1.16) この意味で、右辺の iq 仕事を最大仕事という。 最後に次の重要な注意をしておく。上述のように我々は、系の自由エネ ルギー F は X すなわち各相の体積 V α , V β 、界面積 A、モル数 N の関数 であると考えている。これは一見もっともらしいが、自明ではないこと に注意せよ。これはすなわち、V α , V β , A, N が同じならばそれ以外の何を 変化させる iq 仕事もゼロであるということを主張している。例えば、図 1.8 の (a) と (b) では各相の体積も界面積もモル数も共通であるが、では (a)→(b) と変形する iq 仕事は必ずゼロか。これは自明ではない。もしゼ ロでないならば、自由エネルギーは V α , V β , A, N のみの関数ではなく, 界 面の形状に関連した他の変数にも依存することになってしまい、話は極 端に難しくなってしまう。そのような熱力学もどこかにあるかもしれな いが、筆者の学力の及ぶ範囲ではない。本稿では、 各相の体積、界面積、モル数が同じである限り、系をさらに どう変形する iq 仕事もゼロである (1.17) 第1章 16 V, N V V 表面張力の熱力学 V, N ∼β V β α ∼α V A T X1 ∼ A T ∼ X 図 1.9: 内部拘束. (a) レバーを用いて内部拘束をかけた状態, (b) 内部拘 束を取り外すと, V α , V β , A が変化して, 系は V (= V α + V β ), N に固有な 平衡状態 V˜α , V˜β , A˜ に落ち着く. という性質を満たす系に限定して考えることにしよう。 1.2.3 平衡点 1.2.2 項で、等温熱力学系における自由エネルギーは保存系力学におけ るポテンシャルエネルギーに対応することがわかった。力学においては そこからエネルギー保存則へと話が進んだ。一方熱力学には、力学には なかった切り札がもうひとつ残っている。このため、以下に見るように、 力学とは違った方向へ話は進む。 図 1.9 (a) の系を考える。これは図 1.5 (b) と実質的に同じものである。 この系には体積 V に N モルの物質が入れてある。レバーとピストンを用 いて各相の体積 V α , V β (V α + V β = V ) と界面積 A を任意の値に設定する。 この状態 (V α , V β , A, N) を X1 と書こう。図 1.9 (a) では、レバーを使って 系を X1 の状態に保っている。このためレバーは内部拘束をかけていると 言われる。もし V および N を保って内部拘束のレバーを取り外すとどう なるか。容易に察せられるとおり、各相の体積や界面積は自発的に変化 して系は別の状態に近づいてゆき、その後はずっと状態にとどまる。こ れが (全体積 V 、全モル数 N の下での) 平衡状態である。平衡状態におけ る各相の体積、界面積をそれぞれ V α , V β , A, および X = (V α , V β , A, N) 1.2. 等温系熱力学の復習 17 と書こう。もちろん全体積は不変である: V α + V β = V. さて、内部拘束をかけていたときのレバーはいくらでも軽くできるので、 内部拘束を取り除くという外界がなす仕事 (これも iq 仕事の一種) はいくら でも小さくできる。すなわち、図 1.9(a)→(b) の i 操作で Wi (X1 → X) = 0 i である。ところが、命題 (1.16) によると, X1 −→ X の i 仕事 Wi (X1 → X) は同じ始点終点に対する iq 仕事 Wiq (X1 → X) を超えることはないので、 Wiq (X1 → X) ≥ Wi (X1 → X) = 0, 左辺の Wiq (X1 → X) は、定義により自由エネルギーの差に等しいので −[F (X) − F (X1 )] ≥ 0, すなわち F (X) ≤ F (X1 ). 終 (1.18) 始 すなわち、内部拘束を取り除いた終状態の自由エネルギーは必ず始状態 のそれ以下である 次に、X1 とは別の内部拘束をした始状態 X2 を用意する (図 1.10)。た だし、その全体積と全モル数は X1 の場合と同じであるように選ぶ (V α + V β = V, N)。これの内部拘束を外すと、やはり系は自発的に変化して平 衡状態に近づいてゆくが、全体積と全モル数は X1 の場合と同じであるの で、たどり着く平衡状態は X1 の場合と同じく X であろう。従って、X1 の場合と同様に ˜ ≤ F (X2 ). F (X) 同様にして、図 1.10 のように、全体積 V と全モル数 N を同じくする様々 な内部拘束の始状態 X3 , X4 , · · · を作ったとすると、同様の結果を得る。 系の始状態はレバーを調整すればどんなものでも実現できよう。従って、 ˜ ≤ F (X) (任意の X, 但し V α + V β = V, N) F (X) すなわち、 全体積、全モル数固定の下で内部拘束を外したときの平衡点は, V α + V β = V ,N = 一定の拘束条件下で自由エネルギーが最小の 状態である (1.19) 第1章 18 表面張力の熱力学 V, N initial X1 ∼ F(X1) ≥ F(X) ∼ final X ∼ F(X2) ≥ F(X) initial X2 initial X3 ∼ F(X3) ≥ F(X) : : 図 1.10: 様々な始状態と終状態. 始状態 X1 , X2 , · · · は全体積 V とモル 数 N は共通であるが, 内部拘束を用いて様々な状態を作ってある. 内部 拘束をとり除くと, これらは全て自発的に変化して共通の終状態 X にた どり着く. このとき, 終状態での自由エネルギー F (X) は始状態のもの F (X1 ), F (X2 ), · · · より大きくなることはない. 1.2. 等温系熱力学の復習 19 (a) (b) β V β V β Wiq= p dV α β V +dV V A β α A 図 1.11: 圧力による仕事. レバーを用いて V α , A を一定に保ちながら, ピ ストンを操作して β 相の体積を dV β だけ変化させる. 系が外界になす仕 事 Wiq は pβ dV β である. 結果 (1.19) は与えられた全体積と全モル数の下で平衡状態にある系の平 衡点を決める、いわば等温系熱力学の基礎方程式である。 等温系熱力学の本質的な部分はこれで終わりである。賢明な読者は、上 の議論にエントロピーという語が一度も出てこなかったことに気づかれた であろう。実際、等温系熱力学はエントロピーを表に出すことなく、たっ たこれだけの議論で片付くのである。熱力学は、等温系に限ればこのよ うに簡単に片付くのだが、この事実が知られるようになったのはかなり 最近のことで、発表されたのは文献 [1] が最初と思われる。なお、温度の 変化を問題にしだすと、エントロピーが自然に登場するようになる。そ こから先の議論については、文献 [1] の 6 章を参照。 1.2.4 圧力と化学ポテンシャル 1.2.2 項においてわかったように、系の自由エネルギー F (V α , V β , A, N) の変化は、系が外界になす仕事 (のマイナス)−Wiq に等しい。一方、系が 外界になす仕事は、圧力や表面張力を用いて表せる。これらを等置する ことによって、自由エネルギーの微係数と圧力、表面張力との関係が導 かれる。 最も簡単な例として、図 1.11 に示す 2 相系を考える。今、α 相の体積 V α と表面積 A を (レバーを用いた内部拘束によって) 一定に保ちながら、上部 のピストンをゆっくり動かして β 相の体積を V β から V β + dV に変化させ 第1章 20 表面張力の熱力学 る iq 操作を行う。(簡単のためピストンの上側は真空とする)。ピストンの 下面で系が示す圧力を pβ と書くと、系がなす iq 仕事 Wiq (V β → V β +dV β ) は Wiq (V β → V β + dV β ) = pβ dV β . 一方、自由エネルギの変化は F (V α , V β + dV β , A, N) − F (V α , V β , A, N) = ∂F (V α , V β , A, N) β dV ∂V β 従って、式 (1.15) より ∂F (V α , V β , A, N) = −pβ . ∂V β (1.20) すなわち、自由エネルギーの V β に関する微係数は、系に内部拘束をかけ て V α , A, N を保ったときに β 相が示す圧力 (のマイナス) に等しい。この ため、微係数 −∂F (V α , V β , A, N)/∂V β を pβ (V α , V β , A, N) と書いたので ある。 同様にして、V α についての微係数も原理的には調べられるが、V β , A を固定して V α だけ変化させるのは少し難しそうだ。そこでこの続きは 1.3 節にまわすことにしよう。本項ではただ、微係数を表す下記の記号の み導入しておく: ∂F (V α , V β , A, N) = −pα (V α , V β , A, N) α ∂V ∂F (V α , V β , A, N) = µ(V α , V β , A, N) ∂N (1.21) (1.22) pα は α 相が示す圧力であることが後でわかる。µ は化学ポテンシャルと 呼ばれ、その意味は 1.3 節で説明する。 1.2.5 表面張力 本項では、自由エネルギーの変数 A についての導関数について議論す る。すなわち、A 以外の変数 V α , V β , N をレバーにより固定しておいて、 界面積を dA だけ変化させる iq 操作を行う。図 1.12 を参照せよ。充分多く のレバーを操れば界面の形状は自由に操作できるであろう。簡単のため、 始状態 1.12 (a) は α 相は V α , V β , A, N の薄い直方体であるとしよう。[別 に直方体でなくても、多くのレバーを操れば V α , V β , A, N を保ちつつ直 1.2. 等温系熱力学の復習 21 (a) V V α (b) -Wiq= γ dA β V A V α β A+dA 図 1.12: 表面張力による仕事. レバーを用いて V α , V β を一定に保ちなが ら, 右のレバーを操作して α − β 相の界面積 A を dA だけ変化させる. 外 界がなす仕事 −Wiq は γdA である. 方体に変形できるだろう。我々の仮定 (1.17) により、この iq 仕事はゼロで ある.] これを、V α , V β , N を一定に保って、界面積だけを A から A + dA に変化させる [図 1.12 (b)]。これは空気 (β 相) 内にあるシャボン膜 (α 相) を引き伸ばすおなじみの操作で、図 1.2 と実質的に同じものである。dA は膜の上下面および側面の面積変化の合計である。この操作において外 界がなす仕事 −Wiq は式 (1.2) の表面張力を用いて −Wiq = γdA. (1.23) 一方、自由エネルギの変化は ∂F (V α , V β , A, N) F (V , V , A + dA, N) − F (V , V , A, N) = dA ∂A α β α β 従って、式 (1.15) より、 ∂F (V α , V β , A, N) = γ. ∂A (1.24) すなわち、自由エネルギーの界面積 A に関する導関数は表面張力に等し い。経験によると、図 1.12 (a)→(b) のように膜を引き伸ばすとき外界が なす iq 仕事 −Wiq は必ず正である: −Wiq > 0. 従って、 γ(V α , V β , A, N) > 0. (1.25) 我々は性質 (1.25) を一般的に成り立つものとして認めることとする。 第1章 22 1.2.6 表面張力の熱力学 1 次同次関数 本項では、少し一服して、熱力学とは無関係な数学の話をする。熱力 学には最後の段落で戻る。 2 変数 x, y の関数 F (x, y) を考える。λ を任意の定数とするとき, 関数 F が恒等的に F (λx, λy) = λF (x, y) (1.26) を満たすとき、F を 1 次の同次関数という。式 (1.26) は、変数を同時に λ 倍すると F の値はちょうど λ 倍になる、ということを意味している。 任意の 1 次同次関数が満たす有名な関係式が 2 つほどあるので、以下 紹介しよう。式 (1.26) の両辺を λ で微分してから λ = 1 とおくと、 x ∂F ∂F +y =F ∂x ∂y (1.27) 式 (1.27) を Euler の関係式という。式 (1.27) は F (x, y) を支配する偏微分 方程式とみることもできる (Euler の微分方程式)。なお、F (x, y) の 1 階 微係数 G(x, y) = ∂F/∂x (あるいは ∂F/∂y) は関係 G(λx, λy) = G(x, y) (1.28) を満たすこともすぐに示せる ([1] の 3.7 節)。このような関数 G を 0 次の 同次関数という。∂F/∂y についても同様である。 次に、微係数を ∂F/∂x = u, ∂F/∂y = v と略記すると、式 (1.27) は xu(x, y) + yv(x, y) = F (x, y). (1.29) この両辺を x あるいは y で微分すると ∂u ∂v +y = 0, ∂x ∂x ∂u ∂v x +y = 0, ∂y ∂y x (1.30) を得る。式 (1.30) は Gibbs-Duhem の式と呼ばれるべきものである [注 意: 熱力学では、式 (1.30) にもうひとつ熱力学の関係式をセットにしたも のを Gibbs-Duhem の式と呼んでいる.] Gibbs-Duhem の式 (1.30) は、任 1.2. 等温系熱力学の復習 23 意の 1 次同次関数 F の微係数 u, v の間には恒等的にこの関係が成り立つ ことを意味している。 ここまでは、簡単のため 2 変数 x, y の関数を考えたが、一般の n 変数 x1 , x2 , · · · , xn の場合については、容易に予想されるとおり、下記の関係 が成り立つ. 記号 ui = ∂F/∂xi , x = (x1 , x2 , · · · , xn ), u = (u1 , u2 , · · · , un ) を用いると、式 (1.27) に対応し、Euler の関係式 n ∑ j=1 xj ∂F =F ∂xj あるいは x· ∂F = F, ∂x (1.31) 式 (1.30) に対応し、Gibbs-Duhem の関係式 n ∑ j=1 xj ∂u ∂uj = 0 あるいは x · = 0, ∂xi ∂xi (i = 1, 2, . . . , n) (1.32) が成り立つ。本項の冒頭で述べたとおり、これらの関係式は熱力学とは 関係なく、任意の 1 次同次関数について成り立つ恒等式である。 界面を気にしなくてもよい通常の熱力学においては、自由エネルギー F (V, N ) は体積 V とモル数 N の 1 次同次関数である。すなわち、任意の 定数 λ に対し、関係 F (λV, λN ) = λF (V, N ) (1.33) が恒等的に成り立つ。これは、系のモル数と体積を同時に λ 倍にした系と 比較すると、対応する操作で仕事も λ 倍になっている、ということを意味 する。1 次同次関数とは誠に良い性質であり、上述のようないくつかの便 利な関係が導かれる。界面を含む系でも自由エネルギーは V α , V β , A, N の 1 次同次関数であろうか。これは自明ではない。実際、図 1.5 (b) のよ うな系を考え V α , V β , A, N を同時に 2 倍にしたものは元のものと相似で はない。なぜなら、体積とモル数は長さの 3 乗に比例するが、界面積は 2 乗に比例するからである。よって、仕事 (自由エネルギー) が 2 倍になる かどうかは自明とは程遠い。これは深刻な (少なくとも筆者は深刻と思っ ている) 問題で、筆者は明快な解決に至っていない。以下では、任意な仮 定として「自由エネルギーは V α , V β , A, N の 1 次関数である」と仮定し よう。すると Euler の関係は F (X) = −V α pα (X) − V β pβ (X) + Aγ(X) + N · µ(X). (1.34) 第1章 24 (a) x c (b) α α phase c(x) c 表面張力の熱力学 β transition layer β phase x 図 1.13: 系内の密度分布. (a) 密度 c(x) の等値面, (b) x に沿っての密度の 分布. 2 相の境目付近では密度が連続的に (しかし急激に) 変化する遷移層 になっている. 遷移層から離れると密度は急速に一定値 cα あるいは cβ に 近づく. 多成分系では, 図 (a), (b) 共, 成分の数だけ描ける. Gibbs–Duhem の関係は −V α 1.3 ∂pα ∂pβ ∂γ ∂µ −Vβ +A +N· = 0 (X = V α , V β , A, and N) ∂X ∂X ∂X ∂X (1.35) 表面過剰 前節 1.2 では、等温系熱力学の一般論を大急ぎで復習した。本節からは いよいよ界面を含む系に特有の話を始めよう [2, 3, 4, 5]。 まず最初に、我々は α 相 (液相) と β 相 (気相) の界面と何気なしに呼ん でいるが、そもそも界面で系はどうなっているのか。以下、簡単のため 1 成分系を考えよう (N は N と書く)。また、図 1.5(b) のような系を考える。 図 1.13 (a) は分子の個数密度 c(x) (x は空間座標) の空間分布を模式的に 描いたものである。すなわち、液相と気相の境目は不連続面ではなく、分 子の密度が急激に変化する遷移層になっている。そしてその遷移層から 離れてどんどん液相あるいは気相の内側に入ってゆくと、数密度 c(x) は 急速にそれぞれ一定値 cα , cβ に近づいてゆく。この様子を図 1.13 (b) に示 してある。なお、分子動力学法に基づく最近の数値計算によると [6]、遷 移層の厚さは分子の大きさの数倍程度 (10−8 m 程度) であり、従って巨視 的には遷移層はほとんど不連続面に見える。しかし、遷移層で分子が不 均一になる (吸着がある) ことを無視してしまうと明らかに不自然な結果 を導いてしまう。以下では、このような系の振舞を Gibbs に従って合理 1.3. 表面過剰 25 (a) c α c x c α (b) dividing surface β c(x) c dividing surface β x V α V β 図 1.14: Gibbs 分割面. (a) 分子数密度の等値面, (b) x にそっての密度分 布. 破線は Gibbs 分割面. 区分的に一様な密度 cα , cβ を持ち, 分割面のと ころで不連続になった仮想系を考える. 的に調べてみよう。我々の目的は、図 1.5 (b), (c) の内部拘束 (レバー) を 取り除いたときに系が達するであろう平衡点を求めることである。 Gibbs の流儀によると、まず分割面というものを導入する。分割面とは、 図 1.14 に描いたような、分子の個数密度の等値面のどれかである。(多成 分系の場合はどれかの成分–例えば溶媒–の等値面のどれかである.) 分割 面は遷移層の付近でありさえすればどの等値面でもよい [例えば, c(x) = (cα + cβ )/2 なる曲面と選んでも良い.] いったん分割面を定義すると、分 割面で仕切られた各相の体積 V α , V β が確定する。さらに、分割面の面積 を界面積 A と定義する。V α , V β , A は各相の体積および界面積の名に偽り はない。なぜなら、遷移層は巨視的には識別できないくらい薄いので、上 のルールで選んだどんな分割面も巨視的には識別できないからである。 次に、仮想系というものを導入する。これは、図 1.14(b) の破線で示し たように、分割面ぎりぎりまで一様な分子数密度 cα , cβ で満たされ、分 割面で密度が不連続になった仮想的な系である (現実の系は実線で描いた ように密度は連続的に変化している)。仮想系の各部分は単一相であり、 通常の熱力学で論じられているように、それらの自由エネルギーは各部 分の体積とモル数の関数であり、その関数形は温度と物質で決まる。陽 に書くと、仮想系の α 部分は、体積 V α 、モル数 V α cα であるので、そ の自由エネルギーは f (V α , V α cα ) である。仮想系の β 部分は、体積 V β 、 モル数 V β cβ であるので、その自由エネルギーは f (V β , V β cβ )、ここで関 数 f は α 部分と同じ関数である。仮想系は我々が勝手に想像したもので あり、当然その自由エネルギーは現実のものとは一致しない。そこで、 現実の系の自由エネルギー F (V α , V β , A, N ) と仮想系の自由エネルギー 第1章 26 c 表面張力の熱力学 piston β c α α β V , V , A, N c α α α α V ,V c 図 1.15: 我々の系と補助系の複合系 I: ピストンを持つパイプでつないだ もの. 補助系は α 相の中心部と同じ密度の物質を別に用意したものであ る. これらをピストン付パイプでつないでも何も起きないであろう. f (V α , V α cα ) + f (V β , V β cβ ) の差をとり、これを自由エネルギーの表面過 剰 F s と呼ぶ: F s = F (V α , V β , A, N ) − f (V α , V α cα ) − f (V β , V β cβ ). (1.36) 次の目標は、表面過剰の詳細を調べることだが、そのために 2,3 の準 備をしておく。図 1.15 のように、α 相の内部の一様な状態 (分子の数密度 cα ) と同じ状態で、体積 V α 、モル数 V α cα の単一な系 (補助系) を用意す る。そして、我々の系の α 相の中心部と補助系を細い管によってつないだ “複合系” を考える。管の中間には軽いピストンがあるが、最初これはク ランプで固定されている。本来の系全体の体積 V と界面 (従って V β , A) はレバー等によって固定しておく。この複合系を組み立ててから、クラン プを外し、管の中のピストンを自由にする。何が起きるか。ピストンは 管の中を自由に動けるにもかかわらず、何の変化も起きないあろう。す なわち、これがこの複合系の平衡点である。平衡点では複合系の自由エ ネルギーは最小であるから、 F (V α + ε, V β , A, N) + f (V α − ε, V α cα ) はε = 0 のとき最小 (1.37) すなわち ∂F (V α , V β , A, N) ∂f (V α , V α cα ) = , ∂V α ∂v あるいは, 式 (1.21) を用いると、 pα (V α , V β , A, N) = P (V α , V α cα ), (1.38) 1.3. 表面過剰 27 c β c α α β V , V , A, N c α α α α V ,V c 図 1.16: 我々の系と補助系の複合系 II: パイプでつないだもの. 補助系は α 相の中心部と同じ密度の物質を別に用意したものである. こ れらをパイプでつないでも何も起きないであろう. ここで ∂f (v, n) (1.39) ∂v は単一系 (v, n) の圧力である [1]。ここで注意すべきは、式 (1.37) の第 2 項 の V α cα は変分を受けないことである。なぜなら、本体の系と補助系はピ ストンで仕切られて物質の移動は無いので、ピストンが動いても補助系の モル数は指定値 V α cα から変化しないからである。界面積 A も β 相の体積 V β も固定しているので、α 相の体積はパイプ内のピストンが移動すること によってのみ変化する。式 (1.38) より、微係数 ∂F (V α , V β , A, N)/∂V α = −pα (V α , V β , A, N) は α 相の中心付近と同じ状態の物質が示す圧力 (のマ イナス) であることがわかる。このため、式 (1.21) ではこの微係数を pα と書いたのである。同様の考察を β 相について行うと、 P (v, n) = − pβ (V α , V β , A, N) = P (V β , V β cβ ). (1.40) すなわち、微係数 ∂F (V α , V β , A, N)/∂V α = −pβ (V α , V β , A, N) は α 相の 中心付近と同じ状態の物質が示す圧力 (のマイナス) であることがわかる。 これは 1.2.4 節で示した。 準備をもうひとつしておく。先ほどと同じ補助系を用意し、今後は、図 1.16 の様に、本体系の α 相の中心部と細い管でつないだ複合系を考える。 今回は管にはピストンは無い。管には最初栓で仕切りをしておく。さて、 複合系を組み立てた上で栓を開くと、何が起きるか。物質は本体の系と 複合系を自由に行き来できるにもかかわらず、何も起きないであろう。す 第1章 28 表面張力の熱力学 なわち、これがこの複合系の平衡点である。平衡点では複合系の自由エ ネルギーは最小であるから、 F (V α , V β , A, N + ε) + f (V α , V α cα − ε) はε = 0 のとき最小 (1.41) すなわち ∂F (V α , V β , A, N ) ∂f (V α , V α cα ) = , ∂N ∂n あるいは, 式 (1.22) を用いると、 µ(V α , V β , A, N ) = M (V α , V α cα ), (1.42) ここで ∂f (v, n) (1.43) ∂n は単一系の化学ポテンシャルである [1]。式 (1.42) より、微係数 ∂F (V α , V β , A, N )/∂N = µ(V α , V β , A, N ) は α 相の中心付近と同じ状態の物質が示す化学ポテンシャ ル M (V α , V α cα ) に等しいことがわかる。このため、式 (1.22) ではこの微 係数を µ と書いた。同様の考察を β 相について行うと M (v, n) = µ(V α , V β , A, N ) = M (V β , V β cβ ) (1.44) を得る。ところで、式 (1.42) と (1.44) の左辺は共通であるので、これら の式の右辺同士は等しい: M (V α , V α cα ) = M (V β , V β cβ ). (1.45) すなわち、α 相内部と同じ状態の物質と β 相内部と同じ状態の物質が示 す化学ポテンシャルは相等しい。これに関連して注意しておきたいのは、 前段落の式 (1.38) と (1.40) の左辺は別物である。従って、圧力については 式 (1.45) に対応する等号は無く、2 つの相の圧力には一般に差が現れる。 これが、次の 1.5 節で紹介する Laplace 圧である。 1.4 Gibbs 吸着の式 前節後半では長ったらしい準備をした。ここで、表面過剰の議論に戻ろ う。式 (1.38)–(1.44) を用いると、表面過剰 F s はかなり簡単になる。1.2.6 節の最後で (はなはだ頼りなく) 述べたように、我々の系の自由エネルギー 1.4. Gibbs 吸着の式 29 F (V α , V β , A, N ) は 1 次の同次関数であると仮定しよう。すると、Euler の 関係 (1.31) により、 F (V α , V β , A, N ) = −V α pα − V β pβ + Aγ + N µ, (1.46) ここで右辺の pα , pβ , γ, µ は X = (V α , V β , A, N ) の関数である。一方、前 段落の仮想系の各々の部分は、確かに体積とモル数の 1 次同次関数であ るから、式 (1.39), (1.43) の記号を用いて f (v, n) = −vP (v, n) + nM (v, n), (1.47) 従って f (V α , V α cα ) = −V α P (V α , V α cα ) + V α cα M (V α , V α cα ), (1.48) f (V β , V β cβ ) = −V β P (V β , V β cβ ) + V β cβ M (V β , V β cβ ). (1.49) 式 (1.36) に (1.46), (1.48), (1.49) を代入して (1.38)–(1.44) を用いると、 V α , V β に関する項は相殺して、 F s = Aγ + N s µ, (1.50) γ, µ はそれぞれ式 (1.24), (1.22) で現れた表面張力と化学ポテンシャル、 そして N s = N − V α cα − V β cβ . (1.51) N s は現実系の物質のモル数と仮想系のモル数の差であり [図 1.14 (b) の実 線で囲まれた面積と破線で囲まれた面積の差]、モル数の表面過剰 (吸着) という。さて、だいぶ簡潔になった式 (1.50) をよく見ると、これと似たよ うな式をどこかで見た覚えがあることに気づく。すなわち、これは Euler の関係式 (1.46) とよく似ていることに気がつく。式 (1.50) を (1.46) と比 較せよ。一方、異なる点もある。それは、本物の Euler の関係式 (1.46) に は V α , V β の項があるが、(1.50) にはない。また、(1.50) の右辺第 4 項の 因子は N ではなく N s である。N s は (1.51) で定義したもので、これは独 立変数ではない。式 (1.50) は Euler の関係式 (1.46) を界面に拡張 (?) した ものと考えることができ、このため界面に対する Euler の式と呼ばれる。 さて、1.2.6 節で述べたとおり、1 次の同次関数においては Euler の関 係から Gibbs–Duhem の式が単純な数学的帰結として導かれた。我々の系 でも Euler の関係と似た式 (1.50) が出てきたのだから、ここから Gibbs– Duhem の式と似た式を導いてみよう。式 (1.50) の両辺を V α で微分する。 第1章 30 表面張力の熱力学 ここで cα , cβ は V α , V β , A, N に依存すること注意すると、 ∂F s = −pα (V α , V β , A, N ) ∂V[α ( ) ] α β α α ∂c β β β α ∂c − −P (V , V c ) + M (V , V c ) c + V + M (V , V c )V ∂V α ∂V α ) ( β ∂cα β ∂c + V , = −µ(V α , V β , A, N ) cα + V α ∂V α ∂V α α α α α α α ここで式 (1.38), (1.42), (1.44) を用いた。一方、式 (1.51) の両辺を V α で 微分すると、 α β ∂N s α α ∂c β ∂c = −c − V − V . ∂V α ∂V α ∂V α これを上の式に代入すると、 ∂F s ∂N s = µ . ∂V α ∂V α (1.52) 他の示量変数に関する微分も同様に, ∂F s ∂N s = µ , ∂V β ∂V β ∂N s ∂F s = γA + µ , ∂A ∂A ∂F s ∂N s =µ . ∂N ∂N (1.53) (1.54) (1.55) 式 (1.52)–(1.55) は ∂F s ∂A ∂N s =γ +µ ∂X ∂X ∂X (X = V α , V β , A, and N ), (1.56) という 1 つの式にまとめられる。ここで X は V α , V β , A, N のどれかであ る。界面に対する Euler の式 (1.50) の両辺を X で微分すると、 ∂F s ∂γ ∂A ∂N s ∂µ =A + γ + Ns + µ, ∂X ∂X ∂X ∂X ∂X これから (1.56) を差し引くと, A ∂µ ∂γ + Ns = 0 (X = V α , V β , A, and N ), ∂X ∂X (1.57) という実に簡潔な式を得る。この式もどこかで見覚えがある。ご察しの 通り、これは Gibbs-Duhem の式 (1.35) (の 1 成分版) に良く似ている。 1.4. Gibbs 吸着の式 31 式 (1.57) を (1.35) と比較せよ。式 (1.57) には V α , V β の項がないことと、 (1.35) の N が N s に置き換わっていることにに注意せよ。界面に対する Euler の式 (1.50) および Gibbs–Duhem の式 (1.57) は, 特に多成分系の表 面張力を議論する基礎となるものである。(文献 [5] の 3.6 節参照) 残念な がら、本稿ではこれ以上深く追求する余裕がない。しかしせっかく苦労し て導いたので、次段落では式 (1.57) を少しだけ利用する。Gibbs–Duhem の式 (1.57) のより進んだ応用については、例えば文献 [3] の 29 節, [5] の 3.9 節を参照せよ。なお、Gibbs–Duhem の式 (1.57) の両辺を界面積 A で 除したものを Gibbs 吸着の式という。余談ではあるが、通常の熱力学の 教科書では式 (1.57) は Adγ + N s dµ = 0 と書かれている。 この節の最後に、たった今導いた界面に対する Gibbs–Duhem の式 (1.57) の簡単な応用を述べておく。ここまでの文脈どおり、1 成分 2 相系を考え ている。本節 (1.3 節) の冒頭に述べたとおり、分割面のとり方には任意性 があったが、逆にその任意性を用いて関係式がより簡単になるよう分割 面を決めてやろう。例えば、 V α cα + V β cβ = N (1.58) すなわち N s = 0 となるように分割面を選んでみよう。この分割面の意 味は図 1.14 (b) をよく見ればわかる。すなわち、図の実線が囲む面積と 破線が囲む面積が等しくなるように不連続面を決める。このような分割 面 (1.58) をゼロ吸着面 (equimolar surface) という。すると界面に対する Gibbs–Duhem の式 (1.57) は ∂γ(X)/∂X = 0 (X = V α , V β , A, and N ). (1.59) すなわち、表面張力は示量変数のどれにも依存せず、従って温度のみの 関数になる。このとき、界面に対する Euler の式 (1.50) は F s = γA, (1.60) すなわち自由エネルギーの表面過剰は界面積に比例する。あるいは次の ようにも言える— 表面張力は単位界面積あたりの自由エネルギーの表面 過剰に等しい。これらの性質 (1.59), (1.60) は (1.58) という特別な分割面 を選んだときにのみ成立する関係式であることに注意せよ (一般には γ は X の関数、すなわち A の非線形関数である)。 第1章 32 c V α V β c 表面張力の熱力学 α β a b 図 1.17: 密度計. a: 密度計, b: 内部拘束レバーの操作卓. 白丸は密度系 の探子であり, そこでの分子数密度 cα , cβ を測定する. 密度の測定値から V α , V β をメーターで直読できる. メーターを読みながら操作卓のレバー を操作すれば, 各相の体積 V α , V β を好きな値に操作できる. 注意 1: ゼロ吸着面について次の注意しておく。我々は V α , V β を独立に 操作できる各相の体積と考えてきたのに、ここに至って式 (1.58) から決 まるものである、と言うと何かだまされたような気がするかも知れない。 しかし以下の様によく考えればそれほど奇妙なことではない。そもそも 2 つの相の間の遷移層は分子数個程度の厚さしかないので、遷移相付近 のどこに分割面を選んでも分割面の名前に偽りはない。それ以上の精度 で分割面の位置決めをする必要が出たとき、もはや肉眼 (顕微鏡を使って も) は役に立たない。そこで、図 1.17 の装置を考えてみよう。図 1.17 で は、系に密度計の探子を差し込んであり、相内部の分子の個数密度 cα , cβ を直読できる。これらの測定値および系全体の体積 V 、全モル数 N を用 いて、式 V α + V β = V, V α cα + V β cβ = N を満たすように V α と V β を決める。これは連立 1 次方程式を解くだけ の簡単な計算なので、密度 cα , cβ の測定値から計算値 V α , V β を直ちに計 算し、密度計から直読できるようにしておけばよい。そうすれば、密度 計に表示される V α , V β の値を読みながら操作卓のレバーを操作すれば、 V α , V β を思い通りの値に微調整することができるであろう。なお、分割 面は密度の等値面でなければならないので、実際には密度の探子は系内 1.5. 1 成分 2 相系 33 に多数差し込んであって、系全体にわたっての密度分布 c(x) を測定でき る必要がある。ついでながら、余談の余談であるが、図 1.17 の装置を本 当に作れるかどうか心配な人がいるかもしれない。しかし、我々にとっ て必要なのは、それが原理的に可能であるかであって、技術的にどうか は重要ではない。実際、この装置が必要になるのは自由エネルギーの具 体形が必要になるときだけである。以下で述べるとおり、(また熱力学で は多くの場合そうなのであるが) 議論は自由エネルギー F (V α , V β , A, N ) の関数形の具体形には無関係に進めることができる。 注意 2: 本節では簡単のため 1 成分系 2 相系を考えている。多成分系の 場合はどうか。例として, 2 成分 2 相系を考えてみよう (水中に浮いた油 滴). 成分 1, 2 を下付添え字を用いて N(1) , N(2) のように表そう。ゼロ吸着 面 (つまり V α , V β ) は V α + V β = V, V α cα(1) + V α cα(1) = N(1) , V α cα(2) + V α cα(2) = N(2) を満たさなければならない。残念ながら、これは 2 つの未知数 V α , V β に 対する 3 つの関係式なので, これらを全て満たす V α , V β を決めるのは不 可能である。すなわち、2 成分 2 相系においてはゼロ吸着面を選ぶことは できない。一般に、C 成分, P 相系において、 C≥P であるならゼロ吸着面を選ぶことはできない。そのような場合は、習慣 上、溶媒成分がゼロ吸着になるように選ぶようである。ただし、それは ゼロ吸着面ではないので、式 (1.59), (1.60) は成立せず、表面張力は定数 ではなく, 一般に示量変数の全てに依存する。 1.5 1 成分 2 相系 前節の結果を応用して、本節では図 1.18 のように、α 相が β 相にすっ ぽり包まれて相平衡にあるときの 1 成分 2 相系の振舞を調べてみよう。本 節の目標は、全体積 V と全モル数 N が与えられているときに系が達する であろう平衡点での各相の体積 V α , V β および界面積 A を求めることで ある。 第1章 34 V V α 表面張力の熱力学 β α A β V +V =V, N 図 1.18: 1 成分 2 相系. これは図 1.5 (b) から操作レバーを取り除いたも のである. 平衡点は、式 (1.19) より、次の、体積一定 V α + V β = V という拘束条 件付最小値問題の解で与えられる: F (V α , V β , A, N ) = min Vα+Vβ =V A ≥ A(V α ) (1.61) この式は、右辺の記号 min の下に記した条件の下で V α , V β , A が変化した ときの関数 F の最小点を探すことを意味する。条件の第 2 式 A ≥ A(V α ) は、α 相は β 相に包まれているので (図 1.18)、界面積 A は α 相の体積 V α で決まるある最小値以下はとりえないことを表している。よく知られて いるように、体積 V α の領域の表面積 A は、領域が球のとき次の最小値 A(V α ) をとる: A(V α ) = (36π)1/3 (V α )2/3 . (1.62) 次に、1.3 節で導入した Gibbs 分割面を導入する。このとき、表面張力 γ は (温度で決まる) 定数となり [式 (1.59)]、自由エネルギー F は、式 (1.36) と (1.50) により F (V α , V β , A, N ) = f (V α , V α cα ) + f (V β , V β cβ ) + γA と表せるので、最小値問題 (1.61) は f (V α , V α cα ) + f (V β , V β cβ ) + γA = min Vα+Vβ =V A ≥ A(V α ) (1.63) 1.5. 1 成分 2 相系 35 ∫ さて、系の内部拘束を外すと、系内の密度分布 c(x) は c(x)dx = N (全モ ル数が N ) を満たす範囲でどんな関数でもとりうる。cα , cβ , A は関数 c(x) で決まる値であるから、可能な範囲 [A ≥ A(V α )] で各々独立にどんな値 でもとりうる。一方、我々はゼロ吸着面を採用したので、式 (1.63) の左 辺に現れる V α , V β , V α cα , V β cβ は常に V α + V β = V, V α cα + V β cβ = N を満たすようにしか変化できない。それならばと、V β = V − V α , V β cβ = N − V α cα を代入してこの束縛条件を消去してしまうと f (V α , N α ) + f (V − V α , N − N α ) + γA = min A≥A(V α ) (1.64) というほぼ無条件の問題となった。ここで積 V α cα を N α と書いた。“ほ ぼ” とは、A が不等式 A ≥ A(V α ) という弱い条件でまだ束縛を受けてい るからである。ここで式 (1.64) の左辺の変数 A の依存性に注意すると、 変数 A は γA の形でしか現れないので、左辺が最小となるのは、V α , N α に関わらず、A = A(V α ) のときである。式 (1.25) に注意せよ。従って (1.64) は f (V α , N α ) + f (V − V α , N − N α ) + γA(V α ) = min (1.65) これはもはや 2 変数 V α , N α に関する無条件の最小値問題である。従って、 最小点は次の連立非線形方程式の根として決まる dA(V α ) − P (V , N ) + P (V − V , N − N ) + γ = 0, dV α M (V α , N α ) − M (V − V α , N − N α ) = 0. α α α α (1.66) (1.67) ここで P, M は、もちろん、式 (1.39), (1.43) で登場した f の微係数 (単一 系の圧力、化学ポテンシャル) である: P (v, n) = − ∂f (v, n) , ∂v M (v, n) = ∂f (v, n) . ∂n 連立非線形方程式 (1.66), (1.67) の根を V α , N α と書こう。また、V β = V − V α , N β = N − N α と書こう。すると平衡点では, 式 (1.66) より, P (V α , N α ) − P (V β , N β ) = 2γ R(V α ) , (1.68) 第1章 36 表面張力の熱力学 が成り立つ。ここで 2 R(V ) = = dA/dV α ( α 3 α V 4π )1/3 (1.69) は体積 V α の球の半径に等しい。ここで式 (1.38), (1.40) を思い出すと、式 (1.68) は 2γ pα (X) − pβ (X) = , (1.70) R(V α ) 例によって X = (V α , V β , A, N )。α 相内部と β 相内部の圧力の差は表面張 力/球の半径の 2 倍に等しいことがわかる。これは 1.1 節で述べた Laplace の式 (1.2) に対応する。1.1 節では力学的に (界面を薄い膜のようなものと 考えて) (1.2) を導出したのであるが、同じ式が熱力学によって再導出さ れたわけである。 1.6 Kelvin の式 前節では、図 1.18 の系の平衡点を与える方程式 (1.66), (1.67) を導いた。 本節ではこの方程式を解くことを考えよう。 導関数 P (x, y), M (x, y)[式 (1.39), (1.43)] は 0 次の同次関数であるから、 これらは比 x/y のみの関数である ([1] の 3.7 節)。そこで以下では比体積 (単位モル数当たりの体積) を v と書き、また v α = V α /N α , v β = V β /N β と書く。さらに、(ちょっとずぼらではあるが) 関数 P を P (V α , N α ) = P (V α /N α , 1) = P (v α ) のように同じ記号 P (v α ) で表そう。M (∗) について も同様である。すると式 (1.66), (1.67) は P (v α ) − P (v β ) = 2γ , R(N α v α ) M (v α ) − M (v β ) = 0. (1.71) (1.72) さて、関数 P (v), M (v) は v の関数として図 1.19(a) のようであること が知られている。すなわち関数 P (v), M (v) は v の広義減少関数であるが、 vL < v < vG の範囲では定数であり、v = vL と v = vG ではグラフは折れ 曲がっている。ここで vL , vG は温度のみで決まる定数である。関数 P (v) の振舞は、物理的には次の通りである。図 1.19(b) の様に、容器内にモル 数 N の物質を入れ、一定温度 T の熱浴と接しつつ、ピストンを押して圧 縮する。最初、系は一様な気体であるとする。圧縮するに従い, 気体の圧 1.6. Kelvin の式 37 (a) P(v) (b) L G+L p∞ G M(v) L vL vG G L G v 図 1.19: 比体積 v の関数としての圧力 P と化学ポテンシャル M . P, M 共、 v の広義減少関数であり, 区間 vL < v < vG では一定である. 圧力のこの 一定値が、通常の飽和蒸気圧 p∞ である. P と M は、本来は別々の図に 描くべきであるが, 以下の議論の便宜上 1 枚の図に重ねて描いてある. 力は増大する。これが G の部分である。さて、比体積 v が vG に達すると、 気相の一部が凝縮を起こす。v を小さくすると、気相がどんどん減って液 相がどんどん増えてくる。この間圧力 P は一定である (飽和蒸気圧)。こ れが G+L の部分である。比体積 v が vL に達すると全て液相になり、以後 は液相を圧縮することになる。これが L の部分である。L では液体を圧縮 するわけなので、体積のわずかな変化でも圧力は急激に増加する。この ため、L の部分の勾配は大きい。なお化学ポテンシャル M (v) も圧力 P (v) と良く似た振舞をする。これは偶然ではない。というのは、圧力 P と化 学ポテンシャル M は自由エネルギー f の導関数であって兄弟の関係にあ るからで、図 1.19 の平坦部分の振舞は、元々自由エネルギーが持ってい た性質をその導関数が引き継いだものである。我々が使うのは、単一相 の G, L の部分である。 では、連立非線形方程式 (1.71), (1.72) を解く作業を始めよう。まず最 初に図 1.19 を良く見て欲しい。(1.71), (1.72) を満たす点 v α , v β はあるだ ろうか。式 (1.72) によると、M (v α ) = M (v β ) なので、v α と v β は、それぞ れ L, G の端点になければならない。ところが、そうすると P (v α ) = P (v β ) なので、式 (1.71) を満たすことはできない。すなわち、正直に考えると、 第1章 38 表面張力の熱力学 α p P(v) 2γ L ℜ p∞ MS pβ G+L G M(v) M α M β M∞ α v vL v β vG v 図 1.20: Metastable な状態を許して平衡点を求める. MS (太い破線) は metastable な枝を示す. β 相 (気相) が metastable な分岐上にあると仮定 すれば, 平衡点 v α , v β を求めることができる. 方程式 (1.71), (1.72) を同時に満たす根 v α , v β は存在しない、ということ になる。これは困った! それでは、図 1.18 のような液滴と気相が釣り合った平衡状態は不可能な のであろうか。上述の通り、正直に考えれば不可能である。ところが、バカ 正直に考えることを一歩譲れば次のような可能性がある。今、図 1.19(b) の ような圧縮を行ったとき、熱力学の法則に完全に従う健全な系では v < vG に達した時点で G+L のようになる。しかし、世の中には健全でない系も あって、そこでは v < vG になっても凝縮は始まらず、相変わらず気相 を保つ。これが過飽和状態である [筆者はよく知らないが、これは準安定 (metastable) と呼ばれるものの一種だと思われる]. Metastable(MS) な枝 は、G を滑らかに延長したものと考えられる。それは図 1.20 において太 い破線で描いてある。今、β 相が MS の上にあると仮定すれば、図 1.20 に 補助線で示してあるように、方程式 (1.71), (1.72) を同時に満たす v α , v β がみつかる可能性がある。以下ではこの方針に従って根 v α , v β を探して みよう。 根 v α , v β が図 1.20 のような配置にあると考えて、それらを求めよう。 ここで pα = P (v α ), pβ = P (v β ), M α = M (v α ), M β = M (v β ) と略記した。 1.6. Kelvin の式 39 前段落で述べたように MS は G を滑らかに延長したものと考えられるか ら、その上では理想気体の関係が使えるであろう。従って、 pβ = vG p∞ , vβ M β = −RT ln vβ + M∞ , vG (1.73) ここで R は気体定数、p∞ は、図 1.19(b) のときの “一定の” 圧力である。 これはすなわち、界面の曲率がゼロであるときの飽和蒸気圧である。M∞ は対応する化学ポテンシャルである。一方、L 線は液体を圧縮することに 対応するので、この部分の勾配は極めて大きい。従って、根 v α は vL の すぐ近くにあるであろうから、L の部分は 1 次関数でよく表せるだろう: pα = a(vL − v α ) + p∞ , M α = b(vL − v α ) + M∞ , (1.74) ここで、a, b は v = vL − 0 における P (v), M (v) の勾配 (のマイナス) であ る。式 (1.72) を式 (1.73) と (1.74) の各々第 2 式を用いて表すと b(vL − v α ) = −RT ln vβ . vG 式 (1.73) と (1.74) の第 1 式を用いて vL − v α と v β /vG を消去すると, ln pβ 1 b α = (p − p∞ ). p∞ RT a (1.75) 係数 a, b をおなじみの量で表そう。a, b は、定義により、 a=− b=− dP (v) dv = −N v=vL dM (v) dv = −N v=vL ∂P (V, N ) ∂V , V =N vL ∂M (V, N ) ∂V . V =N vL (V はダミーの変数である.) 従って, ∂M (V, N )/∂V |V =N vL V b = = a ∂P (V, N )/∂V |V =N vL N = vL . V =N vL ここで Gibbs-Duhem の関係 −V ∂P/∂V + N ∂M/∂V = 0 [式 (1.30)] を用 いた。また、V = N vL は V = N vL −0 の意味である。従って、式 (1.75) は ln pβ vL α = (p − p∞ ). p∞ RT 第1章 40 表面張力の熱力学 少々変形すると ln vL α pβ vL β − (p − p∞ ) = (p − pβ ). p∞ RT RT ここで (pβ − p∞ )/p∞ (= εと書く) ≪ 1 の下では, 左辺第 1 項は ( ) pβ pβ − p∞ pβ − p∞ ln = ln 1 + ≃ = ε, p∞ p∞ p∞ 第 2 項は vL β vL pβ p∞ pβ − p∞ vL ε (p − p∞ ) = = RT RT pβ p∞ vβ 1 + ε であるが、実在の物質では vL /v β ∼ 10−3 ≪ 1 であるので、第 2 項は第 1 項に比べて無視できる. こうして、 ln vL α pβ = (p − pβ ). p∞ RT (1.76) 最後に、式 (1.71) を用いると, ln pβ 2vL γ = . p∞ RT R (1.77) すなわち、有限な曲率半径 R を持つ液滴–蒸気の平衡点においては、飽 和蒸気圧 (気相の圧力 pβ ) は、曲率半径無限大 (平面) のときの飽和蒸気圧 p∞ より高くなる。液滴半径 R が小さくなると、比 pβ /p∞ は exp(1/R) の 速さで増大する。式 (1.77) を Kelvin の式という。 式 (1.77) は特性長さ 2vL γ R∗ = (1.78) RT を持つ。これを用いると式 (1.77) は ( ) R∗ pβ = exp . (1.79) p∞ R 式 (1.79) の関係を図 1.21 に示す。飽和蒸気圧の比 pβ /p∞ は, R ≫ R∗ のときは 1 に近いが、R が小さくなって R∗ 程度になると急速に増大す る。一例として、常温 (T = 300 K) での水滴と水蒸気の系を考えると, γ = 7.2 × 10−2 N/m, vL = 1.8 × 10−5 m3 /mol, R = 8.32 J/(mol K) であ るので [7], この特性長さは R∗ = 1.0 × 10−9 m. 1.6. Kelvin の式 41 2 β p /p∞ 1.5 1 0 10 1 10 2 3 10 ℜ/ℜ 10 ∗ 図 1.21: 液滴半径 R の関数としての飽和蒸気圧 [式 (1.79)]. R∗ = 2vL γ/(RT ), p∞ は曲率半径無限大 (平面) のときの飽和蒸気圧である. すなわち、液滴の大きさが飽和蒸気圧におよぼす影響は、半径 10nm 程 度の極めて小さい液滴においてようやく現れる。ところで、我々の議論 は熱力学に基づいているのだが、分子の大きさは 1nm 程度であることを 考えると、分子 10 個程度の小さな寸法の系で果たして熱力学からの帰結 が通用するであろうか。この疑問については、最近、分子動力学法に基 づき、文献 [6] で詳しく調べられた。その結果、温度 85 ∼ 100 K のアル ゴンの場合, 液滴半径 2 nm 程度まで式 (1.79) は分子動力学法の数値計算 結果とかなり良い一致を示すことが解明された。 最後に注意を 2 つ述べておく。 (i) 図 1.20 において、我々は pβ が G から左上に向かって延びた MS 上に あると仮定した。これとは別の考え方として、pβ は G 上にある代わりに、 pα が L から右下に向かって延びた MS 上にあると仮定することもできる。 そのように考えるとどうなるか。結論を言うと、そのような場合には平 衡点はみつからない。上の議論では、我々は平衡点における pα , pβ の関 係を求めただけで、平衡点 v α , v β はまだ求めていないことに注意せよ (途 中で話がすり替わったことに気づかれただろうか)。平衡点を求める計算 を実際に行うと、根は v β /vG > 1 にはなく、v β /vG < 1 にあることがわか る [式 (1.71), (1.72), (1.73), (1.74) から pα , pβ を消去し, 2γ/R > 0 を用い よ]。 (ii) 本節では気相中の液滴を考えた。これの “裏返し” の問題、すなわち 液相中に気泡がある問題も、同様の議論により調べることができる。気 泡を α 相、液相を β 相と書くと、最終的に平衡点では次の関係が成り立 第1章 42 表面張力の熱力学 つことが示される: pα 2vL γ . (1.80) =− p∞ RT R Kelvin の式 (1.77) との違いは、右辺に負号が現れること、従って pα < p∞ であることである。なお、このときには気泡を包む液相 (β 相) が metastable (過熱状態) である。 ln 1.7 3 相系 本節では、図 1.22 のような 3 つの相が共存する系でのつりあいを考える。 例えば、空気に接した固体基板上に水滴が載っている系 [図 1.22 (a)]、ある いは水と空気の界面に油滴が浮いている系、等である。相と界面を識別す るために、本節では図 1.22 のような記号を用いる。すなわち、α 相の体積は V α 、α 相と β 相の界面の面積は Aαβ 、· · · と呼ぶ。1.2.3 節の一般論と同様、 内部拘束 (レバー) を用いて各相の体積や界面積を操作し、そのときの iq 仕 事から系の自由エネルギー F (V α , V β , V γ , Aαβ , Aβγ , Aγα , N) を定義する。 我々の目標は、系全体の体積 V (= V α +V β +V γ ) とモル数 N を指定して内 部拘束を取り除いたとき、系が達する平衡点 (V α , V β , V γ , Aαβ , Aβγ , Aγα ) を求めることにある。1.2.3 節の一般論より、原理的には、平衡点は最小 値問題 F (V α , V β , V γ , Aαβ , Aβγ , Aγα , N) = min (1.81) ∗ を解くことで決まる。ここで min∗ は然るべき束縛条件での最小値を求め ることを意味する。 ところで、次の段落で詳しく説明するつもりであるが、3 相系の問題は 2 相系の問題に比べて格段に複雑になる。その原因のひとつは、水–空気– ガラスのような 3 成分 3 相系では、相の数 ≥ 成分の数 +1 が成り立たない ので、ゼロ吸着面を選ぶことができない、ということである。従って界面 張力 ∂F/∂Aαβ , · · · はもはや定数ではなく、各相の体積 V α , V β , V γ や界面 積 Aαβ , Aβγ , Aγα の非線形関数になる。この結果、1.5 節のような解析を 進めることはほとんど不可能であり、非線形関数の最小値問題 (1.81) を 頭から解かねばならない。これが現実ではあるが、我々は議論が一般的 であることより、むしろ一般性を犠牲にしても、面白い結果が得られる ような場合に話を限定しようと思う。すなわち、 • 自由エネルギー F (V α , V β , V γ , Aαβ , Aβγ , Aγα , N) は 1 次の同次関数 である 1.7. 3 相系 V 43 β V A A V βγ αβ V β V γ A A α A α γα A αβ βγ (a) (b) 図 1.22: 液体 (α 相), 気体 (β 相), 固体 (γ 相) からなる 3 相系. (a) 固体と 気体の界面の一部に液体が載ったもの, (b) 固体と液体が 2ヶ所でくっつ いて架橋ができたもの. • F の微係数 ∂F/∂V α , ∂F/∂Aαβ , · · · は定数である • 各相は縮まず、また不揮発である. すなわち V α , V β , V γ は定数 という場合を考える。これらの仮定の下で、最小値問題 (1.81) は γ αβ Aαβ + γ βγ Aβγ + γ γα Aγα + const = min, ∗ ここで (1.82) ∂F ∂F ∂F , γ βγ = , γ γα = , (1.83) αβ βγ ∂A ∂A ∂Aγα は、2 番目の仮定により定数である。 式 (1.82) は、3 変数 Aαβ , Aβγ , Aγα に対する (なんと!) 1 次関数の最小値 問題であり、一見簡単そうに見える。ところが、そう簡単ではないことを これから説明しよう。(この段落は極めて辛気臭いことを容赦願う。) 例 として、図 1.22 (a) の系を考える。簡単のため、γ 相は固体で変形しない とする。すると γ 相の全内面積 (γ 相が α 相か β 相と接している面積の合 計) は一定 (= A0 と書く) であるので、図より Aβγ + Aγα = A0 , 従って最 小値問題 (1.82) は γ αβ = γ αβ Aαβ + (γ γα − γ βγ )Aγα = min ∗ γα V γ 第1章 44 y (a) A 表面張力の熱力学 y (b) A x+y=A 0 A x 0 A x 図 1.23: x, y がとりうる範囲. (a) x, y は少なくとも x + y ≥ A(V α ) でな ければならない. (b) x = 0 は不可能なので可能な領域は陰影部分のよう になっていると予想される. 図の A は A(V α ) の意味. となる。定数項は省略した。添え字が目障りなので、変数 Aαβ , Aγα を x, y 、 定数 γ αβ , γ γα − γ βγ を a, b とそれぞれ書くと, ax + by = min . ∗ 非常に簡単である! あとは x, y が可能な範囲を動いたときに ax + by が最 小となるような点 x, y をみつけるだけである。ここで問題となるのは x, y がとりうる範囲である。x, y がとりうる範囲とは何か。図 1.22 (a) より、 Aαβ + Aγα (つまり x + y) は α 相を包むので、x + y は α 相の体積で決ま る値 A(V α ) [式 (1.62)] より小さくなることはない。従って x + y ≥ A(V α ) これを図 1.23 (a) に示す。(もちろん x ≥ 0, y ≥ 0 である.) これはまちが いではない。しかし、x, y がこの範囲ならどの値でもとりうるわけではな い。これは直感的にもわかる。例えば、x(= Aαβ ) はゼロにはなりえない ことは図 1.23 (a) から直ちにわかる。一方、y(= Aγα ) はゼロになりうる。 これは α 相が丸まって γ 相と接した状態を表す (固体が水滴を完全に ‘は じいた’ 状態)。従って、図の影部は x, y がとりうる可能な範囲ではない。 本当の範囲の境界は図 1.23 (b) のような曲線になると考えられる。この 曲線はどうすれば求まるか。これは直接的には難しいが、間接的には次 のようにできよう。すなわち、α − β 界面 (Aαβ ) の形状を媒介変数を用い て表しておき、媒介変数を動かすことで Aαβ , Aγα が動きうる範囲を調べ る。具体例を示そう。まず、図 1.24 (a) のように、α − β 界面形状は球の 一部であると仮定しよう。すると γ − α 界面の形状は円である。これら 1.7. 3 相系 45 αβ V α x (=A ) 2 γα y/L 4 θ→0 y (=A ) θ 2 0 0 (a) θ=π 4 x/L2 2 (b) 図 1.24: α − β 界面を球の一部と仮定した場合. (a) 形状, (b) x, y がと りうる範囲. x(= Aαβ ), y(= Aγα ) は (b) の関係を満たす値のみとりうる. (b) の θ = 0 は液体が固体上を広がった状態を, θ = π は固体が液体を完 全にはじいた状態を表す. が囲む領域が α 相であり、その体積が V α である。この領域は図 1.24 (a) のように天頂角 θ を媒介変数として表せる。例えば、θ = 0 は α 相 (液体) が γ 相 (固体) 上に完全に広がった状態を、θ = π/2 は液体が半球になっ た状態、θ = π は固体が液体を完全に ‘はじいて’ 液体が球になった状態 を表す。体積 V α 一定の下で、球面の面積 x(= Aαβ ) と円の面積 y(= Aγα ) は θ の関数として次のように表せる: x= 2L2 (1 − cos θ) , (2/3 − cos θ + cos θ3 /3)2/3 y= L2 sin2 θ . (2/3 − cos θ + cos θ3 /3)2/3 ここで L = π 1/2 (V α /π)1/3 . θ を 0 から π まで変化させて xy 平面に軌道を 描くと図 1.24 (b) の曲線となる。すなわち、液滴が球の一部であるという 仮定の下では、x, y はこの曲線上のみ動きうる。x, y がこの曲線上を動い たときに ax + by が最小となる点 (x, y) と ax + by の最小値を求める。次に なすべきことは、形状を球面とは違ったものを仮定し、同様の作業を行っ てとりうる x, y の範囲を求め、ax + by が最小となる点 (x, y) を求める。 これを可能な全ての形状について行い、全ての形状についての ax + by の 最小点 (x, y) が目標とする最小値問題の解である。[ちなみに、図 1.24 (b) に対応する曲線を球面に限らず可能な全ての形状について描いて ‘塗りつ ぶした’ ものが図 1.23 (b) である.] これは、実際にやろうとすると気の遠 くなる話である。1 成分 2 相系 (図 1.18) では、与えられた体積を包む表 面積が最小となる形状は球であるという周知の事実のおかげで図を用意 46 第1章 表面張力の熱力学 することなく、話はたった 1 行で片付いた。ところが、3 相以上の系では ここで大障壁にぶち当たってしまった。これが 2 相系と 3 相以上の系との 大きな違いである。 それではどうしようか。前段落では辛気臭い話を長々としたが、おかげ で何が問題点であるか見当がついた。それは、ax + by の最小値が最小と なる界面の形状を探さないといけないのだが、x, y がとりうる範囲は形状 (球面, 筒面、回転楕円体面, · · · ) に依存し、それをいちいち計算すること は気が遠くなるような話である、ということである。ここで発想を転換 しよう。そもそも、x, y は界面形状が 1 つ与えられると決まる数であり、 ax + by もまた然りである。ならば、界面形状を規定する関数形を色々変 化させ、その ‘汎関数’ax + by が最小となるその関数形を探せばよい。と ころが、これは数学でいうところの変分法にほかならない。変分法は極 めて整備の行き届いた分野であり、我々はその成果を存分に利用できる。 この方針で行くならば、図 1.23 を描く手間は不要であり、議論ははるか に明快になる。 このように、3 相以上の系の平衡点を求める問題には変分法が不可欠で ある。次の章では、変分法の基礎と応用について述べよう。変分法を用 いれば、図 1.22 に示したような系の平衡点がいとも簡単に求まることを 見るであろう。 47 関連図書 [1] 田崎晴明, 熱力学—現代的な視点から (培風館, 東京, 2000). [2] J. S. Rowlinson and B. Widom, Molecular Theory of Capillarity (Dover, New York, 2002). [3] G. L. Lewis and M. Randall, Thermodynamics, revised by K. S. Pitzer (McGraw-Hill, New York, 1995). [4] H. Reiss, Methods of Thermodynamics (Dover, New York, 1996). [5] 小野周、表面張力 (共立, 東京, 1983). [6] 矢口久雄、矢野猛、藤川重雄、“アルゴンのナノ液滴と蒸気の気液平 衡状態の分子動力学,” 日本機械学会論文集 B 編 75, 90 (2009). [7] NIST Chemistry WebBook, National Institute of Standards and Technology, http://webbook.nist.gov/chemistry/
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