魯迅のエッセイ『皇漢医学』について 真柳 誠(茨城大学/北里研究所) 第104回日本医史学会学術大会 2003年4月12日 九州大学医学部百年講堂(福岡市) 中国訳『皇漢医学』に掲載の 湯本求真自筆の祝辞 魯迅エッセイ『皇漢医学』の冒頭 魯迅は当書を賛美する中国人の 心理を次のように皮肉る 「我々『皇漢』人は実におかしな癖 がある。外国人が我々の欠点に 言及すると、聞こうとしないが、 ほめられればすぐに信じこむ」 語彙の変遷 蘭方 ↑ ↓ 漢方 (江戸中期) 皇漢医学→和漢医学→東洋医学 (維新後) (明治14 ~) (漢医) (明治25~) 漢方医学 (昭和初期) 岡千仭の明治十七年の 中国旅行記、『観光紀游』目次 『観光紀游』の登場人物 1 • 著者・岡千仭(1832~1913)は昌平黌 に学んだ儒者。 • 千仭は上海にて昌平黌の同窓、上海楽善 堂を経営する岸田吟香と再会。 • 千仭の議論相手は馮夢香(一梅)で、蘇州 の儒者・兪曲園の高足。 • 兪曲園は吟香の楽善堂を通して日本の書 を買い集め、日本漢詩に評注した『東瀛詩 選』を編纂。当書には千仭の詩も収められ ていたので馮夢香が千仭を訪ねてきた。 『観光紀游』の登場人物 2 • 千仭はすでに懇意だった王仁乾・楊守敬と同 船していた。 • 守敬は明治13年に来日、日本で蒐集の古 典籍3万余巻を携え帰国するところ。彼は多 紀元簡・元堅等の著作版木13種も購入、 『聿修堂医学叢書』と名づけ、この年、中国で 重印。 • 仁乾は清国公使館づき商人で、『聿修堂医 学叢書』に感服。浅田宗伯らの診療を受けて 日本の腹診を知り、温知社の松井操が漢訳 した多紀元堅の腹診書『診病奇侅』を明治2 1年に日本で印刷、中国に頒布。
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