比較宗教学講義Ⅰ 九州の比較宗教学 20120705 第12回鹿児島の宗教:ハンセン病元患者施設 [email protected] 飯嶋 秀治 Ⅰ.前回の続き 1.第2次産業の民俗文化 • 工場の遷移 ①1860年代~製糸工場 e.g.鐘淵紡績株式会社、 豊田佐吉(1867~1930) [山口監修2000a,b] →②化学工業=(A)広大な 面積、(B)大量の冷却 水、(C)安定した電力、 (D)安定した輸送手段 →③石油工業[岡田1993; 栗原2000]e.g.チッソ 2.民俗世界の分析 【環境班】自然: 海 ~ 陸 ~ 空 社会:外部呼称:クダリ・シモ=南 (茂道松) ノボリ・カミ=北 内部呼称: オモテ/ シモ/ タカブキ/ ソンタ(ウラ) 【生業班】 海の幸 ~ 山の幸 (不可視性) ノサリ (可視性) 工夫と越境 (貧時の分合、豊時の振舞) 蓄積と領域 【社会班】 端午の節句 桃の節句 (親族&大投資) フトイ家 (家族&小投資) フトイ モヤイ コマゴマ 【宗教班】女神:大山神社・舟魂 男神:龍神・天満宮 無性神:金毘羅・稲荷・天理(・創価学会?) 女=蛇 男=人 3.もう一つの本願 4.九州の宗教での試図化 知識・信仰 カトリック プロテスタント 集団 イエスの方舟 年中行事 椎葉神楽 自称 他称 「本願の会」 都市 中核国 周辺諸国 百貨店 個人良投資家 個人 行動・実践 自然宗教 プロテスタンティズム倫理と資本主義精神+アフリカ・アジア・ラテンアメリカの物質 Ⅱ.ハンセン病研究 1.概略史 新約聖書「らい病(leprosy)」 1873ハンセン医師による「らい 菌」発見 1943新薬プロミンの発明 1899ウィドウ神父(仏C)神山復 生病院など 1907「癩予防に関する件」(らい 予防法)成立 1909光田健輔(1876-1964)、公 立癩療養所全生病院長就任 1915断種手術(ワゼクトミー) 1953らい予防法闘争 1996らい予防法廃止 1998違憲国家賠償訴訟提訴 2001原告勝訴判決 2003ハンセン病元患者宿泊拒否 事件 2008「ハンセン病問題の解決の 促進に関する法律」制定 2.ハンセン病元患者療養施設 ハンセン病は、らい菌 mycobacterium lepraeに よって引き起こされる感染 症である。もっともその菌は 微弱な感染力しかもたず、 ほとんどの人は自然の免 疫力で感染を防ぐことがで きる。しかしそれ故に、自ら の罹患の因果をハッキリと 線で結ぶことは難しい。/ ハンセン病は、症状が末梢 神経にまで進行すると、手 足・顔などの相貌に変形を 生じることがあるため、忌 み嫌われ、疎まれてきた。 [益田2009:137] 3.病気、宗教、施設の研究 ハンセン病者は、国家が先導した社 会からの排除運動=隔離政策に より、療養所という名の収容所に 押し込められ、家族から切り離さ れ、社会から抹殺されてきた。そ れ故に、病苦とは別の苦-天涯 の孤独感、家族・ムラ・社会から の疎外感など-二重の苦、三重 の苦を味わわされてきた。/か つて、ハンセン病は不治の病とさ れ、前世の業罪の因果を受けた ものの罹る病と思われてきた(宿 業観)。しかし近代医療がその機 序を明らかとし、治療が可能と なった。それ故、新たに発病する 患者は現在ほとんどない。[益田 2009:137] • 社会科学系の先行研究 から • ①医療人類学[フォスター&アン ダーソン1987(1978);クラインマン、 1992(1980)] ■Disease=疾病→cure治療する ■Patient患者のDisease=疾病→cure 治す/treatment治療 □Illness=病い→treat治す/care取り 扱う □(Clientクライエントの)Illness=病い →healing癒し • ②社会学[ゴフマン1984(1961)] 全制的施設total institution 「入所の過程は、一般的に言って、別 の種類の喪失ならびに無力化 mortificationをももたらす」 Ⅲ. 元患者施設の研究 1.施設の概要 2.施設の中の宗教施設 • 概略 1935国立療養施設星塚敬愛 園設立 1943入所者数1347人(史上 最多)/徳田祐弼さんが 星塚敬愛園キリスト教恵 生教会会長 2009入所者数242人 平均年齢81歳 平均在園期間46年 施設内にはキリスト教 教会、寺院などの宗教施 設がある 3.人生史 玉城しげさん 1918沖縄県生(離島の漁師網 元の家、兄2、弟1、女1) 1939敬愛園入所 1940熊本回春園のハンナ・ライ ト(米、P)が教会来訪 1941結婚 強制堕胎 1998ハンセン病違憲国賠訴訟 原告となる 2001勝訴 2009現在も敬愛園に暮らす 4.裁判・市民大会・祭・信仰 「キリスト教に入ったのは徳田のおじさん のおかげです。沖縄から来た人を中心 に、金曜日の晩と日曜日の朝、讃美歌 を歌ったり、聖書の勉強をしたりしてい ました。その集まりで学んだことが、生 きるに生きられないときにも私を導いて くれました。別れた夫と出会ったのも信 仰の場でした。子どもを奪われたとき、 戦争中栄養失調になったときもそうで した。敬愛橋を作っているとき、しもや けや傷で手や足が変形していきました。 自分が自分でなくなっていくような不安 に耐えながら、これを辛抱してなんとか 戦後まで生き延びれたのは、神様は私 たちとともにあるという信仰があったか らでした。信者同士励ましあい、み言 葉に慰められました」[堀江2009:80] 「『私には三つの支えがあった』…友、聖書 とともに、家族の存在をあげる」[益 田]2009:145] 5.部屋もよう Ⅳ.まとめ 1.結論 • イエスとらい病 • キリスト教とハンセン病 • 施設化される存在 • 施設内の教会・寺院の 機能 • 「都市内宗教」の隠喩 /モデルとしての「施設 内宗教」 成人(心身を自律的に・多数派に協 調させられる人) (心身) 障害者 被養護 児童 老人 (高度 医療を 必要と すると される) 病人 先住民 犯罪者 移民 難民 4.九州の宗教での試図化 知識・信仰 カトリック プロテスタント 集団 イエスの方舟 年中行事 椎葉神楽 自称 他称 「本願の会」 都市 中核国 周辺諸国 百貨店 個人良投資家 個人 行動・実践 自然宗教 プロテスタンティズム倫理と資本主義精神+アフリカ・アジア・ラテンアメリカの物質 参考文献 クラインマン、アーサー1992(1980)『臨床人類学―文化のなかの病者 と治療者』大橋英寿ほか訳弘文堂 ゴフマン、アーウィン1984(1961)『アサイラム 施設被収容者の日常世 界』石黒毅訳 誠信書房 関一敏・谷崎和男・飯嶋秀治編2009『人間共生論叢 特集・ハンセン 病』九州大学大学院人間環境学府・共生社会学講座 フォスター、G.B.&B.G.アンダーソン1987(1978)『医療人類学』中川米 造監訳 リブロ 堀江節子2009『人間であって人間でなかった-ハンセン病と玉城し げ』桂書房 益田仁2009「敬愛園を生きること~Bさんのオーラル・ヒストリーから」、 関一敏・谷崎和男・飯嶋秀治編『人間共生論叢 特集・ハンセン 病』九州大学大学院人間環境学府・共生社会学講座:137-153
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